今日だけに限らず、この講義では自分がほとんど 知らない新しいものにふれることができた気がし て楽しかった。スライドはとても見やすかったし、
実際に美術作品を見ることで、理解も深くなった 気がする。国ごとに変わっていく美術作品や、各 国によって仏教世界の表し方が違うということは、
私にとって興味深い話だった。
スライドを使わず説明で聞くときは、それなりに 自分の中で「大日」や「不動」のイメージを持っ て聞き、内容もなるほどなーと納得できるのです が、実際にスライド で作例を見る と、それぞ れ
「大日」とか「不動」という一言に収まらないく らいさまざまなイメージがあって、そのギャップ をなかなか楽しめました。その「収まらない」と ころがいいところだなと。
五重塔の全体構造についてもっと詳しく知りたい です。
蛇足ですが、岩手出身者としては中尊寺の一字金 輪像がなんだかすごく田舎っぽくて、なるほど地 方色出てるなぁと思いました。
五重塔の構造を含め、日本の仏塔については以下 の文献があります。
濱島正士 2001 『日本仏塔集成』中央公論美術 出版。
濱島正士 1992 『寺社建築の鑑賞基礎知識』至 文堂。
また、杉本卓洲先生の『インド仏塔の研究』(平 楽寺書店)はインドの仏塔についての研究ですが、
この分野の名著です。中尊寺の「人肌の大日」は なかなかいいですね。
栃木の光得寺の大日如来坐像の扉についていたマ ークには、何の意味があるのですか。
以前にもお答えしたような気がしますが、金剛界 大日如来を表すシンボルの文字(種子)です。反 対の扉には胎蔵大日の種子もあり、両者で「金胎 不二」つまり金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅は本質的 には同一のものであるということを表します。
毘盧遮那の遮那は源義経の遮那王という名と同じ 字を使うが、それだけではどういう意味を持って いるのですか。
たしかに源義経の幼名は遮那王のようですね。こ の分野のことはさっぱりわかりません。勝手な推 測ですが、修験や天台宗と関係があるのかもしれ ません。蔵王権現、不動明王、大日如来という授 業で取り上げた同体関係とかも。遮那そのものは 独立した単語ではないので、意味はとれません。
毘盧遮那仏を日本では盧遮那仏と呼ぶようになり、
さらに遮那というように、はじめの音節が欠落し たのではないでしょうか(言語学でそのような法 則があるのでは?)。
五重塔の二重から五重部分に仏は置かれていない のでしょうか。もしくは置けないとか。
置いてある場合もありますが、第一層に見られた ように、建造物全体の構造と結びついたような配 置は難しいでしょう。
仏の目はすべてが半眼に見えますが、やはりそれ は下界を常に見守っているというふうに解してい いのですか。
日本ではそのような解釈があるようですが、通俗 的なもののようです。インドでは目を見開いた仏 像もたくさんあります(むしろ、時代で変わりま す)。半眼というか半開きになっているのは、瞑 想の状態を表すという解釈もあります。
高野山大塔はコンクリート製ということでしたが、
それは別に問題にならないのでしょうか。永平寺 を参観したとき、鉄筋の建物などあってがっかり しました。
高野山大塔はたしか大正時代のものですが、鉄筋 コンクリートというのは当時の最先端技術だった ようです。伝統的な宗教建築が古い時代の技術で 作られなければならないわけではないので、別に いいのではないでしょうか。高野山大塔は形態的 には伝統に則っています。
授業を通じていろいろな仏教の作品を見てきたが、
これまでこんなに種類が多いことや不動や如来で もいろいろな形があることは知らなくておどろい た。また、ひとつひとつに意味を持っていたり、
時代や作者の特徴が見られたりするのはおもしろ かったです。これからはいろいろな宗教作品を自 分なりの視点をもって鑑賞したいです。
この講義を通してつねに思ったのは、人類が信仰 の対象として仏を創造してから、幾百年もの間伝 えられてきたことの不思議さだ。高校生まで家の 近くのお地蔵さまには必ず挨拶して学校に行った し、花祭りのときは、菓子をふるまわれた。その お地蔵さまと菩薩というものがすぐには結びつか ないくらい、生活の 中に自然に溶 け込んでい た
(田舎だからだけど)。自分が宗教をもっている となかなか思わないけれど、もっと普通にそばに あるものなのだと思う。五智如来、空海と高野山 展を見に行ったとき見ました。あの資料館は広く ておもしろかったです(森注・安祥寺の五智如来 のことだと思います。京博の常設館の方にいつも 展示してあります)。
大日如来(京都・安祥寺)は、仏像の右手は左手 を握っている位置が他の大日如来坐像とちょっと 違う気がするけど 。
