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津島岡大遺跡 18 ―第28次調査― (自然科学系総合研究棟新営)

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(1)

岡山大学構 内遺跡発掘調査報告

第24冊

津島岡大遺跡

18‐

― 第

28次

調査 二

自然科学系総合研究棟新営〕

20108奪

1 1t

岡山大学埋蔵文化財調査研 究 セ ンター

(2)

岡山大学構内遺跡発掘調査報告

24冊

津島岡大遺跡

18

一 第

28次

調査 ―

自然科学系総合研究棟新営〕

2008年

岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

(3)

本報告書 は、岡山大学津 島地 区において 自然科学系総合研 究棟校舎新営工事 に ともない

(

2002(平

14)年

度 に実施 した津 島岡大遺跡第28次発掘調査 の成果 をまとめた ものである。

本調査 区 において は、東西 に蛇行 す る流路 の南側 で弥生時代前期 にさかのぼる水 田遺構

が発 見 された。同時期 の水 田遺構 はす で に津 島地 区北東部 の第

3次

・第15次発掘調査地 な

どで知 られ、 また第23次 発掘調査 地

(文

化科学系 総合研 究棟

)で

は同 じく弥生 時代前期 の

潅漑水路 と水 口祭祀 のあ とが明 らか にされた ところであ る。本学津 島地 区の発掘調査 に よ

り、水稲農耕 開始期 における水 田遺構 と水利 システムのあ り方がいっそ うくわ しく解 明さ

れることを期待 したい。

また、本調査 区南側の共同溝調査 区において、明治期陸軍関係の道路遺構が検出された

ことも注 目される。石組みの側溝 を備 えた幅

7.lmの

南北道路であった。本セ ンターでは地

表にのこる明治期の門、土塁、庭 園遺構等 を随時測量 し記録 を作成 しているが、造成土中

に埋 もれた遺構・遺物の保存状態 は良好で、明治期以降における津 島地区の歴史 をた どる

うえで地下遺構の重要性があ らためて示 された。

発掘調査 の実施 と報告書刊行 にあたっては本学内外の関係部局か ら多大 なご協力 をいた

だ き、 また 自然科学分析 に関 し、専 門分野の方々か ら玉稿 を賜 った。最後 になったが、関

係各位 に厚 く御礼 申しあげる次第である。

岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

セ ンター長

(理

事 ・事務局長

)

副セ ンター長

(大

学院社会文化科学研究科教授

)

(4)

1節

近 隣の遺跡 第

2節

津 島岡大遺跡 …… … … …

1.構

内座標 の設定 … … … …

2.遺

跡 の概 要 …… … … …

2章

調査の経過 と概要

(岩崎) 第

1節

調査 にいたる経過 第

2節

調査体制 第

3節

調査 の経過 第

4節

調査 の概 要

3章

調査 の記録

(岩崎) 第

1節

調査 地点 の位置 と区割 り

2.調

査 地点の区割 り 第

2節

層序 と地形

2.地

形 の推移 第

3節

縄 文時代 の遺構 。遺物

a.土

坑 ・ ピッ ト

b.杭

4節

1. 弥生 ∼古墳 時代 の遺構 。遺物 弥生 時代 早期 。前期

a.焼

土遺構

b.水

田畦畔

a.溝

3.古

墳 時代前期

a.溝

5節

古代 。中世 の遺構 ・遺物 …… … … …

1.古

代 … … … …・ a。 溝 a◆ 溝

b.耕

作痕

7 7 7 8 9 11 11 11 11 11 11 15 15 16 17 18 19 19 19 20 20 24 24 25 25 25 28 28 28 29 第

6節

近世 ∼現代 の遺構

(5)

29 29 31 31 31 33 40 40 41 47 a。 道路状遺構 … … … ∴・… … … … 第

7節

包含層 の遺物

4章

自然科学的分析 ………

1.放

射性炭素年代測定 植物珪酸体分析 … … … …・ 花粉分析 …… … … 津 島岡大遺跡 第28次 調査 の土壌分析 について …

5章

ま とめ

挿 図

2. 3. 4. 周辺遺跡分布図…・………・………・……… 津島岡大遺跡構内座標 と各調査地点……… 調査風景……… ……… 検出遺構全体図…… ……… ………… … … ……… … 発掘調査地′点……… 調査区の区割 りと土層断面位置……・………・… 土層断面図1・………・………・……… 土層断面図2………・………… 縄文時代検出遺構全体図……… 土坑1-・………・………・ 杭 1∼5…… …… …… … … …… … … … 弥生∼古墳時代検出遺構全体図……・……… 焼土遺構……… 水田畦畔………・……… 溝1・溝2・… …… … … …… …… … …… … … … 溝

1出

土遺物1 溝1出土遺物2 溝2………… 溝3………… … … …… … … …… …… … …… … … … 溝4……… … …… … … …… … … …… 古代 。中世検 出遺構全体 図……… ……… 溝5∼7・……… …… …… ………・ 溝8・ 出土遺物・………・……… (い古環境研 究所) (い古環境研 究所) (ω古環境研 究所) (白石 純

)52

(岩崎

)53

図1 図2 図3 図 4 図5 図6 図7 図8 図9 図10 図11 図12 図13 図14 図15 図16 図17 図18 図19 図20 図21 2 4 8 9 11 11 12 13 16 17 17 18 19 19 21 22 23 24 25 25 26

目 次

図22 図23 図24 図25 D]26 D]27 図28 巨]29 ']30 図31 E]32 D]33 図34 D]35 D]36 優]37 D]38 巨]39 D]40 図41 図42 溝9∼14・・・・…… 近世∼現代検出遺構全体図……… 土坑2……… … ……… 土坑3……… ……… 土坑4・ 出土遺物…………・……… 道路状遺構……… 包含層の遺物

1:土

器1………・…・ 包含層の遺物

2:土

器2………・………・ 包含層の遺物

3:石

器l………・… 包含層の遺物

4:石

器2……… 包含層の遺物

5:石

器 3…・………・……… 包含層の遺物

6:石

器4………・……… 包含層の遺物

7:土

製品 。鉄製品………・…・……… サ ンプル採取地点………・……・……… 植物珪酸体分析結果………… … ……… 植物珪酸体顕微鏡写真……・………・……… 花粉分析結果……… ……… 津島岡大遺跡第28次調査の花粉 ・胞子・……… 蛍光X線分析結果 ……… ……… ……… 26 27 28 29 30 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 45 46 50 51 52

(6)

目 次

1

津島岡大遺跡文献一覧………・…………・……・…………

6

4

花粉分析結果………・…・……・49 表

2

検出遺構一覧……・…・………・………

10

5

蛍光X線分漱 結果 ………・………・…・…… 52 表

3

植物珪酸体分析結果…………・……… 44

図 版 目 次

図版一 土器 (溝 1・包含層) 図版二 石器 (溝 1・包含層) 図版三 石器・勾玉 (包含層)

1

本書は岡山大学埋蔵文化財調査研究センターが実施 した、総合研究棟校舎新営工事 に伴 う調査の報告書である。 調査期間:2002年 4月15日∼9月 20日、11月 28日∼2003年 1月 15日 調査面積:1,798ぷ 調査地点は岡山市津 島中3丁目1番 1号に所在す る。

2

発掘調査か ら報告書作成 までの諸作業は、岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会の指導の もとに行われた。 委員・幹事の諸氏 に御礼 申し上げる。

3

本調査 については、その概要 を『岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要2002』 に報告 しているが、細部にわたる事 実関係 は本書 をもって正式の もの とする。

4

本書掲載の図面 。写真の うち、調査時の遺構 。遺物実測 。写真撮影の担当は以下の通 りである。 忽那敬三・野崎貴博・岩崎志保・高田浩司・山本悦世 。本堂春生

5

報告書作成 にあたっての主な担当は以下の通 りである。 <遺物>土器の実浪1・ 浄写・観察表:岩崎、石器の実測・浄写・観察表 :野 崎、写真 :岩 崎 。山口雄治 <遺構>浄写:岩崎 <整理作業>井口三智子・片山純子・黒藪美代子

6

本書の執筆分担 は目次に示 した通 りである。

7

編集は梶原憲次 (センター長)。稲 田孝司 (副セ ンター長)・ 山本悦世 (調査研究室長)の指導の もと、岩峙志保が担当 した。

8

本書作成にあたって、木材樹種 同定 を能城修一氏 (農林水産省森林総合研究所)に依頼 し、有益 な教示 を得た。石器石 材の同定は鈴木茂之氏 (岡山大学理学部)による。 また土壌分析 を自石純氏 (岡山理科大学)に依頼 して実施 した。 記 して感謝する。またガイシについては日本 ガイシ株式会社・碍子博物館 より御教示 を得た。

9

本書 に掲載 した調査の記録・出土遺物等はすべて当セ ンターで保管 している。

1

本書で用いる高度地は海抜標高であ り、方位は国土座標第V座標系 (世界測地系)の座標北である。

2

土器の遺物番号は、原則 として遺構別に付 し、その他石器等は通 し番号 を付 した。石器 にはS、 木製品にはW、 土製品 にはTを付 けて区別する。

3

遺物の計測値 と観察所見 は観察表 を作成 し、実測図 と組み合わせて掲載 した。観察表の表記基準は以下の通 りである。 ①観察表中の土器胎土の表記基準 は次の通 りである。 微砂 :径0 51nlll未満、細砂 :径0.5∼ l mm未満、粗砂 :径 1∼2 11ull未満、細礫 :径2 11ull以上 ②遺物法量 は、残存部分が全周の1/2以上の個体 については実測値 を、1/2に満たない個体 については推定復元値 をカッ コをつけて表示 したし ③色調は欄 中に表記 している場合 は「内面 。外面」の順で表示 している。

