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A ConsiderationofThomas'TheoryofFreewil1 -

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(1)

トマスの 自由意志諭の一考察

‑ 『 神学大全』第一部 ,第 83 問題 ‑ 飯 塚 知 敬

A Co ns i de r a t i o no fTho ma s 'The o r yo fFr e e wi l 1

s ummat he o l o gi a e

,

I ,q. 83

Tomo yos hiI I ZUKA

は じめ に

トマス ・ア ク ィナ スは 『神学大全

』(

1)第一部 ,第

8 2

問題 で人間の知性的欲求 と しての 意志

( vol unt as )

について論 じた後,(2)続 く第

83

問題 で 自由意志

( l i be r um a r bi t r i um)

について考察 してい る。人間の意志 お よび 自由意志の問題 は第二部 の倫理学 において,人 間の行為の善 と悪 な どの問題 とともに詳細 に考察 され るのであ るが, トマスは先ず この第 一部 において よ り一般的,原理的 に規定 している. この第

8 3

問題 におけ る 自由意志の考察 の順序 は次の通 りであ る。

第 1項 人 間に 自由意志があ るか。

Ut mm ho mos i tl i be r ia r bi t r i i .

第2項 自由意志 とは能 力であ るか。

Ut mm l i be r um ar bi t r i um s i tpot ent i a.

3

項 自由意志 とは欲求能 力であ るか

Ut r um l i be mm a r bi t r i um s i tpot ent i aa ppe t i t i va.

第 4項 自由意志 は意志 とは異 な る能力であ るか。

Ut mm l i be mm ar bi t r i um s i tal i apot e nt i aavol unt a t e.

トマスは第 1項 において,先ず人間 に 自由意志 があ るか どうかを問題 とす る。 トマスは 人 間に 自由意志 が存在 す るこ とを,人 間の 内に理性認識 の働 き

( r a t i oc i na r

i)があ るこ と か ら説 明 して い る。続 く第

2

項 で は , 自由意 志 が ハ ビ トス

( habi t us)

で は な く能 力

( pot e nt i a)

でなければな らない こ とが述 べ られ る。 これは トマスが 自由意志 を、働 きの あ る方 向への傾 きとしてのハ ビ トス と原理的 に異 なる もの と捉 えてい るこ とに基づいてい る。第3項 では,第2項 で 自由意志が能 力である とされた こ とを受けて,その能 力が認識 能 力であ るのか,欲求能 力であ るのかが問われる。 自由意志の働 きに認識 と欲求 とい う両 方の働 きが含 まれてい るこ とは明 らかであ るが, トマスは 自由意志 を基本的 に欲求の能 力 であ る と結論 す る。第 4項 では,第 3項 で欲求能 力 とされた 自由意志は,欲求の能 力 とし ての意志 と異 な る能 力なのか どうかが問われ, トマスは両者 が同一 の能 力の異 な る働 きで

(2)

あ る と結論 してい る。 この小論 においては,多様 な問題 を含む 自由意志の問題 について, 上記 の トマスの考察 をた どりなが ら, 自由意志の解 明について若干 の手がか りを得たい と 思 う。

第一章 理性認識 と自由意志

トマスは第

1

項 で,先 ず人間が 自由意志 を持 つのか どうかを問題 としている。 ところで トマスに とって,人間が 自由意志 を持つ こ とは明 らかな事実であ る。̀とい うの も,彼 の言 うように, も しも人間が 自由意志 を持たなければ,そ もそ も思慮 ,命令,規則 ,賞罰 な ど は無意味 とな るであろ うか らであ る。例 えば人間が思慮 を行 うのは,人間の行動 を思慮 に 従 わせ るためであ り,そ こには人 間の理性認識 の 自由 と, 自分の行為 を理性の決定 に基づ かせ る自律性 が前提 にな ってい るのであ る。 トマスはそれゆえ,理性 の力の程度の高 い も のほ ど自由意志 も多 く持 つ と基本的 に考 えてい る。 そ こで トマスは人間が 自由意志 を持つ こ とを,①物 体 ,(む動物 ,(争人間の順 に認識 の程度 と行動 の仕方 を対応 させなが ら説 明 し てい る。

(手判断力を欠いている存在者 の場合。例 えば石 が下方 へ と落下 す る運動. これが 自由意志 を持たない運動 であ るこ とは明 らかであ る。

(令判断力を持 つが, 自由な判 断 を持 たない動物 の場合o例 えば羊が狼 を見て逃 げ る場合で ある。羊 は狼 か ら逃 げるべ きである と判断 して行動 す る。しか し,その判断は 自然本性的な判 断であ り自由な判断 に基づ くものではない。 なぜな らそれは理性の推論

( c ol l at i o)

に依 る判断ではな く, 自然本性的 な衝動

( i ns t i nc t usna t ur a l i s )

