• 検索結果がありません。

プロテスタンティズムの禁欲と資本主義の貪欲 : ウェーバー・テーゼに見る欲望のダイナミズム(美崎皓教授追悼号)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "プロテスタンティズムの禁欲と資本主義の貪欲 : ウェーバー・テーゼに見る欲望のダイナミズム(美崎皓教授追悼号)"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

pロ

テス タ ンテ ィズ ムの禁欲 と

資本主義の貸欲

― ― ウェーバー ・テーゼ に見 る欲望 のダイナ ミズムーー 石 里 小 起源の問題ほど心 をとらえる問題が,ほ かにあるだろうか ? 一― S.ワインバーグ 『宇宙創成はじめの三分間』 序 宙i 代謝の起原論における決定的なでき事 とは,あ る擬似安定状態における分子集 団が,あ るとき連続的な化学反応 を行 い,そ の結果,確 率の勾配をよじのぼっ て高い障壁 を越 え,他 の擬似安定状態へすべ り落ちてゆ くような, まれな統計 的眺躍 を行 った ときに起 こる。 一― フ リーマン ・ダイソン 『生命の起原』p.60 は じわめ`こ しば しばマ ックス・ウェーバーの主著に一一 それ も筆頭に一一挙 げられる『プ 1 ) ロテス タンテ ィズムの倫理 と資本主義 の精神』 (1905年,以 下 『倫理 と精神』と 表 記)は ,発 表 され た当初 は もとよ り,彼 の死後 に編集 され 『倫理 と精神』が その一部 をな してい る 『比較 宗教社会 学論集』 (1920∼21)を 経 て今 日に至 るま で,多 くの議論 を呼 ん でい る,知 的刺激 に満 ちた論考 であ る。基本的に 「近代 資本 主義 の起 源 」 とい う主題 を論 じた この論考 をめ ぐっては,史 的事実認定 に 関す る もの,方 法論 的 な もの,純 粋 に理論社会学 的 な もの,… な どな ど実 に多 岐 にわ た る論 ″点が存在 す るが,本 稿 の 目的 は,ウ ェーバー以降明 らかになった 1)本 稿 において,ウ ェーバー著 『プ ロテスタンティズムの倫理 と資本主義の精神』を引用す る場合 には,す べ て大塚久雄訳 ・岩波文庫版 (1989年)に 準拠す る。

(2)

2 0 6 美 崎 皓 教授記念論文集 (第309号) 理論社会学上の新 しい知見 を踏 まえて彼の提起 した諸問題 を見直す, という作 業 を通 じて,『倫理 と精神』の論 旨に現代的な位置づ けを試みることである。現 代 人である我々が このような客観的視座 を持つ ことな く大作の森へ分け入ろう とす ることは,訓 詰学に陥 る危険が大 であると考 える。 なお,内 容 を先取 りして本稿 において試み る “現代的視座"を順 に示 してお くと,次 のようになる : ・社会的ジレンマ論。 ・欲望 のエネル ギー論。 ・進化論 ∼複雑適応系の視座。 これ らの現代 的視座 に立 って,ウ ェーバー ・テーゼ を見直 してみ よ うとい うわ け であ るが, これ らの視座 は互 いに密接 に連 関 してい るので,以 下 それ ぞれの 節 にお いてお のお のの視座 だけが単独 で問題 に され るわけ ではない。 I 資 本 主義の社会 的 ジ レンマ 資本 主義成 立のパ ラ ドクス ともすれば資本主義の真髄 と思われが ちな営利欲は,個 人のレベルで見れば, 実 は人間の歴史 とともに古 く,史 上 いたるところに存在 した。 しか しそのよう な個 人的貪欲の機制 は,史 実 として見た とき,ほ とん どの場合,合 理的社会体 制 としての資本主義 を生み出さなか った。 なぜか ?『 倫理 と精神』におけるウ ェーバーの基本的問題関心は,こ の歴史的事実への疑間にある (『倫理 と精神』 p.54)。 確 か に,個 人的貪欲 を前提 とし,こ こか ら出発 す るのは方法論的にたやす い。 実 際, 近 代 経 済学 の効 用理論 は その立場 に立 ってい る。 だが,見 落 とされが ち な こ とであ るが,当 の貸欲 がイ国人的機 制 に とどまらず,全 社会 的 スケー ル で, 集 団的 に一度 に大量 に存在 す る とした ら,そ の こ とが実 はす でに社会学的問題 なの で あ る。貪欲 を集 団発生 させ るメカニ ズムは何 なのか ? と 。 この点 に関 して言 えば,ウ ェーバー の見 出 した結論 はむ しろ,逆 に近代 プ ロ テス タンテ ィズムの禁欲 思想 こそが 資本主義 を生み出 した, とい うパ ラ ドクシ

(3)

