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9.11同 時 多 発 テ ロ と グ ロ ー バ ル 化 中野 毅

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9.11同 時 多 発 テ ロ と グ ロ ー バ ル 化

中野 毅

SeptemberllTerroristAttacksandtheimpactofGlobalization

NAKANOTsuyoshi

は じめ に

本 誌 『ソ シ オ 「 ロ ジ カ』第30巻2号(2006.3)に お い て,R.「 ロバ ー トソ ンの グ ロ ー カ ル化 概 念 の 特 徴 と重 要 性 を,ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン,マ イ ヤ ー,ギ デ ンズ の 主 張 と関連 させ な が ら明 らか に した 。 ロバ ー トソ ン に よ れ ば,グ ロ ー バ ル 化 は世 界 を単 一 の シ ス テ ム と して 結 合 す る運 動 で あ り,同 時 に,世 界 の 異 な っ た人 々 を グ ロ ー バ ル な意 識 で 結 び つ け て い く。 グ ロ ー バ ル化 は 決 して 近 代 の 帰 結 と して 展 開 す る もの で は な く,む しろ近 代 を生 み だ す 条 件 の̲.つ

と して,近 代 以 前 か ら展 開 して きた プ ロ セ ス で あ る。

しか し近 代 に入 っ て,世 界 資本 主 義 体 制 の確 立,そ れ に と もな う人 的 交 流

や 物 流 の 活 発 で グ ロ ー バ ル な展 開,さ らに イ ン ター ネ ッ トや デ ジ タ ル化 な ど

情 報 化 の 著 しい 進 歩 に よ っ て 顕 著 な現 象 と し て 現 れ て きた の も事 実 で あ る

が,こ れ ら近 代 以 降 の グ ロ ー バ リゼ ー シ ョン は,欧 米 の特 殊 な文 化 ・政 治 ・

経 済 シス テ ム とい う個 別 主 義 的 な諸 原 理 が 普 遍 主 義 を強 調 して 世 界 を席 捲 し

て きた 結 果 で あ る。 極 端 に 言 え ば,ア メ リカ化 が 世 界 を覆 い尽 くそ う と して

い る の で あ る。 しか し,そ の よ うな 動 向へ の 必 然 的 な応 答 と して,地 域 主 義

や 原 理 主 義 の再 構 築 と 自己 主 張 が 強 ま っ て きた 。 文 化 的 な 原 理 主 義 と結 び つ

い た 宗 教 的 ナ シ ョナ リズ ム の勃 興 宗 教 的 原 理 主 義 と結 合 した政 治 運 動 の展

開,フ ァー ス ト ・フー ドに対 抗 した ス ロ ー ・フ ー ド運 動 な ど,す べ て 「グ ロー

バ ル 化 」 の展 開 と して と ら え る こ とが で き る。 こ の よ うな 主 張 が,ロ バ ー ト

(2)

ソ ンの グ 「 ロー カル 化 論 で あ っ た 。

そ して,こ の よ う な グ ロ ー バ ル化 ま た は グ ロ ー カ ル化 の過 程 に お い て,宗 教 は 具 体 的 に,ど の よ う な応 答 を して い る か,ま た 変 容 して い る か とい う課 題 が,次 の テ ー マ で あ っ た 。 そ こで 次 の よ う な可 能 態 を列 挙 して お い た 。

① 世 界 神 学(worldtheologies)の 発 展 一解 放 の 神 学,エ コ ロ ジ ー神 学 な ど。

② 宗 教 的原 理 主 義 の展 開

③ 宗 教 的 ナ シ ョナ リズ ム の 展 開

④ 宗 教 の 政 治 化/政 治 の 宗 教 化 一国 内 の 文 化 的 亀 裂 を深 め る可 能性

⑤ 宗 教 の 分 裂 と再 構 成 一原 理 主 義 派vs.グ ロ ー バ ル派 ま た は リベ ラ ル 派

本 論 で は,そ れ 自体 が グ ロー バ ル化 の0産 物 で あ り,ア メ リ カ合 衆 国 に宗 教 的 ナ シ ョナ リズ ム の 顕 在 化 とい う強 烈 な 反 応 を 引 き起 こ した9.11同 時 多 発 テ ロ を と りあ げ,な ぜ あ の よ う な テ ロが 起 こ っ た の か,ど の よ う な人 物 が 実 行 した の か,そ の政 治 的 宗教 的 背 景,グ ロ ーバ ル化 との 関 連 性 な どに つ い

て 考 察 して い く。

1.何 が 起 こ っ たの か

2001年9月11日,午 前8時46分40秒(ア メ リカ合 衆 国 東 部標 準 時),マ サ チ ュ ー セ ッ ッ 州 ボ ス ト ン 発 ロ サ ン ゼ ル ス 行 き ア メ リ カ ン 航 空11便 (Boeing767)は,11名 の乗 員 と81名 の乗 客 を乗 せ た ま ま,ニ ュ ー ヨー ク市 の マ ンハ ッ タ ン 島 に そ び え る世 界 貿 易 セ ン タ ー ビ ル(WTC)北 棟 の96‑

103階 に激 突 した 。16分 後 の 同9時03分11秒 同 じ くボ ス トン発 ロ サ ンゼ ルス 行 きユ ナ イ テ ッ ド航 空175便(乗 員9名,乗 客56名)が 同WTC南 棟 (87‑93階)に 激 突 した 。 両 機 と も離 陸 して 問 もな い た め,満 載 に近 い燃 料 が 爆 発 炎 上 し,北 棟,南 棟 と も に炎 上 を始 め,南 棟 は午 前10時 に,北 棟 は 同 10時30分 に崩 落 し,建 物 全 体 が 崩 壊 した 。 両 機 の乗 員 乗 客 は も と よ り,貿 易 セ ンタ ー ビル で 働 い て い た人 々,救 助 に駆 けつ け た消 防士 ら,2686人 が 犠

牲 に な っ た 。

さ らに ワ シ ン トンの ダ レス 空 港 を ロ サ ンゼ ル ス に向 け て 出発 した ア メ リカ

(3)

9.1.1.同 時 多 発 テ ロ と グ ロ ー バ ル 化 3

ン 航 空77便 (Boeing757, 乗 員4名 乗 客 58名)は,離 陸 約35分

にUタ ー ン

し,午 前9時 37分46秒,

ワ シ ン ト ン郊 外 の ア メ リ カ 国 防 総 省 ビ ル

(Pentagon}

に 激 突 し た 。 乗 員 乗 客 全 員

と 地 上 の125 名 が 死 亡 し た 。

さらにニ ュー ヨー ク に 隣i接 す る ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー 州 の ニ ュ ー ア ー ク 空 港 を 午 前

8時42分

ア メ リ カ ン 航 空11便 ボ ス ト ン発 ロ サ ン ゼ ル ス 行 き

WTC北 タ ワ ー に 衝 突

ユ ナ イ テ ッ ド航 空175便 ボ ス ト ン発 ロ サ ン ゼ ル ス 行 き

WTC南 タ ワ ー に 衝 突

ン フ ラ ン シス コ に 向 け て離 陸 した ユ ナ イ テ ッ ド航 空93便(Boeing757,乗 員

7名 乗 客37名)は,約50分 後 に進 路 を首 都 ワ シ ン トンへ 向 け て 飛 行 を 開始

し,午 前10時03分11秒,ペ ン シ ル ベ ニ ア州 シ ャ ン ク ス ビル 郊 外 の 農 地 に墜

落 した 。 乗 員 乗 客 全 員 が 死 亡 し た1。 こ れ は,乗 客 た ち が 携 帯 電 話 な どで 既

に起 こ っ た 他 機 のハ イ ジ ャ ッ ク とテ ロ の 事 実 を知 り,9時51分 にハ イ ジ ャ ッ

ク犯 との格 闘 を 開 始 し,操 縦 室 の 制 圧 を試 み た こ と に よ る 。 最 新 の 関 連 す る

(4)

裁 判 に よ っ て 開 示 さ れ た ボ イ ス レコ ー ダ ー な どの解 析 に よ る と,乗 客 の 英 雄 的 な行 為 に よ り,こ れ 以 上 の飛 行 は無 理 と判 断 し たハ イ ジ ャ ッ ク犯 が 自 ら地 面 に激 突 させ た と言 わ れ て い る。

建 国 以 来,本 土 を 直 接 攻 撃 さ れ た こ と の な か っ た ア メ リ カ政 府 や 市 民 に と っ て,こ の テ ロ 攻 撃 の衝 撃 は計 り知 れ な い ほ ど大 き な もの で あ っ た 。 ブ ッ シ ュ大 統 領 の 「穴 か らテ ロ リス トを い ぶ しだ す 」 とい う初 期 の攻 撃 的 な反 応 や,「 無 限 の 正 義作 戦 」(OperationInfiniteJustice)と い う最 初 の戦 争 名 は, か つ て の キ リス ト教 的 「正 戦 」論 の ま さ に現 代 版 で あ る 。 「第 二 の パ ー ル ・ ハ ー バ ー だ 」 とい う コメ ン トが,貿 易 セ ン タ ー ビル 崩 壊 の 直 後 か ら,上 院 議 員 や ジ ャー ナ リス トか ら語 られ,ヘ ン リ ー ・キ ッ シ ン ジ ャー まで が 真 珠 湾 を引 き 合 い に 出 した とい う2。

ア メ リ カ 中 に 星 条 旗 が 氾 濫 し,「 神 よ,ア メ リ カ を祝 福 し た ま え」(God BlessAmerica)と い う言 葉 と同 名 の 愛 国 歌 が 謳 わ れ た 。 ア メ リ カ は キ リス

