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大正期における秋田県教育会の組織改編と体育・運動奨励について

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秋田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 50 pp 1‑14. 1996

大正期 における秋 田県教育会の組織改編 と 体育 ・運動奨励 について

森 田 信 博

TheReorganization ofAkita EducationalSociety and Encouragem entsofSchoolGymnasticsand

Sportsby theSociety in theTaishoEra.

Nobuhiro MoRITA

TheporposeorthethlSStudywasintendedtoinvestlgateAkltaeducational societyaspropulsivepartforschoolgymnastics,BujutsuandsportsintheTaisho era. Thissocietypropeledschooleducationandgymnasticsacoordingtoplanofthe warfootlnglnSplteOfabadcroplnfirsthalfera. In1924Societywasreorganized by"TalShodemocracy"andwasformedperfectprlVateOrganlZation.

SocietyexecutedtheplanofequlpmentStandard forschoolgymnasticsand guidancetourofthegymnasticconsultantinordertoenforcementof"thegymnas ticssyllabusforshool"(1913).

AkitaeducationalsocletyenCOurgagedpositivelyrollowlngkindsofBujutsuand sports.

1.Bujutsumeetlng(KendoandJudo)forhighschoolandelementaryschool. 2.Acoursemeetingforswimmlng. Aexerciseplacewassetedupattheseaside.

3.OutdoorsportslnWinter. Skete,athleticmeetlngOnthesnowandespeciallyski. ButallmeetlngSWerediscontinuedbvrenovationoforganizationin1924.Socie‑

tydeniednotthose,butAkltaprefectureabolishedsubsidiesformeetlng. Akita educationalsocietyencouragedschoolgymnasticsandsportsin accord with this situationinTaishoera,butwasnotabletoperform initiativeroll.

Ⅰ. は じ め に

秋田県教育会 は, 明治16年 にその前身 で あ る 「秋田県教育義 会」 が結成 され, 明治21 (1888)に 「秋 田県教育会」 と して発足 して以 来,秋 田県 の教育,体育,運動競技 の普及促進 の原動力 として活動 して きた。初等,中等,節 範などの学校教育 のはかに,補習学校,通俗講

談会 などひろ く社会教育 にも力を注 ぎ,県知事 を会長 に推挙す ることによ り県 の教育政策 に も 大 きな影響を与え先駆的推進役 として発展 して きた。歴代 の会長 には体育 ・運動奨励 に理解 を 示す者 も多 く,教育会主催での各種の運動, ス ポーツが促進 され大会,講習会が開催 されていっ た。野球大会 は後 に教育会 としては主催 を中断 してい くが大正,昭和 と続 く発展 の基盤づ くり

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秋 田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 50

を した。時代的な要請を背景に明治41 (1908) に始 め られた武術大会 は 「武術奨 励規定」 が 制定 されたこともあ り全県の中等学校 の大会 と な ってい く。42年か ら始 め られた,水泳講習会 は秋田市 の小学校,中等学校がほとん どである が毎年会 を重ねるごとに参加校 も増加 し,教育 会 の重要 な活動 とな ってい く。 さらに北国の地 の利を生か した冬季の戸外運動 も奨励 され44 に始 め られた氷 上運動会」 も参加者が数千名 にもな り, スケー トのほかにスキーの奨励が県 令 により促 されてい く。

このよ うな明治末の経緯 を経 て大正期 には, これ らの運動, スポーツがます ます盛んに実施 され るよ うにな り,当初 の体育的,徳育的教育 方針の達成 よ りも,競技性,娯楽性 に関心が寄 せ られ る一方, より高 い専門性 を求め種 目ごと の組織や運動, スポーツを専門 とす る協会 の必 要性 も高 まってい。 これ らは体操遊戯取調委 員会か ら共同調査会 に移 された問題が 「統一案」

に整理 され,大正2 (1913)に 「学校体操教 授要 目」 として発布 され普通体操か らスエーデ ン体操 に移行 しなが ら指導や施設の改善が進 む と同時 に,大 日本体育協会を中心 に明治45年 オ リンピック大会初参加,大正2年東洋 オリンピッ ク大会,各種 冒の全 □本競技会 の開催などが影 響 していることは確かである

しか し大正前期 は第1次世界大戦を前 に軍部 か らの ミリタリズム的教育,体育 の喧伝が広が り,青年団体や在郷軍人の組織を中心 に国家主 義的な兵式体操が求 め られ,大戦 には数度の出 兵が行 われ非常時意識があお られ生活 はさび し い ものであったが,軍事特需 により日本経済を 活況化 し,戦後 には個人の自由や権利 とい った 大正 デモクラシーが叫ばれてい く。

このような複雑 な情勢 の大正期 に,組織 の改 編 とともにさまざまな提案や具体案 を試みてい く秋田県教育会 はどのような教育方針の下で活 動を し, とりわけ明治後半期か ら奨励 していた 体育 ・運動活動が どのように推移 してい くかを 明 らか にす ることが,本論の課題 となる。

