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教育裁判と教育権 : 教育権に関する判例

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(1)

一―教育権 に関す る判例一一

社会科教育教室 細 l―

l

戦 後 教 育 裁 判 の概 観 戦後

,特

に1960年代以降わが国の教育界 に「教育裁判」事件が頻発 し

,わ

が国の教育界 が諸外国 にも

,そ

の例 を見 ない教育紛争 という不幸 な状態 を重ねて来たが

,そ

の間

,多

くの「教育判例」 を 成立せ しめた。以下 これ らの内

,教

育権 と関係す る主な ものについて考察 をしてみたい。 戦前

,明

治憲法下のわが国は

,天

皇制絶対天皇主権 の国家であ り

,行

政権の絶対的優越 の国家体 制であった。かか る行政権の絶対的優越性 は

,先

進諸国に くらべ

,著

しく遅れていたわが国の国カ を早期 に とりもどすため

,つ

まり「富国強兵」の早期実現のために必要であつたのである。 か くして明治憲法下の教育 も

,こ

の富国強兵 の 目的実現の基礎 をなす もの として重視 され

,教

育 は

,い

わば

,超

憲法的事項 として

,統

治権 の総績者たる天皇の命令 という形式の

,い

わ ゆる勅令主 義 に拠 って行なわれ

,国

民の意思 に もとづ く`法″ によってではなかった。そのような教育体制に は

,被

支配者だつた国民の意思 を反映 され る教育 の制度的仕組 みな ど全 く用意 されてはいなか った と云 ってよ く

,国

民 には

,た

だ国家権力が行 な う教育 を無条件

,無

批判 にうけることだけが義務づ けられていたのである。その国民の教育 をうける義務 は

,明

治憲法下では

,ほ

かの兵役・ 納税 とな らぶ国民の三大義務の一つである とされていた。 こうした建前 によって組織 され

,制

度化 されていた明治憲法下の

,文

字通 りの「義務教育」 をは じめ とする公教育 は

,

したが って「教育勅語 を中心 とす る天皇制価値体系の注入の場である」 とい われ るように(り

,国

民 に国家主義・軍国主義の教育 を無批判 に受 け入れ させ るための一つの制度 で も あった②のである。 かか る明治憲法下の教育 は

,天

皇の大権事項 として,国民の権利 としての教育 は全 く否定せ られ, 富国強兵の国家 目的実現のための政治的手段 とされていた。従 って学校教育 について国民の権利の 主張 としての教育裁判 は極 めて少 な く

,学

校事故 にもとづ く損害賠償の訴求 も

,純

然た る施設事故 について民法の適用 により民事司法事件 として設置者地方団体 に対 してなされえたのみであつた0と 考 えられ る。(大判大正5・ 6・ 1) これに対 し

,日

本国憲法が国民 に,「裁判 を受 ける権利」を保障 した戦後 においては

,早

速 に相 当 数の教育関係判例が生 まれるところ となった。 しか し

,戦

後初期 における教育裁判 は

,学

生生徒および教育公務員の処分事件 にかんするものが 主であ り

,そ

の判例 は

,一

般 に

,い

まだ戦前 い らいの伝統的な行政法論理 を教育行政上 に適用す る 哲

(2)

といった態度で学生生徒の「教育 を受 ける権利」の保 障 (憲法第26条第1項

)や

教員 としての特別 身分保障 (教育基本法第

6条

2項

)に

もとづ く教育法論理 を活かす ような教育判例 となるにはい たっていなかった と見 られ るにち 1960年に入 って

,教

員の勤務評定事件

,学

カテス ト反対闘争が全国的に波及するに したが って, 教 育裁判が各地 に展開せ られ

,教

育裁判例が多 く形成 され ることになる。 1958年頃よ り

,日

教組 の支援 の下 に教師の勤務評定反対闘争が全国各地で開始せ られ

,こ

れ らが 「勤評事件」「勤評裁判」 として全国各地の法廷で取 り扱かわれることになった。 この「勤評事件」 によ り

,校

長が勤評制度 を通 じて教員の教育活動 を常時監視 してい くことになれば

,教

員の「教育 権の独立」原理 にふれて くるのではないか

,

とい う教育法的問題があ らためて提起 され ることにな った。 この勤評裁判 にたいする判例 は

,1962年

か ら集積 を見せ

,そ

こでは教員勤評 をめ ぐる教育法的問 題 はあま りとりあげられず

,む

しろ

,勤

評反対 ス トとい う公務員の争議行為 を `あおった″か どで 地方公務員法違反 に問われた教組役員が処罰 され るべ きか どうかが焦点 となっていった。 勤評裁判 としては他 に

,校

長の勤評義務不存在確認訴訟 (仙台高裁秋田支部判昭和37・12・

19,99

事件 など

),評

定書不提出校長の処分事件 (広島高判昭和43・ 6・

4,74事

,東

京地判昭和47・ 3・

24,84事

),教

員の 自己観察表示義務不存在確認の訴 え (長野地判昭和39・ 6・

2,85事

件, 最判昭和47・ 11・ 30判例時報689号

)が

あったω。 しか し

,い

ずれ も

,勤

務評定制度 に関係 して, 教師の教育権問題の本質的究明 はされず

,単

にそれが問題 として意識 さるに とどまった。従 って, これに対する明確 な判断は示 されなかったようである。 1962年

,文

部省の教員研修会である「伝達講習会」が各地の教員組合の阻止行動 に出会 うなかで, 一連の講習会反対刑事事件 を発生せ しめ

,こ

れに関す る判例 を生み出 した。判例上では

,学

習指導 要領の法的拘束力の有無や指導助言的教育行政の原則がかな り論ぜ られているが(大阪高判昭和37・ 7・

18,30事

,福

岡高判昭和39・ 5・

4,28事

件 な ど),「教師の教育権」 にかかわ る学校 の教育 課程編成権や教員の研修上の権利が十分 に論究 されてい るとは必ず しも言 えない6ち ひき続 いて とられた文部行政措置が

,1961(昭

36)年

か ら

4年

間にわたる「全国中学校一せ い 学力調査」であった。 これ は

,文

部省通達で地方にたい して調査要求 をす る という形であったが, 文部省内で学習指導要領 に準拠 して作成 した五教科の試験問題 につ き,私学 をふ くむ全国の中学2,

3年

生約450万人 に記名で受験 させ るという `学カテス ト″の実質 を もつ ものであった。 この学力 テス ト及 びその成績評価が教員の主体的参加 な しに教育行政措置 として行 なわれ るという点 におい て,「教育権の独立」にかかわ る問題 として提起 され ることになった。 そこで

,こ

の学 テが教室で行 なわれ ようとす ることに反対 した教員の実力阻止行動が

,公

務執行妨害罪や建造物侵入罪 な どに問 われた とき

,刑

事事件の形 をとる一団の教育裁判が成立する ところとなった。か くして地裁 。高裁 の判決 は 16に のぼ り

,学

テの違憲 を判定 しない適法性 に疑 いを示 した判決が

9け

し幌高判昭和43・ 6・

26,18事

,福

岡地裁小倉支部判昭和39・ 3・

16,32事

,仙

台高判昭和44・ 2・

19,34事

,大

阪地判昭和47・ 5・

22,静

岡地判昭和47・ 4・

7-教

員処分事件 な ど

),学

テの適法性 に問 題な しとした判決が

7(熊

本地判昭和37・ 9・

14,20事

,盛

岡地判昭和41・ 7・

22,19事

件, 仙台高裁秋 田支部判昭和41・ 9。

1,33事

件な ど

),

となっている0。 これ らの学カテス ト裁判 を通 じて教育権問題が正面か らとりあげられ

,教

員の「教育の自由」ない し「教育権 の独立」が検討せ られるに至 っている。 しか し,「教育権の独立」を一定限度で認 めるもので も

,教

育 内容 にかんす る 教育行政 を全 く否定す るもので もな く

,ま

た教育権独立の保障範囲は依然 として明確 に判示せ られ

(3)

