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夢想和歌・連歌 : 学際的研究を目指して

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(1)

夢想和歌・連歌 : 学際的研究を目指して

著者 ?? 裕雄

雑誌名 國文學

巻 101

ページ 135‑159

発行年 2017‑03‑01

URL http://hdl.handle.net/10112/11135

(2)

夢想和歌

連歌

︱学際的研究を目指して︱

鶴  﨑  裕  雄

はじめに

稿一月の静学で の中で発 慶長期を中心

く︒会場関屋俊彦氏姿見え関屋

氏とは大学院生以来年以上及ぶ親交を得関西

大学常勤講師を間︑公私と世話

中世文学会での私の発表には幾つもの質問や感想が寄せられ

た︒気をよくした私は早速に帝塚山学院大学に帰って︑学会で

の成果を話したところ︑学内の研究機関﹁国際理解サロン﹂で

夢と古典文学の多角的な視野から昨年︵平成二八年︶二月一五

日︑帝塚山学院大学でシンポジウムを行った︒シンポジウムの

夢との対連歌文学学の視点から

﹂ ︑

ネラーは心理学︑特に夢の分析が専門の広瀬隆氏︑中国朝鮮

日本漢詩文学専門福島理子氏︵鶴﨑︶テー

ーは情報メディア学専門の中川謙氏であった︒このシンポジウ

ムもなかなかの盛況で︑シンポジウムの内容は︑帝塚山学院大

学の﹃国際理解 1

42号に掲載されたが︑本稿では︑私の中世文 学会での発表を中心に︑夢想和歌連歌のみ︑以下に纏めるこ

ととする︒

なお本稿は︑副題に﹁学際的研究を目指して﹂と付けたよう に少しでも他の研究分野に心理学精神医学情報メデ ア学民俗学などの方々にもお読みいただけるように引用資料

などは漢字に直し︑句読点やルビを施して読みやすいように心

がけた︒

(3)

一 ﹃万葉集﹄の夢の和歌﹃袋草紙﹄以前 洋の東西を問わず︑古代から夢は︑特に夢の中で聞く言葉や

詩歌は神の啓示と思われ︑我々の祈念や願望を表す文芸作品と

なって書きとどめられた︒外国にはヤコブの梯子や荘子の胡蝶

の夢などがあり︑わが国には和歌や連歌に夢想の歌や句が残さ

れていて︑﹃新古今和歌集

︶2

巻第十九 神祇歌一八五五の住神の歌

夜や寒き衣や薄き片そぎのゆき合ひの間より霜や置くらん

などよく知られていてや仏の歌を示す﹁左注﹂があって

﹁住吉ん﹂る︒こ夢想和歌は︑平安時代

中期︑保元二年︵一一五八︶頃︑藤原清 きよすけ輔によって編纂された

歌論書﹃袋草紙﹄などに載せられるようになる︒

以前︑﹃万葉集﹄も夢の歌は載るが神や仏の示現や託

宣の歌ではなく︑恋人を思って寝た夜の夢や︑夢に現れない恋

人に恨み言を詠む相 そうもん聞の歌が多い︒少し挙げておきたい︒

まず﹃万葉集

︶3

﹄二﹁ 歌﹂には天智天皇の亡くなった時

姓氏未詳の女性の長歌一五を載せる︒ うつせみし神に堪 へねば⁝⁝君そ昨 きそのよ夜夢に見えつる

天皇が崩御してお目にかかれないので夢でお会いしたという

歌意である︒同じく巻第二﹁挽歌﹂に﹁天皇崩之後八年九月九

日奉為御斎会之夜︑夢裏 うち習賜御歌一首﹂の題詞︵詞書き︶の長 一六る︒天武天皇没後八年持統天皇︵天武天皇妃︶

で︑歌の中には﹁夢﹂の文字はない︒

﹁夢の裏﹂の題詞は次の歌三八七〇にもある︒

     夢の裏に作る歌一首    墾田の鹿 猪田の稲を倉に蔵 つみて       あなひねひねし吾が恋ふらくは

右の歌一首は忌 いみべのおびとくろまろ部首黒麿の夢の裏に此の恋の歌を作りて

友に贈り︑覚きて誦み習はしむるに前の如し︒

忌部首黒麿が夢に見た恋の歌を友達に贈ったところ︑友達が前

に作った歌と同じであったというのである︒

巻第二﹁挽歌﹂の﹁皇子尊の宮の舎人ら慟 かなしび傷みて作る歌 廿三首﹂中の歌一七に︑

(4)