,秋 田県の教育方針 と教育会の活動 1.第一次世界大戦終結 まで

大正3 (1914)に始 まる第一次世界大戦は, 好景気 を もた らした反面,東北,北海道地区 は 前年秋 の凶作の影響で物価の高騰などにより生 活 は決 して容易で はな く,秋 田県 は貧困児童の 授業料軽減,免除 町村教育費節約のため二部 授業の実施,勤倹貯蓄.行事 の簡素化 などを指 示 し,就学出席率 の減少対策 として出席優良校 の表彰 などの救済策や防止策を詳細 に指導実施

してい く。

ドイツに対 して宣戦を布告 し大戦 に加わ って い く,大正38月阪本教育会会長兼知事 は郡 市会議で,「国家 に対す る責 任 を 自覚 し公権 を 尊 び公務 を重ん じる忠良な る立憲国民たる」匡l 民道徳 の滴養が教育上最 も留意 すべ きで あ り,

実学 を奨励 し以て殖産興業発展の根源を培養」

す るために も家庭教 育を見直 してい くことを訓 示 している:これは6月 に設置 された文部大 臣の諮問機関 .教育調査会」 の建議案を受 けて の ものであ り,前年の槙山視学官 の 「如何 にし て健全なる国民を養成すべ きか」 と題 した講演 にあるように,健全なる国民 の養成 は普通教 育の振興 に侯っ其の局 に当たる者益々精励せよ」

と言 う天皇の 「ご沙汰」 にそ うもので,2)教育 会 の大TE前期の教育方針 とな ってい く。そ して 出征や応召軍人の子女 に対す る補助や学校職員 同士 の分担 などを求 める3:.と同時 に, あ らため て国家主義的教育方針を戦局を積極的に利用 し て成果を上 げようとしてい。 そのために各学 校への通達 の他 に も,海軍大佐を招鰐 しての県 立学校生徒への通俗講話会が開催 されてい く。

大正46月の教育会総会で阪本会長 は, 今 こそ法治国 として 「国憲を重ん じ国法 に遵」 っ て法律思想 の滴責を教育 の方針 としてい くこと を強調す る4)この ことは. 教育会 の機 関誌 に

本県の学校 に於 いて生徒児童 の教養上特 に助 長若 しくは矯正すべ き事項」 として継続的に掲 載 されてい くことで も明 らかで あ る5)また青 年団の指導,補習教育,図書館巡回,講演会な どの社会教育の一層の充実 による,徴兵検査 ま

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森 田 大正期 における秋EEl県教育会の組織改編 と体育 ・運動奨励につ いて

での期間の青年 の学力,体力,思想 の健全化を 求めてい。そ して教兵課兵事係の徴兵検査の 概況を各項 目ごと,地域 ごとに掲載 して い く6 戦局 の進展 にあわせて文部省が 「時局 に関す る 教育資料」を刊行 し, さらに天皇より 「教育振 興 に関す るご沙汰」が示 されてい く。 しか し見 方をかえればすでに自由主義思想や,社会運動, 労働運動 などへの対策が含 まれている

大正5年 には教育会 の答 申を うけ,「青年 団 施設要項」が県令 として制定 され,青年団員 の 補習教育への督励策 などの一層の強化が図 られ てい くOそ して県立中等学校長会議 で は, 「聖 旨を奉体」 し 「時局 と教育」 を活用 し 「立憲思 想」 の養成,職員」 の統督 さ らに 「体育 上 の 施設」 などが訓示 され, あ らためて生徒の風紀 取 り締 まり,訓練養護,学校衛生, 学力増進, 通俗教育 などの見直 しが指示 されて い く。ノ大 67月の郡視学会 議,8、10月 の全県小学校 長会議での川 口教育会会長兼知事 の訓示 は,明 治末期か らの訓育的,徳育的教育方針を確認 し なが ら秋 田県の時運 に適切 な事項 として 「勤労 節約の美風 を馴致 し敏活忍耐 の習慣 を養成」 し

「国家的観念 の養成憲政 の趣 旨」 の明確化,

「自治の観念」 の養成を各小学校 で適宜実施 す ることをあげている。 さらに大戦 との関連 で, 学力問題, とりわけ理科,数学 の思想, 知識, 技能 の増進 の必要性 を強調 し,青年団 と実業補 習学校,青年夜学会への卒業生の指導を求 めて い く。 さ らに翌7年郡視学会議 で川 口知事 は,

戦時気分 の緊張を欠 くのみな らず却 て経済界 の一時の順調 に揺れて浮華 を喜 び矯膏を増すの 傾向漸 く甚 し」 く 「本県 は東北の一隅に僻在 し 民心動 もすれば消極 に傾 き気宇潤連 な らず徒 に 小天地 を害 して勇往遥進 の気塊を欠 く傾向」で あることを戒め 「世界の進達 に伴 い大有為の国 家を径造す る所以 の途」であ り,市町村義務教 育費国庫負担法の制定 を機会 に,青年団員の補 習学校義務化,女子教育 の充実を課題 としてい

