• 検索結果がありません。

参議院委託調査

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "参議院委託調査"

Copied!
212
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

参議院外交防衛委員会調査室委託調査 (政府開発援助等に関する特別委員会担当調査室)

主要先進国における海外援助の

制度と動向に関する調査

平成 20 年3月

ODA研究会

(主査:横田洋三中央大学法科大学院教授)

(2)

はじめに

本研究報告書は、平成 19 年度の参議院外交防衛委員会調査室(政府開発援助等 に関する特別委員会担当調査室)の委託調査である「主要先進国における海外援 助の制度と動向」に関する報告書である。 参議院の政府開発援助等に関する特別委員会においては、ODAを始めとする 国際援助・協力に関する諸問題について調査に取り組み、昨年6月 13 日、新たな 国際援助の在り方に向けての7つの提言(①援助ビジョンの国民への明確なメッ セージ、②我が国の援助資源の総合的活用と途上国との「互恵」関係、③日本型 援助の知見を活かした「平和構築」の推進、④「援助量」大国から「援助人材」 大国へ、⑤東アジアの成長と統合に向けた我が国援助の役割、⑥アフリカの貧困 削減と支援理由の明確化、⑦参議院による援助政策への積極的関与)を含む調査 報告書(中間報告)を議長に提出した。 本年は、我が国において主要国首脳会議(G8サミット)及び第4回アフリカ 開発会議(TICADⅣ)が開催されることも踏まえつつ、提言で指摘された事 項を中心に主要先進国における海外援助の制度と動向を明らかにし、我が国の援 助の相対的な評価及び課題についての検討等を行うことにより、委員会の活動に 資することを目的として、株式会社インフォメディア・ジャパン(東京都港区) に調査を委託した。 本調査のため、横田洋三中央大学法科大学院教授を主査とする研究チーム(「O DA研究会」)が結成され、昨年 10 月から本年3月まで研究と海外調査が行われ、 本報告書にその成果がまとめられた。 平成 20 年3月

(3)

目 次

本調査の概要――日本の政府開発援助の歴史的展開と特徴……… 横田 洋三・ 1 1.本調査の背景 2.日本の政府開発援助の歴史的展開 3.日本の政府開発援助の特徴 4.日本の政府開発援助の制度的仕組み 第 1 章 開発援助政策の国際的動向...………. 秋月 弘子・ 14 1.開発問題の国際的潮流 2.国際援助コミュニティー(国連、開発金融機関〔MDBs〕)の政策 3.まとめ 第2章 主要先進国の動向(1) ――イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン……….… 松隈 潤・ 27 1.概観 2.イギリス 3.フランス 4.ドイツ 5.スウェーデン 第3章 主要先進国の動向(2) ――アメリカ、カナダ、オーストラリア..……… 大芝 亮・ 49 1.統計から見たアメリカ、カナダ、オーストラリアの 対外援助 2.アメリカの対外援助 3.カナダの対外援助政策 4.オーストラリアの対外援助 5.政策提言 第4章 平和構築と政府開発援助……… 中満 泉・ 66 1.平和構築支援の定義と課題 2.移行期の支援と人間の安全保障 3.脆弱国家(Fragile States)への支援 4.平和構築の今後の課題と日本の果たすべき役割

(4)

第5章 政府開発援助と人権...………. 二宮 正人・ 85 はじめに 1.政府開発援助と人権に関する国際的な議論の動向 2.日本の開発援助への示唆 第6章 欧米の環境 ODA――ドイツ、スウェーデン、米国………. 太田 宏・104 はじめに 1.ドイツの環境国際協力(OECD レヴュー、2001 年) 2.スウェーデンの環境開発援助(OECD レヴュー、2004 年) 3.アメリカ合衆国の開発援助(OECD レヴュー、2004 年) 4.日本の環境 ODA に対する提言 第7章 対アフリカ政府開発援助の動向と課題...…….……… 広瀬 訓・129 1.アフリカの現状と現行援助の問題点 2.対アフリカ協力の見直しの動向 3.日本の対アフリカ援助に対する要望と懸念 4.提言 第8章 政府開発援助に関する人材の育成....……… 長 有紀枝・149 1.開発援助人材の育成のための研修制度 2.国際平和協力活動や平和構築要員養成のための研修・訓練制度 3.国連職員養成のための制度 第9章 政府開発援助におけるNGOおよび民間との 連携の現状.……….………….…. 西野 桂子・172 1.市民社会をめぐる国際情勢 2.先進諸国における市民社会との連携 3.英国の連携事例 4.もうひとつの市民社会「民間企業」との連携状況 5.官民連携、ドイツの事例 6.日本の ODA と市民社会・民間企業との連携に関する示唆 第 10 章 総括――我が国の政府開発援助の課題と提言.………. 横田 洋三・194 1.はじめに 2.政府開発援助の増額の必要性 3.ミレニアム開発目標実現への協力 4.人権への配慮 5.環境への配慮

(5)

6.軍事的援助の回避 7.対アフリカ支援の強化 8.平和構築と政府開発援助 9.開発援助人材育成の必要 10.民間協力団体(NGO)との連携強化 11.国連機関や他の開発援助機関との協力の推進 12.開発援助におけるガバナンスの実現 巻末資料:ミレニアム開発目標.……….. 204

(6)

「主要先進国における海外援助の制度と動向に関する調査」

委員一覧

主査:横田 洋三(中央大学法科大学院教授) 委員:秋月 弘子(亜細亜大学教授) 委員:大芝 亮(一橋大学教授) 委員:太田 宏(早稲田大学教授) 委員:長 有紀枝(ジャパン・プラットフォーム代表理事) 委員:中満 泉(一橋大学客員教授) 委員:西野 桂子(ジーエルエム・インスティチュート代表理事) 委員:二宮 正人(北九州市立大学教授) 委員:広瀬 訓(宮崎公立大学教授) 委員:松隈 潤(西南学院大学教授) (敬称略・委員 50 音順)

(7)

1

本調査の概要

日本の政府開発援助の歴史的展開と特徴

横 田 洋 三

1. 本調査の背景 日本は、第二次世界大戦によって、本土は焦土と化し、生産手段は破壊され、 海外領土を失い、多くの働き手が戦争の犠牲者となり、海外に住んでいた日本国 民が多数帰還し、その結果、当時世界の中でももっとも貧しい国の一つに数えら れる状況に陥った。しかし、その後の日本は、目覚しい経済発展をとげ、戦後 10 年にして戦前の経済規模を超え、経済白書において「もはや戦後ではない」とい わしめるほどの回復ぶりを示した。 1960 年代には、池田内閣の「所得倍増計画」が多くの学者の否定的な予測にも かかわらず目標以上の成果をあげ、70 年代以降は世界を代表する経済大国の地位 を着々と築きあげ、経済発展に遅れた諸国に開発援助を実施するまでに成長をと げた。1991 年から 2000 年までは、政府開発援助(ODA)の金額において、アメ リカを凌ぎ、世界第1位の地位を占めるにいたった。 しかし、1990 年代初頭に始まるバブル崩壊後の経済停滞が、徐々に日本の ODA にも暗い影を落とすようになった。それまで右肩上がりの拡大を続けてきた日本 の ODA 予算は、97 年にピークを迎えたあと、年々右肩下がりの降下を続け、2001 年には世界一の ODA 大国の地位をアメリカに譲らざるをえなくなった。その後、 2006 年にはイギリスに抜かれ、現在の傾向が続くとすれば、2010 年までにはさら にフランス、ドイツに抜かれ、イタリアにも遅れをとる可能性が出てきた。 一方、日本以外の先進国の多くは、国連のミレニアム開発目標(MDGs)への 協力や資源外交の一環として、政府開発援助額を増大させる方針を公表し、その 達成に動き始めている。たとえば、アメリカは「ミレニアム挑戦会計(MCA)」 を将来的に年額 50 億ドル(約 5,000 億円)に増額することを発表し、イギリス、 フランス、ドイツ、イタリアは、それぞれ 2013 年、2012 年、2015 年、2015 年ま

