非行抑制要因としての恥意識に関する研究
著者 永房 典之 学位授与大学 東洋大学 取得学位 博士 学位の分野 社会学 報告番号 甲第130号 学位授与年月日 2005-03-25 URL http://id.nii.ac.jp/1060/00003976/平成16年度 学位論文
非行抑制要因としての
恥意識に関する研究
東洋大学大学院社会学研究科社会学専攻
学籍番号45
博士後期課程
0000004
永房典之
はじめに 「非行」は、識者によって定義はさまざまであろう が、大まかにいえば少年が行う社会的な逸脱行動にあ たるといえる。非行は、国や文化によって内容に差異 こそあれ、社会の安定や秩序維持の立場からいえば社 会的に抑制すべき行動である。戦後のわが国を取り巻 く非行の状況は、現在、警察庁で把握している統計娃 では、4回のピークがあり、「質的悪化」と1キレるi「 少年」などをキーワードに現在でも好ましい状況とは いい難い。本研究は、このようなわが国の少年非行を 防止するための要囚を探索し、その要因が非行の抑制 要因となり得るかどうかの可能性を実証的に研究しよ うとするものである。 本研究は、その非行抑制の要囚として、“⊥1心意識”を 取りhげたいと思う。この「恥」は、かつて文化人類 学者のベネディクトが、[1本を「恥の文化]であると 指摘したことで著名であるが、現代でも、このr恥ず かしい」という感情は、われわれはH常的に体験する。 恥の体験には、道端で転倒したところを人にみられる、 知 り 合 い だ と 思 っ て 声 を か け た ら 人違い だ っ た 、 な ど その恥ずかしいエピソードは人によってさまざまであ る。また、そのような恥は、非常識なことをしてしま った、社会的に遵守すべきルールを守らなかった、と いった道徳(moral)に反する行為を行った際にも感じ るのではないだろうか。 特に、われわれ日本人は、かつてこのような恥とモ ラルとの間に密接な関わりをもっていたように思われ る。たとえば、恥をかいてしまい「世間様に顔向けが できない」、r世間はせまいものだから悪いことはでき ない」など、恥と「世間」の関係、「世間」様に対する 道徳的な態度といったものである。 しかしながら、現代の日本において、はたして、こ のような「世間」観がいまだ存在し、「世間」に対し恥 をかかないよう道徳的な振舞いをする慣習といったも のが地方、都市の区別なしにみられるのであろうか。
「セケン」がせまくなった、「セケンテイ」など気に する必要はない、そういった堅苦しい慣習にとらわれ ず個人の自由を追求すべきであるという考えノiが現在 のところ優勢になっていると思われる。しかしながら、 「セケン」を意識するしないにかかわらず、われわれ が社会で守るべき規則(rule)というものはいつの時 代でも必要であろう。そこには、罰則を伴う・法律1、 また明確な罰則規定のない「不文律」などさまざまな 規則があるだろうが、人がお々:いに不快にならずに生 活するのは、そういった何らかの規則が必要であり、 その規則に反しないよう自らの行動を律する必要があ るといえる。 そういった自制的な行動、中高生といった若者を対 象にするならば社会的に望ましくない行動である{非 行」を抑制する意識というものが、たとえ守るべき規 則の内容が時代によって変化したとしても、またどの ような文化でも必要なのではないだろうか。さらにli‘ えば、その規則の内容や規則遵守の大切さを教えるの は、家庭や学校、地域であろう。特にこの種の教育が、 発達初期の子どもたちにとっては、親が重要な役割を 果たすということが、最近の実証的研究で明らかにな ってきている。 自らの行動を抑制する心理的メカニズムを考えると き、そこには2種類の異なった抑制力があると考えら れる。その1つは、抑制力の「認知的」側面で、具体 的には「善悪」を判断するという側面である。他の1 つは「情緒的」側面である。この側面は、善悪判断の 理屈を越えて「ドキドキ」するといったような心理的 な抑制力である。 この研究は、非行抑制力の「情緒的」側面に力点を 置いた研究である。具体的には、「恥」という情緒反応 に 焦、点 を 当 て て い る 。 ど の よ う な 「恥 ず か し い 」 と い う清緒反応が、どの程度の社会的に望ましくない行動 である非行の抑制要因となっているかを、実証的に確 かめることが、この研究の主要なEl的となっている。 さらにいうならば、最近の犯罪や非行の霞:的な増加
とそれらの質の悪化、また社会的な迷惑行為の氾濫な どの思わしくない現状は、われわれ日本人に特有な「恥 意識」の希薄化、つまり、犯罪や非行の抑制ノJの情緒 的側面の欠如と深く関連しているのではないかと考え る。 この点を確かめるために、この研究では国際比較研 究をも行なっている。アメリカとトルコの若者と比べ て、日本の若者の恥感覚はどうなっているのだろうか。 もし日本の若者の恥感覚が、外国の若者と比べて脆弱 であり、そのことが彼らの「心のブレーキ」を弱めて いるとすれば、それはわが国特有な問題ということに なる。 以上のように、この研究は、情緒的な非行抑制要因 に恥意識がなり得るかどうかの検証ということになる が、筆者は、少年院や少年鑑別所、家庭裁判所などの 非行少年の矯正現場にいないという∪:場E、r非行少 年」を対象者にすることが困難である。また、少年を 対象に「非行」という行動を対象に実験的研究を行う ことも研究倫理上、難しいといえる。これらの理川か ら、本研究は、「非行」を対象とした実証的研究である が、一般少年を対象とした「非行」への許容的な態度 に焦点をあてている。 本研究は、非行への許容的な態度にっいて、r琴少年 を中心とした恥意識の国内調査、国際比較による我が 国の恥意識の現状の検討、さらに恥意識の形成との関 連で、親子関係のあり方を外国の場合との比較によっ て明らかにしようとしたものである。
目 次
はじめに 序章 第1節非行抑制要因としての恥意識を追求する理由・… 8 第2節ポジティブな機能をもつ恥意識研究の独自性・・9第1章本研究の目的と分析枠組み
第1節 本研究の分析枠組み・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 12 第2節 本研究の調査対象者・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 13 第3節非行抑制要因における“非行”について… 14第2章非行および非行抑制要因としての恥意識
第1節非行に関する先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・… 16 第2節恥意識について・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 19 1.恥意識の定義・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 19 2.恥意識と対人不安・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 20 3.恥意識と自己意識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 25 4.恥意識と罪悪感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 28 第3飾 非行抑制要因としての恥意識・・・・・・・・・・… 35 1.非行抑制要因の研究について・・・・・・・・・・・・・… 35 2.研究テー一一マの稀少性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 36第3章 国内における恥意識の世代差