第一次大戦 の終結が近づ くにあた り,秋 田県 および教育会 の教育策 は,国民道徳 の振興 と国 民体力の向上 そ して理化学 の知識 の普及 による

国力の増進が主眼 となる。そ こでは,学校教育 と同時に十分 な指導が行 き届かない小学校卒業 の青年を含む社会教育が極めて重要 にな り,県 はその充実のために教育会 に組織化 と指導,実 践 を求めてい くことにな る

2.新教育思潮 と組織の改革

第一次世界大戦が大正7 (1918)11月 に終 結 し,翌8年 1月の郡視学会議で,川 口教育会 会長兼知事 は,国民道徳 の徹底を期 し帝国臣民 たるの根基 を養 うために, 県 内に200校 に達 す る実業補習学校を さらに普及 させ とりわけ青年 女子 の身心 の陶冶を求め る。そ して戦後の相次 ぐ物価の高騰 のため激増す る休退職教員 の歯止 めをかけるために臨時手 当支給 などの教員待遇 の改善を始 めるとす る各種 の教育改革を提案 し てい。視学官 に対 しての訓示であ り具体性 に は欠 けているが,直接 の戦禍の影響 はな くとも 市民 の生活や教員の職場環境 の劣悪化 は,明 白 な状況であった。3月の郡市長会議 で の川 口知 事の訓示では戦時中以 上の 「勤倹力行の美風 の 作興,生産資金 の増殖 による生活の安定を図る」

詳細 な指示がなされその深刻 さを明 らかに して いる。9〕内務大臣訓令 と しての戦後民力滴毒 に 関す る五大要綱 に対す る秋田県の具体化案で も ある。10)

その一方で自由主義思想が教育 にも広 まりな が ら秋田県 に も 「玉川学園の小原国芳系統 の全 人教育 もう一つは千葉師範附属小学校手塚岸衛 系統 の自由教育」11)が異体的な活動 と して受 け 入れ られ,青年教育同志者会 と山本郡を中心 に に した白楊会秋 田支部の教育活動 として実践 さ れてい く。

(1)白楊会秋 田支部 と青年教育者同志会 白楊会 は手塚 によって大正8 (1919)に結 成 され,「自由教育の原理 と実 際」 の講 習会 の 開催を きっかけに134月 に飯坂兵治が秋 田支 部を設立 し,干葉 の本部 は昭和2年 に解散 に追 い込 まれたが,秋田支部 は昭和13年飯坂が教師 を辞職す るまで授業研究,講習会,講演会 など の 「自由教育研究の普及 と徹底」を目的に活発 な活動を展開す る。

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秋 田大学教育学部研究糸己要 教育科学部門 50

大正8年5月 に県 内 の青年教 師 の有志約300 名 によって 「自己の修養を目的 とし諸般 の教育 問題 に対 して」取 り組み,秋 田県教育の進展 に 寄与すべ く 「青年教育者同志会」 が結成 され,

自由教育,新教育理念, さ らには哲学研究 にも 関心を寄せ,雑誌 『主張』 も発行 され る。大正 10年か ら毎年1月 と8月の 2回,講習会 を秋 田 県女子師範学校で継続的に開催 し,第‑回の講 習会 は1月31日か ら3日間にわた り,東京成城 小学校主事鯵坂 (小原)国芳の 「教育 の根本問 題 としての哲学,道徳,芸術,宗教」 と題す る もので,有料ではあ ったが参加者 が450余名 に のぼ り,名尾知事をは じめ河内旅団長,小出連 隊長 などの軍関係者 も聴講す る 「未曾有の盛況」

な もの とな ったC12'同志会 の活動 が沈滞す る教 育界や県の教育策への大 きな刺激 にな り評価 さ れなが らも,特別祝され危険視 されることもあっ たが, それがむ しろ会の団結 と活動を高め,秩 田県教育会の組織改革の原動力 となってい く

(2)教育会の組織改革

自由教育思潮 に沿 って,秋田教育懇話会13) ど新 しい会が誕生 し活動 していくのと対照的に, 秋 田県教育会 は停滞の一途 をたどり,大正9

には機関誌が2月号発行 のみ とな る。141同年 の 総会 も定刻を1時間過 ぎ開催 されたが,会長兼 知事の欠席のまま議事が進行 し,熊谷直秀か ら 昨年 に続 き本年 も特別 な理 由な く会長が欠席で あることに対 して,斯か る重大 な る場合本県 教育の状勢及び会員の意見をお聞 きになるのは 今 日最 も必要の場合 と考 え「本会 の改造論 の 旺盛 なる今 日万障を繰合わせ本会将来の発展を 期 し改善上 につ き熱誠を」知 るために も出席を 求 める意見を述べ ると賛同 とともに会長への不 満や不信の声があが り 「一同共鳴拍手暫 し鳴 り 止 まさりし」 と波乱 をみせ議長役 の副会長 は苦

