ランドマーク商品の断続性 : 人力車の場合
著者 石川 健次郎
雑誌名 同志社商学
巻 61
号 6
ページ 134‑142
発行年 2010‑03‑15
権利 同志社大学商学会
ドウシシャ ダイガク ショウガッカイ
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007430
ランドマーク商品の断続性
──人力車の場合──
石 川 健 次 郎
はじめに−ランドマーク商品の断続性−
Ⅰ 人力車の誕生と消滅
Ⅱ 人力車の評価
おわりに−「生活の前提」と商品の断続−
はじめに−ランドマーク商品の断続性−
ランドマーク商
1
品は永久的にランドマーク商品であり続けることはなく,必ずいつか は消え,新しいランドマーク商品に取って代わられる。たとえばわれわれの子供の頃に は,家庭内の黒電話に憧れ,公衆電話の便利さに驚き,その存在自体が驚異と憧憬の的 であった。しかし今やそれがケータイに取って代わられ,家庭から固定電話が消えつつ あり,公衆電話の設置場所を探すのに苦労するほどになったし,それに付随して気軽な 贈り物としてもてはやされたテレホンカードの発行枚数も激減している。逆に今をとき めく自動車やケータイのパワーが未来永劫続くとはとうてい思われない。いつの日かき っとそれらに変わるランドマーク商品が登場することは,これまでの歴史から見てほぼ 間違いなく予測できる。照明器具を例に考えても,蝋燭→あんどん→ガス灯→ランプ→
電球→蛍光灯というように,時代の変遷とともに主役が交代してき
2
た。その意味では,
個々のランドマーク商品はある時代を作ったともいえるし,逆にある時代のあだ花ある いは浮き草だともいえる。なぜランドマーク商品が永遠にランドマーク商品として存在 し続けられないのかについては,様々な考えがあろうが,人間の欲望が常に変転し,際 限のないためというようにも理
3
解できるし,また人間が当該時点の「生活の前
4
提」に飽 きたらず,常に新しい「生活の前提」(より快適な生活)を求め続けることに根ざすと も考えられる。つまり人間の欲望が変転を続け,新しい「生活の前提」を求め続ける限 り,それを実現する有力なグッズがランドマーク商品として現れ,そして消滅し,再び
────────────
1 ランドマーク商品の意味については,石川(2004)(2006)(2008)を参照。
2 ランプから電球への変化の実態および含意については,小説ではあるが,新美(1942→1993復刻)『お ぢいさんのランプ』ほるぷ社が,参考になる。
3 石川(2009)「ランドマーク商品と欲望」参照。
4 「生活の前提」については,石川(2008)3−9ページ参照。
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現れるというランドマーク商品の断続が繰り返されるのではないだろうか。人類の歴史 は,ある時あるものに最良の便利グッズとして飛びつき,取り入れながら,一方でそれ までの便利グッズを惜しげもなく捨て去り,再び振り返ろうともしないスタイルで一貫 してきたといえよう。その中で無数のランドマーク商品が生まれては,消え去るという 断続が繰り返されてきた。このようなランドマーク商品の断続性のなかに,歴史学の研 究対象としてのランドマーク商品の意味があると考えられる。つまり個体としてのラン ドマーク商品は常に変転を繰り返すが,どのような時代・社会にもランドマーク商品そ のものは存在し続けるという二重性のなかにランドマーク商品研究の命題があるといえ る。この論文では,このようなランドマーク商品の断続性の存在を確かめる事例とし て,人力車を取り上げ,その含意について考えてみよう。
Ⅰ 人力車の誕生と消滅
1.事例としての人力車
事例として,なぜ人力車を選んだのかについては,ランドマーク商品の断続性という 問題を考える場合,この人力車が格好のケースであると考えたからである。つまり人力 車は,後で見るように,明治初期に誕生して以来,それ以前の近距離間移動のサービス 商品として有力であった駕籠(駕籠そのものがランドマーク商品ではなく,それを利用 して人を移動させるというサービスが商品。これは人力車もタクシーも同じ)を駆
5
