道徳教育における倫理学の役割
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第60巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.60,No.2. 平成22年2 月 February,2010. 道徳教育における倫理学の役割. 千 葉 胤 久 北海道教育大学旭川枚倫理学研究室. RolesofEthicsin MoralEducation CHIBA Tanehisa. DepartmentofEthics,AsahikawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 道徳教育,特に道徳の授業を構想するにあたって,倫理学を学んでおくことにはいかなる意義があるのだ ろうか。このことを検討することが本稿の目的である。倫理学を学んでおくことの意義として,第一には,. 道徳的問題を特定・明確化し,その間題に関して道徳的な正当化を行い,それらを通じて,自らの道徳的直 観を反省的に検討することを可能にする,ということをその意義として挙げることができる。道徳の授業に. はいくつかの代表的な指導方法を挙げることができるが,どの指導方法においても,教えるべき道徳的価値 の内容に関する基本的にして本質的な理解が不可欠である。倫理学を学ぶことは,道徳的価値の本質的な内 容を深く理解するために有益である。このことが倫理学を学ぶことの第二の意義であると言うことができる。. はじめに. 道徳の授業を構想するにあたって,倫理学の理. を取り上げ,倫理学の歴史のなかでなされてきた 議論を手がかりとして,それらの価値の基本的内 容を明らかにする。そして,そこで明らかになっ. 論的な知識を有しておく必要はあるのだろうか。. た基本的内容を参照することによって,学習指導. この間いに肯定的に答えるのが本稿の目的であ. 要領における「内容項目」に関する理解を少しで. る。まず,第1節においては,道徳・倫理の問題. も深めることを試みる。. を考えるにあたって,倫理学の諸理論を学び,倫. 理学の諸見解に親しんでおくことが,なぜ必要な のかということについて,医療倫理学における所 論を手がかりに考察を加えていく。次に第2節に. 1 倫理学を学ぶ理由 医療倫理の場面において,医療倫理の難問に取. おいては,道徳の授業のいくつかの代表的な指導. り組み,解決の筋道をつけるためには以下の3つ. 方法に即して倫理学を学ぶ必要性について考察す. の作業を行う必要があるが,倫理学理論はそれら. る。最後の第3節においては,道徳の授業におい. の作業を上手く進めるための手助けとなる,と言. て取り上げられる道徳的価値のうちからいくつか. われることがある1。.
(3) 千 乗 胤 久. 1)問題状況における道徳的問題の同定を可能 にする。. 何が倫理的・道徳的問題であるか。それが. そして,多くの資料には複数の道徳的問題が含ま れている。したがって,その資料にはどのような. 道徳的・倫理的問題が含まれているか分析し,そ. どのような道徳的問題であるか,明確にする. れぞれに絡み合った形で資料に含まれている道徳. ことに役立つ。. 的問題同士をときほぐし,関係を整理・明確化す. 2)自らの判断・行為への道徳的・倫理的な正 当化を可能にする。 自らの判断・行為の倫理的正当性の根拠を 示し,もっともな理由に基づいた行為である ことを明らかにするのに役立つ。 3)道徳的な直観に関する反省ないしは再検討 を可能にする。 自らの道徳的直観を反省し,批判的な検討 を行うことを可能にする。. ることは,これもまた道徳授業を構想する上での 基本的な準備作業の一つである,と言うことがで きる。. このことを少し具体的に見ていくことにしよ う。ここでは,小学校6年生向けの道徳資料「こ こを走れば」2を具体例として取り上げることにし たい。 まず,この資料の概要を見ていこう。日曜日の 朝早く,主人公「ぼく」の祖父が倒れ,入院した という知らせが入る。祖父は父にとっては,「人. たしかに,道徳哲学・倫理学の理論であるなら. に迷惑をかけることをいちばんきらう厳しい人」. ば,それがどのような主張を行うものであれ,こ. であるが,「ぼく」たちにとっては「とてもやさ. れらの作業,すなわち道徳的問題の同定,道徳的. しいおじいさん」である。「ぼく」たち家族は,. 正当性の根拠付け,道徳的直観に対する反省を自. 父の運転で,祖父の入院している病院へ向けて急. らの理論的な仕事として営んでいないものはない. いで出発する。高速道路に入ってしばらくすると,. と言うことができるであろう。だとすれば,この. 「ぼく」たちの車は事故による渋滞に巻き込まれ. 3つの作業が道徳教育を実践する上でも必要な作. てしまう。少し走っては止まる状態を繰り返す中,. 業であるということが確認できるならば,倫理学. 妹が路側帯を指して「ねえ,お父さん,こっちの. の諸理論を学ぶことは道徳教育にとっても意義あ. 道は走れないの。ほら,ここを走れば,どんどん. ることと言えることになるであろう。. 前へ行けるわ」と言う。実際に,数台の他の車が. では,この3つの作業は,道徳教育,道徳の授. スピードを出して路側帯を走っていく。これに対. 業を構想する上でも必要な作業なのであろうか。. して父は,路側帯は緊急車両が走るための道で. われわれはこの問いに肯定的に答えることができ. あって,一般車両は走ってはいけないきまりがあ. る。まず,道徳的問題の同定という点から,この. ること,また,他の人もしているということを理. ことを確認していこう。道徳の授業は1時間1主. 由にきまりを破ることを正当化するならば,皆が. 題で行われ,一つの主題が設定されることが多い. 路側帯を通行することを認めることになり,路側. が,自らの設定する主題における道徳的問題がい. 帯が混雑することで緊急車両の通行の妨げにな. かなるものであるかを特定し,明確化することは. り,命を落とす人が出てくるおそれがあること,. 授業準備における基礎的な作業であり,この作業. それゆえに「みんながまんして規則を守っている」. を丁寧に行わなければ授業が何ついて考える授業. のだということを,強い口調・厳しい表情で説明. であるか曖昧なものになってしまうであろう。ま. する。結局,病院への到着は予定よりもずっと遅. た,道徳の授業は資料を使用して行われることが. れてしまい,祖父の死に目に会うことはかなわな. 多いが,道徳の授業において,医療倫理の場面に. かった。「あのとき路側帯を走っていたら…」と. おける現実の問題状況に相当するのが,授業で取. 思う「ぼく」であったが,祖父に手を合わせてい. り上げられる資料である,と言うことができる。. る父の日から涙がこぼれていくのを見て「はっと」.
