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遺    構

ドキュメント内 平城京・ 京内寺院等の調査 (ページ 37-41)

主 な遺 構 は掘立 柱建物・ 礎石建物各

1棟

、 溝

5条

で あ る。

SB2525 

東 西両 面 庇 付 南 北 棟 掘立 柱 建 物 。桁 行

4間

分 を検 出 した。 柱 間寸 法 は桁 行 で

8尺

、 梁 行 で

9尺

で あ り、庇 の出

9尺

とす る。 柱掘形 は身舎 で約

1,4m四

方 、 庇 で約

1.lm四

方 の方 形 を 呈 して い る。 柱 はすべて抜 き取 られて いた。

SB2526 

東 西両 面 庇 付 南北 棟 礎 石 建 物。 掘 立 柱 建 物 の南 か ら

4番

目の柱 掘形 を、礎 石 据 え付 け 掘形 が切 りこん で いた。 掘形 は方 形 で、一 辺 約 lm。 根 石 が の こる。 今 回 は妻 部分 の

3個

の掘 形 を検 出 した だ けだ が、 北 壁 にか か って次 の掘形 が一 部 確 認 され た。 今 回 の調 査 区 の北 約

12m

で お こなわ れ た平城 宮第103‑14次で、 この建物 の北延長部 が検 出 され て い る。 妻 か ら

5本

目 に相 当す る柱列 が みつか って い るので あ る。掘形 か らは奈良 時代 の瓦 が 出上 した。 時代 の決 め 手 とな る遺 物 はな いが、

2棟

と も奈良時代 の建物 と考 え られ る。

SD2527 

古 墳 時代 の素 掘溝 。 幅約1.4m、 深 さ約0。 4m。

SD2528 

灰 白色 粗 砂 を埋 土 す る素 掘 溝。 他 の遺 構 が の る茶 褐 色 砂 質 土 の上 、黄 褐色 粘 質 土 を切 る ことか ら年代 は中世以 降 で あ ろ う。

SD2530 

西 一 坊 大 路 の西 側溝 。 か ろ う じて長 さ

4mほ

どを検 出 した。 これよ り北 は削平 を うけ、

の こ って いな い。

SD2529・

2531 

浅 い溝 で、 SD2527と ほぼ直交 す る斜 行 溝 で あ り、古 墳 時代 の遺 構 で あ る。

  

SD2527付 近 の包含 層 か ら軒丸瓦

63081型

1点

が 出土 したが、瓦 の出土量 は少 ない。土 器 で は、SD2527か ら古 墳 時代 の上 師器 が ま とま って 出土 した。 た だ し、 小 破 片 が 多 く、 器 表 の磨 滅 が著 しい た め、 図示 で きる個体 はな い。

4ま

と め

今 回 の調 査 で、 西一 坊大 路西 側 溝 か ら西 へ

12mほ

どの と ころ に、東西両面庇 付大形建物 (南 北 棟

)の

存 在 す る ことが あ き らか にな った。 北 の第

103‑14次

調 査 で は礎 石 据 え付 け掘 形 しか

‑ 60 ‑―

検 出 して いな い が、 掘 形 が一 部 重 複 す る と と もに、 大 き さが掘 立 柱建 物 の柱掘 形 に近 似 す る と ころか ら、今 回検 出 した よ うに、 掘立 柱建 物 が礎 石 建 物 に建 て替 え られ た可能 性 が あ る。 この よ うに考 え る と、掘 立 柱建物 は、少 な くと も北 に

7間

以 上 の び る ことにな り、 北 に

3間

分 ず ら せ て礎石建 物 に建 て替 え られて い る。

従来 、 秋 篠 川 に よ る削 平 で、本 調 査 区周 辺 で の遺 構 検 出例 は ほ とん どなか った。 今 回 の調 査 は、宮 に接 した西 側 の土地利 用 を考 え る上 で、貴重 な資 料 を提供 した もの といえ る。

(杉

 

) S82526

103‑14次 調 査 区

248‑12次調 査 区

SD 2530

40調 図 1:400

Y=481501 IY=引馴∞

X=‑145403

SD 2530

41 第248‑12次

 

遺構平面図 1,200

‑61‑

‑9 

右 京 一 条 二 坊 一 坪 の調 査

  

248‑2次

集 合 住 宅 建 設 の事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は右 京 一 条 二 坊 一 坪 の東 辺 部 に あ た り、 西 一 坊 大 路 西 側 溝 の確 認 を 目的 と して 、 南 北12m× 東 西