プロテスタンティズムの禁欲 と資本主義の貪欲 207 カ ル な もの だ っ た。 この結 論 が 逆 説 的 で あ っ た ため に, 学 界 に物 議 をか も した の で あ る。 資 本 主義 の く社 会 的 ジ レンマ〉 ところで,こ の ウェーバー の主張 を現代社会学 の知 見 を もとに見直 してみ る と,興 味深 い こ とに,こ れ と論理 形式上 同趣 旨 と考 え られ るパ ラ ドクスが,そ 2 ) の後様々な箇所か ら報告 されているのである。その一般化 された形態は,大 要 次の ような命題 となる : 「みずからを豊かにしようとする利己的な貧欲が富を追求すると,そ の集 合的 ・社会的な効果 としては却って社会的貧困を帰結 し, 自分 自身も,そ れをしなかった時よりもいっそう貧困になってしまう。」 この命題 には,さ らに,次 の付帯命題 を追加 して もよいだろう。 「逆 に,み ずか らを貧 困 (清貧)に しようとす る勤勉 な禁欲が,清 貧 を追 求す ると,社 会的には却 って富の増大 を帰結 し, 自分 自身 も,そ れ をしな か った時 よ りもいっそ う富裕 になって しまう。」 このパ ラ ドクスは,今 日の理論社会学で く社会的ジレンマ〉 と一般化 されて いる。 してみ ると,ウ ェーバー ・テーゼは,基 本的にこのパ ラ ドクスを最初期 に指摘す るものだったのだ と考 えることがで きる。実際,ウ ェーバー 自身,こ の ジレンマ を自覚 していて,『倫理 と精神』の末尾付近で,禁 欲的信仰 の指導者 であったジョン ・ウェズ リーの発言 を引用 し,次 のように述べているのだ : …そこで,い ままで述べてきたことすべての標語とするによさわしいものとし 2)海 野道郎 「社会的ジレンマ研究の射程」,盛 山和夫 ・海野道郎編 『秩序問題 と社会的ジレ ンマ』ハーベス ト社,1991年,第 5章 。

(4)

美崎 皓 教授記念論文集 ( 第3 0 9 号) て, こ こで ジ ョン ・ウェズ リー 自身の一つの文章 を引用 してみたい。 とい うの は, こ の禁欲 的信仰 の指導者 自身が,しヽま述べ たよ うな一見逆説的 な関連 をば 十分 に, しか も, わ れわれが説明 したの とまった く同 じ意味で,明 瞭 に知 って いたこ とを示 してい るか らだ。 ウェズ リー は次の よ うに記 している。 「…宗教 は どうして も勤労 ( i n d u s t r y ) と節約 ( f r u g a l i t y ) を生み 出す こ とに な る し, この二つ は富 をもた らすほかはない。 …・どこでで も, メソジス ト派の 信徒 は勤勉 に な り, 質 素 になる。 そのため彼 らの財産 は増加す る。す る と,そ れに応 じて, 彼 らの高ぶ りや怒 り, また肉につけ る現世 の欲望や生活の見栄 も 増加 す る。 こ うして宗教 の形 は残 るけれ ども,精 神 は しだいに消 えてい く。純 粋 な宗教 の こ うした絶 え間 ない腐敗 を防 ぐ途 はないのだろ うか。人々が勤勉 で あ り, 質 素 であ るの を妨 げてはいけない。 われわれはすべ ての キ リス ト者 に, で きるか ぎ り利得 す る とともに,で きるか ぎ り節約す るこ とを勧めねば な らな い。が, これは,結 果 において,富 裕 になるこ とを意味す る。」…―一ヽこれは, 見 られ る とお り, どのひ とつ を とってみて も, す べ てわれわれが解 明 して きた こ と力ざらにほか な らない (『倫理 と精神』pp.352f.傍点は原文ママ) この文章は, ウェーバーに とって,“資本主義における富の蓄積"とい う現象 を禁欲の宗教倫理か ら解 こうとす る視角が基本的に “社会的 ジレンマ"の 問題 と認識 されていたことを明 白に示 しているといえよう。 く囚人のジ レンマ〉 と資本主義 今 日の理論社会学の知見によれば,こ の く社会的 ジレンマ〉は,ゲ ーム理論 でい う 「囚人のジレンマ」 と基本的に同類の現象であることが知 られている。 だか らウェーバーの主張は,こ の点か らいえば,結 果 として「囚人のジレンマ」 状況におけ る 「協力解」が,資 本主義の成立 を解 く大 きな鍵 を握 っている, と 述べ ていたわけである (ちなみに,「囚人のジレンマ」状況におけ る協力解の成 立は通常,社 会的規範―一つ ま り倫理の類―一 の所産 と考 えられている)。それ は,あ えて具体的にゲーム論的に表現すれば,次 のような状況である :

(5)

