「一瞬」を測る方法
―新ニヤーヤ学派における刹那の形而上学―
岩 崎 陽 一
1.はじめに
15世紀のニヤーヤ学者ラグナータ(Raghunātha)は,ヴァイシェーシカ学派の伝 統的範疇体系を批判し,その修正を迫る小稿Padārthatattvanirūpaṇa(以下PTN)を 著した.ヴァイシェーシカ学派の範疇体系としては,実体・属性・運動・普遍・ 特殊・内属の六種,或いはそれに非存在を加えた七種の範疇の体系が広く知られ ているが,ラグナータはこれにいくつもの範疇を追加し,無制限に拡張可能な体 系を提案するのが,同書の最も際だった特徴である.ラグナータはニヤーヤ学派 の歴史に多くの革新をもたらしたが,同書はラグナータの形而上学における革新 を示すものとして,早くから注目されてきた.きわめてテクニカルな内容を含 み,また極端に簡潔な記述により,そのテキストの理解は容易ではないが,1957 年にはKarl Potterによる英訳が刊行され,その内容は広く認知されてきたと言え るだろう.一方で,それが為した革新の意義――歴史的および哲学的な――につ いては,十分に検討されてこなかった.近年,Jonardon Ganeri (2013) はラグナー タの革新に関して哲学的観点からの論評を行ったが,その論評は,ラグナータ研 究を新たな段階へ引き上げるものとして注目に値する.筆者はGaneriの視点を 参考にしつつ,独自の思想史研究に依拠して,ラグナータの形而上学の特質を明 らかにしようとしている. 研究の方法は以下の通りである.PTNの理解を補助する文献として,同じ著 者によるNyāyalīlāvatī-prakāśa-dīdhiti(以下Dīdhiti)がある.ヴァイシェーシカ学者 ヴァッラバ(Vallabha,12世紀)が著したNyāyalīlāvatī(以下Līlāvatī)に,ニヤーヤ学者ヴァルダマーナ(Vardhamāna,14世紀)がPrakāśa を付け,それに対して書かれ
た複 がDīdhitiである.未出版であるものの,この文献の価値は高く,これを
用いると,ラグナータの見解がより鮮明に見えてくるだけでなく,先行する議論
論について,Dīdhitiを参照しつつPTNの議論を再検討した. この検討の目的は,「時間」と「刹那」に関するラグナータの考えを明らかに することにある.彼は,「時間」というエンティティが果たすとされている機能 はすべて主宰神が担うことができるから,「時間」というものの実在を主宰神と は別に認める必要はないとする1).その一方で,最小時間単位を示す「刹那」に ついて,それは従来の範疇体系に位置付けをもたなかったが,それを新たな範疇 として追加すべきとしている.本発表では,ここにみられるラグナータの時間論 を,歴史的背景を踏まえて検討する.以下,まずラグナータの見解に至る思想史 を今回調査した範囲で示し,そのうえで,ラグナータの見解を分析する. 2
.思想史
2.1. 概略 まず,全体的な思想史の概略を示す.ラグナータはふたつの文献で異なる見解 を述べている.以下のリストから明らかであるが,刹那を範疇として別に立てる のはラグナータの独創ではなく,少なくともヴァッラバのLīlāvatīにまで るこ とができる. 1.ヴァッラバの対論者: 刹那は何にも還元できない独立範疇である. 2.ヴァッラバ: 刹那は運動に還元できる. 3.ヴァルダマーナ: 刹那は運動に還元でき,統一的定義を与えられる. 4.ラグナータ Dīdhiti: 刹那は運動,分離,結合等に還元可能である. PTN: 刹那は還元不可能な独立範疇である. 2.2. ヴァッラバの対論者 Līlāvatīの冒頭では,ヴァイシェーシカの伝統的六範疇体系に対するさまざま な異論が導入される.そのひとつとして,刹那別立論が以下のように手短に言及 される. また,刹那を区分する附帯条件は刹那的であるので,六つの範疇とは性質を異にする.こ のことからも,[範疇は六種のみであるという]決まりは成立しない2). ここでは,時間(kāla)という単一で無限定な実体があることを前提として, それを刹那単位に区切り,「いまこの刹那」という言説(vyavahāra)を成立させる 要素,つまり「一瞬」を計測する物差しは何なのかが問われている.