授業における子どもの追究過程 : 追究の中核過程と視点の転換
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(2) 50. 山. 田. 勉. この追究の過程一問題を把握し,問題に関連あるものを連続的に追究していき,そこ でえた認識を,さらに科学的・体系的なものへ発展させる過程. を解明するためにほ,. いわゆる授業分析の方法が採られるのが至当である。 授業分析ほ,子どもの思考,認識の過程を,教材や指導の方法との関連のもとに,つま り,授業としての全体性を破壊することなく,動きのあるまま把捉していく,整合的な解 釈を基本とするところの,総合的な授業研究の方法である1'。もちろん,授業分析におい てほ,自然科学においていわれる純粋な実験検証という方法をとることは不可能である。 しかし,授業分析が,単に授業の記述に終始するところにとどまっていてほ,授業の複雑 さ,つまり動的な全体性の微妙な変化にふりまわされて,いつになってもそこから授業法 則的なものを導き出すことはできないであろう。したがって,授業分析においても,なん らかの俣説の定立と,それについての検証という方法を加味して,授業の動きを一定限度 をもって予測することのできる,換言すれば,よりすぐれた授業を生み出すことを可能に する,客観的な法則性を把捉しなければならない。そして,そのような方法が,研究の連 続と発展を保証することにもなるのである。. そのた捌こは,授業分析ほ,数多くの事例蒐集による帰納的な方法のみをとるのではな く,それとの相補的関係を確保しながら,非常にすく小れた授業を対象にして,ケース・ス タディ的な,また演揮的な方法もとらなければならないであろう。すぐれた授業はその全 体的動きにおいてすくtlれているのである。したがって,上記の意図のもとに進められる授 業分析ほ,その全体性を一定の角度から分析し,その全体統一の契機を明らかにしいく必 要がある。. ここでいう_一定の角度とは,すぐれた授業の成立に関する一つの仮説にかかわるもので ある。その俣説は,数多の授業分析的授業研究と無関係ではないが,原則的にほ,学習指 導あるいは社会科教育の原理的論理的追求に即して,浜樺的に導き出される必要がある。 おそらく,数多くの授業観察や分析ほ,この論理的帰結を側面からささえているものとな ろう。だからこそ,この両者の関係を不日補的と呼んだのである。. 本論でとりあげる指導者の授業が非常にすく小れていることは周知のところである。子ど もは活発に思考し,みずから活路を求めて動いていく。教師の指示ほきわめて適切で,千 どもの思考を強力に推進する。このような授業を観察し記録をとることができた場合には, われわれのもっているいくつかの授業仮説の検証をすることが,授業研究者の義務である。 したがって,ここにわれわれのもつ俣説をまず提示し,その俣説が,すく小れた授業のなか. でいかに具現しているか,あるいはまた,その仮説を,すぐれた授業によって検証するこ とができなければ,できないということを,授業分析を通して明らかにしてみたい。 2. 研究の目的および仮説. 追究の過程のなかで,子どもが新しい認識を獲得していくための一つの発見,あるいは 飛躍をする過程を追究の中核と称する。この中核の過程の前後にほ,幾多の重要な諸事実, 例えば,子どもの思考や意図,教師のねらい,教材の意図,また,教師や教材の意図と子.
(3) 51. 授業における子どもの追究過程. どもの認識とのずれ,子どもの認識における内部矛盾等々が,授業成立のための要素とし て存在し機能しているのであるが,それらのすべてが,この中核の過程に集約された形で あらわれているのである。いわば,それらがその総力をあげて授業を動かしていく,つま り新しいものを創造していく過程が,この追究の中核なのである。したがって,追究の質 -主として認識の内容と方向性-ち,この過程を通して決定されていくのである。 本研究の第一の目的は,この追究の中核が存在することをすくやれた授業によって確認す ることである。. さて,この中核における追究の過程はいかなるものであろうか。ここにこそ,教師の指 導性が十分機能する場や,子どもの創造性をはじめとする,われわれがその成長を期待す る諸能力育成のもっとも恵まれた場が位置づくはずである。われわれは,これを,教材の 提示,教師の発問や指示,子どもの発見等を関係づけながら統一的に明らかにしていこう とするのである。. 本研究の第二の目的ほ,それらのすべてが,子どもたちの追究視点の転換という,一つ の集団的なdecision. makingの過程に集約されているという理解から,子どもの追究視 点(略して視点という)の転換過程を明らかにするところにある。 もちろん,この視点の転換の過程分析ほ,つぎにその転換された視点の質の検討にほい るべきであるが,これほつぎの機会にゆずりたいと思う。ただし,以上二つの目的に必要 な限りにおいて触れることにはなるであろう。. 以上の目的をもって,これから授業分析を行ない,その結果を述べようとするのである が,ここで,われわれは分析以前にもっている仮説について触れておかなければならな い。. 学習が追究という形をとることが必要であることほ,本研究においては一つの前提であ る。. さて,この追究といわれる精神的操作的過程(-認識過程)が学習活動として具現して いる場合に,ある一定時間の非常に凝集的な緊張したところの精神的操作的過程が,もっ とも重要な結節的過程(中核卜として授業のなかに存在するというのが第一の仮説である. この中核の前後においてほ,子どもの発言内容や個性的思考の集団思考における関係的位 置に,大きな変化があらわれるほずである。中核が中核としての機能をより強固に果たす ならば,子どもたちの思考は,この後に飛躍的な発展を示すほずである。. (仮説Ⅰ). この中核は,われわれほつぎのような現象となってあらわれると考えている。 ま. まず,中核ほ,追究のゆきづまり("間'')とその打開(転換)という過程をもつ。 (俣説Ⅱ)ゆきづまりとほ,単に因ってしまったという精神的状況だけでほないoそれは, これで解決できたという(安定),相互に考えが衝突し合って動きがとれないという(対立), どうしてよいかわからなくなってしまったという(困惑)である。行動における動的平衡. なのであるoこのゆきづまりは,いつか打開されなければならない。打開されな桝ご,撹 業は動かないのである。 このゆきづまりの打開はどのようになされるのであろうか。打開の過程として,われわ.
(4) 52. 山. 田. 勉. れは追究視点の転換を考えるわけである。視点の転換によって,過去の追究路線の変更, feedback,その他様々な追究の変化が生み出されてきて,新たな追究が再び活発に開始さ れるのである。それは,新たな視点によって,それまでの諸矛盾(ゆきづまりの条件)を. 統一し,新たな追究を組織していくことなのである。 視点の転換過程にほ,主としてつぎに述べる五つの方法(過程)が考えられる。 ①. ゆきづまりから子ども自身の発見によって新しい視点が生み出され,それが集団の視 点として確認され,その視点によってそれ以前の教材(資料)の見直しにほいったり, その視点から要請される新たな教材(資料)の追究に移ったりする。. ②. ゆきづまりの状況を認知した教師が,場の全体的洞察のもとに,個別追究主体として の子どもの個性的な追究にこたえうる幅広い内容をもった教材(質料)を提示し,子ど もたちがそこから集団思考によって新たな問題を見出し,それに適応した新しい視点の. 設定を行ない,新しい追究に移行する。 ⑨. ゆきづまりの状態を認知した教師が,ゆきづまりの打開に有効な新たなる視点を提示 して,それからその視点に対応した教材(資料)を提出する。こうして,新たな教材の 追究に移る。. ④. ゆきづまりの状況を認知した教師が,事前に設定した目標に接近するために,教師の 独自な判断によって必要と思われる視点を指示し,それに対応した教材(資料)を提示 して,新しい追究に移る。. ⑤. ゆきづまりの状況を認知した教師が,教材解説によってゆきづまりの原因や状況を述 べ,追究の方向を指示して新しい追究に移る。 以上の五つの類型のなかで,. ①-⑧ほすく小れた追究が行なわれている場合の視点の転換. 過程方式であり, ④⑤ほ追究対象が必要以上に複雑で程度が高過ぎたり,追究の方法が未 熟であったり,また,追究そのものが未だ追究の過程として十分成立していなかったりす る場合である。. (仮説Ⅲ). 本来であるならば,かくして生み出されてくる視点の質の吟味も行ない,それが,子ど もの社会認識の深化・発展といかに関係があるかという分析にはいるべきであるが,それ は,序で述べたようにつぎの機会にゆずり,本論では,以上三つの仮説の検証を,つぎの すぐれた授業の分析によって行なうことにする。. 3. 授業. の. 概要. (1)社会科学習指導案から (彰. 日. ②. 指導者. ⑨. 単. ④. 単元について. ⑤. 単元目標. 時. 昭和46年11月18日 神奈川県足柄上郡大井小学校. 元. 第4校時. 5年1組担任. 松本健嗣教諭. 日本の工業一枚野織維工場(省略). 牧野紡維工場わ生産をささえる条件を発見しながら,それを近代工業生産をささえ.
