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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 著者 Author(s) 掲載誌 巻号 ページ Citation 刊行日 Issue date 資源タイプ Resource Type 版区分 Resource Version 権利 Rights DOI

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Kobe University Repository : Kernel

タイトル

Title

パシュカーニス法理論の再検討(一) : 『法の一般理論とマルクス主義』

をめぐって(Reconsidering Pashukanis's Legal Theory : On the General

Theory of Law and Marxism)

著者

Author(s)

渋谷, 謙次郎

掲載誌・巻号・ページ

Citation

神戸法學雜誌 / Kobe law journal,62(1/2):59-131

刊行日

Issue date

2012-09

資源タイプ

Resource Type

Departmental Bulletin Paper / 紀要論文

版区分

Resource Version

publisher

権利

Rights

DOI

JaLCDOI

10.24546/81004347

URL

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81004347

PDF issue: 2019-05-22

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 神戸法学雑誌第六十二巻第一・二号二〇一二年九月

パシュカーニス法理論の再検討(一)

『法の一般理論とマルクス主義』をめぐって ―

渋 谷 謙次郎

生産物は価値という謎の本性をもつ商品に必然的に転化するが、これとおなじ ように人間が法的主体に必然的に転化する。−パシュカーニス− 1

目次

序論 第一章 パシュカーニス法理論の特徴 (一) 前史 (二) 同時代の法理論との関係 (三) 法の形態分析と歴史性 (四) 所有権の発生 (五) 客観法と主観法 (六) 法と等価性 (七) 法と国家 (八) 法の死滅        ( 1 ) 本稿で参照したパシュカーニス『法の一般理論とマルクス主義』の原典は以下の 1927年に出版された第 3 版である。Е.Б.Пашуканис.Общая теория права и марксизм.Издание третье,1927.引用の際、参考にした邦訳は、この第 3 版を底本とした稲子恒夫訳『法の一般理論とマルクス主義』(日本評論社、 1958年)である。ただし、必要に応じて訳語を変更した。以下、同書からの引 用、参照に際しては、原典第 3 版をПашуканис (1927)と表記し、邦訳を「稲 子訳」と表記する。なお、この冒頭の引用部分はПашуканис (1927).С.27.

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パシュカーニス法理論の再検討 第二章 日本におけるパシュカーニスの評価と批判 (一) 前史 (二) 物象化と法的主体性―加古祐二郎― (三) 権利主義的法意識―加藤新平― (四) 所有と分業―川島武宜― (五) 法の本質規定―沼田稲次郎― (六) パシュカーニス論から「法と経済の一般理論」へ―藤田勇― (七) ロシア法文化とパシュカーニス―大江泰一郎― (以上、本号) 第三章 欧米諸国におけるパシュカーニスの評価と批判 (一) パシュカーニス法理論の認知 (二) ケルゼンとパシュカーニス―イデオロギー批判の同床異夢― (三) パシュカーニスの再発見と批判―福祉国家との関わりで― (四) 内在的批判から外在的批判へ (五)最近のパシュカーニス論の動向 終章 まとめにかえて (一) パシュカーニス批判の諸特徴 (二) マルクスとパシュカーニス (三) パシュカーニスと自由主義 (四) 人類学と等価概念 (五) 結

序論

ソビエトの法学者エフゲーニ・ブロニスラヴォヴィッチ・パシュカーニスは、 『法の一般理論とマルクス主義』(初版1924年)の著者として、かつて欧米や 日本の法学者の間でも比較的よく知られていた。 1937年、いわゆる大テロルの最中に「人民の敵」として逮捕され、志半ばで 世を去っている2 。パシュカーニスの著書に接して感銘を受けたという米国の 法学者ロスコー・パウンドは、ほどなくして「(ソ連の五カ年計画)の始動と ともに理論の改変が要請されたが、(パシュカーニスは)自説を新秩序の理論 的要請に合わせるほどには迅速に立ち回らなかった」と述べた 3 。また第二次大 戦後、パシュカーニスのことを、ハンス・ケルゼンは「ソビエト法理論の発展 の第一期におけるその最も優れた代表者」、ロン・フラーは「おそらくは社会

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 哲学に対して独自の貢献をなしたといえる唯一のソビエトの思想家」と前置き し、両者ともに、パシュカーニスの批評に一定の紙幅を費やした 4 。フリードリ ヒ・ハイエクは「(パシュカーニス)の業績は、ある期間ロシアの内外において、 多くの注目を集めたが、のちに汚名を受けて、姿を消してしまった」と指摘し ていた5 。 このように、欧米諸国の、マルクス主義にはむしろ批判的な法学者などの間 でも、パシュカーニスが一時期ソビエトを代表する法学者としてみられ、彼の        ( 2 ) 1937年 1 月20日に逮捕され、同年 9 月 4 日、ソ連邦最高裁判所軍事参与会で反 革命テロ組織への参加につき有罪判決を受け、同日に銃殺されている。1956年 3 月31日に名誉回復された。なお人権団体メモリアルとロシア連邦大統領アル ヒーフによって公表されている、いわゆる「スターリン目録」(スターリンお よびその他の共産党政治局員の署名による逮捕・銃殺予定者承認一覧)による と、パシュカーニスは、1937年 8 月31日付のスターリン、モロトフ、ヴォロ シーロフ、ジダーノフ、カガノービッチ署名の「ソ連邦最高裁判所軍事参与会 の審理に付す人物一覧(モスクワ市)」の「第一カテゴリー」(すなわち銃殺に 処すべき人物)129名の 1 人に含まれていた。このリストは以下のサイトで公 表されている。http://stalin.memo.ru/(2012年 5 月現在)

( 3 ) Roscoe Pound,Administrative Law: Its Growth,Procedure and Significance (University of Pittsburgh Press,1942),p.127. なお、パウンドがパシュカーニ スの著作に感銘を受けたという事実は、米国のソビエト法研究者ジョン・ハ ザードによる以下の記述による。「(1934年)パウンドは、パシュカーニスの主 要著作のドイツ語訳を読んで非常に感銘を受けたため、まだ翻訳されていな いパシュカーニスの著作を読むためにロシア語を勉強したいと語っていた。」 Piers Beirne,Robert Sharlet,Pashukanis; Selected Writings on Marxism and Law ( Academic Press,1980),p.xi (Foreword by John N.Hazard).

( 4 ) Hans Kelsen,The Communist Theory of Law (Fredrick A.Praeger,Inc.,1955),p.89. 矢部貞治・服部栄三・高橋悠・長尾龍一訳『ハンス・ケルゼン著作集Ⅱ:マ ルクス主義批判』(慈学社、2010年)386頁。Lon L.Fuller,The Morality of Law, Revised Edition (Yale University Press,1969),pp.24 27.L.L.フラー(稲垣良典 訳)『法と道徳』(有斐閣、1968年)27 29頁。

( 5 ) F.A.Hayek,The Constitution of Liberty (Routledge & Kegan Paul,1960),p.240.気 賀健三・古賀勝次郎訳『ハイエク全集第六巻:自由の条件Ⅱ』(春秋社、1987

