• 検索結果がありません。

子どもの人権と裁判過程研究 」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "子どもの人権と裁判過程研究 」"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

       」 黶u水戸五中体罰裁判」(刑事)の事実認定構造一

長谷川  幸  介

1.はじめに_課題の設定と方法_        従来の「国民の教育権」理論にもとづけば,子ど も・生徒の学習・発達権こそが公教育法関係の中 e課題の構造と問題意識      軸となるべきであり,その保障のためにこそ,父 公教育をあぐる訴訟類型は多様に存在するが,  母の教育権も教師の教育権も機能しうるというこ 近年学校現場の管理蟻的傾向の増燕伴ない, とになる.しかし漸しいタイプの裁半Uは,子ど 既存の訴訟類型とは異った構造を有する新しいタ  もの学習・発達権の保障が子どもの人権保障の上 イブの裁判が増加しつつあると考えられる。すな  にこそ成立するべきであることを主張すざ碧それ わち,訴訟当事者が《父母・子ども対教師》とい  は,「子どものためだから」という名目によって う対立構図を示し,訴訟内容が子どもの人権(子  子どもの人権を無視・抑圧することを許さないも ども・生徒に固有な権利としての学習・発達権と のであ魂この違いは激師の教育営為が子ども.

いうよりは,大人1り2も共通する基本的人権を内容  生徒の学習・発達をねらいとするものであれば,

とするもの)の保障をめぐるものである。たとえ  人権の侵害が許容されるのかどうかという問題と

ば演型幣は体罰゜いじめ事件1・関する裁判や ・して現象化することになる・したがって新しいタ校則問題等に関するものがあげられよう。     イブの裁判を研究することは,子どもの学習・発

これらの裁判は,従来から学校教育法関係の基  達権の基本的人権の関係をどう整序するのかとい 本的構図として検討・展開されてきた「国民の教  う課題につながってくる。さらに,「国民の教育 育権」法理とは異った特徴を有している。第一の  権」法理及びその認識枠組の有効性を再検討する 違いは,公教育法関係をめぐる認識枠組の相違で  という課題に連続するといえる。

ある。従来の「国民の教育権」フレームによれば,   今橋盛勝教授はその著r教育法と法社会学』

教育裁判は《国・文部省・教委・(校長)対教師・  (三省堂)の中で,両者の法関係の特観こふれな 父母・子ども・国民》の対立として把握され,教  がら,従来の「国民の教育権」法理を前提とする 師と父母・子どもは「本来」同類項として位置づ  認識枠組を「第一の教育法関係」,近年増加しつ けられることによって,国家の公教育統制(主に  つある父母・子ども対教師の対立構造・認識枠組 教員響と教育内容欄)に対抗するものとされ を「第二の教育法関係」と称し後者の重要性・

ている。しかしながら,子どもの人権をめぐる新  有効性を子ども・父母・住民の教育権の検討・再 しいタイプの裁判では,この「本来」同類項であ  構成を踏まえて論証している(?

るべき教師と父母・子どもが,敵対する関係で裁   ・前述したように,国・文部省による教育内容統 判過程までに現われるのである。同一の教育要求  制や教員統制に対する批判を内容とする「第一の と有機的な権利・義務関係を有すると枠づけられ  教育法関係」型裁判においては,従来の「国民の てきた教育主体が対立する主体として登場してく  教育権」フレームが機能したのは明らかである。

るのである。第二の違いは,法関係の基軸にすえ  しかも,このフレームが日本の教育法学を創造・

る「子どもの権利」の内実の相違があげられよう。  発展させてきた中軸的なものであったことも同様

(2)

に明らかである曽)しかし,このフレームが「第二  からである(ど)

の教育法関係」型裁判においても有効に機能する   接近方法については,判決に限定せず,公判記 とは言えない。すなわち,法論理的には,国家の  録のレベルまでたち戻って検討したい。なぜなら,

公教育統制に対して同一な(調和的な)方向で対  具体的裁判過程の検討を行うことによって,最も 抗的機能を果たす「子ども。生徒の学習権を中軸  重要な事実認定に際して裁判官の意識の中で,教 とした父母の教育権と教師の教育権」が,一つの  育の論理がどのように機能したのか,また,どの 法廷内で,子どもの人権をはさんで対立的構図を  ような意味をもっているのかが検討できるからで 構成することになるからである。        ある。

そこで,本稿においては,この「第二の教育法   かような問題は裁判過程を研究する上で,きわ 関係」型裁判において,各権利主体の権利内容が  めて重要な課題であり,かつて戦後三大法論争の 従来の「国民の教育権」理論とどのような差異を  一つでもあった「判例法論争」の中で主要な論争 もって裁判化するのか,また展開されるのかを検  課題となったものである。裁判官が判決を下す場 討したいと考える。さらに,この種の裁判におい  合,「事実認定」 「価値判断」 「法適用」の三要 て,「教育の論理」がいかなる機能をもって「教  素がどのような関係で展開されるかという問題鬼 育法の論理」として展開されることになるかとい  ある。「裁判官の事実認定という作業は,純粋な うことも検討したい。国家統制排除のために有効  客観的事実の認識ではなく,当該裁判官の法的価

(10)

に機能してきた 教育論理の法論理化 という命  値判断によって重要な影響を受けるものであり,

題が,父母・子ども対教師という図式の中でどの  裁判官の価値判断の差異が事実認識の差異を生み       (13)

謔、に機能するかということは,「国民の教育権」  出す」とすれば,「水戸五中体罰裁判」 (刑事)