そのような機能は時間そのものにはないので,外的要素にその機能を求めなければならな い.現代ならば,たとえば時計の針の動きやクォーツの振動周期を時間計測の基 準にするだろう.それは時間を区分する「附帯条件(upādhi)」と呼ばれる.この 対論者は,附帯条件のはたらきをそういった既知の物理現象に任せることはでき ないと考える.おそらく,既知の現象のいずれも1刹那以上持続すると考えてい るのであろう.そうして,刹那的,つまり1刹那しか存続しないエンティティの 存在を推定する3).なお,ラグナータは後に「刹那(kṣaṇa)」の別立を主張する が,ここで存在が主張される刹那的エンティティは「刹那」と呼ばれてはおら ず,ただ「刹那的(kṣaṇika)」と言われているだけである. Līlāvatīの著者ヴァッラバはこの刹那的エンティティ別立論を却けるのだが, そのためにまず,別立論を擁護する見解を前主張として紹介する4).別立論者 は,刹那の計測規準を,刹那的存在と考えられている①「末尾音(antyaśabda)」に 担わせる見解と②「運行(spanda)」に担わせる見解を,いずれも成り立たないと して却け,それゆえ刹那的エンティティを独立に認めなければならないと主張す る.議論の詳細は省略するが,②に関連して,刹那の形而上学において重要とな る「運動の四段階説」が言及されているので,その部分のみ概観しよう.運動の 四段階説と筆者が呼んでいるのは,ヴァイシェーシカ学派の文献でしばしば論じ られるものであり,そこでは,物体xの地点Aからそれと隣接する地点Bへの 移動が,次の四段階を経て成立すると説明される5). 1.分離の未然非存在: 地点Aからまだ離れていない段階. 2.分離: 地点Aとの分離が生じた段階.まだ地点Aとは結合している. 3.結合の消滅: 地点Aとの分離を原因として,地点Aとの結合が消滅した段階.まだ地 点Bとは結合していない. 4.結合: 地点Bと結合した段階.移動の完了. これら四つの段階はそれぞれ1刹那の時間を要するので,任意の1段階をもっ て刹那が計測できるということが言われる. 他の者たちは,結合している場所からの分離の[未然]非存在により条件付けられた太陽 の運行[が刹那を区分する附帯条件である]と言う.また別の者たちは,運行はそれ自体 では無区別であって(太陽の運行に限らずどんな移動でもよいので),[任意の移動に関わ る]分離の[未然]非存在,分離,それに先行される結合の消滅,次の[場所との]結合 を本質とする四つの附帯条件のいずれかが「刹那」という言説の原因である,と言う6). 前主張者がこれを否定する論理は,いささか話が噛み合っていないようにも思
われるが,テキストに従えば次のとおりである.附帯条件は①非存在(第1または 第3段階)を本質とするか,②運動(第1から第4の合計)を本質とするか,③両者 の結びつき(sambandha)を本質とするかのいずれかである.このうち,①も②も 複数の刹那にまたがるから刹那の計測規準とはなれない.また,そのような①と ②に還元される③もまた複数の刹那にまたがることになる.もし③が①と②に還 元できない刹那的なエンティティであるとするならば,それは前主張者が別立し ようとしている新たな範疇に他ならない7).このようにして,刹那的エンティ ティの存在が推定される. 2.3. ヴァッラバ ヴァッラバはまず,独立の刹那的エンティティの実在について,知覚も推理 も,また他のプラマーナも,それを証明しないと言う.そのうえで,「刹那」と いう言説の原因を運動に求める.前主張者により指摘された問題点はどう克服さ れうるか,その議論は 釈を待たなければならない. 【反論】そうだとすると(独立の刹那的エンティティが実在しないとすると),それ(刹那) を名指す契機(vyapadeśabīja)は何なのか.(何を以て時間を区切って「刹那」と呼んでい るのか.) 【定説】特定の認識である. 【反論】それ(特定の認識)の対象は何か. 【定説】運動と,それにより生じる分離の未然非存在等という[運動の]附帯条件である. 【反論】そうだとすると,純粋な附帯条件(運動を条件付けない分離の未然非存在等)に対 しても,また[純粋な]附帯条件をもつもの(条件付けられない運動)に対して[も],そ れ(刹那)の言説が帰結してしまう. 