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ランドマーク商品と欲望

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ランドマーク商品と欲望

著者 石川 健次郎

雑誌名 社会科学

号 84

ページ 3‑16

発行年 2009‑07‑31

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011762

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ランドマーク商品と欲望

石 川 健次郎

歴史の変容を決定づけるランドマークは,商品に限らない。例えば,太陽が動くと いう前提から地球が動いているのだという前提への変化は,人間の考え方を根底から 変え,その後のあらゆる分野での前提となった。このような前提の転換を,歴史変容 のランドマークと考える。影響の長短・軽重はあるとしても,それが出現する以前と 以後とで世の中を決然と変えてしまったランドマークとして,思想,政治,芸術,技 術などが重要な役割を果たしてきたことは,むしろこれまで強調されてきた。しかし,

生活の変容を中心に見た場合,「生活の前提」を変え,ライフスタイルを変え,新た なライフステージを提供し,それによって新たな「生活の体系」を創造する上で,商 品の果たした役割は無視できない。「生活の前提」を変えるということは,それら前 提の集合体としての「生活の体系」をも変えるということであり,ここにランドマー ク商品の本来的意味がある。

商品化の進展に凄まじい勢いで拍車がかかり続ける現代日本社会にあっては,ラン ドマーク商品の果たす,あるいは果たしてきた役割は大きく,それが抱える社会的な 課題のいくつかはランドマーク商品に関わるものであり,その解決の鍵もランドマー ク商品のなかにあるといえる。現代社会を考えることは,歴史のなかの商品を考える ことであり,ランドマーク商品のパワーの内実を明らかにすることである。

商品社会に住む人間の奥に潜む欲望のあり方が商品購入の動機の基盤をなすといっ ていい。これは「生活の前提」が変る理由とも関連し,商品が生まれ続ける要因とも 関連している。本稿では,それに関して比較的よく知られている業績・論評を紹介し た。

ランドマーク商品の無批判的で安易な受容,それへの無自覚的で限りない依存とい う現代日本人の生活態度が,日本社会が抱える課題の背景に潜むことは否定しがたい。

ランドマーク商品研究はあくまで歴史研究であるが,その目的は,商品を通して歴史

(生活・社会)変容のランドマークを探り,ひいては現代社会の課題を明確にし,そ の解決に挑戦しようとするものである。

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はじめに なぜランドマーク商品1を研究するのか

私はいま大学で商業史という科目を担当している。古代から時代を降って語る商業史 の授業時には私語が多く,ランドマーク商品のはなしの時には私語が少なくなる。全く 私語が消えるときもある。教養としての商業史の通史的知識の重要性を否定するもので はないが,実際の講義現場では現実社会との関わりのなかでの歴史にしか,学生は興味 を示さないし,授業に集中しない。学生たちは決して歴史が嫌いなわけではない。むし ろ歴史のなかに学ぶべき何かがあることを直感し,それを学びたいという意欲は以前よ りも強烈に感じられる。学びたいもの,興味あるものが通史的講義のなかにはないだけ のことである。通史的講義の中に,現実の生活や社会との接点を感じることができず,

通史的知識のすべてが「あー,そうですか」と,彼らの頭の中を素通りしてしまう。

So,what?

に近い反応が返ってくる。宮本又郎は,このような「歴史離れ」現象につ いて「(前段略)要するに,「歴史離れ」というより,専門歴史研究者の著作が読まれて いないのである。(中略)経済史の世界では長らくマルクス経済学の影響が残ったこと や厳密な実証主義によって,近代経済学にシフトした経済学教育のなかで経済史がやや 異質の存在になってしまったこと,ヨーロッパ中心史観が日本やアジアの今日の国際的 位置とずれてしまったこと,産業構造の大きな変化にも関わらず,経済史・経営史家の 研究対象が主として戦前以来の産業に向けられ続けたこと,等によって学生は,経済史・

