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〈資料〉菅浦文書(卅八)

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Academic year: 2021

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(1)

菅浦文書

(洪》 六九

(2)

菅浦文書

七〇      一    一 一 ,・一       凡、 例 文書の番号は京都大学文学部国史研究室の整理順位に従った。 本文中○印を以て起した箇所及び括弧を以てせる傍註は編輯者の按文又は 註記である。 花押及び年代の推定でぎるものは括弧に入れてこれを示した。花押の何人 のものなるか不明なものは番号を附し、追て巻末に一括して写真版を以て 示すことにする。 文書の異字・俗字・通患等は努めて原書の儘としたが、現行活字に改めた 場合も二三あるo

(3)

         ︵警 固︶ 取也、大浦まゑ二船をけいここすゑ、うミ水ハ 多し、こなたハいかる間、敵方ハ一人も不出合、 これハ五月十九日之事なり、春ふねをとりて協 ふんには、同の十八日二大浦の大船を回そうま て取て盗、そのふそくにや、赤崎二一饗を同月   ︵八幡︶ 廿日やわた山二けいこをすゑ、かり砺ほとに、こ       ︵日差︶ なたよりをいやふり、あまた手をふせ畢、ぴさ しの田をこなたより少々うゑて協ヘハ、同五月 廿五日猛勢にて田をふミかゑす、自地下出合、 敵方ハほりきりをちん二とる、こなたハけうら     ︵峯︶ はうそのミねを陣切取、辰の剋より申の時まて にらミあい、たかいこまつ所二、海津びかしはま     ︵うカ︶ せいをまちつけてか、る、こなたもあいか、リ ニし、敵方小数万騎.なり、地下勢ハ只七八十人    菅 浦 文 書︵六二八︶ 斗にてよせあわせ、散々二矢いくさ仕、酉のお       ︵負︶ わりニ敵方を追落、六七人打、あまた手をふせ て引、高名と云、本意をとくると云、何事か如之、 地下勢ハ一人もうたれすして、悦.喜無申斗砕、 又同六月十五日二大浦者八郎三郎・藤九郎二人、 向山大浦谷まめのはまといふところ二て打協、 其夜やかて山田小山へをしょせ、放火し一人打       ︵東  近  江︶ 砺、然所二七月九目二地下者ひかしあふミへ越       ︵出︶ ところを、敵方人をやとい、代をいたしてたのミ て、平二郎・平三郎兄弟・清別丁二郎大郎と申 楽四人まてうたれて盗、向後も路次うちハかな       Q紙継目裏花押 ふへからさる寒雀、これは八郎三郎・藤九郎を 路次うち慣したるいわれなb、このふそく二大 浦へをしょせ、本意をとけんと若者共申といゑ とも、京都へなけき申、公事中半にて盗間、不可       七一

(4)

    菅、浦文書︵六二九︶ 然とて京より下知状被下問、思なから留りつ、 一公事無二之趣をたつぬれは、山門花王院御力を        ︵管︶ 得、山の使節の墨状をとり、官領へさしつけ列 参仕、 それより奉行へ申、 道理ある支謹等も       ︵致︶ 敷通さしいたす、雑掌ハ清楡校と二人、粉骨至 はしまわる間、任先規道理令安堵者也、又京に       ︹久守︺ てハ 内裏 山階殿御代官大澤長門守、奉行飯   ︹永祥︺ 尾ひせん殿と知音二よんて無御等閑、その雑掌  ハ田中兵衛也、かやうにびきまわし協て落居仕 者也、自今以後も若此公事出來脇ハ、、如此京        ︵よ︶ 都をもつくろい、地下人もけなけ二つをくもち 盗へく脇、万一大浦へよする事脇ハ、、山ロと 上の山よリハか、るへからす、勢ハ多砺とも船 よせからと、すのはまと二手二よせて敵方を  一方へおいたすやうに仕砕へく砺、七八十の老 七二 共も弓矢を取、女性達も水をくミ、たてをかっ く事なh・、後も四一ふるまい脇へく砕、京都の 入目代ハニ年二二百貫也、地下兵根五十石、酒 直五十貫文なり、此入目二五六年ハ地下計會し て借物多く北端、爲向後心得三三書付畢、       菅浦   文安六年二月十ムニ日       惣庄 執筆越後公也、 (一O花押︶ o花押52   六二九 菅浦三具書案    イ権律師實遍申状 ︵朱書︶ ﹁紛失喪心﹂ 天台檀那院検校権律師法橋上人位實遍解 京.職裁事 申請左

(5)

