著者 森 雅秀
著者別名 Mori, Masahide
雑誌名 仏教について教えてください : 講義によせられた
3000の質問と回答
巻 1
ページ 243‑295
発行年 2010‑03‑01
URL http://hdl.handle.net/2297/23979
IV. 密教仏の研究 大日と不動明王を中心に
1. 不動明王の起源とインドにおける不動信仰
むずかしい漢字が多いと思いました。
たしかにそうですね。配付資料の説明はできませ んでしたが、不動に関する漢訳の経典からの引用 です。スライドで示したものは、さらにその抜粋 です。仏教美術の研究には漢訳をはじめ、文献解 読が不可欠です。講義なので細かく読むことはし ませんが、少しずつ慣れていって下さい。漢訳の 他にもサンスクリットやチベット語の文献もあり ますが、取り上げません。「美術なのに文献?」
と思うかもしれませんが、先回少しお話ししたよ うに、両者は密接な関係があります。これについ ては、抽象的でわかりにくかったようなので、今 回、はじめに補うつもりです。
不動のまわりにいる童子が、不動のイメージを取 り出して強調したものだというのがおもしろかっ たです。あまり関係ないのですが、映画や小説の 主役とわき役の関係もこれと似ているように思い ました。不動のイメージは、文献で見ればほとん ど同じなのに、作品ではひとつひとつを比べると まったく違った印象でした。
主尊と脇侍の関係は、なかなか興味深いです。仏 教の尊像には中心となる主尊と、付き人の従者と か脇侍の組み合わせで表される例がいろいろあり ますが、このように、主尊のイメージや性格が脇 侍に投影されたり、強調されるパターンがときど き見られます。密教でとくに顕著なような気がし ますが、阿弥陀と観音、勢至のような組み合わせ でも、そういえるかもしれません。不動の従者で ある童子については、日本の不動の作例をひとと おり見た後で、二童子、八大童子などを取り上げ るつもりです。
不動明王は怒りの表情をしているけど、仏教にお いては嗔は煩悩なのでは?不動明王は怒っていて
もいいのですか。
不動明王以外にも、降三世明王や大威徳明王など、
明王のグループの仏たちは、たいてい怒った姿で 表されます。チベットの方に行くと、もっと位の 高い仏でも、忿怒形をとることがあります。明王 が忿怒の姿をとる理由は、仏教の教理(きょうり、
教えのこと)では「三輪身説」とか「教令輪身」
という専門用語を用いて説明されます(これにつ いては、そのうち授業でお話します)。怒りを含 め、従来の仏教では否定されてきた要素を、密教 ではあえて正当化して、教理や実践に取り入れま す。それを極端に表すのが、たとえば「煩悩即菩 提」というような言葉です。
感得像の話はあまりなじみがないので、もう少し 詳しく聞きたいです。円珍以外にも感得像を生み 出した人はいるのか。割と頻繁に誕生するものな のか等々。
感得像というものを、ほとんどの方がはじめて聞 いたと思います。日本の密教図像の重要な用語で す。黄不動をはじめさまざまな作品がありますが、
とくに不動という仏の性格や機能を考える上で、
いろいろ示唆に富みます。あらためて黄不動につ いて詳しく取り上げるときに、その意義などにつ いて考えたいと思います。
不動明王のことをまったく知らなかったが、今回 の講義は楽しく聞けたと思う。そもそもなぜ青色 をしているのかが、いまいちわからなかった。ま た、赤や黄と色が異なっている理由もわからなか った。教えて下さい。不動明王は子どもをイメー ジ し て い る と い う 説 明 も あ っ た が 、 な ぜ 、「 怒 り」なのか 。
青という色は、インドの神々の世界では、イメー ジ的に「こわい」ものに与えられます。この場合、
青は空の色のように鮮やかな色ではなく、暗い青、
紺色のような色を指します。ヒンドゥー教の神で は、たとえばシヴァがこの色を取りますが、ヒン ドゥー教の神々の世界ではシヴァは破壊の神です。
また、シヴァは伝統的なアーリア人の神ではなく、
もっと土着的な神だったともいわれます。仏教で は阿閦や明王のグループで、青の身色は一般的で す。後期密教ではヘールカと呼ばれる仏たちの基 本的な身色がやはり青ですが、かれらは明王のイ メージも受け継いでいます。赤、黄については、
赤不動、黄不動を詳しく取り上げるときに、考え てみましょう。「子ども」と「怒り」のつながり は、多くの方が「なぜか」という疑問を出してい ました。子ども、とくに少年が両義的な存在であ るということは、拙著『インド密教の仏たち』の 中でも書いていて、今も基本的には同じ考えです
(関心がある人は読んでみて下さい)。でも、基 本的に子どもってすぐ怒ると思いませんか?
一年のときに受けた密教美術の世界がおもしろか ったので、また先生の授業を受けようと思いまし た。仏教を知ると、いろいろ日本の文化の深いと ころまでつながってるのがおもしろいです。
それはうれしいです。教養の私の授業を受講され た方が他にもいらっしゃるかもしれませんが、で きるだけ、重ならないようにお話ししたいと思い ます。また、学部の授業ということで、いろいろ 最新の研究の成果や、新しく調べたことなども取 り入れるつもりです。その分、話の歯切れが悪か ったり、結論に物足りなさを感じることもあるか もしれません。でも、学問とはそういうものです。
不動にもいろいろあるということをはじめて知っ た。羂索って何に使うのでしょう。
羂索は投げ縄です。仏像の入門書などには、猟師 が鳥を捕る投げ縄や、漁師の網のことと説明して あるものが多いのですが、これは俗説です(仏教 美術の世界では、このようないいかげんな説が、
しばしば堂々とまかり通っています)。インドの 文献を見る限り、羂索とは神話などに登場する呪 術的な武器で、敵を縛り上げて、身動きできない
ようにする縄のことです。呪術的な機能を持つこ とが重要で、仏教の仏でもこれを持つものは、何 らかの呪術的な力を有しています。
マーリーチー立像は、ムチムチプリプリというよ り、女の人のような線をしているが、女なのか。
女です。というか、女性の仏、つまり女尊です。
インドの女尊は日本のものと違い、肉体的な特徴 をはっきり表します。マーリーチーは日本に入る と摩梨支天と呼ばれ、作例もかなり残っています。
日本の不動明王とインドの不動明王を比べると、
日本の方が童子形にしても威厳、威圧的であるの に対し、インドの方は少し滑稽な感じを受けまし た。
たしかにそうですね。インドは作例がほとんどな いのですが、その流れを汲むチベットやネパール でも、忿怒尊というよりは、もう少し身軽な(使 者ですから)仏という感じです。でも、日本にも 童子形を強く打ち出した不動の作例がいくつかあ ります。
一番はじめに見たスライドの不動明王は、写真で 何回も見たことがあったけれど、弁髪を垂らして いるということは知らなかった。作品を細かいと ころまで見ると、いろいろおもしろいことがわか るんだなと思った。仏教はお金にあまりこだわら ないものだと思っていたけれど、頭から貨幣を出 すヤクシャがあって、不思議な感じがした。
はじめの不動明王は東寺講堂のものだと思います が、日本の不動像の根本像ともいうべき重要な作 品です。細部の写真もお見せするつもりです。ど の作品もそうですが、漫然と見ていても気が付か ない細部というのが必ずあります。美術の世界で は見ることが基本ですが、単に「見ればわかる」
