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国 際 学 舎 ト ゥ ル フ ァ ン 再 訪
‑ シ ル ク ロ ー ド 美 術 ・ 文 化 研 究 の 第 一 世 紀 ‑ 松 井 太
山 部 能 宜
十 九 世 紀 末 か ら 二 十 世 紀 初 頭 に か け て 中 央 ア ジ ア 地 域 か ら 多 数 の
出 土 文 献 ・ 考 古 ・ 美 術 資 料 を 尊 掘 婿 来 し た 各 国 の 中 央 ア ジ ア 探 検 隊
が 、 嘗 該 地 域 の 歴 史 ・ 言 語 ・ 文 化 研 究 の 進 展 に 果 し た 役 割 は 大 き
い o 中 で も ' l 九 〇 二 年 か ら 1 九 1 四 年 ま で 四 次 に わ た っ て 派 遣 さ
れ た ド イ ツ 探 検 隊 は ' ‑ ゥ ル フ ァ ン 地 域 に 封 す る 重 鮎 的 な 調 査 を 賓
施 し ' そ の 成 果 は ド イ ツ に お け る 一 ‑ ゥ ル フ ァ ン 研 究 」 の 撃 的 俸 続
の 礎 と な っ た . 二 〇 〇 二 年 九 月 へ 第 1 次 ド イ ツ 探 検 隊 の 汲 造 か ら 満
百 年 を 迎 え る の を 記 念 L へ ド イ ツ 隊 将 来 資 料 を 所 蔵 ・ 管 理 す る 三 機
関 す な わ ち ベ ル ‑ ン 科 学 ア カ デ ‑ 1 ・ ‑ ウ ル フ ァ ン 研 究 所 (Ber ニコ・
Bra nd en b
urgis ch e
Akadem ie
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Wiss en sc h af te n.
Akadem ie n ・ v or h ab
enT ur fa n f or sc h u ng ) 、
、ベ ル ‑ ン 国 立 困 書 館 東 洋 部 (S ta at s・ bi b lio th ek z
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tei・‑u n g )へ 国 立 ベ ル ‑ ン ・ イ
ンド 美 術
棺(S ta a t H c
he M u se eコ NE
Ber lin . M u se u m fti
rtnd isc he K u ns t) が 協 同 し て 国 際 学 舎 ﹃ ‑
ウル
フ ァ ン 再 訪 I シ ル ク ロ ー ド 美 術 ・ 文 化 研 究 の 第 一 世 紀 (T u rfa n R e ・
visited
‑
TheFirst C en
turyofResear c h in
to th
eArts a
ndC u ll tu re s
oftheSkRoad)」一を開催した。学 舎 含 場 と し て は 圭 に
イン ド 美 術 館 が 用 い ら れ ' ‑ ゥ ル フ ァ ン 出 土 文 物 ・ 中 央 ア ジ ア 出 土 文 物 を 所 蔵 す る 各 国 を 中 心 に へ の ぺ 二 十 三
カ 国 か ら 合 計 百 八 十 三 名 の 研 究 者 が 参 加 し た 。 九 月 八 日 は 参 加 登 録
に 充 て ら れ 、 九 月 九 日 〜 十 三 日 の 五 日 間 ' 十 九 の セ ッ シ ョ ン で 計 七
十 八 名 が 研 究 成 果 を 尊 表 し た 。 こ の ‑ ち 八 セ ッ シ ョ ン で は 二 部 舎 利
を と り ' ま た 尊 表 時 間 は 各 人 三 十 分 に 制 限 さ れ て い た が 、 そ れ で も
連 日 午 前 九 時 か ら 午 後 六 時 ま で と い ‑ 濃 密 な ス ケ ジ ュ ー ル と な っ
た 。 本 稿 で は ' 全 プ ロ グ ラ ム を 掲 げ つ つ 簡 潔 に そ の 内 容 を 紹 介 す る
こ と と す る 。 た だ し へ 首 然 な が ら 筆 者 ら 両 名 が 全 て の 嶺 表 を 傍 聴 す
る こ と は 出 来 な か っ た た め へ 美 術 史 関 係 の 尊 表 に つ い て は 中 川 原 育
子 氏 (名 古 屋 大 学 ) か ら 多 大 の ご 助 言 ・ ご 協 力 を 頂 戴 し ' ま た イ ラ
ン 撃 関 係 に つ い て は 吉 田 豊 (神 戸 市 外 国 語 大 学 ) ・ 森 安 孝 夫 (大 阪
大 学 ) 両 氏 の ご 教 示 を 得 た 。 こ の 場 を 借 り へ 三 氏 に 深 謝 し た い 。 〇 九 月 九 日
学 舎 初 日 の 開 合 セ ッ シ ョ ン で は ' ベ ル ‑ ン 科 学 ア カ デ ミ ー 副 総 裁
< . G e rh ar d t が 歓 迎 の 辞 を 述 、へ た 。 貴 重 な 文 化 財 を 保 管 す る ド イ ツ
の 研 究 機 関 に は そ れ ら を 全 世 界 の 研 究 者 に 公 開 す る 責 任 が あ る こ と
を 述 べ へ 異 文 化 交 流 の 場 で あ っ た シ ル ク ロ ー ド を 国 際 的 協 力 の も と
に 研 究 す る こ と に よ り 我 々 自 身 が 多 様 な 人 類 文 化 を 理 解 し 共 存 す る
道 を 摸 索 し な け れ ば な ら な い と す る 、 印 象 深 い も の で あ っ た 。 績 い
て同アカデミー・‑ゥルファン研究所のP.
