伊豆半島の温泉
著者 鮫島 輝彦
雑誌名 静岡地学
巻 19
ページ 11‑14
発行年 1971‑05‑29
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025837
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鮫 島 輝 彦
静岡県の東部の伊豆半島は ‑箱根と の留立公閤地域で?山あり F 海あり?温泉ありの佳境 であることは間知の通りであるO
温泉の量からいえば静岡県は毎分 105トンで?北海道(140ト ン 九 福 島 県 (133トン),大分県 ( 107トン)に次ぎ全国第四位を占めF伊豆半島の温泉は 102トンで静岡県の温泉の大部分がここに 集中しているO 我国の人口最密集地帯に近くてp 東溜道沿いの最高の立地条件を満たす伊立半島の温 泉は当然、日本第一の経済効果を生み出す温泉でもあるO 温泉宿泊施設数 1,800,その収容力75,000 人F 年間延指泊者数約 1,300万人で,日本の全人口の 1/8が
なるO
の温泉に年に一泊していることに
には 30数個所の温泉地があるが市町村別にまとめて見ると表 1に示すような分布をもっ ており?総源泉数2,200,このうち利用中の源泉 1,200,それらの分布は図 1を御覧戴きたい。
自然科学的な意味で温泉の大きさを示すには湧出する混泉の運び出す熱量に依るので, fjt夜半島の 温泉をこの観点から見るとp 熱海市(泉?伊豆山?熱海?網代),伊東市(宇佐見?伊東?吉田p 赤 沢 ),東伊豆町(大)11,北)11,熱) 11,片瀬p 自由?稲取)の三市町がそれぞれ約 100万カロリー/分 で 断 然 大 き い 。 次 い で 南 伊 豆 町 ( 下 賀 茂 ) の 判 万 カ ロ リ , 河 津 町 ( 谷 津 ? 峰p 湯 ヶ 野 ? 天 城 ),
下田町(議台寺,河内p 下 閉 じ 伊 豆 長 岡 町 ( 長 岡9 古奈)の三町のそれぞ、れ25万カロリーが続くO
混泉の温度が特に高いのは南伊豆町(下賀茂)の平均 890で?ここには 20本の沸騰泉があるO 伊豆町の平均も 830 と高く,熱) 11.片瀬・自由に合計35本の沸騰泉があるO 河津町の谷津と峰にも 合計5本の沸騰泉があり?峰の玉蜂館の源泉は東洋一の大噴湯と称し?日曜日の朝覆いを除して噴湯
を見せているO 熱海にもかつて数本の沸騰泉があったが水位低下のため消滅したO
の平均湯温は58.30で高温泉地域といえようO
の温
なしυ? によって汲上 と るO えて温泉の需要が増し?大量の汲上
り?叉地下水や潜水の流入をまねい で
しまったわけではなく F
どんどん下って?滋に るしい低下を来すこともあるO
低下が著るしい。これら に汲上げられているの
らないのであるO
告噴していたのにF
なくなった
して のために 5
, 20
これら れもかつ
一窓口号 喜容となっ
はじまると
しF 務 に ひm のポン し け
れ ば らえ工くなってしまったO
このような の枯渇傾向に対処するため?県が新規混泉の揺さくを認めない温泉保護地域を昭和 34年 か ら 昭 和 39年迄の間に 11撰次設定し?また既存温泉源から 100悦離れないと新規麗泉の掘さくを 認めない!日規制を 200悦に改めたが?援に源泉井の過密に陥っていた温泉場では水位低下を喰止める
dコ れであったO
もっとも水位抵下の装しい伊豆長時温泉では昭和 42 年から ~B 五時間全部の井戸のポンプを止持 て 時 間 節 湯Jを実施し?叉温泉井に注水する泉源濯養法をも実行し始めたO このため従来毎年
印税もの速度で抵下の続いていた水位の{底下が止まりむしろ回復の傾向に転じた。
下新混農の関発J
では新温泉が続々と開発されているO 半長全体で毎年50‑‑60本の揺さくが行なわれ,
このうち約 10本が既存混泉から遠く離れた新地域に行なわれるO 近年のボーリング機械の進歩と技 衝の改良は自覚しいものがあり 1 日 20 悦~'"" 3 0悦もの速度で掘進するので1,000悦 の 深 さ の が3,4カ月で完成してしまうO ワイヤラインによるコアの i上げも一般化しつつあるO
