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教 育 と 倫 理

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教 育 と 倫 理

高 田 熱 美

はじめに

人間が生きるところ、つねに教育と倫理はある。両者は人間が生きるために 不可欠な働きである。この働きは人間が独りでは生きることができないこと、

他者との協同によってのみ生きられることを意味している。それゆえ、この働 きは自己と他者との相互性のなかに相補性として現れる。すなわち、教育は他 者になにごとかを教え、他者が学ぶことを助成し、また倫理はなかまと共に生 きること求める。共に生きることは、教えられ、学ばれるものである。そもそ も、教えること自体が倫理的な行為である。教育は倫理を教え、倫理に従って 教える。倫理が教育を可能にする。

本稿は、教育と倫理の生成、その相補的な働きを社会生物学、動物行動学お よび化石人類学などの知見にたよりながら明らかにし、教育の根源的地平を垣 間見るものである。

1 共同体の生成

「人間は倫理的動物である」という命題は人間のみに妥当するということで

福岡大学人文学部教授

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あるのか。倫理を可能にするのは精神であるとすれば、人間だけが精神的存在 であって、ほかの動物には精神がないがゆえに、動物には倫理がないというこ とになるのか。ここには、人間と動物とは非連続であるとの見方がある。

他方、仏教はすべての生命が連続しているとするが、現代の自然科学も、か の分子生物学が示すように、あらゆる生命の連続性を承認している。人間独自 の精神的活動も生命の連続的進化の過程にあるものであって、その過程におい て飛躍的に生成されたのである。それは火花のように生じた存在というべきか。

それゆえ、人間も人間性(Human Nature)として自然の力に支えられてい る。したがって、人間の倫理も自然の力によって生成する。

『字通』(白川静)が語るように、倫理とは、なかま・おさめる、の意であ る。それゆえ、単独で生きる動物には倫理的働きは生成しない。ちなみに、ネ コ科の動物にはそうした働きはない。もっとも、集団で生きているというだけ で、そこに倫理的働きが見られるわけではない。イワシ、フラミンゴ、シマウ マ、ヌーなど集団で生きている動物はいくらでもいる。これらの動物は集団で いることによって、捕食者を早く発見して自分が食べられる確率を少なくし、

また食物をはやく見つけることもできる。これは自然淘汰である。

他方、なかまのために労苦を負うばかりか命をかけるものもある。女王バチ を守るために外敵と戦って死ぬミツバチ、抱卵しているツガイに餌を運びつづ ける親族のカケスたち、衰弱した仲間をおぼれさせないために下から支えるイ ルカなど、これらは血縁淘汰である。ここには、たんなる集団以上の助け合い がある1)

こうした助け合いは多様なものへ変化していく。日本ザルの母親は食べ物を 自分の子に幼児期の間だけは与える。オマキザルやチンパンジーは、母子だけ ではなく血のつながりのない者にも分ける。とりわけ、肉類は自分は食べずに、

気前よく分けることがある。(ボスたちの場合、人気取りもあるという。)

食べ物を分けるということは、個体がそれぞれを識別していることである。

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ここでは、個体は相互に対自する存在である。対自することにおいて、個体は 相互に関心をもつ。そういう個体が共にいま、ここにいる。一方は食べ物を手 に持ち、他方は持たない。他方は食べ物をほしがっている。ただし、奪いはし ない。相手がつかんでいるものはその者の所有であるとの意識ないし感情があ る。これが強奪をおさえている。相手に対するある種の配慮である。こうして、

物乞いが生まれる。相手の目をみつめ、物欲しげな表情になり、あわれみを乞 うような仕草をくりかえす。相手のチンパンジーはそれを認知し、他者の感情 をくみとる。これは、相手が他者の身に自分の身を置くことである。こうして、

相手は、気前よく、ときにはしぶしぶ、犠牲的に食べ物を分ける。

食べ物を分けることで、相互の間の緊張が消える。もらった者は満足や喜び を表情や体で表す。チンパンジーはそれができる動物である。やった者はそれ を見て落ち着きや安らぎを得る。これがやった者の見返りである。

かつて、アダム・スミスが「人間はどれほど利己的と考えられても、その性 質のなかには、他人の運命に気を配り、他人の幸福を見ることが楽しいという こと以外に何らえることがない場合にも、その人たちの幸福が自分には欠かせ ないものとする何らかの原理が存在する」2)としたことがあったが、チンパン ジーにもそうした働きが見られる。

食べ物を分けるということは相互のやりとりであるので、独り占めにする者、

いつももらっているばかりでお返しをしない者、狩に協力しない者、これらの チンパンジーは、子どもでなければ、他の者から分けてもらえないことになる。

チンパンジーがその時どきの状況を記憶しているのである。この記憶はイヌの 記憶とは違っている。たしかに、イヌも記憶する。かのパブロフが実験したイ ヌは、ベルと餌との関連を覚えたし、老いた忠犬アルゴスは、長い歳月をかけ てやっと帰国した主人ユリシーズを忘れていなかったとされている。アルゴス は、主人が、度重なる苦難のため容貌が変わってしまったとはいえ、ここに現 前したとき、たちどころに記憶をよみがえらせたのである。他方、チンパンジー

