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American rule of dismissal Jun'ichi Miyasaka -1-

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アメリカの解雇ル−ル

−−−任意雇用の原則と実態との関連で−−−

American rule of dismissal

1 解題 2 任意雇用とはなにか 原則としての任意雇用 2-1 実態としての任意雇用 2-2 3 揺れる任意雇用 任意雇用に対するビジネス・エシックスからの評価 3-1 ジョブ・セキュリティからエンプロイアビリティ・セキュリティへ 3-2 4 日本の「終身」雇用とアメリカの「任意」雇用 宮 坂 純 一 Jun'ichi Miyasaka

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1 解 題 年6月 日に労働基準法の一部を改正した「改正労働基準法案」(労働基準法の 2003 27 一部を改正する法律案)が成立し、同年7月4日に公布された。今回の改正は、有期雇用 契約、解雇、裁量労働制、に関わるものである。いずれも既存の雇用制度を大幅に変える 重要な内容を含んでいる。本稿に直接関係する「改正内容」は解雇規定がはじめて法律に 盛り込まれ「解雇ル−ル」が法制化されたことである。 現行の労基法には解雇そのものに直接言及した条文は存在しない。確かに民法では、雇 用契約を定めた第627条において、期間の定めのない労働契約の場合、両当事者がいつで 19 も解約を申し入れることができる と規定されている しかしこれまでの労基法では第、 。 条〈解雇制限〉で「業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその 後30日間並びに産前産後の女性が第 65条の規定によって休業する期間及びその後30日 間は、解雇してはいけない 、と解雇制限が明記されている(この場合は、いかなる事由が」 あっては解雇できない)だけであり、更には第20条〈解雇の予告〉で「解雇しようとする 場合においては、少なくとも30日前にその予告をしなければならない。30日前に予告を しない使用者は、30 日分以上の平均賃金を支払わなければならない」と規定されている にすぎなかった。 その他、解雇事由として認められないものとして、労働基準監督署に対する申告に対 する解雇(労基法 102 条 、国籍、信条又は社会的身分を理由とする差別的解雇(労基) 法3条 、女子であることや婚姻し妊娠し出産したことを理由とする差別的解雇(男女) 雇用機会均等法11条 、育児休業や介護休業をとったことを理由とする解雇(育児介護) 休業法 10 条、16 条 、組合員として組合活動をしたことを理由とする解雇(労組法7) 条)が明記されている。逆に言えば、上記以外であれば、会社都合でも解雇可能であ る。 このように条文を見る限り、幾つかの解雇制限があるが、法律上は、原則として、期間 の定めがなければ、いつでも自由に契約を解消(解雇)できるのである。現在の法律に依拠 する限り日本は「基本的には解雇自由の立場をとっている」( )、との解釈があるのはそ1 の為である。

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、 、 、 しかしこれは実定法(成文法)上の話であり 実務の世界に目を転じると 状況は異なり 日本の企業社会の現場では、解雇は「不」自由である、との観念が支配的であった。これ は終身雇用神話が生きており、そのなかで現実には解雇権濫用に対する「歯止め」があっ たからである。それは判例が確立してきた「道理」であり、その「法理」が大きな意味を 。 「 」 、 、 持っていた 民法第1条第3項に 権利の濫用はこれを許さず と規定され 1975年に 最高裁が、日本食塩製造事件判決で 「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と、 して是認することができない場合には、権利の濫用として無効になる」( )との判断をく2 だした。そしてそれ以来幾つのかの判例を踏まえて「解雇権濫用法理」が積み重ねられ、 使用者側が解雇権濫用でないことを証明できなければ、解雇は無効であるとの考え方が生 まれ、特別な理由がない限り、使用者は従業員を解雇できないという企業風土が確立して きたのである。 このような状況のなかで何故に今日になって「解雇ル−ル」の法制化が緊急の課題とな ってきたのであろうか。これには、後でも触れるが、今後「右肩上がり」の成長が期待で きず、また一方で、働き方が多様化してきた情勢のなかで「労働力の移動をやりやすくし たいという経済界の要望」( )(簡単に言えば、解雇しやすくすれば雇用もしやすくなる、3 という論理)が大きく影響していたことは明白である。そのことは、今回の改正案の審議 を巡る与野党の駆け引きにはっきりと現れている。 労働基準法は過去にも一部改正がおこなわれてきたが今回の改正案に関して言えば、 年から終身雇用を前提とした雇用制度の抜本的見直しを指示した政府の方針に沿っ 2002 て厚生労働省の労働政策審議会労働条件審議会で検討されてきた。そして 2003 年1月の 通常国会に改正法案が提出され「正式に」審議が始まった。審議の対象となった政府の最 終案では、労働基準法の第18条〈解雇〉に第18条の2として、つぎのような条文が追加 されていた 「使用者は、この法律又は他の法律の規定によりその使用する労働者の解雇。 に関する権利が制限されている場合を除き、労働者を解雇することができる。ただし、そ の解雇が、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、 その権利を濫用したものとして、無効とする 。」 この条文を巡って「攻防」が続いたが、問題になったのは企業の解雇権を明記した前段 である。条文では、確かに但し書きで解雇権の濫用に触れられているが 「原則的には解、 雇自由」と解釈され、労働者に不利になるのではないのか、と。各方面からその修正を求 める声があがり、次第に拡がっていった( )。4

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連合の見解を見てみよう。連合には連合独自の主張があり、これまで裁判実務上使用者 に立証責任を課してきたことがこの条文によって反故になる恐れがあるとの立場から、使 用者に立証責任があることを明記することを要求し( 、同時に解雇されない条件を具体5) 的に定めた「安心して働けるワ−ク・ル−ル」の確立を求めてきた。この場合念頭に置か 、 、 「 」 れたものは 過去の判例で示されてきた 組織的なリストラなどを対象とした 整理解雇 の場合の4条件である。人員削減の必要性はあるのか、経営者は解雇を回避する努力をし たのか、対象者を合理的に選定したのか、労働組合と十分に協議したのか。しかしこれら の整理解雇の4条件については、判例として確定していない、との理由で盛り込まれなか った。 そして結果的には、原案のままでは使用者が解雇を自由にできるようになるとの誤解を 招くとして「使用者は・・・労働者を解雇できる」の表現が削除され、つぎのような文言に 修正された 「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められ。 ない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする 。」 この「改正労働基準法」は2004年から施行される。今回の「労使攻防は“痛み分け 」” とも評価される( )が、全体としての流れを考えると、この条文の挿入によって経営側の6 解雇権行使の自由「度」が高まったことは否定できない。ただしこの場合にも、解雇には 「合理的な 理由が必要であることには変わりはないのであり」 、「客観的に合理的な理由」 とは何か 「社会通念上相当」とはどのようなものなのか、が現実的な問題としてあらた、 めて解決を迫られることは必至である。しかも今回の成立経緯を考えると労使が「別々の 思惑」を引きずっているために、今後さまざまな問題が鮮明になってくることが予想され る。日本の企業社会に相応しい「解雇ル−ル」とはどのようなものなのか。これに関して 社会的合意が成立し個々の企業の就業規則のなかで「社会通念上相当」なるものの具体的 内容が盛りこまれるまでにはかなりの判例が積み重ねが必要になるであろう( )。7 本稿の目的は、上記のような現状を念頭に置いて、アメリカの「任意雇用原則」に注目 し、どのような方法で解雇がおこなわれているのかその実態を確認することにある。とい うのは、アメリカの雇用関係に関しては、一方で、使用者が従業員を自由に解雇できる、 という(通説とも言われる)理解があるが、他方で、従業員をクビにすることは現実の問題 としてはかなり困難である、という経験的な報告( )もあり、逆説的だが、日本と「似通8 った」様相を呈しているからである。アメリカの解雇ル−ルの理論と実際を示し、現在の アメリカ企業社会がどのような問題を抱えいかなる方向に向かおうとしているのかを解明