法理の再検討・再構築の課題からも極めて重要だ  は,いかなる価値判断が一審・二審それぞれの裁 と考えられるからである。       判官の中に存在したかを検討しうるケースだと考 口対象および方法の限定      えられるからである。付足すれば,本件について 以上の課題を行うに際して,「第二の教育法関  は,今橋・安藤博編r教育と体罰一一水戸五中事 係」型の具体的裁判の設定と,接近方法(特に裁  件裁判記録』(三省堂)という詳細な公判記録集 判関連資料のどこまでを検討対象とするか)の限  が出版されており,その点も,本件を素材にする 定が必要である。本稿においては,この具体的ケー  理由にあげられる。

スとして,子どもの人権をめぐる裁判としては最   小林三衛教授は「裁判研究の方法についての一 も典型的な体罰事件の刑事裁判過程である「水戸  試論」という論更あ中で,裁判過程研究の重要な 五中体罰事件」裁判(水戸簡裁,東京高裁)を対  テーマの一つとして客観的事実に関する法社会学 象とする。本裁判は元被告人教諭と目撃生徒4人  的接近の重要性を次のように論じられている。

の証言内容に大きな相違がありながら,結果的に    「裁判は,個別的具体的事件について,黒白の は逆転無罪判決が下されたという意味で大きな意  判断をつけるのであるから,なによりも事実関係 味をもっている。すなわち,事実認定に際して裁  の正確な認定から出発しなければならない。裁判 判官はいずれの証言に証拠能力を認めたのか,そ  の研究においても,事実関係に重点をおくべきで してその理由は何であったのかを検討すれば,  あるが,それも,裁判官が認定した事実の枠内に

「第二の教育法関係」型裁判において,裁判官が  とどまっていたのでは,ふじゅうぶんであり,客 事実認定に先んじて形成する価値判断のイメージ  観的事実へ接近することが必要である,と思われ が浮ぴあがってくる可能性があるからである。さ  る」。

らに,この裁判過程は,東京高裁判決が採用した   このような意味からも,本論稿を小林先生の退

体罰に関する特異な法論理でも有名なものである  官記念論集に寄稿できることは大きな光栄である。

(3)

2.事実認定の構造と認定事実         性を置くのかということに大きな比重があったと 考えられるからである。

←)事実認定をめぐる証言内容      結果として,一,二審の事実認定には大きな相 一般に体罰裁判(刑事)においては,事実の認  違が生じている。しかも,それは,有罪一無罪を 定をめぐって,被告人教諭と被害者生徒の間に相  分ける大きな相違であった。一審は目撃4生徒の 違が生ずる場合が多い。しかし,本水戸五中体罰  証言を採用し,元被告人教諭の証言を斥け,二審 事件裁判では,被害者生徒S君(中学2年生)が  はその逆の判断を下したのであった。但し,二審 当該行為のあった日から8日後に死亡したため,  は,目撃生徒4名の証言を全て否定したのではな 事実認定をめぐる争いは元被告人教諭と目撃生徒  く,内3生徒の証言内容を採用する形をとってい

4名の証言内容の相違としてあらわれている。事  る。しかし,元被告人教諭の証言に信愚性を置い 実認定をめぐるこの基本的対立は一審及び二審に  たため,認定事実の中では特徴的矛盾を生み出す        (15)

、通していた。すなわち,元被告人教師と目撃生  こととなっている。

徒4名の証言はともに一審においてなされたもの   本稿の課題は,なぜ同じような対立構図をもつ であり,二審においてこれらの証言をくつがえす  事実認定上の争いが全く異った結論を引き出した ような新証言は出されていないからである。した  のかを検討することである。そして,その時,両 がって,二つの審理は,どちらの証言内容に信愚  判決の前提として形成された裁判官の価値判断を

目撃生徒A B C

D

。被告人が,2,3メー 。S君に対し「お前達の 。被告人が「何してるん 。にぎりこぶしでS君の トルの離れた位置から の態度は,3年生に対 だ」というとS君が振 後頭部をたたいた。

「S」と大きな声で怒 する態度ではない」と り向く。「お前みたい 。全部で10回程度叩い

った感じで呼ぶ。 いう被告人の大きな なやつがいるから2年 た。

。S君が被告人と向き合 声。 生はだめだとばかにさ 。「今年の2年生はだめ 殴 って立上ると,怒って 。S君の後からこぶしを れている」とかいいな だ」とか「上級生を甘 打 右手げんこつを振り上 肩あたりまであげて振 がら左側部を軽く手を く見ないように」とい 行 げ,頭頂部叩く。ゴッ りおろし頭部を1回叩 握って1,2回叩く。 った。

為 ンとにぶい音がして, く。音は覚えていな 。S君口をとがらして不 。色白のS君は,叩かれ

の 体がぐらっとした。そ い。 満気な顔をする。被告 てだんだん赤くなっ

具 れからこぶしで10回前 。S君不満気な顔をす 人憤慨して怒り,また た。

体 後頭部を殴打。 る。被告人「なんだそ 4,5回叩く。 ・くやしそうで,今にも 的 。被告人はすごく怒って の顔は」というような 。2,3回かすかにゴッ 泣き出しそうだった。

状 いた。 ことをいう。続けて, と音が聞こえた。 。諭すような感じではな 況 同じ場所に5,6回こ 。怒っている感じだっ かった。

ぶしでなぐる。「調子 た。

こんでいるんでない」

とかいう。

。かなり怒っている感

じ。

。わからない。しかし 。わからない。 ・わからない ・わからない

「なんだKと一緒か」 。S君に理由をきいたが 。少したってS君にきい 。どうして殴られたのか とは一緒にいたがいっ 「よくわからない」と たが,何もいわなかっ きいたが,何もいわな