【定説】[いや,附帯条件に]限定された[運動]のみが[刹那の言説の対象である]. 【反論】[その場合,附帯条件と運動との間には]いかなる限定関係が[成立するのか]. 【定説】特定の認識である.それ(その認識)は他の場合には存在しないので,[そのとき は刹那の]言説はなされない. 太陽の運行が刹那である.それ(太陽の運行)は多くの刹那に限定されている.継起す る多様な附帯条件の結合が[1刹那以上の時間言明の原因であると]言われている8). ここで,「太陽の運行が刹那である」と明言される.厳密には,刹那はあくま で時間単位であり,太陽の運行はそれを計測するための附帯条件であって,刹那 そのものではない.しかし,おそらく転義的に,刹那を計測するための附帯条件 も刹那と呼ばれている.そして,時間単位としての刹那の認識の原因を問う議論 が,転義的な意味での刹那は運動か否かという形而上学的還元論の問題として組
み直されている.以下,ヴァッラバの立場を刹那の「運動還元説」と呼ぶ. 2.4. ヴァルダマーナ ヴァッラバのLīlāvatīに するヴァルダマーナは,基本的にヴァッラバの主張 を擁護する立場にある.刹那の運動還元説についてもそれを支持するのだが, ヴァッラバの論述は不充分であるとしている.その問題点は,刹那の認識はいか なる場合にも等質であるにも関わらず,刹那の定義が一般化されていないという ことにある9).いささか理解が難しいが,次のようなことが言われていると考え られる.すなわち,刹那は限定された運動と定義されたが,限定者は少なくとも 四種類あり,また,ひとくちに「分離」と言っても,「地点Aからの分離」と 「地点Bからの分離」は異なるので,そういった雑多な限定者を内包する諸認識 では,いかなる場合にも共通する「刹那」という認識の成立を説明できないとい うことだろう.時計の秒針が1から2に移動するのも「秒」,2から3に移動する のも「秒」では,統一的な「秒」というものの説明にならない,と言うことがで きるかもしれない.一方,たとえば「クォーツが〇回振動する時間」というよう な「秒」の統一的・普遍的定義を与えられれば,ヴァルダマーナも許容するのだ ろう.実際,ヴァルダマーナは,次のような統一的定義を与えている. 自らにより生じる分離の未然非存在を伴う運動こそが刹那である10). 2.5. ラグナータ ラグナータは,Prakāśaの複 であるDīdhitiにおいては,ヴァルダマーナの定 義を踏襲しつつ,刹那の計測は運動に限らず,分離や結合によって為されてもよ いと考えているようである. 刹那は,①自らにより生じる分離の未然非存在に条件付けられた運動,或いは②自らによ り生じる[已滅]非存在の反存在であるところの何らかの結合に条件付けられた分離,或 いは③自らにより生じる[已滅]非存在の反存在であるところの分離または運動に条件付 けられた結合,或いは④自らの非存在を生じさせる結合により条件付けられた分離である. 自らの非存在を生じさせる結合に条件付けられた運動,というものがよりすぐれている.そ れ(運動)が時間の附帯条件であることは,あらゆる論者が認めるところだからである11). 附帯条件を四種類に増やすと,ヴァルダマーナがその確保に腐心した「統一 性」が失われてしまうのだが,ラグナータはそもそもそれを諦めていたのかもし れない.というのも,PTNでは,ラグナータはヴァルダマーナの定義を,統一
性がないというまさにその理由によって却けているからである.そして伝統説を 捨て,刹那を独立の範疇として認める. 【主張】また,刹那は,刹那的な,独立の,時間の附帯条件である. 【反論】[いや,]他ならぬ分離の未然非存在に限定された運動がそうである(時間の附帯 条件である). 【返答】そうではない.後続する運動によって生じる分離の未然非存在に限定された運動 は,四つの刹那にわたり存続するからである. 【反論】自らによって生じる分離の未然非存在に限定されたそれ(運動)がそうである(時 間の附帯条件である). 【返答】そうだとすると,「自ら」であることは[個々の場合で別々であり,]統一されてい ないので,[そのように定義される運動はあらゆる場合に]共通するものとはならない12). 