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修士論文・博士論文一覧|九州大学 大学院人間環境学府

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(1)

25-1

村野藤吾にみる建築家としての一様相

―芸術としての建築と商品としての建築―

岩﨑 冬葉

1.はじめに

1.1 研究の背景

  村 野 藤 吾 (1891-1984) は 60 年 以 上 に 渡 る 活 動 の 中 で

200 以 上 と い う 膨 大 な 数 の 作 品 を 残 し て い る 。 村 野 が

活 躍 し た 時 代 は モ ダ ニ ズ ム の 勃 興 と 発 展 の 時 期 に あ

た り 、 同 時 代 の 建 築 家 に 吉 田 五 十 八 (1894-1974) 、 前

川國男(1905-1986)、丹下健三(1913-2005)等のモダニ

ストが存在する。日本の建築界が近代化へと向かう中

で、吉田は独自の手法で日本の伝統建築の近代化を進

め、前川・丹下らは精力的にモダニズム建築を生み出

した。その一方で村野は特定の主義や手法を持たず多

種多様な作品を造りあげた。しかし、1933年に新興建

築家達

※1

が主催した近代建築の広報を目的とした講演

会の前座にて、様式的建築が社会的要求から生まれ大

衆に働きかける力を持つものだと訴えた

※2

。以来、当

時のモダニスト達の様式的建築を社会から追い出そう

とする姿勢へ反抗し続けた。前述のように村野は多様

な作風を持つが、作品毎に見ていくとモダニズムとは

相容れない理念を示した建築が幾つか存在することが

指摘できる。

 本稿では村野藤吾の作品に反映された、当時のモダ

ニストとは異なる建築家の在り方を、同時代の近代建

築の様相を踏まえて捉えることで、建築家としての一

様相について考えてみることを目的とする。

1.2 研究の対象と手法

 村野のモダニズムとは相容れない理念が意匠に現れ

ていると指摘できる作品を、同時代に活躍したモダニ

ストの思想や言説、また発表から数年以内に設計され

た同用途の建築と照らし合わせて分析する。取り上げ

る村野作品は広島平和記念聖堂、八幡市立図書館、大

阪 新 歌 舞 伎 座 の 3 つ と す る 。 こ れ ら の 比 較 対 象 と な る

作品を、丹下健三案の広島カトリック教会、神奈川県

立図書館・音楽堂、第四期歌舞伎座とした。アンビル

トのものも含まれるがここでは敢えて取り上げる。

  本 論 の 構 成 は ま ず 2 章 で 1950 年 代 の 建 築 界 の 情 勢 を

モダニストの言説を取り上げながら概説し当時の建築

思 潮 に つ い て 考 え る 。 次 に 3 章 で 各 作 品 の 対 照 分 析 を

行い、背景を踏まえた考察を行う。

2 日本近代建築における1950年代

 1950年代はモダニズムと伝統の問題が転機を迎えた

時期と言える。戦前からモダニスト達は伝統を装飾的

に表現するいわゆる折衷主義建築を否定しつつ、モダ

ニズムの先進性を説いてきた。そして戦争を経て、応

急的な建築需要のために、低コストで迅速な供給を可

能 に す る デ ザ イ ン 性 を 持 つ 近 代 合 理 主 義 的 建 築 を 国

際建築と称して急速に普及させる。1950年代半ば以降

に は こ の 流 れ が 一 段 落 し 、 反 動 の よ う に 建 築 界 が 日

本 の 伝 統 を 見 直 す 動 き に 移 る 。 そ の 中 で 、 吉 田 鉄 郎

※ 3

(1894-1956) の 海 外 向 け に 日 本 建 築 を 解 説 し た 著 作

「日本の建築」

※4

に見られるようにモダニスト達は日

本 建 築 の 特 徴 を モ ダ ニ ズ ム が も つ 純 粋 主 義 の 中 に 位

置づけようとした。この考え方は1933年に来日したブ

ルーノ・タウトが桂離宮や数寄屋造りといった伝統建

築に純粋主義と通ずるものがあると高く評価したこと

が発端だと推察される。そして1955年から56年にかけ

て当時の主流メディアである雑誌の「新建築誌」上で

丹下健三と白井晟一、編集長を務めた川添登を中心に

展開された伝統論争

※5

は建築界外からも注目を集め、

多くの人々により議論が交わされた。伝統に関する丹

下の言説には吉田が見出した自然との融合や材料感の

発揮、清純性、日常性、規格といった日本建築の特性

が散見され、彼の伝統解釈の背景に吉田の著作がある

可能性が指摘できる。丹下は自身の伝統解釈が反映さ

れた作品群を誌面にて大きく発表し続け、広く知れ渡

ることとなる。このように1950年代の建築界では、伝