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パシュカーニス法理論の再検討 理論が論争を誘発するものであったことや、後に不本意な転向を強いられ粛清 されたことが、知れ渡っていたようである。 日本では、戦前から社会科学におけるマルクス主義の磁力が強かったことも あいまって、早くも1930年に山之内一郎によるパシュカーニスの前述著書の邦 訳が出ている(『法の一般理論とマルキシズム』改造社)。さらに1932年には佐 藤栄による邦訳も出ている(『マルクス主義と法理学』共生閣)。ドイツ語版が 1929年にベルリンで出ていることに次ぐ反応の早さであり(佐藤訳はドイツ語 版が底本)、英訳や仏訳が出たのは第二次大戦後のことであった 6 。1958年には、 稲子恒夫による邦訳も出された(『法の一般理論とマルクス主義』日本評論社)。 同じ著書の邦訳が三種類出ているというのは、かなり異例のことだろう 7 。これ らの訳者の他に、加古祐二郎、川島武宜、加藤新平、沼田稲次郎、藤田勇、大 江泰一郎などの理論法学者達が、パシュカーニスの法理論に多かれ少なかれ触 発される中で、それぞれ固有の理論的課題を追求していくことになった。これ らの論者は、パシュカーニスの法理論に好意的であるとは限らず、むしろ批判 的な側面も強い(後述)。        ( 6 ) ドイツ語訳は以下の通り。E.Paschukanis,Allgemeine Rechtslehre und Marxismus,

Berlin 1929.英 訳 は 複 数 出 版・ 所 収 さ れ て い る。B.Pashukanis,The General Theory of law and Marxism,Hugh Babb,John Hazard,Soviet Legal Philosophy (Harvard University Press,1951),pp.111 225; Evgeny B.Pashukanis (Translated by Brabara Eihorn),Law and Marxism: A General Theory toward a Critique of the

Fundamental Juridical Concepts (Pluto Press,1978); Piers Beirne,Robert Sharlet, Pashukanis: Selected Writings on Marxism and Law (Academic Press,1980),pp.

37 131; Evgeny B.Pashukanis,The General Theory of Law and Marxism (With a new introduction by Dragan Milovanovic,Transaction Publishers,2007).フ ラ ン ス 語訳は1970年に出ている。Evgeny B.Pašukanis,La théorie générale du droit et le

marxisme (Paris,1970).

( 7 ) 邦訳が三種類出されたことにも理由がないわけではない。山之内訳では、戦前 の治安維持法体制下における「伏字」の部分が散見され、佐藤訳も同様なうえ ドイツ語版を底本にしている。そうしたこともあって、戦後、稲子恒夫がロシ ア語第三版から翻訳し直したと思われる。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 本稿では、1920−30年代のソ連国内における法学論争の中でのパシュカーニ スの位置付け――これに関しては藤田勇の業績が大きいと思われる 8 ――よりも、 日本を含めたソ連国外でのパシュカーニスへの反応を重視しつつ、その理論的 意義について再検討する。そのため本稿ではパシュカーニスのソ連国内での立 ち位置に関連する細かい政治史的背景などについては、直接議論の対象とはし ない。 結論をやや抽象的に先取りすれば、パシュカーニスの独創的な法理論は、仮 に当時のソビエトの政治状況の文脈を離れて考えたとしても、一考慮に値し、 法の一般理論あるいは原理論にとって、重要な手掛かりを残した。ただしパシュ カーニスの方法論や仮説は、多くの批判にさらされたように、様々な点で問題 含みでもあり、それでも資本制社会と法との内的関連を考える際、さらにこう いってよければ「人類学的」に近代法を眺める場合、パシュカーニスの法理論 は議論のたたき台ともなろう。なおここでは、パシュカーニスの法理論を、様々 な法的現象の現状分析のツールとして蘇らせようというところまでは意図して いない。 パシュカーニスの法理論を考える際、参照すべきは、やはり、当初は無名 だった彼が習作的意図で自由闊達に書いたと思われる『法の一般理論とマルク ス主義』である(以下、『一般理論』と略)。その野心的なタイトルからも推察 できるように、パシュカーニスはマルクスの方法論からヒントを得て、法とい う範疇の歴史的性格について考察する。そこでは、資本制社会において最盛期 を迎える法という形態の存立根拠についての解明が試みられ、さらに市場原理 に代わって計画原理が優位になっていくことに由来する名高き――悪名高き―        ( 8 ) 藤田勇『ソビエト法理論史研究1917 1938:ロシア革命とマルクス主義法学方 法論』(岩波書店、1968年)。また同時期に米国の研究者ロバート・シャーレッ トがインディアナ大学に提出した以下のパシュカーニスに関する博士論文が 1920年代後半のソビエト法学論争を扱っている。Robert Sharlet,Pashukanis and

the Commodity Exchange Theory of Law,1924 1930: A Study in Soviet Marxist Legal Thought,Indiana University,Ph.D.,1968.

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パシュカーニス法理論の再検討 ―「法の死滅」が演繹される。著書のタイトルにもある「法」を意味するロシ ア語の「プラーヴァ」は、ドイツ語の「レヒト」に対応しており、ロシア語で も「客観的」な法=規範、「主観的」な法=権利というような語法がしばしば なされ、現にパシュカーニスの著書でも、そうした区分が議論対象となってい る(後述)。 『一般理論』の後、パシュカーニスは、1920年代後半に書いたいくつかの小 論においても、注目すべき記述を残しているが 9 、1930年代になると、筆致はむ しろさえなくなる。政治状況の変転によって自己批判を余儀なくされていき、 1932年に出た『国家と法の学説』では、パシュカーニスが編者として序文を書 いており、本書は、いわゆる史的唯物論の教科書としての価値はあるが、従来 のパシュカーニスのアイデアは後景に退いている10。 パシュカーニスについて日本では少なからぬ法学者達が論文や著書で触れ ているものの、『一般理論』について必ずしも体系的に論じられていないため、 第一章では、その特徴について同時代の法理論の潮流と併せて可能な限り明 らかにする 11 (ただし「法と倫理」など、パシュカーニスがとりあげている重 要なトピックについては紙幅の都合で割愛せざるを得なかった 12 )。第二章では、 1930年代から近時にいたるまでの日本の法学者によるパシュカーニス法理論の 受容と批判について可能な限りとりあげる(以上、本号)。第三章では、同様 に欧米諸国におけるパシュカーニス法理論の受けとめられ方や再評価、批判に ついて検討する。そして終章では、それらをふまえた上で、改めて『一般理論』        ( 9 ) 例えば1927年に公表された「マルクス主義法理論と社会主義建設」や1929年に 公表された「経済と法規制」など。Е.Пашуканис.Марксистская теория права и строительство социализма.Революция права.1927,№.3 ,С. 3 12.Экономика и правовое регулилование.Революция права.1929, №.4 ,С.12 32.№.5 ,С.20 37. (10) Под редакцией Е.Пашуканиса.Учение о государстве и праве.Лен-инград,1932.なお本書の章立ては「マルクス主義の国家と法理論」、「古代社 会と国家と法の発生」、「封建制の国家と法」、「ブルジョア社会と国家」、「ブル ジョア法」である。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 を中心とするパシュカーニス法理論の意義と限界について検討する。