4

写真図版の遺物番号は本文中の遺物番号 に一致す る。

5

本書で使用 した地形図は、建設省国土地理院発行の1/25,000地形図「岡山北部」・「岡山南部」(平成6年発行)を合成 したものである。

6

図中では鉄分 をFe、 マ ンガンをMnと表記 している。

(7)

近隣の遺跡

1章

地理 的・歴史的環境

1節

近隣の遺跡

津 島岡大遺跡 は岡山市津 島中所在 の岡山大学津 島地 区構 内に位置す る遺跡 の総称 である。本遺跡 の所在す る岡 山市津 島一帯 は、 中国地方で も最大 の平野である岡山平野の北半 を占め、主要河川の一つである旭川 の西岸 にあ たる。北側 には半 田山・ ダイ ミ山・烏 山 といった標高

150m前

後 の 山塊 が連 なってい る。 岡 山平野 は、旭 川 ・吉井川・高梁川の三大河川の沖積作用 によ り形成 された もので、縄文時代 の前期 頃に海進 の ピー クを迎 える と、海岸線 は次第 に後退 し始める。そ して河川の堆積作用 と氾濫等の繰 り返 しによ り自然堤 防 と後背湿地 とが形成 され る。本遺跡周辺 で も旭川 旧河道や大小様 々な規模 の支流 と、それ らの間に形成 された 自 然堤 防上の微高地 とが複雑 に展 開す る地形 をな していた。 この ような平野の中に形成 された微高地上 に集落が進 出 し始 めるが、 岡山平野で人類 の痕跡が認 め られるのは、今 の ところ縄文時代前期以降の ことである。前期 にさ かの ぼ る遺跡 は、半 田山丘 陵の下端 に立地す る朝寝鼻貝塚 ①であ る。以後 この平野 を舞 台 に、人 々の歴 史が現 代 まで連綿 と展 開 してい く。 ここで は、本報告 に関連す る時期 を中心 に周辺遺跡 の概要 を述べ ることとす る。 周 辺 で は縄 文時代 中期 の遺物 が百 間川沢 田遺跡 ②で認 め られてい るが、全体 として は希 薄 な状況 であ る。後 期 になる と遺跡数が増加 し、前 出の朝寝鼻貝塚 のほか、津 島岡大遺跡 で、貯蔵穴・竪穴住居 ・炉痕等の遺構 や、 土器 。石器等の遺物が まとまって検 出 されている。晩期∼弥生時代早期 にかけては津 島岡大遺跡第3・ 15次調査 地点で貯蔵穴が認 め られるが、居住域 は認め られない。 この時期の遺物 は津 島岡大遺跡 をは じめ、旭川東岸 の百 間川遺跡群 で も認 め られ る。 縄 文時代 の終 わ りに北部九州 に稲作農耕が導入 され、各地へ と伝播 してい く過程 で、瀬戸 内地域へ はかな り早 い段 階 に情報が もた らされた とみ られる。 しか し現在、確実な遺構 として縄文時代晩期 にまで遡 る例 はない。本 遺跡周辺 において出現期 の水 田遺構 は、弥生時代前期 の水 田畦畔である。それ らは弥生時代早期∼前期 にか けて 堆積 した と見 られ る黒褐色粘質土層上面で検 出 されてお り、津 島江道遺跡 ③、北方 中溝遺跡 ・北方地蔵遺跡 ω等 で確認 されている。また国指定史跡 である津 島遺跡⑤では、弥生前期前半 に微 高地上で竪穴住居 ・掘立柱建物が、 その周辺 では水 田遺構 が検 出されてい る。弥生時代前期 か ら集落の縁辺 において水 田経営が行 われていた状況が 窺 え よう。 以 降 も平野部の拡大 は続 き、農耕技術 や水利技術 の進歩 も相侯 って生産基盤が安定 した ことか ら、微 高地上 に 集落が次 々に出現、発展 してい く。前 出の津 島遺跡 ⑥ をは じめ、前期後半か ら出現す る南方遺跡0、 中期 か らは 絵 図遺跡 ③ 。上伊福 遺跡 ⑨・鹿 田遺跡 。ω、後期 には天瀬遺跡 m)と ぃ ぅように、集落遺跡の増加が認め られる。 一方、 岡山平野 の北側 の半 田山山塊 には、弥生時代 中期∼古墳時代後期 にかけて、有力 な首長系譜 をた どれる 弥生墳 丘墓、前方後 円墳、前方後方墳 等が相次いで築かれ る。す なわち都 月坂

2号

墳 丘墓 ⑫ 。

1号

前方後方墳 ⑬ 。 七 つ坑古墳群 。り、 ダイ ミ山古墳、一本松古墳群lFDl、 さ らに麓部 にはお塚(様)古 墳。のが所在 している。 またやや 東 に離 れた平 野 の 中 に神宮寺 山古墳 。つが築かれている。 これ らの墳墓 の造営 に関わった人々と、本遺跡周辺で 検 出 されてい る遺構群 とは密接 な関わ りを想定で きる。津 島遺跡 では弥生時代 中期 ∼古墳 時代初頭 にかけて も集 落域 として利用 されていた状況がわかってお り、津 島岡大遺跡 では主 に耕作域 としての利用が窺 える水 田遺構等 が検 出 されている。 次 いで古墳 時代後期 には、周辺 での造墓活動 は見 られな くなるが、津 島遺跡 では、遺跡 の推定範囲の西端 で6 世紀初頭 の製鉄 関連の遺構 ・遺物が検 出 されてお り、注 目され る。 また本遺跡 では第6・

7次

調査 地点 で水 田遺 構、 第10次 調査地点で竪穴住居址 が検 出 されてお り、概期 の集落構造 を知 る手がか りが少 しずつではあるが増加 1

(8)

-地理 的・歴 史的環境

Vイ

0 50 km 1.津 島岡大遺跡 (縄文 中期 ∼近世) 2.田益 田 中(国立 岡山病 院) 遺跡(縄文 ∼近世) 3.白壁奥 遺 跡 (古墳 後期) 〈製鉄 〉 4.津高住 宅 団地 内遺跡群 (古墳 他)(製鉄 遺 跡群 を含 む〉 5.佐良池古 墳 群 (古墳 後期) 6.揺鉢 池古墳 群 (古墳 後期) 7.奥池古墳 群 (古墳 後期) 8.ダイ ミ山古 墳 (古墳 中期?) 9.津島東3丁日1地点(弥生 ・ 古 墳) 10.宿古墳 群 (古墳 前期 ・後期) 11.片山古墳 (古墳 前期) 12.鳥山城 跡 (戦国) 13.七つ執 墳 墓 古墳 群 (弥生 ∼ 古墳) 14.都月坂墳 墓 古 墳 群 (弥生 ∼ 古 墳) 15。 半 田 山城 (戦国) 16.津島福 居 遺跡 (古墳 ∼室 町) 17.お塚(様)古墳(古墳 中期) 18.津島東遺 跡 (縄文∼室 町) 19.朝寝 鼻 貝塚 (縄文前 ∼後期) 20。 一本松 占墳 (古墳 中期) 21.不動 堂古墳 22.妙見 山城跡 (戦国) 23.鎌田遺跡 (弥生他) 24.津島新 野 遺跡 (弥生) 25.津島江 道遺跡 (縄文 ∼近世) 26.北方長 田遺跡 (弥生 ∼近世) 27.神宮寺 山古墳 (古墳 前期) 28.青陵古 墳 (古墳 前期) 29.石井廃 寺 (奈良?∼室 町) 30.津倉 古墳 (古墳 前期) 31.妙林 寺 遺 跡(弥生) 32.上伊福 西 遺跡 尾針神社 南 遺跡 (弥生 ∼平 安) 33.津島遺跡 (弥生 ∼近世) 34.北方下 沼遺跡 (弥生 ∼室 町) 35.北方横 田遺跡 (弥生 ∼室 町) 36.北方 中溝 遺跡 (弥生 ∼室 町) 37.北方地蔵遺 跡 (弥生 ∼近世) 38.北方薮ノ内遺跡(弥生 ∼ 近世) 39.北方上沼遺跡他(弥生 ∼近世) 40.上伊福 遺跡 伊福 定 国前遺 跡 (弥生 ∼室 町) 41.上伊福 遺跡 (弥生 ・古 墳) 42.絵図遺跡 (弥生 ∼平 安) 43.南方遺跡他(弥生 ∼ 近 世) 44.広瀬遺跡(弥生) 45,上伊福 (立花)遺跡 (弥生 ∼室 町) 46.47.散布 地 48.鹿田(県立 岡山病 院)遺跡 (平安 ∼鎌倉) 49.鹿田遺跡 (弥生 ∼ 近世) 50.fl山城 跡 (室町∼近世) 51.天瀬 遺跡 (弥生 ∼近 世) 52.新道遺跡 (奈良 ∼近 世) 53.二日市遺跡 (弥生 ∼ 近世) 54.竜ノロ山頂古墳群(古墳後期) 55.湯迫古墳 群 (古墳 前期) 56.備前 車塚古墳 (古墳 前期) 57.唐人塚 古墳(古墳 後期) 58.賞田廃 寺 (飛鳥 ∼室 町) 59.備前 国府 関連遺跡 60.備前 国庁跡 (奈良 ∼平安) 61.備前 国府推 定 地 (南国長) 遺跡 (弥生 ∼鎌 倉) 62.南古 市場 遺跡 (奈良 ∼平安) 63.北│1遺跡 64.ハガ(高島小)遺跡(奈良∼室 陶) 65.中井 南 三 反 田遺 跡 古墳 群 (弥生 ∼室 町) 66.原尾 島遺跡 (弥生 ∼室 町) 67.赤田西 遺跡 (弥生 ∼室 町) 68.幡多廃 寺 (飛鳥 ∼平 安) 69.70.雄町遺跡 (縄文晩期 ∼ 平安) 71.乙多見 遺跡 (弥生) 72.赤田東 遺跡 関遺 跡 (弥生 ∼ 室 町) 73.関遺跡 (弥生) 74.百間川 遺跡 群 (縄文 ∼近世) 75.百間川 原尾 島遺跡 (縄文 中期 末∼近 世) 76.百間川 沢 田遺跡 (縄文 中期 ∼ 近世) 77.百間川 兼基 遺跡 (弥生 ∼室 町) 78.百間川 今谷 遺 跡 (弥生 ∼古墳) 79.83.操山古墳 群 (古墳 後期) 80.妙禅 寺 城跡 (戦国) 81.操山219号 遺跡 (旧石器) 82.金蔵 山古墳 (古墳 中期) 84.網浜廃 寺 (飛鳥 ∼平 安) 85.操山 109号 古 墳(古墳 前期) 86.網浜茶 臼 山古墳 (古墳 前期) 87.操山 103号 (古墳 前期) 88.湊茶 臼 山古墳 (古墳 前期) 図