8mの

調 査 区 を 設 定 した。

調 査 区 の基 本 的 な層 位 は、 上 か ら耕 土 、 床 土 、 黄 灰 褐 色 砂 質 上 の 遺 物 包 含 層 とな り、 地 表 面 下 約 50cmで 黄 灰 色 粘 質 上 の遺 構 面 に達 す る。 検 出 した遺 構 は、 南 北 溝

2条

、 掘 立 柱 建 物

1棟

、 掘 立 柱 塀

1条

と、 土 坑

2基

で あ る。SD921は 西 一 坊 大 路 西 側 溝 で 、 幅 約

3m、

深 さ約

0.5mを

測 る。 堆 積 は上 下

2層

に分 か れ 、 下 層 の溝 は断 面 が

V字

形 に近 く、 一 段 深 くな る。 そ の西 方 で は、 築 地 の痕 跡 は検 出 で き な か った が 、 掘 立 柱 塀 も存 在 しな い の で 、 一 坪 の東 限 を か ぎ る区 画 施 設 は築 地 で あ った可 能 性 が 大 きい。SD2510は調 査 区 西 端 の南 北 溝 で 、 幅 約

1.lmで

、 深 さ が 0,2m。 調 査 区南 端 を西 に拡 張 して 、 溝 の 西 肩 を 確 認 した 。 築 地 の 西 雨 落 溝 と思 わ れ る。

SA

2515はSD921の東 肩 に あ る掘 立 柱 南 北 塀 。 柱 間 は

8〜

13尺 と不 揃 い で 、 方 位 も北 で や や 西 に ふ れ て い る。SD921の下 層 埋 土 よ り新 し く、 柱 抜 取 穴 か ら奈 良 時 代 末 〜 平 安 時 代 初 頭 の土 師 器 が 出土 した。 上 層 の溝 に並 存 す

る ものか。SB2511は南 北 棟 で、

桁 行 、 梁 間 と も に

3間

以 上 。 SA2515と 同様 、 や や 西 に おゝれ て い る。 柱 間寸 法 は桁 行 が 9

〜 12尺 、 梁 間 が4.5尺。 時 期 は不 明 だ が、 築 地 の想 定 位 置 に重 な るの で、 長 岡 京 遷 都 以 後 の遺 構 とみ るべ きで あ ろ う。

な お、 今 回 の調 査 で検 出 し た 西 一 坊 大 路 西 側 溝SD921の 溝 心 座 標 は、

Y‑19135,3と

な る。

 

お もな 出 土 遺 物 は

SD

921か ら軒 平 瓦6663C bと 型 式 不 明 の 軒 平 瓦 が 各

1点

SD

2510か ら奈 良 時 代 後 半 の 上 馬 が

1点

、SD921の 東 肩 の 粘 質 土 層 か ら楔 形 石 器 ま た は 細 石 刃 核 とな る石器 が 1点で あ る。

42 248‑2次発掘調査遺構平面図

 

100 (玉田芳 英)

‑62‑

Ⅱ ‑10  右京三条一坊八坪 の調査

248‑11次

宅地 造 成 の た め地 表 か ら約40〜

        

43第

248‑11次調査位置図 1:3000

50cmの深 さ まで盛 り土 が置 か れ、 そ の直下 に地 山 の黄灰 粘・ 砂 質上 が堆 積 す る。 攪 乱 の た め、

奈 良 時代 の遺 物 包 含 層 や整地 上 は部 分 的 に の こるのみで、遺 物 も瓦 が少量 出上 したにす ぎない。

遺 構 は最 近 の土坑数基 の ほか、 時期不 明 の置石SX2520、 斜 行 溝 SD2521を 検 出 した 。 SX2520 は長 径60cm以 上 の石 を、 ほぼ同 じ規模 の浅 い土 坑 に据 え た もので あ る。SD2521は 調 査 区 の南西 隅 で北 端 を検 出 し、最 終 日に調査 区 を一 部 南 へ拡 張 して 性 格 を確 認 した。 そ の結 果 、 SD2521 は北西 か ら南 東 にのび る溝 で あ る ことが判 明 した。埋土 中 に弥生 時代後期 の上器 片 が大 量 に堆 積 して お り、 今 回 の調 査 部 分 のみで整 理 箱11箱分 が 出土 した。

 

弥 生 式 土 器 は周 溝 に 投 棄 され

た もの と思 わ れ、 この ことか らSD2521は この時期 の方形 周溝墓 の一部 と考 え られ る。

(白

 

)

‑146064

XI ‑146067

1

│       │

44 248‑11次調査遺構平面図 1:80

‑18816‑―Y

‑18819‑―

I

l

43 第248‑11次 調査位置図 1:3000

―‑ 63 ‑一

ドキュメント内 平城京・ 京内寺院等の調査 (ページ 37-41)

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