(8)

2 でに、ODA の額を、MDGs の提言に沿って国民総所得(GNI)比 0.7%まで引き 上げることを公約した。 また、紛争予防の観点から、武力紛争の根本原因(root causes)となる貧困や社 会的不正義を除去し、平和構築や社会開発の進展に寄与する ODA のありかたも 模索されている。とりわけ経済発展に取り残され、地域民族紛争が多発している サハラ以南のアフリカ諸国の貧困撲滅や HIV/エイズ等の感染症克服が、課題とな っている。 このように、政府開発援助に関する世界の情勢が大きく変化していることを念 頭に、日本の ODA 政策の現状を正確にとらえ、いまだにバブル崩壊後の経済停 滞から完全には立ち直っていない日本の経済と、それに連動する政府の緊縮財政 の制約の中で、日本は ODA 政策を今後どのように転換・発展させていくべきか を検討する必要にせまられていると認識し、この調査が委託された。

なお、本報告書で「政府開発援助」(ODA=Official Development Assistance)と いうときは、政府が発行する ODA 白書等において使用されている、以下の三つ の要件を満たす国際的な資金の流れをさすものとする。(イ)開発途上国の経済開 発や福祉の向上に寄与することを目的とする。(ロ)グラント・エレメント(贈与 構成分のことで、経済協力開発機構〔OECD〕の開発援助委員会〔DAC〕が定め た計算方式によって算出される)が 25%以上であること。(ハ)資金の供与機関 が政府それ自体か政府の実施機関であること。 2.日本の政府開発援助の歴史的展開 ここで、日本の政府開発援助(ODA)のこれまでの歩みを、歴史的に概観して おこう。 (1)第1期:戦後賠償期(1954-63 年)――日本の ODA の萌芽期 日本の ODA の始まりは、戦後復興期の後半にあたる 1954 年に署名された日本 -ビルマ賠償協定とされている。すなわち、日本は、戦争の破壊から立ち直りつ つあったがなお完全には自立していなかった 1954 年に、本来であれば ODA が行 える経済的余裕がまだない時期に、1951 年のサンフランシスコ講和条約署名をき っかけに、戦争賠償を近隣のアジア諸国に実施することになり、その最初の国と してビルマが協定に署名したのである。このあと、フィリピン、南ベトナム(当

(9)

3 時)、ラオス、タイ、マレーシア、シンガポールと協定を締結し、それに基づいて 日本は賠償またはそれに準ずる無償援助という形で、無償資金を提供していった。 しかし、この時期は、日本の経済力はまだ先進国の仲間入りをする状況にはな く、たとえば、世界銀行からは戦後復興のための多額の資金を受け入れ、製鉄工 場や高速道路、東海道新幹線などの建設を行っていた。ただ、この時期に、日本 は 1954 年のコロンボ・プランに参加し、加盟国間の協議と協力を通して開発を促 進する活動を開始したこともあり、戦後復興と開発援助が入り混じり、賠償がそ のつなぎの役割を演じた時期として、日本の ODA の第1期と位置づけることが できる。その意味で、この時期は、外務省の委託により国際開発センターのプロ ジェクト・チームが行った調査報告書『ODA40 年の総括』(1994 年、以下簡単に 『総括』という場合もある)は「戦後賠償期」と呼んでいるが、それは同時に「日 本の ODA の萌芽期」でもあった。 (2) 第2期:経済協力伸張期(1964-76 年)――日本の ODA の本格的始動期 第2期は、東京オリンピック開催、東海道新幹線開通、首都高速道路完成が重 なった 1964 年から第一次石油危機が落ち着く 1976 年までの 12 年間である。この 時期が始まる 1964 年は、同時に日本が「先進国のクラブ」といわれた「経済協力 開発機構」(OECD)に加入が認められ、名実ともに先進国入りしたときでもある。 この時期は、国際的には、旧植民地が次々に独立し国連加盟を果たしつつあった ときと重なり、ODA の必要性が世界的に高まった時期でもある。日本は、この国 際的な要請に応じて ODA 資金を増額し、具体的には 1964 年の 1 億 1,600 万ドル から 1976 年の 11 億 100 万ドルと、およそ 10 倍の伸びを示した。 この時期に日本は、援助体制の確立を図り、国際協力事業団(JICA:現国際協 力機構)の設立(1974 年)、海外経済協力基金(OECF:現国際協力銀行、設立は 1961 年)の体制整備を行って、政府主体の ODA を積極的に推進した。アジア地 域に開発資金を提供するアジア開発銀行(ADB)の設立(1966 年)に日本が積極 的に動いたのもこの時期である。 この時期は、国際的にも重要な動きがあった。新興独立諸国の登場により、条 件のゆるい開発資金への要求が高まり、世界銀行のソフト・ローン(クレジット) の窓口である国際開発協会(IDA)や、途上国の企業に政府保証なしに直接貸し 出しができる国際金融公社(IFC)が創られたのも、この時期である(IFC は 1958 年、IDA は 1960 年設立)。また、貿易の分野でも途上国の要求が強まり、自由貿

(10)

4 易推進をめざす「関税と貿易に関する一般協定」(GATT:ガット)一辺倒ではな く、途上国に貿易上の特別な配慮を求める国連貿易開発会議(UNCTAD)が 1964 年に開催され、途上国の要求を受け入れて、これが国連総会の補助機関として常 設化した。UNCTAD には、途上国の立場に理解を示す初代事務局長プレビッシュ の報告書(「プレビッシュ報告」、1964 年)が提出され、また、世界銀行の委嘱の もとに、開発援助の基本理念と具体的指針を明らかにした「ピアソン報告」(1969 年)が公表され、その後の世界の開発援助活動のバイブルとなった。 このような ODA をめぐる国際的な動向に対して、日本は、途上国の立場に理 解を示しつつ、援助額の増大を図った。この第2期は、日本経済の高度成長期と 重なり、日本企業の海外進出と日本の ODA の量的拡大とがある種の相乗関係を 示した。つまり、日本の ODA 第2期は、国際的要請と日本の内在的要求とが合 致して、ODA の量的拡大が図られた時期であったといえる。別言すれば、世界銀 行等からの復興援助資金の受け入れと並行する形での賠償を主な内容とする対外 援助という第1期の援助形態は克服され、日本が純粋の開発援助供与国として自 覚的に行動するようになり、海外からも日本がそのように行動することを期待さ れるようになったということができる。この時期を、『ODA40 年の総括』は「経 済協力拡大期」と呼んでおり、「日本の ODA の本格的始動期」とみることもでき る。 (3)第3期:計画的拡大期(1977-88 年)――日本の ODA の主体的拡大期 日本の ODA の歴史的展開における第3期は、第一次石油危機と第二次石油危 機の谷間にあたる 1977 年から冷戦構造が崩れ始める 1988 年までの 11 年間で、 『ODA 40 年の総括』は「計画的拡大期」と呼んでいるが、それはまた「日本の ODA の主体的拡大期」と呼ぶこともできる。この後者の呼び方は、この時期に日 本が開発援助に主体的、積極的に取り組む姿勢を明確に打ち出したことから採用 されたものである。 1973 年に始まる第一次石油危機は、日本を含む先進国の経済に大きな打撃を与 えたが、日本はこの負の影響から比較的早く立ち直り、途上国からもまた先進国 からも、援助額の増大を強く要請されるようになった。また、戦後賠償が 1976 年に終了したこともあり、77 年、日本は国際経済協力会議閣僚会議の場で経済協 力目標として「5カ年間倍増計画」を発表した。さらに日本は、翌年の「3カ年 間倍増計画」(ODA 第一次中期目標)によって目標の達成時期を1年間短縮した

(11)

