• 検索結果がありません。

クマ シデ属 一アサダ

││││││1111:││││││││││││││││││││││:││││││││││││││

││││││││││││││││││││││││││1賦

エ ノキ属 一ム ク ノキ

 10

■‐ 移

││││││11111111 3

一 鰺

一 一 一

1辮:

1血

││1響 │││li

コナラ属 コナラ亜属

│11111111

ラ属 ア カ ガ シ亜 属9

茫 ︺

■織│‐■ ‐

トチ ノキ

13 

カヤ ツ リグサ科

17 

セ リ亜科

18 

キ ク亜科

19  ヨモギ属

41 

津島岡大遺跡第28次 調査の花粉・胞子

14 アカザ科―ヒユ科

15 

ソバ属

■■■ ■■■ ■奪

│・│‐

一■

● 瀑

経一一一一一一一一一一一

20 

シダ植物単条溝胞子

…… ‐10μ

 m

1躙

● F

―‑  51  ‑―

自然科学的分析

4。

津島岡大遺跡第 28次 調査の土壌分析 について

岡山理科大学

 

白石

 

純 共同溝調査区北壁 。東壁の各土層か ら合計

5点

の土壌 をサ ンプリングし (図37①②)、 その平均値 を表に掲載 した。なお東壁 もほぼ同じ分析結果 となった。表

5で

は省略 している。

1.各

土層で比較すると10元素のうちFe元 素のみ差がみ られた。

2。 Fe量 は

6層

で もっとも多 く含 まれ、ついで1l a層に多 く含 まれていた。 このことか ら、Feの 量が土層の色 調に反映 していることは十分に推測 される。 またその他の元素には、顕著な差がみ られず、分析値か らこれ以上 の検討はで きない。

3.土

壌の

PH値

を調べた。すると

5層

までの上層では微 アルカリであったが、6・ 11・ 12層では中性で、13層 では微 アルカリとなった。

蛍光

X線

分析結果

層 位 色 調 PH値 時 期 Ti Al Mn Ig K

黄褐 色 砂 質 近 世

黄褐色砂 質 中 世

黄 褐 色 砂 質 75 中 世 0

淡 黄 灰 色 砂 質 中 世 0 22

淡 黄 灰 色 砂 質 中 世 0

明 黄 褐 色 砂 質 7 59 69 0

黒褐色 粘 質 弥 生 前 期 95

淡 黄 褐 色 砂 質 縄 文 後 期 1957 7 96 0 23 0 22

淡 青 灰 色 粘 質 縄 文 後 期 0 11 21 14

層 位

Eヨ42

層 位

蛍光

X線

分析結果

‑  52  ‑―

まとめ

第 5章   ま とめ

津 島岡大遺跡 第28次 調査 で は、縄 文時代後期 か ら近世 に至 るまでの土地利用 の変遷 を検討す る こ とがで きた。

また岡山大学設置直前 の道路遺構 について も新 たな知見 を得 た。

縄文時代後期

 

本調査 地点 で は、縄文時代後期 の微 高地 と、谷部へ と続 くとみ られ る斜面地形 を確 認 した。微 高 地上で は土坑 ・ ピッ ト多数 を検 出 したが、明 らか な配列 をみせ る柱穴や火処 は確認で きなかった。微 高地か ら北 へ 向かって下がってい く斜面部分では遺構 は認め られず、縄文後期土器片や石器 を分散的に検 出 した。石器 は石 鏃 ・ス ク レイパ ー・石錘 。石皿 な ど多様 な器種 が見 られ、人 の活動 を推測 させ るが、火処 やチ ップの散在 な どは な く、石器加工 の痕跡 も本地点では認め られない。本調査地点 よ りも北倶1に流 れ る とみ られ る河道 は、第3・ 15 次調査 地点及 び第6・

9次

調査 点 か らつ なが って くる河道 と考 え られ る。それ らの調査 地点 では川岸 を貯蔵地 と

して利用 されていることが判明 している。本調査地点はそういった利用は希薄な地点である。本調査地点か ら東 に

150mの

17次調査地点や、東 に

300mの

3・ 15次調査地点に見 られるような密度の高い活動域 とは異な り、

居住域の縁辺であることが窺 える。居住域周辺の土地利用の分布 を考 える上で一つの有益 な材料 となる。

弥生時代〜古墳時代

 

早期 の遺構 。遺物 は11層 (「黒色土」層

)中

に認め られる。11層の成因に迫 るべ く蛍光

X線

分析 を試みた。その結果、黒色土上面 に鉄分の沈着が顕著であることがわか り、その要因 としては水稲耕 作 を含 む継続的な耕作が考 え られる。土壌分析 か らも弥生時代前期以降、耕作地 として利用 されていたことを 裏付 ける成果 を得 ることがで きた。11層上面で検 出 した水 田畦畔は地形 に沿 った区画 をとりなが ら微高地上に 展開をみせ、一定の拡が りをもった水 田経営が行われていたことがわかった。植物珪酸体分析 の結果か らは量 と しては700イ固

/gと

多 くはない ものの、イネのプラン トオパールが検 出されてお り、稲作が開始 されていること が裏付 けられている。以上のことはこれまでの津島岡大遺跡の前期水田に関する成果を補強する。水田畦畔の検 出は弥生時代前期の一面のみであったが、古墳時代前期についてはそれまで と同様の地形に沿った溝が確認 され てお り、区画の意識が継続 していることが窺える。

また

8層

で検出した弥生時代中期の溝 1は 中期中葉〜後葉の遺物を多 く出土 し、貴重な資料 を得 ることがで き た。周辺の調査成果 も併せてみると、断面

U字

形の下層溝は谷地形の底近 くをた どるように走行 し、東の第

6次

調査地点へ と至るとみ られる。一方ほぼ同様の流路 をとるものの幅広い皿状の断面形状 をもつ上層溝 は第12・ 13 次調査地点へ とつながる可能性 をもつ。中期中葉に用水路 としての整備が行われた可能性 を示す もの として注 目 される。

古代・中世

 

古代 。中世の遺構 は、耕作 に伴 うと考えられる溝である。古代の溝か ら方向が南北方向 とな り、少 な くともこの段階で正方位に従 った区割 りが出現 していることが確認で きる。 また古代層である

6層

の堆積段階 には、それまでの微高地部 と傾斜面 という高低差がほぼ解消 され、耕作 に適 した平坦な土地が拡がるようになる。

また耕作地 としての利用が続いていることがわかる。植物珪酸体分析結果では古代のイネプラン トオパール検出 量が飛躍的に多いことが注 目され耕地の広が りと収穫量の関連性 をうかがえる。

中世遺構 も同様 に耕作地 としての利用が続いたことがわかる。中世では畝に伴 う溝 を数条確認 し、畑作利用 を 想定することがで きた。耕作の内容 についての検討は今後土壌の分析成果、あるいは文献 との照合 もあわせて進 めてい く必要があろう。

近〜現代

 

岡山大学設置直前につ くられた とみ られる道路 を確認 した。 これまで陸軍造成による造成土 と一括 し ていた 1層 が、陸軍造成時 とその後の岡山大学の造成 とに分けられることを確認できた。

本調査地点では縄文時代後期以降の土地利用のあ り方について、有益 な資料 を得ることがで きた。検出 した遺 構・遺物 は決 して多 くはないが、ないことの意味 も有益である。津 島岡大遺跡の調査 も今 回で28次 とな り、遺 跡全体 を通 じた内容の検討 をさらにすすめていきたい。

―‑  53  ‑―

図 版 一

土 器

︵溝

関連したドキュメント