請殊蒙 運指、被加誰判、備向後亀鏡、當院領     諸國所在末寺庄園等評論宣旨次第讃文       ︹後白河法皇︺     等、去壽永二年法住着殿逆乱時、令紛     失條々子細状       ︵通力︶  副進末寺庄園等坪付目録各壼庭 一難江國淺井郡内竹生壷口 件嶋者、弁才天女怨霊之霰地、行基菩薩建立之    ︵朱下同ジ︶ 精舎也、魚則淵在家嵩闘副萱虜是金聾書痴少之所、 風趣往古尾入之領、所注載也、就中早崎者、権 現祭礼之遊行所、菅浦者調酬常燈所進地也、 O︵以下省略シアリ︶ 職判 建久三年十一月 日権律師法橋上人位實遍 紛失之賢明自棄、勿爲諦櫨墨金与判如件、  菅浦文書︵六二九︶     同年同月六日 大夫藤原朝臣判  権大夫藤原朝臣判    ・雑訴決断所牒 雑訴決漸三盆近江趣旨 年預左官掌中原鞠  竹生嶋雑掌申當國大浦庄沙汰人等狼籍事賜舗歌 大虚當時狼籍、沙汰居雑事於庄家、至交名人等者、 可令転進者、以牒、    建武元年五月廿八日 少判事兼右衛門        権少尉中原朝臣在判 左回弁藤原朝臣在判    ハ近江國司遵行状 竹生嶋雑掌申當國大浦庄沙汰人毒茸籍事、決断所 牒姻漸獣如此、早任被仰下旨、沙汰居雑掌於庄家、 至交名人等者、可豊漁進之由、被仰下畑如件、        七三

(6)

    菅 浦 文 書︵六三〇︶    六月五日       近江守在高     宗左衛門尉殿    二雑訴決断所牒    〇六九〇号文書二同ジ、ヨツテココニハ烙ス、    ホ後醍醐天皇論旨    〇六九一号文書二同ジ、ヨツテココニハ略ス、    へ光嚴三々三 口那院末寺近江國竹生嶋領菅回申大浦下庄住人濫

妨事鞠尉消息羅駕霜見干状簸・

所申無相巧者、可止其妨愚臣、可聴御下知之由、        ︹尊悟︺ 院御氣色所候也、以此旨受令申入高射院宮、二歩 達一件、    建武四      ︹柳原︺     六月十二日     −権中納言資明     左大臣法印御房        七四   六三〇  大浦庄百姓陳肱杁 ︵圓  満  院︶  ︵門   跡   領︶ ゑんまんいんの御もんせきりょうあふミのくに大 ︵浦︶  ︵庄︶        ︵謹︶  ︵陳︶ うらのしやうの百しやうらつしんでちんし申、   ︵早︶  ︵菅   浦︶ ︵供御︶  ︵山  門︶︵檀 那   はやくすかのうらのくこ人らさんもんたんな   院︶       ︵公事︶      ︵謀   いんのけんいをかりて、くしにむしつのはう   訴︶       ︵奏 事 不 實︶   そをいたすうヘハ、すミやかにそうしふしつ    ︵罪 科︶         ︵術力︶   のさいくわにをこなわれんと思しん、かのく        ミ  ヒ  しく        ︵旧規︶   こ人ら二をきてハ、きうきにまかせ間て、その       ︵奏  聞︶   そくをとかるへきよし、御そうもんをへられ      ︵子細︶   んと思しさいの事 ︵右  當  庄︶ みきたうしやうは、ゑんまんいんの御もんセきり       ︵上  下︶ ︵専︶ ︵穏  便︶ やうとして、しやうけもハらをんびんのきをそん    ︵土 民︶     ︵禦  怠︶  ︵思︶ して、とミんらさらにけうたいのをもいなし、こ 、にすかのうらハ、 もとハこれたうしやうの一

(7)