1

周辺遺跡分布 図 6=1/50,000。 1/2,500,000)

(9)

近隣の遺跡 してい る。 この時期、 岡山平野 で遺跡 の活発 な動 向 をた どれ るの は旭川 の東岸地域 で、百 間川遺跡群 18.原尾 島遺跡 は0・ 湯迫古墳群 ・操 山古墳群等が知 られている。 古代 において は、岡山平野 で も条里制が施行 され るが、発掘 された遺構例 は多 くはない。周辺 で は中溝 遺跡。①・ 南方釜 田遺跡 い)で 条里 関連 の遺構 の検 出が認 め られ る。 また津 島江 道遺跡 ② で は、古代 の建物 が発 見 され、御 野郡衛 に関連す る施設 との想 定が な されてい る。本遺跡 で は第3・ 6・ 7・ 9。 12・ 22次 調査地点 において、東 西南北 の方位 に合致す る水 田畦畔や東西方向の大溝 が検 出 されてい る。一方、古代 か ら中世 にかけてい くつかの 荘 園の存在 が知 られ、鹿 田遺跡② 。新 道遺跡② で は建物群 ・井戸等 の遺構 の検 出か ら、摂 関家殿 下渡領「鹿 田荘 」 比定地 とされ る。 この時期 には岡山平野の南半で も開墾が一層進 んだ こ とが窺 える。 中世 には耕 地造成 に よ り、 岡山平野北半ではそれ まで僅 かなが ら残 っていた微地形が消 え、平野一面 に水 田が 広が った もの と推定 される。本遺跡 でも水 田関連遺構 が検 出されてお り、 また旭川西岸の鹿田遺跡・二 日市遺跡 。5、 東岸 の百 間川遺跡群 。①等が該期の集落遺跡 として知 られている。近世、特 に16世紀以降は、児 島湾の干拓が進 んで急速 に陸化 した。 岡山平野の水 田化 はさらに進み、そのなかで本遺跡周辺 では御野郡一帯が岡山藩の穀倉地 帯 となっていた こ とが知 られてい る。 1907∼1908年 に御野郡御野村 。伊 島村 に旧陸軍屯営用地が造成 され、 旧陸軍 に よる造成 と、用地利用 の痕跡 は 岡山大学津 島地 区構 内に も随所 に認 め られ る。さらに近年の急速 な市街化 によって、かつての田園風景 は一変 し、 現在 に至 ってい る。

2節

津 島岡大遺跡

1.構

内 座 標 の 設 定 現在 、 岡山大学津 島地 区構 内では、世界測地系 に よる国土座標 第

V座

標系 に基 づ いて、構 内座標 を独 自に設定 してい る。 これは、 国土座標系 の座標北 に軸 をあわせ た もので、本地 区の地割 りが ほぼ東西・南北方向に合致 し てい るこ と、 また岡山市街地 に残 っている条里 の地割 りが正方位 となっている状況 に対応 した ものであ る。 この原点か ら、一辺

50mの

間隔で、東西 。南北方 向に方形 の区割 りを行 った。座標軸 の名称 は原 点 を基準 に、 東西線 に関 しては北 か ら南へ

AA∼

BGラ

イ ン、南北線 に関 しては東 か ら西へ00∼ 48ラ イ ンとす る。

50m四

方 の それぞれの グ リッ ド名 については、東西 。南北方向の軸線の名称 を組み合 わせ た北東隅の交点の名称 を用 い る。 従 って、原点 は

AA00と

な り、その他 の交点 について もAW03、 AZ 05、 …。と呼称す る。 本 セ ンターで は従 来 日本測 地系座標 に合 わせ ていたが、2002年4月 1日 に改正 された測量法 の施行 に伴 い、 2003年 度以 降 に作成す る報告書 ・概 報 に使用す る国土座標 を世界測地系へ と変更 した。変更 に際 して、構 内座 標 の原 点 につ い て は、従 来 の構 内 区割 りとの整合 性 を可 能 な限 り保 つ た め に、 そ の座 標 値 の み を世 界測 地系 に よる数値へ変換 す る こ とと した。原点 は これ まで 日本測地系 に よる座標値

(X=-144,500.0000m、

Y=一

37,000.0000m)で

あった もの を、新 た に世界測地系 による座標

(X=-144,156.4617m、 Y=-32,246.7496m)

とした。

2.遺

跡 の概 要 津島岡大遺跡は、岡山市津島中に所在する岡山大学津島地区にひろが る遺跡の総称である。2006年度 までに発 掘調査 として第29次調査 までを終了 している。遺跡の範囲は、大学敷地の西北部にあたる一部 を除 き、構 内のほ ぼ全域 にわたると推定 される。 旭川に近接する位置かつ半田山丘陵の裾部 という立地条件か ら、縄文時代 には数条の流路が入 り込んでお り、 低地部 と微高地で構成 される起伏のある地形が復元 される②。 また、周辺の植生などの環境 に関 しても分析が進

3

(10)

-地理 的 。歴 史的環境 │

― 寸

三L上 _ │ ― ― (S=1/10,000) ●lVI ※番号 は各調査次 と―致する。 図

2

津島岡大遺跡構 内座標 と各調査地点 みつつ あるい。 津 島岡大遺跡 において最 も古 い遺構 ・遺物 は、第21次 調査 で確認 された縄文時代 中期前半 頃に属す る土坑 と土 器 であ る。 それ に続 く中期後半 では、各地点 において遺物 の出土が確認 されてお り (第 3・ 15次 ・17次 。19次 ・ 27次 な ど)、 第17次 調査 では中期末 に比定 され る土坑

2基

が検 出されているが大半の地点では希薄 な状態である。 次いで、後期前葉 か ら中葉 にかけて、遺構 。遺物 の出土量 は大幅 に増加 し、集落構造 を解 明す る資料 の蓄積が 進 んでい る。本遺跡 の北東部 にあたる第3・ 15次 調査地点か ら第17・ 22次 調査地点 を経 て第6・

9次

調査地点 に 至 る東西約

300m程

度 の範 囲で は、微 高地部 に竪穴住居 。大形土坑 ・ ピ ッ ト群 ・炉・焼土遺構 ・溝、河道部 には 貯蔵穴群 が集 中す る。 出土遺物 も質量 とも他 の地点 とは際だ った状 態 を示 してお り、本遺跡 にお ける居住域 の実 態 を示 してい る。一方、居住域周辺部 には焼土遺構 を形成す る地点が点在 し(第 7・ 11∼13・ 27・

8a次

調査 な ど)、 河道部 では杭列群 の存在 (第23次 調査

)も

、その機能が注 目される。 弥生時代早期∼前期 には、「黒色土」 と呼称す る黒褐色 の土が津 島地 区に形成 されている。「黒色土」 の上面 に は、小 区画が なされた弥生時代前期 の水 田畦畔が残 され る場合が多 く、弥生時代 開始期 の農耕 の実態 を解 明す る 上 で も津 島岡大遺跡一帯 は重要 な地域 といえる。 弥生時代前期末∼中期初頭 の時期 には、それ まで遺跡 内で流路 を構成 していた河道や谷部の多 くが洪水 によっ て埋 没 しの、微 高地部 の拡大が進行す る (第3・ 15・ 5。 19次調査 な ど)。 続 く中期 の資料 は、第8。 12次調査 地点 な どで溝 が報告 されてい る。 後期初頭 に入 る と、新 たな集落形成が確 認 され る。居住域 としては、後期初頭 には遺物 を多量 に包含す る土坑 群が集 中 し、古墳 時代初頭 には井戸が形成 される第10次調査地点周辺 に想定 される。耕作 関連では後期∼古墳 時 代初頭 にかけて用水路が遺跡全域 に検 出 される (第 3・ 6・ 15・ 12・ 19・ 27次 他

)ほ

か、第12次調査 では、整備

1

│ 150点

4

(11)