に よる判 断だか らであ る。(3) (参自由な判断力を持つ人間の場合0人間は認識 力 に よ り狼 か ら逃 げ るべ きか,追 いかけ る

べ きかを判断す る。 この場合の判断は 自然本性的な衝動 に よるのではな く,個 々の行為 に おけ る理性の推論 に よるのであ り,それゆ え人間の働 きは 自由な判断 に基 づいてお り,種 々の結論 へ と至 る可能性 を持 ってい るのであ る。(4)

つま り,② の動物の場合 にはその行動 は一種 の判断 に基 づ くといえるが,その判断 は例 えば羊 とい う種 の本性 において一律 に定 まってい るのであ る。 それゆ え動物 も狼 の出現 と い う事態 に対 して認識 と判断 に よ り反応 してい るのだけれ ども,その判断が一律 の もので あ るので,彼 らの行動 には 自由意志 が認 め られない とす るのであ る。 しか し,人間の場合 には理性 は一人一人が種 々の推論 を行 い得 るのであ る。 なぜな ら人間 と狼 の出会 いにおい て,それぞれの事態は時間 ・場所 な どにおいてそれぞれ特殊 なケースなのであ り,それ ら の個 々の条件 は特殊 的であ り,偶然的な要素 を含んでお り,従 ってその結論 もそれぞれが 異 な って くるのであ る。 それゆえその結論 に よる人間の行動 は動物 の場合 と異な り,それ ぞれの場合 に よ り様 々であ り得 るのであ り,そ こに人間の 自由意志の根拠 があ る と トマス は考 えているのであ る。

トマスは人間の この ような行為 におけ る判断 を特殊的な行為 に係 る もの とし,それ らの 行為 をあ る偶然的 な もの (

c ont i ngent i a)

であ る としてい る。偶然 的な もの とはア リス ト テ レスに よれば必然的ではない もの を言 うのであ り,論理的 にはその反対 が不可能 ではな い もの をい うのであ る.狼 とい う動物 に出会 って も,人間は 自分 の本性 か らその反応 を‑

(3)

つの ものに決定 されてお らず,他の行為の可能性 も常 にあ り得 る とい うこ とを意味 してい る。 それゆ え トマスは人間は理性的 であ る とい うまさに この ことか ら, 自由意志 を持 つ こ とが必然であ る と結論 す る。(5)

以上 の ように トマスが人間に 自由意志があ る とい うのは,人間の行為は理性 の決定 に基 づいて行われ,その理性 の推論 の結論 は人間 とい う種 の本性 に よ り,あ る一つの ものへ と 必然的 に決定 されてい るのではな く,その人の理性認識の推論 に よ り,他 の可能性 を含む 仕方 で決定 され る とい うことによる。 しか しその ような理性の持つ働 きの 自由は我 々の行 動 において,我 々の行動 の 目的 が理性的欲 求の 目的 に服 し,その意味で 自律的でなければ 実質的な意味 を持 たない と言 えよう。この人間の行為 におけ る 自律性 とい うこ とについて, 第

5

異論 において トマスは検討 してい る。

5

異論 では先 ずア リス トテ レスの 『ニ コマ コス倫理学』 (6)

3

巻 の次 の こ とばが引用 されてい る。「各人 があ るように,その ように 目的 は彼 に見 えてい る」。我 々は 自分の状況 下 において理性の推論 を形成 し, この意味で我 々は推論 におけ る 自由を持つ。 しか し, も

しも我 々の推論 の 目的が我 々が現 にあ る ところ,広義の 自然 に よ り決定 されてい る とすれ ば,我 々の推論 は実質的 に我 々にあ る ところに よ り決定 されてい るこ とにな るのではない か。 そ うすれば我 々の理性の推論 は,我 々の 自然 によ り決定 されてお り,我 々の理性 には 結果 として 自由はない ことにな るであろ う。

トマスは第

5

異論 の解答 において,人間の本性 に対す る自由意志の関係 を

3

つの側面 か ら答 えてい る。 まず,人間の性質 を 自然本性的な性質 と,後天的 に獲得 され る性質 とに区 分 す る。 そ して前者 の 自然的 な本性 に よる性質 を更 に知的な部分 に由来 す る性質 と,身体 的部分及 び身体 と結合す る力 に由来 す る性質 とに区分す る。人間の本性 を この ように

3

にわけ,それぞれ について次の ように説 明 してい る。

(D人間の知的 な部分 に由来 す る性質. これは人 間の意志 が本性的 に至福

( beat i t udo)

を 目的 として欲求 してい るこ とをい うのであ り, この欲求は 自由意志 に従属 していないので あ る。 つま り, この欲求 に関 して人間の 自由意志 は力が及ばないのであ る。