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することによって 実質的には 解雇が自由になった ( )日本の企業社会に相応しい ワ、 「 」 9 「 −ク・ル−ル」のあり方を考える一資料を提示すること−−−これが、繰り返すが、本稿 の目的である。 2 任意雇用とはなにか 原則としての任意雇用 2-1 アメリカに「任意雇用原則」と呼ばれる判例法(common law)があり、それが現在で も雇用関係を規定していることは良く知られている。これは、端的に言えば、雇用者が被 「 」 、 。 雇用者を 自由に 解雇できることを意味しているが 現実はそれ程単純なものではない というのは、この「原則」の確立には「複雑な」経緯があり、その後かなりの「修正」が 加えられ、それが具体的に意味していることも「変容」し、何時の時点で考えるかによっ て、その内容も変わってくるからである。 任意雇用原則の確立時期に関しては大方の見解は一致している。 アメリカでは、1823 年の判例に拠れば、従業員が雇い主との関係を期限を早めて解消 することは犯罪であった。と同時に雇い主は従業員を年次更新制で雇うことが期待されて いた(10)。裁判所は、このような状況下で、19 世紀の後半まで、雇用期間の解釈および 雇用期間が定められていない被雇用者の解雇要件という問題に対して明確な判断を下すこ とができず「中途半端な」態度をとっていた。この混沌とした状態に終止符を打ったのが によって 年に公表された で

H.G. Wood 1877 A Treatise on the Law of Master and Servant

ある。彼は、期間の定めのない採用は「任意で」採用することであり、それはいつでもい 、 。 、 かなる理由であろうともどちらの側からでもうち切ることができる と主張した ここに いわゆるウッズル−ル(Wood's Rule)が誕生する。そしてその後、特に1884年にテネシ− 裁判所においてウッズル−ルが採用されることによって 「任意雇用原則」は、アメリカ、 社会の雇用関係を規定する独自な「法律」として、その存在が公式に認められるようにな り、20世紀前後には一般化することにになった(11)。 ただしウッドの理解は 偶然のエラ− (「 」 accident error)であった ウッズル−ルは。 、「報 酬が一日、一月あるいは一年で測られるという事実は必ずしも一日、一月あるいは一年間 雇うことにはならない。しかしそのようなすべてのケ−スにおいて、もし時間が固定され

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ていないならば、契約はどちらか一方の側からいつでも終わらすことができる」という文 言が「誤って」解釈されたものなのである(12)。 というのは、イギリスの実態を説明した 上記の文章には、正当な理由がなくとも自由 に解雇できる、とは書かれていないからである( )。13 任意雇用原則は産業革命との関連で論じられることがある。ただしその関連づけは論 者によって異なっている。例えば、任意雇用原則は産業革命の「副産物」(14)であると いわれることがあれば、任意雇用は産業革命によって「浸食」の種をまかれた、との理 解( )もある。このような相違は、産業革命をどの国の何時の時代のものとして考える15 、 「 」 。 か(18世紀のイギリスか 19世紀のアメリカか)の 違い から生まれたものであろう 本稿に「直接」関係するものとして B.Heshizerのつぎのような解釈がある(16)。 彼は、産業革命との関連で、任意雇用原則をつぎのように位置づけている。 産業革命以前は、雇用者と被雇用者の雇用関係は「主人と召使いの関係」と類似した ものであった。このような関係のもとでは、主人側にはつぎのようなことが義務づけら れていた。召使いを訓練し、病気や不景気のときには世話をし、雇用期間中は守り続け る(keep)こと。このことは解雇は随時におこなわれるのではなく、理由が必要であるこ とを意味している。雇用期間が完了することがその唯一の理由であった。そして産業革 命が労働者の地位と雇用の性格を変え、雇用関係は純粋に経済的なものへと転化した。 契約の概念が雇用関係にも導入され、雇用関係は義務から選択の自由へと移行した。 しかしこれは同時に矛盾した状態を生みだし、一面で、雇用の自由が神格化され、他 面で、労働者の管理者への絶対的服従が残り、そのような状況がしばらく続くことにな った。Heshizer に拠れば、ウッズル−ルはこれを受け入れてしまったのであり、そこに は、管理者側の義務、すなわち主人・召使い関係で見られた責任が欠けている。 このようにウッズル−ルには幾つかの問題点があるが、そのル−ルが大陸とは全く異な る「アメリカン・ル−ル」( )として17 1884 年以降「公式に」通用するに至ったことは歴 史的「事実」である。 実態としての任意雇用 2-2 この原則は現在さまざまな表現で説明されている。その実例として幾つかの文献で示さ

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れている「定義」をあげてみよう。 【D.Mackeyの解釈】 「アメリカのすべての裁判所で適用される一般的なル−ルがある。それは、雇用期間を定 めた成文化された契約がない場合、被雇用者は雇用者の意のままに(at will)に勤務し、 雇用者は被雇用者をいつでも解雇することができる、というものである。雇用者がこの意 志を行使するとき、雇用者はいかなる法的責任も負わない。アメリカでは圧倒的な数の被 雇用者が成文化された契約を交わさずに働いているので、雇用者は彼らを自分の意のまま に解雇することができる。このアメリカン・ル−ルが一世紀以上に渡ってアメリカの法律 であった 」(。 18)。 【C.J.Muhlの理解】 「法的に言えば、アメリカでは、19 世紀の後半以降であるが、雇用は「随意」におこな われるようになり、理由の如何を問わず雇用者あるいは被雇用者によって雇用はうち切ら れることになった。これが任意雇用原則であり、被雇用者が成文化された雇用契約書を所 持していなかったり雇用期間が特定化されていない場合には、雇用者は被雇用者を理由の 理由の如何を問わずあるいは理由がなくとも解雇することが公然と認められている 」。 ( )。19

【P.Werhane & T.J.Radinの理解】

「任意雇用原則はコモン・ロ−の原則であり、それによると、雇用者には、法律と契約が 存在しない場合、誰でもまたいつでも自分の好きなように採用し昇進させ降格し解雇する 権利がある。・・・・・ アメリカでは、任意雇用原則は、被雇用者が組合との協定、法令、公 共政策あるいは契約によって特別に保護されていないときには、雇用者は「自分の意のま 」 、 。 、 まに 被雇用者を解雇することができる というル−ルとして解釈されている この場合 解雇理由はあってもなくともよく、たとえ道徳的に間違いであるような理由でも法的に不 当であることにはならない。同時に 「任意雇用された」被雇用者も雇用者とおなじ特権、 を有しており、いかなる理由であろうとも(あるいは理由がなくとも)事前に通告せずに辞 職することができる 「任意雇用された」被雇用者はパ−トタイム契約労働者からCEO。 まで広がっており、私的セクタ−で協定や法令あるいは契約で保護されていないすべての 労働者とマネジャ−が「任意雇用された」被雇用者である」( )。20 【D.A.Ballamの理解】 「それと対立する契約がない場合の雇用関係のもとでは、雇用者も被雇用者もいかなる理

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由であろうともまたたとえ理由がなくともいつでも雇用関係を終わらすことができるので あり、そのことは法的に責任を問われる事柄ではない−−−これが「任意雇用ル−ル」の 「任意」の意味するところである 」(。 21) 【B.Heshizerの理解】 「私的セクタ−で働く団体交渉で保護されていない被雇用者の雇用は、雇用期間が明確に されていないならば、事前の通告なしにまた理由がなくとも、終わらされる。公式の雇用 契約がない場合、雇用者はいかなる理由であろうともあるいは理由がなくともいつでも法 的リスクなしに被雇用者を解雇することができた。これが「任意雇用」と言われるコモン ・ロ−原則である」( )。22

