諸行刹那滅 Ksanikam sarvasamskrtam
―Mahayanasutralamkara 第ⅩⅧ章82・83偈の解読研究―
(完)*
早 島 理
解読研究に先だち第82・83偶を科文的に再提示する。
序
! ayog互t
2 hetutas utpattes 3 virodh互t
3−1 3−2
4 svayarn asthites
5 abh百lv百lt
6 1ak§a孕aik互nty吾t 7 anuvrttes o
8 nirodhatas
9 pari孕百mopalabdhes
由起 従因 相違
(生滅の原因)
(教証と理証)
不住 無体 画定 随韓 山霊 変異
(82a)
(82a)
(82b)
(82b)
(82c)
(82c)
(82d)
(82d)
(83a)
[以上前稿 1]
[以上前稿 2]
[以下本稿]
10 taddhetutva_
ll phalatvatas ll−l up互ttatva−
ll−2 互dhipaty百t ll−3 善uddha−anuvrttitas ● ll−4 satva−anuvrttltas ■ 結
因 果 執持 増上 随浄 随生
(83b)
(83b)
(83c)
(83c)
(83d)
(83d)
αCD・(11) taddhetutva−phalatvatas
【本言命】 150−28,Ch.646c, P.256a7.
それでは何に基づいて[刹那滅が]成立するのか。それの原因と結果に基づいてであ る。すなわち㈹刹那滅の原因に基づいてと,(11)刹那滅の結果に基づいてであるという意 味である。(Skt. p.151)
(1◎何となれば「心は刹那滅である」ということがすでに承認されているω。[そし て]この[心]にとって,[心とは]別な眼・色等の有爲なるものは原因である(2)。そ れゆえこれら[有爲なるもの]もまた刹那滅であることが成立するのである。しかし
16 早島:諸行刹那滅 坤a垣kalh sarvasalhskrtam
[逆に]非刹那滅から刹那滅が生じることはありえない。たとえば常住なものから無常 なものの[生じることはありえない]如くである。
⑳ さらに有爲なるものはすべてまことに心の結果である。このことは如何様に承認 されるのか。(ll−1)図題されることに基づいて,(ll−2)支配的であるから,(ll−3)
[有爲なるものは]清浮[な心]につき従うことから,及び(11−4)衆生につき従うこ とからである。
【魚油】 P.169a3, D.ユ43a5.
「それでは何に基づいて[刹那滅が]成立するのか」と云ううち,「有爲なるものは刹 那滅であると成立する」と説く時に,如何なる証因により刹那滅が成立するのかと云う 意味である。その証因を説いて,「それの原因と結果に基づいてである。」と云う。[この 複合]語(もaddhetutvaphalatvatas)の意味を示すために,「すなわち㈹刹那滅の原因 に基づいてと,⑳刹那滅の結果に基づいてであるという意味である。」と説く。原因が刹 那滅であるから,それより生じた結果もまた刹那滅であることを検証し,同時に,結果が 刹那滅であるから,それを生じさせた原因もまた刹那滅であると理解すべきである(3)。
(1◎ ㈲ 可愛が刹那滅であるから,結果が刹那滅であること[が成り立つのである。
その原因の刹那滅]を立証するために0 6ω,「何となれば『心は刹那滅である』という ことがすでに承認されている。[そして]この[心]にとって,[心とは]別な眼・色等 の有爲なるものは原因である。それゆえこれら[豊麗なるもの]もまた刹那滅であるこ
とず(D.143b)成立するのである。]と説く。このように眼識など,乃至すべての識が
[,すなわち心が]刹那滅であることは,仏教徒と外道のすべてに承認されている(la)。
このように心が刹那滅であることが承認、されているから,この心にとって原因である眼
[などの根と],色など[の境の両者,すなわち有爲なるもの]は[刹那滅]である。
[それ故に]経典にも,「眼,色に依存して(P.169b)眼識が生じる」( )と説かれてい るのである。(4a) ○したがって,有感なるものの結果である心の刹那滅であることが成 立しているから,それを生じさせる原因である有爲なるものもまた刹那滅であることが
成立するのである● (4a)。
〈反論〉(6)
[この点に関して]あるいは他の人々は次のように[反論するかもしれない]。常住 な有爲なるものから刹那滅の心が生じる。それ故に,有爲なるものは常住であり,それ から生じる心は刹那滅である,と。
〈答論〉
この[反論]は理に合わないことを示すために,「しかし[逆に]非刹那滅から刹那 滅が生じることはありえない。」と説く。[原因である]眼,色などが非刹那滅で常住
[であるとして,それら]から,結果である刹那滅そのものの心が生じることは理に合 わないと云う意味である。
この比喩を示そうとして,「たとえば常住なものから無常なものの[生じることはあ りえない]如くである」と説く。常住なものから無常なものが生じることはありえない。
たとえば常住な虚空から,壷や毛布などの無常なものが生じることはない如くである。
(4b)
エ因が刹那滅であるから,結果の刹那滅が成立するからである ●(4b)。α1) 「さらに有爲なるものはすべてまことに心の結果である。」と説く。さらにまた,
眼,色などの有爲なるものはすべて心の結果である。[換言すれば]有爲なるものは心 の結果であり,他方,心はそれら[平等なるもの]の原因である。したがって[原因で ある]心が刹那滅であるから,それの結果である有爲なるものもまた刹那滅であると理 解すべきである。
「このことは如何様に理解されるのか」と云うのは,有爲なるものは心の結果である とはまた,如何に明らかにされるのか,また心が刹那滅である場合に,有爲なるものも また刹那滅であるとは如何に明らかにされるのかと云う意味である。(D.144a)
これに答えて,「(ll−1)執受されることに基づいて,(ll−2)支配的であるから,
(ll−3)[有爲なるものは]清浄」[な心]につき従うことから,及び(U−4)衆生につ き従うことからである」と説く。有爲なるものは心の結果であるとは(P.170a),(ll−
1)心が有爲なるものを執受し,(11−2)心が有爲なるものに支配的であり,(1!−3)
清浄な心に有爲なるものはっき従い,及び(ll−4)衆生の心に有爲なるものはっき従 うから,有気なるものが心の結果であることは明らかなのである。
(11−1) up石ttatv石t(7)
【本言命1 151−4,Ch.646c, P.256b2.
