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墨の物性について(?)構造と分散状態
著者 市川 米太
雑誌名 奈良学芸大学紀要
巻 5
号 2
ページ 95‑97
発行年 1955‑12‑25
その他のタイトル Studies on the Sumi Colloid.(1) Structure and Dispersion
URL http://hdl.handle.net/10105/4990
(95)
墨 の 物 性 に つ い て
(I)構 造 と 分 散 状 態
市 川 米 太 憎然科学教育教室)
「昭和30年1081日受理ノ
YoTletaIcIIIKAWA:StLLdies on the SumiColloid.(l)
Structure and Dispersion
l 緒 呂
墨は東洋に於いて古代から使われているものである。その創製時代は詳ではないが,山海経に よると始めは石墨で書いていたのであるが,文字が消やすいので漆をこれにまぜて使っていたと いう。
ところが,漆は中毒の不便があり,石墨もまた次第に手に入れ難くなったので,石墨の代りに 松煙,漆の代りに膠を使うようになった。煤と膠を材料として墨を製造するのは,周末に始まり 漢時代に及んでその技術は相当の進歩をなしたといあれる。
わが国で「すみ」と呼んでいるのは,漢時代の墨の産地として有名な駅西の愉賓の地名を墨の 異名として詩や文に中国で使っていたのを,遣唐使や留学生が「すみ」と伝えわが国の須美とな ったものゝようである。わが国の墨の起源は推古天皇18年に高麗王より僧曇徴の手を通してその 製造方法を伝えたと日本書紀にある。その後わが国でも墨が製造され始め,延喜式(西暦1561−
1582)に油煙を使っての製法が見られるのである。ヰ世には藤代墨と呼ばれる松煙を材料とした ものがあり,更に徳川時代には始め紀州熊野の松煙を珍重していたものゝようであるが,次第に 油煙の使用が盛んになり,やがて松焼墨よりも油煙墨の方が上等の墨とされるようになって来た のである。
墨の製造の詳しいことは「古梅園墨談」に述べられてあるが,研究に必要な点だけを簡単に述 べる。中国の墨の製造は,魂晋の時代まで専ら原料として,松煙を用いていたのを,五代にいた って油煙が用いられ始めた。前者を松煙墨,後者を油煙墨と呼んでいる。松煙煤の採集方法は,
樹齢,樹脂にとんだものを燃やしてその煙からとるのであるが,火に近きものを下,火に遠きも のを上としている。油煙煤の場合は,菜種油,胡麻油等を火爪に入れ,燈心を灯してその煙を,
燈心の上二寸程のところに掩ってある土器,銅器に受けて煤をとるのである。この時は,燈心の 数の少いものを上としている。いずれの場合も煤の粒子の小さいものが上とされている。墨の製 造は,この煤を無風の密閉した室の中で,純絹蹄でふるい爽雑物をとり去った後,厚坂上に均等 の厚さに拡散して置き,これに熱膠質汁をそゝいでよくこねる。十分ねられたところで竜脳,厨 香等の香料が加えられる。煤と膠の割合は煤40に対し膠11から13程度である。この艮くねられた 煤同を模型に入れて一定の型を与え,これを湿度の違った灰の中に順次に入れて徐々に乾燥した 後,空中に放置して乾燥仕上げをすると墨が出来るのである。
墨を硯で磨って得た墨汁は,そのま⊥放置しておいても仲々沈まない。普通の炭素粒は水に混
じても懸濁されず,暫く置けば炭素粒だけ下に沈澱ノして了う。ところが,小量の膠が入ると,懸
淘液となるのほ,此の際膠が極めて薄い膜となって炭素粒子を包み,いわゆる,保護コロイドを
なしているためのようである。墨の濃黒艶麗名状し難い色彩をその書や画に出すために,書家や
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市 川 米 太画家は墨の使用法に苦心するのである。そのためには,墨,規,現水の良いこと,磨墨が適当に なされること,規水の温度が余り高くないことなどに注意がはらわれている。これ等の墨色を十 分出すための条件と,墨コロイドの状態との関係についての科学的研究は従来,ほとんどなく,
僅に寺田博士の外二三を数えるにすぎない。炭素粒の懸濁液を作る方法は,炭素粒を完全に清浄 にして水中に止める方法,ナトリウムの特殊の化合物を用いる方法,超音波を照射する方法等が あるが東洋の墨のように,膠を用いるやり方は末だ研究されていない。従って炭素の膠質液とい う意味での墨の研究がわが国で早く完成されるべき仕事としてこゝに手をつけた次第である。
I 資料と実験方法
資料としてほ主に現在使われている代表的なもの三つを選んだ。第一に和墨として最も使い良 いとされている昭和十年前後に作られた油煙墨,第二に唐墨(中国で作られた墨)としてやはり 一般に使われている墨で昭和十年前後作られたと思われる松煙墨,第三に現在作られている最も 普通の墨で松煙や重油からとったカーボン・ブラックが原料となっているもの。今仮に第一の墨 を和墨,夢二の墨を唐墨,第三の墨をカーボン・ブラックの墨と呼んでおく。