【A.B.Carroll & A.K.Buchholtzの理解】

「任意雇用原則は、雇用者と被雇用者の関係は自発的なものでありいつでもどちらからで も解消することができるという長きに渡るコモン・ロ−である。被雇用者が自分の都合の 良いときに自由に会社を辞めることができるように、雇用者は、被雇用者を、連邦の差別 禁止法や州法そして組合との契約に違反していない限り、いかなる理由であろうとも理由 がなくとも解雇することができる。もし組合との契約で保護されていないならば(大多数 、 の労働者は組合員ではない)あるいは雇用差別禁止法のひとつで保護されていないならば あなたを雇った人はいつでも好きな理由であなたを解雇できるのだ。これが任意雇用原則 である 」( )。 23 繰り返すことになるが、雇用者は、基本的には、被雇用者を「自由に」解雇できる−− −これが「任意雇用の原則」であり、被雇用者は雇用の条件や期間に関して何ら保証のな い状況で働くことになる。その場合の「根拠」とされているのが、たとえば、後述のごと く、契約の自由であり、そのことが双方の当事者に保障されていることがこの原則が正当 化されてきた理由である。しかしこの原則は実際の運用において次第に「浸食」され「修 正」されていくことになる。というのは、上述のような歴史的経緯および「定義」からわ かるように、時代の推移とともに例外がうまれてきたからである。 したがって、実態の解明には「例外事項」の内容を明らかにすることが必要である。た だし現実には複数のタイプの例外があり、その解釈も時代および地域で異なっているため に、事態が複雑になっている。このような事情を念頭に置いて「任意雇用原則」がどのよ うに適用されているのかを整理してみよう。 原則に例外があるということは 「原則」が適用されない被雇用者がいることを意味し、

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ている。しかもそのような被雇用者としてさまざまなタイプが考えられるために、任意雇 用原則が適用されない被雇用者は誰であるのかを確認することが必要であり重要な作業と なってくる。 この点、上であげた「定義」を「手掛かり」に考えると、第1に、雇用期間を明記した 契約書を取り交わして働いている被雇用者は対象外であることがわかる。 第2に、上記の点と重なることもあるが、労働組合員は、労働協約で保護されているの 、 。 、 、 。 で 対象外である ホワイトカラーは 周知のように 原則的には組合を組織していない 組合に加入している労働者(ブルーカラー)は不況の時に解雇ではなくレイオフされるの が普通であり、その場合 「ラースト・イン、ファースト・アウト」の原則によって、レ、 。 、 イオフされる順番が明確に決まっている 現在では労働組合の組織率は低下し続けており 全労働者の10数%という数字もある(24)。 第3に、任意雇用原則が適用されるのは民間企業で働いている労働者であり、公務員 (civil servant)は対象外である(25)。 第4に、例えば、P.Werhane の理解から推察できるように、特定の法令と抵触した場合 には、その解雇は「無効」となる。したがって、現在では、雇用者がそのような解雇をお こなわなくなってきている。この場合、特定の法令には連邦法と州法がある。 連邦レベルで適用されている事例( )をあげると、組合活動をおこなったことを理由に26 解雇されると、それは、たとえ「任意雇用」従業員であるとしても、(1935 年成立のワグ ナ−法に始まる)全国労働関係法違反とみなされ「不当」解雇となる。同じように、人種 ・皮膚の色・宗教・性別等を理由とした解雇は(1964 年成立の公民権法第7章、通称タイ トル・セブンを中心とする)差別禁止法違反であり、40 歳以上の従業員を差別して解雇し た場合は年齢差別禁止法(1967 年成立)に違反した解雇であり、最低賃金等を定めた公正 労働基準法(1975 年成立)によって保障された権利を行使したことで解雇することはでき ないし、定年退職従業員収入保障法(1974 年成立)は雇用者が自分に都合良く年金受領権 を守るために従業員を解雇することを禁止し、賃金の差し押さえを理由に解雇することは 消費者信用保護法違反(1982年成立)となり 障害をもつアメリカ人を解雇することは 障、 「 害をもつアメリカ人法」(1990年成立)違反として「禁止」されている(27)。 また州法によっても「不当」解雇が禁止されている。例えば、ミシガン州では、エリオ ット・ランセ−ン公民権法、ミシガン障害者公民権法、ミシガン内部告発者保護法、ミシ ガン職業安全衛生法、等の独自の内容が織りこまれた州法があり、それと抵触する解雇は

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無効である( )。28 このように現実には「任意雇用原則」には例外「事項」が存在するのであり、このこと が 「任意雇用原則」は「浸食」されている、との見解を生みだしている。、 しかも例外は上記のものだけでなく、その他にも幾つかの「例外」が知られている。そ 、 、 、「 」 、 、 のような例外には 主要なものに限定してあげると 第5に 公共政策 例外 第6に 「黙示的約束」例外、第7に 「誠実・公正義務」例外がある。解雇されたものが上記の、 違反を理由に「不当解雇」であると告訴しそれが認められると、その解雇は無効となる。 厄介なことはそのような「判断 「判例」に関して連邦としての統一見解がないことであ」 、 「 」 、 。 り 州ごとに適用される 例外 が異なるために そのことが事態をより複雑にしている そのような事情を整理するとつぎのようになる。 公共政策」例外( )

public policy exception

解雇された従業員が公共政策の権利を行使したことを理由に解雇されたと訴えた場合、 その解雇は無効となる。ただし「公共政策」という概念は必ずしも明確なものではなく幾 つかの解釈が可能である。これに関しては、その具体的内容が3タイプに分類されること がある(29)。法令で定められた権利を行使して解雇されるケ−ス、雇用者に法律に背くよ うな何かをするように要求されたが法律に違反することを拒否して解雇されるケ−ス、法 律に違反した雇用者の行為を告発(内部告発)して解雇されるケ−ス。

Frampton Central indiana Gas ,Co. 文献でよく引用されている事例をあげてみよう。 対

(1973 年)事件。このケ−スでは、従業員が損害賠償の請求を求めて訴訟を起こしたため に解雇された。インディアナ裁判所は、雇用者が給与を巡って損害賠償請求訴訟を起こす 従業員にペナルティーを科すならば、最も重要なパブリック・ポリシィは根底から崩れ、 解雇の恐怖から法律で保証された権利を行使することができなくなる、との判断を示し、 解雇が無効になった。Peterman International Brotherhood of Teamsters 1959( 年)事件。これ は被雇用者が議会で雇用者側の指示に従わず偽証しなかったために解雇されたケ−スであ る。裁判所は、雇用を条件に被雇用者に偽証を強要することは公共の事柄(public affairs) Pierce Ortho Pharmaceuitical を汚す行為である、との判断で、解雇を無効とした。 対 ( 年) 事件。これは、新薬の人体実験を巡って会社と対立して新薬研究の Corpotation 1974 責任者の一人であったドクタ−が解雇されたケ−スである。裁判所は、安全性は明らかに 公共の福祉に属することであり、大衆の安全を危うくすることを拒否したことで従業員は 解雇されてはならない、と原告の復職を命じた。

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、 「 」 「 」 上記の事例から 公共政策が 公共の福祉 ないしは 社会が共有する公共的な価値観 を意味していることが分かる。この「公共政策」に違反する解雇は、たとえ任意雇用で採 用された被雇用者であったとしても、無効であり、公共の利益に反するような解雇を無効 とする判例は時代と共に増加している。 黙示的契約」例外( ) 「 implied-contract exception 多くの州では、法廷が、雇用契約は書面による協定(written agreement)ないしは明示協 定(express agreement)がなくとも成立し得る、との判決を出している。そのような雇用契 約が「黙示的な契約」であり、この契約に違反した場合には不当解雇として告訴される。 それ故に、雇用者は「黙示的契約」を根拠として解雇権利を事実上が制限されている。こ れは契約法理による解雇制限といわれることもある( )。30 黙示的な契約とは雇用の条件や期間をフォ−マルに書面や口頭で保証していない契約で あり、黙示的な契約として判例で認定されたものには幾つかの種類がある( )。31 ( )採用時や雇用期間中に被雇用者に対してなされた約束ないしは請け合い(1 assurance)。 If you just do 例えば 面接などで担当者が応募者に良い仕事をすれば仕事が保証される(、 )と述べたケ−スがそれに相当するし、6ヶ月の試用期間 a good job,you won't get fired.