殴 ていない。右足を前に いう。 た。 かった。

打 出して左肩を落とすポ ・S君は被告人以外の先

理 一ズ(いわゆる「ズッ 先からいわれて計器の

由 コケ動作」)もしてい 調整をしていると,被

ない。 告人が来て叩いたので

僕にはわからない。

(4)

考察することである。以下,目撃生徒4人の証言,  ところは見ていますか。

目撃教師証言,元被告人教師証言及び一審の事実   1教諭 見ておりません。

認定,二審の事実認定を公判記録にそいながら検   弁護人 停止している状況を見たわけですね。

討してみる。      1教諭 そういうことです。

〔→ 目撃4生徒の証言      弁護人 被告人の左手は生徒の肩をつかんでい 前掲参考図書r教育と体罰』によれば,目撃生  るとか何かをつかんでいる状況には見えませんで 徒4名の証言内容の要点は,目撃場所(いずれも  したか。

1〜5メートル前後)や被害者の性格,8日後の   1教諭 見えません。

死亡と当該行為との因果関係等への評価とならん   弁護人 その動作を見て証人はどのように感じ で,殴打行為の具体的状況,殴打理由が次のよう  ましたか。

に整理されている(前頁)蝿      1教諭 私は指導しているなと感じました。で この4生徒の証言は,①5,6回〜10回程度の  すから特別強く感じることはなかったです。

殴打,②怒っている感じであった,③殴打理由に   弁護人 その時殴ったような様子はありました ついてはわからない等,一定の共通性を有してい  か。

る。       1教諭 私は見ていません。

口 目撃教師1の証言       弁護人 何らかの音が聞こえてきたようなこと 本証人は,元被告人教諭から4,5メートル離  はなかったですか。

れたステージ上でしゃがんで背を向けていたが,   1教諭 そういう記憶はないです。

元被告人の「何だK(元被告人の姓)とは何です   弁護人 証人が振り向いた直後生徒が頭とかほ か」というような言葉にふり向いたものである。  おを殴られた状態は見られなかったですか。

具体的に殴ったことを目撃しているわけではない   1教諭 記憶はないです。

が,「指導しているなと感じた」ことを証言して   弁護人 どの生徒を怒っているかわかりました いることや,一審の過程の中での証言であること  か。

など,事実認定について,「第二の教育法関係」   1教諭 わかりません。そこに居た生徒達を指 型裁判の構造を検討する上で重要な役割を有して  導していると思いました。

いると考えられるものである禦公判記録から抜粋   弁護人 生徒がよろけた状態は見られなかった すれば,次の箇所がその証言内容の骨子である皆)  ですか。

1教諭 生徒が立っていて相対して話ができる   1教諭 記憶ありません。

状態でしたがはっきりわかりません。       弁護人 被告人の顔の表情はどうでしたか。

弁護人 その時の被告人の態度はどのようでし   1教諭特別に変った様子はなかったと思いま たか。       す。

1教諭 私が振り向いた時被告人の横から見た   日 元被告人教諭Kの証言

状態ですが,被告人の右手が大体肩の線上あたり   元被告人教諭が事実に関して述べている文書は まで垂直に上がっていました。         数多く残されている。たとえば,水戸市教育委員 弁護人 その動作は握りこぶしを作っている感  会に本件につき提出された報告書(水戸五中発)

(19)

じでしたか。      にはK教諭の話からとして,当該事実が論述され 1教諭 そういう動作を見た記憶はないです。  ているし,警察・検察における供述調書等があげ

弁護人平手にはなっていませんでしたか。   られる。裁判過程の中でも,一審における意見陳      (20)

1教諭 なっていなかったと思います。     述書では,本件事案は,〈被告人が右Sに対し,蒐

弁護人 振り上げた手が横とか縦に動いている  平手でその前額部を2〜30糎の高さから1回かる

(5)

く打ったのち,同人を説諭しつつ,右手を握った  て疑わしく措信できず本件は無罪である旨主張す 状態でその小指側でトントンと頭の上部を2〜3  るが,目撃した生徒の証言にっいては偽証を疑う 回かるくたたいたというのが真相〉なのであり,  ような事由は見当らず,前掲各証拠を綜合すると,

と主張する他,4度に渡る被告人尋問が行われて  被告人はSの言辞及びその態度に立腹し,私憤に いる。本稿では,この中から,元被告人教諭が証  かられて右手拳で同人の頭部を強く数回殴打した 言した事実認定に関する内容の要点をピックアッ  ことが明らかであるから,教育の目的のため説諭,

プすることにしたい。       訓戒としてとった補助的手段として軽く叩いたと

①「体罰」理由については,「何だKと一緒か。」  認めることはできない。従って弁護人の主張はす というS君の発言(40〜50センチメートルの距離  べて採用しない」。

で聞く)と「ズッコケ」の態度を見て,日頃の態   そして,その結果として,暴行罪有罪(罰金3 度やS君が中央委員であることも考慮し,その場  万円)の判断を下している。

で注意した,としている。      ② 二審の認定事実

②行為の能様については,「かるく握った手の   二審の事実認定は一審のそれとは大きく異って 小指側の下の部分をトントンと被害者の頭に置い  いる。態様についてぱ13)

