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宗教と法一その東南アジア諸国における研究メモー

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宗 教

一一その東南アジア諸国における研究メモー

      ◇      ◇      ◇

 東南アジア全体として眺めるときには,宗教そのものが,国内問題においてもまた国際 関係の面においても,政治を動かす力としての大きな役割を果すことは,もはやないであ ろう。しかし,日本では宗教の差は個人の価値観や実践の基盤にこそなれ,社会や政治の 動きには殆んど無縁なほどに政治。教学の分離が一般に徹底しているのに対し,東南アジ アでは,たしかに宗教が社会慣習や規範意識から法律の面に至るまで,なおはっきりと民 衆の生活を規制していると考えられる。

       (1)

 たとえばビルマの家族に関する国有法は,多くの人が説くように,仏教道徳が浸透して いるにもかかわらず,ヨーロッパにおける教会法と同じような意味での宗教法と目さるべ きものは存在しない。仏教そのものも,また仏教の僧侶達も,現実の多くの事象から自ら を厳しく遠ざけているのである。しかしながら,仏教道徳がビルマにおげる家族関係に強 い影響を与えて来ていることは否めない。たとえば農民についてみれば,彼らは農作物の 収穫を今の二倍にあげようと懸命に努力するようなことはしないのであるが,それは農民 が怠惰であることに基づくものではなくして,彼らが仏教徒であることによって,その家 族と自分自身のための衣食住その他の必要晶を調達しさえずればよいと考え,それ以上に 多くのものを欲しないという価値観念を有しているからである。ビルマの農民はそれで満 足し,またそれで充分であると考えているもののようである。その上で,村の僧院に幾ば く炉のものを寄附することができて,毎年の仏教の祭典に役立つことができればよいと思 っているわけである。同じような例をとれば,ビルマの農民に魚や鶏などを飼育して食用 に供することをすすめたとしても,彼らは敢えてこれに応じようとはしないであろうし,

まして市場にそういう動物を出荷することなどは思いもっかない事柄であるに違いない。

彼らは生命を尊重すべきであるという道徳を考えるあまり,動物の生命を断つことを欲し ないであろうし,まして屠殺した動物を金銭に代えるようなことは望まないものと考えら れるからである。

 それでも,ビルマの農民が仏教徒であるからといって,何かを食べないわけにはゆかな い。だから,食事の際には好んで肉を食べるのである。ここに直裁であってしかも基本的 な形態で,仏教道徳の戒律と、日常生活の実際的必要との間の不調和が生ずるのである。か かる不調和は2ビ ルマの社会隼活の多くの領域で見うけられるものである。すなわち・道

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徳と生活の必要性との間に,伝来の慣習と近代的な観念との間に,また,旧い方法と新ら しい方法との聞に,旧い価値観念と新らしい価値観念との間に,等々といった「あるもの」

と「あり得るもの」との間に不調和がみられるのである。

 1947年9月に施行されたビルマの憲法は,近代的な憲法であったし,1948年1月4日に 独立したビルマは,近代民主主義国家たることを意図していたものである。ところが実の ところは・独立宣言がなされる日を決定するに当って・この近代的な国家の創立者が腕術 師にそのことを相談しているのである。その結果,当初には1月の3日に独立宣言がなさ れることに予定されていたものが,呪術師の助言によって1月4日に変更されているわけ であるσまた,呪術師のすすめに応じて,栄光ある独立は明け方の4時30分と定められ,

各種の行事も人間にとって最も煙い時刻から開始されることになった。しかもこの近代的 な国家の創立者達は,そう深いものではないにしても広い知識を有している所謂エリート であり,近代的な自由の思想や理念もわきまえ,マルキシズムの思想も社会主義の思想も その他の思想も充分知っているはずの人々であった。その上,自分達自らを新らしい時代 を導く改革者であると呼称していたものであった。改革のエリートと呪術師,法律や政治 における英国流の原理および方法とビルマ固有の法や伝統的な観念ないしは仏教道徳,こ れらの対照的な存在が微妙な形で混合されているのがビルマの実状なのである。

 ひとつの政党が国家議会を支配し,行政を引き受けている聞は,憲法は充分にその機能 を果していたし,うまく事柄が行なわれていないとか,憲法の趣旨通りになされていない というようなことには誰も気が付かないものである。しかし,その政党がビルマの独立智 勇0年を経過して分裂し,改革が一応の終了をみて,改革妙工がそれぞれ新らしい理論や目 標を打ち峙てて分裂するようになってみると,先に述べたような微妙な混合が顕わになる のである。すなわち,イギリス憲法流のやり方はイギリス人にこそ適応してその機能を果 すし,一イギリス流の風習はイギリス流の価値観念を有する人々の生活から生れるものなの である。イギリス流のやり方や風習が,ビルマ的な価値観念を有する人々に適応したり,

またその機能をうまく果すはずはないと考えられるのであるが,そのことが一般に理解さ れたのがいささか遅すぎた感を与えるわけである。

      (2)