「 」 、 を越えて働く従業員を会社内で パーマネント・エンプロイー と呼んでいる場合には 継続的な雇用を意味していると解され、解雇が制約される。 ( )従業員ハンドブックやマニュアル。この種の冊子には 「正当な理由」があれば解雇2 、 されると記述されていたり、解雇の対象となる事由が掲載されていることがあるが、そ の場合、雇用者がそれに従わずその他の理由で解雇すると、契約違反として、不当解雇 で責任を問われることになる(32)。 誠実・公正義務」例外( ) 「 covenant-of-good-faith exception これは、誠実義務は公共政策から生まれるものではなく当事者間の契約自体から生じる との理解に従って(33)、誠実であることや公平であることをすべての雇用関係に持ち込む ものである。そして、悪意や敵意は経済システムや公共の福祉に何ら資するところなくた だ単に雇用関係を悪化させるだけにすぎないという立場から、例えば、敵意ないし悪意に 基づく解雇は禁止されるとか雇用者の個人的な意思決定は「正当な理由」という基準に従 わなければならないとかの判断で、解雇が無効にされる( )。34 この「誠実・公正義務」例外は他の例外と比べると任意雇用原則から最も遠くに位置し ており、必ずしも多くないのが現状である。ただしこれは懲戒処分や苦情再審査手続きの

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制度化が必要であることを示唆しており( )、後で述べるように、現在「正当な法の手続35 き」の確立が必要視されていることを考えると、大きな問題を提起してきた「例外事項」 である(36)。 任意雇用原則に対する例外(法的規制)が生まれたのは 1950 年代の後半であった。そ して 1980 年代に入ると、その他の例外も加わり、原則は大きく修正を受けるようになっ た。しかしそのような「例外」の適用状況は州ごとに様々である(図表 1-1)。現在でも 例外を全く認めず、任意雇用原則がそのまま生きている州も幾つか存在しているし、ミシ ガン州では、1985年のある調査資料によれば、図表 1-2のように、任意雇用は70%程度 浸食されていた( )。37 図表1-2 任意雇用の状態 黙示的 公共政 1960-70年代 1930年代 契約例外 策例外 公民権法 全国労働 等で制限 関係法等で される 制限される 0% 60% 80% 100%

Terminable At-will Employment in Michigan:A Survey of

〔出所〕D.E.Sheffler,

,Central Michigan

Business Opinions and Current Employment Practice

一部修正。 University,1985,p.4.

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現在の状況を アメリカ全体として数字で確認すると 民間部門で働く人々の約、 、 80%( )38 あるいは少なく見積もっても55-60%は任意雇用労働者である( )、との「数字」が公表39 されている。このような労働事情のなかには、被雇用者が極めて恣意的な理由で解雇され ている実態も含まれている( )。この数字をどのように解釈すべきなのであろうか。40 このような数字は、たしかにアメリカの企業社会において多くのホワイト・カラ−が組 合に加入していないことそして組合の組織率が低下してきていることの結果であろう。し かし同時にそのことはアメリカの雇用関係の底流にはいまでも任意雇用原則がしっかりと 横たわっていることを示している。たしかに任意雇用という考え方自体は過去のものとな った( )としても、それは今でもすくなからざる州において法律として活きているので41 ある。ほとんどすべての州において、デフォルト・ル−ルは任意雇用原則である、との認 識( )はそのような現実の反映であり、しかも後で述べるように、その存在を正当化する42 議論も根強く残っている。 だが一方で 「任意雇用原則は神話になった」(、 43)といわれている。これはアメリカ社 会には任意雇用原則に対する例外事項がありしかもその数が増えつづけているという現実 を反映したものであり、任意雇用は実態としてみると原則から外れるようになってきたと も言えるであろう。 つぎのようなケ−スがあるウェブで紹介されている( )。44 カリフォルニァ州からアラバマ州の支社 Ace Electrics に転勤してきた人事担当役員 Susan Borden を待ち受けていたのは、前任者によって解雇された女性社員 Judy Scott が「解雇は公共政策違反であり不当解雇である」として告訴するというニュ−スであっ た。顧問弁護士の電話によれば、アラバマ州は公共政策違反を認めていないので、心配 することはない、とのことであったが、Susanは不安を感じていた。 というのは、前任者が、Judy を、彼女が結婚した、という理由で解雇したからであ る。前任者によれば、結婚すればクビにすると言っておいたのに、結婚したので解雇し たとのこと。この解雇には本社の会長も異議を唱えなかった。 Susan Judy しばらくして は別の不安を抱くようになった。なぜなら、前任者が以前 にデ−トを申し込み、断られたという事実を知ったからである。 彼女の危惧は現実のものとなった。 は、最終的には、セクハラを理由に告訴するのではなく、今回の解雇は結婚す Judy

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る権利に違反するという意味で公共政策違反であるだけでなく、プライバシ−の侵害で ある、との理由で、不当解雇を訴えた。 前者に関してはアラバマ州が公共政策違反を認めていないので却下されたが、後者に 関しては、裁判に持ち込まれることになった。顧問弁護士によれば、今後このような判 例が増加しそうなので会社として対応策を採る必要がある、ということだが、Susan に は、何故 Judy のケ−スがプライバシ−の侵害に当たるのか理解できなかった・・・・・。 任意雇用原則はいまだ雇用実践の根底にあり強力な哲学的仮説としてそれを支配している (45)が、現状をみると、浸食は確実に進んでいる。 ただしそのような例外は図表 1-1からわかるように、すべての州において適用されてい るわけではなく、そのために必ずしも例外は「普遍的な」ものではない、との見方も生ま れ、任意雇用の現実に対する評価が分かれることになる。とはいえ例外が存在していると いう現実そのものがアメリカの雇用の歴史のなかで「重く」受け止められている( )こと46 は「事実」であり、雇用者側には「危機感」がそして被雇用者側には「不安」が生まれて いる。 3 揺れる任意雇用 任意雇用に対するビジネス・エシックスからの評価 3-1 任意雇用の「原則からの逸脱」は、すでに紹介してきたように、アメリカ議会や裁判所 がさまざまな観点から例外を設定し原則の適用を制約する途を見つけだし原則の適用範囲 を統制する方向を選択してきた結果である。断片的な資料であるが、ウォ−ルストリ−ト ジャ−ナルによれば、過去3年間に提訴された不当解雇訴訟のうち 67 %は従業員に有利 な判決であり、カリフォルニァアで過去5年間に起こった黙示的な契約違反を巡る訴訟で は50%が従業員勝訴となっている(47)。 このような「浸食」を促進した要因のひとつとして、原則そのものに対する「批判」が かなり以前から繰り返し提起されていたことをあげることができる。これは、この原則が アメリカンル−ルと呼ばれていることから分かるようにアメリカ企業社会に独特のもので あり、市民社会の「常識」の観点から考えると幾つかの「矛盾点」を指摘できることの一

