19世紀末南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社 とグレート・ウェスタン鉄道会社
著者 菅 一城
雑誌名 經濟學論叢
巻 63
号 4
ページ 483‑519
発行年 2012‑03‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013641
【論 説】
19 世紀末南ウェールズにおけるダウライス 製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社
*菅 一 城
は じ め に
本稿は,大量生産体制そして大量輸送体制の登場に伴って,新しい物流管 理体系が確立する過程を,いち早く鋼の大量生産の本格化に成功した英国を 代表する製鉄企業であるダウライス製鉄会社と幹線鉄道会社グレート・ウェ スタン鉄道会社の
1890
年代の関係を事例に検討するものである.とくに,両 社の1880
年代の関係を検討した別稿1)の考察に基づいて,1880
年代と1890
年代の違いを踏まえながら,1890年代の新たな試みの意味を考察することが 本稿の目的である.本稿が依拠した史料は,グラモーガン公文書館所蔵のダウライス製鉄会社 受領書簡綴りのうち,グレート・ウェスタン鉄道会社のスウィンドン機関部 とカーディフ地区貨物管理人事務所が
1890
年代に発信した書簡約3,000
通で ある.たとえば本稿の対象期間の末年1899
年の1
年間のダウライス製鉄会社 の受領書簡は,筆者の勘定で1,260
余社からの約17,200
通にのぼり,これが18
冊の書簡綴りに製本されている.これらの書簡は年ごとに発信者名のアル* 本稿は科学研究費補助金(課題番号:若手研究(B)20730235)の助成を受けた研究成果の 一部である.
1) 拙稿「1880年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社」
『経済学論叢』(同志社大学)第62巻第4号,115-150頁.
ファベット順に整理されているが,しばしば順序が先後することもあり,索 引も目録もない.全体として
1898
年4
月から8
月にかけて5
カ月分が欠落し ている.一部にタイプライター打ちの書簡が散見されるようになるのが1890
年代の特徴ともいえるが,本稿で引用する書簡は全て手書き書簡であるので,個別に手書き書簡である旨を注記することはしない.判読不可能なほど劣化 の進んだ書簡はないが,綴じ代に綴じ込まれて一部の箇所が確認できない書 簡がしばしばある.
この発信者の多くは鉄製品を購入する顧客だが,もっとも多くの書簡を発 信したのは商品輸送や販売仲介を請け負う鉄道会社や鉄鋼商であった.
1860
年代は地方鉄道会社ブレコン・アンド・マーサー鉄道会社,1870
年代は鉄鋼 商フォスター商会,1880
年代は幹線鉄道会社グレート・ウェスタン鉄道会社 というように,ダウライス製鉄会社に突出して多数の書簡を発信する補助産 業の企業はしばしば入れ替わった.しかし,1890
年代の場合は,1880
年代 から引き続いてグレート・ウェスタン鉄道会社から発信された書簡が多く,たとえば上記の約
17,200
通のなかでは433
通を占める(1889年には,総数約10,500
通のうちグレート・ウェスタン鉄道会社からの書簡は357
通).では, 1880
年代に増して多数の書簡が交換されつづけたことにはどのような意味があるの だろうか.
1880
年代に両社は,定時の列車運行,定式化された運賃体系,車票・出荷通知などの帳票類に基づく「標準化された」輸送体系を導入したが,誤 配や遅配の頻発に直面し,書簡の往復によって処理しなければならなかった.
これらの問題は
1890
年代になっても解決していなかったのだろうか.このような問題提起は,書簡の構成を確認したうえで,言葉を補われるべ きであろう.グレート・ウェスタン鉄道会社のなかでも多岐にわたる部署が ダウライス製鉄会社に書簡を発信した.
1880
年代では,なかでもダウライス 製鉄会社の最寄り駅の1
つであるマーサー駅の貨物部,そして同駅発着の貨 物輸送を管轄するカーディフ地区貨物管理人事務所,ダウライス製鉄会社に 対して石炭と鉄の発注を行ったスウィンドン機関部の3
部署からの書簡が多かった.さまざまな部署からダウライス製鉄会社宛の書簡が発信されたのは
1890
年代も同様であり,ロンドン・パディントン駅総支配人事務所,同駅事 務長室,同駅技師事務所,同駅次席貨物管理人事務所,同駅会計事務所,同 駅資金部,ロンドン・リヴァプール・ロード駅,レディング駅,スウィンド ン機関部,同資材部,同技師事務所,カーディフ地区貨物管理人事務所,カー ディフ駅貨物部,ポンティプール・ロード地区監督員事務所,ポンティプール・ロード駅機関部,マーサー駅貨物部,同駅小包部,同駅旅客部,ダウライス 駅貨物部,同駅交通部,クムバーゴード駅,ベドリノグ駅,シンダーフォー ド駅,ヒルワイン駅など
20
を超える部署からの書簡が確認できる.なお,グ レート・ウェスタン鉄道会社はこのように広範な組織網を展開し,ダウライ ス製鉄会社が拠点をおく山村ダウライスにも駅をおいていたが,同社への各 種の伝達は,社内の情報伝達手段ではなく,郵便局の電報・郵便に頼ってい た2).
1890
年代の特徴は,最寄り駅マーサー駅からの書簡が大幅に減少し,それ 以上にスウィンドン機関区からの書簡が増加したことである.ダウライス製 鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社の関係は相互依存的で,鉄道会社が 輸送サービスを提供しただけでなく,製鉄会社も鉄道会社に鉄と石炭を供給 した.1880
年代のグレート・ウェスタン鉄道会社,さらには1860
年代の地 方鉄道会社まで遡っても,鉄道会社や鉄鋼商からの書簡の多くは,鉄鉱石の 搬入や鉄製品の搬出など,製鉄会社を発着する貨物に対して提供される運輸 サービスに関わるものであった.1880
年代にマーサー駅貨物部が多数の書簡 を発信したのも貨物の誤配・遅配の事後処理を進めるためであった.しかし,1890
年代に多数の書簡を発信したのはスウィンドン機関区であり,すでに触 れた1899
年の433
通中の121
通を占め,次に多かったカーディフ地区貨物管2) The Glamorgan Archive, DG/A/1/621 T. Simpson, Locomotive & Carriage Running Department, Swindon, Great Western Railway Company to the Dowlais Iron Company, October 20th 1893.(以下 DG/A/1/621, T. Simpson, October 20th 1893のように略記する.)
理人事務所の
37
通を大きく引き離している.このスウィンドン機関部からの 書簡は,全て製鉄会社から購入する石炭に関わるものである.後述するように,ダウライス製鉄会社は以前から炭鉱を経営して石炭を販売し,グレート・ウェ スタン鉄道会社は鉄道以外にも汽船,各種機械用に石炭を必要とした.相互 依存的な双方向の関係の重心が,鉄道輸送サービスに関わる書簡が減少して 石炭配送に関わる書簡が増加するという形で,変化したことにはどのような 意味があるのだろうか.鉄鉱石の搬入や鉄製品の搬出にどのような変化が生 じ,また石炭配送がどのように変化したのか.
