粒子性と波動性について
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光の粒子性と波動性19世紀以前の古典物理学、特にマックスウェルの電磁気学において、電磁波という波 動だと考えられていた光は、20世紀に入ると、粒子とよく似た性質のあることが知られ るようになった。光電効果やコンプトン散乱といった物理現象は、光の波動性からは説明 することができなかったが 、光の粒子性を仮定することで、明快な説明を与えることに成 功した。
アインシュタインは、このような光の本質をエネルギー量子の概念から解き明かすこと で 、光の量子( 光量子または光子とも呼ばれている)は 、波動によく似た性質とともに 、 粒子にもよく似た性質を併せ持っているのだと考えた。もちろん 、エネルギー量子をエネ ルギーのかたまりのように想像するのは簡単だが 、(古典的な)波動でもなければ(古典的 な )粒子でもない点には注意を払う必要がある。
( 古典的な )粒子とは、例えば 、その論理的典型としての点粒子を考えれば明らかなよ うに、必ず空間のどこかに存在するようなものである。そして、時々刻々確定していると 想定される粒子の位置の時系列としての古典的な軌道概念はその論理的帰結の一つである。
それに対し 、
(古典的な)波動は、やや広がりをもって空間内を移動している。波動が空間
内の一点に留まっていることはあり得ないし 、単独の粒子があちこちに拡散していくこと はない。このように考えると、光が波動であるのか、それとも粒子であるのかという類の議論は、
論理的には無意味となる。光の本性は量子なのであって、古典的な波動でもなければ古典 的な粒子でもない。ただ、波動のような性質が現れることもあるし 、あるいは 、粒子のよ うな性質が現れることもある。量子というまったく新しい概念によって、人間は光の本質 に迫ったと考えるべきであろう。
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古典物理学における粒子性と波動性粒子(=古典論的粒子)のもつ基本的な性質
1.
確定された空間的大きさ( 確定されている広がり)または、空間的局在性(→時間的 変化した位置の時系列としての古典的な軌道概念)、2.
粒子は確定したエネルギーE、運動量 p
を持つ(=運ぶ、伝える)
3.
粒子は個体性(individuality)をもつ。実例( 光電効果):単色の光線が電子にエネルギーを与えて吸収される場合には、ある 単位のエネルギーを個々の電子にすべて与えるか 、または全然与えないか,ど ちらか である。中途半端なエネルギー分与はないということ。
波動
(古典的波動)のもつ基本的な性質
1.
周期性( 波長、振動数)を持った空間的非局在性 位相速度2.
平面波など 理想的な波動は空間的に 、時間的に一定のエネルギー、運動量をもつが 、 他の物質との相互作用などにおいて、エネルギーや運動量を相手に与えることはでき ない、物理的信号、情報を与えることはない。波束:空間的局在の近似的な表現としての
3
量子力学における「粒子」性と「波動」性1.
量子としての電子物質が一定の物理的、化学的性質をもつための原子や分子の安定性はど うしても必要 である。電子が古典的な点粒子であれば 、例えば 、水素原子が安定であることを説明 できないことが次のようにしてわかる:水素原子核である陽子は「静止」していると 仮定する。そのまわりのどこかの位置に点粒子としての電子が「静止」しているとし うれば 、陽子と電子の間の電気力が中心力であり、方向には依存しないという性質と 矛盾する。次に、電子が陽子のまわり周回、例えば 、円運動をしているとする。この 場合、電気的引力と遠心力でつりあうと考えることは 、実はできない。なぜならば 、 この場合には電子が加速度運動を行うことになるので、電磁気学の法則により、単位 時間あたり加速度の
2
乗に比例したエネルギーを光の形で外部に放出する(失う)こ
とになり、計算によれば 、約10
−11s
程度で水素原子はつぶれることになる。電子は人 工衛星のような点粒子の古典的な軌道運動をしているのではない!「 電子が常に粒子の姿でいて 、それが確率的に行動する」と考えるのは具合が悪い。
なぜならば 、二重スリットの実験においてはど ちらかのスリットを通り、別のスリッ トは通らないことになり、干渉縞ができるという実験事実と矛盾する。[9]
こうして、電子が粒子の姿でいるとは考えられない。電子は、位置の観測装置に出会っ た(=装置を構成する物質粒子、やはり電子などとの相互作用を行う)ときに、粒子 として姿を現すと考えるほかはない。[9]
2.
