欲望の作動と杜会的世界の構成過程
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(2) 欲望の作動と社会的世界の構成過程. こうした間題意識の上に立って,本稿では,社. のものとして設定され,相互に相手を客体として. 会学の基礎理論の枠組において欲望の問題を考察. 行為する主体間の関係として考えられる。また,. していくことにしよう。. 価値,規範,制度,地位,役割といったものが,. やはり客観的に実在する所与の要素として設定さ. れ,社会は,それら所与の項どうしの関係として. 2.現代の社会理論と欲望の問題 ところで,社会学の基礎理論において欲望の問. とらえられる。. 題が取り上げられてこなかったのは,どのような. これに対し,構成過程を問題とする立場では,. 事情によるのであろうか。ここで,現代の社会理. 所与のものとして設定された諸要素,諸事象から. 出発するのではなく,それらのものが成立し,構. 論の主要な傾向についてふりかえってみよう。. 現代の社会理論は,意味というテーマに大きな. 成されるにいたる,間主観的な過程に視座が据え. 関心をはらっている。現代社会学において意味と. られる。この立場からすれば,主体,客体,価値,. いう主題設定をしたのは,シンボリック・インタ. 規範その他の諸要素は,所与の客観的実在として. ラクショニズム,現象学的社会学,エスノメソド. 前提されることなく,不断の構成過程においてと. ロジーといった諸理論である。そこでは,行為者. らえられるのである。社会的世界の構成過程を問. の相互主観的な意味解釈的活動と,その活動によ. 題にするという,存在論的な態度の変更は,この. って織りなされる社会的世界の構成という問題が. ように杜会学的思考の基本的な構えの変更を要求. 論じられてきた。同様の問題意識は,L・ヴィト. するものである。この点は,現代社会学理論の1. ゲンシュタインの言語ゲーム論に依拠して社会理. つの成果として,確認しておきたい。. 論を構想しようという試みにも見られる。意味解. さて,さきにあげた諸理論では,社会的世界の. 釈的活動による社会的世界の構成という問題意識. 構成過程の分析に関し,主要な考察対象として意. は,現代の社会理論における大きな潮流となって. 味解釈というテーマに焦点が置かれている。社会. いるのである。. 的世界が何らかの形態をもって存立するためには,. この理論的潮流に見出すことのできる1つの傾. 意味解釈という契機は不可欠のものであり,そこ. 向として,それが,社会学的認識の対象に関する. に焦点が置かれるのは当然ともいえる。しかしな. 存在論的な態度の変更を示しているということが. がら,社会的世界の構成過程は,単なる意味解釈. あげられる。従釆,社会学の研究対象となる世界. の過程ではない。ある意味的秩序が維持されてい. を,客観的な実在としてとらえ,所与の諾事象,. るとき,またそれが変容を被るようなとき,意味. 諸要素から成るものととらえる態度が広く見られ. 的秩序を維持したり変容させたりする力の関係の. た。これに対し,前述の諸理論に見出すことがで. 作用というものが考えられる。したがって,社会. きるのは,社会的諸事象,諸要素を所与のものと. 的世界の構成過程は,意味解釈的過程であると同. してとらえるのではなく,それらが,間主観的な. 時に力の関係の関与する過程なのである。. 過程において不断に構成されているということを. この力の関係に対する関心の欠如が,社会学理. 問題とし,その構成過程を社会学的な研究の対象. 論における欲望の問題への無関心の原因となって. とするという態度である。存在論的な態度の変更. いるように思われる。というのは,欲望とは,行. とは,このような研究対象に関する態度の転換の. 為者をある行為へと駆り立てる力だということが. ことである。. でき,また,ある力の作用が,それが位置づけら. 客観的実在の所与性を前提とする立場では,認. れる力の関係ないし力の場においてとらえられる. 識対象として所与の諸要素があらかじめ設定され,. べきものだとするならば,欲望とは,それ自体が. その諸要素問の関係を確定するという思考様式が. 力の関係を形成するものだといえるからである2〕。. とられる。たとえば行為は,それぞれ所与のもの. 本稿では,社会的世界の構成過程を問題にする. として設定された主体と客体の関係としてとらえ. という現代社会学畢論の姿勢を受け継ぎっっ,欲. られる。相互行為は,複数の主体がそれぞれ所与. 望の問題を,杜会的世界の構成過程に関与する力. 一116一.
(3) 早稲田大学人間科学研究. の関係として考えていきたい。欲望という力の関. 第9巻第1号1996年 るべきものとなる。. これに対し,ここで欲望として論じようとする. 係がいかに作動し,社会的世界を構成する力とし. てどのように作用するのか,その基本的な分析梓. ものの特徴は,まず第1に,自己完結的な主体に. 組の設定を試みるということが,これからの目的. 帰属するのではなく,他者の欲望との錯綜する連. となる。. 関のなかで形成され,作用するという,錯綜的な. 以下,つぎの第3節では欲求と価値という概念. 連関性のなかにあるということである。つぎに,. による動機づけ理論との相違から欲望論を特徴づ. 欲望は主体がより以上の生を営むこと,生を更新. け,4節で社会的世界の構成過程の分析のために. し続けることをうながし,せき立て,駆り立てる. 行為主体の構成の3つの契機について考え,その. 力であり,決して充足することなく意識の彼方か. 後の節で,それぞれの契機に対応する欲望と,そ. らわきあがってくるような力であるといえる。こ. の欲望をとおした社会的世界の構成について論じ,. のような意味で,欲望は主体の意識に対して過剰. 最後に3つの欲望の相互関係について論じたい。. な力であるということができる。欲望はまた,さ. 3.欲求一価値図式による動機づけ理論と欲望論. のなかにあって,常にそうした力の関係をとおし. まざまな方向に向かう力が錯綜するような関係性 て作用するものであ・り,したがって確定的に与え. の相違. 行為者を駆り立てる力というのは,動機づけの. られた価値に向かうようなものではなく,その方. 問題に他ならない。動機づけに関し社会学では,. 向性は不確定的,偶発的であるということができ. 欲求と価値という概念を用い,行為の内的な原動. る。. 力である欲求が,価値によって具体的な方向を与. このように,本稿で問題としたい欲望とは,帰. えられるとするとらえ方がある。この欲求一価値. 属性に対する錯綜性,欠如充足性に対する過剰性,. 図式による動機づけの理解は,行為を主体と客体. 確定性に対する不確定性を特徴とするものなので. との関係としてとらえる主体一客体図式を前提と. ある。欲求一価値図式による動機づけは,主体に. している。. よって欠如として意識され,確定された価値によ. さきに述べたように,本稿では,主体,客体を. って方向づけられた客体に向かうものであるのに. 所与とする立場から,主体と客体の双方がそのな. 対し,欲望は,主体にとって過剰で,不確定的で. かで構成されるような不断の構成過程を問題とす. 多様な諸力の渦巻く,錯綜的連関佳の場としてあ. る立場への存在論的な態度の変更を前提としてい るので,主体一客体図式に立脚する欲求一価値歯. るということができる。. 式は棄却されることになる。かわって「欲望」と. 者を行為へと駆り立てる力という欲望の定義を拡. いう用語を使うわけだが,欲求一価値図式による. 張しておこう。さきに述べた,主体と客体の双方. 動機づけの理解との対比によって,欲望という概. がそのなかで構成されるような不断の構成過程を. このように欲望を特徴づけておいた上で,行為. 問題にするという本稿での立場から,欲望は,行. 念を特徴づけてみることにしよう。. 欲求という概念は,欲求する主体があらかじめ. 為の主体と客体を事後的に形成する過程に関わっ. 自立的,自已完結的なものとしてあるということ. ているものとして理解される。行為の客体の構成. を連想させるものであり,その前提からすると,. は,その客体をあるものとして成り立たせるよう. 動機づけは主体に帰属するものとしてとらえられ. なコンテクストによる規定によって可能となると. ることになる。また欲求は,それが充足されるこ. 考えられるから,行為の客体の構成の問題は,よ. とによって主体の十全性が回復されるような,主. り一般的に行為のコンテクスト,すなわち行為の. 体の内部にうがたれた欠如であると表現すること. 地平の構成の問題として考えることができる。そ. ができるだろう。欲求一価値図式では,こうした. れゆえ,欲望は,行為主体と行為の地平の構成過. 欲求は価値が指し示す特定の客体へ方向づけられ. 程に関与する力であるといえるだろう。欲望は,. るわけで,動機づけの方向性は確定的に与えられ. 行為者を行為へと駆り立てる力であると同時に,. 一117一.
