太
平洋
戦
争 を
め
ぐ
る
歴
史
認
識
と
日
豪
関
係
戦
争
を
め
ぐ
る
記
憶
の
継 承
教材
にみ る
太平洋
戦
争
の歴
史
と
今
日的含
意
飯笹 佐代
子*1
オ
ー
ス トラ リア の「
歴 史」
教育
を め ぐ る背
景 と 文 脈近 年の オ
ー
ス トラ リアに おい て、
学会
や ミュー
ジアム、
新 聞等の メ デ ィア で 「歴 史戦 争 (hiStory
wars )」11 と称さ れる論 争 が 繰 り広 げら れ る中、
学 校の教 室 も また、
「歴 史戦争 」の一
つ の 「戦 線CbattLefront
)」となっ て い る121。 学 校 教 育におい て 「われ わ れの歴 史」はい か に教 えら れ るべ き か一
この 問い を め ぐ る 論争
が多
くの熱い 注目 を喚 起 するの は、
授 業で 教 え ら れ る 歴史が、
集 合 的な 記憶
と して の「
国 民の物 語 」の構 築に大 き な影 響 を持つ こ とによ る。 そして何より子どもは、
集 合 的 な記 憶 を 将 来に継 承 してい く存 在と して、未
来 の シン ボル で も ある。 歴 史教 育の あ り方が、 盛んに 「過 去の 未来
(
thefuture
Qf thepast
)」というレ ト リッ ク で 論じ ら れる ゆえん である。
オ
ー
ス ト ラ リアで「
歴 史戦 争 」が本 格 化したの は1996
年の ハ ワー
ド政権 登 場以降で あ り、
最 大 の 争 点を な してい る の が、
先住民 問 題 をめ ぐ る も の である.
) 学 校の歴 史教 育に 関 し ても、
い わ ゆ る 「喪 章 史 観 」へ の 反発が 顕在 化してい る。
た と え ば、
歴 史科目の シ ラバ ス に おい て、
オー
ス トラリ ア大陸へ の白
人の入植を説 明 する表 現として 「侵 略 (invasion
)」では な く 「定 住 (settlement )」 に書 き換えるべ きである、
とい っ た 議 論が注目を 集 めて き た。
ま た、
ポス トモ ダニ ズム や多
文 化主 義が 歴 史教 育へ 行 き過 ぎた影 響を 与 え た と して懸 念し、
「マ イノ リ テ ィ偏 重の分 断 さ れ た 歴史」 か ら、
マ ジ ョ リテ ィ中 心の 「グラン ド・
ヒ ス トリー
」を 取 り戻 し、
教 えら れ るべ きとの主張 も繰 り *総 合 研 究 開 発 機構 返さ れ てい る。 ハ ワー
ド首 相 自身 もこうし た考 え を 強 く持っ て お り、
2006
年の オー
ス トラリア・
デ イのス ピー
チ で は、
現在
の歴史
教育
を 「あら ゆ る客観的
な 歴史
的業績
が疑
問視
さ れるか否 定 され る相 対主義のポス トモダン的 文 化に屈 服 して しま っ た…
」 とし て批判 し てい る[3)。とこ ろ で
、
上 述の 「侵略
」か 「定
住 」か、
とい う表 現の問 題は、一
見、
日本の教 科 書 論 争と酷 似 して い る。
し か し、
こ こ で留
意 し て お か なければ な ら ない のは、
日豪における教 育 制 度の本 質 的 な 違い につ い て である。 オー
ス トラ リ アで は、
教 科 書 検 定 制 度は存 在せず、
日本の よ うに全国一
律に 拘 束 力 を持っ て適用 さ れ る指導
要領
もない 。 教 科 書は、
民 間の 出 版 社が 比較的自
由に作
成、
刊 行 し てい る。 教 育 行 政の州 政 府へ の分 権 化 が 進ん でい る上 に、 教 育の実 践は、
各 学 校、
さ ら に は 教 師 個 人の裁 量にか な りの 程 度 任さ れてい る。
さて、
オー
ス ト ラ リア の学校 教 育 が 「歴 史戦 争 」の 戦場 となっ てい る一
方で、
実は 教科
と して の 「歴史」
は 決 して生徒の 間で人気がある わけで は ない 。 む しろ高 校生 レベ ル では選 択 履 修 する生 徒が減っ てお り、
その こ と が多 くの 関 係 者の 懸 念 材 料となっ てい る。 州によっ て異 なる が、
