• 検索結果がありません。

留学生と日本人学生との混成クラスの試み : 教養教育「異文化間コミュニケーション論」授業報告

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "留学生と日本人学生との混成クラスの試み : 教養教育「異文化間コミュニケーション論」授業報告"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)日育 と 教 門 て. 倉. 正. 美. キーワードコ. 教養教育担当の 意義、 異文化問コミュニケーション 論、 留学生と日本人学生の. 相互接触、 敬語と日本文化の. 関係. 1. 留学生センターが 教養教育を担当することの 意義 大学設置基準の. 大綱化以降、 教養部の改組等の. 学 で教養教育を 一部の教員にゆだれ. る. 動きとあ いまって、 各地の大. のではなく、 全学の教員で 担って い く方. 向が主流になってきている。 本学では、 かねてから一般教育は「全学出動」と い. う原則が確立しており、. こうした時代の 動向を先取りしてきた 面があ る。 専. 円教育と教養教育は 大学教育の両輪であ 探究という「深さ」への. 志向とともに、. 「広さ」が互い る 刺激しあ. り、 大学教育においては、. 専門分野の. 市民的教養と 批判 精 中中という視野の. う形で追求されるべきだろう。. 大学教育へのこうした 要求は単に学生に 向けてのものであ るばかりでなく 大学で教育・ 研究に従事する 教員自身に対するものでもあ. る。 この意味で、. 教. 泰教育への「全学出動」は 教員自身にとっても 自らの研究関心や 研究方法をあ. らためて広 い 視野のもとで う. 問 い なおす契機を. 潜在させた方針であ る、 と言えよ. 。 横浜国立大学においては、 教員組織のうち 環境科学研究センターと 留学生. センタ一だけがこれまで. 教養教育にたずさわってこなかった。 もっとも、. 留学. 生 センターが本務の 一つとしてこれまで 行ってきた、 学部留学生を 対象とする 「日本語・日本事情」は 教養教育の単位と 振り替えられるという. 点では、. 教養. とも言える。 しかし、 「日本語・日本事情」はあ くま で 留学生だけを 対象とする科目であ り、 その位置づけからしても「教養教育」 としての自覚のもとで 行われてきたわけではない。 したがって、 環境科学研究. 教育の一環であ るⅢ、. センターと留学生センタ 一のスタッフは 上記の意味での、 教養教育を担当する. 一. 55. 一.

(2) ことに. よ. る「問 い 直し」の機会が 閉ざされていたわけであ る。. こうした反省と「全学出動」の. 趣旨を踏まえて、 留学生センタ 一の教員会議. では既に,94 年のはじめから「教養教育への 参与」の方針が 議論され、 , 94 年 7 用. には次年度から「異文化間コミュニケーション 論」という科目によって 教養. 教育に参加すべく 一般教育委員会に 働きかけることが 決定された。 幸い、 一般 教育委員会の 承認、を経て 、 , 95 年度から「異文化間コミュニケーション. 論」が. 留学生センターを 責任組織としてスタートすることになった。 , ) 。 ただし、 留. 学生センターは 単位を出すことができないため、. 「日本語・日本事情」と 同様. に教育学部の 科目として位置づけ、 教育学部が単位を 出すという形式をとって いる。. 留学生センターがこの 教養科目を担うにあ たっては、 全学出動の責任分担と 教員の自己啓発という. 要素とともに、. もう一つの狙いがあ った。 それは、 教養. 科目として日本人学生と 留学生が交流しあ う授業をセンター 教室で展開するこ とであ る。 それによって、 「日本語・日本事情」という る 留学生教育を. ふれあ. ぅ. 留学生のみを 対象とす. 活性化するとともに、 日本人学生が 留学生の体現する 異文化と. 場を保証して、 日本人学生の 国際感覚を養う 一助たり. ぅ. るのではない. かという期待があ った。 留学生会館や 留学生センターはともすれば 留学生だけが 出入りする「覚国人 材」になりがちであ るⅢ。 中曾根元首相以来の「留学生十万人計画」の. 趣旨. は 、 日本経済の繁栄をささやかながらも 諸外国に分かち 合うという面と、 日本. 人や日本社会自体の「国際化」との 両面があ る。 留学生が多数キャンパスを 歩 くよう. になっても、 それらの留学生と 日本人学生・ 教職員との接触が 表面的な. ものにとどまるならば、 大学自体の「国際化」にはほど 遠いと言わなくてはな るま い 。 この点でも、 本学には先駆的な 試みが見られる。 峰沢 国際交流会館や. 弘明孝留学生会館における 留学生と日本人学生の 混住という形態が、 それであ る。 今までのところ、 混住の良さが 十分にひきだせているとは 必ずしも言えな. のように思われるが、 峰沢 国際交流会館が 他大学に先がけて、 混住方針を定着 させたことは 高く評価すべきであ ろう。. 一 56 一.