プ ロテスタンティズムの禁欲 と資本主義の貪欲 (成員 A) (ウェーバーの指摘 した領域) この行列は,む ろん, 2プ レイヤー ・2戦 略のダイア ド関係 とい う限定的状 況 を表現す るものにす ぎず,所 詮,多 プ レイヤー ・多戦略の社会一般の条件 を 表現す るには無理がある。 この無理 を承知の上 で,上 記行列について,次 の諸 点 を指摘 してお こう。 大雑把 に言 って,こ の 4つ のセルの うち, まず近代経済学の市場均衡理論は (a)を主 たる関心領域 に している。 それぞれの成員がみずか らの効用の最大化だ け を目指 して行動す るとい うのが市場均衡理論の前提だか らである。 またマル クス経済学は(b)と(C)の領域 に主 たる関心 を持 っているといえよう。 働 く者 と消費す る者 とが社会的階層 として分離成立 したのが く階級〉であ り, マル クス主義 ではそれ らの間の 〈階級間争〉 として社会の動 きを捉えようとし ていたか らである。 そ う見て くれば,ウ ェーバーの独創 は,こ れ らとは異なる(d)の領域 に関心 を 持 ったこ とである, と位置づ け うるだろう。 ウェーバー ・テーゼは,そ もそ も, 近代経済学やマル クス経済学 とは関心の所在 を異に しているのである。 H 欲 求 と欲望 の エネル ギー論 社 会 の “エネル ギー論 的" 視 点 筆 者 は房U の論考 で, 人 間 を動 かす原動 力 として く欲望 〉 と く欲 求〉 を措定 し, ︵成 員 B ︶

(6)

210 美 崎 皓 教授記念論文集 (第309号) この く欲 望 〉 に よ っ て もた ら され る社 会 的 ダ イナ ミズ ム を く社 会 エ ネ ル ギー 論 3 ) Socio―energetics〉として論 じることを試みている。詳 しくは当該の拙稿 を参照 願 いたいが,か いつ まんで言 うと く欲求〉 とは,ひ とが欠乏 を自覚 し,そ の欠 乏 を充足す るために動員 され る心的エネルギーのことであって,充 足 され るこ とに よって解消す る。一方 〈欲望〉 とは, も ともと何の欠乏 もないのに,な お 何 ものか を獲得 ・付加 していこ うとす る心的エネルギー をいう。 したがって欲 望 には 「充足」 とい うような終焉状態がな く,い ったん欲望 に火がつ くと,欲 望 が欲望 を呼び,限 りな く注 ぎこまれ る傾 向を持つのである。 こういった心的 エネルギーのダイナ ミズムを社会的スケールで論 じるのが「社会エネルギー論」 なのであ る。 そ してひ とつ加 えてお くと,論 理形式の上か らみて,〈欲求〉はエ ネルギー論的に安定 な閉鎖系 を形成す るが,〈欲望〉はエネルギー論的に不安定 な開放系 を形成す る。 資本主義の原動力は欲求か欲望 か さて, この 「エネルギー論」の観″点か らウェーバーの論 じている資本主義の 作動形式につ いて見てみ よう。 ひ とび とが,あ る程度の伝統的 〈欲求〉の充足 をもって 「足れ り」 とす るか, あるいは伝統的欲求は十分 に充足 されているのに,な おそれに加 えて一一付加 一―勤勉に働 こうとす るか。 この両者の違いはことのほか大 きいのである。前 者 (欲求)は いかなる社会 ・いかなる時代 に も措定 しうるが,後 者 (欲望)は そ うはいいきれぬ,特 殊 な心理 である。 そ してウェーバーは後者の機制 (労働 に関す る、本稿 でい う 〈欲望〉)を 近代資本主義の特質 と見ている。 それゆえに こそ,資 本主義 は歴史上特異な体制lなのである。 た とえば, ウェーバー 自身の例示によると(『倫理 と精神』p.64),企業家が労 働者 を出来高賃金制 で雇 い入れ る場合,資 本主義の黎明期 においては しば しば 特殊 な困難が生 じた とい う。企業家が出来高賃金 を上げるこ とに よって労働者 の労働意欲 を高め ようとして も,労 働者は往々に して伝統的収入 を満た した時 3)拙 稿 「欲望 のエネル ギー論」 『彦根論叢』 第306号。

(7)