た」程度にすぎず,また,「10回前後殴打した」  「被告人が同人に対してなした言動としては,そ との検察官の主張には,「トントンと上下させた  の場で約1,2分間にわたり,「今言ったことを のを2回分を一セットにして2度繰り返した」か  もう一度先生に言ってごらん。」「言っていいこ ら「計4回で,最初平手で叩いた1回と併せて合  とと悪いことがある。2年生になったんだから,

計5回という計算になる」と反論している。    そんなこと判断できないのではいけない。」 「そ

③教育効果については,S君も叱られた理由が  んなへらへらした気持ちでは3年生に対して申し わかったはずだとした。      わけがない。中堅学年としてもっとしゃきっとし ロー,二審の認定事実       なければいけない。」等と言葉で注意を与えなが

(1)一審の認定事実       ら,同人の前額部付近を平手で1回押すようにた 一審は詳細な公判を積み重ねた上で,以下のよ  たいたほか,右手の拳を軽く握り,手の甲を上に

伽)

うな簡明な事実認定をしている。         し,もしくは小指側を下にして自分の肩あたりま

「被告人は,昭和51年5月12日午前8時55分ころ,  で水平に上げ,そのまま拳を握り下ろして同人の 茨城県水戸市堀町1,166番地の一所在水戸市立第  頭部をこつこつと数回たたいたという限度におい 五中学校体育館において,同所に居合わせた同校  て,これを認定するのが相当であるといわなけれ 2年生佐藤浩(当時13歳)から「何んだ,Kと一  ばならない。」とし,行為の動機・目的については,

緒か」と言われたことに憤慨し,平手及び手拳で  次のように認定した害4)

同人の頭部を数回殴打する暴行を加えたものであ  「被告人としては佐藤浩の前記のような言動を現 る」。      認して,同人が自ら望んでまで中央委員に選出さ 一審事実認定は,(弁護人の主張に対する判断)  れていながら,従前の軽率さがまだ直っていない にも示されているように,被告人の証言よりも目  と思い,二言三言その軽はずみな言動をたしなめ 撃生徒の証言に信葱性をおいた理由を次のように  ながら前示のような行為に出たのが,事の真相で 論述している(ぎ)       あると思われる」。

「又目撃した生徒の証言は,被告人とSとの本件   この事実認定は,互いに相反する二つの証言内 状況について,それぞれ大きな食い違いをみせて  容について,元被告人教諭の証言を全面採用し,

おり,何れも生徒同士としてSに同情的で,被告  目撃生徒4証言の除外を意味すると考えられる。

人に対し敵意を有する証言で,その信愚法は極め  しかし,同判決は,目撃生徒4人中A証人を信愚

(6)

性に乏しいとした以外,他の3人については以下  略の上に,裁判官が事実認定を行う前に一定の価 のように論述した(15)       値判断を行わしめるものであったと考えられる(19)

「前記Cら生徒は,死亡した学友佐藤浩に対して  すなわち,事実認定に関する証言に変化がない場 は同情の念を有していた反面,被告人に対しては  合,事実認識の差異まで生ぜしめるような価値判 多分にそれとは逆の気持ちを抱いていたことが推  断上の差異を作りあげるという方法ではなかった 察されるのであるから,Cら3名の証人が被告人  かということである(ゴそして,第五は,言うまで の本件行為を悪く証言することはありえても,事  もなく,この価値判断上の変化によって,同一の 実を曲げてまで被告人をかばい,殊更に被告人に  証言が全く異った意味をもち,それにもとついて 有利な証言をしているとは考えられない。Cら3  事実認定が変化し,二審判決が逆転無罪となった 名の証人が本件行為の目撃状況について供述して  ことに示されている。

いる部分はその大筋において信用してよいと認め   それでは,事実認識の構造までも逆転させる価 られる」。       値判断上の転換とはどのような内容のものなのだ

そして,このような事実認定に加えて,独特な  ろうか。

       有形力論等を展開し,原判決破「生活指導論」      (ゴ6)      3.二つの価値判断基準

棄,被告人無罪の判断を下しているのである。

日 事実認定の構造       裁判官が対立する証人間の関係をどのように把 事実認定に関する各証言内容と一・二審の認定  握するかということは,裁判官が当該事案の全体 事実を検討してくると,「水戸五中体罰事件」裁  像をどのような視点から認識しているかというこ 判が以下のような事実認定の争い・構造をもって  とを顕著に示すものと考えられる。そして,この 展開してきたことが判明する。      視点が当該裁判官の価値判断基準に由来すること すなわち,第一に,一審の段階からすでに,本  はいうまでもない。本件事案に照らせば,目撃4 裁判の事実認定をめぐる基本的構図(目撃4生徒  生徒と被告人教諭の関係をどのように認識するか 斡元被告人教諭)は確定していたということであ  ということであった。しかも,そのことがどちら

る。したがって,一審の元被告人側の訴訟戦略は  の証言に信愚性を求めるかという判断に大きな影 当該教諭証言の信愚性を補強ε?目撃生徒証言を  響力をもっていたのである割本件のような「第二 くずすことに割かれていた。そして,第二は,そ  の教育法関係」型の裁判においては,特にこの証 のために採られた方法が,当該教諭を理想的教師  人間の関係を把握し,しいては事案全体を認識す として組み立て上げることとならんで,目撃生徒  る価値判断基準が重要な岐点となる。以下,「水 及び「被害者」生徒の人格を否定的に組み立て上  戸五中体罰事件」裁判(刑事)過程が示した二つ げることであっ籍)第三は,それにもかかわらず,  の価値判断タイプを検討さてみよう。