量子としての光子[3]
ヤングの二重スリット実験において、光の強度を弱くしてやると、同時には二つ以上 の光子が放出されないような条件下で、フイルムの露出時間を長くして、重ね焼き(現 像する)と、やはり、干渉縞が現れることがわかっている。すなわち、ひとつの光子 は二つのスリットを同時に通過して、自分自身とのみ干渉するのである。[1],[2]
二つの経路を同時に試す光子は、決して、(空間的に )小さく局在するひとかたまりの ものではありえない。エネルギーの面でひとかまりであっても、空間的にひとかたま りであるということにはならないのである。光子は単純に粒子とはいえない。
[7]
波では空間的な広がりは当たり前である。波では、二つのスリットから(ホイヘンス理 論でいう)素源波が出て、それらはスクリーン上で重ね合わされる。 だが、波はエネル ギーをはっきり決まったかたまりとして運ぶことはできない。だから、光子は単純に波であ
るとはいえない。
[7]
3.
量子的存在の非局所性量子状態は全体としての波動関数のパターンによって決定され 、任意の特定の点にお いて状況がど うかということにあるのではない。(
[4]
のp.119
)アインシュタイン、ローゼン 、ポド ルスキーは「客観的実在の分離可能性」あるいは
「局所実在性」が成り立つとい仮定から量子力学の不完全性を指摘した。(
EPR
のパラ ド ックス。)客観的実在とは、物理学における対象が観測とは独立に存在すること、一方、分離可 能性とは、空間的に離れた二点で同時に起きた事象は互いに他から独立である、とい うことを意味する。いずれも( 素朴実在論の立場からは )もっともらしいことである が 、この真偽を確認するための不等式を
J.S.Bell
が1960
年代に提唱した。(ベルの不等式)。(
[4]
の23
章、[11]の8
章)1980
年代になり、このベルの不等式が破れているという実験データが確認された。こ のことは量子力学の結果と矛盾はしないことが判明したことになる。逆に、量子力学 においては「客観的実在の分離可能性」あるいは「局所実在性」は相容れないことを 意味する。ニュートン力学では物体の運動という言い方で,個々の物体の運動を問題にするが、量 子力学では個々の物体を切り離して議論することはできず、常に系全体の( 量子)状 態を問題にしなければならない。
というと常に、宇宙全体の相手にしなければならないかというと必ずしもそうではな い。対象とする系とその外部との相互作用が十分弱ければ 、近似的に孤立系として取 り扱うことができる。従って、量子力学における分析では、対象とする系をどのよう な系としてみなすことができるかということが重要であり、そこから分析は出発する のである。([10]の
pp.10-14)
4.
巨視的物体の古典的運動を量子力学の立場からはど う理解されるか4
量子場一元論-参考までに-
以下では、数式なしで、普通の言葉(自然言語)のみを用いた説明を試みる。言葉の説明や例え
(比喩)は「理解」しやすいという長所と、数理的には厳密に曖昧さ
なく表現される真の内容を誤解させるという短所がある。理論の数理的な記述(*)と計算方法はあいまいさのない記述と実験事実と整合的な結 果をもたらすが 、これらの習熟に時間と忍耐が必要であるという欠点もある。ニュートン 力学においては、使用された概念の自然言語による表現は、十分高い精度で、適切に表現 されていた。
(*)
例えば 、電子などのフェルミ粒子に対応するフェルミ場の演算子ψ ( r )
とその生成演 算子ψ
†r )
は次のような、反交換関係を満たす。ψ ( r ) =
n
ψ
n( r ) c
n, (4.1)
ψ
†( r ) =
n
ψ
n∗( r ) c
†n, (4.2)
ψ ( r ) ψ
†( r
) + ψ
†( r
) ψ ( r ) = δ ( r
− r ) (4.3)
ここで 展開係数ψ
n( r )
が量子数(の組)で指定される量子状態n
の場所r
における波動関数を表す
(⇒量子論的波動性)
。そして、第二量子化(場の量子化)における生成 (消滅)演
算子
c
†n( c
n)
が量子状態n
にある(量子的)粒子を生成 (消滅)を表す(⇒ (量子的)粒子性、
または個体性)。
4.1
場の量子論ー場の一元論ー1.
