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道徳教育における「生命倫理の指導」と

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学位論文題目

道徳教育における「生命倫理の指導」と

「死の準備教育」のあり方についての一考察

兵庫教育大学大学院

学校教育専攻

M96ユ01J

学校教育研究科 教育方法コース

奥村光太郎

(2)

       目  次

第1章序論 

…・・………・…・…………・…・…・・・・・・・………・巳・…… P

第H章「生命倫理の指導」と「死の準備教育」について  ・・・・… 6  〈1>「生命倫理の指導」と「死の準備教育」の

  目的について ・…・………・……・…・圏・…・…・…・……・…・…………・・ 6  <2>「生命倫理の指導」と「死の準備教育」を

  行うにあたっての視点  ……・・…・・・……・・………・………・・…・…10

第皿章学校教育における「生命倫理の指導」と

    「死の準備教育」の現状  ………・…・……・・…・・・・・……・・…・12

 〈1>学習指導要領に見られる「生命倫理の指導」と

  「死の準備教育」の現状   …・・…・…・・…………・・………・………12

 〈2>学習指導要領「道徳」における「生命」や

  「死」についての教育  …・……・………・・・………・……・・15

〈3>道徳資料における生命の取り扱い ・■璽昌一.■一廓蜀隅8璽■8■■膠■冒膠曜.8.■幽薗.巳 Q1

〈4>「道徳資料」にとらわれずに行われている    「生命」や「死」の教育について

第IV章子どもの生命観の発達について  〈1>ピアジェにおける「生命観」の発達  〈2>コールバーグにおける生命の発達観

昌..・.昌.圏露・馴・o塵■■開■.□8■■■一■腫日騨・ Q6

 〈3>「生命観の発達」についての検討課題

第V章「道徳性の発達」と「生命観の発達」の

    関係について  ・・…………・…………・・…・…・・…・…・・……・…40  〈1>方法      ・■■昌.■鰯・■・圏・■■■卿開閥・8.・開・闘・・6・■■・日・.圏昌■・■・..… @■.・開・■幽一闘・・鱒5■一日・40

 〈2>結果と考察  ・………・………・……・…・・…・…■………・…・…・・・・… 43  [整理1]  ………・………・……・・…・・…・…・…・…・・……・・・……■・…43

 [整理2]  ・・………・・……・……騨…53

 [整理3]  ・・・……・・………・………・・…・…・…・…・・…・・開・…・… 57

第VI章「生命倫理の指導」と「死の準備教育」の

    あり方について  ………・・……・・・……・・…………・・……・…75  〈1>各学年に対する教育のあり方   …・……・・…・・・………・80  <2>「生命尊重」の価値を扱った

  モラルジレンマ資料について  ・・…・……・……・匿………・・……87 第V皿章終章   …………・……・・…………・…・…・・…・…・・………g1  〈1>「死」の取り扱いについて   ………・……・・………・・………91

 〈2>今後の課題  幽・・……・……・・o露 自…・… 8謄・・…・……・一・……闘 ・・…93

 〈3>まとめにかえて ・…騨・・………一……一………・………・…・……94 参考・引用文献   ・……・・…・・・・・・・………・…・・……・…・…………・・・…196

■翼6..・塵■■巳■胃・.・.巳■■.巳撃・馨層・・. @35

■■..■.巳日關・■冒■.■.燭蘭・邑・.....嗣■ @35

■嗣。・.薗..■.璽,犀.・・■..■昌.鯨搏..昌8 @37

鱈.■巳一闘願■■■■■■■岡8幽■.一一胴闘 R9

(3)

第1章序論

 神戸市須磨区の小学生連続殺傷事件で1997年6月28日に逮捕さ れた容疑者が「14歳の少年」であったことは社会全体に大きな衝撃を与 え,様々な観点からの議論を巻き起こしている。教育のあり方そのもの への批判も相次ぎ,参院の文教委員会において, 『文部省の現状認識が 甘い』 〉という批判も出されている。教育関係諸機関の動きも活発で,

『各都道府県などの教育委員会は,事件の再発防止に向け「心の教育」

を充実させるよう緊急・定例の会議や通達で指示していることがわかっ た。遺体の切断,挑戦状,無差別の通り魔事件といった特異な犯行の底 流に,いじめや不登校などの 心 の問題が隠されていると判断してい

る。』2>と報じられている。

 各教育委員会での緊急の取り組みから一例をあげるならば、兵庫県教 育委員会及び神戸市教育委員会は「心の教育緊急会議」 (座長=河合隼 雄・国際日本文化研究センター所長)を設置して「生と死を考え、生命 の大切さを学ぶ教育の充実」3)など、現在の教育に対して様々な観点か

らの提言を行っている。

 この提言は、 「心の教育緊急会議」がとりまとめたものであるだけに、

背景には「緊急の必要性」に迫られているという認識があることは間違 いないであろう。

 しかしながら, 「心の教育」の具体的なイメージは学校現場で一般化 しているとは言い難く、 「心の教育」が十分行われ、実行されていると

1)読売新聞1997.7.16 琴)読売新聞1997.7.!6

3)日本教育新聞兵庫県版1997.1L8

(4)

はいえない現状にある。学習指導要領は、道徳性の基盤に「人間尊重」

の精神と「生命に対する畏敬の念」を位置づけている。したがって、

「生命」や「死」の教育は「人間尊重」と「生命に対する畏敬の念」を 抜きには考えられない。しかしながら,学校現場で「生命」や「死」の 問題は真正面から取り上げられることがきわめて少ない。時としてはタ ブー視され、回避されることすらある。

 たとえば,著者(1987)は養護学校に勤務していた時,致死性疾病をも つ生徒から自分の死についての問いかけを受け、答えに窮したことがあ る。このことをきっかけに,全国の病弱・虚弱養護学校を対象に「致死 性疾病をもつ児童・生徒の教育について」というテーマで調査を行った。

その結果, 「死」を提示した教育を行っている学校は全体の12.2%に過ぎ ず, 「死」を前にした教育がきわめて不十分な状況にあることを明らか にした。中には「本校関連病院でも子どもが死期を迎えたり,四肢の切 断などのため,半狂乱になる場合も多いがその対応は十分にできていな い」という回答すらあった。

