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パーリ学仏教文化学 (26) - 015畝部 俊也「パンニャーサ・ジャータカにおける捨身:北伝諸文献との関連をめぐって(<特集>前田惠學先生追悼論集)」

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(1)

論文]

パ ンニ

ャ ー

捨 身

  

 

 

 

 

北 伝諸 文 献

連 を

っ て

  

  部 

 

Motive

 

behind

 

the

 

Bodhisatta

s 

Self

−sacrifice  

in

 

the

 

Pafifi

sa 一ノ∂α

 

  

 With

 

Special

 

Reference

 

to

 

Parallel

 

Episodes

 

in

 

Chinese

 and        

Sanskrit

 

Sources

Unebe

, 

Toshiya

  

In

 

the

 

PafifidSa

−」

dtaka

 transmitted 

in

 central 

Thailand

 there are as many

as eight stories of self−sacrifice

4

’ゐattiha−

ddna

, where  a 

bodhisatta

 

declares

that

 

he

 carries out 

his

 selfLsacrifice not 

to

 

get

 the achievement  of a sδvaka or 

paccekabuddha

 

but

 to attain omniscience . 

Such

 

declaration

 

is

 rare 

in

 

the

P

li

 

Nikdyas

 or their cornmentaries . 

In

血e same  way  

parallel

 or similar  

kinds

of stories 

in

 the aδ α50r

ノδtakas transmitted 

in

 

Sans

 

t

 and  

Chinese

do

 not refer to the 

disengagement

 

frorn

 the achievement  of a sdvaka  or

paccekabuddha

, with  the exception  of the story  of 

K

甜 canas5ra , 

Since

 the

direct

 source

 

of 

the

 

bodhisatta

’s 

declarations

 

including

 the

 

reference  to

 

the

achievement  

does

 not seem  to exist  

in

 the 

Pali

Vikd

γas or their commentaries , there 

is

 a 

possibility

 

that

 

the

 

bodhisatta

’s 

declarations

 

fbund

 

in

 the 

P

α

fifidSa

一 ノ

ditaka

 are 

derived

 

ffom

 a very  old origin which  

is

 shared  with  the story  of

Ktificanasd

辷a. キーワー ド

 

パ ンニ ーサ ・ジ タ カ, 捨身 , 内施, 菩薩, sampatti

1

. パ ンニ ー サ ・ ジ

タ カ に

られ

捨 身

タ イ に伝わ る 「パ ンニ ーサ ・ジタ カ タ イ トル の 前世

(2)

 148         パーリ学仏教 文 化 学 集 成 に,「捨

」 あ るい は 「内施」 (ajhattika −

dana)

, す な わ ち, 自分 自身あ るい は

自分

身体

の一

, あるい は また

子を

施す るこ と を主題 とす る

語が

め られて い るこ と, そ し て, そ うい っ た

語の うちの

8 話

に主人 公 で あ るボー ディサ ッ タ が 自らの 捨 身の 目 的にっ い て宣 言す る文 言が 存在 し てい る こ とにつ い て は, 別

稿 [

畝 部

forthcoming

に て

検討

して きた とこ ろ である。

 

[田辺

1981

76

79 ]

に よっ て 早 く か ら指摘されて い た よ うに, こ の 宣 言の 内容は, 声 聞や 独覚と して 自己を完 成さ せ るこ と と対 比させ る形で, 一切 知

智 (

sabba 節 ut 諭 巨ua

の 獲 得 こ そ が ボー デ ィ サ ッ タの捨 身の 目的で ある と 明言す る

異 な もの で あ り,こ れにつ い て

田辺

1981

78]

は 「大 乗 仏教 的 な 思想 と思 わ れ るもの が含 まれて い る点は

非常

味深

と述べ て い る。 [

Unebe

 

2009

54]

に も簡 単に触れた が,

か に この宣

は大 乗 経 典に反 復 さ れ る

菩薩乗

の 宣 揚 と似た表 現を とっ て お り, 大

の 菩 薩は声 聞や 独 覚の 境地 に堕ち る こ とな く一切 知の獲 得へ 向か うとする

般若経類

り返し説か れ てい る大

薩の イメ ー ジ と何らかの

が あるよ うに も思われる。

 

例 と して, まずは ,

田辺

1981

77

]で も取 り上 げられ た シ リチュ ッ ダ ー マ ニ ・ タ カ(D

文を 以下に挙 げて お こ う。 こ の

物語

は,

心 に布施 を施 すシ リチ ュ ッ ダーマ ニ とい う名の 王が,

半身

を欠くバ ラモ ン は王 に 成 仏の 縁 と して の 内施 を実践 させ よ う とす る サ ッカ が姿を変 え た も の

最後

に は自らの 半 身 を 布 施 す る物 語で あ り,

身体

を二匹 の 夜 叉に ノ コ ギ リ

き さ とい う凄惨な シ ー ン  が

か れ る

型 的な捨 身の 物 語 る。 い よい よ夜叉 に身体を挽か せ る とい う そ の 時に王 は次 の よ うに 宣 言す る。 「々 の ま り よ, 喜 捨 っ て, 人 間 界の栄達

sarnpatti

を望 むの で はあ りませ ん。

帝釈

天の 栄 達 を, 梵 天の 栄 達を ,

転輪

聖王 の 栄 達 を , 独 覚 の栄 達 を, 声 聞の 栄 達を望むの で はあ りません。 ま た, こ の

己の

喜捨

に よっ て,一切 智

sabbafifiutafidna ) とい う通 達

(3)

      パ ンニ タ カ に おけ る         

149

あ ります よ うに。 そ して, 一切 知

, 天界を含め た世界 を輪廻 か ら

解放

させ ま しょ う。」 (3)

 

文言

体 は全 同で は ない が , こ の よ うな特徴 的な宣言は, タ イ に伝わ るパ ン ニ ー サ ・ ジ ー タカ中 , 管 見の 及ぶ限 り

8 話

に 見ら れ る。

参考

まで に, これ まで に テ キス ト が公 表さ れて い ない

物語

か ら, も う ヴィ プ ッ ラ 王 ジャ ー タカを挙 げて お こ う。

 

こ の

物語

直接

的な

捨 身

で はな く, む し ろ

子の 布 施が主題 とな っ て い る。 主 人公 ヴ ィ プ ッ ラ王 は,バ ラモ ン に姿を

えてや っ て き たサ ッ カ に対 し, 自分の 妻子 を布施 して し ま う(4)の で あるが , こ の点で, 同じ く妻子の 布

重要

なモ チ ー フ とする, 古典ジャ ー タカ

ヴェ ッサ ン タラ ・ジャ ー タカ

JA

 no.