(4) 欲望の作動と社会的世界の構成過程. 行為主体と行為の地平を構成する力なのである。. 定を受けていると述べ,こうした言語体系による. 欲求一価値図式で動機づけを方向づけるものとし. 媒介性のことを「間接性」と呼んでいる。これに. て論じられる価値も,行為の地平に含まれるもの. 対し直接性は,言語的限定や分節以前の現実であ. だといえるから,欲望は価値をつくり出す力であ. り,主客未分,自他未分の「根源的自発性」とし. るということもできる。さらに,欲望は,諸々の. て特徴づけられている。直接性の世界とは,言語. 行為地平の複合的な総体としての社会的世界を構. 的な限定や分節による世界の体系化に先立つ,生. 成する力であるということもできるだろう。. 命的な運動性の世界であると理解しておこう。た. 欲望に関するこのような理解を前提として,つ. だし,「以前」,「未分」,「先立つ」というような表. ぎに欲望の具体的な作用を考えていくことにした. 現は,乳幼児から成人へという発達の過程の軸上. い。次節では,そのための手がかりとして,行為. での前後関係のことではなく,あらゆる経験にお. 主体の構成の契機について考えることにする。. いて,それを分析的にとらえるときに見出される 関係をいうものであることを確認しておきたい。. 4.行為主体の構成の3つの契機 欲望は,行為主体と社会的世界の構成過程に関. 態を前提として,「自已」の成り立ちについて以下. 与する力であると述べた。それが,具体的にどの. のように論じている。自己が他者あるいは非自己. ような力として作動するのかということについて. と区別されて成立するのは,自已と非自已との差. 考えるため,その前提として,構成の契機という. 異を規定する言語的な差異体系によって構成され. 木村は,直接性,間接性という経験の2つの様. 問題について考えてみよう。行為主体と社会的世. る間接性の場所においてである。たとえば,男に. 界の構成過程というものを分析してみるならば,. そこには互いに区別しうる,いくつかの契機があ. 対する女,親に対する子,学生に対する教師とい ったような諸々の差異の体系が,「〜としての私」. ることが分かる。その構成契機を種別化すること. という規定を与えて自己を成立させるわけである。. によって,それぞれに対応する異なった種類の欲 望を考えることが可能となるだろう。. しかし,間接性の場所で限定される自已は,わ れわれ自身が自分の中心部において生々しい実感. ここでは,杜会的世界の構成の問題については. として生きている「この私」とは異なると木村は. 直接扱わず,行為主体の構成契機について主題的. いう。「この私」という主体的自己を構成する能動. に考えてみる。というのは,社会的世界の構成の. 的な力の根源は,主客未分,自他未分の根源的自. 問題は,次節以降に欲望の具体的な作動の様態と. 発性という直接性に求められるが,この根源的自. の関連で論じるべきことであるし,また,世界の. 発性は,自他の区別以前に働いている働きであり,. 構成は主体の構成と相関的になされるものであり,. いまだ自已とはいえない。つまり,主体的自已が. 主体の構成契機が種別化されれば,それぞれに応. 成立するのは,直接性においてでも間接性におい. じた社会的世界の諸次元を設定することができる. てでもないということになる。. からである。. 木村は,主体的自已が成立するのは,直接性と. 行為主体の構成契機について考えるに際し,こ. 間接性のあいだであるといっている。主体的自已. こで参考にしたいのは,精神病理学の立場から「自. とは,無差別の直接性を差異体系における経験の. 己」の成り立ちについて論じている木村敏の議論. 間接性へと限定する限定作用ないし差異化作用そ. である。とくに木村の「直接性」,「間接性」とい. のものであるというのである回言語的な差異体系 は,「一としての私」という規定を与えるわけであ. う用語を用いた議論に注目し,取り上げることに しよう3〕。. るが,そのつどそのつどの経験において,自己が. 木村は,われわれの日常的な経験が,われわれ. 様々なあり方で〜として自已自身を限定する,そ. が生まれついた文化に特有の言語構造によって分 節されており,単純な知覚レベルにおいてさえ「な. の眼定作用,差異化作用そのものが主体的自己と. になにとして」経験するという形で言語による規. 作用,差異化作用という働きのことなのである。. いうことになる。つまり,主体的自已とは,限定. 一118一.