一審がとった認定事実が,目撃生徒の証言を基軸   第一のタイプは,一審の裁判過程に顕著に見ら にすえたものであり,したがって,判決は有罪と  れたものであり,対立する二方の証人間の関係を なったということである。       複数の目撃者の共通した証言内容と単独の被目撃 しかしながら,第二審が最終的に認定した事実  者の証言内容という関係で把えるタイプである。

は,元被告人教諭の証言を基軸とするものとなっ  第二のタイプは,二審の裁判過程に示されたよう たのである。如何なる意識が裁判官の中に働いた  に,両者の関係を同一学校内の生徒と教師という のであろうか。       関係で把えるタイプである。両者の証人には,こ

事実認定構造をめぐる第四の特徴は,二審にお  の二通りの属性があることは当然であるが,裁判

いて被告人側弁護団のとった訴訟戦略の中に部分  官がどちらの基準を中心におくかということは裁

的にあらわれている。それは,前述した一審の戦  判過程の中で決定的な位置をもっことになる。

(7)

一審において,弁護団側は四人の目撃生徒証言  多く影響を及ぼしていくことは明らかであるが,

を否定すべく(被告人教諭証言に信愚性ありとす  本来,事実認定のプロである裁判官が例人権とい べく),二つの戦術を採用している。その第一は  う視座からの事実認定から離れる可能性を否定で 被告人教諭の理想的教師像化(熱心さ・緻密さ等)  きない。単純化して表現すれば,教師に「教育目 であり,訟訴理由に該当するような暴行をする教  的」があるのだから,冷静かつ適当な程度の懲戒 師でないことを主張することであった。第二は,  であったはずだというふうにである。

目撃生徒証言を否定するために,各証言内容のズ   この枠組転換の中で弁護戦略(前述)は大きな レを強調することと直接的に当該行為を目撃した  効果を果たすことになった。認定事実は被告人証

あった。しかし,これらの戦術は,第一の判断基  言は措信しがたいものとされた。かくして,同一 準を中心とした事実認定には大きな影響力を発揮  の証言を理由に全くことなった事実認定が二つ成 できなかったと考えられる。したがって,一審判  立し,当然ながら,一審認定事実は否定,逆転無 決は目撃証人の証言の共通性を中心にすえ,それ  罪判決が下されたのである。

を疑うべき概拠がない旨を判示したのである(ぎ〕

      4. 「第二の教育法関係」型裁判と事実認定しかし,二審が採用した価値判断基準(生

徒対教師)にもとづけば,証人間の対立構図は大   e 事実認定と人格評価

きな転換を遂げることになる。第一の転換は,四   公教育現場での子どもの一般人権をめぐって争 人の目撃証言が先生に対する生徒の証言に変化す  われる「第二の教育法関係」型裁判においては,

るということである。この変化が生徒の教師に対  本事案で検討した如く裁判官の価値判断が事実認 する否定的評価・内容部分を疑念視させるよう機  定に影響を及ぼす可能性が高い。しかも,訴訟当 能する可能性は否定できない。さらに,四人の証  事者となる父母は,多くの場合,当該事実を目撃 言のズレに注目し,大人でありかつ教師の証言に  する状況にないため,「教師と生徒」による証言 照応した部分のみが共通し,かつ措信できるもの  のくい違いが中心となるのである。したがって,

として採用されることとなる。この枠の中では,  裁判過程の特質にもとづけば,事実認定過程にこ 前述した同僚教師の証言内容は,当該行為事実に  のような構造をもつ法関係を「第二の教育法関係」

対する直接的証言でないにもかかわらず,事実を  と表現できるかもしれない。

認定するための外枠として機能することになって   事実認定過程に内在するこのような特徴的構造 いった。すなわち,二審判決理由によれば,この  は,この種の事件に対する判決予測をきわめて難

r36)

1教諭が「気合いを掛けているなと思い」,「特  しくするだけでなく,〈教師対生徒〉という価値 に制止するような状態ではなかった」という状況  基準が機能した場合,認定上の平等性を欠くこと だったのだから,その後に起った当該行為は目撃  になろう。人格評価の問題に限定的して例示すれ 生徒証言の内容通りではなく,被告人教諭の証言  ば以下の通りである。

となるはずだというように事実認定にたがをはめ  ①教師は教育活動の一環として生徒の人格評価 る機能を発揮することになったということである(13)  (「行動の記録」等)を行うが,この人格評価が

この価値判断枠組の転換がもった重要な第二の  裁判の中で一方の側(教師側)の利益のために客 意味は,目撃証人と被告人との関係を生徒と教師  観性を装って提示されることは不公平ではないだ の関係に転換しただけではなく,被告人教諭と裁  ろうか。

判官との関係をも教育のプロと教育の素人の関係  ②教育活動のために作成される秘文書の学習指導

に変換させることである。この変換は「教育的配  要録が,当該生徒・父母の許可なく裁判過程に提

慮」という用謹壌伴なって,法論理・適用の方に  出されることは許されることなのだろうカ{ぎ

(8)

③評価するべきは教師であり,評価されるべきは  師と生徒」基準が中軸となった時,すでに検討し 生徒であるという認識は,証人の信愚性をはかる  たように事実認定に予断が介在することになりや に不公平ではないだろうか。      すいからである。しかも,個々の裁判官のパーソ に)価値判断基準と予断      ナリティーを離れて,構造的にである。裁判官の       140)