経営史に距離を感じるようになったものと思われる。(中略)最近の日本の経済史・経 営史関係の学会報告や学会誌掲載論文は,現実との接点がまるで不明な論点から始まる ものが多い。(中略)現代の問題から出発して,歴史的経験に問いかけるというマルク・

ブロックらフランスのアナール学派が提唱した問題史(hi

stoi re-probl em

)の意義を日 本の経済史・経営史家はいま一度想起すべきではないだろうか」2と述べ,歴史研究と 現実や現代社会との接点の重要性を鋭く指摘した。冒頭に見た授業に対する学生の反応 もこの文脈の中にあるものと思われる。一方,ランドマーク商品の研究は,歴史の変遷 のなかでランドマーク商品という強力なパワーを有した存在物が,どのようにして生ま れ,どのように普及・定着したのか,またその過程で現実の生活や社会をどのように変 えたのかを問題とし,それを知ることによって現実社会の実態と未来社会のあるべき姿 を考えようとするものである。自分たちの生まれる前からすでにあり,当たり前のもの として使っている(これを「生活の前提」という)冷蔵庫や洗濯機や炊飯器やテレビが なかった時代に人びとはどのようにして生きていたか,そしてそれらがはじめて現れた

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時代がどのような状況であったのか,それら商品が普及・定着していく過程でどのよう な感動3があり,何が変り,何が生まれたのか,商品が日本人の生活・ライフスタイル の変容にどれほどの,またどのような衝撃を与えたのかという歴史を知ることは,テレ ビ番組の雑学クイズに興味を示す学生たちにとっても,探るべき知識として十分意味を もつ。あって当たり前なるが故にその存在について深く考えることをしない商品のなか に,日本人の「生活の前提」を変え,新しい「生活の体系」を創造する,あるいはした ような,つまり歴史転換のランドマークとなるような商品の存在を認識することは,学 生たちに新鮮な知的興奮を呼び起こすはずである。特に生活手段の全面的商品化社会4 と呼ばれるように,衣食住をはじめとする生活手段がすべて商品となってしまっている 現代の日本社会では,商品という存在を無視して生活や社会を語り,考えることはでき なくなっている。このような現代日本社会に生きる学生にとって,商品の,なかでも強 力な変革力と破壊力をあわせもつランドマーク商品を通して,社会や人間の変容を考え るという研究構想は,授業と興味の距離を短縮させる。商品化の進展に凄まじい勢いで 拍車がかかり続ける現代日本社会にあっては,ランドマーク商品の果たす,あるいは果 たしてきた役割は大きく,それが抱える社会的な課題のいくつかはランドマーク商品に 関わるものであり,その解決の鍵もランドマーク商品のなかにあるといえる。現代社会 を考えることは,歴史のなかの商品を考えることであり,ランドマーク商品のパワーの 内実を明らかにすることである。現代日本社会が抱える様々な問題がすべてランドマー ク商品と関連するとはいわないが,ランドマーク商品の無批判的で安易な受容,それへ の無自覚的で限りない依存という現代日本人の生活態度が,課題の背景に潜むことは否 定しがたい。ランドマーク商品研究はあくまで歴史研究であるが,その目的は,商品を 通して歴史(生活・社会)変容のランドマークを探り,ひいては現代社会の課題を明確 にし,その解決に挑戦しようとするものである。この意味からランドマーク商品研究は,

現代社会と極めて密接な接点(社会,商品,生活の相互関係)をもつものであり,学生 たちが私語を止めて,ランドマーク商品の授業に聞き入る理由もここにあるように思わ れる。現代日本社会で,商品の,特にランドマーク商品のもつ意味の重大さについては,

いくら強調しても強調しすぎることはないであろう。

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1.「生活の前提」5と商品の交代

歴史の変容を決定づけるランドマークは,商品に限らない。例えば,太陽が動くとい う前提から地球が動いているのだという前提への変化は,人間の考え方を根底から変え,

その後のあらゆる分野での前提となった。このような前提の転換を,歴史変容のランド マークと考える。影響の長短・軽重はあるとしても,それが出現する以前と以後とで世 の中を決然と変えてしまったランドマークとして,思想,政治,芸術,技術などが重要 な役割を果たしてきたことは,むしろこれまで強調されてきた。しかし,生活の変容を 中心に見た場合,「生活の前提」を変え,ライフスタイルを変え,新たなライフステー ジを提供し,それによって新たな「生活の体系」を創造する上で,商品の果たした役割 は無視できない。「生活の前提」を変えるということは,それら前提の集合体としての