逐し て,明治中期・大正期・昭和初年ころまで市民の移動手段として隆盛を極め,文字通り ランドマーク商品として存在したが,大正期にタクシーが出現するにいたって,徐々に その地位を失い,タクシーに取って代わられ,すでに昭和
10
年代後半にはごく限られ た分野(花柳界・観光地)でしか存在を許されなくなり,社会の表舞台からは消え去る ことになった。この意味で人力車は,駕籠→人力車→タクシーというドア・ツー・ドア の移動を可能にするサービス商品のなかで,中間に位置する,あるいは過渡的なランド マーク商品ということができる。「ランドマーク商品の断続性」という問題を考えるた めの事例として適当と判断した根拠である。人力車については,齊藤俊彦氏の詳細な業 績があるので,それによって概略を紹介するが,今回はテーマに関する部分だけを取り 上げることにする。2.ランドマーク商品としての人力車
人力車の最盛期は,明治
29
年(1896)で,全国保有台数21
万台,199人に1
台とい────────────
5 内藤(2002)「その時【明治5年(1872)】には,もう人力車がどこにもあったから,・・・」260ペー ジ。
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う普及状
6
況であり,当時の人々の近距離移動にとって,不可欠の,不可避の,不可逆の 商品,つまりランドマーク商品になっていたといえる。ただし,人力車は明治中期から 大正の関東大震災の頃までは,庶民大衆のぜいたくな乗り物として使われ
7
たという指摘 もあり,すべての市民にとって常時使用するというものではなかったのかもしれない。
3.人力車以前
もともと日本社会においては,車の利用は,「日本史の謎」といわれるほど少なく,
牛車・輦車(手車)などもあったが,天皇・皇族や上流貴族専用のものであっ
8
たとい う。庶民にとって,明治維新までの道路交通の姿は,もっぱら徒歩が中心であり,馬や 駕籠に乗るということは例外であった。車による人の輸送は幕末まで行われなかったと しても別に言い過ぎではあるま
9
いといわれ,人力車以前の社会では,移動は徒歩が主体 で,まれに駕籠や馬に乗って移動したというのが実情であった。当時人々の移動に関す る「生活の前提」はあくまで徒歩であったと考えられる。
4.人力車の誕生
人力車は日本人が発明した,日本発の商
10
品である。ただフランスにも
2
輪車で人が引 く「ビネグレット」があるが,それにつながるものではあるま11
い,という。人力車の発 明については諸説あるが,最も有力な説としては明治
2
年(1869)に人力車を考案し,翌
3
年に東京府に製造・営業を出願,許可を得た和泉要助,鈴木徳次郎,高山幸助の3
人であり,舶来の乗用馬車をヒントとしたものであろ12
う,という。
5.人力車の普及と駕籠の衰退
第
1
図で明らかなように,人力車の導入期の台数の伸びは実に驚異的で,明治11
年(1878)までは,毎年
1
万台を超える勢いで増加し続け,日清戦争が終わった翌年の明 治29
年には21
万台にまで達した。当時の人口からすると199
人に1
台の普及率であ る。それ以降は下降カーブを描き,昭和14
年(1939)には統計からも姿を消してしま────────────
6 齊藤(1979)324−325ページ。ランドマーク商品としての人力車の普及には,人力車それ自体の機能面 での優位性もさることながら,その背景として「明治10年代後半以後の鉄道建設に伴う輸送体制の再 編成」(廣岡(1989)20ページ)という事情も考慮されねばならない。
7 加太(1974)26ページ。
8 齊藤(1992)5ページ。
9 齊藤(1997)28ページ。同(1992)12ページ。
10 齊藤(1979)219ページ。日本発の人力車は中国・東南アジア地域に輸出され,ピーク時の明治43年 には14197台も輸出された。齊藤(1979)223ページ。刀禰館(1929)『商品盛衰記』152ページ。
11 齊藤(1992)22ページ。同(1979)22−23ページ。
12 石井(1926)309−326ページには,人力車の発明,和泉要助の経歴, 営業官許,車夫の風俗などについ て詳しい記述がある。齊藤(1992)24ページ。
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う。特に大正期から急激に下降している点が注目される。一方,人力車以前の駕籠につ いては,明治
