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いわゆる秦式短剣についての一考察

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(1)

いわゆる秦式短剣についての一考察

著者 八木 聡

雑誌名 金大考古

巻 63

ページ 10‑14

発行年 2009‑02‑08

URL http://hdl.handle.net/2297/14563

(2)

はじめに

 これまで中国国内において、西周から春秋にかけて 鐔に獣面を表現する短剣が確認されてきた。その中 の一型式として、いわゆる「秦式短剣(1)」と呼ばれ てきた短剣を挙げることができる。この名称は 1993 年に張天恩によって命名されたもので(張天恩 1993 pp.24-26)、鐔の獣面が角張った形状をなし、刃部と 鐔の境が水平になる特徴を有する。

張天恩は秦式短剣を中原文化における独立した系統 と考え、北方系青銅短剣からの派生を否定した。更に 張天恩は、1995年の論文で秦式短剣の編年について も述べており、全体の形状に丸みがあるものから角 張った形状のものへの変化を提唱した(張天恩 1995 pp.845-847)。しかし、挙げられている資料は報告が ないものが多く、図も不鮮明で説得力に欠く。

 秦式短剣については、これまでに張天恩とは全く異 なる考えも提唱されている。李学勤は、ブリティッ シュミュージアム所蔵の剣柄と琉璃閣出土の短剣を 例にあげ、秦式短剣を列国間で流行した短剣の中の 一型式として捉えた ( 李学勤 1993 pp.15-19)。陳平 は、李学勤の考えに賛成すると同時に、張天恩の考え を否定し、秦式短剣が秦文化に特有の短剣ではなく、

あくまで北方文化から流入したものと考えた。(陳平 1995 pp.363-371)。楊建華は、甘粛宇村出土の短剣( 許俊臣他 1985 pp.298-301) を祖形に、秦式短剣と燕 山地域の花格剣(2)に分かれたと考えた ( 楊建華 2004 pp.81-82)。

 秦式短剣についての議論は、1995年における張天 恩と陳平の論文以降停滞した感が否めない。編年につ いての考察も 1995年に張天恩が行った他は、楊建華 が若干行っているのみで、甘粛礼県(甘粛省文物研究 所他 2005 pp.4-27) や玉皇廟遺跡の発掘 ( 北京市文 物研究所 2007) により、関連資料が増加している現 在、短剣の編年について考察を行なう必要があると考 える。

  分類

 以下、本題に入る前に短剣の分類について言及して いわゆる秦式短剣についての一考察

八木聡(金沢大学大学院)

(3)

金大考古 63, 2009 八木聡・いわゆる秦式短剣についての一考察・10-14

おく。短剣の型式名について本稿では、従来用いられ てきた秦式短剣・花格剣という名称は用いずに、鐔に 獣面を表現する短剣を獣面型とした上で、更に細分を 行う。

獣面a

 柄全面に蟠螭文を施す短剣 (Figure 1-3 ~ 5)。柄 には、石が象嵌されていたと思われる孔が見られ、鐔 と刃部の境が水平となる。

獣面b

 柄頭に向かい合う龍を表現する短剣 (Figure 1-6 ~ 8)。柄の部分には装飾が施されない。また獣面 a 型と 同様に、鐔と刃部の境が水平となる。

獣面c

 獣面 a・b型とは異なり、剣身と鐔の境が水平にな らず、口の端に牙が表現される型式 (Figure 1-1 ~ 2) 柄には崩れた蟠螭文が表現され、石を象嵌したと思わ れる孔が見られる。

編年

以上の分類を踏まえ、ここでは現時点で考えうる、

獣面型短剣の編年と影響関係について考察を行ってい く。

Ⅰ期

 獣面 a 型は蟠螭文がはっきりと見て取れる円頂山 2 号墓出土品が最も古い型式と言える(Figure 1-3、

Figure 2-3)。この型式は、柄の造りが透かし彫りに なっており、文様、造りの両面から獣面 a 型の典型的 な資料である。

 獣面b型も a 型と共伴した円頂山 2 号墓出土品が最 も古い型式である(Figure 1-6、Figure 2-3)。錆が ひどいが、柄頭の向かいあう龍のモチーフをはっきり と確認することができる。