ていないのである。 その他学校事故 に もとづ く

,刑

事・ 民事の学校事故裁判が戦後

,児

童生徒の人権 の確立 と関連 と して多数発生 しているが

,直

接教育権問題 と関連がないので省略す る。 1960年 代の一連の判例 に公立学校教員の超勤手 当請求訴訟がある。教育行政 当局 は長 く

,超

勤手 当は教員の時間的不確定 な勤務 には出 さないとの態度 をとって きたが

,裁

判上 はうち続 く教員側の 勝訴であった。 これ により

,教

員の聖職論 は影 をす くめ

,教

員 も労働基準法の保護 をうけるべ き労 働者性 を有することが改めて確認せ られ るに至 った。 1970年 代の教育裁判 の筆頭 は東京教育大学家永二郎教授の提起 した教科書裁判 に集約 し得 るであ ろう。 これは

,家

永教授が

,そ

の著高等学校 日本史教科書「新 日本史」の検定 を巡 って提起 された 二つの訴訟である。すなわち,その 1つ は

,昭

40年

6月 12日 に提訴 された損害賠償請求訴訟で, いわゆる「第一次教科書訴訟」であるが

,原

告執筆 の「新 日本史」の昭和

37年

の検定申請 にかか る 不合格処分および昭和

38年

の検定申請 にかかる条件付合格処分の

2回

の検定処分は,いずれ も違憲・ 違法であ り

,こ

れによって多大の精神的苦痛 を被 り

,か

,不

合格 による発行不能のため予定 され た印税収入 を失 ったので

,国

(文部省

)に

対 しこの損害 として約190万円を請求するというもので ある。 いま 1つ は

,昭

42年

6月 23日 に提訴 された検定処分取消請求訴訟 で

,い

わゆる「第

2次

教科書訴訟」であるが

,

これは原告が執筆 し

,昭

和38年の検定 申請 に合格 し

,す

でに学校 において 使用中の「新 日本史」について昭和

41年

に行なった改訂申請 (検定済教科書の一部 を改訂 しようと するもの

)に

かか る一部不合格処分 は

,違

憲・違法であるので

,そ

の取 り消 しを求めるというもの であった0。 1970年 7月 17日 に東京地裁民事

2部

杉本裁判部が下 した検定不合格処分の取消判決

,マ

スコミに乗 って国民のなかに広汎に知れわた る教育判例 となった。 そ して

,こ

の判決 は

,国

家の教育権 を否定 し

,国

民の教育権 と「教育の自由」 を認 める画期的な もの として注 目せ られた。 しか し

4年

後の1974年7月 16日 には「第1次家永 。教科書裁判」の判決が東京地裁民事第

3部

高津環裁判長係で言 い渡 され

,高

津裁判長 は判断の前提 に国家教育権説 を置 き

,現

行教科書検定制 度 を合憲合法 とし

,憲

法問題 についての家永教授の主張 をことごとく

,退

けた。 その他1970年代 における教育裁判例 は近年の教育紛争の多様化 に合せて教育判例 も多様 な展開を 示 している。学生生徒処分関係

,廃

校措置に伴な う就学関係

,職

員会議の決議 に関す るもの等 に教 育判例の中身 もヴ ァラエテ ィーを増 して きているが

,生

徒 と父母側が学校 と教師 を訴追 してい く教 育裁判 (新潟地決昭和47・ 4・

28,37事

)も

見 られ

,教

育権問題 については

,い

まだ明確 な判例 法・慣習法は

,成

立 してないのが現状であろう。 次節以下には

,教

育権問題 に関する代表的判決例 をあげて

,若

干の検討 を加 えてみたい。 伺 教 員 の勤 務 評 定 裁 判 と教 育 権 昭和32年 12月

,全

国都道府県教育長協議会が勤務評定実施 の方針 を打 ち出 し

,こ

れに対 し

,日

教組 は直ちに臨時大会 を開催 し

,勤

評絶対反対の線 にそって勤評反対闘争 に入 ることを宣言 した。 これ を契機 として

,各

地で勤評反対闘争が展開 されてい き

,そ

の後

,こ

れに関連す る数多 くの判決 が次々 と出されてい くのである。 この勤評裁判 といわれるもののなかには

,勤

評闘争

,一

斉休暇闘 争にたいする地方公務員法第37条第1項,同第61条第

4号

の地公法上の争議行為禁止規定一

-1948

年マ ッカーサー書簡 に もとづいて公布 された政令201号に根拠 をもつ一― によって起訴 され

,こ

れ にたいする違憲性 の追求

,地

方公務員の争議行為の限界が問題 とされた一連の ものがあ り

,こ

れ ら

(4)

は「地公法違反事件」裁判 ともよび得 るものである。12件が全員無罪

, 3件

が有罪

, 1件

が有罪 と 無罪であるが

,勤

評事件のみを取 りあげてみると

9件

無罪

, 3件

有罪

, 1件

有罪 と無罪 という構成 となっている0。法律的な面のみか らいえば,勤評裁判 は,勤評 という重大 な教育問題 を含みなが ら , 争点 は

,公

務員の争議行為禁止規定の違憲性 をめ ぐるものであ った。 しか し

,裁

判闘争の内容 は, 労働裁判的性格 を越 えた教育論争 を含 む教育裁判であった とい うことがで きる0。以下 これ らの事件 の中

,代

表的な福岡地裁の福 岡県教組事件の判例0を 取 りあげてみると,その判決の要 旨は

,次

の如 くである。 (組合幹部4名については有罪一―他 は

,全

て無罪)

1(1)福

教組 が,「既 に法で定 め られた勤評 につ き,そ の内容 に立 ち入 って これを合理的民主的な ものにすることについては何 ら顧慮若 しくは努力することな く

,頭

か ら勤評 の実施 その ものを一斉 休暇闘争 という実力行使 に訴 えてで も阻止 しようとし

,或

は本件後 に観 られ る如 くこれ を骨抜 きに する方向に走 った ことは

,当

裁判所 として

,今

なお納得す ることがで きない」。「福教組が本件闘争 の主要な目標の 1つ として

,反

動文教政策の阻上 とい う政治的」事項 を掲 げ

,合

法的 な手段 を尽 く す ことな く,「敢 えて一斉休暇 という実力行使の挙 に出た ことは

,右

教育 の中正独立 とい う点か ら観 て も

,こ

れ亦情状 として留意 を要す るところであろう」。 修)県教委 は,「本件勤評制度 については

,決

して問題がないわ けではな く」,「十分の検討 を要すべ きものがあったのに

,当

局 においてこれ らの点 に関 し周到な配慮 を施す ことな く

,殆

ん どこれ を願 慮 した形跡 さえないことは

,そ

の性急な態度 と共 に

,一

層組合側の疑心 を増大 させて

,勤

評の内容 についての話 し合いを避 けしめる一囚 ともな り

,延

いて本件の如 き不幸 な事態 を招 くことになった ことをも

,否

定することがで きないように考 えられ る」。 2(1)「『公共の福祉』が常 に『基本的人権』 に優先すると為すような安易な割 り切 り方を避 け, 各場合々々に応 じ

,両

者の具体 的内容 を厳密 に比較衝量の上

,憲

法の全精神 に照 らして両者の優劣 或はその間 を調整する方途 を決せ しめることと」すべ きである。 鬱

)公

務員が各種 の公務 に従事 するのはすべて公共の福祉の実現である。公務員の労働関係 は「公 共の福祉」の実現 を志向す るものであって

,利

潤追求 を目的 とする当事者 を相手方 とす るものでは ない。公務員の労働条件 を争議行為 によって決 しむることは憲法の議会民主主義

,参

政権平等の原 則 に反す る。憲法第28条は

,野

J潤追求者 を相手方 とす る取引 を裏付す る手段 として認 め られた も のであって

,そ

の妥当す る範囲 と程度 に も自らなる制限が存する。」。憲法第28条はある程度の「自 己制約」を内在す るものであ り,また地公法第37条第1項

,第

61条第

4号

は憲法第28条

,第

13条 に違反する無効 な規定ではない。 争議権否定の代償制度 としての人事委員会等の機能が十分でなかったのは戦後のわが社会の混乱 状態 に起因す るものである。

