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倉石武四郎氏の中国古典教育論について

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(1)Title. 倉石武四郎氏の中国古典教育論について. Author(s). 吉原, 英夫. Citation. 札幌国語研究, 3: 77-87. Issue Date. 1998. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2615. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) 書. 本稿は漢文教育史研究の一環として、倉石武四郎氏の戦前と. ないように思われる。. 倉石武四郎氏の中国古典教育論について. はじめに. りに大きかったためであろうか、倉石氏といえば、中国古典の. で中国古典を音読することを主張した。そのインパクトがあま. ﹃支那語数育の理論と実際L ︵岩波書店︶を刊行し、現代中国語. ついては、r中国語五〇年L. 和五六年六月︶によって知ることができる。また、その経歴に. 四郎著作集第二巻漢字・日本語・中国語bくろしお出版、昭. なお、倉石氏の著作は﹁倉石武四郎博士論書目録﹂︵﹃倉石武. 戦後の中国古典教育論を取りあげて考察を加える。. 音読ということだけが取りあげられる傾向がある。しかし、倉. 中学院礪r中国へかける梼L︵亜紀章屏、昭和五二年四月︶によっ. 倉石武四郎氏︵一人九七∼一九七五︶は、昭和〓ハ年三月に. 石氏は中国古典教育について、現代中国語による音読だけを主. てうかがうことができる。. ︵岩波書店、昭和四大年一月︶と日. 張したわけではない。その主張は、学校教育における位置付け や具体的な教材の捷示を含んだものであり、そうした点におい て、たとえば最近の﹁r漠文﹄を中国語で読んでみよう!﹂︵rし. まずは、昭和戦前期の中学校における英文教育が、制度上で. はどのようにかつていたかを、増淵聖晶r国語教育史資料第. にかL一九九七年五月︶などという文章とは質を異にする。また、. 倉石氏は、中国古典教育について、戦後は戦前の主張とかなれ. 五巻. ︵東京法令、昭和五大年︶によって見てお. 異なった発言をしているが、その中国古典教育については、﹃支. きたい。. ﹁中学校教授要目改正﹂︵昭和大卒二月七日文部省訓令︶の﹁国. 数育課程史﹄. 那語教育の理論と実際一によって論じられるのがふつうであっ て、私の知る限りでは、戦後の発音が取りあげられたことは、. ー77−.

(3) 語藻文﹂に、﹁漢文帝読ハ読方及解釈、暗諦ヲ課シ其ノ材料ハ. 典では、韓愈、蘇拭、柳宗元の文章が多い。. こ徳敦二関係深キ漢籍中ヨリ之ヲ選プペシ﹂とあり、﹁漢文講読﹂. 現在の教科書がほほ中国古典の教材から構成されているのとは. 中国古典の学習に進んでいくという構成になっている。この点、. 土の教科書は、﹃日本外史﹄などの日本漢文から学習をはじめ、. の毎週教授時数は、第二学年二時間、第三学年三時間、第四学. 大きく異なっている。. 国語講読ノ場合二準ズ而シテ邦人ノ著作こ係ルモノヲ主トシ更. 年二時間、第五学年二時間と規定されている。. ﹁時文﹂については、六角恒廣∃支那鑑ピと時文﹂︵﹃近代. 日本の中国語教育L不二出版、昭和五九年一〇月︶を参照され. ﹁中学校教授要目中改正﹂︵昭和〓一年三月二七日文部省訓令︶. では、授業時数は第二学年から第五学年まで各二時間となって. 二. 倉石武四郎氏は﹃支那語数育の理論と実際﹄. 和〓ハ年三月︶において、漢文の分解を説く。. 中学校の藻文が、支那の書籍を読ますことを目的とする. 倉石氏は、﹁外国語教育の鉄則﹂から語り始める。. ︵岩波書店、昭. ﹁公文﹂﹁風俗人情記載﹂﹁広告﹂﹁白話文﹂﹁其他﹂となっている。. 三月二五日文部省検定済︶の日次を示すと、﹁新開雑報﹂﹁尺頒﹂. ︵目黒書店、昭和一五年. たいが、諸梼級次編﹃中等時文読本h ︵昭和一四年二月九日文部. いる。 さらに﹁中学校教授要日中改正﹂. 省訓令︶でば、﹁高学年こ在リテハ成ルベタ現代支那ノ理解二資 スベキ適正ナル時文ヲ加フペシ﹂と﹁時文﹂を加えることが規 定された。 