-津島岡大遺跡 された後期初頭 の大溝 か ら土器・木器の多数 出土 している。水 田畦畔 は、第3・ 5。 15次 調査 で確認 される。 こ うした成果 は、弥生時代 において中核 的集落であ る津 島遺跡 の周縁 部 の様相 を解 明す る上 で も貴重 とい える。 古墳 時代 では、引 き続 き水 田経営が な され るが、集落 内では、後期 の鍛冶 の存在 が明 らか となってい る。第10 次調査 地点 において、竪穴住居 の周 囲に鍛冶 関連遺構 が検 出 され、鉄滓 ・炉壁 な ども出土 しているほか、第19次 調査地点で も鉄滓が確 認 されてお り。O、 集落 内での手工業生産 の一端 を窺 うこ とがで きる。 古代 には、条里 関連 の遺構 として、坪境 と推定 され る東西方 向の大溝 が検 出 されてい る (第 1・ 3・ 6・ 7・ 12・ 22次 調査)。 その他 に水 田畦畔が、第3・ 6・ 7・ 9。 12・ 15次調査 地点 において確 認 された。集落 に関 し ては、第

8010次

調査 地点 にその可能性 が考 え られ る。 中世後半 では、大規模 な土地造成が な され る。一定 の規模 を有す る土地造成 は、少 な くとも古代段 階 には既 に 行 われていた こ とは土層堆積状況か ら想定 され るが、 中世層か らは、少量 なが ら円筒埴輪片が い くつかの調査 地 点か ら出土 してい るこ とか ら、 同時期 の造成 が、古墳 を破壊 す るほ どの従 来 にない大規模 な ものであ った こ とが 推定 される。その結果、広域 にお よぶ地形 の平坦化が大 き く進行 した様子 を窺 うことがで きる。 また、それ に際 して、条里 関連の溝 の形状変化 や位置のずれ (第12次 調査

)あ

るい は集落の移動 (第10次調査

)な

どが認め られ るほか、耕作 関連遺構 に関 して も、比較 的小規模 な区画 を残す古代 の畦畔が消失 し、面積 が拡大 した田面 に多数 の鋤痕 を残す耕作形態へ と、大 きな変化 を示す (第6・

9次

調査 ほか)。 近世 において も、耕作地 として利用 された状況 を随所 でみることがで きる。規格 的な用水路が、東西方向では 古代 の大溝 を踏襲す る形 で認 め られ る。南北方 向の もの も第26次 調査 地点 で検 出 されてい る。 これ らの用水路 に

は要所要所に水門が設けられてお り、水利調整構造を窺い知ることができる。またこういった用水路の縁には土

坑が作 られていることが多 く、その分布は耕作地の区割 りを復元する一助 となる。

こうした状況は近代以降にも踏襲され、

1907∼1908年

に日本陸軍が駐屯地の設営のために大規模な造成を行う

まで、基本的な構造は継続されてい く。

(1)富岡直人 1998『朝寝鼻貝塚発掘調査概報』加計学園埋蔵文化財調査室発掘調査報告書2 この発掘調査 において、縄文時代前期のプラントオパールが確認 されている。 二宮治夫 1985『百間川沢田遺跡

2

百間川長谷遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告59 日本考古学協会静岡大会実行委員会編 1988「津島江道遺跡」『日本 における稲作農耕の起源 と展 開―資料集 ―』 岡田 博 1998 岡山県古代吉備文化財セ ンター『北方下沼遺跡 北方横 田遺跡 北方中溝遺跡 北方地蔵遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘 調査報告126 (5)津島遺跡調査団 1969『昭和44年度岡山県津島遺跡調査概報』 岡山県教育委員会 1970『岡山県津島遺跡調査概報』 島崎 東 ほか 1999『津島遺跡I』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告137 平井 勝 2000『津島遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告151 島崎 東ほか 2003『津島遺跡4』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告173 岡本泰典 2004『津島遺跡5』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告181 島崎 東ほか 2005『津島遺跡6』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告190 註5及び杉 山一雄 1999『津島遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告145

a

岡山市遺跡調査団 1971『南方遺跡発掘調査概報』

b

岡山市遺跡調査団 1981『南方 (国立病院)遺跡発掘調査報告』

c

岡山県教育委員会 1981『南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告40

d

内藤善史 1996『絵図・南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告110

e

岡山市教育委員会 1996「上伊福 。南方 (済生会)遺跡 (南方蓮田調査区)I・ Ⅱ」「上伊福 ・南方(済生会)遺跡 (上伊福立花調査 区) Ⅱ」『岡山市埋蔵文化財調査の概要』1994年度

f

岡山市教育委員会 1997「上伊福・南方 (済生会)遺跡 (南方蓮田調査区 Ⅱ)」「南方 (中電)遺跡」『岡山市埋蔵文化財調査の概要』 1995年度

g

澤山孝之 。平井泰男 2006『南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告196

h

下澤公明ほか 2006『南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告200 註

7d

a

岡山県教育委員会 1984「上伊福 (ノー トルダム清心女子大学構内)遺跡」『岡山県埋蔵文化財報告』14

b

中野雅美・根木 修 1986「上伊福九坪遺跡」『岡山県史 考古資料』

c

杉 山一雄 1998『伊福定国前遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告125 吉留秀敏・山本悦世 1988 岡山大学埋蔵文化財調査研究センター『鹿田遺跡I』 岡山大学構 内遺跡発掘調査報告第3冊

5

(12)

-地 理 的 ・歴 史 的環 境 小林青樹 2000「鹿田遺跡第9次調査」『岡山大学構 内遺跡調査研究年報』16 1998年度 喜田 敏・岩崎志保 2000「鹿田遺跡第9次調査追加分」『岡山大学構 内遺跡調査研究年報17』 1999年 度 (11)出宮徳尚 1986「天瀬遺跡」『岡山県史 考古資料』 (12)近藤義郎 1986「都月坂二号弥生墳丘墓」『岡山県史 考古資料』 (13)近藤義郎 1986「都月坂一号墳」同上 (14)七つ執古墳群発掘調査団 1987『七つ執古墳群』 (15)近藤義郎 1986「一本松古墳」『岡山県史 考古資料』 (16)近藤義郎 1988「岡山市津島の俗称 『おつか』 と称す る前方後円墳 についての調査の概要報告」『古代吉備』10集 (17)鎌木義昌 1986「神宮寺山古墳」『岡山県史 考古資料』 (18)宇垣匡雅 1994『百間川原尾島遺跡3』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告88 平井 勝 1995『百間川原尾島遺跡4』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告97 (19)宇垣匡雅 1999 岡山県古代吉備文化財センター『原尾島遺跡 (藤原光町3丁目地区)』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告139 (20)日 本考古学協会静岡大会実行委員会 1988「中溝遺跡」『日本における稲作農耕の起源 と展開―資料集 ―』 (21)日 本考古学協会静岡大会実行委員会 1988「南方釜田遺跡」『日本 における稲作農耕の起源 と展 開―資料集 ―』 (22)高畑知功 1988「津 島江道遺跡」『岡山県埋蔵文化財報告18』 (23)註11及 び山本悦世 1990『鹿田遺跡 Ⅱ』岡山大学構内遺跡発掘調査報告第4冊 松本武彦 1993『鹿田遺跡3』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第6冊 (24)草原孝典 2002『新道遺跡』 (25)出宮徳尚1985「岡山県二 日市遺跡」『日本考古学年報』35 (26)註19及 び岡山県教育委員会 1981『百問川長谷遺跡 当麻遺跡I』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告46 同1982『百間川当麻遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告52 同1984『百間川原尾島遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告56 岡山県古代吉備文化財センター 1989『百間川米田遺跡3』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告74 柳瀬昭彦 1996『百間川原尾島遺跡5』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告106 (27)山本悦世 2004「縄文時代後期の集落構造 とその推移」『岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要2003』 (28)山本悦世 2006「構内遺跡 における発掘調査資料の 自然科学的分析 」『岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要2004』 (29)野崎貴博 2003「岡山平野における弥生時代前期∼中期の洪水 と集落の動態」『津島岡大遺跡12』 (30)川鉄テクノリサーチ 2004「津 島岡大遺跡 (第10次・第 19次 調査)出土鉄滓類の分析」『岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要2004』 表

:

津 島岡大遺跡文献一覧 記 号 調 査 次 文 献 発 行 年 1 岡山大学津 島北地区小橋法 目黒遺跡(AW14区)の発掘調査(岡山大学構 内遺跡発掘調 査報告第1集) 岡山大学津島地区遺跡群の調査 Ⅱ(農学部構内BH13区他) 津島岡大遺跡 3(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第5冊) 岡山大学構 内遺跡調査研究年報4 津島岡大遺跡 4(岡 山大学構 内遺跡発掘調査報告第7冊) f 6・ 7 津島岡大遺跡 6(岡 山大学構 内遺跡発掘調査報告第9冊) 津島岡大遺跡 5(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第8冊) 1995 津島岡大遺跡10(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第14冊) 10。 12 津 島岡大遺跡 11(岡 山大学構 内遺跡発掘調査 報告 第16冊) 2003 津 島岡大遺跡 7(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第10冊) 1995 津島岡大遺跡 8(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第12冊) I 津島岡大遺跡 9(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第13冊) 津島岡大遺跡14(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第19冊) 岡山大学構 内遺跡調査研究年報14 17・22 津 島岡大遺跡 16(岡 山大学構 内遺跡発掘調査 報告 第21冊) 2005 岡山大学構 内遺跡調査研究年報16 19・21 津島岡大遺跡12(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第17冊) 岡山大学構内遺跡調査研究年報16 2000 23。 24。 25 津島岡大遺跡17(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第22冊) t 津島岡大遺跡15(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第20冊) 津島岡大遺跡13(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第18冊) 本 書 紀要2002

6

(13)