547

の 影

は顕 著で あ り, こ の物 語 は ほ と ん ど そ れ を焼 き直 した 短縮版 とい っ た体 裁の もの で あ る。 しか しな が ら,

の ため に

子を

施 するの か につ い ボー デ タ が宣 言

に は, ヴ タ ラ 子 の

語に は

在 しない の よ うな文 言が含 ま れて い るの であ る。 「 よ, バ ラモ ン よ, こ の

しい 」 と。 さ らに 「一切 知 性

そ, 百 倍, 千 倍, 十万

も, よ り

しい もの であ る」 と

大 王 は言い ま した]。 「し か し , 私は妻をあ なた に与えて ,

そ れ に よっ て

, 人

の栄 達 を求め るの で は あ り ま せ ん。

帝釈

天 の 栄 達を

め る の で は あ りませ ん。

天 の栄達を

める の で はあ り ません。 声 聞の 栄 達を求め るの で は あ り ません。 独 覚 を 求 め る の で は あ り ませ ん。 そ うで な くて,

私の

望む こ とは,

こ の

施が

一 切 知 性

とな ります よ うに

と い うこ となの で す

」 と言 っ て … …(5)

 

こ の よ うに,

捨身

の 目的た る 一切 知

性智

獲 得

を ,

声 聞

や独

へ 達す るこ と を含む 世 俗的 な 栄 達

sampatti )(6)と対比 させ る とこ ろ に,パ ン ニ サ ・タ カ

施 あ い は捨 身の物 語に お け るボ ー ディ サ ッ タ

(4)

 

150

        パ ーリ学 仏 教文化 学 の宣言の 大 き な

徴が あ る。

 

パ ン ニ ー サ ・ジ ー タカ

物語

に見られ る同様の宣 言 文 , さ らに は

東南

ア ジア の

の国に られ る

お よび他の 種 類関連 するパ ー リ

諸文 献につ い て は, 上記別稿に て

討 して い る。 その 結 果, 捨 身を行うに際 し, 一切 知性 智 の獲 得を世 俗 的な栄 達に対 比 させ て その

の 目的と し て宣 言す るこ の よ うな文 言は,

か にパ ー リ

文献

に も

在し, 具 体 的に は 自 らの 目を布 施 す る シ ヴィ王の 物 語 (

JAno

499

)や牙 を 与え る 六牙 象王 の 物 語 (

JA

no .

514)

が ,パ ン ニ ー サ ・ジ ャ ー タ カ に見 ら れ るボ ー デ ィサ ッ タの宣 言 文 の モ デル と なっ てい る で あ ろ うこ とが確 認された。 一 れ ら

物語

おい て一切 知の獲 得 と対 比 さ れ るもの の

は,声 聞境 地 独 覚の さ とり などは含 まれて お らず, こ の 点,パ ン ニ ャ ー サ ・ジャ ー

語に特徴 的に見られ る上 記の

直接

の ソース を

い だ す こ とは で き な か っ た。 パ ー リ 三 な ど

献中

, 独覚に 言及 す る唯 一 例 外は, 『 タ カ

物 語

ら れ る が , こ の

語は

身を 主

とする とはい え ない もの なの で る。

 

以上 の よ うに, ひ と まずパ ー リ

を終えて い るの で 本 稿で は, これよ りパ ン ニ ャ ー サ ・ジャ ー タ カに見られ るボ ー ィサ ッ タの 宣

文 に関 連す る と思われ る, サ ン ス ク リッ ト

文献

お よび

文献

とい っ た形の 北 伝の 仏教 文 献 (アヴァ ダ ー ナや ジャ ー タ カ等

を中心 に

討 してい くこ と と す る。 類

する説

の 検 討に加 え, 上述の 般 若

類に

か れ る大

菩薩

思 想 との 関連につ い て も考 察を加えて み たい

2

ン ス

リッ

ト文

漢 訳 文 献 に お け る

捨 身

 

パ ンニ ャ ー サ ・ジャ ー タ カ所

捨身

物語

に は, サ ン ス ク リッ ト文

漢 訳 文 献に関連 する物語が認め られる。 直接 同名の

語で は な くて も

主人 公の 名前が 異 なっ て い て も

内容

が よ く相

して い た り,

通 点が

か っ た りT とい う関 係にある もの もい くつ か

存在

し て い る。

別稿

に て

分類

した よ うに, パ ン ニ ー サ ・ジ ー タ カ所 収

捨身

に つ い て は,

1

い わ ゆる

(5)

      パ ン ニ ャ ーサ ・ジャ ータ カ に お け る捨 身       

151

施 身聞偈の 説 話

 

ヴ ェ ッ サ ン タラ ・ジ ャ ー タカの 影 響 下に あ る妻子の

施 を

語,(

3

)身 体の 一を 与 える残酷な描写 を含む物 語, とい う三種 に大 まか に分け られ る。

 

こ の うち

1

す るダン マ ソー ン カ王, お よびス ル ーパ

物語

北伝

の 方に

連 する文 献が見 られる。 ダン マ ソ ー

物語

は日本で もよ く 知 られ た 『大 般 涅 槃 経

Tno

374

375)

に見 られ る雪 山 童子の 施 身

聞偈

説話

ω 平行 関係 , 主 人公 は異なっ て い る もの ,

語は ほぼ 同 じ展

を してい る。 もう 一 の ス ル ーパ の 物語 は, サ ン ス ク リッ ト語で は 『ア ヴ ァ ダ ー ナ ・シ ャ タカ

35

として

め られて い るな ど, 北 伝の 方に も広く見 られる(8>。

 

パ ン ニ ー サ ・ジタ カ ,   の グル ー プ, つ ま り先に挙げ た ヴ ィ プッ ラ王 ジ ャ ー タカの よ うな ヴェ ッ サ ン タラ ・ジ ャ ー タ カ を

した物 語 は, 問

と して い る

8

の うち

3 話

多数

め て い る。

布施

太 子 と して 知 られ るヴェ サ ン タ ラ 王子 の 物 語は ,北伝に お て も様々なバ ー ジ ン で 存 在 して い る(9)もの の , パ ン ニ ャ ーサ ・ ャ ー タ カ と同 じような形で ェ ッ サ ン タラ ・ジ ャ ー タカの 影 響の 下に

成さ れ た

捨身

あるい は

施の物 語は あ ま り見 受 け ら れ ない よ うで あ る。 た だ し,

子の

施 のモ チ ーフ は, 上の ス ル ーパ 物 語

み 込 ま れ

 

3

に属 す るの は先に見たシ リチュ ッ ダーマ ニ

物語

, バ モ ン に姿を変え たサ ッ カ に 自分の 身体の 一

施 す る

語であ る。 パ ン ニ ャ ー サ ・ジ ャ ー タカ

に は, こ の よ う な

語 と して は他 に も う 一 話マ ハ ー セ ー ナ王 の 物 語が ある が , こ の

物語

後述

す る

北伝

の 方で大 変 よ く知 ら れた チ ャ ン ドラ プラバ 王 の 物 語(10)と同 じ よ うに自らの頭を 切 っ て布 施す る凄 惨 な描写 (11)を含んで い る。