(5) 53. 授業における子どもの追究過程. るものとしてとらえていく。そして,その見方で日本の工業に視野を広め,日本の工 業ほ他の産業や技術・資源・市場・貿易などと複掛こからみながら高度化してきたこ とや,工業の発達はそれらの条件のからみあいのあらわれであることを,歴史的な変 遷や地理的なひろがりの変化を通してとらえていく。そして,その発達ほ,また自ら 新しい条件を生み出していくことをとらえながら,産業社会の中軸としての工業の役 割について目を開いていく。 ⑥. 指導計画(省略)8). ⑦. 本時目標. 牧野織維工場には,遠くから大勢働きに釆ているという事実を,単に人手不足とい う量的なものでとらえるのでほなく,工場のもついろいろな条件とのつながりの中で. 見直しながら,牧野織維工場でほ近くから集めにくいので,遠くからも人を集めてい ることがわかる。 @. 子どもにおける目標の位置づけ(省略). ⑨. 本時学習過程と展開4) 局. 子どもの問題. 事実・資料. 方. 考. ら と. わ) (慧習を. え. 方. 前時の. 考えのまとまり 牧野繊維には 遠くから大勢 働きに来てい る一人手不 足. まとまり /. /. /. / /. こからど. らい来て のだろう. の し、 か. -一J. 牧野織維の寮. 北海道. 東 北 潟 る人の出身地 \ 新 を調べる 九 州 近くの人. \贋賢哲管掌≡ にほいってい. 資料. 20人 30人 10人 20人 68人 1. ずいぶん遠 からたく 釆ている \. ・地元の人. 多い. ・遠くから 人ほ女の 方が多い ・関東・中 近畿・中 四国の方 ほ釆てい. なぜ,わぎわ ざ遠くから来. /. /. 工業の盛んな 地方ではそこ に近くの人が. るのだろう. 来ていなし 方ほ工業(の盛 んな地方ブだ. 工業の盛んな. 地方との関係 を考える. 京 浜 中 京 阪 神 北九州 瀬戸内. 工業地市 〝 〝 〝 〝. 集まってしま うから人手不 足になる. 北海道,東北 などほ工業が 盛んでないか ら遠くに出か. けて来る. 牧野撒 維に ほ \ 遠く か ら女 の 人が大 勢働 き に釆て いる.
(6) 54. 醇田電気,め. 患吉宗竿計 かもとの従業 員の通勤範囲 を調べる. 資料. /. 矛. 牧野繊維には 遠くから来て. ている. わかもとには いない. 同じ町内であ. 牧野織維工場. 蒸し暑く機械 の音が激しい. / 工場の中のようすl-. 芸喜う一度見ト ⑳5:00-. りながら. 1:30. 1 :30′-10:00. 一応の. 4:30. ㊨9:00-. いるが,藤田. 2. ′. おかしいな,. 盾. 藤田電気やわか もとには近くの 人ばかりが通っ. ・二宮・小田 原・ 大井・松田・ 山北 ・開成・南足 柄. まとまり. 月給(貸金). 綿くず 近くの人はあ まりこういう. 所で働きたが らない. \ 牧野織椎でほ 近くから人を. 集めにくいの. \iな時刻だ. で,遠くから 集めている. ?. ⑲. 座席表. (省略). (2)授業分節の構造 実際授業の記録をもとに分節分けをし,その分節間の関係によって授業の流れの全体を 整理してみると,つぎのようになる。これによって,授業の概要を理解することができ る。. く第1分節〉. 前時にほ,指導案の「考えのまとまり+の最初にあるように,牧野織維工場にほ遠くか ら大勢の人が働きにきている,多分人手不足だからであろう,という一応の結論に到達し ている。そこで本時ほ,安易で概念的な人手不足論をつきくずし,工場のもつ諸条件との 関連で労働力確保がほかられていることを考えさせるために,まず,他地域しかも遠隔の 地からの人集めの実態に触れさせるところから始まる。そのことを,牧野経線出身地別従 業員数の表(資料1)をもとにして,なぜ,九州や北海道のような遠くから人が集まるの だろうかということを問題とするのである。当然のことながら,子どもたちほ,関係者の. 周辺から直接的にその理由を探ろうとする視点で臨み,就職者の身辺やその地域の生産・ 産業の状況を考え,それをもって理由と考える。しかし,この視点での追究ほ,就職者を 対象に直援調査するか,労働力の地域性問題についての専門的知識をもたなければ,単な る予想に終わるしかない。. く第2分節〉 そこで,子どもたちほ問題を自己の周辺に引き寄せ,理由を牧野繊維工場の諸条件と大 井町の地域性に求めようとしたのが第2分節である。ここでは,子どもたちの経験の範囲 内で,牧野織維工場の女子工員の勤務状況や工場内にある厚生施設について考え,さらに, 大井町の恵まれた自然環鏡のことも考えて,これが遠隔地から人を引き寄せることのでき る理由だと考える。 く第3分節〉. ここでほ再び人手不足論が復活し,遠隔地でほ労働力が過剰なので,関東や大井の方に.
