60 臨床報告 〔東女医大誌 第64巻 第10・11号頁1028∼1031平成6年11月〕
甲状心機能低下症が原因と考えられた
閉塞性睡眠時無呼吸症候群の1症例
ヤマムラ山村
ニッタ新田
緒 言 ド1)東京女子医科大学耳鼻咽喉科学教室 2)呉羽総合病院耳鼻咽喉科 3)東京女子医科大学第四内科学教室 4気附属脳神経センター神経内科 ユキエ ナベシマ ユムラ ワ コ幸江D・鍋島みどり2)・湯村 和子3)
コウサク ニヘイ ヒロシ ウチヤマシンイチロウ 孝作3)・二瓶 宏3)・内山真一郎4) (受付 平成6年7月4日) 甲状腺ホルモンの作用する標的器官は広汎であ ることから,このホルモンの欠乏状態である甲状 腺機能低下症では多彩な臨床症状が現われる.そ の一つに睡眠時呼吸障害があり,近年注目されて いる.著者らは,睡眠時無呼吸を主訴として耳鼻 科を受診し,内科で腎障害,高血圧を伴う甲状腺 機能低下症と診断され,甲状腺ホルモン補充療法 で改善した成人型甲状腺機能低下症の1例を経験 したので報告する. 症 例 症例:57歳,男性. 主訴:いびき,睡眠時無呼吸. 初診日:1992年1月29日. 家族歴・既往歴:特記すべきことなし. 現病歴:5∼6年前より体重増加(約50kgから 60kgとなった),顔面の浮腫,嘆声,ろれつが回ら ないなどの症状が出現し,近医を受診した.血液 検査による腎機能,胸部X線写真,心電図などに 異常なく,高血圧と診断,降圧薬が投与された. この頃より日中の異常な眠気,居眠りが頻発し, 妻からいびきが大きくなった,夜間に呼吸が止 まっているなどの指摘があった.構語障害は間も なく消失したが,無呼吸を心配した家族に勧めら れて耳鼻科を受診した. 初診時所見: 身体所見;身長160cm,体重60kg(body mass index 23.4).顔面は浮腫状で特に眼瞼,口唇で顕 著であった.四肢には軽度の浮腫を認めた.口腔 内所見として,口蓋扁桃は埋没型であり,舌およ び口腔内粘膜全体が浮腫状に肥厚し中咽頭は狭小 化していた(図1).鼻腔内,喉頭内所見に異常は なかった.触診による頸部の腫瘤は認めなかった. 検査所見;当科入院の1992年3月12日および13 日の2晩,レスピソムノグラム(ニムス社)を用 いて終夜睡眠ポリグラフ検査を行った.その結果, 無呼吸発作は閉塞性のパターンを示し(図2), apnea indexは1日目47,2日目39であり(正常 は5以下),無呼吸の平均持続時間は1日目63秒, 2日目57秒,最長無呼吸持続時間は1日目99秒, 2日目87秒,最低酸素飽和度は1日目65%,2日 目67%であり,高度の閉塞性睡眠時無呼吸と診断 Yukie YAMAMURAI), Midori NABESHIMA4), Wako YUMURA2), Kosaku NITTA2), Hiroski NIHEI2) and Shinichiro UCHIYAMA3>〔1)Department of Otolaryngology,2)Departrnent of Medicine, Kidney Center and 3)Department of Neurology, Neurological Institute, Tokyo Women’s Medical College,4) Department of Otolaryngology, Kureha General Hospital〕:Acase of hypothyroidism with obstructive sleep apnea syndrorne 一1028一61 図1 口腔内所見(初診時) 舌および口腔内粘膜全体の浮腫状肥厚を認め,中咽頭 は狭小化している. された.喉頭X線写真,鼻腔通気度検査では異常 を認めなかった. 同時に浮腫と高血圧の精査のため1992年3月31 日,東女医大病院第四内科を受診させた。血圧150/ 104mmHg, BUN 20mg/dl, Cr 1.5mg/dl, Ccr 58m1/minであり腎機能障害が認められた.