(夢人間の身体的部分,身体 と結合 す る力 に よる性質.身体の状態 ,身体的な原因 に よる作 用 な どは,知性的 な部分 に影響 を及ぼす こ とはで きない。 なぜな ら,知性的部分 の働 きは 一定の身体の現実態ではないか らであ る。確 かに人間は身体 のあ る状態 か らあ る もの を選 択 し,ある ものを退け るこ とへ と傾 く。 しか し, この傾 きは理性 の判断 に従属す る。下位 の欲求は上位 の欲 求 に従属す るのだか らであ る。

③後天的な性質。 これはハ ビ トス

( ha bi t us)

と情念

( pa s s i one s )

に よる。我 々は これ ら に よ りあ る ものへ と傾 け られてい る。 しか し, この傾 向性 もまた理性 の判断 に従属す る。

それは,その ようなハ ビ トスや情念 を形成 した り,排除 した りす るこ とが我 々の 自由意志 に基づいてい るか らであ る。

トマスは この ように述べて,人 間のあ る ところ,広義の 自然 に関 して至福 への本性的な 欲求以外は人 間の理性 の判断 に従属 す るこ とを明 らか に し, この限 りで理性 の 自発的 な推 論 を妨 げ る ものではない こ とを認 めている。

この第 1項 において トマスは人 間が 自由意志 を持つ こ とを人間が理性 を持 つ ことか ら導 いてい る。 その理性の推論 は,人 間の 自然本性 によ り必然 的 ・一義的 に一 つの結論 に至 る とい うものではな く,その推理はその人の置かれてい る状況 に よ り,常 に他の結論 もあ り

(4)

得 る形 で行われ るのであ る。その意味で人間には 自由意志があ るのである。 また, トマス は人間の行為 におけ る理性の支配 について,確 かに人間には至福への本性的な傾 きがあ り, この傾 きは 自由意志の支配 に服 さないけれ ども,その他の 自然本性は理性 の支配 に従 うの であ り,その限 りで人間の行為は理性 の 自律的な働 きに よるのである と結論 している。

第二章 ハ ビ トスと自由意志

続 く第2項 においては, 自由意志がハ ビ トスなのかポテンチア,能力であるのかが問題 とされてい る.先ず, トマスは 自由意志は こ とばの一般的な用法 に よって行為の根源であ り,それに よ り人間が 自由に判断す る ところの ものであ る とし,(7)この ような行為の根 源 として人間にはポテンチア とハ ビ トスの二つがあ ることを挙げ る。 それゆえ, 自由意志 はポテンチアか,ハ ビ トスか,あ るハ ビ トスを伴 うポテンチアかのいずれかでなければな

らない とす る。

この ように述べた後で, トマスは 自由意志はハ ビ トスで もハ ビ トスを伴 うポテンチアで もあ り得ず,ポテンチアでなければな らない とする。 それは 自由意志 がハ ビ トスの概念 と 対立す るか らであ って, トマスは この ことの理 由を二点挙げている。

(D人間に とって 自由意志 を持 つ こ とは本性的であ り,従 って 自由意志がハ ビ トスである と すれば本性的なハ ビ トスでなければな らない。例 えば,その ようなハ ビ トス として人間の 知性は第一原理 に対 して, これに同意する本性的な傾 向性 を持つのであ り,また人間の意 志は至福 を欲求す る本性的な傾 きを持つのであ る。けれ どもまさにその ような本性的な傾 向性 を持つ ことが,第一章で至福 について も見 られた ように 自由意志の支配 に服 さない こ との理 由なのであ った。 この ことか ら トマスは本性的なハ ビ トスであ る とい うことは 自由 意志の固有の ラチオに反す る と結論 す るのであ る。

(参ハ ビ トス とはア リス トテ レスに よれば 「それに よ り我 々が情念や行為 に対 して善 く,あ るいは悪 くあ る ところの もの」 (8)なのであ る。例 えば,節制 とい うハ ビ トスに よって, 我 々は情欲 に対 して善 くあるのであ り,不節制 に よって悪 くあ るのである。 また学知 に よ って我 々は真実を認識 する限 りで知性の働 きに対 して善 くあるのであ り,反対のハ ビ トス によって悪 くあるのである。 これに対 して, 自由意志は善 く選択す ることと悪 く選択 す る こ とに対 して無差別的な位置 にあ るのであ る。 (9)だか ら,ハ ビ トスは 自由意志の概念 に 対 して対立す るのであ る。