(3) さて、 留学生教育に 話を戻すと、 「日本事情」に 日本人学生がオブザーバー として参加して、 留学生とのコミュニケーションを 促進することに 成功した授 業 側 はすでに いくっ かの大学に先例が 見られるⅢ。. 当 センタ一の「日本事情」. にも例年、 単位はとれなくても 授業に出た い という日本人学生がわずかではあ るが参加して、 若 い 世代の意見を 留学生にぶっけてきてくれた。 文部省や外部 0 人々からは、 「日本事情」というと「日本の 社会や生活習慣に 慣れさせる」 ための授業であ って、 日本人学生に 単位を出すに 相応、しい大学の授業とは 思わ れていないふしもあ って、 「日本事情」を 例えば「日本社会論」というような 授業科目に読みかえて、 日本人学生に 単位を出すことには 若干の抵抗があ ぅ. る ょ. であ る。 しかし、 多少の日本語力 め ハンディを別とすれば、 授業の展開の 仕. 方 いかんによって、 日本人学生だけのゼミナールよりも 数等充実したディス かソ ションを楽しむことができるというのが、 筆者が何年かこの 授業を担当しての 実感であ る。 留学生センターが 担当する教養教育は、 留学生教育が 日本人学生 に開かれるという 面からみれば、 「日本事情」の 混成クラスの 試みに通じる 側 而 ももっている。 留学生センターが「異文化間コミュニケーション. 論」という教養教育科目を. 責任組織として 担当することには 次の三つの意義があ る。 Ⅲ横浜国立大学の 教 泰 教育の「全学出動」という 原則の達成に 寄与すること。. (2溜 学生センタ一の. スタッフの自己啓発となること。 (3暦学生と日本人学生が 混在する授業が セン タ. 一で行われることによって、 両者のコミュニケーションが 促進されること。. D. ,95 年度「異文化間コミュニケーション 論」報告 Ⅲ. 授業の抱負 初年度にあ たる今年度の「異文化間コミュニケーション 論」は筆者 力湘生 し、. 火曜第. 2. 限に留学生センター 306 番教室で行われた。 前期. 2. 単位、 後期. 2. 単位. で半年でも通年でも 受講できるという 形をとった。 講義内容の概要と 趣旨につ いては、 実際に授業を 始める双の心がまえのようなものに、 結果的にはなって しまったが、 『授業要覧Ⅰに 掲載したものの 一部を紹介しておきたい。. 一. 57. 一.