(7) 授業における子どもの追究過程. 55. 職を求めて来るのだということになる。第2分節で考えた恵まれた条件を加味すれば,こ このものほ,前時の単純人手不足論から-一歩前進した人手不足論だということができる。 しかし,教師の,この地域に働く人がいるのかいないのかというだめ押しのような発問に こたえて,人手不足論に対しで浜重な立場をとる者が出てくる。手先の器用な人が不足な. んだという考え方である。 く第4分節〉 教師ほ,大井町やその周辺の地域が人手不足か否かということに重点をおいて問いかけ. ていきながら,大井町内にある藤田電気工場の市町村別従業員数の表(資料2)を提示す る。子どもたちはとまどいをみせながらも,働く人が他の赦維工場に取られてしまってい るとか,藤田電気工場に行ってしまっているとか,また,第3分節の手先の器用さという 条件がないから藤田電気工場には勤務できるんだなどの考えを示す。 く第5分節〉 教師のどちらの工場の方が集まりやすいかとの問いか桝ここたえる形で,牧野繊維工場 の方が,寮があったりするのでよいだろうと考え,給与も高いのでほないかと予想する。 く第6分節〉. しかし,石井の牧野織維工場は機械がたくさんあって大変うるさいという発言を転機に, 牧野織維工場の機械騒音や悪臭が話題になり,若い人や近所の人たちは工場に勤めるのを いやがるのではないかということになる。 く第7分節〉. 第6分節をうけて,牧野披綻工場がもっ諸条件がすべて悪く受け止められるようになる。 勤務時間,給与,昼休みの過ごし方など,牧野繊維工場の方が非人間的工場だという考え 方である。 く第8分節〉. そうなら,牧野繊維工場に勤めた人のうち何人かは他の工場に転職しているはずだとい うことになる。また,牧野級維工場では,機械騒音を小さくしたり,悪臭を除去する努力 をしないのかという疑問が出て,それがなされれば,人は集まるほずだということにな る。. 以上の8分節の目的・内容・機能等を簡略に,かつ構造的に示すと,次真のようにな る。 4. 追究. の. 中核. (1)子どもの認識の転換と中核の存在. 分節関係構造図によってほっきりすることは,本時の授業における子どもの視点の転換 が,第5分節と第6分節との問にあることである。この間に,子どもの事実把握のための 価値基準がいかに転換しかを,もっとも如実に示す事実ほつぎのことでる。. 第2分節に,. 53く露木伸〉 「それに,働くのほね(牧野故維工場で),半日だけなんでし. ょう。あとは何をしていてもいいし,普通の工場などほ,一日中働くことが多いからね。.
(8) 56. く分節関係構造図〉 牧野織維工場にほ地 方出身者が多いのは. 問題Aの提起. / 問題Aについ. ての経験的分 析. 単純人手不足. なぜだろうか. 論. \. 牧野敵維工場と 大井地域の好環. 境にその理由が. /. あるのではなか ろうか. 3. 牧野・大井好. 京浜地区ほ人手 不足で特に牧野 織維工場ほ器用 な人が不足して いるのであろう. 条件論. 第二次人手不 足論. 藤田電気工場に ほ近くの人が勤 めている。なぜ. 問題Aについ. 4. ての資料2に. A'). 対比. 遠くの 人 で藤田 電気工場 は近く の人なの だろう. よる対比的考 察(問題Aの 相対化-問題. 牧野織維工場ほ. 牧野・藤田の. 第二次牧野好 牧野繊維工場は. 条件論. 通勤・勤務等の. 好条件があるの で遠くの人が集 まる. \. く転 換〉 \_ \. 牧野には機械騒 音や悪臭の悪条. 問題A′につ. 牧野工場悪条. 件があるので近 くの人たちは行 かない. いての新視点 を生かした分. 請. 析 牧野繊維工場の. 第二次牧野工. 勤務時間はゆと. 場悪条件論. りがない. 問題. B. 8. ⊥. +エ. 残された問題. 遠くの人ほ知らない. の成. で来るので転職する のではないか。牧野 級維工場も条件整備 に努力しないのか. -. -. --. 牧野に来たんだと思う。+ それにれ. 順接関係 間接的関係 否定的関係. 55く富山〉 「それに半日だから楽でしょう。仕事なんかないし, ピアノなんかあるんだから楽しみのためにも来るだろうと思います。+という.
(9) 57. 授業における子どもの追究過程. 発言がある。地域の自然条件に恵まれているという理由とともに,牧野敵維工場に遠くの 人が勤めるようになった理由として,上のように発言していることをみてヰ)わかるように, 半日勤務(これほ,交替制による勤務が,子どもにはこのように受取られているのであ る。)ほ,労働者に対する好条件と理解していたのである。. それが,第7分節にあっては,つぎのような発言に変わってくる。. 226く岡部〉. 「牧野繊. 維ほ交替して働くでしょう。それでね,よくわかんないんですが,藤田電気ほ通勤してい るし,多分あの一日のうち何時から何時までときまっていてね,交替でないと思うから ね。+ 227く横山〉「牧野織維は,寮にはいっていても朝早いし,夜は交替としても遅いでし ょう。そうだと目はちかちかするとか,午前中はゆっくりでも夜はねむくなるということ 226く横山〉 「あの,昼休みは普通 もあるから,わたしほ藤田電気の方がよいと思うの。+ 30分く1,らいあるでしょう。そうすると,工場でみんな菜しむより,家に帰-Dて30分工. 場から離れて楽しむというのほ,人間として楽しみだと思うの。それでね,藤田電気に大 井町から通っている人がね--. (聞き取れない). --そんなことも。+. 勤務時間の話し合いのと これは,発言者ほ異なるが,半日労働(8時間労働の意味 き, 8時30分から4時45分まで働くといっている-)についての意味づけが逆転して いること,しかもその道転が,牧野繊維工場と藤田電気工場の従業員の生活の見聞という 具体的経験をもとにして考察することによって生じている,つまり,認識の深化が,一つ の事実の認識を逆転させる可能性をもっていることを示しているのである。この事実ほ, 5. 6分節の間に,たしかに画期的な追究活動が存在したことの証左である。. 第4.. っぎに,この三つの分節の関係を考えておこう。 第4分節は,第3分節の第二次人手不足論からみると,それを否定する目的をもって提. 出された藤田電気工場の従業員の住所を示す資料2を中心として展開されたものである。 この資料によって,初期の問題Aほその奥行きを増す。つまり,藤田電気との比較考察 によって,その差異がいかなる理由によって生ずるのかという問題に変化するのである。. っまり問題が相対化され,追究する子どもたちにとっては,解決のための手がかりをうる 反面,考え方は一段と立体化させなければならなくなったのである(問題A′)。しかし, その追究の状況をみると,第3分節からの深まりほほとんど認められない。ただ,牧野織 維工場を藤田電気工場と対比させて,よりよい条件をもっているところだと考えるだけで あって,その結果が第5分節にあらわれている。すなわち,第5分節は第4分節やその前 の第3分節の延長と考えてさしつかえないのである。しかし,第5分節と第6分節との間 には,明らかな断絶がある。ここで,子どもたちの考え方は一転しているのである。この 転換は,おそらく第4分節との関係においてなされたものであろう。すなわち,両工場の 諸条件を対比的に考察することを介して生み出された,画期的なある視点が,この転換を もたらしたと考えられるのである。 以上の考察は,分節関係構造図を中心に行なってみたのであるが,そのことから本時の 追究の中核が,第4分節と第6分節との関係にあり,時間的には,第4.第5.第6分節 を経過する過程にあったとみることができるのである。.