というものではないことは、私の授業ではしばし ば強調します。頭か ら貨幣を出す ヤクシャ( 夜 叉)は、ユニークな作品ですが、これが作られた 背景には、ヤクシャなどを信仰対象とする一般の 人々の存在があります。仏教とは僧侶だけの宗教 ではなく、さまざまな社会階層の人々を巻き込ん
で存在していたのです。また、仏教と金銭という のは、たしかに一般的には相反するようなイメー ジがありますが、僧侶たちが僧院で集団生活を送 るためには、必ず経済的な問題が付随します。イ ンドでは古くから貨幣が流通していて、それとま ったく無縁で生きていくことは不可能でした。た だし、僧侶が貨幣にふれることは律で禁止されて いたため、いろいろな「方便」が考え出されまし た。
子どもを信仰の対象にする例は、世界中で見られ ますが(日本でも水子供養など)、子どもにはそ ういうミステリアスな部分があるのかと思いまし た。
ミステリアスという表現が適切かどうかはわかり ませんが、宗教学的に子どもが持つ意味や機能は たしかに興味深いものがあります。現代社会にお ける子どもの存在からは、まったく異なるような
「子ども像」がかつてはあったことは、歴史学な どでよく指摘されています(たとえばアリエスの
『子どもの誕生』)。日本の神話でも「ハナを垂ら し た 神 」 の よ う な 童 子 形 の 豊 穣 神 や 、「 翁 童 信 仰」のような老人と組み合わされた童子神がいま す。水子供養は子どもそのものが信仰の対象にな るというのとは、少し違うような気がしますが 。
満州民族は弁髪の習慣があったが、不動明王の弁 髪と何か関係はあるのですか。また、中国の北東 部でも、不動明王は信仰されていたのですか。
たぶん関係はないと思います。弁髪という言葉は 経典にもあらわれますから、髪の毛を編んで垂ら す髪型として、一般的な名称だったのでしょう。
中国における不動明王信仰は不明な部分が多いの ですが、唐代に密教が流行した長安を中心とした 中原と、雲南省に若干作例が残されています。こ
れは今回の授業で紹介します。
サンスクリット文字をまともに見たのは初めてだ ったが、うねうねしてて、こんなのだったのかと おどろいた。
サンスクリットはインド・アーリア人がインドに 入ってきた 4,5 千年前からインドにある言語で すが、特定の文字を持っていません。時代ごとに 書体の異なる文字で表記されます。資料で紹介し たのは「悉曇」(しっだん)と呼ばれる文字です。
中世インドの書体を受け継ぐもので、経典を通じ て日本に伝わりました。現在ではヒンディー語な どを表記するデーヴァナーガーリーという文字で 表すのが一般的です。これもじゅうぶん「うねう ね」していますが、すぐに馴れます。比較文化で はサンスクリットの授業がたくさんあって、いろ いろな文献を読むこ とができるよ うになりま す
(もちろん、それなりの苦労がありますが)。
数ある密教仏の中でエース級の大日如来と、4 番 バッタークラスの不動明王の勉強ができるので、
期待に胸を膨らませております。
お も し ろ い た と え で す が 、 大 日 如 来 は 「 法 身 」
(ほっしん)と言って、自分自身は説法などをし ない存在の仏なので、プレーをする選手よりも監 督とか、さらにはオーナーのような存在かもしれ ません。それはともかく、ご期待に添えるよう努 力します。
不動なのに走っている姿の走る不動があるなんて おかしいと思った。
ほんとにそうですね。でも、不動は黄不動や青不 動をはじめ、いろいろな名称というかあだ名の付 いたものがあります。それだけ日本人にとって身 近な仏だったのでしょう。
2. 日本への不動の伝来と初期の図像
理屈っぽい言い方になりますが、初期の不動明王 像を制作するときは、規範になる文献のようなも
のは存在しなかったのでしょうか。それとも天才 的な宗教美術家が直感とヒラメキで制作したもの でしょうか。あるいは、不動明王の出自がインド の俗神であり、年月を経てそれなりの形態が造り 上げられていったのでしょうか。
作品と文献の関係は私自身のこだわりもあって、
前々回から問題にしていますが、なかなか難しい 問題です。授業では説話的な作品と、礼拝像的な 作品というふたつのグループに分けて、作品と文 献の順序が逆になるという図式を示しました。わ かりやすいように一般化しましたが、実際はさま ざまなケースが考えられます。文献と作例の関係 は「ニワトリとタマゴ」のようなもので、明確に どちらが先であるとは断言できないでしょう。日 本で作られた多くの不動の作品が、経典や儀軌の 記述に忠実であることは、それらが典拠になった と考えられます。しかし、次週取り上げる予定の 黄不動に見るように、文献の裏付けのないイメー ジが、連綿と作り続けられることもあります。ま た、大師御筆様(東寺講堂像など)の不動が、斜 視を示さず、大きく見開いた目をしていることは、
文献と一致しませんが、日本の初期の不動に強い 影響力を持っていました。基本的に、芸術作品が 生み出されるときには、文字でそれを記述するよ りも、作品そのものが先にできていると思います。
「はじめにイメージありき」ということです。
弁髪について、長い髪には力が宿るという考え方 が日本にはあり、他国(西洋)にもあったと思う が、不動のものにもそのような意味があるのかと 思った。
不動についてはよくわかりませんが、髪の毛に力 が宿るという考え方は、たしかにありますね。旧 約聖書の有名なサムソンとデリラの物語などがあ ります。これは、武勇で知られたサムソンが、美 女デリラの妖しい魅力におぼれて、力の源泉が自 分の髪にあるという秘密をデリラにもらして、眠 っているあいだに髪を切られて敵に眼を潰される という物語です。レンブラントの絵やサン・サー ンスのオペラが有名です(金沢では美容室の名前 になっていますが、この場合、美容師がデリラで
客がサムソンということになるのではと心配して しまいますが )。不動の髪は燃えさかる火のイ メージと重なるようですが、これも力の源泉とい うイメージがその背景にあるのかもしれません。
インドやチベットの 忿怒尊には、 しばしば「 炎 髪」と呼ばれる逆立つ髪を示すものがあります。
不動の眷属の八大童子の中にも、そのような姿を とるものがいます。
・「作品→文献→意味」という流れの原点となる
「作品群」はさかのぼれば「村の守り神」(民間 信仰の神々)、「人面石」や「人面草」 アニミズ ム的信仰の対象となるものに行き着くのでしょう か。
・でも、仏教には本来仏像はないですよね。最初 の(釈迦の?)像は「意味→作品」の流れで作ら れ、図像づくりが一般化してから「作品→意味」
の流れが主流になったのでは?(具体的な図像か らはイメージが膨らみやすく、いろいろな仏サン 達が「派生」「枝分かれ」しやすくなっただろう と思います)
はじめの質問ですが、たしかに先史時代の彫刻や 絵画には、きわめてプリミティヴなものがありま す。また、村の神が昇格して、より広い地域で信 仰される神となり、そのときに新しいイメージが 与えられることもあります(インドではとくにし ばしば起こります)。しかし、その一方で、具象 性に富み、芸術的な価値が極めて高い作品が、古 い時代に出現して、時代が下るほど、作風が衰え る場合もあります。ヨーロッパにおいてギリシャ やローマの芸術が、ルネッサンスの規範となった ことなどは、その好例です。インド美術でもガン ダーラ彫刻の最盛期は紀元後しばらくで、後にな ると出来も悪くなります。美の歴史とは進化論的 に進むものではないことがおもしろいところです。