「生活の体系」をも変えるということであり,ここにランドマーク商品の本来的意味が ある。

商品一般は,多かれ少なかれこのようなランドマーク的要素を内包するものであるが,

ランドマーク商品とそうでない商品を分ける1つのポイントは,「生活の前提」を変え るパワーを備えているか否かであろう。例えばチキンラーメン6とフラフープ7は,と もに1958年に発売され,大流行したものであるが,前者が日本人の「食生活の前提」

を変え,その後の食スタイルの前提となったのに比べ,後者はそれ以後の娯楽・余暇活 動の前提となるに至っていない。このことからも分かるように,ランドマーク商品の判 別を普及率の高さから説明するのは,本末転倒といえる。普及率の高さあるいは普及ス ピードの速さは,ランドマーク商品であることの結果であって,その高低または遅速を もってランドマーク商品か否かを判別する条件とはならない。逆に言えばランドマーク 商品はその中に,広く全国に,あるいは世界に普及するタネ,つまり「生活の前提」を 変革する要素を当初から具備した商品であるといえる。広くかつ早く普及したからと言っ て,必ずしもわれわれがいうランドマーク商品ではない。ダッコちゃん,タマゴッチ等 はその例であろう。

それでは,なぜ「生活の前提」が変るのか。誰が「生活の前提」を変えるのか。これ は後ほど見るように商品の誕生あるいは商品の継続的出現の問題と関連するが,ここで は人間活動の前提についての考え方を紹介しておこう。人間本来の創造性,主体性,自 立性を歪めてしまうというランドマーク商品の破壊力について。「農林水産の重労働か ら計算作業の軽労働まですべての労働から解放されてはじめて,人間本来の創造性が発

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揮されるのではないか。本来人間がしなくともよい苦しい労働はランドマーク商品に吸 収させ,人間はより豊かで,環境に優しい生活の実現のために,本来の創造性を錬磨す るよう努力する構図が正しいのではないか。人類史は,人間がランドマーク商品に依存 するのではなく,それを最大限に活用することにより,創造性に磨きをかけてきたこと を教えている8」というものである。つまり人間の活動は,筋肉労働から完全に解放さ れてはじめて,本来の創造性を発揮できるとするもので,この考え方からは,人間が筋 肉労働から解放されて,本来の創造性を発揮するレベルに到達するまで「生活の前提」

は変化し続けるものと理解できる。

また「生活の前提」の変化に伴って起きる商品の交代については,「ランドマーク商 品の衰退面も描く必要があるのではないか。下駄が靴に取って代わられるようになる状 況を描くことも必要なことだと思う。持続性の問題。専門家が使用していたカメラから 一般の人が使用する携帯カメラ,自動露出・自動焦点のコンパクトカメラ,使い捨てカ メラ,さらにはデジタルカメラへの移行はランドマーク商品の持続性ということで片付 けることができるのか。より便利な商品への改良は,新たなランドマーク商品の誕生と いえるのか9」という疑問が提示されている。以下では正確な意味で「生活の前提」の 変化と商品の交代との関係を述べたものではないが,消えたランドマーク商品ともいう べき事例を挙げてみよう10

1931

年の国産オールトーキー映画の登場により,多くの活動弁士が失業し,それを 背景として登場した紙芝居は,第2次大戦後に多くの復員兵が従事し,子どもたちの娯 楽生活の主役としての位置を確実なものとした。1947年には東京で2,