しい答弁を し初 日の議事 は45分間で終了 してい 。15)2日目も 「補習教育 の改善振興」 に関す る論議で仙北郡千屋小学校長三浦悪太郎が,冒 城県視察の例を挙 げなが ら県や会長の不熱心 さ に不満を述べ ると 「氏の代表的要求論 に同情 し 拍手雷 の如 く共鳴」 したが副会長 は,怒気満面 で激怒 し叱責 におよぶ と議長 の威圧的態度 に反

論が出され,為政者の本教育疎外論」 に及 ん でい く。 16

10年の総会で は会長である知事 も出席す る うちに教育会 の財政難 を抜本的に改善す るため に基本金10万円を募集す るとい う会長の積極的 な提案が概ね肯定的な議論ではあったが,採決 の結果次年度 までの課題 とな り会長 との問に理 解の相違を残す ことになる。11年の総会では初 日に緊急動議 として,「県教育 界 の団結, 綱紀 の粛正人心 の廊清等 に関す る宣言」が提案 され 宣言文が承認 される17)12年 の総会では冒頭で, 副会長 よ り昨年10月前会長辞任 に対 して従来 どお り本会常議員会 において満場一致 で, 覗 岸本知事を会長 に決議 したが,知事 よ り熟考す る余地 あ りとて諾否未決定であるとの報告がさ れた。 これに対 して会長選挙のあ り方,常議員 制度 さ らには教育会 の現状 に対す る論議 に発展 してい った。1郎議場騒然 とす る中で, 再度知事 に交渉す ることで決着を見たが,県 との関係 の 見直 し案が明確化 して きた。 さらに郡 市教育会 を連合 して県教育会組織す る案 も同様な経緯の 中で承認 されてい く19:.

そ して大正13 (1924)6月10日, 個人会員 の集団組織であった社団法人の秋田県教育会が 解散 され,財産のいっさいを譲与す る手続 きを 終えたあと,郡市教育会の連合組織 としての秋 田県教育会結成の発会式が開催 された。会長選 出をめ ぐっては,選考委員制 に対 して青年教育 者同志会などの改革派が強 く抗議 し,採決の結 果 「郡視学 と4,5名の校長」の原案賛成 のみ で,即刻会長,副会長選挙の投票 に移 った。そ の結果,従来の知事が会長,内務郡長が副会長, 強兵課長が幹事 とい う慣例 が完全 に否定 され, 反官僚的な民間人の選出 とな り,新組織 となっ て本来 の私立の秋 田県教育会が誕生 してい くこ

とになる。20

機関誌の 「秋 田県教育雑誌」 もこの組織変革 をはさんで発行が滞 り,新組織 とな った大正13 年11月に 『秋 田教育』 と改称 して創刊 されてい

。21)規約 の改正が行 われ るの は, 大正145 月であるが,教育会 の役割を再認識 し,22)教育 会 の活性化が表れて きた。

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森 田 大正期 にお ける秋 田県教育会 の組織改編 と体育 ・運動奨励 につ いて

Ⅲ.教育会の体育への取 り組み 1.学校体操教授要 目への対応

大正2 (1913)1月 に文部省が 「学校体操 教授要 目」 を発布 したのを うけ,2月末 に各学 校,郡役所宛 に秋田県訓令が 出 され た。 「従来 各学校 に於 いて は其 の授 くる所区々に亘 り往々 其 の準拠す る所 に迷えるの観 なきにあ らず」 そ のために文部省が調査攻究 の結果適切 と認めた 要 目を編成 した ものであるので 「要 目に準拠 し 土地の状況男女 の区別学年の高下児童生徒 の発 育状況等 に照 らして周密政究 の上最適 なる教程 を作 り尚実際の教授上 には十分 の工夫 を凝 ら」

して体操科の目的を達成すべ きとの内容であっ た。23.そ して機関誌 『秋 田教育』 に永井道 明の

学校体操 に就 きて」 と言 う講演, 佐 々木吉三 郎 の 「近年 の体育問題」 を掲載 してい く。

大正3年 には, 由利良蔵 の 「体操教授雑感」

と題 した4回の連載が掲載 され,要 目発布 によ り国民 の体力,体育問題が注 目され論議が盛ん に行われてい くが 「県下 に於 ける体操授業 を見 聞 して,叙上の見解 の甚だ しき過誤 の無 さを信 ず る」 ものであるとして,教師の修養,運動教 授方法,教練 について解説 を加えて い る。24:.さ らに永井道明は 「体操講習所感」で全国の中等 体操教員の体操講習会の所感 を述べなが ら 「 操科教員 の低位置にある原因」 と解決法を挙 げ ている。教育会 は機関誌を活用 し,教授要 目の 正 しい普及 と体育 の奨励の手始 めとしてい く。