-調査 にいた る経過

2章

の経過 と概要

1節

にいた る経過

2002年 2月に、津 島キ ャンパ スの工学部

2号

館 東倶1駐車場 を中心 とした地点 に、 自然科学系 総合研 究棟 の建 設 計画が具体化 した。周辺 で は北 に津 島岡大遺跡 第

7次

調査 (旧工学部情報工学科棟 :現工 学部

4号

館)、 南 に同 第

5次

調査 (大学 院 自然科学研 究科棟

)が

実施 されている。第

7次

調査 では、縄文 時代後期 の炉や多数 の ビ ッ ト、 弥生時代前期 ・古墳 時代後期 の水 田畦畔等が検 出 されてい る。 また第

5次

調査 で は、縄 文時代後期 の河道 の脇 に つ くられた貯蔵穴や多 くの遺物がみつか っている。 また本地点では、1988年 度 に工学部情報工学科棟 ・生物応用 工学科棟 の新営が予定 された際 に試掘 ・確認調査 を実施 してい る①。その調査 の結果、縄文時代 の微 高地状 の地 形や「黒色 土」層 の存在 が確 認 され、 また北 に向か って谷状 に下が ってい くこ とが予想 された。 以上のように既調査の結果か らは縄文時代後期の遺構 。遺物が特徴的であ り、本地点においても、同時期の遺 構 。遺物の存在が予想 された。 そこで2002年 4月 より約 7ヶ 月の予定で、調査員

4名

が担当 し、まず校舎部分の発掘調査 を実施することとなっ た。本調査地点は、校舎新営予定地 (以下本体調査区と記す

)と

共同溝新営地点 (同共同溝調査区

)と

か らなる。 調査地点周辺の交通事情 を勘案 し、本体調査 区の調査終了後に、11月より共同溝調査区について調査員

2名

が担 当 して発掘調査 を実施することとなった。調査面積 は合計で1798ボである。

運営委 員会 委員(発掘調査年度 :2002年 度) セ ンター長(文学部教授) 文学部教授 文学部教授 大学院医歯学総合研究科教授 環境理工学部教授 委員(報告書刊行年度 :2007年 度) セ ンター長(事務局長) 稲 田孝 司 新納 泉 久野修義 村 上宅郎 名合 宏之

2節

調 査 体 制

調 査 主 体 岡 山 大 学 調 査 担 当 岡山大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター 調査研 究員 調査主任 学

長 セ ンター長 助

手 助 教 授 大 学 院 自然科 学研 究科教 授 (調査研究専門委員) 大 学 院 自然 科 学研 究科 教 授 埋蔵文化財調査研究セ ンター助教授 (調査研究室長) 施 設 部 長 大 学 院社 会 文化 科 学研 究 科 教 授

7

-河野伊一郎 稲 田 孝 司 忽那 敬 三 (4月∼9月、11月∼ 1月) 岩崎 志保 (4月∼9月) 野崎 貴博 (4月∼6月) 高 田 浩司 (7月∼9月、12月∼ 1月) 横 田 美香 (4月) 山本 悦世 (7月∼9月) 千葉喬 三 柴 田次夫 山本悦世 森 内壽一 新納 泉 梶 原 憲 次

(14)

調査の経過 と概要 副 セ ンター長 伏学院社会文化科学研究科教授

)稲

田孝司 大学 院医歯薬学総合研 究科教授

大塚愛二 大学 院 自然科学研究科教授

柴 田次夫 大学院環境学研究科教授鯛査研究専Fl委員),中 陽子 大学院社会文化科学研究科教授

久野修義 埋 蔵文化財調査研究セ ンター准教授 山本悦世 (調査研究室長) 施設企画部長 入 江 良 弘

3節

調査 の経過

本体調査 区 2002年 4月15日よ り重機 に よる表土掘 削 を開始 した。周辺 の既調査 地点 に よ り状 況が判 明 してい る近代層 ま で を重機 で除去 し、近世層 よ り下位 につ いて入力 によ り精査 しなが ら調査 を進めてい くこととした。表土掘削が 進行す るに従 って、比較的大 きな攪乱部分 の存在がわか って きた。調査 区北西部 には以前浄化槽が設置 されてい た地点 にあた り、東西約8m、 南北約

10mの

範 囲で弥生 時代 の包含 層 まで攪乱 が及 んでいた。 また調査 区北東 角 に も

5m×

5mの

範 囲で、深 さ約

3m程

度 まで攪舌Lが及 んでいた。 さ らに前述 の試掘坑 の位置が、調査 区のほ ぼ中央付近 にあたってお り、これ らの攪乱坑 の壁面 を精査 して堆積状況 を確認 しつつ、調査 を進めることとした。 発掘調査 開始 は4月24日であ る。近世層 であ る

3層

上面 の精査 か ら入 り、耕作痕 ・土坑 ・溝 を確認 した。3 層 は鉄分 。マ ンガ ンの沈着面 な どを手がか りに 3a・

3b層

に細分 され る。 これ らを順次除去 し、

5月

下旬 か ら 中世層 である4・

5層

上面での調査へ と進 んだ。 ここでは耕作痕 ・溝 と、土坑

2基

を検 出 した。 6月 半 ばにかけて中世層である

5層

の除去 に とりかか り、古代 の遺構 として

6層

上面 で溝

2条

、次 いで

7層

上 面 で溝

2条

を検 出 した。7月には弥生時代 の調査 に進 んだ。

7層

下面の状況 は調査 区の南北 で異 な り、北側 で は通常通 り

8層

以下 の土層が順 に堆積す る一方、微 高地 を呈 す る南側 で は

7層

直 下 に10層 あ るい は11層 が堆積 している状況がわかって きた。 調査 区北部では

8層

上面 で弥生時代 中期∼後期 の遺 物 を含 む大溝 の調査 を行 った。続 いて7月下旬か ら11 層上面、す なわち「黒色土」上面 において水 田畦畔の 検 出 を進めた。8月 9日には本体調査 区の南半 におい て弥生時代前期 の水 田畦畔の全景撮影 を行 った。 8月中旬か らは11層 の除去 に入 り、微高地 にあたる 調査 区南半では13層 上面 での多数の ビッ トの検 出を進 めた。120基 程度検 出 したビッ トの うち、配列 を認め ら れ る ものはなかった。 また炉址 、焼土遺構 な どの遺構 は全 く認め られず、全体 として遺構密度 は希薄な地点 であることがわか った。調査区北半では、北 に向かっ て緩やか に傾斜 してい く斜面の調査 を進めた。斜面部 分 で は遺構 は全 く認 め られなかったが、縄文後期土器 片 お よび石器 を多 く検 出 した。最終的に微高地 と斜面 部分 の土層堆積状況 を確認 し、9月20日に本体調査 区 の調査 を終 えた。 上:溝1(弥生中期)、 下:水田畦畔(弥生前期) 図

3

調 査 風 景 ―- 8 -―

(15)

調査の経過 調査 期 間中、8月 7日に御津 町教 育委員会 の依頼 に よる小 学生 の発掘調査体験 を受 け入 れたほか、8月 1・ 5。 8日の3日間にわた り岡山大学文学部博 物館 実習 の学生 の受 け入 れ を行 った。 調査 中の5月23日に、植物珪 酸体 分析 ・花粉 分析 のため、土壌 サ ンプル採取 を実施 した。 また13層 上面 で検 出 した

5基

の杭 について、 うち一本 のサ ンプルを採取 して放射性炭素年代測定 を行 うこととした。 共 同溝調査区 2002年11月28日 よ り重機 に よる表土掘削 を開始 した。 12月 2日 よ り調査 員

2名

の体 制 で発掘 調査 を開始 し た。表土掘削 中 に検 出 された現代 の道路状遺構 の調査 ののち、近世 。中世面 において は耕作痕 を調査 した。12 月下旬 か らは弥生 時代 の遺構 面 の調査 に入 り、 11層 上面 で、本体 調査 区 と同様 に弥生 時代 前期 の水 田畦畔 を検 出 した。

1月

9日 よ り縄文時代後期 の遺構面 の調査 を進めた。 ビッ ト数基 の調査 を終 え、最終的土層堆積状況 を 確 認 して、2003年 1月15日にすべ ての調査 を終了 した。 1月15日 には岡山理科大学 の 白石純氏 に よ り、土壌分析 のためのサ ンプル採取 を行 った。11層 (黒色 土

)の

成 因についての情報 を得 る とが 目的である。

4節

調査 の概要

①縄文時代後期

本体調査区の北半は北に向かって緩やかに傾斜する緩斜面をなし、南半から共同溝調査区の北半にかけては微

高地が形成 され、共 同溝調査 区南半 は、南 に向かって傾斜 を認めること が で きる。南 北 の 長 さ

30mほ

どの 微 高地上 で は ビッ ト多数 と土坑

1基

を検 出 した。微高地上での活動痕跡

_

は希薄であ り、集落の縁辺部 にあた る もの とみ られ る。遺構 が希薄であ る一方、縄文後期 の遺物 としては石 ― 器 。土器 の出土があ り、特 に石器 の 多 さが注 目され る。 ②弥生時代早期・前期

一 調査 区北半の傾斜面 と微高地 との 比高差は減少 してい くものの、基本 的な地形 は踏襲 されている。早期の 遺構 は共 同溝調査 区の焼土遺構

1基

である。11層 上面では微 高地部分 で弥生時代前期 の水 田畦畔 を検 出 した。畦畔 は

3∼

10ぷ 程 度の不定型 な小規模 区画 となっている。 ③弥生時代中期∼古墳時代

8層

上面では本体調査区の北側に東西方向に蛇行する大溝 (溝1) が掘削 される。溝

1で

は弥生時代中期の土器 を多 く出土する。調査区 北東隅では溝 1を 切 る溝 2を 検出 した。微高地上では、北東か ら南西 方向のビ ッ ト列 を伴 う溝 (溝

