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、 の経 験

ドキュメント内 博士論文 第一次審査 2008/11/26 (ページ 42-89)

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が哲 学 的 思 考 の 基 礎 を 与 え る も の かを 決 め る 方 法 」5 5 )につ い てで あ った。結 局 のところベ ーコンが求 めたのは、アリストテレスにおける「形 相 因 」で あり 、こ の「形 相 因 」を 学 んだ者 の「 経 験 」 の報 告 こそが、「 真 の経 験 」である と された(図 2参 照 ) 。 

  図 2:ベーコンのピラミッド5 6 ) 

 

5 2 )  ベーコン(1978)、前 掲 書 、p. 40.   

5 3 )  ベーコン(1978)、前 掲 書 、p. 42. 

5 4 )  S. シェ イ ピン(1998)、前 掲 書 、p. 114.(Shapin, S.  ,  op. c it., p.88.) 

5 5 )  S. シェ イ ピン(1998)、前 掲 書 、p. 121.(Shapin, S.  ,  op. c it., p.94.)   

5 6 )  落 合 洋 文 (2003)、前 掲 書 、p. 42.   

こ れら のこ とか ら推 察 す る なら ば 、ベ ー コ ン の意 図 は、 机 上 的 理 論 を 構 築 するスコ ラ的 権 威 と決 別 するこ とに重 点 がお かれたも のの、ア リス トテレス にお ける自 然 観 を部 分 的 であれ継 承 し ていたとも考 えられる 。 

最 後 に、デカル ト(René   Descartes

15 96- 1650) における「知 」 のあり 方 は、

ガリレ オの「実 験 的 方 法 」 とは異 なり 、「 全 能 な神 ならわ れわれ人 間 が明 晰 判

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に理 解 する 数 学 的 対 象 は自 然 のうちに創 造 し設 定 しえ たはず」5 7 )という前 提 に たっ たこ と にある 。す なわ ち「 物 質 的 事 物 は 、 純 粋 数 学 の 対 象 で ある か ぎ り 、存 在 する こ とが可 能 である 、私 はそれらを 明 晰 に判 明 に認 識 す る 」5 8 )こ とが可 能 になるという。また、その方 法 論 の特 徴 は以 下 のようなも のであった。 

 

第 一 は、わ たし が明 証 的 に真 である と認 める のでなけ れば 、どんなこ とも 真 として受 け 入 れないこと( 後 略 ) 。 

第 二 は、わ たし が検 討 する 難 問 の一 つ 一 つ を、できる だけ多 くの、し かも 問 題 をより よく解 くため に必 要 なだけ の小 部 分 に分 割 すること。 

第 三 は、わ たし の 思 考 を 順 序 に 従 っ て 導 く こ と。 そこ で は、 も っ と も 単 純 でも っ とも 認 識 し や すい も のから始 め て、少 し ず つ 、階 段 を 登 る よう にして、

も っ と も 複 雑 なも の の 認 識 まで 昇 っ てい き 、 自 然 の ま ま では 互 い に 前 後 の 順 序 がつ かないも のの間 にさえも 順 序 を想 定 して進 むこと。 

そし て最 後 は、す べ ての場 合 に、完 全 な枚 挙 と全 体 にわ たる 見 直 しをし て、なにも見 落 とさなかっ たと確 信 すること5 9 )。 

 

これらは一 般 的 に「 明 証 性 の規 則 」「 分 析 の規 則 」「 総 合 の規 則 」 「枚 挙 の 規 則 」 と呼 ばれるも のであり、特 にデカ ル トの思 想 的 特 徴 は、第 二 の「 分 析 の 規 則 」 にお け る 「 小 部 分 に分 割 す る 」 点 に求 め られる 。それは、「 自 動 機 械 の 考 察 に 熟 知 し た人 が、ある 機 械 の使 用 法 を 知 っ てい て、そ の機 械 の 若 干 の

5 7 )  小 林 道 夫 (1996a)、前 掲 書 、p. 21. 

5 8 )  デカルト (井 上 庄 七 、森 啓 訳 )(1967)、省 察 、世 界 の名 著 22  、中 央 公 論 社 、

p. 290. 

5 9 )  デカルト (野 田 又 夫 訳 )(1967)、方 法 序 説 、世 界 の名 著 22 デカルト 、中 央 公 論 社 、

p. 21. 