(4) 道徳教育における倫理学の役割. させられる。 以上がこの資料の概要であるが,この資料は,. 前に会うことができず,私もつらく悲しい気持ち です。しかし,人様に迷惑をかけることを一番嫌. 作成者の意図としては,「なぜ法やきまりを守ら. うお父さんですから,路側帯を走って駆けつけて. なくてはならないのか」を子どもたちに考えても. もお父さんを喜ばすことにはなりませんよね。他. らうことをねらいとして作成された資料である。. 人の迷惑にならないよう法律・きまりを守ったこ. しかし,ここには「法やきまりを守る」という道. とをお父さんは認めてくださいますよね…」。こ. 徳的問題のみが語られているわけではなく,父の. の指導書では,これらのことを考えさせた上で,. 祖父への愛情も見て取ることができ,「家族を愛. 「なぜ法や決まりを守らなくてはならないのだと. すること」というもうひとつの道徳的問題も見て. 思いますか」という発間を最後に投げかけるとい. 取ることができる。この二つの異なった道徳的問. う指導の流れになっている。. 題が絡み合って一つの状況が構成され,資料が作 成されている,と言うことができるであろう。 ここで注意すべきは,遵法精神と家族愛は問題. この流れに従って,「なぜ法や決まりを守らな くてはならないのだと思いますか」という問いに. 答えるならば,子どもたちによっては資料の特殊. として異なる,ということである。この二つの道. な状況から離れることができずに,「法や決まり. 徳的問題を明確に区別すること,そしてその上で,. を守ることをおじいちゃんは望んでいるから」,. それら異なる二つの問題がどのように関連して一. 「おじいちゃんの気持ちに応えるためには,路側. つの状況を構成しているのかを理解すること,こ. 帯を走らないという法・きまりを守ることが必要. うした準備作業が授業構想の際には必要となる。. だから」という回答が出てくることが予想される。. この道徳的問題の明確化の作業を十分に行わずに. このような場合,「親の教えや思いを大切にす. 授業を行うならば,授業の展開の仕方によっては,. べきである」ということが「法やきまりを守るこ. 二つの問題の違いがあいまいになってしまい,授. と」の理由であるかのように語る授業になってし. 業自体もあいまいなものになってしまうことが予. まうおそれがあることには十分に注意すべきであ. 想される。. ろう。もちろん,父親の教えを守ること,父親の. この資料が掲載されている教師用指導書を見て. 思いに応えることを動機のひとつとして行為選択. みると,路側帯を走ってまで祖父に会いに行った. を行い,その結果として,法に従うということは. としたならば,祖父はそのことを喜んでくれるか. ありうる。しかし,「肉親の思いに応えること」は,. どうかを問うことが,発間例として挙げられてい. この事例においては「法を守る」という選択を促. る。この間いに対して,父の立場から考えるなら. す要因にはなっているが,「なぜ法やきまりを守. ば,「人に迷惑をかけることをいちばんきらう厳. らなくてはならないのか」ということの一般的な. しい」性格からして,路側帯を走るという他者に. 理由とは見なしえないものである,ということに. 迷惑をかける行為を祖父は決して喜ばない,と答. 注意すべきである。. えることができるであろう。さらに,この指導書. このことは,仮に祖父の性格が「他人に迷惑を. では,父が涙を流しているのを見て「はっと」し. かけることをいちばんにきらう厳しい」ものでは. た「ぼく」は,そのときどんなことを思ったのか. なく,また「なんとしても早く息子や孫たちに会. を問うことが推奨されている。この間いを受けと. いたい」と祖父が強く望んでいるという場合で. めて考えるならば,まず,そのときの父の心境を. あっても,法や決まりを破ってもよいということ. 推量することが必要になるだろう。第一の発間と. には必ずしもならないということを考えれば明ら. の関連から考えるならば,そのときの父の心境は,. かであろう。どのような状況であっても,「なぜ. およそ以下のようなものになるであろう。「お父. 法や決まりを守らなくてはならないのか」という. さん,死に目に会えなくてすみません。亡くなる. 一般的な問いに対する回答は基本的には変わらな.
(5) 千 乗 胤 久. い,ということに注意すべきである。この資料の. 内容に即して言うならば,「他の人もしているか. おくことは有益である。. また,「なぜ法や決まりを守らなくてはならな. らと言って,みんなが路側帯を走ったとしたら…」. いのか」ということに関しては,事故で渋滞が生. という部分を中心に,多くの人々が共同で生活を. じているという点を取り上げて,路側帯を走るこ. する上では「法やきまりを守らなくてはならない」. とは緊急車両の通行の妨げとなり,事故で怪我を. ということの意味を確認することが必要であろ. した人の命を危険にさらす可能性があることを想. う。例えば,規則功利主義的に考えるならば,一. 起させることが指導として有効であろう。例えば. 般的にその決まりにしたがうことが関係者の全体. 功利主義的な立場に立ち,自らの行為・選択が関. の利益になることが明らかな場合,その決まりに. 係者それぞれにどのような影響を及ぼすか考えさ. 従うべきであるということになるが,このような. せ,関係者全員の利害を考えた場合,事故で怪我. 仕方で,法やきまりを守ることの意味を確認する. をした人の利益を最優先に考えるべきであること. ことは,「なぜ法や決まりを守らなくてはならな. を確認する,などの指導を通じて,法や決まりを. いのか」ということを考えてもらう授業では欠か. 守るべき理由を子どもたちに考えさせることが必. すことのできない作業であると言うことができる. 要であろう。あるいは,路側帯を走るという行為. であろう。. が事故で怪我をした人の命を危険にさらす可能性. この作業は,法やきまりを守る理由を考えさせ. が高いという点に関しては,義務論的に考えて,. ること,つまり「判断・行為の道徳的・倫理的正. 他者に危害を加えることはしてはならないという. 当化」を行わせることであると言うことができる。. ことは我々が一般に守るべき義務であって,その. そこで次に,第二の「自らの判断・行為の道徳的・. 義務から法や決まりを守ることの理由を考えるこ. 倫理的正当化」という点についても同じ例をもと. ともできるであろう。このように,倫理学の諸理. に見ていくことにしよう。. 論に接することは,授業において取り上げる「な. ここではまず,授業の中で「なぜ法やきまりを 守らなくてはならないのか」という問いに対して, 「法や決まりを破ることを祖父は望まないから」. と答えた子どもがいた場合,どのように応答した. ぜ」という問いを様々な観点から考えることを可 能にし,授業を構想し,準備する際に多くの手が かりを碇供してくれると言うことができる。. 最後に第三の「道徳的直観の反省ないしは再検. らよいのであろうか,ということを考えてみたい。. 討」に関して見ていこう。授業において使用する. ここでは「祖父が望んでいる」ということが「法. 資料から授業者が道徳的問題を取り出す際,通常. や決まりを守る」べき理由として挙げられている。. は授業者の道徳的直観によって見て取られた道徳. 倫理・道徳を考える場合には,理由を問うことは. 的問題が取り出されることになる。授業者の道徳. 重要な作業のひとつである。「祖父が望んでいる」. 的直観とは,要するに授業者の常識ないしは先入. ということは「法や決まりを守ること」のもっと. 見であり,その正当性はともかくも,立場として,. もな理由と言えるだろうか。もしそれが,もっと. あるいはものの見方として一面的であるおそれが. もな理由であるとするならば,もし祖父が望んで. ある。そうした道徳的直観を反省・再検討するこ. いなければ法や決まりを守ることは必要ないと言. とは,授業内容が一面的なものになり,授業が価. うことになる。しかし,そのように言えないこと. 値の押しつけとなることを防ぐことにつながる,. は明らかであり,法や決まりを守るべき理由は,. と言うことができるであろう。と言うのも,自ら. 祖父の思いとは別にあるといえる。このように,. の直観を反省し,批判的に検討することは,他な. 行為の理由を合理的に筋道立てて推論し,考える. る直観もありうることに気づき,授業において予. 訓練を行うということは道徳の授業においても重. 想される児童・生徒の多様な反応(他なる道徳的. 要であり,そのために倫理学の諸理論に親しんで. 直観)をあらかじめ想定するのに役立つからであ.
