Ⅲ 京 内寺 院 等 の調 査
1 法華寺境内の調査 第 151‑16次
法 華 寺 境 内 に お け る茶 室 建 設 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 調 査 は浴 室 北 側 の畑 地 で あ り、 東 西1l m、 南 北
6mの
トレ ンチ を設 定 した。 調 査 の 結 果、 奈 良 時 代 か ら 近 現 代 ま で の建 物 、 溝 、 土 墳 等 が 地 山及 び 3層に及 ぶ 整 地 上 面 で 検 出 され た。奈 良 時 代 の遺 構 は、 黄 褐 色 粘 土 又 は そ の 直 上 に堆 積 す る茶 褐 色 砂 質 上 に構 築 さ れ た
3棟
の建 物 で あ る。SB 05は
桁 行2間
以 上 、 梁 行2間
(10尺 等 間)の
掘 立 柱 南 北 棟 。SB 10は
、 東 西 、 南 北 共1間
以 上 (10尺 等 間)の
掘 立 柱 建 物 。SB 25は
東 西 、 南 北 共1間
以 上 (12尺 等 間)の
掘 立 柱 建 物 で あ る。 い ず れ も柱 掘 形 は方 形 状 で 一 辺 0.7〜1.Omと
大 型 で あ るが 、 深 さ 0.1〜0.5mと
全 体 的 に浅 く、廃 絶 後 こ の付 近 が か な り削 平 され た こ とを うか が わ せ る。 配 置 か らみ て 、 い ず れ も共 存 し 得 ず 、 三 時 期 に区 分 され るが 、 具 体 的 時 期 の決 め手 を欠 く。SB 20、 SD 27・
28は
、 と もに二 層 目 の 暗 褐 色 砂 質 土 面 か ら掘 り込 まれ るが 、 検 出状 況 か らSB 20の
方 が 古 い。SB 20は
桁 行2間
以 上 、 梁 行2間
の東 西 棟 で 、 北 側 柱 列 の一 部 は未 検 出 で あ るが 、 一 辺0.6m前
後 の柱 掘 形 の 中央 に人 頭 大 の川第31図
法華寺境内出土軒瓦
‑56‑
第32図
法華寺境内発掘遺構図
原 石 を据 え る。
SD 27・
28は
、北 で 西 にや や 振 れ る南 北 溝 で 、深 さは20〜30 cmで あ る 。SK 06、SX 07、 SK ll、
SD 14は
、近 世 の 遺 溝 で あ る。 ま たS D30は
、平 瓦 と丸 瓦 を 組 合 わ せ た排 水 路 で 、 層 位 的 に は最 上 層 に構 築 され る。出土 遺 物 に は 、土 器 類 、 瓦 類 が あ るが 、大 半 は整 地 上 中 か ら検 出 されている。軒 瓦 は 、奈 良 時 代 前 半 か ら近 世 にゎ た る40点 (軒平瓦13点、軒丸瓦27点)が 出 上 し た が 、 うち
6割
強 が 奈 良 時 代 後 半 期 の もので あ る。西 大 寺 境 内 の調 査
第
151‑25次
本 調 査 は、 収 蔵 庫 建 設 に伴 な う事 前 調 査 で 、 当該 地 は、 本 堂 の東 方 約
30mの
位 置 に あ り、 「 西 大 寺 々 中曼 茶 羅 図 」 に よれ ば 、 叡 尊 伽 藍 再 興 時 の東 室 や奈 良 時代 の住 宅 遺 構 等 の存 在 が 予 想 され た。 調 査 区 は、 東 西6m、
南 北9.5mの
トレンチを 設 定 した が 、 検 出遺 構 の主 な もの は、建 物2棟
、 塀1条
、 溝 、 井 戸 、 泉 水 、 土 壊 等 で 、 出土 遺 物 か らみ て 中世 以 降 の もの で あ る。表 土 か ら約
0.7m下
で 黄 褐 色 粘 質 上 の 地 山 に達 す るが 、この 間 に大 略 二 層 の整 地 土 が あ る。SD 03、 SX 04、 SE 06、 SB 18は上 層 (暗褐色砂質土)、 SD 01、
SB
05、 SX 10、 SA 20は 下 層(暗灰褐砂色土)面 で 検 出 され た。SD 03、 SX 04は、黄色砂混 り の漆喰造泉水の導水関係遺構で、井戸SE 06、
礎石建物
SB18と
一連 の近世 の 遺 構 で あ る。SX 10は
炉 跡 と推 定 され る遺 構 で 、 焼 跡 は残 らな いが 、 床 面 は堅 く、付 近 に焼 灰 が 散 布 して お り、 近 隣 の ピ ッ トか らは応ゝい ご の羽 口1点