次に、当時使用された藻文教科育として、簡野道明編﹃新修 漢文改制版L仝四巻︵明治書院、昭和六年一一月七日文部省検 定済︶を見ておきたい。この教科書は﹁中学校教授要目改正﹂︵昭 和六年二月七日文部省訓令︶に対応したものである。. 金玉二課のうち、日本漢文は〓ニ課と減少し、中国古典が増加. 国古典のなかでは、﹃十八史略﹄が一六課と最も多い。巻三は、. 課と、日本漢文と中国古典とがほほ同じ割合になっている。中. 巻二は、全五九課のうち、日本藻文が二大課、中国古典がl二二. そのなかでは、頼山陽¶日本外史hが〓ニ課と最も多くを占める。. この方法は、外国語教育の鉄則であるばかりでなく、いか. 那のことを学ぶのにも、勿論その方法である。して見れば、. 育から始めて、次第に古い書物に潮ってゆく、支那人が支. り、支那のことを研究する外国人は、すべて、現代語の教. の鉄則に依らなければならないわけである。前にも云ふ通. 分にその効果をあげようとするならば、当然、外国語教育. ものならば、これは、明かに、外国語の教育であって、充. する。中国古典では、﹃十八史略Lと﹁論菰ピが目立っている。. なる国語の教育にも、文化の研究にも、適用し待る方法で. 巻一は、仝五〇課のほとんどが日本漢文より構成されている。. 巻四は、日本漠文は徳川斉昭r弘道館記﹄だけとなり、中国古. −78−.

(4) あり、これより以外の方法が許されないものでもある。 倉石氏は、﹁中学校の藻文が、支那の春希を読ますことを目. 目的が明確でなく、訓読という方法も﹁奇怪な方法﹂というこ とになるのであった。. りして進められているのだが、倉石氏は﹁外国語の教育﹂とい. か否かが実は開港なのであって、倉石氏の議論は、結論を先取. であると断定する。しかし、藻文を﹁外国語の教育﹂と考える. かひをするかは別として、徳川時代までに、時勢の必要に. に包括してしまうか、国語漢文としてやや特殊な取りあつ. 分解きれなければならない。すなわち、その一つは、国語. 中学校の漢文は、上に述べた理由により、当然、二つに. それならば、中学校の漢文をどのように改めるべきか。. う観点を前面に押し出し、その観点から中学校の漠文教育の問. よつて作られた藻文を取りだして、国語との密凄な連絡の. 的とする﹂ということから﹁中学校の漢文﹂は﹁外国語の教育﹂. 題点を指摘する。. とは必定であり、ことに、その教授方式が国語に即してゐ. は一兎をも得ないといふ喩の様に、どつちつかずに終るこ. まで呑みこませようとするのは、いはば、二兎を追ふもの. せて、支那の昔の文化を覚らせるのみか、現代支那の事情. 国語の一種を教授しながら、一面には、支那の青年を読ま. 簡易な現代文を授け、二年三年に進んで、発音も十分熟練. 支那語科としては、一年級に、支那語の発音語法会話から. 漠文における支那人の文章の教材排列とほぼ同様になる。. 文や歴史は、三年以上にいたつて逐次に加へ、つまり今の. いきなり古い文章を教へられる道理もなく、支那の古い詩. 語として、支那語科に編入する、勿論、外国語のことゆゑ、. もとに、その読法を教授する。その一つは、純然たる外国. る結果、支那の音譜文章としての被害は国語の一種として. し、現代の語法も確実につかむ様になつてから、おもむろ. 中学校の浜文教育が、一面には、国語漢文として、古い. の場合よりもー層甚しく、これこそ敦命的であると云へる。. 新しいところから、難しいところ遠いところ古いところへ. に支那の文語体の教材を採用して、易いところ近いところ. る筈のない.のはもとより、将来、正式にその外国語を学ぷ. 進ませる。さいはひ、漢文科では、この課程を日本人の藻. 外国語の教育に、こんな奇怪な方法で、効果が奏せられ 希望も起らず、たとへ正式に学ぶ時があつても、先入が主. 文によつて補充してあるので、この補充兵をやめて、その. 語︵国語藻文︶﹂と現代中国語を学んでから中国古典を学ぷ﹁支. 倉石氏は、中学校の漠文を、訓読によって日本漢文を学ぶ﹁国. つてくる。. 代り現役の支那語をもつて来れば、立ちどころに形態が整. になつて、非常な書毒を流すものである。 中学校の漢文教材が中国古典と日本漢文とがほほ半分の割合 になっていたこと、その他に﹁時文﹂があったことにはすでに ふれた。そしてこれらはすべて訓読という方法によって扱われ ていた。﹁外国語教育﹂という観点からすれば、教材が雑多で、. −79−.