4
年5
月の「新聞雑誌」第1
号によると,東京市中の諸職人のなかで,最 も繁盛しているのは「洋服屋」と「駕籠屋」だと書いており,昨年までは駕籠かきたち も人力車を小馬鹿にしていたが,大変な競争相手だと気づいて嫌がらせを始めた時には もう遅く,運賃が安く,スピードも速い人力車には対抗できず,1万(挺)ほどあった 駕籠も3
分の1
に減ってしまっ14
た,という。
6.人力車の衰退・ライバルの登場
産業革命期の「ラダイト運15
動」と同じような悲劇が人力車にも起こった。まず明治
15
年(1882)に新橋−日本橋間に東京馬車鉄道が仮営業を開始した際,その影響で沿線の 客が拾えなくなった車夫や乗合馬車営業者らのイライラ度は相当なもので,線路に石や 鉄棒をおく運行妨害事件もたびたび起き,時には,手に手に樫棒などを振り回し,数十 人入り乱れての大乱闘もあり,こまごました摩擦は絶えることなく続い16
た,という。ま
────────────
13 齊藤(1992)36ページ。ただし,矢木(1978)149ページには,(昭和10年代には)10年前の数の3 分の1になったが,人力車も実用的な意味で盛んに営業していた,という指摘もある。
14 齊藤(1997)46ページ。湯本(2005)164ページ。また宮本(1970)では「駕籠は因循視され,やが て轎夫も車夫に職業がへをし・・・」(407ページ)と指摘されている。
15 穂積(1956)参照。
16 齊藤(1979)274−277ページ。同(1997)132ページ。
第1図 人力車全国保有台数の推移
出所:齊藤(1992)36ページ。
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た明治
25
年(1892)には,水戸市に馬車鉄道を敷設する計画が県に出願され,諮問を 受けた水戸市会は敷設可能の答申を出したところ,これに反発した人力車営業者や車夫 たち80
余名は,営業基盤が破壊されるとして大規模な抗議運動を繰り返し,結局出願 取り下げとなっ17
た,という。さらに明治
31
年(1898)には,川崎−川崎大師間電気鉄 道敷設工事が着工されるや,同地の人力車営業者小川松五郎父子輩下の車夫集団「だる ま組」は,猛烈な反対運動を起こし,暗殺や袋だたきの噂まで広まり,結局始発駅を川 崎付近から六郷橋に変更することで解決し18
た,という。明治
32
年(1899)の横浜電気 鉄道敷設計画の際も,もし電車が敷設されると4000
余名の車夫はたちまち生活に窮す るとして市会の内外で議員めがけてたばこ盆を投げる,乱暴をするなどの反対行為に及 んだが,たまたま大火が起こり,車夫側にも多くの罹災者が出て,結局運動も挫折し,2
年間の工事延期と暴行禁止を条件に終息し19
た,という。車夫の抵抗運動として,最大 のものは明治
36
年(1903)6月の大阪巡航船事件であろう。人力車の黄金時代と目す べき明治36
年3
月大阪巡航船合資会社が開業した。この年は大阪で第5
回勧業博覧会 が開催され,会期中の人の動きは素晴らしく,人力車にとっては正に書き入れ時であっ た。こうした時に速力の点からも,賃金の点からも,人力車より優越している巡航船が 動き始めたのであるから,車夫の呪いはそれだけ一層激しかった。3500〜3600人の車 夫が集合し,営業車夫信用組合の設立を可決したが,この会合とは別に数百名の車夫が 積極的に巡航船の営業を妨害するの挙にいで,巡航船めがけて河岸からさかんに投石 し,木柵を引き抜いて巡航船を乱打し,石油を流し込んで燃焼せしめたりしたが,もと もと巡航船の利用範囲が川筋という極めて限定された部分に限られており,巡航船その ものは十分な発展を遂げず敗退してしまっ20
た,という。大正元年(1918)には,福島市 飯坂町の車夫がお得意様を自動車に乗り換えられたことを恨み,自動車のタイヤを小刀 で切り裂き,約
70
円の損害を与えたため,警察に逮捕されたという新聞記事が紹介さ れ,この頃には明治中頃の荒々しい反抗のエネルギーはもう消え失せており,このよう な話は福島だけでなく,日本各地にも見られたことであろ21
う,という。
7.タクシーの登場
大正元年(1912)東京有楽町に「タクシー自働車株式会社」が開業した。これはロン ドン市内のタクシー営業を範とするものであり,当初