 文部省(1985)の「養護・訓練指導事例集〜病弱教育編〜」の中にも

(当該児童・生徒への指導にあたっては) 「できるだけ病名・病理に触 れることを避ける」2>という内容が見られ,目前に迫った死を意識せざ

るを得ない立場にある子どもに対してすら生命観を重視した指導,つま り「生命」や「死」について深く考え,子ども達の悩みに応えるような 教育は行われていないのである。

 もちろん、いわゆる「大人社会」においても「生命倫理」や「死」の 問題を真剣に考えなければならない状況であることはいうまでもない。

1)日本特殊教育学会第25回大会発表論文集 1987

2)文部省  「養護・訓練指導事例集〜病弱教育編〜」p35 1985

(5)

例えば、がん患者の自殺率は高く、「確定診断後3〜5か,月の自殺率は一般 自殺率の5倍」 )となっている。

 また、非加.熱製剤回収に関する厚生大臣と厚生官僚の対話は次の通り

である。2)。

(大臣)「非加熱製剤が最初の段階ですぐ止められなかったとしても、1 年たった時はもっと危ないとわかっていたでしょう。2年たっても(同 様に)はっきりしていた。なんでこの時、遅くはあるけれども、止めら れなかったのか。」

(官僚) 「その時に、もし発売を禁止、あるいは回収することをやって いたら、それまで売っていた薬は大丈夫かと聞かれてしまう。それが危 なかったということになると、前の局長や課長が責任を問われることに なる。だから、止めることはしないで、 『そ一つ』と在庫がなくなるの を待った。」

 ここに「生命倫理に関する大人社会の道徳性の現状」が如実に表れて いるように思われる。

 他にも「生命倫理」や「死」というものをめぐっての議論は活発であ る。脳死や臓器移植をはじめ、ガン告知、エイズ問題、終末期医療、安 楽死、尊厳死、ホスピスなど多くの問題が様々な観点から論議されてい る。ちなみに、不作為に抽出した1週間分(1996.5/29〜6/4)の読売新聞 からこれらの問題を扱った記事を抜き出すと、次のような六つの項目を あげることができた。

 5/29「インフォームドコンセントの諸問題について」

 5/29「県警の検死要求で脳死移植、直前に断念。」

1)読売新聞 1996.10.10 2)読売新聞 1996.10.11

(6)

 5/30「自民部会が優生保護法改正案で優生思想を削除」

 5/30「遺伝子治療について」

 5/31「救急医、医学雑誌で『移植腎提供やめる。』と宣言」

 6/2「『患者よ、がんと闘うな』について」

 学校においても執ようないじめによって自殺に追い込まれたり、自殺 に至らぬまでも死を考えたり登校拒否に陥ってしまうという例が後を絶

たない。教育の荒廃が叫ばれ, 「いじめ」 「自殺」 「非行」 「不登校」

が社会問題化して久しい。このような背景に,子どもの生命への軽視が

考えられる。

 現代社会の抱える多くの諸問題は、 「生命」あるいは「死」というも のとどこかで接点をもっているのではないかと考えられる。しかし、先 に述べたように日本の社:会では死というものがまだまだタブー視されて お1り、学校教育の中でも十分な指導は行われていない。

 自殺した生徒についての報道を見ると、担任をはじめ、学校関係者の ほとんどが「気がっかなかった」と言っているが、 「気づくことができ なかった。」という方が適切なのではないだろうか。公開された遺書を 見ても、多くの生徒達がそれこそ命がけのサインをおくっていたはずな

のである。

 教師は今日的問題として「生命倫理」や「死」というものを自分のこ ととして真正面から考え、取り組む必要がある。差し迫った問題として も「小児がんなど難病とたたかう子どもは、全国に約20万人いるとい われている」1)のである。折しも第15期中央教育審議会は「21世紀 を展望した我が国の教育の在り方について」というテーマに基づいて審

1) 読売新聞1996,8.29

(7)

議を行ってきたが、1996年7月19日の第一次答申の中で「生命を 大切にし、人権を尊重する心など基本的な倫理観の育成」など、心の教 育として「たくましく生きる力」の育成を強く訴えている。

 このような社会情勢を踏まえるならば, 「生命」や「死」に関する教 育を積極的にすすめなければならない。つまり,学校教育においても早 い殺階から系統的に自分の命,他人の命,あらゆる生き物の命を大切に する教育, 「命」の教育, 「生命観教育」 「生命倫理」や「死」につい ての指導を行っていくべきである。

 このような観点から、この論文では道徳教育における「生命倫理の指 導」と「死の準備教育」のあり方について検討していきたい。

(8)

第∬章「生命倫理の指導」と「死の準備教育」について

 それでは、「生命倫理の指導」あるいは「死の準備教育」とはどのような ものであろうか。文部省は『「生命の尊さ」は発達段階に応じて道徳や 理科などで学ぶよう位置づけている。死についてほ、 「生命の尊さ」の 内容に含まれており、具体的な指導方法は各学校や各教師の裁量』Dと 説明している。非常に短い説明であるが、それほど「生命」や「死」と いうものがもつ意味は広く、深いものであるということであろう。

 一般的に、 「生」は縁起のよいものとして積極的に、 「死」はタブー として消極的にとらえられることが多い。つまり、生命の尊さは教えた いが、死については触れたくないという傾向があるように思われる。し かし、実際には両者はいわば表裏の関係にあり、密接に関係している。

 つまり、「生命倫理の指導」と「死の準備教育」は本質的な部分で深く関 わりをもつものであり、いずれも「生きることの素晴らしさを知り、か けがえのない生命を尊重する姿勢を養うことを目的とする学習」という ことである。そして、この目的に主として生命の側面からアプローチす るものが「生命倫理の指導」であり、主として死の側面からアプローチ するものが「死の準備教育」である。この点について、アルフォンス・

デーケン(1986)は10年以上前から「死への準備教育の15の目標」2)

を提唱している。

〈1>「生命倫理の指導」と「死の準備教育」の目的について       1

 「生命倫理の指導」と「死の準備教育」の目的について、アルフォンス・

1)朝日新聞 1997.1.28

(9)

デーケンの言をみると次のようである。1)

[第1の目標]

 死へのプロセス、ならびに死にゆく患者の抱える多様な問題とニーズ についての理解を促すことである。そうすることによって、医学の力で はもはや生命を救えない段階に到っても、なお同じ死すべき人間として、

患者にあたたかい人間関係と心の支えを畢供することができる。

[第2の目標]