(5) 早稲田大学人間科学研究. 以上に見られるように,木村の自已論では,・直 接性に由来する「能動的な力」,間接性の場所にお. 第9巻第1号1996年 いえる。ここで運動性とは,生理作用の運動性,. 身体の運動性,知覚の運動性,情感の運動性,イ. いて〜として限定される自己,直接性から間接性. メージの運動性,思考の運動性など,あらゆるレ. への限定作用としてとらえられる「主体的自已」. ベルでの運動性を指すものだと理解しておこう。. という3つのものが自己の構成契機として論じら. 身体という語を広義にとらえるならば,これらの. れている。これを受けて,行為主体の3つの構成. ものは身体の運動性という表現に集約されるだろ. 契機をあげてみよう。木村のいう直接性は,生命. う。この運動性という契機に対応する欲望として,. 的な運動性と理解できるから,第1の構成契機と. どのような力が考えられるだろうか。運動佳が滞. して「運動性」があげられる。間接佳の場所で限. ったり阻害されたりする状態を避け,生き生きと. 定される自已は「〜としての私」として同定され. した自由な運動性へと向かわせるような力が考え. るものであるから,第2の構成契機として「アイ. られるのではないだろうか。つまり,主体をより 自由な運動性へと駆り立てる欲望である。 これを. デンティティ」があげられる。直接性から間接性. 「流動性を求める欲望」と呼ぷことにしたい。. への限定作用としてとらえられる主体的自已は,. そこにおいてはじめて世界が差異化され分節され. 流動性,すなわち自由な運動性には,2つの様. る作用,すなわち世界を創造する作用であり,ま. 相を区別することができる。1つは,滞りから自. た,それが他の誰でもない「この私」が担う作用. 由な運動性である。この様相での流動性を求める. であることから,これを「責任」としてとらえ,. 欲望には,いわゆる生理的欲求が含まれる。生理. 第3の構成契機として「責任」をあげることにす. 的欲求と呼ばれるものは,空腹にせよ渇きにせよ. る。. 疲労にせよ,身体の運動性が滞り,引き止められ. 行為主体の構成契機として,「運動性」,「アイデ. ンティティ」,「責任」という3つのものが得られ. る状態からの離脱へと駆り立てる力であるからで ある。. また,何らかの目的を果たすための単なる手段. た。3つの契機は,相互に緊密な関係にあり,そ. の相互関係のなかで行為主体の構成がなされるの. としての活動を,手段的活動と呼ぷとすれば,手. である。それでは,それぞれの構成契機にはどの. 段的活動を滞らせることなく,ということは,よ. ような力が関与しているのか,つまりどのような. けいな負担や抵抗をかけることなく楽に遂行する. 欲望が作動しているのか,この点の解明がつぎの. ように駆り立てる力も,この様相での流動性を求. 課題となる。以降の3つの節では,3つの構成琴. める欲望といえる。たとえば,単に移動すること. 機に対応する3種の欲望を設定し,その作動の様. を目的とした歩行という行動の際,わざわざ不自. 態と,社会的世界の構成過程への関与について試. 然な姿勢をとったり,よけいな力のかかる歩き方. 論を展開したい。なお,3つの構成契機が相互に. をしないというようなことである。. 緊密に関係するのだから,それぞれに対応する欲. あまりにも当たり前のことだが,ここで確認し. 望も,複雑に絡み合って作用するといえる。した. ておきたいのは,手段的活動には楽に遂行するた. がって,次節以降に論じられる3種の欲望は,欲. めの型があるということである。M・モースの身. 望の3つの成分として考えるのがよいだろう。以. 体技法論で述べられたように,それぞれの社会に. 下の3節では、複雑な絡み合いのなかにある3種. は社会的に伝承される特有の身体運動の様式があ. の欲望を別々に扱い,3者の相互関係については. るのである4〕。ここで,それぞれの身体に特有の運. その後で考えることにしたい。. 動性の様式を産出するものを「運動図式」と呼ん でおくことにしよう。ただし,運動図式は狭義の. 身体にのみ関わるものではなく,前述した運動性. 5.流動性を求める欲望 行為主体の構成契機の第1のものとして運動性. の全領域に関与するものとして把握しておきたい。. をあげた。行為主体は何らかの活動をする主体で. 手段的活動が楽に遂行されるためには,運動図. あるから,運動性という契機は必然的なものだと. 式による運動性のパターン化が必要である。同じ. 一119一.
(6) 欲望の作動と杜会的世界の構成過程. ことは,生理的欲求に関わる生理作用についても. るものである。同調によってパターン化された流. いえよう。生理作用の運動性が滞らないというこ. 動性を生み出すことへの欲望は,チクセントミハ. とは,生理作用のレベルに想定される運動図式に. イがマイクロフロー活動として述べている,鼻歌. 従って,一定の運動性のパターンが維持されるこ. を歌う,ぷらぷら歩く,何かの物をもてあそぷ,. となのである。. 冗談をいうというような,日常生活でほとんど自. 第1の様相での流動性を求める欲望,つまり身. 動的に営まれる活動において,すでに作動してい. 体の運動性が重々しく滞らないようにと駆り立て. る6〕。音楽を聞くとか,テレビを見る,娯楽のため. るカは,運動図式による運動性のパターン化をと. に本を読むなどの活動は,同調による流動性をよ. おして,常に身体により以上の活動可能性を確保. り意識的に求めるものといえる。. し,生産するようにと働く力である。こうして生. 第2のタイプは,その場その場の状況がつきつ. 産される活動可能僅の余剰に対しては,滞りから. ける課題に対して,運動図式を臨機応変に発動さ. の自由ではなく,積極的に自由な運動性へと駆り. せて,行為の過程を統御することによって経験さ. 立てる力が作用する。これが,第2の様相での流. れる流動性である。内発的な面白みを感じる仕事. 動性を求める欲望である。滞りから自由な運動性. に取り組むときや,操作能力を要求されるゲーム. が,さらに積極的に自由な運動性へと差し向けら. に熱中するときなとの場合である。. れるというふうに,流動性を求める欲望は,自由. 第3は,運動図式によるパターン化からあふれ. な運動性を求め続けて充足されることのない過剰. 出るような,規制されることのない無制隈な運動. な力なのである竈. 性の生成に触れるという経験である。たとえば,. 積極的な意味で自由な運動性というのは,内発. 創造的活動において,既存の図式を組み換えるよ. 的で自已目的的な活動において経験される流れる. うな思いがけない新たな図式の生成に立ち会うと. ような運動性である。M・チクセントミハイがい. き,あるいは前述の同調や統御の過程において,. うフローという概念は,こうした運動性をとらえ. 深く沈潜した果てに,根源的な運動性とでも呼べ. たものである。チクセントミハイによればフロー とは,「全人的に行為に没入している時に人が感ず. な運動性が閃光のように走ったりするとき,また,. るようなものが見出されたり,思いがけない新鮮. る包括的感覚」のことであり,フローの状態では,. トランス状態に入ったり薬物を用いたりして日常. 行為は,行為者の意識的な仲介の必要がないかの. 的な運動図式が動揺した果てに,いわば深層の運. ように内的な論理に従って次々に進行し,瞬間か. 動性が解き放たれるときなどの場合である。. ら瞬問への統一的な流れとして経験されるとい. 以上,流動性を求める欲望を2つの様相でとら. う5〕。運動性の流れにのり,流れと一体化する経験. えてきたが,どちらの場合でも,運動図式が重要. といってよいだろう。. な働きをしていることが確認された。運動図式は,. このような様相で経験される流動性を,運動図. 流動性を求める欲望を具体化し,各身体あるいは. 式との関わりから3つのタイプに分けて考えてみ. 各文化に固有の運動性のパターンを産出し続ける. よう。3つのタイプを名づけておくならば,同調,. のである。最後に,この運動図式と社会的過程と. の関連について,そしてそのことをとおして,流. 統御,生成である。. 第1のタイプは,経験される運動性と運動図式 を同調させることによって生まれる流動性である。. 動性を求める欲望が社会的過程においていかに作 動するのかについて述べたい。 身体に運動図式が形成されてくるのは,その身. たとえば好みの音楽を聞くときに,聞こえてくる. 昔の運動が,好みの昔の運動パターンを規定する. 体を取り巻く様々な運動性との相互的な連関性,. 運動図式と同調して,相互循環的な運動性の流れ. すなわち共鳴や共振という作用によるものと考え. をつくるというような場合である。経験される運. られる。ここで身体を取り巻く運動性として決定. 動性と運動図式との同調は,多方向に分散しがち. 的に重要なのは,他の身体の運動性であろう。た. な経験に,一定のパターンを持った流動性を与え. とえば,言葉を話す際の発音やイントネーション. 一120丁.
