【 論文】
環境と子どもと美術
Environments,ChHdrenandArts
㊨‑ 阿部靖子
AbeYTasukoはじめに
美術教育 は人類がモノをつ くって きた歴史の上 に立 ち、自然環境 とともに豊かな文化的環境づ くりを考 える という大 きな課題 を担 っている。そして人類がモノをつ くって きた歴史 とい うものは、 ヒ トが世界 とかかわ り、
環境 に働 きかけてきた足跡だ とも言えよう
。従 って、モ ノをつ くる教育 とともに、モノを媒介 とした ヒトと環境 のかかわ りに目を向けた教育が大切 になって くる。
環境造形教育 を 「ヒ トと環境のよりよい関係 を考 え、
造 り出す教育」 ととらえる時、 ヒトは環境 をどのように 感 じ、 どのような態度でかかわ り、さらにどのような価 値づけをお こなっているのだろうか。あるいは、それを
どう学んでい くのであろうか。 これ らの問題 について考 えることは、 ヒ トと環境のよりよい関係 を考える上で重 要な基盤 となるものである。
本研究では特 に、 ヒ トか らのアプローチ として認知科 学の研究を取 りあげ、次に環境か らのアプローチ として 空間論や地理学そして美術 との関係 を取 りあげ、両方の 視点か らヒ トと環境の基本的構造 について考察 してい きたいと思 う。それは、環境造形学習の教材についての 視点を与 えるとともに、美術教育の学習内容について も 重要な示唆を与 えるもの となろう。
Ⅰ 外界の知覚についての認知科学理論からのアプローチ
ハ ワー ド・ガー ドナ‑
(HowardGardner)は、彼の 普
"TheMind'sNewScience"( 邦訳 『 認知革命
』 (1))の中で認知科学の成立 と歴史及び現状 を検討 し、認知科 学のこれか らの見通 しと課題 について述べている。それ によれば、認知科学 という言葉は
、1970年代の初頭に使 われ始めた もので、ガー ドナ‑自身の定義は次のような ものである。「 認知科学 とは永い年月を経て問われてきた 認識論上の問題 に答 えまうとする、経験 に基礎 をおいた
現代的な試みであ り、特 に知識の性質、その構成要素、
その源泉、その発展 と利用にかかわるものである
。 (2)」そして認知科学に関連する諸科学 として六つの分野、
すなわち哲学、心理学、人工知能、言語学、人類学、神 経科学 をあげている。つまり、西欧の哲学者が何世紀 も 前か ら扱 って きた問題や言語学や人類学が次第 に明 ら かにしてきている問題 と、科学的な脳や神経の研究そし て心理学の研究か らの成果が影響 し合い、コンピュータ や人工知能のための研究が人間の全体的研究 として浮 かびあがってきたわけである。
このように認知科学の研究 には多 くの学問分野がか かわってお り、研究内容 も広い範 囲 に及ぶ ものである が、その中で も世界 ・外界の知覚 に関する研究が美術教 育 における環境学習の基礎理論 として取 りあげられ る。
例 えば、認知科学に関わる大脳生理学や神経科学の研 究は、視覚に関する多 くの機能 を解明 してきている。今 か ら
30年程前、線の傾 きに反応するコラム と呼ばれる基 本的仕組みが発見 され、「 脳で見 る」ことの第一歩は、 ま ず、見ているものの線 を分析することであ り、その仕組 みは脳 の中にきちん とで きあがっていることが発見 さ れた( 3 ) 。それか らコラムに関する研究は急速に進み、脳 に は図形のパ ターンを知覚す る約
2000の コラムがある と 考 えられ、今 までに
100近 くの基本的図形 を知覚す るコ ラムが見つかっている。 また、大脳新皮質には視覚情報 に関わるエ リアが 3 2 もあ り、形 に関するエ リア、色 を検 出しているエ リア、動 きの知覚 をしているといわれてい るエ リアなどが見つかってきている
(4)。それ とともに、そ れ らの情報が、ボ トムアップとトップダウンの両方の方 法により処理 され、順番 に段階を追 って進む場合 もあれ ば、同時並行で処理 される場合 もあ り、その場合には情 報の選択が行なわれると考 えられている( 5 ) 。 このように 脳や神経の研究が進む中で、次第に知覚の しくみが明 ら かになってきているわけである。
また同様 に、心理学の分野においては認知過程の研究
上越教育大学美術教育研究誌「美と育」an良 educationno.11995◆‑ 31
が再び盛んにな り、それ らは 「 外界か ら与 えられた刺激 を人間の感覚が受け入れ、反応する」 という考 え方の批 判か ら始 まっている。その代表がアメ リカの知覚心理学 者 ジェイムス ・ジェローム ・ギブソン (
JamesJerome Gibson)であ り、彼は 「 生態光学的視覚論
(6)」と呼ばれる 独 自の理論 を展開 し、以後の研究に大 きな影響 を与 えて きた。 この生態学的視点は、物理的世界 と環境 とを区別 した上で、その環境の中で生態は生存 と成育 に必要な情 報 を容易 に獲得で きるようにつ くられていると考 える