Ⅱ期

 Ⅱ期になるとⅠ期の短剣と比べて、全体的に文様の 表現が崩れる。例えば獣面 a2 型に属すると考えられ る、東京国立博物館所蔵品は蟠螭文が退化しており (Figure 1-4)、柄の造りも透かしではなくなっている。

獣面b型も同様な傾向を見て取ることができる。譚家 村 24 号墓出土品は、図版があまり良くないが、それ でも柄頭の文様がⅠ期の短剣よりも崩れている点を指 摘できる(Figure 1-7、Figure 2-2)。鐔に見られる 獣面も、円頂山 2 号墓出土品と比べ退化している。

派生

Ⅰ期   Ⅱ期   Ⅲ期

3.獣面a1 4.獣面a2 5.獣面a3

6.獣面b1 7.獣面b2 8.獣面b3 1.獣面c1 2.獣面c2

Figure 1 編年図 1玉皇廟 2 懐来大故城 3円頂山 M2:12 

4 東京国立博物館 5 益門村 M2:3 6 円頂山 M2:3  7 譚家村 24 号墓 8 益門村 M2:2

Figure 2 遺跡分布図

1玉皇廟 2 益門村・譚家村 3円頂山

北京

西安

宝鶏

石家荘

鄭州

赤峰

張家口

100 200 300

0 km

承徳 1

2 3

固原

(4)

 地理的にかなり離れるが、北京市北部の燕山地域に 立地する、玉皇廟 300 号墓で出土した獣面c1 型は、

この時期の獣面a2 型と類似している(Figure 1-1、

Figure 2-1)。細かく見れば、獣面の表現や柄にルー プが付属する点が獣面a型と異なるが、鐔に獣面が施 される点、柄の形状および柄に施される崩れた蟠螭文

は、獣面a2 型と類似しており、その年代も獣面a2 型

と近いように思われる(3)

Ⅲ期

  益 門 村 2 号 墓 出 土 の 短 剣 が こ の 時 期 に あ た る (Figure 1-5・8、Figure 2-2)。獣面a3 型は柄・鐔の 形状が角張った形状となり、トルコ石が象嵌されてい る部分が柱状に飛び出す(Figure 1-5)。柄の文様も 退化が進み、完全に蟠螭文ではなくなる(4)。獣面 b3 型も獣面a3 型と同様の変化をみせる(Figure 1-8)。

柄頭の向かい合う二匹の龍のモチーフは完全に退化 し、全く異なるものに変化する。この時期の獣面 a 型 と獣面b型は、モチーフ以外にも柄が金製で刃部が鉄 製となる点において、Ⅱ期の獣面 a・b型とは異なる。

 またⅡ期と同様、燕山地域にあたる懐来大故城で出 土した獣面c2 型(Figure 1-2) が、この時期の獣面 a3 型と類似している点を指摘できる。類似する部分 としては、全体的に角張った形状をする柄を挙げられ るが、凸線によって表現される柄下部の獣面は獣面a 型に近づいているように思われる。柄から鐔を見ても、

Ⅱ期の獣面c1 型と比べて懐来大故城出土品は、獣面 が鐔というより柄の一部に変化しており、表現が退化 していると言える。

 以上、形状の比較から短剣の相対的な前後関係を見 てきた。獣面a型と獣面 b 型は円頂山 2 号墓、益門村 2 号墓で共伴していることから、両型式がほぼ同様な 変化をすること、年代的に並行関係にあることを確認 することができる。つまり、柄や柄頭に蟠螭文や向か い合う龍を表現するものから文様の退化したもの、更 に蟠螭文や向かい合う龍とは全く別のモチーフへの変 化を指摘することができる。