000

人の紙芝居師,

見物の子供1日のべ50万人という数字を記録し,最盛期の1949年には東京で3,

000

人,

全国で5万人の紙芝居師が活躍するまでに「娯楽の定番」として定着した。しかし,

1953

年にテレビ放送(当初「電気紙芝居」と蔑称された)が開始されると,急激に主 役の座を滑り落ち,1993年には東京で3人の紙芝居師にまで減少し,テレビ視聴が娯 楽の主役(「生活の前提」)となった。

杉本京太が,1914年に試作機を完成させ,1915年に特許を取得し,1916年に発売さ れた邦文タイプライターは,当時の花形であった職業婦人タイピストを生み出すなど文 書作成の新たな前提となったが,1978年の東芝日本語ワープロ「JW-10」の発売を機 に,主役の座を譲ることになり,いまやワープロが「文書作成の前提」となるに至った。

大正年間に秋葉原で,オートバイのサイドカーからヒントを得て作られたリヤカー

(rearcar)は,1944年には東京都で自転車とリヤカーの共同作業所が800カ所もあるほ

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ど簡易運搬用として広く利用され,1955年頃には生産台数はピークとなり,運搬用付 属品の前提となったが,小型トラック「ミゼット」の登場で衰退を迎え,1996年には 関東周辺に生産者数軒のみの存在となった。ただ阪神大震災で電気・ガソリンなどエネ ルギー不要の利点が注目され,限定的ではあるが復活の兆しは見られるもの「運搬の前 提」からはほど遠い存在となった。

長らく洗濯の前提として存在した洗濯板については,1907年創業の福岡県筑後市に ある下川倉吉木工所では,1965年頃には1日1,

000

枚以上を生産し,周辺には6軒の同 業者が存在したが,電気洗濯機の登場により,生産は1996年には1日100枚程度にまで 激減し,同業者もいなくなった。いうまでもなく「洗濯の前提」は,電気洗濯機に取っ て代わられた。

1875

年に国産が開始され,かって兵庫県姫路の地場産業として有名であり,絹製品 とともに花形輸出品であったマッチは,長らく「点火の前提」の位置を占め続けたが,

1970

年代に自動点火装置が普及しはじめると生産量が激減し,いまや家庭から姿を消 すまでになった。

このほか一時期「生活の前提」となるランドマーク商品でありながら,他の商品に取っ て代わられ,ランドマーク商品としては消え去った事例(レコード,レコード針など)

は枚挙にいとまがない。これら商品は文字通り,社会変容のランドマークなるが故に,

次代には必ず他の商品によってその位置を取って代わられる。このようなランドマーク 商品交代の事例は,単に主役商品が変ったというだけでなく,商品と社会(人間)の相 互関係の中で「生活の前提」が変り,それに伴って,人びとのライフスタイルあるいは 価値観まで変り,新たな「生活の体系」が現出したというところに意味がある。

2.ランドマーク商品と欲望

私はかって,ランドマーク商品としてのインスタントラーメンを例に取り上げながら,

「商品を買うとは,手間と時間を買うことにほかならない11」と述べた。しかし,商品 購入の動機はそれほど単純な,即物的なものだけではないようだ。商品社会に住む人間 の奥に潜む欲望のあり方が商品購入の動機の基盤をなすといっていい。これは「生活の 前提」が変る理由とも関連し,商品が生まれ続ける要因とも関連している。それに関し て比較的よく知られている業績・論評を紹介しておこう。

まず欲望と商品の関係については,「消費者にとって,商品は,あこがれを凝縮した 社会科学 84

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もの,いま現在の願望を最終的なかたちで表現したものだといえる。そして,そのよう に表現された形態は,願望そのものであるように思えてくる。変化をもとめる気持ち,