プロテスタンティズムの禁欲と資本主義の貪欲 211 点で労働 をやめて しまうとい うのだ。つ まりひ とは,伝 統的 〈欲求〉が充足さ れればそれ以上働かない。 これが普通の心理 なのである (これは結果 として労 働生産性の低下 を帰結す る)。 プロテスタン トの欲望 ところがプ ロテスタン トは違 っていた。プロテスタン トの場合,労 働 それ 自 体 が 自己 目的化 していて,欲 求の充足に もかかわらず勤勉 に働 く傾向があると い う。 これは単 なる伝統的欲求では説明できない,欲 望の心理である。 しか も それは,人 間の一定の集団に共有 されている,社 会的 ・集団的な機制である。 これに着 日した ところにウェーバーの畑眼があった。 禁欲 的労働 は,欲 望の個 人的 ダイナ ミズムか らいえば,一 見,起 こり難い事 態である。に もかかわ らず,資 本主義が成立す るためには,世 俗内禁欲―一修 道イ曽の ように出家隠遁す るのでな く,社 会の中で社会にかかわってい く勤勉質 素 な禁欲―一 が前提条件 であった。 しか も,そ の ような起 こ りに くい機制が, ひとりやしS、た りの規模 でな く,社 会的なスケールで集団的に,発 生するとい う 不思議 に答 えなければならない。 ウェーバー ・テーゼの骨子は,そ のような起 こ りに くい事態 (利得 は高 くなるが不安定な協力解)は たんなる個人的貪欲の 所産 ではあ りえないこと,そ してそれ を与えたのはプロテスタンティズム とい う社会的集団的プ ログラム (エー トス)だ と主張す ることにあったのである。 繰 り返 しになるが, ウェーバーはこの心的機制 を資本主義の特質にあててい る。 そ してそれは,プ ロテスタンティズムの場合,神 に救済されたい とい う願 望 (欲望)の 現れであ り,救 済者が全能の神 によってあらか じめ決 まっている のだ とすれば (予定説),そ れ を知 りたい とい う願望 (欲望)に よるのである。 しか し実際には,確 信 をもってそれ を知 る, とい うのはかなわぬ願いであって, 結果的にはこの願望 はいつ まで も満 たされ ることがない。だか らこそ,貪 欲 な までの勤勉,そ して貪欲 なまでの倹約一一つ ま り貪欲 なまでの禁欲が持続す る のだ。 ウェーバーによると, この不思議が機制 こそが資本主義の精神につなが るものなのだ とい うわけである。

(8)

2 1 2 美 崎 皓 教授記念論文集 ( 第3 0 9 号) 伸) 領域 の エ ネ ル ギ ー論 的 意 義 さて,純 粋 にエネルギー論的な観″点か らすれば,本 来個人的である く欲望 の エネルギー〉が社会へ不断に備給 され,社 会が社会 として作動す るエネルギー が用意 され るケースこそ,前 項で挙げた行列におけ る(d)のセルなのである。す なわち,① 勤勉 な労働 によって欲望の対象物が生産 され ・社会 に供給 され,か つ,② 質素 な倹約 によってそれが消費されない, とい う条件―一つ まり(d)は, 社会 内に欲望のエネルギー準位が一方的に高 まる状況 を示 しているわけである。 こ うして社会的エネルギーが高 ま り,新 たな構造 を生 じうる状態にまで不安定 化す るとい う前提条件 な くしては,社 会が 自発的に 自己組織化 し (社会構造 を 生成 し)進 化す ることはあ りえない。 そ して,エ ネルギーが高 まって不安定化 したシステムは,当 該のエネルギー論的条件の もとで別の新 しい安定状態へ と 移行す る。す なわち(d)は,社 会が様 々な形で 自己組織化 し進化す る可能性 を秘 めたただ一つの条件 といえる。 したが って,ウ ェーバーの着 目した(d)のケース こそ,社 会 をエネルギー論的観″点か ら見 る場合 に もっとも注 目すべ き領域 なの である。 筆者は,本 論考 の冒頭 に,フ リーマ ン・ダイソンの考 える 「生命代謝の起源」 におけ る決定的に重要 なで き事 について引用 しておいた。そこで彼は,生 命代 謝の起源におけ る決定的に重要 なで き事 とは,あ る一連の化学反応がある安定 状態か ら別の (稀な)安 定状態へ と跳躍す ることである, と述べている。伝統 的欲求 は,充 足へ向か うことによってある 「安定状態」 をもたらすだろう。だ が, この ままでは別の安定状態へD&曜す ることはない。 したが って起源におけ る 「重要 なで き事」は,む しろ,社 会が この伝統的 「安定状態」か ら訣別 し別 の状態へ と移行す る, とい うことなのである。 このような事態は,伝 統的欲求 の充足が追求 されている状態では起 こ りえないのだ。資本主義の特質が,資 本 に よる資本の 自己増殖, とい う歴史上稀 な,ダ イナ ミックな過程 にあるとす る なら,そ してそれが社会全体 を覆 う集団現象であるとす るなら,こ のダイナ ミ ックな過程が成立 し体制 として独 り立 ちしてい くためには,(d)のような状況が, 少 な くとも初期 において必要 なのである。 もちろん今 日の資本主義は,禁 欲 ど

(9)