統論争を経て純粋主義的な芸術思潮の下に、日本の伝

統建築もモダニズムに内包可能であるという考え方が

支配的になりつつあった。

3 作品分析

3.1 教会

 広島平和記念聖堂の建設にあたり、1948年に「平和

記念広島カトリック聖堂建築競技」という戦後最大規

模 の コ ン ペ が 開 催 さ れ 、 村 野 は 審 査 員 の 1 人 と し て 参

加していた。応募要項では「日本的性格を尊重し、最

も健全な意味でのモダン・スタイルであること、従っ

(2)

25-2

ず 、 教 会 堂 と 鐘 楼 を 図 6 の よ う に 並 立 さ せ 、 教 会 堂 へ

正門からアプローチが真っ直ぐ延びている。そしてア

プローチの左右には附属講堂や会館、神父館等の周辺

建物を配置させている。

  実 施 案 の 教 会 堂 は R C 造 の 架 構

に 煉 瓦 を 充 填 し 、 構 造 体 を 露 出

さ せ た モ ダ ニ ズ ム 的 形 態 を 持

つ 。 し か し 、 広 島 の 灰 を 混 ぜ た

現場造成の煉瓦、はみ出たモルタルを鏝で軽く押さえ

ただけの目地、所々煉瓦を引っ張り出した壁面といっ

た「手」による労働に作品としての親しみを感じる。

 村野は日本的性格というものを、「州浜」「木瓜」

といった伝統的なモチーフを用いた開口部、照明等の

デ ィ テ ィ ー ル や 、 全 体 的 に 抑 え た 渋 い 色 彩 で 表 現 し

た。経年劣化による汚れやくすみも作品に風情を加え

るものとして生かされている。

3.1.3 比較

 配置構成について丹下は歩行者を広場に引き込む意

図があったと説明しており、「宗教体験と生活体験の

調和ある空間」

(2)

つまり公共性を重視していた。対す

る村野の配置からはあくまで中心は教会堂と鐘楼とい

う意図が窺え、外観の印象も相まって建物自体が記念

碑であるかのような印象を受ける。また、最新のあら

ゆ る 「 技 術 」 を 取 り 入 れ た 形 態 の 丹 下 案 に 対 し 、 村

野 は 人 間 的 な 操 作 を 表 現 の 一 つ と し て 加 え る こ と で

「手」を表現した。そして「近代技術の結晶が将来の

日本的なものとなりうる」という丹下の理念の下では

過去に回帰することは許されないが、村野は設計条件

を満たすようモダニズムの骨格に色彩や装飾的な意匠

を加えることで日本的性格を表現しており誰でもその

表現を感じ取ることができる大衆的なものとなった。

 丹下案は社会という群体に向けて建築自らが働きか

けるという思想が強く表れている一方で、村野の実施

案は大衆一人一人に寄り添い語りかけるような建築と

なっている。

3.2 図書館

  1 9 5 4 年 に 竣 工 し た 前 川 國 男 設 計 の 神 奈 川 県 立 図 書

館・音楽堂の図書館部分と、1955年から工事に着手し

た村野藤吾設計の八幡市立図書館を比較分析する。前

者は高低差のある敷地に音楽ホールと併設する形で設

計されているが、機能は分断され独立しているため取

り上げることとする。後者は戦後県下で初めて建てら

れ た RC 造 3 階 建 て の 図 書 館 で あ る 。 図 面 資 料 に よ る と

最古のものが1954年12月作成のため、前者の竣工後に

設計されたと推察される。 「聖堂の外観及び内部は宗教的印象を与えること」、

「記念建築としての荘厳性を持つこと」の三つが条件

と さ れ て い た

( 1 )

。 モ ダ ニ ス ト 達 も 多 く 参 加 し 、 2 等 に

丹下、3等に前川や磯崎新の案が選定されたが、1等案

は選出されなかったためコンペ案は実現しなかった。

紆余曲折の末に審査員であった村野が設計を担当する

こととなる。

3.1.1 丹下案の広島平和記念カトリック聖堂

 丹下案は西側の道路と接続した広場があり、周辺に

聖堂や教会堂、講堂、鐘楼、司祭館が付随した、ヨー

ロッパの古い歴史都市を彷彿とさせる配置である。独

立した各建物が列柱歩廊により繋がって広場を囲み、

聖堂、講堂、鐘楼の軸線が広場の中心で交わることか

らも、広場が中心の提案であることがわかる。

 聖堂の形態において丹下は近代技術と合理性を体現

することに専心した。当時の最先端技術であるシェル

構造を用いた放物線状の外形を持ち、交差した打ち放

しコンクリートの構造体が剥き出している。さらに色

ガ ラ ス を 入 れ た 装 飾 的 な プ レ キ ャ ス ト コ ン ク リ ー ト

(以下、Pca)が壁面を構成する。

 応募条件にある日本的性格というものは作品に見当

たらず、実際丹下は設計主旨にて伝統的な装飾は一切

付けず世界的な普遍性を追求することに重点を置いた

と説明をしている

(2)