3

教育公務員の争議行為 の禁止 は,「公共の福祉 を維持するため,ま ことに止 むを得 ない ところ」 であ り

,勤

評の実施 は法律 に基づ く当局 の義務 に属す る事項であって

,憲

法第28条の保 障す る「団 体交渉或 は争議行為の対象 とな り得ない性質の ものである」。 この点で本件

,反

対闘争 は「政治ス ト 的な様相 を帯 びていた

Jと

いえる。

4

地公法第61条

4号

が「 そそのか し

,若

しくはあお り

J行

為 を処罰す るが

,こ

れ は争議行為参 加者 を処罰するのではな く,「法が禁止す る違法事態 を惹起 するについて不 当或 は不公正 なや り方で 指導的役割 を演 じた者 を処罰 しようとす るに外 な らない ものであ り」

,憲

法第28条に矛盾 しない。 「ただ

,地

公法の右規定が続 いて『・……又 はこれ らの行為 を企 てた者』と定 めていることは,『そそ

(5)

のか し

,若

しくはあお り』行為 とい う言論表現活動 その ものでな く

,そ

れを企てる とい うさらに間 接的な行為 まで処罰の対象 とする趣 旨と解 され」 るので

,こ

の点「違憲の疑 を挿む余地 を存する」 が本件の訴因 とは無関係である。

5(1)労

基法第39条の有給休暇請求権 の法的性質 については

,形

成権ではな く「特殊の請求権」 と解す る。 (2)本件,「一斉休暇闘争 は

,勤

評阻上のため

,学

校長の業務命令 にも月艮さず

,業

務 の正常運営 を阻 害す るものであ り

,地

公法第37条第1項の同盟罷業 に該当す る0」 としている。 以上の如 き判決 は

;勤

評反対闘争 と地公法第37条および第61条

4号

との関連 を取 り扱 った もの である。本判決 (福岡地裁

)で

は4名が有罪 となっているが

,学

説 においては早 くか ら

,教

育労働 者 を含 めて官公労働者の争議権 を全面的に否定することには

,批

判的傾向が強 く

,先

の大法廷判決 が地公法第37条

,第

61条を限定的に合憲 と解す ることに も批判的傾向が少な くない(I°l。 本判決の 出る前に

,す

でに最高裁大法廷判決 (「国鉄弘前機関区事件」昭和28・ 4・ 8汗J集

7巻 4号

775頁。 「国鉄三鷹事件」昭和30・ 6・ 22刑集

9巻 8号

1189頁

)に

おいて

,争

議行為 を禁止す る公労法第 17条の合憲性が確立 してお り

,小

法廷判決や下級審判決 にあって も

,大

法廷 と同様

,官

公労働者の 争議権 は否定で きうるとする考 え方が定着 していたのである(l°l。 こぅした判例状況 において本判決 も「公共の福祉」が争議権 に全面的に優先するものでない としなが ら

,公

務員の労働基本権 の制約 は「止 むを得ない

Jと

結論づけている。 しか し

,勤

評問題 についての直接詢判示 はな く

,教

育労働 者 はこれに反対すべ きでないのに

,年

休闘争 に訴 えるのは不当であ り,「政治ス ト的」闘争 と判断 し ている。か くして これ らの勤評事件 は主 としてその闘争形態 としての争議行為の違憲違法性が問題 とせ られ,「教育権」や「教育の自由

Jの

如 き教育問題 は直接 には判断の対象 とせ られていないので ある。 しか し勤評裁判 にはかかる一連の「地公法違反事件裁判」 と呼び うるものの外 に校長 の教員 勤務評定義務不存在確認訴訟等 もあ り

,こ

れ らを通 じて教員の勤評の適否が論ぜ られ勤評が教育間 題 として教育権 の問題や教育行政権 の限界が意識 され るに至 っている。 これ らの うち

,東

京地裁判決 (昭和

47年

3月 24日 民事第19部判決・昭和

38年

(行

)第

5号

免 職処分取消請求事件

)の

伊藤校長事件 をみると く事実の概要〉 原告 (伊藤校長)は

,東

京都

A区

B小

学校校長であるが

,昭

和34年9月 の定期評定 の評定書 の 提出を拒否 したため

,同

年 10月 都教委 よ り懲戒免職処分 に付 された。本件 は

,原

告が右免職処分の 取消 を求め

,そ

の理 由 として教員勤評の適法性 を正面か ら争 い

,校

長が評定義務 を負わない ことを 主張 した ものである。 判決の要 旨は次の如 きものである。 請求棄却。 (a)勤評制度 は

,人

事管理 を適正 に行 な うために

,大

量の職員の勤務成績

,能

,適

性等 を公正か つ的確 に示す資料 をうることを制度的な意義・ 目的 としている。 (b)現行公務員制度 は

,能

力主義・実証主義 を建前 としてお り

,定

期的に職員の勤務評定 を行 ない, 評定結果 に応 じた措置 を講ずべ きことを定 めているが (地公法第40条第1項

,国

公法第

72条

第1 項),「この ことは

,教

育 を通 じて全体 に奉仕する教育公務員の場合 において も

,職

務 とその責任 の 特殊性 に基いて勤務評定の実施権者 につ き特例法 を設 けた こと(教育公務員特例第12条)を除いて, 何 ら例外 をなす ものではない」。 (C)勤評 は,「その性質上

,任

命権者の人事行政 に関す る内部事項」,「評定の結果 は人事管理上の一

(6)

資料たるにとどま り

,た

だちに人事取扱 に機械的に結合するわけではない」か ら

,評

定結果 を秘密 にし

,異

議申立 を認 めない ことも当然 に許容 され る。職員には

,具

体 的に不利益処分がな された段 階で審査請求訴訟が認 め られているか ら

,救

済手段 としてはそれで足 りる。 (d)本件勤評規則 では

,校

長が評定者

,教

育長が調整者 とされてお り(多頭評価方式

),ま

た本件勤 評規則 に先立ち

,昭

和33年 4月 制定の当初の勤評規則 による勤評実施の「前駆的。試行的経過」(試 験的実施

)が

あるか ら

,人

事院規則

10-2に

定 める要件 に欠 けるところはない。 (e)前記(C)と同 じ理由で

,勤

評 は職員の勤務条件 たるに至 らない とい うべ きであ り

,本

件勤評規則 自体 がただちに職員の権利・利益 を侵害す る筋合の ものではない。 (f)「校長 は

,そ

の職務権限に照 らして

,つ

ねに所属職員に接 し

,そ

の勤務状況を観察 して勤務の 実態の把握に努めるべ き地位 にあるか ら……みずか ら所属職員の勤務実績並びに性格

,能

力及 び適 性 を評定 し

,こ

れ を記録することは

,校

長の職務権限の範囲内の事務処理 というべ きである。」 (9したが って

,本

件勤評規則 は,「教育 における民主主義の原理 に背馳す るもので もなければ

,教

昔各浅あ注務あ未貴皮 か之あ浪界 を農チ もあと もみ∫ゝ」。 と結んでいる(11ち さらに秋田地裁判決 (昭和35年 9月 8日 ・ 行政事件 。昭和33年 (行

)7号

)の

校長の勤評義務 不存在確認訴訟 も市町村立学校の校長が市町村教育委員会か ら教職員の勤務評定書の提出を命ぜ ら れた場合

,そ

れは校長個人の権利義務 にかかわ りのない ものであるか ら

,右

提出義務の不存在の確 認 を求める訴 えは不適法 として却下すべ きである。 と判示せ られている。 その判決理由の うち教育権 に関するものを示せば

,校

長である原告等は

,い

ずれ も

,一

面 におい て,「校務 を掌 り

,所

属職員 を監督す る」職務権限 を有するとともに (学校教育法第28条第

3項

, 第40条

),他

面 において

,そ

の服務 については

,当

該学校 を所管する市町村教育委員会の監督 に月艮 し

,そ

の職務 を遂行するに当っては

,右

委員会 その他職務上の上司の職務上の命令 に忠実 に従わな けれ ばな らない(地方教育行政法第43条第

1, 2項

)と されている(121。 しか して原告等が

,校

長 と して

,校

務 を掌 り

,所

属教諭等 を監督すべ き職務権限 を有 する以上

,所

属教諭等につ き勤務成績の 評定 をす ることは

,原

告等の校長 としての職務 に関係がない もの ということはできない(少くとも, 関係のないことが一見明 白であるとはいい難 い)。 したが って

,原

告等校長 に対 し

,所

管の市町村教 育委員会が本件勤務評定書 を提出すべ く命 じたのは

,地

方教育行政法第43条第

2項

にいわゆる「職 務上の命令」 に該 当す るもの といわなければな らない(り 。 としている。 東京地裁・ 秋田地裁共 に原告 (校長

)の

請求 をしりぞける判決 をしているが

,そ

の判決理 由の中 でいずれ も教育権 (かか る言葉 は使用 しないが

)の

問題 に触れている。すなわち教員の「教育 の自 由ない し教育権の独立 を肯定する立場」か らは

,教

育活動の内部 にふみ こんで評定 を行ない

,そ

の 評定結果が配転

,昇

給 な ど人事上の有利 あるいは不利益 に結 びつ くとすれば

,実

質上教員の教育上 の自由に制約 を及 ぼす もの として

,こ

の面か らも教員勤評の適法性が疑問視 されることになろう。 また学校法第28条第

3頂

にいう校長の「所属職員の監督」の権限には

,教

育 内的事項 についての指 揮監督権 は含 まれない と解す ることになる。 さらに教育委員会は教育 について計画を定める権限 を もつが (地方教育行政法第33条