 生涯を通じて自分自身の死を準備し、自分だけのかけがえのない死を 全うできるように、死についてのより深い思索を促すことである。

[第3の目標]

 悲嘆教育である。自分自身の死と並ぶ入生のもう一つの試練は、肉親 の死に直面することである。悲嘆のプロセスを上手に乗り切れなかった 場合、心身の健康を損なう危険性が非常に高い。悲嘆のプロセスを通じ て別離の悲しみを克服した人は、人間的に大きな成長を遂げることがで

きる。

[第4の目標]

 極端な死への恐怖を和らげ、無用の心理的負担を取り除くことである。

死への恐怖は、病気など直接的な生命の危隙にさらされている人だけの ものではなく、健康な人にもごく普通に見られる普遍的な現象である。

さまざまな原因による死への恐怖を分析・検討し、死への過剰な恐怖を ノーマルなレベルまで緩和する。

[第5の目標]

 死にまつわるタブーを取り除くことである。それによって死という重

!)アルフォンス・デーケン 「死を教える」 メジカルフレンド社 1986

(10)

要な問題について自由に考え、また話すことができるようになり、死に 結びついた情緒的問題の解決も可能となる。

 人間の死も含む、現実のすべてを直視するところがら、限りあるこの 人生をより深く愛する心が生まれる。それはまた人間の創造的能力を開 発する機会ともなる。

[第6の目標]

 自殺を考えている人の心理について理解を深めること、また、いかに して自殺を予防するかを教えることである。私たちがあらかじめ自殺の 諸問題と取り組んでおれば、自殺を考えている人の苦悩を解決し、自殺 を未然に防いで、家族や友人の悲嘆を回避できるかもしれない。

[第7の目標]

 告知と末期癌患者の知る権利についての認識を徹底させることである。

癌患者に病名を知らせるとは、避けられぬ死を宣告することではない。

告知はよりょく生きるための援助であり、困難を乗り切る勇気と希望を もたらす出発点なのである。

[第8の目標]

 死と死のプロセスをめぐる倫理的な問題への認識を促すことである。

(例として、植物人間、人工的な延命、消極的・積極的安楽死などがあ げられる。)

[第9の目標]

 医学と法律に関わる諸問題についての理解を深めることである。 (例 として、死の定義と死の判定、脳死、臓器移植、医学研究のための献体、

腎臓の遺贈、アイ・バンク、遺言の作成、死語の家族援助などが挙げら

れる。)

[第10の目標]

(11)

 葬儀の役割について理解を深め、自身の葬儀の方法を選択して準備す るための助けとすることである。自身の葬儀について考え、自分の哲学、

希望あるいは死生観に添った葬儀の方法を準備するための刺激をもたら すのがねらいである。

[第11の目標]

 時間の貴重さを発見し、人間の創造的次元を刺激し、価値観の見直し と再評価を促すことである。

 死への準備教育は、生きる時間が限られているという現実、自由にな る時間が無限にあるわけではないという現実に人間の目を向けさせよう とする。死を直視し、より程度あ高い生き方をするとは、多くの場合、

自己の創造的能力を開発することでもある。時間が限られているという 認識は、しばしば潜在的能力の可能性を今すぐにも実現するための具体 的な動機となる。

[第12の目標]

 死の芸術を積極的に習得させ、第三の人生を豊かなものにすることで ある。中世ヨーロソバでは、 「メメント・モリ(汝死すべきことを憶え よ)」という言葉が座右の銘とされ、死は時間をかけ、努力して磨き上げ る芸術と見なされていたのである。よりよい死を迎えるための準備はま た、現在の生をよりょく生きようととする努力にも通ずる。生の質を高 めることが、死の質をも高めることになるのである。

[第13の目標]

 個人的な死の哲学の探究である。その目指すところは、文化的・教育 的背景によって制約された死に関する社会的・心理的・イデオロギー的 固定観念から人間を解放し、各人が死について自分なりの個性的な理解 を自由に選び取ることができるように積極的に援助することである。

(12)

 生と死について、自分の属する時代・文化・哲学・宗教によるものだ けでない、多種多様な理解や解釈を提示し、私たちが比較と熟考の上で 自分自身の死生観を手に入れることができるよう助けるのである。

[第14の目標]

 宗教における様々な解釈を探ることである。その際、生きがいと死に がいの相互関係についても考察する。

 宗教の死生観においては、死の意義への問いがしばしば生の意義への 問いと緊密に結ばれており、生きがいと死にがいの間に際立って密接な 関係が見いだされる。そこでは死の意義の探求が同時に生の意義の探求 ともなるのである。

[第15の目標]

 死後の生命の可能性について積極的に考察するよう促すことである。

 死は個人的な事象であり、そこから戻った者はいない。死後の世界は この世からうかがいしれぬ驚異に満ちた新世界である。

 「驚きは哲学の初め」と言われるように、未来に大いなる驚異を望む 者は、鋭い感受性と柔軟な精神を失わず、人格の円熟を目指して、たゆ まず歩み続けることだろう。

 生命や死に関する授業内容は、現在わが国の学校や社会が抱えている 諸問題と深くかかわっている。これらは、まさに現在の学校教育に求め

られている課題ということができる。

〈2>「生命倫理の指導」と「死の準備教育」を行うにあたっての視点  斎藤喜欠能を代表とする「児童生命教育研究会(1992)は, 『生命を大 切にする子どもを育てる教育に関する研究』 (伊藤忠記念財団 1992)の

(13)

中で、わが国の生命に関する教育を進める4つの視点をあげている。そ れらは以下のようである。1)

[第1の視点]  「死」を直接取り上げる。

生命の対極である「死」を取り上げることにより,生命の尊さに対する 認識を深めることができる。現実の死を子ども達に考えさせることによ

り,生命がかけがえのないものであることを教えることができる。

[第2の視点] 道徳教育を核とした、総合的な教育の必要

生命尊重教育の内容を教えるさいに,狭義の道徳教育の中でのみ考えて いたのでは限界がある。他の教科と密接な関連を持たせることによって 道徳教育はより発展する。

[第3の視点]  地域との連携

父母や地域の専門家との協力。例えば地域の医者や法律家などの話を聞 く機会をもりこむことにより,学習指導要領でいわれている「家庭や地 域社会との連携」を促進する。

[第4の視点]  視聴覚的方法の活用

生命尊重を教えるためには,視聴覚教材も含めて多くの教材を蓄積して いく必要がある。

斎藤喜欠能他 『生命を大切にする子どもを育てる教育に関する研究』

伊藤忠記念財団 1992

(14)

