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博士論文 第一次審査 2008/11/26

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スポーツ科学の限界と可能性

―科学論の視点から―

新 保 淳

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第一節 研究の動機と目的 ··· 1 第二節 先行研究の検討 ··· 12 第三節 研究の方法と論文の構成 ··· 14

第一章 スポーツ科学を考察するための科学論の基盤

· · ·

20

第一節 近代科学への「知」の系譜 ··· 21 第一項 神学あるいは虚構の段階から形而上学あるいは抽象の段階 ··· 22 第二項 形而上学あるいは抽象の段階から科学あるいは実証の段階 ··· 32 第二節 近代科学の思想的特徴 ··· 43 第三節 「科学哲学」の誕生とその視点の必要性 ··· 53 第一項 科学におけるインターナルな視点 ··· 57 第二項 科学におけるエクスターナルな視点 ··· 73

第二章 スポーツ科学における科学論の現状

· · ·

84

第一節 わが国の体育学者における「科学」への期待 ··· 85 第二節 体育学・スポーツ科学に関わる学問の名称問題とその未来像 ··· 90 第三節 「モルフォロギー的考察」の功罪-金子のスポーツ科学への視点 ··· 106 第四節 スポーツ科学の研究統合とアイデンティティの問題 -岸野のスポーツ科学への視点 ··· 113 第五節 体育学・スポーツ科学の学問性に関する問題 -佐藤のスポーツ科学への視点 ··· 120 第六節 スポーツ科学に対する科学論的批判 -樋口のスポーツ科学への視点 ··· 130

第三章 スポーツ科学の限界

···

138

第一節 スポーツ科学における「客観性」から見た限界 ··· 138 第一項 スポーツにおける様相の変化と「客観化」の結びつき ··· 141 第二項 スポーツにおける「数量化」の陥穽 ··· 156 第三項 スポーツ科学者における「主観-客観」図式の対概念理解の欠落 ··· 163 第四項 研究方法における「主観」排除の不可能性 ··· 174

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第三項 理論の「知」の特性 ··· 199 第四項 理論知の実践知への適用の限界 ··· 209 第五項 運動学習の特異性-「わかる」と「できる」の関係 ··· 219 第六項 スポーツ科学における「理論の実践への適用」の認識論的限界 ··· 229

第四章 スポーツ科学の可能性

· · ·

233

第一節 科学における新たな知的探究の方向性-「客観性」を越えて··· 233 第二節 制度や研究方法の変化における「理論と実践」の新たな関係··· 242 第三節 新たな研究方法の可能性-アクション・リサーチを中心として ··· 249 第一項 アクション・リサーチとは何か-その背景 ··· 251 第二項 アクション・リサーチの特徴 ··· 255 第三項 共同生成としてのアクション・リサーチとその研究としての評価 ··· 258 第四節 スポーツ科学の新たな可能性への展望 ··· 263 第一項 「モード1」におけるスポーツ科学の位置づけ ··· 263 第二項 「モード2」におけるスポーツ科学の位置づけ ··· 266 第三項 「モード1」と「モード2」の関係におけるスポーツ科学の可能性 ··· 269

結 章

· · ·

281

第一節 総括と結論 ··· 281 第一項 スポーツ科学の限界 ··· 281 第二項 スポーツ科学の可能性 ··· 284 第二節 今後の課題 ··· 287

文献一覧

· · ·

289

謝 辞 ··· 303

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序 章

第 一 節 研 究 の 動 機 と 目 的

1964 年 10 月 10 日 、多 くの日 本 国 民 が待 ち望 んでい たオリンピッ クが東 京 で 開 催 さ れ た 。 開 会 式 当 日 の 朝 日 新 聞 社 説 は 「 オ リ ン ピ ッ ク の 開 会 を 迎 え て」と題 し 、194 0 年 に第 12 回 大 会 の東 京 開 催 をかちとりながら戦 禍 に妨 げ ら れて返 上 し たこ と、ま たそれを 乗 り 越 え 、 ス ポー ツを 通 じ て 平 和 な世 界 を 築 こ う とす る クー ベ ル タ ンの 祈 念 にも 似 た日 本 のス ポ ー ツ 界 の 願 い が 、今 回 の 大 会 にはあることを述 べ た上 で、以 下 のように続 けている。 今 大 会 は また 科 学 オ リン ピッ ク とも い わ れ る よう に 、電 子 計 算 機 に よる IBM の速 報 装 置 が初 め て本 格 的 に 全 会 場 に使 用 さ れる ほか に、自 動 電 子 式 審 判 装 置 や 自 動 記 録 装 置 、 超 音 波 方 式 の 風 速 風 向 計 な ど 、 各 種 の電 子 機 器 や 、36 種 1,27 8 個 を数 える 競 技 用 時 計 が、すべて日 本 製 品 によっ てま かなわ れる のも 、国 産 品 使 用 の 画 期 的 な試 み とし て 力 強 い も の を 感 じ る 。シンコ ム3号 による テレビ の世 界 放 送 が初 め て実 現 す る こ とととも に、科 学 オリンピッ クにふさわしい成 果 が期 待 されるのである1 ) 朝 日 新 聞 の社 説 が述 べる よう に、東 京 オリンピックは、まさ に 科 学 オリンピ ック 2 )であった。池 田 内 閣 によっ て「 国 民 所 得 倍 増 計 画 」 が閣 議 決 定 (196 0 年 )され、社 会 資 本 の充 実 と産 業 構 造 の高 度 化 が重 点 政 策 課 題 として設 定 されてスター トした 19 60 年 代 は、日 本 にお ける戦 後 の復 興 を世 界 に誇 示 す るうえ で、またとない 機 会 であっ た。そし て 科 学 オリンピッ ク であるこ とは、電 子 機 器 の使 用 だけを根 拠 とするも のではなかった。 1 ) 朝 日 新 聞 社 説 、1964 年 10 月 10 日 付 け朝 刊 . 2 ) 科 学 オ リ ンピック で あること を強 調 するのは 、朝 日 新 聞 だけで は ない。讀 賣 新 聞 は 「科 学 兵 器 登 場 」(1964 年 10 月 10 日 付 け朝 刊 )と いう見 出 しで 、毎 日 新 聞 も 「科 学 の『選 手 』」(1964 年 10 月 13 日 付 け朝 刊 )と いう見 出 し で 、今 大 会 が「科 学 的 」で ある こ と を強 調 し ている。

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1959 年 IOC 総 会 において第 18 回 オリンピック大 会 の開 催 地 が東 京 に決 定 さ れる ととも に 、日 本 オ リン ピッ ク委 員 会 は、 「 世 界 各 国 の選 手 を 迎 え る に 当 っ て、日 本 の選 手 を 強 化 し て、試 合 内 容 を も り あげる こ とが主 催 国 の義 務 で あ り 、 礼 儀 で も あ る し 、 国 内 に 向 っ て は 、 日 本 の 選 手 が 、 国 民 の 皆 さ ん に 納 得 し て も ら え る だけ の 成 績 を あ げ る こ と が 責 任 でも ある 」3 )とし て 、195 9 年 JOC ( 日 本 オ リン ピッ ク 委 員 会 ) の総 会 にお い て「 東 京 オ リン ピッ ク選 手 強 化 対 策 本 部 」 の 規 則 を 決 定 。 日 本 体 力 医 学 会 の 東 俊 郎 理 事 長 と 日 本 体 育 学 会 の加 藤 橘 夫 理 事 長 の会 談 によって、1 961 年 2月 に正 式 な「スポーツ科 学 委 員 会 」が組 織 されたこともまた 科 学 オリンピッ ク の根 拠 であった4 ) 「スポー ツ科 学 委 員 会 」 における研 究 テー マは、1.トレーニングの本 質 とね らいについて、2.発 育 との関 係 における負 荷 について、3.各 種 競 技 種 目 に おける身 体 適 性 と強 化 の方 法 について、4.スポー ツ栄 養 ( 付 ドー ピングの効 果 ) につい て、5.環 境 衛 生 につい て、6.い わゆる あがり につい て、7.ス ポー ツ力 学 につい てであり 、こ れらのテー マを 、体 力 管 理 部 会 、トレ ーニ ング部 会 、 技 術 部 会 、心 理 部 会 とい う 各 々 の組 織 におい て研 究 が進 め られた5 ) 。こ こ に、 それまで日 本 体 力 医 学 会 と日 本 体 育 学 会 とに分 散 していた「スポー ツ科 学 」 の芽 が、東 京 オリンピッ クとい う 一 大 イ ベ ントのも とに結 集 さ れ、花 開 い たと言 えるであろう。 しかしながら、1 4 日 間 のオリンピッ ク大 会 を 終 えた時 点 での評 価 は、芳 しい ものではなかっ た。朝 日 新 聞 社 説 は「オリンピック大 会 の成 果 」と題 し、「94 カ 国 、7千 人 に及 ぶ空 前 の参 加 選 手 と、20 競 技 、163 種 目 にのぼる大 量 の競 技 種 目 を 経 とし 、近 代 建 築 の粋 を こ らし た 各 種 の競 技 施 設 や 、現 代 科 学 の 誇 る 電 子 工 学 機 器 と多 種 多 様 の 競 技 用 時 計 を 緯 とし たオ リンピッ ク東 京 大 会 の構 図 は、その斬 新 ( ざんし ん) と規 模 の壮 大 において、これまでの大 会 に みられなかったものだけに、今 回 の大 会 が画 期 的 な民 族 図 会 を織 りなすであ 3 ) 東 俊 郎 (1965)、序 文 、東 京 オ リ ンピックスポ ーツ科 学 研 究 報 告 、財 団 法 人 日 本 体 育 協 会 、p. 3. 4 ) 日 本 のオ リ ンピック体 制 の確 立 については 、関 春 南 (1997)、戦 後 日 本 のスポ ーツ 政 策 −そ の構 造 と 展 開 、大 修 館 書 店 、pp. 85-170.参 照 。 5 ) 加 藤 橘 夫 、黒 田 善 雄 (1965)、スポ ーツ 科 学 研 究 委 員 会 設 立 の経 過 と 5年 間 のあゆ