6
台でスタートしたが,大正12
年には570
台を抱える世界有数のタクシー会社に成長し,タクシー営業が大衆の乗り物────────────
17 齊藤(1997)133ページ。同(1979)277−278ページ。
18 齊藤(1979)278−279ページ。同(1997)133〜134ページ。
19 齊藤(1997)134ページ。同(1979)279−280ページ。
20 宮本(1970)420−421ページ。
21 齊藤(1997)201−202ページ。
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として発展するにつれて,都会地の人力車営業に与えた影響は非常に大きかっ
22
た。特に 大阪では,円タクと呼ばれるタクシー(大阪市内を
1
円で走行する)が出現するに及ん で,人力車の衰退は決定的なものとなった。つまり,(タクシーは)「戸口から戸口へ」という類似性と代用性を有し,その速度において,その運送量において,また快適さに おいて,人力車の到底追随し得ざる優越性をもっているが,円タクの登場により,賃金 上からも人力車は自滅せざるを得ざる破目に陥っ
23
た,のである。人力車はそれまで鉄 道,馬車,路面電車あるいは巡航船などをライバルとして,様々な闘いを挑んだが,そ のサービスの機能上もっと類似した競争者はタクシーであったといえる。人力車とタク シーの機能の類似性については,①パーソナル輸送(個別輸送)②ドア・ツー・ドア③
────────────
22 齊藤(1992)237−238ページ。
23 宮本(1970)422−423ページ。市電との関係については,「人力車は市電の混雑を厭うもの,最終目的 地迄徒歩を欲せざるもの,土地不案内の者などによりてなお大いなる需要を持続し行くことが出来た」
と指摘されている。なお他方「片道3銭の市電ができると,1区8銭以上の人力車は人気が落ち,だん だん衰勢にむかった」(紀田順一郎(1992)118ページ)という指摘もある。なお大阪における人力車 の運賃については宮本(1970)414〜417に詳しい。また,バスの成長が人力車を駆逐したという指摘 もある(廣岡(1989)176ページ)。
第2図 営業用乗用自動車の増加状況(東京市)
出所:齊藤(1992)239ページ。
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即時移動④距離運賃制と割増運賃(夜間・雨雪・深夜・泥
24
濘)などが指摘されている。
大正期から昭和初期にかけての東京市における営業用自動車の増加状況については,第
2
図を参照されたい。8.人力車営業者(車宿)・車夫の転身
ただ人力車の関係者の中には,新たな主25
役となったタクシー業界に転身を試みたもの もあったという。つまり,大手の挽子雇入営業者(車宿)や駅の構内人力車営業組合が ハイ・タク営業へ転身したり,人力車夫や乗合馬車の馭者や馬丁が失業に追い込まれ,
自動車の運転技術を身につけたいと願い,運転手に転身したものもあっ
26
た。
Ⅱ 人力車の評価
齊藤俊彦は,緻密な研究成果をもとに,人力車の歴史的役割について以下のように評 価している。人力車は車両交通に対する国民的習熟と次代への基盤を与えた。つまり,
車,スピードの経験のなかった日本人に乗車と時速
8〜10
キロ内外(人力車),10〜12 キロ(乗合馬車)のスピードを経験させ,人力車や乗合馬車の利用の方法,危険防止方27
法などのルールを学び,車を取り入れた生活を築き上げてきた。この助走期間によって かもしだされた車両交通に対する習熟は,次の自動車時代を受け入れる社会基盤を用意 し,移行をすこぶる滑らかなものにしたと思われ
28
る,と評価した
おわりに−「生活の前提」と商品の断続−
ランドマーク商品の観点から,人力車を評価してみよう。人力車は,それまでの「移 動は歩くのだ」という「生活の前提」を「移動に乗り物を利用してもよいのだ」あるい は「移動には乗り物を利用するのだ」という「生活の前提」に変換したという意味でラ ンドマーク商品といえる。つまり,人力車の登場と普及によって,それの利用を前提と した移動スタイルが定着し,一般化した。それは「生活の前提」としての人力車の存在 を示すものでもある。またいったん利用した人々の移動にとって不可欠の,不可避の,