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は、知覚していた当の者が現前していなくても、記憶を持続させている。チン パンジーは死者をも思い起こすのである。母親は、わが子が死んだり、さらわ れていなくなったりすると、泣き声を出し、握りこぶしで目をこすったりする。

数ヶ月の間は、食欲もなくして呆然としているという3)。アカゲザルの母親も、

子どもが死んだ場所を通りかかると、突然、思い出すのか子どもを必死に呼ぶ ことがあるという。これに類したことはゾウにもあって、母親が死んで1年過 ぎても、死んだ場所に来て母の骨にさわっていることもあるという4)

チンパンジーやアカゲザルは死の特異なことを知っている。なかまの死体を 見ると集団のすべてが静まり返る。そして、特定の状況のなかで死者を思い出 すことができる。ヒトのように、死者を弔い、埋葬することはないが。

チンパンジーにおいては個体と個体の関わりが時間のなかでとらえられてい る。それゆえ、個体相互の関わりはいま・ここを越えた重層的な関わりになっ ている。いま、ここに自分は相手といるが、あの時、あの場所にいた自分と相 手との出来事がいま、ここに重なっているのである。これがチンパンジーの記 憶である。

こうした記憶は、個体と個体、個と集団の関わりを強めながら拡大していく。

これは自他の意識を柔軟かつ自在なものにする。模倣がそうである。かの幸島 のサルはイモ洗いを模倣によって学んだのであったが5)、チンパンジーはそれ を凌駕している。道具を用いたヤシの実割の学習などは模倣によるのであった。

模倣・まねることは、自分の身体を他者の身体に重ねあわせることである。

これは自分と相手とを置き換えることである。そのためには、それを可能にす る力が働かねばならない。この力が自意識である。チンパンジーは、この自意 識によってエネルギーのロスであるような模倣をもする。たとえば、奇形のチ ンパンジーの歩き振りをまねたりする。これは、体の一部(たとえば手)の動 きのまねではなく、体全体の動きのまねであるので、まねることが難しいうえ に過大なエネルギーを要する。もちろん、何の報酬もない。これは、好奇心か

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ら生まれた遊びにちかい。

チンパンジーはよく遊ぶ。この遊びのなかには、相手をおどかす、ふざける、

からかう、というものもある。素知らぬ顔をして突然相手をおどかす、口にふ くんだ水をかける、居眠りしている者の頭に拳固を一発食らわす、ロープをつ たって相手が穴の底へ下りたのをたしかめて、ロープをとってしまう、などで ある。

このような遊びは、自分を相手の立場に置き、自分がその場におればどうで あるかを推し量ることによって可能になる。もちろん、それができるため、弱 い者や幼い者と遊ぶときには手加減することができる。それができれば、遊び はたのしく、長続きすることにもなる。

おどかし、ふざけ、からかい、などは相手をあざむくことである。あざむく とは自分の気持ちをかくして、それと反対のメッセージをだすことである。す なわち、かくし、うそをつくことである。チンパンジーのオスが、ボスが不在 の折に密通しようとしていた矢先、突然ボスが現れたため、とっさに股間に手 をあてて隠すとか、なかまに分からないように食べ物を隠すとかいったことが それである。それに気づいた者が、素知らぬふりをして隠している者の裏をか くこともある。

チンパンジーは相手の心の内を推し量る。なにか隠しているのではないかと 相手の心の内を疑い、量るのは自分も隠すことができるからである。そして、

このような自分を相手に重ね合わせることが相手の心の内を量ることである。

チンパンジーにおける自他の意識の発達は鏡を見ることも可能にする。(た だし、ヒトは1歳半で見るがチンパンジーは2歳半を越えねばならないという。 鏡を見ることは自分を意識することである。自分を意識することは他者を意識 することに由来する。したがって、鏡を見るとき、そこには他者の意識、他者 の目の集まり・総体を見ている。鏡において、みんなが見ている自分が見える のである。これは、みんなが自分をどう見ているか、みんなに自分はどう見ら

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れているかとの意識を生成する。おしゃれやおめかしといったものも、この自 意識の発達による。ちなみに、ボノボは、バナナの葉を体にまとって、みんな に見せて回ることがあるという6)

自意識は、共同体を構成し、共同体によって育まれる個体の働きである。自 意識は、個体と個体、個体と集団、個体と環境のズレを「統一する機能」ない し「ひとつの複雑な統一体」7)である。この統一体としての自意識が食べ物を 分けることを可能にする。もともと、自意識はそのようなものとして生成した。