それは、宗教や思想についても言えることで、ア ニミズムからすべての宗教が「進化」していった のではないのと同様です。作品と意味についての 二つ目の質問について。たしかに、作品が生み出 された後で、そのイメージが広がるとともに、新 たな意味が与えられることもあります。また、イ
ンドにおいて礼拝像が誕生したのは、釈迦を中心 とした説話的な作品から、釈迦のみを抽出したり、
それをモデルに別の仏や菩薩を生み出したことに よります(すべてではありませんが)。授業で示 した作品と文献(そして意味)についてのふたつ の図式は、断絶したものではなく、ひとつとなる こともあるのですね。上にも書いたようにこの問 題は、仏教美術を考える際に重要な点となります。
さらに、いろいろ考えてみて下さい。
なぜ、ハスの花を頭に載せているのですか よくわかりません。ハスそのものはインドをはじ め、世界各地で好まれた植物で、さまざまな姿を とって芸術作品に登場します。前に紹介した「頭 から貨幣を出すヤクシャ」は、小太りの男性像と いう全体的なイメージも不動と共通しますが、貨 幣の出てくる源が頭の上のハスであるのが注目さ れます。
ネパールのチャンダマハーローシャナが抱きかか えているパートナーは誰なんでしょうか。
配偶神つまり妻です。インド後期密教の伝統を受 け継ぐチベットやネパールの仏教では、高位の仏 がしばしば自分の妻をともなっています。教理的 には男性の仏は方便を、女性の仏は般若を象徴し、
両者が合一することで悟りが得られます。それに しても、あの格好ではなかなか走れそうにないよ うに見えますが 。
本編とはあまり関係がありませんが、仏教の中に ヘレニズム的な要素は多く入っているのでしょう か。
もっとも有名なものが、授業で紹介したガンダー ラの仏教美術ですが、その影響はインド内部にも 及んでいます(ガンダーラはインドから見れば北 西 の 辺 境 で す )。 ま た 、 仏 教 や ヒ ン ド ゥ ー 教 の 神々には、西方世界に起源を持つといわれている ものもあります。どのような文化もそれ自体が孤 立しては存在せず、つねに周囲からの影響を受け ていますが、インドという国は、とくに北西から の異文化を受け入れつつ自分たちの文化を形成し
てきました。インド文化の中心を占めるアーリア 人の文化そのものも、同じように入ってきました。
「くりから」が剣の名前であることにおどろいた。
倶利伽羅峠の名前もこれから来ているのだろうか。
だとすると、あのあたりにある不動寺に関連して
「倶利伽羅」という地名が付いたのだろうか。そ れとも、土地の方が先にあって、後から不動信仰 が入ってきたのか。
前者です。「倶利伽羅」というのはもともと龍の 名前で、原語は「クリカ」です。仏典に登場する 龍のひとりで、密教経典では八大龍王のひとりに なります。不動の剣にいつからこの龍の名前が与 えられたかは確認していませんが、剣の持つ形態 と龍が通じていることや、龍をご神体としてまつ る儀礼が関連していると思います。不動寺は金沢 からも近いので、一度、お参りに行きたいと思い つつ果たしていません。
仏教美術は格好良いなと思った。走り出す格好よ り、坐像の方が堂々としていると思う。走り出す というのは、いかにも使いっ走りのようでおもし ろい。ところで、前期の授業を受けてないのでわ からないのですが、マンダラというのは何なので すか。絵を見れば「マンダラ」とわかるのですが、
なぜこういうものを作ったのか、何を意味してい るのかがわかりません。教えて下さい。
不動の姿が単なる使いっ走りから、堂々とした男 性像に変化したということが、日本における不動 の重要性をそのまま示しているようです。今回を 含め、これらかいろいろな不動の姿を紹介するの でお楽しみに。マンダラについては、他にも「わ からないので説明して」という質問が何件かあり ました。別の授業(仏教学特殊講義)で 1 年かけ て講義をしています。この授業ではマンダラにつ いて説明する時間的な余裕があまりありません。
一般向けに「マンダラとは何か」をまとめた資料 を配付しますので、読んでみて、わからないとこ ろをまた質問して下さい。
仏教美術にはどんな細かい箇所にも名前が漢字で
付けられているというのをはじめて知り、何か雰 囲気が出てておもしろいなとおもった。
どの分野もそうですが、仏教美術の専門用語はと くに日常からかけ離れたものが多く、覚えるだけ でもなかなかたいへんです。しかし慣れてしまえ ば、専門的な本を読んだり話を聞いたりするのが 楽しくなります。また、具体的なイメージをとも なうことが多いので、抽象的な仏教の概念などよ り、はるかに取っつきやすいと思います。
涅槃の図像はストーリー性があって、とてもおも しろい。教会にある字の読めない人のための聖書 の絵みたいだと思った。
仏教美術に限らず、説話的な内容を持った作品は、
それを解説する「絵解き」のようなものをしばし ばともないます。一般信者に絵の内容を語ること で、布教の役目を果たします。日本でも高僧絵伝 や浄土図、曼荼羅図(とくに参詣曼荼羅)などが、
絵解きの材料として有名です。不動のような礼拝 像も、その特徴が教理的な意味と結びつけられる ことで、絵解きの対象となります。不動を拝みに きた信者に、たとえばしかめた眼や上下に向いた 牙がそれぞれ意味があることを僧侶が説明すれば、
それがどれだけこじつけのようなものであっても、
信者たちは「ああ、なるほど」と思うでしょう。
作品と意味についての関係に、このような機能や 用途の視点をくわえると、また別の問題へと広が っていっておもしろいですね。
不動は条帛以外に上半身に何か衣をまとっている のでしょうか。上半身、裸の上にアクセサリーを 付けているようにも、ぴったりとした薄い服を身 につけているようにも見えます。
条帛以外は何もまとっていません。条帛も付けて いない不動もあります(『胎蔵図像』の不動や黄 不動など)。上半身裸であることは、不動が本来 童子であったことと関係するでしょうが、日本の 不動の場合、その筋骨隆々としたところが強調さ れるという効果があります。
カルラ炎のカルラって何ですか。
インドの想像上の鳥で、ガルダといいます。神話 に登場し、とくにヴィシュヌ神の乗物として有名 です。蛇を食べるので毒蛇除けの神にもなります。
ちなみに、インドネシアの国営航空がガルダ航空 というのはここから取られています。
斜めの不動と、正面の不動っていうのがよくわか らない。黄不動って、アフロみたいだ 。ショッ ク。
不動がどちらの方を向いているかは、われわれに はたいした問題ではないような気がしますが、美 術史的には重要です。ほとんどの初期の不動は、
やや右を向いていますが(専門家は「右に振る」
と言います)、例外として高野山の正智院や、広 島の大聖院の作例が正面を向いています。また、
アフロ(?)の黄不動も正面向きですが、これは
「感得」という宗教体験と結びつくと解釈する研 究者もいます。
前回の授業への質問に対する答えで、女性の仏が いるということをはじめて知りました。仏にはさ まざまな種類のものがありますが、今まではそれ らは皆、釈迦がより多くの人々を救うためにさま ざまな姿に形を変えて現れたものだと思っていま した。この考えはあってますか?もしあってると したなら、女尊はもしかして、とくに女性を救う ために現れたものであると考えていいのでしょう か。
