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平城京・ 京内寺院等の調査

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平城京・ 京内寺院等の調査

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笙ミ

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,碕

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チど

図21 1994年 度平城京等発掘調査位置図 1:50000

3 1994年度平城京内発掘調査遺跡一覧 (*印は巻末表 5に 概要を掲載)

    面 積 (Hr) 担 当 者

248‑‑2 248‑3 248‑4 248‑5 248‑7 248‑8 248‑11 248‑12 248‑14 248‑15 248‑16 249 251 252 253 254 255 257

石 原 一 条 一 万 一 斗 (白一 坊 太 嬌) 平 城 宮 北 方 (平城 陵) 右 京 三 条 一 坊 (西一 坊 坊 問 路) 左 京 一 条 二 坊 十 坪

左 京 一 条 二 坊 十 六 坪 左 京 一 条 二 坊 十 坪 右 京 三 条 一 坊 八 坪 右 京 一 条 二 坊 四 坪 平 城 宮 西 方 (西一 坊 大 路) 市 庭 古 墳

西 大 寺 旧 境 内 左 京 三 条 一 坊 十 四 坪 左 京 六 条 。東 一 坊 大 路 左 京 七 条 一 坊 十 六 坪 左 京 七 条 一 坊 十 五 、 十 六 坪 左 京 七 条 一 坊 十 五 、 十 六 坪 左 京 七 条 一 坊 十 六 坪 頭 塔

6AGA 6ASB 6AFG 6AFC 6AFC 6AFC 6AGF 6AGA

6AGA・6ADC

6AAN 6BSD 6AF」

6AHCt6AHD

6AHH

6AHH,6AHD

6AHH 6AHH 6BZT

1994. 6.13 ‑‑ 6.28.

1994. 7.17.―‑19.

1994. 8. 1̲‑ 3. 8.

1994. 8.22.‑ 8.30.

1994. 9.17.‑ 9.30.

1994.10.12. ‑10.20.

1994.11. 7.― ‑11.10, 1994.11.28. ‑12.26.

1994. 1. 9. ‑ 1.13.

1994. 1.18.― ‑ 1.25.

1994. 1.25. ‑ 2. 2.

1994. 4. 4. ‑ 5.23.

1994. 5.31. ‑ 6.21̲

1994. 6.21. ‑10.26.

1994.10.13. ‑12.27.

1995. 1. 9.― ‑ 3.31.

1995. 2.21.― ‑ 3.31.

1994 11 14̲1995 331 96 14 52 36 187 96 23 324 95 82 67 620 225 3900 3730 3700 2500 解 体 修 理

玉 田 芳 英 毛 利 光 俊 彦 館 野  和 巳 岸 本 直 文 山 岸 常 人 杉 山   口 杵   杉 山   寺 崎 保 広 加 藤 真 二 高 瀬 要 一 小 林 謙 一 浅 川 滋 男 内 田 和 仲 長 尾   岩 永 省 三 加 藤 真 二 小 野 健 吉 高 瀬 要 一

大 西 恵 津 子/佐紀 町 梶 木 祥 三/佐紀 町 木 瀬 利 秋/二条 大 路 南 町 柴 田 啓 子/法幸 寺 町 阪 神 不 動 産/法幸 寺 町 村 田 憲 重/法幸 寺 町 佐 藤 /二条 大 路 南 町 中 西 安 男/二条 町 片 岡 医 院/二条 町 奈 良 市 水 道 局/佐紀 町 西 大 寺

トー ヨ ー ヒ ラサ ワ ヒ ラ サ ワ ヒ ラ サ ワ ヒ ラサ ワ ヒ ラ サ ワ 奈 良 県

62

56 58 63 60 64 25 26 55 28 28 28 28 59

‑24‑

(2)

Ⅱ ‑1  市庭古墳前方部・ 周濠 の調査

248‑15次

本 調 査 は佐 紀 東 町 内 の下 水 埋 設 に と もな う事 前 調 査 で あ る。 下 水 管 敷 設 に先 行 す るマ ンホ ー ル の埋 設 時 の立 会 調 査 で、 周 濠 の落 ち込 み が確 認 され た た め、 発 掘 調 査 を実 施 した。

調 査 範 囲 は、 市 庭 古 墳 前 方 部 を 中央 か ら東 に横 断 す る道 路 上 の 東 西 約85m、 南 北 約

1,2mの

範 囲 で あ る。 地 山 層 も し くは奈 良 時 代 の整 地 層 上 面 まで 掘 り下 げ た後 、遺 構 検 出 を お こな った。

そ の結 果 、 2マ ンホ ー ル を 中心 に、 古 墳 周 濠 の掘 り こみ が始 ま り、 そ れ以 東 に は周 濠 を埋 め る奈 良 時 代 の整 地 層 が厚 く堆 積 す る こ とを確 認 した。 これ以 外 に は、 3のマ ンホ ー ル で土 坑

1基

を確 認 した ほか 、 多 量 の瓦 を包 含 す る南 北 溝

1条

、 小 土 坑

5基

を検 出 した。

古 墳 周 濠 は、 せ ま い平 坦 面 を は さみ な が ら、 約30°の勾 配 で地 山 層 を 掘 込 み つ つ 傾 斜 して い く。 周 濠 埋 上 の うち、 地 山 に直 接 の る暗 茶 褐 土 に は、 人 頭 大 な い し拳 大 の礫 が 多 数 包 含 され て い る。 礫 の 明解 な据 え付 け状 況 が確 認 で きな か った こ とか ら、 葺 石 で はな く周 濠 当初 の埋 土 と み な した。 ま た、 この層 の上 に の り、 徐 々 に厚 さを増 して い く茶 褐 土 を 主 体 とす る土 層 群 は、

新 しい時 期 の土 器 片 を ふ くむ こ とか ら、 平 城 宮 建 設 に と もな う奈 良 時代 の整 地 層 と考 え られ る。

な お、 lマ ンホ ー ル東 で簡 易 ボ ー リング調 査 を お こな ったが、 深 さ は

2m以

上 あ り、 試 掘 し て も濠 の底 に達 しな か った。

今 回 の調 査 の結 果 、 市 庭 古 墳 東 造 出部 の周 濠 位 置 の詳 細 が判 明 した。 ま た、 周 濠 の東 の立 ち 上 が りにつ い て は、 今 回 の調 査 で は確 認 で きな か った が 、 本 調 査 区 と第

223‑7次

調 査 区 と の あ い だ の、 数

m中

に あ る と推 定 す る こ とが で き よ う。

      (加

藤 真 二)

①第 3マ ンホール

A     I

≧望墾≧茎堅堅≧堅璽≧王

4翌

│       │

②第 2マ ンホール遺構図

③南北溝遺構図

23 248‑15次遺構図

0マンホール :3000

︱ ︱ ︱ 係 涎 叢 一

22 第248‑15次 調査位置図

 1

―‑ 25 ‑―

(3)

Ⅱ ‑2  左京三条一坊十 四坪 の調査   

249次

共 同住 宅建 設 に と もな う事前調査 で あ る。調査地 は、 国道368号線 (大宮 通 り

)と

国 道24号 線 の交 叉 点 の南 西 に接 した交通至便 の地 にあ り、近年、 とみ に都市化 が進 んで きた ところで あ

る。 奈良 時代 の条坊 で は、左京三条一坊十 四坪 の東北 隅 にあた る。 また、 かつ て1967年12月 か ら1968年 4月 にか けて、 同坪 の西辺 に沿 って南北約105mに わ た り、第46次調査 (調査面積2,290

)を

実 施 し、築 地 塀 とそれ に開 く門、 園池 の ほか多数 の掘立柱建物 や総柱式高床倉庫 を検 出 す るな どの成 果 を あげて い る。

調 査 に あた り、建 設予定地 とほぼ重 な るよ うに、東西12.5m、 南北

46.5mの

発 掘 区 を設 定 し たが、調査 の過程 で東辺 と南端 を一部拡張 した。調査期 間 は1994年 4月 4日〜5月 23日 、 調 査 面 積 は拡 張 部 をふ くめて620∬で あ る。調査地 の基本 的 な層 序 は、 か つ て工 場 で あ った時 の盛 土 (約40〜

50cm)の

下 に旧水 田耕土 、床土 と続 き、現地表下約70〜80cmで 淡 茶 灰 褐 砂 質 土 の遺 構 検 出面 とな る。 遺 構検 出面 の標高 は60。 30〜60.35mで ぁ る。