自意識は、食べ物を分けざるをえない、分けたくなるのである。しかも、チン パンジーには、自分が知っているものを相手に分ける行為も見られる。物持ち、

物知りというように、同じものとはいえ食べ物と知識・情報とは感覚の対象と しては違った位相にある。いま自分がもっている食べ物よりも知識のほうが分 けることは難しい。知識を分ける、つまり教えるということは、食べ物を分け ること以上に相手の立場に自分の身をおかねばならないからである。それでも、

実験によれば、チンパンジーは、ガラスの壁の向こうにいる人間に食べ物を取 り出す仕方を教えて、取ってもらうという8)。ただし、これは、チンパンジー 自身が食べる物に関した実験であって、自分の利得に関わらない知識を教える ことができるかどうかは定かではない。現に、そのような行為は確かめられて はいない。道具を使ったヤシの実割においても、それが母から子、仲間から仲 間に教えられたという形跡はない。これは自他意識の未発達による。この点で、

ヒトが教えることに優れているのは、自他の意識の発達があるからである。し かも、ヒトには、教える道具としてのことばが生まれ、それが教えることを拡 大している。

2 倫理の芽生え

チンパンジー、ヒヒ、アカゲザルなどは独りでは生きることができない。そ

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れに耐ええないのである。ゲラダヒヒにおいては、ボスの地位を奪われたヒヒ は、そのままハーレムにとどまるという。ハヌマンラングールに見られたよう に、敗れたボスはハーレムを追われるだけではなく、自分の子どもでさえ新し いボスに殺されるのであったが、その点で、ゲラダヒヒは共に生きることので きる存在であった9)

共に生きることが協力と分配を生み、それがさらなる協同を生む。これは自 然(本性)の力を基底とした学習の結果である。

血縁の者が互いに配慮し協力するのは血縁淘汰という自然の力による。アカ ゲザルの姉が発育障害の弟を抱いていたわる、盲目の子をみんなで気づかう、

自分の娘といっしょに群れの第一位のメスの息子を抱いてわが子に望ましい友 達をつくる、テンカンのヒヒの子をその兄が守る、こうした事実は数多く観察 されている10)

だが、弱い者への配慮は血のつながりのない者へも広がる。脳性まひの日本 ザルの子をみんな(とくに若いメス)があやす、盲目のアカゲザルの子を仲間 で気づかう、アカゲザルの子の悲鳴を聞いて他の子どもたちが集まり、その子 を抱きしめる、病気のチンパンジーの体をなでる、ボス争いに敗れたチンパン ジーを子どもたちが駆け寄ってきて慰める、けんかをして傷を負わせた相手の 傷をなめてやる(これがあるために、傷を負った相手はこれ見よがしにビッコ をひいて負わせた者の同情をひく)、病気のチンパンジーがいると安静を妨げ ないようにして遊ぶ、(サルも病気や傷を負った者の世話をすることがあると いう)年上のチンパンジーは幼い子とは手加減して遊ぶ、かんしゃくを起こし たチンパンジーの子をみんなでなだめる、これらのことが観察されている。

このような行動およびそれを喚起する感情は、共同体のなかで生まれ、さら に共同体を発展させる。ここでは、自他の意識は一層強いものになる。この意 識は自然の力に支えられながら学習によって強められる。意識は育成ないし形 成されたのである。それゆえ、意識が形成されないことも、形成されても共同

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体を逸脱する方向へ形成されることもある。形成された強い自意識が他者を攻 撃し、共同体を壊す力になることもある。チンパンジーでも、オスが他のオス の子を母親から奪って殺し、仲間に暴力をふるい、集団から離れたグループを 襲って暴行をくわえ、殺すことさえある。

共同体の発展は、その秩序、協力、和、相互扶助の生成である。ここでは、

個体と個体、血縁集団の間の対立、階層間の抗争、地位の争奪などが最小限に くいとめられる。ボスはこのことを期待される。ボスはもはやハヌマンのよう な独裁者ではない。ボスは、自分の集団の平和を維持し、外の集団に対しては 自分の集団を守る。ボスはリーダーシップを期待されている。集団は独裁を認 めない。ボスや上位の者が、食べ物を独り占めでもすればみんなから抗議され る。その地位さえ危うくなる。それで、ボスはみんなの支持を得るため、捕獲 した食べ物を気前よく分ける。下位の者へのゆきすぎた仕置きも、抗議されて、

手控える。こうして、ボスはみんなが気に入るように気を配り、公平で、えこ ひいきがないようにする。もちろん、ボスはけんかの仲裁をし、なだめ、慰め る。仲なおりができると仲間と抱き合って喜び合い、大声を出し、キスをする という。もちろん、このような行動はボスにかぎるわけではない。集団全体が 共存を望み、けんかの仲裁、和解、慰撫に気を配る。

チンパンジーには公平や平等の意識が芽生えている。自意識が発達して自分 を相手の身におくことができると、自分が欲しい物は相手も欲しいということ が分かる。この働きは自分と相手を同じようにあつかうことである。これが平 等や公平の感情を生む。食べ物の独り占め、ゆき過ぎた仕置き、弱い者いじめ、