),教

育 その ものについては校長及び職員に対 し

,助

言・指導 を原 則 とし,「命令及び監督 をしてはな らない」ことになる。学校 における校長 と教員の関係 も同様 であ る。校長の掌 る校務 は教育内容に関係のない学校行政事項 に限 られ

,学

校全体の教育運営 に関 して は

,実

務上教職員会議 を主宰 し合議の結果 に基づいて計画 を定め

,こ

れが実施 は教員の責任 に委ね ることになる(n。 しかるに両判決 は ,「教育の自由J「教育権の独立」について積極的判示 はす るこ とな く

,む

しろ勤評規則 は「教育 における民主主義の原理に背馳せず」「教育行政の限界 を侵 す もの

(7)

ではない」 とし

,職

務命令 について も「一見明 白な違法の ものでない限 りこれに服従する義務 のあ ること」「職務上 の上司の命令 に忠実に従わなけれ ばな らない こと」「校長が所属教員につ き勤務評 定をす ることは

,校

長の校務 に該 当すること」等々 を上 げ

,教

育 内容 についての教員の「教育権 の 独立」 については消極 に解す る立場 を取 っているもの と考 えられ る。 口 学 カ テ ス ト裁 判 と教 育 権 「全国一せ い学力調査」は

,地

方教育行政法第54条第

2項

を公式の根拠 とし

,文

部大臣が都道府 県教委 。知事 および国立大学長 に調査報告の提出 を求 めるとい う法的形式で

,そ

の計画および実施 要求がなされている。 その際「全国中学校一せい学力調査実施要綱」なる文部省初等中等教育局長・ 調査局長通達 (昭和36年度 につ き同年 4月 26日 文調調25号

)が

,調

査期 日。時間割 り。教科 (英・ 国・数・理・ 社)・問題作成方針 。実施手続 。結果利用方針等 を くわ しく定 め

,そ

れにそった調査の 報告 を要求 した ものであるとされた。 これに従 い

,各

地方の教育委員会が学校 に対 し調査当日の授 業計画の変更 を指示 し各学校長が教員に宛てて「テス ト補助員 に任 じ業務 の執行 を命」ず る職務命 令 を発 することとなった。 日教組 は昭和

36年

6月 の宮崎大会において,学カ テス トは反動文教政策 に基づ き教育の国家統制 と差別教育の促進 によって民主教育 を破壊す るものであるとい う見地か ら

,こ

れに反対する全国統 一闘争の方針 を決定 した。各府県教組 もそれぞれ に反対 を決議 し

,テ

ス ト実施 の実力阻止 も辞 さな い との態度 を示 した。その結果

,教

委 と教組 との交渉 によって当該県ない し地域のテス トが中止 さ れる所 も出て きたがテス トが紛争の渦中に遂行 された所では

,教

員 。地域共闘側の実力阻止 をめ ぐ り少なか らず刑事事件 を惹起 するにいたったのである。校長教頭や教委職員等 によるテス ト用紙 の 運搬 に対する阻止行動が

,公

務執行妨害 。公文書毀棄 。建造物不法侵入 な どの罪 に問われてい る。 初年度 において

,教

員の任意出頭者 2000名

,逮

捕61名

,起

訴 15名 を数 えた。同時に

,職

務命令違 反等 を理由 とす る懲戒処分 も大量であうた(14ち か くして実施せ られた全国学カテス トは多 くの学カテス ト裁判事件 を引 き起 こした。学カテス ト 裁判判例の動向 は

,全

国学カテス トの適法妥当性 を認 めた判例 と

,そ

れ を違法ない し不当 と判定 し た判例 との二種 に大別することが出来 る(lDが ,「学力調査」 を適法・妥当 とす る判決 と

,違

法・不当 とす る判決 とは

,数

の上ではほぼ半々に分かれている。 これ を時間的推移 と重ねあわせて見 ると

,は

じめは「学力調査

Jを

違法 とす る福岡地裁小倉支部 の判決 を除いては

,概

して「学力調査」の違法性 を説 く組合側の主張 を排斥する傾向が強かった。 その後,「学力調査」の違法性 と

,そ

れを根拠 に公務執行妨害罪の成立 まで も否定する大阪地裁・旭 川地裁の判決が出 されたが

,高

裁段階では組合側の主張 を排斥するか

,あ

るいはこれ を是認す るに して もきわめて消極的なかたちで認 めるものが多か った(1° 。 これは「学カ テス ト」をめ ぐる法律半」 断の難 しさを示 しているといえる。 なるほど「学 テ」裁判 は,「学力調査」の実施阻止 をめ ぐり公務 執行妨害罪 に問われた り

,不

法侵入

,暴

,あ

るいはまた公文書毀棄や争議行為禁上の定 めにふれ るとして起訴 された ものであって

,そ

の限 りではいわゆる刑事事件 に過 ぎない。 しか し

,処

分の当 否 を判断するために

,文

部省 による「全国一せ い学力調査」の当否や

,文

部大臣の教育課程基準設 定権

,さ

らには教育行政の条件整備性や教師の教育権 の独立 な ど

,教

育 や教育行政 に関す る基本的 な論点の検討が行 なわれているものであるが故 に

,こ

れが単 なる刑事事件 ではな く(161,そ こには教 育 ない し教育行政 のあ り方に関す る基本的な諸点の検討が行 なわれ る教育裁判 としての実質 を備 え

(8)

た裁判 として注 目さるべ きものである。 以下その問題点

,特

に教育権 に関する点 を中心 に若干検討 を加 えてみる。 学カテス トの法的性質 は学カテス トの道法違法性 を判断する前提 として重要であろう。文部当局 は全国学カテス トの法的性質 を教育行政上の「調査」 として構成 し

,あ

くまで も「学力調査」であ ると称 する。 その際

,そ

の実施 目的における行政調査性が強調 され る。すなわち実施要綱通達 は, 調査の主 目的 として

,教

育課程施策の樹立

,教

育条件整備

,育

英事業・特殊教育施設の拡充のため に有効 な資料 を得 ること

,を

あげている(171。 かかる目的の故 に「学カ テ.ス ト」 を「教育行政機関の権限に属する教育調査」あるいは「行政的 事実調査の範疇に属す るもの」 と認定す るもの もある (仙台高裁・ 盛岡地裁)。 しか し目的 と同時 に

,そ

の作用の実質が検討 されなければな らない。すなわち

,教

育行政 にあっ て も調査 は重要であるが,全国学カテス トが真 に教育行政調査の実質 をもつ ものであるか どうかは, 客観的実体的に認定 さるべ きである。 この点 について「全国学カテス ト」は教育課程行政の実質を もつ と同時に通常の教育行政の域 を出て各学校の教員が担当する教科教育活動の実質 も同時に備 え た もの ということが出来 よう。 なるほど調査 テス ト自体 は各学校 における正規の教科教育活動ではな く

,そ

れに対 し一応外在的 なものである。 けれ ども

,作

用の実質 として調査テス トと正規の教科教育活動におけるテス トとを 比較 した場合

,率

直 に言 って

,各

生徒の成績評価 という共通の要素 を見出す余地が大である。 また 生徒たちに氏名記入 を ともな う解答 をさせ るにおいては

,全

般的な学力調査 による成績評価が同時 に当該の各個生徒 に対する成績評価 ともなることが さけられない。 しか も調査テス トの結果が「指 導要録」中の標準検査記録欄 に記入 され ることは

