将驀,、こ辻
平城京・ 京内寺院等の調査
‐十│ │ 十
=∵
¬ ̲:¬
図26 1992年 度平城京・ 京内寺院等調査位置図 1:50000
一‑ 55 ‑―
表7 1992年度平城京等発掘調査一覧 (*は巻末別表 に概要掲載)
表8 1992年度平城京内寺院等発掘調査一覧 (*は巻末別表 に概要掲載)
調査次数 調 査 地 区 地区名 面 積 調査期間 調査担当者 備 考
230 240
*234‑4
*234‑5 234‑6
*234‑‑7 234‑9 234‑10
*234‑16
*234‑17
*234‑18
左京三条一坊 十 。十五・ 十六坪 東紀寺遺跡 平城宮北方 平城宮北方 平城宮北方 平城宮北方 東一坊大路西側溝 左京三条一坊十坪 左京三条一坊七坪 平城宮北方 平城宮東辺
6AF」
6 AER 6 ASB 6 ASB 6 ASA 6 ASA 6AF」
6AF」
6AF」
6 ASA 6 ALE
1,700 1,500 6 36 12 6 100 90 30 32 20
7. 6‑ 8.31 2.10‑ 3.30 4.20‑ 4。 21 6.22‑ 6.25 6.25‑ 6.29 7.1 10. 5ハψ10.19 11.18‑12. 1
2.25‑ 3. 1 3. 4‑ 3. 8 3.15‑ 3.19
小野
健吉 小池
伸彦 森
公章 玉田
芳英 日杵
勲 佐川
正敏 杉山
洋 山崎
信二 舘野
和己 毛利光俊彦 舘野
和己
駐車場
奈良女子大学附属 中学校
中川安治宅 溝川達也宅 八幡神社 城山良一宅 駐車場 石田瀞宅 フクワエンジエアリング 笠井博之宅 中西清志宅
調査次数 調 査 地 区 地区名 面 積 調査期間 調査担当者 備 考
233 237
234‑2 234‑3
*234‑8 234‑15
薬師寺境内 頭塔 東大寺境内 法華寺 旧境内 薬師寺 旧境内 法華寺 旧境内
6BYS 6BZT 6BTL 6BFO 6BYS 6BFO
7.1〜 9,4
10.28‑ 3. 2 4. 2‑ 4.22 4.15‑ 4.22 7 .6‑ 7.10 2.22‑ 2,23
松本
修 自 高瀬
要一 内田
和伸 臼杵
勲 上野
邦一 寺崎
保広 藤田
盟児
伽藍復興 史跡整備
川崎裕久宅 岡島勝彦宅 法華寺下水道
―‑ 56 ‑―
6 左京三条一坊十・ 十五・ 十六坪 の調査
第230次本 調 査 は,奈良市 二 条大 路 南二 丁 目で実施 した,駐車場 造 成 工事 に と もな う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は平 城宮 跡 のす ぐ南 に位 置 し,平城 京 の条 坊 復 原 に よ る と左 京三 条一 坊 十五 坪 の北 半 部 と同十 坪 の北 半 東 辺 部,同十 六 坪 の南 辺 部 に あ た る。
この ため,十五坪 の主要部 の様相 の解 明,十五坪 と十六坪 の間 の三条 々間北小路及 び十坪 と十五坪 の間 の東一坊 々間東小路 の位 置 の確認等 を調 査 目的 と し,調 査 区 は これ らの 目的 を達成 す るため
,I・
Ⅱ区 は十五坪 と十六坪 にまたが って,Ⅲ区 は 三条 々間北小路 と東一坊 々間東小路 の交 差点付近 に,ま たⅣ 区 は十 五 坪 の 中心 部 か ら東一坊 々間東小路 を越 えて十坪 の西辺部 にか けて の位 置 に設 定 した。調査 期 間 は,1992年 7月6日
か ら 8月 31日で あ る。1
基 本 層 序調 査地 の基 本 層 序 は,以下 の とお り。
I区
上 か ら耕 土・ 床土・ 暗褐粘土 (整地 上)。
灰 色 砂 (地山)と
重 な る。 奈 良 時代 遺構 検 出面 は暗褐 粘 土上 面,標高60,9〜 61.lm。Ⅱ区
上 か ら耕土・ 床土・ 暗黄灰 土 (整地 土
)・
暗灰 砂 (地山)と
重 な る。 同検図27 第230次 。第234‑9,10次 調査位置図 1:5000
詠 鰯 韻
―‑ 57 ‑―
出面 は暗黄 灰 土 上 面,標高61.2〜61.4m。
Ⅲ区
上 か ら耕土・ 床土・ 灰褐砂質土・ 黄灰砂 (地山
)と
重 な る。 同検 出面 は黄 灰 砂 上 面,標高 61.3m前 後 。Ⅳ 区
上 か ら耕土・ 床 土 。礫混 暗灰土・ 黄褐粘土 (地山
)と
重 な る。 同検 出面 は 黄 褐 粘 土 上 面,標 高60。9〜 61.lm。2
遺構
検 出 した奈 良 時代 の主 な遺 構 は,以下 の とお りで あ る。
SA l
十 五 坪 と十 六 坪 の間 に設 け られ た東 西方 向 の築 地 塀 。 坪 の 中軸 線 (東一 坊 大 路 心 と東 一 坊 坊 間東 小 路 心 との 中心 を通 る線)に
当 た る位 置 に門(SB 8)
が開 く。 この門 の位 置決定方法 か ら考 えて,こ の築地塀 は平 城 京 造 営 当初 か らのもの とみ なす こ とが で きる。
<I・
Ⅱ・ Ⅲ区>
SD2 a・ bec
築 地 塀SAlの
北 雨 落溝 。2回
の改修 が あ る。SB 8の
北 の部 分 で は,当初 幅2m強
で あ ったSD2 aを
全 体 に北 に寄 せ な が ら約3mに
拡 幅,し が らみで護 岸 を行 な ってSD2 bと
し,さ らに後 に はSD2 bの
北 肩 付 近 で 幅約70cm
のSD3 Cを
掘 り直 して い る。SD3 Cの
時点 で は雨 落溝 と して の機 能 は持 ち え な い。<I・
Ⅱ・ Ⅲ区>
SD3 a・ b
築 地 塀SA lの
南 雨落 溝。 当初 約 1.5mの 幅で あ った もの を,後 に幅 約 70〜80cmに せ ばめて い る。掘立柱南北塀SA 9と の交点 で はSD3 aの
施 工時か ら,柱 の根 元 を水 が流 れ な い よ うに幅 をせ ば めて い る。
<I・
Ⅱ・ Ⅲ区>
SE 6
十 六 坪 中 央 南 部 に あ る,内 法 一 辺■
8m(6尺 )の
蒸 籠 組 の 井 戸 。 横 板 は7段 /(1段
の 高 さ は24.5〜26.Ocm)が
現 存 す る。 深 さ約3m。
長 屋 王 邸 跡 で 検 出 の 井 戸SE45801ま 一 辺 が1.35m,今
回 の 井戸 はそ れ よ り追 か に大 き く京 内 発 見 の 井 戸 で は最 大 で あ る。
<Ⅱ
区>
SB 7 SE 6の
す ぐ西 に あ る7間
四 面 の140 139 138 x‑146137
井戸SE6断 面図 (Y=‑18123地点)
―‑ 58 ‑―
――‑146′X 130
―‑146′160 禾
♂
④
∞
︒ 6 sE6
│
‑18,190
│
‑18,130 図29 第230次調査遺構図
1:400
東 西 棟 掘立 柱建 物。 桁 行 方 向 の柱 間寸 法 は身 舎
9尺
,庇8尺
で,総 長79尺。 梁 間 方 向 の柱 間寸 法 は身 舎9尺
,庇8尺
で,総 長34尺。<Ⅱ
区>
SB 8
築 地 塀SA lに
設 け られ た礎 石 建 ち・1間
の門。 柱 間寸 法 は8尺
な い し9尺。
<Ⅱ
区>
SA 9
築地 塀SAlの
南 面 に取 り付 く南 北 方 向 掘 立 柱 塀 。 柱 間 寸 法7尺
。<Ⅱ
区
>
SA10
十 五 坪 北 部 の東 西 方 向 の掘 立 柱 塀 。 柱 間寸 法8尺
。<Ⅱ
区>
SAll
十 五 坪 ,十 六 坪 の西 端 を限 る南 北 方 向 の築 地 塀。 十五 坪 か ら十 六 坪 に か け て途切 れず に続 いて い る。 この ことは,三 条 々間北小路 が ここで行 き止 ま りにな っ て い る ことを示 す。<Ⅲ
・ Ⅳ 区>
SB12
十五 坪 西 北 隅 の南 北 棟 掘 立 柱 建 物 。 梁 間2間
で,桁行 は調 査 区 外 と な る た め不 明。梁 間 の柱 間寸法 は10尺。 切 合 いか ら,SD3 aょ