2.世界大戦 に向けての体育の奨励

世界大戦への参戦 にともない,徴兵検査の成 績が体育,教育 に大 きく影響を与え,大正5 の県立中等学校長会議では,「体育上 の施設 に 関す る件」が とりあげ られ,徴兵検査の結果か ら中等学校卒業 の者 よ り高等小学校卒業以下の 者 の成績が良 く,学力程度の高上 に反比例 して い くことは 「国家のため憂慮 に堪えざるな り各 学校 に於 いては正課 と して体操 を確実 にす るの は勿論其他適切有効の施設をな し生徒体力の増 進 を努 める」べ Lと知事兼教育会会長か ら訓示 が され ることになる。25つさ らに6年 の会議 で は

身体を鍛錬 し国民 の元気 を旺盛 に し以 て其 の 活力の増進を図 るは教育上一 日も忽 にすべか ら 時勢 の進運 は国民生活 の状態 に変化 を及 ぼ し体育及学校衛生上 にも慎重なる注意 を要す るもの多 きを加ふ るに至れ り」26)と教授方法 の 多様化,適正化が求 め られてい く。 そ して各地 で実地授業の成績 を比較対照す る 「体操比較考 査」が行われ,小学校 に設備すべ き体操用具を 個数,金額 など具体的に示 してい く27)

これに呼応 して7 (1918)1月 に秋 田県訓 令 「小学校理科及 び体操科 の充実 について」が 出され,具体的 に運動器具品の一覧表を掲 げた

小学校体操器械設備標準」 によ った環境 の整 備が求 め られてい く。28)さ らに教育会 の研究部 が 「児童青年の体力気力を増進すべき方法如何」

とした以下 のよ うな答申を出 している。

体力気 力の増進方法29 甲 体操科 の実効 を計 る

1.体操科尊重の風を助長 し教師の自覚 を促す こと

2.体操巡回教師を設置す ること 3,体操科 の設備を完成す ること 4.課外の運動遊戯を奨励す ること 5.鍛錬的な らしむること

6.武道 を奨励す ること

乙 一層学校衛生 に意を用ふべ きこと 1.学校医の設置を促 し身体検査の結果

を利用すべ きこと

2.児童 の トラホーム其他伝染病の撲滅 に一層の力を尽 くし不良若 しく崎形 なる発育 をなせ るものに対 しては適 当なる配慮 をなす こと

体力気力増進 の声を社会的風潮た らしむ べ きこと

1.補習学校及青年団 にも体操をかす る こと

2.社会的の風潮を作 るに努 ること この提案 に従 って各学校 に限 らず地域社会で も運動会,青年団体育大会, 青年 団体操研究, 軍隊見学 などが行われてい く。大正8年度か ら

は体操科指導教師の制度が設 け られ 「学校体操 の普及徹底をはか ること」を目的に 「体操科指

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秋田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 第50

導計画」がたて られ,第1期指導 は同年8月か 95月 まで とされ主な内容 は以下 のよ うで ある。

体操科指導計画謝〕

1.第 1期の措導 は講習会開設及 び各学事 区 巡回指導。特別 に視察指導 もある

2.講習会設置 は各学事区 または学校研究組 合を単位 として総員49名を2回に分 け秋 田師範学校 において各10日間講習指導す る。

3.講習会 の終期 には成績 を検閲 し講習証書 を授与 し,講習内容 を伝達す ると同時 に 体操科教師の巡回指導の際 には助手 とし て勤務 させ る

4.成績検閲の際 には軍隊教育 に関係 ある官 衛附近中小学校新聞社等 に案内を出 し斯 道 の奨励 にあたる。

5.巡回指導 は主 として郡別 に行 い,順序 は 設備の状況並 びに土地 の状況を調査 して 師範学校長が決定す る。

6.巡回指導 は各学事区又 は研究組合を単位 とし3日間指導す る。

7.巡回指導では児童演習,批評会,教員実 地練習及 び理論 の講義 をす ること。

8.児童演習 は各学校尋常科6学年男女児童 を其 の組合の中心 となる学校 に集 めて行 い,その成績の批評会を開 く

9.教員 の実地練習及 び理論の講義 は合計15 時間以上 とす る

ll.実地練習及 び理論 の際の指導事項 は大体 別紙予定表 によること。土地及 び設備の 状況 により多少 の変更 もある。

12.学校体操 の普及 は体操科 の設備 と関係す ることが最 も大 なるに,大正7年 1月22 日訓令甲第2号 の普及徹底 を厳重 に督励 す ること。

13.地方巡回指導 の際には予め郡 よ り次のよ うな通牒を発す ること。

1)小学校教員 は全員参加す ること。実 科高等女学校 の体操科教員 も参加の

こと

2)病気負傷並 びに生理的に己むを得 ざ

る障害以外の見学 は認 めない。

3)服装 は男子 は体操帽, シャツ, ズボ ン下 (パ ンツは一 層 良 い), 足 袋 (又 はズ ック製 の体操靴),女子 はク ク リ袴,足袋 を用意 し且つ頭髪 は乱 れぬように注意。