も さくされるもの誌平均 500mを越え, 1,000 mに るものも珍らしくな くなったO
毎 分2,000リットルの湧泉があり 15軒 の 大 型 旅 館 が 1,000人 近 く を 収 容 す る 一 大 温 泉 場 に 発 展 し ているO
伊 東 市 の 宇 鑑 は 昭 和 初 年 に 450の 実 用 泉 が 撮 り 当 て ら れ , 昭 和 初 年 か ら 続 々 ボ 行 な わ れ ? 現 在 は4本 の 源 泉 か ら 平 均 湯 温460の 湯 が 毎 分600リットノレ出ているが曹に
ン グ が 実 擁 さ れ つ つ あ り 将 に 開 発 途 上 に あ るO
経d詩 混 議 は 松 崎 町 東 方 の 桜 田 に 昭 和39年 600の 温 泉 が 町 当 局 に よ っ て 掘 当 て ら れ ? か ら 平 均 湯 温490,毎分450リットノレの温泉が洪給されているO
リングが のボーリ
5本 の 井
松崎町甫部の襲撃昆e若 部 混 議 は 風 光 明 眉 な 混 岸 に あ ち ? 磯 釣 ? 海 水 浴 の 好 適 地 で も あ るO 昭 和32 で420の 温 泉 が 漁 業 組 合 の 手 で 開 発 さ れ , 昭 和 42年 に 石 部 の 瀧 岸 に 湯 温 520,毎分700ワット ル の 強 力 な 源 泉 が 掘 当 て ら れ ? 昭 和 初 年 に は 岩 地 で 600750リットノレの源泉も開発されたO 附 近 数 十 軒 の 民 宿 は 皆 温 泉 付 で あ るO
〈 堂 ケ 議 混 議 〉 は 昭 和37年 堂 ケ 島 で 湯 温490,毎分 300リットノレの好源泉が掘当てられ た の に 始 ま り , 続 い て 安 城 半 島 に 500,毎分 500リットルの源泉が開発され? 昭 和44年 に は 営 ケ 北 方 の 浮 島 で 460の温泉が出たO さ ら に こ の 間 近 で 数 本 が 掘 さ く 中 で ? 大 型 の 旅 館 が 出 来 は じ め たO
中 伊 豆 町 の 髄 岩 混 援 は 昭 和38年 に 町 営 の 混 泉 が 成 功 し の 温 泉 が 湧 出 し た 。 リ ハ ピ リ テ ー シ ョ ン 伊 平 と す る 温 泉 病 院 を 誘 致 し ? 近 代 的 温 泉 療 養 に 活 用 さ れ て い る がp 二 号 泉 も 成 功 を 見 た の で 温 泉
も出現するであろうO
下田町の西部の議JlI" で は 最 近 520と460 な し た 。 静 か な 山 中 の 温 泉 別 荘 地 に 活 用 さ れ よ うO
こ れ ら の 能 伊 東 市 南 部 の 吉 田 や 赤 沢 ? の八木沢? な ど に も 続 々 と 新 温 泉 が つ か っ て 来 て お り p 伊 豆 半 島 の 温 泉 地 鴎 は 塗 り か え ら れ つ つ あ る と い え よ うO
し か し こ の よ う な 新 温 泉 の 開 発 の 盛 況 か ら 伊 豆 半 島 は 掘 り さ え す れ ば 何 処 で も 温 泉 が 出 る と す る の は 大 き な 誤 り で あ るO 今 揺 ら れ て い る 坑 井 に つ い て ? 成 功 を 見 る の は 霞 か 1/3程 震 に 過 ぎ ずp 新 し い 所 に 掘 っ て い る も の で は 1/4, す な わ ち 基 本 に 1本 の 割 で し か 成 功 し て い な い の で あ るo 1悦 掘 るのに 1万 5千 円 か ら 2万 円 の 費 用 を 要 す る こ と を 考 え る とF 可 成 り 莫 大 な 開 発 経 費 を 投 入 し て い る ことになるO
を 掘 る 人 が 事 前 に 適 当 な 機 関 に 相 談 し を行なってから掘さく を を 半 分 以 下 に す る こ と が で き る で あ ろ うO
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