 伝統と革命の融合を図ろうとしながら,多くの矛盾をはらんでいるのが東南アジア諸国 の現状であるが,ビルマもその例にもれない。ビルマがカンボジアやセイロンなどともに 提唱する仏教社会主義(Buddhist Socialism)とは,仏教によって社会主義を鼓吹しよ

うとするものであった。仏教の教義を正しぐ理解し実践することによって,それを新らし い国造りに適応させようとするものであった。仏教は一部でいわれるように外界からの逃 避ではなく,無為,無関心を生命とするものではない。自己の幸福よりも民衆の幸福を,

自己に対する寛容よりも他に対する寛容を追求し,人間と人間,階級と階級との問に,誠 実・平和・平等の関係を確立しようとしたものであった。難解な仏陀の教えも,現代の言 葉と思考で解明され,新ちしい息吹が与えられるならば立派に現代に受け容れられる。1し

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宗教と法 一その東南アジア諸国における研究メモー 117

たがって仏教は現代に生き,る教義であり,仏教を再生させ,それを国家政策の基調にしょ うというのである。

 またビルマ社会主義(Burmese Socialism>は,要するに搾取のない.正義に基づく平 等。平和α繁栄の社会を建設することを目標としつつも,、そこにビルマ的特質を織り}込も

うというのである.。ビルマ的特質とは,穏健な民族の資質,、敬度な仏教信仰.申国との間 に2千キロの開放国境を持つという自然の条件,多様の民族構成などを意味し,,それらを 生かし,かつ社会主義への漸進的な移行を図ろうというものであるσつま吻,仏教思想に よっ、て勤労意欲を高め,、農業の集団化は短期強行を避けて,,協同組合権を図るというもの・

であった。

 それぞれの国の中に古くから受け継がれて来た思想。宗教。慣習と,新らしい革命精神 との融合を求めている・ことである。すなわち.西洋的なものと東洋的なもの,,資本主義体 制と社会主義体制,,固有の伝統と近代化との調和を図:ろうとしていることであるσそれぞ れの風土の上に,非資本主義的・非全体主義的な新らしい政治②経済:軌社会体制1を創造し・

ようとしているものであるα       (3)

      ◇      ◇      ◇

 ビルマの実定法にあっては,宗教上の取扱いや制度は慣習法で処理されることになって いる。すなわち仏教徒に関しては仏教徒法が適用』され,,回教徒については回教徒法が適用

されるわけである。

        (4)

 ここでビルマの仏教についての管見を示しておきたい。仏教そのものは南伝と北伝とに 分れており,教義や経典や戒律などの違いが議論されて来たのであるが,簡明1に表現すれ ば保守派と進歩派ということになるであろう。外伝仏教は正統派つまり保守派であって,

いわゆる小乗の経典のみによるもので,仏陀の定めた戒律をそのまま実践せんとする・もの であ・る。これに対して北伝仏教はいわゆる大乗を主とする進歩派なのである。

 ビルマは南伝仏教あるいは南方仏教に属する国であり,タイ,カンボジア,ラオス,,ス マトラ,ジャワなどと同一系統に属する。ビルマへの仏教伝来は紀元後4,5世紀のころ だとされ,1058年にバガン王朝のアナウラタータ王によって.セイロンにおける仏教の系 統に属するものが国教として定められて今日に至っている。そのセイロンにおいては,ア ショーヵ王(阿育王)の仏教使徒としてその王子のマヒンダの来島が契機となったもので,

それは紀元前立世紀のことである・。紀元後五世紀のころに,申部インドからマハビハーラ

(大寺)という寺院でパーリ語(初期仏教の聖典用語)の経典が整備されたのであ,る。

 ちなみに,北面仏教の最:大のものは中国仏教である。申国入炉仏教を知ったのはかなり 早い時期であったとされているが,その思想的内容についていえば,彼等は受容した仏教 を変容せしめて,天台。浄土。ととに禅の仏教のような全く新らしい中国的仏教を生みだ すに至ったことが注目される。また,精力的な経典の訳出が終ると,こんどはその原本を

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すててかえりみることなく,もっぱら自己の訳出した訳本によって仏教を解釈した。その 受容の仕方が全く中国化した新らしい仏教を生み出すことになったものと考えられる。

      (5)

 そこでビルマ仏教徒の家族関係の一端を要約して述べておこう。婚姻関係については従        (6)

来の慣習法が大体生きていると思われる。元来,ビルマ仏教徒は慣習法上一夫多妻制を公 認するもので,第1の正妻の承諾があれば正妻を2人以上遜ること・ができるものとされて いた。1918年の判例以後は,第1の正妻の承諾なくして第2の妻を婆るときは, 謔Pの妻 は夫に対して離婚の請求ができるとされている。第1の妻と第2の妻は,人格的な権利に おいても,また財産上の権利においても同一の地位を有するものであるが,夫の遺産を相 続するに当っては優劣が認められる。