N ie m
eが「‑ゥルファン探検から‑ゥルファン校訂研究へ一と題する基調講演を行なっ
た。
その後の二セッションでは、‑ゥルファン研究の草創と構築に封
する諸先学の大きな貢献を同顧すると同時に、その批判的継承の方
法が模索された。
第一セッション「百年の研究‑歴史と展望」(司令⁚P.
N ie m e)
H.Wat
ra ve
nsrA.Grtinwedet‑その生涯と業績」A.V.TongertoorW.BangとA.vonL
e Co q
‑ルー
ヴェン書簡」
r
Saコder一‑ゥルファン出土文物研究に封するE.Wa‑dsch・m id t
の貢献」G. H azairA.vonGab
ainのベルリンでの活動」
第
二
セッ
ション(司曾⁚V.A.L i
vsh itz )
D.Dur
k in ・M ei
sterernst「イ
ラン
言語に関するF.W.K.M tit le
rの著作」
M.Vo
roby
ova
・Desyatovskaya「ロシア科学アカデ,"I東方早研究所ぺテルブルク支部中央アジア罵本コレクションの形成
におけるN.F.
Pe
trovsk y
の役割」董食を挟んだ後に
第
三セッショ
ンが再開された。これ以降のセッションでは個別の研究費表が中心とされた。
第三セッション(司令⁚S.
N .C .
Eeu)A.Panaino⁚「マニ教宣布
の
戦略」⁚草創期のマニ教散開の宣布方略を紹介。近年学界の注目を集めている、マニ教がササン朝初期
のゾロアスタI教教学の形成に果たした役割とも関連するもの。
国 際 学 舎
ーゥルファン再訪(松井・山部)④ 秋世民「中国におけるーウルファン・敦煙出土ウイグル語文献研究一⁚近年の中国におけるウイグル撃の進展状況を紹介。
この目のセッション終了後、参加者には、インド美術館の特別展
「‑ウルファン探検百周年‑シルクロード美術・文化の跡付け」を
翌九月十日の合期初日に先んじて観覧する横合が輿えられた。国立
博物館絶館長P.・K.S
ch us te
rによる歓迎の挨拶の後、インド美術館館長M.