 

さて, 以 下, 具 体 的にボー ディ サ ッ タの 宣 言

に対

す る

所を検 討 し て み よ う。 まずは グル ー プ(

1

で あるが , 『ア ヴ ァ ダ ー ナ ・シャ タ カ』 中の ス ル ーパ 王の

物語

し短 く, ま た ボ ー デ ィサ ッ タの

言に対 して 明確 に相 応 す る

存在

し て い ない よ うで あ るの で ,

Unebe

 

2009

53

(6)

 152        パ ー仏教 文 化 はい が, こ こ で も

訳の 大

の 『大 般 涅槃 経 られ マ ソ ー ン カ ・ジャ ータカ に対応す る一節を挙 げて お こ う。

 

パ ン ニ サ ・ジャ ー タ カ に お い て は,

物 語

の 主 人 公は ダン マ ソ ー カ とい う

の王で あ るが, 『大 般 涅 槃

名 前明 記さ れ ず, ま た 王 で は な くヒ マ ラ ヤ地 方の 一バ モ ン が 主 人 公 の エ ピ ソー ドな っ て い る。 しか し なが ら, 物 語の核 とな る

分は ほ ぼ共 通 して お り, どち ら も 無 常 (anicca )を説 く偈を聴 聞す る た め に 主人公が 断崖 か ら夜叉

実 は サ ッ カ

の 口 に飛 び込む とい もの で あ る。 『大 般 涅 槃 経』 で は, ボ ー ディ サ ッ トヴァ は

崖か ら身を投 げる に際 して,無

偈を聴 聞す る た め に身体を

て る こ との意 義に つ い て 次の ように っ て い るこ の 詩 偈 内容

未来

, そ し 出現 さ れ た , あ い は出

さ れ るで あろ う, ある い は出現さ れ て い る多 くの ブ ッ ダが 説か れ た

一切は空で ある

とい う教えであ る。 こ の 教えの た め に私は

身命

て るの だ。 一人 私 自身益 や

財産 た め で 転 輪王 や 四天王 や帝釈 天 や 梵天な どの

々 の

せ を

っ て の た め で も ない 。 世 間 の 人々の 利 益を願っ て こ の 身 体を捨て よ う と して い る。」

田上

1996

7

2

174]

(12) パ ン ニ ーサ ・ジ ャ ータ カ中の ダ ン マ ソー ン ダ カ 王 の宣言 は別稿 に おい て検

して い るく13)の で , こ こ で は繰 り返 さ ない が, そ こ に見 られ る宣 言 文

体 は先に 挙 げた シ リチュ ッ ダ ーマ ニ ・ジ ー タカの もの な どと類 似 した 内容 の もの と なっ て い る。『大 般 涅 槃 経』 で は,パ ンニ ャ ー サ ・ジ ャ ー タカ 中の

に見 ら れ る 「一切 知

性智

の 獲 得 とい う 目的

わ っ て, 「

の 教 説」

空 法

と 「

世 間

の人々 の利 益の た め」 (為 欲一切

生 利

益)

とい う 大 乗 的理想 に対す る言 及が あ る もの の, 全 体の 趣 旨とし て はパ ン ニ ー サ ・ ジ ャ ー タ カ中の

とよ く

応 して い る と言っ て い い で あ ろ う。 た だ し, こ の漢 訳バ ー ン に は 「

声聞

や独

の栄 達」 を 目指 すの で はない, とい う

(7)

      パ ンニ タ カ に お け捨 身      153 フ レー ズ は

まれて い ない こ とに は注意すべ きで あ る。

 

3

の グル ー

して は , サン ス ク リッ ト語 や漢 訳の 文献に, 同じ

物語

の 別バ ージ ョ ン と明

に言える もの は

在 し て い ない ようで ある が, 上述の よ う に 自らの頭を

施 するマ ハ ース ラ セ ー ナ 王 物 語は , そ の核 となる出来 事 が 『 ヴヤ ・ ダ ー ナ 』 の 中の チ ャ ン ドラプラバ (月光

物語

と 同じで ある。 こ の

語は サ ン ス ク リ ッ ト語や漢 訳の 文 献に

9 種

も u4 )え ら れて お り,大 変 人気の あっ た物 語で あ る と考え られ, パ ン ニ ャ ー サ ・ジャ ー タカ 中の マ ハ ー ス ラセ ー ナ 王 の

物語

が, こ のチャ ン ドラプラバ 王 の 物 語 の い ずれ か の バ ー ジ ョ ン と

らか の関 係が あ っ た可 能 性は少な くない で あろ う(15)。 『デ ィ ヴヤ ・ア ヴァ ダ ー ナ』 中 の物 語で は, チャ ン ドラ プラバ の よ うに宣 言 して い る。 「 の もの , 聞 くが よい 。 十 方に 留 ま り住 す る

・ガ ダ ・ガ ・キ ンナ ラ , 私は こ の遊 園で

喜捨

を す るが,

喜捨

の最た る者は 自分の 頭の 喜 捨で あ る。 私が こ の 真実

を以て

分の頭を喜 捨す るの は, 王位の た め で も な く, 天界の た めで も な く,財 産のため で もな く, シ ャ ク ラ の地

のため で も な く,

天の 地

の た め で も な け れ ば,

転輪

王の 国土 のため で も ない 。 そ うで は な く,何 とし て も私は無上 正等 菩 提を正 等覚 した後, 調

せ ざる

有情

を調御 し,寂

な ら ざる

情 ]

を寂 静な ら しめ,

彼 岸

]渡

らざる

有情]

ら しめ,

脱せ ざる

有 情

を解 脱 させ , 安 穏な らぎる

情]

を安

な ら しめ ,般涅 槃せ ざる

有 情

を般浬槃させ よ う。 こ の 真 実に よ り, 真 実 語に よ り, 努 力が

わ れ るよ うに。」

平 岡

2007

1

586

(16) これ はチ ャ ン ドラ プ ラバ 正 し誓 願」 (samyakpranidhapa

あ る い は 「

実 語

satyavacana

ばれ て い る(17)が, 同じ よ うな

言 文は 『デ ィ ヴ ヤ ・アヴ ァ ダ ー ナ』 中に繰 り返 し現れて い る(18)。 注 意すべ きは, さ きほ どの大

の 『大

槃 経

』 と同じ く, ま た パ ー リ文 献

が そ

(8)

 154      パーリ学 仏教 文化学 あっ たの と同 じ よ うに , こ の 文 中に は声 聞や独 覚に対す る言及が存 在 しない こ とで ある。 相 応 する漢訳

