初期経典における縁起説の行滅について
唐 井 隆 徳
1.はじめに 初期経典における縁起説の展開は,支分の少ないものから多いも
のへと順次,支分が付加されたと考えるのが一般的であると言えよう.特に,十 二支縁起説の成立に関しては,武内 1956 の研究によって,無明と行の二支分は還 滅分を説くためにのみ必要であり,無明と行が流転分にも付け加えられたのは体 裁を整えるためであったと指摘されてから,武内説に基づいて研究がなされてい ると言える.十支縁起説から十二支縁起説への展開の契機は,識の原因として行 (saṅkhāra)を見出したことであると考えるのが妥当であろう.ただし,還滅分を説 くために二支分が付加されたという武内説に従うため,識の滅の原因として行の 滅を見出したと述べる方がより厳密である.換言すれば,十二支縁起説への展開 過程において,意味があるのは行1)ではなく行の滅であり,本稿では散文資料を 中心に行の滅が意味するところを考察し,十二支縁起説の成立に関する私見を述 べたい.行(saṅkhāra)は,sam-√kṛ よりなる名詞であり,「形成する」を基本的な 訳語として用いる.2.行滅の用例
はじめに,寿命と行滅の関係をブッダの入滅に関する資料であ る「涅槃経」を用いて考察する.DN. 16(vol. II, pp. 106, 21–107, 6)そこで,世尊はチャーパーラ塔廟で自覚し(sato),心
して(sampajāno)寿命を形成する作用(āyu-saṃkhāra)を捨てた.…そこで,世尊はこ の意味を知って,その時この感嘆の言葉を発した. 沈黙の聖者は,同じようにも異なったようにも生じる,生存を形成する作用(bhava-saṃkhāra)を捨てた.内に楽しみ(ajjhattarato),落ち着き(samāhito),鎧を〔破る〕よ うに,自己から生じる〔形成作用〕を破った. 以上の用例に見られる行は,寿命や生命を維持するために,それを形成する作 用を指していると言えよう.また,下線部に注目すると,この形成作用を捨てる のは禅定に入った状態でなされていることが分かる.すなわち,ここでの形成作 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 (233) 2)Cf. Ñāṇananda 1971,桜部 1991,榎本 2015.これらには既存の翻訳の検討も含まれ
る.Ñāṇananda は papañca- を多く“conceptual proliferation 概念的増殖”とし,桜部は「〔虚 妄に〕区別立てする心の動き」とする.
3)ここでは Buddhagosa 等の著者による Aṭṭhakathā 階層の文献を註釈文献と称する.こ れには Visuddhimagga を含める.
4)Cf. appapañcaṃ papañcetī ti nappapañcetabbaṭṭhāne papañcaṃ karoti. (Mp III 151, 1 ad AN II 161, 29). papañcaṃ karoti に類する表現は註釈文献以降に初めて現れる. 5)Cf. 桜部 1991: 22.
6)Cf. pw, s.v. prapañca “eine grössere oder geringere Anzahl, ある大なり小なりの数, Mannichfaltigkeit 多様性,Ausführlichkeit, 詳細さ,Anhängsel aller Art あらゆる種の付属 物”,s.v. niṣprapañca “rein,lauter, 純粋な,混じりけがない”. 7)Cf. 榎本 2015. 8)日本印度学仏教学会第 67 回学術大会口頭発表ではこの点にも詳しく言及したが,本 稿では紙幅の都合もあり簡単に触れるのみに留めた. パーリテキストは Ee を底本とし,適宜 Be,Se を用いた.異読を採用した場合のみテキ スト上に差異を記した. 〈略号及び一次文献〉
Amg. = Ardha-Māgadhī. Āyār = Ācāraṅga-Sūtra: Erster Śrutaskandha, Text Analyse und
Glossar. Ed. Walther Schubring. Abhandlungen für die Kunde des Morgenlandes, vol. 12, no. 4.