このような論点の検討に入る前に,本稿の事例の位置づけを明確にするた めに,グレート・ウェスタン鉄道会社にとって
1890
年代がどのような時期だっ たのか確認しよう.一般に世紀転換期は19
世紀第3
四半期の鉄道敷設ブーム から第1
次世界大戦後の停滞期に至る減速期間として印象付けられ,旅客の 利用は成長し続けていたとしても,貨物輸送はそれには及ばず,新線の延伸 は低迷していた.この時期の鉄道輸送の主要な貨物は石炭であり,グレート・ウェスタン鉄道は南ウェールズの炭田と一大消費地ロンドンを結ぶ主要幹線 であった.路線網の伸び悩みと貨物量の増加によって「
1880
年代の既存の鉄 道網に対する圧力が石炭取引の停滞を引きおこし,さらなる鉄道路線の敷設 とドックの拡張を刺激した」3).マクダーモットの社史も, 1890
年代から第一 次世界大戦勃発時に至るまでの時期を,地方鉄道会社の吸収合併や路線の延 伸などが図られた「大いなる覚醒期」と位置づける4).つまり, 19
世紀第3
四半期の繁栄からの停滞を経て,1890
年代に再度変革の時期に入ったのであ る.同様に,
1890
年代のダウライス製鉄会社はどのように評価されているのだ ろうか.1890
年代はアメリカ製鋼,ドイツ製鋼との激しい競争にイギリス製3) Pollins, H., The development of transport, 1750-1914, in Williams, G. (ed.), Glamorgan County History, vol. 5, Industrial Glamorgan (Glamorgan County History Trust, 1980), p.453.
4) MacDermot, E., History of the Great Western Railway, vol. 2, 1863-1921 (Great Western Railway Company, 1931), pp.399-452.
鉄業全体が直面するなかで,一般的にはダウライス製鉄会社が新体制を模索 した時期とされる.グラモーガン州北部の山村を飛び出し,ウェールズ最大 の都市カーディフに進出し,この新工場は
1891
年に操業を始め,1895
年に は鋼生産を開始した.また経営的には,1901
年のアーサー・キーン社,1902
年のネトルフォード社との合併を控えた時期である.この製鉄事業の再編期 に製鉄事業を上回る収益をあげて同社の経営を支えたのが炭鉱事業であっ た5).タフ渓谷,
ラムニ渓谷などの炭鉱事業は,おもにダウライスやカヴァー スヴァなどの製鉄会社が燃料源として開発したものが,1860
年代以降,蒸気 炭の供給源として発展したものである6).
ダウライス製鉄会社はナントゥエン,ベドリノグ,クムバーゴード,ボホリウに加えて
1890
年代にはアベルカノン 炭鉱の操業も開始したが,グレート・ウェスタン鉄道会社宛の石炭を供給し たのはダウライスにもっとも近く,産出規模がもっとも小さいクムバーゴー ド炭鉱(ダウライス炭鉱とも表記される)であった.このように,1890
年代はダ ウライス製鉄会社にとってもグレート・ウェスタン鉄道会社にとっても変革 の時期であったが,両者の関係はどのように変化したのだろうか.以下,第
1
節と第2
節では,スウィンドン機関部からの書簡に基づいて,石炭供給者としてのダウライス製鉄会社と石炭購入者としてのグレート・ウェ スタン鉄道会社の関係を扱う.第
1
節では,ダウライス製鉄会社からグレート・ウェスタン鉄道会社に売却される鉄道蒸気炭や汽船炭―とくにドーセット 州ウェイマスから発着する汽船宛の石炭に着目して―の配送の概要を示す.
次に,第
2
節は,石炭の遅配,貨車の配車管理による遅配への対応,炭質を めぐる交渉から1890
年代の石炭配送の意味を検討する.第3
節は,輸送サー ビスの利用者としてのダウライス製鉄会社とその補助産業としてのグレート・ウェスタン鉄道会社の関係をカーディフ地区貨物管理人事務所からの書簡に
5) Jones, E., A History of GKN, vol. 1, Innovation & Enterprise, 1759-1918 (Macmillan, 1987), pp.314- 318.
6) J. Williams, The coal industry, 1750-1914, in Glamorgan County History, p.185.
基づいて検討する.終節では,これらの考察を踏まえて大量生産の到来期に おける物流情報管理の意味を検討する.
1 ダウライス製鉄会社からグレート・ウェスタン鉄道会社への石炭配送
① 石炭配送の概要
まず本節では,石炭の供給者としてのダウライス製鉄会社と石炭の需要者 としてのグレート・ウェスタン鉄道会社の関係を検討する.
1890
年代のグレー ト・ウェスタン鉄道会社は1880
年代よりも多くの書簡をダウライス製鉄会社 に対して発信したが,そのなかでも多くを占めたのが自社宛石炭の配送に関 わるものであり,1880
年代の書簡の多くがダウライス製鉄会社からその顧客 への貨物配送の遅配・誤配の処理に関わるものであったのとは異なっていた.なぜグレート・ウェスタン鉄道会社は自社宛石炭の配送に関して頻繁に書簡 を発信するようになったのだろうか.
グレート・ウェスタン鉄道会社は,蒸気機関車,汽船,各種機械の動力と してダウライス製鉄会社から石炭を購入した.石炭の売買契約は,週あたり の供給量と
1
トンあたりの単価を示し,半年毎に更新された.週あたりの供 給量は1890
年に800
トン,その後おそらく1893
年以降,遅くとも1894
年には
1,000
トンに増量された.この石炭は販売契約上では用途を特定せず,さまざまな用途の石炭の総量として
800
トンあるいは1,000
トンの数字が示さ れているが,以下に見るような配送指示の書簡では「汽船用」「水圧機械用」などと用途が指定され,用途が指定されない石炭は鉄道蒸気に用いられた.
グレート・ウェスタン鉄道会社は,なかでも汽船炭の品質を重視し,また汽 船炭を鉄道蒸気炭に転用するよう指示する書簡は多数確認できるが,鉄道蒸 気炭を汽船炭に充当するよう指示した書簡は確認できない.
さて,これらの石炭をどこにどれだけ配送するかについて,ダウライス 製鉄会社に指示したのがスウィンドン機関部(
Locomotive and Carriage Dept,
Swindon 1894
年3
月以降は Locomotive and Carriage Running Dept, Swindon)である.配送指示の書簡は,定期的な配送量を指示する書簡とそれに微調整を加える 臨時の書簡の
2
種類に大別できる.第1
は,1896年までほぼ毎年1
通発信さ れた書簡で,その後1
年間の複数の配送先への1
週あたりの配送量を一括し て列記した書簡である.第2
は,1890
年代を通じて頻繁に発信された書簡で,随時個別の配送先への配送量(あるいは増減量)を指示した書簡である.個別 の配送先,たとえば,後述する同社のウェイマス汽船部に関わる配送指示で あったとしても上記のスウィンドン機関部がとりまとめてダウライス製鉄会 社に各種指示の書簡を発信している.
前者の書簡は,
1896
年まで毎年7
月前後に確認できる.1890
年から96
年 までの8
通のそのような書簡の内容をまとめたのが第 1 表であり,各配送先 への1
週あたりの配送量を重量(トン)で示したものである7). 1897
年以降は,7) DG/A/1/581 T. Simpson, June 6th 1890; DG/A/1/594 T. Simpson, July 27th 1891; DG/A/1/608 T.
Simpson, September 9th 1892; DG/A/1/621 T. Simpson, July 4th 1893; DG/A/1/633 T. Simpson, July 24th 1894; DG/A/1/647 T. Simpson, July 5th 1895; T. Simpson, November 12th 1895; DG/A/1/663 T.