(10) 58. k! ′. ). 鴫垂. ・だ. '& ・R. 笹 a. LE) CY?ニ=eQ ▼一l. 【. 0. くD. 克 郎ノ. ▼-1. 哩. ]王. 瞥. # (a. ・R. *. >@ ′. ロ喝 #. ) r,J4. 芸ヴ. /\. 望. 1喝 鱒 佃 \/. 芸. 差違. 回. ∈〉 の. 旨 忙. rO. i }. ▼・・+. S H 塀 睡I. > i<Li. 望 fJ 顔. トP ′. J_>. 毘. }. 磯. ” i. Cq. 机J. hq; ぎ㌔ 回孟,I 蛋. ヽ/. i1. 堅. ′. 十く. 鳴 '&. ㍗ 人ト. ニ. 噸. ・R @. Iや. 秦. -. co. ノ●. ・R. 岬l. .). 磨. Iや. 哩 Kcq. 寸. I. cO. ). ゼ. /. り. サイ. 戸. 寸 ▼-{. ?. cq._=S3=f3=ey?.<=f3. /. ,F?a e /\. trt. 悼 \/. ・R. /. i. \警. a.:. ;. 4. 4D. =等=宗 T<. ヰ. JI. 'u / /. Y<. l. /. ∫. ぐ. ∫ .1). ∫. ニ. I. ・だ. L ∫ I. tD. 臣1111E. ## e宝 /\. 囲. 輔 匿 秤. ・♂j<. 'q墓. ” 痘 吹 I一一. 樵 \/. ヰノ. ぷ. y・1. I-<. 甲 呼. ・R. ぷ. Iや ′. ,* 合 鍵 り. 贈. cqtt I-+. coo l■+. Q. # 潤 CY? ○つ ∼. ∫ rゝ●. ∼. 義 .ta ト申 /. ). 亡ヽ ∽= l-■. ii:”) ''∼4. ”. a L^・ t♪ 叫望 ′I. I,?惑 }南. ・R 〉. 佃 ヽ′ Iや か CY? ▼・イ. a. * H. l. J. 等 ∼. T-1. LE). i. I. }. .. 人n. ヰノi5. er) 寸. 等 ∼. J. ii. 哩 土. 長. ぐ. 卜重義孟竜三 ). ▼・・+. Q トO 良 il. I J L. tDふ. ♯ (I( 去il ♯ ”羅 'il・将 特 I<. 山A)ニ山名. 敵将}ニ鵜 蕃''(撰磨''& jjtDニ4). 〟. ,ip-I. ′. / ′l. L. 1 E. 逓. /,一才. I. *. ぐ ′. .だ. 骨. ケ{. 蛋. 勺. I. ・穴. Q. 疋ヽ. ∫. S 蚕. lil. ニ. Cq 1計. ・R. 瀬ノ. 4). y-I. ∫ I I. 田. il. 長`'∼4 皆il鳴 ,C. I. トト. 崎. 帖. I. 等 y<. :ヒ ぷ Cq LE) T<. の LE) r<.
(11) 59. 授業における子どもの追究過程 峨. S. 十1 -.≧■. 臣. }. 警芸 # &. トP. ij. 峨. ヽ/. '&. i5 ′. 悪. ぐ. e ^. ヽ/. (. 回. 竪. 。. 握蒜 違憲. 空. 中り. Q. 雪芸首. 恕. ニ. J. 胃 芸. ▲be. 窄. H 振il. &. 4t). *. 1<t: ii. 鵜畑王 Q烏細. く. 望ぐ. ヽ′吋. Q. 望A). E' ♯. 由ニ 蕃佃. 畦 臣. ∼. ;-v妻毒慧 芸謹皇. }. 烏. 《. 潤. サイ. ∼. ti. -.≧■. --. 烏 ∼. 屯. 与. 戒. 人rヽ. t♪ +J. #. +. ′、. ー. /巴. J くb LE). Cq. 駐. §-琶 琶. =く♪ ▼-ヰ. 機. 頼. 垂:≡ 蔓/. e. y<. l喝. 僻 H. 盛 宴. 〆冒 ,.,:Tを l. 〔. l. (. -. .. @]&. 台. 1. J. ト¢. CY? 亡ー. I. T<. ′. l. ). J l I. tLL) LL) =LE) T< T<. ^. 亡. / / /. ^ l l. [ ′. ii 屯. ギ 臼t' 怠 る1. J. ぷ. ぷ. 聖l. 鶴. く∋ くO. 鐙. 提I. TIN. f.11. チ ′. <⊃ J. TI'I. I ′. I ′▼. JR. J. Q. I. .ど. 誤 T<. ′▼. ▲R. l. ). 伸長'il ニe A< Li;ニ 吋 <ゼ ニ. _>. -bJ. &. e. A. I. 恥. 聖. i< 鋸. OLE}. a. S. Y∼. ∼. Tl11. ト I-1. 乙u. 望 e ニ. 鵜 芯. ぷ>. り. # '&. '4). 帳二. J ′. 言1+警J& -ぺ. 亡ー ▼-イ. N t▼・+. やも. tDニ. 4O乍、 'N 4寸 lヽ I-づ.
(12) 60. 山. 田. 勉. (2)第4分節の分析一対立とゆきづまり追究の中核が,第4分節と第6分節との関係ならびにその時間的経過過程にあったとす れば,まず,第4分節の詳細な集団思考関連過程を検討する必要がある。 前真の図ほ,横軸に集団思考の展開過程をとり,縦軸に時間の経過をとったものである。 なお横軸の-. -ほ,申考が中央にむかって収赦していくことを示している.この集団思. 考関連図の分析の結果を整理するとつぎのようになる。 ①. A, 131,. B,. Cほ,第4分節にあらわれた初期の対立を示す。遠藤京の発言(B)に対して, 134. 132,. に対し,. (A)が執扮に反論している。. Aが大井地区には働く人がいると考えるの. Bはいるが不足していると考え,さらにC. ほずはないというのである。. A,. (露木恵)ほ,いれば工場に来ない. B,. Cの対立がいかに激しいものであるかほ,遠藤に 対して,左右両翼からほとんど問をおかずに反論の声が浴びせられている事実によって わかる。. ②. 教師は,この対立を受けて,働く人がいる証拠ほないかと発問し,. 138,. 140の回答. を引き出す。 138は,資料1が牧野織維工場に近くの人が68人釆ていることを示して いることをあげているが,. 140は抽象的である。この教師の発問と子どもの回答は,千. どもたちの思考を明噺にすることはできなかった。. 141,. 142は,多くの子どもたちの困. 惑を代表すると考えられる。 ⑨. この子どもたちの困惑を受けて,教師は藤田電気工場の市町村別従業員数(資料2) を提出する。この資料は上の対立に一つの解決を与える。 147と石井の発言がそれを示 している。要するに(A)が優位に立ったのである。. ④. しかし,この統一も決して疑問を解消しきってしまうほどのものでほない。武井は牧 野繊維工場と藤田電気工場の従業員の出身地構成比に大きな差があることを問題にする。 かくして,問題Aが問題A′に転化するのである。この問題A′ほただちに集団のも. のとなり,宮田,横山,鈴木,露木伸の四つの考えが並列的に出される。 ⑤. この4人の考えほ相互に対立関係をもっていない。それぞれが個別的な発想である。 この相互にかみ合わない,孤立した四つの考えの並列的関係は,教師と子どもの断片的. な発問と発言をみてもわかるところである。. 「ほかに+. 「わかった+というのは,それを. 端的に示している。 ⑥. この並列的で非連続的な発言は,第4分節の後半がゆきづまりに到達したことを示す。 「ほっきりしない+で「おかしい+状態から抜け 子どもたちの思考力をもってしては, 出る道が見出せないのである。この状況を認知した教師は,非常なあせりを感じる。そ れがつぎの発問となってあらわれる。 171. 「ちょっと待って。おかしいというのほどこよ。何がおかしいのよ。+. 172. 「小野君どうよ。どこがおかしいのよ。+. これほ,この指導者にしては珍らしい発問の連続である。 このあせりは,そのままつぎの発問に始まる第5分節に引きつがれる。 「ちょと待てよ,どっちの工場の方が集まりやすい?+. 174.