第皿章学校教育における「生命倫理の指導」と

    「死の準備教育」の現状

 現在の学校教育においても、 「生命」や「死」に関する教育が全く行 われていないというわけではない。しかし序論で述べたように、系統的 かつ一品詞に行われているという状況にはなっていない。

 ところで、 「生命」や「死」に関する教育を行うにあたってもっとも 重視しなければならないことは、子どもたちが「生命」や「死」という ものをどのように認識しているかをしっかり把握することである。つま り、他の教育が子どもの発達に準拠していることと同様に、子どもたち の生命観の発達に基づいた教育でなければならないのである。

 そこで、現在の学校教育における「生命倫理の指導」と「死の準備教育]

について、 「生命観の発達をどのように把握しているか」という観点か らを検討して考える。

〈1>学習指導要領に見られる「生命倫理の指導」と「死の準備教育」の現状  平成元年3月に告示された「小学校学習指導要領」の中で「生命」と

いう言葉がみられるのは、 「国語科」 「理科」 「生活科」 「道徳」にお いてである。また、 「中学校学習指導要領」の中で「生命」という言葉 がみられるのは、 「理科」 「保健体育科(保健分野)」 「道徳」におい てである。 「死」という言葉はない。具体的な内容は次の通りである。

(傍線筆者)

①小学校学習指導要領 )

1) 文部省 小学校学習指導要領1989

(15)

◎国語科

・第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り扱い 3

(6)一、他人を思いやる心を育てるのに役立っこと(p.23)

◎理科

・第2 各学年の目標及び内容 [第6学年] 1目標

(1)生物の身体のつくりと働き及び環境を相互に関係付けながら調べ、見

いだした問題を意欲的に追究する活動を通して、一

育てるとともに、生物の体の働きの共通性や環境との関係について見方

や考え方を養う。(p.65)

◎生活科

・第2 各学年の目標及び内容 2 内容 [第1学年]

(5)動物を飼ったり植物を育てたりして、それらも自分たちと岡じように

一、生き物への親しみをもちそれを大切に

することができるようにする。(p.70)

◎道徳

・第2 内容

[第1学年及び第2学年]

3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること

(2)生命を大切にする心をもつ (p.105)

[第3学年及び第4学年]

3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること

(2)生命の尊さを知り、生命あるものを大切にする (p.106)

[第5学年及び第6学年]

3主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること

(16)

(2)生命がかけがえのないものであることを知り、

(p.107)

自他の生命を尊重する。

②中学校学習指導要領1)

◎理科

・第2 各分野の目標及び内容 [第2分野] 1目標

(4)生物とそれを取り巻く自然の事物・現象に対する関心を高め、意欲的 に自然を調べる活動を行わせるとともに、これらの活動を通して、自然 環境を保全し、生命を 重 る態度を六てる。(p.55)

・第3 指導計画の作成と内容の取り扱い 2

(2)生命の尊重や自然環境の保全に関する態度が育成されるようにするこ

と。 (p.62)

@保健体育

・第2 各分野の目標及び内容 [保健分野] 1内容 (2)

ウ麟まや生活に必要な水は、衛生的な基準に適合するよう浄化さ

れ、確保されていること。(p.82)

⑨道徳

・第1 目標

 道徳教育の目標は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根

本精神に基づき、人間尊重の精神と一を家庭、学校、

その他社会における具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造 と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献 できる主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を

!)文部省中学校学習指導要領1989

(17)

養うこととする。

・第2 内容

3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること

(2)一記し、かけがえのない一ようにす

る。 (p。118)

 このように、学習指導要領の中のいくつかの教科や領域において「生 命」に関する指導が意図されていることがうかがえる。

 しかし現実には、 「国語科」 「理科」 「生活科」といったいわゆる教 科の指導において、生命に関する価値的な内容が重視されることは困難 であると考えられる。また、保健体育においては「生命の維持や生活に 必要な水」という内容であり、いわゆる生命倫理的な指導を意図してい るものではない。

 「道徳」においては、目標の中に「生命に対する畏敬の念」がはっき りと明示されており、 「生命」や「死」を根源的な意味で扱っている領 域であるといえよう。そこで、次に「道徳」での扱いに絞って詳細に取

り上げることとする。

〈2>学習指導要領「道徳」における「生命」や「死」についての教育  学習指導要領では、道徳性の基盤に「人間尊重」め精神と「生命に対 する畏敬の念」を位置づけている。したがって、 「生命」や「死」の教 育は「人間尊重」と「生命に対する畏敬の念」を抜きには考えられない。

 ただ、学習指導要領ではその性格上概括的な記述にとどまっており、

具体的な理念など、細部にわたっての説明はない。文部省初等中等教育 局主任視学官が編著者で、事実上学習指導要領を補完する性格を持って1

(18)

いる「小学校学習指導要領の展開(道徳編)」では、 「人間尊重と生命に 対する畏敬の念」について次のように説明している。D

(傍線筆者)

『道徳教育の目標の中にある「人間尊重の精神」は、昭和33年に告示 された学習指導要領に示されて以来、日本国憲法に述べている「基本的 人権の尊重」や教育基本法に述べている「人格の完成」に共通し、また、

国際連合教育科学文化機構(ユネスコ)の憲章にいう 「人間の尊厳」を 意味する精神をも継承し、道徳教育の立場から、教育の目標の実現を図

る具体的な観点を示したものとして、一

れてきた。

 そうして、この精神は「指導書・道徳編」において、 「生命の尊重、

いる。今後の改訂においても、この基本精神はかわらない。

 しかし、この「人間尊重の精神」に「生命に対する畏敬の念」が道徳 教太の目票に加えられた。これは今度の教育課程の改訂に当たり、教育 課程審議会がその「答申」に、道徳教育改善の基本方針として、 「小学 校、中学校、及び高等学校を通じて、人間を尊重する精神や生命に対す

る畏敬の念を培うことを基盤として、民主的で文化的な国家・社会の発 展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる、主体性のある日本人

を育成することを一層重視する」としていることからである。生命に対 する畏敬の念が重視された理由として、教育課程審議会の「中間まと め」に、 「特に最近おきているいじめ、零細 の問題行  北景には、