これらは仲間から抗議される。自分勝手な行動をして仲間を困らせたときも仕 置きを受ける。観察によれば、チンパンジーの飼育センターでは、食事はきまっ た場所に全員が集まってすることにしている。そのうち数名の者がその場所に どうしても来なかったので、飼育係の人は食べ物を全員にやらなかった。その あと、その場に来なかった数名は仲間から袋叩きにされたという。

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集団のなかでどのように生きるかということはチンパンジーの子どもたちに 学習される。

他の個体、その集団と協同しながら生きるということは、遺伝子にプログラ ムされているわけではない。また、これは試行錯誤で身につけることもできな い。試行錯誤は単純な行動にしか対応できない。仲間との関係を生きることは 一つひとつの行動の寄せ集めではない。仲間とともに生きることは、変容・変 化し、生成している世界に身をおくことであって、これは長期にわたる学習を 必須とするのである。

チンパンジーは学習によって生きる。もちろん、この学習は自然の力に支え られたものであるが、その力の及ばない世界へチンパンジーを導くのである。

子どもは、幼いときから、協力、分配、きまり、みんなと仲良くすることなど を学ぶ。これが学ばれておれば、違反者や非協力者も出なくなるし、懲罰もい らなくなり、集団内の協同も豊かになる。

学ぶとは、真の意味では、協同体に大切とされるものが個体に内面化される ことである。これは固体に同一化され身につくということである。これによっ て、誰もいないところ、誰も見ていない時にも、大切なものが守られる。うそ はばれるからつかない、ばれなければつくというのは学びの半ばである。なん であれ、うそをつかず、そういう気さえなくなったときが学びの終点である。

罪の意識は共同体が期待することの内面化と関わっている。新聞を破ると、

主人に叱られているイヌは、主人が帰宅して破れた新聞を目にすると、しおれ てしまう。これは仕置きを恐れてのことであって、罪の意識があってのことで はない。チンパンジーは、ボスがその場をはずしているのを見計らって、発情 期のメスと交わるが、その後、ボスと出会っても格別に罪の意識をもつように は見えない。

罪や恥の意識、自責の感情は、共同体の倫理が個体に受胎ないし同一化され ている個体に生起する。これは道徳の意識もしくは感情であって、身体には多

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様な兆し、たとえば赤面となって現れる。

3 子育てのかたち

アカゲザルやチンパンジーは、集団のなかで自他の意識を育み、なにほどか の共感する力を育み、仲間との公正や平等の関係をもつくりあげてきた。子ど もは、母親、兄弟姉妹、そのほかの大人、友だちと交わりながら、協力、分配、

公正、違反と処罰、仲間の地位、力関係などの複雑な在り様を学んだのである。

もっとも、共同体の在り様がひとつの道徳として内面化されているかどうか は定かではない。チンパンジーが、食べ物を誰もいないところで平らげて、そ しらぬ顔をして仲間のところへ戻ってくる。バツの悪そうな顔もせず、赤面す ることもない。ここには恥や罪の意識はうかがえない。

ところが、ヒトにおいてはどれほど白を切っても顔の表情や身の動きに本当 の思いや気持ちが現れる。なにほどかの微妙な動揺が推し量られる。これは、

倫理の内面化が進み、内面に立法が生成しているためである。この立法は者と しての働きをもち、誰もいないところでも共同体の倫理を守るように、個体に 指示する。こうして、ヒトにおいては新たな倫理と道徳の地平が開示される。

すべて生命は自己の増殖を遂行する。これが生命の自然である。ヒトも自然 の力によって増殖し、ヒトの共同体も自然の血縁淘汰によって形成される。

生命の増殖について、分子・細胞生物学は多くの知見をもたらした。それに よれば、およそ 37 億年前、四種類の分子からできているRNA(リボ核酸)

が他のRNAと組み合わさってDNA(デオキシリボ核酸)になり、35 億年 前に原核細胞が生まれたという。これら、1000 分の1ミリほどの原核細胞は、

周囲のあらゆる無機物を食べてエネルギーをつくり、メタンや炭酸ガスを放出 して、自己増殖をくりかえした。そのうち、光合成をおこなう(後の葉緑素に なる青い色を持つ)藻類(シアノバクテリア)などが生まれ、酸素を大気に放

(11)

出した11)。大量に放出された酸素はオゾン層をつくり紫外線からDNAを守る ことになった。だが、他方では、当時大気中 10 のマイナス4乗パーセントし かなかった酸素が増加して、DNAを傷つけた。(4 億年前、酸素は 21 パーセ ントになる。)ところが、ヘモグロビン(葉緑素にほとんど同じ構造のもの)

に類したものをもつ原核細胞が現れ、酸素をとり炭酸ガスを放出した。やがて、

14 億年前、炭酸ガスをとり酸素を出す細胞と酸素をとり炭酸ガスを出す細胞 とが共生・合体して真核細胞が生まれた。共生・合体をくりかえすうちに、こ の細胞は大きくなって、DNAを核のなかにしまいこみ、酸素の毒から守るこ とになった。このため、真核細胞の大きさは原核細胞の 1000 倍を越えるもの になる。そして、10 億年前、真核細胞は、光合成をする細胞を取り込んだ植 物細胞と呼吸をする細胞(後のミトコンドリア)をとりこんだ動物細胞を生む。