5 のである。これは、まさに、『総括』がのべるように「それまで他の先進国にも例 を見ない政府レベルの具体的な数値を含む対外的意思表示であり、我が国の途上 国援助に対する積極的な姿勢を示すものであった」(5頁)。 この時期は、開発援助に関連して国際的に新たな動きがみられるようになった。 すなわち 1970 年代は、72 年のストックホルム人間環境会議開催や 73 年に始まる 第一次石油危機に象徴的に示されるように、世界的に環境(公害)問題や資源枯 渇問題に強い関心が集まるようになり、単に途上国にとって負担の尐ない開発資 金を大量に提供すれば良いとするピアソン報告書のトーンに対して、環境保全や 資源保護に配慮した援助という視点が導入されるようになった。また、ピノチェ ト政権下のチリやマルコス政権下のフィリピンのような軍事政権下の人権抑圧国 に対する援助を控えるようにとの国際的世論も形成されていった。こうして、開 発援助を経済的側面にだけ限るのではなく、環境、資源、人権などの関連領域に 対しても配慮をしつつ行う必要があるという考え方が、この頃から次第に芽生え るようになった。しかし、二次にわたる石油危機の結果、日本に対しては依然と して ODA の量的拡大への要求が続き、80 年代初めに生じた途上国の累積債務問 題により、その動きは一層強まった。 第3期に芽生えた開発援助の際の環境や人権への配慮の動きは、たとえば世界 銀行の場合、内部に環境担当官を任命(1972 年)するところから始まり、さらに 環境局設置(1987 年)へと発展させる対応を示したのに比べて、日本の場合は、 第 3 期の間は、従来の路線に沿っておおむね量的拡大に専心した。 (4) 第4期:援助内容充実期(1988-2000 年)――日本の ODA の充実期 日本の ODA の第4期は、冷戦が終焉を迎えつつあった 1988 年からミレニアム 世界首脳会議(サミット)が開催された 2000 年までの 12 年間である。この時期 は、日本の ODA が額においてアメリカを抜いて第1位となり(1989 年)、名実と もに援助大国になった時期であるが、同時に、東西対立の氷解によって地域民族 紛争が多発するようになり、アメリカを始めとする先進国にいわゆる「援助疲れ」 がみえ始め、トップドナーとしての日本の役割が一層際立った時期でもある。他 方で、国際的には、「持続可能な開発」(sustainable development)という用語を最 初に用い「環境に配慮した開発」を唱えて注目された「ブルントラント報告書」 が 1987 年に公表され、それを受けて、ストックホルム人間環境会議から 20 年目 の節目の年である 92 年にはリオデジャネイロで国連環境開発会議(地球サミッ

(12)

6 ト)が開催され、環境と開発の両立のための原則と指針(リオ宣言およびアジェ ンダ 21)が採択された。またこの時期には、1993 年のウィーン世界人権会議、95 年のコペンハーゲン社会開発サミット、同年の北京における世界女性会議などを 通じて、開発と人権の関係についても議論が活発化した。国家のマクロの経済成 長を重視する従来の開発援助理念を転換して人間中心の開発理念である「人間開 発」(human development)を国連開発計画(UNDP)が打ち出し、1990 年以降毎 年、人間開発指標を載せた『人間開発報告書』を発行するようになったのもこの 時期である。 こうした開発政策に関する国際社会の大きな変化に対応して、日本も援助理念 を明確化し、原則に沿った援助の計画・実施を進める必要にせまられ、1992 年 6 月に日本政府は閣議決定の形で「援助(ODA)大綱」を発表した。その骨子は以 下の通りである。 まず、基本理念として以下の諸点を明記する。 (イ) 開発途上国における飢餓と貧困の現状は人道的見地から看過できない。 (ロ) 平和と繁栄は密接な関係があり、その実現のためには、自由、人権、 民主主義が確保される社会の構築が不可欠である。 (ハ) 環境の保全に配慮した持続可能な開発の推進が全人類的課題である。 (ニ) 開発途上国の離陸に向けての自助努力を支援することが重要である。 (ホ) 広範な人づくり、諸制度を含む経済社会基盤および基礎生活分野の整 備、そして「良い統治」の確保が目標である。 そのうえで、以下の4点を原則にあげる。 (イ) 環境と開発を両立させる。 (ロ) 軍事的用途および国際紛争助長への ODA 資金の使用を回避する。 (ハ) 開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器 の輸出入等の動向に十分注意を払う。 (ニ) 途上国における民主化の促進、市場指向型経済導入の努力ならびに基 本的人権および自由の保障状況に十分注意を払う。 さらに重点事項として次の諸点を指摘する。 (イ) 対象地域としては、アジア地域とくに東南アジア諸国連合(ASEAN: アセアン)諸国、アフリカ、中近東、中南米、東欧および大洋州のと くに後発発展途上国(LLDC)を重視

(13)

7 (ロ) 対象問題に関しては、地球規模問題、基礎生活分野、人づくりおよび 技術協力支援の努力 (ハ) 経済社会開発の基礎条件であるインフラ整備支援重視 (ニ) 構造調整、累積債務支援に努力 この ODA 大綱の発表は、それまで原則のない援助、国家利益に奉仕する援助 などと批判されてきた日本の ODA のありかたに対して評価を一変させる画期的 なできごととして、内外の援助関係者から歓迎された。とくに環境、人権、民主 化といった人類共通の価値を基盤とし、軍事的目的への援助を回避していること は、高く評価された。この第4期を「日本の ODA の充実期」と位置づけること に大きな異論はないだろう。 (5)第5期:援助政策の見直し期(2000 年-現在) 日本の ODA の歴史的展開の第5期は、ミレニアム世界首脳会議が開催されミ レニアム宣言が発表された 2000 年から今日までの時期である。国際的には、ミレ ニアム宣言に基づいて国連が 01 年に設定したミレニアム開発目標(MDGs)実現 に向けて、国連関係機関や国連加盟各国が力を合わせて一層効果的な開発援助の 推進を図る努力が加速されるようになった。MDGs とは、具体的には、2015 年ま でに達成すべき開発目標のことで、①1日1ドル以下で生活する人の半減、②初 等教育の完全実施、③ジェンダーの平等の実現、④幼児死亡率の削減、⑤妊産婦 の健康改善、⑥エイズ、マラリアなどの感染症の予防、⑦持続可能な環境の保全、 ⑧地球規模の開発パートナーシップの構築、の八つの項目があげられている。 また、第5期の大きな国際的できごととして、2001 年 9 月 11 日に発生したい わゆる「同時多発テロ」がある。これによりアメリカを中心に「テロ支援国家」 に対する経済制裁が適用され、政府開発援助にも影響が及んだ。しかし、同時に、 テロ防止のためにはテロの温床である貧困問題を解決しなければならないという 認識も国際社会には強まり、テロの脅威から人間の安全保障を確保するためには、 貧困撲滅に真剣に取り組む必要があるという考え方が次第に国際援助コミュニテ ィに定着していった。 こうした国際的な動向に対応して、日本政府は、日本輸出入銀行と海外経済協 力基金(OECF)を統合して国際協力銀行(JBIC)を設立(1999 年)し、2003 年 には国際協力事業団(JICA)を独立行政法人に改組し名称を国際協力機構(略称 は JICA と変わらず)とするなどの機構改革を進める一方、採択後 10 年を経過し

(14)

8 た ODA 大綱を見直し、2003 年に新政府開発援助大綱(新 ODA 大綱)が閣議決 定された。その概要は次の通りである。 まず、目的として以下の諸点を掲げる。 (イ) 国際社会の平和と繁栄に貢献することにより日本の安全と繁栄を確保す る。 (ロ) グローバル化が進む世界で深刻化する貧富の差の拡大、民族的宗教的対 立の激化、テロの多発、自由・人権・民主主義の抑圧、環境の悪化、感 染症の拡大、男女の格差、貧困・飢餓・難民・自然災害の脅威、などに、 ODA を通して積極的に取り組む。 さらに、基本方針として次の諸項目を重視する。 (イ) 開発途上国の自助努力支援 (ロ) 「人間の安全保障」の視点 (ハ) 公平性の確保 (ニ) 日本の経験と知見の活用 (ホ) 国際社会における協調と連携 そのうえで重点課題として以下の4点を指摘する。 (イ) 貧困削減 (ロ) 持続的成長 (ハ) 地球規模問題への取り組み (ニ) 平和の構築 また、重点地域として、アジア諸国、とくにアセアンなどの東アジア地域の重 視、南アジアのとくに貧困人口への配慮、中央アジアのとくにコーカサス地域の 民主化と市場経済化への支援、アフリカの後発途上国への支援強化、中東の政治 的社会的安定と平和の定着計画の実施、中南米や大洋州のとくに脆弱な島嶼国へ の配慮を強調する。 そして、援助実施原則として以下の4点をあげる。 (イ) 環境と開発の両立 (ロ) 軍事的用途や国際紛争助長への使用回避 (ハ) テロや大量破壊兵器拡散の防止、途上国の軍事支出や大量破壊兵器・ミ サイルの開発・製造、武器の輸出入の動向への注意 (ニ) 民主化および人権や市場経済導入の努力等への注意

