長崎大学教育学部自然科学研究報告第19号47‑61 (1968)
貝殻結晶の成長に関する合成的研究 第5報 真珠層表面の紋様形成ならびに
六角板状結晶の生成について
今井壮一
(昭和42年11月30日受理)
Synthetic Studies on the Growth of Shell Crystals 5. On the Formation of the Surface Pattern of
Nacre and the Hexagonal Tabular Crystal
Soiti IMAI
アコヤガイの外套膜を切り出し,その貝軌こ接している面の紋様や分泌粒子の状況の観察から,外套 膜の表面状態や塗り着け作用が真珠屑の表面紋様の形成と密接な関係にあるらしいことを推定した。ま た,カルサイト型六角板状結晶を作り,その生成に関する若干の知見を得た。その要点は炭酸カルシウ ムの析出速度が適度に遅いことと, RNAまたはアルブミンのごとき高分子物質の存在が有効であった。
1.緒嘗
アコヤガイの貝殻真珠層の表面には微結晶の分布によって顕微鏡的な波状紋や渦巻またはこ れに類する成長模様ができていて,その出現横域は渦巻に類するものが中央附近に認められる のに反して,波状紋はその外方の周縁領域に認められる。和田(1)は渦状紋の成因について結 晶成長に対するラセン転位論を通用して論じているが波状紋の生成については触れていない。
筆者は貝殻結晶の成長についての独自の見解に基いて貝殻の内表面を観察した結果を前報(a) で報告した。それに対する補充として外套膜表面を観察したところ,貝殻の真珠層表面におけ る波状紋と渦状紋との存在領域とほぼ符合すると思われるような,膜の表面構造の変化を認め たので,真珠層の表面模様の形成には外套膜による機械的影響が最大の原因ではないかと考え る。
次に真珠層表面には六角板状の結晶が成長する場合もあって,その角度は和田の報告(I)に よれば1160あるいは1250をピークにしてその前後に約50あまりの変動域をもつ2群の角度が 現われている。この結晶についても筆者は興味をもって合成に苦心して来たがまだ成功してい ない。しかしながら最近に至りようやく,カキ殻などに見られるカルサイト型の六角板状結晶
*長崎大学教育学部化学教室
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を作ることができたので,なお検討を要する点も多いが,取りあえずこの機会に中間報告とし て経過を述べることにする。
2.実験および結果
2.1 外套膜に関する観察
外套膜をとるためには貝の蝶番を切り,はさみを入れて貝柱を切って殻を開き,貝柱の周囲 に沿ってメスで切り,膜をとり出した。次に有色の厚い膜縁部を切り捨ててから,そのまま又 は洗浄びんで蒸留水を吹きつけて簡単に洗ったものをスライドガラスに乗せ,カバーガラスを 置いて軽く圧し広げたのち自由にして観察した。その所見を示す写真が第1および第2図版で
ある。
材料とした貝の季節的条件は写真1〜5・8・15・14・16が8月の貝であり, 6・7・9
〜12・15は10月の貝であった。倍率では1〜16の中で8・14・15・16が400倍で5・6・7 が100倍,残りは50倍である。6と12は比較のために加えた貝殻の紋様写真であって6の左 に見える目盛の最小間隔は0.01朋に相当する。
写真1はやや時間が経過し,水分が多少蒸発して起伏が顕著に見えるものであり,2〜5は 新鮮な膜の外縁部の所々の状態を示す。7は数十分を経て微粒子が出現した状況であり,8は その微粒子を拡大して撮影したものである。9は膜の外縁部から中央部に向って表面構造が変 移する境界附近を示し,右方が中央領域に属する。10・11・15は中央領域であって,10は膜 表面の高所にピントを合せたものであるから,白くぼけた部分は,くぼんだ所にあたる。11・
15はみぞ状の線にヒ。ントを合せようとしたものであるが,両者の所見が非常に異なるのは前 者が10月の材料であり後者は8月の材料で生理的活性の差によるものであろう。14は微粒子 が排送せられて膜の切端附近に集まった状況で・斜右下にかけての明るい部分は膜がなくなっ て分泌液のみの部分である。15・16はかな・り時間がたって分泌液中から現われた結晶で,16 は14と同じプレパラートで膜端から約1翻も離れてカバーガラス外にできたものである。
2.2結晶の製作