小 中学 校レベ ル で は、
「社 会 環 境 科 (SOSE
)
」の よう
な 複 合 科 目の一
部 とし て教 えら れ るこ と が多
く[41、
しか も歴史
を専 門と し ない 教 師に よっ て担 当 され てい る場 合も 少 な く ない 。 こ うし た事 情を踏 まえて、
近 年、
連 邦 政 府は歴 史教 育を見 直 し、
促 進 を 図るための プロ ジェ ク ト に積 極 的に取 り組ん で きて い る15 )。
2006
年 8
月17
日に は、
キ ャ ンベ ラ で 「オー
ス トラ リ ア歴 史サ ミッ ト (
The
Australian
History
Summit
)」 が開催さ れ
、
ハ ワー
ド首 相の参 加の もと、
初 等・
中等
教 育を対 象に全国 規 模での 歴 史カ リ キュ ラム の戦 争を めぐる記 憶の継 承 戦 争の歴史を教え る た め の参考教材の表 紙 強 化に
向
けた議 論が行
わ れ た〔ti/。2
戦
争
につ い て学
ぶ こ との奨 励
この ような政 府の 「歴 史 」重視の 姿 勢と 並行 し て、
また戦 争の歴 史へ の社 会 的 な 関 心の高ま りを 背 景に、
政府
は 子 どもた ちが戦 争につ い て 「学 ぶ 」こ と を積
極的 に奨 励 し てい る。 そのた めの体 系 化された参 考 教 材の 開発 が、
退役
軍 人省など を 中 心 に進め ら れ、2000
年 代に入っ て下 記の よ う な 教師 向けの 参 考 教 材 が刊 行 され た。・Department
ofVeterans
’
Affairs
(2005
)C
旗忽 々θηClick
An2ac
右OKokoda
:fnvestigating
Azastralia
’
s
PVartime
ffistory
with theVVebsites
Visit
GalliPoli
andAustralia
’
s 陥 ア1939
−
1945
.
(執 筆は
NSW
州 教 育 委 員 会(
NSW
歴 史教 師協 会の 協力
)、
CD
ロム付 き)⇒表 紙は 写真 左・Department
ofVeterans
’
Affairs
(2004
)Working
theWeb
:fnvestigating
Austratids
PVartime
舐 蜘 り《 執 筆は
Curriculum
Corporation
)
・
Departrnent
ofVeterans
’
Mairs
(2002
)
Aztstrallans
at
War
’Prima
?:ySchoolS
Education
Resource
.
(
執 筆はRobert
Lewis
とT
Gurry 、
ヴィデ オ付 き
、
全 国の初 等 学 校に無 償 配 布 )・
Department
ofVeterans
’
Aff
詛rs (2002
).Az
{stralinn6’
at 阨 κ
Secondary
Schoo
!S
Education
Resource.
(執
筆
はRobert
Lewis
とTirn
Gurry
、
ヴィデオ付き
、
全国の中等学 校に無償 配 布 )・ANZAC
Day
Cornmemoration
Committee
ofQueensland
(2001
)Home
Fron
ts atVaar
,The
Australian
ExPerience
Of
War
in
World
War
1
,
urorld
War
2
,
andthe
Vietnam
War
.
(執 筆は
Robert
Lewis
とTim
Gurry
>・
ANZAC
Day
Commemoration
Committee
ofQueensland
(2
(XX
)〕レVar
andldentity
:fnvesttgating
the
Austrarian
ExPerience
Of
War
1939
−
2000
.
(執 筆は
Robert
Lewis
とTim
Gurry
)
⇒表紙は写 真右
・
ANZAC
Day
Cornmemoration
Committee
ofQueensland
(2000
)The
ANZACE
幻)erience.