女性の仏は大乗仏教の時代になって少しずつ現れ、
密教では爆発的に増えます。マーリーチー、ター ラー(多羅)、般若波羅蜜、チュンダー(准提)、
パルナシャバリー(葉衣)などがあげられます。
このほか、ヒンドゥー教から取り入れられた弁財 天、吉祥天、民間信仰の豊穣神である鬼子母神な ども女性です。観音はしばしば女性の仏と思われ ていますが、菩薩なので男性です。インドではイ ンダス文明の昔から女神信仰があり、ヴェーダ文 献にもさまざまな女神が登場します。中世にはド ゥルガーに代表されるような、男神をも力で凌ぐ 女神があらわれました。仏教における女性の仏の 登場も、このようなインドにおける女神信仰の流
れの中でとらえる必要があります。「釈迦がより 多くの人々を救うためにさまざまな姿に形を変え て現れたもの」という考え方は、仏教の仏たちを 整理して理解するために登場します。そこでは根 源的な仏は法身(ほっしん)と呼ばれ、大日如来 がしばしばその法身と考えられました。その場合、
釈迦でさえも法身が姿を変えてあらわれたものに なります。このような仏たちの関係についての考 察は「仏身論」と呼ばれます。これについては、
不動の後の大日如来の時に取り上げる予定です。
不動明王が文献をもとに固定観念が生まれたなら、
文献のもととなったメ不動明王モはどうして生まれ たのですか。インドの「使者」というイメージが 一人歩きをはじめて、「仏」にまでなったのです か。また、マニュアルが存在するにもかかわらず、
時代によって「不動」は変化しています。マニュ アルは必ずしも守る必要はなく、時代に合わせて 作成することがあったのですか。
前半の文献と作品については、今回の質問の前の 方でも取り上げていますのでそちらを見て下さい。
不動のイメージ形成については、授業で考えてい きたいと思いっています。マニュアルからの逸脱 や、マニュアルにないイメージについては、黄不 動の時に感得や意楽(いぎょう)という問題で、
詳しくお話しします。
もしよければ、スライドで見せる作品を、その授 業の前の週にプリントで配って欲しいなぁと思い ます。そうすれば、先生の説明を聴く前に、この 作品にはどのような意味が込められているのか、
自分で考える時間が持てていいなぁと思ったので すが。それか、授業中に考える時間をとって欲し いです。考える前に教えられると、想像がふくら まないし、この像はなんでこのような格好なんだ ろう?って考えてみたいです。
そうですね。たしかにそれはいい方法です。また、
まず自分で作品を見て、先入観なくいろいろ考え ることは、美術研究においても重要です。問題は
私が授業の準備をするのがたいてい授業の直前と いうことでしょう。毎年、同じ授業をしているの であれば、配布するプリントも、あるいはスライ ドで映すパソコンのファイルも、学期はじめに配 布できるのですが、基本的に学部の授業は毎年変 えていますので、そういうわけにはいきません。
まぁともかく、何か改善策を検討してみます。
65,000 円もする本を見たのは生まれてはじめてか もしれないです。ぜひとも本物も見たいなぁと思 いました。一般の人も見られるのでしょうか。
本の値段として65,000円は別に高いわけではあり ませんが、あの大きさでは割高感がします。おそ らく、版元の朝日新聞社が園城寺側に高額の使用 料を支払ったからではないかと思います(勝手な 憶測ですが)。黄不動は秘仏なので普通は見られ ませんし、定期的な御開帳もないようです。ごく まれに展覧会などに出品されることがあるようで すが、さしあたっては予定はないでしょう。一番 確実に見る方法は、園城寺の僧侶になることです が、別に強くはすすめません。
秘仏という言葉が何回か出てきたのですが、日本 には一般の人が見ることができないものが、そん なにたくさん存在するのでしょうか。秘密にする ことで神秘性を高めているのかと思いました。気 になります。
秘仏というのはおもしろい存在です。まったく見 ることのできない秘仏もありますが、大多数は周 期的に見せる、つまり御開帳をするものもありま す。秘密にしつつも、ときどきちらりと見せると いうことです。宗教美術には「秘密にする」とい う態度がしばしば見られますが。それは仏像など のイコンの「聖性」を維持するためのもっとも一 般的な方法だからでしょう。偶像崇拝の禁止とも 通じるものがあると思います。その一方で、「見 えないからよけいに見たくなる」という人間の心 理も、秘仏を生み出す要因にあるでしょう。秘仏 ばかり集めた本(タイトルも『秘仏』で、毎日新 聞社から出ています)もあります。
3. 日本における不動図像の展開
マンダラの本は、スライド等で見るよりも迫力が あって、思わず没頭してしまった。雰囲気もそう だが、絵や像の構成や人の顔が並んでいたりする ような構図(細かいところですが)が、私の今ま で見てきた絵や像と違うことが、単純に興味深い。
とても力強い気がする。静かな絵でも力強さが感 じられた。
回覧していただいたマンダラの本が印象的だった という感想が、他にも何人かいらっしゃいました。
共著者としてうれしいことです。この本は授業で も言いましたが、大阪の国立民族学博物館で昨春 に行われた「マンダラ展」の図録(展覧会カタロ グのこと)です。授業でお見せしているような国 宝や重要文化財など何もないのですが、チベット とネパールの仏教美術を中心に「マンダラとは何 か」を示そうとしたものです。会場の説明パネル も、8 割ほどは私が担当しました。この博物館の 企画展としては記録的な入場者数だったそうです
(それでも、京博の「高野山展」などと比べると、
一桁かそれ以上少ないですが)。そのため、来年 の4月から7月まで、ほぼ同じ内容で名古屋市博 物館でも行う予定です。機会があればお出かけ下 さい。
円珍がもたらした様式が智証大師請来様であるこ とはわかったが、高雄曼荼羅様との違いがわかる ためにも、唐と日本の歴史的背景にも少し触れて 欲しかった。この前の授業で、羂索というものは 敵を縛り上げるものだとわかったが、密教文化の 少し前の(天平か、飛鳥、白鳳か忘れましたが)
文化で、「不空羂索観音像」があるが、たしかこ の観音の「羂索」は、絹のようなひれのようなも のだったと思う。この羂索と不動明王の羂索は同 じものなのだろうか。教育実習の授業でやったの だが、その時の指導の先生は、「羂索は人々を救 うため。このひれを垂らして人々を救うんだ」と 言っていたが、本当はどっちなのだろうか。
まずはじめのコメントについて。円珍(智証大 師)は天台宗では開祖の最澄から数えて 3 代目の 座主になります。最澄と空海は同時代の人物で、
同じ時期に遣唐使として唐に渡っています。帰国 後、空海が真言宗、最澄が天台宗を開いたことは、
よくご存じだと思いますし、いずれも平安時代の 仏教の主流となる(すくなくとも平安前期の)密 教を日本にもたらしたと説明されます。しかし、
二人が唐で学んで日本に伝えた密教は、かなり異 なるものでした。端的に言って、空海の密教は長 安を中心に流行していた正統的な密教で、とくに