真核細胞は、原核細胞とはちがって、何でも食べることはできない。エネル ギー効率のよい糖分が欠かせないので、飢餓に陥ることも多い。飢餓状態を脱 するため、真核細胞は、他の真核細胞を食べるか互いに合体して養分を融通す るかして、生きのびようとする。これは、1セットの染色体が2セットになる ことであるから、受精したことと同じになる。合体した細胞はそれぞれの遺伝 子を半数もつ。生殖細胞の誕生である12)

合体によって個体は遺伝子の再生と修復を進めた。有性生殖は細胞が生きな がらえるためにとったひとつの方法である。ここでは、個体の死は新たな個体 の再生である。すでに、10 億年前に多細胞生物が現れていたというが、この 生物の細胞はシステム化されているので、変化することはできない。自己増殖 は生殖細胞が行う。

多細胞生物は個体の更新のため生殖活動を必須とする。この生物において性 は生である。このため、個体と個体との間に熾烈な競争ないし闘争がくりひろ げられる。このことについては、枚挙にいとまがない。ちなみに、シオカラト ンボのオスとメスとの尾つながり、センノカミキリやカメムシがメスにしがみ

(12)

ついて離れない行動(長いのは3日間)、これは他のオスに受精させないため である13)。ミヤマカワトンボは、尾の先にカギをもっていて、これでメスの尾 のなかにある他のオスの精子をかき出す14)。交尾の後、他のオスがきらう臭い をつけるチョウ、メスの尾口を自分の精液で固めてしまうチョウ。また、マウ スのオスのなかには、化学物質を出し、メスにこれを嗅がせてほかのオスの子 を流産させるものがある。オシドリがいつも番いでいるのもオスがメスを独占 するためである。

オスはメスの関心をえるために労苦を負う。メスの子育てのために格好のな わばりをつくるシジュウガラのオス、メスに食べ物をプレゼントするアカショ ウビン、カワセミ、アジサシ、求愛のダンスをするイトヨ、マイコドリ、鳴き 声(口説き)でメスの気をひくコオロギ、カエル、ウグイス、さらに色や容姿 を誇示するサケ、マス、グッピー、マンドリル、ライオンなど。メスは、オス が栄養のある食べ物をメスに与え、子育てに協力し、しかも良い遺伝子をもっ ているかどうかをこれらの行動や容姿から定める15)。ウスバカマキリのように 交尾のあとメスに食べられるオスもいる。

体力で他のオスをのけるオスは多い。アメンボウ、ヒキガエル、ギンザケ、

マス、オットセイ、アシカ、ライオン、オオツノヒツジ、ニホンザル、ヒヒ、

チンパンジーなど、これはあらゆる動物にみられる。

力ずくでメスを確保するオスでは、体が大きくなってハーレムをつくること が多い。ちなみに、ミナミゾウアザラシのオスは、体重がメスの8倍ほどあり、

100 匹のメスを独占することがある。(ヒトでは男子が女子より二割ほど重い。 他のオスの子どもを殺して、母親であるメスを確保するオスもいる。ハヌマン・

ラングール、ライオン、トラ、キツネなどはいうまでもなくゴリラやチンパン ジーにも、これは見られるという16)

こうして、生まれた新しい個体・子どもはどのようにして育つのか。ひとり で生きるものが圧倒的に多い。親が子どもを育てるものは、動物のあらゆる分

(13)

野に見られるが、一部にすぎない。

まず、母親だけで子どもを育てるものがある。ヒメグモの母親はタマゴから かえった子どもたちに自分の体を食べさせて死ぬという。鳥や哺乳類は定温性 であるので子どもの保温が不可欠である。それに、餌の補給、授乳、外敵や仲 間の暴力からの保護、排泄の処置を要する。ちなみに、ツバメは一日に 200 回 ほどヒナに餌を運び、シジュウガラは一日に 1000 匹の虫を与えるという17) 子育ては重労働である。それで、母親だけの子育ては食べ物が多く、環境の良 いところか、子どもが早成(離巣性)の場合かにかぎられる。暮らしやすいと ころにいるセッカ、離巣性のハチドリ、キジ、カモ、あるいは草食で早成のシ カ、ガゼル、ヌー、ゾウ、シマウマなどは母親に育てられる。

父親だけの子育てもある。これは、離巣性であること、食べ物が豊富である こと、メスよりオスの数が多いことなどによる。キューイ、ダチョウ、ツル、

サギ、タマシギ、チドリなどがそれである。イトヨのオスはタマゴの世話をす る。ちなみに、タマシギのメスは子を捨て、他のオスのところへ行ってしまう という。

父親と母親とが協働で子どもを育てるものがある。鳥類のほとんどは留巣性 であるので、96 パーセントが両親で子育てをする。ちなみに、エンペラーペ ンギンでは、メスが遠方 100 キロメートルに及ぶ海に行って餌を取ってくるま で、オスは四ヶ月もなにも食べずにタマゴを抱き、生まれたヒナに胃から液を 出して育てるという。マイナス 80 度の厳寒、オスの体重は 60 パーセント以上 減少する。