 ︵名︶        ︵隔  別︶︵他  庄︶ ミやうなり、またくかくへったしやう二あらす、        ︵雑  掌︶︵聾依︶ しかるをときのさしやうきゑのあまり、びそかに ︵竹 生 嶋︶      ︵檀︶ ちくふしまのれいちやう二よセて、ほしきま∼に   ︵檀那院︶ いまたんないんのくわんれいときこせしめてこの ≧  ≧        ︵大様︶ かた、ぴとへにをやうのをもいをやふて、ほんしゃ   ︵敵  封︶      ︵牢  窟︶ うをてきたい、しきりにらうくつのくわたてをな    ︵押  妨︶    ︵儀︶︵甚︶ して、あうハうす、事のきハなハたもてしかるへ      ︵代︶  ︵雑  掌︶ ︵自 然︶ ︵寄附︶ からす、一たいのさしやうかしセんのきふをと∼          ︵當   庄︶ めて、もとのことくたうしやうくわん、れいすへき よし・噸ん絶をもて帽く聴をいξκとほする      ︵剰︶         ︵輩︶ ところに、あまさへすかのうらのともから、たう       ︵町︶  ︵田  地︶ しやうへらんにうして、す十ちやうのてんちんを       ︵四至︶ ︵榜 示︶ あうりやうし、わ旧くしにしゅのハうしをうたし       ︵近  日︶︵重  々︶     ︵淵  底︶ むるあいた、きんしつちうく御さたのゑんてい     菅浦文書︵六三〇︶         ︵裁 許︶ をきわめられて、さいきょセられんとほするとこ    ︵先︶︵計︶ ろに、まつけいをうしなうあいた、くこ人らをあ        ︵乱  吹︶ ︵弁︶ いかたらぴて、あとかたなきらんすいのへんをか        ︵虚 訴︶      ︵天  廷︶ まへいたして、きょそにをよぴ、てんていををと    ︵條︶ ︵妊  謀︶     ︵何︶ うかすてう、かんほうハなハたなに事かこれにし かんや、す十ちやうのてんちをあうりやうセられ、 ︵尚︶︵以︶︵次第︶ なをもてしたいのさたをへて、をんびんのぞせう        ︵裁︶ をいたして、上さいをあをくところなり、いはん  ︵無理︶ ︵悪   行︶ やむりのあくさやういかてかそのきあらんや、し かしながら塞きやうしやくあるへきものなり、 ︵詮︶       ︵分    明︶ ︵所  見︶ セんするところ、ふんミやうのしょけんこれあら   ︵尤︶︵備進︶ ハ、 烽ニもびしんすへし、しからすハ、ほともと       ︵當 さたのかきりにあらさるか、いかにいはん、たう  國︶ ︵守護︶         ︵同 意︶ こくのすこをあいかたらぴ、とういのよし意うへ        七五

(8)

6 菅浦文書︵六三一︶   ︵武家︶ ハ、ふけへおほせられて、すこへたつねられん時、 叉そのかくれあるへからさるものをや、そもく       ︵土 民︶  ︵新 加︶ セんねんのころ、すかのうらのとミんら、しんか       ︵本家︶  ︵所        勘︶ のくこ人をたてをきてほんけの御せうかんにした          ︵裁︶ かわさるあい忙、上さいをへらる、ところに、そ  ︵職︶  ︵停   廃︶       ︵元  鷹︶ のしよくをちやうはいすへきむね、けんおう六ね ん七月日りんしめいはくなり、したかいてくこ人  ︵本  所︶ ︵領  家︶ ︵預︶ またほんしょ・りやうけ・あっかり所をいはいすへ        ︵怠 からさるむね、をなしき六七りやうねん、たいし 駄︶    ︵起  請  文︶       ︵恩  免︶ やうならびにきしゃうもんをさ∼けて、をんめん をかふりをハぬ、いまぴとへにけんもんしんしに ︵誇︶    ︵王  室︶ ︵恩  憐︶ ほこりて、わうしつのをんれんをわすれて、たん     ︵権 威︶     ︵無 窮︶ ないんのけんいをもて、むくうのきよそをかま      ︵條︶    ︵顯  然︶ うるあまりてう、しさいけんセんなり、上ミつに   ご  ≧  ﹀へ        七六       ︵新      加︶       人︶       ︵神 たんぬへきものをや、はやくしんかのしんにんら        ︵船木力︶ にをきてハ、かんそをきうめいセられて、ふなき かことく、そのしよくをちやうはいセられ、そう        ︵所  當︶ ︵罪  科︶ しようのやからにをきてハ、しょたうのさいくわ にをこなはるへきむね、御そうもんをへられ、百  ら 姓にしさいをちんし砺、恐々言上如件、  ヒ    正安二年五月 日   六三一 三浦惣庄置文案 ︵端裏書︶ ﹁忌避年貢十石十貫文成事書なり﹂ 三浦日差・三川旧事、 自往古當所知行干今回相違       ︵論︶ 之三目出砺、 然二長久年中官符以下代々公書・院 宣・御教書・奉書・代々三次御書明鏡而無其隠脇、難 然大浦下庄皆既近所、度々成競望之儀、動致濫妨 事、錐及撒度無其甲斐協、暦慮,・康暦年中依競望

参照

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