(5) その主張は、外国語学習・研究の一般論としてはきわめて正. るやうに、支那の思想や文学の教科書がぜひ欲しいのであ. 領よくそして国語で記述されてゐて、中学生が楽しく学べ. ては十八史略を原文で読まなくても、東洋史の教科書で要. 当なものである。しかし、漢文の場合はどうか。漢文は訓読と る。. 耶 語 科 ﹂ と に分解することを主張す る 。. いう方法によって中国古典や日本漢文を読むのであって、外国. 国語︵国語漢文︶⋮⋮訓読によって日本漢文を学ぶ。. これを含めれば、倉石氏は中学校の漢文を、. に、その宿命ともいうべき特質がある。そして、日本において. 支那語科⋮⋮現代中国語を学んでから中国古典を学ぶ。. 語教育という側面を含みつつも外国語教育とは言えないところ は訓読という方法で中国の古典を読んできたという事実と成果. 支那文化︵支那学︶⋮⋮支那文化・支那学についての知識. 具体的な教材については、どのように考えていたか。. 三. という三つに分解することを考えていたということになる。. を学ぶ。. が存在しており、したがって現代中国語を基礎として中国古典 を学ぶということを捷案するのならば、訓読と比べてそれがい かに隠れた方法であるかを説く必要があった。ところが、倉石 氏の議論は、﹁外国語学習の鉄則﹂を説くのに急であって、そ では漢文を二つに分解すること. の 点 に つ い ての説明が明らかに不足 し て い た 。 ﹃支那語教育の理論と実際L. 思惟と社会hくろしお出版、昭和五六年三月︶において、倉石. 五−六、昭和一人年六月。﹃倉石武四郎著作集第一巻ことばと. いる﹁漢文教育の問題. 理論と実際b. う﹁国語﹂ぁるいは﹁国語漢文﹂についてほ、﹃支那語教育の. ﹁徳川時代までに、時勢の必要によつて作られた藻文﹂を扱. 氏はもうーつのことを捷案する。それは、﹁支那文化読本﹂ぁ. 明確に﹁日本漢文﹂と言っている。. を説いているが、その後、﹁湊文教育の問題︵二︶﹂ ︵﹃斯文﹄二. るいは﹁支那学教科書﹂という﹁中学生として持つべき支那文. でできた文字である、それがなぜ日本で使用されてゐるか、こ. ︵前出︶を見てみる。ここでは、. 一年には、﹁漢字入門﹂を置き、そこでは﹁漢字は元来支那. ︵二︶﹂. では、ふれていない。そこで、そのことにふれて. 化・支那学についての知識を圧搾したもの﹂を作成して指導す る と い う こ とであった。 識として必須のことを選び、それを系統的に排列し、さら. 形式にし、それができなくても﹁つとめて平易に、生徒に親し. ということを扱う。これは、できれば﹁対話体や物がたり﹂の. れまでどういふぐあひに使用されてきたか、将来はどう違ふか﹂. にできるだけ平易な国語で翻訳し、必要の場合には相当の. みやすい形﹂にして提供する。. 支那の今古の文学なり思想なりの中から、国民一般の常. 解患や注釈を加へる。ちやうど昔のl一十四史や資治通鑑さ. −80−.