(4) 「. -. この講義では、. 「文化が異なるとはどういうことか」、. 「コミュニケ. ーションが成立するとはどういうことか」という 根本的な問題意識を 保持し ながら、 それぞれの文化の 固有の価値を 認め合 う、 開かれたしなやかな 感性 を 展望することができれば、. と思っている。 …身近で実践的な 問題を問い. つめて い くことによって、 理論的・構造的な 問題にのたるという 道筋で い. く. つかのテーマを 追っていく。 例えば、 日本に滞在する 外国人は「ガイジン」 と呼ばれるのを 嫌うが、 「ガイジン」にはどのような. 含みがあ るのだろうか。. また、 「ガイジン」と 呼ばれることの 少ない外国人もいるのではないか。 うした事柄の. 背景に、. どのような「理論的・. こ. 構造的な問題」が 伏在している. のだろうか。 前期は 、 主に「ことばと 文化」という 観点から、 「異文化問コミュニケー 、ンコ. ン 論 」の諸相を見ていく。. と 国家語形成、. 「英語帝国主義」、 日本語の「特徴」、 近代化. 言語相対主義、 メディアの中の 異文化等がテーマとなろう。. 後期は 、 主に既成の「日本人論」を 批判し、 そこに潜在するナショナリズ ムや 「オリエンタリズム」を 分析していく。 そうした過程を 通して、 日本人 の「同質性・ 画一性」というステレオタイプの. 見方を脱し、 多文化主義、 文. 仏相対主義のもつ 可能性を検討する。 …」 「教養教育」の 能書きはどうも 盛り沢山になってしまうきらりがあ る。 上で 意図したことの 1/3. /日 も伝え得なかったが、 この授業での 筆者の力点は 教員が ". "-. 教壇で長広舌をふるうことではなく、. あ くまで異文化接触の 場を教室内に 作り. だすことにあ ったので、 内容的に羊頭狗肉であ ったことはあ まり反省していな い 。 授業の過程の 中では、 むしろ、 『要覧』で強調し、 受講者がもっとも 期待. した点、 つまり「留学生や. 日本人学生の 異文化接触体験のスピーチやレポート. をもとにしたグループ・ディスカッションを 行い、 授業の場そのものを 異文化 間 コミュニケーションの. 場にする」方法、 工夫という点で 考えさせられたこと. の方が多かったことを 予め記しておきたい。. (2) 学生の最初の 反応 一 58 一.

(5) 教養教育では 時間割の関係もあ って 、 一つのクラスに 多くの学生が 集まるこ とがよくあ る。 最初のクラスでは 200 名以上の受講希望者があ り、 最大 45 名し か入らないセンター 教室からはあ ふれてしまっていた。 そこで、 P 要覧』でも 予告しておいたように、 「なぜこの授業をとりたいか」をテーマとした 課題 小 レポートを書いてもらって、 それを見て日本人学生 30名、 留学生 15 名にしぼる ことにした。 もちろん、 受講者として 認めてもらいたいがゆえのリップ・サービスや 期 ゆえの気負い. ( もっとも、. 2 年生以上の学生がかなりいたが. ). もあ. 新学. るだろう. が 、 提出された 160 通ほどの課題 小 レポートにうかがえる、 この種の授業に 対 する期待には 感銘をうけるとともに、 十分に応えうるかという 不安を感じたほ どであ る。 今後、 「異文化間コミュニケーション 論」という、 今ふうであ る反 面、 学問としてはおさまりの 悪い科目㈲に 挑戦する授業者へのエールとして、 いく. っか 紹介しておきたい。 以下はすべて、 ごく一部の抜粋であ ること、 表現. を直していないことをお. 断りしておく。. 旧 本人学生のレポートから. ]. 「異文化間コミュニケーション. 論の授業の最大の. 生 との間の交流を 深めることにあ. 「昨年、. ると. 思、う. 魅力は、 留学生と日本人学. 」. 山崎豊子の「大地の 子 ] や『不毛地帯. ]. を読み、 「国家とは」「日. 本人とは」「民族とは」など 考えると、 分からないことが 実に多 い です」 「は年間過ごした ) オーストラリアで 僕も様々な不安や 驚きを感じ、 また時. には差別というものを 体験しました。 その上で思ったのは、 日本にい 入ら 「. (. 、 同様に、 それぞれ悩みをかかえているのだろうということです」 「日本人の国民性」をテーマとしたゼミのバループワークで. 学内の留学生に. 取材し、. ). 私達は大. 日本に来て感じた 疑問を具体的に 述べてもらった。. そして、 集まった疑問を「どうして 日本人は 00 は 00. ろ 外国. なのか. ?. 」、 「留学生の国で. なのだが」という 補足を加えて 発表した」. 「普段キャンパスを 歩いていると、 留学生と多くすれ. ち が ぅ のに、 全く交流. があ りません。 自分から話しかければ いい のかもしれませんが、 その勇気が. 一 59 一.