Leipzig: Deutsche Morgenländische Gesellschaft, 1966, First published 1910. Be = Burmese edition: Desktop Software Chaṭṭha Saṅgāyana Tipiṭaka 4.0. Vipassana Research Institute. BHS = Buddhist Hybrid Sanskrit. Cl. = Classical Sanskrit. Ee = European edition: Pāli Text Society 版. Isibh = Isibhāsiyāiṃ. Ed. Walther Schubring. Alt- und neu-indische Studien 14. Humburg: de Gruyter, 1969. Se = Siamese edition: CD-ROM, Mahidol University Computing Center. Sūy = Sūyagaḍaṃ: The Second Book of the Sacred Canon of the Jains for the First Time Critically
Edited with the Text of Niryukti, Various Readings Notes and Appendices. Ed. P. L. Vaidya. [s.l.]:
[s.n.], 1928. 〈二次文献〉
Ñāṇananda Bhikkhu. 1971. Concept and Reality in Early Buddhist Thought: An Essay on
Papañca and Papañca-Saññā-Sankhā. Kandy: Buddhist Publication Society. Reprint, 1997.
榎本文雄 2015「初期仏教文献における prapañca(/papañca)」日本印度学仏教学会第 66 回学 術大会パネル「煩悩の根源をめぐって――vikalpa(分別)と prapañca(戯論)――」資料. 桜部建 1991「papañca 考」『パーリ学仏教文化学』4: 17–25. 〈キーワード〉 papañca,prapañca,戯論,Aṭṭhakathā (東北大学大学院) (232) 日常語としての papañca-(坂) ─ 292 ─
いは滅する.想受滅に入った者にとって想と受は滅する.煩悩を滅尽した比丘にとって 貪りは滅し,怒りは滅し,愚かさは滅する. 以上の用例において,下線部がそれぞれ行を指していると言えよう.ここでは, 禅定が深まるに従ってそれぞれに適した行が滅していき,煩悩の滅に至るまでの 過程が記されている.村上(1988, p. 62)も述べるように,とりわけ心の活動や状 態が行として扱われている.ここでの行が滅する場合の滅は縁起説と同様,nirodha が用いられている.他に,行と禅定が関連する用例を見る.以下の用例は七つの 界がいかなる禅定によって得られるのかという問いに対し,光界,浄界,空無辺 処界,識無辺処界,無所有処界は想いがある入定(saññāsamāpatti)によって得られ ると説かれるが,残りの非想非非想処界と想受滅界に関する記述を以下に示す. SN. 14, 11(vol. II, p. 151, 3–6)比丘よ,この非想非非想処界があり,この界は形成作用の 残りがある入定(saṅkhārāvasesasamāpatti)によって得ることができるものである.比丘 よ,この想受滅界があり,この界は滅尽定(nirodhasamāpatti)によって得ることができ るものである. 非想非非想処は,想いがなく想いがないのでもないという禅定の中でも心をよ り微細にした状態ではあるが,そうであっても行の残りがある禅定であることが 分かる.一方,想受滅はそれよりさらに深まった状態であり,これまでに示した 資料と合わせて考えれば,行が僅かに残った非想非非想処と行が滅した想受滅を 示していると解することもできるであろう.また,MN. 102(vol. II, p. 232)では, 非有想にして非無想である境地(nevasaññiṃ nāsaññim)という非想非非想処に類似 した境地に対して,「比丘たちよ,この〔非有想にして非無想である〕境地は形成 作用を伴い(sasaṃkhāra)入定することによって得ることができると説かれない. 比丘たちよ,この境地は形成作用の残りを伴い(sasaṃkhārāvasesa)入定することに よって得ることができると説かれる.この〔境地は〕形成されたもの(saṃkhata) であり,粗いものである.諸々の形成作用には滅(saṃkhārānaṃ nirodho)があり, このことはあるとこのように知って,その〔境地の〕出離を見ている如来はその 〔境地を〕越える」という記述が見られ,非有想にして非無想である境地が行を僅 かに伴っていることが説かれており,さらに如来は行の滅を知って,その境地を 超越していることが示されている.