 次に各時期の年代について見ていくが、その前に年 代区分について言及しておく。基本的に年代区分は林 巳奈夫の年代区分に従う ( 林 1984 p.189)。つまり、

春秋時代を前770 年から前 453 年までとし、前、中、

後の三時期に区分するものである。

 まずⅠ期については、円頂山 2 号墓で出土している

1 2

3 4

0 20cm

Figure 3 円頂山2号墓出土青銅礼器

0 20cm

1 2

3 4

Figure 4 円頂山1号墓出土青銅礼器

Figure 5 玉皇廟出土青銅器および関連資料 1.玉皇廟18号墓出土罍 2.玉皇廟18号墓出土短剣 柄部 3.京大人文研考古資料

* 2・3は縮尺不同

1 2

0 10cm

3

(5)

金大考古 63, 2009 八木聡・いわゆる秦式短剣についての一考察・10-14

青銅礼器(Figure 3)が円頂山 1 号墓で出土している 青銅礼器(Figure 4)と類似している。円頂山 1 号墓 の年代については、陳洪が春秋前期としていることか (陳洪 2004 p.33,p.35)、同様に円頂山 2 号墓及び

Ⅰ期の年代を春秋前期とする。

 Ⅱ期の年代は、まず編年図で挙げた玉皇廟 300 号墓 出土短剣と同様に獣面c1 型を出土する玉皇廟 18 墓の年代から考察する(Figure 5)(5)。玉皇廟 18号墓 で出土している罍(Figure 5-1)と類似する資料につ いて(Figure 5-3)、林巳奈夫は春秋中期後半として いることから(林 1989 p.129)、春秋中期後半を獣面 c1 型の年代の一端とする。

 獣面a2 型は、例として挙げた東京国立博物館所蔵

品が、遊離資料であるためその扱いが難しいが、形状 の類似から年代は獣面c1 型と大きく変わらないと考 える。ただし、獣面c型に 1 型を遡る型式が見られな い点を考慮すれば、獣面a2 型から派生する形で、獣

c1 型が造られたと思われる。つまり、獣面a2 型の

年代は、春秋中期後半あるいは、それより若干遡る年 代が考えられる。本稿では獣面a2 型の出土例がいま だないことから、広く春秋中期として捉える。

 獣面b2 型の年代は、陳洪の編年を参考にする。陳

洪は、譚家村の年代を春秋前期から中期と幅を持たせ ているが ( 陳洪 2004 p.47)、短剣の型式は円頂山 2 号墓よりも時期が下ると思われることから、やや恣意 的になるが獣面b2 型の年代を春秋中期としたい。

 Ⅲ期の年代については、懐来大故城出土品の共伴遺 物が不明であり、益門村 2 号墓で年代を考察しうる青 銅礼器や土器が共伴していないことから、年代の特定 が難しい。ここでは益門村 2 号墓の報告に従い(宝鶏 市考古工作隊 1993 p.13)、春秋後期前半とする。

 最後にやや蛇足となるが、今回の考察でⅡ期とⅢ期 の獣面a型が獣面c型と類似していることが分かっ た。両型式については、これまで獣面 a 型が文様の面 で獣面c型に対して影響を与えたという考え(張天恩 1995 p.851)、北方文化から秦への流入(陳平 1995 pp.363-371)、甘粛宇村出土品を祖形として両型式に 分かれたとする考え(楊建華 2004 p.82)がなされて きた。本稿の考察では、獣面c型の中にⅡ期を遡る型 式がないことから、獣面 a 型から派生する形で獣面c 型が造られたと捉えたい。また、現在の資料を見る限 りでは、両型式間における文様および形状面の類似以

外に、製作方法の面で類似を見出すことはできない。

そのため、少なくとも工人の移動はなかったと思われ る。しかし、資料が少ない現状では、詳細は不明であ り、両型式の関係については、今後の課題としたい。

まとめ

 駆け足ではあるが、現時点で考えうる獣面型短剣の 編年について考察を行った。結果として、柄・柄頭に 見られる蟠螭文や向かい合う龍のモチーフがはっきり と見て取れるものから、モチーフの退化したものへの 変化を考察することができた。また繰り返しになるが、