第一章 パシュカーニス法理論の特徴

(一) 前史 パシュカーニスに先立って、十月革命直後のソビエトにおいて、法的現象に ついての「マルクス主義的」な分析を試みた者もいないわけではなかった。 当のマルクス(およびエンゲルス)の著作においては、「法的上部構造」や        (11) パシュカーニス『一般理論』の章立は次の通り(稲子訳による)。序説「法の 一般理論の課題」、第一章「抽象的な科学において具体的なものを構成する方 法」、第二章「イデオロギーと法」、第三章「関係と規範」、第四章「商品と主 体」、第五章「法と国家」、第六章「法と倫理」、第七章「法と法違反」。なお 『一般理論』の概説的役割を兼ねた邦語論文としては、酒匂一郎「制度と正義 ―パシュカーニス法理論の批判的再検討―」『法政研究』51巻 2 号(1985年) 265 302頁。より批判的なスタンスから『一般理論』の重要トピックをとりあ げたものとしては、大薮龍介「パシュカーニス『法と一般理論とマルクス主 義』」( 1 )・( 2 )『富山大学教養部紀要(人文・社会科学編)』21巻 1 号(1988 年)45 61頁および同21巻 2 号(1988年)53 68頁がある。 (12) 当初、本稿の執筆段階で「法と倫理(あるいは道徳)」についても第一章の一 節分を割いていたが、『一般理論』の種々の論点の中で、この「法と倫理」に 関するパシュカーニスの筆致はやや冴えないことに気付かされた。法と同様、 「倫理」という形態についても、パシュカーニスは、未来におけるその「死 滅」を予告しているが、その論理の運びがかなり強引で、荒削りで説得力に欠 けるところが目立つ。むろんそれを言い出したら『一般理論』全体が試論的な ものであり、見ようによっては全体が荒削りとも言えるが、ただしそのことを もって本書が取るに足らないということにはならないと思われる。 (13) マルクスやエンゲルスによる法的範疇に関する記述は、断片的なものであり、 体系的かつ一貫したものではなく、時代や問題の文脈によっても異なってく る。それらをどのように理論化するかは、原典のテクスト読解の仕方はもとよ り後世の「マルクス主義法理論」家の問題意識によって異なってこよう。さし あたり、古典の紹介を含めた理論書としては、藤田勇『マルクス主義法理論の

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パシュカーニス法理論の再検討 資本制生産様式の下での契約や私的所有権等の基礎的な法的範疇に関する記述 があるものの 13 、それらはソビエト権力が直面している実務に即座に応えるもの ではなかった。そのため、十月革命直後の政治指導者や理論家は、当面の布告 や立法に際しての理論的な拠り所を、むしろマルクス主義とは関連の薄い論者 から掘り出してきた。こうした側面について、後にパシュカーニスは、「政治 的に正しい革命的措置が、いわば、政治的に正しくない、非マルクス主義的な 理論に根拠付けられるというパラドキシカルな現象」と指摘している 14 。 一例として、初代教育人民委員のルナチャルスキーが十月革命直後に『プラ ウダ』紙に寄せた「革命と裁判」という論評がある。帝政ロシア法とその裁判 機構が廃止されて新たな人民裁判所が形成される局面で、マルクス主義とは直 接関係のない、革命前ロシアの「法心理学派」の首領として著名な、当時、欧 州でも知られていたペトラジツキーが援用されている 15 。そこでは、既存の実定 法(帝政ロシア法)と、新たに台頭してくる諸階級の正義観念としての「直観 法」――心理学的次元でとらえたある種の自然法――との関係が非和解的状態 に達したものとして十月革命がとらえられ、プロレタリアや農民の革命的行動 とソビエト権力の法創造に正当化根拠が与えられている。実際に、十月革命直 後に出された「裁判所に関する布告第一号」においては、帝政時代の司法制度 の全廃とともに、新たに選出される人民裁判官が依拠すべき当面の法源として の革命的法意識や革命的良心という指針が示されている 16 。 後に法心理学派の潮流と、フロイトの精神分析やマルクス主義とを合体させ ようとしたレイスネルの代表作『法:われわれの法、他者の法、共通法』では、        (14) Е.Б.Пашуканис.Марксистская теория права и строительство социа-лизма.Революция пава.1927,№.3 .C .3 .この論文は以下の選集にも収めら れている。Е.Б.Пашуканис.Избранные произведения по общей теории права и государства.Москва,1980.С.182.なお、このパシュカーニスの 指摘については前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』43頁の注25で知った。 (15) А.Луначарский.Революция и суд.Правда.№.193.1 Декабря,1917года. (16) Собрание узаконений и распоряжений рабочего и крестьянского правительства.1917.№ 4 .Ст.50.

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 1920年代のソビエト法が、プロレタリアート独裁に体現されたプロレタリア法 と、土地の共同体所有に体現された農民法、さらには当時のネップ(新経済政 策)の時代の民法典にみられる個人主義的な商品交換法=ブルジョア法との混 合物と位置付けられている 17 。そのように法の根拠を一定の社会階級の集団心理 や法意識に求める論法が、観念論的と批判を浴び、諸階級の直観法の混合物と しての(当時の)ソビエト法という把握は、「モザイク理論」とも揶揄された 18 。 他方、十月革命直後の有力なボリシェヴィキの法理論家であったストゥーチカ (初代司法人民委員)は、法を心理学的次元ではなくて「支配階級の利益に応 え、かつ支配階級の組織された力によって保護される社会関係の体系(あるい は秩序)」とザッハリッヒに定義し、ブルジョア社会における法の「階級的性格」 を指摘するのみならず、ソビエト権力の下での法実務に寄与するような定義を 与え、プロレタリアと農民の国家・法の「革命的役割」を見出そうとしている 19 。 以上のような視点が、はたしてマルクス主義固有の法理論を画するもので あったのか。確かにマルクス主義は階級という範疇を多用するにしても、法の 認識や法実務において階級的利害関係を重視したり、階級闘争的な契機をとり いれたりすることが即マルクス主義的ということにはならない(法を支配集団 の支配装置やイデオロギーとする見地は昔からあった)。その点で、マルクス 主義的な法の原理的考察は、以下で順次述べるように、実質的にはパシュカー ニスによって切り拓かれたと言っても過言ではない。        (17) М.Рейснер.Право,наше право,чужое право,общее право.Ленинград-Москва,1925.С.244. レイスネルの法理論については、前掲、藤田勇『ソ ビエト法理論史研究』29 32頁、63 68頁をも参照。 (18) 前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』66頁。 (19) П.И.Стучка.Избранные произведения по марксистско ленинской теории права.Рига,1964.С.58.なお、この定義が最初に登場したのはス トゥーチカ自身も起草に加わった1919年12月12日の司法人民委員部決定「ロシ ア共和国刑法の指導原理」の第一条においてであった。Собрание

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узаконе-パシュカーニス法理論の再検討 (二) 同時代の法理論との関係 『一般理論』は、その第 1 版(1924年)と第 2 版(1926年)の副題が「基本 的法概念批判の試み」となっており 20 、当面の法実務に具体的な指針を与えるよ りもむしろ、いわば「アカデミック」な内容であり、既存の法学およびその諸 概念に対して学理的な反省をせまるものである。パシュカーニスは、かつてミュ ンヘン大学で学んだこともあり、本書には所々に法制史に関する該博な知識が 顔を出している 21 。 パシュカーニスは、「われわれは法学を心理学や社会学に解消させないで法 の一般理論に発展させることができるのであろうか。経済学で商品形態とか価 値形態という基本的な、もっとも一般的な定義の分析をしているのとおなじよ うに、法的形態の基本的な定義を分析できるであろうか。法の一般理論を、独 立の理論的な学科とみることができるかどうかは、この問題の解決如何にか かっている」という根本的な問いを発する 22 。 「心理学や社会学に解消させない」法の一般理論とは何であろうか。 当時、パシュカーニスが試みようとしていた一般理論とは対極的な法の一般 理論が一方に控えており、それは新カント派の法理論であった。そこでパシュ カーニスによって槍玉にあげられているのは、他ならぬケルゼンである。ケル ゼンもまた「純粋法学」の形成にあたって、法学から心理学的、社会学的要素 を放逐しようとしていた。 パシュカーニスは、ケルゼンのような意味で「不純な」要素を法学から追放 しようとしたわけではない。パシュカーニスはケルゼンの功績を認めつつも、        (20) 第 1 版・ 2 版のタイトル原題は以下の通り。Общая теория права и маркс-изм: Опыт критики основных юридических понятий. (21) パシュカーニス自身の経歴の概略については、稲子訳の「解題」( 3 28頁) ほか、藤田勇「革命の時代と知識人―E・パシュカーニスの生涯と思想」 1 14、『窓』(ナウカ社)1986年59号から1991年76号。 (22) Пашуканис (1927).С.13.稲子訳48頁。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 その「純粋法学」が何事をも説明しようとしていないし、社会生活に背を向け て規範をとりあつかい、規範の起源や物質的利害との関連に何ら関心を払って いない、と手厳しい 23 。他方、ケルゼン自身は、社会秩序の実効性、服従の動機、 権力の秘密などは社会学的に極めて重要であるが、法の本質の問題領域外にあ ると自覚的に宣言していたことで知られている24。ケルゼンとパシュカーニスと では、法の一般理論といっても、それぞれ問題関心が異なるといわざるを得ず、 両者の方法論は、平行線を辿っている 25 。そうであるにしても、同時代にそのよ うな形で全く性格の異なる「法の一般理論」が並存し、両者ともそれぞれ「イ デオロギー批判」を重要な理論的課題としつつ法学を独立の理論的分野として 確立させようとしていたことは興味深い(ケルゼンによるパシュカーニス批判 については第三章で検討する)。 また、ケルゼンと同じオーストリアには、マルクスの影響を受けた法学者カー ル・レンナーがいた。ロシア以外で、パシュカーニスに先立ってマルクスの影 響を受けた法理論を展開していた論者といえば、さしあたりレンナーが思い浮 かぶ。 レンナーによれば、本来の(伝統的な)法学の任務は、本の本質だとか、そ の生成あるいは消滅について研究すべきものではなく、所与の法律規定のうち に法命題を発見し、それを分析し、問題に適用するという任務をもっているに 過ぎない 26 。それに対して、「法の社会科学」は法の生成過程と法の社会的機能        (23) Там же.С.15.同上50頁。