文献

も ま た同

であ る。 以上の よ うに, 北伝 仏教 圏の 文 献 (ジャ ー タ カ や アヴァ ダ ーナ

に お い ても,

身体

施す る

捨 身

の 物 語に おい て は基 本 的に声 聞や独 覚の栄達 や覚り と一切 知性 智の獲得と を対

さ せ る, とい うこ とは ない よ うで ある 〔19) 。

3

ー ン

ナ サ

ラ 王

捨 身

 

で の

察の 結

に もか か わ らず, 実は管 見の 限 り唯 一

外 的

ャ ー タカ が存 在 して い る。 そ れ は 『菩 薩本 行 経

Tno

155

ま れ るカ ー ン チャ ナ サー ラ王 (金 堅王 あるい は カ ー ン チ ャ ナ シュ リー 王

語〔20)で あ る。 この

物語

はボー デ ィサ ッ トヴァの 捨 身を説 くもの で あ り, かつ

声聞

お よ び 独覚に対 す る 言及 を含んでい る。 物語の あ らす じは グル ー

1

ぼ 同じ聞法が主

となっ た もの で あ るが, グル ー プ(

3

)にみ ら れ るもの と同等 の

凄惨

を きわめ る

身体

に こ の

物語

合は焼 身

の描写 を含 んだ もの となっ てい る。

 

法 を聴

した い と願っ て い て 果た せ なか っ た カ ー ンチ ャ ナ サ ー ラ王 は, あ る と き

れ たバ モ ン を王

に 招 く。 こ の バ ラモ ン は法 を説 く見 返 りに, 王 に

らの

身体

を穿ち ,千の 灯 火 を灯して 自分を 明か りと せ よ とい の で あっ た。 こ の

端 な要 求に 対 し ボ ー ィ サ ッ ト ヴ ァ で あ る王 は次の よ うに答え る。 「 , 法の た め に, 身を もっ て灯火 とな し ま し ょ う。 私 は転 輪聖王 とな る こ とを求めませ ん。 上 は

釈天 お よび

天 王 の

界の栄

め ませ ん。 ま た二

のさ と り

之証

も 求 めませ ん。 こ の 功 徳 を もっ て , 願わ くば 無 上 正真の道 を 求 め ま す。 あ ま ね く十方 五道の

生のた めに, 大い な る法の 明 となっ て 冥い 衆生 を照 ら しましょ う。」 {2「)

捨身行

と して の

焼 身

言及

す るこ の

物語

は, パ ン ニ ャ ー ・ ジ ー タカ の

(9)

      パ ンニ タ カ に おけ る捨 身      

155

中には含まれて い ない よ うであ る。 しか し, 王が主 人公 となっ て 聞法の ため に

捨 身

を行 うこ の 物 語が, 先に見た

々の パ ンニ ャ ーサ ・ ャ ー タカ

身の

語 と類 似 して い るこ とは 明 らか であ る。 そ して, こ こ に引い た 一 文 は,パ ン ニ ャ ーサ ・ジャ ータカ に お ける ボ ー ディサ ッ タの 宣言 文 と明らか に 類 似 して お り, こ の 文

の 「

」 が,

に 「栄 達 」 と訳 し て きた sampatti に相 当す る もの で ある こ とは ほぼ 間違い ない で あろ う。 帝 釈天 や転 輪 聖王 な どの 栄 楽 に加え, 「

」 す な わ ち

聞、 独覚の さ と り

と, 「上 正 真」

お そ ら く無上 正

anuttarasamyaksambodhi に相 当 )とを対 比させ る こ の宣 言

は, こ の 『菩 薩 本 行 経』 中の カー ン チ ャ ナ サ ー ラ 王 の 物 語(22〕 に 特 徴 的 な もの で あ る。 先 に挙げ たサ ン ス ク リ ッ ト

え られ た 『デ ィ ヴ ヤ ・アヴァ ダー ナ』

の チ ャ ン ドラプラバ 物 語に は , 声 聞, 独 覚に対 す る言及の み な らず,sampatti に相 当す る言 葉も存在 し て い な か っ た こ とを考 え合わせ る と,

漢文

で の み残 る こ の カ ー ン チ ャ ナ 王の 宣 言 文 とパ ン ニ ャ ー サ ・ジャ ー タ カ

の宣

文との類

は注 目に値す る。

  実

はこ の カ ーン チ ャ ナ 王の

語の重要性は, こ の ジャ ータ カ に対 す る 『

智度論

Tno

1509)

の言 及か ら も

うこ とが で きる。 すで に

Unebe

 

2009

53

54

よ う , 一切 知 性 智 獲 得 聞 や 独

bhUmi

と対 比 す る記述は, 般 若 経 典 に頻 繁 に現 れ るモ チ ー フ で 。 『

度論

』 は 『摩 訶 般 若 波 羅 蜜 経』

P

禰 cαv諏”一∫訥α3厂’左々−

p

吻 噸ρδrα 〃漉 δ一5魏rα に ほ ぼ 相 当

に現れ る同モ チ ー フ を注釈す る に際して , こ の カー ン チ ャ ナサー ラ 王 の

語に言及 し, 上記の宣 言に触れ るの で あ る。

菩 薩 摩 訶 薩の 求法 と は

, また,

般 若 経に 登場 す る

啼菩

薩が 苦 行に よ っ て 法を求め た よ う な もの で あ る。

また 成 道 前の

釈 迦 牟 尼が ボ ー デ ィ サ ッ タ とし て法を求め る が ゆえ に

500 本

身体

し た よ うな もの で あ る。 ま た , カ ー ンチ ャ ナ サ ー ラ王

金 堅 王

以下 の

よ う な もの で あ る。

彼 は

身 体の

500

箇 所 を割 い て 自ら灯 柱 と な っ て

壁よ り

に入 っ た これ らの

々 の 難

行苦行

(10)

156

        パ ーリ学 仏教 文 化 学

 

は, 衆生の た め に法を求め る もの で あっ た。 そ して 自ら説い た。 「法相

 

を求め るの は一切 知の ためで ある。 声 聞や独覚の

地 に堕ち るこ とはな

 

 

とQ ( 23)

訳か ら

断す るに , 『大 智 度 論 』 の 著 者

伝 統に した が うな らぼ

龍樹)

は, 『

菩薩

本 行

』 に

使

わ れてい た 「二

」 をこ こ で は 「声 聞辟 支

地」 と 表現 して お り, (原 語 と して サ ン ス ク リッ ト語を想定す る な ら) “

bodhi

” で は な く“

bhrtmi

” とい う

使

っ て い るよ うで あ る。 その 理 由は, こ の 文が次に 示 す 『摩訶般 若 波 羅蜜 経』 の 経 文に対す る注 釈で ある か らで あ り, 当然その 経の 言葉 遣い を受けて上の よ うな表 現を取っ てい る の で ある。 こ こで はサ ン