Simpson, June 26th 1896.
配送先/年・月
1890・
6
1891・
7
1892・
9
1893・
7
1894・
7
1895・
7
1895・
11
1896・
6 Shipston-on- Stour
(機械)Neath
(鉄道)New Milford
(汽船)New Milford
(鉄道)Weymouth
(汽船)Dowlais
(鉄道)Hockley
(機械)Shrewsbury
(鉄道)Birkenhead
(機械)Landore
(鉄道)Llanelly
(鉄道)Carmarthen Junc.
(鉄道)Aberdare
(鉄道)Swindon
(鉄道)5 100 275
200 85 8 5 12
残り5 100 240
150
8
15
残り5
255
300
8
15
残り5 70 255 40 400 80 8
15 85 70 60
残り5
225
400
8
15
残り5
215
随時
20
24
110
残り5
225
400
8
15
残り5
220
400
90
24
16
残り 第 1 表 定期的な配送先と週あたりの配送量(トン)このような書簡が確認できない.書簡が散逸した可能性もあるが,後述する ように
1890
年代半ば以降は随時個別の配送量の指示が相次いで,週によっ て配送量が異なるようになり,1
年分の定期的な配送指示が形骸化するため,一括して指示しなくなったものと推測される.
第
1
表のように,配送先は用途とともに示され,ウェイマスとニュー・ミ ルフォードは汽船,バーケンヘッドとホックレイは水圧機械,シップストン・オン・スタウアは揚水機である.その他の配送先は用途が特定されておらず,
これは鉄道蒸気炭である.当初はニース,ダウライス,スウィンドンの
3
駅 への配送が指示され,とくにスウィンドン駅への配送量は明示されず,全体 の配送量の加減を調整する形をとった.1892
年にはスウィンドンのみへの配 送に変更され,また一時的に1893
年には南ウェールズの主要各駅への配送も 試みられている.これらとは別に,1894
年にはレディング,スロウ,サウソー ルなど南イングランドへ,1897
年にはレディング,ディドゥコット,ラネリー へ,1898
年にはウェイマス,サウソール,ロンドン・パディントン駅への定 期的配送を指示した書簡も確認できる.しかし,実際には配送量の多くを占 めつづけた汽船炭の配送量を指示していないなど,それ以前の書簡との対応 が明らかでないので,第1
表には加えていない8).
後述するように,臨時の微調整の書簡から
1897
年以降に第1
表にないイ ングランド南部,ウェールズ南部各地に定期・不定期の配送が頻繁に行われ ていたことも確認できる.この場合も,汽船,水圧機械,揚水機など用途が 示されることが多いのが特徴である.鉄道蒸気炭の場合に用途が明示されず,配送先がしばしば変更されたのに対して,それ以外は用途が明示され,配送 先・配送量に大きな変化がない.これはおそらく,鉄道蒸気炭の場合はスウィ ンドンなどの主要駅に配送したのちに鉄道会社の内部で適宜分配したのに対
8) DG/A/1/633 T. Simpson, June 29th 1894; DG/A/1/679 T. Simpson, November 17th 1897; DG/
A/1/695 T. Simpson, September 13th 1898.ただし,1894年の書簡は3日後に取り消されている.
DG/A/1/633 T. Simpson, July 2nd 1894.
して,汽船炭など特定の用途に供するために炭質が異なる場合は駅間での融 通が効率的ではなく,予め炭鉱から個別の配送先への発送がダウライス製鉄 会社に指示されたものと推測できる.
このように,グレート・ウェスタン鉄道会社が頻繁に書簡を発信した大き な理由は,宛先と用途の異なるさまざまな石炭の配送量を頻繁に調節するか らであった.それでは,なぜ個別の宛先への配送量を頻繁に調節しなければ ならなかったのだろうか.
② ウェイマス宛の汽船炭の配送
第
1
表に見るように,1890
年代中に配送量が大きく増加して90
年代半ば 以降は最多の量を占めたのは,ウェイマス宛の汽船炭であり,これに関連す る書簡は石炭配送に関わる書簡の過半に達する.そこで,ここでは同地宛の 汽船炭に対象を限って,ダウライス製鉄会社からグレート・ウェスタン鉄道 会社への石炭供給の仕組みを検討しよう.ウェイマスはイングランドのドー セット州の港湾都市で,グレート・ウェスタン鉄道会社が1889
年からイギリ ス海峡を跨いだフランス・コタンタン半島沖合のイギリス領チャネル諸島へ の定期便船を運航した.ウェイマスに配送された石炭は全て汽船炭だが,ウェ イマスの汽船部長が直接配送量を指示するのではなく,スウィンドン機関部 を経てダウライス製鉄会社に指示が伝達された.第1
表の1895
年7
月の書簡 で数量ではなく「随時」と指示されたように,ウェイマスへの配送量は例外 的な扱いを受け,頻繁に調整された.当初は,配送指示の間隔・曜日は一定 せず,「改めてお知らせするまで」の継続的な配送量として指示された.しか し,1894
年8
月から,毎週木曜日あるいは金曜日に「来週」分の配送量が指 示されるようになった.これ以降,しばしば週明けの月曜日に「今週」分と して伝達された例はあるが,2
週以上前から配送量が予め指示されることは なくなった.以下はそのような配送指示の一例である.「来週は汽船用にクムバーゴード
炭鉱からウェイマスに石炭を
120
トンご発送いただければ幸いです9).
」第1
表で見たように,定期的な配送量は1890
年代をつうじて週あたりの重量(トン)で表示されたが,随時の指示の場合,当初は「毎日貨車
3
両分」のように1
日あたりの貨車の台数で指示されていたものが1893
年6
月ごろから週あたり の重量で示されるようになった.1
週の配送日は日曜日を除く6
日である10).
貨車1
両の積載重量については,次のような書簡が確認できる.「 問題の貨車 は8
トン積みとされておりますが,これは塊炭8
トンを積載することの証に はなりません.(略)私見では,塊炭8
トンの輸送に耐えるものでないことを 繰り返し申し上げます.」11)実際に,複数の書簡が1
日5
両ならば週200
トン,1
日7
両ならば週300
トンに相当するとしており,貨車1
両の積載重量は約7
トンと推測できる12). 1890
年代前半には「1
日は貨車3
両分,もう1
日は貨 車4
両分」というように1
日おきに配送量を変える指示も散見される13).し
かし,1890
年代後半にはしばしば「毎日一定量」で配送することが強調され た.後述するように,1
週の月曜日から土曜日までの配送量の均等化は円滑な 配送を実現するうえで重要な条件であった.なお,1880
年代まではダウライ ス製鉄会社が所有する貨車で運搬する選択肢もあったが,1890
年代にはグレー ト・ウェスタン鉄道会社が全て同社の貨車を配車したものと考えられる.このように,ウェイマス宛の汽船炭の配送量は,他の配送先に先んじて,
一括して複数の配送先への年間の定期的な配送量を伝達する方式から切り離 され,個別に毎週指示する形式へと移行したのである.
③ ウェイマス宛の石炭配送量の変動
ウェイマス宛汽船炭の配送量が毎週指示されるようになった背景には,
9) DG/A/1/663 T. Simpson, February, 10th 1896.
10) DG/A/1/663 T. Simpson, October 2nd 1896.