 婚姻の成立要件は当事者の合意と同居であり,かっこれで充分である。儀式・届出など の要件は必要としないものとされている。通常は近親者の出席による儀式を挙げるが,こ れは社会に広く知らしめるための手段であって,婚姻成立の要件ではない。婚姻年令につ いては,男女とも成年に達していれば本人達自身の合意のみで足りるし,未成年の女子も 婚姻によって両親の監督を受けないようになるから,再婚の場合には何人の同意も必要で ない。男は18才,女は20才に達すれば有効な婚約を締結することができる。なお,婚約を 履行しない者に対しては損害賠償の請求をなすことができる。

 婚姻の効力については次の如くである。すなわち,夫は妻に対する扶養義務が課せられ,

それを怠るときは夫は妻が生活必需品について負担した債務を支払う義務を有する。扶養 の義務は夫が僧侶になっても責任を免れ得ない。第1の妻は,その承諾なしに夫が第2の 妻を同一家屋内に連れて来た場合に夫と同居することを拒絶しても,夫に対してその生計 の指図を求める権利を失わない。夫婦間の婚姻財産は共有であり,それぞれ持分を有し,

婚姻財産には』共同取得財産。単独取得財産をはじめ,婚姻前より持参したる嫁資をも含 まれる。夫婦はそれぞれ共同取得財産と単独財産の上に2分の1の持分を有し,他方の持 参せる嫁資の上に3分の1の持分を有する。2人の妻を有する夫が,第2の婚姻をなした

る後に財産を相続して得た場合には,夫の持分は3分の2であり,妻はいずれも6分の1 つつである。この場合に,普通の単独取得財産については,夫の持分は2分の1であり,

妻はいずれも4分の1つつである。

 ビルマ仏教徒聞の婚姻は,協議離婚。裁判離婚。遺棄によって解消する。一方の追出し による単意離婚は,1930年のラングーン高等法院の判決以後は認められていない。しかし,

夫が妻を3年間遺棄し,または妻が夫を1年間遺棄したる場合において,ともに夫が妻に 対し生活扶養料を支給しないときは,その期間の満了によって婚姻は解消する。合意によ

る別居は遣棄ではなく,遺棄といえるためには遺棄者の意思によるものでなければならな い。裁判上の離婚は,一方が婚姻罪を犯したるため,裁判所の判決による場合に認められ る。ここに婚姻罪というのは,肉体的または精神的虐待,妻の姦通および夫が第1の妻の 承諾なしに第2の妻を婆つた場合を指すのである。ただし,夫の不貞行為はそれが虐待の

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宗教と法 一その東南アジア諸国における研究メモー 119

程度に達せざる限り離婚原因とはならない。離婚の効果としては,財産分割と子の処置が 問題となる。協議離婚の場合には,夫婦はそれぞれが婚姻の際に持参した嫁資を取得し,

共同取得財産と単独取得財産は夫婦双方が平等に分割し,相続による単独取得財産は2対 1の比率をもって分割せられるし,相続人たる当事者は3分の2を取得する。姦通による 離婚については,犯行ある妻は全財産を喪失することを原則とするが,子ある再婚者であ

る場合は,前婚による子を養育するべき関係にあるから自己の嫁資を取得する権利を有す る。夫の虐待による離婚の場合には,夫は自己の全財産を喪失することが原則にされてい る。遺棄による離婚については,妻が夫を遺棄した場合は,婚姻財産上の自己の持分を喪 失し,自己の単独取得財産の3分前1を保有し得るに留まる。これと反対に夫が妻を遣直

した場合は,妻は夫の単独取得財産の3分の2の分割を請求できる。子の処置に関しては,

特約なき限り・一般に男児は父が引き取り,女児は母が引き取るこ≧になる。嫡出子の相 続権については,父母に特約なき限り,同居せぎる親の相続権を失う。

 さらに,ビルマの回教についてその素描を与えおくことにしよう。回教そのものは厳格 な一神教である。「アラーのほかに神はない。マホメッ・トはその使徒である」と唱えられ

る。「コーラン」はアラーの天啓の書なのである。回教徒には五つの実践の基準が示され ている。信仰告白・礼拝・断食。喜捨・メッカ巡礼がそれである。そしてこの唯一神教は,

同時に偶像の崇拝を徹底的に否定し排斥する。とこ.ろで,回教思想の根本においては,信 徒はすべて平等である。回教世界の拡大する過程で,一種の同胞観も形成されていったわ けである。

 東南アジアにおいて回数の影響が明確に認められるようになったのは,13世紀から16世 紀にかけてのこどだとされている。そこにおいても回教の教義は本質的にはほとんど変ら なかったとする見方が強いが,信仰内容や儀礼・慣習やその上に形成されたこの地域の回 教徒の現実の生活は,回教以前の固有の文化や生活様式を広範にとどめており, したがっ て回教徒の信仰生活も西アジアのそれとはかなり異ったものになっていると解される。

 ヒンヅー教や仏教文化の影響の強かった東南アジアでも,一部において呪術や精霊信仰 がひろま?ていたところでは,回教が根をおろした後でも,いわば原始宗教的な要素が,

なお回教徒のあいだに残っているものと考えられている。

       (7)r

 イスラム法はイスラムの宗派に応じてスンニー法とシーア法とに分たれ,スンニー法の うちにまたいくつかの学派がある。その主要なものは次の通りである。ハナフィー派,マ ーリク派,シャーブイ派,ハンバル派,などでそれぞれ創始者の名によって呼ばれている。