(6) あ りません」. にの講義は教官 + 学生の一方通行ではなく、 みんながいろいろ 考え、 つくっ て い く授業だと思う」 「私が進学先を 決定する際に 考慮したことの 中に「留学生の 方々との交流」 ということがあ った。 .. 国際都市横浜、 そしてこの国大に 来た限りは、. 是. 非 とも受講したり 講義であ る」 「国際的な感性を 身につけられそうな 講義だと思った」 「. 峰沢 国際交流会館でも、. 留学生は留学生、. 日本人は日本人のバループで 行. 動してしまっている。 …この授業がきっかけで 留学生と知り 合いになれれ ばと思った」 「真新しい授業内容だなあ. と思って 、 い い 機会だから参加したりと 思った」. [ 留学生のレポートから ]. 「他の教養科目に. 類のない、 留学生と日本人学生と. 一緒に各自の 文化に対す. る意見をもち、 討論しながら 進んでいく異文化間コミュニケーション. 論にすっ. かり引っ張られてしまった」 「世界はもっともっと. 国際的になっていきます。. 異文化との接触も 避けない. ことになりました。 私達日本に留学した 人達は、 異文化問のコミュニケーショ ンに. 努力するべきだと 思っております」. 「たまに日本人と 話す機会があ って 、 いろいろ話しているうちにちょっとで 6. 日本を批判するとすぐいやがる。. これは結局のところ 外国について 知識が. とぼし い からであ ろう」 「私は日本人学生と 同じに大学生活を. 過ごしてみて、 はっきりいうと、 あ ま. りに他の国に 対する日本人学生の 考え方が単純であ ることに驚いた」 「人々の性格が. 違うように、. 国々の文化が 違う。 人間はものことを 自分中心. に 考えてしま い がちだ。 今の時代では、. 「. 違 いがわかる人間」いわば「異文. 化人間」を求めている」 「にの授業によって ) 日本人、 日本の文化、 日本語に対する 認識を深める うえ、 更に多くの日本人とより 深い所までコミュニケーション. 一 60 一. し、. 自分の国.

(7) に 対する認識も. 明らかになれると 思います」. 「我々留学生たちは 日本人とあ まり接するきっかけが 少ないので、 この授業 でいっぱい友人をつくろうと. 「中国の留学生です。. 思う」. 高校の時から 日本から来た 学生や、 大学に入ってから. はヨーロッパの 学生とも交流してきました。 …その中で自分にすごい があ りました。 理解できなかった 部分もかなりあ りました。. 感動. 文化の差異. とは一体どういうことなのか 勉強したいです」. (2) 授業全体の概要 「異文化間コミュニケーション 期 15回行った。. 当初は、. 論」の授業はⅠ同 90 分の授業を前期 13回、 後. 冬期 数 回は留学生センターをはじめとする 他のスタッ. フにゲスト講師をお 願いする予定だったが、 他のスタッフの 今年度はすべて 筆者一人が全面的に ケーション論」のような. 担当する形になった。. 多面的なテーマについては、. 予定力 満整 できず、. 「異文化間コミュニ. 本来は複数の 教員のまな. ざしがほしいところであ る。 受講学生のレポートやプレゼンテーションは 適宜 授業に折りこんでいったが、 これももうちょっと 突っ込んだ報告まで 進めた. 方. がよかったように 思う。 ともかく、 レクチヤ一にあ たる部分にいかに 複数の視 座を生き生きと 提示するかが. 課題として実感させられた。 この点を踏まえて、. 次年度は双期と 後期とで担当のスタッフを 交代することにしている。 各回の授業は、 おおむね「導入 (m0分 ) 、 その回のテーマに 関するレクチャー. (m0分 ) 、 グループ・ディスカッション (30分 ) 、 ディスカッションの 報告と まとめ (20分 ) 」といった構成をとった。. つ 、 した授業形式をとる 際にもっとも 留意したいのは、. グループ・ディス. ;. ッ ションを単なるおしゃべりに 終わらせないための 工夫であ る。 今年度の授業. では、 授業の終わりの. 方で各バループの 代表に議論の 内容をごく簡潔に 報告さ. せ、 場合によっては 教員がそれ。についてコメントしたり、 話題をふくらませた り. 、 簡単な質疑応答を 行ったりした。 また、 出席確認をかねた 小 レポート (B6. 判カードに書いてもらう. ). に、 今回の授業でもっとも 面白かった点、 気づかさ. 一 6% 一.

