Glandula Pituitaria 「脳下垂体」について: スロ イス「解剖学」講義録から
著者 板垣 英治
雑誌名 北陸医史
巻 37
ページ 37‑43
発行年 2015‑02‑01
URL http://hdl.handle.net/2297/42443
入手して来ていた︵4︶︒本書には骨格の図が多く掲
載されていた︒本書の第八図﹁後頭骨外面図﹂の︻十一︼
基礎部が︑第十図﹁見模骨於上及び後方﹂に︻一︼鞍部︑
︻三︼左小翅︵翼︶および第十一図に﹁同図前及び下方﹂
とあり同様に関係した骨の図があるが︑これらには﹁下
垂体﹂については記載されていない︒同解剖書は明治
五年︵扇己︶に中欽哉︵大阪鎮台病院︶により﹃布
列私解剖図﹄︵5︶と﹃布列私解剖図譜﹄︵6︶が訳述.
出版されていた︒
同年に﹃官許虞列伊氏解剖訓蒙図﹄︵松村短明訳︶
が大阪・発免・書騨浅井吉兵衛で出版された︒本書の
頭骨図の中には下垂体は記載されていない︵7︶︒な
お虞列伊氏は西①邑昌⑦胃婁で﹃解剖訓蒙﹄︵グレイ解
剖学︶を同時に出版していた︒
また︑田口和美︵東京大学医学部解剖局︶は明治
十年色雪己七月に︑﹃解剖攪要﹄全Ⅲ冊︑を編輯・出
版した︵8︶︒本書の巻二︑五︑頭骨︑うこ模状骨の︵一︶
胡蝶骨体Oog叩の項︵六七丁︶に次の記載がある︒
︹上面︺ハニ部ョリ成ル即チ前部ハ滑平ニシテ左
右ハ直二小翼ノ上面ヲナシ︵中略︶後部ハ所謂
土耳格鞍ぎき三月ざ呉トルコ鞍︶︑陣智冨己己ご日 ト称スルモノシニテ鞍窩二均シキ深凹陥ヲ現ス名テ粘体浬雪閉四身官言語①◎のト云う︵以下略︶︒
とあり︑下垂体と同じものと見られるものを
ねんたいこう﹁粘体淫﹂と記していた︒これはご宮冒湧①目の直
訳したものである︒
本書はドイツ人医学教師デーニッッ︵三雲①言
ロ・昌冒︶の教えを受けて︑また英・独の参考書を使
用して記述したものであった︒本書は東京大学医学部
の医学教育に使用されたものであり︑さらに全国の甲
種医学校の解剖学の講義でも多く使用されたものであ
る︵8︶︒無論︑石川県甲種医学校での解剖学の教育
でも本書が使用されていた︵9︶︒
さらに︑東京大学医学部篇﹃医科全書・解剖篇図
譜﹄5﹁頭蓋骨論之部﹂が明治十年から出版されてい
た︒本書はO胃一国①言冒四邑邑の解剖書の翻訳書であっ
た︵Ⅲ︶︒
この結果︑明治二十年までは︑脳下垂体について
の講義は殆どの甲種医学校では行われていなかったこ
とを意味している︒
一方︑奈良坂源一郎︵愛知医学校一等教諭︑愛知甲
種医学校︶著の﹃解剖大全﹄一巻︑︵屍霊︶︵Ⅱ︶の
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この様に脳下垂体と記し︑その存在する骨格構造の
説明をしていた︒本書の執筆に当たって︑著者奈良坂
はヘレン︑ヒルテル︑フライ︑ホルッタイン︑デー
ニッッ等の解剖書を参考したと序文に記して居ること
から︑﹃ヒルテル氏解剖学﹄が有力な参考書であった
ことが推定される︒本書は明治十六年十二月に出版さ
れていた事から︑愛知県甲種医学校で使用したと見ら 第二篇骨学︑甲︑﹁頭蓋腔﹂には次の様に記載されている︒
︹二︺中窩ハ左右ノ両窩ョリ成ル︒而シテ其中
部狭小ナルガ故二恰モ横位ノS字形ヲ呈ス︒其
狭小ナル部ハ即チ士児古鞍︵トルコ鞍︶ニシテ︑