六角板状結晶の作り方で,初期に得られた結晶は第5報以来のコンニャク片を用いた滴下塗 着法によったが,確実に得られるようになったのは簡単な浸液静置法である。すなわち,試験 管中でカルシウム液と炭酸液とを混合して作った母液中に・清浄にしたガラス板を入れて放置 するのみである。その結果を示す写真が第5・4・5図版であって第5・5図版(55は除外)
は滴下法によったものであり,第4図版(51・52は例外)は浸液法によったものである。
この結晶生成の第1回目は1966年1月20日であったが・母液成分に関して不明確な点があっ たので再現できなかった。これを追究して同年の12月17日に第2回目の結晶が得られた。第5 図版の結晶は総てこのプレパラート中のものである。その母液としては特級炭酸カルシウムを 塩酸にとかして作った塩化カルシウム液でCa濃度が1。07寵9/ccのものと,1級炭酸アンモニ
ゥムの60瑚を水5ccに溶かした中へRNAの0・5昭を加えた液とを2時間を要して滴下した。
薬品は何れも石津製を用いた。この場合も板状結晶の生成は極めて不安定であって,その当時 数回得られたのみで最近迄再現し得なかった。その間に種々な試みを行なった中で興味がある のはFeとMgの影響である。第5図版はこれらに関するものである。写真54は前記のヵルシ
ウム液の中へ褐色クエン酸鉄アンモニウムを0.08η9/ccの割合に加えたpH6.8の液と,特級 炭酸アンモニウム10解/ccでpH9.5の二液とを用いて得た結晶であり,55㌍57はモール塩を
貝殼結晶の成長に関する合成的研究(第5報) 『49
用いてFeとして0.052窺9/ccを含ませ,その他の成分は両液とも同じであるが,炭酸液の 方に二酸化炭素を通じてPHを8.2に調節して用いた場合の結晶である。58〜40はFeの代り に塩化マグネシウムとしてMgを0.54η9/cc加え,その他は55と同じ条件で得られたもので ある。MgはFeに比べて影響力が小さいので多量を要し,初期にはFeに依るものと類似の 結晶ができるが,少し大きく成長する場合にはこの写真のような形態になる。これに比較して Feを含む結晶の集形は54の右に示したような晶癖を示す。
第4図版の25〜30は浸液法によって得たものの一例である。これを作るのに好結果を得る処 方として,現段階では一応次のものを記しておく。A:酸化カルシウムを溶かして作った飽和 石灰水5CCに水2.5ccを加えた液にガラス板を入れた試験管,B:炭酸アンモニウムの2〜4 η9/cc溶液,C:Bの一部をとりRNAが仰9/ccになるように添加したものの3種を用意し,
いずれも0。C近くに冷やしてからAの中へBの2.3ccを加えて軽くふりまぜ,直ちにCの0.2
〜0,5ccを追加してまぜたのち5。C附近に保っておく。約50分後には結晶ができるが,液が 透明化して炭酸カルシウムの析出がほぼ完了するのは数時間後のようである。RNAを全く用 いないでアルブミン約5η9を含む水溶液2.5ccと石灰水5ccを混合したものと,上記のB液 2、5ccとのみを用いて,上と同様な手段によっても目的の結晶が得られる。実験に用いた薬品 は酸化カルシウムが林純薬の」級品,炭酸アンモニウムは石津の特級,RNAも同社のG.R.,
アルブミンはメルクの卵白製粉末品であった。
写真27・28などの結晶で中央部に丸味を帯びた島状に見える部分は周囲より低くなってい る。35はアルブミンを用いた場合の液が蒸発した場所にできたものであるが,鉄を加えたとき の結晶54とよく似ていることが認められる。
アコヤ貝の分泌液から晶出した六角形の結晶は写真16に示したように正六角形に近いものが 多いが, 中には一方向に長く延びたものもあった。 しかし角度の関係は変らないように見え た。これに反して合成した結晶はいずれも写真のように一つの対角線方向に延びていて,その 方向の頂角をAとし他の方向の4角をBとすれば,RNA又はアルブミンを加えて作った結晶 では∠A=92。〜94。,∠B=155。〜155。であった。これに対して鉄を加えて作った結晶は板 状でないから対等な比較はできないが,顕微鏡下で測定した投影値は∠A=108。〜1100,
∠B=1200〜1550であった。 偏光に対する消光方位は両者とも長対角線方向と,これに直角 な方向とであった。
浸液法によって石灰水の代りに塩化カルシウム溶液を用いた場合も試みたが成功しなかっ た。しかしこの場合にRNAを多くすると厚みがはっきり見える円板が集合したような結晶が できたこともある。また温度についても室温に放置すると石灰水を用いても成功しなかった。