不可逆の商品となったということからも,人力車はランドマーク商品といえる。その後
────────────
24 齊藤(1992)247−248ページ。
25 森永(2008)361ページ。
26 齊藤(1979)306−307ページ。同(1992)244ページ。
27 明治35年の人力車による事故体験としては,千葉(2007)247−249ページが興味深い。
28 齊藤(1992)251−252ページ。また人力車は封建的,伝統主義的,非合理主義的に経営されたため,科 学的合理主義的方針の下に経営された市電・自動車に敗れたが,駕籠の時代より自動車の時代に及ぶ迄 に人力車が演じた役割は高く評価されるべきであろう(宮本(1970)424ページ)という評価もある。
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登場したタクシーは,その人力車の前提をより効率的・経済的(速い,安い,快適な)
に進展させた点で,新たなランドマーク商品として評価される。それは人力車以前の駕 籠に対して,人力車が果たした役割と類似していた。ただ駕籠の場合,その利用はあく まで例外的利用にとどまったようで,そのような駕籠とは違い,人力車からタクシーへ の交代の背景には,より速い,より広域な,より安価なそしてより快適な移動を望む,
あるいはそれを「生活の前提」とする近代日本人特有のライフスタイルの転換があった のではなかろうか。つまり,人力車は明治に生まれ,近距離移動の花形となったが,大 正・昭和と世が移るにつれ,タクシーという新たな,強力なライバルの出現により,消 滅しなければならなかった。人力車は江戸人の「生活の前提」を明治人の「生活の前 提」に変えることに成功したが,大正・昭和人の新しい「生活の前提」に応えるもので はなかったといえる。人力車からタクシーへの主役交代の背景には,明治の「生活の前 提」に飽き足らない,新しい大正・昭和の「生活の前提」の生成があり,この新しい
「生活の前提」の生成には,大正期日本人のライフスタイルあるいは欲望つまり近代工 業化社会特有の社会的・経済的要請(合理性・効率性・迅速性などの追求)が大きな影 響を与えたものと思われる。
このように人力車という商品は断絶してしまったが,その機能はタクシーというサー ビス商品に取って代わられ,継続した。この意味で人力車は,個々のランドマーク商品 は必ず断絶するが,ランドマーク商品そのものは継続するというランドマーク商品の二 重性すなわち断続性を証明していると考えてよい。
主要参考文献
石井研堂(1926)『明治事物起源』(春陽堂)(紀田順一郎編(2004)『事物起源選集』所収,クレス出版)
石川健次郎編著(2004)『ランドマーク商品の研究』(同文舘)
石川健次郎編著(2006)『ランドマーク商品の研究 ②』(同文舘)
石川健次郎編著(2008)『ランドマーク商品の研究 ③』(同文舘)
石川健次郎(2009)「ランドマーク商品と欲望」(『社会科学』第84巻)
加太こうじ(1974)『交通日本史』(新人物往来社)
紀田順一郎(1992)『近代事物起源事典』(東京堂)
齊藤俊彦(1979)『人力車』(産業技術センター)
齊藤俊彦(1992)『轍の文化史−人力車から自動車への道−』(ダイヤモンド社)
齊藤俊彦(1997)『くるまたちの社会史−人力車から自動車まで−』(中央公論社)
千葉俊二編(2007)『岡本綺堂随筆集』(岩波書店)
刀禰館正雄編(1929)『商品盛衰記』(東京朝日新聞発行所)
内藤鳴雪(2002)『鳴雪自叙伝』(岩波書店)
新美南吉(1993→1942復刻)『おぢいさんのランプ』ほるぷ社 廣岡浩哉編(1989)『近代日本交通史』(法政大学出版局)
穂積文雄(1956)『英国産業革命史の一断面−ラダイツの研究−』(有斐閣)
宮本又次(1970)「大阪の人力車」(宮本又次編『大阪の研究 第5巻』清文堂,所収)・『経済史研究』
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森永卓郎監修(2008)『物価の文化史事典』(展望社)
矢木明夫(1978)『生活経済史』(評論社)
湯本豪一(2005)『明治ものの流行事典』(柏書房)
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