トマスは(Dの理 由において, 自由意志 を持つ ことは人間 に とり本性的な ことであ り,従 ってハ ビ トス とすればそれは本性的なハ ビ トスでなければな らない とい う論点か ら彼の理 由を述べてい る。確 かに,もしも自由意志 が後天的 に形成 され るハ ビ トスである とすれば, 自由意志 を持 たない人 も出て くるはずである。す る と,人間は不 自由 とい うハ ビ トス も含 め, 自分 に とり悪 いハ ピ トスか ら逃れ る自由,可能性 を もはや持たない ことになるであろ う人間が常 に どの ようなハ ビ トスか らもその改変の可能性 を持つ とす るな ら, 自由意志 は本性的なハ ビ トス と考 えなければな らない。 しか し,その ように考 える と トマスのい う ように,ハ ビ トスはあ る一つの方 向へ と傾 くことをい うのだか ら, 自由意志の固有の ラチ オ と対立す ることにな る。従 って,人間 に とり本性的な行為の根源であ り,ハ ビ トスでな

(5)

い もの としてポテンチアであ る と結論 され ることにな るであ ろ う。

トマスはまた(彰において,意志の 自由を選択 の善 い,悪 いに対 して無差別的な仕方 で係 る としてい る。我 々は第一章 において 自由意志の 自由性 に二つの側面 があ るこ とを見た。

一 つは人間の理性 の推論 が各状況 において一義的 に決定 されていない ことであ り, もう一 つは,人間の 自然本性の欲求が理性の欲求 に服す るこ と, 自律的であ るこ とを見たのであ る。人間 には身体的な本性 があ り, これに基づ く欲求は理性の選択 に服す る と トマスに よ って説 明された。 しか し,それは理性の働 きが一定の身体 の現実態 に よるのではないか ら とい う言わば原理 的な説 明に よるのであ り,現実的 には人間は様 々な身体の欲求 によ り影 響 され,必ず しも理性の命令 に忠実 に従 ってい るわけではない。だか ら例 えば節制の徳 が 形成 され るこ とによ り,我 々は理性の命令 に よ り多 く従 うことがで きるようにな り,その こ とで我 々は実質的 に よ り自由にな る と考 えるこ とがで きよう。 その意味では現実の人間 のあ り方 において, 自由意志 にあ る種 の徳 が含 まれている と考 えるこ とがで き,その限 り で 自由意志 にハ ビ トスが含 まれてい る と見 るこ ともで きる。

だが この場合 に も(Dと同様 に, 自由意志の働 きを基本的 に徳 であ る とし,ハ ビ トス とす る と,悪 いハ ビ トスが形成 された人 には もはやそのハ ビ トスか ら脱 す る可能性 , 自由が奪 われ るこ とにな る。それゆ え どんな悪徳の内にあ る人間 に とって もそ こか ら脱 す る可能性 , 自由の余地 を認 め るためには 自由意志 は原理的 に考 えてあ くまでハ ビ トスではあ り得ず, ポテンチアでなければな らないのである。

またあるハ ピ トスに よって我 々があ る行為 を善 く行 える状態 にあった として も,行為の 善 さは状況 に よ り変化す るこ とがあ るだ ろう。例 えば行為の対象が変われば,行為 も変化 しなければな らない。 しか し,ハ ビ トスはあ る一 つの方 向への傾 きを意味す るのだか ら, ハ ビ トスだけではそれまでの行為が悪 いや り方 に転 じて しまう可能性 があ る。過去の徳 が 未来の悪徳 にな らない とは限 らない。徳が徳 であ り続 け るためには,状況の変化 に対応 し てハ ビ トスを修正 してゆ く必要 があ るのであ り,修正の働 きその ものは もはやハ ビ トスで はあ り得ず,別の根源であ るポテンチア としての 自由意志の働 きによるのでなければな ら ないのである。

トマスは第一章 で見た ように,人間の内に 自由意志 があ るこ とを人間が理性的 にある こ とか ら導 きだ していた。この第二章 において,トマスが 自由意志 をポテンチアであ る とし, ハ ビ トスか ら厳密 に区別 している ことも,人間の知的な魂 がその理性の推論 において根源 的な 自由を持 つ ことを確認 している と見 るこ とがで きよう。 それは知的 な魂 が一定の身体 の現実態ではな く自立す る働 きを持 つ こ と,従 って身体 に依存 しない存在 を持 つ とい う ト マスの基本的 な考 え方 に よって基礎づけ られてい る と考 え られ る。トマスの 自由意志論 は, その意味で知 的魂 の超越性 を確認 す るもの とい うこ とがで きる。

第三章 欲求能力 と自由意志

トマスは第二章 で見た ように,人間におけ る自由意志の働 きをポテンチア とし,ハ ビ ト スか ら厳密 に区別 してい る。 これは どの ようなハ ビ トスにあ って も,人間はその 自由意志 を失 うこ とはない こ とを確認 す る ものであ り,それは人間の知的な魂の根源的な 自由に基

(6)

づ くもの と考 え られ る この第三章 においては, この ような 自由意志が魂の能 力であ る と い うこ とを受けて,更にそれは認識能力なのか,欲求能力なのかが問題 とされている。