2.6. ラグナータの刹那論の思想史的特徴 以上の資料にもとづいて,ラグナータの刹那論の革新性について再検討する. 筆者が注目したいのは以下の点である. 1.刹那別立説を主張したのはラグナータがはじめではなく,ヴァッラバの時代から知ら れていた. 2.刹那の形而上学についてラグナータが批判したのは,直接的には古典的ヴァイシェー シカ学者(カナーダやプラシャスタパーダ)ではなくヴァルダマーナである. 3.ラグナータが刹那の還元説を否定する根拠は,「svaを使うと統一性がなくなる」とい う点のみである. これを踏まえると,少なくとも刹那論に関しては,ラグナータによって何か本 質的な変革が為されたという理解は受け入れがたい.彼の議論は,ヴァルダマー ナの問題点を指摘・解消するものであり,それ以前から続いてきたヴァイシェー シカ学派の理論改良作業の延長線上にある.たしかにPTNは,全体として,古 典的体系を一刀両断にする快活さを読者に印象づける.おそらくそのような印象 にもとづいて,Potter(1953: 3)は In the PTN Raghunātha strikes devastating blows at the whole categorial framework of the old Vaiśeṣika system, .... と評したのだろう.し
かし,PTNの刹那論は,先行する議論史の緻密な理解を前提としており,際立
つのは,ラグナータの大胆さではなく技術的洗練である.伝統説を拒絶する姿勢 も,議論の仕方も,ラグナータのみに見出しうるものはなく,従って,その刹那 論に革新性は認めがたい.
を変えることになれば,そこに特殊性を指摘することができるだろう.しかし,
刹那に関するラグナータの改革は devastating blows というほど強烈ではなかっ
たといえる.というのも,彼以降に書かれたヴァイシェーシカの綱要書である
Tarkasaṃgraha, Tarkāmṛta, Nyāyasiddhāntamuktāvalī(以下Muktāvalī)などは,いずれ も 旧 来 の 七 範 疇 体 系 を 保 持 し て お り, 刹 那 の 別 立 は 採 用 さ れ て い な い. Muktāvalīに至っては,Dīdhitiの見解を定説として採用し,PTNの別立説には言 及しない13).かつて,ヴァッラバが言及する対論者や,古くは勝宗十句義論の著 者やバーサルヴァジュニャ(Bhāsarvajña)が範疇体系の変更を提案したときにそう であったように,ラグナータの提案も,学派の定説を覆すことはできなかった. 3
.刹那の形而上学
以上の文献研究を踏まえて,ヴァッラバの時代から行われており,ラグナータ が賛同した,刹那の別立を認めるという立場は哲学的に何を意味するのか,結論 に代えて整理する. ここで論じられている問題は,時計がないとき,ひとはいかにして時間を計測 しているか,或いはすべきかということである.そして,ひとは1刹那を計測で きると考えられている.というのも,1刹那の認識が成立するために,附帯条件 が認識可能でなければならないということが再三言われているからである. 伝統的に,時間計測は,ものの運動,具体的には太陽の運行を参照して行われ ると考えられていた.しかし,ヴァッラバ時代の刹那別立論者は,運動を観察し ても刹那的要素は認識できないから,1刹那で必ず滅す瞬間的エンティティが世 界に存在しており,ひとはそれを,おそらく知らず知らずのうちに認識し,刹那 を計測しているのだと主張している. 一方,ラグナータは,運動を観察することにより1刹那を計測できることは否 定しない.運動に関して様々な刹那的要素があり,それらを参照すれば刹那の計 測ができると考えている.しかし,統一的な刹那観念が多様な要素の認識にもと づいて成立する,ということに疑問を差し向ける.彼が問題視するこの点は,ニ ヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派の因果論でしばしば論じられる,多様な原因から 同一の結果が生じることを認めるか否かという問題の争点と本質的に同じものと いえるだろう.たとえば,木片から火が生じることがあり,雑草からも火が生じ ることがあるが,木片由来の火と雑草由来の火を,同じ「火」と呼んでいいのか ─彼らが論じるのはこのような問題であり,基本的に,多様な原因から等質な結果が生じることは忌避される.