11) DG/A/1/647 T. Simpson, November 8th 1895.
12) DG/A/1/608 T. Simpson, September 9th 1892; DG/A/1/710 T. Simpson, October 14th 1899.
13) DG/A/1/581 T. Simpson, November 17th 1890; DG/A/1/594 T. Simpson, November 9th 1891も同様.
1890
年代のあいだに配送量が毎週大きく増減するようになったという事情が ある.配送量は,650
トンから50
トンまで5
トン刻みの毎週の指示に加えて,週の半ばにも追加配送や配送見合わせの指示によって調節され,これを可能 な限り再現して第
1
週から第52
週までの変動を隔年で示したのが第 1 図であ る.さて第
1
図で見るように,ウェイマス宛の石炭配送量は3
種類の変動に分 けて理解されるべきであろう.もっとも長期的な変動は,1890年の平均週165
トン強から1899
年の週360
トン弱へという安定的な増加傾向である.次 に年間を通して見れば,毎年7
月を頂点に5
月から9
月にかけて配送量を増 やし,10
月から4
月にかけて低水準に抑える季節的な変動が1890
年代のあ いだに明確になった.その直接的な理由は,それまで年間をつうじて1
隻の 汽船で運用していたチャネル諸島航路に,1892
年以降は繁忙期である夏季に第 1 図 ウェイマス宛汽船炭配送量の変動
1 4 7 10 13 16 19 22 25 28 31 34 37 40 43 46 49 52 (週)
500 600 700
400 300 200 100 0
週あたりの配送量(トン)
限って
2
隻の汽船を投入して増便するようになったからである14).ではなぜ
夏季に汽船便が増便されたのだろうか.書簡綴りから確認できる1
つの理由 はこの時季が「旅客航路の繁忙期」に当たるからである15).しかし,さらに
頻繁に指摘されるところによれば,夏季の増便はおもにジャガイモの収穫期 に対応したジャガイモ出荷船の就航によるものである16).
短期的な変動としては,繁忙期・閑散期のあいだにも配送量がほぼ毎週調 節されている.つまり,ウェイマスで石炭が不足する場合は配送量の引上げ や追加配送が指示され,石炭の余剰がある場合は配送量の引下げや一時的な 配送見合わせが指示された.ウェイマスへの配送が見合わせられる場合は,
予定されていた石炭はスウィンドンに配送するよう指示され,供給総量が変 更されることはなかった17)
.スウィンドンに転送された石炭は鉄道蒸気炭に
充当されたはずである.配送見合わせを指示する書簡は,しばしば余剰の石 炭の量を報告している.余剰量は,1890
年代を通じて「本日ウェイマスに貨 車18
両分のダウライス炭があり,今週の運航に十分です」というように貨車 の台数で示された18).これは実際にウェイマス駅構内で石炭が貨車に積載さ
れたまま待機していたことを反映するものと推測できる.1895
年7
月には余 剰が72
両分に達した19).反対に, 1896
年7
月には残存量が8
両分であると して至急の配送が催促された20).後述する他の配送先と異なり,予備用とし
て貯蓄した石炭を充当する対応がウェイマスでは確認できず,ある書簡は「炭 鉱からの輸送が遅延した場合に備えて貨車数両分を確保」できるような配送14) DG/A/1/608 T. Simpson, June 10th 1892; DG/A/1/633 T. Simpson, May 14th 1894; DG/A/1/679 T.
Simpson, June 26th 1897は増便に伴う配送量の引き上げ,DG/A/1/621 T. Simpson, October 7th 1893; DG/A/1/647 T. Simpson, September 27th 1895は減便に伴う配送量の引き下げを指示して いる.
15) DG/A/1/608 T. Simpson, July 21st 1892.
16) DG/A/1/633 T. Simpson, May 17th 1894; DG/A/1/663 T. Simpson, May 11th 1896.
17) グロスターへの転送を指示する書簡も1通確認できる.理由は不明.DG/A/1/608 T. Simpson,
June 11th 1892.
18) DG/A/1/581 T. Simpson, November 19th 1890.
19) DG/A/1/647 T. Simpson, July 15th 1895.
20) DG/A/1/663 T. Simpson, July 8th 1896.
を求めている21)
.
このように,季節的な変動が大きくなるにつれて,年間を通した定期的な 配送量の指示はウェイマスの石炭消費の実態に沿わなくなり,さらにウェイ マス駅の石炭在庫を一定量に保つために毎週頻繁に汽船炭の配送量が指示さ れたのである.
④ ウェイマス以外の定期的な配送先
ウェイマスの事例は
1890
年代のダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタ ン鉄道会社の関係を考える上で重要ではあるが,毎週配送量を調整したのは 例外的で,他の配送先の例と併せて検討する必要がある.ニュー・ミルフォー ドなどへの配送には,季節的な変動は認められず,定期的な配送で過不足が 生じた場合に追加配送,配送見合わせ,配送量の変更が指示された.以下ウェ イマスとの相違点のみ確認しよう.第
1
表のニュー・ミルフォードはペンブルックシャー州ミルフォード・へ ヴンのネイランド駅の旧名で,アイルランドのウォーターフォードとコーク へ渡る定期便船の母港であり,配送された石炭もほぼ全てが汽船炭である.ニュー・ミルフォードへの汽船炭の配送はウェイマスに比べれば変動が小さ く,配送量の変更を指示する書簡が多い年で年間
2
通確認できる程度である.その代わり,予定通りの配送を求める催促状が毎年
2
〜3
程度確認され,と くに南ウェールズ全域で貨物輸送が停滞した1897
年には10
通が確認できる.また「石炭置き場の備蓄分もほぼ使い切るところとのことです.」というよう に配送量が不足した場合に備蓄分を充当していたことも確認できる22)
.
バーケンヘッドは,チェシャー州の都市でマージー河口のリヴァプール の対岸に位置する.ここには水圧機械用として石炭が定期的に配送された.ニュー・ミルフォードと同様に,追加配送,配送見合わせ,配送量の変更の
21) DG/A/1/663 T. Simpson, August 11th 1896.
22) DG/A/1/581 T. Simpson, February 19th 1890.
書簡が年間
1
〜6
通程度確認できる.また,予備の石炭の備蓄も確認でき る23).リヴァプールを中心とする造船業地域の一角を占めるバーケンヘッド
に特有なのは,ウェイマスあるいはニュー・ミルフォードに就航予定の新造 汽船宛の石炭配送が臨時に指示された点である24).水圧機械用の石炭はバー
ミンガム市中心部ホックレイ駅にも定期的に配送され,年間2
〜7
通程度の 書簡により配送量が調節された.ウォリックシャー州のシップストン・オン・スタウアも
1890
年代を通じて定期的な配送先であったが,配送量が小さく,関連する書簡も少ない.