(7) 早稲田大学人間科学研究. 第9巻第1号1996年. 上の特徴は,その人のまわりにいて,ともに会話. 他者によって自己の存在と意義が認められること. する人たちの話し方の影響を受けて形成されるも. を求める欲望である。. 「〜としての私」という規定は,他者からの承. のである。つまり,発音・イントネーションに関. わる運動図式は,身体間での発語の運動性の共. 認によって獲得されるが,さらに,事物や他者や. 鳴・共振作用をとおして形成されるのである。こ. 状況を〜としてとらえる規定の仕方も,そのよう. のように運動図式の形成は,間身体的な運動性の 共鳴・共振という社会的過程においてなされると. に規定する者としての私は正しいのだと承認され ることによって成立する。このように考えると,. いえるのである。さらに,身体の延長としての種々. 承認を求める欲望は,社会的世界に意味的な規定. のメディアが果たす役割も大きいといえるだろう。. を与え,象徴的体系を構成する力だといえる。主. 道具,建築物,鉄道,自動車,文字,印刷物,写. 体のアイデンティティの成立と社会的世界におけ. 真,電子メディア等々のメディアは,身体と接続. る象徴体系の成立は,相即的な出来事なのである。. することによって身体の運動性を拡張させる。メ. それゆえ承認を求める欲望は,社会的世界の構成. ディアとの接続によって身体の運動性が拡張され. において,その象徴的次元を構成する力だという. ることは,同時に,メディアによって身体の運動. ことができる。この点をまず,確認しておこう。. さて,アイデンティティに関わる限りでの主体. 図式の変容が引き起こされることであるととらえ ることができるだろう。. このように流動性を求める欲望は,諸身体問お. の存在様態を指すものとして,自我という語を用 いることにしよう。ところで,「自我が自身の承認. して,相互に組み合ったり組み換わったりすると. を求める他者として,現実ρ具体的な他者とは次 元の異なる,内面化されだ袖者について考える必. よび身体一メディア間で多種多様な運動性が錯綜. いう不確定的な過程のなかにあるのである。流動. 要がある百G・H・ミードやC・H・クーリーが. 性を求める欲望は,社会的過程におけるこうした. 論じたことでもあるが,自我が自身に向ける視線. 側面をとおして,種々のレベルでの運動性の様式. は,他者の観点の内面化によるものである。自我. を構成していく。社会的世界を運動性の諸様式の. の存立,および自我の活動を方向づける作用は,. 複合体というアスペクトにおいてとらえたものを,. 内面化された他者の視線に基づくものであり,こ. 社会的世界のマテリアルな次元と呼ぷならば,流. こではこの内面化された他者を想像的他者と呼ぷ. 動性を求める欲望は,社会的世界のマテリアルな. ことにする。自我の活動は想像的他者の視線によ. 次元を構成するものだといえるだろう。こうした. ってコントロールされるが,この過程には,想像. 問題領域は,社会学ではメディア論において論及. 的他者の承認を得ようとする欲望が作用している. されてきたが,本稿はそれを,欲望論の体系のも. といえる。. この内面化された他者を「想像的」と呼ぷのは,. とに基礎理論の枠組に位置づけようと試みるもの である。. 自我と他者の関係が想像作用を媒介としているか. 6.承認を求める欲望. 面化することしかできず,普遍的な価値や規範そ. らである。われわれは,他者の観点を想像的に内 のものを内面化するわけではない。内面化される. (1)自我と想像的他者. 行為主体の構成契機の第2のものは,アイデン ティティである。アイデンティティは,白已を 「〜としての私」ととらえることに関わる。この. のは,あくまでも,様々な社会的位置にあるそれ ぞれの個人によって,これが一般的なものだろう. と想像される他者の観点でしかない。さらに,想. アイデンティティが形成され,維持されるには,. 像的他者は,現にあると想像される社会通念的な. 自已が他者によって何者かとして承認されること. 他者の観点のみならず,自我にとってのありうべ. が必要である。そこで,アイデンティティという. き理想的な他者の観点や,無意識のうちに形成さ. 契機に対応する欲望として,「承認を求める欲望」. れる他者の観点も含むものと考えたい。したがっ. を考えることができる。承認を一求める欲望とは,. て,それぞれの自我の存立を支えている想像的他. 一121一.
(8) 欲望の作動と杜会的世界の構成過程. 者の間には,ずれ,偏差,断層,矛盾が常に生じ. になかったり,自我に違和感を与えたりして,視. ることになる。また,想像的他者の承認を求める. 線をとりかわすことが避けられるような他者であ. 自我は,特定の意味世界,価値観にとらわれ,そ. る。前者を,視線を交差させて向かい合うという. れこそが疑いなく正しいのだという信念に陥りが. 意味で対向的他者,後者を異他的他者と呼ぷこと. ちである。このことは,あるべき自我のイメージ. にしよう。. ヘの執着ともいえる。. 異他的他者は,自我にとって承認の要求が通用. 他者の観点の内面化は,他者が何を求めている. しそうにない他者であり,自我のコミットしてい. のかという,他者の欲望の内面化といってもよい。. る承認追求の枠組を根本的に否定するような脅威. 想像的他者の承認を求める欲望は,現実に出会わ. を与える。それゆえ異他的他者は忌避または排除. れる具体的な他者たちの欲望との相互作用におい. されることになる。これに対し対向的他者は,自. て形成され,不断に生成され続けるのである。そ. 我と相互承認関係を持ちうる他者であり,その視. れゆえ想像的他者は,内面化された他者といって. 線は,承認追求を根本的に脅かすものではない。. も主体に帰属するものと考えるべきではなく,そ. だが自我にとっては,その承認の成否が賭けられ. れ自体,問主観的な力動的構成体というべきであ. る他者であるから,常に,承認されないのではな. り,欲望の錯綜的連関性のなかにあって,常に生. いかという脅威が生じることになる。自我と対向. 成=解体の遇程にある不確定的な構成体なのであ. 的他者との関係には,その背後に,承認が得られ. る。また,想像的他者が自我の存立を可能にして. ないことへの脅威を認めることができるのである。. いるのだから,ここで自我と呼んでいるものも,. (3〕自我と対向的他者との関係. 自存的な実体などではなく,やはり欲望の錯綜的. それでは,具体的に自我と対向的他者との関係. 連関性のなかで不断に構成されるものだといえる。. のあり方を考えてみよう。. このように,想像的他者および自我の構成は,. 自我と現実に出会われる他者との欲望が錯綜する. まず,対向的他者が自我の承認の検証者となる ような関係が考えられる。想像的他者の承認を求. 相互作用においてなされる。しかし,この相互作. める自我の活動は,現実に相互作用をする対向的. 用は,単に想像的他者および自我を構成する過程. 他者によって検証され,そこにおいて承認の確証. であるのではなく,逆に,想像的他者の承認を求. を与えられる。自我は,対向的他者の視線を前に. める欲望によって押し進められる過程でもある。. して,軽蔑されたり,口朝笑されたり,あるいは異. そこで,自我と現実に出会われる他者との相互作. 様な存在として困惑的な態度をとられたり(これ. 用において,承認を求める欲望がどのように作動. は,異他的他者と見なされることである)するこ. するのか,そして,その作動が自我と社会的世界. とのないように,拍已証明をしなければならない. の構成にどのように関与するのかについて考えて. のである。. みよう。. ところで,この自已証明は,どうやって成し遂. (2)対向的他者と異他的他者. げられるのであろうか。自已証明は,「〜としての. 想像的他者の視線は,自我自身に向かうのみな. 私」というアイデンティティの規定が達成される. らず,現実に出会われる他者にも投げかけられる。. ように自已を呈示することである。したがって,. 自我にとって現実に出会われる他者は,想像的他. 自己証明が果たされるためには,〜としてという. 者の視線の投影によってとらえられる限りでの他. 規定を可能にする,当該社会において受け入れら. 者である。こうした投影によってとらえられる他. れている象徴的体系を媒介とすることが必要であ. 者の現れ方として,2つのものが考えられる。1. る。対向的他者に承認を確証してもらうためには,. つは,自我に対し視線を投げ返し,その投げ返さ. 自已のふるまいを理解可能なものとして,その場. れる視線が自我の承認を左右する力を持つと感じ. の規範に則したものとして,肯定的なイメージを. られる他者であり,もう1つは,自我にとって異. 与えるものとして構成しなければならない。理解. 様なふるまいをしたり,自我の常識が通用しそう. 可能性やイメージの了解,その場の規範の成立を. 一122一.