『大日経』と『金剛頂経』というふたつの重要な 経典の伝統を継承しています。これに対して、最 澄の方は、そもそも密教のことは念頭になかった のですが、中国に行ってから、その重要性に気づ いて、あわてて学んだようです。そのため、彼が 学んだのは密教の伝統の中でもかなり特異なもの でした。帰国後、そのことを知った最澄は空海に 密教の教えを請うという屈辱的な立場に立たされ ますし、結局二人の関係は決裂します。天台にと って、正統的な密教を学ぶということは、宗派創 立以来の課題だったのです。円珍やその兄弟子の 円仁が中国に渡った最大の目的もそのためです。
彼らが唐に滞在したのは空海よりも一世代も二世 代も後で、そのころの中国密教も空海の時代から は変質していました。不動の図像の違いも、この ことに起因します。また、空海が密教の中でも最 先端の情報を取り入れようとしたのに対し、円仁 や円珍はむしろ、伝統的な密教に関心を示したよ うです。彼らの伝えた密教図像が、空海のものよ りも古い形式を備えていることがあるのはこのた めです。
二つ目の羂索について。不動の羂索も不空羂索 の羂索も同じものです。教育実習の授業でご覧に なったのは、おそらく東大寺法華堂の不空羂索観 音立像(時代は天平)だと思いますが、持物の羂 索は組み紐のようなもので、後補です。仏教的な
理解では、どの仏が持っていても、たいてい羂索 には衆生救済という意味や機能が与えられている ので、教育実習の時の先生の説明は間違いではあ りません。しかし、羂索にそのような解釈が与え られるのは、日本で成立したかなり後世の文献で、
インドまではさかのぼれません。前にも書きまし たが、一般書に「猟師の投げ縄や、漁師の網のよ うなもの」と説明されるのはこのことです(「ひ れをたらす」という のは、はじめ て聞きまし た が)。授業でよく強調する「図像に対して後から 与えられた意味」の好例でしょう。羂索はサンス クリットで pāśa とよばれ、インドでは古くから いろいろな神が手にしています。これらの機能や 意味を調べると、懲罰者の持つ道具であったり、
戦闘で用いられる魔術的な武器であることが確認 できます。不空羂索観音については、一昨年、下 記の論文を書いて、その中で羂索についても詳し く説明しています。掲載誌は中央図書館にありま すので、読んでみて下さい。
森 雅 秀 2002 「 イ ン ド の 不 空 羂 索 観 音 像 」
『佛教藝術』262: 43-67。
二人の童子は片方が「小心者」「白」もう一方が
「悪ガキ」「赤」というように、対称的ですが、
不動も「片目を閉じて片目をあける」「片方の牙 が上でもう片方が下向き」等、十九相観でとくに 対になるパーツをそなえています。不動には何か 二面性のようなものがあるのでしょうか。
そういうことがあるのかもしれませんね。脇侍が 二人いるとき、それぞれが対称的な性格を持った り、相互補完的であることは、他の仏でも見られ ます。たとえば、インドでは釈迦の脇侍は観音と 弥勒の組み合わせが多いのですが、観音が戦士階 級(クシャトリア)、弥勒が聖職者階級(バラモ ン)のイメージを濃厚に持っていたり、仏教の仏 ではありませんが、インドラ(帝釈天)とブラフ マン(梵天)が、同じように対称的な機能を持っ て。釈迦の脇侍になることがあります。このこと は名大教授の宮治昭 氏が詳しく研 究されてい て
(『弥勒と涅槃の図像学』吉川弘文館)、さらに、
神話学の大家ドュメジルの三機能説にも関連しま
す。私も以前、文殊の脇侍が、真摯な求道者であ る善財童子と、恐ろ しい神ヤマー ンタカ(大 威 徳)であることに着目して、文殊に代表される童 子神が、本来、その両者の性格をあわせもってい るからであると論じたことがあります(『インド 密教の仏たち』第三章)。不動が片目を閉じるの は、十九相関が成立する以前から、すでに経典な どには斜視などの言葉で規定されていましたが、
そのアンバランスさを、牙などの身体の他の部分 や、さらには従者にまで波及させたとすれば、な かなか興味深いです。
エンマ王の図像も、昔はストレートのヘアだった のが、いつのまにやらアフロになっています。パ ワーアップすると髪が縮れていく気がするのです が、不動は時代とともにパワーアップしていって いるのでしょうか。光背の火がさかまくのが、髪 の毛に象徴されている気がします。
日本におけるエンマ王の図像の変遷は調べたこと がないので、時間があれば十王図などで確認して みます。元や宋の時代の中国絵画の影響を受けて 変容したのかもしれません。髪の毛が逆巻くのは、
たしかに怒りや畏怖を表すのに適した髪型で、イ ンドでも図像や文学作品で見られます。しかし、
その場合、縮れているというのとは少し異なり、
直毛で逆立っているというイメージです(インド 人の男性はたいてい直毛です)。縮れている場合、
ある程度は逆立つでしょうが、縮れ方がキツイと、
逆にあまり逆立たず、単にもじゃもじゃになって いるだけのような気がします。黄不動で見るよう な巻き毛は、たぶん、あまり逆立たないでしょう。
火炎の形態と逆立つ髪のイメージが重なるのはた しかにそうで、専門用語として「炎髪」(えんぱ つ)というのもあります。不動の髪型よりも、五 大明王で取り上げるその他の明王の方が、炎髪と 呼ぶのにふさわしい髪型をしています。
不動明王図像の特色や、不動十九相観の表を見て 気づいたのですが、眼目の種類として、「両目開 眼」と「左目を閉じる」の二種類しかありません。
右目を閉じて左目を開いてはいけない理由はある
のですか。
あるかどうかわかりません。「文献に左目を閉じ るように記されているから」という理由では、答 えたことにはなりませんね。根拠はありませんが ふたつほど推測で答えてみます。ひとつは右と左 の関係で、多くの文化で左よりも右に優越を与え る傾向があり、半開きや閉じるという不完全な形 態をとるのは、右目よりも左目の方が妥当である。
二つ目は図像的な考え方で、初期の不動は東寺講 堂像に見られるように、やや右を見るように表現 されるため、不動の異形さを示す斜視を、正面寄 りの左目にくわえて、見るものにより強く印象づ けた。どちらの答えもあまり自信のあるものでは ありません。
制多迦童子が鬼かかっぱみたいでした。時代が進 むにつれて肉付きが悪くなるというのがおもしろ かったです。昔の方がやせていそうなのに。美人 の基準でも昔の方がふっくらしていたのと同じよ うなのかなぁ。波切不動が頭が大きいと思いまし た。カルラ炎を後から付けたというのがありまし たが、後から付けてもいいものなんですか。同じ 作者が付けたのですか。
不動の体格の変化は、不動の性格や地位の変化と、
人体表現の嗜好の変化が考えられます。初期の不 動が、その名のとおり、どっしりと坐っていたの に対し、平安時代の中期や後期では、勇者のよう に剣を構える姿へと変わるようです。不動を中心 とする五大明王のグループが、不動を除き、いず れも動きのある立像で、しかも均整のとれた戦士 のイメージで表されるのも関係するでしょう。ま た、平安後期の院政期に好まれた仏像が、豪華絢 爛な姿(当時の言葉で「美麗」といいます)をと ることが、不動の身体表現にも影響を及ぼしたと 考えられます。波切不動は典型的な童子形の不動 であるため、八頭身ではなく、六頭身ぐらいです。
不動堂の不動のカルラ炎を後から付けたというの は後補ということで、オリジナルは失われていま す。いつの時代の後補かは調べていません。
十九相観の中に、卑しいとか肥満とか醜いという