(24) Hans Kelsen,Law and Peace in International Relations ( Harvard University Press, 1942),p.69.ケルゼン(鵜飼信成訳)『法と国家』(東京大学出版会、1969年) 83頁。 (25) 兼子義人の説明によれば、ケルゼンは「法の生成」と「法の内容」の問題とを 峻別して、「法科学」において問題とされるのは後者であって、前者は「超法 的」問題であるとして「法科学」の領域から排除している(兼子義人『純粋法 学とイデオロギー・政治』法律文化社、1993年、 4 頁)。この対比でいえば、 ケルゼンと異なってパシュカーニスが「法の生成」を理論の対象としているこ

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パシュカーニス法理論の再検討 をも研究対象とし、とりわけ後者の、規範の経済的・社会的機能を研究しなけ ればならないと持論を表明する 27 。そこでレンナーは、マルクス主義の「土台 上部構造」の方法論に言及するが、法をもっぱら経済の社会的土台の結果とし て説明することについては懐疑的である 28 。ただし「法は、資本主義経済の発展 の条件とはなりえても、発展を創りだすものではない」と述べ、大まかには経 済的条件が法のあり方に影響を与えることを承認する 29 。レンナーの目的は、マ ルクスの理論をそのままリジッドに法学原理論に適用するというよりもむしろ、 「社会の経済的、自然的な土台の推移によって生じる(法制度の)機能の変遷」 という着想を得つつ、所有権の機能の変遷について、歴史的視点を織り交ぜつ つ叙述するところにある 30 (こうした見地は我妻栄にみられるように戦前から日 本の法学者に少なからぬ影響を与えたことで知られる31)。例えば資本主義の細 部が変化しても、「所有権」という規範は変わらずに残り続けるが、その「機能」 は変化していくのである、という具合に。 パシュカーニスは、レンナーの「法についての科学は法律学が終わったとこ ろからはじまる」という主張に同意する 32 。しかしレンナーが、法とは社会の総 体的意思として個人に向けられるインペラティフである、ということを前提と して、もっぱらその機能の分析に推移することに、パシュカーニスは批判的で        (26) Karl Renner ( Translated by Agnes Schwarzschild),The Institutions of Private Law

and Their Social Functions ( Routledge & Kegan Paul,1949),p.48.カール・レン

ナー(加藤正男訳)『私法制度の社会的機能〔改訳版〕』(法律文化社、1975 年) 6 7 頁。 (27) Ibid.,p.55.同上15頁。 (28) Ibid.,pp.55 57.同上16 17頁。 (29) Ibid.,p.253.同上167頁。 (30) Ibid.,p.257.同上163頁。 (31) 我妻栄『近代法における債権の優越的地位』(有斐閣、1953年)。とりわけ同書 所収の「資本主義生産組織における所有権の作用――資本主義と私法の研究へ の一寄与としてのカルネルの所論――」がレンナー論である(初出は『法学協 会雑誌』45巻 3 5 号、1927年)。なお「カルネル」とはレンナーの匿名。 (32) Пашуканис (1927).С.13.稲子訳47頁。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 ある。つまり、そのような「外的・権威的な規制」という法の定義をすべての 時代や人類社会の発展段階にあてはめて、その「機能」の変遷を論じるという ことが、法という形態そのものの歴史性という意義を明かにしてくれないとい う。経済学で、すべての時代に通じる「経済」の概念を定義しようとすること が無益であるのと同様に、すべての時代に通じる「法」の概念は、科学の名に 値しないというのがパシュカーニスの基本的立場である 33 。 ロシアでは、革命前からすでに欧州の影響を受けつつ社会学的法理論や(先 に言及したペトラジツキーに代表される)心理学的な法理論が興隆していた 34 。 それらについてパシュカーニスは意義を否定しているわけではない。なぜなら、 それらの理論は、法を利益間の闘争の結果としてとらえたり、国家的強制とし てとらえたり、人間の心理的過程としてとらえたり、要するに法を教義として ではなく現象として説明しようとしており、それらから多くのことが期待でき るからであるという 35 。 ところが、パシュカーニスによれば、それらの法理論は、法という形態その ものを直接の検討対象としない。むしろ往々にして外在的視点から法の「フィ クション」や「イデオロギー」としての側面を強調する。なおかつ多くのマル クス主義者が、法現象の分析に若干の階級闘争の契機を入れることで満足して いる 36 。こうした点にパシュカーニスの不満があった。 なお、市場交換、私的取引が容認されていた1920年代のソ連では、法学がマ        (33) Там же.С.13.同上54 55頁。 (34) 革命前のロシアの法思想については、以下のヴァリツキの研究が参考になる。 Andrzej Walicki,Legal Philosophies of Russian Liberalism ( Oxford University Press, 1987).ペトラジツキーについては、以下の英訳された著作および英語の研究 論文集がある。Leon Petrazycki (translated by Hugh W.Babb),Law and Morality ( Harvard University Press,1955).Jan Gorecki (Editor),Sociology and Jurisprudence

of Leon Petrazycki (University of Illinoi press,1975).またソ連解体後のロシアで

もロシア革命前の法学者の著作の復刊が相次いでいるが、ここでは割愛する。

(15)