眼などの二二なるものはすべて,心により[その]拠り所(身体)が保たれ,[心と]
一心同体となって執受される。この[心に]応じたもの(anugraha)が[心に]付き 従うからである。それ故にこれら[有爲なるもの]は心の結果なのである。
【釈疏】 P.170a2, D.144a2.
心が有爲なるものを執受する意味を示すために,「眼などの有爲なるものは[すべて]
心により[その]拠り所が保たれ,執受される」と説く。拠り所とは身体を云う。この 心こそが眼根を保持している身体を完全に掌握する。それゆえに有爲なるものは心の結 果であると理解すべきである。
心が如何様に身体を執受するかを示すために,「[心と]一心同体となる。この[心に]
応じたもの(anugraha)が[心に]付き従うからである」(8)と説く。たとえば(9) 0●識が 母の胎内に入り凝結し(10),最初に父・母の精・血(11)からカララ(kalala)・アルブダ
(arbuda)q2)などの身体あるものとなる (9)が,識が母の胎内に入って凝結しない限り,
父・母の精・血からカララ・アルブダなどにはならない。だから,身体こそが心に付き 従い,それ故に心が身体を今町するのである。経典にも,「難陀よ,もし母の胎内で識 が凝結しないならば,父・母の精・血からカララなどにはならないであろう。」(13)と説か れている。
さらにまた,心が傷つくときは身体もまた傷つき,心が平安なときは身体もまた平安 となる。したがって心に身体は付き従うのであるから,心が身体を執興するのである。
それ故,有爲なるものは[心の]結果である。
18 早島:諸行刹那滅 ksanikarh sarvasarhskrtam
【歯応】 P.171a7, D.152b5.
「この[心に]応じたもの(anugraha)が[心に]付き従うからである」と云うの は,心に応じたものが付き従うからである。[すなわち]心に把握された有爲なるもの がその心に従い生じるからである。それ故これは心の結果である。
(11−2) 〜ヨdhipaty百t(14}
【本言禽】 151−6,Ch.646c, P.256b2.
さらに有爲なるものを心が支配するのである。例えば世尊により次のように説かれて いる。「この世界は心により導かれ,心により引率される。次々に生じる心の支配のう ちに[世界は]存続するのである」(15)と。同様に「識を縁として名色がある」(16)と [説か れている如くである]。それ故に[これら有爲なるものは]心の結果なのである。
【釈疏】 P.170a8, D.144a7.
有爲なるものを心が支配しているという意味を示すために,「さらに有爲なるものを 心が(P.!70b)支配するのである」と説く。この心こそが有爲なるものを(D.144b)
支配する。それ故,有爲なるものは心の結果である。如何様に支配するのかを教証をもっ て示すために,「例えば世尊により次のようにまた説かれている。『この世界は心により 導かれ,心により引率される。」」と説く。心が意図したところへ身体もそれに付き従
うから,心が導き,引率すると云うのである。
「次々に生じる心の……」と云ううち,心にある欲望が生じるど,身体もそれに従っ て行動……ω,笑顔などの別な相へと変化する。[あるいは]もし心に怒りが生じると,
握り拳を作り,顔を震わせるなど別[な相]へと変化する。それ故,有義なるものを心 が支配するのである。
第二の教証を示すために,「同様に『識を縁として名色がある』と説かれている」と 云ううち,同様に他の経典にも,識の支配のもとに名色が生じると説かれている。それ 故に,有益なるものは心の結果である。
【広註】 P.171a8, D.152b5.
「同様に『識を縁として名品がある』とも説かれている如くである」と云うのは,識 は名色の王であり,[その識を]縁とし,識の(P.171b)支配のもとにそれは成立する からである。「それ故に,[これら有爲なるものは]心の結果である」と説かれているの である。
(11−3) 6列目dha−anuvrttitas(18)
【本言命】 151−8,Ch.647a, P.256b4,
さらに[有爲なるものは]清浮な心に従って生じるからである。何となれば,有爲な るものは鍮伽行者の清浄な心に従って生じるのである。次のように説かれている如くで ある。「禅定に入り,神足をそなえ,心を制御することに到達した比丘は,たとえば,
この木片の集まりが黄金であると堅く信ずれば,その[木片]でさえもまさにそのよう になるであろう」(19)と。それ故にまた有爲なるものは心の結果なのである。
【釈疏】 P.170b6, D.144b4.
清浮な心に[有爲なるものが]付き従う意味を示すために,「さらに[有爲なるもの は]清浮な心に従って生じる」と云う。[これは,]鍮伽行者の清浮な心に[付き従うの]
であって,彼ら[鍮伽行者]には乱丁なるものは「まさにそのようになるであろう」と
説く。
「清浮な心に従って生じる」と云ううち,清浄な心とは鍮伽行者の心を云う。有爲な るものは,喩伽行者の心があれこれと意図するそのままになるから,有爲なるものは心 が支配するのである。喩伽行者が意図した(P.171a)如くになるとは,如何に明らか にされるのかと云えば,乙丸をもって示すために,「次のように説かれている如くであ る。『禅定に入り,[神足をそなえ,心を制御することに]到達した比丘は……」云々と 説くのである。
(11−4) satva−anuvrttitas(18)
【直言命】 151−ll, Ch.647a, P256b6.