りも古 い。<Ⅲ
区>
SB13a o b/sB17 a・ b sB13 a・ b〜
sB17 a・bは
,十五 坪 中央 西寄 りの大 型 建 物群 。 SB13 aは 梁 間2間
,桁行5間
以 上 の南北 棟掘立柱建物。柱 間寸法10尺。SB 13aと
sB17 aは sB14 a及 びSB15 aの 東 西 に配 され,そ れ ぞれ の南妻 をSB14 aの
南 側 柱 筋 とそ ろえ る。 SB13 aと sB17 aを 同位 置 で 礎 石 建 ち に建 て 替 え た の がSB13
bと
SB17 b。<Ⅳ
区>
SB14 a・
b sB14 aは
桁行7間
梁 間2間
の東 西 棟 掘 立 柱 建 物 。 柱 間寸 法 は10尺 。 SB14 aを 同位 置 で礎石建 ち に建 て替 え た のがSB14 b。<Ⅳ
区>
SB15 a・
b sB15 aは
sB14 aの 北 側20尺の と ころ に位 置 す る東 西 棟 掘 立 柱 建 物 。 桁 行 (東西 方 向)は
SB14 aと 同 じく7間
(柱間寸 法10尺),梁 間 (南北 方 向)は
4間 (身舎・ 庇 と も柱 間寸 法10尺)。 SB15 aを 同位 置 で礎石建 ちに建 て替 え た のが SB15 b。
<Ⅳ
区>
SB16a o b sB16 a・ bは
sB15 a・bの
北 側12尺の位 置 に あ った と推 定 さ れ る 掘立 柱 及 び礎 石 建 ちの建物 。 西 側 柱 筋 がSB15 a・bと
そ ろ って お り,桁 行 は7間
(柱間寸 法10尺
)で
あ ろ う。<Ⅳ
区>
SD18〜 21 SB13 b〜
SB17 bの 雨落溝 と見 られ る石組溝。 この石組溝 は,礎 石 建 物‑61‑
に と もな うもの と見 られ る。 南北 溝
SD18は
SB13 bと SB14 bの 中間 に位 置 し,東 西 溝SD20を
越 えて南 下 し,東西溝SD22に
注 ぐ。 南 北 溝SD19は
SB14 bとSB17 bの
中 間 に位 置 す るが,SB15 bの 西部 で はや や西 に曲 が る。 な お,SB13 a〜 17aの
雨 落 溝 も同位 置 に設 け られて い た と考 えて よいだ ろ う。<Ⅳ
区>
SD22
南 北 溝SD18か
らの水 を うけ る東 西 溝 。<Ⅳ
区>
SD23・
S D24
東 西 溝SD22か
らの水 を南 に流 す2条
の南北 溝。<Ⅳ
区>
SD25 SD17a・ bの
西 側 の雨 落 溝。SD20を
越 え て南 に伸 び る。<Ⅳ
区>
SA26 SB17の
西 に あ る南北 方 向 の掘 立 柱塀 。 柱 間寸法 8尺 。 SD25よ り も新 しい。<Ⅳ
区>
SB27
十 五 坪 西部 。 東 西方 向14尺,南北 方 向21尺と考 え られ る1間 1間
の掘 立 柱 建 物 か。 周 囲 に2本 1組
とな った支 柱 また は縁 東状 の柱 を と もな う。<Ⅳ
区>
SA28 SB27を
囲 む,東西方 向5間
南 北 方 向4間
以上 の塀 囲 い。 柱間寸 法 は東 西 方 向8尺
,南北 方 向9尺
。<Ⅳ
区>
SK29 S B27西
側 柱筋 上 に位 置 す る,径1.8m前
後 ,深 さ2m以
上 の土 坑 。 底 に厚 さ50cm以
上 の木 クズ層 が堆積 す る。埋 土上 に置 かれ た数個 の 自然石 は性 格 不 明 。<Ⅳ
区>
SD30
築 地 塀SAllの 東 雨落溝。 幅 は3m前
後 と広 い。<Ⅳ
区>
SD31
東 一 坊 々間東小 路 東 側 溝。 素 掘 りで幅1.Om。<Ⅳ
区>
SD32 a・
b
東 一 坊 々 間東 小 路 西 側 溝 。 当 初 お よ そ1.5m幅
で あ った(SD32 a)
が,後 に位 置 を西 にず らして幅80cmに せ ば めて い る (SD32b)。SF33
当初 の東 西両側溝 の心心 間距離7.05m。 20大尺 の計 画 幅 で あ った こ と は 間 違 い な い。<Ⅲ
・ Ⅳ 区>
SA34 +坪
の東辺 を限 る南北方 向 の築地 塀。<Ⅳ
区>
SB35
築 地 塀 SA34に 設 け られ た掘立 柱,1間
の門。 柱 間 は8尺
。<Ⅳ
区>
SE36 ‑辺
約6mの
隅丸 方 形 の掘形 を もつ 井 戸 跡 。 枠 木 はす べ て抜 き取 られ て お り,抜 取穴 の埋土 か らは木簡5点
が 出土 。<Ⅳ
区>
SA37 +坪
内,SE36の す ぐ西 の掘立柱 南北 塀。 柱 間13尺。<Ⅳ
区>
―‑ 62 ‑―
検 出遺 構 の 時 期
後 述 す る軒 瓦 の状 況 か ら,瓦葺 き建 物 が 奈 良 時 代 前 半 に建 ち,末 期 ま で 葺 き替 え を行 い な が ら存 続 す る。
した が っ てSB14 bを 瓦 葺 き建 物 に想 定 す れ ば,こ れ に先 行 す る
SBB14 aゃ
そ れ と 同 時 期 のSB13 a,sB15 a,sB16 a,sB17
aと い った掘 立 柱 建 物 群 は,よ り早 い時 期 の もの とな る。 ま た,同 様 に 出土 遺 物 か ら
,SE 6は
奈 良 時 代 後 半 の,SE36は奈 良 時 代 前 半 の井 戸 。 個 々 の新 旧 関 係 で は,塀SA26は
石 組 溝SD25よ り古 く,SB12はSD3 aょ
り も古 い。 ま た,塀SA10は
塀SA 9
よ り も古 い。
3
遺物
木 器
二 つ の井 戸SE6及 びSE36か ら斎 串 ,曲 物 な どが 出土 した。
土 器
土 器 は中心 建 物 付 近 に は少 な く,多 くは築 地 雨 落 溝,道路 側 溝,井戸 か ら 出 土 した。SE36で は,井 戸 枠 抜 取 穴 か ら墨 書
1点
(解読 不 能)を
含 む 平 城 Ⅱ の 土 器 が 出土 した。SE 6で は,掘 形 か ら8世
紀 中 〜 後 半 の,井戸 枠 内 埋 土 か ら平 城V〜
長 岡 期 の上 器 が 出土 した。 これ らか ら,SE36は お そ ら く奈 良 時 代 の 半 ば 以 前 に 廃 絶 した もの,ま たSE 6は 奈 良 時 代 後 半 に 掘 られ,長岡 遷 都 以 後 に廃 絶 した も の と 考 え られ る。 この ほか,包 含 層 か ら円面 硯 片 が 出土 した。
瓦 士専類
天 平 初 年 に作 られ た軒 瓦 が最 も多 い。 これ らに伴 う特 徴 的 な丸 瓦 と平 瓦 も多 数 出土 して い るの で,付近 に瓦 葺 き の建 物 が あ った可 能 性 が あ る。 瓦 の 分 布 か らみ て そ の建 物 は,十 五 坪 のSB14 b,十六 坪 のSB 7と 考 え られ る。 平 城 還 都 後 の軒 瓦 も出土 して い るので,奈 良 時代 後 半 に屋 根 の補 修 が 行 な わ れ た 可 能 性 が あ る。 井 戸SE6の井 戸 枠 内埋 土 か ら奈 良 時 代 末 期 の軒 丸 瓦 が 出 土 して い る。 ま た, 奈 良 時 代 前 半 の鬼 瓦 の破 片 が 出土 した。 この ほか,溝 や 住 抜 取 穴 か ら埠 の 出 上 が
目立 っ た。
木 簡
井 戸SE36か ら
5点
,井 戸SE 6か
ら1点
出 土 。 この うち判 読 で き るの はSE36
か らの
2点
(下記)で
あ る。1
表 :コ枝 宅 車 二 両裏 :□ (八ま た は六 か
)年
六 月 廿 一 日□ □ (赤染 か)□
2
蓮 子 萱 斗―‑ 63 ‑―
表
9
第230次調査出土瓦集計表軒
丸
瓦 軒
平
瓦 道
具
瓦
型式
種 点 数 型式
種 点 数 種 類 点 数 Aa
B
? A
?