(執 筆はRobert
Lewis
とTim
Gurry
)
以下で は
、
これ らの教 材におい て太平洋
戦争な一
25一
ら び に 日本が どの よ うに描か れ
、
語ら れてい る の か、
ま た、
そ れ らが 今日、
い か なる意 味 を持っ て い るのか、
よ り端 的に 言う
な らば、
ナ シ ョナルな 物 語 りに どの ように寄 与してい るのか、
につ いて 考えてい き たい〔7)。 先 ず、 これ ら参 考 教 材の特 徴につ い て整 理して おこう。 第一
に、
退 役 軍人省やオー
ス トラ リ ア戦 争 記 念 館 等に よっ て整 理・
体 系 化さ れ たネッ ト上 の膨 大な戦 争 資料一
解 説、
手 記、
写真な どの 映 像、
地 図、
当時
の新
聞 記事
や ポス ター、絵
画 な ど を積 極 的に活 用 するこ とを前 提に (それらへ の具 体 的 なア ク セ ス方 法の ガ イ ドに も なっ てい る)、 様々 な 資 料に基づ き なが ら、
戦 争の歴 史 的 経 緯 を理 解 する こ とに加 えて、
で きる限 りヴィジ ュ アル で、
具体 的な 戦争イメー
ジ を体 得す ること に狙い が置か れてい る。 特に重視 さ れてい るの は、
個人の手 記や語 りな どによる 「体 験 談 」であ る。 た だ し、
これ らの体 験 談の選 別に おい て、
果 た して特 定の 意 図が働い てい ない と言 えるの かは 不 明 である。 少な くと も言 える の は、
個 人 的 な 過 去の 記 憶 と、
よ り大き な 歴史物 語とが曖 昧に融 合 さ れ てい ることである。第二に
、
War
and 、rdentity
とい うタ イ トル にも示 さ れてい る ように
、
二 つ の大 戦は、
オー
ス トラ リア の集 合 的 な ナショ ナル・
ア イデ ン テ ィテ ィ の 搆 築と密 接に結び付 けら れ て語ら れ てい る。1992
年、
コ コ ダ に おい て当時の キー
テ ィ ング首 相は次 の ように述べ た。 「こ こ (コ コ ダ)は オー
ス ト ラ リア・
ネイ シ ョ ン の深 遠 な 精神
が確立 さ れ た場 所だ と信 じて い るc そ れ が創ら れ たのが ガ リ ポ リ だっ た とするな ら ば、
こ の地で のわ れ わ れの祖 国 防衛におい て、
そ れ は しっ か りと確立 さ れ たのだ。∫
81 参 考 教 材の ス トー
リー
を支 えて い るのが、
まさ しく、
こうし たガ リ ポ リ でア ンザ ッ ク精 神を 生 み 出し た第一
次世界大戦 と、
攻 撃下で国 民が一
致 団 結 して困 難を乗 り越 え祖 国 防衛を果た し た第二 次 世界大戦、
とい う構 図である。 それ ゆえ も あ り、
第三 に、
戦 争その ものの 是 非 につ い て問 うこ と が棚上げさ れ てい る。参考
教材
に掲 載 されて いる個 人の体 験 談に して も、敵
を思 い や る 記 述 は あっ て も、
戦争
自体に疑問を投 げか ける視 点は希 薄である。
3
太 平 洋 戦
争
と 日本 では、
これ らの参 考 教 材に おい て、
太 平 洋 戦 争 は どの ように描か れてい るの で あ ろう
か。 その中 心を なすのは、 日本 軍に よる被 害の歴史で ある。 北か ら迫 り来る日本の脅 威に対 する不 安、
つ い に その不安が的 中し て ダー
ウィ ンや シ ドニー
湾 など 本土 が空 襲、
攻 撃にさ ら さ れ る様、
さ ら には 日本 軍の戦争捕虜
と なっ た 人々 の過酷な待遇 と体験 に つ い て 、 写 真や ポス ター
、 個 人の手 記や語 り など の 多 様 な 「エ ビデ ン ス 」を活 用・
駆 使 しなが ら学 ぶ こと が求め ら れ る。 その一
方で、
日本が なぜ参 戦 し、
南 進し たの か につ い ての 背景 や経 緯に は触れ ら れてい ない 。 日 本における原 爆 投 下の被 害につ い て も、 お よそ 無 関心で ある。 日本は、
あ くまで オー
ス トラ リア を 脅かす 存 在 と してのみ登 場してい る。 しか しなが ら、
必 ずしも現 在の 日本に対 する憎 悪 や非
難を 生 徒 に喚 起 すること が 意 図 さ れ てい る わ けで はない 。 オー