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種の反映でもある。特にビジネス・エシックスからの批判はそのことを象徴的に示してい る。 任意雇用原則がアメリカン・ルールとして遵守されてきたのにはそれなりの理由があっ た。というのは、それが権利論や功利主義の観点から「正当」であると考えられてきたか らである。 たとえば(48)、所有権論者の立場から任意雇用を考えると、雇用は労働者の生産力と 賃金の交換であり、雇用者と被雇用者はこの交換によって自己の所有主としての権利を行 使していることになる。契約の自由という立場から言えば、雇用と被雇用者の自由な契約 であり、当事者間の契約を制限することは契約の権利を侵害することを意味している。 そして功利主義の立場から言えば、任意雇用はビジネスの効率的な展開を保証する重要 なツ−ルである。というのは、企業の成功は労働力を含むすべての資源の効率的な利用に 依存しているからである。雇用者には必要な労働者の数を決定し、利用可能な最良の労働 者を選別し、適正配置し、訓練し、不適当な労働者を解雇する自由が与えられている、と いう発想が正当化されるのはこの為である。 更には、任意雇用の柔軟性に注目した「任意雇用擁護論」もある。これを積極的に展開 した R.Epstein によれば( )、不当解雇に対する教条的な反応や雇用者の権限乱用といっ49 た「特殊な」ケ−スによって任意雇用を判断するべきではない。というのは、技術とビジ ネスが変化するなかでおこなわれる継続的な生産活動は絶えず微妙な調整を必要とする が、任意雇用契約の柔軟性はそのような調整を可能にするからある。規制システムに、任 意雇用が雇用関係にもたらす利益を期待することはできない。任意雇用は、任意雇用が、 全体的に言えば、労働契約のさまざまな問題に対して人間の敏感な反応を可能にしている という現実によって判断すべきなのであり、そこに任意雇用の有用性がある。 しかし同時に任意雇用は「権利」そして「公平」という観点からその正当性に疑問が投 げかけられてきた(50 。) 「権利論的批判」説は(人間は、出自・宗教・文化・能力に関係 なく、人間であるがゆえの基本的権利、すなわち、人間としての権利を有している、と) モラル権利を主張する立場からのものである。この内容は3点に集約される。第一に、現 在の雇用原則を支配している原則は一般的に保証されている政治上の権利(言論の自由、 プライバシ−、デュ−・プロセス、民主参加、等)と相容れないものであり、それ故に、 権利論から見ると、疑問の多い原則であり実践である、第二に、正当な権利を要求するこ とは全般的なものであり、したがって、雇用者側が尊敬され自由に発言し選択する権利を

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有しているならば、被雇用者側も同じような権利を持つべきである、したがって第三に、 所有権が憲法上保証されているならば、被雇用者側も、雇用者側が会社を代表するものと して所有を主張する権利があるように、働く権利を持つべきである、と。 任意雇用はタテマエとしては雇用者と被雇用者の双方の平等な取り扱いを要求している が、結果的にはしばしばどちらかが有利になるように機能しているのではないのか−−− これが「フェアネス批判」である。この批判の内容を具体的に見るとつぎのように展開さ れている。失業率が非常に低い場合を除いて、雇用者の方が応募者(将来の被雇用者)よ りも相対的に有利であり、また多くの場合、被雇用者は他のものに替えられる可能性(失 業)が大いにある。解雇に至る決定の理由を被雇用者に知らせることはほとんどないが、 それは被雇用者が相当の時間と努力を投資していることを考えると、不適当である。従業 員はロボットではなく尊厳ある感情を有する人間であり、少なくとも雇用政策変更の理由 を知る権利があるのではないのか。マネジメントの観点から考えても、従業員に情報を与 えなければ、たとえ任意雇用を契約の自由によって正当化することができるとしても、実 践という観点から、そのようなマネジメントは「専制」と見なされるであろう。しかも会 計やマ−ケティングの分野で情報開示が行われている現実を考慮すると、これは明らかに アンフェアであると言わざるをえない。 これらの批判には、当然のことだが 「反」批判が展開されている(、 51)。問題は任意雇 用を正当化する場合にも批判する場合にも「権利」概念が大きな位置を占めていることに ある。このことが任意雇用をいわば「中途半端な」形で「存続」させているひとつの原因 でもあろう。 このような状況のなかで注目すべきことは、後で詳しく論じるが、解雇の「正当な」理 由を明示すべきである、との主張が大きな流れになってきたことである。そしてこれには 「デュ−・プロセス」が大きく関わっている。というのは、デュ−・プロセスとは「正当 な法の手続き」を意味するアメリカの法律用語であるが、このデュ−・プロセスがすでに 公共部門では保証されているからである。 したがってつぎのような見解がでてくることになる 「興味深いことに、デュ−・プロ。 セスが経済の公共部門の被雇用者に対しては、連邦レベルでも州レベルでもロ−カル・レ ベルでも、強制的に保証されている。しかし民間部門ではそうではない。すべての労働者 を平等に取り扱うというフェアネスの原理から言えば、これはアンフェアである。それに もかかわらず、民間部門の雇用にはこの憲法で保障されていることが適用されていないの

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だ。公共部門と民間部門には違いがないわけではない。事実、給与に関しては重大な相違 がある。しかしそれらの部門の仕事の類似性の程度を考えると、デュ−・プロセスが双方 の部門の被雇用者に適用されることは道理にかなった事柄である」( )。52 次節でこの問題提起の意味を改めて考えることにする。 ジョブ・セキュリティからエンプロイアビリティ・セキュリティへ−−−雇用者の 3-2 義務とはなにか 現代のアメリカにおいて任意雇用原則が「浸食」(⇒修正)されてきているのは事実であ る。ただしその原則が現実に否定され解雇が無効となるためには幾つかの「条件」が必要 であり、それらの条件との関連で、任意雇用原則の「浸食」はアメリカ企業社会に深刻な 。 、 、 問題を投げかけている 解雇された従業員の立場にたつと その解雇に納得できない場合 解雇無効の訴訟を起こし勝訴しなければならない。この場合、その解雇が例外事項に該当 するどうかは裁判所の判断次第であり、かなりの不確実性要因を含んでいる。そして雇用 者側はある意味ではそれ以上に「深刻」である。なぜならば、雇用者の立場に立つと、任 意雇用原則に「新しい例外」が適用される可能性もあるため不確実性がヨリ高まってきて いるだけでなく、裁判にはかなり高額の費用がかかる(53)からであり、その為に解雇に対 して極端に慎重な態度をとる経営者が増えてきた。 「不当解雇」告訴に対して企業としていかに対応すべきなのか−−−これが現在アメ リカ企業の大きな課題となっている。そのことは、法律事務所が開設しているウェブに 「対応策」が掲載されていることからも分かる。あるウェブには、つぎのような「チェ ックポイント」が示されている( )。54 1 採用時になにか約束をしていなかったか、の確認。 2 従業員ハンドブックやマニュアルを検討し 「保証する」とか「正、 当な理由」という文言があるか、の確認 3 「任意雇用」条項があるか、の確認 4 解雇に公共政策に関連した事柄があるか、の確認し、従業員が最近 苦情を述べていなかったか、と確認する 5 もし不平を述べていたならば、それを原因を調査すること 6 従業員の行動が会社の規則や政策に違反していないか、の確認