,ま

さに学力調査が各個生徒の成績評価で もある 事実を明示することになる(181。 これは各教科教育 における生徒個人の成績評価 と同種の もの と云 う ことが出来 よう。文部当局者 は

,調

査 テス トは学校の「教育課程」(学校教育法施行規則第53条第 1頂

)に

も属す るが

,各

教科 の教育活動 その ものではな く

,そ

れ とは一応別個の「学校行事」であ ると解 している。 これ は

,体

育授業中のテス トと区別 され る身体検査や運動会 と同性質の もの とし て学力調査 テス トをとらえる見解(19である。 しか し

,す

でに見た とお り調査 テス トが各教科に関す る各個生徒の成績評価作用の実質 をもつ とするならば

,そ

れは教育課程中の「各教科活動」に属す ると認め られる°Oち 「全国学カテス ト」の法的根拠 としては

,文

部省 は公式 には当初 よ リー貫 して地方教育行政法第 54条第

2項

をあげている。第54条第

2頂

によれば「文部大臣は地方公共団体 の長又 は教育委員会 に 対 し

,…

…必要 な調査……の提出を求めることがで きる」。 ところが「全国学力調査」は

,教

育調査 の域 をこえて教育課程行政および教科教育活動の実質 をも有する作用なのであるか ら

,も

はやたん に調査要求権の規定だけを根拠 にするのでは足 りない。1七 と言 うことになる。か くして文部当局者 も結局学校教育法第38条を学カテス トの根拠法 として援用す ることになる。 全国学カテス トと教育権 の関係 については,教育基本法第10条違反の有無 に関連 して論ぜ られて いる。 この点は

,大

部分の学カ テス ト裁判判例 において「教育権の独立」がそれな りの評価 を得て いる。 もっとも「教育権」「教育権の独立」 とぃぅ用語 を直接使用するものは少な く,「教育の自由 と独立」「教育の自律性」「教育の自主性」「教員の行なうべ き教育

J等

に「教育権 の独立

Jに

準ずる 観念 を使用するものである。教育基本法第10条については

,大

部分の学カ テス ト裁判例が何 らかの 「教育の自律性」「教育権 の独立」を保障する規定であると解する一般的傾向は示 されているが,「教 育権の独立」を教場 における教員の個人的教育活動の範囲に限 るという狭い解釈 を取 った判決は,

(9)

大体 において結局全国学カテス トは,「教育権 の独立」を侵 す ものではない と結論 している?D(熊本 地判

,仙

台高判等)。 さらに

,学

カテス トと教育権 については

,テ

ス ト実施 のための授業計画変更命令 が問題 となる。 昭和36年初年度の全国学カ テス トを実施す るにあた り,教育委員会が各学校 に対 し既決の授業計画 の一部変更 を命 じているが

,文

部省解釈 は

,こ

の場合

,教

育委員会の「学校管理権」(地教行法第23 条第

5号

)を

援用 した。 これに対 し教員組合側か らは

,授

業計画変更命令 は

,学

校管理規則 (教育 委員会規則

)違

反であると共 に

,そ

の前提 となった教育委員会の教育課程 に関す る包括的支配権説 は

,学

校教員の「教育権の独立」(教育課程編成権 )の 法原理 に反 していると主張 している°9。 また 学カ テス ト実施が「校務」(学校行事

)に

属す るとの解釈 に基づいて

,校

長が「 テス ト補助員」を命 じているが

,教

員組合側 は

,こ

の職務命令 もまさに教員の「教育権 の独立」を侵害す ると唱 える1231。 か くして

,学

カ テス トと「教師の教育権の独立」の関係が新たな問題 として提起 され ることになっ た。 次 に全国学カテス トを違法 とす るもの と適法 とす るものを一

,二

取 り上 げて検討 してみる。

I (学

テ違法判決例) はじめて「全国学力調査」を違法 と判示 した福 岡地裁小倉支部の判決 を見 てみ ると本件 は,1961(昭 和

36)年

9月 26日 福岡県刈 田町立南原小学校で実施 された「学力調査」(全国

5パ

ーセ ン ト抽 出) を阻止 しようとした福教組 の副支部長 をは じめ

,応

援の他労組の役員

4人

が建造物侵入

,公

務執行 妨害罪 に問われた事件である。本判決 は

,文

部当局 の「教育条件整備行政」(教育基本法第10条第

2項

)に関す る解釈 を斥 け

,戦

前 にたいす る反省 か ら国家権力による教育統制 も「不当な支配」(同 条第1項)た りうる場合があるとし,「内的事項」に関 して教育行政 は大綱的基準の設定 と法的拘束 力のない指導助言 とをなしうるに とどまると

,教

育権 の独立説 をほぼ肯定 したはじめての判示であ った・ °。 その要点 を示す と 「戦前 におけるわが国の教育 が

,軍

部の介入

,或

いは官僚等の不当な外部的干渉 によって, その内容がゆがめられて きた経験 に徴 し

,教

育 をこれ らの官僚的支配 よ り脱却せ しめようとし た教育基本法の立法の経緯 に鑑みれば国家権力

,た

とえそれが法制的根拠 をもつ行政的支配 に よるものであったにせ よ

,そ

のような支配 を不 当 とし

,そ

の介入 を排斥す ることこそ

,右

法条 (注

,教

育基本法第10条第1項

)の

本来の精神 に外な らない

,

と解すべ きである。」 「教育行政の任務 と限界 はどこに求 めるべ きであろうか。それ は右 にみた教育 の本質 に鑑み, その自由

,自

主性 を尊重 し

,教

育 の具体的活動内容 に立 ち入 って監督命令す ることであつては な らない。」 「同法第10条第

2項

(中略

)に

いう『諸条件の整備』とは

,教

育 内容や教育方法等 にわた ら ない外的事項

,つ

まり教育 の外的条件の整備(中略)を意味 し

,前

に述べた教育 の特殊性か ら, 教育 の自主性 を重んじ

,教

育 の外 にあって

,教

育 を守 り育 てるための諸条件 を整 えることに, その 目標 を置 くべ きことを規定 しているもの と解す るのが妥当である。」 と述べ, さらに, 「本件学力調査の如 く

,文

部省の企画の下 に

,専

らその指導によ り行 なわれ る調査の如 きは, 同法 (地教行法

)第

54条第

2頂

に基づ く調査 には当 らない

,

と解す る。」 とし, 「(文部省 は)内的事項 ともい うべ き教育課程 については

,教

師の教育課程編成権 を不 当に支 配 しない程度のご く大綱的基準即 ち教育課程基準設定権 を有するに過 ぎない もの と解すべ きで

(10)

ある。J 「 しかるに本件学力調査 は

,文

部省 当局が学習指導要領 に準拠 して

,試

験問題 を作成 し

,教

育委員会に対 して

,報

告の提出 を義務付 ける もの として実施 された ものであるか ら

,結

,実

質的な教育課程管理権 を裏付 け としてその権限が行使 された ことにな り

,正

に行政権 力たる文 部省が

,不

当に教育 内容 に介入 した もの とい う外 はない。」「以上要するに

,本

件学力調査 は, 形式的には

,地

教行法第54条第

2項

に違反 し実質的に も

,教

育基本法第10条に違反す るもの であるか ら,その余の判断にまつ まで もな く,実体法上違法性 を有するもの というべ きである9° 」 としている。 いま一つの「学テ」違法判決例 としての北海道「学テ」裁判 についてみると 本件 は

,1961(昭

36)年

10月 26日

,全

国の中学校二

,三

年生全員にはじめて「全国一せい学力 調査」(悉皆)が実施 された時

,こ

れ を阻止 しようとして旭川市立永山中学校 と歌登村立志美宇丹中 学校 とにおいて起 きた二つの事件 である。 旭川地裁判決では,「学力調査」の実施が違法であるのみな らず

,だ

か らこそ被告 を公務執行妨害 罪に問 うことはで きない とし,本し幌高裁半J決もこれ を支持 した。 両判決 において,「学力調査」の違法性 は実質面 と形式 (手続