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ろうことは、国 民 のひ としく期 待 したところであった」 と述 べる。そして競 技 成 績 に関 し ては、「 健 闘 し た日 本 選 手 」 とし つ つ も 、「 オリンピッ クにお い ては、厚 く、 広 い 競 技 者 層 の中 から厳 選 さ れた心 身 とも にき わ め て強 力 な選 手 だけ が栄 冠 を 握 り 得 る 」 こ と か ら「 日 本 の ス ポ ー ツ 界 は 、 ( 中 略 ) す べ て の 競 技 種 目 に お い て、ピラ ミッ ド の底 辺 を ひ ろ げ 、競 技 者 層 を 厚 くす る 工 夫 と努 力 が何 よ り も大 切 なことを 知 らされた」と述 べている6 ) 。 結 局 、 科 学 オリンピッ ク と称 さ れた東 京 オリンピッ クは、日 本 の建 築 物 や 電 子 機 器 等 の活 用 においては目 を見 張 る 成 果 があったものの、「 スポー ツ科 学 委 員 会 」 がも たらし た研 究 成 果 にお い ては、期 待 さ れたほどの成 果 を あげ ることができなかっ たと言 わざるをえない。メ ダルの獲 得 数 も、金 メダル 1 6、銀 メ ダ ル 5、銅 メ ダ ル 8であっ たが、陸 上 では円 谷 選 手 の銅 メ ダ ル のみ で、水 泳 では1個 のメダルも獲 得 できなかっ た。 こ れらの結 果 を 受 け て、ス ポー ツ科 学 研 究 委 員 会 の委 員 長 を 務 め た東 は 、 報 告 書 において以 下 のように総 括 している。 こ の 委 員 会 ( ス ポー ツ 科 学 委 員 会 : 引 用 者 注 ) のメ ン バ ー は 、全 国 的 な 視 野 に た っ て 、 広 く ス ポ ー ツ 医 学 研 究 者 、体 育 学 者 、 心 理 学 者 の 中 か ら 約 70 名 が選 任 さ れ、こ の人 々 が4つ の部 会 (トレーニング部 会 、管 理 部 会 、 心 理 部 会 、 キネ シオ ロ ジー を 含 ん だ技 術 部 会 ) に各 々 属 し て 専 門 の 研 究 活 動 を 開 始 し た 。 特 に 、 こ の 際 、 現 場 と の連 絡 を 充 分 に と る 必 要 性 か ら 、 各 競 技 団 体 からも適 任 者 に加 わっ ても らう こととし 、コ ーチ諸 君 との合 同 会 議 を 随 時 開 催 、 更 に現 場 で の 生 き た協 力 が 出 来 る よう に 、 チー ムド ク ター 制 を採 用 し た。 こ れまで長 い 間 の日 本 ス ポー ツ界 の 悩 み で あっ た科 学 性 の欠 陥 を 是 正 す る ため の、極 め て有 効 適 切 な方 法 であり 、東 京 オリンピッ クが 、日 本 のス ポー ツ界 に残 し た数 々 の貴 い 経 験 の中 でも 一 つ の大 き な贈 り 物 とい っ てよ 6 ) 朝 日 新 聞 社 説 、1964 年 10 月 25 日 付 け朝 刊 .なお、毎 日 新 聞 、讀 賣 新 聞 も 「社 説 」 で は 一 様 に「成 功 」と 評 価 し ているが、伝 統 ある水 泳 競 技 や陸 上 競 技 と いう個 人 競 技 の不 振 を付 け加 え ていること が特 筆 さ れる。

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いのではなかろう か。( 中 略 ) その結 果 、 今 日 まで、 口 には 言 わ れ なが ら も 、実 際 に は、 仲 々 出 来 な か っ たス ポー ツと科 学 の結 び つき が、よう や く軌 道 に乗 り 、数 多 くの実 用 的 研 究 が実 を 結 び 、 それ が 今 日 まで の トレ ー ニ ング 方 法 の 反 省 材 料 と なり 、未 だ充 分 とはい え ない までも 、ある 程 度 の成 功 を かち得 る に至 っ たこ とは、誠 に喜 ばしい限 りである7 ) 。 東 は 、 「 ス ポ ー ツ 科 学 委 員 会 」 の 研 究 成 果 を 「 未 だ 充 分 と はい え ない ま で も」としつつも 、「長 い間 の日 本 スポー ツ界 の悩 みであっ た科 学 性 の欠 陥 を是 正 す る 」 ため に、 そし て 「 口 に は言 わ れな が らも 、 実 際 に は 、仲 々 出 来 なかっ た ス ポ ー ツ と 科 学 の 結 び つ き 」 と い う 点 を 高 く 評 価 し てい る 。 こ う し て 、 5 年 間 に約 7,700 万 円 弱8 )を費 やし たスポー ツ科 学 プロジェクトが終 了 し たのであ る。 東 京 オ リ ンピッ ク 以 降 、日 本 選 手 の 強 化 を 目 指 し 、競 技 成 績 の向 上 を 求 め たス ポー ツ科 学 へ の期 待 は、紆 余 曲 折 を 経 つ つ 現 在 にお い ても 継 続 し て いる。それは、文 部 科 学 省 が 200 0 年 8月 に告 示 し た「スポーツ振 興 基 本 計 画 」 におい て「 我 が国 の国 際 競 技 力 の総 合 的 な向 上 方 策 」を 掲 げ 、その「 政 策 目 標 達 成 のため に必 要 な施 策 」 とし て日 本 のスポーツ医 ・ 科 学 ・情 報 の拠 点 としての国 立 スポー ツ科 学 センター(Japa n Institute of Sp orts Science) がその中 核 的 役 割 を 担 う こ とが期 待 さ れて 設 立 さ れたこ とからも 知 る こ とがで きよう 。一 方 で、東 が東 京 オリンピッ クの競 技 成 績 につい て感 じ た「 スポー ツと 科 学 の結 び つ き 」 にお け る ある 種 のわ だか まり 、す なわ ちス ポー ツ科 学 によっ て充 分 な研 究 成 果 が得 られなかっ たという 事 実 は、現 在 におい ても 常 なる課 題 として存 続 している。 7 ) 東 俊 郎 (1965)、前 掲 書 、pp. 3-4. 8 ) スポ ーツ 科 学 研 究 委 員 会 年 度 別 決 算 の推 移 (加 藤 橘 夫 、黒 田 善 雄 (1965)、前 掲 書 、p. 29.)。なお 1964 年 は 9月 30 日 ま でのも のである。し か しながら、讀 賣 新 聞 (1964 年 10 月 10 日 付 け朝 刊 )は 、「選 手 の強 化 費 」と し て5年 間 で 、23 億 円 (コーチ 制 度 の確 立 、スポ ーツ 科 学 者 の支 援 集 団 の編 成 、海 外 遠 征 、海 外 か らの著 名 コー チ の招 聘 など)を使 い、金 メダル獲 得 数 15 個 を予 想 し たと して(実 際 は 、16 個 で あっ

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こ のよう に東 京 オリンピッ クを契 機 として、スポー ツ界 にお いては「 ス ポー ツ」 を科 学 的 対 象 とするこ とに対 する 期 待 のまなざし 、、、、 が注 がれたわけ である が、こ のことが社 会 一 般 、あるいは学 問 的 な世 界 に対 する認 知 度 と結 びつくわけで はなかっ た。 福 江 は 雑 誌 「 科 学 」 の コ ラ ム欄 に 「 × × を 科 学 す る 」 と 題 し て 以 下 の よう に 述 べている 。「 ペケペケは印 刷 の伏 字 じゃ なくて、ここ に SF とかス ポー ツとか 恋 愛 と か 、 さ ま ざ ま な ジ ャ ン ル の 言 葉 が 入 る 」 。 そ し て 「 研 究 者 は 自 分 の 専 門 を … ア カ デ ミッ クな学 術 研 究 を し てい る 」だけ でなく、「 ア カ デ ミッ クな学 術 研 究 とは別 に、身 のまわ りの現 象 とか、趣 味 的 なこ ととか、お よそ学 術 論 文 に は な らない 類 のこ と に も 興 味 が 沸 い て 、つ い 科 学 的 考 証 を し てみ た くなる 研 究 者 もいる 」と述 べる9 )。確 かに「 科 学 」 は、自 然 現 象 であれ社 会 現 象 であ れ、あらゆ る 現 象 を そ の対 象 とし てき た。し かし なが ら福 江 にとっ ては「 ス ポー ツ」も また「 お よそ学 術 論 文 にはならない 類 」 であり 、つ い「 科 学 的 考 証 をし てみ たくなる 」 も のの一 つ とし てし か捉 え られてい ない 。し かし ながら現 状 は異 なる 。ス ポー ツは立 派 な「 学 術 論 文 」 の研 究 対 象 とし て社 会 的 、学 術 的 に認 められ、現 実 に「スポー ツ科 学 」なるものは存 在 しているのである。 福 江 個 人 の「 現 状 認 識 の甘 さ 」 を 指 摘 す るこ とは容 易 であろう 。今 日 、オリ ン ピ ッ ク や 各 ス ポ ー ツ 種 目 に お け る 世 界 選 手 権 及 び ワ ー ル ド ・ カ ッ プ 等 の メ ガ ・ ス ポ ー ツ イ ベ ン ト が 開 催 さ れ る た び に 、 様 々 な メ デ ィ ア を 通 し て 、 確 か に 我 々 はス ポー ツ科 学 とい う 言 葉 を 目 に す る 。それだけ に留 ま らず 、一 般 市 民 が 日 常 の ス ポ ー ツ 活 動 を す る 際 にお い ても 、 ス ポ ー ツ に お け る 「 勝 利 」 とい う 成 果 、あるい はス ポー ツ活 動 を 行 うこ とによっ て得 るこ とのでき る「 健 康 」 とい う 成 果 を よ り 合 理 的 、 効 率 的 に 、い う な れば 「 科 学 的 」 に 得 る こ とを 目 的 とし て 蓄 積 さ れつつ ある 人 間 の「 知 」 とい う 前 提 におい てス ポー ツ科 学 という 用 語 が 使 用 さ れてい る とい う 認 識 。さ らにス ポー ツ科 学 は、日 本 学 術 会 議 の会 員 で ある「日 本 体 育 学 会 」と「 日 本 体 力 医 学 会 」 を母 体 とする多 くの研 究 者 によっ て、 そ れぞ れ の 領 域 か らさ ら に 専 門 化 さ れ た 新 た な 学 会 組 織 にお い て 研 究 が な さ れ て い る とい う 学 問 上 の 認 識 。 こ う し た ス ポ ー ツ 科 学 の 存 在 理 由 を 説 9 ) 福 江 純 (2007)、コラム:科 楽 講 座 ××を科 学 する、科 学 、Vol. 77、No. 6、p. 554.