第1節恥意識尺度(国内版)の作成・・・・・・・・・… 37 1.方法・・・・・・・・… 2.結果・・・・・・・・… 3.考察・・・・・・・・… ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… @ 37 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… @ 39 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… @ 46 第2節 日本の青少年における恥意識の世代差・・… 51 1.青少年の恥意識における世代差の調・・・・・・・・… 51 2.青少年の恥意識構造における世代差・・・・・・・・… 52 3.青少年の恥意識における世代差と自己意識・・… 60 第3節恥意識と他の非行抑制要因との関係・・・・… 62 1.恥意識と道徳意識との関係・・・・・・・・・・・・・・・… 622.恥意識と愛他意識との関係・・・・・・・・・・・・・・・… 63 3.恥意識と価値観との関係・・・・・・・・・・・・・・・・・… 65
第4章 非行抑制要因としての恥意識の国際比較
第1節ll本・アメリカ・トルコにおける恥意識の差異・67 1.国際比較調査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 67 1・1.調査対象と実施方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 67 1・2.調査項目と恥意識尺度(国際版)・・・・・・… 68 2.日本・アメリカ・トルコの恥意識構造の差異… 69 2・1.恥意識尺度(国際版)の因子構造・・・・・・・・… 69 2・2.日本の恥意識構造・・・・・・・・・・… ■■・・・・・・… 71 2・3.アメリカの恥意識構造・・・・・・… 一一・・・・・・… 73 2−4.トルコの恥意識構造・・■一・・・・・・・・・・・・・・・… 74 3.日本・アメリカ・トルコの恥意識得点の国際比較・76 3・1.恥意識尺度における平均点の国際比較・・… 76 3・2.恥意識因子における平均点の国際比較・・… 78 3・3.恥意識得点の国際比較に関する考察・・・・… 80 第2節日本・アメリカ・トルコにおける恥意識の機能80 2・1.非行抑制要因としての恥意識の機能・・・・… 80 2・2.非行抑制要因としての恥意識の国際比較… 83 第3節日本・アメリカ・トルコの非行抑制モデル… 88 第5章非行抑制要因としての恥意識の形成と親子関係 第1節親子間の恥意識の相違と非行抑制要因・… 93 1.目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 93 2.方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 一・… 93 3.結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 94 4.考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 95 第2節 恥意識と親子関係の国際比較・・・・・・・・・… 97 1.恥意識と親子間の心理的距離・・・・・・・・・・・・・… 972.恥意識因子と親r一関係の国際比較… 一一・・・… 103 3.1]本の恥意識における性別と教育段階の特徴・108 第3節恥意識における親子関係の重要性・・・・… 111 1.3力国全体の恥意識と親f一闇の心理的距離 について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… d◆・… 111 2.日本・アメリカ・トルコの恥意識と親r一問の 心理的距離について・・・・・・・・・・・・・・… ’’’”ll1 3.恥意識の形成における親子間の心理的距離 の役割・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 112
第6章 総合的考察
第1節非行抑制要因としての恥意識・・… 一}・… 114 1.恥意識尺度作成の調査・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 114 2.恥意識の世代差の調査・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 114 3.恥意識の国際比較調査・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 116 第2節 恥意識の形成と親子関係・・・・・・・・・・・・… 117 第3節結論・… 一・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 118 第4節今後の課題と展望・・・・・・・・・・・・・・… 一一・・ll8 文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 121 謝辞・・・・・… 舎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 126 資料(調査票)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 127序章 第1節 非行抑制要因としての恥意識を追求する理由 近年のわが国における青少年を取り巻く社会環境は 良好とは言い難いのではなかろうか。たとえば、イン ターネットや携帯電話などの情報通信メディア利用し た行為を中心に、青少年の性的な逸脱行為での補導人 数は増加の傾向がみられる。現代に限らず、いつの時 代にも、青少年が行う社会で問題とされる行動は大人 にとっては憂慮されるものである。そして、青少年の 問題行動には、非行やそのおそれのある虞犯行為、よ り日常的な電車やバスの中といった公共空間でのマナ ー違反行為が挙げられるだろう。 しかしながら、インターネットや携帯電話の普及と いった社会環境の変化によって、青少年が大人の監視 の目を逃れ、逸脱行為がより容易に行えるようになり つつある、といったように青少年の社会的な逸脱行動 の責任を外的な環境の側に帰属するばかりでは問題解 決にはならないのではなかろうか。それには、青少年 自身の側の行動抑制、いわば社会的な逸脱行為への誘 惑に対する“自制心”といったものが必要であと思わ れる。 本研究では、そのような青少年の社会的な逸脱行動の 抑制要因として、恥意識がその役割を果たすのではな いか、ということを研究テーマにしている。つまり、 恥意識が非行抑制要因となり得るのか、恥意識の適応 的な側面について実証的に検討することが本研究のね らいである。“適応的な”というのは、社会生活を営む のにあたって、刑法や慣習的な道徳的規範を逸脱した り、他者に迷惑をかけ不快感を与えたりすることがな いように行動することができるということを指す。社 会的に望ましくない行動を抑制してくれるという意味 においていえば、恥意識のポジティブな機能というと もいえよう,, 特に、本研究は、研究対象者が中高生といった若者 であることからも、「社会的に望ましくない行動」とし