)面

の両方か ら論証 され次 のように 結論づけられている。「本件学力調査 は

,形

式的には地教行法第54条第

2項

の規定の趣 旨を逸脱 し, 実質的に も現行教育行政法の基本理念 に反す るもの として

,違

法 といわざるを得ない朝(旭川地裁判 決),「本件学力調査 は実質的にみて教育基本法 をは じめ とする現行教育法秩序に反す る もの として 違法 と断ぜ らるを得ない」 し,「地教行法第54条第

2項

を手続上 の根拠 として本件学力調査 を実施 することはで きない といわなければな らない94も (札幌高裁判決)と している。まず旭川地裁半」決 は , 「本件学力調査 は

,形

式的には各市町村教委が これを実施 した体裁 を とっているものの

,そ

の実質 においては文部省が主体 となって これを実施 した となん ら異なるところがない。」 「本件学力調査のように

,実

質上文部省が主体 となって予算 を伴 う大規模な調査 を企画立案 し

,各

教委 に指示 して これを実施 させた うえ

,そ

の結果 を報告 させ る (右調査の実施 お よび報 告を法的に義務付 けるという形で)などとい うことは

,明

らかに同条 (注

,地

教行法第54条第

2項

)の

趣 旨を逸脱 した もの とい う他ない。」 と述べる。札幌高裁判決の論 旨もこれ とほぼ同 旨であ り

,こ

こには

,教

育 と教育行政の分離

,教

師 の教育権 の独立理念がその前提 にあると考 えられ る。 「学力調査」の実質的違法性 については

,地

裁判決は, 「 まず

,本

件学力調査の実施 のため

,各

学校 における授業計画の変更 を必要 とす ることは

,(中

)実

質上

,文

部省が各学校の教育内容 の一部 を強権的に変更 させ ることを意味す る。 さらに重要 なことは,本件学力調査が 日常の学校教育活動 に及 ぼすべ き影響 とい う点 である。 この ような調査が

,全

国的に全生徒 を対象 として実施 された場合

,(中

略)日常の教育活動が調 査の実質的な主体 (と くに問題作成権者

)で

ある文部省の方針ない し意向に沿 って行 なわれ る 傾向 を生 じ教員の自由な創意ある活動が妨 げ られ る危険がある。 とくに

,学

力調査の問題 は学 習指導要領 に基づいて作成 されるといわれ

,そ

の学習指導要領 には法的拘束力がある とい う行 政解釈が行なわれている等の事情 か ら

,学

校関係者の間 に

,個

々の教員が好 む と好 まざる とに かかわ らず

,調

査の結果 に関心 をもたざるを得 ないような空気がか もし出 され る危険があるこ とに注意すべ きである。 これは

,文

部省 による教育内容 に対する統制 を意味す るだけに

,重

要 である。」

(11)

と述べ る。高裁判決 はこの点 を全面的に承認 した うえで

,次

のように論ず る。 「右の危険 は現 に一部の県において現実化 していることが窺 えるし

,ま

た右の県の現象 は極 端 な例であるとして も

,本

件学力調査 は

,そ

の持つ諸特性

,す

なわち

,そ

の対象者

,教

科の限 定

,問

題の作成方法

,調

査の実施方法

,結

果の利用方法等か らみて

,客

観的に も一一程度の差 こそあれ一一右の ような現象にいたるおそれ を内包 していると認 めざるを得 ない。」 地裁判決 はこの点 について も 「 この点

,文

部省 は

,学

校教育法第38条 (第 20条

,第

43条

),同

法附則第106条 (中略) を根拠 として文部大 臣は

,中

学校等の教育課程 につ き第一次的

,包

括的な編成権 をもつか ら, 当然 に教育 内容 に介入で きるとの見解にたち

,(中

略)それ は文部大臣の権限 として許 された も のであ り

,な

ん ら不当な介入 を意味す るものではない と考 え

,さ

らに

,前

記学校教育法の諸規 定および同法施行規則第

5条

2(第

25条

,第

57条の

2)の

規定 によ り

,文

部大臣の定めて 公示する学習指導要領 には当然 に法的拘束力があると解すべ きところ

,本

件学力調査の問題 は 右学習指導要領 に準拠 して作成 されていることで もあるか ら

,何

ら問題 を生ずる余地 はない と しているようである。 しか し,教育関係法全体 を総合的に検討すると,右学校教育法第38条等 による文部大臣の『教 科 に関する事項』 を定める権限には重大な制約が内在す ると認 めざるを得 ない。 まず

,教

育基本法第10条は

,教

育内容 について国家の行政作用 (と くに強権的な作用)の介 入 を抑 え

,教

育活動の独立 を確保 し

,教

員の 自由な

,創

意 に富む

,自

主的な活動 を尊重す ると いう理念 を基礎 としつつ

,教

育行政の任務 を教育条件の整備確立 においていることが明 白であ る。 この ような ことの結果

,文

部省の主要な権限が

,教

育委員会等に対 し

,指

,助

言および 勧告 を与 えることにおかれ

,法

律 に別段の定めがある場合 を除いては

,強

制的な作用 を行 ない 得ない とされた ことに注意 しなければな らない。 以上のような法体系の中で

,前

記学校教育法第38条等の規定 をみると,同条が文部大臣に対 し教育課程の第一次的

,包

括的な編成権 を与 えた もの とは とうてい解 されず

,同

条 によ り

,文

部省が学校教育 の内容や方法 について詳細 な規定 を設 け

,教

員の教育活動 を拘束す るとい うよ うなことは

,法

の予想 しない ところだ といわなければな らない。む しろ

,同

条 は

,初

等・ 中等 教育 が義務教育 であること等 を考慮 し

,そ

の教育課程の編成 について文部大臣が大綱的な基準 を設定すべ きもの とした趣 旨に解するのが相 当である。 したが って

,学

習指導要領の うち

,右

の ような大綱的基準の限度 を越 える事項 については

,法

的拘束力がな く

,単

に指導

,助

言的な 効力 を持つに とどまると解すべ きであるいち」 としている。 高裁判決 も

,教

育基本法第10条の趣 旨については 「右規定の趣 旨は

,広

く指摘 されているように

,か

つて我国においてみ られた教育の国家統 制 に対する反省 の上 に立 ち

,教

育が政治等 による不当な支配 を受 けることな く

,国

民全体 の も の として自主的に行 なわれ るべ きもの とす るとともに

,教

育 と教育行政 とを分離 し

,教

育 その ものは人間的信頼関係の上 に立 ってはじめてその成果 をあげ得 ることにかんがみ

,教

育の場 に あって被教育者 に接す る教員の自由な創意 と工夫 とに委ねて教育行政機関の支配介入 を排 し教 育行政機関 としては

,右

の教育 の目的達成 に必要 な教育条件 の整備確立 を目標 とす るところに その任務 と任務 の限界があることを宣明 した もの と解すべ きである°°。」 としている。

(12)

これ らの「学 テ」違法判決 は,「教育権 の独立」という用語 は直接使用 していないが

,教

育基本法 第10条が教育 と教育行政の分離 を前提 に

,教

育 の自主性・ 教師の教育の自由を認 めた もの として, その意義 を大 き く評価 している。教育の自主性確保 はなによ り

,教

育 その ものの本質か ら要請 され るものであ り

,教

育 が真理 に忠実であ り

,個

人の尊厳 を重 ん じ個性 ゆたかな人間 を育成するために は

,さ

まざまな創意工夫が必要であ り

,そ

のためには

,教

育の 自主性が確保 されねばな らぬのは当 然である。 両判決 は

,教

育基本法第10条か ら教育 の自由をひ きだ し

,そ

れ を明言 している。 これ とともに, 北海道学 テ裁判 の一審判決が「被告人 らは

,自

らの教育観 に基づ き

,そ

の信ず るところに従 い

,教

育の自由を高 らかに謳 いあげて本件学力調査反対 の闘争 に参加 した。 それ じたい

,な

ん ら責むべ き 点 はない。」とのべた ことは

,被

告の行動が「教育権 の自覚の発露」にほかな らない

,

とした点であ るとされ る・7)。 教育基本法第10条の「不 当な支配」の主体 と内容 について も

,戦

前の教育 に対 する国家支配の反 省か ら,「不当な支配」とは教育 に対する権力的支配 を行 な うことであるとし北海道「学 テ」判決の 一審判決では「教育 内容 について国家の行政作用」 とする点 を基本的に認め