これらの点に関しては引き続いて検討中である。
3.考
察5.1 紋様の形成について
緒言にも述べたように外套膜表面の波状のヒダはその周辺領域にあって,貝殻真珠層表面に おける波状紋の存在領域と同じ関係にある。第1図版の写真から容易にわかることは,波状紋 の形が両者においてよく似ているが,波紋線間の距離は膜のヒダの方が大きい場合が多いこ と,および写真7に見られるようにヒダの線に沿って微粒子がたまり易い傾向があることであ る9 これらの知見に加えて外套膜周辺部の伸縮運動は波紋の線にほぼ直角な方向であること
50 今 井 壮 一
と,筆者が前報(2)の写真4に示したような塗り着け作用の効果に関する実験結果とを考慮に 入れれば,真珠層表面の波紋の形成原理はおのずから明らかである。波紋線問の距離の関係は 膜がわずかに伸縮運動をするとすれば殻の方が小さいのが当然と考えられる。
次に貝殻の渦状紋に関して述べると,その存在場所は真珠層部の中央領域である。外套膜表 面の状態も中央領域は周辺部と異っており,第2図版の写真{0・11がよく示しているように,
くぼみが無秩序に分布している。それは曲りくねった川状のものもあるが噴火口状のものも多 い。その火口底に相当する部分に微粒子が数個たまっている場合も見られる。もちろん微粒子 の発生場所がそこに限られているわけではない。この知見に基づいて渦状紋の形成を説明する ために,最も単純化した模型を考えてみることにする。いま蓮根を輪切りにしたような穴あき 板を用いて,中心軸のまわりの回転が起こらないようにしながら,全体的に小さな円運動を行 なわせたとする。 その円運動の直径が板の穴の直径よりも小さいとすれば, それぞれの穴の 位置に穴よりも小さな面積の円が残されて,円の周囲には塗り着け作用が加えられたことにな る。このような機構において,穴の所から結晶素材たる微粒子が外方に向って流れ出るとすれ ば,流れとしての粒子の直進運動と,穴あき板の塗り着け作用を受けるための円運動とが合成 せられてその結果は渦状になるはずである。実際の外套膜ではその運動が正円形とは限らず複 雑であろうし,また膜の部分的な伸縮運動があったり,くぼみの相対的位置にも変動が起こり 得ると考えられるから,紋様にも渦状紋のみならず同心円的なものや,乱れた渦巻や,巻き方 が相反する渦紋など様々な紋様の出現も想像に難くはない。更にどの紋様についても成長階段 の縁端(step)から離れてその近くに点々と独立的に着生している微粒結晶が少なくない事 は転位論的な考察よりも筆者の考え方の方が無理がないように思われる。
以上の記述に用いた素材微粒子の概念は筆者が最初1961年の報告で仮想したものから順次修 正を加えて,現在ではその微粒子を高分子有機物のゲルであって,しかもカルシウムが化合状 態ないしイオン状態として含まれており,時間がたつに従って有機物が変質して炭酸を放ち徐 々に炭酸カルシウムが析出するようなものであろうと考えている。第1図版8の右方に見える 粒子は,やや時間を経てゲル粒子中から二次的に炭酸カルシウム粒子が析出してそのまま集団 をなしているものであろうと想像する。これに対して左方の粒子集団は初期のゲル粒子が集結 したもののように見受けられる。炭酸カルシウムが析出するのは上記のゲル粒子内に限ると いうのではなくて,それ以外の母液の部分からも濃度の条件が満たされれば析出すると思われ る。これに該当するのが写真15・16の結晶であって15は有機物の濃度が少し高い場所で晶出
したものであろう。
5.2六角板状結晶について
RNAまたはアルブミンを用いて作った結晶の∠Aは前記のように92。〜94◎であって,和 田による貝殻の写真(1)について概測した値とほば一致するから,この結晶はカルサィト型の 貝殻結晶と同種のものと思われる。しかし実験の経過について述べたように,室温で得たのは 厳寒期のみであり,最近の方法でも冷却状態でないと得られない。ところで貝殻形成時の温度 はそれほど低温ではない。その代りにカルシウムや炭酸の補給は分泌作用によって制御されて おるであろう。これらの事を考え合せると,板状結晶ができるための条件として,まず炭酸カ ルシウムの析出速度が適当に遅いことが必要であろうと思われる。リン酸塩には炭酸カルシウ ムの結晶核の生成を抑制するものが多く,筆者の経験でもRNAはその効果が認められるから 炭酸カルシウムの析出速度を調整するという点でもRNAの一面の意義が考えられる,アルブ