遺 構 とそ の変遷

いず れ も奈良 時代 と考 え られ る掘立柱塀

8条

、 掘立 柱建 物12棟、土 器埋 納 遺 構

1基

、 土 坑 2 基 な どを検 出 した。遺構 の重複 関係、 出土遺物等 か ら

4時

期 に分 か れ る。

I期

(奈良 時代 初 め

発 掘 区中央東寄 りの

2間

の南北塀 SA5668と

2間

以上 の東西塀SA5669 の ほか に顕 著 な遺構 は認 め られな い。

Ⅱ期 (奈良 時代 前半

南北 棟 建 物

2棟

(SB5631・

SB5637)が

南 北 に並 び、 敷地 内 を掘立 柱 塀 で区画 した様 子 が うか が え る。掘立 柱建物SB5631は 、梁 間

2間 (8尺

等 間)、 桁 行

7間

(10 尺 等 間

)で

、 東 に庇 が つ く。庇 の出 は

9尺

で あ る。 また、南

3間

分 に は棟通 りに間仕切 り用 の 柱 穴 が の こ り、北 側

4間

の「堂」 的空 間 と南側

3間

の居 室部分 に区切 られて いた。居室部分 の 西

8尺

の と ころにあ る

3間

の南北塀SA5636は 、 日隠 し塀 も しくは居室部分 の庇 と考 え られ る。

掘 立 柱 建 物 SB5637は 、西北 の一部 を検 出 したのみで あ るが、西庇 を と もな う。 梁 間、桁行 と も に10尺で、庇 の出 は11尺。発 掘 区北 寄 りの掘立柱塀SA5641・ SA5642は 、鍵 の手 に曲 る、 あ るい は

T字

形 につ なが る塀 で、東西

4間

分 、 南北

2間

分 を検 出 した。 柱 間寸 法 は

9尺

で あ るが、東 西 塀 SA5641の 東 か ら

2間

目が

8尺

と狭 い ことか ら、 ここが通路 にな る可能性 が あ る。

Ⅲ期 (奈良 時代後 半

Ⅱ期 の南北棟 を東 に建 て替 え た と考 え られ る配 置 を とる。掘立柱建 物SB5630は 、身 舎 が梁 間

2間 (8尺

等 間 桁 行

7間

(10尺等 間

)で

、 庇 の 出 は11尺。 そ の南 の掘立 柱建物SB5638は 、西北 隅 の一角 のみを検 出 した。 梁 間、桁行 とも11尺等 間 で あ り、 柱 掘 形 や柱 抜 取 り穴 の規 模・ 形 状 か ら礎 石建 物 の可能性 もあ る。掘立柱建物SB5632は 東妻 のみを検 出 したが、 南 北 に庇 を と もな う。桁行 の規模 は不 明で あ るが、梁 間、庇 の出 と もに11尺。 掘 立 柱建 物 SB5665は 、発 掘 区西南 で検 出 した

2間

の柱穴列。 柱 間寸 法 は

9尺

等 間 で、 東 西 棟 の東妻

―‑ 26 ‑―

(4)

と考 え られ る。SB5663は 、 東 西 1間

(7尺 )で

、 築 地 等 の痕 跡 はの こ って い な い が 、 門 の可 能 性 が あ る。 ま た、 南 北 1間の

SA5664(8尺 )は

日隠 し塀 か 。 掘 立 柱 建 物SB56401よ 、 梁 間

3間

以 上 (6.5尺 等 間)、 桁 行 1間以 上

(9尺 )の

南 北 棟 で 、 東 に庇 を と もな う。 庇 の 出 は6.5尺 。

Ⅳ 期 (奈良 時 代 末

掘 立 柱 建 物SB5634は 梁 間

2間

以 上 (6.5尺 等 間)、 桁 行

7間

以 上

(6尺

等 間

)の

南 北 棟 。 この ほか小 規 模 な掘 立 柱 建 物 が点 在 す る。 ま た、 発 掘 区北 西 隅 に土 坑SK5645 が 掘 られ る。

土 器 埋 納 遺 構SX5670は、

2棟

の南 北 棟 SB5630 0 5638(Ⅲ期

)の

中 間 に あ た る。 須 恵 器 壺

A(奈

良 時 代 前 半

)に

須 恵 器 皿

Cを

反 転 させ て 蓋 と した も 乳屍 の で、 土 器 内外 の土 壌 試 料 の分 析 に よ る と、 銅 刀 子 (全13.Ocm、 刃 長2,9C m)・ 墨 挺 (現存 長2.5 cm)・ 筆 管 (現存 長

11.6cm)と

と も に胎 盤 を 納 め て い た胞 衣 壷 とい う結 果 が得 られ た。

  

       HC

総 体 的 に 出土 遺 物 は少 な く、 と りわ け瓦 類 の 出 土 量 はわ ず か な の で、 瓦 葺 建 物 の存 在 は想 定 しが た い。 土 器 は掘 立 柱 建 物SB5630の柱 抜 取 り穴 か ら 出土 した土 師 器・ 硯 、 土 坑SK5660出上 の土 師 器・ ̲14 須 恵 器 等 が あ る。 いず れ も奈 良 時 代 後 半 の もの で

あ る。 土 坑SK5645か ら は、 靖 塙 片 、 炉 壁 、 鉱 滓 等 の鋳 造 関 係 の遺 物 が 出土 した。 そ の ほか 、 天 徳

2年

(958)初鋳 の乾 元 大 宝

8枚

が 出土 して い る。

Y‐ ‑18,090

ま と め

十 四 坪 は、 第 46次 調 査 の成 果 か ら、 園 池 を もつ

1坪

(以

)占

地 の宅 地 に な る可 能 性 が 高 い こ と が判 明 して い る。 今 回 の調 査 に お い て 、

4時

期 に わ た る遺 構 変 遷 を た ど るな か で 、 奈 良 時 代 中 頃 を は さむ

2時

期 で は、 敷 地 内 を塀 等 で 区 画 し、 建 物 を整 然 と配 置 した様 相 が あ き らか に な った。 坪 の 中心 等 、 未 調 査 部 分 が の こ され て は い るが 、 こ の 時 期 、 坪 の東 北 部 は、 主 要 施 設 が 置 か れ た 区 画 の

(小林 謙 ―)

‑146,335

SB

‑146,345

0 9鬱  

二̲SD5646

発   ぴ髯

n&

一 つ で あ った と推定 され る。

―‑ 27 ‑―

24 249次発掘調査遺構平面図 1:300

(5)

‑3 

左 京 七 条 一 坊 十 六 坪 の調 査

  

252・ 253・ 254・ 255次

は じめ に

この調査 は、店舗新築 の事前調査 で あ る。店舗 の敷地 は、東 と南 を佐保川、西 を国道24号線 (奈良 バ イパ ス)、 北 を県 道 京終 停 車 場・ 薬 師寺線 で画 され た面 積 約31500∬ を 占め、 平 城 京 左 京七 条 一 坊 十 六 坪 の大 部 分 と六 条一 坊 十二 坪・ 六 条 二 坊 四坪・ 七 条 一 坊 十五 坪・ 七 条 二 坊 一 坪 の一部 分 にあた る。 この うち七条一坊十六坪 を中心 とす る約14055だを、1994年 5月 か ら1995年

4月 まで

5次

にわ けて調査 した。 第251次は東一坊大路上 に トレンチを設 け (225だ 。別 項 で報 告 す る)、252次は十六坪 の東北部 。東一坊大路西側溝 を中心 と して六条大路・ 東一 坊 大 路 に トレンチを の ば し (約3900r)、 第253次は十六坪 の東南部 。東一坊大路西側溝 と七 条 条 間北 小 路 (約3730∬

)を

、 第254次は十六坪 の西南部・ 七条 条 間北 小 路 を 中心 に東 一 坊 坊 間東 小 路 ヘ トレンチ を の ば し (約3700r)、 第255次は十六坪 の西 北 部

(2500r)を

調 査 した。 そ の結 果 、 十六 坪 の ほぼ全容 と十 五 坪 の一 部 、 十六 坪 周 囲 の条 坊 関係 遺構 が判 明 した。 本 稿 は 3月 末 まで に得 た所見 に基 づ く中間報告 で あ り、遺構番号 は第251次を100番台、第252次を200番台、 第253 次 を300番台、第254次を400番台、 第255次を500番台 とす る仮 番 号 で あ る。

  