(9) 早稲田大学人問科学研究. 保証するものが,象徴的体系である。自我は,対. 第9巻第1号1996年 おして構成されるわけである。. 向的他者の承認を得るために,象徴的体系を受け. 対向的他者が自我にとっての検証者となる関係. 入れなければならない。象徴的体系を受け入れる. と,自我と対向的他者との権力関係について述べ. ことによって,対向的他者の視線の脅威からの保. た。自我と対向的他者とのまた別の関係として,. 護物が得られるのである。. 対向的他者が自我にとって欲望のモデルでありか. 象徴的体系を受け入れるということは,想像的. つライバルとなるような関係がある。対向的他者. 他者が象徴的体系に従って構成されるということ. がある対象を切望していたり,すでに何かうらや. であり,想像的他者に制御される自我が構成され. むべき対象を所有しているという事態は,自我に. ることでもある。またこうした過程は,象徴的体. その対象を獲得することが承認のあかしになるの. 系が自明なものとして存立することによって,社. だということを示す働きをする。このように対向. 会的世界が象徴的世界として構成される過程でも. 的他者は,自我の欲望のモデルとなる。と同時に,. ある。. こうした対向的他者は,自我と同一の対象を求め. だが,これだけのことならば,これまでもサン. るライバルとなり,自我は,対向的他者による軽. クションをとおした社会化として論じられてきた. 蔑のまなざしを受けておとしめられるのではない. ことであって,ことさらに欲望という概念を持ち. かと不安にかられたり,対向的他者に対する嫉妬. 出す意味が感じられないかもしれない。ここで重. をいだいたりすることとなる。これは,R・ジラ. 要なのは,こうした過程が,人を権力の行使へと. ールカ寸莫倣欲望として論じたことである7〕。. 駆り立てる力の働く過程でもあるということなの. ところで,切望される対象は,ありふれたもの. 自我は対向的他者に対し自己を承認させようと. や下等なものとの差異において意味を持つ。この ように考えるならば,モデル=ライバル関係は,. ふるまうが,対向的他者の方も自我に対しその承. 単に同一の対象に向かうだけのものではなく,価. 認を求めてくる。ここに戦略的な相互作用が展開. 値的空間を差異化する運動に関わっているものだ. である。. するが,行為者が他者に対し自己の承認を求めて. といえるだろう8〕。. 行使する力は,他者に対して自分の行為の通用可. (4〕絶対的承認という幻想の追求. 能性を求めて行使する力であり,これは権力に他. 孝認を求める白我は,望み通りの承認をほしい. ならない。承認を求める欲望は,権力行使へと駆. ま幸に得られるわけではもちろんない。承認を獲. つ立てる力なのである。われわれは,承認を求め. 得すべく努力しても,それが達成されるかどうか. る欲望に衝き動かされる限り,対向的他者に対し,. は不確実であり,常に挫折の危険性が待ちかまえ. 自分がコミットしている(ということは当然他者. ているのである。また自我が向かい合っている対 向的他者は,いつ自我に対し軽蔑のまなざしを向. の承認を得ると信じている)象徴的体系,つまり. は意味の枠組・規範・価値観の受容を求め,ある. けるともしれず,自我にとって潜在的には常に脅. いは押しつけようとして,権力を行使するのであ. 威である。こうした状況のなかで,承認は達成さ. る。. れるとしても決して全面的,絶対的なものではな. さきに,それぞれの自我の存立を支えている想. く,部分的,相対的なものにとどまることになろ. 像的他者の問には,ずれ,偏差,断層,矛盾が常. .う。ところが,前に特徴づけたように欲望は過剰. に生しることになると述べたが,このずれや矛盾. が衝突するときに,権力関係は闘争的なものにな. であって,自我をより完全な承認へと駆り立てる .方として作用するのである。ここに絶対的な承認. る。相互承認関係の媒介をなす象徴的体系は,予. という幻想への憧慣が生まれることになる。社会. 定調和的に共有されているものではなく,不可避. 過程には,このような絶対的承認の追求という力. 的に権力関係に関わり,闘争を招くものなのであ. が発現する場面を認めることができる。ここでは,. る。象徴的体系は,承認を求める欲望が絡み合っ. 絶対的承認の追求がなされる様式を3つあげるこ. て,何が通用可能なのかが争われる権力関係をと. とにしよう。. 一123一.