(15)

9 このように国際的な援助環境の変化に合わせて日本の ODA 政策も新しい局面 を迎えようとしているが、日本の援助額は、ピークの 1997 年以降、バブル崩壊後 の経済停滞と緊縮財政の影響により次第に減尐し、2007 年にはピーク時の 1 兆 1,687 億円から 38%減の 7,293 億円にまで落ち込んだ。新 ODA 大綱の意気込みと は裏腹に、援助額は年々減額され、2008 年度も ODA 予算額は 7,002 億円と前年 比 4%減となることが見込まれている。国際的には、ミレニアム開発目標達成の ための援助拡大が求められ、主要先進国が ODA 予算を大幅に増加し、将来的に は国民総所得(GNI)の 0.7%達成を目指している中で、かつての最大の ODA 拠 出国で現在も世界第2位の経済力を保持する日本が、ODA 拠出額の順位を次々に 他の先進国に譲らざるをえない状況に落ち込んでいる。 3.日本の政府開発援助の特徴 ここで、日本の ODA の特徴について、(1)地域的特徴、(2)分野的特徴、(3) 援助条件の特徴、(4)援助形態の特徴、の4点について概観しておくことにする。 (1)地域的特徴 日本の ODA は、第1期の戦後賠償期から始まり、ほぼ一貫してアジア重視の 性格をもっていた。このことは、1992 年の旧 ODA 大綱、2003 年の新 ODA 大綱 において、アジア重視が貫かれていることにも示されている。2006 年の実績をみ ても、アジアは日本の ODA 総額の 65.7%を占め、大洋州(0.9%)、中央アジア (0.6%)、中東(17.1%)、アフリカ(11.1%)、中南米(4.1%)、欧州(0.6%)を 大きく引き離している。アジアは、日本に地理的に近く、歴史的な関係も深く、 また国の数も人口も他の地域に比べて格段に大きいことを考えれば、この事実は それほど不自然とは思われない。しかし、過去に日本から多額の援助を受けてい た韓国や台湾、シンガポールなどが途上国の域を脱して援助対象国から卒業し、 また中国、インド、インドネシア、マレーシアなどの大口援助受入国が次第に経 済成長を加速化し途上国の中の優等生になりつつあることを加味すれば、日本の ODA におけるアジア重視は、やはり特記すべき日本の ODA の地域的特徴といえ るであろう。 ただし近年、世界的な傾向として、戦乱が続き、難民が増大し、飢饉などの自 然災害にたびたび襲われ、その結果貧困にあえぐアフリカ地域、とくにサハラ以

(16)

10

南のアフリカ諸国への支援の必要性が強調されるようになった。日本は、過去3 回のアフリカ開発会議(Tokyo International Conference on African Development: TICAD)を主催し、2008 年 5 月には第四回会合(TICAD IV)を開催することに なり、ODA におけるアフリカ重視の政策を明確に打ち出してきている。そのこと は、アフリカ地域への日本の ODA 比率が、2006 年には、その前の5年間の平均 である 7.8%から 11.1%へと飛躍的に増大したことからも確認できる。その影響を 受けて、大洋州、中央アジア、中南米などへの ODA 額が近年相対的に減尐して きている。 また、最近懸念される傾向として、日本の ODA 額が大幅に減尐してきている ことの影響として、かつては日本が第1位の援助国であったアフリカのサハラ以 南諸国(エチオピア、ガーナ、ケニア、マダガスカル、モザンビーク、タンザニ ア)において、日本はその地位を他の国に譲らざるをえない状況になり、現在日 本が第1の援助国となっている国はこの地域でゼロだということである。 (2)分野的特徴 日本の ODA に関しては、従来、マクロ経済的成長をめざす大型開発プロジェ クト(ダム建設、道路・鉄道建設、鉄鋼や重化学工業推進)重視という批判が多 く聞かれた。しかし、近年日本は、二度にわたる ODA 大綱の方針に従い、上下 水道、灌漑整備、教育・衛生などの途上国の市民生活に密着した分野にも力を入 れるようになり、状況は大きく変化してきている。 とくに、日本が始めた「南南協力」(途上国による他の途上国への支援を日本が 援助する方式)や「草の根・人間の安全保障無償資金」(現地ベースで非政府組織 〔NGO〕を通して1件原則最大 5,000 万円〔例外として 1 億円〕までのプロジェ クトに無償資金を提供する方式)は、途上国の主体性を育て、市民社会との連携 のもとに現地のニーズに合った援助を行えるという観点で、高く評価されている。 また、新 ODA 大綱においてとくに強調されているように、マクロ経済的成長 重視から、人間の安全保障の観点を取り入れた ODA へと転換が図られつつある ことも指摘しておく必要がある。とくに貧困撲滅、人権・民主主義の促進、環境 保全、飢餓・難民・災害・感染症への対応、テロ防止や法整備支援など、人間の 安全保障に対する脅威の除去をめざすプロジェクトへの援助に力が入れられるよ うになってきたことは、注目に値する。 日本の援助政策において、とくに目を引く特徴として、軍事的使用の禁止、被

(17)

11 援助国の軍事予算や大量破壊兵器の開発・製造状況への留意がある。これは、日 本の平和国家としての基本方針として厳格に遵守されてきた施策であり、軍事援 助を ODA の主要な要素に位置づけているアメリカなどと比べて、ひときわ目に つく特徴である。 (3)援助条件の特徴 日本の援助については、従来、贈与比率(グラント・エレメント)が低く、贈 与に比べて円借款が多いということが指摘されてきた。この状況は基本的に今日 においても変わらない。たとえば、2001 年から 05 年の援助総額に占める贈与(無 償+技術協力)の割合は 35%であったが、06 年度の数字は 25%で、むしろ贈与 の割合は大幅に減尐している。この点については、二つのことを指摘する必要が ある。一つは、円借款は国際協力銀行による貸付が中心であるが、それは利息を 付けて返済されるのが原則であるから、その時々の政府の予算に必ずしも大きな 影響受けることなく資金を回転して使うことが可能であるのに対して、贈与は毎 年予算を獲得しなければならず、昨今のように緊縮財政の折には減額を食い止め るのが精一杯で、一般的には減額も覚悟しなければならないという事情があると いうことである。今ひとつの事情は、日本の援助方針は、ODA 大綱にもあるよう に援助受入国の「自助努力」が基本であり、採算ベースに乗る事業計画について は、有償にすることにより、長期的に利益があがるよう計画されかつ運営される ことを促す意図があるということである。 しかし、世界的な傾向であり、日本も新 ODA 大綱において明言している社会 インフラ、農業、教育、衛生、人権、環境を重視する援助プロジェクトに関して は、円借款は必ずしも適切とはいえず、贈与や条件のゆるい貸付(ソフトローン) を加味することにより、柔軟な、きめ細かい援助を実施する必要がある。最近の 日本の ODA は、この方向をめざす動きを示していると指摘できる。 (4)援助形態の特徴 日本の ODA は、歴史的に戦後賠償を出発点としてきたという経緯もあって、 多国間援助(マルチ、国際機関に対する拠出)より二国間援助(バイ)を重視す る傾向があった。この特徴は、現在も顕著で、2006 年の各国の ODA 総額におけ るマルチの比率は、イタリア 55.4%、ギリシャ 46.3%、ポルトガル 42.1%、スペ イン 38.3%、デンマーク 35.6%、フィンランド 33.8%、ベルギー33.4%、スウェ