(6) 二年には、﹁漢文入門﹂を置き、﹁漢文の形式すなはち漢字の 組みあはせかたを敦へるとともに、それが国語とどう車ふ関係 に立ち、どこが遵ふかといふことを親切に教授する﹂。形とし ては、原文、訓読、現代語訳を併記したものが想定されている。 三年と四年の﹁漠文読本﹂については、﹁日本書紀をその頂 点と仰いで、その大切で、また比較的に読みやすい部分を拾ひ あげて四年用の藻文読本を作って見ることができる﹂とか、﹁か うして書紀を頂点とした国史の教材のほかに、これを横に彩る ものとして、かの愛国の心を歌ひあげた漢詩がその間に点綴さ れて好いと息ふ﹂と言う。 あまり具体的ではないが、これは国語で扱うべきものであっ て、倉石氏自身が作成しようとは考えていなかったことによろ. ヽつ○ 倉石氏が本格的に取り組んだのは﹁支那語科﹂であり、﹁支 那語科﹂の教科書として、r倉石中等支那語L全五巻︵弘文堂、 昭和一四年七月∼昭和一大年三月︶を作成した。巻一と巻二に は﹃教授資料し ︵弘文堂、昭和一四年七月・昭和一五年七月︶が. ある。 この教科書は、巻一から巻三まではほぼ現代中国語の教材で 構成されており、巻四から中国古典の教材がぐつと増加する。 なお、本文の右側には往昔符号が付されている。注はまったく. ない。 ﹃倉石中等支那語L の巻四と巻五の日次を掲げておく。. 十八史略. 巴金. 唐宋七絶四首 海上的日出 孔子 孔子絶糧 論語抄. 先従晩始. 陳子昂. 李白. 妹心. 十八史略. 劉半農 周敦瞑. 越中懐古. 事自. 臥新嘗勝. 漁夫. 江上丈人. 毛遂自薦. 孟嘗君好客. 愛蓮説. 無柳. 天象四詠. 拝望師友. 膚. 寄小読者通訊. 火牛. 蔚丘覧古. 愚公移山. 量子和楚王. 四. 蘇台覧古. 春. 朱自滑. 理膚与迷信. 玄英. 優孟. 急口令児. 寮元培. 欧陽修. 葉紹釣. 売抽翁. 農. 戦国策. 豊子悼. 魯迅. 鄭振鍔. 鵜蝉之争. 海燕. 鴨的喜劇. 挫折. 李白. 武松打虎. 絶句. 黄鶴楼. 張巡. 南密事 木蘭辞 勅牧歌. 画題. 周作人. 図画与人生. 画家. 苑伸掩. 開一多. 丘陽標記. 儒林外史. 青島. 馬二先生. ー81−.  ̄五. 巻. 九 人七 六 五 四 三 ニ. ○. _. 巻. 九 ∧七 大 五 四 三 ニ  ̄ ○ _.

(7) 孟. 師落花生. 二五 菊花. 劉鶴. 二大 地球的弟兄椚. 大明湖. 二七 秋 天 二九 壮士一去不復遭. 十八史略. 十八史略. 鶏口牛後. 三〇 申包背復楚 ≡. 陶潜. 王魯彦. 桃花源記 雪 豊子憶. ≡ Tニ=ご﹁T. 三四 飯庁生活的回憶. 読書会簡章. 応用文的形式. 妃上老人. 赤壁賦. 空城計 蘇戟. 三国演義. 郎著作集第一巻ことばと思惟と社会﹄︶と反省している。. ︵﹁読書の種子﹂﹃朝日新聞﹄昭和四四年二月一九日。﹃倉石武四. 倉石氏の戦後の中国古典教育論を見てみたい。. 四. 倉石氏の提案した方法は、中国学の専門家を養成する一つの 方法ということ以外には考えられないであろう。. 史記. 朱自清. 鴻門之会 背影 自居易. 萄子. 村居苦寒 勧学. 昭和二〇年八月一五日以後、教育改革が推し進められる。昭. 和ニー年一一月一六日には、当用漢字表・現代かなづかいが告. 示され、二二年三月三一日には、﹁教育基本法﹂﹁学校教育法﹂ が公布されて、四月一日からは新学制による小学校・中学校が 発足する。. 漢文ほ﹁新制高等学校の教科課程に関する件﹂︵昭和二二年. ている。しかし、一過二時間程度で中学生がこの教科書をこな. 国語を基礎にして中国古典を学ぷ教科書として、実によくでき. 教育勅語体制下の﹁国語・漢文﹂と併称された時代からする と、きわめて厳しい状況に置かれた。. 置付けられる。. −82−. 一孟 票. すことはとうていできない。現代中国語の修待だけでもかなり. 