きっともっとすてきなものがあるにちがいないという気持ちいまあるものとはちがうもっ とすごいものをもとめたいという気持ちが,あたらしいものを買ったり,ヘアスタイル をあたらしくしたり,ペンキをあたらしくぬったりするということにつながるのだ。商 品は,たんなるものではなく,わたしたちの欲望の限界を示すとともに,その表現の場 にもなっている12」という。これに対し,「剰余価値が発生するのは生産の現場だとし ても,それが実現するのは販売されてのことである。商品は売れなければ,剰余価値も 実現できない。商品の先には,消費者の欲望がある。マルクスは,消費者の欲望という ものにまったくふれていないわけではないものの,やはりこのことに何の重要性をも与 えていない。(近代経済学と)マルクスとの決定的な違いは,近経が欲望や「効用」を 分析のかなめに据えた点にあるが,その近経においても欲望や「効用」自体は,あらか じめ無限に膨らんでいるもので,「与件」とされてしまうのである。それが,どのよう に形成されるのかということは分析の対象にはならない。マルクスによっても近代経済 学によってもほとんど無視された要因,つまり消費者の欲望,あるいはもう少し一般的 にいって人間の欲望という点から資本主義をとらえてみたいと思う13」。これは経済学 的な観点から社会科学の対象として,商品と人間の欲望の関係解明が重要であることを 示唆したものである。

社会と欲望14との関係を見ると,まず人間の欲望の中身であるが,「人間は,他人と 同一化したいという欲望と,他人と差異化したいという欲望に引き裂かれた存在である。

(中略)社会とはこうした差異の群れが織りなす網の目状の空間にほかならない15」と いう。また消費動機16については,消費への圧力(商品購入のモチベーション)は,

象徴的選別や差別化/差異化された商品の獲得によって自己(像)を構成(自己実現)

しようとする欲求から生起するといい,自己実現のための商品購入が強調される。また 商品化が高度に進展した社会については,高度市場社会・高度消費社会とよび,生に関 わる一切の現象が商品化され,消費される社会で,欲求の商品形態による享受が日常生 活のあらゆる局面にまで浸透している社会と定義する。また商品集中社会については,

思考・習慣・感情などでさえも商品の形態を取り消費されてしまう社会であるとし,生 活手段のみでなく,万物が商品化した社会が想定され,そこでは欲望の達成と社会的矛 盾については,近代人は一方で自ら不足感,つまり欲望を作り出しながら,他方でその 欲望を満たすために絶えざる商品開発を推し進めなければならない。このように生存に

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不可欠な財の不足(絶対的欠乏)から逃れた豊かな社会=高度市場社会においては,人々 は永遠に拡大し続ける選択の中へ取り込まれ,「豊かさ」という観念が喚起させる相対 的欠乏の中での生存を余儀なくされるし,このため消費社会の構造とは,自己実現への 飽くなき欲求を生み出し続ける一方,その充足に関しては絶対的な解答を用意しないこ とを指摘し,消費社会が喚起し続ける〔自己実現〕という「欲望」,イデオロギーがそ の構成を強固にし続け,人間の自己実現という欲望がある限り,消費が喚起され続ける のだという。その一方で,欲望は商品によって喚起される。豊かでなければならない,

健康でなければならない,美しくなければならない,ゆとりを持たねばならないなどの 本来性は,その商品を所有したときから,その不在が意識される,と本来性の不在を強 調する。また「欲望の対象は,それを手に入れたとたんに,人はそれが「本当の」欲望 の対象ではないことに気づかされるだろう。(中略)モノに向けられた欲望は決して充 足されることはない。それは永遠に彷徨う欲望として次々にモノを消費してゆく。(中 略)消費者は買いたいものを買うのではなく,必要なものを買うのでもない。欠落した 自我の穴を埋めるために買うのであるが,しかし,それは決して成功することはない。

いわば無意味なものを買い続けることになる。買われたモノの内容や効用ではなく,買 うことそのことが最も重要なのだ。買い続けることによって,主体は,発見されるかも しれない自我の可能性を繰り延べにするのであり,この可能性へ向けられた投企だけが 重要なのである17」といい,人間の欲望充足の対象としての商品の限りない出現を指摘 している。商品購買行動の精神的背景については,「消費主義が消費主義たるゆえんは,