調 査 区 の基 本 層 序 は、上 か ら水 田耕 土 (約20cm)、 床 土 (約40cm)、 遺 物 包 含 層 (黄灰 色 土 、 約

20cm)が

堆 積 し、遺 物 包 含 層 を除去 した面 で奈 良 時代 の遺 構 を検 出 した。 この面 は調 査 地 各 所 で状 況 が異 な り、 奈 良 時代 の遺 物包 含 層 が部 分 的 にの こるほか は地 山面 で あ る。 地 山面 に は 平 城 京 造 営 以 前 の河 川 が縦 横 に流 れ、 粘質 土 と砂 質 土 が細 か く入 れ替 わ る複 雑 な様 相 を呈 して い る。検 出 した奈良 時代 の遺構 は、条坊 関係遺構・ 十六坪 内 の遺構・ 十五坪 内 の遺構 に大別 で き、以下 この順 で記述 す る。十六坪 内 につ いて は、東北部・ 東南部・ 西南部・ 西北部 で様相 が きわ だ って異 な る ことが判 明 したので、 この順 に分 けて記 述 す る。 それぞれ第252・ 253・ 254・

255の調 査 区 に ほ ぼ対 応 す るが、 東 南 部 は第252・ 253の両 次 に ま た が る。 (岩永 省 三)

条 坊 関係遺 構

六 条大路

第252次調 査 で

8m分

を検 出 した。今 回南北両側溝 を検 出 し、 幅員 が は じめ て判 明 した。 両 側 溝心 々距 離14.1〜14.6mで 、14。

2mと

す る と40大尺 に復 原 で き、 既 知 の他 の大 路 (約25m・

70大尺 前後

)よ

り狭 い。大路路面 は中央 が高 く両 側溝側 へ緩 く傾斜 す る。

北側 溝

 

4〜 6m、

深 さ0.8m。 堆 積 層 は大 き く

5層

に区分 で きる。

南側 溝

 

幅約

4m、

深 さ0。

7mで

、 東一 坊 大 路 西 側 溝 との合流 点 で は南 北 に ひ ろが る。 ほ とん ど埋 没 した時点 で、 幅0。 7m、 深 さ0。

3mに

掘 り直 して い る。 南 側 溝 は過 去 に

2地

(薬師 寺 南 大 門 の南 西 側、 大 安 寺 の東側

)で

検 出例 が あ り、 両 地 点 を直線 で結 ん で本 調 査 地 で の位 置 を求

―‑ 28 ‑一

(6)

1土器埋 納遺構

東 一坊 坊 間 東 小 路

七条条1間北小路

│」

コロ

東 一坊 大 路

土 器 埋 納遺 構

四等 分 線

0      50m

25 左京七条一坊十六坪調査位置図

 

1000

Y‑18,050

1      1      1      1

26 東一坊大路西側溝断面 図 1お0 520

‑29‑

(7)

め る と、検 出 した南側溝 の南約

lmと

な る。 これが施工上 のず れ なのか は今後 の検討 を要す る。

東 ― 坊 大 路

252・ 253次調 査 区東 端 で西 側 溝 を

142m分

検 出 し、 この うち長 さ

6m分

につ い て は拡 張 ト レンチを設 け路面 。東側溝 も検 出 した。 幅員 は側溝心 々で

22.5mで

あ るが、西側溝 の流 水 で路 肩 が侵 食 されて い るた め、正 確 な幅 は確定 しが たい。

東 側 溝

 

幅約

3m、

深 さ0。 3m。 堆 積 層 は大 き く

2層

に区分 で きる。

西 側溝

 

幅約7.6〜8.3m、 深 さ約1.2〜1。

6mで

、東 側 溝 に比 して規 模 が非 常 に大 き く、 単 な る 道 路表 面 の排 水 処 理以 外 に、東堀河 や西一坊坊 間大路西側溝 と同様 に運河 と して も機能 した と 考 え る。 十六 坪 に面 した 2ケ 所 に橋SX218・

314(後

)が

架 か るが、七条 条 間北 小 路 との交 差 点 に は橋 の痕 跡 が な い。 流失 した可能 性 が あ る。堆積層 は

I(奈

良前 半)・(奈良後半)。(平安 前半)・(平安 後 半)・

V(平

安 末

)の

大 き く

5層

に区分 で きる。 奈 良 時代 後 半 に堆 積 が進 み、平安 時代初 頭 に は幅 は当初 と変 わ らない ものの、深 さ約50cmに な って い た。 その後 さ らに堆積 が進 み、深 さ30cmと な った時 に、溝底 の平安 時代前 期 の堆 積層上面 か ら幅約2.5〜3.4 m、 深 さ約30〜 60cmの蛇 行 した溝 を掘削 す る。平安 時代後期 に蛇行溝 が埋没 し、最終 的 に幅約

8m、

深 さ20cmの浅 い溝 とな り、両 岸 に入 江状 に入 り込 む部分 が数 力所 で きる。 溝 を水 田用 水 路 と して利 用 した さい にで きた と考 え る。 また第252・ 253次調 査 区 の境界 線 北 側 の場 所 に、 抗 と横木 によ る しが らみ と土留 め用 の石 か らな る堰 を設 けて い る。溝 の廃絶 は平安時代末である。

SX216 

西 側 溝 と六 条大 路南側溝 との合流部 の約

8m南

の西 側 溝 底 に、 曲物 を埋 設 した遺 構 。 溝 の流 水 を浄 化 して用 い るための もので あ ろ う。溝底 の厚 さ80cnの堆積 層 上 面 か ら直 径 約70cm の円形 掘形 を掘 り、 曲物 を

2段

据 え る。下 段 は直径35cm・ 高 さ23cm、 上 段 は直径50cm・ 高 さ8 cmであ る。

SX218 

西 側溝 に架 か る橋。 十六坪 を南北 に三 分 す る東 西 溝 SD207の 北 約

16m付

近 に あ る。 西 岸 に杭

3本

、 溝 中央 に柱 穴 3ケ 所、東岸 に石組 が あ る。

SX314 

十 六 坪 東 南 隅 の北約

14.5m付

近 の西側溝底 西端 にあ る南 北 杭 列 で、 杭

4本

を斜 め に打 ち込 む。溝 の対 岸 に明瞭 な遺構 はないが、橋 の構造材 の一部 で あろ う。

SX213 

大 路 路面 上 で検 出 した奈良 時代以前 の竪穴住居跡。便宜 的 に こ こに記 す。

 1辺

4m

の方形 で、底 部 がわずか にの こる。

七 条条 間北小路

115m分

を検 出 した。 幅 は南北両側溝心 々距離 で約

7m(20大

)。 路面 幅 は

5m前

後 で あ るが、東一 坊大 路西側溝 に近 づ くにつれ北 側溝南岸 が南 にひ ろが り路面 を侵食 す る。道路心 と 六 条大路心 との距離 は約

136m(460小

)で

あ る。平城 京 で は

1町

375大尺 (450小 尺

)四

方 で 計 画条 坊 を設 定 し、通 常、条坊計 画線上 に道路心 を置 くが、 こ こで は六 条 大 路 心 の南375大尺 の位 置 に北側溝 を置 いて い る。 藤原京 で は条坊計画線上 に小 路側溝 を置 き、 しか も坪 によ って

一‑ 30 ‑―

(8)

両 側 溝 の うち どち らを条 坊 計 画 線 上 に置 くか一 定 しな い方 式 も存 在 した可能性が説 かれて い る。

平 城 京 で も同 じ方 式 を採 った場 所 が あ るか ど うか、 今 後 の検 討 を要 す る。

北 側溝

 

1.8〜

2.5mで

、 北 岸 (十六 坪 側

)は

直線 状 を呈 す るが、南 岸 は所 々南 へ広 が り路 肩 を侵食 す る。深 さ は35〜60cmで 、東一 坊大路 西側溝 に近 づ くにつ れ深 くな る。堆積土 は大 き く

3層

に区分 で き、少 量 の上器 を含 む。十六坪 の西南 隅 か ら東 へ28〜

41mの

間 で溝底 が深 くな る。

十 六 坪 の西 端 近 くの底 に長 さ5。 2m、1.4m、 深 さ40cmの 上 坑 が あ り、 土器 片 が ま と ま って 出 土 した。東一 坊 坊 間東 小路 を横切 って さ らに西 に続 き、交 差点 で は幅1.4m、 深 さ20cmで あ る。

南 側 溝

 