パシュカーニス法理論の再検討 ルクス主義で染まっていたわけではない。当時のソビエトの法学者の間で一定 の人気を博していた西欧の法理論が、レオン・デュギーなどの反個人主義的な 「社会連帯」の法理論であった 37 。それは、多かれ少なかれレンナーの議論とも 通じるところがあるが、例えば私有財産を、不可侵の人権としてではなく、社 会が一定の目的を達するために諸個人に付与した権能、「社会的機能」という 見地からとらえる 38 。デュギー自身は十月革命とソビエトに反対であったが、そ のような理論は、市場交換原理と計画原理とが混在していたネップ(新経済 政策)の時代のソビエト社会において、確かに魅力的であったと言える。実 際、1922年ロシア共和国民法典(十月革命後初の民法典)の総則規定は、「民 法上の権利は、それが社会・経済的使命に反して行使される場合を除いて、法 律によって保護される」で始まる39。そこでいう「社会・経済的使命」とは、「公 序良俗」などの概念と異なって、社会主義建設しかも過渡的には市場交換とい う迂回路を通じた生産力の上昇という合目的性に貫かれた概念である。同時に それは、市場の宴の頭上にダモクレスの剣がぶらさがっていることにも例えら れる 40 。当時のソビエトにおける指導的法理論家の一人であったゴイフバルクが、 まさにデュギーの法理論の見地から1922年の民法典を説明しようとした 41 。 パシュカーニスは、デュギーの法理論について、同時代の資本主義が自由競 争や無制限の個人主義から離れつつある状況を反映しており、その理論を社会 主義的計画性に利用することができるとしつつも、われわれの任務は法形態そ        (37) デュギーの法理論ついては、以下の邦語研究書が参考になった。大塚桂『フラ ンスの社会連帯主義―L・デュギーを中心として―』(成文堂、1995年)、和田 英夫『ダイシーとデュギー』(勁草書房、1994年)、中井淳『デュギー研究』 (関西学院大学法政学会、1956年)。

(38) Léon Duguit,Les transformations générales du droit privé : depuis le Code Napoléon (Paris: F.Alcan,1920),pp.1 22.レオン・ドュギー(ママ)(西島彌太郎訳) 『私法変遷論』(弘文堂書房、1925年) 1 27頁。

(39) Т.Е.Новицкая.Гражданский кодекс РСФСР 1922 года.Москва, 2002.c.

113.

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 のものの歴史性と相対性を明らかにすることとし、原理的な問題意識に立ち 返っている 42 。そして「社会的機能」としての所有、すなわち所有者は一定の社 会的義務を果たしているときにかぎり保護されるという立場は、「ブルジョア 国家にとっては偽善であり、プロレタリア国家にとっては事実の隠蔽」だとい う。そもそも、もしプロレタリア国家が、そうした「社会的機能」を直接指示 できるのであれば、国家は早々所有者から処分権をとりあげるだろうし、しか し経済的にそのようなことができない以上――国内戦で当時のロシアの生産力 は革命前をはるかに下回っていた――一定の範囲内で市場交換を通じた私的利 益を保護せざるを得ない 43 (これこそが民法典制定の根拠であった)。 このように、少なくともパシュカーニスにとっては、「社会的機能」として の所有という見地が、市場経済の克服の見通しをあいまいにしてしまい、所有 の反対物は、「社会的機能」として考えられている所有ではなく、所有の廃止 すなわち市場経済にとってかわる計画的な社会主義経済であった 44 。商品交換法 を前提としつつ、そこに社会政策的、合目的的機能を折衷しようという態度は、 ブルジョア社会のみならず市場原理の残存する当時のソビエト社会の現状と見 通しから目をそらすものとして映ったのであろう。        (41) 稲子訳「解題」 5 頁。また、藤田勇によると、当時のソ連における「社会機能 説」は、「民事取引の安定要請に発する『私的財産権』の許容と関連して、こ の『私的財産権』に枠をはめるための原理として民法典の起草担当者によりと りこまれたものである。彼らは、私人の権利を、国の生産力の発展にとって利 益になるような『社会的機能』を果たすために、かつそのかぎりでのみソビエ ト国家によってあたえられ、保護を受けるものとして意味づけられるために、 19世紀的『個人法』にかわる『社会法』時代の新しい『進歩的』法原理として 『社会機能説』をソビエトに輸入することが可能であると考えたのであった。」 (前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』52頁) (42) この部分は以下のドイツ語版への序文で述べられている。E.Paschukanis, Allgemeine Rechtslehre und Marxismus.Berlin 1929.S.6 .稲子訳33頁。

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パシュカーニス法理論の再検討 (三) 法の形態分析と歴史性 パシュカーニスが目指す法の一般理論とは、法規範の個別具体的内容が何ら かの社会階級の利益に照応しているということを示すことではなく、規範の社 会的機能の歴史的変遷について論じることでもなく、また米国のリアリズム法 学のように法的判断の恣意性や不確定性、政治的性格などを指摘したりするこ とでもないことが、さしあたり了解できる。 一般にマルクス主義というと、ブルジョア社会の様々な範疇に対するイデオ ロギー批判に余念がないとされている。パシュカーニスも、ゆがめられ神秘化 された表象という意味でのイデオロギー的性格を、法に見ないわけではない(と いうよりも種々の法律概念がイデオロギーであることはむしろ論争の余地がな いほど自明とされている)。しかし、マルクスが例えば「価値」や「資本」と いう範疇を単にイデオロギーとして済ませたわけではなく、ある歴史的段階に おける社会関係――さらにいうならば一定の社会関係の物象的形態――と見立 てたように、パシュカーニスも、法を、何らかの物質的諸関係に根ざす特殊な 社会関係の形態とみる。 先にも引用したように、パシュカーニスは「経済学で商品形態とか価値形態 という基本的な、もっとも一般的な定義の分析をしているのとおなじように、 法的形態の基本的な定義を分析できるであろうか」という問いかけをしている 45 。 パシュカーニスはここでマルクスの『資本論』(とりわけその草稿段階として の「経済学批判序説」)の方法論を強く意識している。 『資本論』では、商品や賃金、資本など、一定の歴史的条件に制約された生産・ 交換関係の下で生じる「形態」(形式、Form)の出自の解明が重視されている。 例えば具体的有用物としてのモノが、一定の社会関係の下で、何ゆえに商品形 態、それゆえ「価値」という形をとるのかという原理的な問いかけである 46 。そ のような問いかけは、パシュカーニスを通じて、いかにして一定の社会関係が        (45) Пашуканис (1927).С.13.稲子訳48頁。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 「法」、しかも権利・義務関係という形態をとるのか、という問いに変換される。 さらにそれは、身分固有の特権ではなく人間一般がいかにして法・権利の主体 となるのか、その社会的・経済的基盤は何かという問いと表裏の関係にある。 また『資本論』の冒頭では、資本制社会が膨大な商品の集まりとして現象し、 個々の商品が富の原基形態として現象するがゆえに、商品の分析が端緒となる 旨が宣言されている 47 。他方パシュカーニスは、一見唐突だが、「主体」が法理 論の原子であり、これ以上分解できないもっとも単純な要素であるとしている 48 。 そこではモノが商品となることと、ヒトが法・権利の主体となることとの間に、 単なる偶然ではない、内的な連関が認められている。 解釈法学は、どのような原因のために、人間が動物学的な意味での人間 から法的主体にかわるかという問題をとりあげない。なぜなら解釈法学は、 法的交際を既成のことがらとして、あらかじめあたえられた形態としてと りあつかうことから出発するからである。(原文改行)これとは逆にマル クス主義理論は、あらゆる社会的形態を歴史的形態として検討する。した がってそれは、なんらかのカテゴリーを現実的なものとする歴史的、物質 的条件を明らかにすることを任務としている49。 ここには、パシュカーニスによる法の一般理論の基本的な問いかけが端的に 表れている(おそらくここまで簡潔明瞭にマルクス主義的法理論の「任務」を 集約的に語ったものを、他に寡聞にして知らない)。あらゆる社会的形態は歴 史的形態であるということは、法的形態に関していうと、例えば封建的社会構        (46) とりわけ、価値形態、商品形態、貨幣形態、資本形態の独自性を強調している 第 1 章第 4 節「商品の物神的(呪物的)性質とその秘密」の注32を参照。Marx/ Engels Gesamtausgabe ( MEGA ).Berlin 1991,Ⅱ 10,S.79 80.カール・マルクス (岡崎次郎訳)『資本論』第 1 巻第 1 分冊(大月書店、1968年)108 109頁。 (47) Marx (ebd.),S.37.同上47頁。