ニ フェジピン40mg/日が投与され,血圧は120/90 mmHg前後にコントロールされたが,二二,いび きは持続していた.7月頃より再びしゃべりにく いとの訴えがあり,脱力感も出現した.8月25日 CPK 1,297 mU/ml,9月22日に再検した結果も 1,526mU/m1と異常高値を示し四肢の筋力低下, mounding現象が認められたため神経内科を受 診,10月24日に筋電図を測定したところ,測定筋 の全て(上腕二頭筋,擁側手根伸筋,大腿四頭筋, 前脛骨筋)でlow voltage, short durationがみら れた.また,10月20日,甲状腺ホルモン検査を行っ たところT325ng/dl(正常値80∼180),T、1.0μg/ dl(正常値5.0∼14.0), TSH 213.4μU/ml(正常 値1.2∼10.0)を示した.これらの所見から,hypo− thyroid myopathyを合併した甲状腺機能低下症 と診断された. 臨床経過:11月10日よりホルモン補充療法(レ ボチロキシンナトリウム0.05rng/日内服)が開始 された.12月1日,内科再受診時には顔面の浮腫 が減少し,腎機能も改善していた.29日頭部X線 写真では頭部軟部組織の浮腫はみられなかった. 2月16日施行の筋電図は正常であった.1993年4 月6日,T3138ng/d1, T、9.4μg/dl, TSH 3.6μU/ mlといずれも正常範囲を示した.9月14日当科再 受診時の体重は初診時から約5kg減少して54kg であり,顔面の浮腫を認めず,中咽頭所見では, 99 酸素飽和度 一回換気量 一脈拍 換気時呼吸動作変化量 換気口胸部動作割合 94 68 55 無呼吸持続時間(秒) 図2 終夜睡眠ポリグラフィー検査 胸腹部の呼吸動作はあるが換気の起こらない,閉塞性無呼吸の所見を認める. 一1029一
62 口蓋垂はやや肥厚しているが口腔粘膜,舌の浮腫 は消失しており,二二も認めなかった.患者が希 望しなかったため,治療後の終夜睡眠ポリグラ フィーは行われなかったが,妻によっていびきや 睡眠時の無呼吸がなくなったと報告され,自覚的 にも日中の眠気が消失した.現在,内科外来にお いて高血圧の加療通院中である. 考 察 甲状腺機能低下症でいびきを訴える患者は多い が,近年スリーブ」スタディが多くの施設で行わ るれようになり睡眠時無呼吸症候群(sleep apnea syndrome:SAS)を合併する症例の報告がみられ るようになった1)2).これらは甲状腺機能低下症で しばしば認められる精神活動の低下や嗜眠などの 原因が睡眠障害であるという考えもあり,注目さ れている. 甲状腺機能低下症にSASが合併する頻度につ いては,11例の成人型甲状腺機能低下症患者に終
夜睡眠ポリグラフィーを施行して9例にSASが
あったとの報告3),21例中11例に閉塞性のSASが あったとの報告4),20例のうち2例に中程度から 重度,3例に軽度のSASがあったとの報告5)など がある.無呼吸の定義,測定項目やモニターの検 出能力の差などが原因と思われる頻度のばらつき があるが,SASは甲状腺機能低下症の主要な臨床 症状の一つと考えられる. SASはポリグラフ上のパターンにより,胸腹部 の呼吸運動が止まる中枢性無呼吸,呼吸運動はあ るが換気が起こらない閉塞性無呼吸,およびその 混合型の3型に分類されている.甲状腺機能低下・ 症に合併するSASは閉塞性の場合が多いが一部 には中枢性,混合性の例も認められる. 無呼吸の発生機序として,まず上気道の物理的 あるいは機能的狭窄が考えられる.甲状腺機能低 下症では蛋白,脂質代謝の異常による真皮乳頭層 へのムコ多糖類の蓄積,アルブミンの血管外漏出 などのために特に舌,咽頭粘膜に特有の浮腫が生 じる6).本症例は初診時に顔面,口唇,口腔粘膜に 浮腫状の腫脹があり,また榎声もあったことから 下咽頭,喉頭も同様の状態であったと思われる. 基礎代謝率の低下に伴って約60%の患者でみら れる肥満も問題となり,肥満者でより重症のSAS が認められるという3).本症例は発症前に約10kgの体重増加があった.一方SAS鉢pre−