ウィルトシャー州スウィンドンは,グレート・ウェスタン鉄道会社にとっ てロンドン・パディントン駅からミッドランド地方や南ウェールズに伸びる 路線の重要な中継拠点であり,本節で扱う書簡の発信者スウィンドン機関部 の所在地でもある.すでに見たように,スウィンドンには配送量全体から各地 への配送量を割り当てた残りを配送することになっており,また各地の配送 先で配送が見合わされた場合の振替配送先でもあった.これらの点は
1880
年 代にも確認できる.スウィンドンへの配送量はウェイマス,ニュー・ミルフォー ドに次いで多かったはずだが,上記のように調整弁の役割を果たしていたた め,個別にスウィンドンへの配送量の調節を指示する書簡は少ない.その代 わり,スウィンドン宛の配送については,車票掲出の誤り,過積載,炭質な ど配送管理上の注意を促す書簡が多いが,これらについては次節で検討する.ウェイマス以外の配送先の場合には,年間を通した定期的な配送量の設定 はある程度有効であったが,消費量の変動に応じる必要があった.随時配送 量の調節を指示する書簡と各駅への配送量の調整弁として機能するウェイマ ス駅は,毎週一定量の配送を前提とする石炭売買契約と変動する石炭消費量 との矛盾の解決策だったのである.
23) DG/A/1/663 T. Simpson, October 15th 1896.
24) DG/A/1/594 T. Simpson, April 20th 1891; 同年8月にはウェイマスに就航するアイベックス号 に関して,また,1896年2月には就航地不明のペンブルック号に関して,同様の書簡が確認 できる.DG/A/1/594 T. Simpson, August 18th 1891; DG/A/1/663 T. Simpson, February 10th 1896.
⑤ それ以外の配送先
スウィンドン機関部による頻繁かつ柔軟な配送指示を理解するには,それ 以外の配送先も検討する必要がある.第
1
表に見るように,特定の時期に限っ て定期的な配送先に指定された駅もあり,いずれも南ウェールズの鉄道交通 の要衝である.グラモーガン州ニースへの配送については追加配送,配送見 合わせ,配送量の変更などを指示する書簡が1895
年まで年間に2
〜10
通程 度散見され,その後は確認できなくなる.遅延分の催促状なども同様で,定 期的な配送が中断したものと推測できる.配送が確認できる1895
年までに限 れば,ニースはスウィンドンに準じる鉄道蒸気炭の大口の配送先であり,予 備の石炭備蓄も確認できる25).さらに,以下の書簡のように,他の駅への配
送量の増減に応じる調整弁の機能を果たした点でもスウィンドンに準じたと いえる.ニースに十分な石炭がございます.石炭がきわめて不足している他の場所に余分 な石炭を転送できるように,しばらくのあいだダウライス炭鉱からニース駅への配 送を見合わせていただければ幸いです.26)
同じグラモーガン州ではアバーデア,スウォンズィー北郊のランドア,西 隣のカーマーゼンシャー州のラネリー,カーマーゼン連絡駅宛に
1890
年代前 半の一時期に定期的な配送が指示され,その配送量を調節する書簡が各数通 確認できる.ラネリーは,第1
表の指示とは別に,1895
年初頭まで定期的な 配送が確認できる27).ダウライス駅配送分については,配送量の調節に関わ
る書簡が確認できない.イングランドのシュロップシャー州シュルーズベリー25) DG/A/1/608 T. Simpson, February 8th 1892. 別の書簡では,ニース,ランドア,ラネリーの3 駅で備蓄していた石炭を使い切った旨が報告されている.DG/A/1/621 T. Simpson, December 6th 1893.
26) DG/A/1/621 T. Simpson, October 12th 1893.
27) DG/A/1/647 T. Simpson, January 24th 1895; T. Simpson, January 31st 1895.
には
1890
年4
月に定期的な配送が指示されているが,7
月に取り消されてい る28).
第
1
表は1896
年までを扱っているが,それ以降に定期的な配送先に加えら れた例もある.1897
年以降,ロンドン西郊サウソールへ週100
トン前後の配 送が指示されるようになった.また,1898
年には汽船ヴァルテイク号の定期 運航のためブリストル宛に定期的な配送を開始するように指示された29).翌
年にかけて配送量を調節する書簡数通も確認できる.さらに,不定期の配送指示が相次いだ宛先もある.チェルトナム(1896年 まで)
,リヴァプール
(1898年まで),ファルマス
(1893年から98
年まで),チッ
ペンハム(1894年から),ヤットン
(1895年から),ティヴァートン連絡駅
(1896 年から)で,いずれも年間数回程度,ほとんどが1
回に貨車1
両分の配送の指 示で,照明用とするファルマス以外は全て水圧機械用である.また,グレート・ウェスタン鉄道会社は南ウェールズの港湾・河川を巡回して汽船航路の水底 の土砂を浚う浚渫船も運航し,同船宛にも石炭が配送された.この浚渫船へ の配送指示は
1890
年代を通じて約130
通に及び,配送先はニュー・ミルフォー ド(1890年2
月まで),ブリトン・フェリー
(1890年10
月から翌年7
月,1895年9
月から翌年4
月まで),ラネリー( 1892
年6
月から翌年3
月,1894年12
月から翌年6
月まで)の3
港には集中的に,それ以外の時期はニースに散発的に配送が指 示された.いずれも貨車2
〜3
両分の配送である.さらに配送回数の少ない 臨時の配送先が10
ヵ所確認でき,第 2 図のように,イングランド南部とウェー ルズ南部に広く分布した.このように,グレート・ウェスタン鉄道会社が頻繁に石炭配送に関わる書 簡を発信したのは,毎週一定量の販売を前提とする契約の下で,定期・不定 期を問わず,同社の路線網全域のさまざまな宛先へ,異なる用途に合わせ,
変動する消費量に応じて柔軟な石炭配送を実現するためであった.
28) DG/A/1/581 T. Simpson, April 11th 1890; T. Simpson, July 11th 1890.
29) DG/A/1/695 T. Simpson, December 30th 1898.
チャネル諸島
●
②
●
㉑
●
⑱
●
⑲●⑦
●
⑮
●
⑳
●
⑭
●
●⑰
④
●
⑬
●
⑤
●
⑥
●
⑯
●
●①
●⑨
●⑧
●⑩
⑪
●
⑫
●
③
●
㉗
●
㉓ ●㉒
●
㉚
●
㉙
●
●㉖
㉔
●
㉕
●
㉘ ロンドン
カーディフ
①ダウライス
②ウェイマス
③ニュー・ミルフォード
④バーケンヘッド
⑤ホックレイ(バーミンガム市内)
⑥シップストン・オン・スタウア
⑦スウィンドン
⑧ニースおよびブリトン・フェリー
⑨アバーデア
⑩ランドア
⑪ラネリー
⑫カーマーゼン
⑬シュルーズベリー
⑭サウソール
⑮ブリストル
⑯チェルトナム
⑰リヴァプール
⑱ファルマス
⑲チッペンハム
⑳ヤットン
㉑ティヴァートン
㉒ウェストボーン・パーク(ロンドン市内)
㉓バース
㉔スタウアブリッジ
㉕ウルヴァーハンプトン
㉖ロウリー・レジス
㉗レディング
㉘ニューポート
㉙ウィットランド
㉚プリマス 第 2 図 石炭の配送先
2 石炭配送における物流管理の課題と改善
① 遅配と配車の限界
では,なぜダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社は,需要 の変動に応じる方法を,柔軟な石炭配送と頻繁な書簡の往復に頼ったのだろ うか.他の解決策はなかったのだろうか.この点を検討するためには,当時 の石炭配送の実態をさらに多面的に考察する必要がある.