これらの各派は末梢的には異なるが,本質的には略同様なもので,同一の法律を求め,互 に他派に同等の権威を認めている。ただシーア法はスンニー法の認めるハディス(マホメ

ットの聖伝)を認めずに自派のハディスを有する。

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 19世紀以来,諸外国との折衝がはげしくなるにつれて,イスラム諸国では聖法からの脱 皮がよぎなくされ,その結果として商法・刑法◎民法の近代化は徐々に行なわれて来たがト 身分法α家族法に関しては一番進歩が遅く,現在でも、,イスラム諸国で濾身分法・家族法 については未だに宗教法が適用1され,、宗教法廷の管轄に置かれているところが多い。・

 次に回教徒の家族関係について概観してみよう。

      (8)

 親族の範囲についてみれば,夫婦ゆ子。夫婦の尊属・兄弟姉妹とその子・父方の叔父叔 母とその子・母方の叔父叔母とその子,たちが親族としての権利資格をもつでいる。母方 の女性親族は,法的にはその権科を有しないが,子に対する母親の権利(ハダナ〉を継承 することがあり,その意味で家族につながる。そして男性親族は女性親族に常に優先する。

 なお」家族の中では,アサバートと呼ばれる男系男性親族が支配権を有していて,一族 を代表して一家の名誉を守り,家族の保護義務を負っているものである。

 婚姻は契約であり要式行為とされる。婚約は双方からの破棄が自由で,詐欺によるとき にのみ損害賠償の請求ができる。婚姻年令は必らずしも成年である必要はなく,相手方の 選択に当っては釣合が強調され,血統・信仰・自由な身分・財産・清廉・敬神の念・職業 などが考慮:きれる。契約当事者は,通常の場合花嫁の男性最近親者(ワリ}〉が花婿と締 結する。契約に当っては,花婿が嫁資(マール)を花嫁に支払うことが不可欠の要件とな

っている。これば売買婚の名残り・であるが,マホメットにより・「妻への報酬」とみなされ るよう・になった。その金額につ・いては,普通,契約のときに両当事者が相談す1るが,その 額は花嫁の姉妹や叔母従姉妹達が受け取ったものに釣合うように決められるのである。そ の額には制限は大体ないのであるが,宗派によってぽ最低額の規定されているものもある。

ところで婚資は必ずしも契約の際に全額を支払う必要はないので,その一部を支払い,.残 額ば離婚または一方が死亡したときに支払ってもよぐ,その方がむしろ普通になっているρ この一部支払いの慣習はイスラム以前にさかのぼり,花嫁の生家との関係を断ち切らない ためのものであった。すなわち,夫が虐待したりした場合に,婚資の全額が支払われてい ない限け,妻の生家では彼女を保護する権利が留保・されるという売買婚の遺習であると解 されている。

 契約の方式としては,婚姻契約は両当事者が出席し,花嫁のワリーまたは花嫁自身もし くは代理人が「申込」.の宣言をなし,花婿が「承諾」の宣言をなすことによって行われる。

この二つは他の契約の場合と同様に続いてただちに行われなければならない。宗派によっ て,契約には法に適つた二人の男性または男一人,女二人の証人の立会を要し,契約書を 作成することによって有効となるものや,公表さえすれば証人を必らずしも必要としない ものがある。結婚式には聖職者は介在しないが,普通には婚姻に関する聖法の規定に詳し い者が世話をするし,回教徒の諸国ではこのような結婚契約の世話をすることを職業とし ている者があるということである。

 婚姻障碍の事由には以下の六つの場合があげられる。(1)既存の婚姻 男は4人まで妻を

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宗教と法 一その東南アジア諸国における研究メ毛一 三1

もつことが許される。ただし奴隷は制限がない。これに反し,女は同時に2人の男と結婚 することは認められない。(2)宗教の相違 コーランの規定では非信者との結婚を禁じてい るが,後にはムスリムの男はグリチャンやユダヤ教徒(聖典の民と呼ばれる〉の娘との結 婚が許されることとなった。これに反しムスリムの女は異教徒との結婚は認められない。

(3ン近親婚 直系尊属卑属・全血餅血姉妹。姪・父方母方の叔母大叔母は,血族姻族とも双 方にわたって結婚が禁止される。また,継母暖継娘。息子の嫁との結婚も禁止され,姉妹 や叔母姪の関係にあ.るものを伺時に妻にすることはできない。というのば,親族関係を婚 姻によって崩すことは許されないからである。(4・)乳親族婚 イスラムに特有の規定で,哺 乳きれた者はその乳母とそのすべての親族(血縁乳縁を含む)および乳母の夫とそのすべ ての親族(血縁乳量を含む〉との間に,また同じく同じ女の乳によゆ育った者の岡にも親 族関係を生じるbただし,乳母と哺乳した子の尊属傍系親族の間1には親族関係が生じない』

この乳親族関係は血族同様の婚姻障碍となる。これは,原始未闇の民族に見られる慣習で あるとざれるが,これを法で規定したものはイスラムの法だけであるといわれる。 トルユ