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7 従業員に懲戒処分についてキチンと説明していたか、の確認 8 雇用者のル−ルはビジネス活動にとって合法的であるのか、の確認 9 当該授業員を他の従業員と同じように扱っていたのか、の確認 従業員のミスや業績に関して文章化された記録があるか、の確認 10 すべての文書記録の再検討。 11 これらの事情は、イギリスをはじめとする多くのヨ−ロッパ諸国に倣ってアメリカでも 解雇の場合には正当な理由が必要であるという観念をアメリカ企業社会に植え付けること になった。そして「正当な理由政策」(just cause policy)が提唱され( )、従業員には「正55 当な理由」なしに解雇されない権利があるとの主張が全面に押し出されたり(56)、更には 「正当な法の手続き」(デュ−・プロセス due process)に従って処遇される権利(正当な手 続きが「義務化」されること)を民間企業の従業員にも保障することを求める動きが活発 化してきた( )。そのような権利が認められると、その手続きのプロセスで解雇理由が正57 当であるのか、を企業側は立証しなければならなくなる。 アメリカでは、合衆国憲法第14修正によって、デュ−・プロセス(正当な法の手 続き)なしに、市民の生命、自由ないしは財産を奪ってはならないい、と規定されてい る。このデュ−・プロセスには2つの側面があり、市民には単に手続き的な(procedual) 権利(手続き的デュ−・プロセス)だけでなく実体的な(substantive)権利(実体的デュ−・ プロセス)も保障されている( )。58 しかしこれは市民生活レベルの話であり、企業レベルに移ると、事実上「無法」状態 が続き、働く人々の権利が侵害されてきたという経緯がある。雇用に関して「正当な法 の手続き due process」に従って処遇される権利がある、との主張が出てきた背景には このような現実がある。 1987 そのような根拠で任意雇用原則を「実質的に否定」したのがモンタナ州である。 年に、使用者は、試用期間以外 「正当な理由」(、 good reason)なしに従業員を解雇しては ならない(解雇には「正当な理由」が必要である)という主旨の法律が制定された 「不当。 解雇法」(The Montana Wrongful Discharge From Employment Act)がそれである。モンタナ 州では、この法律によって、正当な理由以外で被雇用者を解雇することが禁止され、基本

(19)

的には、任意雇用原則が廃止された( )。ここで言われている「正当な理由」とは、仕事59 上の義務を満足に果たすことができないことを根拠とするジョブに関連した合理的な解雇 理由、経営者の業務に対する非難・無視、あるいはその他の合法的なビジネス上の理由を 意味している(60)。2003 年現在、解雇には正当な理由が必要であることを法律で定めて いるのはモンタナ州だけである。 「正当な理由」に対する反対者によってあげられている根拠は基本的にはつぎの2点で ある( )。第一の論拠は所有権からのものである。これによれば、企業の所有主あるいは61 その代理人は、われわれが自分の家に入れる人物を選別しまたお客に出て行くように求め る権利を有しているように、被雇用者がワ−クサイト(work site)に限度を超えて入り込 んでくることを拒否する権利、すなわち雇用を打ち切る権利を有している。そしてここか ら 「ジョブ・セキュリテイ・ポリシィは、たとえそれが法律で定められたものであると、 しても、所有主の所有権と不当に衝突する 、という見解が出てくることになる。」 第二の批判は「契約の自由」に立脚するものであり 「正当な理由」を自由な個人が他、 の人と自発的に交換する権利を侵害するものとして断じている。この立場によれば、正当 な理由政策は、契約の条項がいかなるものであろうとも当事者が最も望ましいものである と考えて交渉することを妨げるものであり、たとえば、労働者が多額の賃金と引き替えに 「任意」雇用契約を結ぶことは、正当な理由政策のもとでは、禁止される、と解釈される ことになる。正当な理由政策が市場において当事者の自己判断で契約する自由に制約を加 えるものとして批判されてきたのはそのためである( )。62 「正当な理由」はこれらの批判からもわかるように、任意雇用原則に真っ向から対立す る( )ものである。そのために、そのような現実が、任意雇用原則の存在は「デュ−・プ63 ロセス」を実現するための「障害物」になっている( )、との認識を生みだしているが、64 一方で 「デュ−・プロセス」は任意雇用原則と相容れない制度でもない、という解釈も、 あり(65)、その位置づけは論者によって「微妙に」相違していることも事実である。し かしながらこのことはいずれにしても、任意雇用原則が、理論的には、現在でも生きてい ることを改めて「証明」するだけでなく、任意雇用に代わる雇用のあり方をもとめて理論 的模索がおこなわれていることを示している。 そしてこのような問題提起に象徴される「複雑な」状況が続くなかで、新たな変化が生 まれることになった。1980年代の後半以降特に90年代に入って、アメリカ企業社会を含 めてグロ−バルな規模で生じはじめた「大きな」変化がそれである。ダウンサイジングと

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いう名の人員削減。レイオフをする代わりに従業員を解雇するようになった企業の増加。 雇用契約が変化し、フォ−ディスト社会契約が新しい契約に取って代わられるようになっ たこと。これによって、任意雇用原則の理論・実践は新たな局面を迎え 「正当な理由」、 の位置づけ・解釈の再検討が緊急の課題となってきた。 新しい契約はエンプロイアビリティ社会契約と呼ばれている。新しい雇用契約を旧い契 約から区別する基本的な要因は、被雇用者の経済保障の内容が変化し新しい条項が付け加 えられていることである。雇用者は good パフォ−マンスを達成した従業員にこれまで 。 、 保障されてきた長期雇用を約束しない その代わりに会社が従業員に対してできることは 従業員が外部労働市場において強い競争力を持ち得るように仕事上のスキルを使いこなし それを高めるような機会を提供することである。そのような高度に市場性があるないしは 市 場 で 高 く 売 れ る 仕 事 上 の ス キ ル を 有 し て い る こ と が 「 エ ン プ ロ イ ア ビ リ テ ィ 」といわれるものである ( )。 employability 66 このことは重要な意味を持っている。というのは、雇用者が被雇用者に求める事柄が以 前と異なったものとなり、被雇用者は「雇用され得る能力 (エンプロイアビリティ)に」 よって雇用が保障されるようになってきたからである。そして「自己責任時代」の到来 ( )」という流れの中で 「エンプロイアビリティはいまや個人の責任である (67 、 」 68)との 見解があらわれ、労働者が「自分の責任で」エンプロイアビリティを高めることを余儀な くされる状況が生まれてきた。これは、エンプロイアビリティが解雇を正当化する根拠と なることを意味している。事実、被雇用者が長期的に雇用され続けるか否かの責任(解雇 の原因)は雇用者ではなく、被雇用者にある( )、との見解が提示されている。69 しかし、エンプロイアビリティを被雇用者の自己責任として片づけるのは極めて一面的

は、従業員に、彼らが

な考え方である。というのは、新しい契約のもとでは、雇用者

自己の「エンプロイアビリティ」を発達させ向上させる機会を提供する、と

エンプロイアビリティという発想は、

いう「約束」があるからである。たしかに、

被雇用者の雇用保障への依存関係を断ち切り、その代わりに個人のエンプロイアビリティ の自由

(移動の自由)が

保障されたことを意味しているが、同時に、そのことによっ て、企業側には、従業員に彼らのスキルを継続的に向上させる機会を与え、彼らに当該企 業内外におけるジョブ・フレキシビリティを保障しそのような機会を提供する(70)、と いう義務が生じたのである。

(21)