   夢にだに見ざりしものをおぼつかな       宮出もするか佐 日の隈 廻を

がある天武天皇と持統天皇の最愛の草壁皇太子が亡くなり

皇太子に近侍していた舎人が陵墓の佐日の隈廻の宮に出仕する

︑﹁にも思わなかったと詠んだ否定の

夢ではない︒

夢が本格的に詠まれるのは巻第四﹁相聞﹂以降である︒坂上 おおいらつめ嬢が大伴家持に贈った歌の一つ五八に︑

   生きてあらば見まくも知らず何しかも       死なむよ妹と夢に見えつる

がある︒大嬢の夢に現れた家持が﹁あなたとの恋のために死ん

でもよい﹂といったのに対して﹁生きていたら逢うことも出来

るのに﹂と揶揄して詠んだ歌である︒

家持には多くの女性と恋歌の贈答がある︒その一人︑山口女 王が贈った歌六〇に︑

   剣太刀身に取り副 ふと夢に見つ       何のしるしぞも君に逢はん為

があり︑劔や太刀を身につけた夢を見たのはあなたに逢う前兆

だったのかと詠む︒劔や太刀を身につける夢を見るなど﹃夢判

断﹄や﹃精神分析入門﹄などで知られるフロイトが研究で取り

上げそうな夢である︒

﹃万葉集﹄の恋の夢には恋しく思っていると思う相手の恋

が夢に現れるという俗信がよく詠まれる︒あの人の夢を見ると

あの人が私を思っているのである︒これは後の時代の﹃伊勢物

語﹄の九段︑﹁東下り﹂の歌︑

   駿河なる宇津の山辺のうつゝにも       夢にも人に逢はぬなりけり

の﹁夢にも逢はぬなりけり﹂の恨み言である︒駿河の宇津の山

で都に帰る修に会って紙を託し︑﹁起きている現 うつつの時に

も︑寝ている夢の中にもあなたには逢わない︒あなたは私のこ

とを思っていないのですか﹂と詠む︒あなたが思ってくれない

ので私の夢に現れないという恨み言である︒

﹃万葉集﹄稿ようとする夢想和歌

(5)

