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梁塵秘抄四句神歌の性格−土地・人間に焦点を当て て−
著者 八尋 薫子
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 7
ページ 56‑69
発行年 1984‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10105/10518
梁塵秘抄四句神歌の性格
ー 土 地 ・ 人 間 に 焦 点 を 当 て ・ て
\ノ 尋薫子
幽︑はじめに
平安末期に流行した今様の集大成であったといわれる梁塵秘抄の
現存部巻第二に︑約二百余りの四句神歌がある︒この四句神歌に登
場する土地・人間という素材に着目することで︑四句神歌の性格を
探ることを試みたい︒
既に指摘されてきたことであるが︑四句神歌には実に多くの地名 コや当時のさまぎまな人々が登場している︒もちろん多く登場すると
いっても︑作品の主題に直接関わるものばかりではなく︑単に材料
の一つでしかないものも多い︒しかしこれらは作品にとってただ量
が多いというだけのものでなく︑作品の魅力の一つとなっているこ
とは否定できない︒そこで︑ζれらを作品群の文学的傾向や性格を
物語る核の一つとして位置付け︑その量なり質なりを確認しなが ら︑作品との関わりを探っていくことにする︒
は作品番号である)
二︑素材化されている実態 (なお本稿申の数字
ω土地
四句神歌より土地を抽出するに当って︑次の方針を立てた︒土地
によっては︑研究者によって全く異なる解釈がなされており︑見解
の定まらないものも少なくないからである︒一︑多くの説による繁
雑さを避けるため︑解釈上は日本古典文学全集(新間進一校注)の
説に基く︒二︑土地として扱う範囲を︑国・地方・地域・地点を表
す語︑山・川等の自然だけでなく︑当時地理上に実在したという意
味で建造物・寺社にも広げる︒神社をさしてはいるが︑土地よりも
その神自体をうたっているもの(例鰯︑浜の南宮)もこれに含める︒ 呵
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一大社の境内にある別宮も︑それぞれ一項目として数える︒三︑土地
らしいが未だに確認できないもの(例鑓四郎坂)は未詳として︑人
名に冠せられた地名など(例蹴上総女)は参考として一応項目にあ
げる︒四︑,日本以外の地名︑経典上の地名︑普通名詞らしいものは
除外する︒
以上のような基準を設定すると︑二〇四首のうち九〇首以上の歌
から土地を拾い出すことができた︒約半数近くの歌がなんらかの形
で土地を素材の一部としていることになる︒
土地そのものを見るために︑土地を国別にしてその歌番号ととも
にまとめたのが表1である︒認定基準により多少変動があるにして
も︑二五Q項目を上まわっている︒これは項目数であり︑登場実数
となればもっと多くなる︒この項目数によっても土地が頻出する傾
向︑.また作品を形成する要素として無視できない存在であることが
認められよう︒
表1から大まかな土地の分布とその内容を読みとってみよう︒
分布については︑第一にほぼ全国的な広がりを見せている点︑第
二に圧倒的多数を占めるのが︑山城・近江という京を中心とした地
域である点が指摘できる︒国別に項目を整理すると三〇箇国を越え
る一方︑山城・近江両国で項目全体の五一%を占めるのである︒(
表2参照)このごく大まかな分布上の傾向は︑勅撰和歌集である﹃新
古今集﹄の土地の分布傾向ともさほど大差がないように思われた︒ しかし︑内容面に立ち入ってみると︑四句神歌の傾向がはっきり
する︒便宜上宗教関係とそれ以外に大別すると︑まず目につくのは注2注3宗教関係の土地の勢力の強さである︒一︑比叡山・日吉大社関係︑注4二︑熊野三社関係が最も目立ち︑その他三︑西国三十三所との共注5通点も多い観音霊場︑四︑聖が山岳修業を行った修験道の地︑五︑
各地の有名な神社これらが多くの項目を占める︒当時の宗教との関
係に触れるためにはなお詳細な検討を要するが︑少なくとも︑平安
末期の宗教上の様相‑旧仏教が勢力を保ちながら︑一方で浄土教
が広がり︑観音信仰とともに観音霊場が形成され︑また神祇信仰が
仏教信仰と融合をはじめ︑修験道が形成されつつあったような様相
ーをかなり映し出しているとは言えるだろう︒
次に宗教関係以外の土地であるが︑これは言いかえれば歌謡を亨
受する人々にとって︑または歌謡の申に仮構された人物にとっての
生活圏・行動圏を歌の中で示す身近な土地と理解できる︒例えば次
のような土地である︒
鎚土佐の舟路は恐ろしや⁝‑
郷楠葉の御牧の土器造⁝:
瑚このごろ京に流行るもの⁝⁝
獅西山通りに来る樵夫⁝⁝
このように例示してみると︑四句神歌は信仰の地だけでなく生活の
舞台となる身近な土地を多く取り込んでいることがわかる︒ 一
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一なお︾信仰に関わる土地が生活や行動の舞台となる土地ともなっ