先 ず トマスは 自由意志の固有的 な働 きは選択

( e l e c t i o)

にあ る とす る。(10)それは我 々 が 自由意志を持つ と言われるのは一方 を退け,他方を受け取 る とい う選択の働 きがで きる ことに よるか らである。従 って, 自由意志の本性の考察は選択 についての考察 を通 して行 われなければな らない とす る。

ところで選択 とい うことにおいては始めに も触れた ように,認識の力の側 と,欲求の力 の側か らそれぞれ一定の ものが合流 してい るのである。認識の側か らは思慮が必要 とされ, それによりあ るもの より何が優先 され るべ きかが決定 され る。他方,欲求の側 か らは思慮 により決定 された ものが欲求 され ることで受け取 られ るこ とが必要 とされ るのであ る。 ト マスは この ように 自由意志 における二つの要素 を述べた後,ア リス トテ レス も 『ニ コマ コ ス倫理学』(ll)

6

巻 においては認識 の力 と欲求の力のいずれが主要 な力 として 自由意志 に 属す るのか,つ ま り自由意志 とは欲求的な知性

( i nt e l l e c t usa ppe t i t i va )

なのか,それ と も知性的 な欲求

( a ppe t i t usi nt e l l e c t i vus )

なのかについて これを疑 問の ままに残 してい る としている。

しか し トマスはア リス トテ レスが同書,(12)

3

巻 において選択 を思慮 的な願望

( des i d‑

e r

i

um c ons i l i a bi l e)

と呼 び,知性的な欲求 と見 ることに傾 いてい る としなが ら, 白らも この見解 に賛成 している。 トマスはその理 由をア リス トテ レスに基 づ きなが ら, (13)もと もと選択の固有の対象 とい うのは 目的のためにあ るもの, 目的の手段 とな りその意味で有 益

( ut i l e)

であ るような書 きもの

( bonum)

であ るか らとす る。書 きもの を固有の対象 とす る限 りにおいて,選択の固有の働 きは認識ではな く,欲求でなければな らないのであ り,そ こか ら彼 は 自由意志は欲求の能力

( po t e nt i aa ppe t i t i va )

である と結論 している。

つま り, 自由意志の固有な働 きとされた選択 を考 えてみ る と,それは思慮 と欲求 とい う 二つの要素 を含んでいる。 しか し,選択の固有の対象は書 きものであ る と トマスはい う

それはア リス トテ レスが述べてい るように選択 とは 「我 々の力の範囲内に属す るこ とが ら についての」思慮 なのであ り,(14)我 々に とり利害関係 を持つ ものが思慮 の対象 とな るの であ る。だか ら,選択 において思慮が働 くとして も,その思慮の対象の範 囲は どこまで も 拡大 され るわけではな く,我 々の有す る目的 と我 々の置かれている状況 によ り限定 されて いるのであ る。その意味で,選択 は思慮のための思慮ではな く,善 ・目的のための思慮 と い うべ きであ り,従 って選択 は第一義的 に欲求の働 きなのだ と考 え られ る.

この ように第三章 において トマスは 自由意志の固有の働 きを選択の働 きとして とらえ, そ こか ら自由意志 を第一義的 に欲求の働 き としたのであ った。第二章 において, 自由意志 をハ ビ トス と区別 しポテンチアである とした ところに, トマスが人間の 自由意志のあ る意 味での絶対性,超越性 を確認 していることを見た。けれ どもこの第三章 においては,人間 の 自由意志が欲求のポテンチアである とされ,その根拠 として選択 におけ る思慮の働 きが 一定の限定 を持つ ことを見たのである。それはア リス トテ レスが言 うように,選択 におけ る思慮 とは 「我 々の力の範囲内に属す るこ とが らについて」の思慮なのであ り,我 々の選 択, 自由意志の働 きは我 々の 目的 と状況 によ り限定 されているのであ る。我 々の 目的は第

‑章 において見た ように,我 々のあ る ところ,広義の 自然 によって決定 される ものではな い として も,我 々の 目的 を実現す るために我 々が選択 で きる書 きものは有限であ り,その

(7)