(6) 道徳教育における倫理学の役割. る。これらの点で,直観の再検討は授業の構成を. 手法がとられることが多い。次の展開部において. 検討する上での貴重な手がかりを与えてくれると. は,前半で「価値の追求・把握」,後半で「価値. 言うことができる。. の主体的自覚」を目指した指導が行われる。展開. 多様な道徳的直観が見いだされる場合,それぞ. 前段における「追求」は,主に資料の読解を通し. れがいかなる意味で道徳的・倫理的に正当である. て行われ,その段階においては,資料の登場人物. と言えるのか,その根拠・理由を明らかにしてお. の心情を共感的に理解することを通じて,ねらい. くことが必要になる。この作業は,多様な道徳的. とする価値の具体化され特殊化された内容を把握. 直観を通じて見て取られる多様な道徳的問題を分. することが目指される。「把握」においては,資. 析・整理する上で不可欠な作業であり,さらには,. 料の登場人物の考え方やそれに対するクラスメイ. それらの問題のうち何を主たる問題として重視す. 1、の意見など多様な意見に触れることによって,. べきであり,何を副次的な問題とみなすべきかを. ねらいとする価値に関する多面的な理解を促す指. 明確にするのにも欠かすことのできない作業であ. 導がおこなわれる。展開後段では,これまでの段. る。. 階の指導において獲得された多面的な価値理解. 以上見てきたところから伺えるように,同定・. (これが「高められた価値観」と呼ばれる)をも. 正当化・直観の再検討という3つの作業は互いに. とに,自分を振り返らせて自分のあり方を自問自. 連動して行われるものであるが,道徳の授業準備. 答させる「価値の主体的自覚」を目指した指導が. の際には,これら3つの作業は繰り返し行われる. 行われる3。. べきものである,と言うことができるであろう。. 以上が「価値の主体的自覚を目指す指導法」の. そして,これらの作業を十分に行うための手助け. 概要であるが,上で見てきたように,この指導法. を倫理学の諸理論は与えてくれるといってよいで. では,まずある特定の道徳的価値が指導者によっ. あろう。. てあらかじめ設定され,授業で取り上げる価値へ の方向付けが行われる。ここで言う「道徳的価値」. 2 道徳授業の代表的な指導方法と倫理学理 論の接点. 2−1価値の主体的自覚を目指す指導法 今日ひろく実践されている指導法のひとつに,. 価値の主体的自覚を目指す指導法を挙げることが. (あるいは学習指導要領における「道徳的価値」) とは,要するに学習指導要領において「内容項目」. として示されているもののことである。例えば, 中学校学習指導要領における内容項目の一つに 「公正・正義」がある。正確には,以下のように 記述されている。. できる。この指導方法は,ねらいとする道徳的価 値への方向付け,価値の追求・把握,価値の主体. 的自覚という各段階を経て,より高められた価値. 「正義を重んじ,誰に対しても,公正,公平に. し,差別や偏見のない社会の実現に努める。」4. 観から自己を見つめ直すことを目指している。 この指導方法の流れを,「導入・展開・終末」. 学習指導要領では,「正義を重んじる」という. という授業の型に即して確認するならば以下のよ. ことが「道徳的価値」と名指されているものの一. うにまとめることができる。まず,導入部におい. 例であり,価値の主体的自覚を目指す指導法にお. て,この授業において取り上げることを授業者が. いてあらかじめ設定される道徳的価値の一例であ. 意図する道徳的価値への方向付けが行われる。こ. る。ここで少なくとも言うことができるのは,「正. の方向付けは,主として子どもたち自らの具体的. 義とはどういうことか」,「公正であるとはどうい. な体験・経験を想起させることで,子どもたちに. うことか」,「差別とはどういうことか」,これら. その「価値」を意識させ,関心をもたせるという. のことに関する本質的理解がなければ,授業を行.