プ ロテスタンティズムの禁欲 と資本主義の貸欲 ころか,富 の追求 を至上命題 としてい る。 だが,そ れが成立 し離陸 してい くた め には,富 を蓄積 させ る禁欲 (勤勉質素 )が 一 時的 に もせ よ,必 要 だ ったのだ。 資本主義は個人の合理的行為の所産ではなかった 近代資本主義の成立については,ウ ェーバー 自身,プ ロテスタン トによる禁 欲 の行為が資本主義成立のための く目的合理的行為〉ではなかった と論 じてい る。禁欲は資本主義 を打 ち立てるための ものではな く,宗 教的倫理のゆえの も のであった。 それは宗教的 「目的」に対 しては,な るほ ど 「合理的」であった。実際, ェーバーは言っている, 西洋では,す でに中世においてその 〔宗教的禁欲の〕最高の形態は完全に, ま たい くつかの現象については早 くも古代において,合 理的な性格 をおびていた。 (『倫理 と精神』,p。200,傍 点は原文ママ) だが,そ れが資本主義 とい う新 しい体制1を招来 したのは 「意図せ ざる結果」 で あ り,い わば副産物 であ った。 つ ま り資本主義 はそれ 自身へ の 「目的合理 的」 な行為 か ら成 立 したの では なか ったの であ る。 …宗教改革の文化的影響の多 くが一一われわれの特殊な観点からはおそらくそ の大部分が といってよかろう一―改革者たちの事業か ら生 じた,予 期 されない, いや全然意図されなかった結果であ り, しば しば,彼 ら自身の念頭にあったも の とは遥かにかけはなれた,あ るいはむ しろ正反対の ものだった。このことは あらか じめ認識 しておかねばならない。 (『倫理 と精神』,p.134,傍 ″点は原文ママ) 繰 り返す と,禁 欲は資本主義 を打ち立てるための目的ではなく,禁 欲が結果 として資本主義 を招来 した。このような説明は,ロ ジックとして く事前主体選

(10)

214 美 崎 皓 教授記念論文集 (第309号) 択 〉 よ り も 〈事 後 自然 選 択 〉 の論 理 を採 用 して い る と考 え ざ る を え な い。 資本主義 は複基準の所産 この ような説明形式の背景にはまた,純 粋 に論理形式の面か らいって,「ダブ ル ・スタンダー ド」 とい うべ き選択基準が隠 されている。つ ま り,宗 教倫理 と い うスタンダー ドによって 「合理的に」〈事前主体選択〉された行為が, まった く無意識の うちに,資 本主義の論理 (生きるか死ぬか)と い う別のスタンダー ドに よって く事後 自然選択〉 されていた, とい うことである。 ここで大切 なのは,ふ たつの合理性,ふ たつのスタンダー ドの間に何 らの論 理的関連 もない とい うことである。つ ま り資本主義の論理 とい う選択洵汰の基 準か らみれば,宗 教倫理 とい う社会形成の論理 など「どうで もよい」。 どんな選 択基準であれ,結 果 として当該の行為がなされ さえすればよかったのである。 この ような論理構成 をつ きつめてゆ くと,我 々は,進 化論の論理へ,そ して その現代版 である複雑適応系の論理へ と進んでいかなければならない。 III ウ ェーバ ー ・テーゼの進化論 く生活態度 と職 業観 〉 プ ログラムの進化 あ ま り強調 され ない こ とだが,ウ ェーバー 自身,資 本主義 の成 立 につ いて“進 化論 的"な 視 点 を とって い た。 彼 は言 って い る, …経済生活の全面 を支配するにいたった今 日の資本主義は,経 済的淘汰によっ て, 自らが必要 とす る経済主体――企業家 と労働者―― を教育 し,作 り出して い く。 (F倫 理 と精神』,p.51。傍″点は引用者。) と。 もっ ともウェーバー は, こ の一節 に続 けて,次 の よ うに記 してい る。 しか しまた,ほ かならぬこの点で,歴 史的現象の説明の手段 としては,こ の「淘 汰」概念が限界をもつこともわれわれは確認す ることができる。資本主義の特

(11)