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明 す れば 、それなり、、、、の「 格 式 」 に基 づ い た「 科 学 」 である こ とは、多 くの人 の理 解 を得 ることができるものと言 えるであろう 。 とは言 う も のの、こ れらの説 明 でも っ て、福 江 の「 ス ポー ツ」 に対 す る 文 化 的 な価 値 付 け とい う 個 人 的 な思 い だけ でなく、ス ポー ツ科 学 そのも のが「 科 学 」 とし て成 立 し てい る か否 かとい う 「 誤 解 」 の全 てを 解 消 す る こ とになる のであろ う か。さ らに 言 う ならば 、ス ポー ツ 科 学 に 関 わ る 研 究 者 は、 福 江 だけ で なく 他 の領 域 の研 究 者 、 ある い は 一 般 の 人 々 が 持 つ で あろ う ス ポー ツ科 学 に対 す る 「 誤 解 」を 解 くため に、充 分 な説 得 力 を 持 ちえ ている と言 え る であろう か。そ こにはどうしても 、「ス ポー ツ科 学 」という用 語 の存 在 を認 めつつも 、一 方 で「ス ポ ー ツ 科 学 」 が 学 問 と し て 存 在 す る こ と へ の 違 和 感 が 残 さ れ る 。 こ れ は 何 に 由 来 するのであろう か。 こ う し た「 違 和 感 」 が 、筆 者 の 個 人 的 感 情 か ら出 来 す る も の でない こ と は 、 「 ス ポー ツ 科 学 」 ある い は そ の 多 く の 研 究 者 の 母 体 であ る 「 体 育 学 」 の 「 内 に ある 研 究 者 」 によって、自 らの学 問 を 「 外 から」 眺 める 視 点 にお いて、こ れまで 批 判 的 に検 討 さ れてきたことからも 理 解 する ことができよう 。 例 え ば 佐 藤 臣 彦 は 、桑 原 武 夫 の「 文 化 力 」1 0 )とい う 語 法 にヒ ン トを 得 て、 「 当 該 の 学 問 が 対 象 と す る 事 実 を 合 理 的 に 説 明 す る と と も に 、 適 切 な 対 処 能 力 を 現 実 に対 し て発 揮 す る こ とで世 間 一 般 を 納 得 せ し め る 力 量 のこ と」 を 「学 問 力 」 と命 名 している が1 1 )、スポー ツ科 学 にお いてもまた、その「 学 問 力 」 の有 無 が問 題 にさ れ続 けてきてい るこ とを 指 摘 する 。具 体 的 には樋 口 聡 によ る 「 ス ポ ー ツ 科 学 は 学 問 と し て 充 実 し てい る の か 否 か 」 、 あ る い は 「 そ の 独 自 性 や ア イ デ ン テ ィ テ ィ を ど の よ う に 主 張 で き る の か 」1 2 )と い う 問 い が そ れ で あ る。 こ の問 い の矛 先 は、現 状 のス ポー ツ科 学 全 般 に向 け られたも のである 。そ してそれは、今 日 におけるス ポー ツ科 学 が、スポー ツ哲 学 やス ポー ツ史 学 、ス 1 0 ) 桑 原 武 夫 (1981)、「文 化 力 」と いうこと 、桑 原 武 夫 集 第 10 巻 所 収 、岩 波 書 店 . 1 1 ) 佐 藤 臣 彦 (2000)、体 育 学 における哲 学 的 研 究 の課 題 と 21 世 紀 への展 望 、体 育 学 研 究 、第 45 巻 3号 、p. 433. 1 2 ) 樋 口 聡 (1999a)、科 学 論 か ら見 たスポ ーツ 科 学 の<内 >と <外 >、体 育 学 研 究 、第

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ポー ツ 社 会 学 等 のい わ ゆ る 人 文 ・ 社 会 科 学 の範 疇 に 属 す る 分 野 が 存 在 す る 一 方 で、ス ポ ー ツ生 理 学 、 ス ポー ツ医 学 、ス ポー ツバ イ オメ カ ニ クス 等 々 の 自 然 科 学 の範 疇 に属 する 分 野 まで多 岐 に渡 っているこ とや 、そこ における研 究 成 果 が現 実 的 に社 会 に貢 献 し うるも のとなってい るのか、という 点 に向 け ら れ てい る の で ある 。こ の よ う な 状 況 を 鑑 み る とき 、 ス ポ ー ツ 科 学 にお け る 研 究 方 法 論 の独 自 性 がどこ にある のか、という問 いの必 然 性 も また理 解 されるとこ ろである。 こうしたスポー ツ科 学 における学 問 的 状 況 は、多 くの先 行 する個 別 科 学 に おいても 、同 様 の様 相 を示 し てきた。それは物 理 学 を端 緒 とする 「科 学 主 義 」 の方 法 論 に準 拠 することこそが「 学 問 」とし て認 知 される必 要 条 件 であり 、さら には そ の個 別 科 学 の 独 自 性 と 自 律 性 も ま た求 め られ たき た から である 。言 う なれば、物 理 学 誕 生 以 降 に勃 興 し た全 ての学 問 におい て求 め られる問 題 で あったとも言 えよう。 例 えば 、体 育 学 の母 体 である 教 育 学 におけ る「科 学 化 」 運 動 もまた、こうし た状 況 と類 似 の様 相 を示 してきた。 教 育 学 が、教 育 に 関 す る 個 々 人 の経 験 や 信 念 を 述 べ る だけ のも のか ら、 それらを 理 論 的 に 体 系 づ け たの は、教 育 の 目 的 を 倫 理 学 に、 また方 法 を 心 理 学 に求 めたヘルバ ルト( Johann F ried rich Herbart, 1 776−18 41)の『一 般 教 育 学 』にあるとされている。し かしながら、その「 教 育 学 」 の独 自 性 を問 う とき、 「 教 育 学 」 は 何 らか の 基 礎 学 ( 倫 理 学 や 心 理 学 ) に 立 脚 す る 応 用 科 学 な の か 、 あ る い は 一 個 の 独 立 科 学 な の か 、 も し 独 立 科 学 で あ る と す る な ら ば 、 隣 接 す る 諸 個 別 科 学 から 区 別 さ れる 学 問 とし ての固 有 性 は何 なの か等 々 、 教 育 学 が個 別 科 学 とし ての 性 格 が あい まい で ある が 故 に 、多 様 な 議 論 を 生 み 出 してきた。なかでも ドイ ツでディルタイ(Wilhelm Ch ristian Lutwig Dilthey, 1833 − 1911 ) を 元 祖 とし て打 ち立 て られた「 精 神 科 学 的 教 育 学 」 は 、ドイ ツ・ ワイ マー ル 共 和 国 時 代 や 第 2 次 世 界 大 戦 の後 、し ば らくの 間 、ドイ ツ の大 学 の教 育 講 座 を支 配 していたが、こ れは「 科 学 的 」な方 法 とは言 っても 「解 釈 学 的 」 な方 法 であり 、どちらかと言 え ば 、や はり 哲 学 的 な方 法 論 を 用 い たも ので