4)児童 はすべて帯又 は衿 の紐 を緊縛 さ せす ぎず,運動 の前 に必ず便所 に行 かせ る

5)運動 に便利な軽快 な る服装 の奨励, 栄養不足 に陥 らざる程度 の食物の摂 取奨励等特 に児童 の家庭 に注意を促 す。

6)町村長学務委員等 には斯道奨励のた めに特 に参観を奨励す る。

14.1期指導期間中 は主 として小学校 に重 点をお く。

15. 1校 もしくは数校で指導教育 の派遣を請 うときは,事情 を具 して2カ月以前 に師 範学校長 に申 し出ること

16.指導教師 は用巡回指導 の際 と雄 も1週間 に 1日の割で休養を とる。

17.指導教師 は巡回指導状況を其の都度師範 学校長 に報告 し且つ 1カ月 ごとに県知事

に復命す ること。

3.戦後の国力増強 と施設の整備

体操科指導教師,原清吉の南秋 田郡小学校の 成績考査状況復命書では,7地区55校 (参加児 童数約2300名)での指導結果 を報告 して いる。

受持継続年数,学校編成,授業者,児童の姿勢 ・ 体格 ・態度,教案,教授法,教材演習にわたる 成績概評 と教員実地練習の概評 そ して総評 と希 望 を記載 し 「咋年 に比 し本年 は著 しく児童の姿 輿,態度,動作 は向上進歩 し運動 も確実の度を 加へ しは甚だ喜ぶべ き現象な り」 としなが らも

教案及 ひ教授法 に研究 と改善 を要 す る点多 く ある」 とし 「実地及 び学理今一層 の修養を必要 とし」同時 に 「体操場戸外運動所 の改善及び器 械 の設備 の督励」が必要であるとしている。31) 知事兼教育会会長 の各種の会議での訓示で体 育の奨励 が強調 されてい くが,施設面で も十分

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森田 大正期 における秋 田県教育会の組織改編 と体育 ・運動奨励 につ いて

な成果が得 られず112月 「体育施設調査委員 会」が開催 され る32)他方運動奨励 を生理学 に 調査研究 し合理的体育的運動 の普及を主張す る 意見 もあ らわれ る。破 さらに14年3月 には体操 指導教師制度を廃止 して,体育主事をお き一層 の専門化をはか り,34:14年 1月 に教育会 は,「青 年期 に於 ける運動競技の適切なる指導法」をテー マに懸賞論文を募集 し,体育への関心を高め学 校内外で過熱気味 に行われているスポーツ種 目 の見直 しをはか ってい く。35〕そ して155月 の

学校体操教授要 目」 全面 改正 にあた って は, この改正要 目に準拠 し極 めて厳格 に実施すべ き ことを全県小学校長会議で知事が訓示 してい く ことな る。36)

IV.競技会開催 と運動奨励策

1.武術大会の開催37? (1) 対校戦方式 による大会

秋田県教育会 は,明治41 (1908)10月 に第 1回の 「武術大会」を開催 し大正元年 に5回 目 を迎え,県内中等学校 の対校戦 の様相を呈 して 毎回参加者 を増加 させて きた。明治43年 の 「 術奨励規定」,明治45年 の 「スキー及 び相撲奨 励」を受 け,同年5月の総会で は 「全県角力大 会」 の開催 の提案がなされている。懸案事項 と な り結果的には時期尚早 とな ったが柔剣道 に限 らず県 の補助 を受 けて武道が奨励 されてい く。

6回大会 は大正 2年1017日に午前7時半 よ り午後5時 まで,剣道252回,柔道147回の取 り組 みを行 い,各対戦 の勝敗の差 によ り剣道 は 横手中学,柔道 は秋田中学が優勝 している。大 fE3年の代議員会で,「武術大会 を見合 わせて 会債償還費へ回す」 ことが提案 されたが論議 の 結果 「東北地方 の学生 は丈高 く太 く壮健な りと の こと,武術を奨励 して益 々特色を発揮せ しめ た し」 と落着 し, む しろ中学 との関係を密 にす るために小学校児童の部 を加え る提案が継続審 議 とな った。35

7回大会 は3103日に柔道 で147回 の 取 り組みを行 い横手中学 の優勝 とな り,全勝者

2名 に銀牌が贈 られた。4日は剣道 で 288回 の 取 り組みが行われ同点決勝の結果師範学校が優 勝 し,全勝者4名 に銀牌が贈 られた。大正4 の代議員会では,武術大会 の経費100円の内訳 が話題 とな り,幹事が 「前年度 は120円 に して 講師審判役 を東京 より依頼 した りした為 めに多 額 を要 したる次第 にて今度 はそれを廃 し」てい く事を回答 している。 さ らに武術大会の試合方 法 の変更の噂 に対 して も,「従来 多少 の非難 も あれば今此所 に具体的に方法 とてなけれ ども良 き方法を研究 したき考えな り」 とその場を納 め るが,大会 ま じかに 「常議委員 と各県立学校長」