児童生徒の意識や行動の側面からみると、生命を尊重する 度 他人に

1)瀬戸真編著「小学校学習指導要領の展開(道徳編)」明治図書 1989

(19)

対する思いやりの心に欠ける・・一」と述べられていることからも理解で きるだろう。

「生命の尊重」は、前述した「人間尊重の精神」に関する定義からもわ かるように、これまでも「人間尊重の精神」の一要素としてとらえられ

てはいた。

 内容項目にあっても、小・中学校ともに、その第一項目は「自他の生 命の尊重」となっている。しかしこの項目は、昭和33年告示の学習指 導要領において、諸内容項目が四つの柱(中学校では三つの柱)に分類 されていた際には、 「主として 日常生活の基本的行動様式 に関する 内容」のなかに置かれていた。この柱は、昭和44年(中学校は45 年)の改訂の際に除去され、今日に至ったのであるが、当初の考え方が いぜん残っているためにか、生命の、重が、今日にあっても、基本的な 生活習慣としての「健康の土窯と串全の 持」の に傾斜して指導され がちであることは否めない。

 もとより健康は人間存在の基盤であるし、また、家庭のなかにさえ電 気製品や化学薬品などの危険物が多く、外に出れば交通地獄に遭遇する ことを考えると、自他の健康の増進と安全の保持は、どれだけ強調され てもされすぎではない。しかし、生命の尊重は このよアに 単に生物 学的・生理当的γ元に垣まっていいのであろγか。このことが問われて いるのである。われわれが人間存在の根源を尋ね、自己の存在や生命そ のものの意味を深く問い求め、主体的に自覚するならば、生命のかけが えなさ、生きとし生けるものに対する慈しみや畏れ、敬い、尊ぶことの 大切さに気付かざるをえない。しかもこのことによって、自他の生命の 尊さや生きることの素晴らしさが改めて自覚させられるとともに、人間 の生命が、他のあらゆる生命との関係性や調和性の中に存在することを

(20)

も自覚させ、生けるすべてのものに対する感謝の念が呼び醒まされ、豊 かな心が育てられているだろう。したがって、ここでいわれている生命

とは、単なる生 として生理・だけでなく いのちとして人 とのかか わりにおいて自覚されるべきである。』(Pp.30−32)

 このように、文部省が意図する「道徳教育における生命の尊重」とは、

「基本的な生活習慣としての健康の増進と安全の保持」にとどまらず、

最近大きな問題となっているいじめや自殺なども視野に入れた、広範囲 にわたるものであるということが示されている。

 また、 『道徳教育推進資料(指導の手引き)3 「中学校読み物資料とそ の利用」』 (文部省編1993)によると、広い意味での生命に関する教育 の必要性は小・中のみならず、教科としての道徳が設定されていない高 等学校においても意図されている。その内容を小中の当該部分とあわせ て次ページに示す。の

1)文部省  『道徳教育推進資料(指導の手引き)3  「中学校読み物資料とその利用」』 1993

(21)

小学校

中学校

高等  学校

道徳の内容は一貫性をもつように配慮され ている。生命倫理関係の容は視点3「主と して自然や崇高なものとのかかわりに関す

ること」に含ま 黷トいる。(Pp.2−4)

主として公民科「倫理」での扱いが中心と されている。

『たとえば公民科における「倫理」は、その 目標に「青年期における自己形成と人間と しての在り方生き方について理解と思索を 深めさせ一」とあり、中学校における道徳 の時間の指導と密接に結び付いている。』

(Pp.5−6)

 このように、文部省が求める生命に関する教育とは、一貫性をもち、

最近の社会情勢もふまえた、広範囲にわたるものであるということがわ

かる。

 それでは、文部省は子どもたちの生命観をどのようにとらえているの であろうか。具体的に「生命観」として明示されたものはないが、 「小 学校学習指導要領の展開(道徳編)」のなかに、 「小学校における指導上 の配慮」として、生命観について説明していると思われる部分がある。

その記述内容は次の通りである。D(傍線筆者)

1)瀬戸真編著「小学校学習指導要領の展開(道徳編)」明治図書 !989

(22)

学 年

1〜2年

3〜4年

5〜6年

この期の児童には、動植物にやさしく接す る中でその成長や変化、褒などを通して、

すべてのものに生命があることに気付かせ たり、さらにそこから自分の生命を大切に することを指導することも可能であろう。

(P.74)

この段階になると、本当の意味での死を理 解できるといわれる。特に、この期に、様

々に生命を見つめて、生命の本当の意味や 生命の尊さを感得させる必要がある。 (P

(p.108)

この段階になると、蕪から褒に至

るまでの過程を、かなり実感をもって理解 できるようになる。・・・… そして、人間の 誕生の喜びと死の重さを知ることから、自

他の蕪し、力強く生き抜こうとす

る心を育てる必要がある。・… 例えばこん な例もある。老母が亡くなり、納棺の直前 に、子どもに手伝わせた。母親が老母の顔 の白布をとり、その額に手をあてるように 命じた。しりごみする子どもに『これがお

ばあちゃんだよ。もう呼吸もしないし,目 も開けない。』という。おそるおそるふる える手を出した子どもの手を母親は握り、

しっかりと目を見据えて、『これが人間の 一生なんだよ。生命が終わったということ なんだよ.』と語ったそうである.このよう

な機会を通じて、また新たな顯が培わ

れていくのである。(Pp.154−155)

この説明では単なる一例の提示にとどまっており、子どもの生命観が 根拠をもって示されていると言うことはできない。

(23)

〈3>道徳資料における生命の取り扱い

 それでは、実際の道徳授業において、生命に関する教育はどのように 行われているのだろうか。藤永(1991)は、小学校道徳の指導でもっとも

く利用されている教材である「副読本」について、 「生命尊重」という 内容がどのような扱われ方をしているかを調査している。ここでは藤永 の報告を次に紹介しよう。

 藤永は、まず副読本全体がどのようなどのような主人公をもっている かを4社分の資料で調査している。結果は表見一1のようになっている。

 表皿一1の特徴としては、次のような点があげられよう。

人間・… 全体として子どもが主人公になることが多い。学年別に見ると、

    大人が高学年になるほど多くなる。子どもは学年を通じて一貫     して多い。

動物一…動物の主人公は人間と比べて少ない。動物そのものは3・4年     生に多い。それ以降、人間の大人と交代する。擬人法は1・2     年生に多い。

植物・一・植物が主人公になることはもっとも,少ない。擬人法もある。植     物、擬人法とも1・2年生が多い。

 全体として、少なくとも形式的には、子どもに同情・共感を呼びやす いように、動植物を低学年ほど多く登場させ、擬人法も多くしていると

考えられる。

 次に、 「生命尊重」をねらいとした資料だけを抜き出して、その中で 主人公がどうであるかを調査した者が表皿一2である。特徴としては、

次のような点があげられよう。

(24)