とすれば、解雇の原因の正当性を論じる場合には、エンプロイアビリティを高める機会 を契約通り適切に提供したかどうかが問われることになり、これは雇用者にこれまで以上 の責任が課せられたことを示している。そして経営者もこの事態に速やかに反応しなけれ ばならなくなってきていることも事実であり、今後検討すべき課題は極めて多岐にわたっ ている。たとえば、現在、empowerment, boundaryless career 等々の新しい概念が生まれ、 その意味と実践のあり方が問題になっているが、それは当然のことであり、本稿の問題意 識からも詳細な検討が必要になる。これに関しては別稿を予定している。 4 日本の「終身」雇用とアメリカの「任意」雇用 従業員が企業に期待し求めることは数多くあるが、そのなかで最も重要な事柄は「仕事 の保障」であろう。しかしながら厄介なことに、たしかに 1948 年に採択された「世界人 」 「 」 、 権宣言 においてもその23条で すべての人は勤労する権利がある と謳われているが 資本主義社会ではそのことを要求することには無理がある。われわれの社会では企業には 労働者を雇用しなければならない義務があるわけではないし,更に言えば、一度雇用した 労働者を一生の間雇用しておかなければならない義務もない。企業に課せられた義務は雇 用に関して一定のル−ルを設定しそれを遵守することである。そのル−ル(契約)にもと 「 」 「 」 づいてそれぞれの社会に相応しい形態で雇用が 保障 されているのであればそれが 是 なのである。 問題はそのル−ル(契約)のあり方である。 日本では、法律的には企業は従業員を自由に解雇できることになっている。ただし社会 通念としては、とりあえず第二次世界大戦後に限定するならば、日本は、終身雇用が標榜 されてきた企業社会であった。しかしながら今日では常識化しているが、そのような終身 雇用は実態としては「虚構」であり、日本の実態を正確に反映したものではなかった。と いうのは、日本の賃金が属人給としての年功賃金でありそのために「1つの」企業にしが みつかざるをえず結果としてそのことが日本の労働者の終身雇用を支えた現実的な要因と なったという経済的理由があっただけでなく、終身雇用が現実に適用されたのが大企業の 男子正社員だけでありその数は日本の労働者の 20 数%にすぎなかったからである。だが 重要なことはその適用外の従業員も可能ならば自分の会社も終身雇用になることを望んで

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いたこと(終身雇用の政治的機能)であり、更には「結果としての」終身雇用ではなく、 多くの労働者は自分「だけ」は終身雇用されると思いこんで働いてきたために、終身雇用 。「 」 は日本の雇用関係を特徴づける概念として定着したのであった 神話としての終身雇用 と言われる所以である( )。71 しかし 20 世紀の終わり頃になって事情が変化してきた。大規模なリストラが企業規模 にかかわらずに断行されるようになり、終身雇用「神話」が崩壊するに至った。そしてそ れ以降、有期雇用労働者の増加、エンプロイアビリティの普及とともに、今日では終身雇 用は日本の雇用関係を特徴づけるタ−ムではなくなってしまった。 一方アメリカでは、任意雇用原則が 19 世紀後半にコモン・ロ−として確立し、法律的 には使用者が自由に解雇できることになっただけでなくそのことが社会的にも支持されて きた。そして事実アメリカ企業社会では仕事給のため従業員側にも勤め先を替えることに それほどの抵抗はなくいわゆるキャリア上昇志向を持つ人々は好んでより良い会社を求め て移動するために、また不況になるとレイオフを実施する企業も多いために、表面的には 流動性の激しい(解雇が簡単に行われている)企業社会として見られてきた。ただしその ような実践の背後は、レイオフされる人々が短期間しか勤めていない層に集中されるため に、逆に「長期」勤続者が産みだされてきたという現実(フォ−ディスト契約)も存在し ていた。更に、前章で述べてきたように、任意雇用に関しても幾つかの例外事項が付け加 わり、雇用者が自由に被雇用者を解雇できるという時代は過去のものとなったとの現状認 識が生まれるようになった。任意雇用は神話になった,と。 しかし同時に 1980 年代後半頃からアメリカ企業社会は大きく「変貌」する。ダウンサ イジングである。これによって多くの労働者が「クビ」を切られた。それとともに企業と 社会の契約が変わり、旧い契約(フォ−ディスト契約)から新しい契約(エンプロイアビ リティ契約)への転換が生じている。そしていまアメリカ企業社会は新たな課題を突きつ けられている。企業側はどのような事由であれば「正当な」理由として従業員を解雇でき るのか、と。別の表現をすれば、エンプロイアビリティはそのような意味で解雇理由とな るのであろうか、このことがいま問われ始めているのである。 このように概観してくると、日本もアメリカも社会通念上は逆であったが「タテマエ」 (社会通念)と「ホンネ (実態)が乖離していたという点では同一であり、しかもその」 雇用関係が最近になって大きく変容しはじめてそれと連動する形でさまざまな局面で混乱 が生じているという点でも類似点が見られる(図表1-3参照)。

(23)

日本の現状に戻ると、いままで終身雇用で「守られて」きた大企業男子社員も3タイプ に分けられ「有期雇用」従業員が増加し始めている。このような新しいタイプの従業員の 出現によって、これまでのような(たとえ多くの人々が解雇されていたとしても終身雇用 神話のために水面下に隠れてきた)解雇の現実が表面化することであろう。現在、就業形 態の多様化を反映して「新しい働き方」というコトバがよく使われるようになったが、こ れは「意味深長な」コトバである。というのは、この「新しい」はさまざまに解釈される であろうが、解雇に関して言えば、そこには、法律通りに「使用者には解雇権があります よ」という相互の合意のもとで就業している、という意味が込められているからである。 今回の労基法の改正はそのような現実に「お墨付き」を与えるものであり、解雇理由の 明示をはじめとする雇用のル−ル作りが日本の企業社会に初めて俎上にあがってきたこと を意味している。解雇ル−ルの確立は、エンプロイアビリティが概念として普及するだけ でなく実態もそれに連動して動くようになれば、解雇に伴うリスクを「一」企業が負う社 会から社会全体でリスクを負担する社会への転化をともなうことになり、結果的には、日 本とアメリカに極めて類似した企業社会が生まれることになるのではないだろうか。 2003/8/20 −−−−−−−−−−−−−−−−− 【訂正箇所】 「終身雇用と社会契約(上)」『産業と経済』第17巻第4号365ペ−ジ3行目 雇用者は「特定の契約や法的根拠を伴わずに」 を 雇用者は「特定の契約がない場合あるいは特定の法律と抵触しない場合」 に 換える 注 ( )櫻井稔『退職・解雇の理論と実際』中央経済社、1 1994年、107ペ−ジ。 ( )櫻井、同上書、2 108ペ−ジ。

(24)

( )毎日新聞の3 HP http://www.mainichi.co.jp/life/law_building/news/( )を参照。 4 HP http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/sytyou/iken/03/ ( )日本弁護士連合会の ( )参照。 2003_19.html ( )5 http://www.jtuc-rengo.or.jp/new/kangaeru/koyou/ 2003/07/14 アクセス 6 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/47/naruhodo058.htm ( ) ( )現行の通念に関しては、櫻井、前掲書、7 109-110ペ−ジで、紹介されている。 8 14 ( )たとえば 末啓一郎 米国労働雇用法及びその実務の特殊性、 「 」『経営法曹研究会報 第』 号、平成8年、がある。 ( )毎日新聞の9 27日夕刊には 「改正案も解雇権があることを含んだ表記で実態は原案と、 変わらない」との厚生労働省幹部の発言が掲載されている。

10 B.K.Glazier WEB:The Law of Wrongful Discharge ( )アメリカの弁護士 の

(http://www.bosglazier.com/wdis.html)からの引用 .。

11 B.Heshizer, The New Common Law of Employment : Change in the concept of

( ) “

Emploment at will” Labor Law Journal, . February,2000,p.96.

12 D.M.Mackey, ,AMA Membership Publication ( ) Employment at Will and Employer Liability

Division American Management Association,1986,p.11.

