第3章 主要先進国の動向(2)
② USAID
1990年代前半にアメリカは援助予算を縮小した。理由は、冷戦が終結し、東西 での援助合戦を遂行する必要がなくなったこと、また米国の財政赤字の解消のた めに援助削減を要請されたことであった。しかし、90年代後半には紛争終結後の 復興支援が国際社会の課題となり、2001年に9・11事件に遭遇すると、テロ防止 政策としての貧困削減を重視せざるをえなくなった。こうして、2002 年 9月に、
ブッシュ政権は、防衛、外交とともに開発援助を国家安全保障政策の3本柱のひ とつとし、ミレニアム挑戦公社による援助を拡大した。これは、これまでアメリ カの対外援助の中核として機能してきた USAID にとっては、組織としての「危 機」であった。
そこで、2001年にUSAID長官に就任したナチオスは、USAIDの組織再編を行
った。まず、本部機能の強化を図った。具体的には、(1)政策・プログラム調整 局に予算編成権限を与え強化した。(2)セクターについては6つの部局を3つの 部局(保健、経済成長・農業・貿易、民主化・紛争解決・人道支援)に統合した。
(3)NGOや民間団体との連携強化担当のグローバル開発アライアンス(Global Development Alliance: GDA)事務局を新設した。
次に、現場主義については従前どおり、維持されている。地域局では、プログ ラム策定、予算管理、実施団体の選定・契約、モニタリング・評価・報告など、
各プロジェクトの運営はすべて在外事務所の責任で実施する。また、国別開発戦 略文書(CDSS)の作成も在外事務所が担当する。このような改革を進めつつ、
ミレニアム挑戦公社やその他の各種政府機関との調整の重要性も指摘している。
政策面では、民主化支援、経済成長促進、保険・教育・環境等の改善、紛争防 止、災害支援を主目標として掲げ、USAID経済支援基金(無償資金供与:ESP)
では地域として中東を重点化している。エジプト、イスラエル、ヨルダン、パキ スタン、アフガニスタン、トルコ、インドネシア、フィリピンなどを主要受益国
58 としている。
USAID の改革のなかで注目されているのは民間との連携強化を担当するグロ
ーバル開発アライアンス(GDA)である。グローバル開発アライアンスは、USAID がもっている資金および専門性を軸に、NGO、財団、大学、企業、個人、各種政 府機関などのさまざまなアクターの参加をよびかけ、あるいは相互の調整を図る ことにより、援助効率の向上をめざすものである。とくに、企業が、企業の社会 的責任(CSR)に関心を増大させており、社会的貢献と援助ビジネスをいかに両 立させるかという点で注目すべきものである。
NGO による議会やホワイトハウスへのロビー活動も活発であり、USAID もそ の官僚的行動がしばしば批判されている。議会は、USAIDに対して歳出法案に対 する予算使途の特定化を求め、官僚組織による援助行政に対して政治の側からの コントロールを行う。USAIDは議会によるマイクロマネジメントだとして、現場 レベルでの柔軟な援助の執行を難しくする面があるという。対外援助をめぐる議 会と政府・官僚機構の関係の問題でもある。
そもそもアメリカは USAID 主体で対外援助を進めることが望ましいのだろう か。援助を担当する行政機構の役割はなにか。
第1に、官僚機構は政治指導者や議会、国民が選択できるように複数の開発戦 略を打ち出す必要がある。というのも、開発戦略は特定の理念や価値観を前提と しており、この理念や価値観の選択は官僚機構ではなく、政治指導者や議会が行 うべきものと考えるからである。第2にこうした開発戦略を打ち出すに相応しい 調査・分析能力をもつことである。第3に、こうした開発戦略に従って具体的な プロジェクト案を準備し、実施していくことである。この3点に照らした場合、
USAID には問題も尐なくない。というのも、USAID のスタッフはジェネラリス
ト化しており、USAID自身が開発途上国のマクロ経済状況を分析し、問題緩和の ために政策を打ち出す能力が低下しているといわれる。IMFや世界銀行のスタッ フが開発経済をめぐる政策論争でリーダシップを発揮しているのに対して、
USAID のエコノミストは最近ではあまり指導力を発揮していないというのであ
る。その結果、もっぱら調整役や委託主としての役割しか果たしていないとの批 判がある。
59 3.カナダの対外援助政策
(1) 援助の理念と政策
① 理念を積極的に提示する
カナダは経済援助の領域で存在感を示してきた。アメリカや日本のように援助 額の拡大をめざすのではなく、ODA/GNIという負担率、外務省から相対的に自立 した開発庁主導の体制、NGOとの連携などの特色を打ち出す、ミドルパワーとし ての外交を展開してきた。