・イランでは現行民法典にさえ婚姻禁止条項の一つにこのことを挙げている。㈲:婚姻禁止 期間にある女 離婚したり死別した女は,法定の期職を経過しなくてぱ新らしい婚姻契約

を締結するζとができないαこの期間はイツダ〔と呼ばれ二死尉の場合は4ケ骨と忌日,

離婚後は3ケ月となっている。イツダーの規定は父性の確定のための近代法的憐権を有す ると同時に,古代のアラビアの習俗である服喪の意味をも有するものと指摘されるのは・

死後のイツダーの方が長いことや奴隷女のイツダーは自由人の半分であることかち知られ るところである。㈲、離婚した夫婦 夫が妻を三度離別して離婚した場含と,妻の姦通によ

り離婚した魚鋤には,その夫婦は再婚を禁ぜられる。前者にあっては・もし妻が離婚後に・

他の男と結婚し離婚した後ならば,・前夫との結婚が認められる。

 夫婦の財産は婚姻によっては共有にならない。また。婚姻中にそれぞれの労働や歯面に よって得たものは各自の所有に属する。妻が受取った嫁資は妻の財産である。妻は夫の後 見によらず,、単独で各種の契約をなすことができ,その意味で妻の財産法上の地位は高い といい得る。

 夫は妻に対する扶養義務が課せられ,妻の地位に釣合う衣食住を与えなければならない。

この当然の扶養義務を果さない夫に対しては,妻は,経済上困窮していることを証明すれ ば離婚の請求をなすことができる。 しかし宗派によっては妻の生家の父。兄。弟・母q祖 父(これらの者は妻が未婚なら扶養する義務ある者である)が扶養し,その費用を夫が経 済的に好転したとき彼に対して返還請求できるとするものがある。能力がありながら故意 に妻を扶養しない夫に対しては,妻からの離婚があれば判決によって離婚の請求を認める。

宗派によりやや異なるが,扶養料を支払うまでは投獄することを許したり,夫が経済的に 困窮してきたら妻を扶養する義務はなく, もし妻が却って富んでいれば夫を扶養すること を命じるものもある。

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 二人以上の妻を持つ者は,一人の妻と過したよりも長く他の妻のところにいてはならな いし,無妻制というのは四人の妻を平等に取り扱うことを意味し,四人の中での地位の上 下は設定されない。妻の取り扱いについてイスラムは詳細な規定を謡いている。夫は自己 の義務を果す限り妻に対して服従を要求する権利が与えられ,不従順な妻には懲戒を加え ることができる。なお,以上の如き夫婦間の権利義務は勝手に変更することを許さない。

 導通のみでなく,正式の夫婦・奴隷と主人の間以外の性関係があったときは石で打ち殺 されるか,鞭で打たれることになっている。これをジーナの罪といい,罪を自白すれば鞭 で打たれ,そうでないときは石で打ち殺される。ジーナの罪は詳細な確証を与えうる四入 の男の証言がなくては成立しない。実際には当人の自白がなくてはジーナの証明は困難で あるとされる。未婚者相互の場合はジーナの罪は答刑をもって足りるといわれる。夫は妻 の姦通の現場をおさえた場合に,相手の男もろともこれを殺すことができた。また,夫は 単なる妻の姦通の想像だけで,妻が夫に不忠実であるという誓を立てることができる。.し かし妻が身の潔白を誓うなら,妻は介せられはしないがその婚姻は解消し,生れた子は夫 がその嫡出性を否認することができる。

 離婚ないし婚姻解消についてみてみよう。まず婚姻は当事者の一方の死亡またはイスラ ムへの背信によって自動的に解消する。そのほか離婚ほ大別して,夫の一方的宣言による

もの,協議によるもの,裁判によるものの三種がある。

 夫の一方的宣言によるもの(タラクという):は最も普通に用いられる離婚の方法で,夫 から妻の離別を宣告し,この宣告をタラクという。宣告した夫は嫁資の残額を支払い,妻 が懐胎しているときはその子は夫の子となる。しかし,妻のイツダ一期間中は婚姻はなお 解消せず.双方に相続権があり,もし四人の妻を持っていた夫がタラクを使った場合は新 らしい妻を婆ることはできない。またイツダーのうちは夫はタラクを取消すことができる。

婚姻はイツダーが完了してから完全に解消するが,解消後に再婚する場合は新らしく契約 をなし改めて嫁資を支払わなければならない。しかし,夫は三度タラクを宣言しだらもは や取消すことは許されず,、両者は再婚することができない。ただし,妻が一旦他の男と結 婚し離婚した後ならば最初の夫と再婚できることになっている。そこで,その場合に未成 年の男子と偽装結婚をし,ただちにタラクによって婚姻を解消して再婚するという方法の

とられることがしばしばであるという。

 協議離婚(クール)は,協議による場合または妻から離婚を申し立てる場合である。夫 は嫁資の残額を支払う義務がなくなり,妻は結婚するときに受取った嫁資に相当する金額 を返還して自由を買い取ることができる。夫はアールを返されたことで,もはや離別に対 する取消権を失い,離婚はただちに成立する。ただし,双方が望むならば再婚が認められ