て、非行や道徳的規範からの逸脱行為に焦点を当てて いる。 中里ら(1997)と中里・松井(1999,2003)は、このよ うな中・高生の非行行為の心理的抑制要因に、道徳意 識、愛他意識、価値観がその要因であることを経年比 較による国際比較の研究で確かめている。 本研究のねらいは、「恥意識」もこのような非行抑制 の心的要因となり得るかどうかについて実証的に明ら かすることである,、 第2節 ポジティブな機能をもつ恥意識研究の独自性 われわれは、日常生活において、「恥ずかしい」とい う恥感情を経験する。そのような恥感情に関する研究 は、精神医学、社会学、文化人類学、社会心理学など さまざまな領域からのアプロ…チがなされている。わ が国における社会学や文化人類学では、主に日本人論 や日本文化との関連において恥の考察が数多くなされ ている(たとえば作田,1967;土居,1971;井上,1977)、、 また、精神医学では、日本人に多いとされる対人恐怖 (内沼,1983)や自己愛(岡野,1998)など、精神病 理との関連における恥研究が多くみられる。さらに、 社会心理学の領域では、より日常的場面でみられる「恥 ずかしい」という感情、たとえば、大勢の人の前や初 対面の人と会う対人場面などで生じる対人緊張といっ たような感情は「不適応」を生じさせるものとしての 恥研究が主流となって現在に至っている(たとえばバ ス,1980:シュレンカーとリアリー,1982,1983:菅 原,1992,1998)。 しかしながら、このような社会心理学における対人 不安研究に代表されるような「恥」は、そのネガティ ブな側面、っまり「心の病」という側面ばかりに着目 しているといえないであろうか。恥には、精神病理や 対人不安を引き起こすような不適応の側面ばかりでな く、「ドキドキする」、「胸が高鳴る」といった情緒的な 信号によって、われわれが社会的規範から逸脱しない ように警告してくれる社会生活への適応的な側面、つ
まりポジティブな側面をも併せもっていると考えられ る. 本研究では、社会心理学に多くみられるような対人 不安としての「恥」ではなく、社会的に望ましくない 行動である「非行」の抑制要因としての「恥」を研究 の対象としている。この意味で、本研究は、恥のネガ ティブな側面ではなく、ポジテfプな側面の研究とい えるだろう。 また、文化人類学者のベネディクト(1946)は、日 本人の倫理的、もしくは道徳的側面と密接に関わると 思われる「恥(shame)」を研究対象とした。しかしな がら、ベネディクト(1946)の指摘した恥は、社会学 者の作田(1967)や井上(1977)が指摘したように、 「公恥」、すなわち、「世間」に対する恥の部分的側面 にしか言及していない。っまり、「私恥」、すなわら、 自分自身に恥じるという側面の分析はなされていない のである。 本研究では、いわゆる「公恥」と「私恥」とを含め て、そのような「恥感情」の行動抑制力について心理 学的な立場から実証的に明らかにしていく。このよう な立場からの「恥」研究は、現在のところわが国では ほとんどなされていない。 本研究と間接的ではあるが、関連する研究としては、 安藤ら(1998)や森(1998)ら社会心理学的立場から 行った「社会的迷惑に関する研究」があげられる。こ れらの研究では、社会的規範を破る逸脱行為を起こし
たくなるような状況において想起されるものとして
「周囲に対する差恥心」があると因子分析の結果から 報告している。 また、恥のポジティブな側面に注目した研究は数少 ないが、近年では、犯罪社会学の分野において、日本 における犯罪発生率の低さを「恥」に結びっけた研究 (ブレイウェイト,1989)も挙げられる。日本では、 速水(1993)が、「恥」を非行統制要因として、このブ レイスウェイトの理論について理論的な検討を行って いる。速水は、ブレイスウェイトの独創性を認めながらも、日本人を対象とした実証的研究の蓄積という点 では批判的に検討をしている。ブレイスウェイトの恥 の統合理論は、すでに非行を行った少年の再犯防止と 地域への再統合に力点が置かれており、まだ非行を犯 していない一般少年の非行防止を含めた日本における 防犯研究全般に適用するにはまだ問題点があると思わ れる. これまでみてきたように、「心の病」としての不適応 な感情である恥ではなく、逸脱行動を行わないという 「道徳(Moral)」との関連で、社会において“適応的” な恥を「非行抑制」という立場から実証的に研究する ことは、個人の社会適応と社会の安全や防犯上、さら に同種の研究の希少性からも意義があるものと考えら れる。
第1章 本研究の目的と分析枠組み
第1節 本研究の分析枠組み
本研究の全体的な目的は、「恥意識」の適応的な側面、 なかでもその恥意識と社会において抑制すべき行動で ある「非行」との関連を明らかにすることである。社 会において抑制すべき行動とは、本研究の主な対象と している中高生にとっては、主に非行や虞犯行為、社 会的迷惑行為などであろう、、このような非行行為の抑 制要因として、中里ら(1997)は、7力国(アメリカ、 中国、韓国、日本、トルコ、キプロス、ボーランド) の中高生を対象にした国際比較調査の結果から、「非 行許容性」、「道徳意識」、「価値観」、1愛他意識1など があることを主張している。本研究でも、非行抑制要 因である、「道徳意識」、「非行許容性」、「愛他意識1、 「価値観」と恥意識との関係を統計的に検討し、恥意 識が非行抑制要因となり得るのかどうかを実証的に明 らかにすることが第1の目的である、, 本研究の第2の目的として、日本の「恥意識」を知 るための国際比較がある。日本以外の他の文化におい ても「恥意識」と非行抑制とのあいだに関係がみられ るのか、また、他国との比較において日本の恥意識の 特徴についても検討する。かつて、文化人類学者のベ ネディクト(1946)は、欧米文化を、自己の内面的な 罪の自覚に基づいて善行を行う「罪の文化」であると し、他方で、日本は、外面的な強制力に基づいて善行 をおこなう「恥の文化」と指摘した。このように、「恥」 と道徳(Moral)との関連において、文化による違いを 探ることは、わが国が他国と比べてどのような恥の道 徳的な側面を示すのかを実証的に明らかにする探るう えで、重要であると思われる。本研究では、日本以外 に、調査可能地域であったキリスト教文化圏として「ア メリカ合衆国」、イスラム教文化圏として「トルコ共和 国」を対象に国際比較研究を行う。 第3の目的は、非行抑制要因の形成に影響を与える ものとしての「恥意識」についての検討である。非行抑制要因の形成には、親子関係が重要であるとの指摘 がある(中里ら,1997;中里・松井,2000;2003)。 また、中里・松井(1999,2003)は、親子間の「心理 的距離」の近い者が、非行に対し厳しい態度をと/)て いる点に着目している.本研究でも、非行や社会的迷 惑行為の心理的な抑制要因だと想定する「恥意識」と、 親子間の「心理的距離」との関係について検討する。 それは、親子関係の良好な者ほど「恥意識」が高いと すれば、「恥意識」の形成にとって親子関係がきわめて 重要であるということに他ならないからである1、 以上のように、本研究は、非行抑制要因としての恥 意識について、「日本人青少年の実態と世代差」、1異 文化」、「親子関係」との関連を明らかにすることを目 的としている。本研究における分析枠組みにあたる「目 的と本文の構成」は以下のとおりである,, 目的1:日本人青少年の恥意識の世代差
→第3章
目的2:非行抑制要因としての恥意識の国際比較→第4章
目的3:恥意識の形成と関連する親子関係のあり方→第5章
なお、4章で取り上げる国際比較調査は、平成13∼14年度、科学研究費補助金基盤研究C(2)(研究課
題番号13834003、研究代表者・中里至正)における「非 行抑制要因に関する社会心理学的研究」のなかで、共 同研究のかたちで行われた。第2節 本研究の調査対象者
本研究の調査対象者は、主に日本人青少年である。 しかしながら、対象となる青少年(あるいは“若者” と呼ぶ)の年齢の範囲は幅広く、小学生高学年(10歳 ∼12歳)、中学生(12歳∼15歳)、高校生(16歳∼18 歳)、大学生(19歳∼25歳)である。そして、「非行」 との関連で言及する場合の対象者は、原則として、中 学性と高校生を指す。本研究は、目的に沿い、調査対象が異なる。まず、恥意識の世代差(第3章)では、 日本の小学生から大学生、恥意識の国際比較調査(第 4章)では、日本国以外に、アメリカの青少年(中高 生)、トルコの青少年(中高生)が調査対象とな!)てい る。また、恥意識の形成と親子関係(第5章)では、 30代∼60代の父母も調査対象にな・)ている。