6174 A 6282 H
?
6296 B 631l Aa
その他 。不明
1 3
1
8
1 2 2 2 1
3 10
6572 D 6641 ? 6664 D 6667 A 6671 K 6679 A 6688 Ab
6721 E Fa
I 9 そ の 他
鬼
瓦
その他
2 1
文
字
瓦 点 数
│
―ユ専
量 数 重
点 243.52kg
288
丸 瓦
量 数 重
点 522.32kg
4,033
平 瓦
重 量 1,322.86kg
軒丸瓦計 軒平瓦計 点 数 12,599
4
ま と め(1)十 五・ 十 六 坪 の利 用形 態 と性格
十 五・ 十 六 坪 の間 に は三 条 々間北 小 路 が存 在 しな い。 この こ とは,奈 良 時 代 を つ う じて十五・ 十六坪 が一体 と して利 用 され て いた ことを示 して い る。 (ち な み に,十 五・ 十六坪 か ら東一坊大路 をへ だて た東 隣 の左京 三 坊 二 条 ―・ 三・ 七・ 八 坪 の長 屋 王 邸 も,奈 良 時代 当初 の長 屋 王 邸 の時代 に は四坪 が一 体 と して利 用 され て い たが,そ の後,各坪 を区切 る坪 境 小 路
<三
条 々間北 小 路 と東 二坊 々間西小 路>
が設 け られて い る。
)た
だ し,十五 坪北 辺 の築 地 塀SA lの
存 在 か ら うか が え る よ うに,南 北2つ
の区画 に分 けて利 用 され て いた と見 られ る。十 五 坪 の 中心部 で は
,3棟
の大型東西 棟 建物 (SB14・ SB15。SB16)の
両 側 に南 北 棟 建 物,SB13・ SB17を 対称 に置 くとい う,従 来 発 掘 され た京 内 の宅 地 あ る い は 宮 内 で も例 を見 な い配 置 が奈 良 時代 をつ う じて続 いて い る。 ま た十 六 坪 で は,7
間 四面 とい うきわ めて格 式 の高 い建物 が建 て られ,京内最 大 の立 派 な丼 戸 が 設 け られ て い る。 さ らに,遺物 で は宮 内 の太 政 官推 定 地 と同一 形 式 の軒 瓦 が全 軒 瓦 の
1/4を
占め るほか,埠の多 さが 目立 つ。こ う した遺構・ 遺物 の あ りよ うか ら して,十 五・ 十六坪 は,個人 の宅地 とい うよ
―‑ 64 ‑―
りも公 的施 設,お そ ら くは官衡 と考 え るのが妥 当で あ ろ う。 左 京 三 条 一 坊 七 坪 の 調査 (第231次
)で
も公 的施設 と見 られ る遺構 が確認 されて い るほか,長屋 王 邸 の あ った左 京三条二坊―・ 二・ 七・ 八坪 も奈良 時代末 には太政官厨家 で あ った可能 性 が高 い。 こ う した周辺 地 の調 査 成 果 と考 え合 わせ て み る と,平 城 宮 南 辺 に接 す る地域一 帯 は,官衛 的色 彩 の強 い場 所 で あ った とみ なす ことが で きる。 と ころで,平安 宮 で は一 部 の官 衛 が宮 外 に拡大 して い るが,こ れ は各官 衛 (曹司
)が
発 達 し て宮 内 にお さま らず宮域 の外 に拡 が った と従 来 は解 釈 され て きた。しか し,上 述
の よ うに
8世
紀 初 頭 の平 城 宮 造 営 当初 にお いて既 にそ う した状 況 が み られ る こ と か ら,従来 の解 釈 は見 直 しが必 要 とな ろ う。(2)条坊 復 原
今 回 の調 査 で検 出 した条 坊 遺 構 は東 一 坊 坊 間東 小 路及 び両 側 溝 で あ る。 この小 路 は左 京 六 条 一 坊 十・ 十五 坪 間 で も両 側 溝 が検 出 されて お り,そ れ ぞ れ の路 心 を 結 ん だ直線 は,国上 方 眼方位 に対 す る振 れがNO° 14′ 44〃
W,方
程 式 で あ らわ す表10 関連条坊座標一覧表
点 条坊道路 種 別 X座標
Y座
標 文 献 座標 の典拠I
一コ 二条大路 北側溝心
南側溝心
‐146005,00
‑146043.25
‑17802.00
‑17802.00
1 1
第198次
A実
測図 第193次B実
測図Ⅲ一Ⅳ 東一坊坊間東小路 西側溝心 東側溝心
‐146215.00
‐146215,00
‑18189。40
‑18182.35
一
一
本調査実測図 本調査実測図
V一Ⅵ 東一坊坊間東小路 西側溝心 東側溝心
‐147795,00
‐147795,00
‑18182.35
‑18175。88
2 2
市第139次実測図 市第139次実測図 VII 東一坊大路 西側溝心 …146123.00 ‑18064,38 第234‑9次実測図
文献
1
本 中真 「道路 と敷地」 (奈良国立文化財研究所編 F平城京長屋王邸宅 と木簡』
吉川弘文館)1991年
2
鐘方正樹 「平城京左京六条一坊十 。十五坪坪 境小路の調査第139次」 (奈良市 教育委員会『奈 良市埋蔵文化財調査概要報告書
昭和62年度』)1988年
3
小澤毅「東 院南方遺 跡の調査
第223‐9次」 (奈良国立文化財研 究所『1991年 度
平城宮跡発掘調査部発掘調査概報』)1992年
点 条坊道路 種 別 X座標
Y座
標 文 献 座標の典拠イ 二条大路 条坊計画線 ‐146019,35 ‑18586.20 3 朱雀 門心か ら算出
ロ 二条大路 条坊計画線 ‐146017.75 ‑17802.00 3 IとⅡの1:2内分 点 東一坊坊 間東小路 路 心 ‐146215,00 ‑18185。88 HIとⅣ の中点 東一坊坊 間東小路 路 心 ‑147795,00 ‑18179。 11 9 VとVIの 中点
―‑ 65 ‑―
と
X=―
tan89° 45′ 16〃20Y‑4390482.