(18)

12 ーデン 32.9%など先進援助国がおおむね3分の1であるのに対して、日本は 20.8%と5分の1となっている。また、イギリス(24.2%)、ドイツ(26.1%)、フ ランス(27.8%)、オランダ(28.0%)という大口援助国もほぼ4分の1をクリア ーしている。そうした中でアメリカの 8.5%は極端に低い数字で目につくが、日本 がそれを手本にすることは適切とはいえないだろう。もっとも、マルチの額は各 国際機関における一定の計算式により算定される金額が基本であるから、それを 超えて自発的に拠出することもないわけではないが、一般に援助額が増えればそ れはバイの部分が多くなる傾向にあるから、マルチの比率が低くなるということ に留意する必要がある。 日本の ODA について、今ひとつしばしば指摘されることに、「ひも付き」(タ イド:援助資金による調達先を日本企業に限定すること)の援助の比率が高いと いうことがある。実際 1970 年まで日本の ODA は原則としてすべてタイドローン であった。その後とくに円借款のアンタイド化が進み、1994 年には 98.3%と先進 国の中でもトップのアンタイド率を達成した。もっとも、円借款を除いた無償お よび技術協力部分にはタイドが残っているため、援助総額に占めるアンタイド率 は今日においても 100%とはいかない。2005 年の実績で日本のアンタイド率は 89.6%で、100%のイギリス、アイルランド、99.6%のノルウェー、99.1%のルク センブルグ、98.3%のスウェーデン、97.4%のスイス、96.2%のオランダ、95.7% のベルギー、95.1%のフィンランド、94.7%のフランス、93.0%のドイツなどに水 をあけられている。 4.日本の政府開発援助の制度的仕組み 世界の開発援助を取り巻く環境は現在大きく変化している。また、日本の政府 開発援助の置かれている状況も過去とは大きく異なっている。こうした内外の変 化に対応し、日本の ODA の制度的仕組みも変容を余儀なくされている。現在の 日本の ODA は、大きく円借款、技術協力、無償の三つに分けられる。円借款は 国際協力銀行(JBIC)、技術協力は国際協力機構(JICA)、無償は外務省経済協力 局と国際社会協力部(国際機関への拠出分)が実施機関となってきた。 この仕組みが、2006 年 8 月の外務省改革で次のように変更された。すなわち、 経済協力局に代わって、新たに国際協力局が新設され、そこに経済協力局が実施 していた無償援助と、国際社会協力部が主掌していた国際機関への開発資金拠出

(19)

13

部分が統合され、マルチとバイの有機的連携を図るとともに、相互補完的な相乗 効果をもつ効率的な援助の実施をめざすようになった。

また、2008 年には新 JICA 法が施行され、JBIC の円借款部門が新 JICA のもと に取り込まれ、新 JICA のもとで円借款、技術協力、無償(ODA 実施部分)が一 元的に管理・運営されることになる。 なお、日本の ODA 政策の基本的な企画・立案・調整を行う機構として、閣僚 レベルの海外経済協力会議(内閣総理大臣のもとに内閣官房長官、外務大臣、財 務大臣、経済産業大臣が加わる)がある。また、外務大臣の諮問委員会としては、 国際協力の専門家から成る「国際協力に関する有識者会議」が設置されている。 ■参考文献 飯田経夫『援助する国される国』、日本経済新聞社、1974 年。 五十嵐武士編『日本の ODA と国際秩序』、日本国際問題研究所、1990 年。 ロバート・オアー(田辺悟訳)『日本の政策決定過程――対外援助と外圧』、東洋経済新 報社、1993 年。 小浜裕久『ODA の経済学』、日本評論社、1992 年。 外務省『2007 年版政府開発援助(ODA)白書/日本の国際協力』、2007 年。 功刀達朗編『国際協力――国連新時代と日本の役割』、サイマル出版会、1995 年。 国連開発計画『人間開発報告書 2007――水危機神話を越えて:水資源をめぐる権力闘争 と貧困グローバルな課題』、UNDP、2007 年。 鷲見一夫『ODA―援助の現実』、岩波書店、1989 年。 多谷千香子『ODA と環境・人権』、有斐閣、1994 年。 田中義皓『援助という外交戦略』、朝日新聞社、1995 年。 ピアソン(大来佐武郎監訳)『開発と援助の構想――ピアソン委員会報告』、日本経済新 聞社、1969 年。 樋口貞夫『政府開発援助(第 2 版)』、勁草書房、1991 年。

村井吉敬・ODA 調査研究会編『無責任援助――ODA 大国ニッポン』、JICC 出版局、1989 年。 横田洋三「開発援助と環境」、村瀬信也編『日本と国際法の 100 年(6)――開発と環境』、 三省堂、2001 年。 横田洋三「岐路に立つ日本の政府開発援助」『国際問題』第 451 号、1997 年 10 月。 横田洋三編著『新国際機構論』、国際書院、2005 年。 渡部利夫『日本の ODA をどうするか』、日本放送出版協会、1991 年。

(20)

14

第1章 開発援助政策の国際的動向

秋 月 弘 子

2000 年 9 月の国連ミレニアム総会は、21 世紀における国際社会の目標を「ミレ ニアム宣言」として明記したが、その中で、すべての人々が開発の権利を実現し、 欠乏から解放されるべきことを宣言した。翌 2001 年には、9・11 同時多発テロが 発生し、国際社会がテロ対策に取り組む中で、テロの温床となりうる「貧困」と いう問題を削減する必要性について国際的な関心が高まった。その後、開発関連 の国際的な会議が次々と開催され、開発援助の優先的な政策が明確化されつつあ る。その結果、2001 年までの 10 年近くにわたって低下傾向にあった先進諸国か らの政府開発援助(ODA)は、2001 年の 524 億ドルから5年間で倍増し、2005 年には、過去最高の 1,068 億ドルを記録した。開発援助政策の国際的動向は、明 らかに 21 世紀に入って変わりつつある。 したがって、開発援助政策の国際的動向について論じる本章では、おもに 2000 年 9 月の国連総会決議「ミレニアム宣言」採択以降の動きを検討する。 1.開発問題の国際的潮流 21 世紀の開発問題に関する国際的潮流として、(1)国家中心の開発から人間 中心の開発へ、(2)単独の開発問題から環境、人権、安全保障を含む包括的な開 発問題へ、(3)インプット(援助総額)重視からアウトプット(援助成果)・ア ウトカム(援助効果)重視(成果主義)へ、という3つの流れが確認できる。 (1)人間中心の開発 開発途上国の国レベルでの経済開発を開発援助の目的とする従来の考え方に対 して、開発援助が必ずしも貧困層の人々の生活向上に役立っていないという認識 の下に、低所得層の一人ひとりの人間の生活向上に直接役立つものを援助しよう という考え方は、すでに 1970 年代のベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)

(21)