1.4〜

2m、

深 さ25〜40cmで 、北側溝 と異 な り両 岸 と もに直線 状 を呈 す る。 堆 積 土 は大 き く

2層

に区分 で き、下層 か ら小土器 片 が多数 出上 した。十五坪 西北 隅か ら東 へ

40mの

と ころに橋脚

2本

の橋

SX447(幅 1.8m)が

架 か る。 SX447の 東

28mの

所 で は、 小 路 路 肩 が 南 側 溝 側 に幅

3m・

奥 行 き40cmほ ど張 り出 して お り、 こ こ も出入 口で あ ろ う。 十五坪 の西 端 近 くの 底

に祭祀土坑SX444があ る。東一坊坊 間東小路東側 溝 の と ころで止 ま り西 にのびな い。

東 ― 坊 坊 間東 小 路

10m分

を検 出 した。 西側溝西肩 は調 査 区外 で あ る。 幅 は東 西両 側溝 心 々距離 で約

7mと

推 定 す る。道路心 は東 一 坊 大路西側溝心 と

123.8m離

れ る。 試 み に東 一 坊 大 路 幅 を

22.5mと

して 、 東 一 坊 大 路 と東 一 坊 坊 間東 小 路 の心 々距離 を求 め る と

135.05m(380大

尺・456小尺

)と

な り、

計 画 条坊 の

1町

(375大尺・450小

)を

越 え る。 ただ し、 当調 査 区 内 で は東一 坊 大 路 西 側 溝 心 の位 置、東一 坊 大 路 幅 と もに不確 かで あ り、参 考値 に とどま る。七条 条 間北小路 との交 差 点 南 寄 りの路 面 上 に土 器 埋 納 遺 構 SX446が あ る。

東側 溝

 

七 条 条 間北小 路 との交差点 で は幅1,3〜1,7m、 深 さ25cmと 狭 く、 そ の南 北 両 側 で は 、 幅2.4〜2.9m、 深 さ25〜 35cmで あ る。七条条 間北小 路心 の やや南 に、桁行

3間

、 梁 間

1間

(6.5)、 橋脚

4本

の橋SX445が架 か る。

西 側 溝

 

東 肩 の み を検 出 した。 深 さ35cmで、 幅 は1.4mと 推 定 す る。

条 坊 遺 構 に と もな う埋 葬 な い し祭祀 遺 構

十 六 坪 を囲 む条 坊 遺 構 上 で 4ケ 所 の土 器埋 納 遺 構 、 とケ所 の祭祀 土 坑 を検 出 した。 前 者 は甕 棺 墓 の可 能 性 もあ るが、 現 時点 で は内容 物 を特 定 で きず、 暫 定 的 に土器埋納遺構 と呼んで お く。

SX215 

六 条大 路 路面 上 の土 器埋納遺構 で、北 側溝 側 の路 肩近 くにあ る。 奈 良 時 代 後 半 の甕 2 点 を合 口で土 坑 内 に横 たえ、長 軸 を側 溝 と直交 方 向 に埋 め た もの。 上 半 が削平 され、 甕 の下 半

1/2が

の こる。 甕 内 の土壌 は脂肪酸分析 中で あ る。 掘形 は長楕 円形 で長95cm、50cm、 現 存 深 さ20cm。

SX316・

317 

東 一 坊 大 路 路面 上 の上器埋 納 遺 構 で、 七 条 条 間北 小 路 との交 差点 の北 に接 した 路 肩 近 くにあ る。

2基

と も奈良 時代後半 の甕

2点

を組 み合 わせ て土坑 内 に横 たえ、長 軸 を西側 溝 と並 行 に埋納 した もので、掘形 ど う しが重複 し、SX317の 方 が新 しい。埋納坑上半 が削平 され、

‑31‑

(9)

甕 は下 側

1/2〜 1/3が

の こ る。 甕 内 の土壌 は脂肪酸分 析 中 で あ る。 SX316の 掘 形 は長精 円 形 で長1.3m、60cm、 現 存 深 さ20cm。

2点

を合 口で置 く。 SX317の 掘形 は精 円形 で、長 lm、

60cm、 現 存 深 さ20cm。 甕 は合 口で はな く、北 側 の底 を打 ち欠 き南 側 の 口 に はめ込 ん で い る。

SX446 

七 条 条 間北 小 路 と東 一 坊 坊 間東 小路 の交 差 点 路 面 上 の上 器 埋 納 遺 構 で 、 交 差 点 の南 端 中央 にあ る。 土坑 内 に奈 良 時代 後 半 の甕

1点

を横 たえ長 軸 を南北方 向 に埋納 した もの。 口縁 と 掘形 の あ いだ に隙 間 が あ り、 有 機 質 の蓋 が存 在 した可 能 性 が あ る。 上 半 が削平 され、 甕 の下 半

1/2が

の こる。 掘形 は長 楕 円形 で長47cm、30cm、 現 存 深 さ1lcm。

SX444 

七 条条 間北小 路 南側 溝 底 の祭祀 土坑。長 さ6.4m、 深 さ50cmで あ る。西端 か ら (以下 同 様

)2m付

近 に馬 の上 顎

2点

・ 下 顎

1点

・ 脚部 な どの骨 が集 中 し、

3.2mに

土 師 器 甕

1点

4

m付

近 に人 面 墨書 土 器

1点

(石で割 った可能性 あ り)・ 馬上 顎

1点

4.8m付

近 に須 恵 器壷 (漆 容 器 片 あ り)・ 須 恵 器 杯 な どが埋 め られ て いた。 馬 の顎 骨 は歯 のみ が残 存 す る。 出土 土 器 の年 代 は奈 良 時代 前半 (平城 宮 土 器 Ⅱ

)で

あ る。

十 六 坪 内の遺 構

坪 内 の南 北 を三分 す る位 置 に東 西 溝SD207、 東 西 を三 分 す る位 置 に南北 塀SA402が あ る。

SD

207が坪 の西半 部 にお よぶ か調 査 区外 で あ るた め不 明で、 SA402は 坪 の北 半 に は お よ ば な い が 、 便 宜 的 にSD207以 北 の東 半 を「 東 北部」、西半 を「西北部」、SD207以 南 でSA402以 東 を「東南部」、

SA402以 西 でSD207西 延長部 以 南 を「西 南部」 と呼ぶ。

東 北 部 の様 相

十六 坪 東 北 部 は、 東 西 溝 SD207を 南 限 とす る。 西 北部 との間 に は溝・ 塀 な ど の 区 画 施 設 を検 出 して いな いが、 第255次調 査 区東 北 隅 で検 出 し十 六坪 の北 辺 中央 に位 置 す る大 型 建 物 SB506の 南 側 に は、 奈 良 時代 を通 じて遺 構 が存 在 しな い東 西18m、 南北

43mの

空 間 が あ る ことか ら、 便 宜 的 にSB506よ り東 を東北 部 と呼 ぶ。検 出 した遺構 は、掘立 柱棟建 物

5棟

、 掘 立 柱 塀

2条

、 溝

3条

、井 戸

1基

、土 坑

1基

で あ る。建物 の ほぼ同位 置で の建 て替 え が

1回

あ る もの の、敷地 の 西半 に東 西棟 建 物

3棟

が ほぼ南北 に並 び、東半 に広 い空 閑地 が あ るのが基本的遺構配置であ る。

敷 地 北 辺 に27× 16mと 10×

16mの

未 掘地 が あ り、 十 六坪 西北 部 の状 況 か らす る と、 この未 掘 部 分 に建 物 が あ る可能 性 は否 定 で きな いが、推 測 の域 を 出 な い。 いず れ にせ よ、 十 六 坪 東 南部・

西 南部・ 西北 部 にお いて

4時

期 の遺構 変遷 が あ るの とは対 照 的 で あ る。 この配 置 が奈良 時代 を 通 じて存 続 したのか、 ま った く建 物 の ない空閑地 の時期 もあ ったのか、東 南部・ 西 南部 。西 北 部 の

4時

期 との対 応 関係 と と もに、 今後 の検 討 を要 す。 以 下 、 東 北 部 の外 周 を画 す遺構 、 内部 の遺構 の順 で記述 す る。

SD209 

十 六 坪 の四周 の うち、 六 条 大 路 に面 した北 面 と東 一 坊 大 路 に面 した東 面 に は築 地 塀 が あ った と考 え られ るが、削 平 され築地本体 は遺存 しない。SD209は 、 六条大 路 南 側 溝 南 肩 の南

5.2mに

心 が あ る東西溝 で、北面 築地 の南雨落溝 で あ ろ う。 幅70cm〜1.lm、 深 さ40cmで 、 堆 積

―‑ 32 ‑―

(10)

IY‑48,110 IY―‑18,050

30 30

20m

A

︲50

南 側 溝

SB 204

SA 211

SB 201

X‑148.150

210

0 0

8

Cl

SX 216

︲70

︲90

kユ̲Liニコ■rilii SD 207 1070

左京七条一坊十六坪東北部 調査遺構図 (1:500) および遺構変遷図

(左:前 半、右 :後半)

―‑ 33 ‑―

(11)