が 、 ま た整 地 上 中 か ら若 干 の鉱 滓 が 出土 した。④ 杢韓弟耐上二=」二
i慕 ̲̲̲士 写
第33図
西大寺境内発掘遺構図
薬 師 寺 旧境 内 の調 査 は)
薬 師 寺 の子 院 養 徳 院 の移 転 予 定 地 に お け る事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は薬 師 寺 本 坊 の 北 側 の 空 地
(P60第
36図)で
、絵 図 に よ る と近 世 に子 院 の 存 在 が 知 られ、
ま た奈 良 時 代 に は薬 師 寺 の寺 域 に属 し、 か つ平 城 京 条 坊 に関 連 す る遺 構 の存 在 も 推 測 され て い た。東 西 方 向 の 発 掘 区 を設 け 、調 査 面 積 は198ポで あ る。
調 査 地 の上 層 は、 上 か ら(1)最近 の盛 土
(1.5〜
2.Om)、 (動旧水 田耕 作 土・
床 土
(0.3〜
0.4m)、0暗
褐 色 砂 質 土 な い し茶 褐 色 砂 質 土(0.2〜 0.3m)で
、 そ の 下 は黄 色 粘 土 の地 山 とな る。は)に は多 数 の 細 溝 や 土 損 が 掘 られ て お り、 いず れ も中世 〜 近 世 の遺 物 を含 む。
この 層 か らは南 北 大 溝
SD 02が
検 出 され た。幅7.Om、 深 さ2.Omの規 模 で 、 断 面V
字 状 を な す 。 溝 内 は上 か ら下 ま で 黒 灰 色 粘 質 上 が 堆 積 して お り特 に土 層 を 細 分 す る こ とはで きず 一 連 の堆 積 と見 られ 、 そ の 中 か らは少 量 の上 器 、 染 付 陶 器 、 瓦 、 木 製 品等 が 出土 した。 瓦 器 は伴 って い な い。
発 掘 区 西 端 の上 壊
SK 05も
この(3)層で 検 出 した もので あ る。 西 に の び る土 壊 の 東 端 を検 出 した。 深 さ0.6mで
底 は ほ ば水 平 で あ る。土 墳 の底 お よ び東 肩 は黄 色 粘 質 上 の地 山 で あ る。 底 に は灰 色 粗 砂 (厚 さ
0,15m)が
堆 積 す るが 無 遺物 であ る。そ の上 は堅 く締 ま った茶 褐 色 粘 質 土
(04〜 0.45m)が
あ り、多量 の瓦 に三彩片 、 瓦 器 片 も混 ざ って い た。 茶 褐 色 粘 質 上 の 中 に は人 頭 大 の石4個
が あ り、 い ず れ も 据 付 け られ た状 況 で は な か った。 堆 積 土 の下 、 土 壊 の東 肩 に検 出 され た数 箇 所 の 浅 い 窪 み に さ きの 石 を 据 付 けて み る と ほ ぼ うま くす わ る こ とか ら、 この 窪 み に は 本 来 石 を据 え て あ った こ とが 予 想 され る に い た った。第34図
薬師寺旧境内(1)発掘遺構図
‑58‑
次 に述 べ る南 北 溝
SD 01や
掘 立 柱 穴SX 03・ 04は
地 山 面 で 検 出 した 。SD 01は
幅2.Om、 深 さ0,4mの
規 模 で 発 掘 区 の 北 と南 に延 び る。埋 土 は茶 褐 色 粘 質 上 で 多 量 の 瓦 片 と須 恵 器 片1点
を含 ん で い た。 いず れ も奈 良 時 代 の遺 物 の み で あ る。SX 04に
は 直 径 0。15mの
柱 根 が 遺 存 して お り、 上 部 の 空 洞 に は瓦 片 (中世 以 降 の もの)が
つ ま って い た。 二 つ の柱 穴 の関連 は明 らかで は な い。出土 遺 物 に は 瓦 、土 器 、木 製 品 が あ る。 瓦 は大 量 の丸 瓦 。平 瓦 の ほか軒 丸 瓦 。 軒 平 瓦 若 子 が あ る。 土 器 で は奈 良 時代 の須 恵 器 、 土 師器 、 中世 〜 近 世 の上 器 等 が あ り、 特 に三 彩 の存 在 は注 目 され る。 木 製 品 で は
SD 02出
上 の コマ状 品 が あ る。以 上 の結 果 を ま とめ る と、 まず 、 奈 良 時 代 に属 す る遺 構 は
SD 01が
あげ られ る。この溝 は平 城 京 の条 坊 を、 薬 師寺 寺 域 内 に延 長 した場 合 、右京六条二坊 一 。八坪の 坪 境 小 路 の東 側 溝 の位 置 に 当 た る。 この場 合 西側 溝 は、 た とえ設 け られ たにせよ、