415で あ る。 この 直 線 と二 条 大 路 条 坊 計 画 線 (方程 式
X=tanO°
7′ 0″84Y―
145981.429… 表10イ ,口 か ら算 出
)と
の交 差 点
Aの
座 標 値 はX=‑146018.5 35,Y=‑18186.722と
な る。 点 イ (朱表11 左京三条一坊十五・ 十六坪四周の座標値
点 X座標
Y座
標 図A B C D E F
146018.535 146151,734 146284.933 146018.263 146151.462 146284.661
‑18186。722
‑18186。151
‑18185.580
‑18053.522
‑18052.951
‑18052.380
雀大 路 心 と二 条 大 路 条 坊 計 画線 との交 点
)と
点Aと
の距 離 は399.48mと な り,こ れ は1大
尺 0.3552mと して1124.7大尺 。 間違 いな く1125大尺 (375大尺 ×3)の
計 画 で あ り,小路 も計 画線 上 に路心 を あて て い る ことを示 して い る。 な お,表11は,A
を基 準 と し南北方 向 の振 れをNO°14′ 44〃
W,東
西方 向 の振 れ をEO°7′ 1″S,隣
接 す る条坊道路 間 の距離 を133.2m(o.3552m/大
尺 ×375大尺)と
して求 め た,十 五・十 六 坪 の周 囲 を巡 る条坊 計 画線 (二条 大 路 以 外 は路 心
)の
交 点 の座 標 値 で あ る。(小野 健 吉)
図30 第Ⅳ区全景 (東か ら)
―‑ 66 ‑―
東 紀 寺 遺 跡 の調 査 第
240次調査
1 1ま じめ に
この調 査 は,体育 館 建 設 に と もな う事 前 調 査 で あ る。 調 査 期 間 は 1998年2月 10日 か ら3月 30日で あ る。 当 該 地 は平 城 京 外 に あ り,紀寺 推 定 地 の 東 方 約
100mに
位 置 す る。 建 設 計 画 で は,建設 予 定 地 に建 って い た講 堂 を撤 去 し,よ り面 積 の広 い体 育 館 を建 て る こ と とな って い た。 そ こで 東 西 約50m,南
北 約30mの
調 査 区 を設 定 し,ほ ぼ建 築 面 積 全 体 に 匹 敵 す る1500∬ 余 りを調 査 した。 調 査 区 内 は講 堂 建 設 の 際 の 造 成 とそ れ以 前 の耕 作 に よ り大 き く削 平 を受 け,さ らに 講 堂 基 礎 や 建 築 廃 材 を 投 棄 した土 坑 な ど に よ る攪 乱 が 著 しい。 ま た調 査 区 北 辺 部 で は,汚・ 雨 水 管 の 埋 設
に よ る攪 乱 が現 地 表 下
1.3m前
後,な い しさ らに深 くに まで達 して い る。調 査 区 の上 層 は,上か ら造 成 上 (厚さ1.8〜
0.8m),耕
土 層 (同 20〜30cm),橙
黄 褐 色 砂 質 土 層 (同50cm)が
堆 積 し,以 下 礫 層 と粘 土・ シル ト層 の互 層 が 続 く。 橙 黄 褐 色 砂 質 土 層 以 下 で の遺 物 の 出土 は確 認 で きな か った。 耕 土 層 の堆 積 は調 査 区 西 半 部 に限 られ る。 遺 構 は橙 黄 褐 色 砂 質 土 層 上 面 で 検 出 した。嘲剛 即 帥 瑚 御 ヽ
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図31 第240次調査位置図 115000
―‑ 67 ‑―
Y‑14650
│
Y‑14640
│
│
図32 第240次 調査遺構図 1:300
Y‑14620
│ X‑147470
︱l ω∞ ︱︱
X‑147500
▲
八
2
遺構
遺 構 の残 りは非常 に悪 く,残存 部 分 は調 査 区 中央 部 に限 られ て い る。 主 な遺 構 に は,古 墳
3基
(SX01〜 03),土 坑1基 (SK04),井
戸1基
(SE05),柱 穴 な どがあ る。これ らの遺 構 も,上 半部 はか な りの削平 を受 けて い る。 柱 穴 は明確 に建 物 と して ま とま る もの は確認 で きなか った。
SX01〜
03
古 墳 は削 平・ 攪 乱 に よ り寸 断 され て お り,全形 を窺 う こ との で き る もY‑14,653
│
X‑147,490
Y‑14,650
│
青灰 色 シル ト層
0 1m
青灰 色 ンル ト層
図33 井戸SE05平・ 断面図
1:40
十 ノ ヴ 阻唖
橙 黄褐 色砂 質 土層
一‑ 69 ‑―
の は な い。 周 濠 底 部 が僅 か に残 るの み で あ り,そ の深 さ は
20cm前
後 ,幅 は15〜 2m
で あ る。
SX01は
内法 で一 辺12m前
後 の 方 墳 に な ろ うか 。 い ず れ も周 濠 内 に は黒 褐 色 の粘 質 土 混 じ り砂 質 土 な い し粘 質 上 が堆 積 して お り,堆 積 土 の色 調 ,土 質 は共 通 して い た。SX01の 堆 積 土 中 か ら埴 輪 小 片,土師 器 高 杯 が 出 土 した 。 埴 輪,土師 器 は風 化 が 著 し く,詳 しい時 期 は不 詳 。SK04 SX03の
北 東 部 で 検 出 した。 直 径1.2m,深
さ30cmの 円形 を呈 す る。 9世 紀 前 半 の須 恵 器,土師 器 な どが 出土 した。SE05
井 戸 枠 は上 半 部 が 方 形 縦 板 組 横 桟 留 め,下半 部 が 六 角 形 縦 板 組,底部 に 円 形 曲 物 を 据 え 付 けて い る。 井 戸 枠 上 半 部 は一 辺 が 約90cm,高
さlm以
上,六角 形 の 枠 は一 辺 が 20〜40cm,高
さ約lm,曲
物 は直 径 が40〜50cm,高
さ20cm。 現 状 で の 深 さ は約2.2mで
ぁ る。 井 戸 掘 形 は階 段 掘 りで,検出 面 で は直 径3mの
円 形,検出 面 か ら50cm下
で 段 が つ き一 辺1.5m程度 の 隅 丸 方 形 に 狭 ま り,さ ら に17m下
で 段 が つ き直 径lm内
外 の 円形 坑 とな る。 井 戸 枠 内 の埋 土 に は9世 紀 前 半 の須 恵 器,土師 器 等 が 含 ま れ て お り,そ の ころ に丼 戸 が廃 絶 した と考 え られ る。 ま た,井 戸 掘 形 西 辺 部 の埋 土 か ら土 馬 の胴 部 が 出上 した が,今回 の 出 土 状 況 か ら は井 戸 枠 設 置 時 の 祭 祀 に伴 う もの と は断 定 で きな い。3
遺物
今 回 の調 査 で は,調 査 区 内 の削 平 が著 し く,古代 〜 中世 。近 世 の遺 物 包 含 層 は皆 無 で あ り,ま た遺 構 も少 な い た め,遺 物 の 出土 量 は非 常 に少 な い。 主 な遺 物 に は,
古 墳 時 代 の埴 輪・ 土 師 器 高 杯 ,9世 紀 前 半 の上 師 器 皿 。須 恵 器 壷 (平城 宮 編 年 第 Ⅶ 期),緑釉 陶 器 な どが あ る。 大 和 型 の土 馬 胴 部 片 が 井 戸 掘 形 お よ び土 坑