。つまり、すべての情報 は周囲のエネルギー流動中に存在 し、知覚者 は外界が提供する情報 を直接抽出するもの と 考 えている
(7)。 さらに彼 は、「 アフォーダンス」という理 論 を用い、環境 と動物 ( 人間)の相補的関係 を説明す
る。その関係 とは
環境のアフォーダンスをめ ぐる重要な事実は、価値 や意味が しばしば主観的で、現象的、精神的である と考 えられているの とは異な り、アフォーダンスが ある意味で、客観的、現実的、物理的であるという ことである。けれ ども実際には、アフォーダンスは 客観的特性で も主観的痔性で もない。あるいはそう 考 えた けれ ばその両 方で あ るか もしれ ない。ア フォーダンスは、主観的一客観的の二分法の範囲を 越 えてお り、二分法の不適切 さを我々に理解 させる ー助 けとなる。それは環境の事実であ り、同様 に行動 の事実で もある。それ は物理的で も心理的で もあ り、あるいはその どちらで もないのである。アフォー ダンスは、環境 に対する、そして観察者 に対する両 方の道を指示 している( 8 ) 0
と彼 は述べている。
この ようなギブソンの理論 に大 きな影響 を受 けなが ら、加 えて、情報抽出における「 図式( 9 ) 」という理論 を唱 えるアル リック・ナイサー
(UlricNeisser)は、個人の 図式を考 えることによって 「 注意を向ける」などの トッ プダウンの情報処理の方法を適応 させ、認知の構図を説 明 している。それは、情報抽出により生 じる認知構造 と その変化 も含めて、図式一探索‑対象‑図式 と変化する 知覚循環
(10)という理論で展開され、固定的な知覚一反応 という考 え方か ら脱却 し、ダイナ ミックな相互作用的な 知覚 というものを主張 している。
そして彼 らのような考 え方を基盤 とする研究者 らは、
実験室での披験者が固定 された状態で行 なわれ る視覚 実験の結果を用いることについて批判 をし、人間が世界 を自由に動 き回 りなが ら探索すること、その中で情報 を 抽出 してい くことの重要性 を強調する。ギブソンはその
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ような中で 「 不変項
(ll)」を抽出することが重要だ とし、
さらにナイサーは 「 外界 とのや りとりが知覚者 を形造 る のみならず、彼 を変化 させる、つまりわれわれだれ もが 自分が関与す る認知活動 によって まさに創造 され るの である
(12)」と述べている。
従 って、 ヒ トが環境 を知覚 し、認識す る とい うこと は、全身的で積極的な活動か ら生 まれるものであ り、な おかつ常に変化 しているものであることがわかる。そし て、その中でヒト全体 と環境全体すべてが相互作用的に 高め合 ってい くのである。
一方、哲学においては、感覚・ 知覚・ 認識 といったテー マ と時間 ・空間 といったテーマが、環境 にかかわるもの としてあげられる。前者の感覚や知覚についての研究は ギ リシャー近代一現代 と長い歴史を持ち、しか もその考 え方は大 きく変わってきている。最近では、例 えば中村 雄二郎が 「 具体的な知覚 とは、過去の経験 にもとづ く記 憶や連想、そして習慣が もた らす判断をすでに含んでい る」ことを述べ、「 知覚はさまざまな感覚印象を選び、秩 序立てることによってあるが ままとはちがった新 しい 世界、再構築 された生活世界 をつ くり出す
(13)。」と述べて いる。 このように哲学における知覚問題 も、感覚や感性 を軽視 し、知性や理性 を重視する考 え方を批判 し、知覚 の重要性 を指摘するとともに両者の よりよき関係 を追 究 してい く方向にあるといえる。そしてこの知覚に関す る考 え方は、知覚するもの とされるもの という主体 と客 体の関係 と深 く結びついた もので、他の研究の視点 と重
な り合 うものである。
また、同じ哲学の範噂である空間論 は、 ヒトと空間の かかわ りをテーマ とするものであるが、空間の方か らの アプローチ として次の章で取 りあげたい。
Ⅰ Ⅰ 空間論 ・ 地理学など、 環境か らのアプローチ
哲学における空間論の変遷 も興味深いものであ り、そ の中で問題 となるのは、数学者や物理学者の扱 う<抽象 的空間>ではな く、<具体的に体験 されている人間的空 間>であ り、それ らは、<表象的空間( 1 4 ) ><生 きられた 空 間( 1 5 ) ><生 理 学 的 空 間( 1 6 ) ><体 験 され て い る空 間( 1 7 ) ><位階的に積み重ね られた空間
(18)>などと、多 く の哲学者、空間論者 によって様々な言い方をされている
ものである。
この哲学者 らによって古 くか ら展開 されている空間
論 をみると、その流れは空間自体に意味があって私達が
その意味 を読み とっているという<環境意味論>か ら、