15 という考え方に見られた。その結果、経済開発だけでなく、教育、保健衛生など の社会開発も重視されるようになってきた。 国連開発計画(UNDP)は、さらに開発の視点を「国家」から一人ひとりの「人 間」に移し、1990 年には「人間開発(human development)」という概念を打ち出 した。「人間開発」とは、「人々の選択肢を拡大するプロセス」と定義されている。 また、この人間開発の度合いを示す指標として、一人当たり国内総生産(GDP) などの経済指標だけでなく、出生時平均余命、識字率など、人間開発の多様な側 面に着目して測定することを目的とした「人間開発指標(human development index: HDI)」が導入された。 この考え方は、「人間を開発の中心に置く」という 1995 年の国連世界社会開発 サミット(コペンハーゲン)の宣言にも反映されている。また、翌 96 年に発表さ れた経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)の「新開発戦略」に おいても、「すべての人々の生活の質の向上」を開発の目的として設定している。 日本においても、2005 年に策定された「政府開発援助に関する中期政策」におい て、「人々を中心に据え、人々に確実に届く援助」の重要性を指摘している。 このように、今日の開発援助の理念は、人間を開発の中心に置き(human-centered development)、個々の人間の生活、福祉、幸福を重視することを目的とするよう に変化してきている。 したがって、開発援助の目的は、開発途上国の国レベルの経済開発ではなく、 途上国の人々の人間開発であり、経済開発はその手段に過ぎないと認識され、ベ ーシック・ヒューマン・ニーズの充足、公平性、ジェンダー平等、環境保全、民 主主義と参加などを重視した開発援助の必要性が唱えられるようになってきてい る。 (2)開発問題の包括化 1972 年の国連人間環境会議(ストックホルム)を契機として環境問題に国際的 な関心が集まると、開発により環境が破壊されるという認識から、開発と環境を 二者択一的に捉え、環境保護を訴える先進国と、開発を優先させたい途上国とが 対立するようになっていった。これに対し、1987 年に環境と開発に関する世界委 員会は「われら共有の未来(Our Common Future)」と題する報告書の中で、環境 保護と開発とを両立させる「持続可能な開発(sustainable development)」という概 念を提唱した。「持続可能な開発」とは、「将来の世代がそのニーズを満たす能力

(22)

16 を損なわないように、現在の世代のニーズを満たすような開発」と定義される。 その後 92 年にリオデジャネイロで開催された環境と開発に関する国際会議(地球 サミット)や 2002 年にヨハネスブルグで開催された持続可能な開発に関する世界 サミットでも、持続可能な開発を達成するための具体的な取り組みが協議された。 このように、1980 年代以降、持続可能な開発という概念の下、開発と環境の両 立が議論されるようになってきている。 また、1990 年代には、上記のように人間を中心に置く開発理念が提唱され、人 権の要素が開発問題に取り入れられるようになった。1993 年にウィーンで開催さ れた世界人権会議では、人権としての「発展の権利」が確認された。UNDP も、 人間開発指標(HDI)に人権関連の指標(ジェンダー平等など)を取り入れ、1998 年には「持続可能な人間開発への人権の統合」という政策文書を発表している。 このように、開発援助活動における人権の主流化(mainstreaming human rights)が 主張されるようになり、開発は、今や人権とも関連する問題となっている。 さらには、1994 年に UNDP が人間開発報告書の中で「人間の安全保障」という 概念を提唱したことにより、開発問題が安全保障問題とも関連付けて議論される ようにもなってきた。「人間の安全保障」とは、テロリズムや麻薬、感染症の蔓延 など、地球規模の新たな危機が高まる中で、安全保障の焦点を国家のみを対象と するものから人々を含むものへと拡大するものであり、「人間の生にとってかけが えのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」と定義さ れている。そのためには、人々の生存、生活、尊厳を確保するために人々の「保 護と能力強化」が必要とされている。 また、従来、平和と安定が開発の前提条件と捉えられていたのに対し、最近で は、貧困が紛争の根本原因となりうるという認識から、紛争を未然に予防し、ま たは、紛争後に紛争の再発を防止することにより、永続的な平和を確立する(平 和構築)ためには、従来からの国家の安全保障の視点だけでなく、人間の安全保 障の視点に立ち、紛争後の国民和解、兵士の社会復帰、就労支援や、長期的な開 発も視野に入れた活動が必要であることが指摘されている。紛争後の緊急援助か ら長期的開発への継ぎ目のない移行が求められる所以である。 このように、開発は、もはや単独の問題ではなく、環境、人権、安全保障問題 と関連する包括的な問題となってきているのである。

(23)

17 (3)援助効果重視(成果主義) 世界中で約5人に1人が1日1ドル以下の生活を余儀なくされる絶対的貧困の 状況にいる現在、貧困を削減させるためには、多大な開発援助資金が必要であり、 開発資金量の増大が必要であることは明らかである。しかし、現実には各援助国 とも国内的にも経済問題を抱えており、無尽蔵に援助資金を拡大するわけにもい かない。必然的に、援助国、被援助国ともに、尐ない援助資金を有効に利用する ことにより、援助効果を挙げる必要に迫られる。そこで、2000 年以降はとくに、 どれだけ開発援助に資金を投入するかというインプット(援助総額)重視から、 どのような援助活動を行い、その結果どのような効果を得られたかというアウト プット(援助成果)・アウトカム(援助効果)重視の成果主義へと国際社会の関心 は移りつつある。 そのため、第一に、効果を測定する基準となる開発目標の設定が必要であり、 ミレニアム開発目標(MDGs、後述)という具体的な目標が明確に示されるよう になった。 第二に、援助国・機関(ドナー)と被援助国の協力(パートナーシップ)に基 づき、開発目標を達成するための開発戦略を両者が共有することにより、重複の ない、効率的な援助活動が求められている。国際通貨基金(IMF)や世界銀行が 包括的開発枞組(Comprehensive Development Framework: CDF、後述)に基づく貧 困削減戦略文書(Poverty Reduction Strategy Paper: PRSP、後述)を導入したのは、 このような意図からである。 また第三に、援助効果を高めるために、共通の開発戦略の策定のみならず、援 助国・機関と被援助国の会計・管理制度そのものも調和化・整合化する試みが始め られている。 第四に、開発援助活動は適切に監視され、得られた成果は先に決められた基準 に基づき測定・評価されなければならない。そして、その測定・評価結果により、 目標を達成できた途上国により多くの資金を投入するという成果主義が導入され つつある。 さらに第五に、被援助国の政府が腐敗・崩壊している場合には効率の良い援助 活動が行えないため、当該国政府の腐敗防止、民主化といった統治(ガバナンス) の問題をも扱わなければならない。また、当該国の市民社会や民間部門の参加を 踏まえた主体的な開発活動(オーナーシップ)が求められている。 このように、昨今の国際社会は、援助活動の量的なインプットより、質的なア

(24)

18 ウトプット・アウトカムを重視している。 では、このような国際的動向が、具体的に、どのように国連や開発金融機関 (MDBs)などの国際援助コミュニティーの政策に現れているのだろうか。 2.国際援助コミュニティー(国連、開発金融機関〔MDBs〕)の政策 (1)国連 国際援助コミュニティーを代表する第一の組織は、国連である。2002 年にヨハ ネスブルグにおいて開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議」で採択 された「ヨハネスブルグ宣言」の中で、国連は、「持続可能な開発を推進するのに 最も適した立場にある、世界で最も普遍的で代表的な機関である」と認められて いる。以下では、国連を中心とした国際会議において、どのような政策が提言さ れてきたかを概観する。 ① 2000 年 9 月:「ミレニアム宣言」 「ミレニアム宣言」は、147 の国家元首を含む 189 の加盟国代表が参加した国 連ミレニアム総会において採択された宣言で、21 世紀の国際社会の目標を明記し たものである。開発および貧困撲滅はその目標のひとつとして挙げられており、 すべての人々が開発の権利を実現し、欠乏から解放されるべきことを言明してい る。 この宣言の第3節の中で、のちに「ミレニアム開発目標(MDGs)」(巻末資料 参照)となる具体的目標に言及している。同宣言はまた、開発の成否は、国内の 良い統治(グッド・ガバナンス)に関わっていることも指摘している。 ② 2001 年 9 月:「ミレニアム開発目標(MDGs)」 「ミレニアム開発目標(MDGs)」は、ミレニアム宣言の第3節に言及された開 発目標の進捗状況を評価し、開発状況の共通理解を確保するために、国連事務局、 IMF、OECD、 世界銀行が協議し策定した、包括的な開発目標である。MDGs で は、基準年を 1990 年として、2015 年までに達成すべき具体的な8つの目標、18 のターゲット、48 の指標を掲げている。 MDGs は、「国連ミレニアム宣言の履行に向けた行程表」と題する事務総長報告 書(A/56/326)の付録として公表されているため、アメリカなどは、MDGs は国 連事務局内部の文書にすぎず、加盟国を拘束するものではないと理解している。 しかし、多くの国が MDGs の達成を目指し、また、援助効果が MDGs の達成の度