第3節 非行抑制要因の“非行”について
この研究のねらいは、「恥意識」が非行行為の抑制要 因と“なり得る”かどうかについて実証的に明らかす ることである。本研究が対象とする非行抑制要因にお ける“非行”とは、「社会的に抑制すべき行動」を指し ている。すなわち、青少年において社会的に抑制すべ き行動という意味であり、より具体的には、刑法に規 定されている「犯罪」、少年法に規定されている「非行」、 「虞犯」である。その他、他者を不快にさせる「迷惑 行為」、必ずしも他者を不快にさせるわけではない「社 会規範や慣習からの逸脱行為」も対象としているt, 非行研究の多くは、少年院や少年刑務所といった矯 正施設、鑑別所や家庭裁判所といった非行の現場すで に非行を犯した少年を対象に行われている。そこでは、 主に「矯正治療」や「矯正教育」といった観点から、 心理査定や心理療法といった臨床心理学の観点からの 研究が行われている。これらの非行少年を対象にした 「事例研究」では、まだ非行を犯していない一般少年 の特徴を知ることができないため、再犯の抑止という 点では意義があると思われるが、初犯を含めた非行を 犯さないための「防犯研究1という観点からすれば、 問題があると思われる。そして、このような臨床的な 方法をとらない犯罪に関する調査法の研究も多くある。 それらは、非行少年と、まだ非行を犯していない一般 少年を対象にして比較を行うといった手法である。た しかに、非行少年と一般少年の違いから、非行の要因 を探っていくというやり方には、初犯を犯すかどうか についての抑制要因を探ることも可能であり、大変意 義あるものだと思われる。しかしながら、非行のなかには、法律上、非行少年扱いはされないが、非行を犯 すおそれのある「虞犯少年」や、同じ一般少年であっ ても、非行に対して親和的な態度をとる少年と、抑制 的な態度をとる少年が存在すると思われる。その非行 に親和的な態度をとっている一般少年ほど、非行を犯 すおそれのある立場にあるといえようt社会における 治安維持や防犯対策として、非行抑制の研究を考えた 場合、このような「一般少年」のなかでも、「非行」に 対して親和的、いわば「許容的」な態度をとっている 者と、非行に対して厳しい態度、いわば「非許容的」 な態度をとっている者との相違を検討する必要がある と考えられる。 このように、本研究では、非行の予防研究という枠 組みとして、まだ非行を犯していない「一般少年」を 対象に非行に対する許容的な態度を調べることで、非 行抑制要因を実証的に検討するという研究の立場をと っている。 また、実証的研究という意味では、実験的研究も考 えられるが、中高生を対象に、「喫煙」や「万引き」と いった非行行為そのものについての行動指標を求める 実験は、研究実施の倫理上、困難であるといわざるを えない。このような理由から、本研究は、主に一般少 年を対象とした「非行的態度」の抑制要因としての恥 意識研究と位置づける。 非行研究において、一般少年を対象にした研究を行 う意義としては、一般少年のなかでも、「虞犯」や「犯 罪」行為に許容的な者と非許容的な者がおり、その差 異に関する要因を探ることで、非行に親和的な青少年 の心理的特徴を明らかにすることができるからであるe その“非行許容性”の研究知見からも、一般少年から 非行少年へと移行する、すなわち、実際に虞犯を犯す、 法を侵犯する、または恒常的に法を犯す“職業的”犯 罪者となることへの防犯対策につながり、矯正施設の みならず、一般の家庭・学校・社会教育を通じても、 日本における「非行抑制」教育への示唆という観点か ら、本研究は非常に意義あるものと考えられる。
第2章 非行および非行抑制要因としての恥意識
第1節 非行に関する先行研究
非行を含めた「犯罪」研究には、犯罪“行為”に関 する研究と、行為そのものではなく犯罪‘’者”に着目 した研究とに大別できると思われる。何が「犯罪行為」 にあたるのかの定義は、学問や研究者によってもさま ざまであろうが、基本的には、「刑法」を中心とした「法 学」的アプローチが主流であるように思われる。そし て、なぜ犯罪が生起するのかのr原因」については、 社会構造論といったマクロ的、相71作川論や行為者論 といったミクロ的なとらえ方の相違はあるが、社会学 における「逸脱」研究において多くの研究が見受けら れる。 次に、犯罪行為そのものというよりも、[犯罪者」に 着目した研究には、精神医学や心理学において盛んで あると思われる。より厳密にいえば、1犯罪性向」の高 い者と低い者を分ける研究である。また、心理学のな かでも「社会心理学」においては、個人の「特性」だ けでなく、「状況」要因も重視した研究アプローチもあ るが、基本的には、心理学では、心理的な個人要囚に 着目した研究であるといえよう。また、心理学におけ る非行研究では、家庭裁判所や少年鑑別所における非 行少年の「査定(アセスメント)」や、少年院や児童自 立支援施設での「矯正・治療」を日的とした臨床心理 学的アプローチが主である。本研究は、すでに非行を 犯してしまった者の「矯正・治療」が目的ではなく、 一・ ハ少年を対象とした「防犯研究」に位置づけている ため、ここでは、犯罪抑止に関わる主たる伝統的な犯 罪研究をみていくことにする。 何が犯罪行為になるのかは時代や文化よって違うも のの、犯罪や犯罪抑止についての研究白体は都市国家 が整備された古代ギリシャ時代など昔からあったと思 われる。しかしながら、犯罪についての実証的研究が 始まったのは近代からであったと考えられる。実証科 学に基づく犯罪研究で、まず第1に挙げられるのは、19世紀後半、イタリアの精神医学者であるロンプロ ーゾ(1916)が唱えた生来性犯罪者説であろう。彼は、 彼自身のさまざまな研究結果から、頭蓋骨の形態など 犯罪者に特徴的な多種多様な要囚を挙げている。生ま れながらにして「犯罪性向」が高いということになれ ば、犯罪の「生物学」、または「遺伝的」要因を重視し ているともいえる。 その一方で、遺伝ではなく、「環境的」要囚、すなわ ち「社会的」要因を重要視したものには、社会学にお ける「逸脱」研究があげられる。逸脱研究には、宝月 (2004)によれば、社会構造論、相々:作用論、行為者 論に分類できるとされる。「社会構造論」には、フラン スの社会学者デュルケーム(1893,1897)による社会構 造の変化や社会規範の弛緩によって生じたiアノミー1 によって犯罪・逸脱が生起するという説がある。さら に、社会学者のマートン(1938、1957)は、このデュ ルケームの「アノミー」をより逸脱行為の説明へと発 展させた。マートンは、その文化的目標と制度的f;段 の関係として、5つの適応様式(同調、革新、儀礼}三 義、逃避主義、反抗)を設定し、金銭・社会的成功の ような「目標達成」と、そのための高等教育といった 合法的な「手段」とが調和しない状況をアノミーと呼 び、逸脱を生み出す構造的な要因であると指摘してい る。社会学者セリン(1938)も、「逸脱」をより広く「何 らかの規範からの違反」ととらえ、社会集団における 行動規範(conduct norms)を破った異常行為であると、 デュルケームと同様に逸脱を「規範」との関連でとら えている。セリンは、異なる文化問の葛藤から生じる 「行為規範」の衝突、葛藤が犯罪・逸脱の原囚として 提唱している。そして、犯罪・逸脱の原囚が、社会構 造の変化であるとするものには、ショウとマッケイ (1942)の「社会解体論」がある。これは、貧困化や 住民の移動率の高さ、都市化などの要囚が社会解体に つながり、その社会解体を媒介にして、犯罪・非行な どの逸脱行為が増加するというものである。ここでい う社会解体とは、単に地方自治体の制度といったフォ