ト教 国 で あ る とい う 自覚 が.̲̲.に 高 ま り,テ ロ後 の=最初 の 日曜 日(9月16日) に お け る教 会 で の 礼 拝 式 へ の 出 席 率 は47%と な り,通 常 の40%を 大 き く越 え た とい う3。 ア メ リ カ社 会 に住 む ア ラ ブ系 ア メ リ カ人,特 に 中 東 か らの 移 民 た ち は報 復 を叫 ぶ 感 情 的 な世 論 に怯 え,イ ス ラム教 徒 と見 な され た 人 々 が 襲 わ れ る事 件 も実 際 に発 生 した 。 凋 落 傾 向 で あ っ た ブ ッ シ ュ政 権 の 支 持 率 は 70%に 急 上 昇 し,70%を 越 え る ア メ リ カ人 が 強 い愛 国心 を感 じ,92%が 軍 事 行 動 へ の 支 持 を表 明 した の で あ る4。 他 方,オ サ マ ・ビ ン ・ラー デ ィ ン ひ きい る ア ル ・カ イ ダ や ア フ ガ ニ ス タ ン の タ リバ ン政 権 は 「十 字 軍 に対 す る聖 戦(ジ ハ ー ド)」だ と強 調 し始 め る な ど,宗 教 的色 彩 を強 く帯 び た 政 治 的 軍 事 的 緊 張 は頂 点 に達 した5。

テ ロ か ら一 ヶ月 もた た な い2001年10月7日,ブ ッ シ ュ大 統 領 は ア フ ガ ニ

ス タ ンの タ リバ ン政 権 へ の 開戦 を宣 言 し,軍 事 行 動 を 開始 した。11月 に は タ

リバ ン は カ ブ ー ル を放 棄 し,山 岳 地 帯 に逃 げ 込 ん だ。 翌12月 に は ア メ リ カ

な どの テ コ入 れ で,カ ル ザ イ政 権 が 誕 生 した が,タ リバ ン政 権 の 指 導 者 オ マ ー

ル 師 や ビ ン ・ラー デ ィ ン ら ア ル ・カ イ ダ指 導 部 の 生 死 は い まだ に確 認 され て

い な い 。 テ ロ を根 絶 す る との 大 義 名 分 を掲 げ た ブ ッ シ ュ政 権 は,2003年3月

19日(日 本 時 間20日 午 後),テ ロ支i援国家 の 一 つ と して 断 定 した イ ラ ク に対

(5)

9.ll同 時 多 発 テ 「ロ と グ ロ ー バ ル 化 5

し,大 量 破 壊 兵 器 を保 持 し,臨 戦 態 勢 に あ る と して,つ い に攻 撃 を 開始 した。

日本 の 自衛 隊 も有 志 連 合 の 一 員 と して 参 加 し,内 外 に多 くの 課 題 を投 げ か け た の は周 知 の とお りで あ る。4月9日 に フ セ イ ン政 権 は消 滅 し,逃 亡 した サ ダ ム ・フ セ イ ン元 大 統 領 は,12月14日,北 部 テ ィ ク リー一ト郊 外 の 農 家 に潜 ん で い た と こ ろ を拘 束 さ れ た 。 そ の後 イ ラ ク は民 主 国家 と して 再 建 す る 道 を 歩 み 始 め て は い る が,治 安 の 回 復 は進 まず,自 爆 テ ロが 多 発 して 多 くの犠 牲 者 をい まだ に 出 して い る 。 武 力 攻 撃 の 根 拠 とな っ た 大 量 破 壊 兵 器 も存 在 しな か っ た こ とが 明 らか とな り,ア ナ ン国 連 事 務 総 長 は 「イ ラ ク戦 争 は 国 連 憲 章 違 反 」 で あ る と公 然 と批 判 した(2004年9月15日)。 フ セ イ ン元 大 統 領 は, 80年 代 に シ ー ア派 住 民 や ク ル ド人 を虐 殺 した 罪 な どで 起 訴 され,2006年11 月5日 死 刑 判 決 が 言 い 渡 さ れ た。 死 刑 執 行 に反 対 す る 国 際 世 論 も少 な くは な か った が,同 年12月30日 処 刑 され た 。

以 上,9.11同 時 多 発 テ ロ お よ び そ れ 以 後 の ア メ リ カの 行 動 を概 観 して きた が,ブ ッシ ュ 政 権 に よ る単 独 行 動 主 義 と も称 され る こ う した 強 硬 路 線 は,テ

「 ロ を根 絶 した い とい う素 朴 な願 望 を は る か に越 え て お り

,そ の 推 進 力 の 一 つ が,90年 代 の ア メ リ カ にお い て影 響 力 を増 大 させ て きた新 保 守 主 義 や 宗 教 右 翼 キ リス ト教 原 理 主 義 で あ る と報 じ られ て い る。 ま た,こ の 問 の ア メ リ カ 合 衆 国 お よび 国民 の 問 に み な ぎ っ た感 情 は,ア メ リカ は ま さ に 「キ リス ト教

国 」で あ る とい う,宗 教 的 ナ シ ョナ リズ ム の 表 出 以 外 の 何 もの で も なか った 。

2.実 行 犯 た ち の 出 身 と経 歴

この 未 曾 有 の驚 異 的 な テ 『 ロ を行 った 実 行 犯 た ち は,で は,ど の よ う な者 た ち で あ り,ど の よ う な動 機 で,ま た どの よ う な背 景 の 中 で テ ロ を計 画 し,実 行 に うつ して い っ た の で あ ろ うか 。

同 時 多 発 テ ロの 実 行 犯 た ち を特 定 す る作 業 は極 め て 迅 速 に行 わ れ た 。 中 心

人 物 で あ っ た モ ハ メ ド ・ア タ の 写 真 が ア メ リ カ の テ レ ビ で 放 映 さ れ た の は,

ア メ リ カ ン航 空11便 がWTC北 タ ワ ー に激 突 して36時 間 後 の 翌12日 夜 で

あ り,3日 後 の14日 に はFBIは テ ロ容 疑 者19名 の 名 前 を公 表 し,9月27日

に は19名 の顔 写 真 が 発 表 に な っ た 。11便 は ス チ ュ ワ ー デ ス の 連 絡 に よ っ て

5名 の実 行 犯 の座 席 番 号 が 明 らか に な っ て い た が,他 の便 に つ い て は乗 客 名

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簿 に あ る 連 絡 先 へ 電 話 を 入 れ,一 人 一 人 容 疑 者 で な い もの を潰 し て い っ た と い う(青 木:

39)。 こ の 異 例 に 早 い 対 応 に は,実

は か な り早 い 段 階 か ら彼 らの 何 人 か を危 険 人 物 と して 捜 査 当 局 が マ ー ク し,足 取 り を追 っ て い た こ と に も よ る。 ペ ン タ ゴ ン に 激 突 した ア メ リ カ ン航 空77便 に は, ハ リ ド ・ア ル ミ ダ ル(77便 ⑫)と ナ ワ フ ・ア ル ハ ズ ミ (77便 ⑬)の 二 人 が 搭 乗 し て い た 。

こ の 二 人 は,2000 年10月 に イ エ メ

ボストン発ロサンゼルス行き世界貿易センター北棟に激突

モ ハ メ ド ・ ア ブ ドル

ア タ ア ジ ズ ・

ア ル オ マ リ

ワイ ル ・ ワ リー ド ・ サ タ ム ・ ア ル シェ フ リ ア ル シェ フ リ ア ル ・ス カ ミ

(兄)(弟)

ボストン発ロサンゼルス行き世界貿易センタi南棟に激突

マ ル ワ ン ・ フ ァ イ ズ ・ ア フ メ ド ・ ハ ム ザ ・ モ ハ ル ド ・ ア ル シ ェ ヒ バ ニ ハ マ ド ァ ル ガ ム デ ィ ア ル ガ ム デ ィ ア ル シ ェ フ リ

突 防 サ シ 総 ン ン 省 ゼ ト ビ ル ン ル ス 発 に 行

ニューアーク発

サンフランシスコ行き

ペンシルベニア州

南部に墜落

ハ ニ 。 ハ リ ド ・ ナ ワ フ ・ サ レム ・ マ ジ ド 。 ハ ン ジ ュ ル ア ル ミダル ア ル ハ ズ ミ ア ル ハ ズ ミ モ ケ ド

(兄)(弟)

ジ ア ド ・ ア フ メ ド ・ ア フ メ ド ・ ジ ャ ラ ア ル ハ ズ ア ル ナ ミ

ナ ウ ィ

サ イ ー ド ・ ア ル ガ ム デ ィ

ンで 起 きた 米 駆 逐 艦 コー ル 爆 破 事 件 の 容 疑 者 とク ア ラ ル ンプ ー ル で 会 っ て い

る と こ ろ を 目撃 され,同 時 多 発 テ ロ直 前 の8月 にFBIの 手 配 者 リス トに載 っ

て 国 際 指 名 手 配 さ れ て い た の で あ る。 ま た2000年 以 降 そ の 多 くが ア メ リ

カ合 衆 国 に入 国 し,フ ロ リ ダ は じめ各 地 の 航 空 学 校 に入 学 して操 縦 訓 練 を受

け て い た 際 に,言 動 に不 審 を 抱 い た 教 官 な どが 地 元 のFBIに 通 報 して い た

ケ ー ス もあ っ た。 に も,か か わ らず 具 体 的 な実 行 計 画 を事 前 に察 知 す る こ と

は で きず,惨 劇 を み す み す 許 して し ま っ た の で あ る 。

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9.11同 時 多 発 テ ロ と グ ロ ー バ ル 化 7

情 報 の 混 乱 も 当 初 は あ っ た が,最 終 報 告 書6に ま と め ら れ た 実 行 犯 は,19 名 で あ る(写 真 一 覧 参 照,青 木:21,Report:238‑9)。 中 心 人 物 は,一 機 目 の ア

メ リ カ ン 航 空11便 を操 縦 し た エ ジ プ ト生 ま れ の モ ハ メ ド ・ア タ(Mohamed Atta,33歳)で あ り,ド イ ツ の ハ ン ブ ル グ 工 科 大 学 の 学 生 で あ っ た 。 ア タ に つ い て は 後 述 す る が,彼 が 実 行 犯 グ ル ー プ の 中 心 者 で あ っ た こ と は,2001年 12月9日 に 米 政 府 に よ っ て 公 表 さ れ た ビ デ オ テ ー プ に お い て,ビ ン ・ラ ー デ ィ ンが 「エ ジ プ ト ・フ ァ ミ リ ー の モ ハ メ ド(ア タ)が グ ル.一一プ を 統 括 し て い た 」 と語 っ て い る こ と か ら も 明 らか と な っ た7。