ス トラリァ人 に受 難を強い た かつ ての敵
に対し て、余
裕の あ る寛 容さ さえ示さ れて い る。 た と え ばシ ドニー
港 攻 撃につ い て、 口 豪 双 方の視 点か ら考え ることが提 案さ れ、
日本の 特 殊 潜 航 艇に乗 船 し、
自爆 死 した松 尾 大 尉の母 親 と、
彼 女が詠んだ 哀悼
の 短歌 が紹 介さ れ る。 当 時、
オー
ス ト ラ リア海軍 は敵軍 であり な が ら松尾 大 尉の遺 体を丁重に葬っ た。 その こ とに対 して、26
年
後に母 親が謝 意を表 する た め に訪 豪 し、
そ の短 歌を贈っ たの で ある。 参 考 教 材で は、
日本 軍に よ る被 害そのもの より も、
む しろ外 からの脅 威や攻 撃に対して 「祖 国 を守
る」こ との 意義、
その た め に犠牲
を惜
し ま な か っ た 「オー
ス ト ラ リア人」
の勇敢
さ と美 徳が よ り 強 調 されてい る。 さらに、 外か らの脅 威に対 して 「祖 国を守る」 とい う大 義の 疑い ようの ない 正 当 性は、
過 去 形に留 まらず、
現 在、
そ して将 来へ と 敷衍 され る。 た とえば、
日本軍に よ る ダー
ウ ィン 攻撃
で破壊
さ れ た建物
の写 真が掲載
さ れてい るの と同じ頁では、 次の よう な 質 問につ い て生徒どう しで グ ルー
プ討 論 する こ とが 求め ら れ る。・
「今日の オー
ス ト ラ リ アは危 機にある か ? 私たちは ど の よ うな危 険に
直
面 し てい るの か ?」一 26 一
戦 争 をめぐる記 憶の継 承
・
「オー
ス トラ リ アを防 衛 するた めに 、 政府に対して どの ような 備 えを期 待 する か ?」[9) そ して
、
討 論に立 ち 会 う教 師に対し ては、
「オー
ス トラ リ アが現 在 直 面 してい る種々 の 危 険につ い て質 問 を考 え、
生徒に テロ リス トの脅
威に関す る知
識や、
そ れ ら に対 抗 するために政 府 がとっ て い る行 動につ い て 問 う」こ とを促 して い るtl°1。 か つ て の 日本 軍の脅 威か ら現 代の テ ロ リス トの 脅 威 を連 想さ せ る こ とによっ て、
政府の テ ロ 対 策 ない しは対テロ 戦 争の正 当化を誘導
してい る、
と捉 え ら れ な く もない 。 こ こ で は、 かつ て の野 蛮で無 慈 悲な 日本
軍 は、
現 在の 日本 入と結びつ けら れ るの ではな く、 外 (北)
か ら 忍 び寄る得 体の 知れない種
々 の危 機を喚起する メ タ ファー
となっ てい る。4
太 平洋 戦争
という
歴史
の必 要性
こ こ で 、 太 平 洋 戦 争とい う歴
史
が、
現 代オー
ス ト ラ リ アにとっ てい か なる位 置と イン プリ ケー
シ ョ ン を持っ てい るのかにつ い て、
確 認してお く必 要が あ る だ ろう。 より端 的に問 うなら ば、
今、 な ぜ、
太平
洋 戦 争の 歴 史が 必 要とされ るのか。 そ れ は、
太平洋戦争が 「安 全 な歴 史 」として構 築 可 能だ か らでは ない か。第
一
に、
太 平洋
戦争
の歴史は、
喪 章 史観 をめ ぐ る深 刻な 「歴 史戦 争 」の争 点か ら外れ た安全圏に ある。多
くの オー
ス トラ リア 人にとっ て、
太平洋
戦 争は、
か れ らが どこまで も被 害 者として語 り、 その受
難の記 憶を共 有 するこ との で きる歴 史であ り、
加 害 者に対して寛 容 を 与え 得る優 位 な立場が 確 保さ れる領域で あ る。
あ る 意味、
被 害 者は加 害 者より も優 位に 立つ こ とが できる。 先 住 民の問 題 に おい て加 害の歴 史を突 きつ け ら れ続けて きた ア ン グロ・
ケル ト系 オー
ス トラリア人 に とっ て、
そ れは、
い わ ば「
加
害者
疲れ」か ら解 放 される領 域 である と言っ て よい 。むしろ
、
太 平 洋 戦 争は、
先住民 とも共 有可能 な 歴 史 を提 供 すること がで きる。 教 材に は優 秀な 兵 士 と し て貢 献 した先 住 民も登場 し、
同 じ敵に対し て と も に 戦っ た ことが 描か れる。 ま た、