さらに[有急なるものは]衆生に従って生じるからである。何となれば悪行を積んだ衆 生にとっては外界の諸存在はつまらぬものである。他方,福行を積んだ衆生にとっては [その同じ外界の諸存在は]麗しいものである。それ故これ(有爲なるもの)は[衆生の1 心に従って生じて来るから,有爲なるものは心の結果であることが成立するのである。
【釈疏】 P.171al, D.144b7.
[さらに,有爲なるものは]衆生の心に従って生じることの意味を示すために,「衆 生に従って生じるから」云々と説く。かくの如く有爲なるものは(D.145a)心に従っ て生じるのである。如何様にかと云えば,何となれば悪行を積んだ衆生の心が支配的で あれば,収穫などもまた色・香・味などが微弱となり,黄金などのものもまた燃えかす の如くに現れる。他方,品行を積んだ[衆生]の心が支配的であれば,穀物などが色・
香豊かに現れ,つまらぬものでも宝石などの如くに現れる。それ故,有爲なるものが心 の結果であることは明らかである。
【広註】 P.171bl, D.152b6.
「外界の諸存在はつまらぬものである」と云うのは,[悪行を積んだ衆生にとっては]
大地は荒地,切り株,いばらなどなどに満ち溢れ,また色・声・香・味・触が好ましく ないものとなる。逆に「他方,福行を積んだ衆生にとっては[その同じ外界の諸存在は]
麗しいものである」。
(11)k§aりika−phalatvat のまとめ
【二言禽l l51−13, Ch.647a, P.256b8.
それ故これら[二二なるもの]は刹那滅である。何となれば刹那滅のものに非刹那滅 の結果があることは不合理である。それに付き従って来るのであるから。
【釈門】 P.171a5, D.145a2.
20 早島:諸行刹那滅 k§apikalh sarvasalhskrtaln
以上((11−1)〜(ll−4)k§a亭ika−phalatv百t)の語句を最後に要約するために,「そ れ故これら[有爲なるもの]は刹那滅である」と説く。上述の如く,有爲なるものは心 の結果であるから,有段なるものは刹那滅であると理解すべきである。その同じ意味を 示すために,「何となれば刹那滅のものに非刹那滅の結果があることは不合理である。
それに付き従って来るのであるから」と説く。結果はすべて原因に付き従って生じて来 る。原因があるあり方で作られると,結果もまたそのように生じる。これはまた,たと えば原因が米の種子であれば,結果もまた米の実が結実する如く,有爲なるものの原因 である心が刹那滅であるから,その結果である有畜なるものもまた刹那滅であると理解 すべきである。心が刹那滅であって,その結果である三二なるものが(P.171b)非刹 那滅であり常住の相をしていることは理に合わないのである。
結論
【痴言禽】 151−14,Ch.647a, P.256b8.
以上のように先ず,例外なく有爲なるものは刹那滅であることが二偶をもって立証さ れたのである。
【釈疏】 P.171bl, D.145a6.
「以上のように先ず,例外なく有爲なるものは刹那滅であることが二偶をもって立証 されたのである」と云ううち,以上はまず,内外の有爲なるものは,[内外に]分析せ ずに,一つに[まとめて]要約するに,刹那滅であることを二面をもって説示したと云
う意味である。
(MSA XV川kas.82,83完了)
附論 喩血行学派刹那滅文献 対応プ覧表について
MSA XVIII ksanikatva(k互s.82,83)で説かれる,これら刹那滅の根拠!l種は,すで に論じたように,[一]有爲なるものには存続の根拠がなく,無因のままに消滅すること
(1)〜(6)(以下「滅無因説」と略),[二]有爲なるものは類似して生起しつつ変異し最終的 に消滅すること(7)〜(9)(以下「変異説」と略),[三]有爲なるものは刹那滅である心・心 所の因であり果であること⑩・㈲(以下「心刹那滅説」と略),の三種に大別される。
MSAのこれらの分類に従い,鍮伽行学派における刹那試論の対応関係を以下に要約し,
本稿末に対応表として掲げる。これまでの論述と重複するのであるが,この対応表の留意 点を二・三述べておきたい。
(1)初期の鍮三品学派において,刹那滅論は三性説を基盤として論じられるが,三性説と
刹那滅とに関する関連文献はこの対応表では省略する。この点については拙稿1を参
照されたい。(2)『喩高論』囁決三分「五識身相応地意地」や『聲血忌』,『菩薩地』(後二二は拙稿1 中「(二)喩伽行唯識学派における無常と刹那」参照),及びMSA等の論述を比較する
と,この学派の初期の刹那滅の主な論拠は「一切諸行任運滅」(20)(滅無因説)及び「心刹 二三」であったと見なすことができる(前稿2,註記(15)参照)。
(3) 「心刹那滅」のうち,「一切行是心門」(心が因,一切行が果)は共通して論じられる が,「σ◎taddhetutva」(一切行が因,心が果)はASBhにのみ継承される。
(4)刹那滅の論拠「有半なるものは類似して生起しつつ変異し最終的に消滅するから」は MSAに初出し,『顕揚論』で論じられる。 ASBhは「変異」の議論のみが展開される。
したがってこの論拠のうち,初期の喩伽行学派では「pari垣ma−upalabdhes」が重視さ れたようである。また「類似して生起する」という理論は,『顕揚論』を経て後代仏教 論理学派で論じられる「pratyabhiji互na,再認識」批判へと受け継がれる。
(5)喩伽行学派のこれらの諸文献はいずれも無常を刹那滅として論じるのであるが,刹那 滅論が独立したテーマとして現われるのは,MSAにおいてである。
また刹那滅論としては,『顕揚論』の論述が最も整っていると思われる。その理由は,
①『顕揚論』のみが刹那法論の両輪である,[A]刹那滅論(一定期間存続して消滅する という説への批判)と,[B]常住説批判(恒常なるもの「自我・自在・自性・極微・覚」