2機 目 の ユ ナ イ テ ッ ド航 空175便 をi操縦 し た の は,マ ル ワ ン ・ア ル シ ェ ヒ (MaruwanalShehhi,23才)で あ り,1978年5月9日 に ア ラ ブ 首 長 国 連 邦 (TheUnitedArabEmirates,UAEと 略 記)の 首 都 ドバ イ 近 郊 の ラ ス ・ア ル カ イ マ フ に 生 ま れ た(Report:162)。 父 親 は 地 域 の モ ス ク で リ ー ダ ー 的 な 説 教 師 で あ り,母 親 は ア タ の 母 と 同 じ エ ジ プ ト人 で あ る 。1995年 に 高 校 を 卒 業 し

た 後 半 年 間 の 兵 役 に つ き,そ の 後 軍 の 奨 学 金 を 受 け て,翌 年4月 に ドイ ッ に留 学 し,ボ ン大 学 に 入 学 し た 。 奨 学 金 と し て 月4千 マ ル ク(22万 円),年 0回1万 マ ル ク(56万 円)が 支 給 さ れ て お り

,生 活 に は 余 裕 が あ っ た 。 性 格 も 明 る く誰 か ら も好 か れ る 人 物 で あ り,内 気 で 生 真 面 目 な ア タ と は 対 照 的 で あ っ た 。 ボ ン で は 当 初,同 様 の 留 学 生 と ア パ ー トで 同 居 し た が,そ の 後 数 ヶ 月 間,ド イ ツ 人 家 庭 に 下 宿 した こ とが あ っ た 。 も と も と は あ ま り信 仰 深 く な か っ た ア ル シ ェ ヒ で あ っ た が,こ の 下 宿 の 頃 か ら宗 教 的 に な り,一 日5回 礼 拝 を 始 め る よ う に な っ た とい う 。

ア タ と 最 初 に 出 会 っ た き っ か け は 不 明 で あ る が,ア ル シ ェ ヒ は1998年5 月 か ら半 年 間 の 行 方 が 不 明 で あ り,ア フ ガ ニ ス タ ン の ア ル カ イ ダ ・キ ャ ン プ に 参 加 し て い た よ う で あ る 。 ア タ も1997年11月 か ら98年7月 ま で 同 じ キ ャ ン プ に 滞 在 し て お り,そ こ で ア タ と 出 会 っ た の で は な い か と推 測 さ れ て い る(青 木:124‑125)。 母 親 が エ ジ プ ト人 で あ る こ と,ド イ ツ 人 の 家 庭 に 下 宿 し た 体 験 な ど の 共 通 点 か ら,ア ル シ ェ ヒ と ア タ は 親 し く な っ た よ う で あ る 。 ボ ン 大 学 で の 学 業 は あ ま り芳 し い も の で は な か っ た よ う で あ る が,1997年 に ハ ン ブ ル ク 大 学 に 移 っ て 勉 強 を 続 け た い と大 学 当 局 に 申 し 入 れ,98年 初 頭 に ハ ン ブ ル ク に 転 居 し た 。 ハ ン ブ ル ク で は ア タ や ビ ナ ル シ ブ と 同 じ ア パ ー ト

(8)

に 住 み,ア タ の 片 腕 と な っ て 計 画 の 実 行 に 貢 献 し た と 言 わ れ て い る 。2000年 5月29日 に ア メ リ カ 合 衆 国 の ニ ュ ー ア ー ク 空 港 に 到 着 し,ニ ュ ー ヨ ー ク 市 で ア タ の 入 国 を待 っ て い た 。 同 年8月 ま で に ア タ と共 に フ ロ リ ダ 州 の パ イ ロ ッ

ト養 成 学 校 で 小 型 機 操 縦 の 訓 練 を 受 け,免 許 を取 得 し て い る(Report:223‑4)。

ユ ナ イ テ ッ ド航 空93便 を 操 縦 し た の は,ジ ア ド ・ジ ャ ラ(ZiadJarrah,26 才)で あ る(Report:163)。1975年5月1日 に レバ ノ ン の マ ズ ラ ー(Mazraa) で 生 ま れ た 。 富 裕 な 家 族 の0員 で あ っ た ジ ャ ラ は,ド イ ツ で 高 等 教 育 を 受 け た い と希 望 して,1996年4月,ド イ ツ 北 部 の グ ラ イ フ ス ヴ ァ ル トの ジ ュ ニ ア ・

カ レ ッ ジ に 従 兄 弟 と一 緒 に入 学 し た 。 当 時 の ジ ャ ラ は イ ス ラ ム 過 激 派 と は ほ ど遠 く,同 じ歯 科 コ ー ス に い た トル コ か らの 留 学 生 娘 セ ン グ エ ン と恋 愛 を し た り(後 に 婚 約 。 イ ス ラ ム 的 に は 結 婚 し た と の 解 釈 も あ る 。Report:495, note79),パ ー テ ィ で ビ ー ル を飲 ん だ り,遊 ぶ こ と の 好 き な 学 生 と し て 知 ら れ て い た 。 ジ ャ ラ が 過 激 派 的 徴 候 を 示 し始 め た の は96年 末 頃 か ら で あ り, 故 国 の レバ ノ ン に 一 時 帰 国 し た 後 に,コ.,ラ ン に 従 っ た 生 活 を は じ め,ジ ハ ー ドに つ い て 論 じ始 め た と い う。 翌97年9月,大 学 で の 専 攻 を 歯 科 か ら航 空 工 学 へ と突 然 に 変 更 し,ハ ン ブ ル ク の 科 学 技 術 大 学(TechnicalUniversityof

Hamburg‑Harburg)で 冬 季 セ メ ス タ ー か ら 受 講 し始 め た 。 こ の ハ ン ブ ル ク へ の 移 動 は,こ の 段 階 で ア タ た ち と合 流 し た こ と を物 語 っ て い る 。1999年 は,「 ア ラ ー の た め に 死 ぬ こ と以 上 の 光 栄 は な い 」 と ジ ハ ー ド を計 画 し て い る こ と を 明 白 に 恋 人 に 述 べ て い る 。2000年6月27日 に ジ ャ ラ は ニ ュ ー ア ー ク に 到 着 し て ア メ リ カ に 入 国 し,予 約 し て あ っ た フ ロ リ ダ の ベ ニ ス に あ る フ ロ リ ダ 航 空 訓 練 セ ン タ ー(FFTC)に 入 っ て 飛 行 訓 練 を 受 け て い る(Report:

224}a

ア タ と ア ル シ ェ ヒ,ジ ャ ラ の3人 は,9.11テ ロ の 中 核 と して ハ ン ブ ル ク で 活 動 し て い た が,ハ ン ブ ル ク の 中 核 細 胞 に は も う 一 人 ラ ム ジ ・ビ ナ ル シ ブ (RamziBinalshib瓦29才)が い た(Report:161)。1972年5月1日 に イ エ メ ン で 生 ま れ た ビ ナ ル シ ブ に つ い て は,家 族 な ど の 背 景 に つ い て は 不 明 な 点 が 多 い 。 た だ1987年 か ら95年 に か け て イ エ メ ン 国 際 銀 行 で 職 員 と し て 働 い て い た こ と,そ の 後,ア メ リ カ で 勉 強 し よ う と し た が 入 国 ビ ザ が お りず,や

を え ず ドイ ツ に 向 か い,難 民 申 請 を す る な ど 奇 妙 な 行 動 を と っ て い る 。97年

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9.11同 時 多 発 テ ロ と グ ロ ー バ ル 化 9

に再 び ドイ ツ のハ ン ブ ル ク に お もむ きハ ンブ ル ク で 学 生 と して 登 録 した 。 し か し成 績 は ふ るわ ず,98年9月 に は放 校 に な っ て し ま った 。 ビ ナ ル シ ブ が ア タ と初 め て で あ っ た の は,95年 にハ ンブ ル クの モ ス ク で あ っ た と語 っ て い る が,そ の 後,2人 は急 速 に 親 密 に な り,98年 か ら は ア タ と ア ル シ ェ ヒ と と も

に アパ ー トを共 同 で借 りて 生 活 を始 め た 。

この よ う に ドイ ツの ハ ンブ ル クで,9.11テ ロ の 中核 部 隊 が ア タ,ア ル シ ェ ヒ,ビ ナ ル シ ブ,そ して ジ ャ ラ の4人 で 形 成 さ れ た 。 しか し,ビ ナ ル シ ブ は 合 衆 国 へ の 入 国 ビザ が そ の 後 も下 りず,結 局,ハ ン ブ ル ク に残 っ て 実 行 部 隊 の 資 金 調 達 や ア ル ・カ イ ダ との連 絡 役 な ど後 方 支 援 に専 念 す る こ ど に な っ た。

お そ ら く ビナ ル シ ブ に代 わ っ て4人 目の パ イ ロ ッ トとな っ た の が,ハ ン ブ ル ク ・グ ル ー プ とは別 系 統 のハ ニ ・ハ ン ジ ュ ル(HaniHanjour,29才)で あ る (Report:225‑227)。 ハ ン ジ ュ ル の 生 い 立 ち な どの 詳 細 は不 明 で あ るが 公 表 され た ア メ リ カ合 衆 国へ の ビザ 申 請 書(2000.9.10)(Travel8:AppendixA‑4)