私達の意識のなかでこのような消費が人間の自我のよってたつ唯一の支えとして機能し はじめていることにある。私達は,この日常の浪費を異常なものと感じながらも,一方 では人並みにそれを行わないことに不安をもちはじめた。やがて,その不安を忘れさせ てくれるものがまた,従来にもまして浪費をかさね,消費生活の快感に酔うこと以外に 存在していないことを知らされる。ついにそれがもはや快感かどうかさえわからなくなっ てしまっても,私達の生活から浪費を追い出すことはすでにある種の深刻で重大な自己 喪失,精神の根拠地の崩壊を意味するようにさえなった。(中略)かくして,二十世紀 後半の「消費」はすでに現代社会の倫理(エートス)の問題と化している。(中略)私 達は幸福観を,他人にくらべてより幸福か,きのうにくらべてより幸福か,という比較 級によって表現し判断する以外のみちを知らない。(中略)相対の幸福はより大きな比 較級をもとめて慢性の飢餓のように休むことを知らなくなる。(中略)欲望は,だから 今日においても単に物質的なのではなく,すぐれて精神的な問題としてあるのだ18」と

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いい,刹那的で止めどない消費,消費・浪費に伴う精神的荒廃を指摘している。

現代社会においては,より大きな比較級の幸福をもとめて慢性の飢餓のように消費・

浪費を繰り返し,商品への一層の依存を通じて,精神のありようまで侵蝕されつつある。

この意味からも,これまでわれわれが主張してきたランドマーク商品のもつ破壊力に関 する指摘は十分説得性をもつものといえる。

また記号論の分野19から,消費と欲求について次のような指摘20がある。

消費することをやめることなく続けているのは,その商品が本来持っている物理的機 能よりも,象徴性を重要視しているからで,(高度に発達した消費社会での欲求とは:

石川注)生活手段への欲求という基本的な欲求ではなく,他者との差異を求める欲求を 指し,それは基本的な欲求が満たされ,消費の原動力が必要性に制約された欲求から,

必要性から解放された欲求へ移行した社会での事柄ともいえる。つまり衣食住に関する 欲求に関しては皆で共有可能であるが,一旦その欲求が満たされてしまうと,基本的欲 求も含め,人それぞれに異なる多様な欲求が生じ,そこでは商品本来の使用価値よりも 記号的価値の方へと比重を増すことにつながっていく。つまり,現代の消費社会におい ては,商品の科学的品質(客観的品質)よりも,価値,イメージ,地位,個性などを表 現する品質(主観的品質)を重要視するようになったという。しかし,生活は豊かになっ たものの完全に満たされたわけではなく,不満を解消するための矛先の一つとして商品 を購入したり,消費したりしている。いくら水を注いでも一杯にならない穴の空いたコッ プのような欲求が存在し,その不満の矛先が商品の全く新しい機能や役割の登場よりも,

象徴的な記号化された意味部分が変化しただけの商品へ向けられるのであるが,商品の 物理的機能においては,誰もが同様の認識をすることができるが,象徴的な機能に関し ては人それぞれに異なる受け取り方をすることも多々あるため,時として買い物依存症

(欲求がコントロールできない状態)など考慮すべき問題に少なからず影響を与えてお り,その依存の発端にあるのは,ある種の空虚感を埋めたいとする欲求から生じており,

人々の幸福感が自己の絶対的な生活水準と関係するのではなく,人々が接する隣人との 関係によって決定されるのであり,『人々と差をつけ名声を得たい』は,差異化を求め る一方,他者から認められたいという同調化も求めているのである。

ここでも人間の欲望としての同調化と差異化から,消費行動が説明されている。

要約すれば,人間には自己実現(差異化と同一化)という欲望があり,それが高度市 場社会・高度消費社会にあっては,商品を獲得,所有することで達成されることになる が,歴史・文化・時代などにより自己実現そのものが多様であり,本来こうあるべきで