3.まとめ 初期経典における行滅の用例を見た.以下に考察の結果をまとめ,
十二支縁起説の成立に関する私見を述べる.散文資料における行の用例に関して, 初期経典における縁起説の行滅について(唐 井) (235) 用は心を静めた状態で滅するものであることが読み取れる.次に,別の視点から 寿命と行の関係性を眺めてみたい. MN. 43(vol. I, p. 296, 13–21)友よ,この者が死に,死ぬ時を迎えたなら,彼の諸々の身 体を形成する作用(kāyasaṅkhāra)は滅し(niruddha),鎮まる.諸々の言葉を形成する作 用(vacīsaṅkhāra)は滅し,鎮まる.諸々の心を形成する作用(cittasaṅkhāra)は滅し,鎮 まる.寿命は滅尽し,体温は下がり,諸々の感覚器官は完全に壊れている.また,この 比丘が想受滅に入ったとしても,彼の諸々の身体を形成する作用は滅し,鎮まる.諸々 の言葉を形成する作用は滅し,鎮まる.諸々の心を形成する作用は滅し,鎮まる.〔しか し,〕寿命は滅尽せず,体温は下がらず,諸々の感覚器官は清浄である. この用例では死者と想受滅に入った者との差異を説く.死者であっても想受滅 に入った者であっても三つの行が滅しているという点では共通であるが,死者は 寿命,体温,感覚器官も滅しているという点で想受滅に入った者とは異なってい る.また,この行が滅する表現として niruddha という縁起説における滅(nirodha) と同じ語源の単語が用いられている点は重要である.これら三つの行は,別の資 料2)によると,身体を形成する作用が出息入息(assāsapassāsa),言葉を形成する作 用が大まかな考察と細かな考察(vitakkavicāra),心を形成する作用が想と受(saññā ca vedanā ca)であると説明されている.これら三つの用語を眺めれば,全て禅定の 過程で静めていくものであることが分かる.九次第滅(nava anupubbanirodha)の説 明では出息入息が色界第四禅で滅すると説かれ3),また,一般的に大まかな考察 と細かな考察は色界第二禅で滅し,想と受は想受滅で滅する.さらに,想受滅に 入った者が,言葉を形成する作用→身体を形成する作用→心を形成する作用の順 に行を滅していくことも説かれており4),第二禅→第四禅→想受滅という禅定階 梯と対応していると考えられる.したがって,先述した MN. 43 の用例に見られ るように,最勝の禅定である想受滅に入った者は三つの形成作用全てを滅してい る.以上,寿命と行の関係を示す用例をいくつか見たが,この形成作用の滅は禅 定など心を静めた状態と密接に関わっていることが分かる.次に,より明確に行 の滅に焦点を当てた資料を挙げる. SN. 36, 11(vol. IV, p. 217, 4–17)比丘よ,そこで私によって順々に,諸々の形成作用 (saṅkhāra)の滅が説かれた.初禅に入った者にとって言葉が滅する.第二禅に入った者 にとって大まかな考察と細かな考察が滅する.第三禅に入った者にとって喜びが滅する. 第四禅に入った者にとって出息入息が滅する.空無辺処に入った者にとって色に対する 想いは滅する.識無辺処に入った者にとって空無辺処の想いは滅する.無所有処に入っ た者にとって識無辺処の想いは滅する.非想非非想処に入った者にとって無所有処の想 (234) 初期経典における縁起説の行滅について(唐 井) ─ 291 ─いは滅する.想受滅に入った者にとって想と受は滅する.煩悩を滅尽した比丘にとって 貪りは滅し,怒りは滅し,愚かさは滅する. 以上の用例において,下線部がそれぞれ行を指していると言えよう.ここでは, 禅定が深まるに従ってそれぞれに適した行が滅していき,煩悩の滅に至るまでの 過程が記されている.村上(1988, p. 62)も述べるように,とりわけ心の活動や状 態が行として扱われている.ここでの行が滅する場合の滅は縁起説と同様,nirodha が用いられている.他に,行と禅定が関連する用例を見る.以下の用例は七つの 界がいかなる禅定によって得られるのかという問いに対し,光界,浄界,空無辺 処界,識無辺処界,無所有処界は想いがある入定(saññāsamāpatti)によって得られ ると説かれるが,残りの非想非非想処界と想受滅界に関する記述を以下に示す. SN. 14, 11(vol. II, p. 151, 3–6)比丘よ,この非想非非想処界があり,この界は形成作用の 残りがある入定(saṅkhārāvasesasamāpatti)によって得ることができるものである.比丘 よ,この想受滅界があり,この界は滅尽定(nirodhasamāpatti)によって得ることができ るものである. 非想非非想処は,想いがなく想いがないのでもないという禅定の中でも心をよ り微細にした状態ではあるが,そうであっても行の残りがある禅定であることが 分かる.一方,想受滅はそれよりさらに深まった状態であり,これまでに示した 資料と合わせて考えれば,行が僅かに残った非想非非想処と行が滅した想受滅を 示していると解することもできるであろう.また,MN. 102(vol. II, p. 232)では, 非有想にして非無想である境地(nevasaññiṃ nāsaññim)という非想非非想処に類似 した境地に対して,「比丘たちよ,この〔非有想にして非無想である〕境地は形成 作用を伴い(sasaṃkhāra)入定することによって得ることができると説かれない. 比丘たちよ,この境地は形成作用の残りを伴い(sasaṃkhārāvasesa)入定することに よって得ることができると説かれる.この〔境地は〕形成されたもの(saṃkhata) であり,粗いものである.諸々の形成作用には滅(saṃkhārānaṃ nirodho)があり, このことはあるとこのように知って,その〔境地の〕出離を見ている如来はその 〔境地を〕越える」という記述が見られ,非有想にして非無想である境地が行を僅 かに伴っていることが説かれており,さらに如来は行の滅を知って,その境地を 超越していることが示されている.