に よ る と,1972年8月30日 に サ ウ ジ ア ラ ビ ァ の ター イ フ(Taif)で 生 ま れ て い る。80年 代 末,ま だ 十 代 で あ った ハ ンジ ュ ル は ジハ ー ドに参 加 す る た め ア フ ガ ニ ス タ ン に行 き,ソ 連 軍 撤 退 後 の 仕 事 に参 加 した とい う。 ア メ リカへ 最 初 に入 国 した の は1991年 で,ア リ ゾ ナ 大 学 で 英 語 を学 ぶ た め で あ っ た 。 そ の段 階 で,彼 はす で に宗 教 的 に過 激 な 言 動 を示 して い た とい う。 パ イ ー ロ ッ ト に な りた い とい う願 望 を早 くか らい だ い て お り,当 初 は故 国 の サ ウ ジ ア ラ ビ アの パ イ ロ ッ ト養 成 学 校 で 訓 練 を受 け よ う と願 書 を 出 した が 拒 否 され,ア メ リカ で操 縦 免 許 を取 得 す る た め1996年 に ア メ リカ に再 入 国 した 。 フ ロ リ ダ 州 ハ リ ウ ッ ドに住 む ア ラブ系 ア メ リ カ人 の 家 庭 に滞 在 して 航 空 学 校 に入 る手 続 き を始 め た よ うだ が,彼 の 英 語 は きわ め て お粗 末 で,夫 人 が 入 学 申請 書 に 記 入 して あ げ た り,テ レ ビ を見 て英 語 に な れ る よ う に ア ドバ イ ス して も,積 極 的 に学 ぼ う とい う意 欲 も な く,小 柄 で礼 儀 正 し くお と な しい ば か りの ハ ン

ジ ュ ル は,家 に こ も っ た ま ま3歳 の 息 子 と毎 日を過 ご して い た とい う。 そ れ で も ア リ ゾ ナ,フ ロ リ ダ,カ リ フ オ ル ニ ア の何 カ所 か の 航 空 学 校 を転 々 と し な が ら97年 に は 自家 用 機 の 操 縦 免 許 を,99年 に は ア リゾ ナ 州 の カ ッ ツ デ ー ル の航 空学 校 で 商 業 機 の操 縦 免 許 を取 得 して い る。

彼 の お 粗 末 な英 語 力 は そ の 後 も問 題 と な り,2001年 の 始 め に ア リ ゾ ナ 州

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フ ェ ニ ッ クス の 「パ ンナ ム 航 空 学校 」 で ボ ー イ ング737の 操 縦 訓 練 を受 け た い と現 れ た 際 教 官 が彼 の操 縦 免 許 が 正 規 な もの か ど うか不 審 に思 っ て 問 い 合 わせ た ほ どで あ っ た(青 木:140‑144)。9.11テ ロ の 二 ヶ月 前,フ ェ ニ ッ クス のFBI捜 査 官 ケ ネ ス ・ウ ィ リア ム ズ は ア ラ ブ系 外 国 人 数 人 が 飛 行 訓 練 を 受 け て い る こ と に 不 審 を抱 き,ワ シ ン トン本 部 へ 警 戒 を 呼 び か け る,い わ ゆ る

「フ ェ ニ ッ ク ス ・メ モ 」(2001.7.10)を 送 り,不 審 な ア ラ ブ系 外 国 人 の リス トと と も に,「 オサ マ ・ビ ン ・ラー デ ィ ンの 信 奉 者 が 米 国 を攻 撃 す るた め に航 空 学 校 で 訓練 を受 け て い る」 と明 記 して い た。 こ の メ モ は,し か し黙 殺 さ れ た ま

まだ っ た 。

ハ ン ジ ュ ル が,96年 の段 階 で 航 空 機 の パ イ ロ ッ トか 空 港 関 連 の 仕 事 に就 き た い と本 当 に 願 っ て い た の か,そ れ と も既 に将 来 の ア メ リ カ で の 航 空 機 を 使 っ た テ ロ を計 画 して い た た め,英 語 が で きな くて も執 拗 に操 縦 訓 練 を受 け よ う と した の か 不 明 で あ る。 しか し,一 度 はサ ウ ジ ア ラ ビ ア に戻 っ て仕 事 を 探 した が う ま くい か ずsア ラ ブ 首 長 国 連 邦 に就 職 先 を探 しに行 く と家 を 出 た ま ま行 方 が わ か らな くな っ た 。 お そ ら くそ こ で も仕 事 に就 けず,再 び ア フ ガ ニ ス タ ン の ア ル ・カ イ ダ訓 練 キ ャ ン プ に も どっ た と考 え られ て い る 。 そ の 時 に,正 規 の 操 縦 士 免 許 を もっ て い る こ とが 評 価 され,ハ ン ジ ュ ル が9.11実 行 犯 の 一 員 に選 抜 され た もの と思 わ れ る。 また ア メ リカ 各 地 の 航 空 学 校 を転 々へ

と した経 験 に基 づ く情 報 が,他 の 実 行 犯 の 訓 練 地 を選 ぶ 基 礎 デ ー タに な っ た 可 能 性 もあ る。2000年6月 に サ ウ ジ ア ラ ビ ア に も ど っ た ハ ン ジ ュ ル は9月 25日 付 の ア メ リ カ合 衆 国 へ の 学 生 ビザ を取 得 し,12月8日 に は サ ンデ ィエ

ゴ か ら入 国 し た。 カ リ フ ォ ル ニ ア ・オ ー ク ラ ン ドの 英 語 学 校 に 通 う こ と に な っ て い た が,出 席 した 形 跡 は な く,サ ンデ ィエ ゴで ア メ リカ ン航 空77便 の ハ イ ジ ャ ッ ク犯 仲 間 で あ る ナ ワ フ ・ア ル ハ ズ ミ ら と合 流 し,実 行 に 向 け て の 準 備 に入 っ て い る 。

そ の他 の 実 行 犯 につ い て の デ ー タ は 以 下 の よ うで あ る(Report:231‑232)。

2000年 の 夏 か ら秋 に か け て,ビ ン ・ラ ー デ ィ ン とア ル ・カ イ ダ の 上 層 部 はr ア フ ガ ニ ス タ ン に お い て9.11実 行 犯 た ち の 選 定 を始 め た とい わ れ て い る。

そ の う ちの 以 下 の12名 とハ ン ジ ュ ル を加 え た13名 は ビ ン ・ラ ー デ ィ ン と同

じサ ウ ジ ア ラ ビ ァ 出 身 で,す べ て20か ら28才 の 若 者 で あ っ た 。

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911同 時多 発 テ ロ と グ ロー一バ ル 化11

サ ウ ジ 出 身 の う ち,ア ハ メ ド ・ア ル ガ ム デ ィ,サ イ ー ド ・ア ル ガ ム デ ィ, ハ ム ザ ・ア ル ガ ム デ ィ,ア フ マ ド ・ア ル ハ ズ ナ ウ ィ の4名 は,サ ウ ジ で も取 り残 さ れ た 未 開 発 の 土 地 と い わ れ る ア ル ・バ ハ フ(alBahah)地 方 の3つ 町 か らや っ て き た 者 た ち で,同 じ ガ ム デ ィ 族 に 属 して い た 。 彼 ら は,い ず れ も 大 学 を で て い な い 。

ワ イ ル と ワ リ ー ドの ア ル シ ェ フ リ兄 弟,ア ブ ドル ・ア ジ ズ ・ア ル オ マ リ, モ ハ ン ド ・ア ル シ ュ ブ リ,ア ハ メ ド ・ア ル ナ ミの5名 は,イ エ メ ン の 国 境 に 近 い サ ウ ジ ア ラ ビ ア 南 西 部 の 貧 し い 山 岳 地 帯 ア シ ー ル 地 方 出 身 で あ る 。 こ の 地 方 は 治 安 が 悪 く,し ば し ば 「荒 野 の 辺 境 地 帯 」(wildfrontier)と 呼 ば れ て い た 。 ア ル シ ェ フ リ兄 弟 の 父 モ ハ メ ド ・ア ル シ ェ フ リ は,土 地 開 発 業 を 営 む 名 士 で,4人 の 妻 と の 間 に14人 の 息 子 と6人 の 娘 を も う け て い る 。 父 に よ る と,美 術 の 教 師 を し て い た ワ イ ル が う つ 病 に か か り,聖 職 者 に 会 う た め に 2000年12月 に メ デ ィ ナ に 弟 の ワ リ ー ド と共 に 行 っ た と い う。 そ の と き に 過 激 派 に リ ク ル ー ト さ れ た 可 能 性 が 高 い 。 ま た ア ル ミ ナ の 父 は 元 警 察 官 で,10

人 兄 弟 の 長 男 で あ っ た 。9.11テ ロ の 数 ヶ 月 前 仕 事 を 探 し に メ ッ カ に 出 か け た ま ま 戻 ら な か っ た と い う(青 木:169‑171)。 こ の5人 は 大 学 で の 勉 学 を 始 め て お り,中 で も ア ル オ マ リ は 優 秀 な 成 績 で 高 校 を 卒 業 し,イ マ ム ・ム ハ ン マ ド ・イ ブ ン ・サ ウ ジ ・イ ス ラ ム 大 学 か ら学 位 を 得 て お り,結 婚 して 娘 が 一 人 い た 。

残 る3名 の う ち,ア ル ス カ ミ は リ ヤ ド出 身 で,教 育 は ほ と ん ど受 け て い な い 。 モ ケ ドは メ デ ィ ナ の 西 に あ る 小 さ な 町 ア ン ナ ク ヒ ル(Annakhil)の 出 身 で,大 学 へ は 行 っ た も の の ド ロ ッ プ ア ウ ト し て い る 。 モ ケ ド も ス カ ミ も, 1999年 ま で は い か な る 過 激 派 と の つ な が りは な か っ た と思 わ れ る 。 ナ ワ フ ・ ア ル ハ ズ ミ の 弟 で あ る サ レ ム ・ア ル ハ ズ ミ は メ ッ カ で 生 ま れ,10代 に は 喧 嘩 の 絶 え な い 子 供 で あ っ た と家 族 は 回 想 し て い る 。