(10) 欲望の作動と社会的世界の構成過程. 承認の不確実性をこえて絶対的承認を追求しよ うとする力の1つの現れ方は,世俗的世界を超越. 作用によって,それまでは忌避されていただけの 異他的他者が攻撃の対象になったり,対向的他者. した絶対的な存在を聖なるものとしてあがめ,帰. の一貝のなかから,ささいな徴候でもって異他的. 依するというものである。この場合,聖なるもの. 他者が創出され,攻撃されるということが起きる。. による絶対的承認を求めて,犠牲的な蹟いあるい. 人種間の対立や民族紛争,そして,いじめの問題. は献身的な努力がなされる。伝統的社会では,察. などは,こうしたことが一因となっているのでは. 儀の時空において聖なるものへのコミットメント. ないだろうか。. が周期的に表出される。世俗化が進んだ近代社会. 以上,承認を求める欲望を社会的世界の象徴的. でも,絶対的承認を追求する欲望は聖なるものに. 次元を構碑する力として位置づけ,その作動の様. 引き寄せられる。しかし近代社会では,宗教的な. 態の諸相について述べてきた。意味や規範という. ものだけでなく,ある種の政治的イデオロギーが. 象徴的なものの構成の問題は,現代社会学理論が. 聖なるものとなる場合があるといえよう。. 中心的なテーマとして論じてきたことである。本. 絶対的承認を追求する力の第2の様式は,日常. 節での議論は,象徴的次元の構成を単なる意味解. 的規範の侵犯である。承認の獲得を求める自我は. 釈の過程としてではなく,承認を求める欲望とい. 日常の生活において,対向的他者の視線を前に,. う力の関与する過程として記述し,意味解釈の過. 規範を守りそこから逸脱することのないように自. 程に交差する種々の力関係のダイナミズムを考察. 分を統制するという努力を常に強いられている。. するものであった。この点が,これまでの理論と. 承認は,規範を守る努力と引き換えに与えられる. の相違といえよう。. わけである。そうした規範を破ることは,恐ろし いことであるが,また魅惑的なことでもある。と. 7.善性を求める欲望. いうのは,もし,自我がそのような規範を破るこ. さきに,行為主体の構成契機の第3のものとし. とさえも承認してくれるような他者があるとすれ. て,責任をあげておいた。そこでは,木村敏の議. ば,自我は絶対的承認の幻想に浸ることができる. 論から行為主体の構成契機を導出したが,実は,. からである。日常的規範の侵犯は,絶対的承認の. 第3の構成契機を責任としてとらえることは,も. 幻想を夢見ることのできる行為である。社会過程. ともとの木村の議論の問題設定とは,ややずれる. には,日常的規範の侵犯が一定の許容可能な形式. ものである回そこで,責任についての理解を深め. のもとになされる非日常的時空が存在する。伝統. るため,本節では哲学者のE・レヴィナスの議論. 的社会では,前述の聖なるものへのコミットメン. を参照することにしよう。. トを前提として,祝祭的時空において,乱痴気騒. 木村は,自已の成り立ちについて3つの次元を. ぎや役割の逆転がなされたり,悪口雑言や卑狸な. 区別しているが,これと似たような議論をレヴィ. 言葉が発せられるなどといった形で規範の侵犯が. ナスにも認めることができる。木村は,直接性と. なされる。近代社会では,日常的規範の侵犯によ. 間接性のあいだに主体的自已を位置づけた。レヴ. る絶対的承認の幻想の追求は,恋愛関係やセクシ. ィナスは,第1の主著である『全体性と無限』の. ュアルな関係というエロス的領域において個人間. 第2部「内面性と家政」で,表象を構成すること. の関係で追求されるというのが常態であるように. のない感性的世界を「享受」の対象となる世界と して論じ,その世界を「質料」として特徴づけて. 思われる。. 絶対的承認を追求しようという力が,異他的他. いる。これは,木村のいう直接性に近いものであ. 者への攻撃に向かうのが第3の様式である。対向. り,本稿でのマテリアルな次元に相当する。さら. 的他者との関係における承認は,通常は不確実で. にレヴィナスは,質料的な世界から表象によって. ある。しかし異他的他者への攻撃を集団的に行う. 構成される世界(これは木村の問接性,本稿での. ことによって,自我は対向的他者たちとの一体感. 象徴的次元に相当する)への転換について語るが,. に浸ることができる。こうした方向に向かう力の. この転換は実は,他者に対する責任が問われる,. 一124一.
(11) 早稲田大学人間科学研究. 第9巻第1号1996年. 他者との倫理的関係を前提にするものだというこ. あいも含め,行為は,不可避的に他性=無限性へ. とが強調されている。すなわちレヴィナスは,質. の応答であり,それゆえ他性=無限性を前にして. 料的世界から表象的世界への転換に,責任が問題. の責任は,いかなる行為においてもいつもすでに. となる他者との倫理的関係が介在するというので. 担われてしまっているという意味で,いわば「原. ある9〕。同様の関係は,第2の主著である『存在す. 事実」と表現しうるものなのである。こうした責. るとは別の仕方であるいは存在することの彼方 へ』にも述べられている。そこでは,言語体系に 位置づけられる自同的な存在者をもたらす「語ら. 任を担うのは,「〜としての私」ではなく「この私」. れたこと」が構成する存在の世界に,「語ること」. という語で表すことにしよう。. である。責任という契機に関わる「この私」とい うあり方を,「自我」という語と区別して「自己」. という他者との倫理的関係が先行し,さらにそれ. このように理解された責任という契機に対して. に享受の世界が先行するということが論じられて. は,どのような欲望を考えることができるだろう. いるのである10)。. か。責任は,そうと気づかないうちに,いつのま. それでは,レヴィナスのいう「責任」とはどの. にか担ってしまっている原事実であるが,これを. ようなものなのか。レヴィナスの主張を追いっっ,. 自覚的に引き受けるように促す力というものを考. それを本稿での考察に引きつけて考えてみよう。. えることができる。これは,他者の他性,および. まず,「他者」に関するレヴィナスの主張を見てお. 行為の他にありうる可能性に絶えず配慮し,より. く必要がある。前節では,自我にとって現実に出. 善きことを希求するという態度へと向かわせる欲. 会われる他者は,自我の内なる他者である想像的. 望である。レヴィナスも,他者との倫理的関係を. 他者の視線の投影によってとらえられる限りでの. 希求することを「欲望」(d6sir)と呼んでおり,ま. 他者であると述べた。レヴィナスのいう他者は,. た,自已が他者との倫理的関係を不可避的に担っ. このように自我によって何者かとして把握される. ていることを「善性」(bont6)と呼んでいる竈こ. ような他者ではなく,自我によるいかなる規定を. の「善性」という語を借用して,責任という契機. も無隈に逃れゆく無限性としてある他者である。. に対応する欲望を,「善性を求める欲望」と呼ぷこ. レヴィナスは,他者の他性を,自我による把握を. とにしよう。善性を求める欲望の具体的な現れと. こえ何者としても規定しえないような無隈性であ. しては,自已の成長を求めること,自己の行いに. ると考える。すると他者との関係のなかにある行. 配慮すること,他者のあるがままを認めて他者を. 為者は,他性=無限性にさらされていて,それに. 愛すること等々のことが考えられる。. 対して何らかの態度を取ることを迫られているこ. 他性=無隈性を前にしての責任は,あらゆる行. とになる。行為者は,実際にはそのつどそのつど. 為においていつも不可避的に担われてしまうとい. 他者を何者かとして規定し,把握するのであるが,. う原事実であり,さらに,まさに無隈性との関係. そうした他者規定は常に,他者の他性=無限性を. であるゆえに,決して完了せず果てることがない。. 何らかの形で限定することである。無限性として. したがって,責任の自覚的引き受けを促す善性を. ある他者に対しいかに応答するのかというこの点. 求める欲望は,終着点を示すことのない過剰な力. において,他者に対する責任が生じることになる. であり,なすべきことをあらかじめ規定すること. のである。. のない不確定的な力であるといえる。またこの欲. レヴィナスは,他性=無限性を他の人間の彼方. 望は,他者がその人自身の責任を引き受ける態度. においてのみ現れるものだと考えているが,ここ. との日常性のなかでの触れ合し・(愛情豊かな人や. では,他性=無限性について別の意味あいも付け. 尊敬しうる人との出会い・交流)や,他者による. 加えておきたい。それは,そのつどそのつどの行. 倫理的思考(書物などの形での)を糧として養わ. 為が,無限に他のようにありうる可能性からの選. れるといえるだろう。したがって,善性を求める. 択であり,この意味でも行為者は他性=無限性に. 欲望も,他者の欲望との錯綜的連関性という場に. さらされているということである。こうした意味. ある力だということができる。. 一125一.