(25)

19

合いに基づいて評価されているのも事実である。

MDGs の進捗状況に関する評価は、すべての援助関連組織の協議により、包括 的開発枞組(CDF)、および、貧困削減戦略文書(PRSP)に基づいて行われる。 しかし、開発の第一義的責任は当該被援助国にあるので、MDGs の進捗状況を評 価するための被援助国の能力開発(national capacity building)が重要となる。

③ 2002 年 3 月:「モンテレー合意」 MDGs 達成のために必要な開発資金を開発途上国に円滑に流入させるための方 策を示すことを目的として、2002 年には、国連の下でモンテレー開発資金会議が 開催された。同会議では、ODA の増額および貧困国の債務緩和を中心とするモン テレー合意がなされた。 開発援助資金については、当時年間 500 億ドルだった ODA の倍増、つまり、 500 億ドル増額するために、先進国は国民総所得(GNI)の 0.7%を ODA に当て るべきであるという、1975 年の総会決議内容が再確認された。OECD の DAC22 カ国がこの目標を達成すれば、ODA 拠出額は3倍になると推計されている。 また、モンテレー合意は、援助活動の結果を重視し、そのためにグッド・ガバ ナンス、健全な経済政策、民主化の促進、インフラの改善、汚職の撤廃など、被 援助国の主体的役割(オーナーシップ)を重視している。 ④ 2002 年 9 月:「ヨハネスブルグ宣言」 2002 年にヨハネスブルグで開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会 議」には、104 カ国の首脳を含む 191 カ国から 2 万人以上が参加した。この会議 では、1992 年に開催された地球サミットの成果の実施状況を包括的に評価し、ア ジェンダ 21 の更なる実施のための方策や、地球サミット以後の新たな課題につい て討議することが目的であった。しかし、議論の最大の焦点は、開発途上国の貧 困問題であった。 「ヨハネスブルグ宣言」では、「人間社会を富める者と貧しい者に分断する深い 溝と、先進国と開発途上国との間で絶えず拡大する格差は、世界の繁栄、安全保 障および安定に対する大きな脅威となる」と明記し、開発問題が、世界の安定・ 安全保障に関連しているという認識を示している。 また、ODA の対 GNI 比 0.7%という目標については、「政府開発援助が国際的 に合意されたレベルに達していない先進国に対し、具体的努力を行うように要請 する」と、目標達成期限は設けないものの、その重要性を強調している。 なお、同宣言が、持続可能な開発を推進するための主導的な役割は国連にある

(26)

20 と言及したことは既述の通りである。 ⑤ 2003 年 2 月:「ローマ調和化宣言」 2003 年に開催されたローマ調和化ハイレベル・フォーラムでは、開発援助資金 の増額と合わせて、開発効果の更なる向上が必要であるとの認識から、開発効果 向上の一方策として、開発途上国側の政策・制度に援助国・機関の政策・制度を調和 させていくことが議論された。その際、調和化の前提として、MDGs と貧困削減 戦略文書(PRSP)の相互連携が重要であることが指摘された。また、開発途上国 ごとに調和化を実施することが推奨された。 調和化問題が 1996 年に OECD/DAC の援助効果作業部会において議論され始め た当初は、開発途上国の取引費用(transaction cost)削減のために援助国・機関の 中で相互に援助手続きを調整することを目的としていたが、現在では、援助国・ 機関間の調整のみならず、開発途上国の政策・制度に援助国・機関の政策・制度を合 わせること(整合化)を目指している。 ⑥ 2005 年 2 月:「援助効果向上にかかるパリ宣言」 2005 年のパリ援助効果向上ハイレベル・フォーラムでは、ローマ調和化宣言の 実施状況を評価し、具体策を取りまとめ、援助国・機関と開発途上国との間で経験 を共有することを目標としていた。その結果採択された「援助効果向上にかかる パリ宣言」では、ローマ調和化宣言と比較して、行動志向的な行動計画を示し、 モニタリング・メカニズムとして具体的数値目標を設定した。また、ローマ調和 化宣言以降の課題であったオーナーシップ(開発途上国自身が開発援助政策およ び計画を主導する)、調和化(援助国・機関間で援助調整を行う)、整合化(開発途 上国の援助戦略および制度に援助国・機関が援助活動を合わせる)に加え、相互説 明責任(援助国・機関と開発途上国の両者が援助成果に関して責任を負う)、およ び、開発成果マネジメント(望ましい結果を達成する)が新たな課題として示さ れた。 パリ宣言の実施状況に関して 2006 年に行われた OECD/DAC の調査によれば、 依然として援助活動の重複が見られ取引費用が高くついていること、より一層オ ーナーシップを高めるために開発途上国の能力開発が必要であること、開発成果 マネジメントを達成するためにより多くのことが必要とされていること、などの 点が指摘されている。 ⑦ 2005 年 9 月:「世界首脳サミット成果文書」 2005 年には、MDGs を含むミレニアム宣言の評価が行われ、9 月に開催された

(27)

21 国連首脳会合(世界サミット)において採択された「世界首脳サミット成果文書」 では、MDGs を含む一連の開発目標を実現するとの強い決意を表明した。その中 で、各国は自国の開発について第一義的な責任を有す、と明記し、開発途上国の オーナーシップと、援助国・機関とのパートナーシップが強調されている。 また、開発援助資金量については、2015 年までに ODA の対 GNI 比 0.7%、2010 年までに尐なくとも最低 0.5%の目標達成等に向けて多くの先進国がタイムテー ブルを策定した結果、開発資金が増加したことを歓迎し、同時に、未だタイムテ ーブルを策定していない先進国に対しては、具体的な努力を促している。 以上のように、国連を中心とした国際会議で表明された国際的な開発援助政策 の焦点は2つある。第一に、援助の量については、MDGs を達成するために援助 資金の増額が必要であり、具体的目標としては、各援助国は 2015 年までに ODA の対 GNI 比を 0.7%にするということである。そして第二に、援助の質について は、援助の効果を高めることが必要であり、そのための手段として、調和化・整 合化、オーナーシップ、相互説明責任、および、開発成果マネジメントを高める ことが必要であるということである。 (2)世界銀行(国際復興開発銀行〔IBRD〕および国際開発協会〔IDA〕) 世界銀行(世銀)の援助目的も、MDGs に代表される貧困削減にある。1996 年 に改訂された世銀の業務規則には、「世界銀行の使命は持続可能な貧困削減であ る」と明記されている。また、貧困は人々の機会と能力が欠如している状態であ るから、貧困を削減し、人々の機会を拡大し、能力を強化し、安全を強化するこ とが世銀の任務であるとされている。 ① 援助の量 援助の量については、2007 年度(2006 年 7 月 1 日-2007 年 6 月 30 日)は、世 銀の融資、保証、グラントを含む承認額は、247 億ドルで、2006 年度を4%上回 っている。とくに、低所得国(一人当たり年間国民所得の上限が 1,025 ドル)に 対して譲許的融資を行う世界最大の機関である IDA の融資額は、過去最高の 119 億ドルで、前年を 25%上回っている。IDA は、重い債務に苦しむ貧困国の債務を 救済する重債務貧困国(HIPC)イニシアティブで 180 億ドル、債務免除を行う多 数国間債務救済イニシアティブ(MDRI)で 280 億ドルを供与する予定である。 2006 年度にもっとも多くの資金を受けたのはアフリカで、IDA 融資の 49%を

(28)