貝殻結晶の成長に関する合成的研究(第5報) 51
ミンも保護コロィドとして近似した作用をするのではあるまいか。
しかしながら板状結晶となるためには炭酸カルシウムの異なる結晶面に対して,それぞれの 成長速度を適当に調整することが必要であると一応考えられるが,この点についてRNAやア ルブミンが作用する機作は不明である。この事に関連する何かを暗示しているのではないかと 思われるので,生成条件に多少の疑念を抱きながらも,あえて第5図版の写真を載せた次第で ある。21・22・25は第5図版の54〜57と連係があるように見受けられる。26は棒状結晶に成長 する初期の状態と推察される。
実験の項で述べたように石灰水を用いると目的の結晶が得られるが塩化カルシウムでは得ら れ難いことについて考えるに,前者の場合には母液のpHが10附近であるが,後者の場合には 8.5前後になる。1級炭酸アンモニウムを用いれば8以下になる。 第5図版の結晶は滴下法に
よったとはいえ最後者の条件に該当しそうであるが,コンニャクを使用したので,洗浄の不十 分からアルカリが出たという疑いもかけられる。とにかく石灰水の方が好都合であることにつ いて現在の見解としてはRNAまたはアルブミンの溶解状態が相違し,それが原因になってい るのではないかと想像する。それにしても貝が分泌する母液のpHはそれほど大きくはないか ら,pHや温度の条件の代償となっている原因が明らかにされねばならない。とにかく貝が分 泌した母液中のタンパク質や盆NAはこの実験に用いたものとは異なるであろうし,粘性物質 の存在も考えられるので上記の原因は一応この辺に帰せられると考えるべきであろう。
この研究に関する実験については,池田節子・久野正明・森下房子・高山美枝子・高橋教信
・江口洋の諸君の協力に負うものが大であった。ここに記して深謝の意を表わします。
文 献
1)K6ji Wada=国立真珠研究所報告7,704 一828(1961)
2)今井壮一:長崎大学学芸学部自然科学研究報告 17号,1戸一12(1966)
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写 真 説 明
第 1 図 版
1. アコヤガイの外套膜周辺領域の表面(8月),
2.5.4.同上 (同),
5. 同上 (同),
6.アコヤガイの真珠層表面,周辺附近の波状紋 7. アコヤガイの外套膜表面(10月),新鮮なもの 8.外套膜表面に現われた微粒子の拡大所見(8月)
乾き始めたもの 新鮮なもの 同 上
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第 2 図 版
9. アコヤガイの外套膜表面(10月),周辺から中央部への境界領域
10.11同 上(同),中央領域
12. アコヤガイ貝殼の真珠層表面,中央領域の渦状紋 15. アコヤガイの外套膜表面(8月),申央領域 14.切り出した外套膜から出現した微粒子(8月)
15。16 切り出した外套膜から離れてガラス上にできた結晶
×
同 同 同
50
上 上 上
×400
同 上
56
第 3 図 版
17.RNAを含む炭酸アンモニウム溶液と塩化カルシウム液とで得られた結晶 18.上と同一プレパラート上の結晶を拡大したもの
19〜24.同上
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同 上
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第 4 図 版
25。アルブミンを含む石灰水と炭酸アンモニウム溶液とで得られた結晶 26.上と同一プレパラート上の結晶
27〜50. 同上
51.52.広島産カキ殼の内表面
×100
×200
×400
×600
60
第 5 図 版
55. アルブミン・石灰水・カルバミン酸アンモニウムを用いた場合に液 面より上方の,母液がついたのち乾いた部分にできた結晶
54.褐色クヱン酸鉄アンモニウムを加えた塩化カルシウム液と炭酸アン モニウム液とで得た結晶
55.モール塩を加えた塩化カルシウム液と炭酸アンモニウム液とで得た 結晶
56.57 上と同一プレパラート上の結晶
58.塩化マグネシウムを加えた塩化カルシウム液と炭酸アンモニウム液 とで得た結晶
ろ9.40 上と同一プレパラート上の結晶
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