(13) 授業における子どもの追究過程. 61. 「どう考えたらいい?+. 175. いずれも,子どもの考えを転換し,このゆきづまりの局面を打開しようとする指導者. のあせりがよくあらわれている。どちらの工場の方が集まりやすいかと問われても,今 の子どもたちにとってはそれがわからないのである。当面の問題は,大井地区には労働 力があり,藤田電気工場にほ相対的に多数の人が勤めているのに,なぜ牧野繊維工場に ほ相対的に少ない人数しか釆ないのかということである。これでは明らかにゆきづま りである。 ⑦. 173く小野〉の位置づけ(A′)がそれを端的に物語っている。. このゆきづまりほ,教師の苦心の発問も生きぬまま第5分節に引きつがれる。そして そこでも,藤田電気工場の方が給与がいいのでほないかという予想で終わってしまうの である。もちろん,ここでも教師はほかの考えを引き出そうと努力するのであるが,結 局第4分節以上のものに展開することはないのである。. (3)第6分節の分析 第6分節については,構造そのものが単純なので授業記録をそのまま下にあげる。本授 業の雰囲気をそこから感取することができると思う。なお,第6分節は203Tから224C までと考えているが,その前後若干の発言を含めておく。 200. 石井. 201. C. くほかにある。ほか--に〉. 202. T. 月給ではなくて. 203. T. 石井さん. 204. 石井. (Cは子どもたち). わたしも牧野織維の方が月給が高いと思う。. よくわかんないけど,牧野敵維ほ機械がいっぱいあるので,工場の中がうる さく,気が散って仕事がよくできなくなるときもあると思うの。それだし藤田 電気の方ほね,そういうこともないと思うし,そんなことも関係している。. 205. C. 206. T. 207. 宮田. く付け足し,付け足し〉 それで何。付け足し,. それにね,蒸し暑くて臭くてうるさい音があるでしょ。若い人など臭くてう るさい音があると,なんか年令的に,年からいって,音が高いし,気が散っち やうという人もいるし,あきらめるのが早いという人もいるし。. 208. T. 209. 宮田. そういうところほいやだというんだな。 だからね。藤田電気などほ,どうかなといっているからよかったんじゃない。 そういうところにはいって。. 210. C. く付け足し. 211. T. ちょっと,ちょっと。ここほ,宮田さんのいったことはどうだった。. 212. T. ちょっと,誰がいやがるの。. 213. C. く若い人〉. 214. T. どこの若い人よ。. 215. T. 竹村君。. 216. 竹村. 付け足し〉. いやがるという人はね,大井町の牧野織維の近くにいる人だと思う。.
(14) 62. 217. C. 218. 大津. くはい,はい〉. 近くの家などほ,いろいろな音が高いでしょう。だから近くの人はうるさい からね。. 219. C. くそう,そう〉. 220. C. く違うんだな,質問〉 近くの人というのは,. 221露木伸. 牧野敵維のことをよく知っていて,いやなところだ. と思っちゃうのでね,だから集まってこない。 222. C. くそう,そう〉. 223. T. 近くのっては,こういう人か。こういう若い人たちはこういうのをいやがる のだな。. 224. C. く知っているからな,知っているからな〉. 225. T. ほかにある?. 226. 岡部. 牧野繊維は交替して働くでしょう。それでれ. よくわかんないんですが,蘇. 田電気は通勤しているし,多分ある一日のうち何時から何時までときまってい てね,交替でないと思うからね,. 第6分節ほ,石井の熟慮の結果の発表をもって始まる。彼女の発言はまったく意表をつ くものであった。. 204. 「よくわかんないけど・-そんなことも関係している。+というのは,. それまで十分考えてきたにもかかわらず,まだ自信のもてる考えではなかったことを示し ている。しかし,この発言によって目を開かれた宮田が,直ちにそれを敷術するように引 きついだのが207, 209の発言である。この二人の発言によって,今までのゆきづまりは, まったく新しい方向にむかって動き出したのである。このゆきづまりの打開に勢いをえた 216竹村, 教師は, 211, 212, 214と,この機を逃すまいと子どもを追い込んでいき, 大津, 221露木の発言をえる.そして, 問題点を求めて,. 225. 223. 218. Tによって確認し,さらに牧野織維工場の. Tの「ほかにある?+という発問に移っていくのである。. この第6分節によって生じた認識転換は,そのまま第7分節に持ち込まれ,牧野織推工 (1) 「子どもの認識の転換と中核の存在+にお. 場の労働条件や勤務条件の問題にはいり,. いて考察したように,同じ事実の判断が第2分節とほ,まったく逆転するということにな るのである。. 第6分節は,まさしく,第4,第5分節のゆきづまりが,石井によって打開されたとこ ろから生み出されたものなのである。 5. 中核における視点の転換. (1)石井にみられる個性的転換 石井は,この学級にあってほ発言の多い方ではない5'。しかし,他者の思考に引きづら れることなく,着実にみずからの思考を展開していく個性的な子どものように思える0 「近くの人ほ牧野をいやがっている+ 指導者が事前に用意した座席表によれば,石井は, ことに気づき,それをメモに残している唯一の子どもであを.彼女にとってほ,牧野織維.
(15) 授業における子どもの追究過程. 63. 工場ほすでに見学の対象-教室だけで考えればよい教材-という冷いものではなくて, 彼女の心をとらえた生活課題的なものになっているのである。すなわち,日常の生活のな. かで,様々な社会現象を見るにつ仇. それと牧野繊維工場との関係を考えるといったもの. になっているのである。わたくしは,社会的事実のうち,追究する子どもたちの視野には いり,子どもが子どもなりの問題を感じ取って,これから追究していかなければならない. と考えたり,また現に追究したりしている事実を,問題事実と称しているが,牧野織維工 場ほ,石井にとってまさに問題事実であったのである。. このような石井の牧野敵維工場に対する姿勢ほ,授業が始まってまもなく,第2分節に おけるつぎの疑問となって具体化する。 69く石井〉. 牧野舷維は設備の整っているとこでね,半日しか働かないでいいところだ. というこはね,なぜ九州なんか遠い人たちが・-・。+. つまり,石井自身は牧野織維工場がかなりの問頭をもっていることを経験的に知っている のだが,彼女にも十分とらえられていない条件を,どうして遠い地域の人たちにわかるの かという疑問である。これは,求人運動の展開や職業紹介組織等について何も知らない彼 女にとってほまったく自然な疑問である。しかも彼女は,その工場が近くの人からきらわ. れていることを知っているので,その疑問ほますます深くなるのである。 この石井の疑問ほ,つぎに「そう,そう+という同調を示す声も聞かれるが,結局は対 立の契機となるものではなかったのである。彼女は,この第2分節においてほ,主流の追 究からずれたところに位置づく異端分子だったわけである。そして,第5分節までの長い 間,学級全体の思考の流れにのりながらも,この疑問を忘れることができなかったのであ ろう。まさに,石井における内部矛盾である。それが,学級全体のゆきづまりのなかで強 く意識され,それではわたしの悩み-矛盾-も関係があるのかもしれないと判断して 率直に発言したのが204の発言になったのである。そして,それが結局,ゆきづまりの打 開となったわけである。 (2)新たなる視点のもつ意義. 第6分節における視点の転換は,以上のような過程を-て,主として石井によってなさ れている。そして,その新しい視点は直ちに集団構成員のものとなった。この急速な視点 の一般化にほ,石井の発言をうけた宮田の,さらに具体的で,誰がいやがるかを年令的に 限定していこうとする発言があったことほもちろんであるが,石井の204の発言が,牧野 披維工場の見学に関係があって,子どもたちにとってきわめて具体的であり興味をひくも のであったことに注意しなければならない。この羊うな,石井の提示した新しい視点をも う少し詳紳に検討してみよう。 ①. ゆきづまりにおける視点は,周辺地域には人手があるのかどうかということと,器用 な人を集める牧野織維工場は,給与がよいのではないかという予想とにあらわれている。 それほ,労働人口と採用条件とを組み合わせて,藤田電気工場と牧野織維工場との間に みられる矛盾した事実を説明していこうとするものであった。この結果ほ,当然のこと ながら,労働力は条件のよい方に流れるのであり,牧野繊維工場ほ遠くから人を招ける.