22 占める 58 億ドルであり、アフリカが重視されていることが分かる。 開発援助によって経済成長を促進することで、間接的に貧困削減を進めるとい う経済成長媒介戦略に対しては、大量の援助資金の投入は、必ずしも経済成長に も貧困からの脱却にもつながらない、という批判もある。しかし、2007 年の世銀 の年次報告書によれば、世銀の借入国の一人当たり GDP の平均成長率は推定 6% であり、開発途上国の一人当たり GDP は 2000 年以降平均 3.9%で成長している。 とくに、アフリカ地域の全人口の3分の1以上を占める 16 カ国では、過去 10 年 間に 4.5%の年間成長率を記録している。経済成長は、貧困層にも利益をもたらし ており、極度の貧困状態にある(1日1ドル以下で生活する)人々の数は、1990 年以降、初めて 10 億人を下回った。したがって、開発途上国が成果を挙げつつあ るのは明白であり、今こそその成果に見合うよう援助を拡大するときである、と いうのが世銀の認識である。 ② 援助の質 援助活動の調和化を通した援助効果向上については、世銀は 1998 年から取り組 んできた。同年の世銀・IMF 年次総会において、開発と援助への新たなアプロー チとして包括的開発枞組(Comprehensive Development Framework: CDF)の導入が 提唱された。これは、被援助国のオーナーシップを基本とし、被援助国政府の主 導の下に、開発に携わるさまざまな援助主体(援助国・機関、非政府組織〔NGO〕、 市民社会等)の参加を得て開発課題に取り組むという、包括的なアプローチであ る。 そして、翌 1999 年の世銀・IMF 年次総会において、債務救済または世銀の譲 許的融資を受ける開発途上国は、この CDF に基づき、貧困削減戦略文書(Poverty Reduction Strategy Paper: PRSP)を策定することが決定された。PRSP は、貧困削 減を目的として、被援助国の国家開発戦略における優先順位と実施過程を包括的 に示した3カ年の実行計画である。この PRSP が各援助国・機関や NGO などの参 加を得て作成されることにより、援助国・機関間の協調が促進され、効果的、効率 的な活動が行われるようになってきている。

世銀自身も、PRSP に基づき、被援助国ごとに世銀自身の援助政策である国別 援助戦略(Country Assistance Strategy: CAS)を策定し、当該国の政府開発目標・ 政策に基づき、他の援助国・機関の援助動向も考慮に入れた効率的、効果的な活動 を目指している。

(29)

23

している国に援助資金を多く与える(results and resources meeting approach)という 成果主義を重視し、アフリカの開発途上国において、この方式が試験的に導入さ れている。 能力開発を通したオーナーシップ、相互説明責任、および、開発成果マネジメ ントの向上については、低所得国、中所得国のいずれにおいても、2007 年度に世 銀の融資承認額がもっとも多かったセクターは、法律・司法・行政セクターとなっ ている。このことからも、汚職防止、ガバナンスの向上を通して開発成果マネジ メントおよび援助効果の向上を図ることが重視されていることが理解される。 なお、成果主義を導入することにより、成果が見られる国には多くの援助が与 えられる一方で、紛争後の状態などにある脆弱な低所得国には援助が行き渡らな くなる可能性がある。そこで、2007 年に世銀理事会は、危機的状況や非常事態に 対する世銀の迅速な対応を強化し、脆弱な国家への制度的支援、長期的な取り組 みを強化する新たな戦略を作成している。また、国連の平和構築委員会や OECD/DAC とのパートナーシップも構築し始めている。 (3)経済協力開発機構・開発援助委員会(OECD/DAC) ODA の量の維持・拡大、および、測定可能な目標設定と開発成果の評価、とい う 21 世紀の開発援助政策の基礎を提示したのは、経済協力開発機構の開発援助委 員会(OECD/DAC)であった。DAC は 1996 年に「新開発戦略(21 世紀に向けて: 開発協力を通じた貢献)」を採択し、地球上のすべての人々の生活向上を目指し、 開発援助の具体的な目標と達成すべき期限を設定した。これがミレニアム宣言を 通して MDGs へと発展していったのである。 最近では、援助効果向上問題に加え、安全保障関連活動の ODA 適格性の問題 が DAC で議論されている。具体的には、治安維持活動のうち非軍事的な活動に ついては ODA として認めるべきであるとの認識から、2005 年には、児童兵士の 雇用防止、治安維持のための市民社会の強化、小型武器対策は ODA 適格性が認 められた。また平和維持活動(PKO)については、分担金の 7%を ODA に計上す ることが認められた。 また、DAC は、DAC 以外の援助供与国(韓国、トルコ、バルト3国、中国、 インドなど)との協力関係の構築を行いつつあり、統計分野での協力、援助活動 の好事例(good practice)の共有などを図っている。

(30)

24 (4)新興経済国 2007 年のハイリゲンダム・サミットでは、主要8カ国(G8)としてこれまでの 約束を着実に実施することが重要であり、アフリカにとって信頼できるパートナ ーであることを示す必要性が確認されただけでなく、ブラジル、中国、インド、 メキシコ、南アフリカが招待され、アフリカ開発において新興経済国が建設的役 割を果たすよう対話を行っていく必要性が指摘された。これらの新興経済国は、 近年、開発途上国に対する援助を増加しつつある。 とくに中国は、2006 年の第3回中国・アフリカ協力フォーラムにおいて、2009 年までにアフリカ諸国に対する援助規模を 2006 年の2倍にすることや、中国企業 のアフリカ投資支援のため 50 億ドルの中国・アフリカ発展基金を設置することな どを発表し、対アフリカ開発援助を大幅に増加させつつある。しかし、2007 年に 中国政府が発表したアフリカ政策白書には、「政治的条件をつけずに援助を提供す る」と明記されており、中国は、被援助国の統治システムや人権状況を考慮に入 れない援助を行っているという批判もある。 開発援助資金量を確保するためには、新興経済国による開発援助の増大は歓迎 すべきことではあるが、援助国・機関がこれまでに策定してきた国際的援助政策 に合致しない援助活動は、開発途上国の能力開発の観点からも、援助効果の観点 からも好ましいことではない。今後は、新興経済国の対外援助の透明性、ガバナ ンスへの配慮、国際的援助政策の尊重、などを確保していく努力も必要となるで あろう。 3.まとめ 本章では、おもに 2000 年以降の開発援助政策の国際的動向を検討してきた。そ の結果、以下の点が明らかになった。 第一に、今日の開発援助の目的は、貧困削減を中心とした MDGs を達成するこ とである。そしてその中心的な援助対象国は、アフリカ地域である。 第二に、MDGs 達成という目的を達成するための手段として、ODA の量の拡大 と、質の向上という2つの課題がある。 量の拡大については、2001 年以降、ODA 総額が増加の傾向にあるとはいえ、 MDGs 達成のためにはまだ資金量が十分とはいえない。したがって、ODA の対 GNI 比 0.7%という国際的目標を達成することが不可欠である。

図

表  DFID と OXFAM で締結された PPA の合意内容例  開発戦略  (アウトカム)  ①貧しい人々が持続的に生計を立てられるような環境を作り出すこと  OXFAM  ①農業と農産品マーケティングを推進するプログラムを実施する。  ②女性の労働市場安定に対するキャンペーンを実施する。  ③都市部の起業を促進し、その力が家計内でのジェンダー公正、ひいては貧 困者に向けたビジネスを可能にする経済政策につながるようにする。  ④エイズが生活や残された子供たちに及ぼす影響を把握し、対応策を支援す る。

参照

関連したドキュメント

青塚古墳の事例を 2015 年 12 月の TAG に参加 した時にも、研究発表の中で紹介している TAG (Theoretical Archaeology Group) 2015

大村市雄ヶ原黒岩墓地は平成 11 年( 1999 )に道路 の拡幅工事によって発見されたものである。発見の翌

この点、東レ本社についての 2019 年度及び 2020

○ (公社)日本医師会に委託し、次のような取組等を実施 女性医師の就業等に係る実情把握調査の実施 (平成21年度~28年度 延べ

※調査回収難度が高い60歳以上の回収数を増やすために追加調査を実施した。追加調査は株式会社マクロ

欄は、具体的な書類の名称を記載する。この場合、自己が開発したプログラ

モノーは一八六七年一 0 月から翌年の六月までの二学期を︑ ドイツで過ごした︒ ドイツに留学することは︑

2017 年 12 月には、 CMA CGM は、 Total の子会社 Total Marine Fuels Global Solutions と、 2020 年以降 10 年間に年間 300,000 トンの LNG