への批判)とを区別し,両者ともに論じている(二二2,註記(29)参照),②『顕揚論』
は,MSAのll種の刹那滅論拠のうち,「(6)1ak§a孕aik互nty百t」・「(1◎taddhetutva」を 除くすべてをほぼ継承する。ただし,MSAではそれらの論拠が(1)〜(9)及びα◎,(11)にお いて,順次に展開される。一方,『顕揚論』では基本テーマを提出し,それを論証する 方法で個々の論拠が述べられ,より論理的な構成をなしているからである (前稿2,
註記(15)参照)。
(6)『顕揚論』で詳細に論じられる刹那滅論は,Asahga著『掻大乗論』やVasubandhu 著『唯識三十頒』などこの学派の他の文献で,個別のテーマとして論及されることはな い。その真意は不明であるが,この学派の基本テーマである識転変説や三性説において,
刹那滅は当然のことであり,改めて論じる必要性が認められなかったからであろう。こ の刹那試論が再び論及されるのは,周知の如く,Dharmakirti以降の仏教論理学派に おいてであり,それも純粋に論理学的な問題としてである。
(7)MSAを継承した『顕揚論』(偶類はAsahgaの作,その釈の作者についてはAsah−
ga説とVasubandhu説とがある)の刹那滅亡は,上述の如く極めて完成度の高いも
のと言える。このような鍮伽行学派の刹那滅論と,『成業論』・『倶舎論』(いずれもVa−subandhuの著作)などに展開される経四部的色彩の強い刹那滅論との,比較検討(著 作の前後関係を含む)は今後の課題である(拙稿!,註記(90)参照)。
本研究は,三島海雲記念財団・平成6年度学術奨励金による研究成果の一部である。末 尾ながら記し,関係各位に深謝の意を表する次第である。
*本稿は「諸行刹那滅 ksanikarh sarvasa血skrtam 一!瞼hの励α8醗r房♂磁緬rα 第XVIII章82・83偶の解読研究一」,「同(承前)」(長崎大学教育学部「社会科学論叢』
No.47,1994年3月, No.48,1994年6月;以下各々「前稿1」,「前記2」と略)に続 くものである。
22 早島:諸行刹那滅 ksanikarh sarvasalhskrtam
なお,「前稿1」,「前稿2」を通して「艶場」は「教証」の誤り(「前稿1」:頁.28一 行.5,23,25;37−10,14,15,29,30,33;38−3,33,35;42−25。「前稿2」:
33一ユ1;38−13,25;49−5,18)。また,それ以外の誤記は以下の如くである。いず れも訂正をお願いしたい。
「前稿1」
「前稿2」
頁 42 45
46
48
5ユ
行 35
1 5 8 19 27 18 32 最終行 38
補注
註(5)
註(5)
註(5)
註(5)右 註(5)右 註(6)右 註⑳
註(均
誤
Tip.
ar1Clsam Vlnasyanta.二 である。)
ユ ユ
Vlnasyanta.二
kuruvanti
visadr§i ●のそれを
されたい。
正 Tib.
arci§百m
Vlnasyanta
である。)」
arclsarn
● .
Vlnasyanta kurvanti visadr5i ●それを
されたい)。
註 記
(1)古来,仏教の諸学派で心・心所の刹那滅が承認されてきている(拙稿1,特に(一)
「虫部派などにおける無常と刹那」参照)。【釈疏】によれば,仏教のみならず仏教以外 の諸学派(外道)も心・為所の刹那滅を認めているとされる(本稿αa)参照)。ただ し,その具体的な文献資料については遺憾ながら筆者不詳。識者のご教示を乞う次第で ある。
(2)テキスト(L6vi本)「hetut的/」を,チベット訳・【釈疏】により「het晦/」に 訂正(Bagchi本はhetutah/)。
(3) 【本論】も【釈疏】も心の刹那滅に依拠して,⑳その原因としての有瀬なるものも,
(11)その結果としての有爲なるものも刹那滅である,との理論が展開する。すなわち以下 のように図式化されよう。
結果
↑
o①
↑
原因
citta
(viji百na)
ll
ksanika
● ●
sarhsk百ra
(indriya)
(vi§aya)
原因
↓
(11)
↓
結果
このように同じ心もしくは有爲なるものが,原因もしくは結果として論じられる。原 因から結果が生じる(→で表示)という観点からすれば,(11)心から有爲なるものが生じ,
⑳有半なるものから心が生じる,というこの構造は,すでに拙稿4で言及したように,
心と有爲なるものとの相互依存関係を根底にしていることは言を待たない。それは同時 にこの鍮伽行学派に固有の識転変論(アーラや識=根本識から現象識が生じ,現象識が アーラや識に種子を薫習する)と構造を同じくしていると云えよう。さらにこの識転変
(vij盃napari垣ma)が刹那滅のうえに成立していること(「因の刹那が滅すると同時に,
因の刹那とは相を異にする果が存在を得る」,『唯識三十頒」釈;前稿2,註記(26)参 照)も周知の通りである。とすれば,ここ⑳・(IDで展開されるMSAの刹那滅論はこ の学派の識転変論(それは上記「唯識三十願』にて完成されたかたちで説かれているの だが)と同質のものと.見なすことができよう。
また,これも拙稿1(pp.21〜22)や拙稿3(p.18)・拙稿4(p.84)で触れたことであ るが,「(11)有爲なるものは心の果であるから」は『顕揚聖教論」(以下「顕揚論』)「成無 常品」や『憎憎達磨集論』(同『雑集論』=ASBh)の刹那滅論と共通であるのに対し,
「⑳有爲なるものは心の因であるから」はMSAにのみ現出することに留意すべきであ る。ただし,ASBhはこの両者の関係を因果関係とは明言せず,「依所麓rayaと依存す
るもの誘rayin」として論及する。参考のためASBhにおける「㈹有爲なるものは心