プロテスタンティズムの禁欲 と資本主義の貸欲 215 性 に適合 した生活態度や職 業観 念が 「洵汰」 に よって選 び出され る一― す なわ ち,そ の他 の ものに対 して勝本Uを 占め るニー こ とが可能 であ るためには,そ う した生活態度や職 業観 念が あ らか じめ成立 していなければ な らず, しか も,そ れが個 々人の 中にば らば らにではな く,人 間の集団に よって抱かれた物 の見方 として成立 していなければな らない, とい うこ とは明瞭 だろ う。 (F倫理 と精神 』,pp.5152) つ ま リウェーバーは,〈洵汰〉が説明概念 として万能でないことを強調 し,む し ろ く淘汰〉以前に 「あらか じめ成立 し」ていなければならない 「生活態度や職 業観念」の方 を,よ り重視 しよう, と言っているのである。 だが確認 してお くが,こ の記述は,〈淘汰〉概念の限界 を明 らかにす ることに よって進化論的視座 を非難 しているのではない。 なるほ どウェーバーのい うよ うに,〈淘汰〉が作用す るためには,選 択淘汰 さるべ きパ タン (プログラム)の 候補が事前に成立 していなければならない。 しか もそれは,ひ とりふた りの規 模 ではな く,全 社会的な集団の規模 で生 じていなければならない。つ まリウェ ーバーによれば,説 明は,ふ たつの論理の組合せでなければならず, しか もそ れ らは次の順序 になるとい うのである。 │ く ウ ェーバ ーの論理 〉 1 集 団規模 での社 会 的パ タ ン形成 EEDそ の選 択洵汰 │ (プ ロテスタンテ ィズムの倫理) (資 本主義の論理) しか も,こ の二つ の論理 は,論 理 だけ を とれば互 いに独 立 であ り,基 本 的 に 別 問題 であ る。 したが って別 々 に論 じるこ とが で きる。 ウェーバー は この前半 の論理 につ いてのみ論 じてい るわけであ る。 一 方,ダ ー ウィエズムはこの前半の論″点に対 し,一 応 く変 異〉 とい う概 念 を 用意 してお り,選 択 洵汰 に先行 すべ きパ タン (プログラム)の 候補 は 〈変異〉 に よって偶 然 に出現す るの だ と主張 していた。 したが って変異 と淘汰 とが あい

(12)

2 1 6 美 崎 皓 教授記念論文集 (第309号) ま っ て進化 論 の論 理 が完 成 す る とされ て い る。 そしてダーウィニズムにおいては,〈選択〉の論理にとって,〈変異〉がなぜ 起 こったか,な どという問題はそれこそ 「どうでもいい」(無関係な)こ とであ る。これが,選 択のロジックにとって変異が 「偶然」である, ということなの である。これはすなわち,進 化論の論理がそもそも く変異〉 と 〈選択〉 との, 互いに無関係な (独立な)「ダブル ・スタンダー ド」であることを示 している。 こうみて くると,ウ ェーバーは,ダ ーウィニズムの枠内でく選択〉よりもく変 異〉の方を重視 しているのだ, と解釈 しうる。つまリウェーバーは,洵 汰より も,そ れ以前に“この社会的変異体がイカニ出現 したか"と いう″点の方を重視 し,そ れをプロテスタンティズムの倫理に置いたわけである。まず,① 「あら か じめ成立」 した く生活態度 と職業観念〉がある種の社会秩序をパタン形成 し, その後それがたまたま,② 「資本主義の基準に適合」 した (目的合理的だった わけではない)た めに,事 後的に 「選ばれた」。この不思議な生活態度 と職業観 念――それまでの既存プログラムに対する変異体―一,こ れこそが くプロテス タンティズムの倫理〉であったというわけで,ウ ェーバーはこの第一のスタン ダー ドのみを取 り上げているのである。 か くして,ウ ェーバーの論点は,次 のように進化論的に関連づけることがで きよう。 く資本主義成立のダブル ・スタンダー ド〉 世俗内禁欲の集合的発現 (パタン形成)一― 第一のスタンダー ド 経済的洵汰の論理 (選択洵汰) 第 二のスタンダー ド もちろん,進 化論 の論理 の全体 を踏 まえれば,禁 欲 のエー トス (第一 のスタ

(13)

プロテスタンティズムの禁欲と資本主義の貪欲 217 ンダー ド) だ け では資本主義 は生 まれ ない とい うこ とをも忘 れてはな らない。 それ は資本主義 の諸条件 の ひ とつ に過 ぎないのであ って, 世 俗 的勤勉 のエー ト スに よって欲望 の力が発 出 され なが ら,そ れが禁欲 のエー トスに よって快楽ヘ と解 消す るこ とな く, か えって社会装 置 に よって受 け止め られ,こ れが欲望 の 流 れのパ タン を形成 し, そ れが第二 の ス タングー ドに よって選択 淘汰 され社会 的 に展 開す る, とい う仕組 みが成立 しなければ な らない。 ウェーバー は,そ の ように選択洵汰 された社会装置がいかなるものだったか とい う問題 について一―少 な くとも 『倫理 と精神』においては一―論 じていな い。実際,彼 は言っている, この論稿ではさしずめ,重 要であるにせよ,た だ一つの点だけについて,そ の 影響 の事実 とあ り方 を,そ れの 〔心理 的〕動機 に湖源 させ てみ ようとしたのだ った。が, またその次 に,プ ロテスタンティズムの禁欲 それ 自体 が逆に,そ の 生成過程 において も,そ の特質 につ いて も社会 的文化諸条件 の総体, と りわけ 経 済的条件 に よって深 く影響 されている とい うこ とをも明 らかに していかねば な らないだ ろ う。 (『倫理 と精神』,pp.3689.〔 〕 内は大塚久雄,傍 ″点は原文ママ) 繰 り返 しになるが, ウェーバーは 『倫理 と精神』において第一のスタンダー ドのみを取 り上げているからである。 く変異〉 とはどういうことか だがここで,ダ ーウィエズムで 「第一のスタンダー ド」とされるべ き く変異〉 概念について,改 めて考えなおしてみよう。すると,次 のことが容易に理解 し うる : ダー ウィニズムの “変異―洵汰" 図 式は, キ るた荷 ら赤あ生春萩岸赤彦茂 さ れたの ちには, た しかに適用 できる。すでに成立 している生命秩序に,〈変異〉 が加わ ることによって別の生命 とな り,こ れが選択洵汰 を受ける, と考 えれば