言葉が出てくるのにおどろきました。素人目には そうであっても、宗教的にはもっと神聖視されて いるのだと思っていたのですが、不動明王は汚れ 役(と呼ぶべきか)なのでしょうか。
宗教において神聖視されているもの、言いかえれ ば「聖なるもの」が、すべて完全に美しいとは限 りません。もちろん、均整がとれていて、完全無 欠で、その時代の美を可能な限りそそぎ込んだよ うなイコンもありますが、その一方で、恐ろしい 姿、グロテスクなものが「聖なるもの」とみなさ れることもしばしばあります。人間がこのような ものにも「聖性」を感じることに、宗教学者は早 くから注目し、「ヌミノーゼ」という言葉を与え ています(R.オットー『聖なるもの』)。不動をは じめとする仏教の忿怒尊は、まさにヌミノーゼを 体現した聖なるものなのです。十九相観について 言えば、文献に見られるこのようなネガティヴな 規定が、かならずしもすべて表現されているわけ ではない点も注目されます。実際に、卑しく、肥 満で、醜い不動を描いたような作品はほとんどあ りません。文献の規定を知りながらも、実際に制 作にあたるものが受け継いできた図像の伝統や、
その時代が求める「聖なるもの」のイメージとの バランスの上で、作品は生み出されるからです。
・十九相観は日本人が考えついたのですか。イン ドや中国でも十九相観と似た瞑想はありましたか。
・瞑想とは具体的にどんなものなのかよくわから なかったので、ひとつひとつの特徴を思い浮かべ る十九相観の方法が興味深かったです。描き方を 定めたものではなく、瞑想するプロセスだそうで すが、曲を付ければ絵描き歌になりそうな感じが しました。『要尊道場観』のプリントには不動の 他に降三世や大威徳のものも載っていましたが、
主要な仏に対してはこのような瞑想法があるもの なのですか。
瞑想は密教に限らず、仏教の基本です。釈迦が悟 りを開くことができたのも、ヨーガの技法を用い て精神統一をはかったからです。ただし、瞑想の 内容は時代や宗派などでさまざまです。古い時代 の仏教では数息観といって、自分の呼吸をコント
ロールする瞑想や、不浄観といって、無常観を理 解するために死体が腐乱していく状態を瞑想する 方法などがありました。大乗仏教の時代になると、
観仏といって、具体的な仏のイメージを瞑想した り、極楽浄土の光景や、そこへの生まれ変わりを 瞑想することもありました。密教では瞑想が儀礼 と結びつくことが大きな特徴となっています。特 定の仏に対する儀礼が瞑想を前提として行われ、
瞑想によって呼び出された仏に対して、特定の礼 拝や供養を行ったり、その仏の力を借りて、願望 を成就することが頻繁に行われました。このよう な瞑想付きの儀礼は、インドでも行われましたし、
日本では平安時代に朝廷や貴族のあいだで大流行 しました。不動と護摩のむすびつきもそのひとつ です。これについては、儀礼のところで取り上げ ます。
甚目寺の不動明王の剣のもとのところが三鈷か五 鈷になっているように見えました。うっかりして いましたが、東寺講堂の不動明王像の剣はどのよ うになっていたのでしょうか。もし違う形だとす れば、剣の形の違いによる意味はあるのでしょう か。
講堂の不動像は三鈷のようです。ただし、おそら くこの持物の剣は後補だと思います。多くの不動 像が三鈷の柄の剣を持っているようですが、初期 の不動像の胎蔵図像や胎蔵旧図様は三鈷ではなく、
もっとシンプルな剣です。高雄曼荼羅様も柄の上 の部分は三鈷ですが、下は違うようです。おそら く、ある時期から三鈷や五鈷の形が好まれるよう になったと思いますが、それが特定の意味を表す ためであったというわけではないでしょう(意味 が後から付与されることはあったでしょうが)。
不動明王を祀ってあるところでは、よくしめ縄が はってあり、「おやっ」という感じがしました。
しめ縄というのは神道のシンボルのようなものと 思っていましたので、仏尊にどうしてしめ縄なの かと疑問を持ったのです。いわゆる神仏混淆(こ れも興味あるテーマですが)でしょうか。そうい えば、弁財天や歓喜天など、天部の仏尊を祀って
あるところでも、しめ縄が張ってあったような記 憶があります。
はっきりした答えはわかりませんが、神道という よりも修験道と関係があるのではないでしょうか。
密教はかなり早くから修験道と結びつき、とくに 不動をはじめとする明王は山伏に好まれた尊格で した。不動の代表的な儀礼である護摩も、修験の 方法で行う柴燈護摩があります。なお、しめ縄は 結界を表しますが、密教も儀礼を行ったり、寺院 内の特定の聖域を定めるために結界を行います。
この場合は五色の紐を編んだ五色線を用いますが、
神道や修験のしめ縄と密接な関係にあります。
前回も聞いた正面と斜めの不動の話ですが、絵画 ならわかります。丸彫りの彫刻の場合が今ひとつ わからないです。台座に対して斜めに坐っている のですか?首だけ斜めなのですか?忿怒尊って写 真うつりがよいなと思いました。そういえば、自 画像なんかを描くとき、無表情よりもしかめっ面 とか、ふくれっ面、めがねやアクセサリーがある と描きやすいらしいです。仏像を作る人も、悟っ た顔より、怒った顔の方がやりやすかったのかな ーと想像します。
斜めを向いた不動は、作品を見る限りでは、首か ら上だけ右方向を見ているようです。このような 姿勢をとるためには、肩のあたりからの筋肉の付 き方を、正面像と変えなければならないと思いま すが、そこから下は正面像とあまり違いがないの ではないでしょうか。右を向くということは顔の 左半分が正面に近くなります。弁髪を左に垂らす ことや、左目をしかめたり、左の牙を右の反対の 方向に向けることも、この姿勢に関係するのかも しれません。忿怒尊的なイメージの方が、普通の 仏像よりも表現しやすいというのは、たしかにそ うでしょうね。仏の世界のイメージの多様性が、
密教美術の魅力となっています。密教美術以外で も、たとえば浄土図よりも地獄絵の方が、絵師の 創作意欲をかき立てたようですし、見る方にも強 烈な印象を与えたでしょう。
不動明王を見てきて思ったことは「鬼」に似てい
るということです。怒った表情、ずんぐりむっく りの体型、とくに黄不動においては、巻き毛、か っと見開いた眼など、角を付ければ鬼そっくりで す。鬼というのは不動と関係あるのでしょうか。
不動と鬼のイメージが重なるというご指摘は、他 にも何人かいらっしゃいました。私はこれまであ まり考えていませんでしたが、たしかに言われて みるとそうですね。順序からすれば、先に不動の イメージがあって、それが鬼に投影されたと見る べきかと思います。鬼の図像については手元に資 料がありませんので、調べておきます。
不動にもこんなに種類があるということを知って、
このような種類を知らずただ傍観するよりも、ま た違う視点から仏像を見ることができるので、ぜ ひ他の機会で不動を見ることがあったら、このよ うなことに注意してみてみたいと思った。しかし、
そのような違いがあるのは(両目開眼と左目を細 めるなど)時代によって、人によって、不動に対 する見方が少しずつ違ってくるからなのか。制作 者がこっちの方がいいと思うからなのか。
不動は時代や様式ではっきり違いがわかるので、
ぜひいろいろ見て下さい。今、石川歴史博物館で 開催されている「能登の仏像展」(11 月 9 日まで 開催)にも、3 点の不動が出品されていますが、