(8) れた点等の小テーマを 設けて、 各回ごとに提出させた。 そして、 その力 一ド. ・. レポートの中で 全体に伝えてみたい 内容については、 授業のレジュメのプリン トの最初に上記の 学生の課題レポート 紹介のようにごく 短文の形で紹介し、 授 業の導入部分で 簡単にコメントを 加えたりした。 ディスカッションの 有効性の保証だけでなく、 各回のテーマを 何にして、. ど. のような形のレクチャ 一にするかという 点も、 この授業が受講学生を 十分ひき つけられかどうかの 眼目であ る。 前期のはじめの 何回かの授業でいろいろな 試 行 錯誤があ ったが、 「身近な話題」「具体的な 話」についてでなければ 後半の議 論 があ まり進展しないというのが 実態だった。 授業でとりあ げた主なテーマを ダリ 言己. してみよ. [ 前期Ⅰ. 「. く ガイジン ノ のニュアンス」「カルチャー・ショックの 具体例」. 「日本語の特徴は 何か. ?. 」「敬語は必要か. の 問題」「日本の 教育システム」「各国の. ? 」「男 ことば・. 女 ことば + 男性社会. 教育事情」「日本の 遊び・各国の 遊び」. 「東京一極集中」「日本社会で ムダ なもの」「日本人は 働き過ぎか. ?. 」にの夏 休. みの異文化体験」 [ 後期. ] 「是非ウチに 遊びに来て下さい. 「割り勘 とオプリ. 」. 「日本人は議論を 好まないか ?. て 」「テレビの 影響力」. 思、ぅか. ?. 」. について」. 一一 リップ・サービスについて」. 「日本人の宗教心」. 」. 「先輩Ⅰ後輩関係につい. 「さだまさしく 関白宣言. 「日本人はくあ. い づち上が多いか ?. 「地方から見た. 東京一国内の 異文化について」. に 気づくこと」. ノな ど う. 一一ボディ,ランゲッジの 違い. 「覚国人労働者を 受け入れるべきか」. 「白文化の色眼鏡. 「日本のアニメをどう 見. るか」. 以下、 授業構成上の 反省点を箇条書きしておこ. 1) レクチャ一部分で、 もっと視聴覚要素を 入れる等バラ. よかった。 今年度は、 「日本紹介ビデオ」やテレビ 番組を まさしの歌を 組み入れたが、 さらに interesting. ェ. ティがあ った方が 2. 本ずつと、. な 素材を探す必要があ. さだ. る。. 2) 留学生自身のもつ 異文化、 あ るいは日本人学生が 担っている地方文化の 異 一 62 一.

(9) 質性は ついてもっと. 踏み込んだ形でプレゼンテーションしてもらうこと。. 3) ディスカッションは、 三人掛けの机のためもあ って、 留学生一人と 日本人 学生二人の姉人を 単位にしたが、 話題によっては 二つの机で五、 六人にした り、 組み合わせをかえるためにバループ 間トレードを 適宜行った。 グループ・ディスカッションの 形だけでなく、 パネル.ディスカッション や ディベートの 形態をまじえることによって 変化をつけるのもいいかもしれ ない。. 4) コミュニケーションがバループの 間にとどまってしまい、 感想カードの 紹 分程度では、 グループ間のコミュニケーションが 十分とは言えない。. 5). 今年度は後期の 年末にⅠ 回 だけ交流パーティーを. よ、. 組んだが、. クラス外にせ. その種のくだけた 会合を早めにもって、 クラスの中に 議論しやすいムー. ドを作っておく 必要があ ったようだ。. 6) 授業の時間配分が 単調にならないよう、 もっとバラエティーをつけた 方が よかったかもしれない。 それに、 は、. 2. コマ 、. (3) 授業 例. 3. 1. コマではおさまらないトピックについて. コマにわたって 深めていくべきだった。. 「敬語は必要か」. 前回の授業では、. (,95年. 5月. 16 日 ) 各受講者に予め 宿題として考え. 「日本語の特徴」について. てきてもらった 上で、 グループ・ディスカッションで 論点をすりあ わせて、. ループごとのレポートにまとめてもらった。 その際、 の内、. どのような点がどのような「日本人. ているかについて、. グ. そうした「日本語の 特徴」. ( ないし日本社会 ). の特徴」とされ. あ わせて議論してもらった。. 受講者があ げた「日本語の 特徴」の中には、 「敬語の存在」を 指摘するもの がかなりあ った。 また、 敬語は上下関係への 配慮を基礎としたものであ り、 本社会が序列社会. ( タテ社会 ). 日. であ ることの典型的な 表れであ る、 という考え. 方も結構見られた。 そこで、 この授業では、 1952 年に国語審議会が 提出した 「これからの 敬語」という 提言の中にあ る、 「敬語の平明簡素化」のために 「. く あ なた ノ を標準的な二人称とする」という. 一 63 一. 提案の是非を 出発点として、.