教材 に は あ ま り登 場し ない が、
中 国系 移 民も受 難の 記憶に 参 加 する こ と が 可能である。2003
年に ニ ュー ・
サ ウス・
ウェー
ル ズ州の 首相賞
を受賞
し たThe
Bombing
ofDarwin
と題 する 日記 形 式の児童書 (戦争
を学ぶた めの有 益な書と して推 奨さ れて い る)では、 書 き手で あるアデ レー
ド出身
の アン グ ロ系の 少 年が、
引っ 越 し先の ダー
ウィ ンで 中 国系
移民 と親 しくな り、
日本 軍に よ る空 襲 時、 ともに 同じ防空壕へ 避難 する様
子 が描か れてい る。 少 年 は中 国 系 移 民か ら、
中 国本土 でい か に 日本軍 が蛮 行 を 繰 り広 げて い る の か に つ い て 聞い た り す る〔lv。多 文 化 国 家に とっ て、 国 民 統 合の問題 は常に重 要な 政
策
課題で ある。 オー
ス ト ラ リ ア で は 戦後
の大
量 移民政策
の 結 果と して、
「ブ リ テ ィ ッ シュ ネ ス」を求 心 力とする国 民 統合 が有 効 性 を持 ち 得 な くなっ てか ら久しい 。一
方、
そ れ に替わ る統 合 理 念 として提 唱さ れ た 「多 文 化主義 」は、
ア ングロ 系か らの 反発 も少なくなく、
万人に受
け入 れ ら れ て い る と は言い 難い 。藤 原 帰
一
氏 も指 摘 する ように、伝
統的 な ナショ ナル・
シ ンボルが機 能し な くと も、
出 自や宗 教や 階級 を超 えて 国民の一
体 感 を容 易に醸 成 する こ と がで きる数 少ない手
段 の一
つ が、
戦 争の記 憶の動 員で あ るum。 ガ リ ポ リ か ら生 まれ たア ン ザ ッ ク神 話は、
十 分に その 役割
を果た し て きた。
し か しガ リ ポ リ は、
ともす ると 白 人 中心の、
また、
は る か 遠い地で の 「兵士 の物 語 」で あ るux。 そ れ に対 し て、
先 住 民や中 国 系 移 民を含め、
よ り多
くの一
般 の人 々 に 回顧さ れ、
共 有 さ れ 得る歴 史と しては、
本土 防衛を余
儀 な く さ れた太 平 洋 戦 争の方が 適 し てい る か も し れ ない。
しか も、
こ の戦 争の 回顧に おい て、
ア ングロ系の主人公 としての地 位 が 揺 ら ぐこ と は ない。
こ うした点に おい て、
太 平 洋 戦 争 は、 近 年になっ て改めてその活用価 値 を 「発 見 」 されたの では ない で あろう
か。
さらに強 調 すべ きは
、
こ の戦争
の記憶
か ら、
外 か らの脅
威に さ ら さ れ た オー
ス トラ リア とい う危 機 言 説を引き 出 し、
容 易に現代に投 影 する こと が で きる、
とい う点であ る。
アイ デ ンテ ィテ ィ・
ク ラ イ シス に ゆ ら ぐ多
文化 ネイシ ョ ンの再 統 合 を 図 る物 語と して、
太平 洋 戦 争は何 重 もの 意 味で格 好 の 素 材 を提 供 し たの である。 そ して、
子 どもた ち には、
ア ンザ ッ ク神 話 と と も に、
こ の 物語 を 学 び、
継承
し てい くこ と が期 待 さ れる。一
27一
5
結
び
に代
え て本 誌で鎌田真 弓氏 が指 摘す る ように
、
オー
ス ト ラリア にお け る 太平 洋 戦 争へ の 関 心の 高 ま りは、 日本軍 が オー
ス トラ リア国民に与 えた受
難を、
日 本人 が 思い 出して記 憶 するこ と を求め続 けてい る こと を示 す もの で もあるだろ う。 その こと に私た ち が 無 関 心であっ て よい はずは ない 。 日豪
間の戦 争の記憶
にお け る非対称性
を突
きつ けら れ るの は、
と ても居 心 地の悪 い こ とであ る。 同 時に も う一
つ 、 私 自 身 が 気になっ てい ること が ある。 近 年の ボー
ト ピー
プルへ の 対 応 をは じ め、
現 代の オー
ス トラ リ ア は、
外(
北)
か らの脅 威へ の 漠 然と した不安
感へ の 過剰 反応 と も取れ る ほ ど、
内 向 きで排他 的 に なっ てい る観がある。 も し、
その不 安 感が多
か れ少 なか れ、