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あるという「本来性」(価値観)が「不在」と同義語と認識されるほど実態のないもの となり,その結果さらなる商品の獲得に向かうという終わりなき循環のなかにあるとい うことになる。自己実現という幻影的欲望のため,人間は商品以外の実現対象は不在と 認識し続け,それによって商品の連続的生産と交代という循環が際限なく続くことにな る。したがって商品は人間の自己実現という欲望のある限り,生産消費され続けること になる。つまり,人間本来がもつ「同一化」と「差異化」という矛盾する欲望の充足の ため,絶え間なく商品を求めるが,その欲望は結局充足することがないために,商品は 生み出され続け,人間は消費し続けなければならない。「同一化」と「差異化」という 人間の欲望が充足されない限り,商品は出現し続け,「生活の前提」も変わり続ける。

「生活の前提」が変り,その集積としての新たな「生活の体系」が出現し続ける理由も ここにあるのではなかろうか。

現実の日本の欲望市場の変遷については,次のような指摘がある。

「戦後の欲望市場史を語るとき,昭和20年代を「食」と「衣」への欲望時期,昭和

30

年代を「家庭用耐久財」と「レジャー」への欲望時期,昭和40年代を「住」と「大 型耐久財」への欲望時期と区分されるのが一般的であった。(中略)問題は「食」とか

「住」ではなく,その「食」とか「住」の内容ではなかろうか。たとえば,昭和20年代 に大衆が求めていた「住」は雨露をしのぐ家であり,昭和30年代のそれは洋風化され た団地住宅であり,昭和40年代のそれは一戸建てのマイホームであり,といったぐあ いに,欲望の対象となっている「住」の質が異なるのである。そこで,戦後の欲望市場 の移り変わりを,私は次の三つに区分している。

第一欲望市場(昭和20年~34年) 最低限生きていくためのモノへの欲望時代 第二欲望市場(昭和35年~44年) 合理的な生活のためのモノへの欲望時代 第三欲望市場(昭和44年~ ) 人間性豊かな生活のためのモノへの欲望時代

(中略)第二欲望市場が労働時間の節減方法を消費者に提供したのに対し,第三欲望 市場は余暇時間の有効な活用方法を提供する点に特質があるのである21」。また欲望市 場のサイクルについて,「日本人の欲望は食 → 衣 → 住の順に変化してきた。(中略)

だが「住」の欲望が慢性的な欲求不満の状況におかれているということは,また「食」

と「衣」への新しい関心を私たちの間におこしつつあるようにも思える。つまり,食

→ 衣 → 住 → 食 → 衣みたいな サイクルの新しい段階が現在少しづつひらけつつあるの ではないか,ということなのだ22」という。

……

……

……

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おわりに 最終商品はあるのか

地球上で,自然に対し不自然に作用するのは人間だけで,その人間さえいなくなれば,

地球は元の地球に戻る。人間は低炭素社会への貢献などと言いながら,ガソリンの値上 げの時も車を手放さなかったし,あのオイルショックの時でさえ,自動車の利用停止と はならず,逆に省エネ自動車あるいは走行距離の節約に走った23ほど身勝手な存在で あった。われわれは,このように自然に対し不自然に作用した結果として,優秀なラン ドマーク商品に囲まれ,自然社会では考えられないほど衛生的で,快適な生活を享受し ている。しかし,一旦その魔力にとりつかれると,それなしでの生活ができなくなり,

それなしでの生活に戻れなくなり,それを避けて生きることができなくなる。ランドマー ク商品を不可欠,不可逆,不可避の「三不商品」とも呼ぶ所以である。そして究極的に は,その優秀さの故にそれを選択する自由さえ失ってしまい24,結果として強制なき束 縛の中に身を置くことになり,それへの全面的依存が「生活の前提」となる。ランドマー ク商品の受容による自立性の衰弱,思考停止状態での生活手段の調達など,これらは今 後も進展し続け,やがて日本社会衰弱の元凶となるにちがいない。人間と商品と社会の 関係を考えるとき,人間の「自己実現」という欲望を抑えるか,あるいは違った方向へ リードするかによって,消費と商品開発の循環を断ち切ることはできないのであろうか。

つまり,人間の自己実現という欲望を充足させる商品が出現すれば,それが最終商品と なり,それ以後「生活の前提」・「生活の体系」も変ることなく,人間の欲望は抑えられ,