@廷に提出される証拠を判断し,いかなる心証   「識見」が「教師と生徒」基準の中でどのように を形成するかは裁判官固有の領域であることはい  作動するかは前述した如くである。

うまでもない(自由心証主義)璽しかしながら,   さて,それではかようなコントロールのすじ道 人格評価との関係でも論述したように, 「第二の  は具体的には何であろうか。それは,「教師と生 教育法関係」型裁判の事実認定においては価値判  徒」の関係を「教える者と教えられる者」 (「師 断基準の相違によって,子ども・生徒の側は構造  弟」)から,公教育における「人権保障主体と人       r41)

Iに不利な立場に立たされることになるのである。  権主体」の関係に置換させる営為であろう。教師 少し長い引用になるが,渡辺洋三教授はこの点に  と生徒の双方が両当事者としてかかわる以上,

関し次のような課題を提示している。       「教師と生徒」という関係を排除することは難し

「裁判官がいかなるプロセスで事実を認定して  い。子どもの人権視座とは,実は,かような視点 ゆくかという問題は,第三者にとって最も分かり  によって「教師と生徒」の関係をとらえ直すこと にくい問題である。その中でも,裁判官が何を基  を要請するものと考えられるのである。この視座 準にして,当事者の主張する「事実」のうちから,  に立つ時,教師の生徒評価が公判過程に提示され 真正なる事実と虚偽の事実とのふるい分けをおこ  ることも一定の制約を受けることになる。すなわ なって,当該裁判官にとって真正であるとおもわ  ち,教育のためにのみ許容される人格評価を教師 れる事実を確定してゆくか,ということがとくに  という職にあるだけで,教育目的外に使用するこ 分かりにくい。通常の裁判手続きに即していえば,  とは人権侵害だと判断されるからである。そして,

裁判官は当事者の提出する証拠に即して事実を確  人権保障責務の内容からいえば.一般人に比べて      (42)

定するのであるから,結局,裁判官が対立する証  よりハードな責任が問われていると考えるのであ 拠のうち何を真正な証拠と判断するかによってそ  る。

の認定する事実は異なってくるわけであり,した

       おわりに一一残された課題にかえて一一 ェって問題は,裁判官が何を基準にしてある証拠

を採用し,ある証拠を退けるかということに帰着   「国民の教育権」法理の中で形成されてきた する。いいかえれば,証拠に対する裁判官の価値   「教師と生徒」の法関係は,子どもの学習・発達 判断すなわち心証の法則が裁判過程の現実として  権を基軸にしたものであった。教師はこの権利に はどのようなものとして存在しているか,それを  応え「教える者」であるし,子どもは「教わる者」

科学的にコントロールするということはどの程度  または「学ぶ者」であり続けた。しかし,この枠 まで可能かということがきわめて重要である。轡  組が「第二の教育法関係」型裁判では単純に適用

「第二の教育法関係」型裁判にそくして,渡辺  できないとすれば,あらためて,子どもの人権と 教授の課題(科学的にコントロールすること)を  学習・発達権の関係が法論理的に問われざるをえ 検討することがきわめて重大であろう。すなわち,  ないであろう。また同時に,教育論理を教育法理 裁判官をして,「教師と生徒」という基準をどの  化するべく構成された「教育条理法」の枠組やそ ようにして後景に退かせるかということである。  の構成が問われざるをえない。これらの課題が教

「教師と生徒」基準が不必要だというわけではな  育法学固有の課題として残されている。

いが,子どもの人権をめぐる裁判である以上,子   他方,法社会学上の課題としては,事実認定の

どもの人権基準をこそ中軸にすべきである。「教  構造を踏まえて,法適用ないしは法論理化の過程

(9)

に裁判官の価値判断基準がどのような矛盾を生み    となる。なお,「子どもの人権と体罰」研究会が中 出すかの検討が残されている。本ケース及びいじ   心となって作成した「子どもの人権と体罰研究会」

め裁判等を素材に考えているが別稿に機したい。    編r教師の体罰と子どもの人権』(学陽書房 1986 なお,筆者が刑訴法を専攻する者でないため,    年)「子どもの人権と体罰」研究会・「体罰と管理 用語法等の誤まりや不明瞭さが残っているが,読    教育を考える会」共編r子どもの人権と学校』(草 者諸氏の御叱正を請うものである。         土文化1987年)が最近の個別ケースを当事者が論

述している点で参考となる。

本稿は,牧柾名教授を代表者とする「教師の懲戒・体   (4)1950年代からの公教育の反動的動向に対抗して生 罰の教育学的・教育法社会学的研究」(科学研究費)の    まれてきた教育法学の生成。発展過程については,

一環として研究をすすめている「裁判過程研究」の中で    永井憲一r教育法学の展開と課題』 (学陽書房,19 準備されたものである。      78年)に詳しい。

注       (5)今橋『教育法と法社会学』第二章。

(1}1970年代中葉から始った「非行」の戦後第3のピ     公教育過程における子どもの人権・権利を考える 一クは,学校内での反抗(対教師暴力や器物破壊行    場合,子ども・生徒に固有な権利こそ基底におくべ 為)という形態をも含んでいた。このような動向に    きだという意見も再度提起されている。堀尾輝久 対し,学校・教師が子どもを管理することを主眼と    『子どもの権利とは何か』(岩波書店 1986年)。

■した生徒指導を展開したのである。この種の学校秩    一般人権と学習権の構造的関連については今後の検 序再生のためという名で行われた生徒指導の特色に    討が待たれるところである。なお,この点にっいて ついては,牧柾名r学校と子どもの人権』(新日本    は,今橋「子どもの人権をめぐる状況・理論・裁判」