う︒夢想和歌は夢を見る人が詠む歌詠んだ歌ではなく 神や仏が夢を通して詠む示現や託諭の歌または亡き人

特に成仏できず︑この世を彷徨う亡者の怨念の歌である︒

二 夢想和歌﹃袋草紙﹄以後

平安時代には︑夢は神や仏のお告げ︑お諭 さとしとして歌に詠ま

れるようになる︒夢想和歌である︒﹃日本国語大辞典﹄︵小学館︶

の﹁夢想﹂の項には﹁①夢の中で思うこと︒②夢の中に神仏の

示現があること﹂とあり︑﹃和歌大辞典﹄︵明治書院︶の﹁夢想

﹁︽歌学用語︾の中で感得した仏の示現や託

宣に結びついたものが多い勅撰集の神祇の部に採択される

清輔の﹃袋草紙﹄上の﹁希代歌﹂の章に﹁神明御歌﹂﹁仏御歌﹂

﹁神仏感応歌﹂﹁亡者歌﹂が載る︒﹃袋草紙﹄以後﹃沙石集﹄﹃古

今著聞集﹄夢想歌話が多く収録されているとある

﹃袋草紙

︶4

保元二年︵一一五七︶頃︑藤原清輔纂した歌

論書で歌集や歌会勅撰歌人たちの逸話が集められている

その中︑上巻に世のまれな﹁希代歌﹂として︑次の神社の﹁神

明御歌﹂が挙げられている︒①大神宮御歌︵伊勢神宮︶②宇佐

御歌︵宇佐神宮︶︑③賀茂御歌︵賀茂神宮︶︑④平野御歌︵平野 明神︶⑤稲荷御歌︵稲荷明神︶⑥春日御歌︵春日大社︶

原野御歌︵大原野神社︶⑧三輪明神御歌︵三輪明神︶⑨住吉御

歌︵住吉大社︶︑⑩北野御歌︵北野神社︶︑⑪貴布祢御歌︵貴船

神社︶⑫熊野御歌︵熊野権現︶⑬天宮御歌︵六請神社︶

通明神御歌︵蟻通神社︶︑⑮新羅明神御歌︵新羅明神︶である︒

神の示現や託宣は斎宮や巫女の神憑りにより︑または夢想和歌

により伝えられる︒

その中で夢想和歌を幾つか挙げると︑

①の大神宮御歌︵伊勢神宮︶は︑

    草の花なびくをまたず露の身の置処なく歎くころかな 是は大中臣輔 すけひろ弘︑闕之時祭主事を祈念して寝たる夢

に云へる歌也︒

⑤の稲荷御歌︵稲荷明神︶は︑

    ながきよの苦敷事を思へかし        何なげくらむかりのやどりを 是は近年事也

或僧聊有

相論事

荷に百日参詣祈念す

  る夢に見也云々︒

(6)

⑨の住吉御歌︵住吉大社︶は︑

    夜や寒き衣や薄き片そぎの        ゆき合ひの間より霜や置くらん    是社破壊之由︑奏帝王とて見夢歌也︒

前掲の﹃新古今和歌集﹄の住吉明神の歌で︑﹃新古今和歌集﹄

の真名序にも﹁いはむや︑すみよしの神はかたそぎのことばを

巻第十九神祇歌代表歌としている︒﹃

紙﹄永久三年︵一一一五︶源俊賴

賴髄脳 5

﹄には︑

これ御社の年つもりて荒れにければ︑帝の御夢に見せたて

まつらせ給へる歌なり︒

とあって皇の見た歌とする︒﹃袋草子﹄ 帝王﹂

と﹃俊賴髄脳﹄の﹁帝の御夢に⁝﹂の相違が興味深い︒

⑭蟻通明神御歌︵蟻通神社︶は︑

    なゝわだにわがれる玉の緒をぬきて        ありとほしともしらずやあるらん

   是︑昔かの明神の社の辺に︑旅客の宿る夢に示給歌云々︒

とあって︑﹃貫之集﹄﹃枕草子﹄みえる蟻神の伝承を旅

人が夢に見たのである︒

﹃袋草紙﹄はないが部と熊現の贈歌も記して

おきたい︒貞和五年︵一三四九︶ごろ成立の﹃風雅和歌集﹄神

祇の歌二一〇九 もとよりも塵に交はる神なれば月の障りもなにか苦しき

是は和泉式部︑熊野へ詣でたりけるに︑障りにて奉幣かな

はざりけるに﹁晴れやらぬ身のうきくものたなびきて月の

障りとなるぞかなしき﹂と詠みて寝たりける夜の夢に︑告

げさせ給ひけるとなむ︒

である︒和泉式部が熊野詣での途上︑汚れとされる生理になっ

詣は控えなければならないので︑﹁月の障りとなるぞ悲し

き﹂と詠んだところ︑その夜の夢に﹁塵に交はる神なれば月の

障りもなにか苦しき﹂という熊野権現の歌を得た︒神との贈答

歌︑歌による会話である︒

(7)

﹃袋草紙﹄﹁神明御歌﹂﹁仏御歌﹂が挙げられてい

る︒二︑三挙げると︑

中比︑或僧夢にきよけなる僧三人寄合てよみける歌︒一人

﹁あはれなり﹂次の僧﹁ひはくれかたになりぬれど﹂

又次﹁にしにゆくべき人のなきかな﹂︒是無疑仏菩薩歟︒

    朝ごとにはらふ塵だにあるものを        今いくよとてたゆむなるらん 清水寺観音御歌の最後の歌には︑

    梅の木の枯たる枝に鳥のゐて        花さけ〳〵と鳴くぞわりなき

此はての歌は︑まづしき女︑清水寺に百日参り︑なく〳〵

する夢に帳の中より小で来りて云ひける歌

など︑夢の中で︑仏に諭される歌がある︒これは﹃新続古今和

歌集﹄釈教八一︒﹃袋草子注釈

︶6

貧しき女﹂︑

﹁花〳〵身分不相応祈念

キ﹂ことと諭す歌としている︒このように夢想和歌は総て成就 するのではなく︑成就せずに諭される夢もある︒ 神仏を感動させた﹁神仏感応歌﹂の一つに︑津 つもりのくにもと守国基の歌を