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パシュカーニス法理論の再検討 成体に対応した封建法や、資本制的社会構成体に対応した資本主義法があると いうような、いわゆる「史的唯物論」の定式とはまた異なる。そうした見方は、 法という範疇があたかも歴史を超えて社会に君臨しているかのような意味で、 パシュカーニスにおいては、むしろ非歴史的な見地とみなされるだろう。 パシュカーニスの理解では、「法という形態」そのものの最高度の発達を支 える歴史的、物質的条件が、他ならぬ商品所有者の社会としての資本制社会で ある。それは労働生産物が相互に価値として関係しあう社会を意味する(商 品の有用性がそれぞれ異なっている一方、それらが一定の比率で交換される)。 なおかつ、こうした「価値法則」は、人間社会の産物であるにしても人々の意 思とは独立して作用し、人間がむしろそうした法則性に従属することになる。 しかし、同時に商品交換過程では、取得や譲渡など、人々の何らかの意思行為 が前提とされ、生産物の処分者である主体としての人々の特殊な関係が必要と される 50 。このように、パシュカーニスの理解では、人間は価値法則に従属して いるが、他方で価値関係の実現は、あたかも人間の「自由意思」で行われ、こ れらを媒介するのが「法」という形態なのである。 ここでパシュカーニスが『資本論』から引用しているフレーズの中に「商品 は自分で市場にでかけることができないし、また自分で自分たちを交換できな い。だからわれわれは、それらの保護者たちを、商品所有者たちを、さがさな ければならない」というのがある 51 。このマルクスのフレーズにおいては、商品 が擬人化されて主語になっているが、単なる文学的なレトリック以上の意味合 いがある。つまり論理的には、商品交換の発達が、商品の所有者、処分権者と しての抽象的な法的主体を生み出すのであり、抽象的な法的主体があらかじめ 存在しているから、商品交換が生じるのではない。 それゆえパシュカーニスの議論においては「労働生産物が価値の担い手とし て商品の性質を獲得することは、人間が法的主体の性質を獲得し、権利の担い        (50) Там же.С.64.同上116頁。 (51) Там же.С.64.同上116頁(引用部分のマルクスの原文はMEGA,Ⅱ 10,S.82. 岡崎次郎訳『資本論』第 1 巻第 1 分冊、113頁)

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 手になる」ことを意味するという論理構造になっている 52 。 商品は「交換」されることによって商品足りうる 53 。パシュカーニスは、法と 権利の主体の発生を、この「交換」という社会的交通から説き明かす。すなわ ち商品交換が全面化していく過程で、身分的・経済外的強制から解き放たれて いく人間は、取得と譲渡を通じて商品を処分する商品所有者として抽象化され、 権利能力をもつ主体として観念される。パシュカーニスのいう歴史的形態とし ての法的形態は、規範の束やルール一般、あるいは政治的権力の権威的命令一 般に還元し得るものではなくて、その根底には、商品交換の発達――およびそ れに伴って生じる紛争――によって現れる私的利益を主張し得る自治的な主体 間の権利義務関係という様式がある。 法は、ブルジョア的関係が完全に発展したとき、はじめて抽象的性格を 獲得する。すべての人間は人間一般となり、あらゆる労働は社会的に有用 な労働一般に還元され、あらゆる主体は抽象的な法的主体となる。同時に 規範は抽象的、一般的な法律という論理的に完成された形態をとるように なる 54 。 そのような意味での抽象的な法・権利の主体性は、封建的な社会構成体にお いては未発達で、「あらゆる権利は特権」(マルクス)であり、都市や諸身分が 固有の自治を有していた 55 。「中世においては、法的主体という抽象的概念は存        (52) Там же.С.64 65.同上117頁。なお、この部分の稲子訳では「法律的主体」 となっているが(原文はюридический субъект)、文脈上、「法的主体」と した。その理由は、後続の注78を参照していただければ幸いである。 (53) 川島武宣によると、「物が商品であるということと、物が交換されるというこ ととは、相互に他を前提し且つ自らのうちに包含するところの不可分な統一で ある。商品は、交換の論理的前提であり、交換は商品の動的な側面である」 (川島武宣『所有権法の理論』岩波書店、1949年、25頁) (54) Пашуканис (1927).С.71.稲子訳125 126頁。

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パシュカーニス法理論の再検討 在しなかった」 56 。 パシュカーニスがマルクス主義の見地から関心を寄せるのは、一定の社会関 係が権利義務関係を伴った「法」というカタチ=形態をとる歴史的条件につい てである。そこで、法形態は商品交換が優越するブルジョア的な社会構成体に おいて全面的に開花する特殊な社会形態であるとする。藤田勇の説明を借りる と、「『法の一般理論とマルクス主義』においてパシュカーニスがこころみたの は、法的規制が社会の物質的な必要から生れ、したがって法的規範がなんらか の社会階級の物質的利益に照応しているという説明の域をでない、いいかえれ ば、強制的・社会的(国家的)規制の契機を法的現象の唯一のメルクマールと みること以上にでようとしない従来のマルクス主義法理論の水準を脱して、客 観的現象としての法的上部構造、つまり特定の歴史的形態としての法的形態そ のものの唯物論的解明をなしとげることであった」 57 。 (四) 所有権の発生 所有権とは、その講学的な位置づけにもかかわらず、人と物との関係ではな        (56) Там же.С.71.同上125頁。これは、ヘーゲルが「抽象的な法権利」論で、 ローマ法においては人間が一定の身分でみられてはじめて一個の人格とみなさ れる、と述べていたことを彷彿とさせる(例えば奴隷と対比した場合の立場 や身分)。したがってヘーゲルは、ローマ法の対人権は人格そのものの権利で はなく、特殊的な人格の権利であるという言い方をしている。G.W.F.Hegel.

Werke 7 : Grundlinien der Philosophie des Rechts (Frankfurt am Main,1970),S.99.

ヘーゲル(三浦和男訳)『法権利の哲学』(未知谷、1991年)、175 176頁。 (57) 前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』110 111頁。 (58) 例えば川島武宜によると「所有権は人と物との関係の側面において現れる人間 と人間との関係である」(前掲『所有権法の理論』 6 頁)。また藤田勇による と、所有権は「物にたいする人の支配権として観念的には構成されているが、 現実に存在する『所有権』とは、商品の運動における人と人との社会関係の 一定の側面が、『物に対する人の支配権』として観念的に構成される法規範の 『作用』を媒介として、現実に法的関係としての規定性をもつにいたったもの である。」(藤田勇『法と経済の一般理論』日本評論社、1974年、316 317頁)