一マルなものだけでなく、地域における隣人関係など インフォーマルな関係も含めた社会的な絆の解体であ る。 社会構造といった個人に外在した「社会一1要囚をド たる犯罪・逸脱の原因としたものだけでなく、その’ 方で、「相互作用」によって個人に内在化した[社会」 要因に主に注目した犯罪・逸脱研究もみられる。まず、 他者との接触により犯罪・逸脱が生起するといった統
合的犯罪研究として著名なものに、サザランドら
(1960)の分化的接触理論がある。彼らは、犯罪者特 有の生物的原因といった精神医学的研究や原囚の多元 論的研究を強く批判し、犯罪行為も日常的な非犯罪行 為と多くの共通点があり、同様の学習過程に基づくこ とを主張した。また、分化した社会のなかでも、犯罪 文化における「法規の違反に導きやすい考えを抱いて いる人々」とのコミュニケーションによる相!ll作川を 通じて、犯罪が学習されるというものである。この犯 罪は学習されるという視点では、人が犯罪的な行動型 と直接接触する度合い(頻度、期間、順位、強度)、法 を肯定する否定するかどうか、逸脱することがしない ことよりも好ましいと意味づけるかどうかなどが命題 としてあげられている。 ラベリング論(レイベリング論)を唱えたベッカー (1963)は、公的機関や他者から個人への「犯罪者」 の烙印付け(レッテル貼り)によって、「犯罪者」が生 まれ、その烙印付けされた個人の「予言の自己成就」 と他者への否定的な反作用によって犯罪がエスカレー トするという新たな視点を指摘した。近年では、ブレ イスウェイト(1989)によって、犯罪者に烙印付ける ことによって地域社会から排除し犯罪行為を促進させるのではなく、逸脱行為を行った犯罪者自身に“恥
(shame)”を感じさせ、自分自身の反省と住民への謝 罪を行うことによって、地域社会に再び受け入れる(再 統合する)という研究もみられる。この「恥」によっ て犯罪者の地域への再統合を図り、犯罪を抑止すると いう視点は、本研究との相違として、非行少年ではなく “一般少年”が対象である点、逸脱行為を行った後 ではなく行為“前”が対象であるという点の違いはあ るが、非行抑止の要因としての「恥意識」の可能性を 探るというアプローチは本研究ともつながるところが あるといえる。 第2節 恥意識について 1.恥意識の定義 非行抑制要因としての「恥意識」の実証的な研究を 行うにあたり、「恥意識」にっいて定義しておく必要が ある。本研究における「恥意識」の操作的定義は、「他 ・者の目あるいは理想的自己を意識したときに、非難の 対象となり得るような自己の行為に対して生ずる気持 ち」である。ここでいう「気持ち」とは認知(cognition) と感情(affect;emotion)の両方を含むものである、, また、ここで恥“意識”としたのは恥意識が、ルイス・ M(1995)のいうところの白己意識的感情に近く、さ らに、感情の測定を生埋指標といった厳密な客観的f: 続きではなく、質問紙調査での自己記入式での報告に 拠っていることから、やや認知側面での恥を測ってい ると思われるからである。さらに、「非難の対象に“な り得る”」としたのは、実際に他者から非難されるかど うかではなく、「非難される行為」と本人が主観的に判 断を下す結果であるからである。 次に、このように「恥意識」を定義した理山にっい て述べる。恥は、国語辞典によれば、「世間体を意識し た時に、ばかにして笑われるのではないかと思われる ような欠点・失敗・敗北・言動など(を自省する気持)。 あるいは、自ら人間として(道徳的に)未熟な所が有 るのを反省する・こと(気持)」と定義されている。こ こでは、恥が、“世問体”という他者評価を意識する点 と自らを自省するという自己評価に関わる点の両者が 指摘されている。 他方、文化人類学者のベネディクト(1946)は、恥 を「他人の批評に対する反応」であるとし、「人は人前 で嘲笑され、拒否されるか、あるいは嘲笑されたと思
いこむことによって恥を感じる。いずれの場合におい ても、恥は強力な強制力となる」と他者からどうみら れるか、すなわち他者からの評価を強調している。し かしながら、このベネディクトのいう日本人の恥につ いて、井上(1977)は、社会学者の作川(1967)の1三 張を受け、恥が「公の場での嘲笑や批判がf・測される 事態と関わる」というベネディクトが日本文化を語る 際に言及した「公恥」(善悪基準)と、1他者の有:在と は直接関係なく、己れの脈甲斐なさを・人密かに恥じ る」といった「私恥」(優劣基準)に分けることができ るとしている。このように、井ヒは、11心が「公恥1と 「私恥」の2つに分類でき、さらにその2つを結ぶも のに「差恥」というものがあると指摘している。また、 精神医学者の内沼(1983)もその「公恥」と1私恥」 を結ぶものとして「間の意識の恥」を取りヒげている。 このように、「恥」には、周囲の人が見ている(ある いは見ていると思いこむ)場合に感じる他者からの評 価を意識したときに感じる「恥」、または、周囲の人か 見ていなくても、自己の理想像に照らして、 ド位に逸 脱していると意識することで「自分が自分で恥ずかし い」と感じる「恥」の二つの側面があると考えられる ようである。本研究では、「恥」をこれらのどちらかに 限定せず、「他者からの評価」と、r自己の内省的評価」 の二つの側面に関わる「恥」を想定している。 2.恥意識と対人不安 非行そのものに関する研究、恥そのものに関する研 究は数多い一方で、非行と恥意識の両者をつなぐこと を目的とした研究はきわめて少ない。本研究は非行抑 制要因としての恥意識研究であるため、恥意識そのも のを対象にした研究ではないが、ここでは]三な「恥 (shame)」に関する研究を概観し、本研究における1恥 意識」の理解の一助につなげることにする。 恥意識、多くの研究では「恥(shame)」という用語 のもとに研究がなされているが、「恥」は、精神医学や 精神分析学における病理症状と治療法に関する「恥」、
臨床心理学や社会心理学における対人不安研究での 「恥」、社会心理学や発達心理学における「恥」と「罪 悪感」の違いについての研究に分けることができる。 まず初めに、本研究の調査で使用した「恥意識尺度」 作成にあたり参考とした社会心理学における「恥(sha me)」研究についてみていく。社会心理学において恥は、 主に対人不安研究のなかで展開されている(バス1980; リアリー,1983)。そのなかで、恥は、シャイネス(shyn ess)とともに、初対面、聴衆の前でのスピーチ場面な ど対人場面での抑制行動を引き起こす要因のひとつと して重要視されている。対人不安は、「現実の、あるい は想像上の対人場面において、他者からの評価に直面 したり、もしくはそれを予測したりすることから生じ る不安状態」と定義されている(シュレンカーとリア リー 1982;リアリー 1983)。また、菅原(1998)は、 対人不安を「人前や対人関係の中で覚えるさまざまな 不安の感覚」と説明している。このように、対人不安 とは、対人場面で生ずる不安の感’覚であり、恥(shame) も、そのような不安の一種であるとも考えられる。 対人不安研究において、「恥(shame)」を含む「恥ず かしい」という感情についての概念は、きわめて多義 的なニュアンスを含んで使用されている。「恥 (shame)」 という語に関しても、人見知り(shyness)、 困惑(embarrassment)といった語とともに、「恥」や 「差恥心」といった感情表現に置き換えられ、混同さ れることが多いと思われる。 バス(1980)は、対人不安研究のなかで、social anxiety(対人不安)を「embarrassment(困惑)」、「shame (恥)」、「audienceanxiety(聴衆不安)」、「shyness(シ ャイネス)」の4つの類型に分けている。また、バスは、 シャイネスを「予測される行動の相対的欠如」、聴衆不 安を「聴衆の面前での恐怖、緊張、混乱」と定義して いる。他方、困惑と恥については、共に適切な行動が できなかったときに生じるが、困惑が祉会規範に違反 したことによって突然引き起こされるのに対し、恥は、 倫理上または道徳上の違反を伴うという点で異なると