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あ っ た と 言 う1 3 )。 こ の 「 解 釈 学 的 」 方 法 論 に 対 す る 「 方 法 論 の 素 朴 さ 、 非 科 学 性 」 が批 判 さ れ、教 育 学 には「 自 已 の教 育 認 識 の妥 当 性 を つ ね に事 実 と の対 応 にお い て検 証 し 、事 実 に即 し た より 正 確 な認 識 」 にお い て克 服 す る こ とが求 め られた1 4 ) こ う し た 状 況 を 脱 却 す る 意 図 か ら 、 例 え ば ブ レ ツ ィ イ ン カ ( Wolfgang Brezinka, 1928 − ) は『 教 育 学 から教 育 科 学 へ 』 を 著 し てい る 。そこ でのブレ ツィイ ンカ の提 案 は、教 育 学 とい う それまで の伝 統 的 形 式 にお い ては蓄 積 さ れてこ なかっ た教 育 にかかわる 知 識 を 、「 教 育 科 学 」、「教 育 の哲 学 」 、「実 践 的 教 育 学 」 の三 つ の研 究 領 域 に 分 割 す る こ とに よっ て、 「 教 育 学 」 とい う 「 一 つの同 じ 学 問 の内 部 で科 学 的 目 標 と哲 学 的 、実 践 的 目 標 とが互 いに混 じり 合 っ て追 求 さ れてき た とき より も 、各 部 門 の ね らい とす る 異 なっ た課 題 が かな り首 尾 よく達 成 できるようになる」とい う確 信 を基 にしたも のであっ た1 5 )。そして そこ で採 用 さ れた方 法 が、教 育 現 象 そのものではなく、教 育 の理 論 を 対 象 と する 「教 育 理 論 の批 判 的 ・ 規 範 的 理 論 」も しくは簡 潔 に「 教 育 のメ タ理 論 」で あった1 6 ) 。 こ う し た「 教 育 のメ タ理 論 」 とい う 方 法 論 によっ て、「 教 育 学 」 は批 判 的 に検 討 さ れ、その一 つ とし て「 教 育 科 学 」 の成 立 の必 要 性 が提 唱 された。ブレ ツィ イ ン カ が それ ま で の 教 育 学 の 現 状 を ど の よ う に捉 え てい た の か につ い て 、新 井 は以 下 の点 を 指 摘 し ている。それによれば、第 一 に、教 育 現 実 についての 正 確 な( 厳 密 に言 え ば 確 度 の高 い ) 知 識 の 提 供 が 少 な かっ た ため 、知 識 獲 得 の方 法 が自 覚 さ れず に、し た がっ てまた 発 達 し なかっ たこ と、第 二 に、ある 事 実 につい ての不 確 かな認 識 にも とづい て、別 のより 複 雑 な事 実 を 説 明 し よ う とす れば 、そ の説 明 は どう し ても 恣 意 的 に ならざる を 得 なかっ たこ と 、そし て 第 三 に 、一 お よび 二 の帰 結 とし て 、実 践 の ため の有 効 なプ ログ ラムを 提 示 し 1 3 ) N. ケーニヒ (K. ルーメル、江 島 正 子 訳 )(1980)、教 育 科 学 理 論 、学 苑 社 、p. Ⅰ. 1 4 ) 高 橋 勝 (1977)、W .ブ レツ ィンカの「教 育 科 学 論 」のも つ意 義 −教 育 研 究 における 科 学 と イ デオ ロギーの問 題 をめぐ って、教 育 哲 学 研 究 、No. 35、pp. 32-52. 1 5 ) W . ブ レツ ィンカ(小 笠 原 道 雄 監 訳 )(1990)、教 育 学 か ら教 育 科 学 へ―教 育 のメタ理 論 ―、玉 川 大 学 出 版 部 、pp. 39- 40.

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得 なかっ たこ とである1 7 )。確 かに、教 育 事 実 を 正 確 に認 識 す るこ とは教 育 問 題 解 決 のため の端 緒 であろう 。それ故 、「 教 育 学 の科 学 化 」 によってそれらの 知 識 を 理 論 化 し 体 系 化 す れば 、 教 育 問 題 解 決 に 向 け た 「 実 践 の ため の 有 効 なプロ グラ ム」 を 提 供 し う る とす る 「 教 育 科 学 」 そのも の に対 す る 信 頼 は 、こ うした方 法 によって物 理 学 が成 し 遂 げ てきた成 果 を 省 みる までも なく、絶 大 な ものであったと考 え られる。それはまた、科 学 の方 法 論 に準 拠 し て導 き 出 され た理 論 の体 系 化 を 行 なうことこ そが、「教 育 学 」を「教 育 科 学 」という社 会 的 に 認 知 された学 問 へ と誘 う刺 激 であるとともに、また求 める方 向 性 であった。 ブ レ ツ ィ イ ン カ に お け る 「 メ タ 理 論 」 的 方 法 は 、 先 に も 述 べ た よ う に 「 教 育 学 」 に向 け られたも のであっ た。し かし ながら 問 題 は、そこ に留 まる も のではな い 。 す な わ ちこ の 「 教 育 科 学 」 の 成 立 の た め の 「 科 学 的 方 法 」 に 対 す る 「 メ タ 理 論 」 も ま た 、実 は 問 わ れ る べ き 問 い で あっ た。 確 かに ブレ ツ ィイ ンカ も 、「 科 学 的 方 法 の一 般 原 則 は、決 し て誤 り を 含 ま ない も のではない 」 とい う こ とを 前 提 にし ているものの、「多 くの学 問 で、科 学 的 方 法 を 通 してす でに獲 得 さ れて い る 諸 知 識 の こ と を 考 慮 す る な ら ば 、 教 育 . . 問 題 の 解 明 と 解 決 も 、 や は り こ の 方 法 を 適 用 するこ とによっ てなさ れるのではないか」 という記 述1 8 )からする なら ば、「科 学 的 方 法 」に対 する期 待 は大 なるものであっ た。 こ れら のこ と か ら推 測 す る な らば 、あ らゆ る 学 問 にお い て 「 科 学 的 方 法 」 に 準 拠 す る こ と は、 学 問 と し て そ の信 頼 度 を 高 め る ため にも 、あ る い はそこ か ら 生 じる社 会 的 あるい は学 問 的 に認 知 される ためにも 、避 け て通 ることのでき な い「方 法 論 」であったと言 わざるを得 ない 。 ス ポー ツ科 学 者 にお い ても 、「 科 学 的 方 法 」 に準 拠 し たス ポー ツ科 学 へ の 学 問 的 信 頼 に は 大 な る も の が あ る 。す な わ ち ス ポ ー ツ を 科 学 的 に 研 究 す れ ば 、 そ れ ら の成 果 に よっ て 「 勝 利 を も た らす 」 、 ある い は 「 健 康 な 身 体 を 培 う 」 ため の諸 知 識 を得 るこ とができ るという ス ポー ツ科 学 の「 科 学 的 方 法 」 に対 す る 期 待 の前 提 に は、人 間 の発 す る 問 い す べ てに対 し て、科 学 的 に探 求 す る 1 7 ) 新 井 保 幸 (1978)、教 育 学 の科 学 的 性 格 について−W . ブレツ ィンカ『教 育 学 か ら教 育 科 学 へ』私 註 −、人 文 論 究 、北 海 道 教 育 大 学 函 館 人 文 学 会 編 、第 38 号 、 pp. 5-6. 1 8 ) W . ブ レツ ィンカ(1990)、前 掲 書 、p. 48.

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ことによっ て解 答 を 与 える ことができ るという 前 提 があると考 えられる 。し かしな がらこう し た前 提 がそのまま、ス ポー ツ現 象 の文 化 的 高 まりや ス ポー ツ科 学 の 学 問 的 充 実 と直 結 す る と仮 定 す る こ とは、 可 能 なのであろう か。とり あえ ず 言 え る こ とは、 科 学 オ リン ピッ ク と称 さ れた 東 京 オ リン ピッ ク は、 電 子 機 器 等 に お け る 「 科 学 技 術 」 に お け る 成 功 で あ っ た 。 に も か か わ ら ず 、 毎 日 新 聞 の 「 科 学 の『 選 手 』 」 とい う 見 出 し に見 られる よ う に、い わ ゆ る 「 機 器 」 による 成 功 が「 選 手 」もまた科 学 によって強 化 さ れ「 大 会 の成 功 」へ 導 いたという すり替 え が 、どこ か で成 さ れ たとい う こ と で ある 。 ま た それ は 後 述 す る よう に、 今 日 にお いても 見 出 す こ とができ るというこ とを 我 々 は看 過 する ことはでき ない 。こ うし た 「事 実 誤 認 」 によって、ス ポー ツ科 学 に対 す る期 待 は、大 き な世 論 とし て形 成 されやすい側 面 を残 すことになる。 社 会 との関 連 で今 一 度 ス ポー ツ 科 学 の「 学 問 力 」 を 問 う とき 、こ れまでス ポ ーツ科 学 者 の研 究 に対 する 思 考 方 法 がい かなる も のであっ たのかという 問 い もまた検 討 対 象 となろう 。という のも、例 え ば 196 5 年 にノーベル 医 学 生 理 学 賞 を 受 賞 し た ジャコ ブ( Jacob , F ranço is, 1 920- ) は「 学 者 は自 分 に接 近 可 能 と思 わ れる 問 題 、つ まり 正 し い かどう か は 別 にし て 、とも かく自 分 に 解 決 可 能 と思 わ れる なか でい ちば んお も し ろい 問 題 に取 り かかる 」1 9 )と述 べ てい る 。 こ の言 に従 う ならば 、ス ポー ツ経 験 を 持 つ 研 究 者 にとっ て「 ス ポー ツ」 は、「 お も し ろい 問 題 」 で あり 、そ れを 対 象 とす る こ と によっ て「 解 決 可 能 」 な問 題 か ら 取 り 上 げ られてき たのかも し れない 。し かしながらジャコ ブはさ らに付 け 加 え て 「科 学 的 方 法 とは、存 在 しうるも のを 、存 在 するものと絶 えず 突 き合 わ せるとこ ろにある」2 0 )と述 べる。果 たし てスポー ツ科 学 者 は「 存 在 しうるも の」と「 存 在 す るも の」 を 見 極 め た上 で、スポー ツを 研 究 対 象 とし て来 たと言 える であろうか。 ある い は、「 存 在 し う る も の」 を 越 え 「 存 在 し て欲 し い も の」 を 求 め て 、ス ポ ー ツ 科 学 者 はただ闇 雲 に「 科 学 的 探 究 の継 続 が真 理 に到 達 す る 」 とい う方 法 論 に絶 大 なる 信 頼 を 置 き 、そ の科 学 的 方 法 に「 自 分 に解 決 可 能 と思 わ れる な 1 9 ) F. ジャコブ (原 章 二 訳 )(2000)、ハエ、マウ ス、ヒト−一 生 物 学 者 による未 来 への証 言 、みすず書 房 、p. 5.