挙げる︒    としふれど老もせずしてわかのうらに        幾代になりぬ玉津嶋姫

是は堂建立之時︑壇の石取りに紀伊国に渡るに︑若浦の玉

津嶋に神社あり︒尋ね聞けば︑衣通姫の此所を面白がり給

ひて神と現じて垂跡給ふ也と云々彼渡の人申してり

ければ︑よみて奉る也︒其夜の夢に唐髪上て裳唐衣きたる

女十人許出で来て︑嬉しき慶びに云ふなりとて︑ どもを教夢さめて如教求之に 石︒令

石造破一レ一度に十二顆に破 われわれ々て壇の餝石に剋

云々︒

とある︒津守国基は治安三年︵一〇二三︶住吉社の神主家に生

三十九代目︑﹃後拾遺和歌集﹄勅撰集

首入集した白河天皇時代の歌人である和四年一一〇二︶

八〇歳で没した︒

成仏できない亡者の歌の一つに︑小野小町の歌がある︒

(8)

    秋風のうちふくごとにあなめ〳〵        小野とはいはじすすき生ひたり 人の夢に野の途 みちに目より薄生ひたる人有り小野︒此 歌を詠ず覚めて尋ね見るに有一髑髏目より薄生ひ たり︒取其髑髏 かんじよ所に置此云々︒知小野屍云々︒

絶世の美人︑小野小町の髑髏は中世の思想︑美意識の代表で ある︒この思想美意識が夢に現れる︒

以上︑和歌について述べた︒本稿の主目的は夢想連歌である

が︑連歌の母胎というべき和歌についても瞥見しておいた︒特

に注

3で記したように神道宗紀氏のご指摘により﹃万葉集﹄

にも一目を通してみたこで気付いたことであるが︑﹃

集﹄の夢は︑挽歌のような故人を偲ぶ追悼歌や︑相聞のような

男女の恋情や怨恨が詠まれている︒ところが﹃袋草紙﹄になる

と神や仏や亡者といった現世の人間を超越した︑人知では計り

知れない示現や託宣諭しが夢に歌われる︒ここに二つの相違

があって︑﹃万葉集﹄の夢は広義の夢想和歌︑﹃袋草紙﹄の夢は

狭義の夢想和歌と呼んで良いのではないかと思う︒これまでの

研究にこのような分析があるのかどうか知らないが︑一応の目

途をつけて︑以下︑本論の夢想連歌に筆を進めることにする︒ 三 戦国期の夢想連歌一覧 ﹃連歌総目録 7

﹄より

平成二七年度中世文学会秋季大会の私の発表は慶長期の夢想

連歌に焦点を合わせた︒平成二七年は大坂夏の陣の四百年に当

たり︑私も講演などを頼まれて︑秀吉没から大坂夏の陣までの

慶長年間を扱うことが多かった︒本稿ではさらに遡り︑応仁元

年︵一四六七︶の応仁の乱勃発から元和元年︵一六一五︶の大

坂夏の陣︑いわゆる元和偃武までの夢想連歌を眺めることとし

た︒その間︑約一五〇年︑一世紀半の現存する夢想連歌を﹃連

歌総目録﹄によって以下︑一覧表にまとめる︒表は︑上より興

行の年月日興行の場所目的主催者など発句な連衆

︵発句脇作者︶す︒注目すべき作品には頭にゴシ

の○番号を付け︑後に解説を試みた︒

(9)