土 は

2層

あ り、 黄 褐 色 土 か らな る上 層 は築 地 の崩 壊 上 で あ ろ う。 瓦 片多数 と風字 硯 が出上 した。

築 地 の北 側 に は雨 落 溝 を設 けず 、 直 接 に大 路 南 側 溝 へ 排 水 した と考 え る。 十 六 坪 東 北 隅部 で は SD209は検 出 で きな か った の で、 未 掘 部 分 で 途 切 れ て い るの で あ ろ う。 十 六 坪 西 北 部 で 西 延 長 部 を検 出 した。 東 面 築 地 塀 の西 雨 落 溝 はみ つ か って い な い。

SD207 

十 六 坪 の南 北 を三 分 す る東 西 溝 で 、 幅 lm、 深 さ20cm。 六 条 大 路 と七 条 条 間 北 小 路 の 心 々 間 距 離 を ち ょ う ど三 分 す る位 置 に あ る。 六 条 大 路 南 側 溝 南 肩 と七 条 条 間北 小 路 北 側 溝 北 肩 との 中点 、 す な わ ち十 六 坪 の敷 地 正 味 の 中点 か らは約

2m北

へ ず れ るか ら、 この溝 の設 定 は条 坊 計 画 時 の奈 良 時 代 初 頭 に遡 る可 能 性 が大 で あ る。 十 六 坪 東 南 部 の正 殿 SB220・ 221・ 305の 東 妻 に対 応 す る位 置 で

1.4m途

切 れ、 陸 橋 部 北 側 に小 柱 穴

2個 (SX219)が 1.2m間

隔 で 並 ぶ 。 簡 単 な 門 を と もな う通 用 口で あ ろ う。SB305は

A期

2201よ

C期

、 221は

D期

で あ る か ら (後)、

奈 良 時 代 を通 じて通 用 口 で あ った。SD207は SX219の東

5,5m以

東 で は削 平 され 遺 存 しな い。

SB201 

掘 立 柱 東 西 棟 建 物 で、 桁 行

3間 (8尺

×3)、 梁 間

2間 (6尺

×

2)で

あ る。 南 側 柱 が SD207と 8。 9飢 (30尺

)離

れ る。

SB202 SB201を 東 南 にず ら して建 て替 え た掘 立 柱 東 西 棟 建 物 で 、 桁 行

3間 (6尺

×3)、 梁 間

2間 (6尺

×

2)で

あ る。

SA210 8B201の

2,lm(7尺 )に

あ る掘 立 柱 東 西 塀 で 、SB201の 西 か ら二 番 目の柱 付 近 か ら東 へ24.7mの び、SE212の手 前 で止 ま る。 柱 間 は不 揃 いで あ る。

SD208 SA210と

SD207の 間 に あ り、 東 西8.6m、 南 北

3.2mの

範 囲 を 口の字 状 に か こ む 溝 。 東 西 の端 をSB201の妻 に そ ろ え る。SB201に付 属 す る菜 園 の 区 画 溝 で あ ろ うか。 幅15〜50cm、 深 さ3 om程 度 で 、 一 部 は削 平 され の こ って い な い。

SE212 SD207の 北

7mに

あ る井 戸 。 直 径 約 4m、 深 さ

1.6mの

円 形 摺 鉢 状 掘 形 内 に 、 一 辺84 cm の縦 板 組 横 桟 どめ方 形 井 戸 枠 を据 え る。

SB203 

掘 立 柱 東 西 棟 建 物 で 、 桁 行

3間 (7尺

×3)、 梁 間

2間 (7尺

×

2)で

あ る。SB201と 西 妻 を そ ろ え、 南 側 柱 がSB201北側 柱 と

8.8m(30尺 )離

れ る。

SB204 8B203を

西 妻 の位 置 を変 え ず に東 へ 1間の ば して 建 て替 え た掘 立 柱 東 西 棟 建 物 で、 桁 行

4間 (7尺

×3)、 梁 間

2間 (7尺

×

2)で

あ る。

SA21l SB203の

2.4m(8尺 )に

あ る掘 立 柱 東 西 塀 で 、SB203の東 か ら

2番

目 の柱 付 近 か ら東 へ25.4mの び る。 柱 間 は不 揃 い で あ る。

SB206 

掘 立 柱 東 西 棟 建 物 で 、 桁 行

2間 (6尺 )以

上 、 梁 間

2間 (6尺

×

2)で

あ る。 南 側 柱 がSB203北側 柱 と

18m(60尺 )離

れ、 北 側 柱 がSD209南 肩 と5。

8m(20尺 )離

れ る。

SK214 

十 六 坪 東 北 隅 に あ る南 北 に細 長 い土 坑 。 北 面 築 地 南 側 溝SD209の東 延 長 上 に位 置 す る。

5。

lm×

1.5m X深

さ80cmで 、 漆 を入 れ た奈 良 時代 前 半 の須 恵 器 や漆 器 片 な ど が 多 数 出土 し

た 。

―‑ 34 ‑―

(内 田和 伸)

(12)

東 南 部 の様 相

十 六坪 東 南 部 は、 東 西 溝 SD207を 北 限、 南 北 塀 SA402を 西 限 とす る。 検 出 した遺 構 は掘 立 柱 建 物

8棟

・ 掘立 柱塀

5条

・ 土 坑

6基

な どで、 各 建 物 間 には敷地 を区画 す る明 瞭 な施 設 はな く、

奈 良 時代 を通 じて東 南 部 を一 体 と して使 用 した と考 え る。遺 構 は方位 の振 れ、 重複 関 係 、位 置 関係 に基 づ き

A〜 Dの 4期

に区分 で き、A・

B期

が奈良時代 前半 、 C・

D期

が奈良 時 代 後半 で あ る。SA402に つ いて は「西南部 の様相」 の項 で記 す。

A期  

敷 地 の ほぼ 中央 に当坪 内で は規 模 の大 き い南 庇 付 東 西 棟 建 物

SB305(正

殿)、 そ の西 側 に東庇 付 南 北 棟 建 物

SB308(脇

殿)、 東 南 側 に南 北 棟建 物SB311を 置 く。 この

3遺

構 の北・ 南 側 に は広 い空 閑地 を と る。

305 

掘 立 柱 東西 棟 建 物 で、桁 行

5間 (8尺

×5)、 梁 間

2間 (9尺

×

2)に

南 庇 (出9.5尺)

がつ く。 桁 行 の中心 が坪 の東西

4等

分 線 上 に あ り、 南 庇 は坪 の南 北

4等

分 線 とほぼ そ ろ う。 身 舎 西 妻 中央 柱 と庇 西 端 柱 の柱根 が の こる。

SB308 SB305の

西 にあ る掘 立 柱 南北棟 建 物 で、 桁 行

5間 (7尺

×5)、 梁 間

2間

(6.5尺 ×

2)

に東 庇 (出9。 5尺

)が

つ く。南妻 がSB306の 南 庇 と筋 をそ ろえ、坪 の南北

4等

分 線 上 に あ る。 東 庇 はSB305の 西 妻 と

10.6m(36尺 )離

れ る。

SB311 8B805の

東 南 に あ る掘立 柱南 北 棟 建 物 で、 桁 行

3間 (8尺

×3)、 梁 間

2間 (8尺

×2)

で あ るが、 南妻面 で は、4.5尺

+7尺 +4.5尺

3間

に割 ってお り、 中央 に戸 口を設 け た と考 え る。 北妻 がSB305南 庇 (坪の南北

2等

分 線

)と 3m(10尺 )離

れ、 西 側 柱 がSB305東妻 と

2.9m

(10尺

)離

れ る。

SX323 

七 条条 間北小路北 側溝 の北側 に溝 と並 行 して並 ぶ

2個

の柱穴。 小 路 へ の 出入 口 で あ ろ う。 柱 間

3m(10尺 )で

、溝 肩 か ら

1.2m離

れ る。

B期

以 降 も存 続 す る と考 え る。

B tt A期

SB305。 308は存 続 す る。 SB305の 北 側 に東 西 棟 建 物

SB802(後

殿

)を

建 て 、

SB

311を廃 し東 南 にず ら して南北 棟建 物 SB312に 建 て替 え る。

SB302 SB305の

北 にあ る掘 立 柱東 西棟 建 物 で、 桁 行

3間 (7尺

×3)、 梁 間

2間 (7尺

×

2)

で あ る。SB305と 同様 に桁行 の中心 が坪 の東 西

4等

分 線 上 にあ る。 南 側 柱 が SB305北 側 柱 と5。 9

m(20尺 )離

れ る。

SB312 SB305の

東 南 にあ る掘立 柱南北 棟 建 物 で、 桁 行

3間 (6尺

×3)、 梁 間

2間 (6尺

×2)