後 世
SD 02に
よ って破 壊 され て い る もの と思 わ れ る。 あ るい は逆 にSD 02自
体 が 西 側 溝 を踏 襲 した もの で あ る可 能 性 もあ ろ う。SD 02は
含 ま れ て い る遺 物 や 掘 り 込 ま れ て い る土 層 か らみ て そ の 掘 削 の 時期 は近 世 初 頭 、 遡 って も中世 末 頃 と推 定され る。 この 溝 の性 格 は不 明 だ が堆 積 層 の状 況 な どか らみ て常 時 流 水 が あ った の で は な く、 む しろ滞 水 して い たか、 あ るい は空 堀 の状 況 を呈 して い た とみ られ 、 防 御 的 な 目的 を も っ た堀 と も推 測 され る。 な お後 考 に持 ち た い。
守
1く〔:三:::三I]:ここ戸 '2
14
卜6ィ10褐 土師器
9須
恵器 14青磁 1516瓦質土器78白磁
第35図
南北溝SD o2出土土器
│ 1 世Om
4
薬 師寺 旧境 内 の調 査本 調 査 は、 薬 師寺 が 法 相 宗 の祖 師 元 笑三 蔵 を杷 るた め に建 設 す る三 蔵 院 の工 事 に伴 う事前調査で 、調 査 地 は平 城 京 右 京 六 条 二 坊 九・ 十 坪 に あ た る薬 師寺 の 旧境 内 で 「 薬 師 寺 縁 起 」 等 に よ って 、 九 坪 が 苑 院 、 十 坪 が 倉 垣 院 と薗 院 に推 定 され て い る。 ま た 中世 に は子 院 が 建 ち並 ん だ 地 区 で あ るが 、 十 七 世 紀 頃 の「 伽 藍 寺 中之 図」
で は福 蔵 ヵ 院 跡 と記 され 、 同 じ頃 の 「 伽 藍 寺 中 井 阿 弥 陀 山 之 図 」 で も子 院 名 が記 され ず (両図 と も『 奈 良 六 大 寺 大 観 』 薬 師 寺 所 収)、 近 世 に は子 院 は退 転 して 荒 地 だ った ら しい 、奈 良 時 代 の 遺 構 の 検 出 が 期 待 され た が 、結 果 は殆 ん ど平 安 時 代 か ら近 世 に至 る遺 構 ば か りで あ った 。
発 掘 区 は 東 西43m、 南 北
46mの
ほ ぼ 方 形 と し、 遺 構 の 広 が りを み るた め に 東 西 水 路 南 側 に トレ ンチ三 ケ 所 を あ け た。 上 層 は 旧水 田 の耕土 、 暗 灰 色 砂 質 土・暗 灰 褐 砂 質 上 の 遺 物 包 含 層 が あ り、 淡 黄 褐 色 又 は青 灰 色 砂 質 上 の地 山 に至 る。 床 土 。遺 物 包 含 層 の厚 さ は発 掘 区 北 部 で は各 々5 cm、 10cmと 薄 い が 、 南 へ 向 って 厚
くな り、40 cm、 60〜70 cmとな る。
遺
構
検 出 した主 な遺 構 は、 奈 良 時 代 の上 壊
1(sK 25)、
井 戸1(SE
04)、
平 安 時 代 の 井 戸
3(SE05、
06、 16)、中 世 の 溝
4(SD28、
32、 33、 34)、中 世 の 井 戸
5(SE01、
02、 07、 08、 21)、近 世 の 溝 (S
D26、 27、 29、 30)、
近世の井戸多数で ある。
SE04は
径lmの
掘 形 に 竪 板 の 井 戸 枠 を 入 れ 中 に 径 0.7m、 深 さ0.5mの
曲 物 を 枠 と す る 。 井 戸 底 か ら和 同 開 弥 1、 万 年 通 宝 3、 神 功 開 宝 17枚 が 一 括 して 出上 し、 井 戸 埋 土 上 部 か らは三 彩 の 薬 壺 が 完 形 で 出土 した 。SE06は
径3mの
掘 形 内 に 竪 板 組 の 井 戸 枠 を お く。 枠 は隅 に 断 面3寸
×4寸
の 角杭 を たて 、‑60‑
つる
第36図
薬師寺旧境内調査位置図
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第38図
井戸・ 土壊出土土器
‑62‑
SE 06
SK 25
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0 10m
第39図
薬師寺 旧境 内(2)発掘 遺構図
春 日大 社 境 内 の調 査