粒子の形状大いざを直探見るには電子顕微鏡によったのであるが,資料は墨汁を水面上に薄膜 としてはったものを使った。第1図は油煙墨の原料である油煙煤であり,第2図,第3図,第4 図は上にあげた和墨,唐墨,カーボン・ブラック墨を水道の水で,両端石の現を使って墨をすつ たものである。形状はカーボン′・ブラック
墨に湿っている炭素粉末と思われる活生炭 を除いては大体球形をなしているように思 われる。油煙煤とこれを原料として作られ ている和墨の大いさを比較してみるとわか るように,現で墨をするとき粒子の大いさ は殆んどかわりはない。即ち下墨するとい うことは炭素粒子を小さくするということ
第 一 衷
ではなく,膠と炭素粒子を良く混じて保護コロイドを作りやすくする操作なのである。墨をする 場合,力をいれてするよりも静に長い時間かけてすった場合の方が墨色が良いということは,下 墨という作業が炭素粒子を砕くことでなく,炭素粒子と膠の接触する機会を多く与えて保護コロ
イドを作らせることを目的としなければならないからなのであろう。唐墨がカーポソ・ブラック 墨の松煙煤よりも粒子が小さいのは,カーボン′・ブラック墨の松煙煤が松の木を直接燃して作っ ているのに対して,唐墨の松煙煤は松から松枝池をとりこれを燃して作られているためである。
第5図.第6図は和墨,唐墨を蒸潜水で両端石を使って下墨したもので下墨としては大体理想 的に行なわれている場合である。第7図は和墨を現のうらのあらい面ですったもので硯が悪い場 合に対応させてある。第8図は和墨を10%の塩化ナトリウムの水ですった場合で脱水が悪い場合 に対応させてある。第5図,第6図は処々に凝集した粒子が見られないこともないが,大体に於 いて均等に分散されて居り,これが書家のいう墨色が良い場合に相当する。唐墨が和墨の場合に 比較して分散状態が艮いのは第一表に見られるように粒子が細かく,大いさが均一のためであろ
う。第7図の場合は,墨があらい現によって急激に下墨されるため十分に分散されないため義集
るものが相当にあるのである。第8図は現水の中に電解質があるため保護コロイドが作られず凝
集したものである。書家が墨色を出すとき,硯,脱水に注意を払う理由がこ⊥に見られる。
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第9図は和墨を硝子の上で磨ったものであるが、その分散度は,適当な硯で磨ったものに比較 して劣らないものがある。第10図はやはり和墨を硯水中に5%のアルコールをいれて磨ったもの である。この場合は,コロイドがアルコールのために脱水させて保護コロイドが作りにくゝなる ため粒子をつゝまない膠が凝集した粒子のまわりにうす黒く見られる。この時の粒子の分散度は 勿論悪くなる。第11図は保存が悪く膠が変質してしまって墨を磨っても懸濁液とならないような 墨の場合で,粒子は殆んど分散せず無定形炭素粉末と同じ程度の大きさを有する。第12図は日本 画などに使う絵具にかあるもので青墨といわれるものを普通の墨の粒子と比較するために示した ものである。色ほうす緑色を呈する。粒子は無定形炭素粉末程度であり鉱物質を含むことが電子 廻折により示される。
珊 結 語
墨を磨った場合原料の煤が核となってそのまわりを膠がつ⊥み,そのまわりを又水がつゝんで 典形的な保護コロイドが構成されるわけ㌣あるが,この時煤の炭粒子はその大きさをかえないで 原料の時と同じ平均40〜60ミリミクロ∵/の大いざを保っていることが電子願微鏡の観察によって 明かである。従って墨を磨るということは炭粒子を膠でつゝんで保護コロイドを作る操作なので ある。又書家が墨色を十分に出すために墨や現や脱水に注意を払っている種々の事柄は,保護コ ロイドを作って大きな壷集した粒子の集団を作ることをさせず粒子を一様に分散させる努力に外 ならないことがわかる。このためには墨がなるべく細い煤(35′、45ミ∴リミクロン)で作られ膠が 変質していないこと,視水が純粋で電解質その他の不純物を含まないこと,墨をする場合に保護
コロイドが十分作られるように良い硯で静にすることなどの諸点に注意が払われなければならな いようである。以上墨の分散状態と墨色についてふれたのであるが,この外に墨に使われている 膠の変質状態と墨色の問にも深い関係のあるように患われ更に研究する必要がある。
なお終りに電子厨徴鏡写真は奈良女子大学理学部長重永教授並に吉田さんの御援助により撮影したもので ここに深く感謝の意を表する次第である。
彦基
寅
田井
寺熊
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