で あ る。 北 妻 がSB805南 庇 (坪の南北

2等

分 線

)と 11.5m(39尺 )離

れ、東側柱 がSB305東妻 と

11.5m(39尺 )離

れ る。

C期  

様 相 が大 き く変 わ る。

B期

の建 物 をすべ て廃 し、敷地 の中央北端近 くに南 庇 付 東西棟 建 物SB220、 そ の南側 に 目隠 し塀SA303を 置 き、 それ以 南 に は広 大 な空 間 を と る。 坪 の東 西 二 等 分 線 上 の南 北 棟建 物 SB404(「 西南 部 の様 相 」 の項 で記 述

)が

脇 殿 にあ た る。

SB220 

掘立 柱 東 西 棟建 物 で、桁 行

5間 (9尺 +8尺

×

3+9尺

)、 梁 間

2間

(8.5尺 ×

2)に

―‑ 35 ‑―

(13)

(出10尺

)が

つ く。 桁 行 の中心 が坪 の東西

4等

分 線 上 に あ り、北 側 柱 がSD207南肩 の南

6m

(20尺

)に

あ る。庇 西 端 の柱 の柱根 が の こる。

SA303 SB220の

南 に あ る掘 立 柱 東 西塀 で

4間

(柱

6尺 )を

検 出 した。 SB220の 南 庇 と5。

9m

(20尺

)離

れ る。

Dtt SB220を

廃 し同位 置 で東 西 棟 建 物SB221に 建 て 替 え 、 日隠 し塀 と して 、 南 側 に東 西 塀 SA301、 東 側 に南 北 塀 SA222を 置 く。

C期

の脇殿 SB404を 廃 し、SB221の 西 南 側 に南 北 棟 建 物

SB

306を建 て、 そ の南 に 目隠 し塀 SA307を 置 く。

SB221 

掘立 柱 東 西 棟 建 物 で、SB220を 同位 置 。同規 模 で南 庇 を廃 して建 て替 え た もの。

SA301 SB221の

南 に あ る掘 立 柱 東 西 塀 で

5間

(柱

6尺 )を

検 出 した。 SB221の 南 側柱 と3.6

m(12尺 )離

れ る。

SA222 SB221の

東 に あ る掘 立 柱 南 北 塀 で

7間

あ る。 柱 間 は不 揃 いで70cm〜 1.7m o SB221の 東 妻 と

3.3m(11尺 )離

れ、SD207の 南側 か ら発 しSB221の 南 側 柱 筋 にいた る。

SB306 SB221の

西 南 にあ る掘立 柱 南 北棟 建 物 で、 桁 行

3間 (7尺

×3)、 梁 間2間 (6.5尺×

2)

で あ る。 南 妻 がSB221の 南 側 柱 と

14.8m(50尺 )離

れ 、 東 側 柱 がSB221の 桁 行 中心 線 と

7.4m

(25尺

)離

れ る。

SA307 SB306の

南 に あ る掘 立 柱 東 西塀 で

4間

(柱

3尺 )あ

り、 両 端 の柱 穴 が他 よ りか な り 大 きい。 SB306の 南 妻 と

2.7m(9尺 )離

れ る。

SA406 SB806の

西 方

11.9m(40尺 )に

あ る掘立柱 南北 塀 で 、

 2間

(柱間

7尺 )分

を第 254次 調 査 で検 出 した。 さ らに北 にの び るか不 明で あ る。 その西 に あ る掘立 柱 東 西 棟 建 物 SB415東 妻 と

4.5m(15尺 )離

れ る。

SX315 

東 一 坊 大 路 西 側 溝 の西岸 にあ る土 器埋 納 遺 構 で、 十 六 坪 の南北 四 等 分 線 上 に あ る。 西 側 満 の奈 良 時代 前 半 の堆 積 層 を掘 り込 んで甕

2点

を合 口で横 たえ、長軸 を西側溝 と並行 に埋 め

た もの。上半 が削平 され、甕 の下半

1/2が

の こる。

そ の他 の遺構

 

現 時 点 で時期 未 確定 の遺構 を ま とめ て記 述 す る。 奈良 時代 以外 の若 子 の遺 構 も便 宣 的 に ここで記 述 す る。SB304は SB306の 西北 に あ る掘 立 柱 南 北 棟 建 物 で、 桁 行

3間 (6

X3)、

梁 間

2間 (8尺 +6尺

)、 掘形 が小 さ い。SD3091よ SB308の 南 の浅 い東 西 溝 で、 東 で 南 に振 れ西 端 が南 へ 直角 に折 れ 曲 が る。SD3101ま SD309の 東 端近 くか らSD309と ず れて始 ま る浅 い東 西溝 で、東 で南 に振 れ東端 が南 に折 れ る。 SD313は 東 一 坊大路 西側溝 のす ぐ西 で検 出 した 奈 良 時代 以 前 の溝 で東 で北 に大 き く振 れ る。 SK318・ 319・ 3200321・ 322は敷 地 の東 南 部 に散 在 す る方形 の上 坑 で、 一 辺1.5〜2.3m、 深 さ約80cm〜1.6m o SK325は SB308の 北 に接 した 円形 の土 坑 で、径

2m、

深 さ70cm。 これ らの上坑 は井戸枠 を と もなわず、井 戸 を試掘 したが何 らか の事情 で途 中放棄 した もの と考 え る。

一‑ 36 ‑―

(長

 

)

(14)

SA 406

く こ 立

,S卜̲325

西

SA 303

SB 308

億 市 ⌒ づ 馬 訂

SX 323

°  a 

 

 

SK 318

SA 402 SA 403

SK 322

o       10       20m

l o9o

28 左京七条一坊十六坪東南部調査遺構平面図 (1:500)。 遺構変遷図(左 :A期、右:C期)

IY‑18 050 290 七条条 間北小路

二等分線

―‑ 37 ‑一

(15)

西 南 部 の様 相

十六 坪 西 南 部 は、 南北 塀 SA402・ 403を東 限 と し、 北 限 は調 査 区外 で あ るが、 東 西 溝 SD207の 西 延 長 部 と想 定 す る。 掘立 柱 建 物20棟・ 塀

8条

・ 井戸1基 i溝 1条・ 土坑多数があ り、東北部・

東 南 部 に比 して数 が多 い。 重 複 関係 、 方 位 の振 れ、 出土 遺 物 な どに基 づ き、

A〜 Dの 4期

に区 分 で き る。 A・

B期

が奈良 時代前半、 C・

D期

が奈 良時代後半 で あ る。

A期  

遺 構 の方位 が北 でやや西偏 す る。十六坪 の中央 に南北塀SA402が あ り、 坪 の南 半 を東 西 に三 分 す る。 以 後 、 奈 良 時代 を通 じて坪 の東半 は遺 構 が疎 、 西半 は遺 構 が密 で あ る。SA402 に沿 って南北棟建物SB407・ 413、 そ の西 の南北 四等分線上 にSB418、 西 に離 れ た と こ ろ に総 柱 南北 棟 建 物 SB428が あ る。 SB428の 周 囲 に は空 閑地 が ひ ろが る。

SA402 

掘 立 柱 南北 塀 で、20間(柱

7尺 )を

検 出 しさ らに北 に の び る。 七 条 条 間 北 小 路 北 側 溝 の北

lmか

ら始 ま ってお り、十六 坪 の南辺 には築地 が なか った よ うで あ る。東一坊大路 西 側 溝 西肩 と東一 坊 坊 間東 小 路 東肩 との中点 、 す なわ ち十六 坪 の敷地 正 味 の中央 に位 置 す る。

SB407 SA402の

西 側 の掘立 柱 南 北 棟建 物 で、桁 行

6間 (8尺

×2)、 梁 間

2間

(7.5尺 ×

2)で

あ る。 SA402と と。

3m(4.5尺 )離

れ、南妻 は北側溝北肩 と

10.2m(35尺 )離

れ る。

SB413 SB407北

方 にあ る総 柱 の掘立 柱 南北 棟 建物 で、桁 行

3間

(5。 5尺 ×3)、 梁 間

3間 (5尺

×

3)で

あ る。SB407と 両側柱筋 をそ ろえ、南妻 がSB407北 妻 と

14.5m(49尺 )離

れ る。

SB418 SB413の

西 南 にあ る掘 立 柱南 北 棟 建 物 で、桁 行

5間

(5.5尺 ×5)、 梁間2間

(6尺

×2) で あ る。桁行 中心線 が坪 の南北 四等分線上 にあ り、西側柱 がSA402と

14.7m(50尺 )離

れ る。

SB528 

総 柱 の掘立 柱 南北 棟建 物 で、桁 行

3間 (6尺

×3)、 梁 間

3間 (5尺

×

3)で

あ る。 北 妻 がSB507北 妻 と筋 を そ ろえ、東側 柱 がSB407西 側 柱 と

29.8m(100尺 )離

れ る。

B tt A期

の建 物配 置 に近 い。遺構 の方位 が北 で東 偏 す る もの が多 い。 SA402は 存 続 す る。

SA402沿い に南北棟建物SB409・ 414があ る。SB414の 西 に空 閑地 を と り、 そ れ に面 して東 妻 柱 筋 を そ ろえ る

2棟

の東西棟建物SB424・ 425が並 ぶ 。 両 者 の西 側 に南 北 溝SD429があ る。 SB409 の西側、SB424の 南側 に は空 閑地 が ひ ろが り、 そ の中央 にSB423が あ る。