1890
年代を通じて,ダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社 は石炭の遅配に悩まされた.これは1880
年代から続く問題で,とくに1890
年代後半に深刻になった.ここで留意すべきは遅配の問題の性質であり,当 初は,個別配送先の操業に関わるものとして至急の配送が催促されることは あったが,全体としては「去る6
月27
日までの56
週間で,炭鉱側の遺漏に よる配送不足分は2,778
トンであり,これ以外の時期の過剰配送分計1,496
ト ンを差し引いて1,282
トン分が発注取り消しとなります」というように,決 済上の問題であった30).
1892
年10
月には,1891
年7
月から1
年間の遅配の詳細を示した資料が確 認できる31).週 1,000
トンつまり年間52,000
トンのうち,5,640
トン以上が未 配送であり,1891
年7
月以前からの遅配分と過剰配送分を合算・相殺して未 配送量は計9,318
トン強に達した.この資料は,発送量の不足が生じた日付 と理由も列挙し,年間で54
日に発送量の不足が生じ,うち24
日で「自社の 貨車への積み込み」が優先され,10
日が「作業の遅延」, 8
日が「公休日」と されている.この「自社の貨車(private wagons)」とはダウライス製鉄会社が 所有する貨車のことである.1880
年代までは鉄道会社とダウライス製鉄会社 の双方が貨車を融通しあう関係が確認できるが,グレート・ウェスタン鉄道 会社に限れば1890
年代に製鉄会社の貨車が充当された例は確認できない.後30) DG/A/1/594 T. Simpson, September 8th 1891.
31) DG/A/1/608 T. Simpson, October 18th 1892.
述するように,グレート・ウェスタン鉄道会社は
1890
年代に貨車の管理に 新たな工夫を施すようになっており,これに伴ってそれまでの慣習が廃され,製鉄会社の貨車は他の鉄道会社を利用する時にしか使用できなくなったのだ とすれば,「自社の貨車のへの積み込み」が遅延の原因とされることは理解で きる.その他「産出量の不足」「祝日」「炭鉱が操業せず」「炭鉱労働者の労働 争議」「他の貨車に積み込み」「製鉄所内で荷崩れ」「待機」が挙げられるが,
厳密な区分は明らかでない.また「産出量の不足」はこれ以外の書簡では指 摘されていない.
さて,興味深いのは,第
1
に,後述する炭質に関して炭鉱労働者の態度を 非難したグレート・ウェスタン鉄道会社が「自社の貨車への積み込み」や「作 業の遅延」を非難した形跡がないことであり,あくまで未配送分の決済処理 の根拠として扱われている.第2
点は「公休日」である.これは後述する「マ ボンの日」つまりこの時期の南ウェールズの炭鉱のみで認められた毎月第1
月曜日の休業日を指し,この資料では「作業の遅延」と同様に本来ならば発 送作業が行われるべき日として位置づけられている.その後は,遅配の原因 としてこれらの過失が指摘されることはなくなるが,興味深いのは,遅くと も1896
年には毎月1
回の休業日が入る週とクリスマス休暇の週の配送予定量 が通常の3/4
に設定されている点である32).つまり,炭鉱労働運動によって
実現した「マボンの日」が遅延の原因ではなく,配送量を控えるべき「公休日」とされたのである.
上記のように,石炭産出量の問題が石炭配送の遅延を招いたことはまれで あり,問題はさまざまな理由による炭鉱での発送作業の遅延にあった.しか し,
1890
年代半ば以降は,鉄道運行の問題が遅配の原因とされるようになっ た.このなかには洪水や濃霧など気象条件に起因する広範な地域での運行停 止を含めることができる33).このような場合を別として, 1890
年代半ば以降32) DG/A/1/663 T. Simpson, April 20th 1896.
33) DG/A/1/633 T. Simpson, November 16th 1894; DG/A/1/679 C. Boucher, December 3rd 1897.
の遅延の原因は「クムバーゴードで必要とされておられる貨車を完全にはご 用意できないままになったことを残念に思います」というように,グレート・
ウェスタン鉄道会社による貨車の配車が機能しなかったことにある34)
.つま
り,遅配の責任がグレート・ウェスタン鉄道会社側にあることになるが,そ れには2
つの側面がある.第1
は,前節で検討したようにグレート・ウェス タン鉄道会社の石炭需要が1890
年代のあいだに大きく季節的に,あるいはさ らに短期的に変動するようになったことがある.しばしば「きわめて急に増 便を運航した結果として,石炭がきわめて不足しております」と指摘された ように,乱高下する石炭需要には1890
年代初頭に特徴的であった一定量の定 期的な配送では対応できず,1890
年代後半に次第に柔軟な石炭配送が行われ るようになっても,しばしば齟齬を来たすことがあったのである35).第 2
は,これも前節で検討したように,グレート・ウェスタン鉄道の各駅では,予備 の石炭は石炭置き場に備蓄されたが,常時配送された石炭は貨車に積載した まま駅構内で保管していたことが,配車の困難ひいては遅配の遠因であった.
このことは次の書簡が如実に示している.「ダウライス炭鉱で貨車が不足の由,
申し訳ございません.十分に回送するよう尽力します.しかしながら現在の ところ各駅で貨車に積載のまま石炭が余っており,貨車の運用の妨げとなっ ております.」36)
前節で見たように,グレート・ウェスタン鉄道会社の石炭需要が変動する ようになっても,各駅での石炭の積み下ろしや保管の体制は硬直的であり,
柔軟に配送量の調節を指示する書簡はこのような矛盾に対する一つの解決策 であった.配送量の不足が問題であることは自明として,配送量が過剰な場 合も貨車の滞留が生じ,結局はこの場合も石炭の遅配という問題として表面 化したのである.きめ細かい配送量の指示は,このような鉄道網の停滞を防
34) DG/A/1/633 T. Simpson, September 28th 1894.
35) DG/A/1/679 T. Simpson, June 2nd 1897.
36) DG/A/1/621 T. Simpson, May 11th 1893.
ぐための工夫でもあったのである.
付言すると,貨物輸送の管理にはもう
1
つ問題があり,それは貨車への積 載重量の過不足であった.積載重量の過不足が続くと,しばしばグレート・ウェスタン鉄道会社はダウライス製鉄会社に苦言を呈した.積載重量の不足 を訴える書簡ばかりでなく,過積載を指摘する書簡も多く,製鉄会社が不正 な意図のもとに配送量を減らしていたというよりも積載量管理の不徹底と考 えるほうが適切であろう.
1896
年11
月の書簡は,ウェイマス宛汽船炭用に150
トン分の貨車を配車したところ,172
トン以上積載されていたと指摘して いる37).過積載は貨物の数量管理だけでなく,運行上の危険を減らすために
も注意された38).同様に,
「転轍作業中に危険が生じる」ため,積載の仕方に 注意を促す書簡も確認できる39).
② 配車と配送量の管理の改善
石炭需要の変動と石炭保管の限界,炭鉱労働者の休業日に柔軟に対応して,
貨物輸送の停滞を回避し,円滑な石炭配送を実現するための工夫は,きめ細 かい配送量の調節にとどまらず広く物流管理の随所で試みられた.