(14)

218 美 崎 皓 教授記念論文集 (第309号) よいからである。これは次のように図示できるだろう。 (先行 す る生命秩序)EED 変 異の出現 → そ の選択洵汰 ダーウィエズムの論理 だが 当然 の こ とだが,か か る く変 異〉概 念 は,先 行す る生命秩序 が前提 され なければ適用 で きない。先行 す る生命秩序 に対す る “差 異の付加"こ そが く変 異〉 で あ るか らだ。 ダー ウィエ ズムは,か か る先行 すべ き生命秩序 の特性 につ いて何 も言及 して い ない。 この欠陥 は重大 であ る。つ ま リダー ウィエ ズムの “変異 ―洵汰"図 式 は,初 期 条件 (初項)を 欠 いて い るため に く帰納〉の手続 きとして論理 的に不 完全 な もの であ る。 た とえていえば,ダ ー ウィェズムは,階 差数列 (差分 )の み を与 えて,初 項 の値 を与 えず に一般項 を考察 しろ と言 ってい るよ うな もので あ る。 あ るいは,導 関数 のみが与 え られ た関数 を積分定数 な しに積分 しろ と言 ってい るよ うな もの であ る。 とすれば,こ の ままの形 で,ウ ェーバー の論理 をダー ウィニズムの形式へ と 押 し込 む わけにはゆか ない。進化論 の側 を修 正 しなければ な らないこ とは明 白 であ る。 ど うした らよいだ ろ うか。 I V 複 雑適応 系の視座 S . A . カ ウ フマ ンの進化観 上 述 した よ うに, ウェーバー は 〈洵汰〉が説明概 念 として万能 でないこ とを 強調 していたが, この ウェーバー の主張へ た ち戻 ってみ る時,筆 者 は 〈理論生 物学〉 とい うまった く別 の学 問分 野 で発 言 され た,次 のフレー ズを想起せ ずに い られ ない。 … 自然洵汰は重要である。だが,細 胞から有機体 ・生態系に至る生命圏の精密 な構造 をつ くりあげた要因は,た だ自然淘汰のみではない。 もうひとつの要因

(15)

プロテスタンティズムの禁欲 と資本主義の貸欲 219 -一 自己組織化 (self‐organization)一一 こそが,よ り根本的 な秩序 の源 なので あ る。生命世 界の秩序 は,偶 然 に出現 したいい加減 な ものではな く,か か る自 己組織化 の原理 に よって 自然に, 自発 的に発生す る, とい うのが私 の考 えであ る。 そ して この 自己組織化 の原理 こそ,我 々が よ うや く発見 し理解 し始めてい る複雑″性の法貝Jにほか な らない。

(S.A.Kauffman,Aサ 河筋″ ガ%筋 夕し,%ゲク容夕,Oxford U.P.,1995,序 文)

これ は 〈複 雑 性 〉研 究 の メ ッカ,サ ン タ =フ ェ研 究 所 に お け る主 導 者 の ひ と り, S.A.カ ウ フマ ンの 発 言 で あ るが,彼 は こ こで,ウ ェー バ ー と同様 に く洵 汰 〉が 説 明概 念 と して 万 能 で な い こ とを強 調 して い る。 そ して カ ウフマ ンが く洵 汰 〉 以前に重視 しようとしているのが,〈 自己組織化〉にほかならない。 ここでは, ダー ウィエズムの く変異〉概念に代 わって,〈 自己組織化〉の概念が据 えられて いるのである。 カウフマ ンが 〈洵汰〉 よ り以前に く自己組織化〉 を重視す る理由は,筆 者の 解釈 に よれば,初 期条件の空 白とい うダー ウィエズムの欠陥 を矯正 し,そ の“生 物学的帰納法"に く自己組織化〉 とい う“初期条件"を 与 えるためである。か くして,カ ウフマ ンによると,生 物進化の一般的図式は次のように表現 され る。 く生物進化 の一般 的形式〉 自己組織化 (パタ ン形成 ) (↓変異 ) 第一のスタンダー ド (エネル ギー論的基準) 選択 /洵 汰 第二 の ス タ ンダー ド ( 情報論 的基 準 ) ここに く自己組織化 〉 とは, 系 にエ ネル ギー が不 断 に注入 され る非平衡 の も とで系 が 自発 的 に形態形成 を示す現象 ( プリゴジンの散 逸構造) の こ とであ る。 この生命 進化 の新 たな一般 図式 こそが, ウ ェーバ ーの主張 した資本主義形成 の