る。結局,協議離婚といっても非常措置なのである。

 裁判離婚はフアスク (裁判官の介在する離婚)とりーアン(裁判手続を要する離婚)と に分れる。プアスクは宗派によって理由が区々になっているが,(1)父や祖父によらずに遠

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宗教と法一その東南アジア諸国における研究メモー

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い親族によって結婚させられた未成年者は,成年になればフアスクにより離婚の請求がで きる。(2)婚姻契約に当って特に強調した特質に反したとき,たとえば婚姻完了後に夫の身 分違いを理由に妻のワリーが離婚を申し立てる場合などである。(3)夫が法定の扶養をしな いとき,妻からの離婚申し立てを認める。(4)癩病・象皮病・精神病・身体的欠陥・性的不 能など。(5)婚姻完了前または後に嫁資を少しも支払わないとき。⑥妻がくり返し夫から虐 待されたとき。(7)夫婦の不和,等となっている。離婚理由の証拠が申請されれば,治安判 事(カーデイ)は結婚を解消させることができる。その結果,結婚が完了していなければ 嫁資は支払わなくてもよいし,もし支払われているときは返還させられる。婚姻完了後は,

原因が夫にあれば嫁資を支払い,妻に責任があれば支払う必要がなく,また, もし支払わ れていたら返還させられる。

 リーアンはもう一つの裁判離婚の形式であるが,夫は確認が得られないならば,妻を姦 通の疑で告発することはできるとしても,この場合正式に離婚するためにはりーアンの手 続をとらなければならない。告発した夫は,法廷で規定の方式で誓を立て,続いて妻が身 の潔白の誓を立てる。相互に呪いの言葉をかけ合った後で治安判事が婚姻が解消したこと を宣告する。夫は,確証なくして告発だけしてリーアンを宣べない場含は誹殿罪で罰せら れ,夫がリーアンを宣べるか嘘をついたことを認めるまで投獄される場合もある。 リーア

ンが成立する と生れた子の嫡出性は否認され,両当事者の再婚は禁止される。宗派によっ ては解消後に夫が告発を取消せば再婚を許すものがある。現在では,リーアンは子供の嫡 出性を争う場合に用いられることが多いといわれる。

 親子関係に関しては,イスラムになってから子の取扱いについて嫡出の規定をもったこ・

とと成年を定めて子の独立性を認めたことが特筆すべきことだとされている。その他,イ スラムの特色ともいうべき点は,養子を禁じた代りに出生の知れない者に限りイクラール  (認知)により父子関係または母子関係を創設することを許したことや,子に対する母親

・父親の権利義務をそれぞれ明確にしたことであるといわれる。

 嫡出子についていえば,イスラムが正式の婚姻による以外の性関係を厳罰に処し,婚姻 解消後にイツダーを設けて懐胎の有無を確めた一つの理由は,子の嫡出性を問題にするよ

うになったからであり,父性の確定を規定するようになったのは大きな進歩と考えられる。

婚姻完了後六ケ月以後に生れた子は,たとえ父親が否認しても法的には嫡出子となる。六 ケ月以内に生れた子やその他出生が疑わしい子の場合でも,父親が認めれば嫡出子となる。

婚姻解消後に生れた子はシーア法では十ケ月,ハナフィー派では2年夏シャーフィ派・マ

_リク派では4年の閥ならば嫡出子になる。奴隷の生んだ主人の子は正妻の子と同様に嫡 出子である。また,無効な婚姻による子・善意の錯誤による子も嫡出子とされる。

 その他の場聴すなわち姦通による子(リーアンにより離婚した場合も含む),血族間や 父方の親族との間に生れた子,母親が父親の名をいえない子,その他如何なるムスリムも

自己の子と認め難いような子は,すべて私生児一罪の子一と呼ばれる。私生児はたとえ父

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親が自分の子である、と認めても,法律上の親子関係は発生しない。イスラムでは普通の意 味での認知は存在しないわけである。私生児には母子関係があるのみで,母系親族に属し,

彼等を相続するαただし,母親にとっては嫡出子も私生児も伺等に取り扱われる。

 成年についてみれば,温熱のきぎしがあったときに成人となり,人によって区々である が,シャーフィ派では14才,ハナフィー派では18才を限度にしている。

 子に対する両親および親族の権利義務には三種類のものがあり.,第1は哺育・教育・職 業教育面の心身の育成義務で,ハダナと呼ばれる。第2は未成年者の財産管理であり』,第

3は未成年者および娘を結婚させる権利である。ハダナ・扶養一父親は子の衣食住の面 樹をみたり・,教育をする責任を課せられている。男の子は成年に達するまでに心身を鍛錬 し,教育を施し,職業を施し,職業を教えこまなくてはならない。女の子は成熟するまで,.