そしてこの問題が奇妙にうつるのは,おそらく 多くの現代人にとって,多様な原因から同じ結果が生じることがまったく不合理 とみなされないことにある.マッチとライターの両方から火が生じて何の不都合 があるのか.古代インドにおいて重要問題とされたこの問題の本質が明らかにさ れなければ,ラグナータの刹那論もまた,正統に評価できないだろう. 1)ラグナータによる諸実体の主宰神への還元については日比2015が詳しく論じている. 2)Līlāvatī p. 21. BSS版 p. 2 の読みを採用. 3)時間の付帯条件については渡 2014 で詳しく説明されている. 4)この見解は,Bhagīratha Ṭhakkura(16C)の 釈によれ ばekadeśin,すなわちヴァイシェーシカ学派の一部に帰せられている.Kaṇṭhābharaṇa p. 37. 5)この考えはさまざまな文献で見られるが,新ニヤーヤ学派では綱要書
Nyāyasiddhānta-muktāvalīの 釈書Dinakarīで論じられているのがよく知られており,PotterもPTNの訳 においてそれに言及している. 6)Līlāvatī p. 39. 7)Līlāvatī pp. 39–40.
8)Līlāvatī pp. 45–48. 9)Prakāśa p. 51. 10)Prakāśa p. 52. 11)Dīdhiti 9a. 12)PTN pp. 72–74. 13)Muktāvalī on v. 46.
〈一次文献及び略号〉
PTN Padārthatattvanirūpana. See Potter 1957.
Līlāvatī Nyāyalīlāvatī. Nyāyalīlāvatī: Śrībhagīrathaṭhakkuraktavivtisanāthena Śrīvardhamānopā-dhyāyaktaprakāśena Samudbhāsitā Śrīśaṅkaramiśraracitakaṇṭhābharaṇena ca Samanvitā. Ed.
Har-ihara Śāstri. Caukhambā Saṃskta granthamālā 64. Vārāṇasī: Caukhambā Saṃskt Sīrīj Āphis, 1991.
Prakāśa Nyāyalīlāvatīprakāśa. See Līlāvatī.
Dīdhiti Nyāyalīlāvatīprakāśadīdhiti. Manuscript at British Library, IO San 62A. Kaṇṭhābharaṇa Nyāyalīlāvatīkaṇṭhābharaṇa. See Līlāvatī.
Muktāvalī Nyāyasiddhāntamuktāvalī. Nyāyasiddhāntamuktāvalī of Viśvanātha Pañchānan Bhaṭṭāchārya. Ed. Harirāma Śukla. Kashi Sanskrit Series 6. Varanasi: Chaukhambha Sanskrit
Sanst-han, 1997.
〈二次文献〉
Ganeri, Jonardon. 2013. Raghunātha Śiromaṇi and the Origins of Modernity in India. Saṃbhāṣā 30: 55–78.
Potter, Karl. 1957. The Padārthatattvanirūpaṇam of Raghunātha Śiromaṇi. Cambridge: Harvard Uni-versity Press. 日比真由美 2015 「時間・方角は独立の実体か―バーサルヴァジュニャによる批判を中心 に―」『インド哲学仏教学研究』22: 31–56. 渡邉眞儀 2014 「ヴァイシェーシカ学派における過去・現在・未来―『キラナーヴァリー』 の読解を中心に―」『インド哲学仏教学研究』21: 49–64. (本研究はJSPS科研費18K12197の助成を受けたものです.) 〈キーワード〉 時間,刹那,kṣaṇa,形而上学 (名古屋大学准教授, 博士(文学))