哺乳類では5パーセントほどが父母協働で子どもを育てる。マングース、ラ イオンなど捕食性のものに多い。タマリン(体重 50 キログラム)は一妻多夫 であるが、それは重い子(10 キログラム)を二頭生むからだという。

そのほか、父母、兄姉、これに非血縁者が加わった協同の子育てがある。オ オカミ、コヨーテ、リカオン、コビトマングース、マーモセットなどである18)

(14)

4 ヒトの子育て

700 万年前、アフリカでは地殻変動(グレート・リフトバレー)が起こり、

東側にはサバンナが広がった。化石人類学および遺伝学の知見によれば、ヒト とチンパンジーは 600 万年以上前に分枝したという。ヒトとチンパンジーのゲ ノム(全遺伝情報)の暗号文字(塩基配列)の違いは 5.3 パーセントである

(ヒトとヒトとの違いは 0.1 パーセント)

もっとも、この違いは小さいとはいえない。周知のように、ヒトの身体は 60 兆個を越える細胞でなり、ひとつの細胞に 46 本の染色体、そのなかにDNA があり、これは 30 億の塩基対2セット(つなぎ合わせると2メートル、新聞 25 年分の情報)をもっている。ヒトとチンパンジーとの、塩基配列のわずか の違いを基につくられる遺伝子には8割の違いがでるという。

それだけに、身体機能や意識の差も著しい。たとえば、生殖機能の違い。哺 乳類は体外に精巣をもつが、チンパンジーは 120 グラム、ヒトとオランウータ ンは 30 グラム、あとゴリラが続く。ゴリラには乱婚がない。

化石人類学によれば、すでに 600 万年前、猿人(オロリン・ツゲネンシス)

がいたという。これには直立歩行の形跡がある。直立歩行は長い距離の移動を 可能にし、口腔・声帯を変え、手を使って道具を作り、狩を行わせ、良質の蛋 白と脂肪を得させ、脳を進化させた。やがて、多様な猿人のなかから原人が現 れる。長距離の移動は、脱毛をうながし、発声を豊かにし、さらに脳を大きく した19)

サバンナ、ここは、乾季と雨季、寒暖の差があり、樹上と違って食べ物が乏 しく、捕食者も多い。ヒトの祖先もヒヒもここで暮らす。だが、ヒトの祖先は ヒヒやチンパンジーと離れて、別な進化をとげていた。

ヒトの直立歩行は内臓全体の重みを腰(骨盤)にかけることになったのであ る。このため、内臓が体外へ出ないように骨盤(の穴)を狭くし、同時に尿道、

(15)

産道、肛門を確保しなければならなかった。この矛盾によって、ヒトは痔疾、

脱肛、胃下垂、腸ヘルニア、腰痛などを被った。しかも、脳はさらに大きくなっ た。原人の大人の脳は 1200 ミリリットルにもなった(現生人の大人 1300 ミリ リットル)。それにつれて、子どもの脳も大きくなり、これに同調して体重も 増えることになった20)。ちなみに、ヒトの新生児の脳の重さは 385 グラム、チ ンパンジー、ゴリラ、オランウータンは 130 グラム、さらにヒトの新生児の重 さは男児 3230、女児 3140 グラム、チンパンジー、オランウータン、ゴリラは いずれも 1500 グラムである。

ヒトの胎児の重さは母体に大きな負担を強いた。これは、妊娠中毒症、便秘、

頻尿、不眠、腰痛などを誘発した。出産前には、母体の体重は 10 キログラム ほど増えている。重い胎児は流産になりやすい。それゆえ、骨盤の穴は狭くな ければならない。しかし、これでは、胎児は生まれることができない。

このようなジレンマをかかえた人類の祖先たちは母体や胎児の死にみまわれ たであろう。こうして、ある者は滅び、あるものは突然変異によってその危機 をのりこえたのである。それは、胎児が大きくなるまえに出産することであっ た。ポルトマンがいう「生理的早産」である。ヒトの子は 21 ヶ月間胎内にい るべきところを9ヶ月(266 日)で生まれる。それでも、子どもの体重はチン パンジーやゴリラの二倍あるので、母体の死、死産、難産をさけることができ なかった。ちなみに、出産に要する時間は、初産の場合、ヒトは 14 時間、類 猿人は2時間という。

無事に生まれたとはいえ、ヒトの子は胎児である。母親は、留巣性の鳥以上 の労苦を負うことになる。この子は四ヶ月たつまで首がすわらないので、母親 は両手で抱かねばならない。体毛がないので保温も容易ではない。樹上に巣を つくることもできない。そのうえ、ヒトの子は大量の栄養を摂る。産後の一ヶ 月では、一日 40 グラムの速さ(チンパンジーの子の三倍)で体重が増え、一 歳で9キログラムになる。一日あたり 500 から 1000 キロカロリーが母乳から