SB409 SA402の

西 側 の掘立 柱南 北棟 建 物 で、桁 行

6間 (8尺

×2)、 梁 間

2間

(7.5尺 ×

2)で

あ る。 SB407を 同規模 で北 へ

2間

ず ら した もの。 SA402と 1,9皿 (6.5尺

)離

れ、南妻 は北側溝北 肩 と14。

9m(50尺 )離

れ る。

SB414 SB409北

方 にあ る掘 立 柱 南北 棟 建 物 で、 桁 行

2間 (8尺

×2)、 梁 間

2間

(5.5尺 ×

2)

で あ る。 SB413の 位 置 を踏襲 す る。SB409と 棟通 りをそ ろえ、北妻 がSB409北 妻 と14。

9m(50尺

)

離 れ る。

SB424 

掘 立 柱 東 西 棟建 物 で、桁 行

5間 (5尺

×5)、 梁 間

2間

(6。 5尺 ×

2)で

あ る。 桁 行 中 心 線 がSA402と

29.5m(100尺 )離

れ、北側柱 が北側溝北肩 と

35,9m(121尺 )離

れ る。

SB425 SB424の 北 の掘立 柱東 西棟建物 で、桁行

5間

(6.5尺 ×5)、 梁 間

2間 (6尺

×

2)に

―‑ 38 ‑―

(16)

SA 402 H SA 403

SA 426        941e

七条条 間北 小 酪

SAi48  SK4侶

ド 鞠

0  2FoO

270

290

∞ に に

̲

B期

29 左京七条一坊十六坪西南部調査遺構図 (1:500)。 遺構変遷図

―‑ 39 ‑一

(17)

(出

7尺 )が

つ く。SB424と 東妻 をそ ろえ、

3m(10尺 )の

間隔 を と る。 身 舎 内 の西 妻 寄 り と北側寄 りに不整 円形 (径70om〜

lm)で

浅 い土 坑 が

5基

あ る。大 甕 を据 えた穴 で あ ろ う。 ま た身舎 中央 間 の四隅 に深 い柱穴 が あ り、建物 内 に何 らか の施設 を設 けた可能性 が あ る。

SA421 SB424の

東 南 の掘立 柱 南 北塀 で、

3間

(柱

7尺 )あ

る。SB424東 妻柱筋 と

5.8m(20尺

)

離 れ る。

SB423 SB424の 南 方 にあ る掘 立 柱 東西 棟建 物 で、棟 通 りに床 束 が あ り、 桁行

4間

(5.5尺×4)、

梁 間

2間

(9.5尺 ×

2)で

あ る。東妻 がSB409西 側柱筋 と23。

7m(80尺 )離

れ る と と もにSB424 の桁行 中心線 と筋 をそ ろえ、北側柱 がSB424南 側柱 と

14.8m(50尺 )離

れ る。

SD429 8B424・ SA425西 側 の南北溝 で、

27m分

を検 出 しさ らに南 にの び る と考 え る。 幅60cm・

深 さ15cmで、 東一 坊 坊 間東 小 路東 側 溝 東 肩 と

17.7m(60尺 )離

れ る。

C期  

大 き く様相 が変 化 す る。遺構 の方位 が北 で東偏 す る ものが多 い。

B期

まで のSA402の 位 置 を踏 襲 した南北 塀 SA403が あ り、 それ に接 して南北棟建物SB404が 建 つ。SA403か ら発 し調 査 区西端 にいた る東 西塀SA408が で き、 その南 の区画 に は東西棟建物SB422が あ る。 SA408の 北 側 の区画 は、 そ の西辺 を南北塀SA431で 画 し、内部 にSB419と 規模 の大 きいSB427が ある。SB404・

419・ 427にか こまれ た内側 は空 閑地 で あ る。

SA403 

掘立 柱 南北 塀 (柱

7尺 )で

B期

まで のSA402の 位 置 を踏 襲 す るが、 半 間北 へ ず ら し南 か ら12間分 しか な い。七 条 条 間北小路北 側清 の北

2.3m(8尺 )か

ら始 ま って お り、 そ こ を通路 と したので あ ろ うか。

SB404 SA403の

北 端 に接 した掘立 柱南北棟建 物 で、桁行

5間 (8尺

×5)、 梁 間

2間

(8。 5尺×

2)で

あ る。坪 の東 南部 の正殿SB220に 対 す る脇 殿 的建 物 で あ って、 棟 通 りがSB220桁 行 中心 線 と

28,7m(97尺 )離

れ て お り、100尺離 す よ う計 画 したので あ ろ う。 また桁 行 中心 線 がSB220 南庇 と

14.8m(50尺 )離

れ る。

SA408 SA403の

南 か ら

6本

目の柱 か ら西 にの び る掘立柱東西塀 (柱間8.5尺

)で

、19間分 を検 出 しさ らに西 にの び る と考 え る。

SB422 SA408の

南 にあ る掘立 柱 東西棟建物 で、桁 行

5間 (6尺

×5)、 梁 間

2間 (6尺

×

2)

で あ る。北側柱 がSA408と

3.2m(11尺 )離

れ、東妻 をSB419の 桁行 中心線 にそ ろえ る。

SB419 SA408北

側 の掘立 柱東 西 棟建物 で、桁行

5間 (7尺

×5)、 梁 間

2間

(8.5尺 ×

2)で

あ る。北 側柱 はSB404の 南妻 と筋 をそ ろえ、桁行 中心線 ががSA403と

22.3m(75尺 )離

れ る。

SB427 SB519の 西北 にあ る掘立 柱南北棟建物 で、 桁 行

5間

以 上 (7.5尺 ×

5以

)、 梁 間

2間 (8尺

×

2)に

両 庇 (出 は東10尺・ 西

7尺 )が

つ く。身 舎南 か ら

3間

目 に間 仕 切 りが あ る。 北 で東偏 す る振 れが きつ いが、東庇 がSB404棟 通 りと29。

7m(100尺 )離

れ 、 桁 行

5間

とす る と、

桁 行 中心 線 がSB404北 妻 と筋 を そ ろえ るよ うに計画 したよ うだ。

SA431 SB427の

西 にあ る掘立 柱南北塀 (柱

9尺 )で

11間分 を検 出 しさ らに北 にの び る と考

―‑ 40 ‑一

(18)

え る。 SA408の 北

3m(10尺 )か

ら発 し、 8B427の 西庇 と

7.4m(25尺 )離

れ る。

D tt C期

のSB419を 同位 置 で建 て替 え たSB420を 中心 と して 、 方 位 の振 れ が な い遺 構 群 を 整 然 と配 置 す る。坪 の東西二等 分線 上 のSA403を 廃 し、小建物SB415か ら南 に の び る南 北 塀

SA

405と な る。SB420の 周 囲 に は、北 にSA426、 東 南 にSB416・ SA417が あ るのみ で、 建 物 が疎 に な るの に対 し、東一坊 坊 間東小路 に面 した敷 地西辺 にSB430・ 432・ 433・ 434が並 び、 敷 地 の利 用 が街 路 寄 りに変化 した と考 え られ る。

SB420 SB419を

同位 置 で建 て替 え た掘 立 柱 東 西 棟建 物 で、 規模 は変 わ らな い が 、 SB419が わ ず か に北 で東 偏 す るの に対 し、SB4201ま 振 れ が な い。