︵興行年・月・日︶︵場所ほか︶︵発 句︶︵ 連  衆 

延徳

九〇2一四

  9・*住吉法楽住吉の松こそ道のしるへ哉夢想・宗祇︵以下宗祇独吟︶︵なれイ︶

延徳

九一3一四

6 22

うち解くる氷の隙の朝霞夢想

後土御門天皇2御製

後の後柏原天皇58・勝仁

40︵両吟︶

大永

二三3一五

11 3 北野法楽染やらぬ色しもふかし木木の庭無記・親王御方・帥大納言三条西公条・冷泉中納言為孝

鷲尾中納言隆康・菅宰相五条為学享禄

三一4一五

11 25

あけほののうはらそ深き嵐吹く夢想・氏輝今川・藤松・宗長

96・為綱

天文

10四一一五

3・*散りて猶花にまされる庭の雪夢想・宗養

99

天文

18四九一五

4・*名もよしやいなはも吉や池水に夢想発・脇

2・清歩

1・宗元

41︵以下句上なし︶

天文

21五二一五

11 21 杵築奉納千世かけて神代いはふや御代の晴無記・晴久尼子

9・国久・誠久・宗養

10ほか 天文

23五四一五

10・*大山祇社吉吉と吉備のあにより□かかやく夢想︵以下句上なし︶発・脇

弘治

五七3一五

2 10

大山祇社いつれにも鬼の浄土はこの世にて御・御・通

4・通

8・玉

7松千代

2・松寿

3ほか 永禄

五八1一五

8 17

雪のひかりはともし火そかし無記椿梶井宮最胤

13・禅

19・兼

17・禅

16・康

9ほか 永禄

六〇3一五

2 6

仙人のにほふ袖かなかすむらん発・脇御・元隆

2・全朔

13・友世

16・知春

22ほか 永禄

六一4一五

2 1

若菜こそさなから種のしるへなれ御・元隆

6・真

9・真

15・守

9・全

12・友

14ほか

永禄

六一4一五

11 1 3

年々にかはらぬ梅の匂ひ哉発・脇御・真

1・第 3・第 6・第 7・第 9・第 11︵?︶の発句が夢想 永禄

11六八一五

12 25

風たにもおもふかかたの富士の雪無記・紹巴

49・策彦

50

元亀

七三4一五

1・*大山祇社行方も晴れ行く空の秋の月御・吉当

1・三思

98

天正

七五3一五

6 28

来ん人に残らす匂へ菊の花・勝俊・紹・昌叱・心・英怙・家・光

天正

七五3一五

10 9

︵秀吉=疑問︶ゆたかにも公家殿上人のこころ哉無記

1・紹

16・白

14・玄

14・玄

13・禅

11・昌

15ほか

(10)

天正

七六4一五

9 25

ちる花に劣らぬほとの太山哉御・康之

九条稙通カ2・身

1・等恵

16ほか

天正

七九7一五

11・*大山祇社秋ほこる家はつつきの物ぞかし御・歳・豊祐・重常・安任・加

天正

10八二一五

8 18

︵秀次=存疑︶こきくる舟のあとの遙けさ発・脇記・秀豊臣

1・紹

16・昌

16・心

14・兼

11ほか 天正

12八四一五

2・*大山祇社はたちたつゆふつけ鳥のうれしくて御・永・松陰・芦雪・良澄・宮

天正

20九二一五

2 3 大山祇社筆もさかゆる柳名子すけ御・家次

9・安

18・一

6・光

17・吉

13・政

9ほか

天正

20九二一五

8 15

忌宮神社たち帰るいはれやしるし神無月無記輝元朝臣

11・午

1・秀

9・元

10・元

2・元

7・春盛

15ほか

天正

20九二一五

9 19

大山祇社月にむすふ匂をうつせ宿の梅御・知久

5・満

9・弥

8・祖

6・一

4・令

2ほか 文禄

九四3一五

1 23

霞にもくもらぬ月の光かな無記・一道

1・紹巴

10・他阿

8・玄仍

9・覚阿

7・景敏

の昌琢

7ほか 慶長

九六1一五

12 3

岩つたふ声は霧間の磯の波御・聖護院道勝

聖護院道澄12・白

西洞院時慶19・右兵衛佐

15・光豊

勧修寺

13ほか

慶長

九六1一五

12 19 大坂御城世をしれとひきそあはする初春の発・脇御・太閤秀吉

道澄10・准后

8・昌叱

古田織部9・重然

6・前左

大臣近衛信輔

8ほか

慶長

九七2一五

1 23

梅の宮めてたき此代あふ人と無記・一継

1・杉

11・昌叱

12・春

13ほか

慶長

九八3一五

7 21

ふるき枕そしほれそひぬる無記義光最上

9・景

9・昌

12・友

8・能

8・喜

8

ほか

慶長

九八3一五

7 29

心もちあふきの風に月出て発・脇無記・栄任

2・昌叱

12・友益

後の昌琢8・景敏

10ほか 慶長

九八3一五

9 1 太宰府奉納波風のたちゐにこころつくし路の御・長俊山中

9・紹

13・昌

13・玄

後の昌10・景

8ほか

慶長

九八3一五

12 13 15島津新田八幡千句あらたまる年の初めにしも国の御・義弘

1・其

7・雖

10・定

11・紹

11・玄

9

起雲

6ほか

(11)