空間の意味 はその図式 を秩序立てた空間図式の中にあ るという<図式意味論>に変わってきている。つ まり、
我々はみんな同 じように見ていると思っていた自分の 環境空間を自分独 自の枠組みで意味づけをしなか ら見 ているという考え方である
(19)。しかし、それは一人の人 間が存在 しな くなって も、環境空間は残 っているという 意味においては客観的に存在するものであ り、空間をい
くつかの層にわけてみてい くことも試みられている。
このような空間についての哲学的考察に加 えて、実際 の地形 ・気候 ・風土などの物理的空間を対象 とする研究 領域の中心 として、地理学があげられよう。特に、近代 地理学は主要な課題 を、人間 と環境 ( 自然環境 と人文環 境の両者) とのかかわ りあいを明 らかにすることとして 発展 してきている。 しか し、その方法は大 きく分 けて、
統計処理の手法 を用い科学的に分析 していこうとする 方法 と、それに対する反動 として
1970年代初頭 よ り起 こってきた現象約 ・人間主義的にとらえていこうとする 方法に分けられる。
後者の中心であ り、現象学的地理学の旗手 と言われて いるイーフ一 ・トゥアン
(Yi‑FuTuaI J や、風土学の 領野を開拓 し、風景や景観をテーマに研究をすすめてい るオギュスタン ・ベルク
(AugustinBerque)など、人 間 と環境のかかわ りをあ らゆる側面か ら総合的にとら え直そうとい う研究 に近年大 きな成果がみられるので ある。そして彼 らは、 ヒトと環境のかかわ りの‑表現 と しての美術 にも深い関心 を払い、注目している。
トゥアンは、世界の構成において美が本質的な役割を 果たしてお り、われわれは環境の知覚においても、環境 への働 きかけにおいて も、美に衝 き動かされていると考 える。そしてこの 「 美 ( エステティック
)」という観点か ら環境や社会を論 じることが、文化や社会を発達 させる ために重要だ と述べている( 2 0 ) 。また、物質的環境 と人間 との情緒的なつなが りをすべて含むような言葉 として
「トポフイリア」 ( 場所愛)という造語を用い、 トポフイ リアは人間の感覚で最 も強い ものではない と言いなが らも、それがわれわれの心を動かす とき、場所や環境は 感情に満ちた出来事 を担 った り、あるいは象徴 として知 覚 され、環境 に対する態度や価値づけに大 きく影響する
ものであることを示 している
(21)0
一方、風土や風景そして環境 というテーマを中心に地 理学的研究を進めているベルクは、主体一客体の問題に 言及 しなが ら、物理的 ・エコロジカルな環境 というもの と、感覚的 ・象徴的な風景 というものを 「 風土性」 とい う統一的視点で一致 させ ることが必要であることを説
いている。彼が述べるところの風土性 とは、風土のお も むき ( サンス、意味=方向)を意味するもので、その風 土を 「 ある社会の、空間 と自然 とに対する関係」 と定義 している
(22) 。そして、風景をその風土の感覚的かつ象徴 的次元 と定義 し、この風景 と物理的あるいは事実的次元 である環境が断絶 して しまった ところに近代 の問題 が ある
(23)と考 えるのである。
これを歴史的にみてみると、「 風景」
(landschap)とい う言葉 はヨーロッパ において十六世紀 にようや く現わ れた用語であり、それは風景画が生 まれたことと一致 し ている。そして、絵画における風景画の発展 と、線的遠 近法の完成には時期の符号が見 られ( 2 4 ) 、エルヴィン・パ ノフスキーの指摘のように、「 線的遠近法の完成 は、その 均質かつ無限の等方性をもつ空間 とともに、近代的な個 体性をもつ主体の出現の条件のひ とつ となった( 2 5 ) 」と考 えられている。 また、 この近代的な主体は自分自身 と事 物の間に根源的な区別 を設け、自然に関する近代科学の 基本的な客観性 を確立 しようとした。 と同時にその主体 は 「 環境」を客体 として発見 し、 しか も制御できる客体 として機械論的自然観を生んでいった( 2 6 ) 。さらに距離を おいて見 るということの重視 は、偏 った視覚 を発達 さ せ、現在の視覚優位の状況をもた らしているのである。
そして このようなデカル ト的二元論 に基づ く近代の様 相に対 して、ベルグは美術の表現の中に新たな徴候 を兄 い出している。
例 えばセザンヌによる空間表現は、ルネサンスの遠近 法 によって確立 した主体の中心的かつ安定 した位置 と いうものを無効 にして しまう。それに ともなって同時 に、人間の自然に対する関係 にも変化が生 じる。事実、
面の階層化が面の並置に置き換 えられると、観察者の目 はひとつの面からもうひとつの面へ と移動 して、面のひ とつひとつに、主体の位置よりもむしろ対象によって規 定 される内在的な価値 を与えることになる。線的遠近法 ではな く、「 心情の遠近法」で表現することは、われわれ が風景を知覚するときには、つねに想像力の世界が介入 して くることになる。風景 という、主体 と客体対象の間 の関係の現実においては、主観的なものは必然的に客観 的なもの と合成 され、主体 と客体 という近代の二分法が 有効性を失 うのである