意味 では我 々の 自由意志 は この世 界 に制約 されてい る と言 わなければな らないであ ろう。

つ ま り,我 々の 自由意志は知性 的な欲求の能 力 として,あ くまで具体的 な もの に動 かさ れ るのではな く,善 とい うラチオの もとにあ る具体的な ものを求め るのであ る。 その意咲 で我 々の 自由意志は,我 々のあ る ところ,広義 の 自然 に支配 されない 自由を持 っていたの であ った。 しか し,我 々の意志 の 目的 は我 々の 自然 に支配 されない として も,その 目的 を 実現 す るための手段 としての書 きものは我 々において常 に制約 された もので しかない。 そ して,我 々の 自由意志 におけ る選択 の働 きは,その ような手段 としての善 きもの を固有の 対象 とす るのであ り,その意 味で我 々の思慮 は常 に限定 された もの に係 るのであ る。我 々 は第一章 において,人間 に 自由意志 があ る こ とを人間が理性認識 を持 つ こ との内に見たの であ るが,人 間は 自分 の特殊 な条件 を踏 まえて,特殊的な条件下 で理性の推論 を行 うこ と がで きるのであ るが, しか し,そ¢)こ とはその特殊的 な条件 か らある意味で拘束 されてい るこ とも意味 す るのであ る。 つ ま り, ここには人間の 自由意志 の超越性 と内在性 の二面性 が認 め られ る とい うこ とがで きるであろ う。

第 四章 意志 と 自由意志

最後 に第

4

項 において トマスは 自由意志

( l i be r um ar bi t r i um)

の働 きを意志

( vol un‑

t as)

の働 き と対比 させ,両者 が同一 のポ テンチ アに属 す るのか どうか を考察 している.

トマスは欲 求のポテンチアは認識 のポテンチアに対比的な位置 にあ る とし,欲求 におけ る 自由意志 と意志 の関係 は,認識 におけ る理性

( r a t i o)

と知性

( i nt e l l e c t us )

の関係 に対応 す る としてい る。

先 ず,知性 と理性 の対比 について考 え よう 知性認識

( i nt e l l i ge r e)

の働 きとは (15)義 る ものの単純 な把握 を意味す るのであ り,それゆ え固有の意味 で知性認識 す る と言 われ る のは原理

( pr i nc i pi a)

の認識 の ように推論 な しに,それ 自身 に よって認識 され るような も の であ る. これ に対 し理性認識 の働 き

( r a t i oc i na r

i)は (16)は も とも とあ る ものの認諾拍ゝ

ら他 の ものの認識 へ と至 るこ とであ る。 それゆえ結論 が固有 の意味で理性認識 され るので あ って,それは結論 が原理 か ら証 明 され るこ とに よるのであ る。

次 に意志 と自由意志 の対比 につ いて見 てみ よう 意志 の働 き (

vel l e)

(17)はあ る ものの 単純 な欲求 を意味 してい る。 それゆ え固有 の意味 で意志 され るのは 目的 についてであ り, 目的 はそれ 自身 の ため に欲 求 され るの であ る。 これ に対 して選択 の働 き

( el i ge r e)

(18)は 他 の もの を獲得す るため にあ る もの を欲求す ることを言 うのであ る。 それゆえ, 目的のた め にあ る ものが固有の意味で選択 され る ものであ る。

そ して認識 において原理 と結論 とは,原理 のゆ えに我 々は結論 に同意す る とい う関係 に あ るように,欲求 において 目的 と手段 とは, 目的のために我 々は手段 を欲求す る とい う関 係 にあ るのであ り,それぞれ において対比的な位置 にあ るのであ る。 ここか ら トマスは 自 由意志の意志 に対 す る関係は,理性の知性 に対 す る関係 に等 しい とす る。 そ して知性 と理 性 の働 きが同一 のポテンチアに属 す るように,意志 と自由意志の働 きも同一 のポテンチア

に属 す る と結論 す る。

ここでは トマスは 自由意志 と意志の関係 を,理性 と知性 の関係 との対比 において明 らか

(8)

に している。 自由意志の求め る善 きものは,意志の求め る 目的 としての善 のために求め ら れ るのであ り,理性 が東認す る結論の 明証性は,知性 が同意 す る原理 の明証性 に基づいて い るのであ る。そ して第2項 で トマスが触れていた ように,知性 におけ る原理 に対 して, 人間は本性的 に同意 す るハ ピ トスを持つのであ る し,意志 におけ る究極 目的 としての至福

に対 して も人間は本性的 に欲求す るハ ビ トスを持 つのであ った。

けれ ども人間は認識 において,知性 はその原理 の認識 を本性的 に持 つ として も,理性 が 推論 を通 して一定 の具体的な結論 に至 るためには感覚 を通 した経験的認識 を必要 とす るよ うに,欲求 において も、人間は究極 目的 としての至福 を本性的 に意志 している として も, その実現 のためには,我 々が具体的な手段 としての善 きもの を選択 し獲得 して行かなけれ ばな らないのであ る。 ここに も,第三章で見た ように人間の知的魂 の超越性 と内在性 が認 め られ る と言 え よう。