社 務 所 建 設 に伴 う事 前 調 査 。 調 査 地 は 旧 社 務 所 を撤 去 した場 所で あ る。 建 設 予 定 地 の ほ とん ど は 旧社 務 所 の建 設 の 際 に大 き く削 平 され て い る。 東 方 部 は竃 殿 か
ら傾 斜 を も って 下 が りな が ら も約 ■
5m高
くな って い るた め 、こ こに南 北 トレ ン チ (東西 46m、 南 北19正
)を
設 定 し、 そ の 中央 部 か ら西 方 に東 西 トレ ンチ(東西20m、 南 北
3m)を
設 定 して調 査 を実 施 した。遺
構
南 北 トレ ンチ 内 で は後 世 の 瓦 捨 て 場 や 防 火 用 導 水 管 の 埋 設 の た め に 撹 乱 が い ち じる し く、 北 半 部 で 大 小 の礫 が 集 中 して み られ る集 石 遺 構 や 小 穴 を い くつ か 検 出す る に と どま った。 東 西 トレ ンチ で は、 東 端 か ら約
8m以
西 が 後 世 の 撹乱 を受 けて い た た め 、 東 部 で トレ ンチ を拡 張 した。 主 要 な検 出遺 構 は掘 立 柱 建 物 2、 掘 立 柱 塀 1、 土 壊3で
あ る。SB 01は
桁 行4間
以 上(25m等
間)、 梁 行 3 間 北 廂 付 き (身舎 21m、 廂31m)東
西 棟 建 物 で あ る。SB 02は SB 01に
先 行 する桁 行
4間
以 上 、 梁 行2間 (30m等
間)南
北 棟 建 物 で あ る。桁 行 方 向 の柱 間寸 法 は一 定 で な い。 両 者 と もに柱 掘 形 か ら出土 した瓦 器 に よ って 中世 に属 す る こ とが 明 らか で あ る。 乙の地 域 は、 行 幸 時 な ど に臨 時 の建 物 が 営 ま れ る場 所 な の で 、 そ う した 際 の仮 設 の 建 物 と考 え られ る。SA 03は
南 北 塀 で 、 そ の振 れ か らSB 02と
第40図
春 田大社境内発掘遺構図
同 時 期 か と思 わ れ る。
3基
の上 壊 はいず れ も 中世 以 降 の もの であ る。遺
物
出土 遺 物 の ほ とん ど は 中世 以 降 の上 師 器 、いわゆ る「か わ らけ」 で あ り、 祭 器 と して 用 い られ た もの で あ る。 他 に若 千 の 瓦 器 が あ る。
‑64‑
表
2
未記載調査一覧次 数 調 査 位 置 と 目的 検 出 遺 構 備
考
第 151
‑7次 ‑9次
‑3次
‑8次
‑14次
‑23次
‑31次
‑21次
‑11次
‑13次
‑32次
凱
・ 30次 一 6 次
拗 細
・ 4 次
・ ︲ 2 次 卿
平城宮推定大膳職地 区
平城宮北方大蔵省 関 係遺 構 の確 認
左京一条二坊十 四坪
左京二条二坊十二坪
左京二条二坊十五坪 左京三条二坊三坪
左京 四条二坊一坪
五徳池西 における九条大 路検 出
称徳 山荘推定地関係遺構 の確 認
右京八条一坊十一坪 お よ び西一坊坊間大路の検出 東大寺北面大垣 の確 認
西太寺伽藍 の検 出 法隆寺関連遺構 の検 出
中世柱穴2検出
遺構残存 せず、地山を確認
小 ピッ ト2検出
小 ピ ッ ト
1(柱
穴 か?)、 近世井戸 を検 出十 二・十二坪坪境小路、建物18、塀2、
粘土採掘装多数 中 。近世柱穴5検出
掘 立 柱 建 物 8、 塀4、 井 戸2、 土 塘4、 三坪 を東西 に三分 す る南北塀 検 出
奈良 時代掘 立柱建物5、 塀6、 八 角 形井 戸1、 土壊5検出。 増多数 出土 九条大路推定北側溝北半部 を検 出
遺構残存 せず、地山を確 認
西一坊坊間大路両側溝 、井戸1、 建 物1、 塀3、 その他土壊多数 中世 の井戸・ 土壊・ 溝 を検 出 したが 北面太垣 は残存 せず
室町時代末 の南北溝
西室跡 、瓦窯 な ど奈良時代 か ら近世 に至 る遺構多数
中世 瓦器 片 出土 中世瓦片のみ
土器・ 瓦片少量
土器片少量
土器 片少量
.瓦
片少量平城 京左京二条二坊十 三 坪発掘調査
奈 良 時代 瓦片
平城京左京三 条二坊三 坪発掘調査報告
平城 京左京 四条二坊一 坪 発掘調査報告 市 道九条線 関係遺跡発 掘調査概報(■)
平城 京右京八条―坊十 一坪発掘調査報告 中世土器片
土器片少量
法 隆寺発掘調査概報 Ⅲ 予定