(12) 欲望の作動と杜会的世界の構成過程. 責任という構成契機に関わるこのような力につ. る諸々の運動図式を形成することによって,社会. いて,意味解釈的活動をとおしての社会的世界の. 的世界のマテリアルな次元を構成するが,承認を. 構成に照準するこれまでの社会学理論は,ほとん. 求める欲望は,この運動図式を体系化,構造化す. ど注意をはらってこなかった。しかしながら,意. ることによって,意味の規定を可能にする象徴的. 味解釈的活動による意味規定のあらゆる過程にお. 秩序を編成する。つまり,マテリアルな次元を素. いて,いかなる意味規定を選択するのかという点. 材として象徴的次元を構成するのである。たとえ. において,責任という契機は不可避的に介在する. ば,発声,表情,動作,身振リなどは,それ自体. のであり,ここに社会的世界の第3の次元として,. として見れば身体の運動でありマテリアルな運動. 倫理的次元を見出すことができるのである。. 性であるけれども,それが体系化,構造化される. ここで善性を求める欲望と名づけた力は,確か. ことによって意味の表現が可能となる。また,単. に言語的に記述することが非常に困難なものであ. 語の連鎖や文の連鎖も,連鎖という運動として見. り,理論的把握の視野から見のがされやすいもの. る限り,マテリアルな運動性に違いないが,それ. だといえるけれども,だからといって社会の構成. が一定の体系性のもとに配列されることによって,. を考えるにあたって決して無視しうるものではな. 有意味な言語が可能となる。ここで,何が有意味. い。というのは,この欲望が社会的関係の倫理的. であるかを決定するのは,お互いに承認を求め合. な質の形成に関わるものだからである。この欲望. う自我と他者との相互承認関係なのである。. がきわめて脆弱であるような力関係の場が形成す. このように,承認を求める欲望によってマテリ. る社会的関係は,責任への顧慮がないままにエゴ. アルな次元が象徴的な次元へと編成されるわけで. イスティックな力が横行し,猜疑心に満ち,暴力. あるが,マテリアルな次元の運動性が完全に体系. 的関係や不公正がはびこるものとなるだろう。反. 性の内に閉じ込められるということはない。流動. 対に,善性を求める欲望が活性化されているよう. 性を求める欲望は,体系性からの規定を受けなが. な力関係の場が成立しているときには,人間相互. らも,体系性を逸脱しすりぬける運動性を生産し. 間での無償の助け合いの行為であるとか,あらゆ. 続けるのである。たとえば,高度に体系的なもの. る意味での善きことへ向けての前向きでポジティ. だといえる言語は,慣習化,制度化されることに よって自由な運動性を制限することになるけれど. ブな姿勢が常にわきあがってくるような社会的関 係が形成されることになるだろう。このようにし. も,その言語によって,一義的なものにおさまら. て善性を求める欲望は,責任の自覚性の強度が 様々に異なるような力関係の場を構成することに. ない豊かなイメージの運動性を創出することがで. よって,社会的世界の倫理的次元を構成するので. り,規約性から解放された自由な運動性を回復す. ある。. ることができるのである。. きるし,冗談やしゃれによって意味体系をゆさぷ. こうした流動性の無制隈な追求は,相互承認に. 8.欲望の3成分間の相互連関. もとづく秩序の安定性を撹乱するものであり,承. これまで,3種類の欲望の作動の様態について. 認追求の枠組を危うくする力となる。それゆえ,. 述べてきた。前述のように,これら3種の欲望は,. 承認追求の枠組の安定性のために,流動性の追求. 現実の社会的過程において複雑に絡み合って作用. は規制されることになる。たとえば,遊びや美的. する。だから,3種の欲望は,欲望の3つの成分. 経験において流動性に浸りうる場が,劇場や遊戯. としてとらえるべきものなのである。それでは,. 場や個室に囲い込まれるというようにしてである。. 欲望の3成分問の相互連関として,どのようなこ. また,流動性を求める欲望が,承認追求の枠組 の変更を求める力となる場合がある。たとえば,. とが考えられるのだろうか。. まず,流動性を求める欲望と承認を求める欲望. 過酷な労働条件の改善を求める労働運動には,よ. との関係としては,以下のことが指摘できる。流. り自由な運動性を求める欲望から,そのための条. 動性を求める欲望は,運動性のパターンを規定す. 件の承認を求める欲望への連鎖を認めることがで. 一126一.
(13) 早稲田大学人間科学研究. 第9巻第!号1996年. きる。さらに,流動性を求める欲望が,承認追求 象徴的次元. の社会的枠組の変更を求める方向に向かうのでな く,逆にそこから逃避してナルシスティックな形. で承認を追求するような欲望と結びつく場合があ る。アルコール依存などの嗜癖行動がその典型と いえるだろう。. マテリアルな次元. 以上に述べたことを図で表すとするなら,図1. 図1. マテリアルな次元と象徴的次元の構成過程. のようになる。図1は,マテリアルな次元と象徴 的次元の構成過程を示すものである。図中のマテ. める欲望の関与する倫理的次元を形づくる。とこ. リアルな次元と象徴的次元という表示の横にある. ろが,承認を求める欲望は,不可避的に介在する. 右向きの矢印は,それぞれの次元の構成過程の時. 責任という原事実を隠し忘却させる力として作用. 問的な流れを表すものである。右向き矢印が示す. するのである。というのは,責任は他性=無限性. マテリアルな次元の構成過程は流動性を求める欲. に対しての責任であるのだが,承認を求める欲望. 望によって,象徴的次元の構成過程は承認を求め. は,内なる他者である想像的他者の(つまり自我. る欲望によって押し進められる過程である。この. の)視線によって規定される限りでの他者や世界. 2つの右向きの矢印の問を波うつように進む線は,. に関わるものであリ,その視線が,他性=無限性. マテりアルな次元と象徴的次元の構成過程が相互. を視界の外に押しやってしまうからである。他. に関係しつつ進行する,同時並行的な過程である. 性=無限性を前にしての責任は,想像的他者の視. ことを示している。そして,この波線が上の右向. 線によって限定された「〜としての私」の役割期. き矢印,すなわち象徴的次元の構成過程に接して. 待を果たす責任に置き換えられてしまうのである。. いく部分は,マテリアルな次元からの象徴的次元. このように,承認を求める欲望は,責任を忘却. への作用を表している。先述のマテリアルな次元. させ善性を求める欲望の発現を押しとどめる力と. が象徴的次元の素材となるということと,流動性. して作用する。こうした力の関係が支配するとき,. を求める欲望が承認追求の枠組の変更を求める力. エゴイスティックな承認追求に固執するエゴイズ. となる場合は,この部分に相当する。波線が下の. ム同士の闘争が展開することになるだろう。善性. 右向き矢印,すなわちマテリアルな次元の構成過. を求める欲望は,承認を求める欲望のこうした力. 程に接していく部分は,反対に,象徴的次元から のマテリアルな次元への作用を表す。自我と柚者. に対抗して,責任を自覚的に引き受けるよう促す 力として作用し,エゴイズムヘの固執をときほぐ. との相互承認関係をとおして,運動性が体系化,. すのである。. 構造化されるということ(つまり,運動性が体系. 善性を求める欲望が,流動性を求める欲望と同. 性による規定を受けること),承認追求の枠組の安. じように,承認追求の枠組の変更を求める力とな. 定性のために流動性の追求が規制されるというこ. るという場合についても考えることができる。た. と,そしてナルシスティックに承認を求める欲望. とえば,善性を求める欲望の力が,暴力的関係や. が嗜癖行動を引き起こすということは,この部分. 不公正のないような,より善き相互承認関係を求. に相当する。. める力を引き起こすというようなことである。た. さてつぎに,承認を求める欲望と善性を求める. だし,より善きものを求める力がその承認を求め. 欲望との連関については,以下のことが指摘でき. る力を引き起こすとき,再び承認追求への固執を. る。承認を求める欲望によるマテリアルな次元か. 生み出し,それが新たなる責任の忘却を結果する. らの象徴的次元の構成の過程には,そのつどその. 場合があることに注意すべきであろう。より善き. つどの行為で他性=無限性を前にしていかなる意. ものと信じられた状態の承認を求めることは,そ. 味規定を選択するのかという点において,責任と. の状態にとっての他性=無限性への配慮を見失わ. いう契機が不可避的に介在し,これが,善性を求. せることにつながる場合があるのである。. 一127一.