3.主 犯 モ ハ メ ド ・ア タ

19名 の テ ロ リス トは 死 亡 した た め彼 らの 動 機 や 内 面 に つ い て は 断 片 的 な

情 報 しか 残 さ れ て い な い が,中 心 に い た モ ハ メ ド ・ア タが 書 い た と され る遺

書 や 実 行 指 示 書 が 空 港 に乗 り捨 て て あ っ た 車 や 積 み残 され たバ ッグ な どか ら

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発 見 さ れ た 。 ア タ個 人 につ い て の 探 索 は,朝 日新 聞 が 海 外 支 局 を あ げ て足 取 りを 追 い,『 デ ロ リス トの 軌 跡 一モ ハ メ ド ・ア タ を追 う』 と して 出 版 したが, 日本 語 と して書 か れ た もの と して も,ま た 国 際 的 に も最 も集 中 的 に探 っ た も の と評 価 で き る。 そ れ ら を も とに彼 の 生 い 立 ち や 経 歴 を考 慮 しな が ら,実 行 へ の動 機 を探 っ てみ た い 。

ア タは1968年9月1日,エ ジ プ ト,ナ イ ル ・デ ル タ地 帯 の 農 村 カ フル シ ェ イ ク(KafrelSheikh)に 生 ま れ た 。 彼 の フル ネ ー ム は 「モ ハ メ ド ・モ ハ メ ド ・ エ ル ア ミー ル ・ア ワ ド ・エ ル サ イ ド ・ア タ」 で あ り,父 は弁 護 士 を営 み,一 説 に よ る と独 善 的野 心 家 で あ っ た とい う。 二 人 の 姉 が お り,長 男 の 末 っ子 で

あ っ た た め,父 は 自分 の 職 を継 ぐこ と を期 待 して厳 し く しつ け,他 方,母 は ア タ を溺 愛 した とい う。

10才 頃,父 が 首 都 カ イ ロで 開 業 す る た め,一 家 は カイ ロ の 下 町 ア ブ デ ィー ン地 区へ 引 っ越 し,ア タ は地 元 の公 立 中学 校 へ 通 う こ と に な っ た 。 当 時,カ イ ロ で は イ ス ラ ム 原 理 主 義 運 動 の 「ム ス リム 同胞 団」 の 活 動 が 活 発 で あ っ た が}こ の 中学 校 に も同胞 団 の 支 部 組 織 が あ った 。 しか しア タ 自身 は,父 親 の 強 い 命 令 で 良 い成 績 を とっ て 良 い 大 学 へ の 進 学 を め ざす 日々 で あ り,同 級 生 と遊 ぶ こ と もな く,同 胞 団 の運 動 に 関 心 を示 す こ と もな か っ た 。 中 学 校 で は, ア タ は他 の 生 徒 よ り年 齢 が 一・ つ 下 だ っ た が,そ れ は小 学 校 時 代 か ら優 秀 で, 0年 飛 び級 した め た と言 わ れ て い る 。 しか し,中 学 で の ク ラス で は とび き り 優 秀 な 生 徒 が い て::を 譲 らず,ア タ は いつ も2番 か3番 だ っ た(朝 日:72)。

父 の 期 待 とは 必 ず し も一 致 し な か っ た と思 わ れ る が,そ の 後1985年 に ア タ は カ イ ロ 大 学 工 学 部 建 築 工 学 科 へ 進 学 した 。1990年 に卒 業 した後 カイ ロ で 都 市 計 画 の 仕 事 に就 い た よ うで あ るが,実 際 に は 二 つ ほ どの 地 元 企 業 で の ア ルバ イ ト的 な もの で あ っ た ら し く,定 職 に は就 け なか っ た。 こ の こ ろ ま で の ア タ は決 して宗 教 的 で は な く,ま じめ で優 秀 で あ り,礼 儀 正 しい 内 気 な青 年 で あ っ た とい う。 しか し,大 学 を卒 業 した もの の望 む よ う な定 職 に就 け な か っ た こ とは,姉 た ち との比 較 の 中 で の劣 等 感 父 の 過 大 な期 待 な ど と関 連 して,ア タ に屈 折 した 陰 を落 と した可 能 性 が あ る。 そ れ が ドイ ツ留 学 へ とつ なが り,ア タの 人 生 を大 き く変 え て しま った 。

1992年7月,ア タ は さ ら に勉 強 を続 け,最 終 的 に は大 学 院 で博 士 号 を とる

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9.11同 時 多 発 テ ロ と グ ロ ー一バ ル 化13

た め,ド イ ツへ 旅 だ っ た 。 生 まれ て 初 め て の 海 外 旅 行 で あ る。 ドイ ツ行 きを 決 め た の は,カ イ ロ で ハ ン ブ ル ク か ら来 て い た ドイ ッ 人 家 族 と知 り合 い に な り,勉 強 を続 け た い な ら ドイ ツが 良 い し,そ の 家 に寄 宿 させ て くれ る な どの 支 援 が 見 込 め た か ら と考 え られ る(Report:160)。 また 博 士 号 の 取 得 は 父 の 強 い 要 求 で あ っ た ら し く,二 人 の 姉 も医 学 と獣 医 学 の 博 士 号 を も っ て お り, と もに研 究 者 と して 大 学 の教 壇 に立 っ て い る 。 ア タ の0家 は,と び き りの教 育 一 家 で あ った よ うだ(朝 日:80‑81)。 ア ラ ビ ア語 で も 「ドク トル 」 と呼 ば れ る博 士 号 は,大 卒 者 が め ず ら し くな い エ ジ プ ト社 会 で,周 囲 との 差 異 化 を図 り,優 位 性 を主 張 す る 有 力 な道 具 で あ っ た と考 え られ,社 会 的 上 昇 志 向 の 強 か っ た 父 の厳 命 で あ っ た こ とは想 像 で き る。 ア タ に と っ て は,大 き な プ レ ッ シ ャ ー で あ っ た とい え る。 結 局,大 学 院 まで は い け な か っ た が,テ ロ の 実 行 を 決 め て い た と考 え られ る1999年 に,ハ ン ブ ル グ工 科 大 学 に卒 論 を提 出 し て学 士 号 を取 っ て い る の は,彼 の 律 儀 な性 格 の た め だ け で な く,周 囲 の 期 待 へ の 彼 な りの け じめ で あ っ た の だ ろ う。

と も あ れ92年 に ア タ は ドイ ツ の 港 町ハ ン ブ ル ク で 生 活 を始 め,既 知 の ド イ ツ人 夫 婦 の 家 庭 に寄 宿 し,ハ ンブ ル ク 工 科 大 学 に入 学 した 。 大 学 で は モ ハ メ ド ・エ ル ア ミ ー ル の 名 前 で 学 生 登 録 を し,建 築 工 学 で は な く 「 都 市 計 画 」 を専 攻 した 。 登 録 名 を エ ル ア ミー ル に した こ とや 専 攻 を変 えた こ とな ど,故 国 を脱 して新 しい 環 境 で 生 活 を始 め た ア タ の心 境 が しの ば れ る。 英 語 と ドイ ッ語 をす で に流 暢 に話 せ る よ う に な っ て い た ア タ に とっ てr勉 学 で の 支 障 は な か っ た と思 わ れ るが,つ まず きは ドイ ツ人 夫 婦 との生 活 で 起 こ っ た 。 そ れ まで は さ ほ ど信 仰 深 くな か っ た ア タ は,こ の 頃 か ら一 日5回 の 礼 拝 や ラ マ ダ ンの 断 食 を頑 な に実 行 した とい う。 研 究 室 で も時 間 が 来 る と礼 拝 を始 め た 学 生 は初 め て だ っ た とい う教 官 の 証 言 もあ る。 夫 婦 の 家 にお い て も,ラ マ ダ ン に な っ て夜 中 に食 事 を して 眠 れ な い と苦 情 を言 わ れ た り,お そ ら く生 活 慣 習 や 宗 教 的 文 化 的 相 違 か ら くる些 細 な衝 突 が,両 者 に とっ て大 きな 精 神 的 ス ト

レス に な っ て い っ た に 違 い な い 。 結 局,ア タ は老 夫 婦 の 家 か ら追 い 出 さ れ る

よ う に住 居 をか え る こ とに な っ た 。 大 き な期 待 を抱 い て ハ ンブ ル ク に や っ て

きた ア タ に とっ て,異 国 で の こ う した初 期 の 体 験 は衝 撃 で あ っ た と思 わ れ る 。

自分 の 出 自 を 改 め て 振 り返 り,自 分 が ア ラ ブ 人 で イ ス ラ ム 教 徒 で あ る こ と,

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最 終 的 に は 決 して ドイ ツ 人 や 西 欧社 会 の.̲̲.員とは な りえ な い こ と を痛 感 した の で は な い だ ろ うか 。 セ ル フ ・ア イ デ ンテ ィ テ ィ ー の再 構築 を迫 られ た の で あ る 。 大 家 族 的 文 化 の 中 で,期 待 が 大 きか った 分 だ け あ る 意 味 で 甘 や か され て 育 っ た ア タ に とっ て,こ の 時 期 の こ う した体 験 が 彼 を変 貌 させ た重 要 な一 因 で あ る と考 え られ て い る(青 木=83)。

イ ス ラ ム教 徒 と して の 自 己 意 識 を強 め て い っ た ア タ は,1995年6月 メ ッカ に巡 礼 した 。 そ の 後 ひ げ を伸 ば し始 め,ム ス リ ム と して の 行 動 が さ ら に顕 著 に な っ て い っ た 。 同 年 の8月 一10月 に か け て,ド イ ツ の非 営 利 組 織 の 国 際 交 流 プ ロ グ ラ ム に 選 ば れ て 奨 学 金 を う け,カ イ ロ 旧市 街地 の都 市 交 通 計 画 を テ ー マ に カ イ ロ で研 修 を行 う こ と に な っ た 。3ヶ 月滞 在 して 市 街 を調 べ て 回 っ た が そ の 結 果s伝 統 を破 壊 しつ つ 西 洋 風 に 画0的 に 開 発 さ れ て い く姿 に 怒 り を あ らわ に し,ハ ンブ ル ク に戻 っ た 際 建 築 事 務 所 の 所 長 レ ビ ン に,