3.まとめ 初期経典における行滅の用例を見た.以下に考察の結果をまとめ,
十二支縁起説の成立に関する私見を述べる.散文資料における行の用例に関して, 初期経典における縁起説の行滅について(唐 井) (235) 用は心を静めた状態で滅するものであることが読み取れる.次に,別の視点から 寿命と行の関係性を眺めてみたい. MN. 43(vol. I, p. 296, 13–21)友よ,この者が死に,死ぬ時を迎えたなら,彼の諸々の身 体を形成する作用(kāyasaṅkhāra)は滅し(niruddha),鎮まる.諸々の言葉を形成する作 用(vacīsaṅkhāra)は滅し,鎮まる.諸々の心を形成する作用(cittasaṅkhāra)は滅し,鎮 まる.寿命は滅尽し,体温は下がり,諸々の感覚器官は完全に壊れている.また,この 比丘が想受滅に入ったとしても,彼の諸々の身体を形成する作用は滅し,鎮まる.諸々 の言葉を形成する作用は滅し,鎮まる.諸々の心を形成する作用は滅し,鎮まる.〔しか し,〕寿命は滅尽せず,体温は下がらず,諸々の感覚器官は清浄である. この用例では死者と想受滅に入った者との差異を説く.死者であっても想受滅 に入った者であっても三つの行が滅しているという点では共通であるが,死者は 寿命,体温,感覚器官も滅しているという点で想受滅に入った者とは異なってい る.また,この行が滅する表現として niruddha という縁起説における滅(nirodha) と同じ語源の単語が用いられている点は重要である.これら三つの行は,別の資 料2)によると,身体を形成する作用が出息入息(assāsapassāsa),言葉を形成する作 用が大まかな考察と細かな考察(vitakkavicāra),心を形成する作用が想と受(saññā ca vedanā ca)であると説明されている.これら三つの用語を眺めれば,全て禅定の 過程で静めていくものであることが分かる.九次第滅(nava anupubbanirodha)の説 明では出息入息が色界第四禅で滅すると説かれ3),また,一般的に大まかな考察 と細かな考察は色界第二禅で滅し,想と受は想受滅で滅する.さらに,想受滅に 入った者が,言葉を形成する作用→身体を形成する作用→心を形成する作用の順 に行を滅していくことも説かれており4),第二禅→第四禅→想受滅という禅定階 梯と対応していると考えられる.したがって,先述した MN. 43 の用例に見られ るように,最勝の禅定である想受滅に入った者は三つの形成作用全てを滅してい る.以上,寿命と行の関係を示す用例をいくつか見たが,この形成作用の滅は禅 定など心を静めた状態と密接に関わっていることが分かる.次に,より明確に行 の滅に焦点を当てた資料を挙げる. SN. 36, 11(vol. IV, p. 217, 4–17)比丘よ,そこで私によって順々に,諸々の形成作用 (saṅkhāra)の滅が説かれた.初禅に入った者にとって言葉が滅する.第二禅に入った者 にとって大まかな考察と細かな考察が滅する.第三禅に入った者にとって喜びが滅する. 第四禅に入った者にとって出息入息が滅する.空無辺処に入った者にとって色に対する 想いは滅する.識無辺処に入った者にとって空無辺処の想いは滅する.無所有処に入っ た者にとって識無辺処の想いは滅する.非想非非想処に入った者にとって無所有処の想 (234) 初期経典における縁起説の行滅について(唐 井) ─ 290 ─ティラウラコットにおける近年の
考古学調査について
村 上 東 俊
1.はじめに
19 世紀末から釈迦族の王城カピラ城址に比定され,釈尊出家踰城の候補地とし て最有力視されているネパールのティラウラコット(Tilaurakot)遺跡で,ユネス コ/JFIT 主導による考古学調査が 2014 年から 3 年計画で開始された.このプロジェ クトは “Strengthening Conservation and Management of Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha, Phase 2” と題し,プロジェクトの考古学調査部門を Durham University(UK)の Robin Coningham 教授とネパール政府考古局前局長 Kosh Prasad Acharya
氏が中心となり,ネパール政府考古局(DOA)・ルンビニ開発トラスト(LDT)・ National Geographic,その他多くの研究機関が共同で調査を進めている.法華宗 陣門流はこのティラウラコット調査に対して,発掘を主導するダラム大学に経済 支援をおこなっている. 本プロジェクトは未だ進行中であり,包括的な研究報告書は発行されていない が,本稿ではこの新たなユネスコ発掘調査に関するこれまでの概要と最新の発掘 成果を交えながら,今後の展望について若干の考察を試みるものである.