3)と

同 じ方向の小規模 な溝 (溝

4)

を検 出 した。いずれ も古墳時代前期 と考 え られる。古墳時代前期 ま 0 10m ― (S=1/400) 一一 ∧X-6□ 縄 文 囲 弥 生 回 古 墳 陶 古 代 □ 中世 一―AX-8圃 近世 . □ 現代 107-20 107-00

9

-図

4

検 出遺構全体 図

(16)

調査の経過 と概要 で の遺構 は、 畦 畔 ・溝 と も地形 の傾 斜 に沿 った方 向 を とって い る と言 え る。 ④古代∼中世 古代 に比定 される

7層

の堆積段階までに、微高地 と傾斜面 との比高差はほぼ解消 されている。微高地部分では 11層上 に

7層

の堆積が認め られ、耕作等 による削平 を くり返 し受けなが ら、次第に平坦 な地形へ と進んでいっ たことが窺える。古代の遺構 としては南北方向の溝

4条

を検出した。全体 として遺物の出土は少ない。耕作地 と して利用 されていた ものと考えられる。 中世段階では鋤溝 と考えられる細長い溝 を多数検出したほか、やや幅広の南北方向の溝

6条

を検出 した。これ らの溝には畝に伴 うものも含 まれる。古代∼中世の溝はいずれも南北方向であ り、少な くとも古代には、それま での 自然地形に沿った方向か ら、正方位 に乗っ取 った区画に変わったことが窺える。 ⑤近世∼現代 近世では土坑

3基

を検出した。近世層は鉄分 とマ ンガンの沈着により細分できる土層の堆積か らなっている。 全体 に平坦な地形 をなしてお り、耕作地 としての利用 されていたのであろう。 その他共同溝調査区では造成土内で近代の道路状遺構 を検出した。両脇 に石敷 きの側溝 を伴 うもので、陸軍駐 屯地の造営後、昭和20年頃まで使用 されていた道路 と考えられる。 表

2

検出遺構一覧

a.土

坑 (1)絹 川一徳 1989「 工学部校舎 (情報工学科棟・生物応用工学科棟)新営予定地」『岡山大学校内遺跡調査研究年報』6 1988年度 番 号 時 期 地 区 平面形 断面形 長 辺 規 模 (mリ短 辺 深 さ 底 面標 高 (m) 1 AW06-19 楕 円 皿 形 2 折 冊 AX06- 隅丸長方形 U字形 折 世 AX06-31 隅 丸 長 方 形 皿 形 l 4 近 世 AX07-12 楕 円 U字形

b.溝

番 号 時 期 断面形 規 模(m) 底 面標 高(m) 幅 深 さ U字形 04-10 01-06 165-17 弥 生 中 期 皿 形 28-48 1 7-18 185-2.05 弥生後期 皿 形 U字形 皿 形 古代 皿 形 古 代 皿 形 07-11 7 古代 皿 形 0.2-11 25 古 代 皿 形 -015 01-015 9 中 世 皿 形 0 2 95 中 世 皿 形 07 0 2 95 11 中 世 皿 形 0 2 95 中 世 皿 形 0 3 05 中 世 皿 形 中 世 皿 形

c.焼

土遺構 番 号 時 期 地 区 平面形 断面形 長 辺 規 模短 辺(m) 深 さ 底 面標 高 (m) AX06-44 楕 円 ―- 10 -―

(17)

1節

調査地点の位置 と区割 り

=7-次

:―

調査地点の位置 と区割 り (第9次調査 6号館(生物機 能工学科)

1.調

査 地 点 の 位 置 本 調 査 地 点 は津 島 岡大 遺跡 の北 東 部、工 学 部 の敷 地 内 に位 置 し、 工学部

2号

館 の東 隣 に位置す る(図 5)。 津 島地 区構 内 に設定 した構 内 座標 で は

AW∼

AY06∼

08区 にあた る。調査 以前 は駐 車場 と して利用 され ていた地点である。 北 側 に第

7次

調 査 地 点 (情報 工 学科棟)。 第6・

9次

調査 地点 (生 物応用工学科棟)、 そ して南 に少 し 離 れ て第

5次

調査 地 点 (大学 院 白 然科学研 究科棟

)が

位 置す る。 2。

調査 地 点 の 区割 り

調査にあたっては

50m区

画の構内座標内をさら

5m区

画の細分した区割 りを使用 している。

その区割 りに従 うと、本体調査 区は東側が

AW06-26∼

AX06-22区

、西側

AW07-26∼

AX07-22区

の 間 に拡 が り、共 同溝 調査 区 は

AX06-43・

53、

AX06-44・

54、

AX06-55。

56・ 57に位 置す る (図 6)。 調査 にあたって は、上述 のグリッドを基準 と して

AX-0ラ

イ ンで南Jヒに、 また

06-70ラ

イ ンで東西 に分割 した

1∼

4区

毎 に、遺物 の 取 り上 げ等 を行 った。その区割 りは図

6に

示 し た通 りである。

lll国

レ2]本調査地点 EE]既調査地点 ○ 試 掘 確 認調 査 地 点 AIA/-8

3章

調査 の記録

(S=1/1500) 図

5

発掘調査地点 07T20 07T00 06T80 06T60 06T40 06T20

2節

層序 と地形

1。 層 序 本体調査区では調査区の中央付近に東西南北 方向の土層観察用の土手 を設定 した。東西方 図

6

調査区の区害Jり と土層断面位置 向は

AX-0ラ

イ ンにほぼ沿った位置に、 また南北方向には

06-70ラ

イ ンに沿った位置 にあたる (図 6)。 ここ では地形の全容が把握 しやすい と考 えられる南北方向の土層断面 を示 した (図 7)。 東西方向については柱状図 ―- 11 -―

(18)

調査 の記録 ︿疑 根 ざ 士 メ 駆 ﹀ 引 興 禦 u 区 肛 雷 I K 肛 ヽ ︿駅 S ゼ 士 メ 駆 ﹀ 引 楓 全 J 螺 楓 ︱ 口 螺 楓 恣 6 ﹄ ︶ 引 楓 業 J 螺 畔 雪 I J 区 雪 6 ﹄ ︶ ﹁ 楓 禦 J 駆 畔 I J 畔 ぶ ︵S o し 引 楓 禦 J 畔 ︿疑 侵 ゼ 士 川 ぷ ﹀ 引 狐 禦 J 寧 畔 ︱ 口 螺 留 ︵引 楓 合 J K さ せ ≦ 小 ″ い .① し 引 楓 禦 J К 雪 ︵引 狐 全 u К ヽ せ ≦ ホ ′′/ ヽ ぃ の し 引 狐 禦 u 区 ︿野 ■ ︱ 罫 根 ゼ 士 測 ぶ ﹀ 引 颯 業 u К ? Σ .① し ︿野 ■ ︱ 衆 根 ゼ 士 翻 承 ﹀引 颯 牌 u 佃 К 雷 I J К 瑯 ︵ヽ Φ し ︿野 ■ ギ 士 川 添 ﹀ 引 弧 禦 J К I 口 К 雪 → Σ ^ o し ︿ぜ 世 鄭 枷 ﹀ 引 瓢 S u 区 ポ ー ロ К 楓 引 狐 禦 J 区 留 引 狐 禦 u 佃 К 曾 Σ ぃ ヽ ① し ︿ゼ 枷 ﹀ 引 賦 紫 J K Q Σ ^ の し 引 叡 禦 眠 J 螺 К 雷 T Σ ヽ Φ し 引 凱 契 J 鰹 К ︵S c Σ ご し ︿引 せ 恭 刹 ■ ﹀ 引 楓 禦 J К 雷 幽 引 颯 全 u 佃 К 罫 引 凱 禦 眠 J 螺 К 罫 引 颯 粟 辮 J 螺 К 留 ︿引 母 終 判 手 ﹀ 引 颯 業 腺 J 燿 К 6 ﹄ ︶ ﹁ 狐 合 J 寧 К 楓 罫 曾 Σ ^ の し ﹁ 凱 合 J 螺 楓 罫 ︵ヽ Φ し 幽 引 楓 S u 佃 楓 ボ T Σ .o し ︿引 せ 紫 刹 颯 ﹀ 引 凱 合 J 璽 楓 ︿引 母 蒸 ゼ 颯 ﹀ 引 楓 O J К 肛 I J К 引 昼 剌 E O N 卜 幽 聟 幽 圏 幽 o 〓 興 ρ 〓 幽 “ 目 幽 〓 興 O o H 幽 ” o H 幽 8 幽 0 四 ∞ 幽 ト 鰤 ﹂ ρ 0 画 罠 ”   Φ 幽 o 面 Я ρ Ю 価 曜 ”   Ю 幽 Ю 興 o 守 鰤 ﹂ ρ 寸 鰤 叫 “   寸 興 ヾ 幽 o ∞ 幽 ρ ∞ 幽 ” ∞ 幽 ∞ 幽 N 幽 H 51 一 図 旧 歯 幽 引   卜 図

一囲

︵〇 ∞ ヽ 一= ∽ ︶ ﹁ = = = = = = = = ■ = 旧 H = = = = J E O 剣                         〇

ハ ヽ い ④ l × < ﹂ E O N

― 出olヾIЮ II隊冨01「│■

51

(19)

-層序 と地形 (A・

B)を

示 してい る (図 7)。 また共 同溝調査 区において も南北方向 を示す土層 を提示 し、あわせ て本調査地 点 の基本 的 な堆積 土層 の説 明 を記す こ ととす る。