(16) 64. リ+. 田. 勉. 161横山,. ほどの条件をもつ企業だと受け止められることになる。これが,. 167鈴木,. 169露木伸のように,条件によって労働力の流動が方向づけられるのだという発想を生 み出すのである。これらを総括したものが,その理由ほ多様であるが,牧野繊維工場の 給与は高いであろうという判断である。 ②. さて,これに対して石井の提起した視点ほどういうものであったか。. まず,労働人口と採用条件との組み合わせというアプローチほ完全に捨てられている。 彼女ほ何よりも,牧野繊維工場の労働条件に目を集中させたのである。そこに目を集中 させたものほ,すでに述べた彼女の内部矛盾である。このように,労働条件を見ようと する視点ほ,今追究しようとする問題に対して,それ以前のものと比較するとほるかに 直捷的な視点である。そして,彼女自身の内部矛盾にもこたえていく視点である。しか し,その視点は,それ以前の視点からみると,その延長上にあるものではなく,明らか に別の発想にもとづく。以前の視点に執着するものからみれば,間接的であり距離のあ る視点である。 ⑨. われわれが工場労働者の抱えている問題を解明しようとするとき,その問題が何であ れ,工場労働者の具体的な労働条件を分析することほ,その解明を科学的にするために どうしても必要なことである。今,牧野繊維工場において,労働力問題を考えようとす. .るとき,当該工場を,労働条件という視点から追究することほ,問題の本質に接近する ためにほどうしても採らねばならない方法であろう。それほ,採用時における資格条件 のような皮相的なものでほない。もちろんより本質的にほ,その工場のもつ生産力と生 産関係の実態や,企業としての諸側面を総合的に探ることが必要であろう。しかし,そ のようなことは,少なくとも5年生のこの学級の子どもたちにとっては,具体性のない 視点である。さすれば,労働条件を具体的に見ようとする石井の視点ほ,この時期にお いて考えられる最高の視点の一つということができるであろう。 ④. 働く労働者が,ある一定の条件のなかで働いている場合,その条件をどのように受け 止めているかということは非常に重要な問題である。. ⑧で述べたものは,まさに客観. 的・科学的な視点-の転換であったということであるが,われわれが労働者問題を考え. ようとするとき,それだけで十分に科学的方法であるということはでない。客観的に対 象化することは,同時に対自的な見方の高揚を約束しなければならない。そのためのル -トが対象化の過程に確保されていなければならないのである6)。すなわち,子どもた ちが対象をみずからの内に引き入れ,そこで主体的な行為と結合した判断をすることの 可能性が保証されていなければならないのである。工場で働く人の問題を考えようとす るとき,みずからがその人になって考えることができること,工場で働く人の問題を自 分の問題として受け止めようとする姿勢,これらをわたくしは人間的共感と呼びたい。 この人問的共感を基盤として生み出されたのが,石井の視点なのである。働いている人. 間を介在させて,牧野織維工場と藤田電気工場を具体的に考察することを可能にしたの が,この石井の視点である。社会科の学習は,単に学問を冷たく客観的な知識として学 んでいくことのみをねらっているわけではない。複薙でとらえにくい人間のひだを,と.
(17) 授業における子どもの追究過程. 65. きにほ無意味な喜怒哀楽に没するか弱い人間性を,あたたかく包容して,みずからをも その中に見出すことのできる人間を志向しているはずであるoそれこそが他者を愛し, 自己を尊重する人間を形成する基礎になるものである。石井の視点は,実にこの人問社 会科的な要素をも含蓄した視点ということができる。 ⑤. 石井の視点ほ,日常的な経験と見学時における経験とを武器としたものであるo子ど. もたちは,以前に工場内部を直接見学しているにもかかわらず,この点にどうしても思 い及ばなかったのである。しかし,石井の提案に接すれば,彼らにも直ちに,その経験 を生かした新たな発想が可能になる。それを可能にするところに,この視点の重要な意 義がある。. 子どもたちの学習にほ,やはり経験が必要なのである。経験が必要ということほ,単に 直接経験があればよいということではない。経験との関係をとりながら追究が行なわれる ということである。それほ,経験自体がつねに必要だということでほなくて,わたしのい う有機的な知識として,経験が確保されていることが必要なのである。そこでは,経駄は すでに客観的概念と有機的に結合し,開かれた組織を形成し,つねに新たな経験や知識, また問題事態に対して広くチャンネルを開き,知識の再組織化がすすめられる。このよう に知識・経験の有機化がすすんでいる個体にとっては,わずかな直接経験が新しい発想と 対象の的確な把捉をもたらすのである7)0. 以上の諸点は,石井の提起した新たな視点をやや分析的に考察したものであるが,それ らほ,おそらく追究のための有効な視点がもつべき重要な属性のように思える。今後さら に理論的に検討し,新たな仮説として提起さるべきことがらである。 5. 追究の中核における教師の指導性. 最後に,このような追究の中核において,指導者はいるなる指導性を発揮しているかに ついて述べてみたい。. 本授業の形式的特色は,教師の適切な発問にささえられた子どもたちの討議-集団思 考が,授業を進展させる主役であるところにある。教師はまったく解説をしないのであるo そして,教師のきわめて短い発問が授業の展開を左右しているのであるが,この発問が子 どもたちの追究と形式的内容的にいかにかかわるかを考察してみたい0. まず,授業記釦こ残されている発問のすべてを,その機能において分顕してみたい。 発問カテゴリーの定立については,立場によって異なるものがあるが,ここでほ,追究 としての思考過程といかなる関係をもつかという観点によって,つぎのカテゴリーを立て ることにする。 ①. 指名 っねに多数の子どもが同時に挙手をするので,教師がその場に応じた目的によって特 定個人を指名する。. ②. 既習事項についての確認のための発問(既習事項の確認) 討議のなかに提起された事項が既習の事項と関連がある場合,その既習事項を確認し.
(18) 66. 山. 田. 勉. て共通のものとしておく働きをもっ。 発言内容についての確認のための発問(発言内容の確認). ⑧. 討議のなかでの発言内容がみんなに理解されて共通のものになっているか否かを確認 する働きをもつ。 発言内容や発言意図等についての疑問を提示する発問(疑問). ④. 討議のなかでの発言について,その意図や内容を教師が理解できない場合に,発言者 に問いただして,発言の意図や内容をみんなのものにしていく働きをもつ。 発言をうけて,さらに考えていく方向を内包した指示を,間接的に行なうための発問. ⑤. (思考の方向性の暗示) 発言の意図や内容がよくわからないふりをして問いただしたり,子どの発言をさらに. 立ち入って尋ねたりして,子どもが考えていく方向を間接的に指示する働きをもっ。 ⑥. 思考対象を明示する指示(思考対象の指示) 非常に細かいことで,子どもの思考を特定の事卦こ集中させる働きをもっ.. ⑦. 思考の新しい展開を期待する指示(新展開の指示) ある時点でのゆきづまりを打開する意図をもっが,方向性を明示しないので,子ども たちには並列的な思考展開を期待していると思われるところがある0. ⑧. その他. 以上のカテゴリーに従って,授業記録の教師発言を分類し,その頻度を分節ごとに示す く教師発問回数〉 \. 分 2. 10. テ. 28. \. 7o. ゴリ. 14. 16. 46. の. カ. 5. 10. 52. 8. 47. 18. 29. 54. 22. 10. 21.7. 17.9. 30.8. 29.8. 3. 2. 6. 3. 1. 2. 2. 0. 既習事項の確認. 2. 0. 0. 1. 0. 0. 0. 0. 発言内容の確認. 2. 2. 3. 2. 2. 2. 6. 1. 疑. 0. 1. 0. 0. 0. 1. 1. 0. 思考の方向性の暗示. 0. 0. 3. 5. 5. 3. 4. 0. 思考対象の指示. 3. 0. 4. 2. 1. 0. 2. 1. 新展開の指示. 0. 0. 0. 1. 0. 0. 1. 0. 0. 0. 0. 0. 1. 0. 2. 0. 34.5. 36.4. 33.3. 20.0. \. 指. そ. 名. 問. の. 他.