Y a‑d iz
が案内役を務めた。この特別展は、沸教壁塞断片や俳像を中心
と
する通常展示品に加えて、諸言語の﹃金光明経﹄罵本や封諾語柔集などの文戯資料をも展覧に供し、‑ゥルファン地
域やシルクロード上での文化交流の諸相を一般に紹介するものであ
った。特別展観覧の後、インド美術館による歓迎レセプションが催
された。
〇
九月十日第四セッション(司令⁚TU
.H ar tm aコ コ )
K.W
iニ e
「イスタンプル大
学圃書館所蔵の中央アジア出土サンスク‑
ッ ‑
語断簡」⁚かつて山田信夫・百済康義が調査したイスタンプル菊本のうち、ブラ
ー
フ",I
寓本の内容同定を中心とする報告。
C.G
u m br ec h t
「ドイツ・‑ウルファン探検隊への中国政府の通行許可讃」⁚ドイツ探検隊に交付された通行許可語を紹介.探検
隊の調査目的について中国嘗局が必ずしも無知でなかったことを示
した。
荒川正晴「冥界への通行許可讃‑‑ウルファン漢人の宗教信仰
の壁遷」⁚随葬衣物疏から功徳疏へという‑ウルファン墳墓の葬頑
文書の壁蓮を指摘、その上で東博した悌教と儒教・道教とが融合し
二
東方
孝
第百六輯70た冥界観が麹
氏
高昌国時代に構成され、唐西川時代には浄土信仰を中心とする沸教的冥界観がより優勢となったと結論。
第五セッション(司令⁚森安孝夫)
武内紹人「節義軍期から西夏時代のチべッ‑語文書とチべッ‑
語使用」⁚チべノ‑支配期以降の敦塩出土チペソ‑語文書、さらに
はカヲホト・エテンゴル出土文書の検討を通じ、吐蕃帝国崩壊後か
ら古典期に至る書髄や文書形式の轡蓮を跡付けた。
GKara「ベル‑ン所戒古チべッ‑文﹃千手千眼観世音菩薩虞
大国満無碍大悲心陀羅尼経﹄断簡」⁚‑ゥルファン出土チべッ‑請
断簡(BerlinerTurJanLexLeX,TextNr.24)の原典比定。
松川節「モンゴル語諾﹃北
斗 七 星 延命軽﹄に残存するウイグル
的要素」⁚ウイグル併典を翻諸原典と明記するモンゴル語悌典が莱
だ知られていないとい‑問題を提起した上で、標記の﹃北斗七星延
命経﹄がチべノー語ではなくウイグル語を原典として翻課されたこ
とを封校テキ
ス
‑分析を通じて論讃。V.Rybatzki「中期モンゴル文アレクサンダ
ー
倦説の言語学的特殊性」⁚‑
ゥ
ルファン出土の標記
罵本について、
同時期のモンゴル語文厳との大きな差異として悌故術語が見えない鮎を指摘しっ
つ、音韻・語形・統語・語嚢論的に検討。
第六七ノション(司合⁚Zs.Gu‑Acsi)
梅村坦「ウイグル文契約文書ST
4 b
Kr7)の提示」⁚ぺテルブルク所頬の標記文書の校訂テキス‑
・ 詩誌を提示し、奴隷責買および
銀貸借に関連する牡倉経済史的問題を指摘O詳しくは﹃内陸アジア
言語の研究﹄一七(二〇〇二)所収の梅村論文を参照。
坂本和子「‑ゥル
フ ァ
ン出土の高級織物断片二粘‑西から東へ 三の織物流通の讃左一⁚織物銘文や製法・技術、さらにウイグル文
書・アラビア語史料の検討から、大谷探検隊収集の三日月文錦とド
イツ隊収集の綿ベルぺッ‑がいずれも西方から‑ゥルファンに俸束
したと指摘。
Ch.Bhat
ta ch ar ya ・H ae sn er
「‑ゥルファン寺院幡豊の圏像撃的特徴」.
マ ニ 教 供 養 園 や 破 帽 地
蔵十王像など、インド美術冊所戒の未嶺表幡塞三鮎を紹介oなお尊表者の編になるTheCenlralAsian
TempleBannertSintheCollectionoftheMu.seumfiirlndi.s
ch e
Kunst
.
Berlin(Berlin.
2003)が最近刊行され、本尊表の三鮎を含む
多 数
の幡蓋資料が公開されたのは朗報Q第七セッション(司魯⁚A.PanaLno)
S.N.C.Lie
u
「教壇と‑ゥル
ファン 」 ⁚
漢文マニ教典﹃摩尼光憐教法儀略﹄
を 中心に教壇・‑ウルファン出土マニ教文献にみえる宇
宙生成論を紹介。
J.Ebert「‑ゥルファンのマニ教衣服描馬における後期古代的
影響」
⁚
高昌故城寺院祉Kから出土した木綿の断片(MTKIIt6606)をマニ教罵本・壁壷に描かれたマニ教の高僧(あるいは紳)の衣服
と比較し、寮際にマニ教徒が使用した衣服の断片(位階を表すヮッ
ペンの頬か)と断定した。
M.HuLter「マ二の﹃L
nJ
人の書﹄‑内容復元にむけての試み」⁚マニ教の七聖典の一つで
あ
る﹃巨人の書﹄について、中世ベルシア語諾・ウイグル語諾さらにクムラン出土のキリス‑教の外典と照合
し、断簡の内容と構成の補訂を試みた。
〇九月十1日
第
八セッション・第一都合(司合⁚M.