13 1

( )「期間を限定せずに雇うことにはつぎのような暗黙の前提がある。第1に、それが 年間は続く(be yearly)ものであること、第2に、どちらかの側からでも終わらすこと ができるがそのためには正当な理由のもとで事前に通告することが必要であること。

Wrongful Discharge and the Derogation

これがイギリス・ル−ルである。」 A.D.Hill,( “ ”

, Industrial Research Unit The Wharyon School,

of the At-Will Empployment Doctrine (

) )

University of Pennsylvania ,1987 ,p.1. ( )14 B.K.GlazierのWEB参照。

Monthly Labor

( )15 C.J.Muhl,“The Employment-at-will doctrine:three major exceptions”,

ただし今回利用したものは 版( )である。

Review, January 2001. on-line http://bls.gov/ 16 Heshizer, ,p.97. ( ) op.cit. ( )アメリカのある文献で、カナダ、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、日本、ス17 ウェ−デンでは、雇用関係を終了するためには「正当な」 理由が必要であることが法 律によって定められている(Hill,op.cit.,pp.11-12)、と述べられている。これは冒頭のペ ージで触れたように「解雇制限」の条文があるためであろうが、そのことが日本に該当

(25)

するかと言えば、疑問が残る。 18 Mackey, p.8

( ) op.cit.

19 Muhl, .,p.3 ( ) op.cit

20 P.Werhane and T.Radin, Employment at Will and Due Process , in Beauchamp,T.and

( ) “ ”

Bowie,N. eds ,( ) Ethical Theory and Business, 5th Edition, Prentice-Hall, 1997, pp.275-276

American

( )21 D.A.Ballam,“Employment-at-Will : The impending Death of a Doctrine“, ,vol.37,2000,pp.653.

Business Law Journal

22 Heshizer, ,p.95 ( ) op.cit.

23 A.B.Carroll and A.K.Buchholtz, , ( ) Busines & Society.Ethics and Stakeholder Management

Thomson,2003,p.486. ( )櫻井稔『雇用リストラ』中公新書、24 2001年、34ペ−ジ参照。 ( )「労働組合が代表してくれている従業員と公務員は恣意的な解雇から保護されてき25 た 。(」 B.K.GlazierのWEB参照)。 ( )26 B.K.GlazierのWEB参照。 ( )27 Legal Guide to H.R.では、21の法律があげられている。 http://hr-esource.com/index.asp?rightframe=hresources/sampleChapters/lghSampleChapter.html ( )28 B.K.GlazierのWEB参照。 29 B.Heshizer, ,p.101 ( ) op.cit. 30 http://www.mbtlaw.com/ ( ) 31 http://www.mbtlaw.com/ ( ) ( )事例に関しては、32 Muhl,op.cit.,pp.8-9.参照。 33 Heshizer, ,pp.103-104. ( ) op.cit. 34 Muhl, .,pp.8-9. ( ) op.cit

35 Carroll and Buchholtz, ,p.487-488.

( ) op.cit.

( )事例に関しては、36 Muhl,op.cit.,pp.10-11.参照。

Terminable At-will Employment in Michigan:A Survey of Business Opinions

( )37 D.E.Sheffler,

,Central Michigan University,1985,p.4.

and Current Employment Practice

38 J.R.DesJardins and J.J.McCall, 4th Edition, ( ) Contemporary Issues in Business Ethics,

Wardsworth,2000,p.105.

39 T.J.Radin and P.H.Werhane, Employment-at-Will,Employee Rights,and Future Directions

(26)

for Employment” Business Ethics Quarterly, , 13-2,2003, p.113.

40 Radin and Werhane, Employment-at-Will,Employee Rights,and Future Directions for

( ) “

Employment,”p.116.

41 J.R.Boatright, Prentice-Hall,1993,p.282. ( ) Ethics and the Conduct of Business,

42 P.Werhane and T.Radin, Blackwell, 2004,p.59. ( ) Employment and Employee Rights,

43 http://www.uslaw.com/libraly/article/carel1AtWill.html ( )

44 http://www.uslaw.com/libraly/article/carel1AtWill.html ( )

45 Radin and Werhane, Employment-at-Will,Employee Rights,and Future Directions for

( ) “

Employment“, p.113.

46 Werhane and Radin, , p.74. ( ) Employment and Employee Rights

47 Werhane and Radin, Employment at Will and Due Process ,p.276.

( ) “ ”

48 Boatright, .,pp.265-281. ( ) op.cit

49 R.Epstein, In Defence of the Contact at Will , In Beauchamp,T.and Bowie,N. eds ,

( ) “ ” ( )

, 5th Edition, Prentice-Hall, 1997,pp.284-291.

Ethical Theory and Business

50 P.Werhane and T.Radin, Employment at Will and Due Process , pp.277-280; Radin and

( ) “ ”

Werhane,“Employment-at-Will,Employee Rights,and Future Directions for Employment”, pp.113-115.

51 Radin and Werhane, Employment-at-Will,Employee Rights,and Future Directions for

( ) “

Employment”, pp.113-114.

52 Radin and Werhane, Employment-at-Will,Employee Rights,and Future Directions for

( ) “

Employment”, pp.115.

53 DesJardins and McCall, ,p.105.

( ) op.cit.

(54 http://www.mbtlaw.com/) また解雇の際に「すべきこと」と「してはならないこと」

Law, Business and

がコンサルタントのアドバイスとして紹介されている(T.McAdams, McGraw-Hill,1998,p.535 .

Society, )

55 DesJardins and McCall, .,.p.105.

( ) op.cit

56 Carroll and Buchholtz, ,p.486.

( ) op.cit.

57 Werhane and Radin, Employment at Will and Due Process ,pp.275-276.

( ) “ ”

( )58 Substantive due process に関しては、http://members.aol.com/abtrbng/sdp.htm を参照。 検索で due process を入力すれば、関連情報を入手できる。また 中窪裕也『アメリ

(27)

カ労働法』弘文堂、1995年、2ペ−ジおよび5ペ−ジ参照。 59 http://www.lsc.state.oh.us/memberonly/employment.pdf

( )

( )

( )60 http://www.discoveringmontana.com/macro/pages/PERSONEL.html 2003/07/10アクセス

Business Ethics Quarterly,

( )61 J.J.McCall,“A Deffence of Just Cause Dismissal Rules”, 13-2,2003, pp.162-163.

62 , I.Maitland, Rights in the Workplace : A Nozickian ( )詳細はノ−ジックに依拠した “

Argument”, in DesJardins,J.R. and McCall,J.J.,Contemporary Issues in Business Ethics,4th を参照。

Edition, Wardsworth, 2000,pp.119-123 63 Carroll and Buchholtz, ,p.486.

( ) op.cit.

64 Carroll and Buchholtz,op.cit.,p.491. ( )

65 Werhane and Radin, Employment at Will and Due Process ,p.283.

( ) “ ”

66 B. H.Andolsen,, The New Employability Contract and Social Contract Theory , in

( ) “ “ ” ”

DesJardins,J R and McCall,J J., Comtemporary Issues in Business Ethics, 4th Edition, Wardsworth, 2000、 .p 139.

The Individualized Corporation. A Fundamentally New

( )67 S. Ghoshal and C.A.Bartlett,

, A HarperBusiness Book, 1999,Chaper 1.

Approach to Managemen

68 S.Nollen & H.Axel, ,Amacom,1996,p.212. ( ) Managing Contingent Workers

Business and Society.Corporate Strategy, Public Policy,

( )69 J.Post, A. Lawrence and J.Weber.

の ペ−ジには、

Ethics.McGraw-Hill,1999.p.360. Business Week/March 11/1996 38

「ジョブ・セキュリテイは死んだ」との見出しが踊っている。このような事例は多数あ る。

70 Ghoshal & Bartlett, .,pp.282-286.

( ) op.cit

参照

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