相対論+量子力学+古典的場の理論⇒場の量子論2.
物質と力( 相互作用)の基本は場であり、それがどのようにして( 量子的)粒子性や(量子論的)波動性を示すかを記述するのが場の量子論
3.
物質場→フェルミ粒子( 物質構成粒子:電子、陽子、中性子)4.
輻射場→ボース粒子( 力の媒介粒子:光子、中間子)5.
負エネルギーをもつ物質粒子の充満した海[=基底状態)としての現代版真空 6.
粒子の生成消滅、相互転化4.2
個々の電子や個々のクォークはなぜ互いに瓜二つなのか?1.
粒子はそれ自体独立した存在ではなく、ある量子場の特殊な表れ(「よじれ 」)全体的 に見れば 、量子場はいずこも皆同じである。2.
固体のように見える物質も、ぜんぜん場所をとることのない量子場の表れにすぎない。3.
物質粒子とは単に量子場がたまたま集中しているところ、風呂場の蒸気が凝縮して水 滴になるように、物質粒子は場から凝縮してくるのだ。粒子はそれ自体独立した存在 ではなく、ある量子場の特殊な表れ(「よじれ」)4.3
場の量子論における相互作用の局所性S. Weinberg
「世界が相互作用している量子的な場だけから構成され 、粒子は単なる随伴現象にすぎない」(
[4]
の17
章他)現在の場の量子論の段階では、局所相互作用する局所場の量子という概念が 、古典的な 点粒子に代わる概念である。この局所場の量子論の視点から見れば 、光子や電子など 場の 量子の実験的検出は、電磁相互作用などの局所相互作用によって、時間・空間の
1
点で行われるが 、それは相互作用の局所性の反映であって、決して量子そのものを古典的な点状 の粒子として確認しているのではない。その意味で伝統的な「粒子と場(波動)の二重性」
は、(量子化された)場をより基本的なものとしてみるという点で修正されなければならな い。(
[4]
の訳者の巻末コメント )参考文献
[1] P.A.M. Dirac, Quantum mechanics, fourth edition, Cambridge University Press.
著者 は量子力学の理論の建設者のひとりで、ノーベル物理学賞受賞者による名著の誉れが 高い。[2] P.A.M. Dirac,
「量子力学(原著 4
版)」(朝永振一郎他訳) ,
みすず書房。訳者のひとり 朝永振一郎氏もノーベル物理学賞受賞者で、巻末の訳者注解は有益である。[3]
朝永振一郎,「量子力学的世界像」、弘文社。特に、光子の裁判または「朝永振一郎全 集」(?巻)みすず書房に所収の「光子の裁判 」。[4] R.P.
ウォレス、「量子論にパラドックスはないー量子のイメージー」、シュプリンガー・フェアラーク東京。著者は「量子力学の完成度が高く、それ自身には理論的、方法的 なパラドックス、ミステリー、矛盾点はないこと、( 古典的概念を常に成り立つと暗黙 のうちに仮定した)解釈をしようとするときにパラド ックスが現れること」などを多 くの場面で説得的に説明している。多くの引用文献と、有用な脚注と訳者注がある。
a),pp.?-?;b),pp.?-?
[5]
並木美喜雄、「量子力学入門ー現代科学のミステリー」、岩波新書、1997
年。。a),pp.2- 11;b),pp.81-114
[6] A.P.
フレンチ、E.F.
ティラー、「量子力学入門I」、培風館、 1993
年。特に、a),pp.76-78
[7] J.
オグボーン 、M.ホワイト編、「アド バンシング物理」、朝倉書店、2003年。イギリスの新しい高校物理の教科書である。配列、構成だけではなく、量子的振る舞いの章 などの説明は、「位相子(