Y a‑d iN )
今岡の学舎を圭催した三機関は、‑ゥルファン現地で研究を進め
る中国の諸機関・研究者との協力関係を促進することを企困し、多
数の中国人研究者を招待した0本部合ではその‑ち新彊亀義石窟研
究所に所属する二名が嶺表を行なった。
富旭初「キジル石窟の美術的様式と他遺跡にみえるその影響」⁚
キジル石窟の構造および壁童の内容の諸特徴を概観し、キジル石窟
にみられる特徴・技法が雲岡・教壇・河西回廊・カラシャ
I
ル・‑ゥルファン等の諸石窟に及ぼした影響を検討。
趨荊「インド美術館所蔵のキジル石窟壁童の正確な起源の検
謹一⁚ドイツ陳将来のキジル石窟壁書の本来の所在地の記載が﹃中
国石窟・キジル石窟3Jl(平凡社、1九八三)等の中国・日本刊行
のカタログ類ではしばしば不正確であることを指摘し、現地調査に
基づ‑訂正結果を示した。現地を容易に参看できる地元研究者なら
ではの強みを生かした嶺表であったと言えよ‑。
・第二部禽(司含⁚J.P.raut)
LIV.Clarkrテユルク語マニ教貝菓罵本の分析績報」⁚嶺表者
がかつて校訂テキス‑を提出した標記寓本についての補訂案を報
告。特に奥書と思しき部分にtG
p tL
tqatu n
「チベッIの可敦」とい‑人物を讃みとった鮎が注目される。
M.Erdat「テエルク語におけるiとlの笹別」⁚オルホン碑文と
ウイグル語文献を材料に、前古・後古書の笹別を音韻論・表書論的
に考察し'外来借用語についても直別がみられることを主張。なお
﹃内陸アジア言語の研究﹄一七(二
〇 〇
二)所収のErda‑論文も関連する。
国 際 学 舎
‑ゥルファン再訪(松井・山部)④ S.づezcan「古代テユルク語の部族・民族・臣民をさす呼稀」⁚「部族・民族・臣民」を意味する
b
od.b
odunなどの敬語について'語源とその語義壁化の展開を追
っ
た試み。第九セッション
・第一都合(司合⁚P.Nieme)
西脇常記「二十八宿に基づ‑日月蝕・地震占書」⁚出口常順蓄蔵
の漢文文書断簡がベルリン所蔵文書と接合することを指摘し、‑ウ
ルファン地域を媒介とする中国文化・インド文化の交渉を論じた。
なお西脇﹃ドイツ牌乗の‑ルファン出土漢語文書﹄京都大学学術出
版合、二
〇 〇
二'一五四〜
一六五頁も参照。王丁「二言語併記文書断簡Ch3586」⁚標記断簡を契丹字・ウイ
グル字の雨言語併記文書として紹介。質疑慮答では契丹字とみなせ
るかについて賛否が分かれたものの、大いに関心を集めた。
・第二都合(司含⁚M.Vo
ro by ov a・D es ya to
vsk ay a)
LFeugere「‑ゥムシ
ュ
クI
悌・猫の蚤掘よりみたその重要性」⁚ガンダーラのハッダの様式に類似した彫刻が多数蔑見された
こと等'標記遺跡の文化史的重要性を指摘。
M . M a
ggi「コI
タン語文献史における文書TJJJS16の重要性」
⁚
﹃ザンパスタの書﹄の一部である標記文書の検討等により、本書の成立年代を五世紀もし‑は六世紀初めまで遡らせることを提
案。議書をコータン語俳典の‑ち最初期に展するものとし、一行に
四詩句を書‑方式がコIタン出土のガンダ
1
‑‑語﹃法句経﹄(7‑ 三
世紀?)とT致している鮎にも注意を喚起した。この目の午後のセッションは、ベルリン中心街のベル‑ン科学ア
カデ,,,Iに含場を移して行なわれた。