(7) 千 乗 胤 久. うことはできない,ということである。 かつて,ある小学校教員から,「正義とは何か」. 「価値への方向付け」に関連させて,道徳的価値 の基本的内容を把握しておくことの重要性につい. という問いに対して,「正義とは,自分が正しい. て述べてきたが,道徳的価値の基本的内容(コア・. と思ったことを最後まで貫くことだと思います」. イメージ)を把握しておくことは,授業の展開部. という回答をもらったことがある。その発言の真. 分においても重要である。展開前段においては,. 意を十分に汲み取ることはできなかったのである. 資料等から見て取ることのできる道徳的価値の具. が,少なくとも言葉の上だけで見るならば,その. 体的な「追求・把握」が行われるが,道徳的価値. 「正義観」は単なる独善との区別が不明確なもの. の具体的な把握を十分に行うためにも,その道徳. と言わざるをえないであろう。もし,こうした理. 的価値の基本的内容を教師が事前に理解しておく. 解に基づいて「正義を重んじる」ことの具体的事. ことは必要である。. 例が想定され,資料が選択されたとしたらどうで. 一例として,道徳資料「ぼくは後悔しない」5を. あろうか。また,こうした理解に基づいて,子ど. もとに具体的に見てみよう。この資料は,学級会. もたちの意見が整理,分析されて授業が展開され. の議題を決める運営委員のひとりである主人公. たとしたらどうであろうか。その授業は,各人が. 「三郎」が友人「正夫」の日頃の学級での振る舞. 個人的に「自らが正しいと思ったこと」を述べあっ. いを批判し改めることを求める議題を取り上げる. ただけのものに止まり,「正義を重んじる」とい. かどうか悩みながらも,公正・公平であることを. うことを考えた授業にはならないで終わってしま. 重んじて議題として取り上げる決断を下す,とい. う可能性が高いであろう。公教育における授業で. うことを中心的な内容とする資料である。このと. あるからには,指導される「道徳的価値」の中身. き,友人の関わる議題を取り上げることが公平で. は客観的・一般的なものでなければならず,決し. あり,取り上げないことが不公平であるというこ. て授業者の主観的・個人的な思いであってはなら. とは,この資料を読んだ,どの子どもたちにも容. ない。ましてや,誤った思いこみであってはなら. 易に理解されることである。しかし,その理解は. ない。授業者は各道徳的価値(各内容項目)の基. なんとなく理解されているだけの漠然としたもの. 本的内容をしっかりと把握しておく必要がある。. であるともいえる。議論を深めない段階で,子ど. 授業を構想するにあたって「正義とは何か」につ. もたちに「なぜ友人の議題を取り上げないのが不. いて,これまでどのような議論が蓄積されている. 公平なのか」と問うならば,多くの子どもたちは. のか,ある程度は知っておくことが必要であろう。. 「友達を特別扱いすることだから」,「友達をえこ. 言い換えれば,「正義」ということ,「公正」とい. ひいきすることになるから」と答えることであろ. うことのコア・イメージが何であるかを,道徳の. う。しかし,この回答は十分なものとは言えない。. 授業者は知っておく必要があるであろう。「公正・. 友人とはそもそも自分にとって特別な存在なので. 正義」という分野で言うならば,政治哲学,社会. あって,通常は特別扱いすることの許される存在. 哲学を含めた広い意味での倫理学を学ぶことで. であり,それゆえ「友達を特別扱いすること」だ. 「内容項目」に掲げられている徳目のコア・イメー. けでは不公平とはならないからである。また「え. ジを学ぶことができる。そして,それは道徳教育. こひいきすることになるから」という回答は,「不. を実践することにも有効であると言うことができ. 公平」を「えこひいき」と言い換えただけであり,. るであろう。「内容項目」それぞれのコア・イメー. なぜ不公平なのかの理由の説明とはなっていない. ジが具体的にはどのようなものになるのかに関し. からである。この「価値の追求・把握」の段階で. ては,次節において少し詳しく検討を加えていく. 重要なのは,単に友達を特別扱いすることが不公. ことにしたい。. 平なのではなく,クラスの皆のことを考えるべき. ここまでのところでは,授業の導入部における. 運営委員の立場にある者が,その職務において友.
(8) 道徳教育における倫理学の役割. 達を特別扱いすることが不公平な態度になるのだ. た作業を経て,最終的に状況にもっともふさわし. ということを,子どもたちが明確に理解できるよ. い解決策を選択できるようになることが目指され. うになることである。こうした理解を子どもたち. る。その際,単に選択するだけではなく,その選. が獲得できるよう指導するためには,指導する側. 択が妥当なものであるという価値判断の理由付. が事前に十分な理解を得ておく必要があり,その. け・根拠付けが重視されるのも,この指導法の特. 理解を得るためには,「公平」に関して倫理学的. 徴である。. な学習および思考の練習を積んでおくことが必要 であろう。 また,「価値の追求・把握」の段階においては,. この指導法に基づく授業の流れを,柳沼良太は 「導入・展開・終末」という型に即して大略以下 のようにまとめている7。. クラスメイ1、との議論を通して多様な意見に触 れ,それらを通じて道徳的価値に関する多面的な. 導入:. 理解を得ることが目指され,「高められた価値観」. ①授業で取り上げる道徳的価値について考える。. を獲得することが目指される。ここで注意すべき. ②個人的な経験や具体的な事例から道徳的価値. は,この「高められた価値観」は,単に多様な見. 解に触れることのみによって得られるのではな く,自他における多様な理解がなぜひとつの「価 値」の様々な様相であると言えるのかを理解でき. の意味を考える。 ③道徳的価値の本当の意味や意義を考える。 展開前段:. ①道徳的問題の状況を分析し,解決すべき課題. て初めて得られるものである,ということである。. を見つける。. つまり,高められた価値理解には,さまざまな理. ②解決策を自由に構想する。. 解に一貫する高次の一般的な内容理解が必要なの. (郭解決策を吟味する。解決策のもたらす結果に. である。この高次の一般的理解を提供するものが,. ついて考え,関係者が全員幸福になれる解決. 道徳的価値のコア・イメージであり,この一般的. 策を考える。. 特性が自他の考え方の中でどのように特殊化され. 展開後段:. るのかを整理して理解することが,「高められた. 問題解決を応用する。学級全体で話し合う,. 価値観」の獲得であると言うことができるであろ. 役割演技を通じて解決策を再検討する,身近な. う6。一般的特性のもとに,多様な特殊的な事例. 道徳的問題でシミュレーションする,などの方. を整理して理解することができてはじめて,自ら. 法で応用をはかる。. の体験・考え方を道徳的価値の具体例・特殊例と して理解することができるようになるのであり,. 終末:. 授業の内容のまとめ。感想を述べ合う,導入. そのことによって,展開後段における「価値の主. において問いかけを提示した場合には,その間. 体的自覚」が可能となるのである。. いかけへの結論を出す,今後の学校生括に授業 の道徳的価値を生かすよう促す,などの仕方で. 2−2 問題解決型の授業方法. まとめる。. 次に,問題解決型の授業方法に関して見ていく ことにしよう。問題解決型の指導法では,まず解. このタイプの指導法においても,導入部分で,. 決の必要となる問題状況が設定され,その状況の. 「道徳的価値について考え」,「道徳的価値の本当. 事実的な理解,つまり問題となる状況に関する事. の意味や意義を考える」ということが行われるの. 実の正確な把握が行われる。次いで,解決策とな. であるから,価値の主体的自覚を目指す指導法と. る行為の諸可能性が探求され,それぞれの行為の. 同様,その授業において取り上げる道徳的価値に. 動機の確認および結果の予測が行われる。こうし. 関する哲学的・倫理学的意味を理解した上で授業.