Ⅱ期以降、獣面a型と獣面c型との間に文様・形状面 で類似が見られ、獣面c型が獣面 a 型より派生する形 で造られたことが分かった。しかし現時点では、資料 の不足から、両型式の類似にどのような背景があった のかについて、言及することは困難である。資料の増 加を待ちつつ、今後の課題としたい。

(1)短剣の研究自体は、1986 年に陳平によってすでに 行われている ( 陳平 1986 pp.88-92)。短剣の分類が なされ、北方系青銅短剣との類似が指摘された。

(2)1984 年に鄭紹宗によって提唱された北方系青銅短 剣の一型式(鄭紹宗 1984 p.45)。

(3)獣面 a 型と獣面 c 型は形状が類似しているが、出 土状況には違いが存在する。まず、獣面a型は円頂山 2 号墓、益門村 2 号墓で獣面 b 型と共伴している。一方、

獣面c型を出土する玉皇廟遺跡では、一つの墓に対し て一本の短剣が副葬されており、出土状況の面で獣面 a型と獣面 c 型は異なる。また刃部に使われる素材を 見ても、円頂山 2 号墓、益門村 2 号墓で出土している 獣面a型は、ともに刃部が鉄製であるが、獣面c型は 刃部が青銅製であり、異なっている。

(4)獣面a2 型は、柄頭上部に見られる横方向へ飛び

出す突起が消失するが、獣面a3 型になると再び柄頭 上部に見られる。なぜこのような変化をするのかは、

いまだ獣面a2 型の出土例がないため不明である。

(5)玉皇廟 300 号墓では、年代を考察できる青銅礼器 が出土していないが、玉皇廟 18号墓出土の短剣と比 較し、より獣面a2 型と類似していることから、本稿 では玉皇廟 300 号墓出土青銅短剣を編年図において獣

c1 型の例として挙げた。

(6)

参考文献

許俊臣他 1985「甘粛寧県出土西周青銅器」『考古』

1981-4 pp.349-352 

張天恩 1993 「秦器三論―益門春秋墓幾个問題浅談」

『文物』1993-10 pp.20-27

張天恩 1995「再論秦式短剣」『考古』1995-9 pp.841- 853

陳洪 2004「関中地域における秦墓出土青銅器・土器 編年の再検討」『東アジアと日本』 pp.25-51

陳平 1986「試論春秋型秦兵的年代及有関問題」『考古 与文物』1986-5 pp.84-96

陳平 1995「試論宝鶏益門二号墓短剣及有関問題」『考 古』1995-4 pp.361-375

鄭紹宗 1984 「中国北方青銅短剣的分期及形制研究」

『文物』1984-2 pp.37-49

林巳奈夫 1984 『殷周青銅器の研究 - 殷周青銅器総覧 一』吉川弘文館

林巳奈夫 1989『春秋戦国時代青銅器の研究-殷周青 銅器総覧三』吉川弘文館

楊建華 2004『春秋戦国時期中国北方文化帯的形成』

2004 文物出版社 北京

宝鶏市考古工作隊 1991「宝鶏市譚家村春秋及唐代墓」

『考古』1991-5 pp.392-399

宝鶏市工作隊 1993「宝鶏市益門村二号墓春秋墓発掘 簡報」『文物』1993-10 pp.1-14

中国青銅器全集編集委員会 1995『中国青銅器全集』7 文物出版社

甘粛省文物研究所他 2002「礼県圓頂山春秋墓」『文物』

2002-2 pp.4-30

甘粛省文物研究所他 2005「甘粛礼県圓頂山 98LDM2、

2000LDM4 春秋秦墓」『文物』2005-2 pp.4-27 東京国立博物館 2005『中国北方系青銅器』竹林舎

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