倉石氏は戦後、国語改革について発言し始め、当用漢字表・. 四月七日、文部省学校数育局長通達︶では、選択科目として位. 困難であるし、さらに大きな問邁は、現代中国語と語彙も語法. つものであって、これを専門にする人たちは完全に外国語. もとより支那文化の教育や研究は今日も重要な意味を持. 況下で善かれた。. 石武四郎著作集第一巻ことばと思惟と社会﹄︶は、こうした状. 倉石氏の﹁漢字のあとすさり﹂︵﹃思潮一昭和ニー年八月。﹃倉. 現代かなづかいが制定された時、国語審議会臨時委貞であった。. こまでみちびこうとして、いざおい相当の無理をおかしていた﹂. が、古典にたいする執着のあまり、きわめてみじかい時日にそ. いて、﹁現代の言語から古典までを一貫することに問題はない. 倉石氏自身もだいぶ後になってから、戦前の自分の実践につ. も大きく異なる中国古典へどのように移行していくか、という こ と に あ る。. この教科書は、中国古典に現代中国語訳を付すなど、現代中. くっ 九 ノし 七 六 五 四.

(8) 文がある程度まで読める﹂と明記されるが、必修の﹁国語︵甲︶﹂. としての教育を受けて支那語を話し支那の書物を読み破ら ができ、四十で迷わなくなり、五十で天命をさとり、六十 ねばならない。また支那とは隣りあわせの切っても切れぬ で人のことばをすなおに開き、七十になっては心の望むま まにしても皮を過ごさなくなりました。﹂︵小さい活字で挿 関係である以上、わが国民の常識として欧米語のほかに支 入されている注釈は省略した︶ 那語の一端を学ぶこともいよいよその必要を増しますます その意味が強められる。しかし外国の三千年も前の古典をと訳している。 一般国民が原典で読まねばならないという許しはない。ま 戦後の倉石氏によれば、専門家以外は中国古典をこのような た本当に教養として与えられるものならば、見なれない漢現代語訳によって学ぶということになる。 字がはてしもなく並んだ書物を見せられ、けうとくまたぎ 少し葡までは旧制の中学生に対して、現代中国語を学んで中 国古典に進むことを主張し、﹁これより以外の方法が許されな こちない読みかたをさせられる必要がどこにあろうか。一 般の西洋人が支那の書物を研究するには必ずその国の現代い﹂とまで言っていたのに、ここでは、それを﹁専門家の常道﹂ 語で翻訳したものを手にする。そしてそれで興味をおこしであると専門家に限定している。これは大きな変わりようであ て支那の研究に志したり、支那文との対訳を読みだしたりると言わなければならない。 する。⋮⋮これから考えてもわが国の普通教育では従来の 五 漢文のやりかたを完全に改めて、原典の現代語訳をテキス 昭和二六年一〇月一日に﹁中学校高等学校学習指導要領国語 トにすることが絶対必要である。 科稲︵試案︶﹂が出る。その﹁第一章 国語科の目標﹂の﹁四 ここでは、現代中国語を学んで中国古典を学習するのほ、そ 中学校高等学校の国語学習指尊の目標は何か﹂に﹁文語文や漠 れを﹁専門にする人たち﹂であって、﹁一般国民﹂は﹁けうと くまたぎこちない読みかた﹂︵=訓読︶をする必要はなく、﹁普. 先生﹁わたしは十五歳で学問に志し、三十でひとり立ち長の﹁高等学校における漢文に関する学習について﹂という﹁通. 而恵子学、三十而立、⋮⋮ヒ︵為政︶を、. との関係ははっきりしなかった。 通教育﹂では﹁原典の現代語訳をテキストにすることが絶対必 昭和二七年二月二四日に衆諌院本会議において﹁東洋精神文 要である﹂と言う。 化振興に関する決議案﹂が可決され、高校の藻文を二時間必修 倉石氏はこの発言の少し後に、¶論語b︵日光書院、昭和二四 とすることが、その主旨弁明で述べられた。 年六月︶を出している。そこでは、例えば、﹁子日、﹃我十有五 これを受けて、その年の三月三一日に文部省初等中等教育局. −83−.