3.1.2 広島平和記念聖堂

 1950年に着工し1953年に竣工した三廊式バジリカの

平面で、正面左側に鐘楼が付随した形状を持つRC造の

教会である。村野の実施案は既存建物の存在も関係す

る だ ろ う が 広 場 の よ う な 公 共 空 間 は 計 画 さ れ て お ら

(図1)聖堂コンペ丹下案配置図

(図4)聖堂コンペ丹下案南立面

(図6)広島平和記念聖堂正面

(図7)広島平和記念聖堂外壁詳細

(図5) 世界平和記念聖堂配置図 (図2)聖堂コンペ丹下案西立面

(3)

25-3

3.2.1 神奈川県立図書館・音楽堂

  外 壁 は ガ ラ ス カ ー テ ン ウ ォ ー ル で 構 成 さ れ 、 北 側

以 外 は 日 射 を 調 整 す る ブ リ ー ズ ソ レ イ ユ が カ ー テ ン

ウ ォ ー ル に 取 り 付 け ら れ て い る 。 ブ リ ー ズ ソ レ イ ユ

は 、 PCa の フ レ ― ム 内 に ホ ロ ― ブ リ ッ ク を 記 号 的 に 用

い る こ と で 機 能 を 兼 ね た 意 匠 と な り 、 印 象 的 な フ ァ

サードを生み出している。

 この図書館について着目すべき点は北側の公園に向

いた閲覧室がガラスカーテンウォールと吹き抜けによ

り 明 る く 開 放 的 な 空 間 と な っ た こ と で あ る 。 外 壁 に

PCa 製 の ル ー バ ー を 等 間 隔 に 配 置 す る こ と で 庭 か ら の

視界と日射を適度に制限しつつ、デザインとして視覚

的な変化を外観に齎している。当時は閲覧室を閉鎖的

な空間にすることが多かったが、近代技術を駆使して

魅力的な空間を生み出した

(3)