部 分 を 見 るとき に、それらの部 分 から容 易 に、他 の見 え ない部 分 がどのように し てつ くられてい る かを 推 測 す る 」6 0 )とデ カ ル トが述 べ る よう に 、「 機 械 」 と のア ナロジー の有 効 性 を 認 めることによって、まさにより明 晰 判 明 なる理 解 に到 達 す る こ とができ る と考 え たこ とにある 。す なわちこ の思 考 方 法 こ そが、「 物 理 的 自 然 を 、機 械 と同 質 の、幾 何 学 的 延 長 と力 学 的 原 理 からなる 」 機 械 論 的 自 然 観 の 根 拠 である ととも に「 ア リス トテレ ス の よう に自 然 現 象 を 知 覚 経 験 に 従 って具 体 的 に記 述 しよう というのではなく、その普 遍 的 構 造 を 追 求 し ようという 動 機 か ら 、 自 然 全 体 を 無 機 的 な も の と み な し 、 そ れ を 数 学 的 、 機 械 論 的 に 理 解 しよう という自 然 観 」6 1 )を確 立 させたのである。 

こうし たデカ ル トの物 心 二 元 論 につい て川 村 は、次 頁 の図 3を用 いて解 釈 を 加 え てい る 。それによれば 、デ カ ル トは機 械 論 的 世 界 観 との整 合 性 を 図 る ため に、まず 身 体 を 機 械 のよう なも のとして捉 え る( 機 械 論 的 身 体 観 ) 。という の も 、 我 々 の 身 体 も 物 理 的 世 界 の 一 部 だ か ら で あ る 。 す な わ ち デ カ ル ト は

「生 命 観 を 焼 き直 す」ことによっ て、機 械 論 的 世 界 観 を 構 築 する。 

 

動 物 は「 魂 を 持 たない自 動 人 形 」 であって、その動 き はス トラスブー ル時 計 と大 差 がない、動 物 のうなり 声 や 叫 び 声 は感 情 や 苦 痛 の表 現 ではなく、

体 内 の 歯 車 や 機 械 仕 掛 け に よ っ て 出 さ れ た 音 で あ る 。 も ち ろ ん 人 間 も 機 械 であり、だからこそ人 間 の感 覚 に基 づ く経 験 は当 てにならない。 

もっとも そうし た議 論 はやっ かい なこ とを 引 き 起 こす 。人 間 が動 物 や機 械 と変 わ らない のだとする と、世 界 の本 質 を捉 える優 れた知 性 はどこ から来 る という のか。万 物 の霊 長 である 人 間 知 性 が説 明 でき なくなる。そこ でデ カル ト は 人 間 主 観 に つ い て の 理 論 化 を 開 始 す る 。 つ ま り 、 人 間 は 感 覚 経 験 を 乗 り 超 え 、 真 実 の 世 界 を 表 象 す る ので あり 、そ れ に は存 在 論 的 に 物 質 的 世 界 とは異 なる 精 神 の存 在 を 仮 定 し なけ れ ば ならず 、身 体 経 験 は精 神 の

6 0 )  デカルト (井 上 庄 七 、水 野 和 久 、小 林 道 夫 、平 松 希 伊 子 訳 )(1988)、哲 学 の原 理 、

井 上 庄 七 ・小 林 道 夫 編 、科 学 の名 著 第 Ⅱ期   7( 17) 、デカルト 、朝 日 出 版 社 、 p. 300. 

6 1 )  小 林 道 夫 (1996a)、前 掲 書 、p. 22. 

働 き(頭 の中 での表 象 操 作 )によって補 填 さ れる必 要 がある、と議 論 するの で あ る 。こ う し て 登 場 し た の が 、 経 験 的 俗 的 世 界 の 外 側 に は 客 観 的 世 界 が存 在 し 、身 体 の内 側 には主 観 的 世 界 が存 在 する という 物 心 二 元 論 であ

った6 2 )。 

 

  図 3:デカルトの 物 心 二 元 論6 3 ) 

 

ここから、デカル トによって導 かれた命 題 「我 思 う、故 に我 あり(cogito  e rg o   sum) 」 とは、思 考 を 本 質 とす る 存 在 者 とし ての「 わ たし 」 の確 信 であり 、こ れが