ス ク リッ ト語で 現 存 する

Paficavim

 

jati

−sahCLsrika −

praJ

’ nNdparamitd −satra

『二 五千 頌般 若 経』

か ら該 当

分を引用 して お こ う。 こ こ で,

菩薩摩訶薩

の求法の行 とはい の で あるの か 。 一切 相 知

sarvak5rajfiata

びっ け られ た精 神 集 中に よっ て 求法 する もの であっ て, 決 して

声 聞

や独 覚の 境 地

bhami

に堕ち ない もの , それが菩 薩摩

訶薩

の 求 法の ための 行い で ある。 (24) 『大 智 度 論 』 に おい て 「龍 樹」 は, 声 聞や独 覚の 求 道 と対 比 的に捉えて 大乗

菩薩

道 を宣

す る この

経文

言葉

使

っ て, カ ーン チャ ナ サ ー ラ王 語をパ フ レ ーズ し な が ら注釈を進めて い る。 逆に言 うな ら ば, 「龍樹 」 は, 般 若 経 に説 か れ る菩 薩道の 根 拠が, 捨 身を説 くジャ ータ カ物 語て い るこ とを 示 そ う と して い るの で ある。 カ ー ナ サ ー

物語

よ う な ボ ー デ ィ サ ッ タ

ボ ー デ ィ サ ッ トヴァ の 捨 身の

物 語

「龍

に とっ て , 声 聞や 独覚の 目

す さ と りに向か うこ とな く,

生 の た め に あ えて 自ら を苦 境に置 く大 乗 的な菩

道に根 拠を与え る もの と映っ て い たの だ と思 わ れ る。 釈 迦 牟尼 仏の 生の 物 語 とし て の ジャ ー タカ は, こ こで は,釈迦牟尼 仏の 道 前の姿お よび般若 経に説かれ る常 啼菩 薩

Sad5pr5rudita

の物 語 と並 んで,

(11)

      パ ンニ タ カに お ける捨 身      157 大

菩薩

にモ デル を与 える もの なの である。

 

上の 『大 智度 論』 の 引用 文 中に は, 確か に, 常

菩 薩の 物 語お よび成 道 前 の ブ ッダの 苦行も短 く言及さ れて い る。 しか し,

当該

文脈

におい て, カー ン チ ャ ナ サ ー ラ 王 の

物 語

が最も重

な役

を果た して い る こ とは明 らかで あろ う。 も しも , カ ー ナ サラ 王 物 語 し ま う な ら , 『大 智 度 論』 の こ の 記 述は菩 薩 地 (ボ ーデ ィ サ ッ ト ヴ ァ の 境 地 :

bodhisattvabhUmi

) を声 聞や 独覚の

地 と対 比 させ て上位に位 置づ けよ う とす る般 若 経の 経文の 注釈 とし て は

立 し得ない 。

 

も ち ろん, 「 」 と明 言す る こ の カー ン チ ャ ナ サー ラ王の物 語が, 大乗 的な菩 薩の理想 像が成立 する よ り以前に

存在

して い た と

確 定

す る こ とは で き ない であろ うし, む し ろ逆に大 乗 経典 等か ら影 響を受け て 成立 した可 能性 も高い で あ ろう。 し か し それで も, 「龍 樹 」 とされる 『大 智 度論』 の 著 者が 「不 墮聲 聞辟 支 佛地」 とい う大

的な定 型句の

拠をこ の よ うなジャ ー タ カ に求め た とい う事 実は, 彼に とっ て こ の 捨身の 物 語がい か に重 要で あっ た か を示 して い る。 そ して, 般 若 経 典の 言 葉を承けて , 声 聞, 独 覚の 境 地に直 接 言 及 し, それ と 「一切 知

薩 婆 若

」 を対 比さ せ る 『大 智 度 論』 の 記 述 は, パ ン ニ ャ ーサ ・ ャ ー タカ中に見 られ た宣言文の 語 法に い っ そ う近 似 したもの となっ て い るの で ある。

 

網 羅 的に検

したわ けで は ない もの の こ の カ ー ン ャ ナ サ ー ラ 王 の

物語

は, サ ン ス ク リッ ト語や漢訳 と して残 っ て い る北 伝の 仏 教 文献 に おい て は, 上述の よ うに, 他に類例が な く孤立 して い る よ うに も見え る。 声 聞や独 覚の さ と りと対 比 さ せ て 「上 正真」 を説 くこ の よ うな宣 言 文が あ りふ れ た も の で なかっ た か らこ そ 「龍 樹」 も わ ざわ ざこ の ジ ャ ータ カ に言及 して い る の で あ ろ う。 これ に対 して, 類 似 す る ボ ー 宣 言物 語 , パ ー リ

に よっ て タ イ に伝え られ て い るパ ン ニ ャ ーサ ・ジャ ータ カの うちに

8 話

も存在 して い る とい う事 実は, 非 常に興 味深い もの で あ ると思わ れ る。

(12)

158 パ ーリ学 仏教文 化 学

4

ま と

と残 され た

  最後 に本 稿の 考察に よっ て 得ら れ た結 論を ま とめ て お こ う。

 

これ ま での 中央タ イ に伝え られ たパ ン ニ ャ ー サ ・ジャ ー タ カ 写

の研 究に よっ て そこ に含ま れ れ る捨

あ るい は内施

ajjhattika−

dana

を 主

とす る計

8 話

物 語に お い て ボ ー デ ィサ ッ タ が 声 聞 独 覚 と し ての 自己完成を 否 定 し, 一性 智獲 得 捨身 目的 と し 一 節が存在 し て い るこ とが明 らか に なっ て きた。 こ れは タ イ所 伝の パ ン ニ ャ ー サ ・ジ ャ ー タカの き な特 徴で あ ると思 わ れ る。

 

同 じ ような宣

の パ ー リ

語説話

に も存 在 し て い ない わ けで は ない が, そ れ らに 声 聞, 独 覚に対す る言及が 通例 見られ ない の と同様 に,北 伝の ア ヴ ァ ダー ナや ジ ャ ー タ カ と し て存 在 し てい る類 似の 捨 身物 語に お い て も,

菩薩

の 宣

言文

に は

声 聞

, 独

の さ と りを 目指 すの で は ない, とい う 一 節 が

ま れ る こ とは通 例ない 。 現在わ かっ て い る

囲で は, カ ー ナ サ ー ラ 王の 物 語が た だ一つ の 例 外で あ り, 『大 智 度論 , 般 若 経に説か れ る菩

薩 乗

の 二

す る

優位 性

を支

す るた め に引用す るの もこ の カー ン チ ャ ナ サ ー ラ王 の

物語

であ る。 声 聞, 独覚の さ と りを 目指すの では ない , と い う一

は一見して大

思 想 を 思 わ せ るもの で は あ るが, 北伝の 説

文献で あっ て も決 して 広 く見られ る わ けで は ない よ うで あ る

 