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 く人と人との関係の観念的形態であるとしばしば指摘される 58 。パシュカーニス は、そのような考え方の雛型を作り、例えばカール・レンナーのような論者で さえも法律上の所有とは物に対する人の支配であると指摘していることについ て、「完全な誤解」とし、「お気に入りのロビンソン・クルーソの物語」と批判 する。そして、他者と社会関係を取り結んでいないロビンソンが、どういう意 味で、事実関係にすぎない物に対する自己の関係を法的に考えるのだろうかと いう問いを発する。労働や強奪によって物を取得する人間を法的な意味で所有 者に変える可能性と必然性をつくりだすのは、市場における交換であり、物に 対する無制限な権力とは、無制限な商品流通の反映だという 59 。このように、パ シュカーニスは所有権の起源を人間の外界の支配や先占という主体−客体関係 に見出すのではなく、やはり市場交換という社会関係に見出す。 そもそもパシュカーニスのいう法の根本的範疇としての「主体」とは、所与 としての生物的実体ではなく、「生きた具体的な人格から最終的に切りはなさ れ」た「純粋に社会的な本性」であり、先に触れたように「取得と譲渡の行為 において商品を処分する商品所有者」である 60 。これらは近代的な所有権の主体 を意味している。物が交換価値として機能するときには、それは権利の純粋な 客体となり、それを処分する主体は純粋な法的主体となり、この所有権の主体 は、契約的な関係における私的所有者としての相互承認の中で生じる 61 。自然法 理論であれば、所有権の正当性をなんらかの原初の契約によって基礎づけよう とするであろうが、パシュカーニスにおいては、所有権は譲渡の行為という歴 史的な現実によって可能となる 62 。        (59) Пашуканис (1927).С.74 75.稲子訳130 131頁。 (60) Там же.С.67 68.同上120 122頁。 (61) Там же.С.71 74.同上126 129頁。パシュカーニスによると、法律的概念の 論理体系において、契約は法律行為の一つの種類に過ぎないが、歴史的には、 法律行為の概念は契約から成長し、契約を抜きにすると法律的意味における主 体と意思の概念自体は「死んだ抽象」として存在するにすぎないという(Там же.С.72.同上126頁)。

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パシュカーニス法理論の再検討 パシュカーニスによるとブルジョア的所有としての私的所有には、形態学的 にふたつの側面を含んでおり、ひとつは個人的利用としての私的取得、もうひ とつは交換行為において譲渡をするための条件としての私的取得である 63 。それ らは互いにつながっているが、論理的には異なったカテゴリーであり、このこ とが所有という言葉に明確さよりも混乱をひきおこしているという。例えば資 本主義的な土地所有は、土地と所有者とのいかなる有機的なつながりをも予想 しておらず、土地が次々と移転する自由、土地を取引する自由という条件のも とで初めて考えることが可能である。さらにいうと、資本主義的所有一般は、 資本の転化と移転の自由であり、それは商品としての労働力の売買抜きには考 えられない、という具合である 64 。 なお、「資本制的な私的所有は、自己の労働を基礎とする個人的な私的所有 の第一の否定である」で知られる、マルクス『資本論』のいわゆる「領有法則 の転回」論では、資本制的な私的所有に先だって、論理的のみならず歴史的にも、 自己の労働にもとづく所有という単純商品生産社会あるいは小生産者的社会が        (63) Там же.С.76.同上133頁。 (64) Там же.С.76 77.同上132 134頁。 (65) MEGA,Ⅱ 10,S.685.前掲、マルクス(岡崎次郎訳)『資本論』第 1 巻第 2 分冊 (大月書店、1968年)995頁。この「領有法則の転回」についての批判的考察 については、青木孝平『資本論と法原理』(論創社、1984年)第 6 章「『領有法 則の転回』批判と所有権法」214 249頁、および同『ポスト・マルクスの所有 理論:現代資本主義と法のインターフェイス』(社会評論社、1992年)第 5 章 「マルクス所有論の到達地平」(96 121頁)が参考になる。また藤田勇による と、マルクスが「ブルジョア的所有の第二法則」と呼ぶ資本家的領有法則は、 単純商品流通の領有法則としての「ブルジョア的所有の第一法則」の転回とし て生じるものとしているが、「第二法則」は現象の表面においてはつねに「第 一法則」を仮象的につくりだしているという。また、藤田によれば、マルクス は「第一法則」と「第二法則」との関係を、「表面層」と「かくれた背景」の 関係として示唆しており、『資本論』では「形式と内容」のカテゴリーをもっ て説明しているともいう(藤田勇『近代の所有観と現代の所有問題』日本評論 社、1989年、75 76頁)。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 実体として存在したかのような印象がもたらされた 65 。実際、マルクスの意図を 汲み取ろうとしたレンナーは、そのようにして「資本主義的所有権への発展」 の道筋を語り、「物を支配するのにとどまっ」ていた所有権が、その物が資本 となるやいなや事実上、人間、賃労働者に対する人間の命令になる、という論 理を採用することになった66。これは論理的な道筋として、わからなくもないが、 所有権を物に対する人の支配と「本来」的に見てしまったことによる、一種の 倒錯した見方でもあろう。すなわち「本来」の所有権と、他人の労働を搾取す る「いびつな」資本主義的所有権とを対比する方法である。そこには、前者に 比して後者を逸脱とみなすようなイデオロギー的な判断もあろう。 確かに、労働力商品だとか、剰余価値といった形態が支配的になる産業資本 主義以前に、あたかも個々の独立した職人が社会の基本単位となっていて、そ れぞれ「自己の労働に基づいて所有」している生産物を交換するために市場に やってくる分業社会を想像することは、理論上、不可能ではない。あるいは独 立自営農民のもとで余剰生産物が生じたため、やはり「自己の労働に基づいて 所有」している生産物を市場で交換する社会を想定することも不可能ではない。        (66) Karl Renner,The Institutions of Private Law and Their Social Functions,p.106. 前 掲、レンナー『私法制度の社会的機能〔改訳版〕』52頁。レンナーは、マルク スの思想家としての独自の業績は、まず単純商品生産の資本主義的生産様式へ の必然的移行を指摘し、これを分析したことだと述べ、この分析は規範の社会 的機能の変遷が究極的には必ず規範を変革すること、すなわち法が経済的諸関 係によってたえまなく形成されるという真実をもたらしたという(Ibid.,pp. 89 90.同上42 43頁)。「この単純商品生産の経済段階においては、土地、自然 素材ならびに、自己および他人の労働力が、生産物に対してほとんど同等の関 係で参与する結果、すべての生産条件が区別されず、価値および剰余価値、地 代、利潤、要するにすべての経済的な諸カテゴリーは、労働および労働収益に 還元される。この段階には、労働だけが価値を形成し、価値を創造するという 事実がいちじるしい」(Ibid.,p.89.同上42頁)。これらのことから、確かにレ ンナーにおいては単純商品生産社会というもののが、歴史的にもかなり実体化 され、いわば労働にもとづく自己所有権が機能していたのだという見地になろ