「主 観 」を 確 定 さ せる ととも にその対 象 とし ての「客 観 」 とい う「 主 観 − 客 観 」 図 式 を 成 立 さ せ る に 至 る 。 主 観 と は “ subjectum ” と い う ラ テ ン 語 で あ り 、 そ の

“sub” は「下 に、基 底 に」 という 意 味 を持 ち、“jectum” は「 おかれたも の」 という 意 味 を 持 つ 。一 方 客 観 とは、“ o bjectum” と い う ラテン語 であり 、“ ob ” と は「 〜 に対 して」 という 意 味 を 持 ち、それ故 、客 観 は「 主 観 に対 して」というこ とになる 。 そして「ありとあらゆる存 在 の根 底 には、わ たし(自 我 ) という主 観 が基 底 とし て

6 2 )  川 村 久 美 子 (2008)、訳 者 解 題   普 遍 主 義 がもたらす危 機 、B. ラト ゥ ール、虚 構 の

「近 代 」−科 学 人 類 学 は 警 告 する、新 評 論 、p. 272. 

6 3 )  川 村 久 美 子 (2008)、同 上 書 、p. 272. 

存 在 し 、す べ て は 自 我 にとっ ての 存 在 、そ の認 識 対 象 、思 考 対 象 で ある 」 と いう構 図 が導 出 されることになる6 4 )。 

デ カ ル トにお け る こ の「 主 観 − 客 観 」 図 式 は 、世 界 の なか に何 が 存 在 し 何 が存 在 し ない かを 決 定 す る のは人 間 である こ とを 決 定 づ け る も のとし て働 くこ とになる 。デ カ ル トは、純 粋 に精 神 的 である 神 以 外 のも のに は能 動 的 な力 の 所 有 を 認 め ない のであっ て(動 力 因 、目 的 因 の拒 否 ) 、先 に述 べ たこ の宇 宙 を も 一 つ の機 械 と見 る 見 方 、す なわ ち自 然 につ い て説 明 を 与 え る とき は、 人 間 のつ くっ た 機 械 の働 き を 説 明 す る 場 合 と まっ たく 同 じ よう に 、それを 成 り 立 たせ てい る 部 品 の 大 き さ 、形 、運 動 とい っ た 概 念 だけ を 用 い る べ き だ とし て、

以 下 のように主 張 する。 

 

神 は、はじ め に物 質 を 、運 動 お よび 静 止 と とも に創 造 し たのであり 、い ま もなお 、そのとき 物 質 全 体 のう ちに設 け たのと同 じ だけ の量 の運 動 と静 止 と を み ず から の 通 常 の協 力 のみ に よっ て、 保 存 し てい る の である 。 ( 中 略 ) い まなお 神 は、 はじ め に 創 造 し たとき とまっ た く同 じ し か た、 まっ たく 同 じ 割 合 で、物 質 全 体 を 保 存 し てい る のだ とい う こ と 、ただこ のこ と だけ から 、神 は ま た物 質 全 体 のう ちにつ ね に同 じ 量 の運 動 を 保 存 している のだと考 える のが、

最 もよく道 理 にかなっ ていることになるわけである6 5 )。   

こ う し た 視 点 か ら 、運 動 量 保 存 の法 則 や 、 慣 性 の 法 則 等 々 が 導 き 出 さ れ た こ と は 、 周 知 の 通 り で ある 。 そ し て こ こ に我 々 は 、 世 界 か ら 霊 魂 的 な も の を 排 除 し 、ア リス トテレ ス にお け る 目 的 因 を 用 い ず6 6 )に作 用 因 で現 象 を 説 明 し

6 4 )  貫 成 人 (2004)、哲 学 マップ 、筑 摩 書 房 、p. 59. 

6 5 )  デカルト (1967)、前 掲 書 、pp. 390-391. 