第五章 考察 のま とめ

第一章 において, トマスは人間が 自由意志 を持つ こ とを人間の理性認識 の働 きか ら説 明 していた。人間の行動 は判断 を通 して行われ るが,その理性的な判断は人間の種的 な本性 に よ り一定の結論 へ と予 め決定 されてい るのではな く,人間は一人一人その場所 ・時 な ど の特殊 的な条件 に基づいて推論 を行 うのであ り,他の結論 の可能性 も含 む仕方 で結論 に至 るのであ る。 そ して,そ こに人間の行為 におけ る自由意志 の成立の根拠 があ る とされたの であ った。 しか し, この ような理性の推論 において我 々のあ る ところ,広義の 自然 がその 推理の 目的 に影響 を及 ぼす こ とが認 め られ るのではないか。 トマスは この影響 について三 つの側面 か ら答 えていた。(D知的な魂 の本性的なハ ビ トスに よる もの. これは人間が本性 的 に至福 を求めている とい う儒 向性 であ り, この債 向性 に対 しては人間の 自由意志 は力を 行使で きないのであ った。(夢身体的な本性 に よる もの。 これに対 しては人間の理性 の働 き は一定 の身体 の現実態 ではな く,知的魂 はそれ独 自の存在 を持ち, 自立的な働 きを行 える のであ り, これに よっては 自由意志 の働 きは妨げ られないのであ る。(彰後天的 に獲得 され る もの。ハ ビ トスや情念 に関 して, 自由意志 は これを止 めた り,始めた りす る自由を持つ のであ り,その意味 で これに関 して も自由意志は力を行使 で きるのであ る。

第二章 においては 自由意志はハ ビ トスではな くてポ テンチアであ ることが結論 された。

ハ ビ トス とは一定の ものへ と傾 きを持 つ こ とをい うのであ るが, 自由意志は逆 に,一定の 方 向に限定 されてお らずいずれ も選択 で きる状態 をい うのであ り, この意味 で 自由意志の 固有の概念はハ ビ トス と対立す るのであ った。 また,ハ ビ トスはあ る働 きや情念 に対 して 善 いあ るいは悪 い状態 にあ るこ とを言 うのであ るが, 自由意志 にはその ような善 さ ・悪 さ に対 して無差別的であ る とい うこ とで も両者 は相反 す る とされたのであ った。

トマスが 自由意志の働 きをハ ビ トスではな くポテンチア とした こ と紘,人 間がハ ビ トス において どんな状態 にあ って も自由意志 を失 うことがない こ とを確認 す る ものであ る と考 え られ る。ハ ピ トス としての徳が 自由意志 ではない とい うこ とは, どんな悪徳 にあ る人 も 徳 への可能性 , 自由意志 を失 わない こ とを意味す るか らであ る。 しか し逆 に どんなに徳 に あ る人 も悪徳 に転落 す る可能性 もあ るこ とも意味 している。 この ように トマスの 自由意志

(9)

論は人間の知的な魂の超越性 を示す もの と理解す ることがで きる。

しか し第三章 においては,人間の 自由意志が欲求能力であることが示 された。 自由意志 には思慮 と欲求 とい う知性 と意志の二つの要素が合流 しているのであるが, トマスは 自由 意志 を基本的に欲求の働 きである としたのであ る。 それは, 自由意志の固有の働 きである 選択の働 きの対象が, 目的 としての善の実現手段 として有益な もの,その意味での書 きも のだか らである。選択 において思慮は不可欠な前提である。 しか し選択 において思慮は, 思慮のための思慮 とい うことはな く, 目的実現のための思慮なのであ り,それはア リス ト テ レスが 「我 々の力の範囲内において」 と指摘 していた ことか らも知 られるのである。 こ の ことは我 々の 自由意志は,知的な魂の本性的なハ ビ トス としての至福への傾 向性以外 に は,我 々の 自然や後天的なハ ビ トスに支配 されない自由を持つのであるが,我 々の選択 に おけ る思慮の対象は我 々の 「力の範囲内において

とい う制約 を持つのであ り,その意味 では我 々の 自由意志は第二章で見た ような超越的な側面 と同時に内在的な側面 も持つ こと が明 らかにされたのである。

第四章 においては, トマスは欲求能力における自由意志 と意志の関係を,認識能力 にお ける理性 と知性の関係 と対比 させなが ら明 らかに していた。知性の働 きは本来 ものの単純 な把握 に向か うのであ り,その意味では他の ものか らの推論 によらず,それ 自身で認識 さ れる原理が知性の固有の対象なのであ った。理性の働 きはその ような原理の明証性か ら出 発 して推論 を通 して結論 に至 る ところに成立 するのである。認識 におけるこの知性 と理性 の関係が,欲求におけ る意味 と自由意志の関係の説 明に対比的に用い られた。欲求におい て,意志の働 きは 目的 とい う善 を直接 に求めるのであ り, 目的それ 自身が意志 に よって欲 求 されるのである。 これに対 して, 自由意志はその ような 目的のために有益な もの,その 意味で善 きものを求めるのであ った。