出版 1984年)今橋盛勝『教育法と法社会学』 (三     (法律時報 1987年9月号)及び前掲牧『学校と子 省堂 1983年)第二章に詳しい。       どもの人権』(P174〜P183)及び佐藤幸治「子ど

また,生徒規則との関係では,坂本秀夫『生徒懲    もの『人権』とは」(自由と正義1987年6月号),

戒の研究』 (学陽書房 1984年)及び安藤博「生徒    拙稿「教育実践から学ぶ」 (今橋編『教育実践と子 規律にみられる教育理念と現実」(講座少年保護4    どもの人権』所収,青木書店 1985年)参照。

少年保護と学校教育,大正出版,1985年)参照。な   (6)教育法分野でのパターナリズムについては,森田 お管理主義と体罰との構造的連関については拙稿    明「子どもの保護と人権」(ジュリスト 増刊特集

「『管理主義』教育と体罰」(法と民主主義 171   子どもの人権 1986年)がアメリカの歴史を踏えて 号 1982年)参照。       興味深い指摘をしている。

(2}特に自由権(表現の自由,プライバシーの権利等)   (7)今橋r教育法と法社会学』P38〜P43

的性格をもつ権利類型を指す。たとえば,制服の着   (8)とりわけ,前同第三章の父母の教育権に関する論 用強制や丸刈強制と表現の自由の関連性などがあげ    述は,その後に進展した臨教審路線との関係で有効

られる。なお兼子仁教授は次のように学習権との相    性を示している。

違を表現している。「教育だけに特有な人格である   ⑨ このフレームが現在でも有効であることは明らか

『教育人権』と,広く他の社会分野にもわたる一般    であるが,問題は,その適用限界を用する法関係の 的な人権つまり一般人権が教育にかかわっている場    出現なのである。今橋「体罰裁判と紛争処理」(日 合」(堀尾輝久=兼子仁r教育と人権』岩波書店    本教育法学会年報16号,1987年)参照。

1977年 P237)。      qO兼子『教育法(新版)』(有斐閣 1978年)は,

③多様な事件・裁判が起こっており,その全体像を    この点につき次のように論述している。

把握できるものとしては『体罰・いじめ』(季刊教     「条理」ないし「条理法」は,教育法においては

育法 エイデル研究所 1986年9月臨増号)が参考    慣習法より以上にきわめて重要である。不文教育法

(10)

48       茨城大学政経学会雑誌 第54号

一般ないし教育慣習法が重要である上述の諸理由は    体罰一一水戸五中体罰事件裁判記録』三省堂 1983 すべてここに援用できるが,つぎの点が根本的であ    年)に詳しい(特に,P359)。

る。独特な教育法論理の発生基盤を成す近代の教育   ㈲ 前出今橋・安藤編r教育と体罰一一水戸五中事件 それ自体は,がんらい前法規的存在であって,しか    裁判記録』P125〜P126

も独自な本質および原理(教育学でいう「近代教育   (1の 同旨前同 P359 原則」)を確立してきている。したがって,教育に   ⑬ 前同 P177

たいする法的規律には限界が存するとともに,教育   ㈹前同 P91〜98ここでの事実は「初めに頭をお 条件整備としての教育法的規則は,まさに教育の本    さえつけただけで,その後は手を挙げていない」と 質や原理に沿いその実現を助長するものでなければ    されていた。

ならない。現代教育の教育制度となると,必ずしも   ⑳ 前同 P103 前法規的存在ではないが,そこにもやはり,公教育   ⑳ 前同 P266 思想に根ざした一定の制度原理や制度論理が相当程   ⑳ 前同 P266〜267 度に形成されてきている(たとえば,教育の内的事   ㈱ 前同 P363〜364 項・外的事項の区別や教育制度の条件整備など)。   ⑳ 前同 P365

(P40)      ㈱ 前同 P362〜363

鋤 東京高裁判決に対する批判的論文は多数書かれて   ⑳ 本稿においては,事実認定過程を中心とした検討 いるが,さしあたり,星野安三郎「生徒徴戒におけ    となっているので触れないが,さしあたり,注(11)の るr有形力』行使の適否」(季刊教育法41号)今橋    論文が参考となる。

「体罰の教育的検討一一r体罰事件』と裁判」(教   伽当該教諭証言の補強は,①熱心な先生,②説得的 育法学会年報10号1981年)安藤博「体罰判例の刑法    な先生等の同僚教師証言と本文中に引用した1教諭 的検討」拙稿「体罰判例の教育法的検討」 (ともに    の事実に関する証言部分があげられる。前者が情状 牧・今橋編r教師の懲戒と体罰』総合労働研究所    酌量の意味をもつことになるか,それとも裁判官の 1982年所収)。       事案に関する全体像把握の視点になるかが本稿の課 働渡辺洋三「裁判過程における事実認定」(潮見俊    題となるところである。

隆・渡辺編r法社会学の現代的課題』岩波書店1971   ㈱ 同旨 安藤博「水戸五中事件裁判と判決の特徴」

年所収)同「判例研究論争」 (磯野誠一他編『社会     (r教育と体罰』所収)なお,この論文は,本裁判 変動と法』勤草書房 1981年所収)。      ケースを構造的に把握,簡潔に表現した力作であり,