こ の物 語が 『智 度 論 』 に 引 か れ るの は, パ ン ニ ャ ーサ ・ ャ ー タカの 身の 物語に見 られるの と同様の 菩 薩宣 言を引用 す るこ と に よっ て 般 若 経に おけ る大

菩薩

思 想を解 説す るた め で あ り, こ の こ と は, パ ン ニ ャ ー ・ ジャ ー タ カの

捨 身

物語

に も ま た

般若経

菩薩

思想との

な る見か け 以 上 の

が ある こ とを示してい る。

 

しか しなが ら, 本 稿は こ の 事 実 を もっ て, タ イ 所 伝の パ ン ニ ャ ー サ ・ ジャ ータ カの 物 語か ら大 乗 的な思想を読み取 ろうと して い る わ けで な い た と え, 当該の 北 伝の

語 と関 係 して い る蓋 然 性が非 常に

い と して も, 別 稿

畝 部

forthc

。ming ;

§

6

で 検 討 した ようにパ ン ニ ー サ ・ジ ー タ カ所 収

(13)

      パ ン ニ ャ ーサ ・ジャ ータ カに おける捨 身       159 物 語が伝えよ う として い るの は, ブッ ダ釈 尊の 前生 として の ボ ーデ ィサ ッ タ に とっ て声 聞 とし て 自己を完 成させ るこ とや独覚 と して の さ と りを得 るこ と よ りも, 一切 知 性 智 を獲 得す るこ との

要で あっ た とい うこ とで あ り, 少 な くと も大 乗 的な

菩 薩乗

を 宣揚 し他 の二 を劣っ た もの と見 な す よ う な

セ ク ト主

とは あ ま り

係が ない の と思わ れ る。

 

15

6

世 紀 成 立 と も言わ れ (25〕 ャ ーサ ・ジ ャ ー タ カで は

8

話 もの くの

語に見 られるボ ー デ ィサ ッ タの 宣 言 文に

し,声 聞, 独へ の

む とい う点で 同等の もの は,

伝の 方で は ダン マ パ ー

6

世 紀 頃(26

による 『チ ャ リ ヤ ー ピ タ カ註 にの み 孤 立 的に現れ ,北 伝で は こ れ まで の とこ ろ カ ー ン チ ャ ナ サ ー ラ 王 の 物 語 (東 晋

4

世 紀 の頃 の翻 訳 とさ れ る 『菩 薩本 行

』 所

の もの

に しか見つ か っ て い い 。 今の とこ ろ は こ れ らに共 通 す る非

づ い て, それ ぞ れ別に伝承 さ れてき た可能 性 を想 定 して お く

は ない で あろ う。 別 稿

Unebe

2012b ]

考察

した タ イ の

寺 院壁画

が ,パ ー 含 まれ る文

だ け

て は

くこ とが で き

, 漢訳 文 献な どに よっ て

釈す る必要が あるの と同 じ よ う に , タ イに伝えら れ たパ ン ニ ャ ーサ ・ジャ ータカに は,パ ー に は ま れず, しか しな が ら タ イの ロ ー な要

うよ りは,イ ン ドの 仏教に まで遡 るこ との で きる

要素

が 保

さ れ て い る可 能

が あるの であ る。

 

現 時 点では, な ぜ , そ して, どの よ うに し て , 一切 知 性 智 獲 得 捨 身の 目的 と してタ イに お い て これほ どた くさ んの

物語

に おい て

聞や独 覚 と対 比 さ れ る形で

か れ る にい た っ た の か につ い て 知る こ とは困難で ある。 以 前よ り指摘 さ れてい る よ う に, 上 座仏 教が定 着す る前の 東 南ア ジ ア の 仏教 の何ら かの

痕跡

える こ とも可能で あろ う(27)。

 

ま た, 同

に, こ の 「 , どの よ うに 」 とい う問題は仏教国 とし て の現 在の タ イ社会 のあ り方や歴 史 と も深 く関 連 して い る。[

Sheravanichku

2008

769

784]

も示 唆す る よ うに, (凄惨な

自己

犠牲

特質

とす る

菩薩

行は, 上

座仏教

国 として の 現 在の タ イにおい て表面 的に は 見 えに くい もの と なっ て い る。 それに も関わ らず,僧 侶の ハ ン ス トや ,政

へ の抗 議 者に よ る

血 な ど

(14)

 

160

        パ ーリ学仏 教 文 化 学 とい っ た形で 折に触れ て現れ る捨 身の伝 統は ,潜 在 的に は今もなお存 在 し続 けて い る(28)。 さらに,

声 聞 や独 覚 に は

れ ない もの の

こ こで 検 討 して き た ボ ー デ ィ サ ッ タの 宣言の 定型 表 現に基づい た

言が 王室に

係 す る碑 文に 記 されて い る(29)こ と も知 られて い る。 現在 まで続 くタ イの王室に, ボ ー サ ッ タ が立 てた とされ る成

い は受け継がれて い るもの と思 わ れ るの で あ る。 タ イ の

教 は王室の 保 護の 元に今 日 ま で繁 栄 し て き た。 パ ン ニ ャ ー サ ・ジャ ータ カ 中の 捨 身を主題 と す る物 語の 大 半 は王 や 王 子 を主 人 公 とす る もの で あ り, 王家の 理想 を反 映 し て い るもの であっ た か らこ そ, これ ほ ど ま での 多 くの捨 身の 物 語が現 在まで タ イ に

え られて き た とい こ とも考 え ら れ る。

 

本稿

連する過 去の 文 献の 一端を検 討した もの に過 ぎず, これ らの 事例 につ い て の詳 しい 考 察 は も とよ り適わ ない が, タ イ の 現

代社会

へ の

点を

後に付 言 し,

に生き る仏 教を その 仏 教学の 射 程に捉えてい た前田惠

學先

生 に,

んで

本稿

を献 ずるこ ととしたい 。 注 * 本 稿 は

2009

〜 11年度 科学 研究費補助 金 基 盤 研究(

C

>(課題番号 21520055 )お よび  2012〜 14年度科学研 究 費補 助金 基 盤研 究(

C

)(課 題 番号

24520052

)による研究成果

 

の一部で あ り,

2011

6

月 台湾の法 鼓 佛教 学 院で 開催さ れ た 国際仏 教 学会で発表  し た論 文 [

Unebe

 2012a]後 半 部 分に 加筆 して 日本 語 化 し た もの で あ る。 前半部  分 は 『名古屋 大 学文 学部研 究論集』 哲学

59

に掲載の予定で ある。   本 号が捧げ ら れ る前田 惠學先 生 は

1988

年 まで 名古屋大学でパ ー の非 常 勤講  師と し て教鞭を執 ら れ た。 本稿筆者は幸い に もその最 後の年, 唯 一学部

 