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パシュカーニス法理論の再検討 しかし、パシュカーニスは、レンナーの所有権の「機能変遷」論について、 資本主義的な所有形態に対立させられている単純商品生産の所有とは、純然た る抽象に他ならないと批判する 67 。そもそも、封建的・ギルド的な所有形態にお いては、他人の不払労働を吸い上げるという機能は明瞭であったが(賦役、貢 納など)、生産物の商品への転化と貨幣の出現は商業資本とともに高利貸資本 を生み出しており、パシュカーニスにいわせれば、レンナーの「機能変遷」論 とは裏腹に所有権の「社会的機能はかわらないで残る」 68 。 このことからも、パシュカーニス『一般理論』における所有権論は、自由・ 平等な小生産者の自己の労働に基づく所有→他人を搾取する資本主義的私的所 有といった段階的図式はとらず、貨幣が発達する商品生産社会との関連で資本 の移転の自由および労働力の自由な処分の形態としてとらえられることとなる。 パシュカーニスの議論を敷衍していうと、「自己の労働にもとづく」市民的・ 個人主義的な所有に対して、そこから逸脱した資本主義的な所有があるのでは なく、前者は後者のイデオロギー形態であるということになろう 69 。 (五) 客観法と主観法 法律学上の難問のひとつは、法が客観法すなわち規範と主観的な法=権利と いうふたつのモメントに分裂しており、その関係をどのようにみなすかという        (67) Пашуканис (1927).С.78.稲子訳135頁。ここで単純な商品生産社会というも のを、人々が自己の労働によって生産したものを自由で平等な立場で交換する 独立小生産者の社会として想定してみると、宇野弘蔵が指摘するように、具体 的には歴史的にそのような社会は存在せず、商品経済が支配的に行われる社会 は、独立の小生産者の社会としてではなく、すでに資本主義社会として現れる (宇野弘蔵『価値論』こぶし書房、1996年、26頁)。 (68) Пашуканис (1927).С.78.稲子訳135頁。 (69) 青木孝平によれば、「自己の労働にもとづく所有」とは、「資本主義システムの 経済的な前提ないし未来に再建されるべき理想ではなく、流通が生産を包みこ み、したがって所有が労働とたまたま合体されるところにのみ成立する、資本 主義の法イデオロギー的な表現」である(前掲、青木孝平『ポスト・マルクス の所有理論』120頁)。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 問題であろう。「法は一つの側面においては外的権威による規制の形態である が、同時に他の側面では、主観的な私的自治の形態である。」 70 法の本質を客観的規範としてみなす場合、論理的には権利義務関係は客観的 規範から生み出されるということになる。そこでパシュカーニスは、帝政ロシ ア時代の法実証主義者で知られるシェルシェネヴィッチに触れ、シェルシェネ ヴィッチが、例えば負債の返還請求権が存在するのは、債権者が一般にそれを 請求しているからではなく当該規範が存在するからだ、とみなしていることを 引き合いに出している。そうした論理関係のことを、パシュカーニスは「規範 の物神化」と呼び、「債権者と債務者との関係が、あたえられた国家に存在す る債務弁済の強制的な秩序によって、生み出されるということはできない。こ の客観的に存在する秩序は、関係を保護し、保障するが、決して関係を生み出 さない」と言い、「規範」に対してあくまでも権利義務「関係」の先行性を説 く 71 。 ここでパシュカーニスがまず退けようとしているのが形式的な法律実証主義 である。ただし、客観法(規範)の優越は、単にそのような素朴な法律実証主 義に固有というのみならず、レオン・デュギーの法理論にみられるような「形 而上学批判」においても顕著である。デュギーは自然法学に反駁し、法を変動 し得る社会的事実とみなしつつも、「各人に対して、ある一定の使命を遂行す る社会的義務と、この使命遂行の為に要求せられる一定の行為をなす能力とを 含む」客観法あるいは「社会的規律」が、諸個人や団体に権利を付与するわけ ではないと言っている 72 。つまり、コントなどの実証主義の影響を受けたデュギー は、主観的権利は形而上学的秩序の概念であるとし、国家主権の概念と並んで 個人の主観的権利の消滅あるいは除去を主張していた。        (70) Пашуканис (1927).С.51.稲子訳99頁。 (71) Там же.С.41 44.同上87 90頁。

(72) Léon Duguit,Le droit social,le droit individuel et la transformation de l'état (Paris: F. Alcan,1922),pp.10 13.レオン・デュギイ(木村亀二訳)『国家変遷論(個人

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パシュカーニス法理論の再検討 デュギーらと異なって、パシュカーニスは、主観的権利をむしろ法における 第一次的なモメントとみなし、それは自覚的な法的規制から独立して存在する 物質的利益に根ざしているからだという 73 。既述の通り、パシュカーニスは主体 を法理論の端緒とみなしている。法規範は、権利を積極的に主張する人を前提 にしている点で、他の道徳的規範や社会的規制とは異なった特徴を有すると考 える。 また、パシュカーニスは法を国家権力などの権威によって確立された社会秩 序と同一視することに反対している。何らかの権威によって発動される規制に 無条件に従うという理念(例えば軍隊の指揮系統や命令への服従)は、法的形 態とは縁もゆかりもなく、「個別的な自治的意思についてのなんらの暗示もふ くんでいない権威的秩序の原則が徹底的に実施されればされるほど、法のカテ ゴリーをもちいる基盤はますます小さくなる。」 74 パシュカーニスにおける主観的権利の優位説は、自然権論や権利基底的な正 義論などの規範的議論と異なって、つまるところマルクス主義における土台と 上部構造という社会認識の理解の仕方にも関わってくる。この建築の比喩によ る社会認識の方法については、マルクス主義内部においても様々な異論、変種 もあるが、一般に、生産関係に制約された「法的・政治的上部構造」(juristischer und politischer Überbau)という見方が生じ75、さらに上部構造内部での因果関係、 例えば法的上部構造は、規範を制定する権威としての政治的組織の結果である という見地も生じる(例えば法的なものを制定法などの表層的部分でとらえる 場合)。しかし、パシュカーニス自身は必ずしもそのように単純に考えている わけではなく、所有関係を生産関係の法的表現と呼んでいるマルクスの見地 76 を        (73) Пашуканис (1927).С.53.稲子訳102 103頁。 (74) Там же.С.55.同上104 105頁。

(75) Karl Marx,Zur Kritik der politischen Ökonomie,Vorwort,MEGA,Ⅱ 12,S.100.マ ルクス『経済学批判』「序言」、マルクス『資本論草稿集③』(大月書店、1984 年)205頁。

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神 戸 法 学 雑 誌  62巻 1・2 号 敷衍して、法的上部構造の基礎的部分を、「土台」に近接しているものとみな す 77 。つまり、生産様式などの経済的範疇は「土台」、法的範疇は「上部構造」 というように両者を切り離して峻別し得るものではなく、両者のいわば連続面 あるいは連結部があり得るとイメージすることも可能である。パシュカーニス にとって、そうした「法的上部構造の基礎的部分」が、主観的権利の発生場所 ともいうべきところなのだろう。それは、さらなる上部構造としての客観的規 範(立法、制定法)に論理的な先行しているのである。 マルクス自身は、人格同士の相互承認にもとづく契約関係を、論理的には法 律(制定法)に先立つ「法的関係」(Rechtsverhältnis)と呼び、それをなおかつ「そ こに経済的関係が反映されている一つの意思関係」とも言い換えている 78 。この 意思関係としての法的関係は、パシュカーニスのいう「意識的な規制から独立 して存在する物質的利益に根ざしている」主観的権利および対応する義務関係 (権利義務関係)に対応しているものと思われ、やはり論理的には客観法に先        (77) Пашуканис (1927).С.46.稲子訳92頁。 (78)  MEGA .Ⅱ 10,S.82.カール・マルクス(岡崎次郎訳)『資本論』第 1 巻第 1 分 冊(大月書店、1986年)113頁。なお、大薮龍介によると、パシュカーニスは マルクス『資本論』におけるRechtとGesetzの概念論的論じ分けにまったく気 付かず、両概念を同一視し、等しく法ないし法律として誤解しているという。 その証拠として、パシュカーニスは、マルクスのいうRechtsverhältnisをロシア 語でправоотношениеとすべきところをюридическое отношениеとし、「法 的関係」と「法律的関係」を区別せずにランダムに用いているからだという (前掲、大薮龍介「パシュカーニス『法と一般理論とマルクス主義』」(一)、 『富山大学教養部紀要(人文・社会科学編)』21巻 1 号、58頁)。確かにパシュ カーニスはюридическое отношениеを多用しているが、文脈的に考えると、 それを実定法・制定法に先立つ「法的関係」の意味で用いている(ただし稲 子訳ではюридическое отношениеが機械的に「法律的関係」と訳されてし まっている)。юридическийという形容詞は個々の制定法を念頭に置いて「法 律的」と訳す場合も多いが、文脈によっては「法的」と訳すべき場合が生じ る。パシュカーニスは一貫して規範に対する実在的な社会関係の優位を唱えて おり、RechtとGesetzの概念的論じ分けにまったく気付いていなかったら、そ

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