と前川も述べている。光

を避けるべき書架は四方を壁に囲われた空間に隔離さ

れ中央に配置された。

3.2.2 八幡市立図書館

  鉄 筋 コ ン ク リ ー ト の 立

体 格 子 に 煉 瓦 を 充 填 さ せ

た 形 態 は シ ン プ ル で あ り

モ ダ ニ ズ ム 的 で あ る が 、

コ ン ト ラ ス ト の あ る 鉱 滓

煉瓦とモルタル仕上げの特殊煉瓦が所々で幾何学模様

状 に 配 置 さ れ 、 フ ァ サ ー ド に イ ン パ ク ト を 与 え て い

る。四方の立面全てに模様が施されているが一つ一つ

形状が異なり、玄関のある北側立面に最も多い。開口

部も南側と比べ北側の方が種類と数が多く、より衆目

を集めようとする意識が見える。

 書架は各階の北西の角に位置されているが、外壁は

煉瓦を用い、開口部は網入り熱線反射ガラスを用いた

上で面積を小さくするなど日射を抑える工夫が見られ

る。南西側には閲覧室が配置され、面積の広い開口を

等間隔に付けることで採光への配慮が窺える。事務的

な空間は1階と2階の東側にまとめられている。

3.2.3 比較

 閲覧室は明るく開放的な空間であること、書架はコ

ンパクトにまとめ直射日光に配慮するという理念が両

方の図書館で窺えた。ところが、その外観の意匠はガ

ラ ス や PCa と い っ た 材 に 手 を 加 え ず 露 出 さ せ モ ダ ニ ズ

ムを体現した前川に対し、煉瓦による二次元的装飾と

した村野は対照的である。村野はガラスを壁面的に用

いることを避けていた

※6

という指摘もあるが、ここで

村野がこの手法を用いたのは施主側の経済的な理由と

推測される。

  八 幡 市 立 図 書 館 は 財 源 不

足 の た め 段 階 的 に 工 事 が 進

め ら れ 、 1 9 5 5 年 当 時 は 躯 体

と 外 壁 を 手 掛 け る 第 一 期 工

事、1956年に第二期の内装工事、1957年に書架と外装

工事を経て竣工に至った

※7

。村野は1955年の開館に間

に合わせるため、躯体と内装と外壁を個別に施工して

も問題の無いデザインを選択したと考えられる。制限

の多い中でも装飾性を諦めず、煉瓦の用い方を工夫し

多様な二次元的表現を実現しようとした

※8

。前川の自

由 で 闊 達 、 か つ 透 明 感 も あ る 贅 沢 な 空 間 に は 建 築 の

「未来」を感じることができるが、村野の苦心には建

築の「現実」の中での苦闘が読み取れる。村野は決し

て妥協を許さず、最後まで装飾性を諦めなかった。

3.3 劇場建築

 大阪新歌舞伎座は大阪の難波に位置し、1958年に竣

工した事務所兼商業建築である。当初は歌舞伎専用の

劇場として計画されており、施主からは桃山風のデザ

インを要望された。1958年は丹下の伝統解釈が反映さ

れた最高傑作と言われる香川県庁舎が落成した年であ

る。比較対象として1950年に竣工した東京の銀座に所

在する同用途の第四期歌舞伎座を取り上げる。

3.3.1 第四期歌舞伎座

 第四期歌舞伎座はRC造の商業建築である。1923年に

岡田信一郎により設計された第三期歌舞伎座が戦災で

半 壊 し た た め 、 吉 田 五 十 八 が 復 元 し た も の を 指 す 。 (図13)八幡市立図書館-2F平面図

(図11)八幡市立図書館-北立面図 (図12)意匠壁詳細

(図14)1955年開館前の八幡市立図書館

(図15) 第三期歌舞伎座(1924-1945)外観 (図16) 第四期歌舞伎座(1950-2010)外観 (図10)神奈川県立図書館外壁詳細

(図9)神奈川県立図書館閲覧室内観

(4)

25-4 その設計意図を理解するた

め、意匠関連の変更点に着

目する。まず外観について

は屋根の荷重を減らすため

に中央の千鳥破風付き大屋

根が撤去

(4)

され、陸屋根銅板葺きとなった。劇場は格

天井から竿縁天井に変更され、竿縁間に乳白色プラス

ター仕上げの鉄板を楕円形に入れ、間接照明で照らし

ている

(5)

。また劇場の天井、壁、プロセニアムアーチ

の色調を落とし、日本的ディティールは単純化、種類

も最小限に留められた

(6)

。このように吉田の意匠に関

する設計意図は日本的装飾を削ぎ落すことに終始して

いる。これは吉田による和風建築の近代化の手法とし

て頻繁に用いられた

※9

。吉田自身、第三期歌舞伎座に

関して「和洋折衷と云われた時代の代表作で現代感覚

とは程遠い」

(6)

といった発言しており、復元にあわせ

て近代化を目指したことが窺える。

3.3.2 大阪新歌舞伎座

 当作品は第四期歌舞伎座の復元の際に省かれた伝統

的な要素を甦らせる傾向にあると捉えられる。大屋根

の中央には千鳥破風が付けられ、劇場の天井は格天井

を彷彿とさせる格子が45度傾けられた模様となってい

る 。 天 井 中 央 に 市 川 家 の 紋 で あ る 「 三 つ の 枡 」 を モ

チーフにした巨大な意匠

(7)