ている場合がある︒両者は明確に区別できるものではない︒
鋤われらが修業に出でし時︑珠洲の岬をかい回り⁝⁝
姻いざれ独楽︑鳥羽の城南寺の祭見に⁝⁝
このような例では︑両者は重なり合っていると見るべきであろう︒
土地の多くが︑こうした宗教関係のものや生活圏・行動圏を示す
ものであることの意味を︑和歌の歌枕と比較して考えてみよう︒歌
枕は地名や景物が和歌の伝統の中で固定化された土地である︒そし
てそれは現実の社会や生活とは遊離した文芸的世界を形象するため
に︑特定の美的・観念的イメージを付与されていた︒
表1で示した四句神歌の土地は︑項目自体歌枕とはかなり異なっ
た趣を見せている・念のため﹃新古今集﹄の歌枕と比較する等共注?通している項目は全項目のわずか十四%程度である︒また︑確かに
老曽・明石.田子の浦など歌枕を背景とする土地は存するが︑自然
美を賛えるものではない︒四句神歌の土地は︑和歌的な観念や美意
識の拘束を受けず︑それとは離れたところで用いられていたのであ
る︒
宗教四句神歌の土地は関係の土地︑生活圏・行動圏の土地で占め
られていた︒つまり︑和歌的な美意識とは遠く︑当時の社会環境や
生活意識と密接につながっているという意味で︑非常に社会的生活
的な性格を持つ土地で占められているのだと言える︒ ω人間
人間は︑どのような形で素材として扱われ︑どれくらいの項目に
わたるのだろうか︒人間といっても︑人一般を示す語二人称・職
能を示す語など多様な表現がある︒そこで︑作品から人間を拾い出
す上で︑生業や職能・階層を示す語及び固有名詞をA群︑生業を示
さない語や入間一般を示す及び一︑二人称をB群と二分して考えて
みた︒(表3参照IA群には現在では生業と老えられない博打な
ども含む︒固有名詞でも経典上の人物は除外するが︑最澄・空海・
聖徳太子はA群に入れる)
最も注目したいのが︑A群のような形で登場する人間である︒歌
の中では︑二〇四首のうち六〇首余り︑つまり約三〇%の歌にA群
のような人間が登場するのである︒項目は多彩で︑生業の種類も四
〇種を下らない︒巫︑聖等の宗教関係︑遊女等の芸能関係をはじめ
武士から樵夫に至るまでさまざまな人々が描かれ︑庶民の固有名詞
もみえる︒
A群の内容面では︑支配階級より下層階級が主である点︑それも
しづ﹁賎﹂のように一般化されず例えば﹁厨雑仕﹂といった詳細な表れ
方をしている点︑また︑下層階級でも農民の姿があまり見えず︑非
農業的な職能人中心である点に注意したい︒非農業的職能人が多く
描かれていることは︑十二世紀頃の平安京において︑住民の農民的
性格が薄れ︑都市化していく姿を反映したものだと言えるだろう︒ 一
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一
B群は生業を表すものではないが︑一人称二人称によるとらえ方
にも増して︑年齢・性別・外見・血縁関係などからとらえた語の多
い点に留意しておきたい︒
三︑素材が物語る歌謡の成立基盤
歌謡の素材は歌謡の成立した基盤f地域や環境︑担い手1を
推測するある程度の手がかりとなる︒
四句神歌の土地を表す項目は山城(京)近江(それも湖西地方)
で半数を占めていた︒それだけでなく︑京・近江では細かな取りあ
げ方をしている︒道行き形式のもの(‑ーワー450012脅﹂9﹂3)はその最たるもの
であろう︒京と遠く離れた地方では︑宗教関係の著名な土地の列挙
の際に登場するだけのものが多いのである︒この事は︑四句神歌が
地方の民謡を母胎とするものでなく︑平安京の文化圏の中での産物注8であることを物語っているものと思われる︒
ただし︑鋤(筑紫)螂(土佐)鵬(次田の御湯)など︑京中での
産物とするには疑問視されるものも残る︒地方で生成した歌の流入
を否定し去ることはできない︒しかし︑土地の分布の広がりの大半
は︑生成した地域より京からの地理空間の認識の広がりを示したも
のと受けとめることが適切であろう︒
素材である人間も︑特にA群は︑平安京を中心として生成したこ
とを裏付けている︒多彩な非農業的職能人の活躍は都を背景としな ければならないからである︒
担い手についてはどうであろう︒芸能者︑宗教者︑武士などが多
く描かれるからといって彼らを創作者だと即断することはできな
い︒しかし︑少なくとも下層の人々の生活を視野に入れることので
きた者達の手によることまでは︑多くの下層の人間の登場からも確
認できると思われる︒
四︑素材からみた四句神歌の性格
四句神歌の性格‑創作する上での傾向‑はどのようなもので
あったのか︑土地・人間の扱いから気付くことのできる点を︑四点
ほどあげてみたい︒
第一に︑対象をとらえる視点が外側に向きやすいことである︒外
側とは︑個人の精神面内面を内側とするならば︑それに対して外界
に広がる事物ということである︒
信仰に関わる宗教的な土地もその例外ではない︒宗教関係の土地
には
蹴聖の住所はどこどこぞ大峰葛城石の槌⁝⁝
蹴いずれか貴船へ参る道賀茂川箕里御菩薩池御菩薩坂⁝⁝
のように列挙や道行き形式で取り上げられるものがある︒これらは
実在の寺社や土地そのものを主題としているのであって︑直接内面
的な信仰へと向かうものではない︒ 一