そ してその ような我 々の認識能力 と欲求能力の働 きを基礎づけ るもの として,知性 にお いては原理があ り,意志 においては究極 目的 としての至福があるのであ り, この原理 の承 認 と至福の欲求への傾 きは ともに知的な魂 に本性的なハビ トス として備わ っているのであ る。我 々の知性 と意志の力は, こ¢)ように原理 と至福 とを本性的に持つ ことによ り,ある 意味での超越性 を持つ と考 え られる。 しか し,我 々の具体的な認識は理性 を通 して経験的 に,感覚を通 して行われなければな らず,また我 々の 目的が実現 され るためには,我 々は 自由意志によって我 々の力の範 囲内にあるものを具体的 に選択 して求めて行 くはかはない のであ る。

その意味で我 々は身体 を持 つ も¢)として,この世界の内にあ くまで内在す るわけである。

そ して我 々が身体 とともにこの世界に内在 する とい うことは,我 々が実質的 に 自由である ためには認識 において も欲求において も一定のハ ビ トスが形成 されなければな らないこと を意味 している.一定のハ ビ トスを形成す ることで,我 々は具体的な理性的認識や 自由意 志 において よ り善 くよ り容易に行 えるようになる。 しか しまた,我 々の知性の原理 と意志 の究極 目的 とが我 々の知的な魂の本性的なハ ビ トスの内に基づいてい る ということは,戟 々の知性 と意志の働 きの 目的が この世界における認識,欲求のみでは完結 し得ない ことも 意味 してい る とも言 えよう。 こう して人間の 自由意志の問題は,人間の認識能力 と欲求能 力の超越性 と内在性の問題 と深 く係 るのであ り,その意味で形而上学の問題 とも深 く係 る のである。だが, この 自由意志 と形而上学の問題 についてはまた改めて考察 しなければな

(10)

1) テキス トはマ リエ ッチ版 を用 いた。

2)拙論 , トマスの意志論 の一考察 『長崎大学教育学部 社会科学論 叢』52号参照

3)S.T.I,q.83,a.I,C"Iudicatenim ovisvidenslupum,eum essefugiendm,naturaliiudicio:

etnonlibero:qui且nonexcouationesedexnaturaliinstinctuhociudicat.

4)ibid.C.,Sedquiaiudicium istudnonestexnaturaliinstinctuinparticularioperabili,sedex couationequadam rationis;etideoagitlibroiudicio,potensindiversafe汀i.

5)ibid.C.,Etprotantonecesseestquodhomositliberiarbitrii,exhoeipsoquodrationalisest. 6) ア リス トテ レス 『ニ コマ コス倫理学』 35章 。 「各人 がそ もそ もいかな るふ うの人間 であ るか,それ

に応 じて 目的 もまた各人 に とってそれぞれ異 な って見 えて くる。」 (高 田三郎訳)

7)S.T.I.q.83,a.2,C.,..liberum arbitrium dicimusidquodesthuiusactusprincipium, scilicetquohomolibereiudicat.

8)ibid.C " ...quiahabitusdicuntursecundum quosnoshabemusadpassionesvelactusbene

velmale,.‥

9)ibid.C.,Liberum autem arbitrium indifferentersehabetadbeneeligendum velmale.

10)S.T.I,q.83,a.3,C.,..exhoeenim liberiarbitriiessedicimur,quodpossumusunum recIPere,aliorecusato,quodesteligere.

ll)ア リス トテ レス,前掲書 , 6巻 2章 。「この ように して 『選択』 は 『欲 求的 な知性認識』 (オ ク レオ テ ィ コス ・ヌー ス) な い しは 『知性 的 な欲求』 (オ ク レシス ・デ ィアノエテ ィケー) にはかな らず ‑」

12)ア リス トテ レス,前掲 書, 3巻4

,「

『選択』 とい うこ とは,われわれの力の範 囲内 に属 す る こ とが ら につ いての思量的 な欲求 であ る といわな くてはな らぬ。」

13)ibid.C.,..quiaproprium obiectum electionisestilludquodestadfinem:hoeautem,inquan‑

tum huiusmodi,habetrationem boniquoddicitur utile:

14) 12)参照。

15)S.T.I,q.83,a.4,C.,Nan intelligereimportatsimplicem acceptionem alicuiusrei:undein‑

telligidicunturproprlepnnClpla,quaeSinecollationeperselpSaCOgnOSCuntur.

16)ibid.C.,Ratiocinariautem proprieestdevenireexunoincognitionem alterius:undeproprie deconclusionibusratiocinamur,quaeexprincipiisimotescunt.

17)ibid.C.,..velleimportatsimplicem appetitum alicuiusrei:undevoluntasdicituressedefine, qulPrOPterSeaPPetitur.

18)ibid.C.,Eligereautem estappeterealiquidpropteralterum consequendum:un deproprieest eorum quaeslmtadfinem.

参照

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