が配され、また劇場内の色

調は全体的に強くなっている。このように日本的な伝

統性を直接的に表現した形態及び意匠となっている。

 また第四期歌舞伎座との対照的な要素ではないが、

日本の伝統的装飾である唐破風を、近代技術である鉄

筋コンクリートの利点を生かして記号的に繰り返す意

匠とし外装に大胆に取り入れた点は、当時の時勢に対

峙する村野の姿勢を示しているとも読み取れる。

3.1.3 比較

 当作品のアンチテーゼは第四期歌舞伎座と比較する

ことで述べたが、当時の劇場建築は図20や図21のよう

に歌舞伎座と同様に様式的な装飾が排除される傾向が

あった。この時勢において、施主の要望を受け敢えて

日本的装飾を前面に出すことは、削ぎ落としへ走るモ

ダニズムへの反抗であると同時に、大衆の素直な要求

である「豪華さ」や「きらびやかさ」にも応える建築

家としての姿勢のアピールにもなったと捉えられる。

やがて高度成長期に突入する日本の世相をうまく反映

した作品であり、大衆的であるが、社会が持つ豊かさ

へのある種の「憧れ」をうまく吸い上げている。

4. 結論

 村野藤吾の幾つかの作品にはモダニズムと相容れな

い理念が確かに窺えるが、単なる思潮に対した反動で

はなくモダニスト達が建築の「近代芸術化」の中であ

えて無視した施主も含む大衆の社会的需要に目を向け

たとも言える。また、うがった見方をすれば、あえて

主流に逆らうことでメディアで議論が交わされ、結果

作品が知れ渡ることを意図した可能性も指摘できる。

 以上のように村野作品を比較考察することで、ある

意味で無邪気に科学の進歩と輝かしい未来を信じ、純

粋に「芸術」としての建築を追い求め、やがては社会

への影響をも画策するモダニストたちとは異なり、建

築を施主や大衆の注文に応じて、オーダーメードの商

品として造る村野の、建築家としての一様相が垣間見

られた。

【謝辞】

図面資料調査にご協力いただいた京都工芸繊維大学の松隈洋教授及び美術工芸資料館 の皆様、史料調査にご協力いただいた八幡市立図書館の皆様に深謝いたします。 【注釈】

※1 :ここでの 新興建築家は「日本インターナショナル協会」の会員達を指す ※2 : 講演名「日本における折衷主義建築の功禍」を指す

※3 : 逓信省に勤め、モダニズム建築を設計した人物, ブルーノ・タウトが来日した際 は桂離宮など各地を案内した

※4 : ドイツ語で日本の伝統建築を紹介した内容で、1953年に西洋に向けて出版され た。他にも「日本の住宅(1935)」, 「日本の庭園(1957)」などがあり、西洋にて影響 力のある出版物であったと言われる

※5 : 日本の伝統を見直す動きの中で、丹下と川添の対談を皮切りに建築家のみなが らず芸術家の岡本太郎なども持論を展開し、建築家外からも注目を集めた論争, 現在 は丹下と白井が対立した構図で語られることが多い

※6 : モダニズム的なガラスの全面カーテンウォールを作品に用いることは滅多に無 かったと指摘がある, 長谷川堯「外壁デザインの多彩な手法」,外の装い, p9-12, 2000 ※7 : 移転先の八幡市立図書館所蔵の資料より

※8 : 施工図の作成は八幡市役所建築部が行い、その際意匠の簡略化が行われた ※9 : 吉田は数寄屋建築のような和風建築を、柱梁の露出を抑えたり材を近代的なも のに転換する手法で日本的な雰囲気を抑えることで近代化を目指した

【参考文献】

(1) 広島カトリック教会『平和記念広島カトリック聖堂建築競技設計図集』,洪洋社, 1949, p.1

(2) 同上, p.19,20

(3) 神奈川県立図書館・音楽堂, p77, 新建築, 1955.01

(4) 吉田五十八:歌舞伎座, 国際建築, , 美術出版社, p36-40,1951.06

(5) 林章二,「歌舞伎座建物調査その2、史料調査における第四期改修の概要」,2011 (6) 吉田五十八:歌舞伎座の意匠について, 建築文化, 彰国社, p8-9,1951.05 (7) 村野藤吾建築設計図展カタログ5,p92-107, 村野藤吾の設計研究会,2004.02 【図版出典】

図1, 2, 3, 4 : 平和記念広島カトリック聖堂建築設計競技図集/洪洋社/1949/p29,32 図5, 6 : 建築文化/彰国社/1955.08/p29,p27

図7 : 筆者撮影

図8, 9, 10 : 国際建築/美術出版社/1955.01/p53,62,58

図11 : 京都工芸繊維大学美術工芸資料館所蔵図面/所蔵番号 : AN.5049-48 図12 : 同上/所蔵番号 : AN.5049-54

図13 : 同上/所蔵番号 : AN.5049-47

図14 : 八幡市立図書館所蔵の写真資料を筆者が撮影した

図15, 16 : ㈱松竹HP : https://www.shochiku.co.jp/play/theater/kabukiza/history/ 図17 : YAB建築音響設計 : http://yab-onkyo.blogspot.jp/2009/11/blog-post.html 図18 :村野藤吾建築設計図展カタログ5建築設計/p.99

図19 : 日本建築材料協会 : http://www.kenzai.or.jp/tanbou/224.html 図20 : 吉田五十八作品集 : 新建築/1965.07/p421

図21 : 歌舞伎美人かぶきびと:http://www.kabuki-bito.jp/special/lixil/44/no1.html (図21)新橋演舞場外観

(図20)明治座外観

(図19) 大阪新歌舞伎座の劇場内観 (図18) 大阪新歌舞伎座外観

参照

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主任審査委員 早稲田大学文学学術院 教授 博士(文学)早稲田大学  中島 国彦 審査委員   早稲田大学文学学術院 教授