またぱ結婚するまでは扶養するのが父親の義務であり,さらに離婚したり寡婦になった娘 の扶養も父親にかかる。父親が子の扶養について総括的な義務をもつ一方,母i親は実際的 に,出産につついて哺乳し,自分の腕の申で育てる権利を有している。この母親の権利を ハダナと呼び,、これは母親の権利であるとともに義務である。「夫は妻にハダナを強制する ことができるしその費用を負担する義務がある。母親のハダナの権利と,父親がそれを可 能にする義務は不可分のものである。ハダナは離婚後においても母親に属し,その期間は 各派によって異なり、,7才までとか成年までとかまたは娘が結婚するまで母親の下におか れるなどとなっている。、母親が再婚した場合は,新らしい夫が子の父親でない限り母親は ハダナを失うことになっている。父親が死亡したときはその相続入が母親にハダナの費用 を支払う。、母親が死亡したリハダナを失格したりなどした場合には,母方の女性親族が父 万のそれに優先してハダナをひきつぐ。双方に女性親族がいないときは父親と子のアサバ ートがこれにあたり,アサバートがいないときは母方の男性親族がこれにあたる。近い親 族が優先し,同位の親族の間では同母異父親族に優先し,後者はさらに同父異母親族に優 先する。同位同系の間では裁判官が適任者をきめる。この順位については各派により意見 が異なるけれども,,いずれも母系親族が優先する点はハダナ本来がおそらく母系家族の遺 風であることを示すものと目されている。なお,子の教育。職業教育に実際に当るのは母 親ではなくて父親である。

 子の教育費や扶養費は,子に財産があるときはそれをあて,子に財産のないときは父親 の負担すべきものとなる。父親にその資力がない場合は母親の負担となる。既述のように 夫婦は別産制をとるが,妻に財産があっても生活上の出費は夫の負担となり,子の扶養料 は家政費:の首位を占めるのであるから当然に夫が支払うべき義務を有する。 もし妻が子の 扶養料を支払ったときは,単なる前借で.後に子に財産が出来たらその返還を請求でき,る

し,夫の経済状態が回復したら出費を返還してもらうことができるのはもちろんである。

後見については,未成年の子の財産の管理は父親と父方祖父に任されている。双方ともい ないときは裁判所が後見人を指名する。母親・兄弟・叔父などでも,裁判所の指名をまた

(11)

宗教と法 一その東南アジア諸国における研究メモー      125

回忌れば法定後見人にはなれない。 しかし法定後見人の他に事実上の後見人があり,彼ら は財産管理の権利義務はあるが処分権を有しない。ただし動産だけは被後見人の扶養のた めに使ったり委託したりすることが認められる。不動産の管理は法定後見人のみに任され,

裁判所の指名を受けた法定後見人は,裁判所の許可を得なければ不動産を抵当に入れたり 売却したりすることはできない。未成年の子が成年に達したとしても,自己の財産管理の 能力がない場合には後見がさらに継続されるが,ハナフィー派では25才を限度としている。

なお,精神病者のハダナと後見は未成年の子に準じて行なわれるが,精神病者に妻があれ ばハダナは妻にあり,次には娘に引き継がれる。

 養子は,前述のようにコーランに基づいて禁止されている。イスラム以前には養子の慣 習は存在していたものであるから,実際上の不便を避けるために,事実上,イスラムでは 出生の分明でない子に限りイクラール(認知)によって父子関係または母子関係を創設し て,実子でない者を家族に収容するという養子と同様の制度が存在する。

 イクラールにより父子関係を生じた子は,実子と同様の取り扱いを受け,父親と祖父を 相続する。イクラールには証人の立会を必要とし,親子関係の創設のためには,両者の年 令の開きが釣合いを保っていることを要し,成年に達した子の場合はその承諾を必要とす る。なお,親子関係のほかに出生の知れない者を兄弟として認知する兄弟縁組炉認められ る場合もある。

 特異なものとして,ハナフィー派では捨子の養育を特に規定していることである (育親 子)。出生の知れない子は前述のイクラールにより父子関係を創設するほか,単に拾った 者が養育を引き受ける場合と,国家がその養育を引き受ける場合とがある。認知を伴わな い養育関係では,子は育親の相続に関与せず,育親の支払った養育費は金銭的債権とみな されて実親が現われて返還するか子が成人後にそれを返還するか,しない以上は奴隷的身 分におかれる。しかし,子とともに発見された財産は子に属し,育親は裁判官の許可を得 て子の養育費に当てることが認められる。育親は子にハダナと教育・職業教育の権利義務 がある。国家の費用すなわち一般倉庫(バイトウール・アール)や慈善家の寄附によって 養われた場合は,子は成年になれば自由なムスリムとしての諸権利が与えられる。

 イスラムでは子は極めてヒューマニスティックに取り扱われ,家のためや親のためでは なくして子自身の利益を念頭に考えられることが特徴である。私生児が罪の子として峻別 される社会ではあるが,一方においては事実上の私生児救済を図る規定がところどころに 見受けられる。たとえば,嫡出の認定は極めて緩やかであるし,捨子の出生に不法を予想 することは法廷での証明がない以上許されないのである。私生児に財産をつけたりしてひ そかに他人に養育を託することも珍らしいことではなかったと考えられている。