いずれも違う様式です。授業で指摘したポイント を押さえて見れば、よくわかるはずです。
一度このような不動像を見てみたいと思ったので、
富山の日石寺に行ってみたいです。
日石寺の所在地は富山県中新川郡上市町大岩 163 で、車を使えば金沢から 1 時間半ぐらいで行くこ とができます。日石寺は真言密宗の総本山で、境 内には本堂の不動堂以外にも三重塔や山門もあり、
ひなびた山の中ですが、かなりの威容を持ってい ます。門前には旅館もあり、かつては大勢の参拝 客が訪れたのでしょう。上市町のホームページに、
詳しい紹介や不動の画像も見ることができます。
倶利伽羅龍、二童子ともに不動の転じた姿だとは おどろいた。つまり、三人の不動がひとつの絵に
描かれているということだろうか?となんか不思 議な感じがした。まぁでも不動はこんなイメージ というのを示すためのものということだから、い いということでしょうか。
そのように見ることができます。倶利伽羅剣を持 った不動の横に、さらに倶利伽羅剣を描いたもの もよくあります。密教の瞑想法では、特定のシン ボルから仏の姿を生み出す方法がよく見られます。
その場合、授業でお話しした文字(種子)がシン ボルとして機能することもありますが、持物など の特定の物が、その仏の源初的なイメージとして 用いられます。不動の剣もそのようなシンボルと して扱われたのでしょう。十九相観では不動から 剣を瞑想しますが、それは本来の方向とは逆のよ うです。二童子も不動の化身というのは、不動の 持っている本来の性格や素性をこれらの二童子が 受け継いでいるという解釈に重なるような気がし ます。不動が童子形や奴僕のイメージを薄めてい ったことと、童子がこのような姿をとるようにな ったのは、同時に進行していったのでしょう。
不動明王というと、いかめしいというか、威厳が あるような感じがしますけど、「お不動さん」と いうと、身近な感じがします。それで、お年寄り が「お不動さんに参ってくる」とか言って、不動 信仰のようなものがあったような気がするんです が、どういうものでなのでしょうか。不動図像は こんなにいろいろ日本にあるんだから、仏教の中 での不動明王、というより、ただ単体として、民 間に浸透していたのでしょうか。
不動は、観音や地蔵とならんで、庶民の仏として 親しまれてきました。これらの三尊の仏たちは、
それぞれ異なる性格や機能を持ち、うまく棲み分 けていたようです。日本における不動信仰の展開 をたどった文献はいろいろありますが(たとえば 田中久男編『不動信仰』雄山閣出版 1993)、授 業でも、図像作品をひととおり見た後で取り上げ たいと思っています。
マンダラには興味がある。まったく知識がないの で、今日のプリントをじっくり読みたい。富山県
利賀村はネパールと友好提携を結んでいて、村に はマンダラの絵が飾ってある施設があるらしいの で、いってみたいと思ってきた。
利賀村の「瞑想の館」(瞑想の郷)は、日本では 珍しいチベット仏教美術の常設展示があるところ です。ネパールのツィクセ村というところのチベ ット系の絵師が描いたマンダラが展示されていま す(ネパールもチベット文化圏に重なるところが あります)。金剛界と胎蔵などの大きな絵が壁に 描かれていますが、いずれも儀軌にしたがって正 しく描かれています。これは学術顧問に田中公明 氏というこの分野の第一人者がいるためです。富 山県はマンダラが好きな県のようで、立山博も立 山曼荼羅を中心とした充実した展示が見られ、チ ベットのマンダラの収集も精力的に行っています。
是非お出かけ下さい。
仏教には数字がたくさん出てくる。不動は十九相 観、仏は三十二相だったと思います。容姿の特徴 によって性格を表しているが、実際、犯罪心理学 者などは、事件現場の状況から犯人の性格、そし て身体的特徴を推測したりするそうなので、昔と は言え、けっこう、理にかなっていると思った。
仏教の用語にはたしかに数字に結びついたものが たくさんあります。四諦八正道、十二支縁起、五 蘊、五位七十五法など、数限りなくあります。こ のような特定のカテゴリーから教理の体型を構築 したのが仏教の特徴でもあります。細部から全体 を推理するのは、探偵や警察ばかりではなく、美 術史の常套的な手段です。「神は細部に宿りたも う」という有名な格言もあります。作品の細部に こそ真理は隠されているということです。
講義と直接関係ないのですが、今、卒論の関係で
「信仰」って何かということに悩んでいます。私 は信仰対象を信じることで救われる、または救わ れたと感じるようになれば、それは信仰だと思う のですが。つまり、それが神や仏でなくてもいい と思いのですが、やはり信仰は神や仏に対して使 う言葉なのでしょうか。また、崇拝と信仰の違い やそれらと宗教の関係などを考え出したら、進ま
なくなってしまいました。
「信仰」を手元の国語事典で引くと「神や仏など を、心の迷いなどを救う究極の拠り所として、理 屈 を 越 え て 信 じ る こ と 」 と あ り ま し た 。「 神 や 仏」という言葉が用いられるのは、それが一般の 人 に と っ て も っ と も わ か り や す い 例 で あ っ て 、
「など」という語で、その他の一切合切を含んで いると見るべきでしょう。むしろこの定義では、
後半の「理屈を越えて信じること」の方が重要だ と思います。信仰は合理的な判断にもとづいた行 動ではなく、その対象はかならずしも客観的な価 値があるものではないからです。宗教一般では、
信仰の対象となるのは神や仏という人格神的なも のばかりではないため、「聖なるもの」とか「超 越的存在」「絶対者」というような用語が用いら れます。宗教と信仰の違いは明確にはできません が、信仰は特定の対象に対する個人の心のありか たに重点があり、宗教はそれよりも広い現象や考 え方、活動などを指すように思います。このよう な考察は宗教学では重要ですが、それ以外の分野 ではあまり深く立ち入らず、実際の事例や具体的 なあり方について研究を進めた方が生産的かもし れません。
十九相観のうちに、童子形を取るというのがあり ましたが、これにはどういう意味があるのでしょ うか?仏教では~童子というのが多く出てきたり、
他の仏像なども少年ぽさを多く表してるものがあ る気がします。童子ってそのままの意味で子ども と考えていいのでしょうか。絵を見ていると、と ても子どもには見えません。子どもという意味で はなく、単なる名称や階級みたいなものなのでし ょうか。
不動に限定してみれば、不動が本来有している基 本的なイメージが、身分の低い少年で、それが日 本では他の明王の影響も受けて、屈強な成人男子 のようになり、少年のイメージが従者に置き換え られたと見ています。しかし、ご指摘のように童 子そのものにはたしかにいろいろな問題があるよ うです。インドではカールティケーヤ(韋駄天)
がもともと童子をイメージした神で、少年を意味
する「クマーラ」とも呼ばれます。仏教の文殊も その影響を受けているため、図像的にもこの神と 密接な関係があります。不動の場合、これらとは 少し異なり、使者という職分からもわかるように、
もっと身分の低い少年です。不動に特有の弁髪や 斜視、肥満した身体などは文殊などの童子神には 見られません。日本の不動の従者となる衿迦羅や 制多迦という二人の童子が、少年の姿に見えるか どうかは判断の分かれるところですが、青年に近 い少年といったところでしょうか。次回取り上げ