と して その謦咳に接す るこ とが で きた。 拙い 論 考で はある が,先生の御学恩に い さ  さか な りとも報い るこ と が で き れ ば と願 うばか りで ある。 (

1

) こ の 物 語につ い て は,上 記 [田 辺

1981

76

79

]の紹 介に加え, [田 辺

1991

]に

 

パ ー リ写本お よび他の刊 本に 基づ い た テ キス トが ある。 ま た,[田 辺 1986]は同話  の ビル マ 版か らの翻訳で あ る。 さ ら に,[畝部2012:61−74]にお い て , 田 辺の研 究  後に新 し く発見され た タ イの

2

本の写本の み に基づい た テ キス トを提示 し, そ れに  基づ いて全 体 を 翻 訳 して おい た。な お物語の タイ ト ル は主 人公の名 前に基づ い て

(15)

パ ン ニ タ カに おける捨 身 161

 

お り,正規パ ーリ と “SiricUdamapi”さ れ るの で あ ろ , 中央タ イの

 

写本に基づき, こ こ で は “

Siricuddhamapi

” と して お く。 他の読み に関 して は [田辺   1991:(509 },notes

1

235

]参 照。  

 

こ の場面は,現 在本稿筆 者 らが研 究プロ ジェ ク トを進め てい る オ ッ クス フ ォー ド

 

大 学ボー ドリア ン 書館所 蔵の タ イの 大型 紙 折装飾写本 (MS . Pa】i a

27

R

 

初の 挿絵 と して描か れて い る。 こ の プロ ジ ェ ク トの成果は

2013

年 春に 出 版 予 定の

 

1”um ’ηo’

ing

 the 

LiJfe

 of the 

Bttddha

: 

An

 

lllustra

’ed  Chanting Book 加 m ∠

Eighteenth

Century

 Siam

, Treasures from the 

Bod

且eian 

Library

 

Series

, 

by

 Naomi  Appleton, 

Sarah

 

Shaw

 and  

Toshiya

 

Unebe

, 

Oxfbrd

:Bodl。ian 

Library

を参照いた だ きた い。 同書で は, 同じ場面

 

を彫 刻し た北タ イの経典キャ ビネッ ト につ い て も紹介 して い る。 これ らの美術表現  か ら,こ の物 語が タ イで は よ く知 られ た もの で あっ た こ と が窺え る。

3

SiricuddhEmapi

Tanabe

 D . pu a4−

b2

:【田 辺

1991

5111

;[畝部

2012

65D

:“

bhonto

 devasangha

, imina attaparic 亘gena na m 峩nussasampatti 甲 patthemi, na  indasampatti叩 ,

 

na  

brahmasampattirp

, na  cakkavattisampattim , na  paccekabuddhasampattirp ,

 

na s窃vakasampattirp  

pat

hemi

. api ca 

kho

 

pana

 

imina

 attaparic 巨

gena

 sabbafiuta −  fi互papa

ivedhassa

 

paccayo

 hotu . sabbafiutafia arP patvana sadevake  loke samsirate

 mocess5ml ”ti.  *Tanabe D

:Pafifi5sa−

j

巨taka palm −

leaf

 manuscript photocopy) the 

first

 part(complete :

Nos

 1−39}:Otani 

University

 

Library

 

Acc

. 

No

. 

M

 

11000070

D

4

> こ の物 語 全体の翻訳 は 原 田 2008]に ある。なお, 妻子の 布施は内施 と見 な さ

 

れ ない 場合も あ る 本稿で は便宜 上 こ の よ う な妻 子の布 施の 物語も内施/捨 身の

 

物語 と 同 列に扱 うこ と とする。 [畝部

fonhcoming

:fh9]参照。

5

) Vipullara Tanabe D . fic a5−

b2

);‘‘ambho  

br

hmapa

 aya mama  

bhariy

piy

温”ti. api

 ca “

sabbafifiutafiarpam  satagupena  sahassagu4ena  satasahassagupena  piyataran” ti.“aha

 

pana

 

devim

 tava 

datv

瓢manussasampatti1 η na patthemi, indasampattir na patthemi,

 brahmasampattiTp

 na  pa

themi

, sEvakasampattirp  na pa

hemi

 paccekabuddhasampattirp na

 patthemi, abhipatthanatp  pana sabbafifiutafiE4apaccayo  

hotU

” ti vatv ...

6

) 別稿で も 触れ たが,

PTS

 

dictionary

は こ の語に対 して 最初に “1.success  attainment ;

 happiness

, 

bliss

, 

fortUne

(opp. vipatti) ” とい う意 味を与 えて い る。 “ savaka −sampatti”,  “

paccekabuddha

−sampatti ”は声 聞や独 覚 とし て 自己 を完 成させ るこ と を意味して い  ると思 わ れ るが, 一 方で, 同 じ 文中の “ manussa −sampatti ” , “ sagga −sarnpatti ” に相当 す  る語等で は, 後で検 討す る漢訳 文献に おい て 「樂」 「榮樂」 と訳さ れて い る よ うに,

 

む しろ単純に 「幸せ 」 を 意味 し てい る。さ し あ た っ て 「栄 光 「達成 両 者の ニ ュ

 

ア ン ス を含ま せて便宜 的に 「栄 達 」 と訳し て お く。 (

7

) こ の物 語の テ キス ト 石野 2008]にある。 ス リ ラ ン カ に おけ るダン マ ソー

(16)

162

パ ーリ学 仏 教 文 化学  ンダカ 王の 物 語につ い て は,[松村 2002 ]に翻訳 ,研 究が あ り,『大般 涅 槃經  関連文献につ い て も 既に指摘 さ れて い る。 (

8

) ス ル ーパ王 の 物語の様々 なバ ージョ ンに関 して は [干潟

1954

2

21

] [杉本

1986

 

68−72に …覧が ある。 [田 辺 1984コ,[吉 元

2001a

]も参 照さ れ たい 。 (

9

) [干 潟

1954

:2 .116]の リス トな ど参照。  

 

こ の頭施の物 語の重 要性にして は [杉 本 1980:

8

−9]お よび 匚杉本 1982:56−63]  を参 照され たい

ll

) も う一話 ,ラ タ ナパ ジ ョ ータ ・ジャ ータ カ が こ の グル ー プ

3

に分 類で き るが,

 

[吉元 2004]で取 り上 げ られ てい るマ ハ ーパ ドマ ・ジャ ータ カ と同じ く,母のた

 

め に 自らの心臓を布施 す る物語で あ り,これ ら は ま とめ て別の観点 か らの 研 究が

 

必 要で あ る と思わ れ る た め,今 回の 考 察に はめ ない こ と と す る。 テ キス トは [西  

2005

] として公 表されてい る。  

 

《大 般 涅槃 經》卷14 〈7 聖行品〉: 「如是 偈 句過 去未來 現諸 佛所 説開空 法

 

道。 我為此 法棄捨 身命。 不為利 養名 聞財寶轉輪聖 王四大 天 王 釋提 桓因 大梵天王人 天  中樂。為 欲利益一切 罵生故捨此身」 (

CBE

][A , T12, no .