(19) 授業における子どもの追究過程. 67. と前頁のようになる。なお,この発言回数ほ授業記掛こ残されたものであって,発言のす. べてでほないし,発言の長さや内容等についてはまったく顧慮していない。ただ,教師が 子どもたちの発言の合間に,どんな姿勢で自己の指導意図を挿入しようとしているか,そ の全体的な傾向をとらえることができる.とりわ机各分節ごとに教師の発言率(今後こ の数字によって示されるものを指導の干与度と称することする)の変化ならびに指導性を 「思考の方向性の晴示+ 「思考対象の 考えるうえで重要な楼能を有する「発言内容の確認+ 指示+の発言回数の変化をみると,教師が各分節でいかなる指導性を発揮しようとしてい るかが明らかになってくるのである8'。以下この裏からとらえられる教師の指導性につい て整理してみたい。 ①. 教師の指導干与度は第4,第5,第6分節,とりわけ第6分節が高いo指導者の指導 性がもっとも加えられた過程がここにあるとみることができる。思えば,第6分節は視 点の転換があった分節である。. ②. 子どの思考の方向に対する干与を示す「思考の方向性の暗示+としての発問回数は, 第4,第5分節において最大となり,視点の転換のあった第6分節において減少する。. ⑧. 第6分節の転換をう仇その視点での追究がもっとも集中的に行なわれた第7分節に ぉいては,. 「発言内容の確認+のための発言が急激に増加する。教師が子どもに期待す. る認識について,ここでもっとも具体的に討議されたようすがうかがえる。 「思考の方向性の暗 ④ 第7分節ほ,このように確認のための発問が多いばかりでなく, 示+回数も多い。子どもの思考の対象,すなわち考える的がしぼられてきているので, その思考対象がすべての子どもに確実に把握されることをねらったところから生ずる傾 向と思われる。 ⑤. 「思考対象の指示+ほ第1分節に多くあらわれ,さらに第3分節で急増し・その後漸 減する。第4,第5,第6分節においてほ,このような直接的指示があまりないことに 注目しなければならないであろう。. 以上の考察によって,指導の干与度がたしかに追究の中核において高まっていることが ゎかる。しかも,その高まりは,発問カテゴリーからいって,かなり意味深い動きである。 以下,発問の質をさらに吟味しながら,追究における指導性を考えてみたいo まず,子どもたちが追究する対象についての解説がまったくないのが本授業における大 きな特色である。普通,追究対象-教材は子どもに理解させる目的をもって解説される のであるが,本授業にあっては,その機能を子どもの発言が完全に果たしているのである. 教師の指導性は,このような子どもの発言を組織していくところにあって,そのための具 体的方法が教師の発問なのであるo発言力テゴリーは,このような組織化が,コミュニケ ーショソの組織化という具体的方法を介して,対象の本質に接近することを可能にするた めに経験的に精錬された指導技術の反映である。 このような機能をもつ発問の一つが,子どもの発言内容の確認のための発問である。集 団による討議によって追究が行なわれるためには,この一見常識的な発問が,タイミング と内容との関係を十分とらえて効果的になされる必要がある。子どもたちの全員によく理.
(20) 68. 山. 田. 勉. 解されたものかどうかということ,今後の追究にとって意味ある内容を含んでいるので, それとなく子どもたちの注目をひいておくことも兼ねて,確認することもあろう。また,. 発言についての評価を子どもたちに求める効果をもっこともあろう。いずれにしても,こ の確認は発言者や発言を聞きながら考えている子どもたちにとって,かなり多様な受け止 め方を期待できるものである。しかし,その主要なねらいほ,子どもの発言が,子どもた. ちに十分理解され,それが今後の追究にとって必要な認識や知識になるほずであると考え る場合に多用されるものであって,第7分節にもっとも多いという事実ほそのことを立証 するものである。. 子どもに焦点づけた思考をさせるためには,今ほ何を考えるべきだという指示も有効で ある。本授業においては,長々と説明的になされることはなく,多くほ疑問や指示代名詞 をもってなされるが,これも子どもを強引にある一点に押しつけるのでなく,子どもみず から求めてそこにいくという主体的追究-の深い配慮のあらわれであると思う。 本授業においてもっとも重要な発問が,子どもの発言に即しながら,発問の形式で子ど もの思考の方向をそれとなく指示していこうとする発問である。これほ,子どもの発言自 体に新たな,また必要な方向性が内包されていることと,教師の発問自体もそれに包摂さ れていて,しかも新たな方向への指示があるというところに重要性をもつ発問である。そ れほ,問援的であるべき教育の原理にもっとも即応した追究組織化の方法ということがで. きるであろう。第4分節の137Tと139Tほ証拠を求めるものであり, 考を事実に即して展開することを要求する発問である。また,. 156Tは,忠 171. T,. 172. Tなどは,千. どもの疑問を引き出すことによって,それにこたえていく思考の展開をそれとなく指示す るものであろう。. 以上の考察によっても明らかなように,子どもの討議を中心とした追究ということほ, 教師の指導性がないということではない。本授業においてほ,発問の内容とタイミソグに よって,子どもの追究を組織化することと,追究の方向と思考の対象についての非常に高 度で間接的な指示がなされているのである。. より主体性のある追究の実現のためには,このような指導性も排除していくことが望ま しいようにも思われるが,ほたしてそうであろうか。追究の中核において,より多くこの 間按的な指導があらわれているという事実ほ,問題がそう簡単でないことを示しているよ うに思える。間接的指導によって,社会的事実の問題性により深くはいりこめることも考 えられることであるし,それによって,さらに追究の方向性がより望ましい方向に向かう こともありうるのである。また,指導者の個性や能力と,子どもの追究経験や能力の問題 もある。今後さらに研究をすすめなければならないことがらである。 6. 結. 語. われわれ授業観察者のすべてを感動させた授業,したがってそれは全体的によい授業だ という印象を与えた授業によって,われわれの仮説はある痘度実証されたように思う。も ちろん,だからといって,授業仮説(学習指導案)を作成する場合に,われわれの仮説を.