慶長

九九4一五

2 25

朝日かなさかゆる松のほこりけり無記女・家康・秀忠・忠吉・康元・秀康・定

勝・万千世・お亀・宮増ほか

慶長

九九4一五

4 7 大仏陰ふかき花はときはの林かな無記長俊山中

8・他

9・玄

9・紹

後の昌琢10・景

8

ほか

慶長

〇〇5一六

1 20

みとり子の幾世へぬへきしるへきて無記・秀康

2・長吉

2・茂連

7・能舜

10・能札

10ほか

慶長

〇〇5一六

1 21

ちるも香は八重九重の宿の梅願主・照高院道澄

10・准后

1・紹巴

10・日野大納言

9・昌

11ほか 慶長

〇〇5一六

1 25

まかなくに水上清き若菜哉無記・栄任

7・昌叱

12・忠季

6・昌琢

10・友益

9ほか

慶長

〇〇5一六

3 7

空も海も汀も山も君かまま無記満茂

1・義

9・昌

12・友

9・昌

9・喜

8

ほか

慶長

〇〇5一六

6 27

軒端のもみちはなさきてけり無記・准后御方

後陽成天皇1・御製

1・式部卿宮

8・禅閤

8

慶長

〇〇5一六

7以前︵家忠没︶なりもなくかさなる年の木葉哉無記・玄仍発・脇

11・他阿

11・紹巴

12・友益

9・家忠

8ほか 慶長

〇一6一六

2 25

朝日さす蓬の矢□国を□無記・友重

1・一重

1・御金

1・氏女

1・息女

1ほか 慶長

〇一6一六

5 25

栄ゆくや天の下ゆく紅葉哉無記安中法橋

2・昌

輝資12日野大納言

10右衛門督

飛鳥井雅庸

10ほか 慶長

〇二7一六

1 16

如水公夢想松梅や末長かれとみとりたつ御・円清黒田孝高

11・幸

1・長

1・古

8・江

8・実

8・正全

8ほか

慶長

〇四9一六

8 14

雲よりもなをあくるしののめ無記秀元

11・亥

1・玄

13・昌

12・元

8・友

11

ほか

慶長

10〇五一六

9 27

白山万句すゑの人かけ勧進してこそ無記・宗甫

49・明宗

51︵両吟︶

(12)

慶長

11〇六一六

2 25

君か代も我ままにこそなれ天か下発・脇無記・御願主

1・御長

1・玄仍

18・能存

10・茂連

11・正

10ほか 慶長

12〇七一六

9 18

よられても立もとふるや秋の草御・元通

12・色

13・詮

7・清

8・実

12・吉

10・忠

9ほか

慶長

13〇八一六

2 22

とりもちて雨にこととへ郭公無記宥尊

7・勢

10・長

9・正

9・友

9・快

8

良昌

8ほか

慶長

13〇八一六

6 26

豊なる時や幾世の春ならん友・一・二・三・四・益・安・寂・珍ほか 慶長

13〇八一六

12 16

涼しさやならふにしるき門の前御・忠治

16・色

22・吉延

21・与孝

18元通

22

慶長

14〇九一六

5 29

発句=漢句近臣依日色猶益御・願主橋兼如禅以心伝長老東福不二庵

集雲藤長老ほか

慶長

15一〇一六

2 2

乗狄おそれさる年や五百年の春無記・如休・猿丸・友三・如白ほか

慶長

16一一一六

5 3 豊国社会所住吉の浦にあかれは明神の無記・無記・勝吉

2・杉

時慶13・西洞院宰相

9・勢与

8

禅昌

9ほか 慶長

16一一一六

6 9

心さへ直なる道の神参り御・頼重

1・能札

98

慶長

16一一一六

11 16

松竹をいはへる神の初まつり無記道与

7・玄

12・昌

13・正

7・能

11・紹

9

ほか

元和

一五1一六

9 21

蓬来の宝の亀をたまはりて無記・願主

1・彦五丸

1・光吉

1・豊仲

11・永信

13ほか

(13)

四 夢想連歌の背景 右に挙げた夢想連歌の一覧表より注目したい連歌作品を幾つ

か取り上げる︒

①宗祇の夢想

延徳二年︵一四九〇︶九月の住吉社における夢想を発句とし

た宗祇独吟百韻︒これには次の夢想の発句と九九句の宗祇の独

吟の前に︑かなり長い序文がある︵適宜︑私に漢字をあてた︶

住吉の松こそ道のしるべ哉      御︵夢想︶

遠里を のの雪の帰るさ        宗祇 にし年の冬つかた︑雪霰ひまなき比︑月の影︑星の光

もたど〳〵しく深き松のひゞきさへえなごやかならぬ

麻のふ すまさ えかへり︑明 あけ ゆく影の蓬のまろ寝︑夢の通ひも たえはつるころ︑いかにねしよ哉といふやうに︑さ まこ なる人︑発句をうちずん ずるとみえて目さめぬ︒則下の句 をつき侍りしをへばはかなしやこの道にふ るゝもの