hypothyroidismから粘液水腫に至るまでのいろ いろな甲状腺機能レベルの患者に認められるが, SASの重二度と甲状腺機能とは相関しないと報 告されている5).但し,ホルモン補充療法によって 甲状腺機能が改善すると体重が減少しなくとも無 呼吸が軽快するとの報告がある3>5).このような症 例の場合には舌や咽頭粘膜の浮腫が消失すること で上気道の狭窄が減少すると考えられる. さらにSASの病態をもとにこの症例の機能的 な狭窄の要因を考察した.甲状腺機能低下症では 近位筋の筋力低下,随意運動および腱反射の緩徐 化が認められ,特に成人の甲状腺機能低下症では有痛性筋痙攣とmounding現象陽性を特徴どし
たミオパチー(Hofξmann症候群)を認めるとの報 告がある6).この場合には頭部の骨格筋の容積増 大と,喉頭外転筋群の筋力低下に起因した吸気時 の陰圧による気道虚脱の双方のために,上気道の 狭窄を誘発すると思われる. これらの要因の他に換気応答の障害も考えられ る.すなわち延髄化学受容体による炭酸ガス応答 や頸動脈小体による低酸素応答の障害であり,甲 状腺機能低下症では,肺機能そのものに異常が認 められなくとも特に低酸素応答が障害され,』ホル モン投与によって改善がみられるという3)η.ポリ グラフ上は閉塞性の無呼吸と分類される症例の中 には,上気道の物理的,機能的狭窄に加えて換気 応答の障害も重なり,呼吸停止時間の延長や血液 酸素飽和度の低下を起こす例も含まれよう. SASの原因疾患として甲状腺機能低下症が占 める割合については,65例の睡眠時無呼吸患者の うち2例との報告5)があり,SASの患者の原疾患 として甲状腺機能低下症を認めることは比較的ま れと考えられる.しかし,甲状腺機能低下症に合 併したSASは手術適応がなくホルモン補充療法 によって軽快し,他に甲状腺機能低下の臨床症状のない軽症例でもSASの改善をみることが多
い.なお,ホルモン補充療法を行い甲状腺機能が 正常化してからSASが軽快するまでの期間につ 一1030一63 いては,甲状腺機能レベルが正常化してから2カ 月目のスリーブ・スタディでは無呼吸の改善はな .く,4カ月後では著明な改善をみた例1),いびきが 消失するのに6カ月から1年のホルモン投与が必 要だった例5)などの報告がある. このように,SASの手術適応を決める際に甲状 腺機能低下症は基礎疾患の一つとして鑑別に注意 を要する疾患と考えられる. 稿を終えるに当たり,御指導,御校閲を賜りました 石井哲夫教授に感謝いたします. この論文の要旨は第101回日本耳鼻咽喉科学会東京 都地方部会にて発表した. 文 献 1)戸島洋一国友史雄,沖田伸也ほか:睡眠時無呼 吸症候群を呈した甲状腺機能低下症の1例.呼吸 6(6) :664−668, 1987 2)大久保実,紫柴良昌,清水多恵子ほか:Sleep apneaを主訴とした甲状腺機能低下症の1例.内 分泌興味ある症例 13:123−125,1989 3)Rajagopal KR, Abrecht PH, Derderian SS et al: Obstructive sleep apnea in hypothyroid・ ism. Intern Med 101:491−494,1984 4)Bai Y, Huan X, Zheng J et al:Primary hypothyridism with obstructive sleep apnea syndrollle, Acta Acad Med Sinicae 14(4): 267−272, 1992 5)Ching CL, Kum WT, Pei JC:The relation− ship between sleep apnea syndrolne and hypothyroidisrn. Chest 102(6):1663−1667, 1992 6)Engel AE, Banker BQ:Myology Basic and Clinical. pp1887−1888, McGraw, New York (1986) 7)Orr WC, Males JL, Imes NK:Myxedema and obstructive sleep apmea. Am J Med 70: 1061−1066, 1981 一1031一