る八大童子の場合、高野山の運慶の作品では、全 体に少年のイメージが濃厚です。3 年ほど前に滋 賀県の彦根城博物館で「美術の中の童子像」とい う展覧会が開催され、日本美術のなかに見られる さまざまな童子像が紹介されていました。図録も 小さいながら、なかなか読みごたえがあります。
ま た 、 最 近 、 至 文 堂 の 日 本 の 美 術 シ リ ー ズ で 、
『日本の童子形』という巻が刊行されました(津 田徹英著)。童子についての関心が高まっている ようです。
4. 異形の不動
虚空を踏むというのは不思議ですね。宙に浮いて いるというなら何となくわかるけど、「踏んでい る」ということはそこに人間には見えない何かが あるという考えなのでしょうか。(円珍が見た姿 であって、誰かが作り上げたわけではないのだか ら、考えというのもおかしいのかもしれないです けど )。
感得像ならではの表現でしょうが、たしかに不思 議です。彫刻の場合、表現できませんね。黄不動 が虚空にいることは、『円珍伝』でも記されてい ますから、基本的なイメージだったのでしょう。
「何かがある」というより、虚空からこちらに向 かってきたということではないかと思います。正 面向きの像でありながら、左足をやや浮かせてい るのは静止しているのではなく、動いていること を表しています。密教の瞑想では、不動などの仏 が「降りてくる」という表現を用いますから、虚 空を移動して来るというのが、基本なのでしょう。
「神は細部に宿りたもう」と今日のレジュメの質 問コーナーにありましたが、今日見た金色不動明 王の髪がきついパー マだとか、弁 髪がないと か
(以前の伝統的な不動明王の姿を排除してあると 先生はおっしゃいましたが)それも何らかの意味 がくわえられた結果の姿なのでしょうか。足の親 指を立てるのは歌舞伎か何かでも怒りを表すしぐ
さのひとつだそうです。そんな共通点を発見して おもしろかったです。金色不動明王画像の足は、
なんかギリシャあたりの「天地創造」の絵を彷彿 とさせました。
作品の細部に注目するのは美術史の常套的な方法 ですが、黄不動のような独特な特徴を多く持つ作 品では、とくに有効です。これらの特徴が黄不動 以前の作品にも見られることも、スライドで紹介 しましたが、これらはいずれも過去の研究者が指 摘しているものです。いずれもよく似ていて、驚 かされます。しかし、ただ似ているというだけで は不十分で、作品の制作者やそれに関与した人物
(この場合は画工と円珍)が、それらの作品と密 接な関係を持ち、確実に見ていたという証拠も必 要です。そのためには歴史的な知識も必要とされ ます。学問ですから、論証できなければ、単なる 思いつきに終わってしまいます。「天地創造」は バチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれているミ ケランジェロの壁画でしょうか。有名な「アダム の創造」や「最後の審判」では、見事な男性裸体 像が見られます。筋肉隆々たる姿は、たしかに黄 不動に通じますね。黄不動の人体表現は、この時 代の作品の中でも屈指のレベルで、解剖学的にも 非常に正確だそうです。
不動明王ひとつに対して、さまざまな見解がある
ことが、とてもおもしろいと思います。どの説が 主流であるか、一番説得力があるかは別にして、
このように現在に残されてものについて、あれこ れと考えるという行為自体が、とても楽しく感じ られます。
授業で紹介した黄不動についての記述は、いずれ もこの分野の定評のある文献から取ったものです が、ずいぶん違うことに驚かされます。有賀氏は 美術史的な立場をとり、現在のところ、これがも っとも穏当な説だと思います。佐伯氏は感得説話 そのものの信憑性にも疑義を唱えていますが、こ れを「作品・文献・意味」の枠組みでとらえると、
既存の作品に説話的な意味を与えて、文献の形で それを固定化していると見ることができます。佐 和氏の引用は、黄不動に関する節の一部なので、
少しわかりにくいのですが、その前の部分には実 際に黄不動を拝観した感動が縷々述べられていま す。感得を体験する前から、円珍がすでにこのよ うなイメージを確立していたという説明は、突然 現れた不動に対して、円珍が「誰ですか」という
『円珍伝』の記述と矛盾すると思いますが、この ような作品は感得した本人以外には描けるはずが ないと佐和氏が断定するのは、実作品をまのあた りにした者ならではの直感なのでしょう。渡辺氏 の黄不動評はいささか辛口に感じますが、インド 文化に対する該博な知識と、それが日本の密教で も正しく受け継がれていることを実証してきた学 者ならではの自負のあらわれです。いずれにしま しても、作品を見るだけではなく、いろいろな立 場の人の異なる見解を見ることで、作品をとらえ る視点や枠組みが得られるのではないかと思いま す。「あれこれ考えるのが楽しい」のはその通り ですから、いろいろ考えてみて下さい。
金大祭の時に那谷寺へ遊びに行きました。那谷寺 は真言宗の寺で、不動明王の像も見ました。お寺 にはいる前においてある水で手を洗ったり、すす いだりするところに不動明王の像がありました。
うれしいのは不動明王の像の実物を見たことです。
不思議なのは、お寺の中に置いてある大きい仏像 ではなくて、1 メートル前後の高さでした。これ
は普通のことですか。
那谷寺は加賀市にある高野山真言宗の名刹です。
広い境内にいろいろなお堂がありますが、岩場に 龕を作って、修行をしていたとも伝えられ、独特 の雰囲気を持っています。不動明王は真言宗のお 寺ではもっともポピュラーな仏で、とくに護摩堂 とか不動堂という名称を持った建物の本尊として 祀られます。本堂で大日如来や阿弥陀如来の脇に おかれることもよくあります。お堂の前で手や口 を清めるところに不動がおいてあるのもよく見ら れます。不動以外にも観音や地蔵の像も多いでし ょう。不動の場合、とくに「水掛不動」と呼ばれ ることもあります。これは不動と水の結びつきや、
人間の死後に死者の霊を守る役割を不動が果たす ことなどと関係します。不動信仰については、12 月に取り上げたいと思っています。
最後の感得像に関する説明はわかりやすくてよか ったです。ただ、今さら聞くのは本当に申し訳な いのですけど、密教とは ?
申し訳ないことは全然ありません。「密教とは何 か」については説明をしていないので、わからな いのは当然です。インド仏教の歴史を簡単にまと めれば、釈迦の時代を含む初期仏教(あるいは原 始仏教)、部派仏教、大乗仏教、密教ということ になります。インド仏教の最終的な形態が密教で す。ただし、その時代も大乗仏教やいわゆる小乗 仏教もありますので、段階的に変化したというわ けではありません。また、密教の修行をすること が許されたのは、大乗仏教の修行階梯を終え、特 別な能力(とくに実践における能力)をそなえた ものだけといわれています。ある研究者は密教の 特徴として次の 5 点をあげています。①現世拒否 的態度の緩和 ②儀礼中心主義の復活 ③シンボ ルとその意味機能の重視 ④究極的なもの、ある いは「聖なるもの」に関する教説 ⑤究極的なも のを直証する実践(立川武蔵 1992 『はじめて のインド哲学』講談社、p.173-4)。よくわからな いと思いますが、同書や次のような文献を、まず 手始めに読んでみて下さい。
松長有慶 1991 『密教』(岩波新書) 岩波書