(27)0
つまり、ルネサンスの画家たちから始 まった近代景観 の最終的な表現が現われる時には、既に、絵画が一方で は線的遠近法を早 くも解体 し始め、他方では主体の近代 的な観念が哲学や社会科学 において揺 り動か され始 め る
(28)。そこに、新 しい人間 と世界 とのかかわ りを求めた
上越教育大学美術教育研究誌 r美と
育
」art良 educationno.11995◆‑ 33表現の始 まりが見つけられるのである。
このような主体 ・客体の関係の変化や新 しい空間図式 の発見や秩序立ての表現は、多様な美術運動 を導 き、建 築 も含 めたすべての美術 ジャンルで現在 まで活発 な展 開 をみせている。例 えばアメ リカを中心 としたアース ワーク( 2 9 ) の作家達の活動は、風景その ものに入 り込んだ 環境全体 を作品 とし、あるいは土地再生のための芸術 を 試みた り、美術が環境 とかかわる新 しい方向を示 してい る。 また、イギ リスを中心 とするアースワークの作家達 は、自然 との対話に重点を置 き、自然の邪魔になるよう なことをしない。そして、「 かれ らはことのほかエコロジ カル ・バランス ( 均衡の とれた生態系)の破壊 について 深い関心 を持 っている。環境 に対 して責任 を負 うこと、
そしてその ことをひ とび とに気づかせ ることのために、
かれ らは自らの芸術 を捧 げている
(30)。」のである。このよ うな状況 を踏 まえ、オギュスタン・ ベルクは、今後 を「 造 景の時代
(31)」とし、
60
年代 におけるハプニングの流行、絵画の 「 正当的 な」透視図法 にそなわった見か け上の奥行 きの消 滅、新一地域主義の建築、ラン ド・アー ト、田園 と 都市 とを 「 景観化」 しようとす る関心 の高 ま り、
等々‑こういった ものは要するに、人 と世界 との関 係のお もむ きが もはや近代性 のそれ とは違 ってい
ることを立証する現象の数々なのだ( 3 2 ) 。 と述べ、さらに
20
世紀 も三分の一 を残す頃になって、 この変化にさ らに追い討ちをかけたのが、地球の生態学的キャパ シティは無限ではない という事実である。この地球 の有限性 は、近代性の抱いていた様々な見解 をくつ がえす ことになった。近代性の もくろみの普遍的で 無限の空間が通用 しな くなったのは、象徴的あるい は現象的なレベル、すなわち風景のレベルだけでは な くなった。物理的あるいは生態学的なレベル、す なわち客観的な環境の レベルにおいて もそ うだっ たのである
(33)。
と述べている。従 って、近代における象徴的なもの と生 態学的なもの との分裂、ますます度 を深める科学・ 道徳・
芸術の分離は、徹底的に問い直 されなければな らない。
そして、われわれの環境が全体 として少 しずつ芸術作品 になっていき、文化の もっとも高い価値 を生態学的に表 現するようになることを展望 としてまとめている( 3 4 ) 0
このような地理学的視点は、環境 を科学的、客観的に とらえることと同時に、人間的、主観的にとらえること の必要性 を我々に示 している。そして、その人間的、主
34 → 上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良 educationno.11995
観的にとらえる時に、重要な視点になるのが風土や文化 や地域あるいはその社会のお もむき ( 意味づけの方向) であ り、美や愛な どヒ トが環境 に対 して抱 く感情 であ り、そこに兄い出す価値である。つまり、環境 はヒ トの 知覚によって実際に、あるいは心の中に存在 し、意味を 持 ち、 しか も同時 にヒ トに影響 を与 えてい くわ けであ る。そこで、次に、 このような環境 と人間のかかわ りを 人間的、主観的 に とらえるための 「 空間図式」につい て、その構造を明 らかにしなが ら論 じてい くことが必要 になって くる。
Ⅲ
ヒトと環境のかかわりにみる空間図式の基礎的構造
ここでは今 までの他分野か らの理論 をもとに、 ヒトと 環境がかかわる空間図式の基礎的構造をまとめ、そこか
ら次の教材への視点へ と発展 させてい く。 まず、重要な こととしてあげられることは、空間図式の三つのレベル であ り、 ヒ トが人間 として存在する時、それは第一に生 物学的な有機体であ り、 しか も社会的な存在であ り、そ して一人の個人であるということの把握である。 この三 つの状態の総合 された もの として、一人の人間の知覚や 認識が成立 し、環境 とのかかわ りで常に変化 してい く基 礎的構造 を考 えていかなければならない。そこで、三つ のレベルに分けてそれぞれ考察を試みたい。
1.