(10) 「敬語は必要か. ?. 」という、 ょり広 い 論点について 考えてみることにした。. 資料としては、 国語審議会提言のエッセンスをまとめたもの、. さまざまな人. 間関係 下 における表現の 使い分けを例示したプリントを 配付した。 この授業の狙いは、 (1敬語は決して 日本語だけの 特徴ではないということに まず気づくこと、 (2信葉 はたしかに 文ィヒを体現しているが、 だからといって 、 「言語現象 = 社会現象」ではないということ、 つまり、 敬語の場合で 言えば、. 「敬語の存在Ⅰタテ 社会の存在」という 短絡的な発想をとらえ 直すこと、 の 二 点であ る。 第一点の方は、 韓国、 タイ、 ベトナム、 インド等の留学生と 話して みればすぐに 教えられる類の 基本的事実であ る。 しかし、 第二点の方は 少し論 理 構造が入り組んでおり、 受講者たちには 必ずしもうまくこちらの 狙 い ;斗云わ らなかったようだ。 実際のところ、 素材として用いた 国語審議会の 提言の論理そのものが「言語 現象の存在二社会現象の. 存在」を基本双提にしており、. それを批判するために. は、 そうした基本前提自体に 疑問符を つ きつけうるような 資料ないし教員側の 的確なコメントが ノ、要だった、 と反省している。 それにしても、 を 標準的二人称にする」という. 提案にはにわかにうなずけないが、. 「. く あ なた ノ. 「これまで. の 敬語は 、 主として上下関係に 立って発達してきたが、 これからの敬語は 、 各. 人の基本的人権 を尊重する相互尊敬の 上に立たなければならない」という 審議 会の提言からは、 「戦後民主主義」の 活気がうかがえる。 敬語のあ るべき姿に ついて一つの 基本的姿勢を 打ち出したものとしては、 いまだに評価できる 側面. があ ると思う。 最後に、 受講者の力 一ド ・コメントの 例をあ げておこう。 「敬語は日本文化の 上に立っているから、 敬語が必要かという 問題設定はお かしい」. ( 留学生から、. この意見が強く 出ていたのが 印象的だった ). 「いろいろな 形の敬語があ るのは日本語の 特徴であ り、 特にそれを簡単化す る必要はな い のではないか」. 「敬語は他の 言語にも「丁寧な 表現」という 形で見られる」 「「標準的な」という 表現は暖 昧 であ り、 どうすべきかが 見えてこない」. 一 64 一.

(11) 「. ( 先輩後輩関係などで ). のは「やり過ぎ」とも 「. た. 一つ二つの年齢差に. 過剰に反応して、. 敬語を使. う. 言える」. Korea では敬語は当たり 前、 中国の人には 難しいという 新しい発見があ っ 」. 「現在では、 敬語は単に形式的なもので、. あ. まり尊敬の意味はな い のではな. い か」. 「敬語は目上の 人への敬意を 表す大切な手段であ り、 必要だ」 「「あなた」という. を 除いて、. 表現は特殊なケース. ( 奥さんや恋人が. 相手を呼ぶ時等 ). ほとんど使わない」. 「言葉は上から「これからは、. こうしましょう」などと 指示されて変化する. ものではない」 「それにしても、 日本語の二人称はなんでこんなに 種類が多いんだ. !. 」. 「普段ほとんど 気づかないことを、 外国人と話し 合うことによって 気づかさ れるのは、 おもしろい」 「敬語は必要以上に 煩雑かもしれないが、 けっこうきれいなものなので 私は 好きだ」. 「敬語を使うにしても、 下の者が上の 者にきちんと 意見のいえる 社会であ っ てほしい」. 「敬語には、. 人を遠ざける 働きもあ るようだ」. 「異文化問コミュニケーション. 論」はⅠ週間にただ. 1. コマの授業ではあ るが、. 留学生センターが 担当する授業としてはただ 一 つ 、 日本人学生が 単位のとれる. 授業として留学生と 議論を交わせる 貴重な科目であ る。 今年度の授業経験を 生 かして、 今後もこの科目を 充実させていきたいと 念じている。. り主 ). 本論文は、 1995 年 第 2. 5 月 28. 日に学習院大学で 行われた、 「日本事情を 考える会」. 回研究発表会における 研究発表の原稿を 加筆修正したものであ る。 発表会. 一. 65. 一.