「エ ジ プ トは無 批 判 に西 洋 型 の 都 市 計 画 を取 り入 れ,古 都 を破 壊 して い る 」と 指 摘 した とい う(朝 日:24,青 木:87‑89)。

ア タ は大 学 在 学 中 の27歳 の 時 に 「遺 書 」を書 い て い る。 同 時 多 発 テ ロ の 直 後FBIは ボ ス トン空 港 に 乗 り捨 て られ た レ ン タ カ ー か らア タ の 遺 留 品 の ス ー ツケ ー ス を発 見 し,押 収 した 。 そ の 中 に 「遺 書 」 とテ ロの 「犯 行 指 示 書 」 が あ っ た 。 「遺 書 」 の 日付 は1996年4月11日 で あ る。 そ の 一 部 は 次 の よ う な 文 面 で あ っ た9。

◆ ア タ の 「遺 書 」

私,モ ハ メ ド ・モ ハ メ ド ・エ ル ア ミー ル ・ア ワ ド ・エ ル サ イ ドの 息

子 は,私 の 死 後 次 の こ とが 執 り行 わ れ る こ と を望 む 。 私 は,ム ハ ン

マ ドは神 の 使 い と信 じ る。 神 が 人 々 を墓 場 か ら よ み が え らせ る 日が 来

る こ とを信 じて 疑 わ な い 。 私 は,こ の遺 書 を読 む 私 の家 族 と皆 が 全 能

の神 を恐 れ,日 々 の 生 活 に あ る こ とに惑 わ さ れず,真 の信 者 で あ る な

らば神 を恐 れ,神 とそ の 預 言 に従 う こ とを望 ん で い た 。 私 の 記 憶 で は

イ ブ ラ ヒ ム 〔 預 言 者 〕 は そ の 息 子 に 良 きイ ス ラ ム教 徒 と して 死 ぬ よ う

に話 した こ と を,私 も彼 らに望 む 。 私 が 死 ん だ ら,私 の遺 産 を相 続 す

る者 た ち に次 の こ と を望 む。

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9.11同 時 多 発 テ 「ロ と グ ロ ー バ ル 化15

1私 の 埋 葬 の 準 備 を す る者 は,良 き イ ス ラ ム教 徒 で あ る よ う に。 神 と許 さ れ し者 た ち に 私 が 託 され る た め に。

2私 の 遺 体 を棺 に入 れ る もの は私 の 目 を 閉 じさせ,私 が 天 に昇 る よ う祈 る よ う に。 死 ん だ と きの服 で な く,私 に新 しい服 を着 せ る よ うに。

3だ れ も泣 い て は な らな い 。 叫 ん だ り,自 分 の 服 を裂 い た り,顔 を な ぐっ た り して は な らな い 。 そ う した こ とは 愚 か な そ ぶ りだ 。

4か つ て 私 と う ま くい か な か った 者 がs死 後 も私 を訪 ね た り,キ ス し た り,別 れ を告 げ る こ と を私 は望 ま な い 。

5妊 婦 や 不 浄 な 人 間 が 私 に 別 れ を告 げ る こ と は 望 ま な い。 私 は そ れ を認 め な い 。

(中 略)

こ れ は1996年4月11日,イ ス ラ ム暦 の1416年 に書 か れ た 。

筆 者 モ ハ メ ド ・モ ハ メ ド ・エ ル ア ミー ル ・ア ワ ド ・エ ルサ イ ド 証 人 ア ブ デ ル ガ ニ ・ム ズ ワ ル デ イ(署 名)

証 人 ア ル ・モ タサ デ ク ・ム ニ ー ル(署 名)

遺 書 全 文 を ス ク ー プ した シ ュ ピー ゲ ル 誌 は,こ れ は ア タが 過 激 に な っ た こ と を示 す 証 拠 あ る と重 視 し,「 ア タ は テ ロ の 目的 を も っ て ハ ン ブ ル グ に き た の で は な い 。 変 化 を起 こ した の は ドイ ツ に 来 て か ら。 遺 書 を書 く前 の95年 か96年 」(女 性 記 者 コ ー ドラ ・マ イ ヤ ー)と 判 断 した(朝 日:120)。 確 か に,

こ の 遺 書 が 過 激 派 に参 加 し,殉 教 者 に な る 決 意 の 表 明 で あ っ た 可 能 性 は 高 い (朝 日:25‑30,青 木=110‑113)。 証 人 と な っ て 署 名 した2人 もハ ンブ ル ク の過 激 派 で あ っ た 。 た だ 自分 の 遺 体 の 処 理 に つ い て 言 及 して い る 点 か ら,こ の 時 期 に は,ま だ殉 教 や 自爆 テ ロ を具 体 的 に計 画 して は い な か っ た こ とが 分 か る。

1997年11月,ア タは ア フ ガ ニ ス タ ンへ 向 か っ た 。 ア ル ・カ イ ダ に参 加 し,

訓 練 を受 け る た め だ っ た と考 え られ て い る 。 この 時 期 は,同 年 同 月 に は エ ジ

プ ト ・ル ク ソ ー ル で 観 光 客 虐 殺 テ 「 ロ事 件 が 発 生 し,ま た1998年2月 に は,ザ

ワ ヒ リ率 い る 「ア ル ・ジ ハ ー ド」が ア ル ・カ イ ダ に 合 流 す る な ど,ビ ン ・ラ ー

デ ィ ン ひ きい る ア ル ・カ イ ダが 膨 張 か つ よ り過 激 に な っ て い っ た 時 期 で あ っ

た 。 そ う した 影 響 を ア タ 自 身 が 何 ら か の 形 で 受 け た 可 能 性 は 十 分 に あ る。

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1998年7月 に ア タ は ドイ ッへ 戻 り,11月 に は ハ ンブ ル ク の ア パ ー トを借 り て計 画 の拠 点 と し,同 時 多 発 テ ー ロの細 胞 作 りに 着 手 した 。 そ の 後 の 軌 跡 は省 略 す るが,2000年6月2日,バ ス で ドイ ツ か らチ ェ コの プ ラハ に入 り,翌 日, ア メ リ カ合 衆 国 へ む け て 出 国 し,ニ ュー ジ ャー ジ ー 州 の ニ ュ ー ア ー ク空 港 へ 到 着 した 。 同年7月3日 に は,2機 目の パ イ ロ ッ トで あ る マ ル ワ ン ・ア ル シ ェ ヒ と フ ロ リダ 州 ベ ニ ス の ホ フマ ン航 空 学 校 に入 学,飛 行 訓 練 を 開始 して い る 。

2001年1月 に,ス ペ イ ン を訪 問 後 マ イ ア ミへ 戻 り,同 年4月 に は,チ ェ コの プ ラハ を再 訪 後 ,再 び ア メ リカ に戻 る な ど,忙 し く動 き回 っ て い た こ と が 後 に判 明 し た。 そ して,同 年9月10日 ボ ス トン ・ロ ー ガ ン空 港 へ 飛 び,レ

ン タ カ ー で メ ー ン州 ポ ー トラ ン ドへ 移 動 して宿 泊 し,翌9月11日 ポ ー トラ ン ド空 港 か らボ ス トン空 港 へ 飛 び,ボ ス トン発 ア メ リ カ ン航 空11便 に乗 っ て 自爆 テ ロ を実 行 して い っ た の で あ る。

事 件 後,捜 査 の初 期 段 階 で 当局 は,犯 人 た ち が 実 行 グ ル ー プ と連 絡 や 計 画 の調 整 を に な う後 方 支 援 グ ル ー プ の二 手 に分 か れ て 犯 行 を準 備 した の で は な い か と推 理 し,支 援 グ ル ー プ の生 きて 残 っ て い る仲 間 を と ら え る こ とで 計 画 の 全 体 図 を把 握 し よ う と した 。 「黒 幕 」 に つ な が る重 要 な証 拠 も出 て くる の で は な い か と考 え,FBIは7,000人 の 係 官 を投 入 して9月25日 ま で に300人 以 上 を逮 捕 した。 しか し,そ れ ら し き人 物 は見 つ け られず,9.11テ ロ の拠 点

は ア メ リ カ に は な く,む し ろ ドイ ツ の ハ ン ブ ル ク で あ る こ とが 明 らか に な っ た。

実 行 犯 た ち が 遺 した 少 な い 証 拠 品 の 中 で も う一 つ 重 要 な もの は,ア タが 空 港 に残 した ス ー ツケ ー ス か ら同 じ く発 見 さ れ た 「犯 行 指 示 書 」10で あ る。 そ れ は 「殉 教 」に い た る心 構 え を記 した,4ペ ー ジ に渡 る手 書 き ア ラ ビ ア 文 字 の 書 類 で あ る。 そ こ に は 以 下 の よ うな 内 容 が 記 され て あ っ た 。

◆ 犯 行 指 示 書

も っ と も慈 悲 深 き,全 能 の 神 の名 に お い て …(祈 りの 文 言)。 イ ス ラ ム 国 家 を建 設 す る た め に不 信 心 者 と戦 っ た,預 言 者 の 戦 い を 思 い だ せ … 。

〔 第 一 段 階:最 後 の夜 〕

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9.11同 時 多 発 テ ロ とグ ロ ーバ ル化17

死 へ の 覚 悟 を固 め,あ な た の 意 図 を改 め て確 認 せ よ。 余 分 な髪 ・ひ げ を そ り,シ ャ ワ ー を浴 び,コ ロ ン をつ け よ。 計 画 の全 て の 面 を熟 知 し な け れ ば な ら ない 。 敵 の 反 撃 と抵 抗 を も予 想 せ よ。

コー ラ ンの 戦 闘 の 章 を読 み,そ の 意 味 を深 く省 察 し,神 が 殉 教 者 に 約 束 して くだ さ っ た す べ て の 事 柄 を 思 い 起 こせ 。 … 神 へ の100%の 服 従 を妨 げ る重 大 な試 練 に 直 面 す る と覚 悟 して お く よ う に。 魂 を従 順