S K04か
ら 各1点ず つ 出 土 した が ,時 期 は いず れ も9世 紀 まで は下 らな い。 この他 ,縄 文 中 期 土 器 小 片 1点 (攪乱 土 出土),軒平 瓦1点
(6732F),平瓦 数 点,銅銭 (銭 文 不 明)な
どが 出土 した。
な お,こ の調 査 につ いて は別 途 報 告 書 を刊 行 す る予 定 で あ り,詳 細 はそ れ に よ ら
れ た い。 (小池 伸 彦)
―‑ 70 ‑―
8 平 城 宮 北 方 の調 査 第234‑6次
奈 良 市 山 陵 町 の八 幡 神 社 境 内 の建 物 改 築 に伴 い,1992年
6月
25日 か ら6月
29日 まで発 掘 調 査 を実 施 した。 調 査 地 は,佐紀 盾 列 古 墳 群 の 日葉 酢 媛 陵 古 墳 の 南 。 神 社 の本 殿 は古 墳 の 周 濠 外 堤 斜 面 に建 て られ,改 築 部 分 は本 殿 の 南 側 ,外 堤 斜 面 を下りた平 坦 面 に あ る。 改 築 部 分 に
12rの
トレ ンチ を設 定 し,調査 を 行 った。調 査 地 の層 序 は上 か ら黄 褐 粘 質 土 (盛土・ 厚 約
40cm),明
黄 色 粘 土 (厚約 10cm), 礫 混 り黄 色 粘 土 (地山)で
あ る。 掘 り下 げ は地 山上 面 ま で 行 な った。 遺 構 は 調 査 区 南 壁 に か か る形 で 浅 い皿 状 土 坑
1基
を検 出 した に と ど ま る。しか し,
主 と して調 査 区 東 半 部 か ら埴 輪 片 が 多 量 に 出土 した。 す べ て の破 片 が層 中 に 無 秩 序 に堆 積 し,関連 す る遺 構 は検 出 で きな か った。 神 社 建 造 時 の外 堤 破 壊 の際 に出土 した埴 輪 片 を盛 土 中 に混 入
し,埋 め た もの で あ ろ う。
出土 した 埴 輪 は,現在 接 合・ 復 原 作 業 中 で あ るが ,盾 形 埴 輪
1個
体 以 上,朝顔 形 埴 輪 数 個 体 が 存 在 す る こ とが 判 明 図34 第234‑6次調査位置図 1:5000
して い る。 盾 形 埴 輪 は盾 面 が 目字 形 に分 割 され る文 様 構 成 を と る。 区 画 の厚 み に 差 は無 く,平 板 な 盾 面 に沈 線 で 区 画 を設 け る。 外 周 区 画 に は平 行 沈 線 文 が 放 射 状 に配 され,内側 の 区 画 は無 文 で あ る。 朝 顔 形 円筒 埴 輪 は
1個
体 が 復 原 実 測 可 能 で あ った。 現 存 長69.8cm,日 縁 部 復 原 径70cm。 底 部 を欠 く。 日 縁 よ り5段
目 に 方 形 透 孔,6段
目 に楕 円形 透 孔 が 各2個
ず つ 配 され て い る。 朝 顔 部 分 の器 面 調 整 は,外 面 が ナ ナ メハ ケ,内 面 は断 続 的 な ヨ コハ ケ(A種
ヨ コハ ケ)で
口 縁 付 近 は そ の 後 ヨヨナ デ を施 す。 円筒 部 の器 面 調 整 は,1次
調 整 が ナ ナ メハ ケ,2次
調 整 が継 続 的‑71‑
な ヨコハ ケ
(B種
ヨコハ ケ)で
あ る。焼成 は良好 で,淡黄 褐 色 を呈 す る。 黒 斑 が 見 られず,窯 に よ る焼 成 の可 能性 が あ る。日葉酢媛 陵古 墳 は副 葬 品 の一部 が知 られ,埴 輪編年 に お いて も標 識 遺 跡 の一 つ とな って い る。今 回 の 出土 埴 輪 で は,盾 形埴輪 は装飾 が簡 略化 され て い るもの の, 紋 様構 成 は これ まで知 られ て い る例 と共 通 し,時期 的 に も大 差 な い と考 え られ る。
しか し,朝顔 形 円筒埴 輪 に は
,B種
ヨコハ ケの存在,黒斑 が 無 い点 な ど従 来 の編 年 観 で は よ り後 出 的 な要 素 が 見 られ る。 今 後 の検 討 を要 しよ う。 (臼杵勲)
図35 八幡神社境内出土朝顔 円筒埴輪 1:8
―‑ 72 ‑一
東一坊大路西側溝 の調査 第
234‑9次調査
駐 車 場 造 成 に と もな う調 査 。 当該 地 は東 一 坊 大 路 西 側 溝 の 推 定 地 で あ り,同側 溝 の検 出 を 目的 に,5m×
20mの
東 西 ト レ ンチ を設 定 した。調 査 地 全 面 に厚 さ約
lmの
盛 土 が あ り,そ の 下 に耕 作 土・ 床 土 が あ り,木土 直 下 で 灰 褐 色 粗 砂 の遺 構 検 出面 とな る。 検 出 した主 な遺 構 は,南 北 溝 3条 で あ る。S D3935 東 一 坊 大 路 西 側 溝 。 検 出面 で 幅
6m,底
で4m,深
さ1.6mの
断 面 逆 台 形 の溝 で ,西 岸 に40‑50cm大の河 原 石 に よ る護 岸 を持 つ。 護 岸 は溝 肩 中位 か ら底 に か け て,本来3な
い し4段
の石 積 み が あ った もの と思 わ れ る。 ほ とん ど崩 落 す るが,最 上 段 の5個の み が 原 位 置 を保 って い る。 埋 土 は上 か ら暗 灰 褐 色 砂 質 土 層・ 暗 灰 色 粘 質 土 層 。暗 褐 色 粘 質 土 層 。暗 灰 色 バ ラ ス土 層 の
4層
に大 き く分 か れ る。 出 土 遺 物 で は,木 簡 8点 (内削 り くず 3点)を
は じめ,金製 飾 金 具 断 片 ,和 同 開 弥6点
,神 功 開 宝1点
,帯 金 具4点
,海 老 錠1点
・ 鉄 釘2点
な ど,金 属 器 に み るべ き遺 物 が 多 い。 ま た護 岸 石 列 の南 端 で,壽 木 と思 わ れ る木 製 品 が ま とま って 出土 して い る。SD01
幅 約40cmの素 掘 溝 で,左 京 三 条 一 坊 十 六 坪 の東 を 限 る閉 塞 施 設 の東 側 溝 の 可 能 性 が あ る。 ま た,SD02は 中世 の 瓦 器 や 火 鉢 を含 む溝 。今 回 の調 査 に よ って,東 一 坊 大 路 西 側 溝 に,部 分 的 に で は あ るが 護 岸 の施 さ れ て い た こ とが 明 らか にな った。 出土 遺 物 で は,上流 で 行 わ れ た 平 城 宮 第 32次 調 査 と 似 た様 相 を示 す 。 最 下 層 か ら も奈 良 時 代 後 半 の土 器 が 出 土 して い る こ と か ら,奈 良 時 代 を つ う じて溝 と して の機 能 を保 って い た もの と考 え られ る。 (杉 山
洋)
――‑146120
│
Y‑18070
│
Y18060 図36 第234‑9次調査遺構図 1:200
―‑ 73 ‑一
10 左京三条一坊十坪 の調査 第 234‑10次
本 発 掘 は駐 車 場 造成 に先立 つ事 前 の発 掘調 査 で,調査 面 積 は90∬で あ る。 位 置 は,平 城京 左 京三 条一坊 十坪 の西南部。