(12) の 質疑応答でさまざまな 示唆や教示を 6 けたことに、 ここで改めて 謝意を表し たい。. (1) 筆者は、. 「日本事情」という 科目は日本の 社会や文化に 関しての単なる 通. りいっぺんの. 紹介に終わるのではなく、. 位置づけるべきであ る、. 留学生に対する「教養教育」として. という主張をもっている。. これまでの「日本事情」. 論 を総ざらいしっ つ 、 この見解を別 稿で 論じるつもりであ る。. 目を担当することにな. (2) ,96 年度からは、 環境科学研究センターも「環境概論」という 教養教育科 り. 「. の形式を整えたことになる。. (3) 留学生だけの 交流の場であ っても、 留学生自身にとってはさまざまな 目の 人々. とふねめ う「国際交流」の 場であ ることは事実だ。 現に、. 半年の予備教育期間における 最大の収穫の. 「世界中の人々とのふれあ. (4) 例えば、 m. あ る留学生は. 一つとして、 留学生会館における. い 」をあ げていた。. ロ 大学ではすでに. 1987年からそうした 試みを行ってきた. (佐 々. 瑞枝「日本事情の 授業」『言語』大修館、 1990年 10月号参照 ) 。 他に. も. 群馬大学、 山形大学、 岩手大学、 信州大学での 授業実践を確認している。. 木. (5) ここで、 今回、 筆者が「異文化間コミュニケーション 論」を担当するにあ たって参考にした. 主な文献を紹介しておこう。. この領域は日本ではまだ 若い. 領域であ り、 この領域固有の 好著はあ まり多くは管見に 入ってこなかった。. 1) 古田 暁 監修Ⅰ異文. ィヒ. コミュニケーション・キーワード』. 2) 古田 暁 監修了異文化コミュニケーション J. 3). ( 有 斐閣 ). ( 有 斐閣 ). 佐野・水落・ 鈴木丁異文化理解のストラテジー」. U 大修館 ). 4) 本名信行佃編著『異文化理解とコミュニケーション. 1. 2 Ⅱ. ( 三彦社 ). 5) 大橋敏子 他著 『覚国人留学生とのコミュニケーション・ハンドブック ( アルク ). 6) 多田洋子『覚国人留学生の 7) 長谷川勝 行. 『力 んチ. 力. んチ ヤー・ショック』. ヤー・ショック 最前線』. 一 66 一. (. ( 南雲堂 ). コスモの 本 ). ].

(13) 8). 島田裕巳 編 『異文化とコミュニケーション』. 9) エドワード・ホールⅠかくれた 次元 J 10) エドワード, W. Ⅱ ) 西川長夫. 12). . サイード. [ 国境の越え方. J. 下. (. 日本評論社 ). ( み すず書房 ). オリエンタリズム J. 0 平凡社 ). ( 筑摩書房 ). 大野晋・宮本常一也 著 「東日本と西日本 ]. 出版部 ). 一 67 一. (. 日本エディタースクール.

(14)

参照

関連したドキュメント

工学部の川西琢也助教授が「米 国におけるファカルティディベ ロップメントと遠隔地 学習の実 態」について,また医学系研究科

などに名を残す数学者であるが、「ガロア理論 (Galois theory)」の教科書を

Photo Library キャンパスの夏 ひと 人 ひと 私たちの先生 神学部  榎本てる子ゼミ SKY SEMINAR 人間福祉学部教授 今井小の実

の原文は“ Intellectual and religious ”となっており、キリスト教に基づく 高邁な全人教育の理想が読みとれます。.

一貫教育ならではの ビッグブラ ザーシステム 。大学生が学生 コーチとして高等部や中学部の

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を

C :はい。榎本先生、てるちゃんって実践神学を教えていたんだけど、授