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かでい ちば んおもし ろい 問 題 」 をインプッ トす ることで研 究 結 果 を 導 き出 してき たの では なか ろう か。 そし て その 研 究 成 果 が、 例 え ば ス ポー ツ実 践 の場 にお いてどれほど役 立 つか否 かは別 として、とり あえず「学 問 らしさ」を装 うこ とで満 足 してき たのではない か。社 会 とス ポー ツ科 学 の関 係 を 再 考 するため にも 、ま たス ポー ツ科 学 の真 なる 「 学 問 力 」 を 問 う ため にも 、まず はス ポー ツ科 学 者 が 自 ら 採 用 す る 「 科 学 的 方 法 」 と は何 である のかを 問 う こ とが 求 め られる で あろ う。 これまで述 べ てきたこ とから言 えるこ とは、科 学 は、近 代 という 時 代 を 形 成 し つつ 世 界 的 な規 模 で拡 大 し てき たこ とであり 、そこ から導 き出 さ れた帰 結 は、 学 問 と し て の 正 当 な 資 格 は 科 学 だけ に 認 め よ う と す る 考 え 方 が 一 般 的 に な っ たと言 う こ とである 。そし てこ れからも また、 学 問 の基 準 とし て重 要 な 位 置 を 占 め る こ とに なる であ ろう 。 す なわ ち 理 論 的 なす べ て の学 問 にとっ て 、科 学 と しての方 法 と体 裁 を整 えるこ とが理 想 とさ れねば ならない のである 。こ のことは ス ポー ツ科 学 にお い ても 例 外 ではない 。では、こ う し た科 学 主 義 全 盛 の時 代 に お い て、 ス ポー ツ 科 学 そ の も のを 疑 う と い う よ う な 問 題 はい か に し て 検 討 し ていくことが可 能 であろうか。 山 本 は「 形 而 上 学 の可 能 性 」という 論 文 の冒 頭 におい て以 下 のよう に述 べ てい る 。「 こ の 論 文 では 主 とし て科 学 を 相 手 どっ て 議 論 が進 め ら れる 。 より 正 確 にい え ば 、 相 手 は 科 学 そ のも の で はな く 、科 学 的 知 識 を 絶 対 化 す る 考 え 方 、す なわ ち、世 界 につい ての真 の知 識 は科 学 とし てのみ 得 られ、それに尽 き る とい う 考 え 方 である 」2 1 )。こ の科 学 に対 する まなざし、、、、こ そが、ス ポー ツ科 学 へ の 視 点 、 す なわ ち ス ポ ー ツ 科 学 を < 外 > から な がめ る 視 点 の 必 要 性 を 示 唆 するものである。 このス ポー ツ科 学 を< 外 > からながめる 視 点 つい ては、後 に検 討 する 樋 口 の論 文 に詳 しい 。それは「ス ポー ツ科 学 」 における< 内 > における 問 題 は、そ の< 内 > において解 決 される も のではなく、当 該 の学 問 の<外 > における 視 点 からの問 題 とし てとり あげ られる べ き であり、それを なし う る 可 能 性 を 持 つ の 2 1 ) 山 本 信 (1977)、形 而 上 学 の可 能 性 、東 京 大 学 出 版 会 、p. 226.

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が「ス ポー ツ科 学 論 」である という 指 摘 である2 2 )。そしてこうし た研 究 方 法 その も のを 問 う 、いわ ゆる 「メ タ」 的 な問 い は、ス ポー ツ科 学 者 自 身 におい てなされ う る も のではなく 、こ れまで の科 学 にお い ても そう であっ たよう に 、哲 学 的 な視 点 か ら の 問 い が 求 め ら れ る の で あ る 。 そ し てそ れ は 、 ス ポ ー ツ 科 学 が 科 学 の 一 分 野 であろう とす る 限 り にお い て、そこ に はどの よう な限 界 が存 在 す る の か を まず は 問 う こ と であ り 、こ の 限 界 を 明 ら か にす る こ と によ っ て 、ス ポー ツ科 学 の可 能 性 を求 めることができると考 え られる。 以 上 を 動 機 とし 、 本 研 究 の 目 的 は 、 ス ポ ー ツ 科 学 論 の 展 開 を 目 指 し 、哲 学 の一 分 野 である 科 学 論 ( 科 学 哲 学 ) の視 点 から、科 学 を 絶 対 視 す る 科 学 観 を 相 対 化 し つ つ 、ス ポー ツ科 学 の限 界 を 明 らかにし 、そ れを 踏 まえ た上 で これからのスポー ツ科 学 の可 能 性 を 考 察 す ることにある。

第 二 節 先 行 研 究 の 検 討

今 日 における「 科 学 論 (Science Stud ies)」 という用 語 は、科 学 史 、科 学 哲 学 、科 学 社 会 学 などを包 括 する 総 称 として用 いられている2 3 )。科 学 論 は、科 学 哲 学2 4 )を その 端 緒 とし てい る わ け である が 、後 に科 学 史 や 科 学 社 会 学 と い う 研 究 手 法 に よ っ て 、 科 学 実 験 に 利 用 さ れ る 器 具 の 史 的 考 察 や 科 学 者 集 団 を研 究 対 象 とし ても展 開 さ れてきている 。 「 ス ポー ツ 科 学 の 限 界 と 可 能 性 」 に つ い て 科 学 論 の 視 点 か ら論 じ よ う と す る 本 研 究 に 直 接 関 わ る 先 行 研 究 とし ては 、 『 体 育 科 教 育 』 に連 載 さ れ た「 ス 2 2 ) 樋 口 聡 (1999)、前 掲 書 、pp. 42-46.参 照 。 2 3 ) 野 家 啓 一 (2002)、現 代 科 学 論 と サイエ ンス・ウ ォーズ、情 況 出 版 編 集 部 編 、科 学 ・ 環 境 ・生 命 を読 む、情 況 出 版 、p. 32. 2 4 ) D. ルクールによれば、フランス語 で 「科 学 哲 学 」という連 語 を作 ったのは、アンド レ=マ リ ー・アンペール(1775-1836)の『科 学 哲 学 についての試 論 、あるいは 、あらゆる人 間 認 識 の自 然 なクラス分 けについての分 析 的 提 示 』 (1834)で あり、同 じ 頃 、オ ーギ ュスト ・コント も ま た科 学 哲 学 と いう連 語 を使 用 し ている。一 方 、イ ギリ スにおいては 、 1840 年 にウ ィリ アム・ヒ ューウ ェ ル(1794-1866)が『そ の歴 史 に基 づく帰 納 的 諸 科 学 の哲 学 』(1840)の最 終 見 地 において科 学 哲 学 が登 場 し たと している(D. ルクール (沢 崎 壮 宏 、竹 中 利 彦 、三 宅 岳 史 訳 )(2005)、科 学 哲 学 、白 水 社 、pp. 20-22.参

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ポー ツ科 学 論 序 説 」2 5 )を あげ る こ と が でき る 。 こ の「 ス ポ ー ツ科 学 論 序 説 」 で は 、 「 ス ポ ー ツ 科 学 論 」 を 「 ス ポ ー ツ 科 学 の 本 質 や 意 義 に 関 す る 哲 学 的 考 察 」2 6 )と捉 え、その構 想 は、 ① 「 体 育 学 」 とい う 学 問 の 枠 組 み にお い て 誕 生 し 、 発 展 し てき た 我 が 国 の ス ポー ツ 科 学 の 歴 史 的 な系 譜 を 辿 り 、現 在 の ス ポ ー ツ科 学 が置 か れて い る 状 況 を 生 み 出 し た歴 史 的 背 景 を 、イ メー ジの問 題 も 絡 め ながら探 る 2 7 ) 、 2 8 ) 、 2 9 ) ② ス ポー ツ科 学 が 問 題 にし よう とす る テー マ は、多 かれ 少 なかれ広 い 意 味 での「 トレ ーニ ング」 に関 わるも のである が、そのトレ ーニ ングとは、身 体 に 対 す る 人 為 的 な働 き かけ ( = 身 体 へ の加 工 技 術 ) であり 、ス ポー ツ科 学 が人 間 の身 体 を ど の よう に見 てい る のか 、 その 「 ま なざし 」 の質 を 考 察 す る3 0 ) 、 3 1 ) 、 3 2 ) ③ス ポー ツ科 学 は役 に立 つ のかとい ったテー マとの関 連 で、理 論 と実 践 の 関 係 の 問 題 を 取 り 上 げ る 。 理 論 知 と 実 践 知 と い う 「 知 」 の 種 類 を 取 り 上 げ る 。 理 論 知 と 実 践 知 とい う 知 の「 種 類 」 を 考 察 す る が 、そ う い っ た 知 に ついての見 方 の基 本 ・源 流 を探 る3 3 ) 、 3 4 ) 、 3 5 ) 2 5 ) 「スポ ーツ 科 学 論 序 説 」は 、「体 育 科 教 育 」において、第 46 巻 第 6号 (1998 年 4月 ) か ら、第 2000 年 3月 号 ま で、2年 間 に渡 って連 載 された。 2 6 ) 樋 口 聡 (1998a)、序 論 科 学 論 の意 義 、スポーツ科 学 論 序 説 :①、体 育 科 教 育 、第 46 巻 6号 、p. 63. 2 7 ) 樋 口 聡 (1998b)、イ メージの生 成 −わが国 におけるスポ ーツ 科 学 の誕 生 Ⅰ、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :②、体 育 科 教 育 、第 46 巻 8号 、pp. 57-59. 2 8 ) 樋 口 聡 (1998c )、イ メージの生 成 −わが国 におけるスポ ーツ 科 学 の誕 生 Ⅱ、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :③、体 育 科 教 育 、第 46 巻 9号 、pp. 51-53. 2 9 ) 樋 口 聡 (1998d)、イ メージの生 成 −わが国 におけるスポ ーツ 科 学 の誕 生 Ⅲ、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :④、体 育 科 教 育 、第 46 巻 10 号 、pp. 54-56. 3 0 ) 新 保 淳 (1998a)、スポ ーツ 科 学 における身 体 への「ま なざし 」の質 (Ⅰ)、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑤、体 育 科 教 育 、第 46 巻 12 号 、pp. 63-65. 3 1 ) 新 保 淳 (1998b)、スポ ーツ 科 学 における身 体 への「ま なざし 」の質 (Ⅱ)、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑥、体 育 科 教 育 、第 46 巻 13 号 、pp. 45-47. 3 2 ) 新 保 淳 (1998c )、スポ ーツ 科 学 における身 体 への「ま なざし 」の質 (Ⅲ)、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑦、体 育 科 教 育 、第 46 巻 14 号 、pp. 57-59. 3 3 ) 林 英 彰 (1998a)、実 践 知 の立 場 か らと らえ たスポーツ 科 学 (Ⅰ)−ディレンマ−、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑧、体 育 科 教 育 、第 46 巻 16 号 、pp. 61-63. 3 4 ) 林 英 彰 (1998b)、実 践 知 の立 場 か らと らえたスポーツ 科 学 (Ⅱ)−理 論 知 の囲 い込 みと 科 学 の逸 脱 −、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑨、体 育 科 教 育 、第 46 巻 18 号 、