(14) 欲望の作動と杜会的世界の構成過程. 流動性を求める欲望と善性を求める欲望との連 鼓的次元垂的次元. 関については,以下のことが指摘できる。流動性. 象徴的次元. を求める欲望が関与する運動性の経験は,承認を. 求める欲望によって象徴的秩序として体系化され. 倫理的次元. る以前のマテリアルな次元の経験であり,したが って,承認を求める欲望が責任を忘却させるとい う前述の作用以前の経験だといえる。こうした関. マテリアルな次元 アルな次兀. 係から,流動性という,象徴的秩序のフィルター 図2. をかけられる以前の現実の経験をとおして,そこ. 社会的世界の構成過程. に発するところの責任という原事実への覚醒がも. たらされることがある。美的経験への沈潜が,倫 理的なものの自覚につながるような場合である。. 9.おわりに. これとは反対に,流動性への没入が,自己の他性=. 本稿では,欲望を社会的世界の構成過程に関与. 無限性への責任という事態を排除してしまうこと. する力の関係としてとらえ,欲望という力の関係. もある。流動性の快楽に身をまかせ,責任の引き. がいかに作動し,社会的世界を構成する力として. 受けという面倒な問題を放棄するということであ. どのように作用するのかという点について,基本. る。. 的な分析枠組の設定を試みた。本稿で達成された. 欲望の3成分問の相互連関には,以上のような ことが考えられる。ここに示したような相互連関. ことを,これまでの社会学理論との対比でまとめ るとするなら,つぎのことがいえるだろう。. 現代の社会学理論は,社会的世界の構成過程を. を形成しつつ,欲望の3成分は複雑な力関係の絡 み合いをともなって作動し,そのことをとおして. 意味解釈の過程として論じてきた。これは,本稿. 社会的世界を構成していくのである。. でいう社会的世界の象徴的次元に照準するもので. 最後に,社会的世界の構成過程の全体を図2と. あるといえよう。本稿では,社会的世界について. して示してみよう。図2のなかのマテリアルな次. 象徴的次元の他にマテリアルな次元と倫理的次元. 元と象徴的次元という表示の横の右向き矢印は,. を設定した。この点が1つの新しい着想であると. 図1と同じく,流動性を求める欲望と承認を求め. いえよう。そして,それぞれの次元を欲望という. る欲望によって押し進められるそれぞれの次元の. 力の関係をとおして構成されるものとしてとらえ. 構成過程の時間的な流れを表すものである。図1. た竈このことによって,従来の理論において見落. の波線は図2では省略しているが,図1と図2は. とされがちな種々のダイナミックな諸関係,諸過. 重ね合わせてとらえることができるものである。. 程に目を向けることができたと思う。. 本稿での議論は,きわめて荒削りなものであり,. 図2のなかの,マテリアルな次元の構成過程を示 す矢印から象徴的次元の構成過程を示す矢印へと. また舌足らずなところが多々あることを自覚して. 上に向かう矢印は,マテリアルな次元からの象徴. いる。しかしながら,筆者の現在までの到達点と. 的次元の構成において,他性=無限性に応答する. して提示しておきたい。今後は,より精密な議論. そのつどそのつどの行為での責任を表している。. を展開しうるように努力していく所存である。. この,そのつどそのつどの責任が,図2に示され. 註. ているように社会的世界の倫理的次元を形づくる。. そして,倫理的次元には善性を求める欲望が関与. 1)社会学で欲望という語を用いるときに,ボー. するのである。以上に言及した図中の部分は,大 きな矢印の内1こ含まれ,これらが一体的な過程で. あることが示されている。この大きな矢印が,社. ドリヤールの他によく引き合いに出されるの. は,R・ジラールの模倣欲望論である。しか し,それも特定の社会現象の説明のために援. 用するという場合が多く,ここでも欲望の概. 会的世界の構成過程の全体を示すものである。. 一128一.
(15) 早稲田大学人問科学研究. 念を基礎理論に位置づけて論じることは,や り残されているように思われる。ジラールの. 第9巻第1号1996年 ジ。. 5)M・チクセントミハイ,今村浩明訳『楽しみ の社会学』思索社,1979年,66ぺ一ジ。. 模倣欲望論については,R・ジラール,古田 幸男訳『欲望の現象学』法政大学出版局,1971. 6)マイクロフロー活動については,同上書, 213−239ぺ一ジを参照。. 年,およびR・ジラール,古田幸男訳『暴力 と聖なるもの』法政大学出版局,1982年を参. 照。 2)力の関係についての理論化を展開している論. 7)註1)にあげた文献を参照。ジラールは,承 認を求める欲望というとらえ方をせず,欲望 は模倣的だといっているが,ジラールの模倣 欲望を承認を求める欲望に読みかえることは. 者としては,A・ギデンズとP・ブルデュー. 可能だと思われる。. をあげることができるが,彼らの関心は権力. の問題に向かっていて,力の関係としての欲. 8)消費社会論において論じられる社会的地位の. 差異化への欲望を,ここに位置づけることが. 望という問題設定はなされていない。. できるだろう。. 3)木村の自已論については,木村敏『直接性の. 病理』弘文堂,1986年,1−35ぺ一ジ,およ. 9)E・レヴィナス,含田正人訳『全体性と無限』 国文社,1989年,156−280ぺ一ジ。. び木村敏『分裂病と他者』弘文堂,1990年,. 231−261ぺ一ジを参照した。 4)M・モース,有地亨・山口俊夫訳『社会学と. 10)E・レヴィナス,合田正人訳『存在するとは. 人類学II』弘文堂,1976年,121−156ぺ一. 一129一. 別の仕方であるいは存在することの彼方へ』 朝日出版社,1990年。.
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