 相続についてはどうであろうか。イスラム以前のアラビアではアサバートのみが柑続人  となり,卑属・尊属・傍系の順位となっており,それらのうちでは均等に分割せられた。

イスラムになって変化した主な点は,夫婦が相互に相続権を有するようになったことと,

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女性親族もまた男性の2分の1という制限はあるにしても相続権を有することになったこ とである。

 法定相続人は,大別すればコーランで規定された者・アサバート・女性親族の三種とな る。コーラン相続人で分割した残額がアサバートにゆき,アサバートがいないときには宗 派によって差異があり,再びコーラン相続人にかえるかもしくは一般倉庫(バイトウール,

。コール)に入る。父方親族のうちアサバートで血族と女性親族は,アサバートもコーラ ン相続人もいない場合には相続権を与えられる。

 相続人は生存者に限られる。ムスリムは非信徒を相続人にすることができないのが原則 であるが,現在では必らずしもこの原則通りには行なわれていないといわれる。なお,殺 人者は故意による場合はもちろん過失による場合であっても死者を相続することは許され ない。失踪者は,人間の寿命の限度たとえば70才・90才。120才を過ぎた場合は相続権を 喪失する。また,奴隷は自由人を相続できないし,私生児は母親と母系親族のみを相続す

ることになる。

 イラクールにより認知された者は,認知した者とその父親のみを相続できるのである。

コーラン相続人とはコーランで定められている者で,夫または妻。父・実祖父・母・祖母

・娘。息子の娘。全血姉妹。駆血姉妹・同母兄弟。同母姉妹である。主として女性によっ て占められ,まず第1に分け前を請求することのできるグループである。けれども,実際 に財産の大半を取得するのは次のグループであってこのグループではないのである。

 息子。孫息子・父・祖父。兄弟・父方の叔父とその子達は,イスラム以前においては主 たる相続人であったが,イスラム後も実質上の相続人となった。既述した相続人の順位は 根本原則であるから,実際に適用してゆく場含にはコーラン相続人は男性の2分の1の取 得分しか有しない女性によって占められているため,アサバートの優位がはっきりするわ

けである。たとえば寡婦と息子が残されたときは,財産の8分の1のみをコーラン相続人

・として寡婦が取得し,残りの8分の7はアサバートである息子が取得することになる。娘 はコーラン相続人として3分の1の請求権が与えられるけれども,2人以上の娘があれば 併せて3分の2以上の財産は請求できないこととなっている。さらに,娘が息子とともに 相続する場合は,コーラン相続人たる資格を喪失して一種のアサベートとなり息子の2分 の1しか取得できない。この法則は息子の娘の場含にも適用される。このように,親族の 組合せによって様々に配分率が変ったり失格する者が出だりして,イスラムの相続法は誠 に複雑難解なものとなっている。ただ,夫または妻・息子・娘・父・母の5人は他から完 全に排除されることがなく,常に権利を保障されているものである。

 同位の親族の間では均分に分けられ,息子相続制をとらないことがイスラムの一つの特 色であるといえる。

 遺言はどうなっているであろうか。死者の財産は,まずその申から葬式と屍衣に必要な

即と耀騨れ1逸に鱒が難われ,残卸険釧が騨鰭され・粉の2が溝

(13)

宗教と法 一その東南アジア諸国における研究メモー 127

定相続の対象とされる。なお,妻の嫁資の残額は負債の中に含まれる。

 遺言は成年の精神の健全なムスリムについて許される。遣言には一定の方式といったも のはなく,口頭でも書面でもなされてよいが,証明できる証人を必要とする。ただし,財 産の分配には執行者を指名することが必要である。 しかし執行者には裁判所の指名は不要 である。6ケ月以内に生れる胎児に遺贈することも認められるが,法定相続人は受遺者に なれない。遺贈の客体となるのは,イスラムの宗教に反するものであってはならない。宗 教目的のために遺贈するもできるし,またモスクや病院などの公共施設に遺贈することも 許される。ただし,3分の1以上を遺贈する場合は法定相続人たちの許可を要することと

なっている。

註 (1)

 (2)

 (3)

 (4)

 (5)

 (6)

  (7)

 (8)

荒松雄:回教一宗教と政治・社会一,朝日ジャドナル.1966・8・14,86頁。

Maung Maung:Law and Custom in Burma and the Burmese Family,1963,.PP.115 丸山静雄:混合体制一伝統と革命の融合一,朝日ジャーナル,1966・6・19,74頁以下参照。

M.Maung, op. cit., p.125.

増谷文雄:仏教一古いものの重み一,朝日ジャドナル,1966・7・3,74頁以下参照。

黒木三郎:「婚姻法の近代化」,1966,136頁以下による。

荒:前掲82頁以下参照。

福島小夜子:イスラムの社会と家族(家族i問題と家族法1),160頁以下による。

 なお,回教が東南アジア諸国の法との関係で,どのように受け容れられて来たかを考察 する予定であったが,今はその余裕がない。その点他日の研究に期するとともに,それぞ れ先達のたんなる祖述に止まったことをお詫びしたい。

      (以    上)

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