生物 としての人間
生物学者ヤーコプ ・フォン ・ユクスキュルによって主 張 された環境世界説
く35)は、動物主体が見た り、聞 いた り、喚いだ り、感 じた りするものを我々人間が決 して同 じように見た り、聞いた り、嘆いだ り、感 じた りできる ものではないことを明 らかにしている。全ての主体 は、
それぞれ独 自の世界 をもつ というのである。つまり、す べての対象は我々の前 に客体的な実体 として存在す る のではな く、「 意味」として ( 彼は 「トーン」という言葉 を用いているが)存在 し、その場面場面でその意味を変 えるものである。 と考 えている。
有名 なクモの巣 とハエの関係 を見て も、クモの巣はハ
エの体のサイズに合わせて網の大 きさが決め られてい
るという事実がある。さらにその網の糸が非常に細 く紡
がれているので、雑な造 りをもつハエの眼には入 らない
という、クモ とハエの関係 は、自然の計画が仕組んだ機
能の連関を示 している。 また 「 すべての主体 は、それぞ
れの独 自の環境世界を持ち、すべての対象の中か ら自分
が知覚 し、作用す る客体 を選 んでいる( 3 6 ) 」 と述べてい る。
例 えば眼のないダニは、嘆覚によって獲物の近づ くの をかぎ分 ける。つまり、すべてのは乳類の皮膚腺か ら流 れ出て くる酪酸の匂いが、ダニにとっては見張 り場 を離 れて下へ落ちろ、 とい う信号 として作用するのである。
そ してダニの敏感 な温度感覚 によってそれ とわか る何 か温かい物の上に落下 した とすれば、ダニはすでに獲物 である温血動物の上 に到達 しているわけで、あとはただ 触覚の助 けを借 りてで きるだけ毛の少ない個所 を探 し 出す
‑ ‑ ・(37)という、客体 に対 してその都度、異なる知覚 方法 を用いなが らその知覚標識 に作用するのである。ま た、 ミツバチの環境世界の中では知覚標識 として花だけ が意味があるのであって、つぼみは問題 にならない。つ まり、「 開いている
」「 閉 じている
」という図式が問題 に なるのである( 3 8 ) 、と述べている。そしてこのような生物
と世界の驚 くべ き関係 を生物 としての人間 も基本的 に は持 っているだろうと考 えられるのである。
従 って、生物が持つ環境空間 とのかかわ りは、人間 と 環境空間 とのかかわ りの深層部分 として、 とらえておか なければならない部分である。そして、 この部分の理論 は、ギブソンの理論が意味を持ち、かな り大 きな範囲で 行なわれていると考 えられる。
特 に、空間の感覚、知覚、空間概念など環境空間 と人 間のかかわ りに、人間の持つ身体性が大 きく影響 を及ぼ す ことは様々な研究が示 している。そしてそれは子 ども の表現の発達 をみて も明 らかである と考 えられ る。 ま ず、基底線が現れるということは、自分 と環境空間 との かかわ り (この場合は垂直方向が主である)を体験 した 子 どもの表現であ り、空間が広がって認識 されて くると 基底線が複数になるという事実は、その都度の体験が子 どもの表現に表れて くることを示す。さらに折 り重ねや 平面 と立面の混合な ど子 どもは視覚のみではない運動 的活動 に影響 される。そしてそこに表現 された ものは、
その子 どもの空間図式に基づ くと同時に、表現すること で新 しい図式 をつ くり出 しているという関係 なのであ る。 しか も、我々は自ら身体 を動かす ことで、 ものがい つ もそこにあ り続 ける、世界が安定 してそこにあ り続 け るという体験 を得 る。自分 と世界 を違 うもの としてその 存在 を実感するわけである。
2.
社会的に共有 されるものをもつ人間
生物 としての空間図式の次に、文化 ・風土等を背景に
した共有 される空間図式 というものがあろう。
世界各地の集落を調査 し、都市空間について研究 して いる建築家原広司によれば、
日常的な体験 において、共有 された空間図式の抽出 は困難であるものの、さまざまな集団的活動 におい て見出す ことができる。住宅形式や都市 ・集落形態 は、そのまま空間図式の共有性の表出 となる。祭 り や儀式における一連の場面、つまりそれ らの経路 も 同様 に理解 され る。あいさつ、礼儀 ・作法 な ども、
集団によって共有 される図式の所在 を示す
(39)0と、述べている。さらにそのような空間図式の共有性が 共同主観の重要な要素 となること、 また、芸術 は、情景 図式の技術的な描出をもって、時代や文化 に潜在 してい る空間図式を顕在化するものである( 4 0 ) とも述べている。
つまり、日本の伝統に基づいた空間処理な どは、我々 日 本人独 自で共有性 を持つ空間図式 を秘 めているもの と して とらえることができるのである。 さらに、 日本独 自 の空間構造そして行動様式、身振 り、 しぐさ、 さらには 言語へ とこの共有 された空間図式がかかわって くるの である。 このような考 え方は、民族学的あるいは文化人 類学的視点か らも検討 されるべ きものであ り、環境造形 教育で も、体験 を通 して子 ども達が学んでいけるよう、
考 えていかなければならない ところである。
3.