(9) 千 乗 胤 久. を行うことが必要となる。 この指導法は,特に展開前段での指導内容,す. なわち「解決策のもたらす結果について考え,関. 3 内容項目あるいは徳の内容について 前節において,倫理学を学ぶことによって,学. 係者が全員幸福になれる解決策を考える」という. 習指導要領における内容項目のコア・イメージを. 部分からもわかるように,帰結主義的な倫理学,. 学ぶことができ. 特に功利主義と親和性が高い指導方法である。言. は道徳教育の実践に有効であると言うことができ. い換えるならば,帰結主義的な倫理学理論は,こ. るであろう,と述べたが,この節では内容項目の. の種の授業方法に対して理論的な基礎を提供する. コア・イメージとして具体的にどのようなことを. ものであり,この授業方法を理論的に正当化し,. 把握しておく必要があるのか,ということについ. 根拠づけるものであると言うことができるであろ. て考えていきたい。ただし,学習指導要領におけ. う。帰結主義的倫理学・功利主義の立場から現実. るすべての内容項目に関して検討していくこと. の諸事例に対して示される具体的な解決策は,展. は,筆者の手に余ることでもあり,本稿では残念. 開前段における解決策の吟味,展開後段における. ながら不可能である。ここでは,「正義」,「勇気」. 解決策の再検討を構想する際に考慮に入れておく. にしぼって,その内容を簡単に検討していくこと. べき諸観点を与えてくれるものでもあると言うこ. にしたい。. ,その意味でも倫理学を学ぶこと. とができるであろう。. だが,この指導法が求める「関係者が全員幸福 になれる解決策」は,関係者全員誰もが皆幸福に. 3−1正 義 まず,正義に関してみていこう。正義・公正と. なれるということであり,全体としての幸福の総. いうことを道徳の授業で取り上げる場合,正義と. 量がより大きくなるのであるならば,一部の者の. は人々を平等に扱うことと考えられ,そのことが. 犠牲を許容することもありうる「関係者全体の幸. 強調される。複数の副読本でキング牧師の事例が. 福を考慮すること」とは異なる8と言うこともで. 取り上げられ,黒人たちがうけてきた人種差別の. きる。この点から見て,人格の尊厳の侵害を支持. 実態が題材として取り上げられている9。それら. するおそれのある功利主義に対してなされる他の. 資料では,肌の色の違いによって黒人たちが差別. 倫理学的な立場からの数々の批判もまた,この指. され,例えば商店で自由に買い物をすることもで. 導法の求める解決策の吟味・再検討の際に有益な. きず,通える学校,バスやレストランの座席まで. 示唆を与えてくれるものとなると言うことができ. もが白人たちとは区別されていたという不平等・. る。このように問題解決型の指導法は,功利主義. 不公正な扱いが紹介され,そうした不平等な扱い. 的発想に対する批判的態度をも必要とすること,. に幼き日のキング牧師は憤りを感じたこと,そし. そしてまた,行為の結果のみならず動機もまた考. てそのときの想いが原動力となって,彼は人びと. 慮に入れて思考することを目指すものであること. の平等を求める差別撤廃運動に携わることになっ. から,義務論的な立場からの発想や徳倫理学的発. ていったこと等が語られている。これらの資料は,. 想もまた有益な示唆を与えることになる。. 同じ社会に生きる人びとが平等に扱われることに. 問題解決型の指導方法においては,その間題状. よって,正義に基づく社会が実現されるのであり,. 況の内にいかなる道徳的・倫理的問題が含まれて. 平等という価値の重要性を子どもたちに実感して. いるのか分析することが行われる。この分析を行. もらうことをねらいとしているものであると言う. うにあたって,様々な倫理学理論は,その間題の. ことができる。また,それは正義ということを考. 性質を見抜き,その間題に対していかなる仕方で. える授業において必ず触れておくべき内容を含ん. 思考していったらよいのかに関して範型を提供し. でいるものと言うこともできるであろう。. てくれると言うことができるであろう。. しかし,ここで考えてみたいのは,平等に扱う.
(10) 道徳教育における倫理学の役割. ことの重要性を語るだけで正義について十分に 語ったことになるのか,ということである。この. 名されるか否かにおいて異なった扱いを受ける (不平等に取り扱う)のが当然なのであり,それ. 点を検討するための手がかりを,西洋の倫理学の. が公正であり,正義にかなっているということが. 歴史において正義ということが基本的にどのよう. できるわけである。この場合は,(等しくない者,. なこととして考えられてきたのか,ということに. 異なる者を)平等に扱うことが不公正であり,正. 求めることにしたい。. 義に反するのである。. 正義のコア・イメージは,川本隆史の言葉を借. このように,公正・正義を考える際には,単に. りれば,「等しいものどうしを平等に,等しくな. 人びとを平等に扱うことの重要性を強調するだけ. い者どうしを不平等に扱うこと」を通じて「各人. ではなく,ある意味では不平等に扱うことが公正. に彼の正当な持ち分を与えること」である10。こ. であり,正義にかなっているということをも同時. こで注目したいのは,「等しくないものどうしを. に考えることができて,はじめて正義という問題. 不平等に扱う」という点である。先にも述べたよ. に関してより深められた理解が得られたことにな. うに,公正・正義を道徳の授業で取り上げる場合,. ると言えるであろう。. 多くは,正義とは偏ることなく平等に扱うことと. 以上の点から考えて,さらに付け加えるならば,. 考えられ,そのことが強調される。そのような立. 正義とは,人びとが「いわれのない扱い」を受け. 場からは,「不平等に扱う」こともまた正義であ. ないことであると言うこともできるであろう。例. るということは,奇異に思われるかもしれない。. えば,裁判を行うにあたって必要な知識を有して. 「等しくないものどうしを不平等に扱う」ことが. いること,これは裁判官として採用するかどうか. 正義につながるとは,どういうことであろうか。. を考える際に基準として考慮にいれてしかるべき. このことの例として,アリストテレスの正義論. 事柄であると言えるであろう。したがって,必要. に見られる能力主義的性格11を挙げることができ. な知識の有無によって採用不採用に差をつけるこ. るが,ここでは,具体的な事例をもとに考えるこ. とは「いわれのあること」であり,正当な理由の. とにしたい。オバマ大統領が連邦最高裁判事候補. ある扱いであると言える。しかし,男性であるか. に指名したソニア・ソトマイヨール連邦高裁判事. 女性であるかは,裁判官として採用すべきか否か. が,「豊かな経験を持っている賢明なラテン系女. を考える際に考慮に入れるべき基準とは言えな. 性であれば,同等の人生経験を持たない白人男性. い。したがって,男性であるから採用,女性であ. よりも,よりよい判決を下せる」といった趣旨の. るから不採用という扱いはいわれのない扱いであ. 発言をしたことがあることを取り沙汰されて,人. り,正当な理由のある扱いとは言えない。. 種差別主義者として批判されたことがある。彼女. このように,公正・正義を考える際には,正当. の発言は,人種差別的発言であり,公正・正義に. な理由を見いだすことができるか否かが十分に吟. 反する内容を含んでいるであろうか。もちろんそ. 味される必要があると言えるが,道徳の授業にお. うではないであろう。彼女の発言を今回の判事へ. いて公正・正義を取り扱う際にも,児童・生徒た. の指名という出来事と関連させて考えるならば,. ちが自らの判断・行為に正当な理由を見出すこと. 彼女の発言は,判事という仕事に就くべき人間は. ができるかどうか吟味するという活動の時間を設. それにふさわしい経験を積んでいる者であるべき. けることが必要であると言えるであろう12。. であって,誰が判事という仕事に就くべきである かを考える際に考慮すべき基準に人種や性別の違 いは含まれない,という趣旨のものであると言う. 3−2 勇 気 次に,勇気について見ていくことにしたい。こ. ことができるであろう。豊かな経験があるか否か. こでは,「てのひらの中の勇気」という資料を参. において異なる者(等しくない者)は,判事に指. 照することにしよう。主人公「ぼく」は火事の現.