に し,清 め,確 信 せ よ。神 が 勝 利 と統 制 と征 服 を与 え て くれ る よ う, 夜 通 し祈 れ 。 心 を清 く し悪 行 か ら身 を遠 ざ け よ。 現 世 の こ と はす べ て 忘 れ よ。祈 りの 時 は 終 わ っ た 。 重 大 な 時 が わ れ わ れ の 前 に 迫 っ て い

る。 … 。

〔 第 二 段 階 〕

タ ク シ ー が あ な た を空 港 へ 運 ぶ 時,神 を常 に思 い 浮 か べ よ。 空 港 へ 着 い た な ら,神 へ の祈 り と加 護 を求 め る言 葉 を 唱 え よ。 笑 み を 浮 か べ, 心 を落 ち着 か せ よ。 神 は常 に信 仰 深 き者 と と もに あ る。 そ して 天 使 た

ちが あ な た 方 を守 っ て くれ る 。

そ して 次 の 言 葉 を唱 え よ。 「お お 主 よ,あ な た が お 望 み の よ う に私 を護 りた ま え。 あ な た の 怒 りを敵 の 上 に打 ち 下 ろ し,邪 悪 か らわ れ わ れ を護 りた ま え 。」… 彼 らの テ ク ノ ロ ジ ー や 装 置,ゲ ー トは何 の役 に も立 た な い 。 信 仰 者 は そ れ らを恐 れ る 必 要 は な い 。 そ れ を恐 れ る もの は悪 魔 の仲 間 で あ り,邪 悪 の兄 弟 で あ る。

行 動 を 開 始 す る 時 が や っ て きた 。 い か な る混 乱 もあ な た を打 ち 負 か す こ と は で きな い 。 混 乱 した り神 経 質 に な っ た りせ ず,喜 び に満 ちi 楽 観 し,平 静 に して い る よ う に。 お ま え は神 の 愛 さ れ る こ と を し よ う

と して い る の だ か ら。

〔第 三 段 階〕

飛 行 機 に乗 っ た ら,祈 りを さ さ げ,こ れ は神 の た め の 戦 い で あ る こ

と を思 い 出せ 。 そ し て 離 陸 した ら,次 の よ う に 唱 え る こ と。 「お お 神

よ,全 て の 扉 を私 の た め に 開 い て くだ さ い 。 祈 りに こ た え,願 う もの

に応 じ られ る神 よ,あ な た の お力 添 え を願 い ます 。 あ な た の 他 に神 は

あ りませ ん」。 飛 行 機 が 発 進 して 航 路 に乗 り,… 戦 い の 時 が 来 た ら,

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地 上 に 戻 る こ と を 考 え ず,英 雄 の よ う に 戦 っ て く 神 は 偉 大 な り 〉 (AllahuAkbar)と 叫 べ 。 この 言 葉 で 不 信 心 者 た ち の 心 に恐 怖 が 生 ま れ るか らだ 。

す べ て の 美 し い もの に 囲 ま れ た 楽 園 が 待 っ て い る こ と を 知 り な さ い 。 楽 園 の 婦 人 た ち が,着 飾 っ て,神 の 友 で あ る あ な た 方 を待 っ て い る の だ 。 … 。 最 終 的 に,わ れ わ れ は神 の 意 思 で あ る最 も高 い 天 国 で, ま た 会 うで あ ろ う。 … 預 言 者 に平 安 が もた らさ れ ます よ う に!

ア シ ュ ク ロ フ ト司 法 長 官 は,「 これ はハ イ ジ ャ ッカ ー た ち が,い か に イス ラ ム の 教 え をね じま げ た か を明 白 に示 す もの だ 」 と主 張 した と伝 え られ て い る が,こ の 指 示 書 の 中 で ア ラー につ い て 何 度 も言 及 して い る よ うに,ア タ た ち は世 界 が 反 イス ラ ム の 不 信 心 者 に よ っ て 悪 に まみ れ て しま っ た こ と,ア メ リ カ合 衆 国 は 悪 の 中 心 に あ る こ と,従 っ て ア メ リ カ の 中枢 を攻 撃 す る こ と は神 の 義 務 づ け る ジハ ー ドで あ り,神 の 意 志 にか な っ て い る宗 教 的 行 為 で あ る。

自分 た ち の 死 は殉 教 で あ り,死 後 は 天 国 に行 け る こ とな ど を強 調 し,確 信 し よ う とす る もの で あ っ た。 この 文 書 は,自 己犠 牲 を伴 う テ ロ を最 後 の 瞬 間 ま で 遂 行 して い くた め に,各 段 階 で 自 らの 動 揺 を信 仰 に よ っ て抑 え させ て い く, 極 め て よ く練 られ た 文 章 とな っ て お り,素 人 の作 成 に よ る もの で は な い と思 わ れ る。 これ を書 い た のが 誰 で あ る の か は わ か っ て い な い 。 しか し,同 じ書 類 が ア メ リ カ ン航 空77便 のハ イ ジ ャ ッ ク犯 の 車 と,ユ ナ イ テ ッ ド航 空93便 の 墜 落 現 場 か ら も発 見 され,異 な っ た 航 空 機 で 発 生 した ハ イ ジ ャ ック が 同 じ チ ー ム に よ る もの で あ る こ とが,こ の 書 類 に よ っ て 立 証 さ れ た の で あ る。

以 上,9.11テ ロ実 行 犯 た ち の 実 像 を追 っ て きた が,彼 らの 生 い 立 ち と背 景,

動 機 な どが 少 しず つ で は あ る が 明 らか に な っ て きた 。 彼 らを 突 き動 か した も

の はf必 ず し も貧 困 で は な い 。 彼 ら は比 較 的 裕 福 な家 庭 の 出 身 で あ り,あ る

程 度 の 豊 か さ と,あ る程 度 の 高 等 教 育 を 受 け た者 が 多 か っ た 。 そ の な か で も

ハ イ ジ ャ ック機 を操 縦 した もの た ち は,故 国 を 出 て ドイ ッ や ア メ リ カ とい う

西 洋 先 進 国 で 勉 強 で きる恵 まれ た 環 境 に あ っ た こ とが 理 解 で きる。 しか しい

ず れ も ま た,故 国 で は望 む仕 事 につ け て い な い 。 そ の 点 で は,そ れ ぞ れ の 国

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9.11同 時 多 発 テ ロ とグ ロー バ ル 化19

で の 経 済 的 状 況 が 反 映 して お り,相 体 的 に は貧 困 や 貧 富 の極 端 な差 な どの 問 題 が 影 響 して い る と もい え る11。 ま た さ らに,故 国 で は,彼 らは皆 当初 か ら 宗 教 的 で あ っ た わ け で も な い 。

しか し,ア タ を は じめ とす る リー ダ ー格 の 人 物 は,そ う した 閉 塞 的状 況 を 突 破 す る た め,よ りよ い 資 格 を も とめ て 西 欧 諸 国 に留 学 し た。 そ の 地 で,何 人 か は ドイ ッ 人 の 家 庭 に 寄 宿 す る とい う類 似 の体 験 を共 有 して い る 。 異 な っ た 西 洋 文 化 に基 づ く慣 習 や 価 値 と密 着 した生 活 の な か で,そ れ に と け込 め な い,ま た は そ こか ら放 榔 さ れ た こ とで,自 分 た ちが 西 洋 人 とは異 な る文 化 と 価 値 を も っ た 民 族 の 一 員 で あ る こ とに 否 応 な く気 づ か さ れ た に違 い な い 。 ま た 学 業 に苦 しん だ り,あ る 時 は学 生 同士 の つ きあ い の な か で差 別 され て い る こ と を痛 感 した りす る なか で,自 分 は ア ラ ブ人 で あ り,イ ス ラ ム教 徒 で あ る とい うセ ル フ ・ア イ デ ンテ ィ テ ィー の 再 確 認 を迫 られ て い っ た と考 え られ る。

西 洋 社 会 や 文 化 に対 す る 当初 の期 待 と あ こが れ が 強 か っ た だ け に,現 地 で体 験 した 失 望 や挫 折 な ど に よ る不 満 と反発 が 強 く生 まれ,そ の 間 隙 に イ ス ラ ム 過 激 派 の 思 想 と運 動 が 忍 び 込 ん で きた の で あ ろ う。 こ の よ う な異 国 の 土 地 で の 自 己相 対 化 とセ ル フ ・ア イ デ ンテ ィ テ ィー 再 構 築 の 結 果 と して,彼 らは最 終 的 に殉 教 者 とな る道 を歩 ん で い っ た と考 え ざ る を え な い 。

4.同 時 多発 テ ロへ の 足 取 り

9.11テ ロ事 件 の 実 行 犯 た ち の 動 機 な ど を解 明 して きた が,も ち ろ ん そ れ だ け で,そ の 全 貌 や 深 層 を把 握 で き ない こ とは い う ま で もな い 。 周 知 の よ う に, ニ ュ ー ヨ ー ク の 貿 易 セ ン ター ビ ル が テ ロ攻 撃 の標 的 と な っ た の も二 度 目で あ っ た 。1993年 の 最 初 の 攻 撃 か ら9.11に い た る 過 程 で,中 東 や ア ジ ァ を と

り ま く国 際 政 治 の 環 境 は驚 くほ ど激 変 して い る。 そ の う ね りに実 行 犯 た ち が 絡 め 取 られ て い っ た の も事 実 で あ り,そ の 過 程 を抜 きに9.11テ ロの 発 生 は考

え られ な い 。

第0回 目の 貿 易 セ ン ター ビル(WTC)爆 破 事 件 が 起 こ っ た の は,1993年2 月26日 で あ る。 そ の4日 後 「リベ レー シ ョ ン ・ア ー一ミー 第5大 隊 」 と名 乗