特に前者の論述は,本稿執筆の契機となったもの    本稿もその示唆によるところが多い。

である。但し本稿では後述のように価値判断と予断   ⑳ ここでいう価値判断とは,後述するように有罪か の間に判断基準(枠組)という中間フレームを設定    無罪かの「予断」ではなく,かような「予断」を必 したいと考えている。       然的に生み出すような証人間の関係把握の枠組みの

⑬前出渡辺「裁判過程における事実認定」(P319)    ことを指している。

qの 来栖三郎。加藤一郎編『民法学の現代的課題一一   G①裁判官の予断を強制することは論理上無理である。

川島武宜教授還歴記念皿一』(岩波書店,1972年)    しかし,この戦術は,裁判官のもつ「教育観」を増 所収。       幅し,それによって価値判断を制約していこうとす

㈲ たとえば,3名の生徒証言と元被告人教諭の証言    る高度なものと考えられる。この意味では,「予断」

間にあるズレについては,3名の証言を教諭側にそ    をプロデュースすることが可能ではないだろうか。

うよう「解釈」がほどこされていることなどがあげ   ⑳青木英五郎「事実誤認の実証的研究」(『青木英 られる。なお,この点については安藤博・大津八郎    五郎著作業1裁判の法意識』田畑書店 1986年)は,

「第二審公判記録と判決」(今橋・安藤編『教育と    同一事件における有罪・無罪の矛盾について,裁判

(11)

℃    官の証拠に関する見方の相違を論証している。同一    とに心証を形成しているのかが重要な要素といえよ

証拠が裁判官の法意識の相違によってその信愚性が    う。

変化することが検証されており興味深い(ケースは   ㎝本件については,実際に提出されている(『教育

「山科強盗事件」)。      と体罰』参照)。

幽 複数の目撃証言の共通性に着目するか,ズレに着   劔 民訴185条,刑訴318条。

目するかは,裁判官の価値判断基準によって大きく   ㈱ 前出渡辺「裁判過程における事実認定」P321〜

異なるところであり,本事案はその顕著な例といえ    P322

よう。      ㈹前同渡辺論文(P322)は次のように論述している。

㈹ 二審においては,事実認定に関する証人として,     「刑事事件においては,裁判官は法律上の拘束を 新たに二人の生徒が証言台に立っている。いずれも    受けることなく,その「識見」にもとついて自由な 四人の目撃証人よりずっと離れていたし,当該行為    心証をもって証拠を判断し,実質的真実を発見すべ を直接目撃しているわけでもない(r教育と体罰』    きことが,ここでは期待されているのである(実質 P296〜P309)。しかし,この二証人は価値判断基    的真実主義)。しかし,このような期待が現実にな 準の転換という意味では,「生徒対教師」意識にも    るためには,さまざまの条件が必要であり,それら

とつく裁判官の心証形成には大きな機能を果たした    の条件を整えることによって,裁判官の「識見」を と思われる。       コントロールする必要があるであろう。そうでなけ また前出兼子r教育法(新版)』によれば「裁判    れば,ただ裁判官の「識見」にすべてを任せるとい 過程が,裁判官が教育関係者をはじめ国民と共に,    うことにとどまり,それは現実には,しばしば裁判 教育と教育法の問題を学習思考していく過程として    官の「恣意」にすべてを任せるということと同じこ 組織される必要があり,また教育観はあくまで教育    とに帰着する」

条理や教育慣習法を見定める基盤として働くのでな     この「識見」に教育観が置きかわる構造こそが問 ければならない」(P44)としているが,本件では,    題なのである。前出注㈹のように作動しにくいのが       

ウ育観が教育条理等を見定める基盤として働いた結     「第二の教育法関係」型裁判の特質だと言えよう。

果なのかそれとも働かなかった結果なのかは重大な   ⑳体罰裁判がかかえる大きな課題である。

問題である。      この視点を明確に示している裁判としては静岡安 図秩序維持という裁判官の法意識の代表的要素から    東中体罰裁判がある。高野範城「体罰事件の特徴と 言えば,前者は「人権秩序の維持」であり,後者は    教委・学校の責任」(前出r教師の体罰と子どもの

「学校(教育)秩序の維持」という意識への転換と    人権』所収)参照。

いうことになろう。       幽 この点で言えば,本ケースは全く正反対となって

㈲同旨前出安藤「水戸五中事件裁判と判決の特徴」    いる。

㈹裁判過程研究の意義の一つに判決を予測するとい     すなわち,「見ず知らずの他人に対しなされたと うことがある。過去の判例等から,このような事案    した場合には……特段の事情が存在しない限り,有 についてはこの程度の量刑というようにである。     形力の不法な行使として暴行罪が成立する」行為が しかしながら,本件のように事実認定の基準をめ    教師と生徒だから許されるとした(二審判決)ので ぐって,、二つの異なる価値基準が作動する場合,そ    ある。

の予測については,裁判官がいずれの判断基準をも

参照

関連したドキュメント

内容 平均値 値域 55 叩いた相手に、その場でけじめをつけさせる ためにきちんと謝らせるようにしている(R) 3.83 攻撃性 3

を有する。④裁判官は評決権を有しないものとする。の 4

「子ども部屋をうまく利用していた」と評価して

クラス 勉強 小学校では大まかなことしか習わない 考える 相手のことを考えることは今からできる 給食 クラス 返事

0男君たちもよくわからないと言う。これまでの自分なら、ここでいかにも教師らしく自分の考えを

 校長先生は、大きな声であいさつすることを子

容に加えて、モニター機能によって自己の推論過程を絶えず振り返り確認していると考えられる。

X市 a 保育所