6 6 )  アリ スト テレスの自 然 学 を体 系 的 に解 体 し 、新 しい自 然 哲 学 を打 ち立 てたデカルトの

そ の方 法 について、小 林 は 「アリ スト テレス主 義 の経 験 論 的 認 識 論 を排 除 するために、

『欺 く神 』の想 定 にまで いきつく方 法 的 懐 疑 の遂 行 によって、あらゆる感 覚 的 事 物 や 能 力 か ら独 立 の『我 』の存 在 と 本 質 と を立 て(中 略 )、一 方 で 、この主 観 的 地 平 を越 え 出 て、神 の存 在 の形 而 上 学 的 視 点 を設 定 し 、そこ か ら数 学 的 観 念 による物 質 的 事 物 の本 質 規 定 を正 当 化 する。そ れとと も に、他 方 で 、感 覚 的 能 力 の復 権 を根 拠 にし て、コギトの外 なる物 質 的 事 物 の存 在 の確 証 に至 る」(小 林 道 夫 (1996b)、デカ ルト の自 然 学 、岩 波 書 店 、p. 85. )と 述 べている。 

よう とす る 「 機 械 論 的 自 然 観 」 によ っ て 、 あ らゆ る 自 然 界 にお け る 「 事 物 間 の 法 則 」を導 き 出 す という 、近 代 科 学 に直 結 する「知 」 のまなざし

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を見 て取 ること ができるであろう 。 

 

以 上 、「形 而 上 学 あるい は抽 象 の段 階 から科 学 あるい は実 証 の段 階 」 、い わゆる「科 学 革 命 」と呼 ば れる 時 期 に登 場 し たガリレ オ、ベー コン、デ カル トの

「 知 」 のまなざし

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につ い て見 てき たわ け であ る が、その特 徴 は、探 求 対 象 を 形 而 上 学 的 な問 題 として扱 う のではなく、ガリレオが分 離 し た一 次 性 質 といっ た 物 理 学 的 な問 題 に限 定 し たう えで、自 然 界 に存 在 する 事 物 について正 確 な 観 察 を 行 う こ と にあっ た 。こ のこ と は、事 物 の内 的 本 性 より も 一 つ の 作 用 と 他 の作 用 との関 係 に、特 に物 理 的 世 界 を数 字 で表 わし うる面 に集 中 させる こと によっ て、実 験 的 な答 え が得 られる 範 囲 で問 題 を 設 定 する

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よう にしむけ ること でも あっ たと考 え られる。またベーコ ンによっ て「 自 然 につい ての事 実 が正 しく 観 察 、証 明 、 記 録 さ れ てい る こ とを 確 認 す る 一 連 の技 術 」 とし ての 帰 納 法 が 導 入 さ れたこ と、さ らにはデ カル トによっ て成 立 し た「 機 械 論 的 自 然 観 」とは、

あ ら ゆ る 自 然 界 に お け る 「 事 物 間 の 法 則 」 を 導 き 出 す 方 法 論 で あり 、 「 主 観

− 客 観 」 図 式 は、観 察 対 象 を 特 定 する ととも に、その観 察 さ れた対 象 を 分 析 的 かつ 要 素 還 元 論 的 に「 明 晰 に判 断 」 す るこ とが、真 理 へ の方 法 である とい う 世 界 観 でも あっ た。こ れら三 者 による 「 形 而 上 学 ある い は抽 象 の段 階 」 から の「 超 越 」 は、 今 日 に 至 る 近 代 科 学 の 骨 格 を 形 成 す る も の である と考 え ら れ る。 

  また、「科 学 あるいは実 証 の段 階 」へ のス テップとして、知 の探 求 が「 内 的 本 性 」 、す なわ ち 事 物 の「 真 理 」 の 探 究 から、 事 物 の 「 関 係 」 の探 求 へ と 変 化 し たこ とに注 意 を 向 け るべ き であろう 。すなわち「 実 証 的 精 神 は、( 中 略 )『 予 見 す る ため に 見 る 』 こ と 、将 来 存 在 す る であ ろ う も のを 断 定 す る ため に 、現 在 存 在 す る も のを 研 究 す る 」6 7 )とい う 事 物 間 の「 法 則 」6 8 )に学 的 探 求 の視 点 が 転

6 7 )  オ ーギュスト ・コント (1970)、前 掲 書 、p. 159.  

6 8 )  伊 藤 は 、次 のように指 摘 する。すなわちこ うし た「事 物 間 の法 則 化 」は 、いずれにし ても

ガリ レオか ら始 ま り、デカルトそ し てベーコンによって転 換 さ れた「知 のあり方 」を示 すも

ドキュメント内 博士論文 第一次審査 2008/11/26 (ページ 42-89)

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