(11) 千 乗 胤 久. 場で必死に消火活動に当たる消防隊の活躍をテレ. あると言う。. ビニュースで見る。「ぼくも,いつか,こんな勇. 気のある人になりたいな」と言う「ぼく」に対し. 「然るべきことがらを,然るべき目的のために,. て,父は「勇気はね,あぶないことや特別なこと. また然るべき仕方で,然るべきときに耐えかつ. をするだけじゃないんだよ」,「きけんをおかして. 恐れるひと,またこれらに準ずるごとき仕方で. やりぬくことだけが,勇気じゃないってことだ。. 平然たるひとが勇敢なひとにほかならない。」. どんなに小さなことでも,自分が正しいと思うこ とをおそれずにやる。それも勇気なんだよ。」と 語りかける13。 これらの父の言葉の趣旨をよりよく理解するた. 何が「然るべきこと」であるかは,その人の置 かれている状況によって異なる。言い換えれば, 何が「然るべきこと」であるかは,その人の置か. めには,アリストテレスによる勇気に関する説明. れている状況に応じて,ある意味で客観的に決. を参照することが有効であろう。よく知られてい. まってくるのであって,その人の個人的・主観的. るように,アリストテレスによれば,勇気・勇敢. な思いによって第一義的に決まってくるのではな. とは「『恐怖』ならびに『平然』に関しての中庸. い,と言うことができる。こうしたことを読み取. である」14。つまり,恐怖に関して言えば,恐れ. ることのできるアリストテレスの先の主張を参考. すぎることもなく,また恐れなさすぎることもな. にして考えるならば,「自分が正しいと思うこと」. く,恐れることに関して適度であることが勇気で. とは,単に自分が独断的に「正しい」と思ってい. ある,ということである。恐れるべきことを恐れ. ることではなく,その「正しさ」とは,自他を取. ないことは蛮勇・無謀であり15,恐れる必要のな. り巻く状況における適切さ(=「然るべきこと」). いことを恐れることは臆病である。勇気とは,恐. といった客観性を要求される「正しさ」でなけれ. れるべきことを恐れ,恐れる必要のないことは恐. ばならない,ということが明らかになる。そして,. れない(あるいは,恐れをいだいてもその恐れに. そのように考えることができるならば,勇気とい. 耐える)という意味で,恐れることに関して適度. うものは単に個人のある種の心情のあり方に尽き. を保つことである。. るものではなく,状況のあり方によって規定され. アリストテレスの中庸による説明を参照するな らば,「あぶないことや特別なことをすること」, 「きけんをおかしてやりぬくこと」,これらはそ. る客観的な適切さをも要素として含むものである. ということが理解できるようになるであろう。こ のような理解に基づいて授業を構想するならば,. れだけでは,恐れるべきことを恐れない蛮勇・無. 単に心情を問い,心情に訴えかけるのみの授業を. 謀である可能性もあり,それゆえそれらは必ずし. 超えた道徳授業を構想しうる可能性が開けてくる. も勇気ではない,ということが明確に理解できる. と言うことができるであろう。. ようになる。そして,それらが勇気となりうるの は,「自分が正しいと思うことをおそれずにやる」. 場合に限られるといった,勇気と言えるための条 件についての理解も明確なものにできる。. また,危険なことを行うことが勇気となりうる. 3−3 中庸としての徳と道徳教育. アリストテレスは,勇気をはじめとする多くの 徳を中庸として特徴づけ,徳に属するその「中」 的性格を,「然るべき(こと,とき,…)」という. 場合の条件としての「自分が正しいと思うことを. 表現を用いて説明している。例えば,徳は情念と. おそれずにやる」ということに関して,その内容. 行為に関わるが,情念を「然るべきときに,然る. をさらに詳細に理解するためにも,アリストテレ. べきことがらについて,然るべきひとに対して,. スの所論は参考になる。例えば,アリストテレス. 然るべき目的のために,然るべき仕方において」. は,勇気ある人・勇敢な人とは以下のような者で. 感じ,然るべきときに,…然るべき仕方で行為す. 10. 16.