の因であるから」に対応する個所を引用する(ASBh§56 p.52)。(iv)citt百5rayat百m*up互d互ya, cittasya hi sendriyah k互ya五5rayaりprasiddhaり,
yasya ca ya utPatty百ξ;rayo n互sau svavin百5am antare孕a tasy百{Irayi bhavan dr§ta寧
/tadyath百gnyarhkur百din互m indhanabij吾dikah/tasm百t pratik§a孕arh cittasy語ra−
yabh五v吾t pratik§a早am eva vina5yantiti siddham/
*テキスト「cit垣dhipatyasarhbh豆ta悟m」を蔵訳「sems kyi gnas yin pa」(P.47a8),
漢訳「二心所依者」により「citt蕊raya堀m」に訂正(拙稿1の関連個所も訂正された
い)。
さらに一骨2註記(15)で論及した「鍮伽論」撮決択分「五識身相応地意地」(おそらく この学派の刹那滅論の最も古い文献の一つである)においても,刹那滅論証の根拠とし て「滅無因説(無因消滅論)」とならんで「又一切行二心旧故,當知下心皆刹那滅」
(vol.54,600blO〜ll),「yang du byed tams cad ni sems kyi bras bu yin pa i phyir sems bzhin du skad cig pa nyid yin par rig par bya o//」(D.55b5)と説
かれ(すなわち「(11)丁令なるものは心の果であるから」に対応),「心の因である」こ とには触れられていない。このことを考慮すれば,おそらく「一切行二心果故」がこ の学派に共通した刹那滅の主要論拠の一であり,MSAはこれをより完全なものにすべ く「有爲なるものは心の因であるから」を付加して,心刹那滅に依拠した「諸行刹那
滅」論を明確な理論としてに展開し,ASBhもこれを継承したと解することができよ
う。
このように,MSA(11)「刹那滅の心が因であるから,結果である有爲なるものも刹那 滅である」は,喩伽行学派における刹那滅論の基本理由の一であり,『喩伽論』二二二 分「五識身相応地意地」・『顕揚論』・『阿毘達磨集論』(同『雑集論』)において展開され
24 早島:諸行刹那滅 ksanikalh sarvasalhskrtam
■ ●
●
る。刹那滅の論拠についての,これら品品書の対応関係は註記末尾に付表にて提示す る。その内,MSA(11)に対応する『顕揚論』・ASBh(『雑集論』)の関連個所は適宜引用 する。
(4)チベット文は「rgyu skad cig ma yin pas二bエ墨bu skad cig ma yin par grub
pa i phyir/」(P.169a6, D.143a7)。ところがここのテーマは結果である刹那滅の心に 基づき,原因となる有爲なるものの刹那滅を立証することであるから,「結果である心 が刹那滅であることを立証するために」では意味が倒錯してしまう。このためテキスト 解読としては本稿の如く<1>「原因が刹那滅であるから,結果が刹那滅であること [が 成り立つのである。その原因の刹那滅]を立証するために」と,補って解読する。ある いはく2>「勲skad cig ma yin pas;g型skad cig ma yin par grub pa i phyir/」,「結果が刹那滅であることに基づき,原因が刹那滅であることを立証するため に」とチベット文を訂正して読む,のいずれかであろう。この一節の【釈疏】の結論「de bas na du byed rnams kyi bras bu serns skad cig mar grub pas na de skyed par byed pa i rgyu du byed rnams kyang skad cig mar grub po//」(P.169al,
D143b2〜3;後出(4a)参照)はこのテキスト訂正を支持するようであるが, P., D.
とも異同がなく,ここでは[]を補い訳出を試みた。
なお(1◎【釈疏】末の「rgyu skad cig ma yin pas bras bu skad cig mar sgrub pa i phyir ro//」(P.169b5, D.143b5),「原因が刹那滅であるから,結果の刹那滅が 成立するからである。」(後出(4b)参照)は「常住なものから無常なるものは生じな い」ことの理由であり(4)とは直接関連しない。
(5).Mの7L mα一1Wん〜砂α,第38経Mαんひτα励δ8α競h(削αS碗如涜,「Ya五五ad eva bhikkh一
● ● ○ ● ・ . 〜 〜一 ● ,
ave paccayam pa㌻1cca uppa刀atl vlnna阜am tena ten eva sahkharh gacchati:ca−
kkhui ca pa㌻icca r豆pe ca uppajjati vi五五百孕arh, cakkhuvi五i互孕alh t eva sahkhalh gacchati;.....」(PTS vol.1, p.259;なお島伝大蔵経vol.9,450参照)。『中阿含経,喋 帝経第十』,「識随所鈴生,即回縁説縁眼色生識,生湯已説眼識」(大正1,p.767a)。
また「眼根云何。謂眼識所依二色」(『阿毘達磨品高足論』vo1.1,692c)「眼識云何。
謂二品三品了七色。」(同,693a)等参照。
(6)この答論は次の論証式にまとめられよう。
命題 非刹那滅から刹那滅は生じない。
理由 刹那滅の因には刹那滅の果があるから。
比喩 虚空から壷や毛布が生じない如し。
(7)MSA「(11−1)up翫tatv互t」に対応するASBh§56(p.52)の関連文は以下のごと くである。 ・
(i)katham i七i/cittop互ttat互m up互d夏ya,..