個人 としての人間
これ ら二つの共有性が大 きく影響する部分に対 し、逆 に個人的な環境 とのかかわ りの中で個 としての図式が 生み出され優先 される場合が、三番 目の空間図式 として あげられる。 これは、環境造形教育に最 も関係するもの であ り、無意識的に身につけている共有 される空間図式 に加 えて、一人ひ とりが新 しい図式を獲得するような学 習をすることが必要 となる。
原始か ら芸術活動 というものは、人間 と世界 との新 し いかかわ り ( 新 しい空間図式)を探 る行為であ り、美術 はモノを用いて今 まで気づかないでいた ような図式 を 示す ことであった。子 どもが人間 としての共通のかかわ り方を中心にして発達 してい くのに対 し、我々大人 は新 しい空間図式を発見するための努力 を必要 とする。そし て この働 きかけが、自分 と世界 との新たなかかわ りを生 み、モノの見方が変わる、目に入 って くるモノが違 って くるなど、新 しい体験 を導 き、創造的生活の基盤 になる ものなのである。
子 ども達が次々 と自分の空間を認識 し、自分 と環境世
上越教育大学美術教育研究誌 「実と育」artaeducationno.11995◆‑ 35
界 とのかかわ りを学んでい く過程 はまさに芸術活動の 基本であると考 えられる。そして子 どもが新 しい環境世 界 とのかかわ りを獲得 し、様々な空間図式 をつ くり出す ことができるよう、その活動 を支えることが我々にとっ て重要なこととなって くる。大人の空間解釈 を一方的に 押 しつけた り、画一的図式を教 え込んだ りすべ きでない ことは、明 らかであろう。そしてこのような学習の過程 は、自分の運動感覚に基づ く空間図式を使 って感 じとっ てい く体験 を通 してで しか成立 しない。 しか もそれは、
子 ども達が自分のすべての感覚 を統合 し、自分がモノと かかわ りなが ら空間の中の存在 になるとい う点が重要 である。例 えば、他の芸術では「 観照者」に過 ぎない我々 が、環境空間の中では、「 共演者」「 演出者
」として機能 できることである。ヒ トが環境空間の一つの要素 として 受け入れ られるということは、「自分 とモノと空間のかか わ りを学びなが ら、環境 に働 きかけ、自分 も変わってい くという図式 となる。それが子 ども達にとって も、常に 新 しい環境世界 とのかかわ りを体験させるものであろう。
以上、三つのレベルで空間図式について述べたが、一 人の人間の中で この三つが一つの空間図式 とな り、それ は流動的でフレキシブルに、その場、その場 に対応 しな が ら新 しくなっていると考 えられる。従 って、新たに図 式をどん どんつ くり出せ る人や、自分の図式に固定 され がちな人な ど、人によって皆違 うということが前提 とな る。 しか し、子 ども達は経験が少ない分、その図式の枠 組みが柔軟であ り、主体的にそして活発に環境 とのかか わ りを体験 しなが ら、獲得する過程その ものを学んでい く存在である。 このような時期に、モノをつ くることを 通 して環境 におけるダイナ ミックな知覚体験 をもとに、
想像力を活発 に働かせ、空間 とかかわってい くことが子 ども達の成長に非常に大切なことになる。つまり、子 ど も達にとっては、造形活動そのものが、環境 とかかわ り なが ら自分を表現 し成長 させることであ り、その中で生 活 し、環境 を知 り、学びなが ら自分 自身を形成 してい く わけである。そしてそのような見方で造形活動 をとらえ る時、写実的なものの見方に追い込んだ り、画一的なつ くり方 を教 えるような指導のあ り方が問い直 されて く るであろう。
Ⅳ
ヒ トと環境のかかわ りを学ぶ教材の視点について
ここでは今 までの基礎的理論 をもとに、美術教育の教 材 として どういう視点が必要になるのか、簡単に述べて
36 ‑‑◆上越教育大学美術鞍育研究誌「美と育」art良 educationno.11995
いきたい。
まず、基本的構造か らみると、人間が本来的に備 えて いる情報抽出の能力 を高めることが人間 として生 きて い く上で必要なことである。そして同時に環境 と常にか かわ りなが ら、ヒトと環境が相互作用的に高め合ってい く体験 について学ぶ ことが大切 になろう。 ここで も三つ の段階に分けてその教材の視点を示 していきたい。
1.
空間感覚 ・空間体験 について学ぶ
ここで中心 となることは、「 空間の意味 を体験か ら学 び、発見すること」である。例 えば、建物にして も、道 にして も、一つの都市にして も、すべての場がそれぞれ 多様な意味を持ち、その空間の形 を持つ。我々は、 この 空間の持つ意味を学ぶ ことにより、逆に空間に意味づけ を行ない、空間を発見 し直 してい くといえる。 まず様々 な空間体験が必要な理由は、 ここにある。自然の持つ無 限に変化する空間の形 ・質 ・意味を体験することが、子 ども達の空間に対する感覚 を養い、空間 と対話 し、読み 取る能力を身につけさせるのである。
画一的な空間 しか持たない学校の校舎が よ くない理 由は、 この空間体験の画一化 を招 くことによる。 まず、
学校の中に多様な機能の空間や、様々な空間の形がある ことが、子 ども達の変化に富む生 き生 きとした活動を保 障することになるのである。そして、それ らの空間は子 ども達の手で生み出 され ることを可能 にす る空間であ ることが必要であ り、むしろ子 ども達の活動を誘発でき る空間であ りたい。
また、近年実践 されているヒモ ・テープ ・ビニール ・ 布などを使 った空間構成、例 えば、空間を区切 る、変化
させ る、迷路忙 する、 ヒモを張 り巡 らす、モノを包む、
隠す、色 を変 える、 さらに校庭 ・グラウン ドなど空間に モノを並べる、立てる、紙を敷 き詰める、‑‑等々。 こ のような空間についての体験や、感覚その ものを学んで い く学習が まず基本的なこととして考 えられるわけで ある。
2.