もっとも基本的な対処は貨車の使い分けである.すでに指摘したように,
1890
年代のグレート・ウェスタン鉄道会社は,ダウライス製鉄会社の所有す る貨車を充当せず,全ての貨物に自社の貨車を配車している.同社では,複 数の部署が任務に応じて貨車を保有した.自社宛の石炭配送については,定 期的な配送先への配送は(臨時の追加配送も含めて)一般的な貨物輸送業務を担 当する交通部の貨車を,臨時配送のみの配送先に限っては機関部の貨車を用 い,とくに前者については主要な配送先毎に貨車に表示板を付して専用貨車 として分類した.ウェイマス分はおそらく1890
年以前,ニュー・ミルフォー37) DG/A/1/663 T. Simpson, November 24th 1896.
38) DG/A/1/608 T. Simpson, November 23rd 1892; DG/A/1/621 T. Simpson, March 21st 1893,も同様.
39) DG/A/1/621 T. Simpson, June 13th 1893.
ド分は
1890
年,スウィンドン分は1897
年にそのような貨車を用意したこと が確認できる40).もちろん,このような貨車の台数には限りがあり,不足が
生じる場合には柔軟にそれ以外の貨車を充当することとされたが,ウェイマ ス宛を除く多くの場合,とくに汽船炭の配送では,車体の荷台部分を傾けて 石炭を転落させて容易に荷下ろしできる放下式貨車(tip-end wagons)に積載す るよう求められた41).予備の備蓄用の石炭であるので通常式貨車でもかまわ
ないとする書簡も確認できる42).専用貨車の分類は誤配を防ぐとともに適切
な貨車の選別を容易にする工夫であろう.第
2
の工夫は,空車台数の情報管理である.グレート・ウェスタン鉄道会 社は,ダウライス製鉄会社に対して,毎日の発送作業の完了時に残留してい る空車台数を1
日の石炭発送通知記録に併記するように1880
年代から要請し てきた.しかし,正確を期していたとは言いがたく,1893
年7
月の書簡は,4
日間の到着台数,出発台数,残留台数の計算が合わないことを指摘して説 明を求めている43). 1890
年代前半には,グレート・ウェスタン鉄道会社がこ のような空車情報の管理をしばしば問題にとりあげ,1891
年には発送通知に 貨物の純重量だけでなく貨車の総重量と車体重量も記入するよう指示し,発 送先と発進日の記入箇所を指定している44).また, 1892
年には,空車の到着 時刻を記入するように指示している45). 1894
年には「各操業日の午前10
時 までに」到着した貨車を当日到着分とすることが明確にされ,そのうえで前 日からの残留台数,午前10
時以前の到着台数,午前10
時以降の到着台数,発車台数,当日終業時の残留台数のそれぞれを出荷通知に記載することとさ れた46)
.さらに遅配が最高潮に達した 1897
年には交通部の貨車と機関部の貨40) DG/A/1/581 T. Simpson, November 12th 1890; DG/A/1/679 T. Simpson, May 10th 1897.
41) とくにDG/A/1/679 T. Simpson, October 15th 1897,が強調している.
42) DG/A/1/581 T. Simpson, May 16th 1890.
43) DG/A/1/621 T. Simpson, July 8th 1893.
44) DG/A/1/594 T. Simpson, March 2nd 1891.
45) DG/A/1/608 T. Simpson, August 15th 1892.
46) DG/A/1/633 T. Simpson, June 25th 1894; July 19th 1894.
車,積載待ちの貨車と積載済みで発車待ちの貨車に分類するよう求める書簡 も確認できる47)
.このように空車の所在を正確に把握するためのルールが確
立されたのが1890
年代の1
つの特徴であった.前節で見たような頻繁な配送量の調節は,このような工夫を踏まえた第
3
の工夫といえる.とくに興味深いのは,グレート・ウェスタン鉄道会社が炭 鉱の休業日を考慮して配送の前倒しを指示するようになった点である.その 対象となった最大の事情は,すでに見た「マボンの日」である.1888
年から1898
年にかけて南ウェールズの炭鉱では日曜日のほかに毎月第1
月曜日が休 日とされ,自由労働派の下院議員ウィリアム・エイブラハム(通称マボン)に ちなみ,マボンの日と呼ばれた48).すでに見た 1892
年の書簡では,この「公 休日」は遅延の原因に挙げられており,1880
年代を顧みても事前にこのよう な公休日を考慮した配送量の調節が試みられた形跡は確認できない.しかし,他方では,しばしば月末に追加配送が指示されるのは「炭鉱が来週月曜日に 休業になることを考慮」しての前倒し配送であった49)
.年末にはクリスマス
休暇に先立つ配送も指示された50).復活祭,
聖霊降臨節さらには1897
年6
月 のヴィクトリア女王即位60
周年祝典についても同様の措置が指示された51).
「炭鉱の休業を予定されている場合は(略)いつ休業になるのかできるだけ早 く」通知するよう依頼する書簡も確認でき,グレート・ウェスタン鉄道会社 が炭鉱の操業予定を組み込んだ計画的な配送指示を計画するようになったこ
47) DG/A/1/679 T. Simpson, October 21st 1897.
48) Andy Croll, Mabon s Day: the rise and fall of a Lib-Lab holiday in the South Wales coalfield, 1888- 1898, Labour History Review, vol.72, no.1, 2007, pp.49-68.
49) DG/A//1/594 T. Simpson, May 1st 1891.他 に はDG/A/1/581 T. Simpson, May 22nd 1890; DG/A/
1/621 T. Simpson, October 31st 1893; DG/A/1/647 T. Simpson, July 30th 1895; T. Simpson, August 2nd 1895; DG/A/1/663 T. Simpson, September 3rd 1896; DG/A/1/679 T. Simpson, June 4th 1897など.
50) DG/A/1/594 T. Simpson, December 21st 1891; DG/A/1/647 T. Simpson, December 21st 1895;
DG/A/1/679 T. Simpson, December 15th 1897; DG/A/1/695 T. Simpson, December 22nd 1898; DG/
A/1/710 T. Simpson, December 21st 1899など.
51) DG/A/1/621 T. Simpson, March 24th 1893; DG/A/1/633 T. Simpson, May 10th 1894; DG/A/1/679 T.
Simpson, June 15th 1897.
とが確認できる52)
.
もちろん配送量の調節は,休業日つまり炭鉱の供給体制だけでなく,グレー ト・ウェスタン鉄道会社自らの需要とのバランスや各駅の硬直的な石炭保管 体制にも対応するものであった.石炭の不足が鉄道の運行,汽船の運航を妨 げるだけでなく,石炭の余剰が石炭用の貨車を拘束して石炭配送の遅延を招 くことも回避しなければならなかった.このことはグレート・ウェスタン鉄 道会社の担当者がさまざまな形で明確に表明している.以下のとおりである.
当社交通部で貨車が大変不足しています.ウェイマスの汽船への遅配と同地に停 車する石炭貨車の台数について苦情を常にいただいています.石炭を毎日平均的な 量に近い量で同地にご発送いただかなければ,配送量を調節して貨車の留め置きを 避けることはできないことはご理解いただけると確信しています.53)
このほかにも配送先に停車している「石炭を積んだ貨車の数を減らす」た めと明言された配送見合わせの指示が確認できる54)
.石炭の余剰,消費量の
低下によって空車の確保が可能になるという指摘も繰り返し行われている55).
このように1890
年代のグレート・ウェスタン鉄道会社とダウライス製鉄会 社のあいだでは,炭鉱休業日への配慮を含めたきめ細かい配送指示だけでな く,専用貨車の設定,空車情報の共有などによって遅配を防ぎ,円滑な石炭 配送を実現するよう工夫が施されたのである.③ 検査係リチャードソンによる炭質の管理
最後に,物流管理の問題を,石炭配送のもう
1
つの争点であった炭質の問52) DG/A/1/710 T. Simpson, November 2nd 1899.