(ii)ken互rthena/cittaikayogak§emat互m up互d百ya,
ksanikena hi cittena k互ya up吾tta/
tath互hi k石lyah savijfi互naka
eva samud互gacchati viji百n吾pakr百nty互ca画tibhavati/tasm吾。 cittenaikayogak§一
の
ematv互t tad iv百sya k§aひikatvarh veditavyam/
(iii)kim ca *up互d百ya, cittasya hi vik百re孕a k互yasya vik百ro dr6y−
ate sukhadu与khar互gadveξ癌dyavasth五su/ ata草 pratik§a孕arh vik互ri孕a§ cetaso nu−
vidh互n百t k百yasya k§a孕ika七varh siddham/
*テキスト「citt蕊rayat百m」を蔵訳「sems gyur na」(P.47a7),漢訳「随心転変 者」により「cittavik互ra垣m」に訂正(拙稿1の関連個所も訂正されたい)。
『顕揚論』「成無常品」の関連文章を要約して引用する(k石.8comm.548c〜549a)。
道理:[2]脱魔障心前廊者,一切諸行随心韓攣,自彼意解自在力故種種韓攣。
聖教:[1]心心引世間心カ所防護随心生起已自在畑江韓。
(8)【釈疏】「1han cig tu brgyal ba dang/bde bar zin pa i rjes su brang ba i phyir」(P.170a4, D.144a4)であるが,【本論】「cittena_.sahasarhm冠rcchan百h tada−
nugrah百nuvrttita尊/」(151−4〜5);「_.融くserns dang lhan cig mtshungs par ldan pa i phyir>rjes su zin par lug pa i sgo nas_..」(P.256b, D.233al;ただ しP.はく_.〉欠如)に従って訳出した。
(9)欲界における再生の過程を識の働き(結生面など)として説くのは,たとえば『撮大 乗論』1−34Bなどに見られる。同論書の関連文を引用する。「rnam par shes pa yang ma i rnngal du nur nur po nyid brgyal lo//, vili互narh ca kalalatvena matur kuksau salhm百rcchati/(「識が母の胎内においてカララとして凝結するのである」)」
(テキスト,還元サンスクリット,翻訳はともに長尾雅人『撮大乗論』上,1−34B, pp.
36〜37;pp.193〜199による)。
またここMSA第XVIII章k百s.82〜83「k§a早ikatva−vibh互ga」に続く, k蕊s.84〜88 随dhy飢mika−k§a垣katva」で説かれる14種の生起(utpatti>中,第2・第6の生起を 参照されたい(後出註(1のの拙稿参照)。
(1◎ 「brgyal ba」は「[識が前世の記憶を]喪失し」とも理解されるが,今は長尾上掲書
(p.198,註(3))に従う。
(11)「pha ma i mi gtsang ba」は,あるいは「父母の愛欲から」(mi gtsang ba:hum−
an flesh, Ch. Das,7 わ』η8. D c.)と解すべきか?
(1匂 カララ・アルブダ等出産前の胎内児については,Mvyp.4066〜4071を見よ。また長尾 上掲書(p.198,註(2))参照。
㈲出典不明。なお,Sα1加臨α一2>ε短ッα, x yαん肋α一Sα吻臨α読,ユIndakoには次の ように説かれている。「2Atha ko Indako yakkho yena Bhagav互ten−upasahkami //upasahkamitv百BhagavantaIh g百th百ya ajlhab百si////R頁parh na jivanti vad−
anti buddh百//katharh nvayalh vindat−imarh sarirarh//kut−assa a㌻書hiyakapi阜一 ¢am eti//katharh nvayarh sallati gabbharasmin−ti////,3Pathamalh kalalarh hoti//kalal百hoti abbudarh//abbud百」百yate pesi //pesi nibbattati ghano //
ghan百pas百kh互」百yanti//kes百lom百日目kh互ni ca////yai c−assa bhu五jati m百ta // annam p百nai ca bhojana:rh // tena so tattha y互peti//m五tukucchigato naro ti////」(PTs vol.1, p.206)。また古伝大蔵経vo1.ユ2, p.359参照。
(1弓MSA「(ll−2)百dhipaty百t」に対応する『顕揚論」「成無常品」の関連個所を要約し て引用する(k百.8comm.548c〜549a)。
道理:[1]謂善不善法薫習於心。由心扇動増上山故諸行得生。
聖教:[3]又説。芯甥當知,言城主者,即是一切有産識蕊。 「 同じくASBhの対応文は以下の如くである(§56 p.52)。
(v)cittasy互dhipatyasarhbh豆tat百m up互d互ya, sarva hy百dhy互七mikab互hyarh r⑪一
26 早島:諸行刹那滅 ksanikalh sarvasarhskrtam
● ● ●
alh cittasy互dhipatyena sarhbhavati/ atah k百ranasya ksanikatv互t k百ryasya ks a一
● ● ●
・ o阜ikatvalh veditavyam, ye hetavo ye pratyay百与r百pasyotp百d互ya te py anity互り,
anity百n khalu hetupratyay互n pratityotpannarh r冠parh kuto nitya1:h bhavi§yat工ti s五trapad互nus五re阜a /
へ
(15)S。:L6vi,.MAHA y24NA−8σmAL.A.MKAR、4 Tome II,(Paris lgll)p.252,脚註(6)
に指摘されているように,Sα吻臨α1>漉の・αの次の偶頒a, d句に対応する。
cittena niyati loko // cittena parikissati//
cittassa ekadhammassa//sabbeva vasam anvag五ti//(PTS vo1.1, p.39)
なお四阿含vo1.36(大正2,264a),南伝vol.12, p.56参照。
(1⑤ 心と有爲なるものとの関係を,十二支縁起の識(=心)と名色(=有爲なるもの)で 説明するのであるが,L6vi上掲書は同じくp.252,脚註(7)でsα吻撹εα1> 版ッα(vol.