(16)

摂取される。このため、母親は大量のエネルギーを摂ることになる。母体は、

妊娠前から体重の4分の1にちかい脂肪(高カロリー源)をもち、育児に備え ているが、それでも十分ではない。ちなみに、脂肪はレプチン(ホルモン)を 分泌して排卵を促す素になるのだという21)

ヒトの子が生きのびるためには、さらに変化が生じなければならなかった。

女性の発情(排卵)期が見えなくなったのである。チンパンジーなどの排卵期 は数日間であるが、ヒトにそれが見えないとすれば、男は自分の子どもをつく るために女性との交わりを多くし、しかも、他の男たちが女性に近づかないよ うに見張ることになる。この時には、男性と女性の性的能力も変化し、それは 盛んになっている。ここではハーレムは解体する。

変化は続く。女性の乳房が、類人猿には見られない、大きなものになる。こ れは、いつでも子どもを産み、育てることができるとの能力を男性に誇示する。

こうして、ヒトにおいては父と母との協働による子育てが生成する。家族の 成立である。

5 教育

ヒトはひとりでは生きることはできない。ひとりで子どもを育てることもで きない。自然の力は、こうして、ヒトに独自の協同システムをつくらせた。家 族である。ここで、子どもは生まれ育つ。男性と女性はこれを可能にする相手 をえらぶ。遺伝的に優れた子を残しそうな相手が注目される。さらに、協力的 であることが期待される。これは生きるものの自然である。ちなみに、イエス ズメは一夫二妻で、オスは第一妻の子育てにのみ協力する。そのため、第二妻 は相手の子を殺して夫に自分の子を育てるように仕向けるという。また、ブー ルギルのオスは、受精卵のなかに他のオスのものが入っていると(匂いで分別) 卵の世話を減らすという。シジュウガラやツバメなどでも、メスの乱婚で他の

(17)

オスの子が混じっている時には子どもの世話や餌をやる回数が少なくなる22) ヒトにおいても自然の力は生きている。男子についていえば、自分の子ども であるからこそ大きな負担をもいとわないのである。「姦淫するなかれ」とい うモーセの十戒の一つはメスに対するオスの自然を表明している。また、女子 は不可避的に子どもを孕み、育児を背負うことになるので、男子を慎重に選ぶ ことになる。

男子も女子も互いに相手を選ぶ。選ぶとは見つめ合うこと、それは愛するこ とである。この時期には、ヒトは出産の因果関係に気づいていたであろう。こ れは、相互の愛、信頼、愛着、思いやり、共感が深めたであろう。

このような心の働きは、自然の力に支えられながら、共同体のなかで育まれ る。それは、共同体が生きるために個体に求め、そこで教えられるものである。

心の働きは遺伝のプログラムにはない。ヒトが 30 億対の遺伝暗号文字をもっ ているとしても、心の働きはそれを越えている。心の働きはながい学習を要す るのである。

ヒトは、生きるための技術のみならず共同体の中で生きることを学ぶ。ここ には、生きるためのきまり、協力、それを可能にする分配、その公正、平等、

思いやり、共感などがチンパンジー以上に求められる。

倫理は、これら共同体の要求を集約し、命題として表明する。前に述べたモー セの十戒がそうである。これは、一から四までは真である神を敬うべきである との諫めであり、つづいて第五「あなたの父母を敬え」、第六「あなたは殺し てはならない」、第七「あなたは姦淫してはならない」、第八「あなたは盗んで はならない」、第九「あなたは隣人について嘘をついてはならない」、第十「あ なたは隣人のものをむさぼってはならない」、とある。

共同体は「自分の子どもを愛さなければならない」とか「親子、兄弟姉妹の 間で子どもを産んではならない」といった戒律をつくらない。前者は自然が求

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め、後者は自然が拒否するものであって、自ずから然りとされているからであ る。前者についていえば、極限的な環境に遭遇するのでなければ、ヒトは自分 が生んだ子を死にいたらしめることはない。間引きでさえも、今いる子や次に 生まれる子を育てるための、やむを得ぬ方略であった23)。後者についていえば、

近親相姦は劣性の遺伝子をもった子を生みやすい。また、これは免疫を単純に して環境の多様な変化に対応できなくする。このため、自然は肉親の間の交り を避ける。とりわけ、メスは近親相姦を避ける力が働いている。メスに被害が 大きいからである。ちなみに、鳥類では、幼い時に親、兄弟・姉妹の体の色や 鳴き声を記憶していて、それで近親者を感知し、交わりを避ける。プレリードッ クの娘は、父親が近くにいる時には発情が起こりにくいという。もちろん、ラ イオン、ニホンザル、チンパンジーなどにも近親相姦はない。