2.ティラウラコット調査史
釈尊の故郷は何処か? 19 世紀中頃から四大仏跡が次々と再発見され,その所 在が明らかになるなか,釈尊が幼少より出家までを過ごしたカピラヴァストゥの 王城は依然として謎に包まれていた.1898 年,William Pepe によりピプラハワ (Piplahwa)が発掘され,ストゥーパから釈迦族に属すると考えられる舎利壺が発 見されると,カピラ城の有力候補地となった.しかし,Puruna Chandra Mukherjiは 1899 年にティラウラコットの調査をおこなって1),『大唐西域記』などの記録 からルンビニ・サガラハワ・ニグリハワ等の仏跡地の位置関係及び経典の伝える 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 (237) 行は禅定と密接に関わっていることが分かる.さらに,行の滅を説く場合,心を 静め,禅定が深まるに連れて形成作用が滅していき,覚りの境地とも言える想受 滅に至るとその形成作用は完全に滅するものであることを示した.また,行は志 向(cetanā)と同義であることも初期経典中に説かれており5),行が心の作用や働 きを指していると言える.十二支縁起説の成立に関する問題点は,なぜ還滅分を 説く場合にのみ無明と行の二支分を付したのかという点である.既に,行の滅が 形成作用という心の働きを静めることであり,禅定と大いに関連することを指摘 してきた.すなわち,行の滅は実践的な性格を有していると言えよう.それに加 えて,無明の滅は明,すなわち智慧を表している.したがって,無明の滅と行の 滅は智慧と禅定という実践的な位置づけとして,還滅分を説く場合にのみ縁起説 に付されたのではないだろうか6). 1)行の先行研究に関しては,村上 1987,1988,1989,1990,上杉 1978,高橋 1983a, 1983b,服部(2011, pp. 285–350)を参照. 2)MN. 44 (vol. I, p. 301). 3)DN. 33 (vol. III, p. 266); AN. 9, 31 (vol. IV, p. 409). 4)MN. 44 (vol. I, p. 302). 5)SN. 22, 56 (vol. III, p. 60). 6)既に,平野(1965,p. 191 註 5)及び,梶山(1984, p. 344) は,無明と行の滅が実践的な役割を果たしていた可能性を指摘しているが,本稿のよう に行滅の用例を通しても,それらの研究に従う結果となった. 〈参考文献〉 上杉宣明 1978「サンカーラの研究」『仏教研究』7: 19–33. 梶山雄一 1984「輪廻と超越――『城邑経』の縁起説とその解釈――」『哲学研究』550: 324–359. 高橋審也 1983a「原始仏教における行(サンカーラ)の意義について」『仏教学』15: 27–48. ――― 1983b「原始仏教における行(サンカーラ)の意義について(その 2)」『仏教研 究』13: 89–104. 武内義範 1956「縁起説における相依性の問題」『五十周年記念論集』京都大学文学部, 153–181. 服部弘瑞 2011『原始仏教に於ける涅槃の研究』山喜房仏書林. 平野真完 1965「縁起成道説資料」『印度学仏教学研究』13 (1): 187–191. 村上真完 1987「諸行考(I)――原始仏教の身心観――」『仏教研究』16: 51–94. ――― 1988「諸行考(II)――原始仏教の身心観――」『仏教研究』17: 47–87. ――― 1989「諸行考(III)――原始仏教の身心観――」『仏教研究』18: 43–70. ――― 1990「諸行考(IV)――原始仏教の身心観――」『仏教研究』19: 67–119. 〈キーワード〉 十二支縁起説,行,禅定,想受滅,saṅkhāra (佛教大学大学院) (236) 初期経典における縁起説の行滅について(唐 井) ─ 289 ─