,二

審判決では「不当 な支配」 の主体 を広 く解 し

,国

。地方公共団体 に限 らず

,政

,経

,宗

教等の諸勢力 と解 してい る ・ 6)。 教育基本法第10条第

2項

の教育行政の条件整備 については,教育 を内的事項 と外的事項 に区分す る立場 に立ち

,教

育 の内的事項 は国民の付託 をうけた教師 によって確保 され る領域であ り

,教

師の 教育権 の独立が保障 さるべ き事項であるか ら

,教

育行政権が法的拘束力 をもって権力的 に介入する ことは許 されず教育行政 の条件整備 とは

,公

費教育・無償教育 の実現 をはじめ

,教

育 の物質的環境 的保障等の外的事項の整備 を意味す るとする立場 に立 っている と考 え られ る。 Ⅲ

(学

テ適法判決例) 全国学カテス トを適法 とした判決 として,岩手県学カテス ト事件9° (盛岡地裁昭和

41年

7月 22日 刑事部判決)を 見 ると

,本

事件 は

,前

記学カ テス ト事件 と同 じく

,1961年

10月 26日 の文部省の全 国一せい学力調査 にたいす る反対運動 にかかわる事件の一つである。 日本教職員組合 は

,大

会決定 として学 テ拒否体制 を確立 し

,全

国各地で強い反対闘争が くりひろげ られたが,と くに岩手県では,

80%以

上 の学校が学 テ実施 を拒否 して

,年

間教育計画通 りの平常授業 を行なった。これにたい し, 1962年2月 26日

,検

察側 は

,学

テの組織的拒否 は「争議行為」であ り

,岩

手県荻職員組合の反対闘 争において

,執

行部が学 テに反対 して

,平

常授業 をお こな うとい う指令 を発出 し

,オ

ルグ活動 をし た ことは

,争

議行為 を「 あお り」「 そそのか しJた ものであると

,地

方公務員法第37条

,第

61条第 4号違反容疑で県教組幹部7名を起訴 した。 これ と並行 して

,岩

手県教育委員会 は

,免

職9名を含 む874名の懲戒処分 を行 なった。 この うち

,岩

教組地公法違反事件 について1966年7月 22日

,盛

岡地裁 は

,全

員 にたい し懲役1 年か ら8月 に至 る (執行猶予二年

)の

有罪判決 を行なった。 その判決の要点 を示す と

,憲

法第23条

,第

26条か ら

,教

師 に教育権 の独立が認 め られていると いえない。教授の自由は

,下

級教育機関においては制約 され るとしている。 教育基本法第10条第一項「不 当な支配」については「教育 について

,法

制的根拠 をもつ行政的支 配 は

,正

当な もの といわなければならないのである。 けだ し

,国

民の一般的教育意思 は

,国

会 に代 表 され

,政

府の定める国家基準 によ り

,実

現 されるのであって

,国

家基準 に従 い

,教

育行政上の管 理 に服す ることが国民 に責任 を負 うゆえんだか らである。9J。 としている。

(13)

この ような教育基本法解釈 とともに

,文

部大臣の教育課程編成権や学習指導要領の法的拘束力が 承認 され るな どして

,本

判決 は

,学

テの適法妥菫性 を認 めるものである。 本判決 は

,憲

法・ 教育基本法 は教育権 の独立 を保障 した とは認 めえない とし

,国

民全体 に対 して 直接責任 を負 う教育のあ り方 として国民→国会→政府→教育行政→教師 という議会制のルー トを取 り上 げ

,教

育 に対する法的根拠 をもつ行政的支配 は「不当な支配」 に当 らない とした。 この点 につ いては

,す

でに述べた如 く

,教

育基本法第10条第1頂後段の教育が「国民全体 に対 し直接 に責任」 を負 うの「直接責任」 を重視 し

,行

政や国会 を経 由 して国民に間接 に責任 を負 う

,

という行政的責 任 を否定 し

,国

民の教育意思 は

,行

政ルー トを通 じてでな く

,国

民 と教師の直結 したルー トを通 じ て

,教

育 に反映することを前提 に している。 と解す るものがあるが

,国

民 (父兄

)と

教師の直結 し たルー トでは

,教

師の責任 を問い得 る現実具体的制度的保障はな く

,又

よし

,直

接責任 を問い得 る 保障があるにして も「国民全体 に対 し」 とい うことにな り得ない ことになる。教育基本法第

6条

2項

に国公私立学校 を含 め「学校 の教員 は全体 の奉仕者であって」 としている面か らも教育基本法 第10条の教育が「国民全体 に対 し」責任 を負 うべ きことを軽視することは許 されず「国民全体 に対 し責任」 を負 うためには

,議

会制のルー トを取 らざるを得ない ことになるであろう。 さらに「不当な支配 に服」 してはな らないのはひ とり

,教

育 についてのみではない。ただ

,教

育 については

,戦

前の教育 と行政権 の関係の反省 か ら

,特

に規定 した面 もあるであろうが

,戦

後の民 主国家・国民主権国家 における行政権 と戦前の天皇絶対制国家 における行政権 とは本質的に相違 し, 戦後 における行政権 の教育 内容への介入 を「すべて不 当」 とす るのは疑間である。問題 は「不 当な 支配」に服 してはな らないが,「正 当な支配」には服す ることになるのであ り

,何

が「不当」であ り 何が「正当」であるかの判断評価である。 これは教育 の本質 と国民主権国家の本質か ら帰納 されねば ならないだろう。 ただ国民主権主義 による議会主義 に も

,次

の如 き問題が問われ る。すなわち

,国

民の価値観 は多 様 に存在するので

,国

会の多数決原理 によって

,一

つだけを選択 し

,優

先的に決定することは

,他

の価値観の存在 を保障 しない ことになる。 とくに

,教

育 の内的事項 は国民の精ネ申的内面的価値 にか かわ る分野であるか ら

,多

数決原理 は

,国

民の思想形成の自由を侵害す ることとなる。 ところが, 次の時代 の国民 を形成する教育 は

,真

理の探求 をめざす (教育基本法前文 。第一条

),学

問の自由を 尊重 (同第二条

)す

るという本質 をもち教育科学の成果 にもとづいて安定 して行 なわれなければな らない。真理の伝達が時々の多数党の意向に反す る場合 には,いちいち権力 によって圧迫するとか, 科学生の真理 に反 して多数党の意 向通 りに行な うことを強要するとかい う事態がお こるようでは, 政治にたいす る教育の従属 その ものであ り

,自

由で湊刺 とした教育 の発展 を期待することはで きな い。教育の内的事項が多数決原理 にな じまない とされ るゆえんである・ °。 た しかに

,真

理や科学の法則が議会の多数決で左右 されるが如 きことがあっては

,議

会の権限の 逸脱である。 しか し

,か

かる事項が議会 に提案 され可決せ られた ことはその例がないであろう。若 し万―

,真

理や科学 に関することが

,議

会での決議で左右 され るが如 き不祥事が発生す るな らば, それを正すの も国民主権主義下の議会 として国民の主権の行使 (選挙)にまつほかはないであろう。

lWl

教 科 書 裁 判 と教 育権 家永教科書裁判が「第1次教科書訴訟」 と「第

2次

教科書訴訟」 に分 けられ るのは

,す

でに述べ た通 りである。

(14)

この二つの訴訟 は

,一

方は民事事件

,他

方 は行政事件 とい う形式的にはまった く別個 の訴訟 であ るが

,両

訴訟の主要な争点 は共通 している。すなわち

,原

告側の主張の骨子 はこうである。現行教 科書検定制度 は

,国

が事前 に思想審査 を行 ない

,好

ましくない と認めるものの出版 を禁止す る と同 じ効果 を生 じさせ るものであって

,憲

法第21条で保障す る表現の自由を侵害 し,および検閲の禁止 に違反す るものである。 また

,現

行教科書検定制度 は

,著

者が 自己の学問研究の結果 を教科書 を通 して児童・ 生徒 に発表する自由を制限す るものであ り

,ま

た教師や児童 。生徒の有す る学問の 自由 をも侵害す るものであって,憲法第23条で保障す る学問の自由に違反する。さらに,検定 を通 じて, 国民の学ぶべ き知識