(12) 道徳教育における倫理学の役割. ることが,徳の中庸たる特色として指摘できると. 導法に関しても同様の指摘が可能である。この指. している17。. 導法における指導過程は,主に,責任ある自己決. この「然るべきこと」をわきまえる実践知が賢. 定を促す発間によって構成されるが,その発間の. 慮(フロネーシス)であり,アリストテレスにお. 例として以下のようなものが挙げられる。「なぜ. いては,道徳的に行為するということは,賢慮あ. 自分はこれこれの行動をするのか」,「その行動は. る者がするように行為することであり,道徳的で. 何を目的としているのか」,「その行動によって得. あるためには賢慮ある者になることが求められる. られる利益は何であるか」,「その行動をしなかっ. ことになる。こうした考え方に対しては,「賢慮. たならば,どんな不利益が起こるか」,「その利益・. ある者のごとく行為せよ」,「然るべき感情を持ち,. 不利益は,自分の身の上に起こるのか,他人に起. 然るべき行為をせよ」と言われても,それだけで. こるのか」などがその例である。これらの問いか. はどのように行為すべきか不明であり,規範倫理. けに対して,「何が為されるか」,「何が目的か」,「何. 学的な理論としては有効ではないという批判もあ. が利益か」が事実として答えられればよいわけで. りえよう。. はない。それらの発間は,自分の選択しようとし. しかし,ここでは何が「然るべき」ことなのか,. ている行為が「然るべきことを,然るべき目的で,. 何が「然るべき仕方」なのかを習慣的に考え続け. 然るべき人に対して」行うものとなっているか吟. ることの重要性を指摘した言葉としてアリストテ. 味することを促す問いかけであると言うことがで. レスの言葉を肯定的に受け止めたい。「然るべき. きる。. ときに,然るべきことがらについて,然るべきひ. 道徳の授業の時間とはいったい何をする時間な. とに対して,然るべき目的のために,然るべき仕. のか。このことに関しては,様々な観点から様々. 方において」感じ,行為することのできる人を育. なことが言えるであろうが,上述のことから言え. てることは,どのような道徳授業の指導法におい. ば,道徳の授業とは,児童・生徒が教師と共に,. ても共通に目指されていることであると見なしう. 資料や事例の示す状況において,何が然るべきこ. るからである。. となのか,何が然るべき行為となるのかを考えて. 「価値の主体的自覚を目指す指導法」において. いくことであると言うことができるであろう。そ. は,他者の多様な見解に触れることを通じて,あ. して,道徳教育とは,その活動を通じて「然るべ. る価値に対する多面的な理解を獲得し,それをも. きことは何か」を考える習慣を子どもたちが身に. とに自己のあり方を自問自答させるということが. つけるための支援を行うものであるということに. 行われるが,この自問自答においては自己の「然. なるであろう。. るべき」あり方がいかなるものであるかが問われ,. 最後に付言すれば,道徳の授業においては,教. 答えられることが目指されていると言うことがで. 師からの問いかけを受けて,児童・生徒自らが「何. きるであろう。. が然るべきことか」を内省的に考えるだけではな. また,問題解決型の授業方法においては,「関. く,児童・生徒そして教師がお互いに「何が然る. 係者が全員幸福になれる解決策を考える」ことが. べきことか」対話を通じて吟味し合うことが重要. 行われるのであるが,そこにおいては,関係者全. である,と言える。このことは,道徳教育ばかり. 員が幸福になるということが「然るべき目的」と. ではなく,倫理学理論を構想する上でも非常に重. 見なされ,その「然るべき目的のために」何が為. 要な示唆を含むものである。近年,モノローグ的. しうるかが検討されている,と言うことができる。. な倫理学の限界が指摘され,対話を重視する倫理. 問題解決型の授業方法としては,本稿第2節で言. 学の必要性が主張されることがある19。道徳の授. 及したタイプのもののほかに,フレンケル理論に. 業は,すすんでこの対話を実践することを目指す. 基づく指導法18を挙げることができるが,この指. ものとなるべきであろう。. 11.
(13) 千 乗 胤 久. 4 おわりに 以上の議論をもとに,道徳教育を構想するにあ. である。このことを可能にするためにも,様々な 倫理学思想の基本的な考え方に親しんでおくこと は有益であると言うことができよう。. たって倫理学を学ぶことの意義を,あらためてま とめ直すならば,その意義は以下の2点にあると 註. いうことになるであろう。 第一には,教師が倫理学の諸理論を学び,倫理. 学に関する理解を深めることは,「道徳的に考え る」とはいかなることであるかについて考えるこ. とにつながり,道徳の授業において児童・生徒が 「道徳的に考えること」を実現するための基礎を. 得ることになる,という点にある。 第二には,学習指導要領に指定されている「内 容項目」関する基本的・本質的な理解を得ること. ができる,という点に倫理学を学ぶ意義を認める ことができる。内容項目に指定されている事柄は, 古来,倫理学が「徳」として,あるいは倫理学の 主要概念として,その内容を様々に考察し,検討. してきたものであり,それらの豊かな議論の蓄積 から学べることはきわめて多いと言うことができ る。. もちろん,倫理学を学ぶ必要があるとは言って も,哲学・倫理学の研究者のように学び研究する 必要があるというわけではない。哲学・倫理学の 研究としてならば,一つの倫理学理論にこだわり,. その可能性を突き詰めて考え抜くことは重要であ る。しかし,道徳教育を構想するにあたっては,. 様々な倫理学理論のいずれか一つにこだわる必要 はない。むしろ,一つの見方にこだわり続けるこ. 1 奈良雅俊「倫理理論」(赤林朗編『入門・医療倫理Ⅰ』, 勤草書房,2005年,所収),31頁以下参照。 2 「ここを走れば」(『道徳6年 きみがいちばんひか るとき 教師用指導書』,光村図書),62−65頁参照。な お,この資料を使用した授業を,平成21年度北海道教. 育大学附属旭川小学校教育研究大会における「道徳の 時間」公開授業(授業日:平成21年6月26日,授業者 :北海道教育人学附属旭川小学校 工藤秀敏教諭)に おいて参観することができ,本稿の論述を構想するに. あたって貴重な示唆を得ることができた。記して感謝 申し上げる。 3 価値の主体的自覚を目指す指導法の概要をまとめる にあたっては,以下の文献を参照した。新潟県立教育 センター『道徳教育ハンドブック 小・中学校編』(新 潟県立教育センター研究双書28),1993年。 4 文部科学省『中学校学習指導要領解説 道徳編』,2008 年,56頁。. 5 ここでは,東京書籍刊『小学校 道徳6 明日をめ ざして 教師用指導書』(110−112頁)所収の同資料を 参照した。なお,この資料を使用した授業を,旭川市 立大有小学校第42回教育実践研究発表会(平成21年9 月18日)における公開授業(授業者:旭川市立大有小 学校 小野晴子教諭)において参観することができ,. 本稿の論述を構想するにあたって貴重な示唆を得るこ とができた。記して感謝申し上げる。 6 ここで指摘したことの内容を,瀬戸真の主張する「価 値観の類型化」(瀬戸真『価値の把握と自覚一価値観の 類型化¶,光文書院,1991年,参照)との相違を示す ことによって明らかにするならば,以下のように言う. との方が危険であり,それは思考を硬直化させる. ことができるであろう。瀬戸の言う「価値観の類型化」. ことにつながり,避けるべき態度であるとも言え. は,ある道徳的価値に対して児童・牛徒が示す反応を. るであろう。必要なのは,様々な倫理学理論の観. パターン化して,指導に活かすことをねらいとしてい. 点から状況を多角的に考察し,そこにいかなる倫. るものである。彼の言う「類型」とは,主に,理念的. な道徳的価値の具体的な現象形態としての児童・生徒. 理的問題が存するのかを明確にすること,そして,. の反応のパターンであると言うことができる。これに. その間題において道徳的に正当化される判断・行. 対して,われわれが指摘しているのは,ある道徳的価. 為はいかなるものであり,その判断・行為を正当. 値それ自体の類型化であり,類型的理解の重要性であ. 化しうる理由は何であるのかを,様々な倫理学理 論の観点から考察することである。そして,その ような作業を通じて得られる多様な見解に対して 開かれた態度をもつことができるようになること. 12. ると言うことができる。 7 柳沼良太「問題解決論と展開」(日本道徳教育学会編 『道徳教育入門』教育開発研究所,2008年,所収),85. 頁。 8 柳沼は,「関係者全員が幸福になれる解決策」を.