II, p.6)との対応を指摘する。
viii御e kho sati n百mar冠parh hoti vii五碑apaccay互n亘mar豆panti//
(雑阿含vo1.36, No.1009,大正vol.2, p,264a;南伝vol.2, p.56参照)
あ=るいは,DZ8んαN漉の・α, Mαん⑳αd励α一S臨α碗α§18(vol.II, p.32)参照。また 高崎直道「アーラや識と縁起」(平川博士古希記念論集『仏教思想の諸問題』所収)pp.
51〜52,注(27)参照。
(1の 「[spyod pa]zed(bred?)zed po dang/」(P.170b3, D.144b2)は意味不明。
また,原因である心の有り様により,結果である身体・外貌などが変化して生じるこ とについてはMSA XVIII k互s.84,85百dhy百tmika−k§a阜ikatva,(5)vik互re胆及びその 【釈疏】に再出する。拙稿「刹那滅と輪廻出生」(長崎大学教育学部『社会科学論叢』
No,50;1995.6.掲載予定)の当該個所を参照されたい。
⑱ MSA「(11−3Buddha−anuvrttitas,(ll−4)satva−anuvrttitas」に対応する『顕
り
同論』「成無常品」の関連個所を箇条書的に引用する(k百.8comm.548c〜549a)。
道理:[3]又由定心自在論断,随其所欲定心境界影像而生。
聖教:[2]是故花、笏,慮善專精子正道理観察面心。
同じくASBhの対応文は以下の如くである(§56 pp.52〜53)。
(vi) cittava5avarttit百rh coP五d百ya, prabh互vavi§i§㌻asya ca cittasya rτiparh vai;e vartate, tena yathe争㌻alh pari垣m互t/ata尊pratik§a早am anyath吾dhimok§e saty anyathotp百d百t k§apikatvasiddhi尊 /
(19L6vi上掲書は同じくp.252,脚註(8)でSα南下亡 α1> ん〜砂αvol.1, p.l16との対応を 指摘する(雑面含は大正2,288c〜289a;南面はvo1.12, p.197参照)。また『撮大乗論』
VII−6,7;X−3Bには,禅定を体得した者には神足が現成し,自在力の完成すること が説かれている。そのなかに「他のものに変える,anyathibh百vakara孕a」ことも述べ られている(長尾『擾大乗論』下,pp.213〜216,322〜325を参照されたい)。いずれ も「禅定・神足・自在」を完成した者が衆生を摂取・利益するために行じるものとして 説かれている点:に留意されたい。
②◎心隔面分「五識身相応転意地」の「任運滅」に対応する蔵出は「rang gi rang gis jig pa」(P.58a6, b3)であり,一方, ASBh(§56−viii)では「s∀arasavin誌i瓶」の 蔵訳「rang.gi rang gis rnam par jig pa」,漢訳「自然壊滅」である。
『鍮伽師地論』撮決択分,
M S A 『顕揚聖教論』 ASBh (ed. by N.Tatia) 後代仏教論理学
「五識身相応地意地」(1)
XVIII k互s.8283 ,
「成 無 常 品」 (§56 pp.52〜53) 派との関連性(6)[A]刹那滅論
[一]滅無因説 [一]滅無因説 [一]滅無因説 [一]滅無因説 o 一 ulnaSltva−anu一 り
〆
m百naに対応
(1)一切諸行皆任丁丁(2),由 (1)ayo9吾t [b](彼一切行)生已自然滅 (k百。7b) (viii)(4)utpannasya c互napek學ya pratyayarh svarasavin互5it一 此道理刹那義成 =當知諸行任運壊滅(k五.9d=k百.10) 互mup互d五ya, sarvasyotpannasya vin蕊a尊pratyayam anap一
〈1>諸行纏生尋即壊滅現可 (2) hetutas utpattes [1]非彼生因能滅諸行(k百.9a )(3) eksya svarasenaiva bhavati/atah pratyay百ntaranirapekso ● ● o
得故 生滅雨六二相違故 va5yarhbh百vi vin百5a utpanrlam百trasyaiva bh互vasya na
〈2>不鷹謂能生之因即是滅 (3> virodh互t [2]無住因高子行住 (k吾.9b ) bhavati pa§c百ld bha(va)titi na kirhcid vi§esanarn asti/ ● ●
因,其相異故 [3]行既不住何用滅因(k互.9b ) tasrn百t sarve早a vin百5inotpannam互tre阜a vina§tam iti sidd一
〈3>法生已絵停住因不可得
@ 故
(4)svayam asthites [4]絵滅因性不可得 (k互.9c ) harh ksanikatvarn // ● ・
(5) abh互v互t
(2)遮計火等爲滅因故
遮計滅相爲滅因故一一一… 一[c]若執滅相爲滅因者..。過(k互.ll)
三下二種爲滅因故
(6) lak§a尊aik互nty吾t
[二]変異説 [二]変異説 [二]変異説 [二]変異説
(7) anuvrttes 一一一一一一一一一一一一一 〇
一[e]憶念前際等相似相続韓(k互.21)一一一一一一一一
一一一一一
lim翫hs吾(pratyabhiji石lna) 学派のpratya一
i9) Pa「i阜百rnopalabdhes/
・[d](彼一切行)後攣異可得(k吾.7c):一= =k百.ユ2[1]先無有攣異(k百.12b) 、 、 、 、 \\\「[2]亦非初不壊(k互.12c)