<1層

>

造成土 であ る。1907∼ 1908年 に実施 された旧 日本 陸軍駐屯 地造営 に伴 う造成土お よび、 岡山大学設置 以 降の造成土 であ る。現地表面 の標 高4.35∼

4.83mで

あ る。共 同溝調査 区で道路状 遺構 を確 認 した こ とか ら標 高

3.5m前

後 までが陸軍 に よる造成土 であ り、それ よ り上位 は1945年 以降の造成土 と分 け られ る。

<2層

>

近代 の耕作 土層 である。灰色 ∼青灰色砂 質土 で、鉄分・マ ンガ ンを多 く含 む。上面 の標 高 は

3.45m前

後 であ る。本調査地点では、周辺 の既調査地点の成果 を参考 として造成土お よび

2層

まで を重機 によって除去 し た。

<3層

>

近世 の耕作土層である。黄褐色砂質土 を基調 とし、鉄分 ・マ ンガ ンの沈着面が数次 に観察 される。沈着 面 と色調 に よ り

3a∼ 3c層

に細分 で きる ところ もあ る。 細分 で きる箇所 では

3a層

は淡黄 白色砂 質土層、

3b層

は明黄褐色砂質土、

3c層

は明黄灰褐色砂質土で、い ず れ も鉄分 ・マ ンガ ンを多 く含 む。

3層

上 面 の標 高 は3.15∼

3.25mで

あ る。 いず れの層 か らもご くわずか に近 世 陶器 の小 片が 出土 した。

<4層

>

中世耕作土層である。

4層

上面 の標 高 は3.1∼

3.25mで

、調査 区全体 を通 してほぼ水平 に堆積 が認 め ら れ る。灰褐色弱粘質土 を基調 とし、

4a∼

4c層

の三枚 に細分 される。

4a層

は暗灰褐色弱粘質土、下方 に鉄分 が沈着す る。中世 の須恵器甕片や土師質土器椀 の小片が 出土す る。

4b層

は明灰褐色弱粘質土で、鉄分 を多 く合 む。出土遺物 には土師質の椀小片や鍋がみ られ る。

4c層

は明灰 白色砂 質土層 で鉄分 の沈着が認め られ、マ ンガ ンは少 ない。土師質土器小片、須恵器小片が出土 している。 また本体調査 区か ら土師質の埴輪片一点の出土が認 め られた。

<5層

>

中世耕作層 と考 え られ る。暗灰色粘質土 を基調 とす る。

5層

上面 の標高 は

3.Om前

後 であ り、調査 区全 図

8

土層断面図 2

13

-調査区北壁 (06-60ライン付近) 調査区東壁 (AX-0ライン付近 )

(20)

調査の記録 体 でほぼ水平堆積 が認 め られ る。色調等 に よ り

5a・

5b層

の二枚 に細分 される。

5a層

は灰褐色 を呈す る粘質 土 で、粘性 はさほ ど強 くない。下方 に鉄分が沈着す る。須恵器杯片、土師器甕の小片が出土 している。

5b層

は 暗灰褐色弱粘質土 で、や は り下方 に鉄分 の沈着 が認 め られ る。

5層

出土遺物 には古墳 時代 ∼中世の ものが認め ら れ、その中には勾玉

1点

(共同溝調査 区

)も

含 まれ る。

<6層

>

古代 の包含層であ る。本体調査 区の全体 に堆積 が認 め られ るが、共 同溝調査 区では上層 に削平 され、堆 積 が認 め られない。灰色 を基調 とす る粘 質土 で、層厚 のあ る本体調査 区の北半 で は

6a。

6b層

の二枚 に細分 さ れ る。

6a層

は灰 白色粘質土で、粘性 は弱 い。須恵器杯 の小片、土師器杯片が出土 している。

6b層

は暗灰色粘 質土 で あ る。 いず れの層 も鉄分 ・マ ンガ ンを多 く含 む。

6層

上面 の標 高 は本体調査 区北端 で2,7m、 本体調査 区 南端付 近

(AX-1ラ

イ ン付 近

)で

2.9mを

測 る。高低 差 が大 きい ところで

20cm前

後 とやや起伏 のあ る地形 をな してい る。

<7層

>

古墳 時代前期の包含層である。黄灰色∼淡灰色 を基調 とす る砂質土層である。調査 区の全体 で堆積 が認 め られ るが、上面の標 高 は本体調査 区北端 で2.6m、

AX-1ラ

イ ン付近 で2.9m、 共 同溝調査 区南端 で

2.8mを

測 り、高低 差 が もっ とも大 きい ところで は30cmと な り、起伏 のあ る地形 を呈 してい る。 出土遺物 は弥生時代 中期 ∼古墳 時代前期 の ものが含 まれ る。

<8層

>

弥生 時代 中期 の包含 層 で あ る。暗灰 色 ∼灰色 を基 調 とす る粘 質土 で、本体 調査 区の北 半、

AX-0ラ

イ ン付 近以北 と、共 同溝調査 区で堆積 が認め られ る層 である。

AX-0∼

2ライ ン付近 では基盤 となる地形が高 い ことか ら、

8層

が堆積 していた として も古墳 時代以降の削平 によって消失 している。

8層

上面 の標 高は本体調 査 区北端 で2.5m、

AX-0ラ

イ ン付近 で2.6m、 共 同溝調査 区南端 で

2.6mを

測 る。 出土遺物 には弥生 中期 の甕小 片が見 られ る。調査 区北端 を東西方 向 に流 れ る溝1は

8層

上面で検 出 した遺構 である。

<9層

>

時期 の確 定 はで きないが弥生 時代 前期 ∼ 中期 と考 え られ る。淡灰色 ∼暗灰 白色 の粘 質土 であ る。本体 調査 区の北半、

AW-9ラ

イ ン以北 と、共 同溝調査 区の南端、

AX-7ラ

イ ン以南 のみ に堆積 が認 め られ る。9 層上面 の標 高 は調査 区北端 で2.4m、 共 同溝調査 区南端 で

2.6mで

あ る。 出土遺物 には弥生土器 の小片がわずか に 見 られ る。 <10層

>

時期 の確 定 はで きないが弥生時代前期 ∼ 中期 と考 え られ る。本体調査 区北半、

AX-0ラ

イ ン以北 と 共 同溝 調査 区に堆積 が認 め られ る。灰色粘質土 で、色調 の違 い に よ り調査 区北半 で は灰色 を呈す る

10a層

と、暗 灰色 を呈す る

10b層

とに細分 で きる。 出土遺物 には弥生土器小片のほか、突帯文土器の回縁小片 もご くわずか に み られ る。上面の標高 は調査 区北端で2.2m、

AX-0ラ

イ ン付近 で2.55m、 共 同溝調査 区南端 で

2.5mを

測 る。 <11層

>

津 島岡大遺跡 で鍵層 となる「黒色 土」 にあた る。暗褐色 ∼黒褐色 を呈す る粘質土 で、津 島地 区一帯 に その拡 が りが確認 されている。本調査地点で も調査 区の全体 で堆積 が認め られるが、地形の傾斜 に よって層厚 は 異 なってお り、本体 調査 区北 半 で最 も厚 く、厚 さ

50cmほ

どで あ る。地形 的 に高い ところにあた る

AW-9ラ

イ ン付 近 で は約

20cmの

厚 さで堆 積 が見 られ る。 さ らに南 の共 同溝 調査 区 で は11層 全体 の厚 さは30∼

40cmを

測 る。上面 の標 高 は本体調査 区北端 で2.05m、

AZ-0ラ

イ ンで は2.5m、 共 同溝 調査 区南端 で

2.5mで

あ る。本層 上 面 の比 高差 は最大 で

0.45mで

あ る。

AZ-0ラ

イ ン付 近 で は11層 の直上 に

7層

が堆積 してお り、上面 は削平 を受 けてい る。11層 は全体 に鉄分 ・マ ンガ ンを多 く含 んでお り、色調 の濃淡や鉄分 ・マ ンガ ン等 の含 みか た に よ り、部分的 に

2∼

4枚

に細分 で きる。1l a層 は黒色粘質土で、鉄分・マ ンガ ンを多 く含 んでい る。出土遺物 に は弥生前期土器の小片、突帯文土器小片 をご くわずかに含 む。本層 の上面 で水 田畦畔 を検 出 してい る。1l b層 は 淡黒色 ∼黒褐 色 粘 質土 で、1l a層 に比 して しま りが よい。 1l c層 は暗灰 色 ∼暗黒褐色 粘 質土 で、下方 にい くに つ れ、青灰色粘土 ブロ ックが 目立 って くる。1l a∼ 1l c層 の変化 は漸移 的 な ものであ り、 明確 に分 けるこ とは で きない。時期 としては弥生時代早期 ∼前期 と考 え られ る。 <12層

>

微 高地部分 で縄 文 時代 後期 の基 盤 をな してい る層 で あ る。

AW-8か

AX-7ラ

イ ン間 に堆積 が認 ―- 14 -―

(21)

層序 と地形 め られ る。淡黄褐色 ∼黄褐色 を呈す る砂 質土層 であ る。上面 の標 高 は2.0∼

2.2mを

測 る。上面 で ピ ッ ト多 数 ・ 土坑 を検 出 しているほか、上面 で縄文後期土器片等の出土が見 られる。本層の時期 は縄文時代後期 と考 え られ る。