発 掘 区東半 で蛇行 す る流路 SD01を 検 出 した。 SD01は ,幅
4〜 6m,深
さ2mで
,西 北 か ら東 南方 向へ流 れ る。堆積土 は,流 水 時 に徐 々に堆 積 した下 層 (灰色 砂 質 土
)と
人 為 的 に埋 めた上層 (灰褐 粘 質 土)と
に分 かれ る。下層 か らは内面 に放射 暗文 と ラセ ン暗文 をつ け る土 師器杯Aが
出土 して お り,平 城 Ⅱか ら平 城 Ⅲ の古 い 段 階 まで流 路 と して使 用 され て いた よ うで あ る。上 層 か らは土 師器椀Aが
出土 し て お り,平 城 Ⅲの中段 階以 降 の あ る時点 で流 路 は埋 め立 て られて い る。 さ らに,流 路 SD01に 重 複 した位 置 で井 戸SE02を 検 出 した。 井 戸 掘 形 は95cmの 方 形 。 内 側 の 井 戸 枠 に は四隅 に径7cmの
角柱 を据 え て横 板 を一 辺 に一 枚 はめ込 み,横 板 の外 側 に8枚
前 後 の薄 い縦 板 を立 て並 べ て い る。 井 戸 底 か ら須 恵 器 横 瓶 ,広 口壺 と籠 状 の編 物及 び「西 嶋」「 西」 な どと書 か れ た木 簡7点
が 出土 した。 SE02は 遺 物 か らは細 か い年代 を限定 で きな いが,SD01下
層 の 堆 積 の あ る時 点 で作 られ,SD01上
層 の埋 め たて と同時 に埋 め られ た もの と考 え られ る。位 置 的 に は平 安 京 の神 泉 苑 に相 当す る本 遺 跡 で,奈良 時代 の蛇 行流 路 を検 出 し,
池 の存 在 を示 唆 す る「西 嶋」 の木簡 が 出上 した ことは注 目に値 す る。 (山崎信二)
Y‑18283 Y‑18273
1 1
‑146244X
‑146248X
0 〔
図37 第234‑10次調査遺構図 1:125
―‑ 74 ‑―
11 薬 師寺講堂・ 北面 回廊 の調査
第 233次伽 藍 復 興 の た め の事 前 調 査 と して 行 って い る,薬 師 寺 境 内 の一 連 の発 掘 調 査 で, 今年 度 の調 査 区 は,1990年 度 の講 堂 東 端 及 び北 面 回 廊 の調 査 区 と,伽 藍 中 軸 線 を は さん で東 西 対 称 の位 置 に あ た る。 調 査 区 は現 講 堂 の基 壇 の一 部 に及 び,面 積 は700 m2でぁ る。 7月 1日 に開 始 し
,9月 4日
に終 了 した 。 な お,回廊 基 壇 断 面 に観 察 され た噴 砂 の所 見 につ い て,通 産 省 工 業 技 術 院 地 質 調 査 所 主 任 研 究 官 の 寒 川 旭 氏 よ り寄 稿 を頂 い て お り,あわ せ て掲 載 した。l
遺構
a。 講 堂
当初 の基 壇 土 で あ る精 良 な橙 色 粘 質 上 が全 面 に残 存 し,北 面 に は化 粧 の凝 灰 岩 切 石 ,南 西 面 に は雨 落 溝 の一 部 を遺 存 して い る。 基 壇 上 面 は削 平 を受 け て い るが,礎 石 跡 は堀 形 な い し抜 取 穴 を十 三 箇 所 で検 出 し得 た。 掘 形 は一 辺1.4〜
1.8mの方 形 で,抜 取 穴 は不 整 形 だ が,根 石 を 留 め る もの が あ る。 これ らか ら復 原 され る当初 の講 堂 の柱 間寸 法 は,身 舎 桁 行
4.5m(15尺
),梁行5.lm(17尺
),廂の 出3.Om(10尺 )と
,1990年 度 調 査 の知 見 と一 致 す る。 た だ し今 次 の 調 査 で は裳 階 の 痕 跡 は全 く見 出 され な か った。北 側 に残 る凝 灰 岩 地 覆 石 の 幅 は25〜
35cmで
,長さ も60〜140cmと 一 定 しな い 。 いず れ も外 側 は風 化 が進 ん で い る。 地 覆 石 は現 状 の外 端 か ら約 6 cmほ ど の 所 で 一 段 く り込 み を入 れ て 内 側 を1.5cm低 く し,羽 目石 との仕 口 と して い る。 羽 目石 は 全 く残 され て い な い。 基 壇 の周 囲 は一 帯 が 瓦 片 を含 ん だ整 地 層 と な って い る が,この部 分 で は断 割 調 査 は行 って お らず,築 成 の状 況 や 回 廊 と の取 り付 き状 況 の解 明等 につ い て は講 堂 全 体 の調 査 に ゆ だ ね た い。
基 壇 西 南 部 で は雨 落 溝 の側 石 で あ る二 条 の玉 石 列 な い しは そ の抜 取 跡 が 断 続 的 に残 る。 雨 落 溝 の 内 法 幅 は35〜40cmほ ど に復 原 され る。
b.回
廊北 面 回 廊 は講 堂 基 壇 の西 端 か ら西 へ
32mに
亘 って,こ れ まで の知 見 と 同様 ,単 廊・ 複 廊 の二 時 期 の礎 石 据 付 穴 を重 複 して検 出 した 。 基 壇 土 は地 山 の 上 に一 層 積 む の み で ,基 壇 の高 さ に応 じて東 端 が最 も厚 く,発 掘 区西 端 で は削平 もあ っ一‑ 75 ‑―
□ 撹 乱 部 分
︱︱ ﹃ω ll
―
「
撮 1淳 e◎ ⑪
ば ざ
茄 鼈
﹈
講 堂
一一――‑148000
X
Y‑19540
図38 第233次 調査遺構図 1,250
て ほ とん ど残 らな い。
単 廊
単 廊 は桁 行・ 梁 間 共 に
37m(12.5尺 )に
復 原 さ れ,講堂 取 付 部 を 含 め て 8 間分 を確 認 した。 最 も残 りの よ い東 端 部 ,特 に と りつ きか ら2間
目周 辺 で は,上 面 の化 粧 な い しそ の下 地 と思 わ れ る しっ くい の層 が残 存 して お り,ま た と りつ き を 含 め東 か ら5間
目 ま で の,北 す な わ ち外 側 の柱 筋 上 に,瓦片 を 並 べ た,連子 窓 腰 壁 の壁 持 地 覆 を検 出 した こ とが特 記 され る。 これ は単 廊 に つ い て の,こ れ ま で の 調 査 を通 じて 初 め て の知 見 で あ り,単 廊 が あ る程 度 建 ち上 が って い た可 能 性 を 明 ら か に した と い え よ う。 ま た,単 廊 の南 北 両 側 は,複 廊 へ の 改 修 時 に付 加 され た基 壇 上 が一 層 覆 うが,そ の北 側 下 層 で,当初 の単 廊 基 壇 を整 形 した端 部 を確 認 して お り, 柱 筋 か らの 出 は13mで
ぁ る。 従 って これ に さ らに 化 粧 の 側 石 が 加ヽわ る と想 定 す れ ば,単 廊 の基 壇 の 出 は5尺
,基 壇 の総 幅 は22.5尺の計 画 で あ った と推 定 で き る。複 廊
礎 石 据 付 穴 及 び そ の ほ とん どの抜 取 穴 を 回 廊 取 付 を 含 め
7間
,さ ら に発 掘 区 を拡 張 して 南 側 柱 の み も う1間
,計8間