る 団体 が 犯 行 声 明 をだ した 。 そ の 団 体 につ い て は ア メ リカ 政 府 を は じめ誰 も

認 識 して い な か っ た が,そ の声 明 は 「テ ロ 国 家 イ ス ラエ ル と,そ の 地 域 の独

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1993.2貿 易 セ ン タ ー ビ ル 爆 破 事 件

1993.6ニ ュ ー ヨ ー ク 同 時 爆 破 計 画 発 覚 。 翌7月,同 計 画 共 謀 の 容 疑 で ア ブ デ ル ・ラ ー マ ン逮 捕 。 1994.4サ ウ ジ 政 府,ビ ン ・ラ ー デ ィ ン の 国 籍 剥 奪 。

12フ ィ リ ピ ン 航 空 機 内 爆 破 事 件 。 日本 人1名 が 死 亡 。

1995.2ラ ム ジ ・ユ セ ブ 逮 捕 。 太 平 洋 上12=機 爆 破 計 画 を 未 然 に 防 ぐ。

5ビ ン ・ラ ー デ ィ ン,家 族 や 仲 間50人 と と も に, ア フ ガ ン に 。

8「 ジ ハ ー ド宣 言 」 サ ウ ジ の 敬 慶 な イ ス ラ ム の 若 者 た ち に 対 し,湾 岸 戦 争 以 来 サ ウ ジ 駐 留 を 続 け て い る 米 軍 の 駆 逐 米 軍 兵 士 の 殺 害 を 主 張(藤 原:126‑7)。

i998.2ビ ン ・ラ ー デ ィ ン らが 「ユ ダ ヤ 教 徒 ・十 字 軍 に 対 す る イ ス ラ ム 世 界 戦 線 」を 結 成 。 新 し い 「フ ァ トワ 」 の 発 令 。 ア メ リ カ 人 に 対 す る 無 差 別 テ ロ を 呼 び か け る 。

・… ア メ リ カ 大 使 館 同 自 爆 破 テ ロ。 ケ ニ ア,タ ン ザ ニ ア の ニ カ 所 。 実 行 犯 の 一 人 モ ハ メ ド ・ア ル オ ワ リ 逮 捕 。FBIに ア ル ・カ イ ダ に 関 す る 重 要 情 報 を 自 白 。

2000.1マ レ ー シ ア の 首 都 ク ア ラ ル ン プ ー ル で,ア ル ・ カ イ ダ の 秘 密 会 議 。 約10人 が 集 ま り テ ロ 計 画 を 話 し 合 う 。CIAは こ の 動 き を 事 前 に 察 知 し, マ レ ー シ ア の 公 安 当 局 に 尾 行 を 依 頼 。 詳 細 な 報 告 書 がCIAに 提 出 さ れ る も,放 置 さ れ る 。 数 日後911実 行 犯 の ア ル ハ ズ ミ と ア ル ミ ダ ル が ア メ リ カ に 入 国 。 把 握 し て い たCIAは 入 国 帰 化 局(INS}に もFBIに も通 報 せ ず 。

2000.6モ ハ メ ド ・ア タ,ア メ リ カ に 入 国 。 2000.10米 駆 逐 艦 コ ー ル 爆 破 テ ロ 。 イ エ メ ン 。

2001.7FBIフ ェ ニ ッ ク ス 支 局 は,ア ラ ブ 人 パ イ ロ ッ ト に 注 意 せ よ と の 警 告 をFBI本 部 に 提 出 。 8.17FBIミ ネ ア ポ リ ス 支 局,20番 目 の テ ロ リ ス ト

と推 定 さ れ る ザ カ リ ア ・ム サ ウ イ を 逮 捕 。 8.23CIA緊 急 連 絡 。FBI,INS,国 務 省,税 関 に ア ル

ハ ズ ミ,ア ル ミ ダ ル の2名 を テ ロ リ ス ト国 際 指 名 手 配 リ ス トに 載 せ る よ う 緊 急 通 報 。FBIは 本 格 的 捜 査 に 着 手 。

.,実 行 犯 た ち 航 空 券 の 購 入 開 始

&25モ ハ メ ド ・ア タ も 航 空 券 を 購 入 。 9.11同 時 多 発 テ ロ

裁 国家 へ の ア メ リ カ政 府 に よ る政 治 的,経 済 的,軍 事 的 な 支 援 に対 す る 攻 撃 」 で あ る と 主 張 した 。 こ の 時 の テ ロ は, 複 数 の トラ ッ ク にTNT火 薬 を満 載 し,ビ ル の 地 下 駐 車 場 で 爆 発 させ て,最 終 的 に は2 棟 の ビル が 重 な り合 う よ う に

して崩 壊 す る こ と を ね らっ た も の で あ っ た が,幸 運 に も, 駐 車 場 に突 進 し始 め た トラ ッ

ク に気 づ い た 警 備 隊 に よ っ て 阻止 され,入 口 の 一 部 が 爆 破 され た だ け で 大 事 に は い た ら

な か っ た 。

実 行 支i援 者 の 一 人 モ ハ メ ド ・サ ラ メ が6日 後 に逮 捕 さ

れ た 。 彼 は ジ ャ ー ジ ー ・シ テ ィ在 住 で,同 地 の モ ス ク 「マ ス ジ ッ ト ・ア ル ・サ ラ ー ム 」

に 通 っ て い た こ とが 判 明 した が,同 モ ス ク は過 激 派 の拠 点 と な っ て い た 。 盲 目の 指 導 者

オ マ ル ・ ア ブ デ ル ・ ラ ー マ ン

が 指 導 して い た が 彼 は エ ジ プ トの 急 進 派 「イ ス ラ ム集 団 」 指 導 者 で あ っ た 人 物 で あ り,1981年 の エ ジ プ ト大 統 領 サ ダ ト暗 殺 に 関与 した と して 逮 捕 され た 経 歴 を もつ 。 結 局,容 疑 不 十 分 で 釈 放 さ れ た 。 そ の後 ア フ ガ ニ ス タ ン で ソ 連 軍 に対 す る急 進 派 の 戦 闘 が 本 格 化 す る につ れ,CIAの 協 力 者 と して 戦 闘員

を リ ク ル ー トして ア フ ガ ニ ス タ ン に送 り込 む 上 で重 要 な役 割 を演 じた 。 しか

し,ア フ ガ ンで の 対 ソ連 ゲ リ ラ戦 が 終 了 す る と,1989年,エ ジ プ ト政 府 は反

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9.11同 時 多 発 テ ロ とグ ロ ーバ ル 化21

政 府 運 動 の 嫌 疑 で 再 び投 獄 した 。

対 ソ連 戦 でCIAへ 協 力 した こ とか ら,ラ ー マ ン は ア メ リ カ合 衆 国 が 引 き 取 る こ とを条 件 に釈 放 さ れ,1990年 ア メ リカ に入 国 し,ジ ャ ー ジ ー ・シ テ ィ の モ ス ク で イ ス ラ ム 指 導 者 と して 生 活 を は じめ た 。1990年11月sニ ュ ー ヨー ク で ユ ダヤ 教 ラ ビ を射 殺 す る事 件 が 発 生 し,そ の 背 後 に は ラー マ ンが い る との嫌i疑が 強 ま っ た 。

93年2月 のWTCビ ル爆 破 事 件 の 主 犯 が ラ ジ ム ・ユ セ ブ で あ る こ と をサ ラ メ な どの 証 言 か ら突 き止 め たFBIは,同 年4月2日,彼 ら を国 際指 名 手 配 し た 。 同年 の6月 に は,さ ら に ニ ュ ー ヨー ク 同 時 爆 破 計 画 が 発 覚 し,WTC爆 破 事 件 関 与 者 と して ラー マ ン も逮 捕 され た 。

こ う した 捜 査 に よ っ て,彼 らイ ス ラ ム過 激 派 の 国 際 的 な拡 が り と活 動 が 次 第 に明 らか と な っ て い っ た が,1995年1月6日 に フ ィ リ ピ ンの マ ニ ラ市 内 で アパ..̲̲ト火 災 が あ り,消 防 隊 が 踏 み 込 む と そ こ は テ ロ用 の爆 弾 製 造 現 場 で あ っ た 。 そ の 時 に 逃 亡 した ユ セ ブ の友 ム ラ ド"が ま もな くマ ニ ラ市 内 で 逮 捕 され,現 場 に残 され た ノ ー トPCが 押 収 され た 。 そ のPCの デ ー タか ら,太 平 洋 上 で ア ジ ア か ら ア メ リ カ に飛 行 す る12機 の 旅 客 機 を 同 時 に爆 破 す る ポ

ジ ンカ計 画 や,マ ニ ラ にや っ て くる予 定 の ロ ー マ 法 王 と ク リ ン トン ・ア メ リ カ大 統 領 を暗 殺 す る計 画 な ど,恐 るべ き計 画 が 発 覚 して い っ た 。 こ れ らの 計 画 を も考 案 し,実 行 に移 そ う と して い た 主 犯 ラ ジ ム ・ユ セ ブ は95年2月7日

に,同 じ くマ ニ ラ で 逮 捕 され,ポ ジ ン カ計 画 な どを 未 然 に防 ぐ こ とが で きた の で あ る。

この よ うな大 規 模 な テ ロ計 画 が,次 第 に オ サ マ ・ビ ン ・ラ,̲..,.デ ィ ンの ひ き

い る ア ル ・カイ ダ と密 接 な つ な が りが あ る こ とが 判 明 して きた こ とは い う ま

で もな い 。98年 に起 き た ア メ リ カ大 使 館 爆 破 テ ロ や,2000年 の 米 軍 の駆 逐

艦 コー ル の 爆 破 事 件 な ど,次 第 に エ ス カ レー トして ア メ リカ 政 府 や 米 軍 の み

で な く,民 間 人 を も含 む 全 ア メ リカ を攻 撃 目標 に して い っ た経 過 も明 らか に

な っ て きた の で あ る 。 そ の 後 の9.11に 至 る大 枠 の 動 き は,年 表 を参 考 に して

い た だ きた い 。

参照