表皿一1 副読本全体がどのようなどのような主人公をもっているか     学年

蜷l公 1 2 3 4 5 6 合 計

9 26

p   一   ■   9   曹   曹 560 79

    大人

l間

@   子ども

11

̀   一   一   一   一   一

U1

一   一   F   ,   F   −

U4 68 41

̀   一   層   胃   騨   一

T9 54

a@  曹   一   一   一   一

T4 60

a@  曹   曹   一   圏

T3

 201

]  一  F  冒  ,  一  ,  膠  ,

@359

28

ヒ   辱   −   層   冒   冒   雪

T1 12

?  一   ■

11 3

    動物

ョ物

@   擬人法

 8

?  曹   璽   層   ,   一

Q4  7

?  一   曹       圏

Q1 7 4 3

 42

?  一   一   冒   一   一   騨   一   一

@61

 6

?  一   一   一   F   一   一

@9

103 15

 1 1 1■   一  1

?  ■   一   一   ,

    植物

A物

@   擬i人法

 5・

J   刷   糟   ,   一   一

@4

 6

?  璽   一   曽   一   一

@4

2 1 2

 15

」  謄  ロ  冒  需  曹  冒  一  曹  曹

@13

 2

a@  璽   一   一   一   璽   ・

@2

28 4

その他 5 8 2 1 2 2 20 3 20 3 118 119 118 118 119 119 711 101 711 101

* %の数字は四捨五入しているので、必ずしも合計100%にならない。

人間一・・大人がはっきりと高学年に多く、子どもたちに理想的モデルを     提示している。子どもは低・中学年に多く登場する。3学年は     健康・安全が集中した。

鵜::::1∴雲集二1∵1段階の考え方

 「生命尊重」のねらいの資料のもう少し詳細な分析をしたものが

表皿一3、表皿一4,表皿一5である。特徴としては次のような点があ

げられよう。

人間一・・「誕生・親の願い」望まれて産まれ、自分が親の願いでもある     ことを知るのは自分の存在感・充実感につながり、自己確認の     よい契機となるという考え方を前提にしている。

    「人命救助・人命尊重1何かを犠牲にして、困難を乗り越えて

(25)

表皿一2:道徳資料の主人公(「生命尊:重」の資料 10社分)

    学年

蜷l公 1 2 3 4 5 6 合 計

1}

 25

? 一  一  一  r  一  ρ  曹  一

25

Q  幽  幽  一  一  一  一 58 58

    大人 l間

@   子ども

曹   雪   P

@5

6 13

 3

ン   層   曹   一   一   一

@5

10

̀   一   曹   一   一   一

@2

11

?  一   一   一   F

@2

33 33

    動物

ョ物

@   擬i人法

10

?  帽   冒   一   胴   一

 7

?  一   一   一   辱   

@1

 4

@1

 9

?  謄   一   一   曽   一

 2

C   F   雪   一   一   一

@1

一   一   一   ロ   一

@1  32

? 一  一  r  ,  ロ  ρ  曹  髄

@ 4

32

Q  一  一  ρ  一  一  ■

@4

36 36

    植物

A物

@   擬人法

 3

?  一   嘗   藺       一

 3

?  冒   曹   曹   一   一

@1

幽    一   甲   一   ロ   一 一   一   一   一   一   曹 一  一  一  層  冒  【

 1

a@  曽   一   一   一

  7

? 曹  ■  一  辱  r  「  圃  曹

@ 1

 7

?  一   幽   一   一   層   曹

@1

8 8

18 18 19 17 15 15 102 102 102 102

*%の数字は四捨五入しているので、必ずしも合計100%にならない。

    人命を救う。その大人の行為から、生命の尊さを示そうとして     同時に、人間相互の愛・連帯を表現している。

    「生命充実・意味・偉人伝」抽象的内容で、同一化のための理     想的モデルである。

動物一・・全体に低学年に多い。同情・共感しやすいことを前提にしてい     る。

    「生態・生命連鎖」内容は簡単なものから高度なものまである。

植物一・・実際の植物栽培・観察との関連を念頭に置いていると考えられ     る。

各出版社が、登場する人間・動植物の回数や、人間の場合に大人にする か子どもにするか、どのような状況で登場させるかなどの全体のバラン スを考えて編集しているかどうか不明であるが、奇しくも共通の傾向が

(26)

表皿一3:人間が主人公の「生命尊重」の資料     学年

? 容 1 2 3 4 5 6

誕生・親の願い 1 3 4 2 10

事故・安全 7 7

病気。健康 2 1 1 1 1 6

死亡 1 2 2 1 6

人命救助・尊重 1 1 3 10 5 20 生命充実・意味 1 1 2 4

偉人伝 1 3 4

自然破壊・公害 1

5 6 14 8 13 12 58

読みとれるのではなかろうか。健康や安全、基本的生活習慣の獲得など、

「学習指導要領」で低学年の指導内容として記載してあることが低学年 に集中することは当然のことであるが、それを動物の擬人法にするかど

うかは任意のことであり、それだけ興味深いものがある。

この藤永の調査によれば、生命に関する道徳資料の中心的な主人公は、

低学年では動植物、中学年では人間の子ども、高学年では人間の大人と

表m−4:動物が主人公の「生命尊重」の資料     学年

? 容 1 2 3 4 5 6

誕生・成長 3 4 1 1 9

飼育 1 1 2

1 2 1 4 8

生命尊重 4 1 2 2 1 10 生態・生命連鎖 1 1 2 2 1 7

計, 正0 8 5 9 3 1 36

いう傾向が見られる。これは、 「生命を考える時、低学年の子どもにと っては動植物の生命を題材とすることが適切である。また、中学年では 人間の子ども、高学年では人間の大人を主人公とすることが望ましい」

(27)