(vii)(5)api khalu ante vik五ropalabdhit百m up互d百ya, na hi
魔奄虚Sro yuktah, sa copalabhyate/tasm五t sv百s百血t石nikapr一
bhil語na説へ フ批判に対応
1
W 」一一[3]最後時方滅(k百.12d) atik§a撃avik百r吾bhivrddhihetukatv百d antyasya r百pavik百ras一 ya k§a孕ikarh r⑪am iti siddham/
対応表註記
(1)『喩伽論』vol.54,600ab;蔵訳P.58a4〜b5, D.55a5〜b5。
(4)(viii)は直接はMSA,(5)abh百v翫に対応する。 (5)
(6)いずれも拙稿3註(20)参照。
(2)「任運滅」については本稿註記(20)参照。 (3)k蕊.9a =kaga comm.,以下同じ。
(vii)は直接はMSA(9)pari項mopalabdhes,『顕揚論』[d](彼一切行)後攣異可得に対応する。
『鍮伽師地論』囁決択分
M S A 『顕揚聖教論』 ASBh (ed. by N.Tatia) 後代仏教論理学
「五識身相応地意地」
XVIII k五s.8283 ,
「成 無 常 品」 (§56 pp.52〜53) 派との関連性[三]心刹那滅説 [三]心刹那滅説 [三]心刹那滅説 [三] ,こ♪柔u男区滅言3話
(10) taddhetutva一 (iv) citt吾5rayat吾rn(7)up百ld吾ya, cittasya hi sendriya尊k互ya
互ξ;raya与prasiddha与, yasya ca ya utpatty百6rayo n吾sau sva一
vin五5am antarena tasy百5rayibhavan drstah/tadyath石gny一 ■ ● ・ ■ o
arhkur百din互m indhanabij百dika無/tasm百t pratik亭a孕a血cit一 tasy百5rayabh互v百t pratik§a孕am eva vina6yatiti siddham/
(3)一切行是心果故、當知如 (ll) phalatvatas [a]彼一切行由彼心果故(k吾.7a)
心皆刹那滅 =(k百.8)
(ll−1) up吾ttatva一 道理:[2]二藍障心清浄者,一切諸行随心 (i)katham iti/cittop互ttat五m up百d吾ya, ksanikena hi ci一 ● ●
二二,由彼意解自在自習種種轄 ttena k互ya up互tta七1/
攣(k百.8b ) (ii)ke11百rthena/cittaikayogak§emat互m up互d互ya, tath百 聖教:[ユ] 「心將引世間心カ所防護随心生 hi k互ya与 savij五吾naka eva sarnud百gacchati vij五百n夏pakr吾n一
9
起已自在皆随輻」(k百.8d ) ty吾ca p百tibhavati/tasm五。 cittenaikayogak§ematv百t tad iv百sya k§a孕ikatvarh veditavyam/
(iii)kirh ca cittavik百rat百m(8)up百d吾ya, cittasya hi vik百r一 e孕ak互yasya vik百ro dr5yate sukhaduhkhar百:gadve§百dyavas一 th百su / ata尊 pratik學a阜arh vik百lri孕a5 cetaso nuvidh百n吾t k互yasya k學a孕ikatvarh siddharn /
(ll−2) 百ldhipaty互t 道理:[1]善不善法黒習田畠,由心高氣増 (v) cittasy互dhipatyasarhbh百tat百lrn up互d吾ya, sarva hy互dh一 上力故諸行得生(k百.8a ) y百trnikab百hyarh rτ[parh cittasy百ldhipatyena sarhbhavati / 聖教:[3] 「二等予知,言城主者,即是一 ata尊k百ra早asya k§a孕ikatv百t k百ryasya k§a撃ikatvarh vedit一
切有取識纏」(k五8d ) avyarn, ye hetavo ye pratyay百1尊 rτipasyotp琶d互ya te py anity百1尊, anity互n khalu hetupratyay百ln pratityotpannarh rτiparh kuto nityarh bhavi§yatiti s頁trapad五nus五re阜a/
(ll−3) 話uddha一 道理:[3]由定心自在力故,随其所欲定心 (vi) cittava5avarttit百rh coP吾d百ya, prabh互vavi§i§㌻asya ca
●
≠獅浮魔窒狽狽撃狽≠刀@ o 境界影像而生(k五.8c ) (p.53) cittasya rliparh va5e vartate, tena yathe§㌻arh pari一
(11−4)satva一 聖教:[2]「是故葛甥,慮善專精如正道理 垣m百t/ata阜pratik學a早am arlyath百dhimok§e saty anyath一
●
≠獅浮魔窒狽狽撃狽≠刀@ ● 観察於心」(k互.8d ) otp互d石lt k§a孕ikatvasiddhi皐 /
[B]常住説批判 「我」は
Mim百rh語学派
一切外道邪分別所管俄・自在・自性・極微・ のarth吾patti
覧等常住之四丁不成立 説への批判に対
(k互s.13−18) 応
対応表註記
(7)本稿註記(3)のテキスト訂正参照。 (8)本稿註記(7)のテキスト訂正参照。
29〜30