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④ 運 動 生 理 学 と い っ たス ポ ー ツ 科 学 の 具 体 的 な 試 み を 取 り 上 げ 、ス ポー ツ科 学 の内 部 の問 題 からスポーツ科 学 が有 している学 問 的 前 提 や性 格 を明 らかにする3 6 ) 、 3 7 ) 、 3 8 ) ⑤ ス ポー ツ科 学 の具 体 的 な内 容 か らは離 れ、ス ポー ツ科 学 を 一 つ の人 間 の営 み と見 なし 、職 業 とし て のス ポー ツ科 学 の側 面 に 光 を 当 てる 。学 問 、 研 究 、 教 育 の 内 容 云 々 で は な く 、 ス ポー ツ科 学 者 そ し て 広 く 学 校 教 育 の教 師 も 含 めた体 育 関 係 者 という人 々が構 成 する一 種 の利 益 集 団 をめ ぐる諸 問 題 を 考 察 する3 9 ) 、 4 0 ) 、 4 1 ) ⑥「 ス ポー ツ科 学 論 」 は「 科 学 論 」を その理 論 的 背 景 とし て見 据 え てい る が、 ス ポー ツ 科 学 論 で指 摘 さ れる こ と がら が、 決 し てス ポー ツ科 学 や 体 育 学 だけに特 有 の問 題 ではなく、学 問 全 体 の流 れや動 きと無 関 係 でないこと を 示 す ため に、一 般 の科 学 史 ・ 科 学 社 会 学 の視 点 からス ポー ツ科 学 に も適 用 可 能 な理 論 装 置 を検 討 する4 2 ) 、 4 3 ) 、 4 4 ) ⑦ス ポー ツと同 様 に実 践 を含 んだ領 域 とし て特 に芸 術 を 取 り 上 げ 、その学 問 的 考 察 で あ る 美 学 に 着 目 し 、 近 代 日 本 に お け る 学 問 の 受 容 と 成 立 pp. 60-62. 3 5 ) 林 英 彰 (1999)、実 践 知 の立 場 か らと らえたスポーツ 科 学 (Ⅲ)−スポ ーツ 科 学 は 《役 に立 つ》のか ?−、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑩、体 育 科 教 育 、第 47 巻 1号 、 pp. 62-64. 3 6 ) 中 村 好 男 (1999a)、無 酸 素 性 閾 値 にみる科 学 的 データの恣 意 性 −呼 吸 データ計 測 における先 入 見 の役 割 −、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑪、体 育 科 教 育 、第 47 巻 3号 、 pp. 53-55. 3 7 ) 中 村 好 男 (1999b)、無 酸 素 性 閾 値 にみる科 学 的 データの恣 意 性 Ⅱ−閾 値 判 定 の 恣 意 性 −、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑫、体 育 科 教 育 、第 47 巻 4号 、pp. 60-62. 3 8 ) 中 村 好 男 (1999c )、無 酸 素 性 閾 値 にみる科 学 的 データの恣 意 性 (Ⅲ)−理 論 構 築 の恣 意 性 −、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑬、体 育 科 教 育 、第 47 巻 5号 、pp. 60-62. 3 9 ) 小 林 勝 法 (1999a)、スポ ーツ 科 学 研 究 の職 業 集 団 の誕 生 (Ⅰ) 職 業 と してのスポ ーツ 科 学 、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑭、体 育 科 教 育 、第 47 巻 7号 、pp. 44-46. 4 0 ) 小 林 勝 法 (1999b)、スポ ーツ 科 学 界 の急 成 長 と学 術 界 か らの認 知 職 業 とし てのス ポ ーツ 科 学 、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑮、体 育 科 教 育 、第 47 巻 9号 、pp. 51-53. 4 1 ) 小 林 勝 法 (1999c )、後 継 者 の養 成 と 採 用 職 業 と し てのスポ ーツ 科 学 、スポーツ 科 学 論 序 説 :⑯、体 育 科 教 育 、第 47 巻 11 号 、pp. 68-69. 4 2 ) 成 定 薫 (1999a)、ディシプ リ ン・パラダイ ム・ルール スポ ーツ と 科 学 の間 、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑰、体 育 科 教 育 、第 47 巻 12 号 、pp. 57-59. 4 3 ) 成 定 薫 (1999b)、ノーベル賞 と オリ ンピック スポ ーツ と 科 学 の間 、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑱、体 育 科 教 育 、第 47 巻 13 号 、pp. 69-71. 4 4 ) 成 定 薫 (1999c )、不 正 /逸 脱 行 為 と 倫 理 スポーツ と 科 学 の間 、スポ ーツ 科 学 論 序

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過 程 からスポー ツ科 学 の問 題 を浮 き彫 り にする4 5 ) 、 4 6 ) とい う も のであっ た4 7 )。こ れらの構 想 に沿 い 、それぞ れの論 者 によっ てテー マ ごとに議 論 が展 開 さ れたが、樋 口 は「連 載 の諸 論 文 の概 略 を振 り返 る だけ で、 さ まざまな問 題 の広 がり が見 え てくる 」 とし 、 「 それらは、新 たな 考 察 が展 開 す る 出 発 点 で あ る 。 そ こ に す で に 科 学 論 の 可 能 性 は 示 唆 さ れ て い る だ ろ う 」 と 総 括 し ている4 8 )。こ のこ とからも 、こ れら一 連 の論 文 は、「 ス ポー ツ科 学 論 」 へ と誘 う先 行 研 究 とみなすことができるであろう 。 一 方 で、本 研 究 で対 象 とす る ス ポー ツ科 学 は、その出 自 にお い て体 育 学 と密 接 な関 わりを 持 つ。それ故 、体 育 学 や スポーツ科 学 に関 し てその自 律 的 、 発 展 的 個 別 科 学 とし て成 立 さ せるこ とを 目 指 し た「 学 問 論 」 に関 しては、これ までも 数 多 く論 じ られてき た 。中 でも 『 体 育 の科 学 』 に連 載 さ れ た、「 ス ポー ツ 科 学 の 体 系 化 と名 称 問 題 」4 9 )シリー ズに お い ては、 学 問 にお け る 「 名 称 」 が 、 そ の 領 域 に お け る 研 究 対 象 を 特 定 す る と とも に 、 他 の 研 究 領 域 と の 差 異 を 確 定 するとい う意 味 におい て重 要 な意 味 を 持 つ という 視 点 から展 開 された議 論 である。 またス ポー ツ科 学 の「 科 学 性 」 に対 す る 批 判 から提 出 さ れた「 モル フォロギ ー 」 概 念 に関 連 す る 金 子 明 友 の一 連 の文 献5 0 )も 、運 動 学 を 中 心 とし たス ポ ーツ科 学 批 判 を前 提 にし た独 自 の理 論 展 開 がそこ にはある。 さ らには 英 米 語 圏 にお い て 近 年 出 版 さ れ たス ポー ツ に関 す る 科 学 哲 学 関 係 の先 行 研 究 としては、唯 一 、マクナ ミー( McNamee, M . J.)によって編 集 さ 4 5 ) 青 木 孝 夫 (2000a)、藝 術 ・スポ ーツ ・演 劇 変 身 する身 心 文 化 (そ の一 )、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :⑳、体 育 科 教 育 、第 48 巻 1号 、pp. 74-76. 4 6 ) 青 木 孝 夫 (2000b )、 文 物 文 化 ・ パフ ォーマ ン ス・ 藝 能 変 身 す る身 心 文 化 (そ の 二 )、 スポ ーツ 科 学 論 序 説 :21、体 育 科 教 育 、第 48 巻 3 号 、pp. 53-55. 4 7 ) 樋 口 聡 (1998)、前 掲 書 、pp. 63-64. 4 8 ) 樋 口 聡 (2000)、科 学 論 の可 能 性 −連 載 のまとめと 展 望 −、スポ ーツ 科 学 論 序 説 : 22、体 育 科 教 育 、第 48 巻 4 号 、p. 50. 4 9 ) 「体 育 の科 学 」(第 41 巻 6号 (1991)か ら第 42 巻 1号 (1992))ま で 8回 連 載 さ れた。 5 0 ) 金 子 の文 献 と し ては 、例 えば、金 子 明 友 (1997)、モ ルフォロギ一 、宮 本 省 三 ・沖 田 一 彦 選 、運 動 制 御 と 運 動 学 習 、協 同 医 書 出 版 社 .,金 子 明 友 、朝 岡 正 雄 編 (1990)、運 動 学 講 義 、大 修 館 書 店 .,金 子 明 友 (2002)、わざの伝 承 、明 和 出 版 . 等 があげられる。