SB416 SB420の

東 南 の掘立 柱 東 西 棟 建 物 で、桁 行

3間 (7尺

×3)、 梁 間

2間 (7尺

×

2)で

あ る。 SB420の 棟 通 りの

14.6m(50尺 )南

を棟 通 りと し、 西 妻 がSB420の 桁 行 中心 線 と

4.5m

(15尺

)離

れ る。

SA417 SB416の

北 側 柱 西 か ら

2本

目か ら北 へ の び る掘 立 柱 南 北 塀 (柱間

6尺

前 後

)で

 7間

あ る。SB420の 東妻 と

1.6m(5.5尺 )離

れ る。

SA405 SB420の

東妻 か ら

17.8m(60尺 )東

にあ る掘立柱南北塀 (柱

9尺 )で

6間

あ り小 規 模 な東 西 棟 建 物 SB415の 東 妻 に と りつ く。

SB415 

掘 立 柱東 西 棟 建物 で、桁 行

3間 (6尺

×3)、 梁 間

2間

(5.5尺 ×

2)で

あ る。 棟 通 り がSB420の 北 側柱筋 と14。

9m(50尺 )離

れ る。「東南部 の様相」 の項 に記 したSA406は 、SB415の 東 妻 と

4.5m(15尺 )離

れ る。

SA412 SB415の

南側 柱 の

6m(20尺 )に

あ る掘立 柱東西塀 で、

2間

(柱間 7.5尺

)あ

る。SA405 の柱 と柱 の中間 か ら出 る。

SB430 SB420の

西 南方 にあ る総 柱 な い し東 庇 付 き と推 定 で きる掘 立 柱 南 北 棟 建 物 で、桁 行

5間 (7尺

×5)、 梁 間

2間

以上

(9尺 )で

あ る。 南妻 は七条条 間北小路北 側溝 と

3m(10尺 )離

れ、

桁 行 中心線 はSB420の 南側 柱 と15。

lm(51尺 )離

れ る。

SB432・ 433 SB430の 北 にあ り、 SB420の 東 妻 か ら

30m(101尺 )の

位 置 を東 側 柱 とす る総 柱 の 掘 立 柱 南 北 棟建 物。 桁 行

3間

(5.5尺 ×3)、 梁 間

2間 (7尺

×

2)で

あ る。 両 者 は柱筋 を そ ろ え、

2.9m(10尺 )離

れ る。 SB432の 北妻 はSB430の 北妻 と

14.6m(49尺 )離

れ る。

SB434 8B433の

北 にあ る掘立 柱 建 物 で、 総 柱 な い し南庇 付 と推定 で き る。 柱 間 は東 西・ 南 北 と も5.5尺 。西端 はSB433の 東側柱 と筋 をそ ろえ、南端 はSB433北 妻 と

8.9m(30尺 )離

れ る。

SA426 SB420 0 434の 間 にあ る掘立 柱東 西 塀 (柱間 8.5尺

)で 7間

あ り、SB420北側 柱 と

8.8m

(30尺

)離

れ る。

そ の他 の遺構

 

現 時点 で時期未 確 定 の遺 構 を ま とめて記 述 す る。

SE41l SB407・ 409の西 にあ る井 戸 。 掘 形 は最 大 径

3m・

深 さ

2mの

不 整 円形 で あ る。 直 径80

cm・ 長 さ183cmの ヒノキの大木 の内側 を くり抜 いた材 を井戸枠 とす る。 枠 上 端 部 の裏 込 め に は

‑41‑

(19)

須 恵器 片・ 苺 を もち い る。 井 戸 の廃 絶 は奈良 時代 末 で あ り、埋土 か ら多数 の土器類 が出土 した。

SK410 SB407・ 409よ り古 い方形 大土坑。東 西3.lm。 南 北 3.6m・ 深 さ105cm。 井 戸 枠 を と もな わず、井 戸 を試 掘 したが、何 らか の事情 で途 中放 棄 した もの と考 え る。

SB420よ り南 側 に は土器 片 を多 く出土 す る不 整形 で浅 い大型 土坑 が多数 あ る。 遺 構 の切 合 い 関係 か ら、SK436は

A期

以 前 、SK437・ 438は

B期

以 前 、SK441は

D期

以後 、SK4431ま

C期

以 後 で あ る。SK440 0 441の 埋土 に は炭化物 が多 くふ くまれ、 火災後 の廃棄 物 を捨 て た可 能 性 が あ る。

(岩永 省 三)

西 北 部 の様 相

十六 坪 西 北 部 は、 東 西溝 SD207の 西 延 長 部 を南 限 と し、東北部 との間 には溝・ 塀 な ど の 区画 施 設 を検 出 して いな いが、第255次調 査 区東北 隅 で検 出 した十 六 坪 の北 辺 中 央 に位 置 す る大 型 建 物SB506を 、 便 宜 的 に東 限 とす る。検 出 した遺 構 は掘立柱建物21棟、 掘 立 柱 塀

5条

、 井 戸 4 基 、溝

4条

、 土 坑

4基

で、方位 の振 れ、重複 関係 、位 置 関係 に基 づ き

A〜 Dの 4期

に区分 で き、

A・

B期

が奈 良 時代前半、 C・

D期

が奈良 時代 後 半 で あ る。 奈良 時代 を通 じて比較 的小 規 模 な 建 物 を雑 然 と配 置 して い る。 塀 を配 して空 間 を仕 切 る場 合 で も、塀 の間 に間隙 を広 くと り、哉 然 と空 間 を区画 す る ことが ない形跡 か ら、西北 部 全 体 を一 体 と して使用 した と推定 す る。

十 六 坪 北 面 築 地 南側 溝 SD209は 、 西北 部 で も検 出 したが 、 調 査 区 中央 部 で途 切 れ る。 幅1.1 m、 深 さ40cmで 、 堆 積 土 は東 北 部 と同様 に上 下

2層

あ る。溝 の底面 は凹凸が あ り、下 層 は断続 的 に存 在 す る。 上 層 は築地 崩 壊 土 で あ ろ う。

A期  

十 六 坪 北 面 築 地 南 側 溝 SD209の す ぐ南 に、SB506・ 509・ 512を置 き、 南 に若 干 控 え て SB501・ 505・ 503・ 517・ SA525を 置 く。 いず れ の建 物 もSB506の 妻柱筋・ 側柱筋 か ら、10・ 50・

80尺とい った距離 を と って設定 されて い る。

SB506 

十 六 坪 西 北 部 の東北 隅 にあ る掘立 柱東 西 棟 建 物 で、 桁 行

5間

以 上 (6.5尺 ×

5以

)、

梁 間

2間

(5.5尺 ×

2)に

南北 両 庇 (出

8尺 )が

つ く。 A・

B期

を通 じ十 六 坪 北 半 部 の 中 心 的 建 物 で あ る。 桁 行 を

5間

と仮定 す ると、 その中心 が東 一坊大 路 と東一坊坊 間東小路 の心 々 間距 離 を ほぼ三 分 す る位 置 にあ る。 東一 坊 大 路 西 側 溝 西 肩 と東一 坊坊 間東小路東 肩 との中点 、 す な わ ち十六 坪 の敷 地正 味 の中点 か らは約

3.6m東

へ ず れ るか ら、 この建 物 の設 定 は条 坊 計 画 時 の 奈 良 時代 初 頭 に遡 る可 能 性 が大 で あ る。 SB506の 北 側 柱 はSD209い の南

4.4m(15尺 )に

あ り、

SB

509・ 512の南 側 柱 はそれ と筋 を そ ろえ る。

SB509 

掘 立 柱 東 西棟 建 物 で、 桁 行

4間

(5。 5尺 ×4)、 梁 間

2間 (6尺

×

2)で

あ る。西妻 が

SB

506西妻 と

29.5m(100尺 )離

れ る。

SB512 

掘 立 柱 東 西棟 建 物 で、桁 行

2間

以 上

(6尺

×

2以

)、 梁 間

2間 (6尺

×

2)で

あ る。

桁 行

3間

と仮 定 す ると、 その西妻 はSB506西 妻 と

44.5m(150尺 )離

れ る。

SB501 

掘 立 柱 東 西棟 建 物 で、桁 行

3間 (6尺

×3)、 梁 間

2間 (6尺

×

2)で

あ る。 東 妻 を

―‑ 42 ‑一

(20)

SA 536

勲 率 を

:。

isA534

│=

│ │

│―

F冨   ♭ 接十駅露 十石

30 左京七条一坊十六坪西北部調査遺構図 (1:500)・ 遺構変遷図

―‑ 43 ‑―

図 31a  左京七条一坊十六坪遺構変遷図 (上 :A期 、下 :B期 。便宜的に東北部 は前半の状況を示 した。 )

参照

関連したドキュメント

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[r]

代では、西大寺造 営前の平城京右京 一条三坊六坪の西 北隅部における宅

d.右 京三条一坊十三坪・ 同三条二坊四坪は字「斉音寺」 とい う。 そ の うち四坪か らは古瓦が 出土す るとい うが ,斉 音寺は藤原清河

北側溝が幅約1.3m、南側溝が幅約1mで、側溝の心心

 今回の調査区は、奈良市登大路町に所在し、平城京条

[r]

﹃一九九四年度平城宮跡発掘調査部発掘調査概報﹄を参照されたい︒