指摘している。さらに、バスによれば、困惑の[:観的 経験は、愚かなことをした、という感情によって特徴 づけられるのに対し、恥は、自己嫌悪と自己卑ドの感 情により特徴づけられるという違いがみられる。この ように、恥と困惑は、バスがいうところの1自分が呂: 境にいるとわかったときの苦境反応」であり、対人不 安を生じる場面で喚起される感情という共通点がある 一一 福ナ、苦境を引き起こした失敗の性質に違いがある といえる。 また、バスは、「恥」と「困惑」の違いについても言 及している。「困惑」状態にあると人が表現するときは、 失敗が 、 そ の 場 に 適切 な行為 に つ い て の 社 会的常識 に 対する違反が反映されている場合である。他方で、人 がr恥」を感じるときは、失敗が、道徳や倫理、ある いは法律違反などの結果から生じたものであると述べ ている。バスは、「恥」と感じるときの呂:境は、 一般的 に、より否定的な評価を受けることが多いので、そこ での恥ずかしさは、困惑よりも強い刈人不安を引き起 こすと主張している。このことから、困惑よりも恥の 方が、道徳とより関連があり、強い不安を生じる感情 ということが示唆されるといえる。 国内では、菅原(1998)が、このような対人不安を 生じる場面と用語について、「差恥の意識」と「コミュ ニケーション不安」の2つに分類できることをクラス ター分析によって明らかにしている。また、菅原は、 その「差恥の意識」が「ハジ」と「テレ」の2つの要 素に、他方、「コミュニケーション不安」は、「対人緊 張」と「対人困惑」の2つの要素から構成されるとし ている。 このような「対人不安」用語に限定せず、日本におけ るこの「恥ずかしい」という情緒反応の語を整理した 研究がある。樋口(2000)は、「恥ずかしい」という情 緒概念を包括する試みを行っている。樋日は、欧米の 社会心理学分野では、r無意図的な、あるいは自ら望ま ない苦境や逸脱を意識したときの反応」(エデルマ ン,1985)と定義できる”embarrassment”及び“shame”、
さらに、「自己呈示が適切に行われないことを意識し た際の反応」(バス.1980)といった定義がなされる ’‘ 唐盾モ撃≠撃≠獅?撃?狽凵h及び“shyness”といった概念が対 応するのに対し、日本では、“恥Itという用語がこれら の欧米の概念を包括できると.1三張している。つまり、 樋口は、”social anxiety”及び“shyness”は、自己 呈示という概念を基礎においた対人場面での反応に限 った定義であるため、“shame(恥)”という語の方がよ り包括な概念として適当であると1:張している。 また、樋口は、’‘恥”を1無意図的な、あるいは自ら 望まない苦境や逸脱を意識した際の情緒反応」である とし、質問紙調査において、恥の発生時に感じられる 情緒群の分類を行っている。恥発生時の状況カテゴリ ーとして6つの状況、またその際にもっとも強く感じ られる恥情緒群として6情緒を囚’f・分析によって抽出 している。6つの状況カテゴリーとは、1公恥系状況、、 「私恥系状況』、「対人緊張状況」、r照れ系状況ハ、対 人困惑状況2、「性的状況[!である。そして、恥状況に おいて最も感じられる6つの情緒群とは、『混乱的恐 怖』、『自己否定感』、「基本的恥』、r自責的萎縮感』、 「いたたまれなさ』、「はにかみ・もどかしさ.1である。 樋口のこのような研究は、対人不安研究の枠組みにと らわれず、「恥」という情緒概念について考察し、さら に恥の発生状況を分類するだけでなく、その状況に応 じた恥の下位情緒にっいても分類を行った社会心理学 的研究の新しい試みとして非常に評価できると思われ る。しかしながら、“恥(shame)”という川語のもとに、 「embarrassment(困惑)」や「人見知り(shyness)」 といった”恥ずかしい::に関するさまざまな茄恥情緒 の概念を統合してしまい、逆に、それらのド位清緒と して『基本的恥』と命名されている「恥(shame)」情 緒自体が、樋口のいう上位概念の“恥(shame)”と用 語が重複していまい、わかりづらくなっているといえ る。 「恥1、「シャイネス」、「困惑」、「聴衆不安」など、 「恥ずかしい」や「恥を感じる」に関するさまざまな
感情群を包括する枠組みを概念化する必要性もあるが、 ド位または個別の「恥ずかしい」という感情について、 全体像にとらわれずそれぞれ枠組みのなかで行う研究 もより深い知見を得るためには重要ではないだろうか。 まず、包括的な「恥ずかしい」という感情に関わる他 の研究としては、日本では、戦前において、園原(1934) が蓋恥感情研究の中で質問紙法や実験観察法を川いた
実証的研究を行っている。また、戦後では、成川ら
(1990)が、差恥感情を引き起こす状況を大ll{:に収集・ 分類した研究を行い、120項目から成る「状況別荒恥感 ↑青 質 「}日 糸氏 ( S i t u a t lo n a l S h y n e s s Q u e s t lo n n a l re :SSQ)」を作成している。そして、成川らは、そのSSQ を用いた質問紙研究を行い、多変量解析によって、「か っこ悪さ」、「気恥ずかしさ」、r自己不全感」、[性」の 4状況に分類している。その他の「荒恥感1に関する 包括的な研究として、橋本ら(1981)は、100状況もの 差恥項目を収集し、因子分析によって12の荒恥状況因 子を抽出している。差恥状況の12因r一とは、「性1、「一か っこ悪さ」、「注視」、「家族」、「異性」、「ぶざまな行 為」、「思い違い」、「(解釈不能)」、「きまり悪さ」、「知 識・能力露見」、「自己不全感」、「不適当」である。 しかし、このような「恥ずかしい」という感情を包 括した質問紙、いわば「着i恥傾向テスト」は、菅原(1991, 1998)の差恥心分類にある「ハジ」だけでなく「テレ」、 さらにコミュニケーション不安としての「対人緊張」 や「対人困惑」を含むものであり、「恥(shame、ハジ)」 そのものを対象にした研究ではない。また、それらの 差恥項目のなかには、道徳的規範に関する内容が顕著 にみられないことから、ベネディクト(1946)がU本 人の倫理的側面として指摘した「恥」とも異なるもの である。そして、菅原(1992,1998)のいう“テレ”、 あるいは成田ら(1990)のいう“気恥ずかしさ’tは、「内 気さ」や「はにかみ」といった表現があてはまるシャ イネス(shyness)と密接に関連しており、褒められて 「テレる」、褒められて「気恥ずかしい」といった肯定 的評価に関する「恥ずかしい」という感情をも含んでいる。他方、恥(ハジ、shame)は、r面1−{ない」、「情 けない」といった否定的な評価に関する「恥ずかしい1 という感情であり、“ハジ”と’一テレ”の問には共通門. はあっても、異なる感情であると考えられる。 わが国の「恥ずかしい」感情の尺度に関する研究で は、シャイネスについては、特性を測ることのできる 日本人向けのシャイネス尺度(相川,1991)がみられ る一方で、“恥(shame、ハジ)”そのものに焦点化した 特性を測定する尺度はみられない。 「恥(shame、ハジ)」に関する研究は、わが国にお いては、多くが対人場面における「恥ずかしさ」に関 する研究、すなわち対人不安研究のなかに包括されて いる。「恥(shame)」そのものについて、もしくは対人 不安とは異なったアプローチ、特に、道徳や倫理との 関係における「恥(shame)」の社会心理学的研究は未 だほとんど実証的な研究が少ないのが現状である。 3.恥意識と自己意識 かつて、進化論を唱えたダーウィン(1872)は、「恥」 の表出がヒトという種に内在する固有のものであるも のと言及している。また、発達心理学者のルイス(1995)