53) DG/A/1/663 T. Simpson, September 24th 1896.
54) DG/A/1/621 T. Simpson, June 1st 1893; DG/A/1/679 T. Simpson, November 10th 1897; DG/
A/1/695 T. Simpson, January 19th 1898,も同様.
55) DG/A/1/621 T. Simpson, June 3rd 1893; DG/A/1/695 T. Simpson, November 24th 1898.
題から検討してみよう.問題は,第
1
に配送された石炭になかに細かく砕 けた粉炭が多かったこと,第2
に粘板岩などの不純物の混入が多かったこ との2
つである.炭質の問題は,配送後に汽船の機関士が発見する場合も あったが,さらに特徴的なのは発送前にグレート・ウェスタン鉄道会社が派 遣した検査係がクムバーゴード炭鉱で問題を発見した場合である.この検査 係とはポンティプール・ロード駅に併設された地区監督員事務所(Divisional Superintendent s Office)
の検査係主任(Chief Inspector)リチャードソンである.さて,炭質が低劣だと十分な蒸気圧を得られない―「本来よりも
10
ポン ド低い」―という問題が生じた56).また「 8
時間の運航で11
トンの石炭か らクリンカーなどが28
袋―1袋で120
ポンドほど―も出た」という報告 も確認できる57).蒸気圧が不十分だとどのような問題が生じるのかについて
は以下の書簡が示唆に富んでいる.今月
16
日に,蒸気をおこすことができないと機関士が報告し,乗船足場を陸に引 き上げた後の数分間ガーンジー埠頭に停船したままにしておかなければならなかっ たとのことです.ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道会社の汽船が出航間近で,この船を先に出航させるしかなく,本来であれば航路の途中で追い越せばよいがそ れも不可能と判断したとのことです.(略)旅客航路の繁忙期なので,最高品質の石 炭を使用することがきわめて重要なことはご理解いただけるはずです.この航路は ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道会社と競争しなければならず,石炭に よる遅延などいかなる問題もあってはいけません.58)
機関士や検査係はスウィンドン機関区を通じて炭質に不満を訴えつづけた
56) DG/A/1/621 T. Simpson, April 18th 1893.
57) DG/A/1/581 T. Simpson, November 4th 1890.
58) DG/A/1/608 T. Simpson, July 21st 1892; DG/A/1/695 T. Simpson, September 27th 1898,も同様.
別の書簡では,郵便船業務を兼ねていることも説明している.DG/A/1/594 T. Simpson, April 28th1891.
が,その苦情は特定の時期に集中している.確認できるのは
1891
年5
月,1892
年9
月,1893
年4
月,1895
年5
月,1895
年7
月〜8
月,1896
年5
月〜6
月,1897
年9
月〜10
月,1898
年12
月というように夏季あるいは年末の繁忙期で あり,配送量が増える時期に低品質の石炭が充当されたものと推測できる.その背景には
2
つの問題があり,第1
は,石炭の洗浄・選別が徹底しなかっ たことである.洗浄が徹底しなければ石炭に泥板岩,石,土,スラグなどの 不純物が混ざり,選別が徹底しなければ弱い火力しか得られない粉炭が混ざ る.グレート・ウェスタン鉄道会社は,「昨日クムバーゴード炭鉱で積み込み を行った貨車33579
号に選別の際の不注意で粉炭が積み込まれていた旨,検 査係リチャードソンから連絡がありました」というように,リチャードソン の検査を通じて積み込み作業の状況を監視した59).リチャードソンは度々炭
鉱労働者の怠慢による不注意を指摘し,これを受けたスウィンドン機関部の 不信感も強く,1893
年には「きわめて徹底的に注意を払ってこられたと今月26
日の書簡で主張されたほどには,ご指示に対する注意が徹底していない」と非難している60)
.第 2
に,1892
年以降,グレート・ウェスタン鉄道会社は「ク ムバーゴード炭鉱の産出量の約半分を占めるヤード薄層の低劣な石炭が問題 であるという見解を検査係が示しております」というように,検査係リチャー ドソンは粉炭が多く混ざる原因が炭層にあることを指摘し,この炭層の石炭 を積載しないようダウライス製鉄会社に繰り返し要望する61).同様に 1895
年 と97
年には「ブラック・ヴェイン坑道」の石炭が問題視された62).
このように,ダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社は
1890
年代のあいだに,炭鉱休業日も考慮したきめ細かい配送指示だけでなく,専 用貨車を設定し,あるいは空車の情報を正確に把握して共有し,さらには検59) DG/A/1/581 T. Simpson, May 20th 1890; DG/A/1/710 T. Simpson, May 20th 1899,も同様.
60) DG/A/1/621 T. Simpson, April 28th 1893.
61) DG/A/1/608 T. Simpson, July 22nd 1892; T. Simpson, July 23rd 1892; T. Simpson, August 23rd 1892も同様.
62) DG/A/1/633 T. Simpson, January 15th 1894; DG/A/1/679 T. Simpson, August 5th 1897; August 20th1897.
査係を炭鉱に派遣するなどの努力を行った.定期・不定期にグレート・ウェ スタン鉄道の全域に多様な用途の石炭を需要の変動に応じて配送した背後に,
このような物流管理体制の構築が確認できる.炭鉱休業日の伝達や検査係に よる炭鉱の採掘・積み込み作業の実態の把握のように,鉄道会社が炭鉱の操 業事情を理解するだけでなく,表示板による専用貨車の明示や綿密な空車情 報の管理など,ダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社のあい だで管理情報の共有がすすめられた.頻繁な書簡の往復はそのような情報交 換の根幹を成していたのである.
3 一般貨物輸送における誤配の減少と遅配の対応
① カーディフ地区貨物管理人事務所による誤配対応の減少と遅配対応 前節までに見た管理体制の整備は,グレート・ウェスタン鉄道会社宛の石 炭配送だけに限られるのだろうか.本節では,鉄道運輸サービスの需要者で あるダウライス製鉄会社とこの鉄道運輸サービスの供給者としてのグレート・
ウェスタン鉄道会社の関係を検討する.
ダウライス製鉄会社発着の貨物は,
1880
年代に確立した車票に基づく「標 準化された」大量輸送システムに管理されており,その窓口となったのは最 寄り駅であるマーサー駅,ダウライス駅であったが,そのような物流管理体 系が想定していない変則的な事態に対処するのがカーディフ地区貨物管理人 事務所(Cardiff District Goods Manager s Office)の役割であった.同事務所からの 書簡は,1880
年代にもマーサー駅に次いで多く,1890
年代の場合もダウライ ス製鉄会社の輸送業務 ―鉄鉱石,石炭などの資材の搬入,鉄の延べ棒,鉄板,鉄塊,レール,錫,屑鉄,石炭,レンガの搬出―に関わる多様な事項を扱った.
以下では,ダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社の関係に おいて書簡による調整が重要な役割を果たしたと判断される事項のみを紹介 するが,もちろん形式的な書簡の遣り取りで解決したと判断できる事項も多 い.たとえば,個別の貨物・区間に関する運賃照会への回答,貨物配送のた