,思

想 を公権力が適切 と認 める範囲に限定 し

,画

一化するものであって

,憲

法 第26条の国民が能力 に応 じて教育 を受 ける権利 を有する規定 に違反す る。また検定制度 は

,憲

法上 の法治主義の原則 に違反するものであ り,また

,適

正な手続保障 を欠 くという点で

,憲

法第31条に も違反す ると主張す る。 この ように教科書検定 は憲法の諸規定 に違反するばか りでな く

,さ

らに, 法律の規定 にも違反す るものであると原告側 は主張す る。すなわち

,教

育基本法第10条は

,教

育行 政が教育内容や方法 に介入 してはな らない と定 めているもの と解 され るが,現行教科書検定制度 は, 国が教育内容 を画一的に統制 しようとす るものであって

,教

育 に対する不当な支配であ り

,教

育基 本法第10条に違反す る°1上 と主張 している。 これに対 して被告の国側 (文部省

)は

次の ように反論 している。 「教科書の検定 は,当該図書が教科書 として適切であるか どうかを,も っぱ ら教育的見地か ら認定 するものであ り

,そ

の法律効果 としては

,検

定 に合格 した ものは教科書 として使用す ることがで き るが

,不

合格 となった ものは教科書 として使用することがで きないぅという効果 を生 ず るに とどま り

,そ

れ以上 にその図書の出版 を禁上 しようとす るものではないか ら

,検

閲に該 当 しない。 また, 検定が このように出版 その ものについてなん らの制限 を加 えるものでない以上,憲法第

21条

で保障 する表現の自由を制限するものではない。 また学問の自由の保障は

,小

・ 中・高等学校 の教科書 に 学問研究の結果 を発表する自由にまで及ぶ ものではない。 また

,教

師や児童 。生徒 についていえば, 教科書の検定 によって学問研究の自由 とその研究結果の発表の自由はなん ら制限 され る ものではな いか ら

,憲

法第23条違反の問題 を生ず る余地 はない。 さらに

,国

,憲

法第26条の規定 に即 し, 教育基本法

,学

校教育法等の法律 を制定 し

,国

民の教育 を受 ける権利の実現 を期 してお り

,教

科書 の検定 も

,教

育水準の維持向上 と

,適

切 な教育内容の保障 を目的 として行なわれている ものである。 また憲法第31条の規定 は刑事手続 に関す る規定であると解 され るか ら教科書の検定 の ような,自由 の制限にはかかわ りのない行政手続 には適用がない。 しか も

,現

行検定制度 は

,教

科書 の検定の 目 的・ 内容・ 性質 に応 じて

,公

正 を期 しつつ

,か

,申

請者の利益 も考慮 しなが ら

,法

令 に基づ き適 正 に実施 されているのであるか ら,なん ら憲法第31条および法治主義の原則 に違反す る ものではな し出。 このように

,教

科書の検定 を違憲 とす る原告側の主張 は理由がない とともに

,教

育基本法 との関 係 において も

,教

育行政の任務 は

,原

告の主張す るように

,施

設・設備等のいわゆる外 的諸条件 に 限 られ教育内容 にまで及 ばない とす る合理的理由はな く

,教

育行政 は教育 内容 について も当然 その 責任 を負 うものである。教科書の検定 は同条の趣 旨にそい

,ま

さしく初等教育 および中等教育 の目 的を遂行するに必要な諸条件の整備の一環 として行 なわれているものであって

,教

育 に対 す る不 当 な支配ではな く,教育基本法第10条の趣 旨に合致 こそすれ,これに違反するものではあ りえない°ゆ。」 とす るものである。 あ とで提起 せ られた第2次教科書訴訟 については

,昭

和45年7月 17日

,東

京地裁民事第

2部

(15)

要 旨次の如 き判決がなされたにり。すなわち

,杉

本良吉裁判長 は「本案の判断」において

,憲

法第26 条

,第

23条を中心 とす る憲法論 を展開 し

,原

告の

,1.現

行検定制度の違憲・ 違法性の主張

, 2.

現行制度の運用の違憲・ 違法性の主張 を吟味 し

,結

論 として現行検定制度の違憲・ 違法の主張 をし りぞけるとともに

,原

告教科書の不合格処分 をした検定 は「 その運用 において原告の表現の自由を おか し

,教

育行政の責任の範囲を逸脱するもの」だ と判断 し

,そ

の「結語」 において「本件各検定 不合格処分は

,い

ずれ も憲法第21条第

2項

および教育基本法第10条の各規定 に違反 し

,違

,違

法であるか ら……取消 しを免れない。」とのべ

,そ

の主文で検定不合格処分 を「取 り消す」と判示 し た。 この第2次教科書判決の うち,「教師の教育権」に関す るものを検討 してみると

,判

決 は「教師の 教育の自由」については「公教育 としての学校 において直接 に教育 を担当す るものは教師」であ り, 「子 どもを教育 する親 ない し国民の責務 は

,主

として教師 を通 じて遂行 される」。そして教育 という ことが らの本質か ら教師に要請 されている「学問の自由」と「教育 しない教授の自由」は「主 として教 師 とい う職業 に付随 した自由であってその専門性

,科

学性 か ら要請 され るものであるか ら

,自

然的 な自由 とはその性質 を異 にするけれ ども

,上

記の とお り国民の教育 の責務 に由来 し

,そ

の信託 を受 けその責務 を果たす うえの ものであるので

,教

師の教育 の自由 もまた

,親

の教育の責務

,国

民の教 育の責務 と不可分一体 をなす もの と考 えるべ きである。」 として

,教

師 は親 の信託 を受 けて児童・生 徒の教育 に当た るものであって

,教

育の自由が認 め られるべ きであ り

,こ

の教師の教育の自由は, 学問の自由を定 める憲法第23条によって保障 されているとする。 しか し、「教師 はそれぞれの親の信託 を受 けて児童生徒の教育 に当た るという関係 にあるので はな くまず国民全体 の教育意思 として公教育制度が定 め られてお り

,こ

の ような国の定める公教育制度 に対 して

,親

が子の教育 を託す るのであって

,直

接個々の教師に託 しているわけではない。 また,判決のいうように

,教

師の教育の自由は憲法第23条の学問の自由によって保障 され るもの で もない。 もとよりすでに述べた如 く教師 も学問の自由を享受す るものであ り

,ま

,教

師が具体的な教育 活動 を行なうに当た って

,そ

の自主性が尊重 され

,創

意工夫が活か されなければな らないの は当然 のことであるが

,だ

か らといって教師の教育 の自由が学問の自由の一環 として保障 されている と考 えられない。最高裁の判決 (38・ 5・ 22)も

,学

問の 自由には『学問的研究の自由 とその研究結果 の発表の自由 とを含 む ものであって

,…

…教育 ない し教授 の自由は

,学

問の自由 と密接な関係 を有 するけれ ども

,必

ず しもこれに含 まれるものではない。 しか し

,大

学 については

,憲

法の右の趣 旨 とこれに沿って学校教育法第52条……に基づいて,大学 において教授 その他の研究者がその専門の 研究の結果 を教授する自由は

,こ

れを保障 され ると解す るのを相 当 とす る。』 と述べているとお り, 大学その他の高等教育機関については教授の自由を認 めつつ も

,高

等学校以下の学校 については, 教育の自由は認 め られない と解す る°°」のが相当であろう。 教育基本法第10条の解釈

,

とりわけ

,争

点 となっている第

1項

の「不当な支配」については,「主 として政党 その他の政治団体

,労

働組合その他の団体等国民全体 でない一部の党派的勢力 を指す も の と解 され るが

,し

か し同時に本条第1頂前段 は

,教

育の 自主性

,自

律性 を強 くうたつた もの とい うべ きであるか ら

,議

院内閣制 を とる国の行政当局 もまた『不当な支配』の主体た りうることはい うまで もない」 とのべ

,原

告主張 を受 け入れて「国の行政 当局」 による教育への不当な介入 と「不 当な支配」 をしりぞけている。 行政当局が不 当な支配 の主体 た りうることは判決のい う通 りであるが

,問

題 は行政 当局の介入が

参照

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