分 検 出 した。 拡 張 部 分 で 南 側 の 化 粧 石 はな お入 隅 に達 せ ず ,西 面 回 廊 ま で は少 な く と も も う1間
以 上 あ る こ と と な る。基 壇 北 面 の地 覆 石 は風 化 を受 けて上 外 角 を失 い な が ら も ほ ぼ 完 存 して お り,最東 部 で は羽 目石 の残 欠 も残 され て い た。 地 覆 石 の 幅 は24〜
38cm,高
さ は約24cmで
一 定 で あ る。 一 方 ,羽 目石 は厚 さ約15cm,高 さ につ い て は,北側 へ転 落 し た 一 枚 が 全 高 を留 め て お り,38cmと い う値 を得 た。 これ は基 壇 高 を復 原 す る に際 して の 有 効 な根 拠 とな る。これ に対 して,南面 の化 粧 石 は羽 目石 状 の板 石 で あ るが,足 元 で幅 を広 めて お り, 地 覆 石 と羽 目石 を一 体 と した形 式 とい うべ く,北 面 と は は っ き り と様 相 を 異 に し て い て,回 廊 内 外 の意 匠 の ち が い を示 して い る。
柱 間 寸 法 は,今回 の調 査 で は桁 行
4,05m(13,7尺
),梁行2.95m(lo尺 )と
い う計測 値 を得 た。 基 壇 幅 は
96m(32尺 )で
あ り,基 壇 の 出 が6尺
に復 原 さ れ る こ と を 合 わ せ て,梁 行 は 明 らか に尺 の完 数 とな るが,桁 行 に つ い て は な お検 討 を必 要 とする。 この こ と に つ い て は,後 に あ らた め て述 べ る。
北 雨 落 溝
地 覆 石 外 側 に玉 石 を並 べ,約40cmの 間 隔 を置 い て も う一 列 の 玉 石 列 が
―‑ 77 ‑―
あ る。 この間 が雨落 溝 とな るが,底 石 はな い。 雨落溝 の心 は地 覆石 外面 よ り
60cm (2尺
),従 って複 廊 の軒 の出 は8尺
に復原 され る。下 層 溝
発 掘 区東 寄 りに南北 に設定 した断面観察 用 の畔 際 を掘 り下 げ た所,ち ょ うどそ の トレ ンチ に ほぼ一 致 す る位 置 に,基 壇下層 の南北 溝 を検 出 した。 幅 は40
cm,残
存 深 さ は約10cmで
あ る。方 向 は回廊 の梁行 よ り北 で や や西 へ振 れ,埋 土 に は遺物 を一 切 含 まな い。 粘土 でて いね いに埋 め戻 され て お り,回 廊基 壇 造 成 に先 立 つ仮設 の排 水 溝 な い しは地 割 りの溝 と考 え られ る。その他 の遺構
回廊 東 端 部 の基 壇 上 部 で,径50〜60cmの 径
6個
の柱穴 を検 出 した。柱筋 が東 西 。南北 に通 ってお り,東 西
2間
(柱間2.4m),南
北1間
(柱間4.3m)の
平 面 を考 え る こ とが で き る。 北 中央 の柱穴 中 に は上 面 の平 坦 な 自然 石 が残 り,中 近 世 の建物 な い しそ の一 部 と推定 され る。
2
遺物
土 器類 はわず か で,ほ とん どが瓦 で 占め られ る。 内訳 は表12の よ うで あ り,境 内 他地 区 と同様 奈良 時代 の軒丸 瓦 で は6276形式 ,軒 平 瓦 で は
6841G形
式 が 卓 越 して い る。 また軒丸 瓦 で は天禄 火災後 の もの と考 え られ る39形 式 が特 に多 くを 占め る のが注 目され よ う。 この他 に中・ 近世 の瓦 の量 も多 い。610些 復原基壇及び桂位置エ
礎石 掘形
! ̲基壇土
600‑雨
落溝
地山̲十
!
̲と
̲̲̲ │
墳砂検 出部分 (図 40)X‑147990 x̲14'995
図39 回廊基壇断面図及 び複廊復原図 1:100
│
X―‑148000
―‑ 78 ‑―
3ま
と め本調 査 の新 知 見 と問題 点 を再 録 して,ま とめ とす る。
a.北
面 回廊 の規 模2次
に亘 った北面 回廊 の調査で は,いず れ も隅 の検 出 には至 っ て お らず,そ の東 西 規模 は確定 して いな い。1990年度 の調 査 で は,講 堂 には『縁起』に記 す ごと く裳 階 が あ った と考 え,そ の 出を6.25尺と し,講 堂 の桁 行 総 長 を137.5尺 (裳階 を除 き125尺
)と
復 原 して い るが,今回 の成 果 も基 本 的 に は これ に矛 盾 しな い。今 回検 出 した単 廊東 端 の推 定柱位 置 か ら講堂 側柱 まで の距 離5.6mを
,18.75尺 と考 え ると,裳 階 へ の取 付 の柱 間 は12.5尺とな って柱 間 と等 し く,さ らに単 廊 の距 離 を,隅の間 を含 めて これ まで の推定通 り片側各11間 とす る と,総 長412.5尺 ,す な わ ち東西 回廊 の心 々で400尺 とい う完数 を得 る。 そ もそ も講 堂 の桁 行 総 長137.5尺とい う数値 自体 が,12.5尺の11倍 に他 な らず,単廊 の東 西 規 模 400尺 と,そ れ を32等 分 した12.5尺 とい うひ とつ の基 準寸 法 が,講 堂 の規 模 設 定 と も密 接 な関係 を持 っ て いた ことが 明 らか で あ ろ う。
これ に対 して複 廊 の柱 間寸 法 につ いて は,梁行 の10尺 は動 か ず,梁行 は東 半 で の 推 定 (13.5尺
)と
は異 な って13.7尺が妥 当 と考 え られ た。 また,東 半で は複廊西端,す なわ ち講堂 へ の取 付 の柱 の礎 石跡 を未検 出で あ ったが,今 回 取 付 部 分 の寸 法 が 講 堂 側 柱 まで
5,4mで
ぁ り,単 廊 よ りやや短 い ことを確認 した。 これ を仮 に18尺 と 考 え、 複廊 の規 模 を隅 の間 を含 めず に片 側8間
と仮定 す る と,東 西 規 模 は心 々 で 400.5尺 とな って,ほ ぼ単 廊 と等 しい値 とな るのが注 目され よ う。 む しろ講 堂 へ の 取 付 寸 法 の考 えか た次 第 で は,複廊 の東 西 規模 も単 廊 を踏 襲 して い る と復 原 さ れ 得 る。b.単
廊 造立 と移 築 の可 能 性す で に述 べ た通 り,講堂 に近 い部 分 で単廊地 覆 の瓦 列 を は じめて検 出 し,こ れ まで の「単 廊 の礎石 を据 え た程 度 の段 階 で の複 廊 へ の 計 画変 更 」 と言 う推 定 の段 階 か ら,単廊 自体 が あ る程 度 建 ち上 が って いた可 能 性,
さ らに は本薬 師寺 か らの回廊 の移築 の可能性 を も検討 す る必要 が生 ず るに至 った といえ よ う。 しか し本栗 師寺 の回廊 の調査 は未着手 で あ って,こ の点 の解 明 は今 後 の重 要 な課 題 で あ る。
―‑ 79 ‑―
(松本 修 自)
4