自分の手で環境に働 きかけること
次に、実際に空間に働 きかけることを体験することが 大切な学習 となる。 これは、何かを加 えた り、あるいは 現在あるものを変 えた り、な くした りすることで、空間 の持つ意味 を変化 させることである。
ヒトは自分で思った ものを形にし、同時にヒトの道具
としてのモノをつ くり続 け、ついにヒ トが支配 されるよ うなモノまで生み出 して しまい、現代生活の中での ヒト とモノのかかわ りは複雑で混乱 した様相 を示 している。
また、モノが ヒ トとのかかわ りだけでな く、空間を秩序 づけた り、逆 に空間にモノが規定 された り、モノと空間 の関係 も変わ りなが らヒ トとかかわってきている。空間 に働 きかけることは、空間を構成するモノとかかわるこ とで もあ り、 さらにモノと空間が変わ ることによって、
働 きか けた自分 自身 も変わ るとい う相互作用 を経験 す ることとなる。
そしてこのような学習が、自分の身近な空間に常に働 きかけなが ら、よりよい空間を形成することのできる人 間を育成すると考 える。
日本では、「 カーテン一つ自分で決められない」 とか、
「 壁にどのような絵 を飾 るか、選ぶ ことができない」 と か言われる。小 さい時か ら空間に働 きかけ、自分にあっ た空間をつ くり出すような学習が、これか ら豊かな生活 空間を求める上で重要なこととなろう。
学校の物的環境 を考 えると、多様な空間を設定するこ とと同時に、子 ども達が働 きかけることのできる空間を 用意することが必要である。例 えば、鉄筋 コンクリー ト の壁 は、木の壁 よりも子 ども達の働 きかけを拒むし、見 るためだけに管理 された花壇 より、雑草の生 える草むら の方が子 ども達 を受 け入れる。つまり、子 ども達にとっ てよい空間 とは、子 ども達が、自ら働 きかけることを学 習できる空間なのである。
3.
よりよい環境づ くりの学習
この学習は、 まず問題解決学習を必要 とする。環境問 題 は、範囲が広 いだけでな く様々な要因が複雑 に絡 み 合 って、その解決が困難であると言われるように、空間 その ものは、多 くの要素か ら成 り立ち、矛盾する条件や 制約 を持つ。それ らを総合的に取 り扱おうとする視点を もち、調和 した空間をつ くり出す ことを学ばなければな らない。 これは高度な条件の解決を求めることより、む しろ、子 ども達が、条件 に気付 き、矛盾や葛藤 を経験す る中で よりよい解決 を目指す ことが大切である。 また、
この問題解決学習の方法 はデザイン教育全般で行 なわ れている学習であ り、「 環境のデザイン」をする場合で も 必要なことである。
そして、さらに空間を実際に制作するための学習が行 なわれなければならない。自分の考 えを伝 えるための表 現方法や伝達手段 を学んだ り、そのための制作を自分 自
身で行なった りすることが学習 としてあげられる。それ は、高度な設計や模型づ くりを指す ものではな く、「 未来 の町
」「こんな家に住みたい
」「 私の好 きな学校
」な どの テーマで絵画表現 を行なった り、紙や粘土や木などの素 材 を使 って夢の公園や遊園地をつ くった り、様々な表現 方法が用いられる。その際、直接的表現 ( 例 えば、箱や ダンボールによる空間づ くりな ど) か ら、間接的表現 ( 設 計図や見取図な ど)へ、 また、想像的 ・空想的なものか ら実現可能 な ものへ とその内容の発展が考慮 されてい くべ きであろう。
おわ りに
地球的規模 に拡大 し、深刻化 している環境問題 に対す る関心が世界的に高 まっている.日本で もエコロジ‑や リサイクルへの理解が深 まり、家庭 を含む社会 における 実践活動が次第に行なわれるようになってきた。学校教 育 においては、次の世代 を担 う子 ども達が環境問題 につ いて関心 を払い、その状況 を認識 し、適切 な判断を行な うことができるように、そして自ら環境形成者 として行 動できるように、環境教育の必要性が叫ばれ、新 しい学 習活動 としての研究が進められている。
学校教育における美術教育 もまた、子 ども達 に自然の 大切 さを伝 え、我々の造形文化 について学び、よりよい 生活 を創造 してい く環境形成者 の育成 を一つの 目標 に してい く必要があろう。それは環境教育 として重要であ ると同時に、子 ども達が次々 と自分の空間を認識 し自分 と環境 とのかかわ りを学び表現 してい く過程 は、まさに 芸術活動の基本だ と考 えるか らである。