によると、恥(shame)は、罪悪感(guilt)、困惑
(embarrassment)、 誇り (pride) とともに ’‘自己意 識的感情(self・conscious emotion)”であるとされる。 ルイス(1995)は、恥(shame)は、喜びや悲しみ、 恐れ 、 嫌悪 、 興 味 、 怒 り な ど と い っ た 「 ・次 的 感 情 」 と呼べる単純な日常の情動ではなく、共感や同情、羨 望、罪悪感、誇り、後悔などと同じようなより複雑な 情動である「二次的感情」であると位置付けている。 さらに、「二次的感情」は、内省を必要とするものであ ると主張している。 ルイス(1995)によれば、ダーウィンの「恥」に関 する記述は広範であり、自己意識的感情のほとんどが 含まれていると思われる。ダーウィンは、恥と罪悪感、 さらには恥とはにかみ、あるいは謙遜、もしくは困惑 とを区別していなく、それらはすべてルイスが自己注意と呼ぶ「自己意識的感情」であるととらえられてい る。 そして、発達心理学者のアイゼンバーグ(2000)も、 恥(shame)や罪悪感(guilt)、困惑(embarrassment) や誇り(pride)などは、自己の理解と評価がln要な位 置を占めている自己意識感情であるとしている。他に は、心理学者のイザード(1977)が、「恥1を現象学的 に定義している。イザードのいう恥は、「自己意識1的自 己知覚、あるいは自己注意が高まった状態、すなわち 意識が自己に関することで埋められており、自分が無 力あるいは不十分だと考えている、自己の何らかの側 面を覚知している状態」と定義している。 このように、恥という感情を経験するには、1自己意 識」もしくは「自己知覚」といった、自分を自分と認 識できる年齢に達する必要があるというこことである。 ルイスら(1989)は、22カ月の幼児を対象に自己覚知 の実験を行い、鏡に映っている人物が自分でわかるr・ どもは、赤面や照れ笑いといった“恥ずかしい”表情 を示しやすいことを見出している。ルイスらによれば、 このような自己知覚の能力を獲得する年齢は、生後18 カ月から24カ月だとされている。また、生まれて問も ない頃の「ヒト」に、恥ずかしい様子は認められない が、自己意識が発現されるようになる頃には、他者の 前で、顔を赤らめたり、視線をそむけたり、うつむい たりして、「恥ずかしい」という感情がみられるように なる。 ルイスらの実験(1989)にみられるように、恥ずか しい感情を表出できるようになるには、ある’定の年 齢に達しなければならないが、何を恥ずかしいと感じ るかは、社会化の過程で学習していくものと考えられ る。 発達心理学者の遠藤(2002)は、ルイス・Mの研究 (1995)を受けて、「自分と他者との異同、または他者 あるいは社会的基準から見た自分というものを徐々に 意識するようになって自己意識的情動が発生するので はないか」と述べている。つまり、恥のような自己意
識の感情は、まずは自分と他者との違いがわかり、さ らに社会のルールに照らした自分の姿や他者の目から みた自分を意識できる能力が備わってからこそ生まれ るのだということになる。ルイス(1995)も、恥を生 じさせるのは、その行為がもっ社会的な意味、つまり 他者の目であるということに言及している。 恥と自己(self)との関連では、精神分析学者のエリ クソン(1950)が、ライフサイクル論における発達課 題のなかで「恥」に言及し、パーソナリティの発達や 順応における恥の諸側面に関する詳細な研究を行って いる。そのなかでエリクソンは、恥が突然セルフコン トロールを失う感じであると特徴づけている。 そして、精神医学:者のルイス(1971)は、恥とは〔1 己卑下の状態であり、恥には自己意識や自己イメージ、 すなわち他者の感情について考えることが関係してい ると説明している。 最後に、本研究が主な対象としている社会心理学に
おいては、恥(shame)は、罪悪感(9uilt)、困惑
(embarrassment)、 誇り (pride) とともに自己反映や自己評価によって引き起こされる“自己関連感情
(Self−Relevant Emotions)”と呼ばれている(タン グネー ,2003)。タングネーによれば、恥や罪悪感の 感情は、主として、自分自身のネガティヴな帰属やネ ガティヴな行動から生じ、われわれは、自分自身を恥 じたり、行動に罪の意識を感じたり、しくじって困惑 を感じたりする。また、自分の行動だけでなく、親密 な他者や同一視している誰か(例えば、家族、友人、 自己と親密に結びっいた同僚など)の行動によっても 恥を感じる。この理由として、タングネーは、その他 者が自己定義の部分であるために恥を感じると主張し ている。 このように、恥は自己と密接な関連がある感情であ り、特に、自己意識が生じる年齢に達したのちに、行 動に対するネガティヴな評価の自己への帰属によって 生じる感情であることがこれまでの研究で示唆されて いる。また、ルイス(1995)の知見から、自己が他者と区別できるようになることで、社会的規範に自己を 参照できる能力も獲得でき、道徳的な規範からの逸脱 によって恥を感じることができるようになるともいえ るのではないか。 4.恥意識と罪悪感 文化人類学者ベネディクトは、一」菊と刀、(1946)の なかで「恥(shame)」が日本文化や[−1本人の道徳律と の関わりがあることを指摘している。日本人は、r恥1 という世評を意識するといった外面的な強制力によっ て善行を行うのに対し、他ノ∫、欧米人は、内面的な「罪! の自覚に基づいて善行を行うといった文化の型(パタ ーン)の違いを明確にしている。 しかしながら、そのベネディクトのド張を受けて、国 内では、社会学者の作田(1967)が、ベネディクトの いう恥(shame)は、他者からの否定的評価のみを対 象とした「公恥」という一4面的なものであり、それ以 外に欧米の罪悪感にあたる理想的自己に照らした「私 恥」といった恥もあるのではないかという反論を行っ ている。また、井上(1977)も、社会心理史的な見解 として、恥には作田のいうような「公恥」と「私恥」、 そしてそれらを結びつけるものとして「旋恥」を挙げ ている。このように、日本において恥には、外面的な 部分に関わる「公恥」と、欧米文化での「罪」にあた る内面的な部分に関わる「私恥」というものがあり、 つまり恥のなかにも罪悪感的な部分があるという見解 がみられる。 他方、欧米の研究においては、恥(shame)は、恥
そのものを対象にした研究というよりも、罪悪感
(guilt)との対比においてその特徴を明らかにしよう する研究が多い。それは、恥と罪悪感を区別しようと いう試みである。その恥と罪悪感の区別には、文化人 類学者、ベネディクト(1946)の公的な逸脱と私的な 逸脱の視点からの区別、つまり、ある種の状況が恥を 導き、一方で、他の種の状況が罪悪感を導くというものがある。その他には、精神医学者のルイス・H・B