374

, p.

451a

). (

13

) [Unebe 2009:51 −4],[畝部

f

()rthcoming :§

2

]参 照。 (

14

) こ の物語の々 なバ ージ ョ ン に つ い て は [干 潟

1954

2

27

コ [栗原 2011]を参 照  の こ と。  

 

また, [杉本

1980

4

8

検 討 Dasabodhisattuppatikathjに は , 頭 施を含む  菩 薩の捨 身の物 語が10 話集め ら れて お り, 多 くの 場 合ボーデ ィサ ッ タ が 短 く その  捨 身の動機を語っ て い る が,声 聞や独覚に言及す るこ とは ない よ うで ある た め,本   稿で は さ しあた っ て考察対 象か ら除い て お く。

16

 DiTO

?inaddina 22 

Candraprabha

(DiVy p.326):菖pvantu  

bhavanto

, ye 

daSadik

u sthit互

d

 evatisuragarudagandharvakinnar 蕊adhyuSitab  

ih

互ham  udyfine  ty訌

ga1p

 kariSy5mi, asmin

 

ty5ga叩 sva ≦

irahParity

gam

 yena caha satyena sva≦irah 

parityaj

まmi , na  rajy瓢rth5ya na  svarg 翫th五ya na  

bhogErth

ya na  6akratvaya na  brahmatvaya na  cakravartivijay 互ya n互nyatra

 

katham

 aham  anuttarA samyaksambodhim  abhisambuddhy 互

d

巨nt巨n sattvAn  

damayeyam

 

a≦ant醗 chamayeyam  atlrn t巨rayeyam  amukt 互n mocayeyam  ana≦vast且n互

Sv

巨sayeyam

 aparinirv fin parinirv蕊payeyam anena  satyena  satyavacanena  sapha [ab 

pariSramah

 sy証t…

  

こ の宣 言は, [杉 本

1982

60

]に も訳 出さ れ,検討さ れて い る。   上 の宣言は “

atha  raja  candraprabhah  samyakpraqidhEnarp  kamm  firabchah”(DiVy, 

p

.  326 )とい う一文に導か れて お り,ま た宣 言文 中に は “ satya ”が言及 さ れ る。 こ こ に  あ る よ うに,本 稿で検 討 し て い るボーディサ ッ タの宣言文は,い わ ゆ る 「菩 薩

 

誓願」 や 「真 実語」 の 観 点か ら も検討す る必 要 が あ ろ う。 パ ー文献に お け る

 

薩の 誓願」 につ い て は よ り広い 観点か らの 包括的な考 察が必 要な大き な問題で あ

(17)

パ ン ニ ャーサ ・ジャータカに おける捨 身

163

  るが, 本稿で扱っ て い る宣言 文は必ず しも誓 願 とは み なせ ない形 式の場 合も あ る  の で,本稿で は こ の観点 か らは扱わ ない こ と と す る。 パ ー 誓願思 想

 

につ いて は,さ し あ たっ て [森

1995

]お よびそこに挙げら れ る先行研 究

Samue

且s  1997]等を参照さ れたい    特に捨身 を 主 題 とす る第

32

章を参 照の こ と。 [平 岡

2007

2

276

295

訳 出さ れ  て い る。   例え ば,パ ンニ ャ ーサ ・ジ ャ ータ カの物 語の 直接の平 行話で は ない が,そ こ に見  ら れる宣言文の原 型 の一つ え ら れる シヴィ王の物語や,物語 自体の原型 と なっ  て い る ヴィ シ ュ ヴァ ンタラ王子の物語をは じめ くの捨身 施の物語が アール  ヤ ・シ ュ ーラ作 『ジャ ーカマ ー に は含ま れて い る。 布施の 目的 ・動 機が 明   示さ れる文の見あ た ら ない の も ある し,菩薩の宣 言文が存在 し てい る (た だ し利   他行 を最上位に お く点でパ ン ニ ャーサ ・ジャータカの もの とは異なる)もので あっ  て も, 声聞や独 覚に対す る 言 及 は 見 ら れ ない よ うで ある。 [干 潟 ・高桑 1990:920 ]   の翻 訳 参照。    [杉本 1980:101982:

68

9

1986:

72

73

]に は, こ の物語を引 く他の諸 文献の情 報  を含め, 詳 しい 考察が ある。 また,[干潟 1961:64;100;136−7]で も検討さ れ,中   央ア ジ ア に見られる図版も挙 げら れて い    《菩薩本行 經 》卷

1

:「今為故 以身為燈 我 不求作聖 王 上 至天 帝及 諸天世 界榮  樂。 亦 不 求二乘之 證。 持是 功徳願 求無上 正 真 之 道。 普 為 十 方 五 道 罵 生。 作大 法 光 明

 

照於思 冥。」 (

CBETA

, 

TO3

,no .

155

, 

p

113b

c 幽  注  に示 した諸研究が明ら か に して い る よ うに, 同じ物 語 (主 人 公 は カーン チ ャ  ナサーラ王で は な く単に 「転 輪聖 王」 とさ れ て い る)は, 3 世 紀初め の 頃の 訳 出  で, 『菩 薩本行 経 』 の もの よ り訳 出年 代が古い と考え られて い る 『方 便仏 』  卷

2

3

對治品〉に も収め ら れて い る。 しか しこ ち らで は, 菩 薩の 宣言は 「   轉輪聖 王報 天帝 釋 言 : 『我 亦不 求人 天 尊貴 ,正 欲求 阿耨 多 羅三 藐三 菩提 , 為一切罵   生 故。 不安者安, 不解 者解 , 未度 者度 ,未 得道者 ,欲令得 道。』」 (CBETA , TO3 , no .

  156

p

135a

)となっ て お り,こ こ で は 「 尊貴 」 だ けが 正覚 と対 比され, 声   聞,独覚に対す る言及はない れ らは東 晋

4

世 紀の 頃の翻 訳 と さ れる 『菩薩本行   経』 に の み現れ るよ うで ある。    《大智 度論》卷 49 〈20 發趣品〉:如薩 陀波 崙 苦行 求法 。如釋 迦 文菩 薩 , 五百 釘   釘身 ,為 求法故。 又如金 堅王。 割 身五百 處。 為 燈娃投巖入 火。 如 是等 種種 苦行 難行   為罵生求法。 復 次佛 自諡求法相。 為薩 婆若。 不墮聲 聞辟支佛地。 (CBETA , T25, no .

 

1509,

p

.412a). [Lamotte 1970−80:5.23901 の訳 も参 照の こ と。

 

 

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