むすび

人は共同体の中でうまれ、育ち、成長する。倫理は、この共同体の働きその もの、それなしには共同体でなくなるものである。ヒトは、共同体の中で倫理 を学ぶ。学ぶとは、変化し続ける自己と無数の他者、それらの関わりのなかで 平和と創造を可能にすることである。それゆえ、かの黄金律(マタイによる福 音書七章十二節)「自分がしてもらいたいことをほかの人にもしなさい」(自分 がしてもらいたくないことを他の人にもしてはならない)は、現実の状況にお いては容易ならざる判断ないし決断を求められる。現実は空間のみならず時間 である。それは不確かで予測することが困難である。それゆえ、判断にせよ決 断にせよ、それは冒険いわば賭けとなる。したがって、人は絶えざる探究を求 められる。探究とは他者を学ぶことである。他者を学ぶとは自己を学ぶことに 収斂する。そして、人の学びは自然の力さえも超えようとする。宗教には、自 己を捨て、探究そのものをも捨て、ついには宇宙の生成の彼方の無へ融解する

(19)

ものがある。

人は世界のなかでもっとも不可思議な生きものになったのである。なにはと もあれ、この動物はあらゆる時と場で教えられ、学ばねばならないのである。

これには、血縁の者たちだけではなく近隣・地域の人びとも加わる。老齢者さ えも幼い子の学びに加担している。

生命の根本機能は増殖することである。生命は増殖できなくなったとき死に いたる。分裂しない細菌、花を咲かせなくなった樹木、子どもを生まなくなっ た動物など、いずれも死をむかえる。生きることは生むことであり、生きてい るかぎり生むというのが生命の在り様である。

ところが、クジラの一部、ゾウとヒトは子どもを生めなくなっても生きる。

ヒトの母親は閉経の後三十年近くも生きる。もちろん、これは自然の働きによ る。自然はこれで子育てをより可能にしたのである。高齢期の出産は染色体の 異常を大きくして、流産を起こしやすいが、そうでなければ生育困難な子を生 んでしまう。閉経はこれを防ぐことになる。これによって、母親は母体の消耗 と育児の労苦を回避できる。しかも、自然は母親をして娘の子の世話に加担せ しめたのである。母親のみならず父親も孫の養育に加わる。それが子孫を残す ための優れたあり方となったのである。

父と母と祖父母が子どもを養育する。祖父母は遠方にいても関わりつづける。

出産、育児、その他なにかにつけ祖父母は協力する。十戒の「あなたの父母を 敬いなさい」とは、父母が自分を生んで育ててくれたということだけではなく、

自分の子どもを育ててくれたことへの感謝の意味をも語っている。

子どもは、こうして、共同体の在りかた、倫理を学ぶ。倫理は内面化され、

その者の身につき、人格となる。内面化とは自ずから自己を律することの可能 性である。これは道徳の学習となる。ここで、倫理、道徳、教育が、人間にとっ て不可分のものであることが開示される。

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1)Frans de Waal, The Origins and Wrong in Humans and Other Animals、1996.

『利己的なサル、他人を思いやるサル』西田利貞・藤井留美訳 草思社 1998,p.22 2)Adam Smith, The Theory of Moral Sentiments, The 8th, London, Printed for A.Strahan; and T Cadell jun. and W. Devis,in the Strand, 1797. Vol.1, 1st ed., 1759. p.1

3)河合雅雄『子どもの自然』岩波書店 1990 pp.57-60 4)『利己的なサル、他人を思いやるサル』前掲訳書 p.44, p.94 5)宮地伝三郎『サルの話』岩波書店 1974 p.146

6)A.N.Whitehead Science and the Modern World, Cambridge 1953 p.187 7)『利己的なサル、他人を思いやるサル』前掲訳書 p.137

8)同・前掲訳書 p.122

9)河合雅雄『森林がサルを生んだ』朝日新聞社 1992 p.181-182 10)『利己的なサル、他人を思いやるサル』前掲訳書 p.91

11)リチャード フォーティ『生命 40 億年全史』渡辺政隆訳 草思社 2003 p.72 12)団まりな『性のお話をしましょう』哲学書房 2005 参照

13)伊藤嘉昭『動物の社会』東海大学出版 1987 p.66 14) 真木悠介『自我の起源』岩波書店 1993 p.11 15)小原嘉明『イヴの乳』東京書籍 2005 pp.14-15 16)杉山幸丸『子殺しの行動学』北斗出版 1980 参照 17)『イヴの乳』前掲書 p.79

18)同書 p.130

19)クレイグ スタンフォード『直立歩行』長野敬、林大訳 青土社 2005 参照 20)アドルフ ポルトマン『人間はどこまで動物か』高木正孝訳 岩波書店 1961 p.61 21)『イヴの乳』前掲書 p.203

22)同書 pp.173-174

23)ウィリアム R ラフルーア『水子』― 中絶をめぐる日本文化の底流 ― 森下直 貴ほか訳 青木書店 2006 参照

参照

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