夢みる事は常の如く思ひながら︑さすがにさし置かたくは

侍れど︑近き年比は世のうきふしもかぎりなきに︑うちそ   へて︑み だり風いとゞしくて︑言のは くさ色衰へ︑心のた

ねもく ちはてぬれば もひつゞけんも物う くて過 すぎ ゆく程に 年く れ春か へり︑秋さへ半過 すぎぬ︒齢すでにい にしへもまれ

なる年にあたり︑よる〳〵の寝覚心細くて︑荻の音︑鳫の

涙に催さるゝ袖のう へやらんかたなし︑さるは今一度神に

まかり申もせまほしきを︑手向の物︑又何かはと心の幣取

敢へずながら︑こしかたの二句につずそへて︑迷はん道の

しるべにもとおもふ心しかなり︒        此百員 齢古稀のよし侍れは︑明応元比にや︒写本端

つくりには享禄五極月と云々︑これは筆者のしるせ

し時のを心なくはしにしるせしにや︒

かって︑宗祇は︑雪や霰の降る寒い夜︑夢に異様の人物が現

︑﹁吉の松こそ道のしるべ哉という夢句を感得した

い夜の住吉の神︑それは﹃袋草紙﹄に記された﹁夜や寒き衣や

薄き﹂の夢想歌の神である︒幾年か後︑宗祇は感得した夢想句

を発句に独吟百韻を住吉の神に奉納した︒手元にある静嘉堂文

庫の連歌集書

︶8

をテキストにした︒

宗祇の紀行文﹃筑紫道記﹄にも夢の記事がある

︶9

︒文明一二年

︵一四八〇︑住吉奉納独吟百韻一〇年前︶周防大内氏

(14)

訪ね︑筑紫に渡り︑太宰府天満宮に詣でる︒その途中︑遠賀川

右岸の木屋瀬︵北九州市八幡西区︶に泊まった夜︑

暁近き夢に︑誰となき男︑天神と名乗りて︑扇を予に給は

ると見侍りて夢醒めぬ︒則同行に語れば︑皆ことぶき合へ

り︒誠に神の冥助あるにこそと頼もしくなむ︒

とあり︑さらに太宰府に着いて︑宿坊の満盛院では︑

深野筑前守といふ人来るこの郡の郡司也扇を携へて

心ざす当社にて此扇を得る事︑夢の告思ひ合て︑いとゞ神

慮有難くなむ︒

と記す︒道中︑天神と名乗る男から扇を得る夢を見た︒そして

太宰府の天満宮で実際に扇が与えられた︒これは夢ではなく現

実に天神から扇を賜ったと宗祇は喜んで記した︒

②今川家における連歌師宗長

享禄四年︵一五三一︶一一月二五日の夢想連歌は︑宗祇の弟

子宗長が仕える今川氏親の息氏輝の夢想句が発句である︒脇は 夢を見た氏輝︑第三は藤松︑四句目から九九句目までは宗長の独吟︑揚げ句は為綱︑執筆を務めたのであろう︒この百韻も右の住吉社における宗祇夢想百韻と同じく︑静嘉堂文庫の連歌集書に載る︒発句から四句目までを見ると︑

明ほのゝうはらそ深き嵐ふく     御︵夢想︶

狩する雪に月のこる比        氏輝 水こほる野をふみしるき駒なへて   藤松 朝とく出る宿のたひ人        宗長 これにも次のような序文がある︒

御夢想とていかゝ申候へ共︑独吟にさせられ候︑廿五日未

明より其日の五時にやう〳〵仕候︒如斯老耄共の歓楽と覚

え候︒

この年︑享禄四年︑宗長は八四歳︑翌年︑享禄五年︵天文元

年︶三月六日に没する︒亡くなった年月日は三条西実隆の日記

﹃実隆公記﹄明らかであるが亡くなった場所は明確では

ない︒宗長自身の晩年の記録である﹃宗長日記﹄は︑この百韻

参照

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