ヒトと環境のかかわ りは、ヒ トの成長の点か らみて も 環境の発展の点か らみて も相互作用的なものであ り、 し か も美術 というかかわ りを通す ことによって、ヒ トと環 境が生 き生 きとした体験 として結びつ く。認知科学や地 理学、生態学など多 くの研究が示すように、 ヒ トが環境 とどのようにかかわってい くのか、それは重要な視点で あ り、教育の基盤 となることである。その中で美術教育 は、環境 についての開かれた見方を学び、体験 を通 して 自分 自身を高め、同時に表現することにより環境 自体 を 総合的に高めてい くという点で、教育の重要な役割 を持 つ。 また、さらにこのような視点に立つ ことで、美術教 育の学習内容が よ り広が りのある多様 な学習 として子
ども達の成長に意味づけられると思われるのである。
上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」art良 educationno.11995◆‑ 37
注及び引用文献
(1)ハワー ド ・ガー ドナー rTheMind'sNew ScienceJ (邦訳 r認知革命』佐伯 ・海保訳 産業図書1989) (2)同上書 P5
(3) NHK取材班 r脳と心2jNHK出版 1993年 P29 (4)同上書 P37
(5) 〟 P84
(6)ジェイムス・ジェローム・ギブソン
rTheecologlCatapproachtovisualperceptlOn』
(邦訳 F生態学的視覚論』古崎 ・古崎 ・辻 ・村瀬共訳 サイエン ス社 1985年
(7) 同上書 pp.253‑278
(8) 〟 pp.139‑140
(9)アイリツク ・ナイサーFcognitionandReaLityJ (邦訳 F認知の構図」古崎 ・村瀬共訳 サイエンス社 1982年
pp53‑82
(10) 同上書 pp.20‑24
(‖)前掲書(6)pp.95‑100
(12) JJ (9)Pll
(13) 中村雄二郎 『哲学の現在』岩波書店 1995年 P44 (14) H.ポアンカ レかく幾何学的空間>とく表象的空間>を用いて
いる。
河野伊三郎訳 F科学と仮説』岩波書店1938年
(15) H.三ンコフスキ‑が F生きられる時間』の中で使っている。
r生きられる時間』全 2巻 みすず書房 1972,1973年 (16) E.マッハは<計測的 ・概念的空間>とく生理学的空間>に分け
ている。
須藤吾之助 ・康松渉訳 『感覚の分析』1971年 野家啓一編訳 F時間と空間』1977年 法政大学出版局 (17
) 0. ド.
ポルノウはく数学的空間>とく体験されている空間>を用いているが、<生きられている空間>と訳されている場合が 多い。
大塚恵一 ・池川健司 ・中村浩平訳 F人間と空間』せ りか書房
1978年
(18) C.マウティウスは F空間』(1956)の中で、・空間を三つの表象 に分け、第二の表象を「中心と周辺をもち、位階的に積み重ねら れた宇宙的な大きさであり、それ故に有限の質をもったもので あり、」と述べている。
(19)原広司 「空間の意味構造」Fトポス 空間 時間』新岩波講座・
哲学7岩波書店 1985年
(28) イープー ・トウアン、阿部一訳 『感覚の世界Jせ りか書房
1994
年
P360(21) イープ一 ・トウアン、小野有五 ・阿部一共訳rトポフイリア」
せ りか書房 1992年 P160
(22)オギュスタン ・ベルク、篠田勝英訳 『風土の日本』ちくま書房
1994年 pp.208‑213
(23) オギュスタン・ベルク、三宅京子訳r風土としての地球j筑摩書 店 1994年 pp.79‑83
(24) オギュスタン ・ベルク、篠田勝英訳 『日本の風景 ・西欧の景観』
. 講談社 1990年 P54
(25)工ルヴイン・パノブスキー、木田元監訳F<象徴形式>としての 遠近法J哲学書房 1993年 pp.62‑63
38 ‑‑◆上越教育大学美術教育研究誌 「美と育」artaeducationno・11995
(26) 前掲書(24)P56 (27) 〟 Pll (28) 〟 pp.77‑78
(29) アースワーク(Earthworks)は、ランドアー ト(LandArt)とも 呼ばれ、1960年代後半アメリカおよびイギ リスに興った動向 である。砂漠、山岳、海辺、雪原など広大な土地を掘り、線を刻 んだりした後、それを写真に収めて作品とする。あるいは土地な ど自然物が直接画廊に持ち込まれることもある。ミニマル・アー トの影響から"もの''としての芸術を否定 しようとする気運と半 文明的な文化現象とが合体 して生まれたもので、ロマンティッ クな表現をとっている。(新潮世界美術辞典、1985年) (30) 岡林洋編 『ポスト ・モダンとエスニック』▲勤葦書房 1991年
P193
(31) 前掲書(24)P171
(32) 前掲書(23)P17 (33) 〟 P18 (34) 前掲書(24)P190
(35) ヤーコプ ・フォン ・ユクスキュル、日高敏陸 ・野田保之訳 F生物 から見た世界』思索社 1973年
(36) 同上書 P168
(37) 〟 P13
(38) 〟 P70
(39) 原広司 F空間<機能から様相へ>』岩波書店 1978年 P194 (40) 同上書 P195