(9) 目の﹁藻文﹂を﹁何単位か履修するよう指導することは望まし. が含まれることが確認されるとともに、普通課程では、選択科. 語︶に含まれるべきものであります﹂と﹁国語︵甲︶﹂には漢文. 部として、また国語能力の基礎を養うために国語︵甲︶︵必修国. 牒﹂が出され、﹁平易な漢文に関する学習は国語科の古典の一. である。. ばならぬ。さもない限り国語科からも追放されるのが落ち. 中国古典教本の形になっている。これは絶対に改編されね. かるに今のいわゆる高等漠文はまるでそこを取りちがえ、. して国語の学力にマッチさせるのがあたりまえである。し. 奨された。この﹁通牒﹂に関しては、鎌田正氏﹁高校の漢文学. 前の発言からすれば、日本漠文であろう。国語科のなかの漢文. めて簡単な文章﹂というのが何を指すのか明確ではないが、戦. ﹁国語の一部分としていわゆる漢文で善かれたもの﹂﹁きわ. 習に関する文部省の通牒とその解説﹂ ︵¶漠文教室﹄創刊号、昭. は、中国古典を扱うのではなく、やさしい日本漠文を取り扱う. いトJとであります﹂と選択科目の﹁漠文﹂を履修することが推. 和二七年五月︶が詳しく解説している。. べきであるということを主張していると考えられる。日本湊文. と明確に言わないのは、戦前の日本漢文のイメージを想起する. 倉石氏の﹁古典を今日に生かすもの﹂︵﹃教育技術㌔昭和二 七年八月。﹃倉石武四郎著作集第一巻ことばと思惟と社会﹄︶は、. ことを避けたからではないか、と考えられる。. 日本の若い人たちに理解できる程度の内容、しかもそれ. こうした動きに反対して善かれたものである。 倉石氏は、次のように述べて、国語科の中の漢文と中国古典 と を 切 り 離す。. が生きて働くような性質のものに限って、これを平易な日. こうして国語科から除かれた中国古典は、どこへ行くか。. はっきりしておかねばならぬのは国語のなかの漢文で、. ないが、語学的にやろうとすれば、文字を教えねばならず、. 化も振興できたら、それこそ一石二鳥で結構なことに相違. 文化振興とは筋が違う。もとより語学もやりながら東洋文. す﹂こととの間には﹂もちろん連関はあるが、といって直 接の間鷺でない。むしろそれは語学の問題であって、東洋. 学ぶのが主旨であって、これと﹁中国の古典を今日に生か. て日本の現代語でつまり特別の語学的訓練を必要とせずし. れらの教材は一々原典原語で教えられるはずがなく、すべ. 種の古典が現代の思想と並んで現れるわけで、もちろんこ. しぼって供給したいものである。ここにこそ世界各国の各. 理とかいった教科群を立て、古今東西の思想からエキスを. 会科の一部であるが、できることなら将来は思想史とか倫. こうした教科をどこにおくかといえば、今のところは社. 本語に翻訳して読ますべきである。⋮⋮. 文法を教えねばならぬ。とすれば当然きわめて簡単な文章. て読めるように用意されねばならぬ。中国の思想史を勉強. これは国語の一部分としていわゆる漢文で善かれたものを. から入ることになる。⋮⋮高等学校の漢文読本をやさしく. −84−.