身勝手さも抑えられるのではないだろうか。

歴史的に見て,どのような社会にも課題があり,それを克服する努力がなされてきた。

なぜ「生活の前提」が絶え間なく変化し,商品が連続して生み出されるのか。人間の欲 望は永遠に充足されないのか。この問いかけは,冒頭で見たように,「生活手段の全面 的商品化」が最も進んだ現代日本社会の深刻な課題に解答を与える得る契機となるもの ではなかろうか。日本だけでなく,現在危機的状況と言われる地球上の諸問題(飢餓・

大気汚染・温暖化)は人間を唯一の原因とするものであり,人間の絶えざる欲望の追求 の結果だと言い切れよう。確かに人間がいなくなれば元の地球へ戻りはするであろうが,

そうおいそれと人間がいなくなるわけにもいかない。

今後ランドマーク商品と人間の,特にその欲望のあり方とに関する研究が重要性を増 すに違いない。

ランドマーク商品と欲望 13

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1)ランドマーク商品の意味については,石川編〔2004〕,〔2006〕,〔2008〕を参照。特に森田 雅憲〔2006〕と鍛冶博之〔2004〕が詳しい。なおわれわれ同志社大学人文科学研究所第5 研究会のグループ以外で,ランドマーク商品という概念を援用して発表された業績として,

山本睦〔2007〕がある。この論文では,ランドマーク商品を「記念碑的工業製品」と理解 し,その概念を援用し,日英関係の2回にわたる転換点の内容を論じている。

2)宮本又郎〔2009〕巻頭。

3)3種の神器が出現した頃の日本では,アフルエンザ(JohnGraafほか〔2004〕)と同じ ように,Buyffiuenza(バイフルエンザ)とでも呼べるほど,国民すべてがまるで流行病 に罹ったかのように熱狂的にそれら商品を購入した。

4)成瀬龍夫〔1988〕138139頁。

5)石川編〔2008〕第1章に詳しい。

6)木山実〔2004〕。

7)下川耿史編〔1997〕286287頁。

8)小西浩太〔2006〕195頁。この様な考え方に対しては,「原則として,私は権威者に物をき いたり,あるいは助手をつかって資料をしらべてもらったりすることはいっさいしない。

権威者にきくということはたとえばマンジュウを作って食うことをせずに売っているマン ジュウを買うようなものであり,調べをひとにたのむということはマンジュウのアンコを ひとに食べられてしまうようなもので,物事に近づくということはよく行って近似値にま でしか近づけないにせよ,近づく作業を自分でやることによって,その作業の過程におい てその物の本質がわかる(あるいはわかような)感じがしてゆくものなのである」(司馬 遼太郎〔1976〕102頁)という考え方もあり,何事も自分自身(人間)が実際に作業に従 事する,その過程にこそ本質があり,それを実感することができるという作業前提もある。

9)上村雅洋〔2006〕8788頁。

10)以下の事例は,林義人〔1993〕に依った。

11)石川編〔2004〕9頁。

12)ジュディス・ウイリアムソン,半田結・松村美土・山本啓訳〔1993〕910頁。

13)佐伯啓思〔1993〕6667頁。

14)欲望については,マーケティング分野からの接近として,石井淳蔵,石原武政〔1996〕が 注目される。

15)石井洋二郎〔1993〕79頁。

16)以下,酒井隆之〔2001〕125147頁の大約。

17)佐伯啓思〔2000〕296298頁。

18)スチュアート・ユーウェン,エリザベス・ユーウェン,小沢瑞穂訳〔1988〕348351頁。

19)記号論とランドマーク商品の関係については,森田雅憲〔2006〕を参照。

20)竹内久美子〔2008〕7181頁の大約。

21)岩佐善哉〔1972〕35頁。

(14)

ランドマーク商品と欲望 15

22)石川弘義〔1969〕158頁。

23)井原哲夫〔1983〕103頁。

24)森田雅憲〔2006〕を参照。

参考文献

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参照

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