薬 師 寺 の 発 掘 調 査 で検 出 され た地 震 の 液 状 化 跡近 年 ,地 震 の痕 跡 が 各 地 の遺 跡 発 掘 現 場 で検 出 さ れ る よ う に な った 。1)地震 の 痕 跡 の 中 で 最 もよ く検 出 さ れ る の が 液 状 化 現 象 の跡 で あ る。 この現 象 は気 象 庁 の 震 度 階 Ⅵ (特に液 状 化 し易 い条 件 下 で はの
V上
位)以
上 で 顕 者 に見 られ る。 液 状 化 現 象 は,地 下 に ゆ る詰 ま りの砂 (礫)層
な どが存 在 し,地下 水 で 満 た され た状 態 で 激 しい地 震 動 を受 け発 生 す る。 まず,震 動 に よ って,砂 (礫)の
粒 子 はお互 い の 支 え が はず れ て 移 動 す る。 この 際,粒子 間 の す き間 を小 さ く して よ り安 定 す る方 向 へ と動 く。 一 方 ,す き間 を 満 た して い る地 下 水 の側 で は,急 に圧 迫 され るの で水 圧 が 急 上 昇 す る。 や が て,水圧 の上 昇 した地 下 水 が 逆 に 砂 粒 や 周 囲 か らの 上 圧 を 支 え る よ うに な り地 層 が 液 体 の性 質 を もち,液 状 化 の状 態 に な る。 さ らに,上位 の 地 層 を 引 き裂 きな が ら,水・ 砂 が 地 表 に流 出 す る こ と に な る (噴 砂 現 象)。今 回 の薬 師 寺 跡 の発 掘 調 査 に お い て も,過 去 に激 しい 地 震 動 が 存 在 した こ と を 示 す 液 状 化 現 象 の痕 跡 が 検 出 され た。 これ は,図40の よ う に,現地 表 面 下140cm以 深 に あ る砂 層 の上 端 が 液 状 化 して,噴 砂 が発 生 した もの で あ る。 砂 層 か ら上 昇 す
る噴 砂 の通 り道 (砂脈
)は
下 部 で は最 大 幅9cmで
,上に行 く に つ れ て 分 岐 し,幅1〜1.5cmの複 数 の細 長 い砂 脈 に な る。 薬 師寺 回 廊 の創 建 基 壇 を 引 き裂 い て い る こ 表12 第233次調査出土瓦集計表
軒 丸
瓦 軒 平 瓦
道
具
瓦
型式
種A 点 数 型式
種 点 数 型式
種 1点数 種 類 点 数
?C 明 文 不 76 0737 38 4039 42 43 6076 8290 花文 式 62 63 菊 型巴
G H I K O F
?
? O B
664. 6647
6663 6664 6665 236 237 238 24︲
245 246 253 254 256 263 269 278 285 294
l
明 式 不 0098 05・7 455
.59 6
.66 68型 式 23 33 33 33 33 新 型
瓦 瓦 瓦 会 斗 戸 卿 英 面 隅 鳥
1 1 1 ユ
凝 灰 岩 点 数
丸 瓦
逼自覆己 1 540.9kg 章ミ姿交 1 3,754
平
瓦
目き彊魯 1 1,539.6kg 軒丸 瓦 計 122 軒 平 瓦 計 110 ズミ姿文 1 12,864
―‑ 80 ‑―
とか ら,8世紀 以 降 に発 生 した地 震 の痕 跡 と考 え られ る。2)
図41は液 状 化 した砂 層 の粒 度 組 成 を 舗 分 け法 に よ って 分 析 し た もの で,径0.25
mm(中
粒 砂)〜
径lmm(粗
粒 砂)の
粒 子 が 卓 越 して い る。 ま た,こ の 曲 線 か ら 図 学 的 に求 め た砂 の平 径 粒 径 は0,47mm(中
粒 砂),分級 度 は0.99(普
通)と
な り,粒 度 組 成 か ら考 え て,き わ め て 液 状 化 し易 い砂 層 と考 え られ る。
薬 師 寺 に は過 去 の地 震 に よ って 被 害 を うけ た記 録 が あ る。 まず,『大 乗 院 寺 社 雑 事 記 』 に は「 明応 三 年 五 月 七 日 (1494年6月 19日),午刻 大 地 震 ,以 外 事 也,東大 寺,
興 福 寺 ,薬 師 寺 ,法 花 寺 ,西 大 寺,矢田 庄 在 々 所 々,破損 損 亡,珍事,大略 及 転 倒 了 」 とあ る。3)こ れ は,奈 良 県 北 西 部 に震 源 を もつ マ グ ニ チ ュ ー ド6.0程度 の 内 陸 直 下 型 地 震 に よ る もの で,被 害 も さ ほ ど大 き くは な い。 ま た『 中 右 記 』 に は 「 十 一 月 二 十 四 日 (1096年12月 17日),辰時 許 地 大 震 (中略
)後
聞 ,地 震 の 間,近江 国 勢 多 橋 破 了 ,纏 東 西 片 返 残 也 ,東 大 寺 鐘 落 地 者,薬師 寺 廻 廊 顛 倒,東寺 塔 九 輪 落,法成 寺 東 西 塔 立 成 金 物 落 損 ,法 勝 寺 御 佛 等 光 多 損,凡所 々塔 多 損 云 々 」 と あ る。3)こ
れ は,
日本 列 島 の南 の海 底 に の び る プ レー ト境 界 (南 海 トラ フ
)で
発 生 した 巨 大 地 震 (永長 東 海 地 震)に
よ る もの でMは
8.0〜8.5の間 に推 定 され て い る。図42の よ うに,南 海 トラ フの東 半 部 で 東 海 地 震,西半 部 で 南 海 地 震 が 概 ね 100〜
150年 の周 期 で,ほ ぼ 同時又 は二 年 以 内 に発 生 して い る。1)
当 遺 跡 に お い て認 め られ た液 状 化 跡 は,奈 良 盆 地 で は は じめ て 検 出 さ れ た も の
0.1 図41
粒径
l mm
液状化層の粒度組成 図40 液状化跡の断面図 1110
‑81‑
で あ る。 しか し,規 模 は小 さ く,震度
Vの
上 位 程 度 の地 震 動 で も生 ず る可 能 性 が あ る。時 代 は8世 紀 以 降 に限 定 され て お り,奈良 盆 地 周 辺 の 内 陸 地 震,又は,く り返 し発 生 して い る東 海 ,南 海 地 震 の いず れ か に よ る もの と考 え られ る。 今 後 ,周 辺 地 域 の 遺 跡 に お い て も,地 震 の 痕 跡 が 検 出 さ れ る可 能 性 が あ り,発掘 調 査 の 際 留 意 して頂 け るよ う願 っ
て い る 。 (寒川
旭)
注
1)寒川旭(1992)『地震考古学一遺跡が語 る地震 の歴 史―』中公新書,251Pな ど。
2)奈良国立文化財研究所の金子裕之氏 に地層 の年代 について御教示頂 いた。
3)文部省震災予防評議会編(1941)『増訂
大 日本地 震史料・ 第一巻』鳴鳳社,945Pに 収録。 宇佐美龍夫 (1987)『新編 日本被害地震総覧』 東京大学 出版会,
434Pに も紹介 されている。
A B c D E
南海地震
東海地震
1
宮 ノ前遺跡2
黒谷川宮 ノ前遺跡3
神宅遺跡4
古城遺跡5
黒谷 川古城遺跡6
アゾノ遺跡7
尾張 国府跡8
石津太神社遺跡9
川辺 遺跡10
坂尻遺跡11
川合遺跡 12鶴松遺跡
13
下内膳遺跡(●は遺跡で地震跡で地震跡が見つか った もの)
図42 南海地震 と東海地震の発生時期
11 10。12
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