(21) 授業における子どもの追究過程. 69. 盛りこめば必ずよい授業ができるという,いわば自然科学的な法則定立としての授業法則 でほない。ただ,本授業を成立せしめる重要な契機として,追究の中核と視点の転換が存 在し機能したことほ事実であることがわかるのである。以下,このことを結論として整理 しておく。 ①. 中核の存在(仮説Ⅰ) 追究にあたって,中核としての過程はたしかに存在する。授業が子どもの認識の変 1時間の授業がそ 化・発展(もちろん1時間の授業のみで達成できるものではないが, のための一過程であることはたしかである)を目的とするならば,その認識の変化・発 展につながる精神的操作的集中が過程として存在することが分節構造ならびに,脊節内 の発言連関の分析を通して明らかになったのである。. ②. ゆきづまりと打開(坂説II). 追究の中核は,ゆきづまりとその打開という二つの過程を契機としてもっていること を,本授業の分節の分析が立証している。本授業のゆきづまりはかなり長期にわたって, しかも並列的思考の提示による困惑の様相をおびて現出した。一般に,対立ほゆきづま. りを生む一つの原因であるが,多くの場合それは,統一視点の発見とその後の安定,そ してそれが結果的にゆきづまるという過程をとる。第4分節の過程はこれに似てはいる が,対立のあとの統一はきわめて微弱であり,不確定要素をあまりにも多く含みこんで. いるので,つぎの動きが急速に個別的拡散を呈し,並列的思考となって困惑におちいる のである。. このゆきづまりは,石井の発言を契機にしてはっきり打開される。たしかに,ゆきづ まりとその打開は,追究の過程において中核的な位置を占める過程として存在している のである。 ⑧. 視点の転換(仮説ⅠⅠⅠ). 追究のための視点の転換は,まず第4分節における,牧野織維工場と藤田電気工場と の対比によって,牧野織維工場に遠隔の地からたくさんの従業員が釆ている理由を明ら かにしようとする問題-の転換からその準備が始まる。藤田電気工場の資料ほ,子ども の労働力過不足論問題を受けて,労働力の存在を実証するデータとして示された教材で あるが,その真の目的ほ,新たな追究視点の設定にあったのである。しかし,その結果 はついにゆきづまりを招来し,教師の意図した展開にはいたらなかった。ところが,こ のゆきづまりが,それまで主流からずれたところにいた石井の提起した新しい次元の視. 点によって打開されたのである。石井の視点のもつ意義はすでに述べてあるので,ここ であらためて触れることはしないが,それはたしかに,人間的共感と,問題事実-のよ り科学的な接近を示す視点であった。そして,それゆえに,個人の視点から直ちに集団 の視点に一般化したのである.ここに,視点の転換が,問題事実の本質-より技近する 形で実現することが,追究の発展にとってどうしても必要であると思わせる根拠がある。 しかし,このことほ,理論的にさらに考えてみるとともに,この間の経,過がよりとらえ やすい授業事例によって検証されなければならないことである。.
(22) 70. 山. 田. 勉. 石井にとって,この新しい視点はひらめきといえるものではない。ただ初めから解け ない疑問を率直に提起したにすぎないのである。彼女の内部にわだかまる矛盾を,その まま関係があるかもしれないと考えて集団の中に投げ込んだものである。集団思考の展 開からいえば,疎外されていた思考が,ゆきづまりの間隙にほとばしり出たものである。 そのた捌こほ,第4分節の資料も,すでに発問分析で述べた教師の指導性も不可欠な要 件であった。それらが,いずれも子どもの追究のうえにのってなされたところに,本授 業のよさがあったと考えられる。これほ,仮説ⅠⅠⅠのすぐれた視点の転換を示すもので ある。. ④ 教師の指導性 本授業は,今までのすべての分析的考察が示すように,教師の指導干与度ほ,一般の 授業からみると非常に低いものである。しかし,その干与の質ほ,逆にきわめて高いも のがあり,指導性は高く発揮されたと考えてよいであろう。そして,その指導性の高さ を保証するものが,重要な過程で採られた間接指導としての発間である。 教育がきわめてパラドキシカルなものであることほ,多くの人によって指摘されるよ うになった。このパラドックスをパラドックスとして生かしていく指導原理が,この間 接性である。子どもの発想,その根底にある社会認識や生活など,それらのすべてを統 一的に把握する子どもの"統一された生活”9)にのりながら,教師の豊かな指導性を発 揮しうる方法ほ,この間接的指導しかないのである。本授業において,間接的な指導が 豊かな実りをあげていることほ,われわれの仮説をささえる教育の原理把捉の妥当性も 立証することになるのである。 注 1)授業分析という授業研究のための方法を樹立した重松鷹泰氏によれば,授業分析とほ「授業を できるだけ精細にかつ客観的に観察し記録し,それを素材に研究すること+のようであるが, そのねらいは, 「授業そのものの改善を図る+というよりは, 「授業改善に貢献すべき教育理論 そのものを強敬な真に実践を指導する力を持ったものにしようとする+ところにあるという。 そして, 「授業を,それに参加している教師,子ども,さらに教材に代表されている先覚者(先 進者)の物の考え方の緊迫した交渉として捉えるところ+に,授業分析の要点があるので,そ のためには, 「従来の仮説に安住してこれに依存することをやめて,授業の流れの中にあらわ れてきた諸事実の関連を合理的に説明すること,換言すれば授業の中にあらわれている事実を もって授業そのものを説明することを求めていくべきだ+という。これが要するに「諸事実の 関連的斉合的解釈+が授業分析の方法的原則だといわれるゆえんである。重松鷹泰「授業分析 (11頁-28頁) の方法+明治図書1968年, 2)松本教諭ほ,福沢小学校・松田小学校において,井上喜一郎校長のもとで教育研究をすすめ, 松田小学校の社会科教育研究の責任者であった。非常にすぐれた授業によって子どもを変え, 親の信頼をえている。ここに分析する授業も彼のごく普通の授業であるが,観察した東京教育 大学教員研究生と大学院生たちは,深い感動をおぼえ,みずからの実践と研究の遠く及ばない ことを悟ったという。現在ほ,大井小学校において,評価と社会科の研究をすすめている。 3)指導計画の概要ほ下記の通り ① 工業とわたしたちのくらしとの関係を,工業製品とくらし,公害などからとらえ,工業を学 習していく背景(問題)をつくる。 ② 大井町やその周辺の工業を調べ,その現状や消長をとらえる。.
(23) 授業における子どもの追究過程. 71. (勤 日産自動車工場を見学する。 (遠足) (む 牧野織維工場を見学し,牧野繊維工場の生産をささえている条件を発見し,自動車工場の生 産の仕方と比べながら,機械生産の意味をつかみ,工業を見る視点を確立していく。 (ア)見学する (イ)水や動力がどのように使われているか調べる(3). (ウ)糸の生産がどのようにされているか調べる(機械と人) (7)一本時その(1) (-)原料や製品の動きや売るための工夫や努力について調べる(5) (オ)牧野織維工場と他の工業とのつながりを調べる(5). ⑤. 牧野織椎工場や大井町の工業の移り変わりを調べながら,その背景に日本の工業の移り変わ りがあることに気づき,それを調べる。. ⑥. 工業とわたしたちのくらしとの関係を再び考える。 以上は当初の単元指導計画で,実際に展開した内容とほかなり変わっている。ただし, ⑥までの大わくはそのままである。 4)本時学習過程と展開の表現形式は独特のものである。松田小学校が「松田小方式+として開発 したものである。井上喜一郎・松田小学校「社会科の本質にせまる単元構成と指導+東洋館 参照 1970年 5)ちなみに,われわれがつぎに観察した3月7日の授業では,記録に残る発言ほない. 6)拙稿「社会科における知識の評価(そのⅡ)一発展する知識の構造とその評価のための視点 (横浜国立大学教育紀要 第十集,拙著「追究としての学習+所収)参照 7)前掲論文参照。 8)発言回数についての数字の客観性は,本授業ならびに松本教諭の他の授業との関係においのみ 成り立つものである。したがって,各分節問の比較ほ意味をもつが,この数字を,同じ方法で 数えた他の授業者の発言回数と比較することはまったく意味がない。 9)拙著「追究としての学習+孝明書房1972参照 -. ①-.
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