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れた Philosophy and the sciences of exercise, health and sport : crit ica l perspectives on research methods (2005)を挙 げることができよう。これにつ いては、カー ウィン(Carwy n R. J.)が、スポーツ哲 学 の国 際 誌 である Jo urnal of the Philosop hy of Sp ort の Vol.33(20 0 6)誌 上 で「こ の書 籍 は、スポー ツ に 関 連 す る 様 々 な 研 究 方 法 の 文 献 に 対 し て、 遅 れ て加 わ っ た 書 籍 で ある 」 5 1 ) と述 べ ている よう に、「科 学 批 判 」 とい う視 点 から編 集 さ れたも のであると考 えられる。し かしながら、冒 頭 のマクナミー とパリー(Pa rry , J.)の二 編 以 外 は、 自 ら かか わ り を 持 つ 各 ス ポ ー ツ 諸 科 学 の 分 野 にお い て 、 そ の 研 究 成 果 のス ポーツ現 象 への影 響 を批 判 的 に論 じ た考 察 が散 見 されるだけ である。 以 上 の 先 行 研 究 は 、 「 ス ポ ー ツ 科 学 」 ( 「 体 育 学 」 を 含 め た ) を 学 問 と し て 自 律 さ せることに向 けた検 討 である か、ある いは「 スポー ツ科 学 」そのも のを否 定 す る こ と によ っ て 、新 た な「 運 動 学 」 の 設 立 に向 け た 検 討 である 。 ある い は また、「 学 問 論 」とし ての「 科 学 批 判 」 ではなく、ス ポー ツ科 学 の研 究 成 果 が、 ス ポー ツとい う 現 象 そ のも の に与 え た 影 響 に関 す る 研 究 で あり 、そ れ故 、「 ス ポー ツ 科 学 の限 界 と可 能 性 」 につ い て 科 学 論 の視 点 か ら論 じ よう と す る 、本 研 究 に直 接 関 わ る 先 行 研 究 は、 ほと ん どな さ れてき て はい ない と言 え る であ ろう。 本 研 究 とその研 究 方 向 を同 一 である と見 做 すことができる 関 連 論 文 とし て は、岸 野 雄 三5 2 ) 、 5 3 )や佐 藤 臣 彦5 4 ) 、 5 5 )による スポーツ科 学 ( あるい は 体 育 < 科 > 学 ) の体 系 化 を 目 指 すため の「基 礎 付 け」 としての科 学 論 や 、樋 口5 6 ) 、

5 1 ) Carwyn, R. J. (2006): Review; M c Nam ee, M . J. (Ed. ) (2005).P hilosophy and the sc ienc es of exerc ise, health and sport : c ritic al perspec tives on resea rc h m ethods,L ondon ; New York : Routledge., Journal of the P hilosophy of Sport , Vol. 33, 218. 5 2 ) 岸 野 雄 三 (1977)、スポ ーツ 科 学 と は 何 か 、朝 比 奈 一 男 、水 野 忠 夫 、岸 野 雄 三 他 編 、 スポ ーツ の科 学 的 原 理 、大 修 館 書 店 、pp. 78-133. 5 3 ) 上 掲 の 論 文 は 、岸 野 が専 門 と する研 究 手 法 が歴 史 学 で あるこ とか ら、ま た、こ のシリ ー ズの冒 頭 におけ る論 文 で あ るこ と か ら、そ こ には スポ ーツ 科 学 史 も ま た含 ま れ ているが 、 こ のシリーズの性 格 と そ の論 文 の位 置 づけか らし て、スポ ーツ 哲 学 の視 点 を含 むも の で あると 考 え られる。 5 4 ) 佐 藤 臣 彦 (1999)、体 育 学 の対 象 と 学 的 基 礎 、体 育 学 研 究 、第 44 巻 第 6号 、 pp. 483-492. 5 5 ) 佐 藤 臣 彦 (2000)、前 掲 書 、pp. 433-442.

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5 7 ) 、 5 8 )に よ る ス ポー ツ 科 学 批 判 、 ある い は ス ポー ツ 科 学 の 科 学 論 的 展 開 に 向 け た「 序 説 」 を 見 出 す こ と ができ る のみ で ある 。し か し な がら 、こ れ らの 諸 論 文 に加 え て 、先 に 挙 げ た 「 ス ポー ツ 科 学 の 体 系 化 と名 称 問 題 」 シ リ ー ズ 、並 び に金 子 の「 モル フォロギー 」 概 念 等 に関 し ては、本 研 究 を 展 開 す る 上 で関 連 す る 内 容 を 含 み 、かつ ス ポー ツ科 学 の今 後 を 考 え る ため の方 向 性 を 示 唆 するものである ため、第 二 章 において論 じ られる。

第 三 節 研 究 の 方 法 と 論 文 の 構 成

本 研 究 は、ス ポー ツ科 学 の限 界 と 可 能 性 を 明 らかにす る も のである 。それ 故 、その方 法 としては、哲 学 の一 分 野 である科 学 論 ( 科 学 哲 学 ) の視 点 を 踏 まえ、その視 点 の必 然 性 を考 慮 しつつ考 察 が展 開 さ れる。 で は 、 こ こ で 言 う 「 科 学 論 の 視 点 」 と は 、 何 を 意 味 す る の で あ ろ う か 。 先 に 引 用 し た山 本 の言 葉 を 今 一 度 引 用 す るならば 、それは「 科 学 的 知 識 を 絶 対 化 する 考 え方 、す なわち、世 界 につい ての真 の知 識 は科 学 とし てのみ得 られ、 それに 尽 き る とい う 考 え 方 」 を 如 何 にし て 相 対 化 す る か とい う こ とである 。 そし てその ため に は「 哲 学 」 が有 し てい る 「 批 判 力 」 を 持 っ て 当 たる のが 妥 当 であ ると考 える。 また、 本 研 究 にお け る 研 究 対 象 は 、「 ス ポ ー ツ科 学 」 の成 果 が 「 ス ポー ツと い う 現 象 に与 え た 影 響 」 に ある ので はない 。 実 際 、ス ポー ツ科 学 がも たらし た 「 知 」 は 、ス ポ ー ツ現 象 に 様 々 な 影 響 を 与 え てい る こ とは事 実 である 。それ は 例 え ば 、ドーピング問 題 や ス ポー ツ記 録 更 新 のため に開 発 さ れたス ポー ツ用 具 の功 罪 等 々 、批 判 の対 象 として様 々 なス ポーツ現 象 を あげるこ とができよう。 しかしながら、こ の論 文 はそうした問 題 を 対 象 とする のではなく、ス ポー ツ現 象 に影 響 を 及 ぼ す 「 ス ポー ツ科 学 」 とい う 「 知 の生 産 母 体 」 そのも のを 批 判 的 に 第 43 号 、pp. 135-144. 5 7 ) 樋 口 聡 (1995)、スポ ーツ 科 学 論 序 説 :(Ⅱ)イ メージの生 成 、広 島 大 学 教 育 学 部 紀 要 第 二 部 、第 44 号 、pp. 113-123. 5 8 ) 樋 口 聡 (1999)、前 掲 書 、pp. 42-46.

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検 討 するこ とにある 。そしてそこ から生 じる 問 いは、ス ポーツに結 び付 けられる 「 科 学 」 と はい か なる も の である のか とい う も ので あり 、 それ はま た「 ス ポー ツ科 学 に お い て 語 られ た こ と につ い て 語 る 」 、 あ る い は「 ス ポ ー ツ科 学 の 語 り 方 に ついて語 る」という<メタ>的 な視 点 からの考 察 であることになる。 この科 学 に対 するまなざし 、、、、 を問 うことは、こ れまでの科 学 においても そうであ ったよう に、哲 学 的 な視 点 からの問 い が必 然 的 に求 め られる 。それはまた、ス ポ ー ツ 科 学 を 科 学 論 的 視 点 か ら 問 い 直 す こ と に よ っ て 、 ス ポ ー ツ 科 学 が 科 学 の一 分 野 であろう とす る 限 り にお い て、そこ にはどのよう な限 界 が存 在 す る のかを明 らかにしてくれると考 えられる 。 以 上 を 模 式 化 し たの が 図 1 である 。す なわ ちス ポ ー ツ 科 学 が 「 ス ポ ー ツ」 と い う 現 象 を 研 究 対 象 と す る こ と によっ て 、そ こ に 現 れ てい る 諸 様 相 を 批 判 的 に検 討 ( 主 に 人 文 ・ 社 会 科 学 的 な方 法 を 用 い る 個 別 科 学 ) す る 。ある い は、 そ れ ら諸 様 相 に お け る 個 人 的 技 能 の 「 技 術 化 」 、さ ら に は ス ポ ー ツを す る 身 体 組 織 ・ 機 能 の 「 理 論 化 」 ( 主 に 自 然 科 学 的 な 方 法 を 用 い る 個 別 科 学 ) を 目 的 とす る ならば 、ス ポー ツ科 学 論 は、そうし た「 理 論 」 を 生 み 出 す 研 究 方 法 そのも のを 対 象 とするこ とになる。また、こうし たス ポー ツ科 学 という 方 法 によっ て産 出 さ れる 知 的 成 果 である 「理 論 」 とはどのような特 性 を 有 する のかについ ても 考 察 の対 象 と なる 。そし てそ れは 「 理 論 」 と「 実 践 」 の関 係 を 批 判 的 に検 討 することによって明 らかにされると考 えられる。 図 1:スポー ツ−スポーツ科 学 − スポーツ哲 学 (スポーツ科 学 論 ) の 位 置 関 係 と本 研 究 の研 究 対 象5 9 ) 5 9 ) 本 図 は 、樋 口 (樋 口 聡 (1994)、前 掲 書 、p. 138.)の「スポ ーツ −スポ ーツ 科 学 −スポ