(16)

2 2 0 美 崎 皓 教授記念論文集 (第309号)

論 理 構 造 と基 本 的 に同 一 に な って い る こ とに 注 目 して お こ う。

なお, この ように捉 えられたシステムは,前 半において “自己組織系∼複雑 系"の 論理,後 半において “選択 ∼適応"の 論理が用 い られていることか ら, 両者 をひっ くるめて く複雑適応系 complex adaptive system〉と呼ばれ,カ ウ

フマ ンらの集 うサ ンタ=フ ェ研究所によって堤起 され注 目されている概念であ る。 社会の 「複雑適応系」考装のために く複雑適応系〉へのアプ ローチ手法 としては,現 在,数 学的モデルを立て, これ をコンピュー タでシ ミュレー トす る, といった非線形のモデル解析が中心 となっているといってよか ろう。確かに, コンピュー タの発達 によ り,以 前で は不可能 とされた複雑 な非線形モデルが解析 できるようになって きている。 こ の場合,モ デルに含 まれ るパ ラメー タを変動 させ なが ら,① 系がある種の秩序 を自己組織化 し――初期条件――,か つ ② 系が新 しいパ タン (新しい情報) を次々に生み出す―一変異―一 ようなパ ラメー タ領域 を探す, とい う作業が行 われ るが,上 記 2つ の意味で非線形のカオスが注 目され るのは当然 といえよう。 ある程度の秩序 (たとえばア トラクタ)が 生 じなければ生命秩序が生 じること はな く, また秩序が発生 して もそれが強回不変 な秩序 であっては進化す る余地 が ないか らである。 だが筆者の考 えでは,「純粋 に数学的な系」の挙動のみ を考察す るならともか く,生 物や社会 といった 「実在す る系」 を対象 として く複雑適応系〉の挙動 を 考察す る場合 には,純 粋 に数学的な手法以前にエネルギー収支の問題 をクリヤ しておかなければな らない。実在す る系が非線形の挙動 を続けてい くためには, そ もそ も,当 該系がエネルギー論的に開放系 とな り,そ こヘエネルギーが注入 され続けねばならないか らである。 そ うでなければ, ダイナ ミックな自己組織 化 は起 こ りえないのである。 その意味で,社 会のシステムを考祭す るためには 本稿 第 II節で論 じた 「欲望 のエネルギー論」が必要 となるのであ り, また資本 主義が 自己組織化 され る上 でウェーバーが考祭 した 「世俗 内禁欲」が重要 とな

(17)

プロテスタンティズムの禁欲と資本主義の貪欲 221 るのである。「世俗内禁欲」は社会の系に対 し欲望のエネルギーを注入する過程 とみなしうるからである。 おわ りに す でに予定の紙幅に達 しているので, ひ とまず考察 を終 え, 論 点 をまとめ る こ ととす る。 本稿 で意図 したのは, 現 代 の諸科学において明 らかになった新 しい知見の も とに,古 典 中の古典 であるウェーバーの 『倫理 と精神』 を解釈 しなおすことで あった。 もちろん, 現 代 人である我々が持 ち うる視角 はウェーバーの時代 より もは るかに豊富であ り, か つ はるかに洗練 されている。 だがそ ういった視角 を もって して も, ウ ェーバーの論考 は基本的に揺 ら ぐことがない。 これが古典 の 古典 た るゆえんであろ う。 また当然,本 稿 で扱 った視角以外に も,現 代 の優れた知見は多々あるのであ って,様 々な観点か ら検討 を加 える必要があろう。た とえば,ウ ェーバーの論 考が 「近代資本主義の起源」の問題 である以上,ウ ォー ラスティン流の 「世界 資本主義」の視点が ウェーバー ・テーゼ とどう関連す るかなども明示的かつ論 理的に検討 されねばなるまい。 これ らはすべ て残 された課題である。

参照

関連したドキュメント

 しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という

2/18 部会後 指摘 3/24 部会に て回答. いちょう並木の高さと熱源施設

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん

今後の取組みに向けての関係者の意欲、体制等

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

したがいまして、私の主たる仕事させていただいているときのお客様というのは、ここの足

救急搬送や入院を病名を理由に断る。体調悪化で激痛の為に痛み止めと点滴をして欲しいと言っても食塩水