左右ノ両窩ハ此鞍二橡テ連合ス︒此窩ハ︑胡蝶
骨体ノ上皮及上側面︑其ノ大翼ノ脳面︑顕顎骨︑
鱗状部ノ内面及上岩状部ノ上面ョリ成ル︒此窩
ハ後方岩状部ノ上縁ヲ以テ︑後窩ト界ヒス︒
此窩ノ狭小部︑即チ中央ノ高所ハ鞍状陥没ヲ
ナシテ︑脚刻刊型鮒ヲ容ル︒其前方二︑鞍結節
有リテ︑前方ノ界ヲナシ︑其結節ノ両端ハ中斜
突起二終ル︒︵以下略︶
とあり︑まだ︑脳下垂体なる名称は確定して
居なかった︒ れろ︒
明治二十年に東京で出版された﹃賢列氏解剖学﹄巻
一︵今田束︑石川清忠翻訳︶の骨学の部分には︑記
載されて居ない︵尼︶︒賢列はヘレンと見られる︒
次いで明治二十四年の発行の﹃ハクスレー人身
生理学﹄︵小林義直翻訳・発行︶は︑英国生物学者
弓言冒閉國.國匡堂亀の扇忠年発行のゞ室①目ggご
席朗○邑冒もご凰○さ空喜︵人身生理学提要読本︶の翻
訳書であり︑本書の五一○頁五一六頁の﹁脳﹂の項
目に︑﹁椚澗伽﹂と記されていろ︵旧︶︒これは
﹁視神経薦︵床︶呂言言巴四目一.の名を所有する
者の間に挟まれる一院腔にして︑其天井は単に
膜より成り︑其機能未だ判然たらざる一種の物
品﹁松球体亜目①巴言号と称するものを附属せ
り︒その地床は一種の漏斗形を成し︑其未は不
整器﹁糊澗傾﹂型言言ご言身と称する者に終
われり︒﹂
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扇己年廻月に生まれ︑ウィーンで医学教育を受け︑
解剖学︑特に頭骨の研究を専門に行った研究者であ
り︑多くの解剖学書を著作・出版した︵図1︶︵肥︶︒
その中の一点がスロイスにより︑金沢に伝えられた
のであった︒﹃ヒルテル氏解剖学﹄︵2︶は︑この様
な理由から当に内分泌学上の稀観書である︒
この小器官からペプチドホルモンと蛋白ホルモンが
分泌され︑人体の内分泌制御に重要な機能をしている
事が解明されたのは︑二十世紀の後半であった︒これ
はペプチドおよびタンパク質の化学︑生化学の進歩が
大きく寄与した結果である︒
蕊蕊蕊蕊蕊灘
6 l・藤本純吉筆記︑スロイス講義﹁解剖学﹂上︑明 文献
治四年︑金沢市立玉川図書館・近世史料館蔵
2.西琶弓一画﹄○の︒.F①①門ご○①戸ぐ四邑旦の己○三行①Q穴匡ごQ①
ぐ四国ロ①ロニの畠の宣言く9富国Q冒里で彦湧ささ四①
①自己国穴昌FQ目匡穴い函.F少.O四目壱四m①ロゆ望里・
あ雪.三.誤g︺壁白目﹃金沢藩医学館﹄蔵印︑
金沢大学附属図書館・医学部分館蔵
3.コ①の.﹄少.︑函①自己①昼言︑一三・①墜里のoご冒望侭
国隅呂昌扁邑号○三房巴穴匡邑号畠ご号自室①房9.
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ご言︐鴎9房﹃金沢藩医学館﹄蔵印︑金沢大学
附属図書館・医学部分館蔵
4.金沢大学資料館︑﹃加賀藩旧蔵洋書総合目録﹄︑
金沢大学資料館史料叢書2.二○○六年
5.中欽哉訳述︑﹃布列私解剖図﹄︑明治壬申初夏新鎬︑
思々斎蔵版︑︵明治五年︶︑近代デジタルライブラ
中欽哉訳述︑﹃布列私解剖図譜﹄︑明治壬申初夏新
鏑思々斎蔵版︑︵明治五年︶︑近代デジタルライブ
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