表皿一5:植物が主人公の「生命尊重」の資料     学年

? 容 1 2 3 4 5 6

発芽・成長観察 2 4 6

生命力 1 1 2

3 4 1 8

という生命観に基づくものと考えられる。

 しかし、このような生命観がどういう根拠によるものかということは 何も示されてはいない。藤永(1991)はこの点について次のように指摘し

ている。1)

『実際に使用される道徳資料が、以上のような実状であるとすれば、こ のような資料は、子どもを指導する上で本当に効果的であるのかどうか

ということが問題である。すなわち、子どもの認知能力の問題として、

生命がどの程度理解されるのか、大人の考え方が(哲学的なものも含め て)直ちに子ども、特に小学校低学年の子どもにどのように理解される かということが問題である。こうした議論の仕方は、実は順番が逆であ る。つまり、子どもは生命に対してどのような意識をもっており、どの ような認知能力があるから、それに対してはこのような教材を使用して、

このような方法で指導する、という順で考えていくのが本来的であろう。

ところが、ここで先に資料を見て、その根拠を後で考えるというのは逆 だということである。』

 現在も学習指導要領に基づく道徳の授業において、生命に関する指導 が行われている。しかしこの藤永の指摘で明らかなように、それは明確 な生命観の発達をふまえて行われているどいうわけではないと思われる。

/)藤永芳純道徳教育学論集第6号 1991.2.p39

(28)

〈4>「道徳資料」にとらわれずに行われている「生命」や「死」の教育に  ついて

 最近、マスコミ等で教科や領域の枠にとらわれない総合学習として、

生命や死に関する教育がある。これらは、いわば担当教員の裁量、すな わち「思い」によって実施されているものである。ここではそのいくつ かを取り上げて、検討してみたい。

①「にわとりを殺して食べる」授業

 この授業は、東京都中野区立桃園第二小学校の鳥山教諭によっておこ なわれた。記録によると、この授業は次のようなものであった。11

授業対象者 授業者

その他の参加者 場所

主たる教材

その他の教材教具等 児童の準備物

授業の動機と目的

小学校4年生1学級 鳥山敏子教諭

児童の保護者、兄弟、協力者 多摩川の河川敷

生きたにわとり22羽

調理用具類、関連食材(ソーセージ、野菜 等のバーベキュー材料)、調味料

着替え、食器類

自分の手ではっきりと他のいのちを奪い、それを口にしたことがな いということが、ほんとうのいのちの尊さをわかりにくくしている のだ。殺されていくものが、どんな苦しみ方をしているのか、ある いは、どんなにあっさりとそのいのちを投げだすか、それを体験す ること。ここから自分のいのち、人のいのち、いきもののいのちの 尊さにきつかせたい。

授業の流れ

・児童は空腹状態で授業に参加する。

 口にしない

・協力者の田で稲刈りを行う。

(朝から一滴の水も食べ物も

1)鳥山敏子「いのちに触れる」太郎次郎社1985

(29)

・多摩川に移動する。

・にわとりを放し、児童につかまえさせる。

・協力者がにわとりを「つぶす」様子を見る。

・協力者が「つぶした」にわとりの羽をむしり、調理を開始する。

・児童がにわとりを「つぶし」はじめる。

・にわとりを「つぶす」様子を見たくないと言って逃げ、一羽のに わとりを抱いて泣き続けている女の子たちをあつめ、 「私がいま からにわとりを殺すから、けっして目をそらさずにみているこ  と!」とかなりきつい口調で命令する。

・子どもたちの泣き声をはねのけるようにして、教師がにわとり  を殺し、その様子を児童に見せる。

・にわとりを他の食材とともに調理し、バーベキューとすいとんを

つくる。

・バーベキューとすいとんを食べる。

 このような授業を行うためには、綿密な計画と周到な準備が必要であ ろうことは予想できる。その意味では、鳥山先生の取り組みは敬服でき る。授業記録から先生自身の熱い思いを読みとることができる。しかし この授業の評価については記述されていないため、当初意図された目的 が達成されたかどうかは不明といわざるを得ない。

 そこでこの授業を受けた児童の感想文を材料に、授業評価を行う。

児童の感想文の内容は概ね共通しているが、その中から鶏を殺さなかっ た心の動きをよくあらわしているA子、そして実際に鶏を殺した自分の 行動を具体的に表現しているB男の感想文を取り上げる。

・A子の感想文(原文通り)

「鶏を殺した。私はとてもざんこくで殺せなかった。いこまさんや望美 さんは、鶏をだいてないていた。それなのに、男子は、望美さんやいこ まさんのあとをおいかけ、鶏をつかまえようとする。のぞみさんたちは、

(30)

とってもいやがっているのに、男子たちはナイフをもっておいかけて来 る。坂内さんははらがたったみたいで、 「あんたたち、命のことを考え ないで、殺すことぽかり考えて、鶏だって命があるんだから」と、顔を まっかにさせて言った。

 鶏を殺すところでは、もうたくさんの鶏が殺されていた。川は血でい っぱいだった。男子たちが殺していた鶏をちらっと見たら、くちばしか

ら血がポタポタたれていた。男子が、 「女子たち、鶏をだいて、かして くれない」と、いっしょに来たおばさんや先生に言っていた。最後の最 後まで鶏をだいていたんだけど、とうとう鶏はつれていかれた。生駒さ んがもっていた鶏が先生に殺される。先生は、 「鶏から目をそらすな」

と言った。だいぶみていたけど、がまんできなくなって目をそらした。

首をきったけど、まだ生きていた。はねをばたばたさせ、首からは血が ポタポタたれている。ねっとうに入れると、赤いとさかが黄色くなって、

目もとじて、ただでさえ白い鶏がもっと白くかんじた。そのしゅんかん 私は、体のなかのなみだがぜんぶ出そうだった。女子では中島さん一人 が鶏を殺していた。生駒さんたちは、 「お肉、食べない」と言っていた。

けど、ほんとうは、ものすごくおなかがすいていたんだろうと思う。

「私は鶏を殺してしまったんだから食べなくてはだめだ」と思い、けっ きょく少し食べた。」

・B男の感想文(原文通り)

「ナイフでにわとりをころすのがいやになりました。にわとりの首をき ったら、ないぞうがでて、血がドクドクでて、みんなは、きもちわるい みたいで、みていました。友だちがにわとりの首のあたりをさした。ぼ くは、見た。ぼくが一回やったら、すごくあばれ、足がすごい力だった。