の間で対校戦方式を取 り止め,優勝旗 を廃止 し 個人戦 のみに変更を決定 し問題を残す ことにな

る。391

(2)個人戦方式 と優勝旗復活論

8回大会 は,大正4103日に開催され,

優勝旗を廃止 し各人 の成績 を査定 して受賞 す る」 ことにな り,柔剣道 とも1校か ら7名 づっ の選手 を出 し,普通試合 と輪転試合を行 ないそ れぞれ個人優勝者 に銀牌を授与 し, さらに最優 捧者を表彰 している。 これは翌5年 の総会,代 議員会で論議の的 となる。 まず 「対校試合を対 人試合 とした理 由 と費用」が問われたのに対 し て幹事 は,教育者間に意見 あ りそれ は対校 と すれば武術 の練習 にのみ熱注するの弊を生す る」

を防 ぐためで,経費 は 「選手 の手当が40円, そ の他賞品,弁当,菓子の諸雑費」であると返答 している。多 くの反論 は, 「武術試合 は個人 よ り団体です る法が効果が高 い」 とい うものか ら

対人試合 は校長の意見な い し然 か し武術大会 は対校 にあ らされば効果 なきのみな らず本会 の 目的 にもあ らさる」 ので対人制であれば削除す べ きであるなどであった。 さ らに武術大会 その ものの廃止 の意見 もあ ったが,「武術 を体操科 と して取 り居 る学校 もある由なれば此上対校 と して競争せ しむ る必要な しと思 う」 といった意 見 に集約 され採決の結果対人試合 と決定 す る。

さ らに 「小学校連合武術会の開催」 も論議 の結 果時期尚早 の意見が多数 を占め る.40;第9回大 会 は,大正5102日に代議員会で決定 した ように個人戦で普通試合 と,輪転試合で行われ

(8)

秋田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 第50

ることになる。

大正6年 の総会 で は,「小学校連合武術会」

地方連合武術会」 の開催 が反対 もな く承認 さ れ る。41)同年929日, これまで開催 されて き た公会堂が焼失 したため秋田中学校雨天体操場 を会場 に,第10回武術大会が例年 と同 じ参加校 で行われ る。

(3)対校戦の復活 と主催の中止

大正7年 の総会で は前年 に 「小学校連合武術 大会」が承認 されたにもかかわ らず,開催 され なか った疑義 に対 して,幹事か ら総会 の決議で はあるが代議委員会で経費 の計上 に反対 とな り 今年度 も予定 は立たないと説明が されたように 大正10年 まで先延ば しにされてい く

さらに 「武道奨励優勝旗復活」の提案が,本教 育会決議 の尊重 と権威の養護 のため と武道奨励 の真意議を徹底す るためにとい う理 由でだされ

優勝旗を授与す る決議」 を尊重 して復活 が求 められた。とくに 「各中等学校長が廃止を決 め県 当局 も之 に同意 した」という噂 も根強 く,常議員 会での決定の仕方 に も強い疑義 が示 され,「過 般来秋せられたる加納先生 に対 して此 の事 につ きて教えを請ふ に決 して弊害 ある事な しと断言 せ られた り殊 に優勝旗 を設 けて教育 に弊害有 り と言ふが如 きはその人 に欠陥ありと云われたり」

との発言 もあ らわれ,結局 「起立を要せず可決」

され教育会での復活の承認がお こなわれた。42:. これに従 い常議員会 は794日に 「優勝 旗 を復活 させての武術大会」の開催 を各県立学 校 に照会 したが,参加せず」の回答 を受 けた。

920日に再度 常 議 員 会 を 開 き協 議 の結 果 ,

本会が従来優勝旗 を懸 けて武術大会 を開催 し 来 りたるは偏 に武術奨励 に外 な らず優勝旗復活 の決議 は武術奨励を一層有効 な らしめん とす る の意思な りと解釈 し既 に優勝旗 を懸 くるは自然 不可能 にな りたるも本会 の趣 旨に添ふ ものとし て武術大会を開催す ることに決議 せ り」43)と校 長会 に押 し切 られ,総会 の決議をひるがえす こ

とになる。武術大会は開催前か ら波乱含みであっ たが,お りしも悪性感 冒の再流行 の兆 しがあ り 中等学校生徒,選手 にも尾病者多 く,常議員会 で大会中止の決定を下す ことになる。

大正8年 の総会で は,結果 として中止 とな っ た とはいえ総会決議を覆 した件に批判が出され, 武術大会,優勝旗復活 よりも決議 に対す る常議 員会 の姿勢 に疑義が集中 した。代議員会で 「 学校連合武術大会の内規」が検討 され開催が具 体化 してい く。 しか し第12回 (8年928日), 13 (9926日) と優勝旗 な しで例年 に 従 い開催 され る一万,9年 には経費 の問題 で開 催 されず にいた小学校武術大会が個人の寄付金 によ り柔剣道各 11校 によ って対 戦 が行 われ,