AW-9ラ

イ ン付近では13層 へ の漸移 的な層 として

12a層

(暗褐色粘質土

)の

堆積 が認 め られ る。 <i3層

>

淡青灰 ∼暗青灰色 を呈 す る粘 質土層 で、本 調査 区で は本体 調査 区北 半 ・共 同溝 調査 区の

AX-7ラ

イ ン以南 で堆積 が認 め られ る無遺物層 である。上面 の標 高 は本体調査 区北端 で1.6m、 最 も地形 的 に低 くなる本体 調査 区 の北 西 角 で1.5m、 共 同溝調査 区で

2.lmを

測 る。上面 で は縄 文後期 土器 片少 量 が 出土 してい る。12層 と 同様、縄文時代後期 の基盤層 をな している土層 にあたる。

2.地

形 の推 移 以上に概述 した層序関係か ら、本調査地点の時期 ごとの地形の推移についてまとめてみよう。 ①縄文時代後期 縄文時代後期 までに形成 された土層は13層 と12層である。縄文時代後期の段階では本体調査区南半が微高地 をなす。最 も高い地点で標高

2.6mの

等高線が巡る。 ここか ら北、少 し北西方向に向けて緩やかに下がってい く 地形 を呈 し、最 も低い地点にあたる調査 区北西角では標高

1.3mの

等高線が巡 っている。高低差 は最大で

1.3m

を測る。北側の既調査地点である第

6次

。第

9次

調査で認め られた縄文時代後期の河道へ と続 く湿地状の地形を 呈 していた もの と考えられる。微高地 よりも南に向かっては、北か ら南へ向かってわずかに傾斜 していることが わかる。共同溝調査区の南端の標高は

1.85mと

、微高地 との高低差は

0.6m程

である。 この緩やかな傾斜面が、 第

5次

調査地点で検 出されている縄文時代後期河道へ と至 るもの と考 えられる。 ②弥生時代∼古代 弥生時代前期 までに本調査地点一帯 には11層(「黒色土」層)が形成 される。調査 区北端 と微高地部 との比高 差 は0.45cmと な り、傾斜面 は緩やかになるが基本的な地形は踏襲 されている。微高地部分 には11層上面、つ ま り弥生時代前期の畦畔が作 られている。 古墳 時代前期段 階

(7層

上面)には微 高地部 と調査 区北端 との比高差

0.3mと

なる まで、

8∼

10層の堆積 に 伴 って傾斜面が埋没す る。微高地では11層の直上に

7層

の堆積が認め られることか ら、耕作等 に伴い削平が繰 り返 されなが ら次第に平坦化 に向か うことが窺 える。古代 には

6層

上面段階での比高差0.2mと ほぼ平坦 な地形 の拡が りが認め られる。 ③中世∼近世 4・

5層

は灰褐色∼暗灰色 を主体 とする粘質土層で、ほぼ水平に堆積する。出土遺物に勾玉・埴輪 を含む古墳 時代∼中世の遺物 を含む土層で、中世段階に大 きく削平が行われていることを示唆する。中世以降、ほぼ平坦な 地形が拡が り、耕作地 として利用が続けられてい くこととなる。近世の地形 もほぼ同様であるが、中世の土層が 灰色で粘性の高い粘質土であるのに対 し、近世土層は黄褐色の砂質土である点が大 きく異なる。いずれの層 も鉄 分・マ ンガンを多 く含む耕作土 と考 えられるが、土質の違いが大 きいことか ら耕作方法の違いが予想 される。

3節

縄文時代 の遺構 ・遺物

縄文時代 の遺構 は12・ 13層上面で検 出 した土坑 ・ ピッ トである。縄文時代 の本調査地点 は、全体 に北 に向か っ て緩 やか に傾斜 してい く地形 をな してお り、

AX-1ラ

イ ン付近 に標 高2.5∼

2.6mの

コ ンターが巡 る東西 に長 い 微 高地 を呈 してい る。本体調査 区での南北 の高低 差 は約 1.2∼

1.3mで

あ る。共 同溝 調査 区 におい て は、微 高地 か ら南へ 向か って、徐 々に傾斜 してい く地点 にあた り、 同調査 区での南北 の高低差 は約

20cmを

測 る。 ―- 15 -―

(22)

調査 の記録

:据

l◎

。嚇占

%ミ

1・ (ネ f◎ ◎ 弔

Q珊

ざ 0 10m (S=1/400) ピット 左上:a類 (上図①) 左下:b類 (上図②) 右上:c類 (上図③) 図

9

縄文時代検 出遺構全体図

a.土

坑 ・ ピ ッ ト 土坑 ・ ビッ トは計136基 を検 出 した (図

9∼

11)。 これ らは標高2.0∼

2.6mの

地点で検 出 されている。 出土遺物 はほ とん どな く、埋 土 に炭化物・焼土 を含 む もの もなか った。平面形 は丸形∼楕 円形 を呈 し、径

7∼

120cm、 深 さ

4∼

36cmで ある。 これ らの うち、土坑

1基

と、代表的なビッ トを以下 に例示 して、概要 を記す。 土坑

:(図

10)

AW06-19区

に位 置 す る。13層 上 面 で検 出 され た。検 出面 の標 高 は2.3m、 底面 の標 高

1.9mを

測 る。北 半 を調査 区の側溝 によって削平 されているが、東西 に長い楕 円形状 をなす もの と考えられる。長径1.18m、 深 さ

0.4m

である。埋土 は

4枚

を確認 し、淡黒色∼淡青灰色 を基調 とす る粘質土である。 出土遺物 はな く、炭化物 ・焼土 は認め られなかった。そのため本土坑の用途については不明である。 ―- 16 -―

(23)

北N

И

月、

I十

︲︲

m 06-20ライン 淡黒色粘質土 暗黄色粘質土 暗黄灰色粘質土 暗灰色粘質土 (S=1/30) 図

10

土坑i 縄 文 時代 の遺構 ・遺物 ピ ッ ト (図 9)

埋土によって大 きく

4類

に分けた。

a類

33基

〉は

灰色系の粘質土で、径

7∼

120cm、

深さ

5∼ 22cmで

る。

b類

65基

〉は暗灰色粘質土を埋土 とし、径

18∼ 129cm、

深 さ

9∼

34cmで ある。

c類

27基

〉は暗褐色∼

黒色粘質土を埋土とし、径

16∼87cm、

深さ

4∼

28cmで

ある。

d類

(11基

〉は黄灰色粘質土を埋土 とする。径

22

86cm、

深さ7∼ 35cmで ある。規模については各類 と

2 4m ar 1. 2. 3. 4. もばらつ きがある。このうち

a類

については、断面形状等か ら自然の落ち込みの可能性 も考えられる。その他の

b∼ d類

に関 しては、 しっか りとした形状の ものも含 まれてお り、柱穴の可能性を残すが、配列に規則性は認め られず、 また出土遺物 もきわめて少ないことから、用途・機能の断定はできない。

b.杭

1∼ 5は

AX06-61区

、13層 上面で検出 した (図 11)。 検 出面の標高は

2.5mを

測 る。検出面か ら杭先端 までの深 さは 10∼

32cmで

ある。杭 は本質がわずかに遺存する部分 と、すでに朽ちて粘土化 した部分 とがあ り、 取 り上げることは困難であった。 これ らの杭 はほぼ垂直に打ち込まれたものが

1点

(杭1)、 南→北に傾 くもの

1点

(杭2)、 北→南 に傾 くものが

1点

(杭 3)、 南西→北東向 きが

1点

(杭5)、 西→東向 きが

1点

(杭4) であ り、向 きや配置には規則性は認め られなかった。 このうち杭

2に

ついてサ ンプリングを行い、年代測定分析 を実施 した (第

4章

参照 )。 調査時には縄文時代後 期 の遺構面 に伴 うもの として記録 をお こなったが、年代測定の結果 で は 1310±50B.P。 との値 が 出て い る。 この ことか ら古代以降の も のである可能性が高い と考 え られ るが、古代以降の遺構 とも関連す る位置 にはない。検 出面か ら古代 層 で あ る

6層

上 面 まで の層 厚 は

40cmで

あ る。 ―- 17 -― 図

l:杭

1∼ 5

(24)

調査 の記録 弥生 時代 の遺構 と して、早期 に比 定 され る焼 土遺構 した。 また

8層

上面で弥生時代 中期 に比定 される溝1、 ∼11層 上面 で検 出 している。

4節

弥生∼古墳 時代 の遺構・遺物

1基

を11層中で、前期の水 田畦畔一面 を11層上面で検出 溝 2を 検出した。古墳時代の遺構 としては溝3・ 4を10 AW-8 │ ※コンターは11層上面のものである。 11層直上の土層は以下の通 り 5層 7層 │ 図

12

弥生∼古墳時代検出遺構全体図 弥生時代の遺構 IR璽 古墳時代の遺構 │三三コ ? 1♀ m (S=1/400) ―- 18 -―

表 目 次 表 1  津島岡大遺跡文献一覧……………・…………・……・…………  6   表 4  花粉分析結果………………………………………・…・……・ 49 表 2  検出遺構一覧……・…・……………………・……………………  10   表 5  蛍光 X線 分漱 結果 ……………・……………………・…・…… 52 表 3  植物珪酸体分析結果…………・…………………………… 44 図 版 目 次 図版一   土器 (溝 1・ 包含層 ) 図版二   石器 (溝 1・ 包含層 ) 図版三   石器・勾玉
表 4  花粉分析 結果
図 版 二   石 器 ︵溝 1 ・ 包 含 層 ︶ 〔 石鏃〕 〔 石斧〕 Slへ ´ 6:溝 1(図 17)(S■ 約 1/2) 〔 敲石〕 〔 石皿〕 S37〜 40:包 含層 (図 3D (S3フ ・ 38は S=1/2,s39・ 40は S=1/3) ‑  56  ‑―

参照

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