かつ て の 日本 軍 に よ る脅 威の記憶に由 来 して い る とするな ら ば、
そ して、
日本側の知ら ない とこ ろ で、
かつ て の 日本 軍とい うメ タフ ァー
が 現在、
そ して未 来の 脅 威 と して 子どもたちに伝 えら れ てい くの な ら ば、
居心 地の悪さ は さ ら に増 さざる を得ない。 [注]U
〕 藤 川に よ る と、
「歴 史 戦 争 」 とい う言 葉は、
1994年 に アメ リカ で、
日本へ の原爆 投下 に関わ る特別展を 中 止に追い込ん だ出 来事を 契 機 に 流布す る ようにな っ た造語で ある とい う (藤 川 隆 男 「歴 史 戦 争 を通 し てみ た オー
ス トラ リア のナシ ョ ナ ル・
ヒ ス トリー
」 「オー
ス トラリア研 究』第17号、
2005年 )。
オー
ス ト ラ リア の 「歴史戦争 」につ いて 論じ たもの として
、
Stuart
Macintyre
andAnna
Clark,
The
”istory
PVrars
,
MelbourneUniversity
Press、
2003
な ど を 参 照。
〔2〕Macintyre and Clark
,
ibid.
、
p.
172.
〔3〕
John
Howard、
Address
to the National PressClub,
Great Hall
,
ParliamentHouse,25
January
20D6.
http;〃 www
,
pm.
gov.
au /news /speeches /speechl754,
htm!
、
〔4) 〔5} 〔6} (7} (8} (9) (lo} (11} 〔12} (13}SOSE
(Study
ofSocie
匸y and Environment)は、
歴史をは じ め 地 理
、
社 会、
文化、
政 治、
経 済、
環境 等の 学 習を含み、
1990
年 代初 め に キンダー
ガー
デンか ら10
年 生 (日本の高校1
年 生 程 度 )ま での履 修 科目 と して、
い くつ かの州で導 入 された。
歴 史は年 代 順の 通 史 とい う よ り、
課 題ベー
スで の学 習 と なっ ている。
な お、
ニ ュー ・
サ ウス・
ウェー
ル ズ 州では歴 史教育 に力 を入れ て おり、
中等 教 育で はSOSE
方 式 を採用 せずに歴 史を独立科目 と し、
200 時間 (7 − IO
年 生 ) の必修を課し てい る。 連 邦 教 育 省の イニ シ アチ ブにより2000年か ら2003年まで はNational History Projectが 実 施 さ れ
、
それ を 踏 ま えて
2003
年 か ら はCommonwealth
HistoryPrQject
が進め ら れ てい る。
な お、
90
年代半ば よ り 連 邦 教 育 省に よっ て推 進 され たシティズンシ ップ教 育も、
歴史を媒 介と し た学 習を重 視して お り、
歴 史 教 育の促 進の一
環 として捉 える こと がで きる。 「オー
ス トラリア歴 史 サ ミッ ト」につ い ては、
http;〃 www,
dest,
gov.
au/sectors /school_
educationfpolicy_
initiatives−
reviews /key_
issues/australian_
history_
summit /default.
htm を参照。
当然な が ら
、
民 間 の出版 社が 刊行 する各種の教材では
、
太 平 洋 戦争の描 か れ方が、.
ヒ記で挙 げ た 教 材 と は異 なっ てい る部 分 も少なくない。
Paul
Keating,
speech atKokoda,26
April
l992、
CPD,
H,
Qf R.
,
vol ユ83,
28 April 1992,
ppユ827−
55,
Department Qf Veterans Affairs,
Operation Click±
Anzac to Kokoda
.
’
Jnvestigating Aust’
ratia’
s IVartime History with the LVebsites Visit Gallipoti and Azastratia∫
War
ig39−1945,
p.
28,
fbid
.
Alain Tucker