1990年代にはカナダの財政事情の悪化により、対外援助政策の大幅な見直しが 行われることになるが、このような時期においても、積極的に援助の理念を打ち 出している。アクスワージ外相のもとでカナダは人間の安全保障の理念を主唱し はじめた。人間の安全保障とは「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」から構 成されるものであり、日本が後者を強調しがちなのに対して、カナダは前者を強 調する。とはいえ、もちろん、カナダは、人間の安全保障と国連開発計画(UNDP)
が提唱する人間開発との強い関連性も述べる。人間の安全保障は非常に広範囲な 概念であるが、1990年代には世界の多くの地域で紛争が起こり、紛争終結後の平 和構築では、人道支援・選挙支援・復興支援・開発援助などに総合的に取り組む 必要が高まっており、人間の安全保障は対外援助の重要な理念なのである。
また、1990年代には、世界各地で行われたジェノサイドをめぐり、人道的介入 の必要性が議論され、果たして人道的介入は権利か義務かをめぐり論争が展開し ていたが、2000年9月、カナダのアクスワージ外相がイニシアティブを発揮して
「介入および国家主権に関する国際委員会(ICISS)」を設立し、2001 年 12 月、
この委員会は国連に提出した報告書において「保護する責任」という概念を打ち 出した。これは国民を保護するという国家としての基本的責任を果たすことがで きないとき、国際社会が行動する責任があるとするものである。これも直接的に は紛争解決に関わる理念であるが、平和構築において理念を提示できるカナダ外 交は注目に値する。
② 経済不況のなかでの援助政策
カナダ外交は援助理念の提示でめざましいものがあるが、しかし、1980年代後 半からカナダ経済が失速し、財政赤字に悩み、失業率も10%を超える状況が長引 いた時期には、従来の援助政策の見直しをめぐり真摯な議論が行われた。折しも、
1989 年から91 年にかけて冷戦が終結し、旧ソ連・東欧諸国に対する体制移行支
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援が外交課題として登場する。カナダ政府は、ODAに対する需要の増大と供給の 逼迫という状況にさいなまれることになった。
1990 年代には、ODA 予算は減額され、国益重視、効率重視の視点から経済援 助政策の見直しが行われた。ODAプロジェクトの資材調達におけるカナダ企業へ の配慮が要求され、1995年の「世界のなかのカナダ(Canada in the World)」では、
成果に基づくマネジメント(Results-Based Management: RBM)手法の導入がうた われた。財政的制約のために効率・効果的な方法を確保することがなによりも求 められたのである。
2000年に入ると、財政状況もしだいに改善され、経済援助政策についても再度 見直しをすることができる状況になってきた。2001年9月11 日の同時多発テロ 以降、テロ防止のためにはやはり貧困削減が重要であるとあらためて議論される ようになり、2005年4月、カナダは「新対外政策」を発表した。そこで最優先事 項として挙げられたのは、繁栄、安全、そして責任であった。「保護する責任」を 強調するカナダ外交らしい政策である。そして、取り組むべきテーマとして、と くに、(1)紛争からの民間人保護、(2)テロリストおよび無責任な国家による 大量破壊兵器(WMD)入手の防止、(3)持続可能な開発の促進、(4)基本的 人権の尊重、(5)本当の開発(genuine development)の促進、の5項目を挙げて いる。紛争・人道援助・開発援助がシームレスな状況にあることに対応するもの であり、貧困緩和がテロ防止につながるという総合的な視野に基づくものといえ る。
さて、カナダ政府は援助対象分野について、ガバナンス、保健、基礎教育、民 間セクター、持続可能な環境を重視し、横断的課題としてジェンダー格差の是正 を掲げる。また、援助対象国についても、今後は集中化するとして、サブサハラ のアフリカ諸国を中心とし、開発パートナー国として25カ国を選択した。そして、
2010年までに、カナダ政府の2国間援助の3分の2以上がこれらの開発パートナ ー国に割り当てられることをめざすという数値目標を設定している。
(2)援助体制
カナダ国際開発庁(CIDA)が1968年に設立され、カナダ議会の管轄のもとで 国際協力大臣の指導に従い、外務省からも比較的自由な立場で開発協力に取り組 んできた。カナダの援助の8割を取り扱い、残る2割を財務省と外務・国際貿易 省が管轄し、多国間開発銀行や国連等の国際機関への拠出金などに当てられる。