大日如来坐像(和歌山・金剛峯寺)の方は、右手 は左手を握っているときは、人差し指と中指の間 であいている空間があったが、とくに手の握り方 は意味があるのですか。
同じ智拳印でも仏像によって少しずつ形が違うよ うです。時代や作者の嗜好によるため、制作年代 や作者を考える上で役に立ちます。同じ智拳印で あれば、とくに意味の違いはないでしょう。
慈光院毘盧遮那仏坐像を囲う格子模様の金の屏風 みたいなものがちょっと派手でけばけばしかった。
不動と異なり大日如来はとてもおだやかな印象で、
今にも動き出しそうな「動」のイメージの不動と、
静かに瞑想にもふけっているかのような「静」の イメージを感じる大日如来は、本当に正反対だと 思いました。今、仏 というと「静 」のイメー ジ
(授業の中でいわれていた言葉を用いれば母性的 な方の)神を一般的には連想すると思うのですが、
それは時代的なものなのでしょうか(時代的に癒 しを求めているとか)それとも日本的なものなの でしょうか、どちらなのかなと思いました。
時代的なものもあるとでしょうし、日本的なもの もあるとでしょうし、他にもいろいろな要因があ ると思います。他の宗教、たとえばキリスト教や イスラム教などを比較として考えてもおもしろい でしょう。キリストとマリアは親子ですが、見方 によっては父なる神と聖母でもあるわけですし。
運慶、快慶という高校のとき、日本史で出てきた
名前が出てきて、ちょっと身近に感じた。話の最 後の方に、塔自体を大日如来というのがあってお もしろかった。
大日も不動も、ほとんどが青年(中年?)の姿の ようです。以前に、子どもの姿をしたものは見せ ていただきましたが、老人の姿のものはないので しょうか。
如来や明王のグループにはいないようです。仏像 一般であれば比丘(高僧)の像に高齢者がときど きいたり、修験のときに取り上げた役行者のよう な像もあります。
私は西洋史を専攻していたので、仏教のその平和 的なことに驚きました。「不動」というのは畏怖 は与えますが、民衆にとっては守ってくれる力強 い存在でした。しかも宗派で争うことも、他方を 否定することもなく、寛容を旨とする仏教は、多 様性を包括する精神を持ち合わせていたのだなと 思いました。仏教にこれまでほとんどまったく触 れたことがなかった私には、ちょっぴり難しい授 業でしたが、新鮮な考え方がいっぱいでとても興 味深いものでした。ありがとうございました。
大日如来のスライドを見ていてすごく気になった のは、額にある○です。これはいったい何ですか。
考えてみると、インドの女性も額につけているの を見たことがある気がします。最後にこんな初歩 的な質問をしてすみません。今期、この講義を受 けて、はじめて仏教の世界に触れました。なかな か複雑なんだなぁというのが感想です。無知のあ まり、「なぜ?」というより「そうなんだ 」と いう思いをしてきた気がします。ありがとうござ いました。
仏像の額にある○は「白毫」(びゃくごう)とい って、白い毛の渦です。仏には通常の人間にはな い身体的な特徴があると信じられ、それが 32 種 類あることから三十二相と呼ばれています。白毫 もそのひとつで、伸ばすと一メートルぐらいある そうです(ほんとかなと思いますが)。大乗仏教 の経典では、ここから光が発せられて世界中が照
らされることが説かれます。とても大事なところ のようです。
「マハリク、マハリタ」がサンスクリットで解釈 できるのは意外だった。と考えると「ヤンバラヤ ンヤンヤン」もサンスクリットで解釈できたりす るのだろうか。
法成寺東塔のプランに弥勒が二体あったが、如来 としての弥勒と菩薩としての弥勒は同一人物とみ なさず、別の存在なのか。
「ヤンバラヤンヤンヤン」をサンスクリットで解 釈 す る の は 困 難 で す 。「 バ ラ 」 だ け な ら 「 力 強 い」という意味がありますが 。弥勒が二体ある のはそのとおりで、如来としての弥勒は四仏の中 の一体と同体視されています。
塔をひとつの世界とみなすという考えかたがおも しろかった。心柱を大日とみなすという方法がお もしろく、そこまでしてひとつの世界を作ること にこだわるのがすごいと思った。
金剛界大日如来坐像や胎蔵界大日如来坐像など、
冠が一層ヴァージョン・アップしたものを見て、
瞬間、違和感を覚えました。なんだかものすごく 俗っぽい装身具に思えたからです。個人的には仏 の頭にあまりに仰々しい冠はちょっと という気 がします。
レポート課題が難しそうで、できるかどうか不安 です。あと、前回見た外国の仏像より、今回の日 本の仏像の方が何となく雰囲気が丸い感じがして、
日本のよさが出ているような気がした。
今まで自分がまったく知らなかったことばかりで 勉強になりました。以前から知っているものごと でも、今度は仏教というあらたな側面から考える ことができそうです。
半年間、ご苦労様でした。
塔全体を宇宙とする、ということは、当時は宇宙