(10) した人たちの本当の働き場所もここで永久に確保されるわ けであって、国語の中の藻文と銘うちながらも、こつそり 中国古典読本を強要するようなしわざはおそらく君子の取 らざるところであろう。 倉石氏の念頭にある中国古典は、﹁社会科の一部﹂とか﹁思 想史とか倫理とかいった教科群﹂と言うように、思想関係のも のである。これは、漢文復活を唱える人々に、﹁中国の思想史 を勉強した人たち﹂が多かったことを考慮したものであろう。 こうすると¶史記hや唐詩などはどうなるのか、よく分からな いが、高等学校の教科としては、 国語⋮国語の一部分としていわゆる漢文で善かれたもの。 したもの。. 社会科︵思想史・倫理︶⋮中国古典を平易な日本語に翻訳 ということになる。 戦前のものと比較すると、﹁支那語科⋮⋮現代中国語を学ん でから中国古典を学ぶ﹂というのが消えている。これは、現代 中国語を学んでから中国古典を学ぶというのは、実際に教授し てみて相当に困難であることに気づいたこと、戦後は漢文の授 業時間が激減し高等学校において現代中国語を教える時間の確 保が困難になったことを踏まえてのことであろう。倉石氏は昭 和二六年に倉石中国語講習会を発足させ、現代中国語の教育に 力を注ぎ始めているので、現代中国語の教育は、自分が学校数 育以外で行おうと考えていたのであろう。. 六. ﹃言語生活一昭和三七年六月号は、﹁漢文はどうなる﹂とい. ¶高等学校学習指導要領国語科編L. ︵昭和三. う特集を組み、倉石武四郎氏の﹁中国古典のよみかた﹂という 文章が掲載された。この文章は﹃倉石武四郎著作集﹄には収め られていない。 この時、漠文は. 〇年〓一月二六日文部省発行︶によって、必修の位置を確保し. ていた。国語科の必修は﹁国語︵甲︶﹂で、﹁国語︵甲︶﹂九単位. ないし一〇単位における漠文の割合は一〇分の二と明示され. た。一〇単位とした場合、漢文は二単位分の授業ということに. なる。他に選択の﹁漢文﹂があり、二単位ないし六単位と規定 されている。. ︵岩波書店︶の編集を継続していた。また、. 倉石氏自身は、昭和二大年に倉石中国語講習会を発足させて 現代中国語の教育に力を注ぐとともに、昭和三八年に刊行する ﹃岩波中国語辞典﹄. 中国の文字改革についての発言が日立つようになる。. 倉石氏は﹁中国古典のよみかた﹂において、現代中国語に習. 熟した人が戦前と比べて増加したことにふれ、﹁こうして現代. 語の訓練をうけたひとたちに、¶中国古典﹄をどうよませるか﹂. と問窺を捷起する。. ﹁中国古典﹂のなかには、ひろくいえば、文語系と口語. 系とがあって、かなり、はっきり区別されている。口語系. は、だいたい現代語にうけつがれているから、その門には. −85−.

(11) どのもつ漢字の知識が、もかしとは比較にならないほど減. 保存における困難の第二は、いわゆる訓読に採用された. いるのはやさしいが、文語系のばあいは、かなりの差があっ 練をうける学生にとって、いちばんの難関は、いざ文語系. 日本語の語彙や語法が、その当時からして、相当無理であ. 少したことである。⋮⋮. にふみこむときであるという。それは、どの外国人にとっ. り、結局は、中国語のおきかえにすぎなかった。それが、. て、これは、たとえば、アメリカの大学でも、こうした訓. てもおなじであり、本国人にとっても、程度の差にすぎな. いまの高校生にとって、きわめて、みみなれないものになっ. もちろん、それを日本語による翻訳としでみたとき、た. を述べるが、. このように、訓読を﹁保存﹂するのが困難になってきたこと. たことである。. い と お もう。 われわれがめざしているのは、日本という特殊な環境を はなれて、世界の学者に共通した目標にむかっていくこと である。といえば、訓読は全然無用になるかということに なりそうであるが、これは、ひとつの翻訳であり、特に文. しかに妥当であり、また巧妙であるものもおおい。⋮⋮. もともと旧訳にも、すてがたいリズムがあり、それに対. 語系のむずかしいものをよむとき、かつて訓読されたもの を参照するという点で、やはり、欧米の学者にはできない. する郷愁が、たましいのおくにのこることも、当然である。. と、ここでもまた評価している。ただし、それに続けて、﹁し. 特権をもっているといえよう。ただ、その特権におばれて、 欧米の学者ならだれでもで卓る音読ができない、といった. 学校の教科書では、入学試験などという、人為的な制約. かし、それだけでは、これがいつまでつづくものか﹂と言うこ. ここでは、現代中国語を学んでから中国古典を学ぶことの姓. のため、いまでも、原文をあげ訓読をくわえてある。⋮⋮. ことのないようにする、これが、これからの専門家の常道. しさを認め、前稿と同じくそれを﹁専門家の常道﹂と位置付ける。. しかし、そのような制約のない一般の出版物では、原文は. とも忘れない。そして、最後に、. さらに、﹁奇怪な方法﹂と言っていた訓読について、﹁ひとつの. もちろん、旧訳さえ、すがたをかくし、新訳一点ばりになっ. で あ ろ う。. 翻訳﹂と認め、それを利用できるのは日本の学者の﹁特権﹂で. ︵平凡社︶. てしまった。. れこそ﹃中国古典﹄. の明日を予報するバロメーターだと、わた. にふれ、﹁出版としては、やはり相当な成墳をあげている。こ. と言い、ほぼ現代語訳よりなる﹃中国古典文学全集﹄. あるという。 そして一般の人に話を転じ、訓読によって中国古典を読むこ とを﹁保存﹂するのが困難になった理由をあげる。 その保存における困難のひとつは、たとえば、高校生な. −86−.