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こ う し た視 点 から、 第 一 章 で は、「 科 学 」 とい う 一 つ の「 知 」 に至 る 系 譜 を 辿 る こ と に よ っ て 、 あ る い は ま た そ こ に 至 る 問 い の 形 式 を 辿 る こ と に よっ て 、 「 科 学 」 と い う 「 知 」 と は ど の よ う な も の で あ る の か 、 換 言 す る な ら ば 「 科 学 」 と い う 「 知 」 の 特 殊 性 につ い て検 討 す る 。そ し て 、 近 代 科 学 が 誕 生 す る こ と で登 場 した科 学 論 とはどのようなも のである のかについ て、こ れまでの科 学 論 の視 点 からス ポー ツ科 学 を考 察 するため の基 盤 を 構 成 する ために、その検 討 を試 み る。 まず 「 知 」 の系 譜 を 辿 る ため に、オー ギュ ス ト ・ コ ントの「 三 段 階 の 法 則 」 、す なわ ち神 学 あるい は虚 構 の段 階 、つい で形 而 上 学 あるい は抽 象 の段 階 、最 後 に科 学 あるい は実 証 の段 階 という 「 人 間 の思 索 の三 つ の理 論 段 階 」をも と に、それぞれの段 階 から次 の段 階 へ と変 遷 するそのプロセス につい て検 討 す る。 次 に 、自 然 哲 学 から 分 離 し 、 その 輪 郭 を 明 確 にす る こ と に よっ て展 開 さ れ てき た「 科 学 」 は、19 世 紀 以 降 、改 め てその方 法 論 的 基 礎 付 け や 、認 識 論 的 基 礎 付 け が 問 わ れる こ とになる 。そ の批 判 的 視 点 の位 置 は、近 代 科 学 の 内 部 、すなわ ちインターナル な視 点 からの批 判 的 検 討 であっ たこ と、さ らには、 科 学 の外 部 、す なわちエクス ターナ ル な視 点 からも また批 判 的 に検 討 さ れて き てい る 。そのため こ こ では、科 学 に対 す る イ ンター ナ ル な批 判 と、科 学 に対 す る エ ク ス タ ー ナ ル な 批 判 の 内 容 に つ い て考 察 す る 。 そ し て そ こ か ら 、 科 学 哲 学 の役 割 と科 学 との関 係 が検 討 される。 第 二 章 では、第 一 章 におい て「 ス ポー ツ科 学 を 考 察 する ため の基 盤 」を 得 る ため に検 討 し た 「 科 学 に対 す る 科 学 論 」 の 視 点 を も と に 、ま た 次 の第 三 章 で「 ス ポ ー ツ科 学 の 限 界 」 につ い て 論 じ る た め に 、そ の 探 求 の方 向 に つ い て 考 察 す る 。具 体 的 に は、こ れまでス ポ ー ツ 科 学 等 の関 連 領 域 に お い て展 開 さ れ てき た 、い わ ゆ る 「 学 問 論 」 に 対 す る 検 討 、及 び 金 子 の 「 モ ル フ ォ ロギ ー 的 思 考 」 、 ス ポー ツ 科 学 に お け る 限 界 を 探 る た め の 探 究 方 向 に つ い て の 検 討 を試 みる。 さ らには科 学 論 の視 点 からス ポー ツ科 学 に つ い て検 討 し た、岸 野 、佐 藤 、 樋 口 それぞ れの論 文 を 資 料 とするこ とによって、ス ポー ツ科 学 の科 学 論 的 検

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討 は、 「 客 観 的 な科 学 = 正 し い 真 理 」 と「 理 論 を 精 緻 なる も の に 仕 立 て あげ てい けば 、実 践 にお い ても 有 効 に働 く」 という ス ポー ツ科 学 者 に対 する 「 啓 蒙 主 義 的 な 科 学 観 の悪 し き 残 滓 」 を 拭 い 去 る こ とが必 要 である こ とを 指 摘 す る 。 こ れら 二 つ の 「 残 滓 」 に 対 し て科 学 論 的 検 討 が なさ れる こ とに よっ て、 ス ポ ー ツ科 学 の限 界 を 描 き 出 すこ とができる と考 え られる 。そし てその限 界 を 描 き出 す こ と がま た 、ス ポー ツ科 学 の可 能 性 を 浮 き 上 が ら せ る こ と にも つ な がる と考 えられる。 こ れら第 一 章 、第 二 章 を 受 け て、第 三 章 では、本 研 究 の目 的 の一 つ であ る 「 ス ポー ツ科 学 の限 界 」 につ い て、「 ス ポ ー ツ科 学 にお け る 客 観 性 の限 界 」 、 「 ス ポ ー ツ科 学 に お け る 理 論 と 実 践 の 関 係 の 限 界 」 、 及 び 「 ス ポ ー ツ 科 学 に お け る 理 論 と実 践 の認 識 論 的 問 題 」 の三 つ の視 点 から科 学 論 を ベ ー ス にし た批 判 的 検 討 を 行 う。 「科 学 」 につ いて批 判 的 に研 究 する多 くの研 究 者 がこ れまで存 在 し 、科 学 哲 学 も また、他 の学 問 領 域 と同 様 に細 分 化 の道 を 歩 んでき てい る 。し かし な がらこれらの「科 学 」を 批 判 的 に論 じる視 点 は、科 学 が「経 験 的 知 識 」 の探 求 であり 、その「経 験 」を 客 観 的 に認 識 するこ とが可 能 であるこ とにまず 向 けられ てき た。とい う のも それは科 学 がそれまでの思 弁 的 学 問 と一 線 を 画 す 重 要 な 論 点 である と見 做 さ れてい る か らで ある 。 そ れ故 、ス ポー ツ科 学 にお い ても 、 まずはこ の「 科 学 の客 観 性 」 に対 する 批 判 的 視 点 からなさ れる必 要 があり、そ れはこれまでの科 学 哲 学 によっ て明 らかにさ れた多 くの成 果 によらざるを得 な いものと考 え られる。 こ のこ とからまず 「 ス ポー ツ科 学 にお け る 客 観 性 から見 た限 界 」 につ い ては、 特 に近 代 科 学 が持 つ 「 主 観 − 客 観 」 とい う 図 式 が対 概 念 とし て成 立 し たにも かかわ らず 、ス ポー ツ科 学 者 にお い て は、ス ポー ツ科 学 とい う 個 別 科 学 の自 律 を 願 うあまり 、「 主 観 」を できる だけ排 除 し 、「 客 観 的 」であろう とするこ とによ って、こ れの概 念 が対 概 念 であるという 理 解 が欠 落 し てい るこ と、また研 究 対 象 の「数 値 化 」 が「 客 観 的 真 理 」を保 証 する ものであるとさ れるにも かかわらず 、 そ の測 定 単 位 の決 定 方 法 か ら 、 「 数 値 化 」 が 即 「 客 観 的 真 理 」 で ある とす る には、根 拠 が希 薄 であるこ とが述 べ られる。さらには研 究 対 象 におけ る「 理 論 負 荷 」 意 識 が欠 落 し てい る ため に、 研 究 対 象 を 見 る 視 点 に主 観 が 入 り 込 む

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こ と 自 体 が 想 定 さ れ てい な い こ と、 そし て ス ポー ツ 科 学 の客 観 性 を 保 証 す る 「再 現 可 能 性 」 が理 論 的 に可 能 であるのかどうかについて述 べ られる。 次 に「 ス ポー ツ科 学 にお け る 理 論 と実 践 の関 係 から見 た限 界 」 につ い ては、 「 理 論 」 の出 自 が観 察 対 象 を ただひ たす ら「観 る 」 とい うこ とにあるこ とから、そ の結 果 とし て導 き 出 さ れる 理 論 は 、観 察 対 象 の一 般 的 、 総 体 的 、 体 系 的 な 特 徴 を 描 くこ とになる。一 方 の実 践 は、特 殊 的 、局 所 的 かつ 断 片 的 である個 別 的 行 為 である こ とか ら、 ス ポー ツ科 学 に お い て構 築 さ れる 理 論 は 、我 々 が ス ポー ツを 遂 行 す る プロセス で生 じ る 様 々 な事 象 を 「 説 明 す る 」 こ とは可 能 で ある も のの、それを 再 び 個 々 のス ポー ツ の 実 践 に役 立 てる ため には、原 理 的 限 界 があることについ て言 及 さ れる。 さ らに、ス ポー ツ科 学 が理 論 を 構 築 し それ を 実 践 に役 立 てる とい う 、こ れま で想 定 さ れてき たス ポー ツ科 学 の研 究 成 果 ( 理 論 ) がス ポー ツ実 践 にお い て な か な か 機 能 し な い 理 由 は、 理 論 と 実 践 が対 照 的 関 係 に あ る と い う 先 に 考 察 さ れた問 題 だけ でなく、そこ にはス ポー ツ 科 学 が生 み 出 す 理 論 とそれを 実 践 す る 実 践 者 の 間 にある ス ポー ツ学 習 の 認 識 論 的 関 係 も また、 その結 び つ きを困 難 にする 要 因 であるこ とが述 べ られる 。それ故 、「運 動 学 習 」 そのも のと 「 理 論 の 実 践 へ の 適 用 」 に お い て 、 認 識 論 的 限 界 が あ る こ と を 明 ら か に す る。 こ う し た第 三 章 にお け る 「 ス ポ ー ツ 科 学 の限 界 」 を 踏 まえ たう え で 、 第 四 章 では「ス ポー ツ科 学 の可 能 性 」 につ い て言 及 さ れる 。まず「 科 学 におけ る新 た な知 的 探 求 の方 向 性 」 とし て、こ れまでの 研 究 制 度 や 研 究 方 法 の 変 化 にお ける「理 論 と実 践 」 の新 たな関 係 が「 モー ド論 」 の視 点 から述 べられる 。次 に、 その「 理 論 と実 践 」 の新 た な関 係 の事 例 と し て、「 ア クショ ン・ リサ ー チ」 を 取 り 上 げ、その背 景 、特 徴 、研 究 としての評 価 についての考 察 が展 開 される。 最 後 に「 理 論 と実 践 」 にお け る ス ポー ツ科 学 の新 たな可 能 性 とその モデ ル を 作 成 す る ため に、ギブソ ンの「 モー ド論 」 を枠 組 み とし 、それぞ れのモー ドに お け る ス ポ ー ツ 科 学 の 位 置 づ け と そ れ ら の 関 係 を 導 き 出 す 。 そ し て ア ク シ ョ ン ・ リ サ ー チ の 構 造 に お け る 「 問 題 設 定 」 お よ び 「 評 価 」 の 局 面 に つ い て 「 物 語 り論 (na rratology) 」の方 法 論 を 援 用 し、スポーツ指 導 者 、スポー ツ哲 学 者 、 ス ポー ツ 科 学 者 の三 者 の 関 係 を 問 う こ とに よっ て、新 たなス ポー ツ 科 学 の可 能 性 への言 及 がなされる 。

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