(1971)の区別があり、恥は全体的な』自己」のネガ ティヴな評/[Iliを含んでおり、他方で、罪悪感は、特定 の「行動」のネガティヴな評価を含んでいるという区 別である。 ベネディクト(1946)の考えは、恥は、罪悪感より も、公的な露出やいくつかの欠点の非難または逸脱か ら生じる、より“公的な”感情であり、他方で、罪悪 感は、自分で生み出した良心の呵責から生じる、より “私的”な経験としてとらえられている。 しかし、タングネーら(1994)の実証的研究では、 この恥と罪悪感における公的一私的の区別を支持でき ないという結果を得ている。さらに、タングネー(]994) は、子どもと大人によって記述された個人的な恥と罪 悪感を引き出す出来事の社会的文脈に関する体系的な 分析を行っているが、恥と罪悪感が、他者の面前で同 様に経験されがちであり、’‘ひとりだけ”の恥経験は、 “ひとりだけの”罪悪感と同じくらい共通であるとい う結果であった。 しかしながら、最近のスミスら(2002)の実証的な 研究では、恥(shame)が、罪悪感(guilt)よりも、 道徳(mora1)状況や無能力(incompetence)状況に おいて、より公的な露出(exposure)によって生じる 感情であったと報告されている。このように、現在の ところ、恥や罪悪感を生じさせる明確な区別について 一一 ムした知見は得られていないといえる。 次に、公的一私的状況といった違いではなく、恥と 罪悪感は、同じ道徳感情であり、同じ自己に関連する 感情であっても明確に区別ができ、それらの特徴や適 応機能は大きく異なるとするタングネーの・連の社会 心理学的な実証研究について述べる。 タングネー(1991)によれば、恥(shame)は、罪 悪感(guilt)や共感(empathy)とともに、反社会的・ 道徳的に反対すべき行動を抑制する典型的な“道徳感 情 (Moral Affect)” と呼べるが、恥と罪悪感は等しく ”道徳”または適応感情ではないという.1三張をしてい る。タングネー(2003)は、その根拠として、罪悪感
がいつも人々をポジティヴな方向に動機付ける(バウ マイスターら, 1994)が、他方、恥は、簡単に消えて
なくなるような道徳感情であることを示唆する研究
(タングネー,1991)があることを挙げている。 そして、タングネー(2003)は、恥は、姿を消す、 逃げたい隠れたいという願望をしばしば導き、価値の 無さや力の無さの感覚といった、縮む、“小さくなるtt といった感覚が主として同時に生じる激しい痛みのあ る感情である。他方で、罪悪感は、恥とは対照的に、 非難の対象が“特定”の行動であり、“全体的”自己で ないために、主としてより少ない痛みであり、罪(違 反)に焦点化する。その結果として、罪悪感を感じて いる人々は、緊張の感情や悔恨、“悪いことをしたtpと 後悔し、逸脱への絶え間ない焦点や没頭をしばしば報 告し、くりかえしそれを考えたり、異なって振舞った り、行った害をいくらか元通りにしたいと願ったりす る。このように罪悪感は、回避や防衛を動機付けると いう以上に、告白、謝罪、状況固定への試みといった 修復的行動を動機づけるという適応機能があるという のである。 そして、タングネー(2003)は、それまでの一連の 研究結果から、恥と罪悪感は同じ道徳感情ではなく、 ネガティヴな事態を引き起こす恥とは対照的に、罪悪 感には適応機能があるということを「恥VS罪悪感」と いう5つの視点からまとめている。本研究の目的であ る恥の適応的な側面を明らかにするのに、それとは逆 の恥の不適応的側面について知ることも重要であると 思われるため、このタングネーの恥における5つの不 適応的機能の枠組みに沿って、先行する恥の不適応的 機能に関する研究について触れる。 タングネー(2003)の主張する恥の5つの不適応的 な機能とは、罪悪感の適応的な機能とは対照的な、隠 された恥の犠牲(cost)を描いたものである。それら は、第1に、「隠れるVS改める」、第2に「他者志向的 共感」、第3に、「怒りと攻撃」、第4に「精神的症状」、 第5に、「逸脱の制止と社会に望ましくない行動」の5っである。ここでは、非行抑制に関連すると思われる、 一他者志向的共感、と「怒りと攻撃」、「逸脱の制止と 社会的に望ましくない行動」についてみていく。 まず、「他者志向的共感.であるが、ここでいう「共 感」は、暖かい、親密な対人関係を促進し、反社会的 行動や対人攻撃を抑制するというものであり、愛他的 な、援助行動を動機付けるものである。タングネーら
は、自己意識感情テストであるTOSCA(タングネ
ーら,1989)によって、この共感への恥と罪悪感の異 なった関係を、感情の気質と感情状態の両方のレベル で検討している。その結果、特定の行動における焦点 化は、苦しんでいる他者の行動の結果に顕著であり、 さらに進んで、共感的な反応を促進する(タングネー, 1991, 1995b)。 しかし、1忙は、対1照〔}勺に、痛ましい1沁 の自己焦点は、共感過程を脱線しがちであり、恥じた 個人は、傷つけた他者とは反対に、彼自身や彼女自身 に焦点化するといった傾向がみられた(タングネーら, 1994)。また、罪悪感傾向にある個人は、 ・般的に共感 的な個人であり、一貫して、観点取得や共感的関心の 度合いと相関があるという結果であった。他方で、恥 傾向は、対照的に、他者志向的共感の損なわれた能力 や問題のある“自己志向的な”個人的苦痛反応傾向と 関係していた(タングネー,2003)というものである。 つまり、タングネーの研究では、罪悪感と共感には密 接な関係があるが、他方で、恥の感情は、しばしば共 感的関係を妨げることを指し示している。 第3の「怒りと攻撃」であるが、恥は、怒りと強い 関連があるとされる(タングネー,2002,2003)。タン グネー(1994,1995b)は、シナリオを基盤とした自己意 識感情尺度(TOSCA)の様々なバージョンを使用し、 恥を経験しがちな人々が、非常に似ている失敗や逸脱 のまとまりに対して、有意に状況や他人のせいにより しがちであるという結果を報告している。また、タン グネー(1994,1995b)は、児童、青年、大学生、成人と いった多くの被験者といった実証的研究において、恥 への傾向と怒りや敵意の感情との間に…貫して正の相関関係にあることを示している。さらに、発達的研究 (タングネーとワグナーら,1996)においても、恥へ の傾向は、悪意のある態度や、直接的な身体的、言語 的、象徴的な攻撃や間接的攻撃(例えば、対象の何か 重要なものを傷つける、対象の背後で陰日をいう)、す べての置換えられた攻撃方法、心に抱いた攻撃(思弁 的で表現されない怒り)と一一貫して相関がみられた。 また、タングネー とミラーら(1996)は、罪悪感経 験よりも恥のナラティブな説明との関連で、より怒り の感情を報告した大学生間に、よく似た傾向を発見し ている。大学生に関していえば、ウッィカーら(1983) は、大学生が、罪悪感経験よりも個人的な恥に関係す る他者を罰したいという大きな願望を報告したことを 見出している。 そして、精神医学者のルイス(1971)は、臨床的な 事例研究に基づく恥と怒り(または川辱による興奮状 態)の間の力動に着目し、セラピールームにおいて、 クライエントの恥の感情が、しばしば、怒りや敵意の 表現に先立つことを指摘している。社会学者のシェフ (1987)も、“恥一激怒らせん”という、恥じたイ固人が 相手に対する憤激の感情を導き、相手に非難や破壊的 報復を行うことによって、相手がまた悪事を働く者に 怒りや憤りの動きを向け、最初に恥じた個人がさらに 建設的な解決なしに怒りに結びつくという、恥の負の 連鎖を示している。 タングネー(2003)は、このような恥が怒りや攻撃 行動に結びつき易いという負の特徴とは逆に、罪悪感 傾向の適応的な側面、つまり罪悪感が怒り処理のより 建設的な意味合いと関連があることを指摘している。 タングネーは、“恥のない”罪悪感の傾向は、建設的な 態度と正の相関にあり、直接的、間接的、置換えられ た攻撃と負の相関にあった。 また、タングネーは、罪悪感傾向にある者は、自分た ちの怒りの対象と敵意のない議論や直接的な矯正行動 のような建設的な行動をとる傾向にあり、その怒りも、 主として、長期的な結果としてポジティヴなものとな