(12) くしはかんがえる﹂と結ぶ。すなわち現代語訳によって中国古. 戦後、倉石氏は、状況の変化や教授経験をふまえてのことで. 好になった中国古典は、現代語訳で学ぶということになったわ. し、現代中国語の教育にカを注いだ。そこで、取り残された格. が困難であることに気づき、戦後はそれを専門家の方法と限定. でから中国古典を学ぶことを主張したが、それを実行すること. 倉石氏は、戦前は、旧制の中学生に対して現代中国語を学ん. の相互不可欠性を説く松浦友久氏の﹁1訓読古典学︼と遥日読. 音読の併用ということになり、﹁訓読古典学﹂と﹁音読古典学﹂. に否定はしていない。それならば、専門家レベルでは、訓読と. きる専門家が訓読を利用することを認めており、訓読を全面的. で学ぶということを説くようになる。また、中国古典を音読で. を専門家に限定するとともに、非専門家は中国古典を現代語訳. あろうが、現代中国語を学んでから中国古典を学ぶということ. けである。訓読について評価しているのは、訓読は、﹁いつま. 古典学L−その意義と相補性について﹂︵﹃新しい漢文教育︼二. 典を読むという結論である。. でつづくものか﹂というように、ほおっておいてもいずれ消滅. 五号、平成九年一一月︶とも方法上において接点を持つことに. 明確な方法とその教材を示した。これは倉石氏の大きな功#で. 代中国語を学んでから中国古典を学ぶという、中国古典学習の. 論じるのではなく、戦後の考えの変化も視野に入れ、かつ、︻支. 教育論については、﹁支那語数育の理論と実際Lだけによって. 倉石氏の中国古典教育論を検討してきたが、その中国古典. なる。. する、それなら無用な摩擦は避けよう、と考えたのであろう。 七. ある。しかし、﹁これより以外の方法が許されない﹂というよ. 那語教育の理論と実際L刊行直後に、竹内好氏が﹁時世を利用. おわりに. うに、その方法を唯一の方法として、中学校の漠文を分解して. してゐるので、そこに倉石さんの聡明さがある﹂︵﹁支那学の世. 倉石武四郎氏は、﹁支那語教育の理論と実際ゝにおいて、現. 実施しょうとしたところに問題があった。. 界﹂1中国文学﹄七三号、昭和一大年六月。r竹内好全集第一四 巻. この点、書川幸次郎氏が、訓読には﹁種種の不都合﹂がある としてそれを具体的に指摘しながらも、﹁訓読法は速成法とし. の﹁聡明さ﹂をも考慮して受け取る必要があろう。. 戦前戦中集﹂筑摩書房、昭和五大年一二月︶と許した、そ. ては、誠に便利な方法であった。また将来も、おそらくあるで あろう。﹂︵﹁支那語の不幸﹂、1支那学の問題﹄昭和一九年一〇月、. 筑摩書房。三日川幸次郎全集第一七巻﹄筑摩書房、昭和四四年 三月︶と柔軟な姿勢を示しているのとは対照的である。. −87−.

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参照

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