(14) 道徳教育における倫理学の役割 「Win−Win型」の解決策と呼び,関係者の一部が犠牲. になることのない解決策を重視している。柳沼良太『間 組解決型の道徳授業』,明治図書,2006年,28,32,44 頁参照。 9 キング牧師の事例を扱った資料としては,文渓堂刊 『5年生の道徳』所収の「マーチン少年の夢−キン. 13 「てのひらの中の勇気」,『どうとく4年 きみがい ちばんひかるとき』教師用指導書,光村図書,105頁以. 下。 14 アリストテレス『ニコマコス倫理学』(高田三郎訳) 上巻,岩波文庫,107頁。 15 ここでは,恐れるべきことを恐れないことを表わす. グ牧師」,光村図書刊『道徳6年 きみがいちばんひか. 言葉として「蛮勇」,「無謀」を採用したが,アリスト. るとき』所収の「わたしには夢がある」などがある。. テレスは,ギリシア語には,恐れるべきことを恐れな. 10 川本隆史「正義」(大庭健ほか編『現代倫理学事典』,. いことを表わす言葉がなく,無名称的であると述べて. 弘文堂,2006年),500頁参照。 11岩田靖夫『アリストテレスの倫理思想』,岩波書店,. いる(前掲書,73頁参照)。 16 アリストテレス前掲書,110頁。. 1985年,271頁参照。この箇所で岩田は,「交換的正義. 17 アリストテレス前掲書,70頁以下参照。. の原理は,等価のものを産み出す各個人の能力の差異,. 18 以下で紹介する「フレンケル理論に基づく指導法」. すなわち人間の不平等性をそのまま容認することを含. の概要をまとめるにあたっては,以下の文献を参照し. 意」すると述べ,それゆえ,正義は結局のところ「根. た。新潟県立教育センター『道徳教育ハンドブック. 本的な不平等性を超えることはできない」と指摘して. 小・中学校編』(新潟県立教育センター研究双書28),. いる(同頁参照)。そして,「もし人間について真に平. 1993年,6頁以下参照。また,この指導法における発. 等ということが語られうるとすれば,それはこのよう. 間の方法に関しては,より詳しくは,行安茂『価値選. な次元〔正義の次元〕を超えたところで成立せねばな. 択の道徳教育』,以文社,1985年,67−116頁を参照。な. らないであろう」と述べ,人間における真の平等は,「人. お,この指導法は,責任ある自己決定を行うことがで. 間の能力の差異が無意味となる次元」,すなわち愛の次. きる力を育成することをねらいとしているものであり,. 元において成立する,とされる(同頁参照。なお,〔 〕. 自己決定能力を重視することから伺えるように,近代. 内は筆者による補足)。この指摘は,昨今顕著になって. 的な倫理観を基礎に構築されている指導法である。そ. いる能力主義的な正義観の問題性を鋭く指摘したもの. の意味で,徳倫理学という古代の倫理学(あるいは近. として高く評価すべき指摘であると言える。ただ,こ. 代倫理学に対するアンチテーゼとしての現代倫理学). こでは詳論しえないが,本稿における正義理解の射程. とは基本的な倫理観を異にするものである。したがっ. からするならば,人間の能力の差異を超えた次元にお. て,アリストテレスの発想をそのままに意図的に活か. いて正義を語り,真の平等を語ることも可能ではない. そうとしているものとみなすことはできないであろう. かと思われる。自由権のみを具体的に月武与されるべき 人権とみなすのではなく,社会権的人権をもそこに含. ということは付言しておく。 19 対話を重視する倫理学の一例としてハーバーマスの. めて考える立場をとることができるならば,人間の能. 討議倫理学を挙げることができる。また,対話ないし. 力の差異を超えた次元において正義を語ることも可能. はコミュニケーションの重要性に関しては,河野哲也. になるのではないだろうか。(もっとも,愛の次元を経 由しなければ,社会権的人権を具体的に賦与されるべ. 『善悪は実在するか』,講談社,2007年,105−108頁も. 参照。. き権利と考えるという発想自体を有することができな い,とも考えられるわけであるが。) 12 公正・正義という内容項目を扱う際に頻繁に取り上 げられるテーマである「いじめ」の問題を考える際,. *本稿は,科学研究費補助金 基盤研究B(課題 番号:19330194)による研究成果の一部である。. いじめを行う側の行為がいじめを受ける側にとっては いかに「いわれのない扱い」となっているかを考えさせ,. (旭川校准教授). 正当な理由を伴わない行為であることを理解させるこ とは特に重要である,と言うことができるであろう。 もちろん,行為・判断の理由の正当性を問うことは,「公 正・正義」に限らず,一般に道徳的に考える場合の基 本でもある。したがって,「公正・正義」に限らず,ど の内容項目を取り上げる際にも,道徳の授業では一般 に,児童・牛徒たちが自らの判断・行為に正当な理由. を見出すことができるかどうか吟味するという活動の 時間を設けることが必要である,と言うこともできる. であろう。. 13.
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