かわいそうだけど、にわとりをたべないとおなかがすくから、ころした。

(31)

女子たちが、ないた。けど、ぼくたちはにわとりをころした。」

 感想文を読むと、鶏を殺せなかったA子も、鶏を殺したB男も、この 授業で大きなショソクを受けたことがうかがえる。このことは、この本 でとりあげられた他の児童の感想文にも共通している。では、なぜこの ようなショソクを児童が感じたのだろうか。それは、この授業が児童の 生命観をふまえていない、先生の思いだけが先行した授業であったとい

うことが大きな理由であると考える。

 確かに、人間は他の生物の命を奪って生活していることは事実である。

そしてそのことを十分に自覚し、命を与えてくれた生物たちに心から感 謝する気持ちを養うことも大切である。このことは、学習指導要領にも 明示されている通りである。しかしこの授業は子どもにとってあまりに も唐突であり、子どもの受けたショックが大きすぎて、先生が意図した 本来の目的は達成できなかったと考えられる。

 A子の感想文に見られる「ざんこくで殺せなかった」 「鶏をだいてな いていた」 「ナイフをもっておいかけて来る」 「川は血でいっぱいだっ た」 「くちばしから血がポタポタたれていた」 「とうとう鶏はつれてい かれた」 「先生は鶏から目をそらすな、と言った」 「だいぶみていたけ ど、がまんできなくなって目をそらした」 「体のなかのなみだがぜんぶ 出そうだった」 「お肉、食べないと言っていた」という文言は恐怖感に 満ちあふれており、A子の受けたショックの数々をそのままあらわして いると思われる。この授業が、A子の心に何らかの傷を残した可能性も 否定できないだろう。

 また、B男の感想文の「ナイフでにわとりをころすのがいやになりま した」 「にわとりの首をきった」 「ないぞうがでて」 「血がドクドクで

(32)

て」 「友だちがにわとりの首のあたりをさした」 「ぼくが一回やったら、

すごくあばれ」といった表現をみると、にわとりをナイフで殺した、と いう異常な体験としてだけ記憶される可能性もあると思われる。

 従って、 「自分の手で命を奪うことにより、命の大切さに気づく」と いう授業目的は、ショックの中でうち消されてしまったと評価せざるを 得ない。また、 「自分の手で命を奪うことにより、命の大切さに気づ

く」ということであれば、狩猟民族や牧畜民族は、農耕民族よりはるか に命の大切さを知っているということになる。なお、生の糧となる動植 物に感謝する風習は、アイヌ民族のコタン祭など、日本を含めて世界各 国に残っている。

 、

②「死んだ動物の写真を見る」授業

 この授業は、東京都新宿区立淀橋第四小学校の東風教諭によって実施 された。この授業は次のようなものであった。1)

授業対象者 授業者 主たる教材 授業のねらい 授業の流れ

小学校6年生1学級(34名)

東風安生教諭

写真集「死」 (宮崎学)

死を迎えた動物の写真を見て、死は生命の 完全な終わりと理解する。

[教師の発言・指導]    i[児童の主な発言、行動、様子]

・「動物が死んで、そのままに  しておいたらどうなると思  いますか。」

・写真集「死」を見せる。

1・「そのうちに少しずつ消えてい

1  く。」

1・「腐って、ぐちゃぐちゃになる。」

i・「そのまま、ずっとそこにある.」

i・みな、息を呑む。しばらくの

1)東風安生 日本教材学会「1997

(33)

*森の中で死んだカモシに、

 ハエがたかり、タヌキが食  べ、次第に白骨化していく  様子を連続的に撮影した写  真である。

・写真で動物の写真を見た感 想を聞く。

1 間、沈黙がながれる。

1・うつむく児童や、逆にじっと見 1 入っている児童がいる。

=・「気持ち悪い、そうなのかと思っ 1 た。」(その他は発言がなく、考 1 え込む)

 東風教諭はこの授業の前後に次のような調査を行い、児童の意識の変 化を比較している。

◎調査「人はいつまでも生きられるか」

3人の人が「人の命5について話し合っています。ふさわしいと思う番号に○をつけて下さい

指導前 指導後 1事故や病気がなければ、いつまでも生きられる 5 2

2 いっかは死ぬ 2 6 3 1

3 どちらかわからない 3 1

 東風教諭は、この調査結果から、 「いっかは人は死ぬ、と思う児童が 増加している。いたずらに不安や恐怖感をもたせたり、逆に死を美化し ないような指導のねらいが達成できたとみる」と評価している。

しかし、そのような結論付けは早計であるように思う。それよりも、次 第に腐敗がすすんで白骨化していくリアルな動物の死体の写真を見て、

何らかのショックを受けた児童はいなかったのだろうか。序論で指摘し たように、子どもたちの中には、死の恐怖とたたかっている者も数多く いるのである。あるいは、死に直面している家族が身近にいるかもしれ ないのである。もしそのような児童がいたとしたら、取り返しのつかな いショックを与えてしまう可能性がある。この授業についても、子ども

(34)

の生命観の把握が十分でないと考える。

②「ガン患者の話を聞く」授業

 この授業は、金沢市立富樫小学校の金森教諭によっておこなわれたも ので、新聞紙上で取り上げられた。新聞記事のため、授業記録という点 では十分ではないが、まとめると次のようである。1)

授業対象者 授業者 協力者

授業への「思い」と

「ねらい」

授業の流れ

小学校5年生1学級(32名)

金森俊朗教諭

マルセ太郎氏(63歳)

*マルセ氏はがんで肝臓の手術を受けながら も、喜劇タレントとして活動を続けている。

・今の子どもたちは、厳しくなる一方の勉 強やいじめなどで、生きる喜びを実感で

 きないでいる。

・死を考えることはより充実した生につな

がる。

・学校では、誕生は教えても、いかに生き  るかが抜けていた。それを突き詰めてい  るのが死に直面した人だ。死の授業は、

生の授業である。

・死を考えることはより充実した生につな

がる。

[第1回目〜マルセさんを教室に迎えて〜]

     [生徒の発言]

・「死はこわくないですか」

1[マルセさんの話]

=・「こわいのは当たり前」

1 このあと、笑いも交えて2時間 1 余り、死に対する自分の気持ち 1 や生きることへの心構え、自己

; 愛などを率直に語った。

1)金森俊朗 朝日新聞 1997.1。28

参照

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