小学校武道大会規定」 も制定 された。) 大正1110月,関係学校 との交渉の結果中等 学校武術大会 に優勝旗が復活 され各校 より7 づっの対戦が行 われ剣道 は秋 田師範,柔道 は秋 田中学が優勝 を飾 っている。規定改正 によ り1 週間遅れて第2回小学校武道大会 は,21校の参 加校 が柔剣道 それぞれ 「高等 の部」 と 「尋常の 部」 に分かれて熱戦が展開 された。第15 (ll 928日)そ して第16 (12108日) と 優勝旗を賭 けて これまでにない熱戦が続いたが, 大正13年の総会で秋 田県教育会の解散組織改革 が行 われ,武術大会を主催 してい くことが困難 な状況 とな り大会 は大 日本武徳会秋 田県支部が 引 き継 ぎ,優勝旗を新調す ると同時に 「1 県下 中等学校武道大会」 と名称 も変更 されてい く。教育会が新体制 にな り武道の奨励等を目的 とす る体育部 の設置が提案 されるが承認を得ず, 秋 田県体育協会 の結成や競技種 目ごとの協会の 活動 によ り教育会 は学校体操 の普及促進を中心

として活動を進 めてい くことにな る。

2.水泳練習会の開催 (1)秋 田市での開催

武道の奨励 とな らんで秋田県教育会が明治末 か ら積極的に関わ って きた活動が 「水泳練習会」

による泳力の向上である。秋 田市を中心 に小学 校中等学校を対象 に 「水泳練習所」の設置,請 習そ して泳力検定が継続 されてきた。大正元年 の第3回講習会 には400円が計上 され準備 が整 え られたが,天皇崩御 により前 日に中止が決定 された45)

大正2年の第4回練習会 は雨天 のため817

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(9)

田 大正期 における秋 田県教育会の組織改編 と体育 ・運動奨励 につ いて

日の旭南小学校での開会式か ら30日まで行われ, 新川橋下流 (向岸) には県立学校3167名, 小学校9260名 さらに女子部講習所 が設 置 さ れ女子師範生28名,女子小学生19名 の参加があ り人数,成績で もこれまでの最大 の取 り組み と な っている。46

4回水泳等級検定 (大正2年)

学校 .参加者 世話役 独泳 1 2 3 4

5 無 紋

師範 学 校 秋 田 中学 (小学校) 代用附属明徳 女 子 師 範

保 戸 野

(女千部) 女 子 師範 女子師範附属

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大正3年第5回練習会 は81日よ り14日ま で 「健康上 よ りすれば海水の方有益」で 「雨天 後 の濁流 もな く」 という理 由で新屋演で開催 さ れたが,表のように昨年 に比べ大幅に参加者を 減 らしている。

5回水泳練習会参加者 (大正3年)

学校名 独泳 1 2 3 4

5無 級

秋 田中 学 1 業 ; 2

仏偲

練習委員会 に31名を委嘱 していたこともあり, 大正4年 の代議委員会で は水泳練習会の計上費 の質問が出され, さらに5回の開催がすべて秋 田市で行われたことも問われ,幹事長 は水泳及 び冬季運動奨励費 として指定補助扱 いで 「水泳 400円,冬季運動が100円」 として執行 され会場 は費用の問題がなければ どこで も開催が可能で あることを返答 している。47)

(2) 秋田市以外での設置開催

代議委員会での議論を うけ大正4年 の第6 水泳練習会 は地元 の希望 にそい象潟町に開設を 決め期間を10日間 とし県立学校生を募集 し,教 師 も本荘中,農林 に委嘱 し土崎港か ら発動機船 を利用 し仮宿舎を設 け食費 を支給す る計画が決 定 された48)開会式 には教育会会長,官房主事, 由利郡長,郡視学官 と象潟小学校生数百名 も集 まり,150余名の参加者 が722日よ り午前午 後の練習 により 「五里遠泳 に成功 したるもの実

50余名」 になるという成果を上 げた。

大正5年 は,南秋 田郡脇本村演で, 7月22日 より1週間開催 され,師範,秋 田,本荘, 工業 の生徒 と地元脇本小学校 高学年 な ど約100名 が 参加 している。6年 は,南秋田郡船越 町で7 21日よ り10日間,175名の参加で行われ,49)翌7 年 も船川港町梅漬で721日よ り10日間,133 名の参加者で行われたが,小学校教員 も加わ り 108名が進級書を受 けている。 が約30名 にお よ ぶ 「生徒 の不摂生 による」患者を出 している。

大正8年 か ら11年 まで 由利郡下宿村長宿海 岸で開催 され,9年 には12日間に延長 し地元小 学生100名を含 む200余名 の参加者の うち2望遠 泳の完泳が46名であ り,秋田か らも近 いことも あ り多 くの声援者の来訪 や通俗講演会 も開かれ 。10年 には小学生120名 を除いて100名を4 力 クラスに分 け泳法,救助法,各種遠泳が行わ れた。)

大正118月か ら秋田県教育会の機閣誌 『秋 田県教育雑誌』 の発行 もとぎれ,136月の解 敬,組織改編 とな り武術大会 も12年が最後の主 催であったので水泳練習会 も13年 には開催 され ていないと考え られ るが,12年 について は,覗 在 の所不明である。 しか し水泳練習会 も教育会

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参照

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